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写真を見るレッスン:「うつす」ための装置 カメラの起源

© Mika Kobayashi

写真を見るレッスン
「うつす」ための装置 カメラの起源

文:小林美香
© Mika Kobayashi mika@marebito-editions.com

デジタルカメラやカメラ付き携帯電話が広く普及するようになって、写真を撮る時のカメラの持ち方や構え方

が大きく変わってきました。フィルムを使う従来のカメラのように、ファインダーを覗き込んでシャッター・ボ

タンを押すよりも、カメラから顔を少し離して手前にある液晶モニターに映っている像を見ながらシャッター・

ボタンを押す、とか携帯電話を翳すように持って撮ることの方が一般的になってきています。このような撮り方

は、ビデオや DVD を再生している途中でリモコンの一時停止のボタンを押して動画の画面を止める、という感覚

に近づいているのかもしれません。とくに小型のデジタルカメラは、液晶画面がますます大きくなっていくなか

で、本体もますます薄型化しより平面的な感じのデザインのものが増えてきています。このようなカメラの変化

に伴って、写真を撮るという動作自体が「平面としての画像を切り取ること」に近いものとして捉えられてきて

いるようです。

このような薄くて平べったい、小さなカメラやカメラ付き携帯電話をいつでもポケットや の中に入れて持ち

運び、手軽に使うことに慣れてくると、カメラが元々は「部屋」という意味のラテン語の言葉に由来していると

聞いても、すぐにはピンと来ないかもしれません。持ち運ぶことのできる小さなカメラと、カメラよりもはるか

に大きく、固定された空間としての部屋は、互いに全く性質を異にするもののように見えます。けれども、カメ

ラをその語源にある「部屋」と結びつけて考えてみると、写真が「うつる」ということを、カメラの構造も含め

てより深く理解できるのではないでしょうか。

カメラの語源を補足して説明するために、写真が発明される以前の歴史にごく手短に触れておきましょう。写

真術が発明されるのは 19 世紀半ばのことですが、それよりも前にカメラの原型としてカメラ・オブスキュラ

(Camera Obscura)と呼ばれる装置が発明されています。

カメラ・オブスキュラとは、暗く閉ざされた部屋

(obscura とは「暗い・曖昧な」の意味)の中に小さな

穴を通して光が差し込むと、対面の壁に上下左右が反転

したに外の世界の像が映し出されるという光学の原理

(図 1)に基づいて作られた装置です。この原理自体はカメ

ラ・オブスキュラ発明よりもはるか前に、ギリシアの哲

学者アリストテレスや中国の思想家墨子などが発見して

(図1)ジャン=フランソワ・ニスロン, いました。

『不思議な透視図法』, 1652 年

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レンズや凹面鏡などが発明・改良されていった 16 世紀頃以降、絵画を描くための補助器具としてさまざまなか

たちのカメラ・オブスキュラ(図 2)が考案されていきました。

(図 2) 携帯型カメラ・オブスキュラ

(図 3)アタナシウス・キルヒャー, 戸外組み立て式「カメラ・オブスキュラ」, 『光と影の大いなる術』(1646 年)

カメラ・オブスキュラを考案した人物の一人に、イエ

ズス会の僧であり大発明家でもあったアタナシウス・キ

ルヒャー(1601-1680)がいます。彼は、『光と影の大いな

る術』という本を著し、組み立て式のカメラ・オブスキ

ュラを考案しています。(図 3)はその構造を図解したもの

で、二重構造になった箱の外側の箱にはそれぞれ穴があ

いていて、レンズが嵌め込まれています。

(図 4)アタナシウス・キルヒャー, マジック・ランターン

このレンズを通して、外の世界の風景が内側の箱の壁に貼られた紙に映し出されていて、箱の中にいる人がその

紙の裏側から風景を転写する様子が描かれています。キルヒャーは、幻灯機(マジック・ランターン)という装

置も考案しています(図 4)。幻灯機は、現在のプロジェクター(映写機)の原型というべきものであり、絵を描か

れたガラス板(スライド)をランプの光の前にかざし、暗い部屋の壁に像を投影する装置です。カメラ・オブス

キュラが外の世界の光景を暗い部屋の中に「移し/映し」て、それを転写する(写す)装置であるのに対して、幻

灯機はランプの光で壁に像を「映す」装置であり、どちらも同じ光学の原理にもとづいています。カメラを「部

屋」という語源から探ってみると、カメラという装置が三つの「うつす」ということ──「外の世界を部屋の中

に移す」、
「像を壁面に映す」、
「写す(転写)
」──に関わっていることをその仕組みも含めて理解できることでし

ょう。

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部屋が眺めていた光景 アベラルド・モレル「カメラ・オブスキュラ」

キルヒャーが「光と影の大いなる術」と呼んでいたことからも想像できるように、カメラ・オブスキュラの中

に像が「うつる」ということは、ある種魔術的な摩訶不思議な現象として捉えられていたようです。その後写真

が発明され、技術として飛躍的な発展を遂げた現在でも、写真家の中には、カメラ・オブスキュラの原理に魅力

を感じて、それ自体を作品制作の主要なテーマに据えている人がいます。

キューバ出身でアメリカ在住の写真家アベラルド・モ

レル(1948-)が 1990 年代初頭から取り組んでいるシリ

ーズ作品「カメラ・オブスキュラ」では、そのタイトル

が示すとおり、カメラ・オブスキュラの仕組みそのもの

が主題になっています。最初期に制作された「電球」

(1991) (図 5)を見てみましょう。暗い室内で机の上に段

ボール箱が置かれていて、箱の側面にはレンズが備え付

けられています。レンズの前には電球が点灯していて、

段ボール箱の対面する内壁には、電球の倒立像が映って

(図5) アベラルド・モレル、
「電球」
、1991 年 います。

つまりこの写真は、暗い室内に段ボール箱のカメラ・オブスキュラを設置し、その内壁に像を結ぶ仕組みその

ものを別のカメラで写したものなのです。先に紹介した光学の原理(図 1)やキルヒャーの組み立て式カメラ・オ

ブスキュラ(図 3)と照らし合わせてみると、その原理を実際の現象に則して、改めてはっきりと理解することが

できるでしょう。

その後彼は部屋全体をカメラ・オブスキュラに変えてしまうという試みを続けています。さまざまな部屋の中

で、ドアや窓を塞いで外光を完全に遮断した上で、直径 1 ㎝足らずの円形の穴から光が差し込むような状態を作

り出します。そうすると部屋の外の光景が穴に対面する壁や天井、床に映し出されます。モレルは対面する壁に

向けて別のカメラを設置し、シャッターを開放にしたままの状態で 8 時間以上放置します。壁面に映し出される

像は薄暗いため、日中のほぼすべての時間を費やすような長時間露光が必要なのです。結果として出来上がる写

真には、室内の空間に外の世界の光景の倒立像が重なっていて、どこにも存在しないような空間が立ち現れてい

ます。

「マンハッタンの光景のカメラ・オブスキュラのイメージ 南向きの広い部屋」(図 6)では、椅子とテーブルが

置かれた広い部屋の壁面と天井に、夥しい数の高層建築群が倒立像として映り込んでいます。街の光景からも撮

影に使われた部屋が、かなり高い建物の中の一室であることがわかります。まるで部屋の中に逆さの巨大な街が

出現したかのように見えます。一回の撮影に長い露光時間を要することは、
「タイムズ・スクエアの光景のカメラ・

オブスキュラのイメージ ホテルの部屋」(図 7)からも見て取ることができます。

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(図 6) アベラルド・モレル、
「マンハッタンの光景のカメラ・ (図 7) アベラルド・モレル、「タイムズ・スクエアの光景の

オブスキュラのイメージ 南向きの広い部屋」、1996 年 カメラ・オブスキュラのイメージ ホテルの部屋」 1997 年

タイムズ・スクエアは人や車がひっきりなしに行き交う賑やかなエリアであるのにもかかわらず、写真には人

影や路面の車は全く写っていませんし、壁時計の針は文字盤の上で霞んでいて、ベッドサイドのデジタル時計の

電光掲示は光を放ち文字の形が見えなくなっています。つまり、露光時間の間に移動したり変化したりするもの

は像として写らないのです。カメラ・オブスキュラに仕立て上げられた室内に映る街の倒立像は、長時間露光で

別のカメラに撮影されることによって、あたかも「人が不在の間に部屋が眺めていた光景」であるかのように見

えたりもします。

仮設の部屋としてのカメラ 宮本隆司「ピンホールの家」

モレルの「カメラ・オブスキュラ」が、カメラ・オブスキュラの構造と原理を、既存の部屋という固定された

空間を使って表す試みであったのに対して、部屋のような大きさのカメラを新たに作って撮影するという試みも

あります。宮本隆司(1947-)が 2000 年から 2004 年にかけて制作した「ピンホールの家」というシリーズ作品

は、そのタイトルが示すように、家のような大型のピンホール・カメラを使って撮影されたものです。

宮本が自作の大型ピンホール・カメラをわざわざ「ピンホールの家」として居住空間と結びついて表す理由は、

それ以前から制作してきた作品と関係しています。彼は世界各地でさまざまな状態に置かれている建築物──解

体中や建築途中のもの、老朽化したり、廃墟化したりしているもの、遺跡を含む──を撮影する中で、1980 年前

半から 1990 年代半ばにかけて「ダンボールの家」(図 8)というシリーズ作品を制作しています。この作品は、ホ

ームレスの人達がダンボールなどを使って作った仮設の住居を撮影したものです。ダンボールの家は、一般的な

建築物のように、特定の場所に固定されるのではなく、常に移動することを前提に作られています。
「ダンボール

の家」を被写体として撮り続けた後に制作された「ピンホールの家」では、撮影の対象だった「ダンボールの家」

が撮影する装置に転換されているのです。

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(図 9)宮本隆司、シリーズ「ピンホールの家」の撮影風景 東

(図 8)宮本隆司、東京 1995 年 京都港区海岸 中央の木製の小屋がピンホールカメラ, 2001 年

シリーズ「ダンボールの家」より

(図 10)宮本隆司,

中央区晴海、東京

2002 年 10 月 17 日,

「ピンホールの家」で撮られた写真を見てみましょう。彼は人が一人入ることができるほどの大きさの木製の小

屋を作り、路上など地面の上に直接設置します。撮影場所に置かれたピンホールの家は、一見すると段ボールの

家にも似た佇まいをしています (図 9) 。宮本は小屋の中に自らが入って内側から遮光した上で、暗闇の中で小屋

の内壁に印画紙を張り込んだ後に、外側からピンホールの部分を開けてもらって、3∼4分の露光時間で感光しま

す。その間、宮本は箱の中に入ったままの状態で待ち続けるのです。感光した印画紙を現像してつなぎ合わせる

と、箱の展開図の一部分と重なる形になります。「東京 中央区晴海 2002 年 10 月 17 日」(図 10)には、手前の

川岸から続く水辺と対岸の町並みが倒立像として写っています。その倒立像の下の方映り込んでいる黒いシルエ

ットは、露光時間箱の中で待ち続けていた宮本自身のものです。つまり、宮本はカメラの中に入ることによって、

写真の一部分になっているのです。

モレルの「カメラ・オブスキュラ」も宮本隆司の「ピンホールの家」も、数分や数時間という通常の撮影では

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考えられないような長い露光時間を費やしています。それはあたかも、室内に外の世界の光を移し入れ、溜まっ

ていくのを待つようなプロセスであり、一瞬で画面を切り取るような、デジタルカメラで写真を撮る感覚とは全

く異なっています。

無数のレンズたち 畠山直哉「Slow Glass」

アベラルド・モレルや宮本隆司の作品は、部屋としてのカメラに具わる面、すなわち壁面や天井、床に焦点を

合わせていると言えるでしょう。カメラ/部屋を考える上で忘れてはいけないのが、光を移し入れ、像を結ぶため

に必要なレンズの存在です。

畠山直哉(1958-)のシリーズ作品「Slow Glass(スローグラス)」は、像を結ぶレンズに焦点を合わせています。

この作品は、畠山が 2001 年にロンドン北西部にあるミルトン・キーンズという街に滞在していた折に制作された

作品で、現地の風景を水滴のついたガラス越しに撮影したものです。カメラの焦点は、ガラス越しの風景にでは

なく、その手前にあるガラスの表面に貼り付いた水滴に合わせられています。したがって、向こう側の風景──

ぼんやりとした色彩と形が浮かび上がっているように見えます──を背景に、無数にある水滴の一粒一粒の中に

はっきりと倒立像が捉えられています(図 11)。より近づいて水滴に注目してみると、それぞれ大きさや形の異な

る水滴がガラス板の向こうの光跡を宿していることに驚きを感じずにはいられないことでしょう (図 12) 。

(図 11)畠山直哉, スロー・グラス#51, 2001 年 (図 12)畠山直哉, スロー・グラス#51 部分, 2001 年

水滴の貼り付いたガラスは、雨の日や、冬の日に結露した窓の表面──電車や自動車の車窓、部屋の窓──を

連想させます。写真に捉えられた水滴の中を覗き込んだり、向こう側のぼやけた風景を眺めたりしていると、窓

越しに内側から外を見ているかのような気分になってきます。風景がぼやけているのに加えて、曇天や、黄昏時、

夜など、あまり明るくない時間帯に撮影されていることが多いのも手伝って、向こう側の「どこか分からない場

所」に対して余計に想像力がかき立てられたりもします。また、写真を見る感覚と、部屋の中から外を眺めると

いう感覚が重なり合うことによって、見知らぬ場所にある部屋の中に迷い込み、その窓から外を見ているかのよ

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うな一瞬の錯覚を感じることもあるでしょう。
「スローグラス」という作品のタイトルは、同名の SF 小説──過

去の光景を取り戻すことのできる特殊なガラスの発明を巡る物語──から採用されています。このことと結びつ

けて写真を見ると、水滴の一粒一粒がレンズになることによって、ガラス越しに隔てられ、はっきりとは知覚で

きない時空が、手前の表面に無数の断片的な像として引き寄せられているかのようにも見えてきます。

このように、カメラをその語源にある部屋と結びつけてみると、写真が「うつる」仕組みや原理だけではなく、

写真に関わる空間や時間の感覚もより立体的に捉えられることでしょう。アベラルド・モレルのように、室内空

間をカメラ・オブスキュラに変えてみたり、宮本隆司のようにカメラを作りその中に入って撮影したりすること

を、実際に真似して実践してみるのは難しいですが、日常生活を送る部屋の中や職場の部屋で、
「もしこの空間が

カメラ・オブスキュラだったら」と想像してみてはいかがでしょうか。どこにピンホールやレンズの位置を決め

るかで、対面する壁に映る倒立像が変わってくると思うだけで、窓から見えるいつもの景色も少し違って見えて

くるかもしれません。

あるいは、雨の日に電車やバス、自動車の車窓から外を眺める時に、窓ガラスの水滴をじっと見て、その中の

小さな像を見て、その後にまた外を眺めてみる。
(こちらは、カメラ・オブスキュラを想像するよりははるかに簡

単です。)そんな風にして、身近な空間や風景をカメラという装置を意識して、いつもとは少し違った角度で見る

と新たな発見があったりするものです。見慣れているはずのものや空間に対する違う見方の存在に気付かされる

こと、写真を見ることの面白さはそういうところにあるような気がします。

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