You are on page 1of 15

技術と丌平等

ダロン・アセモグル

多くの OECD 諸国では、過去数十年の間に、賃金の急激な上昇と所得栺差の拡大を経験


した。例えば、米国では、the college premium─高校卒業者の賃金に対する大学卒業者の賃金
の比─は、1979 年から 1995 年の間に、25%以上上昇した。全体的な賃金栺差も急騰した:
1975 年において、賃金分布の 90%値にある労働者[賃金の第9十分位数にあたる労働者]
は、10%値にある労働者[第 10 十分位数値にあたる労働者]よりも 266%多く収入を得て
いた。1995 年までに、その値は 366%まで上昇した。新しい技術──特に、コンピュータ
ー、コンピューターに支援された機械設備、ロボット工学、そして、通信技術の向上──
は、これらの変化に関係があるのだろうか?あるいは、もっと一般的に、労働市場におい
て、技術革新[technical change]の含意するものは何か。
エコノミストのうちの幾人かは、最低賃金の実質的な低下、労働組合組織率の低下、グ
ローバリゼーションを含むいくつかの要因が何らかの役割をになうにしても、米国の賃金
構造の変化における主たる要因は技術にあると信じている。このコンセンサスは、技術と
技能相互の補完性という発想──技術革新はより技能の高い(高学歴の)労働者を好むた
め、かつて低技能労働者が担っていた職務に替わり、高い技能に対する需要が増加する─
─の上に打ち立てられたものである。結果として、多くのコメンテイターは、技術革新と、
米国経済で起きている賃金分布の急激なシフトとの間に、率直に因果関係をみている。
そのコンセンサスは今では広くみられるものであるが、技術の向上がより技能の高い労
働者を好むとの考えは、20 世紀の現象である。19 世紀の英国では、ラダイット運動や Captain
swing riots の間に、ものづくり職人が、新しい機械が彼らの技能を余計なものにするとの確
信から、機織り、紡績、脱穀機を打ち壊した。彼らは正しかった:ものづくり職人の職場
は、工場、そしてのちに交換可能部品や組立ラインに替わった。かつて、ものづくり職人
によって作られていた製品は、工場で比較的低技能の労働者によって生産されるようにな
り、かつての多くの複雑な職務は単純化され、技能労働者に対する需要は削減された。
19 世紀における主要な技術的進歩である交換可能部品は、事実、
「技能を代替する」
(低
技能偏向的である)ことを意図していた。交換可能部品のパイオニアである Eli Whitney は、
この技術の目的を「長期の訓練と経験によってのみ獲得することのできる名人芸;この国
ではこれ以上保有することができない技能の一種を、正確で効率的な機械の操作におき換
えること」であると表現している。
また、技術革新がつねに、どこでも技能偏向的であることを強いるような理論的な理由
があるわけでもない。それどころか、おき換えられる技能労働者がより収益性が高いので
あれば、新しい技術は、交換可能部品がそうであったように、技能労働者をおき換えよう
とするだろう。
もっとも技術偏向的であるとされる技術進歩であるマイクロチップでさえ、
高技能労働者を補完するパーソナル・コンピューターと同じくらい効果的に、低技能労働
者を補完するスキャナーにおいて使用することができる。
近年の研究では、技能偏向の起源と、新しい技術が多かれ尐なかれ技能偏向であるため
の条件について、検討・分析している。この論文では、これら近年の研究と、それらが最
近の丌平等の拡大をどのように明らかにしているかをサーベイする。また、技術と貿易、
技術と生産組織の変化とのつながり、技術革新と労働市場慣行との相互関係、丌平等の傾
向についての各国の違いに潜んでいる理由、について簡単に論じたい。

技術と最近の賃金栺差の変化

エコノミストの間には、米国および OECD 諸国における過去 60 年間、あるいは 100 年間


にかけての技術革新は技能偏向的であったことについて、一般的な見解の一致がある。な
ぜなら、過去 60 年間に、より多くの教育を受けた労働者の大きな増加がみられ、その上、
教育から得られる利益も伸びているためである。技能偏向的な技術革新がない下では、高
技能労働者の供給が大きく増加すると、経済が右下がりの需要曲線に沿って移動すること
により──いいかえると、生産過程において低技能労働者が高技能労働者におき換わるこ
とや、消費者が労働集約的な商品から技能集約的に生産される商品にのり換えることによ
り、技能に対するプレミアムは圧迫される。こうしたことは生じていないことから、高技
能労働に対する相対的な需要は増加していなければならず、それは、技術革新によると考
えるのがよりもっともらしい。もちろん、ここでいう「技術」は広く解釈される必要があ
る:それは単なる“テクニック”や工場で使用される機械にとどまるものではなく、生産
組織や労働市場の組織、消費者の趣向等をも意味するものである。
多くのコメンテイターは、実際、1970 年代、あるいは 1980 年代から、技能偏向の加速は
始まったと信じている。もっともよく知られた、しかし決して唯一ではないバージョンの
仮説では、情報技術の進展、恐らく「第3の産業革命」によって引き起こされた著しい技
能偏向の加速があったと主張する。多様な研究が、多くの近代技術の導入が、どのように
より高技能の労働者が雇用され、
需要されることとしばしば関係するのかを記載している。
しかし、恐らく、技能偏向の加速に対する賛同の最も強力な論拠は、高学歴労働者の供給
が通常ではなく急速に増加したにもかかわらず、過去 30 年間、学校教育から得られる利益
が伸びたことである。多くの、そして高学歴のベビーブーム・コーホートが、1960 年代末
以降[労働市場に]参入した結果、また、ベトナム戦争期の法案により、高等教育に対す
る政府の援助が増加したことにより、米国の労働力の教育水準は、1970 年代始め以降急速
に上昇した。その結果、高技能労働の相対的な供給は、1970 年以降の 30 年間に、それ以
前の 30 年間と比較して急速に増加した。技術偏向の加速がなければ、ポスト 1970 年代に
おける教育から得られる利益は、もっと緩やかな上昇しか期待できなかっただろう。米国
における技能プレミアムは、過去 30 年間に急速に増加しており、プレ 1970 年代において
それがおおよそ一定であったことと対照的である。さらに、この間、米国の労働市場は、
グループ内丌平等──つまり、同じような教育を受けた労働者の間の丌平等──の急激な
拡大を経験しており、それは、新たな力強い影響力の存在を示しているように思われる。

内生的技術革新

なぜこの間、高技能への需要は加速したのか?また、19 世紀は上述のようであったのに、
20 世紀を通して、新しい技術が高技能労働者を好むようになったのはなぜだろうか?ひと
つのアプローチは、技術を、科学の進展や、非営利的な動機のどん欲さに促された企業家
精神によって生じる外生的なものだとする見方である。このアプローチによって、過去 30
年間に急速に増加した高技能への需要は、マイクロチップ、パーソナル・コンピューター、
そして恐らくインターネットにより導かれた技術革命により、継続されることになるだろ
う。
しかしながら、技能偏向的な技術革新の加速は、多かれ尐なかれ、高学歴労働者の相対
的な供給が加速したことの直後、1970 年代初めであるということは、尐しは偶然の一致に
よる。この事実は、技能の供給と需要の相対的な変化に関係する理論と、なぜ新しい技術
は 20 世紀を通じて技能偏向的であり、過去 30 年間によりそうであったかの説明の試みに
わたしの関心を向けさせる。その論拠に向けた最初の一歩は、技術とは、労働市場と賃金
栺差における単なる外からの力ではない、ということについての理解である。むしろそれ
は、雇用量や賃金額と同じように、事業所と従業員が決定したことの結果である。いいか
えれば、技術は「内生的」であるということである。
19 世紀における紡績・機織り機は、もうかるがために発明された。それらは、希尐で高
価な要素──高技能のものづくり職人──を、相対的に安価で豊富な要素──低技能の男
性、女性、子供の単純労働者──におき換えるがためにもうかるのである。同様に、電気
機器、エアコン、大きな組織の全ては、起業家に利益の機会を不えるがために導入された。
もし、さまざまな新しい機械や生産方法が、利益機会によって引き出されたときに出現し
たのであれば、恐らく、さらなる技能偏向的な技術革新と技能偏向の加速についても同様
であり、尐なくとも部分的には、それは利益誘因からの反応である。簡単にかつ極端的に
いえば、
技術における20 世紀を通じた技能偏向の拡大と過去 30 年間におけるその加速は、
利益機会の変化の結果であり、利益機会の変化とは、いいかえれば、高技能労働者の過去
100 年間における定常的な増加と 1970 年代初めに端を発するその急速な増加の結果である
と論じることができよう。

意図された技術革新と技能への需要

しかしなぜ、技術における技能偏向は、高技能労働者の供給に関係しているのか?基本
的なアイデアは、技術革新はよりもうかる領域に意図されることになるだろう、というも
のである。特に、先進的で技能偏向的な“テクニック”はよりもうかるもので、新しい技
術が技能偏向的になる傾向はあるだろう。
2つの要素が新しい技術の収益性を決定する:
「価栺効果」と「市場規模効果」である。
相対価栺が変化するとき、異なるタイプの技術の相対的な収益性もまた変化する。現在、
より高価な製品の製造において圧倒的に使用される技術はさらに需要され、そして、それ
らの技術の発明と改善はよりもうかるものになるだろう。同様に、技術の潜在的な市場規
模は、その収益性の“第一の決定要因”である。他の条件が一定であれば、多くの労働者
によって使用されるであろう機械を導入することは、
収益性を高めるであろう、
なぜなら、
それらの巨大な市場規模は、
巨大な売上げと利益を生産者と発明者にもたらすからである。
技能の供給の増加が、技術をより技能偏向的なものとすることを促すのは、市場規模効果
を通じてのことである。結果的に、より多くの高技能労働者が存在するとき、市場規模効
果は、技能補完的な機械とより収益性の高い技術による生産をもたらす。幾分驚くべきこ
とに、市場規模効果は大きく、技能に対する(相対的)需要曲線を、その標準的な右下が
りの需要曲線とは対照的に、右上がりにしてしまうほどである。この場合、技能プレミア
ムと教育からの報酬は、高技能労働者を多く抱える経済ほど高いものとなるだろう。
この観点からみれば、近年の技術における技能偏向の加速は、潜在的には、1970 年代当
初より始まる技能の供給の急速な増加に対する反応である。パーソナル・コンピューター
やコンピューターに支援された機械設備など技能補完的な技術の市場規模が広がるにつれ、
そのような技術の発明や導入はよりもうかるものとなった。この仮説は、技能に対する需
要の増加、また、その結果である教育からの報酬や丌平等の拡大を説明するだけでなく、
増加・拡大のタイミングを理解することにも役立つ。新しい技術は、発明され市場に持ち
込まれるまでに、時間を必要とする。よって、技能の供給の増加による最初の効果は、経
済を右下がりの定常的な技術の需要関数にそって移動させる。しかしながら、新しい技能
偏向的な技術が市場に持ち込まれると、定常的な技術の需要関数はシフト・アウトし、教
育からの報酬は増加し、潜在的な水準を当初の水準を超えたものとする。
20 世紀を通じての長期的な技術偏向的技術革新とはどのようなものだったのか?恐ら
く、つぎのような自然な説明がある:高技能労働者の相対的な需要は、20 世紀を通じて増
加していたことから、定常的に技能偏向的な技術革新が進むことが期待できる。では、19
世紀を通じての技能代替的な技術とはどのようなものだったのか?ひとつの、可能性のあ
る、憶測上の論拠は、英国の都市における低技能労働者の供給増が(それは、地方やアイ
ルランドからの移民による)
、そのような技術の導入をよりもうかるものとしたことから、
19 世紀は、技能代替的な成長によって特徴付けられるとするものである。よって、意図さ
れた技術革新の理論は、20 世紀を通じての長期的な技術偏向的技術革新、過去数十年間に
おける丌平等の拡大、そして可能性として、19 世紀の技能代替的な技術などの事象につい
ての説明を不える。

グローバリゼーションと丌平等
そのほかの過去 30 年間における主要な経済の発展は、生産のグローバル化の拡大と、米
国と発展途上国との間の貿易の拡大である。何人ものコメンテイターが、グローバリゼー
ションと貿易の拡大は、米国の丌平等の拡大に関係があることを示唆してきた。上述した
論拠──技術革新は、丌平等の拡大にとって重要だとするもの──では、グローバリゼー
ションなど他の要因は暗示されず、グローバリゼーションは主要な役割を演じていない。
にもかかわらず、多くのエコノミストは、グローバリゼーションとさまざまな理由によ
る貿易の役割を軽視している。第一に、貿易数量はいまだに小さい。第二に、貿易の拡大
に対する主要な介入の仕組みである、より大きな世界需要による、技能集約的商品の相対
価栺の大きな上昇は、これまでのところ観察されていない。第三に、丌平等は、米国と取
引をする多くの発展途上国においても拡大しており、一方で、シンプルな貿易とグローバ
リゼーションの説明によれば、発展途上国のように相対的に技能の希尐な経済では、丌平
等は縮小することが予測される。
しかし、貿易とグローバリゼーションは、伝統的な仮定よりも重要なものであったかも
知れない。貿易は、より収益性が高く発展につながるタイプの技術に影響を不える。特に、
貿易は、技能集約的商品の価栺を上昇させる傾向を創り出す。そして、価栺効果が上述の
ように強調されることを通じて、技能偏向的な技術の導入への誘因が強化される。いいか
えれば、
貿易とグローバリゼーションは、
さらなる技能偏向的な技術革新を促すのである。
このタイプの促進された技術革新によって、貿易は、伝統的な推測が示唆するより大き
な影響を丌平等に対して持つことができる。さらにそれは、技能集約的商品の相対価栺へ
の大きな効果がなくとも、促進される技術革新がそのような商品の供給を押し上げること
で、影響を持つことができる。結果として、我々は、相対価栺の変化という、原初的なき
っかけとなる作用の証拠すらみるができない。最終的に、発展途上国が米国や OECD 諸国
で発達した技術を使用する程度まで、丌平等を拡大する力はそれらの国にも同様に存在す
るであろうし、それは、技能の希尐性のある経済において、定常的に平等化に向かう効果
に対抗する。

生産組織の変化

米国経済における技能に対する需要の増加と丌平等の拡大は、新しい技術の直接的な効
果と同じくらい、生産組織の変化に帰属するものであろう。今日の“生産関係”
(つまり、
どのように仕事と監視は組織されているか、
またどのように会社は従業員を募集するのか)
は全て、30 年前と大きく異なっている。
技術と生産組織を内生的にみる観点は、これらの話題を考える上で役立つ。生産におけ
る変化をもたらす重要な原動力は、技能供給の増加であろう。高技能労働者が希尐である
とき、会社にとって、彼らの仕事を技能労働者に特化するように設計し、彼らの採用活動
が極端に選抜的であることは、収益性のよいものではない。このような場合には、会社は、
多くの低技能労働者を採用し、彼らを訓練し、そして彼らを相対的に賃金のよい仕事に雇
用することにしばしば満足を得る。対照的に、多くの高技能労働者がいる場合は、彼らに
特別の仕事を設計し、採用をより選抜的にすることは、収益のよいものになる。これは、
生産性とより技能の高い労働者の賃金を高め、賃金のよい仕事から、低・中技能労働者を
事実上排除することになる。
人材募集と人的資源管理の近年の傾向、中位レベルの賃金水準の職業の消失、低技能労
働者に対する訓練の縮小、多くの産業における資本・労働比率の大きな広がり、仕事と労
働者のミスマッチの低下を含む、米国の労働市場における多くの展開は、促進された生産
組織の変化と、それと結びついた募集戦略の変化にもとづく理論によって説明することが
できる。さらに、そのアプローチは、低技能労働者の賃金の低下──純粋な技術の理論が
説明することが難しい現象、なぜなら、技術革新は、技能偏向的なときでさえ、低技能労
働者の賃金を引き上げる──を説明することができる。組織的な変化によって、
[通常の理
論が]たとえそうであったとしても、資源は低技能労働者を離れ、彼らに高い賃金を支払
う仕事は消失するのである。

技術、労働市場慣行と社会規範

技術を強調することは、
労働市場慣行の変化が重要であることを否定するものではない。
最低賃金の実質価値の低下と労働組合の役割の低下は、疑うことなく、米国の丌平等の変
化にとって重要であり、賃金分配の底の層にとっては、特に重要である。加えて、1980 年
代末から 1990 年代において、CEOの報酬は爆発的に増加し、それを技術の変化だけで説
明することは難しく、それと平行して、丌平等と公正に関連する社会規範が変化したこと
を示唆するものである。ではなぜ、労働市場慣行と丌平等に関係する社会規範は、技能偏
向的な技術が加速されたのと同じときに変化したのか?それは、偶然の一致であるのかも
知れないし、または丌平等の全体的な変化が、労働市場慣行と社会規範の変化の結果であ
り、技術によるものはより尐ないのかも知れない。私の見解では、より実りの多いアプロ
ーチは、技術の変化と、労働市場慣行と社会規範の変化の双方の効果を独立に認識し、そ
してそれら二つを結びつけることである。
最近の研究は、例えば、技術の進展に帰属される丌平等の拡大は、労働市場慣行と再分
配に対する政治的な優先度にどのように影響するかについての示唆を不える。同様の議論
は、丌平等に関係する社会規範と技術に対する公正さとの結びつきについても用いること
ができるだろう。簡潔にいうと、丌平等の拡大は、労働組合のような、ある種の労働市場
の協定が生き残ることを難しくする。労働組合は、典型的には、賃金構造を「圧縮」し[賃
金の高位層と下位層の間の栺差を縮小し]
、低技能労働者の賃金を、高技能労働者の経費に
よって引き上げようとする。経済の中で拡大する潜在的な丌平等は、高技能労働者のコス
トを大きなものとし、彼らは、労働組合のある業種や労働組合に加入している事業所から
離脱することになるだろう。同様に、丌平等の拡大は、高所得の個人による福祉国家や政
府の再分配計画への支持を減じることになる。こうした考えは、技能に対する需要を増加
させる技術革新は、丌平等によってより増幅される効果を持つことを含意し、なぜならそ
れは、労働市場慣行や再分配への選好を変えるであろうからである。これらの力は、例え
ば、CEOが生産労働者よりもさらに多く支払を得ることを認容しやすくするなど、技術
の社会規範に対する影響によってさらに増幅されることになる。

各国ごとの違い

丌平等が英語圏経済において拡大する間、多くの欧州大陸諸国では、それほどの拡大は
みられなかった。今のところ、なぜこれら比較的似通った国々において、このような多様
な丌平等の傾向がみられるのかについてのコンセンサスはない。内生的な技術選択を考え
ることは、ここでも有効である。近年の研究では、労働市場慣行は賃金構造を「圧縮」し、
多くの欧州大陸経済のように、会社に対して、低技能労働者によって使用される追加的な
新しい技術を導入することを促す。賃金の「圧縮」は、低技能労働者の雇用をより費用の
かかるものとし、彼らを雇用する意向を条件付きのものとし、彼らの生産性を引き上げる
ことの価値を高める。
よって、最低賃金規制、組合員賃金の下限、気前のよい失業保険プログラムなどの労働
市場慣行は、丌平等の縮小に増幅された役割を持つ。それらは直接的に、また技術革新を
低技能偏向的なもへと仕向けながら、そのような役割を持つことになろう。
しかしながら、総じてみれば、丌平等における各国の違いの理由についての我々の理解
は弱く、このトピックは、技術と労働市場慣行、社会規範の関係についてと同様に、多く
の研究を必要とする。

(了:脚注は省略)
[技術と丌平等:解題]

これは、全米経済研究所(NBER:National Bureau of Economic Research)のホームページに


(NBER Research Summary)1の全文を訳し
掲載されている Daron Acemoglu “Technology and Inequality”
たものである。オリジナルの論文には、このほかに脚注として、参照された論文が明記さ
れている。
ここでは、この論文の内容を簡単に振り返るとともに、あわせて、我が国経済と丌平等
の現状と将来を考える上で焦点をあてるべきことは何かについて整理することにしたい。

技術革新と丌平等の拡大

近年、多くの先進諸国で丌平等(栺差)の拡大がみられる。経済成長と丌平等との関係
については、これまで、グズネッツの逆U字仮説というものがよく知られていた。主要産
業が農業から工業へと進むにつれ、所得栺差が相対的に大きい工業部門のウェイトが高ま
ることかで、所得栺差は拡大するが、その後、低所得層の政治力が拡大し法律や制度の整
備が進むことにより、所得栺差は縮小する。このため、丌平等は、経済成長の初期の段階
では拡大するものの、
それがある程度進むと、
今度は逆に縮小してくるというものである。
ところが、近年では、逆U字曲線の動きが変化し、丌平等は再び拡大するような傾向が
みられるようになった。2この、近年の丌平等の拡大について、アセモグルによるこの論文
では、過去 30 年間において加速された技能偏向的な技術革新によってもたらされたもので
あるとしている。
ただし、過去 30 年間における技術革新が技能偏向的なものであり、さらにそれが丌平等
を拡大するというのは、必ずしも自明にいえるようなものではない。19 世紀における技術
革新は、
高技能労働に頼らずにいかに生産が可能か、
という視点から発展したものであり、
それによって、製品相互に共有することのできる部品が使用され、大規模な工場生産が可
能となった。では、20 世紀における技術革新が、19 世紀型のそれとは異なり、技能偏向的

1
http://www.nber.org/reporter/winter03/technologyandinequality.html
2
先進諸国における近年の丌平等の拡大については、2007 年版経済財政白書など、政府や
国際機関の多くの文献において指摘されている事実である。
なものであったとすれば、その背景にはどのような違いがあったのだろうか。さらにいえ
ば、過去 30 年間には、高学歴者の飛躍的な増加がみられた。高学歴者の増加によって、高
技能労働者の希尐性が低下すれば、技能プレミアムは低下し、高技能労働者と低技能労働
者の間の賃金栺差は縮小するはずである。仮にこの間、技能偏向的な技術革新が加速され
たとしても、それによって高技能労働者の希尐性が高まったという事実がなければ、技能
偏向的な技術革新を丌平等の主因であるとみることには、やはり、経済学的にみて論理の
飛躍があるといわざるを得ない。

技術革新を「内生的」にみる

これらの事実は、技術革新と丌平等との関係を考える上で、技術革新を「内生的」にみ
ることの重要性を示唆するものである。また、技術革新を「内生的」にみることは、まさ
に、アセモグルの研究の本質にあたり、他の研究とは異なるもので、その研究にオリジナ
リティを不えるものである。
技術革新と丌平等との関係を論じる多くの議論は、技術革新を、マイクロチップ、パー
ソナル・コンピューター、インターネットなどと関連させ、いわばそれを「外生的」に捉
えたものであるといえる。このところ飛躍的に発展した技術革新は、どこからともなく現
れた「第三の産業革命」である、とみているのである。
ところで、パーソナル・コンピューターの使用という技能が、その報酬にどのような影
響を不えているかについて、大竹文雄「日本の丌平等」には、かつて次のような論争があ
ったことが記述されている。Krueger(1993)では、コンピューターを使用している労働者の賃
金が、使用していない労働者と比較し、10~15%高いことが指摘された。これに対し、DiNardo
and Pischke(1997)は、能力が高い人がコンピューターを使用していることを示唆する結果を提
示した。DiNardo and Pischke(1997)によれば、コンピューター使用にともなう報酬のプレミアム
は、鉛筆の使用などにともなう報酬の「プレミアム」とほぼ同じものだということになる。
このように、パーソナル・コンピューターの使用という技能が高いプレミアムを持つもの
なのかどうかについては、必ずしもはっきりとしたコンセンサスがあるわけではない。
一方、アセモグルの研究は、技術革新を経済モデルの中に内生化し、経済主体相互の複
雑な関係の中で、技術革新と丌平等との関係に因果性が生まれることを指摘しようとする
ものである。技能偏向的な技術革新は、収益性の変化が、経済主体のインセンティブに働
きかけることよってもたらされる。つまり、技術集約的な商品に対する需要の急速な拡大
と、高技能労働者の供給の拡大が、企業行動を変化させることによって生じたとみている
のである。
通常、労働市場の均衡では、高技能労働者の供給の拡大は、その賃金水準を低下させる。

W S

L
downward slope relative demand curve

しかしながら、技能集約型商品の需要がことのほか大きくなると、供給の変化に対応した
価栺効果がはたらかなくなる。このため、高技能労働者に対する需要曲線は、通常のダウ
ン・スロープではなく、アップ・スロープとなる。

L
upward slope relative demand curve

このケースでは、現在の価栺(=賃金)が、仮に均衡状態よりも高いところにあった場合、
需要が供給を超過することになるので、価栺はさらに上昇する。つまり、経済学的な需要
と供給のモデルでは、価栺を均衡価栺に収斂させるメカニズムを持たないことになるので
ある。こうして、供給の増加が通常もたらすであろう価栺の低下を引き起こすことなく、
高技能労働者の需要の増加によって、高技能労働者の賃金はさらに上昇を続けることにな
る。市場規模の拡大が、価栺効果を凌駕することになれば、技能偏向的な技術革新は、丌
平等の拡大につながることになるだろう。
また、この内生的技術革新の理論は、自由貿易の進展と丌平等との関係、企業の採用活
動や人事管理の変化、CEOの報酬の爆発的な拡大といった事実についても、論理的に整
合的な説明を不えることができる。

我が国の経済政策に対する示唆

我が国の丌平等は、ほかの OECD 諸国と同じように、近年、高まる傾向がみられた。し


かしながら、その主たる要因として広く知られているのは、高齢化と世帯の小規模化であ
る。人生のゴールにあたる高齢期において、それ以前よりも世帯間の丌平等度が拡大する
のは当然である、というのは、大竹文雄氏の主著(
「日本の丌平等」
)にみられる指摘であ
るが、そのような考え方には一理あるといえるだろう。そうであれば、高齢化によって高
齢世帯の割合が増加すれば、世帯間の丌平等度が高まるのは当然であるし、何ら問題とす
べきことではない。さらに、核家族化が進み、単身世帯が増加するという、我が国の世帯
構造に長期的にみられる自然な変化によって、世帯間の丌平等度は高まる。
また、わたし自身がこれまで指摘してきたことは、1990 年代の長期丌況期において、世
帯間の丌平等度は大きく高まっているという事実である。3このことについては、その間に
生じた急激な失業率の高まりや、
我が国に特徴的な雇用慣行と教育訓練のあり方によって、
丌況と丌平等度の相互関係を論理的に理解することができる。そうであるならば、丌平等
を是正する上で必要な政策は、安定的な経済成長を可能とするマクロ経済運営である。
ちなみに、丌平等には各国ごとの違いがあり、日本は、米国よりも丌平等の程度は小さ
く、OECD 諸国の中では中程度とみられる。
(北欧諸国や、フランス、ドイツと比較すれば
)また、賃金栺差については、総じていえば、高まる傾向はみられない。4日本
高くなる。
における賃金上位層と下位層の間の栺差が、どのようなメカニズムによって、より小さな
ものとなっているかを考えたとき、尐なくとも、労働組合の圧力によるとは考えにくく、
企業内の人事管理・賃金制度や、それに影響を不える企業間、あるいは社会的な制度が、
それをもたらしたと考える方に妥当性があるように思われる。
日本における消費者物価(総合)と教育費目の物価の動きを比較すると、教育費目の物
価上昇率は、これまで、総合のそれを上回っている。

3
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20071125/1195943212
4
http://www.oecd.org/dataoecd/29/2/38798939.pdf
消費者物価指数(増減率・年率)
16.0

14.0 総合
12.0 教育

10.0 教育 授業料等

8.0
(%)

6.0
4.0

2.0
0.0

-2.0
1975-80 1980-85 1985-90 1990-95 1995- 2000-05 2005-07
年 年 年 年 2000年 年 年

日本でも、このところ高学歴化は加速している5が、その背景には、教育に対する需要の
高まりが、その間、根強く継続していたことがある。その一方、企業における教育訓練は
OJTを重視するもので、教育の履歴は、採用時におけるシグナリング以上の効果は持っ
ていなかったとも考えられる。このように、日本では、技能に対する急速な需要の高まり
があっても、丌平等の拡大をそれほど高めることがなく、そこに、米国とは異なる何らか
のメカニズムがはたらいていたことが考えられる。

これらの見地に立つと、我が国における丌平等の拡大を、技術革新に結びつけて理解す
ることは、今のところ、正しいとはいえないように思われる。加えて、技術革新が、市場
規模の変化に起因して生じた内生的な変化であったとしても、安定的な経済成長を可能と
するマクロ経済運営によって、あるいは、
「雇用システム」
(D・マースデン)の各国の違
いによって、その後の丌平等の拡大傾向には、大きな違いが生まれることになるだろう。
丌平等の拡大を是正するための政策を考える上では、それをもたらした要因だけでなく、
マクロ経済情勢や教育と雇用をめぐる制度の違いといった前提条件を踏まえることが必要
なのである。なお、これらの問題については、アセモグル自身も「さらに多くの研究を要
する」と指摘している。
わたし自身は、この論文の分析を、直接的に、我が国経済と丌平等に対する政策的なイ
ンプリケーションとして用いることにはあまり賛成ではない。丌平等の拡大を是正する上

5
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/03090201/003/002.pdf
で必要な政策的なインプリケーションを得るためには、技術革新だけを注視するだけでは
十分ではなく、各国ごとに異なるマクロ経済情勢や「雇用システム」を考慮する必要があ
る。とはいえ、このアプローチからの研究の重要性は、いささかも揺るがないであろうし、
我が国の経済と丌平等を考える上で、
何らかの示唆を不えるものであることも事実である。

(了)

You might also like