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カニングハム・エリック ジョン

ハワイ大学大学院人類学部

研究 を通し て見る 王滝村


発表会
王滝村公民館
2009.06.12

皆様、本日は私の発表会に来ていただき、ありがとうございます。今日は、昨年4月から王滝
村で行っている研究について発表させていただきますが、まず、村民の皆様への感謝の気持
ちをお伝えしたいです。私は皆様にご迷惑ばかりをかけているにも関わらず、村民の皆様に
は、大変親切していただいております。ここ王滝村で皆様と一緒に生活させていただき、ま
た、この村の文化、社会や生活について勉強させていただいているお陰で、私は良い研究が
できると、皆様に本当に感謝しております。

今までは、日本語で文を書きたい時は、まず最初に英語で書き、それを日本語に翻訳すると
いう形をとっていましたが、今度は直接日本語で文を書きました。ので、分かりにくい部分
がたくさんあると思いますが、その点ご理解のほど、よろしくお願い致します。

この発表では、私の研究を紹介し、現在の王滝村についての意見についても述べたいと思い
ます。まず、その前に私の勉強や専門について、また、なぜ王滝村へ現地調査に来たかという
ことについて、話したいと思います。

私の研 究
私はよく「どんな研究をしているの?」と聞かれますが、私の日本語では、まだきちんと説明
できないのが現状です。ですので、今日は、まず人類学、そして、私が専攻している生態人類
学、それから、自分自身の研究を簡単に説明させていただきたいと思います。

人類学
最初に、人類学とはどんな勉強でしょうか。簡単に言えば、人類学は人間についての学問で、
人間に関する様々な特徴に注目する分野を含む広い専門です。それで、人間に関する事のほ
とんどは、それぞれ専門の人類学者によって研究されています。例えば、経済、言語、宗教、人
類の進化、人間生物、医学、法律などです。例えば、人類学者はこのような質問を聞きます。

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―人類は霊長類からどういう風に進化したのか。
―いつ、どうやってある地域の人々が文字を発明したのか。
―英語が世界中に普及する事は、各民族にどんな影響を与えているのか。
-人々は異文化の視点から、病気や治療法をどのように見ているのか。

ある意味で、人類学者全員が文化というものに興味を持ち、勉強します。文化とは、人間が後
天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな「体系」(また、
そう理解できる概念上の構築物)のことです。要するに文化は人間がどういう風に世界に
直面し、理解し、それから、意味を与えるかという事なのです。

生態人類学
私が勉強している生態人類学という分野は、自然環境の動きに関する生態学(エコロジー
と人類学が連携する分野であり、生態人類学は、人間と人間以外の自然環境との関係に関し、
人間がその環境でどのように暮らすか、その環境の自然資源をどのように利用するか、どの
ように環境に手を入れ、形作るか、それからその環境についてどのように認識するかという
ことについて調査する分野です。従って、生態人類学者は人間における物理、生物、社会、そ
れから文化の環境について勉強します。

研究内容
生態人類学のテーマの一つに沿って、私の研究でも、人間と森林との関係に注目しています。
 また、
「変化」ということにも非常に興味を持っています。環境に関しては、二種類の変 化
があります。一つ目は、生物物理学的環境の変化です。これらの変化は自然的、または人間が
原因となって起こった物理的環境で見られる変化です。例えば、地震による崩れ、伐採、侵食、
山火事、ダム建設などです。二つ目の変化は、理解するのがより難しく、社会的、文化的とい
う性質を帯び、物理環境は人々にどのように認識され、談話されるかということに関係して
います。もちろん、この二種の変化は相互関係があり、ある環境が人間にどのように認識さ
れていることによって、人間の物理的な環境の利用され方に影響を与えます。また逆に、昔
から人間に利用され、形作られた物理環境の現在の構造が人々にその環境をどのように認
識されるかということにも、影響を与えます。従って、私の研究では、次のような疑問を提示
しています。王滝村での環境変化の原因として、指摘できるものは何でしょうか。その変化
はここに住んでいる方々の生活する能力に、どのように影響を与えているでしょうか。王滝
村の方々は、環境変化を理解、より的確に予想できるようにするには、どうすれば良いでし
ょうか。環境変化に、どのように対応すれば良いでしょうか。
もう一つの研究テーマは近代化という世界的な過程は地方にどのような影響を与えている
かということです。より広い日本という国家の環境の一部分としての王滝村にも、興味を持

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っています。他の先進国同様、日本でも、近代化が続くに従って、地方と呼ばれる所で暮らし
ている人々が、新たな問題に取り込んでいます。王滝村でもこの現代の中で、新しい経済的、
環境的、社会的な事実に直面し、将来、どのように進んで行けばいいかということが、よく考
えられていると思います。近代化の政治的、経済的、社会的な計画や事業の中で、地方は過小
評価されているので、都会でためこまれている資本が地方へあまり流れず、逆に、地方から
自然資源や人間資源を抽出されています。これは、地方の人々や環境を搾取し、破壊に追い
込んでいきます。この研究では、近代化に関する地方が直面する問題も、検討しています。そ
うすることでこの問題を理解し、可能な対策を考えられれば良いと思っています。

最後の研究テーマは、今話した都会と地方間においての権力不平等に関連する、自然環境に
ついての支配と管理ということです。現代、国家という社会体制が現れるに従って、土地は
支配権を持つ人々により主張され、様々な方法で利用されています。 自然資源を守るため
という理由により、地元の人々はアクセスを拒否されます。しかし、地元の人々が環境管理
に積極的に参加する事により、その環境の状態がより良くなるという事実は多くの研究に
よって立証されています。私の研究では、王滝村の森林の管理や支配に、地元の人々の参加
の機会を増やす方法を探るつもりです。

何で王滝村を選んだ?
私は、2002年英語教師として、長野県明科町に来日しました。これは、二度目の来日で、
そこで、2年間暮らしました。日本の地方を初めて見た私にとって、安曇野は本当に素晴ら
しい所でした。自然とは、人間の手が入っていない所のみ、要するに、人間と自然は別のもの
だ、というアメリカの考え方と異なり、日本では人間と自然は統合されており、深くつなが
っているという事を感じ始めました。明科に滞在中、木曽谷を何度も訪ね、木曽の豊かな森、
そうして壮大な御嶽山についても、初めて知りました。

2005年、ハワイ大学大学院に入り、修士コースを始めました。そこで安曇野と木曽での
経験が、人間と自然との勉強への熱意をかき立て、信濃の森林環境の歴史と現状について修
士論文を書きました。論文の研究を通して、木曽の事をより深く知り、王滝村の事も初めて
知りました。修士を終え、博士号へ進んでからも、王滝村についてどんどん勉強しました。王
滝村を選んだ理由がたくさんありますが、まず、このような山奥で、信号も駅もない所にお
よそ1000人が暮らしているという事実が日本では珍しく、気になり始めました。また、
村内に位置している大量の国有林にも感銘を受け、また、2005年に大合併があったにも
関わらず、王滝村が自立していることにも魅了されました。でも何よりも、ずっと気になっ
ている霊峰である御嶽山の山麓に位置していることにも、強い興味を抱きました。この特徴
を持っている王滝村は、先に申し上げた研究テーマによく合いますので、現地調査に良いと
思い、選ばせていただきました。今も、毎日のように、王滝村を選んでよかったなという気持

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ちを強く感じながら、生活しています。

王滝村での 社会自然 環境変化


先ほど環境変化についてお話しし、生物物理的な変化も社会文化的な変化もあると申し上
げましたけれども、これらの変化プロセスがお互いに作用する、ということも言いました。
こういう環境、または環境変化についてどのように話せばよいかということは、生態人類学
の中でよく議論され、最近「社会自然環境」ということばが出てきました。しかし、私は環境
というシンプルな表現の方を好みます。
「環境」と言えば、前に話したような文化的、社会的 、
物理的、生物的などの要素が含まれる総合的な環境を意味しているつもりです。

では、研究で王滝の環境に対して三つの重要な変化を示してきました。

1.物理的な変化:まず森林の変化です。これは伐採や破壊も含みますが、外からの材木の
輸入の増加とともに、造林し過ぎことによって繁茂も起きました。ダムの建設によっても多
大な環境変化を強いられました。最後にスキー場の建設によっても、環境に大きな変化を与
えました。

2.人口の変化:いわゆる過疎化ということが王滝の環境に大きな影響を与えています。
もちろん、人口変化の主原因は経済的な原因だと言えますが、他のもっと不明な原因もある
だろうと思います。後でこの原因についてもうちょっと話したいと思います。

3.社会文化的な変化:要するに環境がどのように思われているという変化です。この間
田近セイキさんが御嶽山について発表していただきましたけれども、その発表で田近さん
が御嶽山について地元の人々から発信する情報の欠如、また御嶽山の信仰に関する部分が
より広い社会の中でほとんど知られていない事実を議論されました。私はこの意見に賛成
しています。昔から存在している霊峰の御嶽山に関する王滝村の神聖な、宗教的または文化
的な環境が、だんだん見えなくなっているのではないかと危惧しております。近代化の理論
的な資本主義という考え方の下で、豊かな自然資源があるという場所として知られていく
とともに、価値がないという風に思われている宗教的、文化的な環境の要素が薄れいくのが
現状です。こういう社会文化的な意味が剥ぎ取られた環境は、自然資源を開拓されやすい状
態になります。

実は、ある環境を自然資源の元として考えることは、環境から概念的な地元の人々の存在を
取り除くことに伴っています。この地元の人々の存在の概念的排除は、森林を管理する林野
庁と木曽の森林管理局という施設内で起こっていると議論します。この政府機関によって
出版されている計画書や広報情報の中では、現場に存在する社会的、生態的なニーズのこと

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を無視し、国有林が均質化された日本国民をターゲットにし、日本の森がどこでも同じよう
な一般化したものであり、その重要さを軽視した言葉で話されています。また、その著者は
国有林の中で暮らしている人々のことを議論せず、人間と森林との相互作用を、森林を管理
に対する、貯水や防砂のような様々な使用法の一つとして定義しているのです。

我々が求め る環境を 守ること


環境で人間が果たす役割の不可欠さの中で、環境を守る事が挙げられます。環境を守る、ひ
いては、そこに暮らす人々の生活も守る事が不可欠だと私は考えます。また、どのような環
境を作り保っていくかというのは、そこに暮らす人々の積極的な参加とともに、決められる
べき事だと思います。このように考えを元に私王滝で調査をした一例は、村民の方々を王滝
の環境についてインタビューすることです。王滝住民にとって何が大事なのかということ
を知るためのインタビューでは、村に住んでいる事で何が好きかと聞きました。一番多かっ
た答えは自然です。二番目は人間関係で、三番目は農業と野菜ということでした。インタビ
ューから得た三つの答えに基づいて、王滝村の方々のニーズ、要求と一致する環境について
じ っ し

考えることができ、実際にその環境を造るのに 実施していく方法について考えることもで

きます。

もちろん、人々のニーズに一致する健康的な環境を作るには、いくつかの支障があります。
ですので、その支障を示し、克服する方法を見つけるのは、王滝村の人々の生死にかかわる
課題だと思います。私は研究で環境作りに邪魔になっていることを三つに絞り、調査してい
ます。

最初に支障として考えたのは、王滝村の経済状況です。私は経済学者ではありませんので、
経済について詳しく話せませんが、この点についてちょっとだけ所見を申し上げたいと思
います。まず、先ほど話したインタビューで王滝に住んでいて何が好きなのかという質問の
答えの中でお金や経済のことが一切出てきませんでした。もちろん、逆に心配することにつ
いて尋ねたら、経済などという答えはたくさんありました。まとめてみると、将来、王滝には
どのような企業が良いのかということが見えてきます。王滝住民にとってお金よりも自然
や人間関係の方が大事だそうです。それで、お金をたくさんもらえる企業でも自然やコミュ
ニティーに悪影響を与えればだめではないかと思います。私が思っているのは王滝の一番
大事な財産はやはり周りの自然環境です。こういう風に思っていらっしゃる方が多いと思
いますので、今後の経済的な解決策を求めると環境の長期的な状況についてきちんと考慮
するべきだと思っております。また、システム的に経済のプロエスは早く動き、著しく上下
しやすいのに対して、自然のプロセスは一般的に遅く動き、自然資本、例えば生物の多様性、
を蓄積するのは非常に長い時間がかかるということを認識するべきだと思います。という

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ことで、蓄積された自然資本を短期的な利益に利用してしまうことはできる限り避けるこ
とです。王滝では環境に悪影響を与えずに明るい経済的未来をどうやって達成するのかと
いう議題が重要だと思います。

二つ目の支障は一つ目に関係があります。過疎化です。日本の近代化が、王滝村のような地
方社会が直面している過疎という深刻な危機を引き起こす構造的変化をもたらしているこ
とは、ほぼ間違いないと思われます。1940 年から王滝村の人口は約80%減少し、現在は9
63人です。けれども、このような人口偏差をもたらす主因を特定するのは難しいです。主
たる要因は地方における教育機会の不足に象徴されるような硬直した日本教育体制である
ことを多くの王滝村の住民が示唆しています。そればかりでなく、高条件の雇用の場が大都
市に集中していることは田舎における産業の少なさに直結しています。このような人口分
布の大きな偏差は王滝村のような小規模社会の存続の危機を招いていることは今更言うま
でもない事です。

現地調査で観察した三つ目の支障は、王滝住民が国有林に関する権利や管理の意思決定に
有意義な参加の欠如です。皆様ご存知のように、木曽谷と王滝村での森林における権威確立
というプロセスは早くに始まり、森林資源の外部支配という歴史は長いです。もちろん、森
林に対しての、地元の制御がないことは、地元の人々の環境変化に対応する能力にマイナス
影響を与えます。私が森林管理局の公務員に王滝の森林と住民の関係について聞いた時に、
住民より公務員は現場の状態が分かっていて、管理局の目的は国民の財産を守ることだと
言われました。確かに、よく言われている「木一本首一つ」という表現も森林が大事という考
えから、地元の人からも森林を守るべきだという同じような意味合いを含み、社会へ伝わっ
ています。しかし、木曽の、歴史上、破壊的に伐採するのはほとんど森林を支配している人や
機関ではないでしょうか。それなのに、なぜ地元の人が森林に関わる事に対して、こんなに
厳しく対処されてきたのでしょうか。私はこの疑問をまだはっきりと答えられないのです
が、今でもよく考え、これから追求していきたいと思っています。

将来への環 境づくり
最初に申し上げたように、私の研究では生物物理的、社会文化的いずれの観点からも、環境
変化と人間がその変化にどうやって対応するかという事に注目しています。変化は予測し
得ない不確実な事であり、その環境でどのような結果が出るか、または、この結果が環境の
長期的な状況に、どのような影響を与えるかという事は、非常に分かりにくいです。ですの
で、各種の社会的または自然的な変化に対応できる環境を造り、保持することがとても重要
になってきます。王滝の場合は、自然的、社会的、それから文化的な面から見ても素晴らしい
今のこの環境を保持するために、どうすれば良いかという疑問が出てきます。私は王滝滞在

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中に、この疑問の答えとして、住民が色々な方法で王滝の環境の様々な要素を生かすこと、
環境について教えること、環境整備という活動を観察しております。最後に、研究を通して
考えている、他の可能な答えについて話させていただきたいと思います。

最初の疑問に対する答えは、王滝の環境とその問題についての意識の高揚です。この意識の
高揚は、村内はもとより、より広い社会の中でも起こるべきだと思います。村内での意識の
高揚は環境をより深く知るための講演やウオーキングなど、さまざまな形態がとられてい
ます。環境は人に知られるにつれ、社会文化的な意味を帯びてきて、好ましい変化を受けま
す。色んな社会文化的な意味を持っている環境はより貴重であり、人間が引き起こす環境悪
化がより少ないでしょう。逆に、人間がほとんどいず、人間にあまり知られていない環境は
その社会文化的な意味を失い、人間によって開発されやすくなります。日本の神社を例とし
て考えると、この現象が分かるかと思います。神聖な意味を持つ神社には、そこで長い間、守
られてきた大きな木が、日本中どこでもあるからです。大きな木は社会文化的に意味のある
神社にある事によって、守られているのです。環境と人間のそれに対する意識高揚の相互作
用は、環境のさまざま面で非常に良い事なのです。しかし、地元レベルで起こる意識の高揚
だけでは、もちろん足りません。環境についての情報や意識をより広い社会に発信すること
も、重要だと思います。発信する方法はたくさんありますが、重要な事は、環境に関する情報
がその環境で暮らし、その環境を熟知している方々、つまり皆様、によって作られ、発信され
ることなのです。

二つ目に疑問の答えとなるのは、制度や施設を保持することです。制度、施設というのは、政
府の施設も、また、王滝村のずくだそ応援隊のようなグループも、それから文化的な習慣、例
えば祭り、ということです。こういう施設は環境に対して色々な機能を与えます。例えば、環
境についての情報を発信し、それを保存します。この情報は変化が起こるたびに、それを理
解し、どのように応対すれば良いかを決める助けとなるのです。また、施設では、そこで生ま
れる人間関係や社会的な一体性を強めることができます。

教育の施設は、特に重要だと思います。将来の王滝は、今の子供たちのものですので、どのよ
うに環境を気に掛け、その中で暮らしていくかという事をきちんと習っていくべきだと思
っています。 私は、今年度から学校でお世話になっておりますので、先生たちがしていら
っしゃる素晴らしい授業と他の活動を毎日見ています。また、子供たちは村の方々に色んな
体験をさせてもらい、本当にいい教育を受けていると思います。しかし、去年、研究で村の方々
に手伝っていただき、王滝の環境に関するテストを作り上げ、中学生全員に受けてもらいま
した。テストの結果により、中学生は王滝についてかなりの知識があるとはいえ、体験して
習うことに関する質問では、まだまだ理解が足りない事が分かりました。生徒たちに、大学
受験などに備えての勉強とともに、王滝の環境についての知恵を

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習得してもらうことも同じくらい重要ではないかと考えます。これも先に話した環境の安
定性保持の助けになるからです。 皆様にも、王滝の子供たちがこの村の環境を探り、その
良さを理解するための活動へのさらなるご協力と積極的な参加を勧めたいし、お願いした
いです。

最後の答えはネットワーク造りです。これは二つの意味で環境に重要です。一つ目は、単一
のコミュニティーが直面する複雑な問題も、ネットワークを通じて、理解し合い、色々な情
報交換ができるからです。コミュニティー間にある、専門家とそのコミュニティーとの関係
での情報交換もとても大切だと思います。 例えば、都留大学の田中先生など他の学者、先
生も王滝での色々なエベントに参加していただき、知恵や技能を伝えていただくことがあ
ります。このような特別な知恵を持っている方々にアクセスができることが計り知れない
ほど貴重なことであり、この関係を積極的に追及するべきだと思っております。二つ目は、
そのネットワークが王滝の知名度と政治力の増加に有用となる社会資源を増やす助けにな
るからです。社会資本は他所からの侵入を守る際、重大な意味を持ちます。 例えば、牧尾ダ
ム建設の際、王滝住民によるダム建設反対運動がより広い社会的、政治的なネットワークに
支えられていたら、どのぐらい効果があったでしょうか。最近の王滝村とガイア・イニシア
ティブという NGO とその代表、野中さん、との関係はネットワーク造りへの積極的な進展
だと思います。

私は研究のため、王滝村を選んだ一番重要な理由は、王滝村が、霊峰御嶽山山麓の、日本一美
しい森林環境の一つに位置しているからです。歴史上、社会、政治、経済的、または自然的な
プロセスの相互作用の結果として、王滝村は、社会、経済、環境的な問題にダメージを与えら
れやすい状態に追い込まれ、自然や社会政治的な資源にも、制限付きアクセスしかありませ
ん。しかし、王滝住民は、過去にも現在にも、この環境に欠く事のできない部分であり、その
意味で、周囲に広がる森林や山々へのより自由なアクセスと、より重要視される権利を持つ
べきだと提案します。残念ながら、アクセスや権利、またそれによって起こり得る安定した
安全な未来は、努力なしで、簡単に得られるものではありません。王滝住民の協力をもとに、
私たちが、環境の管理、利用、そしてそこでの暮らしの中で、このような未来への道を開く新
しい糸口を見つけられるよう強く望んでおります。より良い将来のため、皆様にとって貴重
なものは、この恵まれた大変素晴らしい環境と、またそれぞれ隣に座っていらっしゃる王滝
住民なのです。ですので、皆様が、王滝の環境に相互に作用すること、またその環境を理解し、
大切にすること、それから守っていくことは明るい将来を確保するのに欠かせない事なの
です。

今回、私の王滝滞在期間は短いですが、これはまだほんの始まり、最初の一歩として考えて
おります。文化、社会、自然においてより素晴らしい王滝の環境を造るために末永く皆様と

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一緒に努力するのを楽しみにしております。 これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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