トークセッション 原口剛×酒井隆史

「大阪から考えるジェントリフィケーション 〜 都市は滅びるのか?」
ジュンク堂書店 難波店(2014.9.13 15:00 〜 17:00)

 ” ジェントリフィケーション” をわれわれの言葉に変えるために

原口

 ジェントリフィケーションという舌を噛みそうな言葉なんですけど、これをわれわれ
の言葉にどういうふうに変えていけるかを、今日は皆さんと一緒に考えていけたらと
思っています。

酒井

僕はあとでインタビュアーということですが、原口君がしゃべりたいことがすごくある
らしいので、今日はしゃべってもらいます。まず、ジェントリフィケーションというの
は何かを説明してください。日本語ではなじみのない言葉ですが、都市のみならず現代
社会を考える時にキータームとなる重要な言葉だと思います。

 「ジェントリフィケーションと報復都市」(ニール・スミス)との出会い

原口

本のタイトルのジェントリフィケーションですが、聞いたことがある方もいらっしゃる
と思いますが、初めて聞いた人も多いかと思います。僕自身の中でもこの言葉をどうい
うふうに街中で語っていけばいいのか手探りの状況ですが、自分なりに丁寧に、最初に
この言葉の重要性をお話させてもらいます。
 ジェントリフィケーションとは何か、その概念そのものを説明する前に、この本「ジェ
ントリフィケーションと報復都市/新たなる都市のフロンティア」と僕との出会いから
説明させてもらいます。

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 僕は鹿児島育ちで東京に 2000 年までいまして、大阪に来たのは 2000 年からです。
そして日雇い労働者の街として、あるいはドヤ街として知られる釜ヶ崎に関わりながら
研究活動を続けてきました。そこから「釜ヶ崎のススメ」という本も作らせていただき
ました。
 
 2000 年代に大阪でいろいろな出来事を経験する中で、一番重要なことの一つをお話
します。最近街中では見なくなりましたが、特に 10 年前の大阪でしたら中之島や市内
のいろいろな公園で野宿したり、道端で段ボールを敷いて寝ていたり、公園にブルーシー
トの野宿のテント村があるという光景が、日常的なごく当たり前の風景としてありまし
た。しかし 2003 年から 2008 年くらいまでに次々とテント村が強制撤去されていくと
いう一連の出来事が起こったのです。
 
 特にターニングポイントになったのは 2006 年に靭公園と大阪城公園という大阪市の
ど真ん中で野宿者のテント村に対する行政代執行、そして翌年 2007 年に長居公園で行
政代執行と 2 年連続で強制撤去があったことです。僕自身そのどちらの現場にもいて、
いろいろなことを考えさえられました。
 行政代執行・強制撤去がまさに目の前で起こっており、そこに排除の光景が目の前で
広がってきているのですが、これは何か別の大きな力が後ろにあって、その代わりの執
行が行われているに過ぎないのではないかと感じ取りました。とするならば「一体これ
は何のために行われているのか。何の代わりに執行されているのか。」を深くじっくり
考えなければいけないと思ったのです。
 その時にいろいろな手がかりを掴むうちに出会ったのが、このジェントリフィケー
ションという言葉です。このジェントリフィケーションという言葉は実は以前から知っ
てはいたのです。というのも様々な先輩の研究者たちが、例えばアメリカに留学し、そ
こで都市論を勉強しましたが、地理学のみならず都市計画の専門の人でも、まず最初に
ジェントリフィケーションについて学ぶんです。中でも絶対に欠かせないテキストとし
てみんなが読んでいたのがニール・スミスの「ジェントリフィケーションと報復都市」
という本でした。
 その時にこの本が重要だと気づかされましたが、著者のニール・スミスはジェントリ
フィケーションのみならず非常に重要な人物なのです。翻訳もたくさん出ているので皆
さんもご存知だと思いますが、デヴィッド・ハーヴェイという地理学者がいます。近著
でしたら「反乱する都市」「新自由主義」など様々な本が続々と翻訳されている地理学
者であり、マルクス主義者です。そのデヴィッド・ハーヴェイの一番弟子であり研究仲

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間にあたるのがニール・スミスなのです。
 つまりデヴィッド・ハーヴェイの構築した理論をさらに発展させた人物としても非常
に重要なのです。学術的な面でも重要であるのみならず、もう一つ重要なのは彼が書い
たいくつかある本の中でもこの「ジェントリフィケーションと報復都市」は、特に 90
年代以降ニューヨークやほかの世界、様々な大学の外の路上の読書会などで幅広く読ま
れていました。
 そしてジェントリフィケーションに対して異議申し立てをする、これは一体何が起
こっているのかを巷で考えていく素材になったという意味でも非常に重要な本だという
ことに気づかされました。
 しかし翻訳を始めて6年くらいかかってしまい、今般ようやく発刊になったというプ
ロセスです。これがこの本の重要性であり、僕とこの本との出会いでした。

 50 年前に生まれた” ジェントリフィケーション” という言葉の意味

原口

 では肝心のジェントリフィケーションという言葉は何なのか、僕なりに位置づけてみ
ます。そのままだとカタカナだし舌を噛みそうな言葉ですが、ひとつひとつ論点を押さ
えていけば、おそらく理解してもらえるんじゃないかと思います。
 まずジェントリフィケーションという言葉がいつ生まれたのか。実は比較的新しい言
葉で、しかもこの言葉が生まれた年ははっきりしています。今からちょうど 50 年前の
1964 年にルース・グラスというイギリスの社会学者が「ロンドン」という本を書き、
その中で初めて出てきた言葉なのです。
 ではルース・グラスは何を指してジェントリフィケーションと使ったのでしょうか。
この「ロンドン」という本はその名のとおりロンドンに関する本ですが、ロンドンであ
ろうとニューヨークであろうと様々な都市のど真ん中の周りの地域には必ず「インナー
シティ」という都市の中でも最も貧しい移民の人々や労働者階級の人たちが住む地域が
広がっています。ロンドンにももちろんそういった地域がありました。都市の中で最も
貧しい人たちがかろうじて生活しており自分たち自身の文化を養っている、そういう場
所です。もちろん家賃も安い、建物も老朽化している、時と場合によってはスラムと呼
ばれるエリアです
 そこで 1964 年ルース・グラスが「ロンドン」を書いた時に、これまで全く見られな
かったプロセスが始まっていることに気づいたんです。どういうことか。

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 それまで貧しい労働者階級が住んでいた場所に、富裕層、ミドルクラスの人たち、そ
れまで見られなかった人たちが次々と流入し、住み始めてくる。そして老朽化したぼろ
ぼろの建物が次第に高価なものになっていき、家賃がどんどん上がっていく。
 そうすることによって、それまでそこになんとか住まいを見つけていた労働者たちが
住めなくなり、だんだんとそこから追い払われていく、そのプロセスにルース・グラス
ははたと気づいた。それをグラスは 1964 年にジェントリフィケーションという言葉で
名指したのが、この言葉の始まりです。それまでに全くないプロセスでしたから、都市
の中で何が起こっているのかという議論が積み重ねられていくわけです。

 資本主義に固有の論理こそがジェントリフィケーションの核心である

原口

 次に 1979 年にジェントリフィケーションの最も基本的な理論が論文として公表され
ます。実はそれがニール・スミスが発表した論文で、この本の中の第 3 章に所収され
ている「地代格差論」と呼ばれている理論です。そのポイントだけ手短に説明します。
 ジェントリフィケーションの起こっている根本的なプロセスとは何なのか。スミスが
提起した理論によると、資本主義に固有の論理こそがジェントリフィケーションの核心
である。これが一番重要なポイントです。
 では具体的にはどういう論理か。
 資本主義の論理にもいろいろありますが、短く要約すると、まず一つ重要なのは資本
主義というのは自らを存続、延命させるためには、たえず自分自身の外部を必要とする
ということです。
 都市の場合には、資本主義が延命していくにあたって都市の領域があり、その外側に
はまだ都市化されていない土地が広がっています。その都市化されていない土地を次々
と自分自身の土地に組み込んでいき、新しい空間を生み出し、絶えず外側、外側へと拡
張することによって、従来は資本主義が存続・延命してきました。
 外側に拡張することによって生み出された全く新しい空間が、郊外と呼ばれる空間
だったわけです。基本的にそれまでの資本主義における都市空間のプロセスは、外側、
外側へとフロンティアを拡大していくというプロセスが基本だったわけです。
 ところがある時点から重要な転換が起こります。それは何か。
 外側、外側へと拡張していくのだけれども、ある時点において、それ以上拡張・開発
しても利益が見いだせない限界のポイントに到達してしまうわけです。
 つまり都市あるいは資本主義が外部へどんどん拡張してしまうことによって、自分自
身の外側を消滅させてしまう、そういう段階になりました。端的に言うと面的に郊外が

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どんどん広がっていって、それ以上開発してもたいした利潤をあげられないところまで
遂に都市空間は到達してしまったわけです。
 その時に初めて次の段階が必要になってきます。新しい利潤を生み出すため、資本主
義を延命させるために、新しいフロンティアがそれまでとは違ったやり方で見いだされ
なければならないというという局面が訪れた、というのが一つの側面としてあります。
 それともう一つの側面があります。先ほど話した郊外化が広がれば広がるほど、もう
一つ重要なプロセスがその裏側で表裏一体のプロセスとして連動する形で始まっていま
した。それは何か。
 資本や人々が郊外へ郊外へと注目し、関心を寄せ、投資し、郊外住宅を拡張していく
その最中に、実はその裏側では都心のすぐそばのエリアに関しては誰も関心を持たなく
なり、投資がなされることはなく、建物は放置され、取り残されていったんですね。だ
からこそそこは、例えば貧しい人が最初の住処を探す時にはいることの出来る、あるい
は自分たちのコミュニティを作ることが出来る貴重な空間として取り残されてきたわけ
です。
 郊外化の裏側ではそういった最も貧しい労働者たちのためのエリアが取り残され、姿
を浮きぼりにさせていきました。そういった地域ですから郊外化が進めば進むほど地価、
建物の家賃は下がっていく状態だったのです。
 さきほど話したように、これ以上郊外を開発したところで利潤を生み出せるような状
態でないとなった時に、新しいフロンティアとして目をつけられたのが、まさに都心の
それまで放置されていたエリアだったわけです。そこでこそ資本蓄積、資本主義が延命
するための新しい局面を広げることが出来ると資本の投資がそこに還ってきている。新
たな投資がなされていく。建物がリノベートされ、あるいは再開発されていく。それゆ
え地価が上がる。富裕層・ミドルクラスが流入してくる。そしてそれまで、そこにかろ
うじて住んできた貧しい人たちの姿がかき消されていく。このプロセスこそがジェント
リフィケーションの根本的な論理なのだと打ち出していったのが 1979 年のことです。

 世界に広がる反ジェントリフィケーションの波

原口

 ここまでが学術的な議論となります。ここまでは 1979 年の話で、ジェントリフィケー
ションは注目されていましたが、研究者の関心を集めるにすぎなかったという部分があ
ります。ところが 1980 年代にはいっていくと、これがロンドンやニューヨークだけで
なく世界の様々な都市で同時多発的に、暴走といっていいくらいの勢いで巻き起こり始
めていくわけです。

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 そうすると人々も最早無視できないわけです。アカデミズムの議論で収めておけない、
一体何が起こっているのかを人々が知らなければならないし、知りたいという状況が起
こってきました。
 その中でジェントリフィケーションという言葉は単なる学術的な用語ということだけ
ではなしに、人々が自分たちの住む都市生活の中で何が起こっているのかを理解するた
めに欠かせないキーワードになってきました。それと同時にジェントリフィケーション
という言葉の正体、つまりこれが起こったらろくなことが起こらない、家賃は上がるし、
住みにくくなるし、貧しい人が住めなくなるということで反ジェントリフィケーション
という言葉も盛んに唱えられるようになります。そしてジェントリフィケーションを防
ぐ、対抗するべく様々な都市で様々な戦略が取り行われていきます。そうやってジェン
トリフィケーションは 1980 年代に巷の言葉になっていったわけなんです。
 1980 年代にジェントリフィケーションは世界的に膨張していきますが、もちろん日
本も例外ではありません。さっき理論的な話をしましたが、それをピタリと言いあてる
重要な巷の言葉があります。「地上げ」という言葉です。これは、地価の安い場所でよ
り多くの利潤をもぎ取るために、全く新しいマンションをガーンと建てて家賃を上げて
いくというプロセスですから、まさにさきほど言ったニール・スミスの基本的な論点を
(ジェントリフィケーションという言葉そのものは知られていないとはいえ)ピタリと
言い当てる言葉であると、今だったら言えると思います。
 繰り返しになりますが、ジェントリフィケーションとは何かを簡潔に要約するならば、
まずひとつには資本主義固有のロジックであり、資本主義を延命させるために、都心の
労働者地区を開拓(パイオニア)していく過程であるということです。
 もう一つには、富裕層、ミドルクラスによって貧しい労働者階級、移民の人たちが征
服され、基本的に追い払われていくプロセスとして理解することがきわめて重要なので
す。
 付け加えると、これはジェントリフィケーションという言葉そのものに含まれていま
す。ルース・グラスが新しいプロセスを見つけ出した時に、これをジェントリフィケー
ションと名指したのはなぜか。「ジェントリ」がどういう人を指すかというと、「レデイ
ス & ジェントルマン」の「ジェントルマン」ではありません。基本的には 16 〜 17 世
紀のイングランドの土地所有者の階級です。彼らが自分たちの農地を囲い込んで資本主
義的な経営をはじめ、そこで私的所有が確立されていくわけです。その土地を囲い込ん
で、そこで暮らしていた農民を追い出していった階級の人々をジェントリといいます。
 

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 それをふまえてルース・グラスはジェントリフィケーションと名指した。それは今も
昔も同じで、同じことが都心でも起きている。つまり豊かな人々が都心の労働者階級の
エリアを囲い込み、貧しい人々を追い出してしまうプロセスなんだという意味がこの言
葉に込められています。ここがジェントリフィケーションという言葉を考える上で非常
に重要だと僕は思ったんです。

 ” ジェントリフィケーション” が広まらない日本の現状

酒井

 教科書に書かれていた「羊が人間を食い殺す」という囲い込み運動のようなプロセス
が現代的な形態で起こっていると、そういうニュアンスですね。ジェントリフィケーショ
ンというのは、とりわけ 80 年代から始まって、はじめは先進国の都市から途上国まで
世界的に広がっていると思いますが、キーワードなんですね。ジェントリフィケーショ
ンは都市を研究すると大体触れざるを得ない重要な概念でありますが、日本ではなかな
か広まらなくて、今回の出版のタイトルでどんと出たので、まずはこの言葉を広めたい
と思います。
 
 しかしこれは本当にもう長く使われている概念で、現代の都市現象を理解する世界的
に共通の貨幣のようになっていますが、日本語的な環境がそれを導入するのに障壁に
なったんです。それ自体日本の都市研究の非常に大きな歪みを表していると思います。
今回もいろいろ関連する本を探したがあまりない。ニューヨークの本屋なんかではジェ
ントリフィケーション論を視点に置いた研究書や都市論の本というのは当たり前のよう
にたくさんあるわけです。英語の本だといっぱいあるのに日本語だとほとんどないとい
うのが、日本の都市を巡る現状を良く示しています。そういう意味ではジェントリフィ
ケーションは極めて重要な概念で、これを知らないと遅れるよということです。
 80 年代に起きた現象の中で「地上げ」「バブル経済」という形で僕らの中では位置づ
けられて日本固有の現象と思っていますが、あれも端的に世界同時多発的に起きていた
ジェントリフィケーションの一環なんですね。
 ジェントリフィケーションと言うからジェントル化されるから優しいのかと思いき
や、日本でも 80 年代は火をつけたり、ヤクザが車で突っ込んだとか無茶苦茶なことが
起きていましたけど、基本的には暴力的なプロセスでもあるわけですよね。
 では、日本、特に大阪でジェントリフィケーションを考えると、どういうふうに応用
出来るのでしょうか。

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 「地上げ」は世界的なジェントリフィケーションの一環

原口

 この本を翻訳しながら、あるいは翻訳した後にもう一度日本や大阪で起こってきたこ
とを整理し直してみた時、これまでジェントリフィケーションと呼ばれず、別の名前で
呼ばれていたことが実は本来ジェントリフィケーションと呼ばれるべきで、世界的な共
通の土壌で議論されるべきだったことが実はたくさんあるんじゃないかと思っていま
す。今日はその補助線だけ引いておければいいと思っています。
 どの時期からジェントリフィケーションが大阪あるいは日本で始まっていったのか。
これから議論が起こって欲しいし、起こるべきだと思いますが、おそらく一つの目安は
1960 年代後半か 70 年代初頭くらいなのではないかと思うんですね。大阪では万博が
開催された時代で、ルース・グラスがジェントリフィケーションと言う言葉を生み出し
てすぐあとのことです。1969 年に法律で都市再開発という言葉が初めて大々的に出さ
れ、都市再開発法という形で、都市に意識的に投資をしていくということが国策として
制定され、後押しされていったという局面が一つあります。
 皆さんがすでにいろいろな街でなじみになっているし、場合によっては既に時代遅れ
になっているように見える駅の大規模なビルが建設され、そこに資本が投下されていき
ました。それがジェントリフィケーションを考える上でのスタート地点として考えられ
るかもしれません。
 とはいえ、この時代というのはまだ郊外化の時代が続いていた、けれどもそれが終局
に向かっていった時点ですよね。
 その次の時点は何かというと、おそらく 1980 年代にはいるのではないかと思います。
この時に「地上げ」という言葉が出ましたが、これは巷の用語で、政策的にはあるいは
流行用語としては「アーバンルネッサンス」という言葉が語られるようになりました。
この都市再開発プラス、この言葉が曲者ですが「民活」(民間活用)です。公的機能を
縮小させ、市場にまかすべきという方向性が更に加わり、実際にそれによって都市がコ
ントロール不能なほど開発の波に巻き込まれていったことは皆さんもご存知だろうと思
います。大阪でもその爪痕が至る所に残っていますよね。それが第二段階としてあって、
さらに現在ならばこれはどう言い換えられるのかというと、おそらくこれが「都市再生」
という言葉にあたるのではないかと思います。つまりこれもまた法律の用語ですし、今
現在盛んに使われている言葉です。
 政策的には 2002 年「都市再生特別措置法」が出来て、それから「都市再生緊急整備
地域」というエリアが指定されるようになります。最近、特区、特区と盛んに議論され
ていますが、これは特区とは呼ばれていません。しかし実際の内容をみれば特区そのも

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ので、この地域が都市再生特区に指定されたならば、基本的に都市をコントロールする
ために制定されていた建築基準法や高さ制限等々は基本的に青天井なしにしていくし、
金融的な支援も手厚くしていく、税制上の優遇もてんこもり・・・開発し放題のエリア
がどんどん指定されていく。これが現在の状況です。

 大阪におけるジェントリフィケーションの進行

原口

 では都市再生という言葉でターゲットにされているのがどこかということを大阪で考
えると、ひとつは梅田(巨大な車庫跡を抱えた)、もう一つは難波、それをつなぐ御堂筋、
そしてもう一つが釜ヶ崎にとって重要な阿倍野が考えられます。こういう地域が基本的
には特区として指定されていくのです。
 そして過去 10 年大阪の風景が様々に変わっていった一番の変化の一つは、タワーマ
ンションが雨後の筍のように林立していく風景だと思います。こういったタワーマン
ションが都市のシンボルとなるような状況、これが 2000 年代の大阪のジェントリフィ
ケーションを考える上で一番の手がかりになると思うし、それを可能にしたバックグラ
ウンドとして都市再生という言葉とそれに基づく政策があるのではないかと思います。
 つまり都市再生のひとつにタワーシンボルという景観が該当して、特区としてジェン
トリフィケーションを駆動させる戦略的な中心地にフォーカスが当てられていることを
まず考える必要があります。
 もう一つには、おそらくジェントリフィケーションには政策的にターゲットが定め
られたエリアに留まるだけではなく、それを起点(あくまでエンジンにすぎない)とし
てそこから四方八方へ効果が広がっていくことを狙われているとなると、その周辺の地
域に僕らはよくよく目を凝らす必要があるのではないかと思います。
 梅田であれば中崎町とか、難波であれば堀江、あるいは阿倍野ハルカスの足下であれ
ば、(これはジェントリフィケーションを考える上で私たちが最も真剣に考えていかな
くてはならない事態なのですが)ずっと長い時代日雇い労働者の街であり、寄せ場であ
る釜ヶ崎というエリアがあります。その釜ヶ崎というエリアが今「西成特区」で政策的
なもう一つの特区としてターゲットとなっているわけです。これをもう一度ジェントリ
フィケーションという視点で考えた時に、どういう視点で私たちは考えることが出来る
のかをもう一度考えていく必要があると思います。

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 「西成特区構想」はジェントリフィケーションである

酒井

 例えばどのように捉えられるのか、その一端を示してもらえますか。
 西成特区構想については賛成する人もいるわけですね。「いいことあるんじゃないか。
これまで衰退を続けてきた地域が活性化するのではないか」と。それに対し、ジェント
リフィケーションの視点からどういうふうに捉え返せるのでしょうか。

原口

 おそらく西成特区が一番ジェントリフィケーションを考える際に試される政策であ
り、試されるエリアだと思うので、まずここを中心に考えてみたいと思います。
(特区構想では)様々なプランや提案が競い合っているような状況だと思うのですが、
基本的には西成特区と呼ばれる政策の中で狙いになっているのは、ジェントリフィケー
ションだと考えて間違いないと思っています。
 一つには最初に整理したように、より豊かな層あるいはミドルクラスが流入すること
によって、労働者の姿がかき消され、追い払われていく過程としてあるわけです。釜ヶ
崎という場所は、長らく日雇い労働者の街として存在してきた長い歴史があります。お
そらく典型的なインナーシティ、労働者の街と言えば大阪では間違いなく釜ヶ崎だとさ
れてきたエリア、それが今変えられようとしています。
 では、どういうふうに変えていくのか。基本的、原則的な発想としてあるのは、それ
までに住んでいない新しい層をそこに呼びよせることによって、この地域を活性化させ
ていくという路線があります。そしてその活性化という言葉のうちには間違いなくこの
ままであれば地価が下がってしまう、その地価をもう一度上げていくための新しい人口、
新しい居住者層が求められているという発想が、西成特区の様々なメニューの中の一番
根本的なところに分ちがたく組み込まれていると思って間違いないと思います。
 新しい人たちがはいってくる、それはおそらく貧しい人々でなく豊かな人々がはいっ
てくることによって、長らく労働者や貧しい人たちにとって「最後の砦」だった場所が
失われていく。それも自然的なプロセスではなく、政策的・政治的に失われていく過程
としてとらえていくことが必要だと考えています。
 
 それは様々な視点から考えられます。非常に重要なのは、なぜ特区構想をジェントリ
フィケーションとして考えなければならないのか、ということです。西成特区構想を語
る言説、特に上からの言説の中でしきりに言及されるのは、いかにあそこが立地がいい
かという話です。つまり環状線、御堂筋線も走っている、関空まで1本で行ける、新大
阪(新幹線)へも1本で行ける、ものすごく立地が良い。にも関わらず日雇い労働者や

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生活保護受給者が住んでいることによって、土地が「有効」に活用されていないという
ロジックが度々表れています。
 これは間違いなくジェントリフィケーションのロジックに他なりません。本当は本末
転倒なのですが、立地が良いにも関わらず利用されていないのではなく、そこはもとも
と労働者階級の街だったわけです。そこでは話が逆転してすれ違ってしまっているんで
すが、改めてその立地の良さに再びフォーカスが当てられようといています。
 様々な場所でフロンティアを探し求めようという動きが大阪中で行われている最中に
あって、もしもこの釜ヶ崎が西成特区の政策の中で開かれたなら、間違いなく資本にとっ
ては立地という点からしても、地価という点からしても、放っておくはずのないおいし
いフロンティアに間違いありませんから、それまで日雇い労働者が積み重ねてきた街の
歴史が全くリセットされて、全く違う街として作り替えてしまう可能性が極めて大きい
し、その戦略・路線は既に敷かれていると考えています。

 ” イメージアップ” はジェントリフィケーションの罠

原口

 そしてもう一つ、西成特区や釜ヶ崎を考える時にもう一度考え直さないといけないと
思うことがあります。
 西成特区の中で出てくる問題として、イメージを変えさせないといけないという話が
しきりに出てくるんですね。これまでガラが悪いとされていたイメージ、そこにはもち
ろん差別的なまなざしもはいってきます。このイメージを取り除いていかなくてならな
い。言い換えるなら人々にとってイメージの壁があまりに分厚いので、人々の足がなか
なかはいりにくい場所であった。そのハードルを下げて場所を開いていかないといけな
いということが、度々議論として上がっています。
 しかし、これはある意味でいうと、釜ヶ崎に対して投げかけられた差別的なまなざし
をいかに払拭するか、という昔からあった課題ではあるんですが、現在西成特区という
政策の中で議論される際には、おそらく文脈が違います。つまり「ガラが悪い」とかい
うイメージを取り払うことによって、誰もがはいっていきやすいという中には、間違い
なく資本やそれまで釜ヶ崎にいなかった豊かな人たちがはいってくるし、そういった
人々の力の方が立地からいっても大きくなります。そういったイメージが取り払われる
ことによって一気にジェントリフィケーションが起こってしまいかねない、そういった
極めて危機的な状態にあると思います。
 このイメージを取り払わなければならないという時に、僕らが実は見失いがちなこと
があります。釜ヶ崎に対して付与された様々な偏見や差別を含んだイメージがあります

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が、一方でそのイメージはある局面においては日雇い労働者や貧しい人々、野宿生活者
など釜ヶ崎でしか生きていけないような人たちが、自分たちがかろうじて確保している
空間を守るために、ジェントリフィケーションやそういう余計なものがはいらないよう
に張り巡らした、ある種の自分たちの街を守るためのバリアとも考えることが出来るわ
けです。つまりイメージの改善、差別の改善という言葉だけが走ることによって、実
はひっそりとジェントリフィケーションに歯止めをかけてきた最後のバリアまでもが、
ひょっとしたら今、解体されつつあるのではないでしょうか。イメージについてはそう
いうふうに解釈しています。

 釜ヶ崎を” ロワー・イーストサイド” の二の舞にしてはならない

原口

 つまり西成特区のプログラムの中で着々と進められているのは、本質的にはジェント
リフィケーションに対して労働者階級の場所を開く、そしてそれが実現してしまったら、
そこに住んでいた日雇い労働者たちはますますかき消されてしまうし、日雇い労働者の
街としての歴史は塗り替えられてしまいます。かろうじてその歴史が生きながらえたと
しても、ニューヨークのロワー・イーストサイドという釜ヶ崎によく似た街がまさにそ
うですが、博物館の中で展示されてなんとか残る、そういった未来になってしまうので
はないでしょうか。
 その場合、展示物として残るかもしれないが、実際にその場所に住み続けられるかど
うかは実際にはかなり厳しいし、結論から言うと、基本的には新しい資本や富裕層がは
いってくることで、労働者の姿はどんどんかき消されていきます。労働者から土地や住
処を奪っていくようなプロセスとして考えるべきではないかと思います。

 ジェントリフィケーションはダーティ・ワードである

酒井

 ニューヨークのロワー・イーストサイドというのは、マンハッタンのウォールストリー
トのすぐ脇で、歴史的にユダヤ系からラテン系まで様々な移民まで重層的により集まっ
てきて、歴史的な記憶も蓄積されているし、それまでの闘争の記憶も様々に刻印されて
いるような街なんです。それは街の落書きや建物にそれらが表現されているんですけど、
ジェントリフィケーションのプロセスの中で、つまりおしゃれだということでどんどん
資本が投入されて、これまで住んでいた人が追い出されていく。マルチエスニックなお
しゃれな街、刺激的な街みたいな形で宣伝されて、もともとの刺激的な人たちはどんど
ん追い払われていくというプロセスがありました。

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 ハーレムもそうです。ハーレム論もこの本の中にありますが、ハーレムなんて僕らは
20 世紀のアフリカ系の聖地と長い間聞いていたんですが、ある時期から資本がはいっ
てきて、クリントンが住み始めて、どんどん地価が上がり、街はきれいになり、不動産
屋が刺激的なハーレムを売り物にしていく。しかし、もともとハーレムを刺激的にして
いた人たちは次々と追い出されていく、というのがジェントリフィケーションの典型的
なプロセスです。
 釜ヶ崎の場合は階級というのが前面に出てきますけど、アメリカの場合だと(日本で
もそうですが)人種と階級が常に結びついているので、エスニックの問題、階級の問題
がジェントリフィケーションの問題につきまといます。この本を読む時は、第 2 章の
「ジェントリフィケーションはダーティ・ワードか?」から読むとわかりやすい。ジェ
ントリフィケーションの入門みたいなものになっていますが、簡潔な要約になっていま
す。ジェントリフィケーションという言葉はダーティ・ワードなんです。ジェントリフィ
ケーションは人種、階級に対する悪いイメージがあるんです。それを排除したり、押さ
えつけたり、強制的に移住させるというニュアンスがあるんですね。だから不動産屋、
金融資本はジェントリフィケーションという言葉はなるべく使いたくない、この言葉を
嫌がるわけです。
 ところが日本だとジェントリという言葉は優しいとかいいニュアンスにとられがちな
ため良いジェントリフィケーションは進めなくてはならないみたいなことを研究者が言
い始めたりするという環境もあるのです。これははっきりとダーティ・ワードだと確認
しておく必要があります。

 ハーレムやロワー・イーストサイドは先にジェントリファイされた

原口

 日本では「ジェントリフィケーションを進めよう」というプランも出てきてしまうと
いう状況があります。欧米では巷のおばちゃんが開発されているビルを見て嫌な感じを
持った時には「けっ、ジェントリフィケーションだ。」と口にするくらいに、当たり前
にダーティ・ワードなんです。
 ダーティ・ワードだから、それを否定するためにあの手この手で、例えば「アーバン
ルネッサンスなんですよ」「都市再生なんですよ」とか言って払拭しないといけないと
いうのが欧米の状況です。
 しかし日本の場合、ジェントリフィケーションが最初の時点でちょっと間違った導入
のされ方をしていて、はじめから「街でジェントリフィケーションが起こる」=「街に
ジェントルマンが来る」(笑)みたいなイメージがあって、原点からやり直さないとい
けないという状況にあります。

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 ハーレムやロワー・イーストサイドはニューヨークの中で釜ヶ崎は本当に質的に近い、
懐かしい気持ちがするんですが、先にジェントリファイされてしまいました。
 軽い話をしますけど、特に最近大阪や日本のテレビで結構最近よく出て来るんです。
「モヤモヤさまぁ~ず」とか「ウーマン・オン・ザ・プラネット」( 番組名 ) で「ニュー
ヨークで一人生活を始めます」とか「ニューヨークを今日案内します」といってハーレ
ムを歩く時に度々出てくるのが、「20 年前は治安が悪く、一人では決して歩いてはいけ
ない場所だったが、今は自由に歩ける安全な街になりました」と、そこだけが紹介され
ているんです。
 実はその背景は、ツーリストにとってはおしゃれな街になったかもしれないけど、そ
うなってしまうことによって住めなくなった人がたくさんいるし、しかもそれが自然に
なったわけではなく、なんとかそれをとどめようと対抗してきた政治であるとか、コン
フリクトであるとか一筋縄ではない歴史が 80 年代、90 年代にたくさんあるんですね。
それを一切なかったことにして、
「今、おしゃれな街に変わったハーレム。刺激をどうぞ」
みたいな形で紹介されているのがまさしくジェントリファイされた街の紹介のされ方の
典型になっています。

酒井

 ジェントリフィケーションというのは焼け畑農業的なところがあって、ハーレムやロ
ワー・イーストサイドの地価を上げたのは、長い間積み重ねてきた歴史なんですが、そ
れを食い尽して「もう刺激的でなくなった。はい、次」という形で荒らしていく、最後
のペンペン草も生えなくしてどんどん投資先を変えていって都市全体を死滅させてしま
う。今日のサブタイトル「都市は滅びるのか?」とありますがジェントリフィケーショ
ンの行き着く先は都市の破滅、都市が破局していくというプロセスでもあります。

 ニューヨークと大阪の同時代性(ジェントリフィケーションは世界同時的現象)

原口

 ここから、話しながら思いついたことをしゃべっていきます。
 もう一つニューヨークと大阪の同時代性について、改めて振り返っておきたいことが
あります。
 本の中の最初は 1988 〜 90 年までのハーレムと、ロワー・イーストサイドで起こっ
た数年間の出来事のドキュメントから始まっていますが、これが人ごととは思えないん
です。ロワー・イーストサイドにジェントリフィケーションがいよいよやってきます。
そのプロセスの中では様々な闘争が起こるわけですが、1988 年に警察が引き起こした
暴動が起こりました。争われたのは街のど真ん中にあるトンプキンズ・スクエア・パー
クという公園なんです。ジェントリフィケーション戦略の一つは建物だけじゃなく、地

14

域全体を売りに出すので、建物だけリノベートし、家賃を上げたらそれで成功するわけ
ではありません。近隣丸ごとジェントリファイしないと成功しません。となるとストリー
ト上をどうするかとか、特に重要なのが公園をどう飼いならすかが重要になってくるわ
けですね。
 トンプキンズ・スクエア・パークはロワー・イーストサイドのど真ん中にあるんです
が、そこに失業した貧しい労働者が 1988 〜 89 年くらいにテント村を作っていたんで
す。警察が追い出しにかかるとそれを追い払うくらいの粘りを見せていたんですが、最
終的に公園は柵で覆われ改築工事が始まります。そして、出入りを厳重に監視された姿
で再オープンするというプロセスをたどります。この改修がおこなわれてトンプキンズ・
スクエア・パークがフェンスで覆われたのが 1991 年です。
 かたや大阪。思い出されるのは天王寺公園です。1980 年代、アーバンルネッサンス
の時代に阿倍野再開発が始まっていました。そしてこれから関西新空港もオープンしま
す。南大阪の玄関口としてのイメージアップさせるためのあの手この手がおこなわれる
んですけど、その中でびっくり仰天のことがなされました。それは、それまで無料だっ
た公園を柵で囲って有料公園にしたんです。この目的ははっきりしていて、裁判記録で
も証言されているんですが、野宿生活者、日雇い労働者をはいれなくさせること、それ
によってイメージアップすることなんです。
 この天王寺公園が柵で覆われたのが 1990 年、ロワー・イーストサイドのトンプキン
ズ・スクエア・パークが柵で覆われて閉鎖されたのが 1991 年。ジェントリフィケーショ
ン論に立つならば、この 2 つの出来事を別々に考えることの方が無理な話なんであって、
これは世界同時的な現象としてみなければならないんです。
 ジェントリフィケーションという言葉を僕らがもう一度使いだす意味は、大阪ローカ
ルや日本独特の現象として一見見えるものが、実は世界同時多発的に起こっていた世界
的な現象なんだということをもう一度とらえ直すことが出来る、そういったこともこの
言葉を使ってもう一度都市を考えることの重要な側面のひとつなのではないかと思いま
す。
 天王寺公園の一連のプロセスを考えた時、ロワー・イーストサイドのトンプキンズ・
スクエア・パークとの運命の奇妙な重なり合いを考えた時に、そういうグローバルな文
脈が見えてくるんじゃないかと思います。

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 持てる者の不安・被害者意識が報復主義を生む

酒井

 この本のタイトルで「ジェントリフィケーションと報復都市」とありますが、「報復」

原口

 現代都市というのは空間で言うとジェントリフィケーションだし、それにプラスアル

の意味を説明してください。

ファで報復主義という政策的な志向、あるいは人々のメンタリティが絡まり合って、ま
すますまずい方向へ基本的には動いています。しかもグローバルに。これがニール・ス
ミスの基本的な議論の前提です。
 報復主義とは何かということの基本的な性格をかいつまんで紹介します。
 似たような言葉はたくさんあります。例えばロスアンジェルスを舞台にした都市論で
著名なマイク・デイヴィスの「要塞都市」、ジョック・ヤングの「排除型社会」とか様々
に言われてきている特徴の一つです。ただ報復都市ならではのニュアンスがあります。
 まず一つには「報復」を訳す時に迷ったんですが、
「報復」という意味と「土地の奪還」
という意味があります。失われた土地を取り戻す「失地回復」のニュアンスのどちらも
あります。
 ジェントリフィケーションは土地の征服のプロセスですが、それが報復都市という性
格を持っています。征服ですから強いものが弱いものを征服していくわけですが、ここ
で重要なポイントは、この征服のプロセスが「報復」や「失地回復」という言葉に擬(な
ぞら)えているわけです。
 これは何を意味するかというと、ただ強いものが弱いものを一方的に征服するだけで
はなしに、持つもの、裕福な者など征服する側の人々が、実は彼ら自身が不安であった
り、自分たちの権利、財産を侵害されたという感覚、自分たちは被害者だという感覚・・・
そういった観念に囚われ、そうであるが故に自分たちの征服のプロセスは失われた権利、
失われたもの、失われた土地をもう一度取り戻すんだという形で正当化されてしまう。
これが「報復都市」という言葉を使う時の一番重要なニュアンスだと思います。
 この被害者意識と不安はいろいろな場面で垣間みることが出来ると思います。例えば、
新しくジェントリファイされた場所にはいった入居者が、その後ずっと安心したライフ
スタイルを送っているかというと、どうもそうじゃないかもしれないということです。
つまり資本主義の安定性がどんどん歪みますから、一度は成功したジェントリファイさ
れたエリアでも、ひょっとしたらまたもや衰退のプロセスに巻き込まれるかもしれない。
今は地価が上がっているかもしれないが、それもあっという間に台無しにされるかもし
れないという不安を根本的に抱えています。その不安が的中してしまったのが、この本

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でいうと 1980 年代のジェントリフィケーションの大波のあとに、大不況がやってきて
地価が下落し、なけなしの借金までして手に入れた財産が台無しなったことです。
 
 そうした不安に駆られる中で、目の前を見たら失業者や野宿の人が増えている。その
新しくジェントリファイされたエリアに住んだ人の目には、公園に住む野宿の人たちが、
自分たちの財産を台無しにしかねない危険な存在として見えてしまいます。これは被害
と加害が逆転してしまっているんですけど、自分たちの権利が侵害されているような反
転した感覚を持ってしまうわけです。
 あるいは都心レベルでいえば、経済成長を目指さないといけないという時に、貧しい
人々、あるいは公的扶助によって何とか生活する人たちが、「不当にも」経済成長や財
政を阻害する存在としてバッシングされてしまう構図になります。
 他にもいろいろなスケールで言えます。国のレベルで言うと、他国から攻撃される
かもしれない不安があり、それは想像の世界でしかないんですが、しかもその不安を基
に政策の脚本が書かれてしまいます。様々なレベルで同時的に不安とそれに対する防衛、
報復というサイクルが拡張されつつあるのです。この不安や侵害されているという感覚、
土地をもう一度とり戻さないといけないという感覚が、とりわけ 1990 年代以降ジェン
トリフィケーションを正当化するためのイデオロギーとして用いられてしまっている、
というのがニール・スミスの指摘です。

 ジェントリフィケーションを加速させる報復主義

原口

 ニール・スミスは報復主義を考える時、もう一つ重要な論点を提示しています。なぜ
報復主義がこんなにも台頭したのか。なぜ人々は誰か特定の他者を吊るし上げないと気
が済まない状態になったのか。
 スミスはそれを分析する際に、それ以前の 80 年代にあったジェントリフィケーショ
ンや都市の成長に対するあまりにも過剰な楽観主義を見いだすんですね。つまりあまり
にも過剰な楽観主義を持ってしまった、これにより何か都市は、世界は良くなると錯覚
してしまった。しかし、都市のきらびやかなジェントリフィケーションは台無しにされ
てしまった。期待が高ければ高いほど、それが失墜した時の絶望が深い、不安も大きい。
そういう不安な状態になった時に人々は、なんとか不安を解消するために、これはもう
役に立たない処方箋でしかないが、とりあえず叩きやすい他者を見つけ出しては叩く。
その「敵」さえ叩いてしまえばあたかも不安が解消出来るかのようなメンタリティに陥っ
てしまった、という分析をしています。

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 さて、これはニューヨークの文脈でのニール・スミスの分析ですが、僕らも心当たり
があるのではないかと思います。一つには様々な局面で排外主義が噴出している現状で
あることは間違いありません。その前史、いわゆる高度経済成長やバブルと呼ばれた時
代、これは未だに栄光の時代として言及されますが、あの時代にあまりにも過大な自意
識や期待等を人々は持ってしまいました。その大きさ故に、またそれがはじけてしまっ
たが故に、その反動として絶望と報復主義も根深いものとして、まったくコインの表裏
の関係で噴出しているのではないでしょうか。
 もしも、ニール・スミスのこの論を基に現代都市を、あるいは過去数 10 年の都市資
料をもう一度トレースし直すならば、そういう視点からもう一度とらえ直すことが出来
るのではないか、という可能性が考えられます。

酒井

 第 10 章が「ジェントリフィケーションから報復都市へ」ということで、ジェントリフィ
ケーションが報復の論理、報復感情と絡み合ってどんどん加速していくというニュアン
スですね。
 もともと報復主義者というのは 19 世紀のフランスで民衆がどんどん台頭してきて、
パリを占領していった時、それに対抗して特権階級や既存のブルジョア階級が恐怖して、
彼らから街を取り戻すということが起こってきました。
 あっ、「取り戻す」って最近聞いた事ありますよね。「日本を取り戻す」って失地回復
的な報復的ニュアンスがありますけど、誰かに占領されたものを取り戻すというのが報
復主義のメンタリティなんです。
 例えばパリコミューンなどは何万という労働者が残酷な方法で殺されましたが、あれ
が報復感情ですね。パリという街を脅かす、新しく台頭してきた民衆、労働者階級、し
かもそれがコミューンという形で自らの特権的な領域を侵害していく。それに対して
我々は正当に報復すると。しかも彼らはモラルはないし、品は悪いし、不潔だし、そう
いった連中が我々の領域を侵していると。
 それを考えると、日本でも在特会というのがあって、彼らは新大久保、鶴橋を占拠さ
れたと感じているわけでしょ。自分たちが当然権利を持っているような場所を彼らは特
権的に侵害していると考える。あれと都市開発と称してどんどん大きな資本が流入して
きておしゃれタウンにするとなったら、これが本当にジェントリフィケーションと報復
主義が絡まり合うことになるという典型的な例になります。いつでも何か排除がある時、
そういう感情がつけ込まれるわけです。
 大阪でも天王寺のカラオケ屋台は、周りの人が迷惑だとか言われる。長居公園で野宿
者排除があった時に、研究者ですが「排除されるのは当たり前」だと研究会で言うわけ
です。非常に多くの人たちが使えなくて迷惑しているとか言ってました。

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 でも実態は、トレードオフ・空間占拠率が云々と言われましたが、長居公園はかな
り大きいんで、しかもテントなんて誰も使わない場所の奥に少しあっただけで、別に
トレードオフ云々の話ではなかったんです。空間的には誰も迷惑なんてしていないん
です。でもそういう占拠されたという感情だけが肥大化していく、報復感情がどんど
ん煽られていってジェントリフィケーションが成功していくんです。日本でもそのロ
ジックはすでに発動しているわけです。

 権力の暴走と結びつくジェントリフィケーション

原口

 ニール・スミスのみならず社会学者を含めて様々な人が指摘していますが、大抵の局
面で感じさせられる不安や侵害されている感覚は、目くらましの作用を与えているにす
ぎないということが第 10 章では同時に言われています。
 ニール・スミスの弟子の論文の引用ですが、犯罪の取り締まりがものすごくテレビで
も書き立てられ、当時のニューヨークでもそうした声が高まっていく。その中で警察が
正当性を与えられ力を増していきます。ギルモアという学者曰く「これは目くらましで
ある」と。「本来は経済的不安がもたらすめまい故に人々が抱く恐怖感、あるいは支え
になるようなものがなくなった時に、目の前にしている無秩序に耐えられないという感
覚、この不安感を敵を誰か見つけ出すことへと差し向けて、そしてそれを負かしさえす
れば、安全を確保出来るかのように見せかけて」というふうに述べています。
  おそらくこういった形でターゲットは誰でもいい、誰かを報復の舞台にさらして叩
かないと気が済まないようなメンタリティが刷り込まされていて、その中でひっそりと
ジェントリフィケーションがそれをイデオロギーとして、後押しとして進められてしま
う。
 また別の側面では、警察にあまりにも人々が正当性を与えてしまったことにより、今
度は警察が暴走を起こして、ニューヨークでは野宿者に対する警察の暴行が横行します。
そして警察によってボコボコに殴られたというケースが多々寄せられるようになってき
ました。
 そういった権力の暴走とジェントリフィケーションとが、特に 90 年代以降分ちがた
く結びつきながら走り出すようになった。これがジェントリフィケーションの最も新し
いラウンドの特徴だとスミスが述べてる重要なポイントでもあります。それはおそらく
そんなに無関係なこととして考えられないのではないかと思います。

19

質疑応答編

トークセッション 原口剛×酒井隆史
Q.1

ジェントリフィケーションで排除された人たちの行く先は?
 私自身も阿倍野の周辺等で夜回り活動とか参加させていただいていますが、一旦排除
された野宿者の行方がどうなったかということは支援者の間でも掴んでいません。ジェ
ントリフィケーションにより排除された方々が、例えばニューヨークとか世界の都市で
どのようになったのか、排除される先に何があったのかを教えてください。

A.1
原口

ジェントリフィケーションは貧しい人たちを” 廃棄” する
 まずこの本の中で紹介されている部分だけで言いますと、まずロワー・イーストサイ
ドという釜ヶ崎に似たところがあるわけですが、まずそういったみんなで集まって住ん
でいた場所からどんどん分散化させられていくんですね。はじめは例えば高速道路の下
であるとか、橋の下であるとかに追いやられていったわけなんですが、ニューヨークで
は次の段階では地下に追いやられて、そこで” モグラびと” という形で貧しい人々が「再
発見」されていったというプロセスが始まります。しかし、ここでもまたさらに一掃作
戦というのが行われていって、貧しい人々が最終的にどこに行かざるをえなくなったの
か、“廃棄” されていったのかはこの本の中からはわかりません。しかし、今目の前のシー
ンからは見えなくさせられているというのはまず確実に言えることですね。
 これはロサンゼルスの例の中でちらっと出てくるんですけれども、ひょっとしたら“廃
棄” させられた先というのはどこか都市からものすごくアクセスの悪い、もう誰も使わ
ないかつての工業跡地のような場所になるかもしれない。あるいは、多くの論者がさま
ざまな国々で刑務所の人口がいちじるしく増大していることを指摘しています。排除さ
れた人々は犯罪者とみなされ、刑務所に収容されることになるのかもしれません。いず
れにせよ、さまざまなかたちで都市から見えなくさせられていくわけです。
 基本的な確認ですが、ジェントリフィケーションが貧困の問題を解決することはあり
ません。ひたすら街からより見えなくさせていく、言い換えるなら見えない場所へ移し
替えさせられていくだけであることは間違いありません。

質疑応答編

20

酒井

 海外だと排除された人々が誰もアクセスできないような不便な所にどんどん住み着
き、災害の時にはじめて可視化されるということがよくあるんですね。日本でも似たよ
うなことがありました。いろんな形で分散していくのですが、ある時点(閾)を超える
と可視化するような集住形態っていうのが生まれてきます。
 ベネズエラの首都カラカスでは超高層ビルを建てる途中で工事が中断・放置されて、
そこにいろんな人がはいってきて占拠してスラムになっているんです。世界一高いスラ
ムと言われています。この前そこで一掃作戦があったみたいです。写真集が出ているん
ですけどすごいですよ、この光景は。現代の九龍城ですよ。日本でも今後はタワーマン
ション等いろんな形で起きてくるかもしれません。

Q.2

” 新世界” はジェントリフィケーションか?
 酒井先生の「通天閣」でありました “新世界” が開発されたのは、ひとつのジェント
リフィケーションと捉えていいのでしょうか。

A.2
酒井

資本主義の論理は同じだが、歴史的段階が違う
 僕自身はジェントリフィケーションというのは基本的に産業資本主義の特有のある種
の開発の形態だと思っています。つまり、資本主義の歴史を見ると生産がうまくいって
いる時代と生産が行き詰まる時というのは、必ず交互にやってきます。
 生産が行き詰まった時代というのは、金融=バブル形態に走るんですよ。余った資本
は土地とか建造物にどんどん投資されてバブルを起こします。 それがまた弾けて、今
度はある種の生産のフロンティアが見いだされていくというプロセスをたどっていま 
すね。
 高度成長が危うくなったのが 1968 年くらいで、そこから低成長の時代にはいってい
きます。日本はちょっと違うプロセスをたどっていきますが、世界的には低成長の時代
にはいって、だぶついた投資先が今度は金融資本主義の方に向かっていき、今はそれが
ピークというか危うくなった時代ですよね。
 ところが、新しい生産フロンティアが見いだせないというのが、今の世界の状況です。
最近、水野和夫さんの「資本主義の終焉と歴史の危機」という本が売れているらしいの
ですが、資本主義の終焉というのがあり得る展望として語られ始めている時代なんです。
これが、ジェントリフィケーションの背景にあるということです。

質疑応答編

21

 それと近代の産業化の緒初にあった” 新世界” の開発というのは大分性質が違ってい
て、ジェントリフィケーションとはちょっと違います。ジェントリフィケーションとい
うのはある意味「重ね書き」なんです。旧来あるものをジェントリファイして、見かけ
を違うものにして、磨いて売るっていう感じですよね。
 金融資本の論理、資本が建造物に投資して、それによって利潤をあげるという普遍的
な論理としては同じなんですけれど、もうちょっと個別に見ると違うということですね。
要するに、歴史的段階が違うということです。

Q.3

日本橋に建っているマンションはジェントリフィケーションか?
 今、日本橋の電気屋街でマンションとかコーポとか建ってきているのは、基本的にジェ
ントリフィケーションとみていいのですか。

A.3
原口

現在進行しているタワーマンションの林立はジェントリフィケーション
 日本橋ももちろんそうですが、タワーマンションが林立していく、新しく投資が行わ
れてまったく新しい環境が出来上がっていくプロセスが増殖されているとするならば、
それはジェントリフィケーションと考えて間違いないのではないかと思っています。
 むしろ、ジェントリフィケーションではないとするならば、どういう意味でそうなの
かを説明しなければならないと思います。それくらいジェントリフィケーションに対す
る警戒心が広まればいいと思います。

質疑応答編

22

Q.4

アートもジェントリフィケーションに加担してるならどうすればいい?
 ニール・スミスの本を見ていると、例えばアートとか使って街おこし的なことをする
のも結果的にジェントリフィケーションみたいになるとありますので、結局どうしたら
いいのかがわかりません。要は “来んとけよ” みたいなことなのでしょうか。ジェント
リフィケーションしないなら資本が再投資されなくて衰退していく街に対して、どうし
ていったらいいと考えていたのか教えてください。

A.4
原口

アートの役割は両義的、感性を反ジェントリフィケーションの側に
 ニール・スミスはアートや文化活動すべてがジェントリフィケーションに組み込めれ
てしまうものだと主張しているわけでは決してありません。もちろんアートだけではな
く言葉も含めてあらゆる文化的なものがアンビバレントな、一歩間違えると資本の罠に
絡みとられかねないような状況に陥っています。まったく安全な立ち位置なんてものは
ないということがまず前提としてあります。
 しかし、だからといってすべての文化活動、アート活動がジェントリフィケーション
に手を貸してしまうというわけでもありません。1980 年代にあってすら、反ジェント
リフィケーションを掲げ、そして別の可能性を、別の生活するための都市の可能性を模
索するようなアートというのはメキメキと花開いていったという状況があります。
 例えば、ロザリン・ドイチェというアート批評家は反ジェントリフィケーションとい
う問題意識の中で別の空間を発明すべく発案されたアート作品というのを様々に紹介し
て、そこに可能性を見いだそうとしている本を出しています。これをきっかけに、そう
いった本も含めて、まずは様々に紹介され、翻訳され、そして実践されていく状況を生
み出すことが出来たらいいと思っています。
 もうひとつには、ニール・スミスが多分あえて答を出さなかったのは、僕は正解だと
思っているんです。ニール・スミスがある程度意図的にやったんじゃないのかな、とい
うふうにも思うんです。
 どういう空間の使用法を、都市のあり方を見つけだすのか、発明するのかというのは
スミスがガイドして教えるのではなく、民衆が、巷に生きる人々があの手この手の中で
必死に発明していくものだという哲学・考えがおそらくスミスの中にあったのではない
でしょうか。

質疑応答編

23

 だから、もしも読み終わって答えがない、それが不満だ、どうしても消化不足だと思っ
たら、この本に関してはそれが限界ですし、そういった読まれ方をされてしかるべきも
のだと思います。
 そしてそこからの問いはみなさん、そして僕らに預けられているというふうに考えた
方が面白いんじゃないかと思います。

酒井

 ジェントリフィケーションとアートというのは密接不可分です。日本でもアートとい
うのが都市開発の重要な役割に巻き込まれているというような局面もあり、とても困難
な状況にあります。
 このアートの役割っていうのは両議的なんですね。もともとアーティストというのは
ある種の資本主義的なシステムとは別の何か(生活であるとか生業であること)を体現
している人たちなわけです。
 デヴィッド・グレーバーという人類学者がこう言っています。「歴史の中で一番ラディ
カルな動きを牽引する時、そういう局面がある時は必ずアーティストと先住民が手を組
む時だ」。労働者階級ではなく、アーティストと先住民がオルターナティブを構想して
いく時が最もラディカルな変革の構想が起きる時だと。
 アートというのはそういうポテンシャルを持っていると思うんですけど、それがまた
アーバンフロンティアの率先役になって、街おこし、街を飾っていく、という側面もあ
るんですね。
 ホームレスを排除したあとに、そこにパブリックアートと称して人が寝れないように
アートが作られていくという、ある種グロテスクな役割も今担わされています。それを
アーティストがどう自己分析をしていくかという意味でもこういう視点というのが重要
になってくると思います。
 ジェントリフィケーションというのは単に物質的なプロセスではなくて、人の知覚と
か感性とかをジェントリファイしていくプロセスでもあります。こういうのは嫌だ、見
たくない、汚い、人がここで寝ているのを見たくないと思うという時に、アーティスト
が汚いと思う感性を育てていくのか、それともそういうものに対してある種の美とか、
ある種の柔らかさとか、受け入れる柔構造としての感性を養っていくのか。アートがジェ
ントリフィケーションに関与するかというのは、物質的なものだけじゃなくて知覚、感
性というものとどう関わっていくのかという重要な役割を持っているんです。これもや
はりアンビバレントというか、どっちにでも転びうるというふうに思っています。

質疑応答編

24

Q.5

ジェントリフィケーションに対抗する有効な手段は?
 今僕は神戸と大阪で部屋とか建物とかを安くで借りたりとか、勝手に使ったりとかし
て、いろんな周りの知り合った人とかに開放していったりとか、路上で酒飲んだりとか、
いろいろ街を散らかしたりとかしているんですけど・・・。
 僕は特に考えてやったわけではないのですが、ジェントリフィケーションに対抗する
手段としてそういうのは有効なのでしょうか。

A.5
酒井

ジェントリフィケーションが嫌だという身体性の獲得は重要
 高円寺の松本哉が、法政大学の時に「法政の貧乏くささを守る会」って結成したんで
すよ。それは多分、法政のジェントリフィケーションが嫌だっていうのからはいってる
んですね。ジェントリフィケーションなんて言葉は、彼は知らなかったと思うし、何も
そんなこと考えてなくて、単に貧乏くささがなくなっていくのが嫌だと思っていたんだ
と思うんですけど、でもその感性っていうのは重要ですよね。ジェントリフィケーショ
ンに反対するというよりも、その手前で。

原口

 路上が鍋しにくいでこぼこになったら、率直にむかっとくる感性ってあるじゃないで
すか。おそらくそういった身体性っていうか、身体そのものが反ジェントリフィケーショ
ンだと思うんですよ。
 あと、ジェントリフィケーションという言葉を使うことによって、こんな効果もあり
ます。例えば、海外から誰か友達が来て「何やってんの」と聞かれた時に「反ジェント
リフィケーションやってんだよ」って言えば、それがお互いのキーワードになって結構
すーっとわかるんですよ。そこからコミュニケーションが出てきたりとか、そういった
効果もありますね。
 今まで、ジェントリフィケーションとか反ジェントリフィケーションとかスクオット
とか、そういう言葉で語ったらいいのにと思った実践が別の言葉で語られ、別の言葉と
してあるっていうのは重要なことです。しかし一方では通訳可能・翻訳可能な言葉とし
て持っておくというのも、あの手この手の戦略としてはありなんじゃないかなというふ
うに思っています。そういった活用方法もあるんじゃないかなと。

質疑応答編

25

Q.6

東京オリンピックが迫る中、大阪の未来の展望は?
 釜ヶ崎の労働者の方って資本主義そのものが必要としていた時期があったし、今度の
東京オリンピックとかの有効需要ってありますよね。そこである程度はまたもう一度必
要になってくるのでしょうか。
 その時にジェントリフィケーションした側の方はその方々をどういうふうに扱うので
しょうか。大阪でもカジノとかいろいろ出てきていますし、大阪の未来の展望というこ
とからも教えてください。

A.6
原口

釜ヶ崎の歴史・記憶に学ばなければ、同じ歴史が繰り返される
 明るい話を期待して来られた人はごめんなさい。僕の口からはまったく暗い話しか出
てこないんですけど。釜ヶ崎とオリンピックの話っていうのは本当に重要なポイントだ
と思うんですね。特にこれは西成特区とも絡むんですけど、特区構想がはらむ様々な問
題のひとつは釜ヶ崎の労働者の文化、日雇い労働者の記憶、あるいは釜ヶ崎の街として
の記憶が単なる “問題地域” という一言で、あるいはイメージが悪いという一言で片付
けられ、あまりにも軽く考えられてしまっていることです。つまり記憶の重層性、本来
その街が持っているはずの重層性が見落とされているというのが、とてもまずいことだ
と思います。
 釜ヶ崎の街は今単身の男性の労働者がほとんどで、そして労働者が高齢化していて、
長期的には街の人口が激減していくだろうということが当たり前の初期設定としてイ
メージされています。
 しかしそこからさらに問いを深めていくならば、なぜ釜ヶ崎が単身労働者の街になっ
たのかということです。昔はそこには、例えば「じゃりんこチエ」や「あしたのジョー」
の漫画を見たらそうですけれども、子どもがたくさんいるという姿が当たり前にあった
はずなのです。しかしそれが単身労働者の街として塗り替えられていったんですよね。
 何のために塗り替えられていったのでしょうか。1970 年代に大阪の地で万博が開催
されました。当時まだ若かった単身男性の日雇い労働力を大量に確保しておかないと会
場の建設が間に合わない。そのために釜ヶ崎は単身男性労働者の空間へと、日雇い労働
者の供給点へと変えられていった歴史があるんですよね。
 そういう歴史があって今現在の議論が行われているということを考えると、これを当
たり前の環境として措定するわけには決していかないでしょう。そうじゃないと資本主
義が刻み込んできた戦後史の様々な物事に対する反省的な視点というのを僕らはごっそ

質疑応答編

26

りと見落としてしまうからです。
 目の前に東京オリンピックがあるという時に、こういった歴史の抹消によって本来活
かされるべき反省的視点が未来に繋がっていかないこと、そこが一番まずいところなん
です。
 2020 年の東京オリンピック開催に向けて青写真はたくさん作られていますが、同じ
プロセスが繰り返される可能性はきわめて高いと思っています。
 あれだけの都市改造をするわけですから労働力をどうするのかという話は実際出てき
ます。かつての万博の時代であれば、周辺の農村から九州から沖縄から様々な周辺地か
ら労働力を持ってくるという手がなされたわけですが、今はその労働力獲得の範囲が国
境を超えていますから、そういった幅広いところから労働力を求めることでしょう。
 となればかつて釜ヶ崎がそうであったように、再び東京オリンピックが終わった後に
労働者が放置されて、どこかの場所に取り残されて見捨てられていくという可能性もき
わめて高いわけですね。
 そういった事態に僕らはいかに備えられるのでしょうか。過去を考えることと未来を
考えることの蝶番にあたる部分である西成特区、釜ヶ崎をどういうふうに考えるので
しょうか。
 釜ヶ崎のみならず釜ヶ崎の歴史を、記憶を、人々を、人々の語りから僕らは何を学び
うるのかということになってくると思うんです。西成特区ということでいろんな議論が
ある中で、釜ヶ崎・西成特区が “問題地域” であるから改善しないといけない、という
ミスリーディングが起こっています。しかし本来変革しないといけないのは主流社会の
方であって釜ヶ崎はマシなところ、むしろ可能性というか、様々な労働者文化の積み重
ねの上に立った学ぶべきたくさんの教訓があるはずなんですね。
 そういった当初の “問題地域” ですよというフォーカスの当たり方からして既に、未
来を考える上でボタンを掛け違えているんじゃないか、と僕は思えてならないですね。

質疑応答編

27

パネラー紹介
☆原口剛 ( はらぐち・たけし ) 1976 年千葉県生まれ、鹿児
島県育ち。2007 年大阪市立大学大学院文学研究科後期課程
修了。現在、神戸大学大学院人文学研究科准教授。著書に『釜ヶ
崎のススメ』( 共編著 ) 洛北出版 ,2011 年 :『ホームレス・
スタディーズ――排除と包摂のリアリティ』( 共著 ) ミネル
ヴァ書房、2010 年など。

☆酒井隆史 ( さかい・たかし ) 1965 年熊本県玉名市生まれ。
1998 年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
現在、大阪府立大学人間社会学部教授。著書に『自由論――
現在性の系譜学』青土社、2001 年 :『暴力の哲学』河出書房
新社、2004 年 :『通天閣――新日本資本主義発達史』青土社、
2011 年など。

大阪日日新聞
2014.9.24

本パンフについての
お問い合わせ先:集い処「はな」
大阪市西成区太子 2-1-38
hanamama58@gmail.com

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