COMBINE office/BAMI gallery

press release

〒600-8824
京都市下京区二人司町21

http://www.combine-art.com
COMBINE 代表 上山潤
Tel ・Fax075-754-8154 office@combine-art.com
2016年3月

BAMI gallery 2階スタジオ作家実験展 4展Shiten Round4
BAMI gallery2階スタジオを使用する4名による実験展。4名の4、視点(してん・Shiten)、各自通常の表現とは違う統一テーマに
て展覧会を構成します。今展は第4回目となります。今回のテーマは【ごみ】各自それぞれのアプローチを行います。

YAGI Yusuke

image photo

MIYAMOTO Daichi
KAMA Takumi

若き現代美術作家の
一点入魂の挑戦
ENDO Ryotaro

2016年4月10日(日)~4月22日(金) 12:00-18:00 会期中無休

〒600-8824 京都市下京区二人司町21
Tel ・Fax075-754-8154
アクセス
●JR嵯峨野線・丹波口より徒歩7分
●市バス 島原口バス停より徒歩4分
       (71.206.207.特18.18系統)
       五条壬生川バス停より徒歩5分
      (80.32.43.73.75系統)

○壬生川通・七条上ル・花屋町通り100m南・西側建物
○壬生川通・五条下ル・花屋町通り100m南・西側建物
エンジ色のトタン壁の古民家。おこのみやき・やすい前

<お問合せ>COMBINE 担当:上山潤(ウエヤマ・ジュン) 080-3100-1605 E-mail:office@combine-art.com

Round4

展shiten

201603.20

COMBINE/BAMI gallery
Director 上山潤

■ 展覧会テーマ: 第四回目は、【ごみ】
■ 展覧会会期 : 2016 年 4 月 10 日(日)~4 月 22 日(金)
■ テーマに関して

ごみ
BAMI gallery2 階スタジオを使用する 4 名による実験展。4 名の4、視点(してん・Shiten)、各自通常の表現とは違う統
一テーマにて展覧会を構成します。
この企画も丸 1 年となり第 4 回目を迎えます。
今回のテーマは“ごみ”です。実は第一回目のテーマに据えようかと悩みました。開始早々“ごみ”というのもどうだろ
うか?との判断で第一回目はテーマを“お金”としました。このテーマも実は際どいのですが、際どいもの同士の中の
選択でした。過去三回のテーマは“お金”“種”そして今回の“ごみ”(12 月のさるは別にして・・・)お気づきかと思いま
すが、現代の人間社会の外郭=芸術家が描き出す現代社会の輪郭とその中に流れるモノ・思想・哲学・欺瞞と言う
のものをどのように抽出するのかが、この企画のテーマとなっております。この網目(現代人間社会を構成)をどう解
釈し、作品として図像化・具現化するのか、また何処にそれぞれの視点が当たるのかというのがコンテンポラリーア
ーティスト=同時代性芸術家の精度としては実に大事だと考えます。決して政治活動ではないし、答えがあるわけで
はない。ましてや正義感に溢れるメッセージなどは論外です。あくまでも。現時点の 4 名の制作テーマ性とは別の文
脈・角度を求めるこの企画は、引いてはそれぞれの視野の幅を広げ、それぞれの芸術の栄養となる事を考え企画し
ております。
さて、今回のテーマ“ごみ”ですが、
今企画の起案ディレクターの私が考える“ごみ”というテーマ性には大きく分けて 3 要素があります。
1、 価値観
2、 大量消費社会の現出から生まれた POP アート、その後の大量消費社会の“ごみ”と向き合う芸術=大量ごみ産
出社会のアート?
3、 核廃棄物を中心とする消滅しない“ごみ”=非循環型社会
以上の 3 点が、私がテーマとし据えた根拠です。
1、 価値観
Wikiに言い得て妙の一文がありますので転載いたします。
ごみは、誰がその物体をごみと考えるかに依存した相対的な定義である。ある集団にとってはごみでも、別の集
団にとっては宝の山という状況が存在する。そこに含まれているものに対して価値をいかに見出すかであり、そ
のために必要な労働力と賃金とも密接に関係している。
昨今のごみ屋敷問題はある意味、その主体となる人間の精神構造の問題及び法規抵触に集約されがちだが、実は

案外、価値観という観点から、ごみ屋敷の主を見れば面白い
とも思います。1 対大多数。しかし社会には必ずこの 1
人というのが存在します。誰がどう見てもオカシな事象で取り
締まり対象であることは間違いないのですが、この状
況が 1 対大多数ではなく、それなりの割合があれば、これは少
数派という事になります。そうなるとこの誠にもってオ
カシな事象も、不思議な価値?もしくは大多数はからみれば
現代社会の集約された病理という枠組みを感じ始めます。つ
まり自らを取り巻く病理。社会としても見過ごせない??今現
在、日本全国で少ない事象ではありますが、各所で問題となり、
同じような現象が現れているのは何故なのか?という事から
観る方が、良いか悪いかではなく、面白いと私は思います。
実に不思議ではないでしょうか?周りにさんざんやかましく言われても止
めない。しかも全国どの場所で起こってもその主の対応が一緒・・・そして
何よりもその対処を皆が汗した税金で数百万、場合によっては数千万円
かけて処理するという、、、、全く価値のないというモノに大多数の善良な
市民が大金を叩くと言う、パラドックスは実に面白いと思います。
又、本当に冷たい視線で、春秋の公募展などを見れば、ある意味瞬間的
に美術館はゴミ屋敷ではないのか??とも私は思います。

2、大量消費社会の現出から生まれた POP アート、その後の大量消費社会の“ごみ”と向き合う芸術=大量ごみ産
出社会のアート?
良く現代美術という言葉を日本人は使いますが、この現代とは一体何時なのかとい
う疑問があります。常々本来はコンテンポラリー=同時代というのが、今現実を中心
に考えれば正確であることは間違いありません。しかし、存在する言葉の定義として
あえて枠組みを嵌めるとするならば、欧米では 1945 年以降というのが定説です。で
はその現代=1945 年以降の芸術動向の大局を見れば何が見えるか?それはアメ
リカ主導であり POP アートがそのエンジンだという事を置いて他にはないと思います。
つまり現代美術とはアメリカが生んだ POP アートという事が言えます。極論かもしれ
ませんが、枝葉末節の定義は様々ありますが、大局的に見ればこの 2 項目だと私は
断定します。アメリ
カの POP アート、
その体現者はアンディ・ウォホルを置いて他には居
ないでしょう。彼の作品はキャンベルスープから始
まり、マリリンモンロー、、、等々、、大量消費社会
をアイコン化することにより、その当時の社会の同
時代性共感を得、又、今もってその価値がゆるぎ
ないと言うのが実情でしょう。それまで人間は地産
地消というのが原則であり、自らの生活圏内にて
補給できる食物を中心に生活を営んで来ました。しかし、産業革命以降様々な技術革新が進み、其れまでにない生
活用品の選択の幅が広がりを見せました。又、マリリンモンローに代表されるように、映像から複写される様々な広
告物が、実像のマリリンとはかけ離れ、多くの人の中にマリリンが住みだした。つまり、人間=その虚像をも大量に消
費しだしたというのが、ウォホルのマリリンの文脈だと考えます。
さて、この大量消費社会というものはナンなのか?1945 年以降から考
えれば、現在の 2016 年は約 70 年経過します。今現在も大量消費社
会である事に変わりはないでしょう。しかし大きな観点での違いを指
摘すれば何が見えるか?つまり大量に消費されないものをどうする
のか?という事だと考えます。つまりゴミです。今、世界中で盛んに叫
ばれているのは“高度循環型社会”、つまりゴミをなくす社会です。
ウォホルのキャンベルスープは食料としての大量消費の象徴。
では大量消費した後のゴミの象徴的アイコンとはナンなのか?

又、人間の実像を離れた虚像、映画・テレビ・雑誌というある意味の消費媒体が現時点ではインターネットという世界
に転嫁され、もう人間の把握を超えた情報が散らばっている社会のこの実像は・・・・??
これらのゴミをどう見るというのか、ゴミから見てどのような状況なのかという風景こそが、現代の社会風景であり、実
はそのゴミ社会を反映する芸術がナンなのか?が今もって見えていないような気がします。
これは、現在我々が消費している全てのものが、実は必要以上に生産されているという事が分かっていても、尚、そ
のことに歯止めがかからない社会実情があります。例えば電気もそうでしょう、具体的に形になった“ごみ”では無い
ですが、、ドンドン放出する一方で、それを維持する為に有機燃料を焚き続け、二酸化炭素を始め有害なゴミを少な
からず大気に撒き散らしている。又、次の要素として説明しますが、有機燃料からの脱却として人間が作り出した半
永久的にゴミを処分できない核燃料もそうでしょう。生き物の命を食むということで命が存続するという事も又然りでし
ょう。
ある意味、命の大量消費という冷静に考えれば神をも恐れない殺戮社会であるだけではなく、命をゴミとする社会。
必要以上のモノが生み出されているにも関わらず放置されている社会とは??

3、核廃棄物を中心とする消滅しない“ごみ”=非循環型社会
核廃棄物は人類が生み出したなかでも象徴的なゴミではないで
しょうか?
核のごみは数万~10万年にわたり、生活環境から隔離する
必要がある。ガラス固化体を鉄の容器に封入し、さらに締め
固められた粘土の緩衝材で覆う人工バリアを施すことで、地
中に放射性物質が漏れ出さない対策を取るが、地震などの自
然災害による影響を不安視する住民などの声が根強い。平成
12年「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」を定め、
地下300メートルより深く安定した地層に処分する「地層
処分」を決めた。しかし、14年から原子力発電環境整備機
構(NUMO)が行ってきた公募に手を挙げる自治体はなかなか現れなかった。これが実情である。つまり
数万年~10 万年ゴミがゴミでなくなるにかかる・・・・作り出したものが責任を持てない、
、どころか、
、そ
の数万年~10 万年という時間も想像の範囲でしかない。人類誕
生を遙か越える時間に対して本当に正確な検証が行えるわけが
無い。つまり、核のゴミは絶対的な究極のゴミ。原発及び核関
連施設に対しての政治的な反対表明をここで書いている訳では
ない。今後のエネルギー政策に対しての提言でもない。そんな
事は別の社会運動家がすべき事だと私は思う。まぁ少なからず
現実的問題を把握し自身の考えを持つ事は必要だが、今回のテ
ーマとしてここに記載した意図は、良いか悪いかは別にして、
現実的存在する“ゴミ”であるという、その一点からである。
消えうせる事の無いものという観点から、今世紀以降の人間が
背負う事を無視した罪過という捉え方が正確なのではないか?
つまりゴミとは誰かが作り出すが、それを誰か知らない人が知らない間に処理している、つまりアウトプッ
トとインプットに齟齬を来たしているというのが本質なのではないか?と考えます。この循環の流れが途絶
えた社会という事から考えれば、我々は何を無くしたのか?という大きなテーマに突き当たると思います。
何度も言いますが、アートに検証の必要はありません。しかし、その本質を鋭く突く“視点”が最も重要で
す。芸術家が社会の構成員として存在しているのはその文化=つまり現実社会の人が営む光景を具現化する
からに他ないと私は思います。決して義憤からくる社会告発ではありません。本当に芸術家=コンテンポラ
リーアーティストだけが見える“光景”に他なりません。
故にその観点からこのテーマ性について考えてもらい、4 展 Shiten の 4 名、BAMI gallery2 階にアトリエを
構える芸術家 4 名には大いなる今後の栄養となる事を期待し、この企画を開催いたします。

1985 年 大阪府大阪市に生まれる. 2006 年  第74 回 独立展 入選 <東京都美術館・大阪市立美術館>
2007 年  京都精華大学 芸術学部 造形学科 洋画専攻 卒業 アクリル美術大賞展2007 優秀賞 <兵庫県立 原田の
森ギャラリー> 第5 回 武井武雄記念 日本童画大賞 入選 2008 年 第12 回 越後湯沢全国童画展 入選
第7 回 全国公募 西脇市サムホール大賞展 入選 第25 回 FUKUI サムホール美術展 奨励賞 アクリル美術大賞展
2008 入選 <兵庫県立 原田の森ギャラリー> 2009 年  solo exhibition 『枠の中』 <BAMI gallery>
solo exhibition 『枠の外』<高松天満屋美術画廊> 第26 回 FUKUI サムホール美術展 佳作受賞 第13 回上海
アートフェアー 出品 2010 年  第8 回前田寛治大賞展出品 第14 回上海アートフェアー出品 『コンテンポラリー
アートの扉』<高松天満屋美術画廊> solo Exhibition『のぞきみ展』<BAMI gallery> 2011 年  【Gombessa
proposal ep1 「I am Japanese.」】<BAMI gallery> 【Gombessa proposal ep2 「紫色の藝術旅団」】<BAMI gallery>
現代美術のカッティングエッジ 京都・瀬戸内のゴンベッサたち <高松天満屋美術画廊> 「第29 回FUKUI サム
ホール美術展」大賞受賞 2012 年  「ランチボックス」<松坂屋名古屋店> 「ナカマハズレ」<大丸東京店>
「Two-person exhibition 釜武者展」<BAMI gallery> 2013 年  「化生~けしょう~」<大丸東京店> 2014 年
「アニマルボックス」<松坂屋名古屋店> 2015 年  「女子高生物」<BAMI gallery> 「箱家 ーハコイエー」<BAMI
gallery> 2016年 「箱庭」<天満屋岡山本店> 現在 京都精華大学マンガ学部アニメーション学科 非常勤講師

「擬態‐ヒデムシ‐」
2016/パネルに麻布・アクリル
455×380mm(F8)

生息域の減少により人類が暮らす都市に紛れ
て生きていかざるを得なくなった架空の生物。
我々に見付からないように生きるためには、
我々の身の回りに溢れ尚且つ誰も気に留めない
モノに擬態しなければならない。
たとえそれが我々にとって価値のあるモノでも、
ゴミであったとしても、彼等にとっては等しく
“身の回りに溢れているモノ”に変わりはない。

1991年 2月27日 京都府生まれ 2009年 京都造形大学美術工芸学科日本画コース入学 2010年 Kyoto current2出展
(京都市美術館別館、高島屋京都店) A-ction2010 (京都造形芸術大学ギャラリーAube/京都)2011年 Gombessa proposal
ep1 「I am Japanese」(BAMI gallery/京都) アートオークション STORY...vol.2@Institut Franco-Japonais du Kansai 出品 二人
展「粒子の鼓動」(ART SPASE SHIGEMATSU/京都) 豊橋トリエンナーレ星野眞吾賞展 入選・審査員推奨(豊橋市美術博
物館/愛知) 日本画×洋画 学生合同展 後藤繁雄賞受賞(ギャラリーAube/京都) 第三回Kyoto current出展 (京都市美術
館別館) 個展「午前二時」(高松天満屋アートギャラリー/香川) 2012年 「INNOVATE-日本画学生三人展-」(ギャラリーカト/
京都) 画心展vol.9(室町アートコート/京都) 画心展 selection vol.2(佐藤美術館、康耀堂美術館/東京) 「京都+東京」(ス
ルガ台画廊/東京) 2013年 京都造形芸術大学卒業制作展 学長賞 佐川美術館栗和田榮一賞 佐藤国際文化育英財団
第22期奨学生美術展(佐藤美術館/東京) 個展 午前二時三十七分(BAMI gallery/京都) 個展 午前二時 (高松天満屋
美術画廊/香川) 画心展 selection(佐藤美術館、康耀堂美術館/東京) 2014年 豊橋トリエンナーレ星野眞吾賞展 入選 (豊
橋市美術博物館/愛知) 画心展 selection(佐藤美術館、康耀堂美術館/東京) 「八木佑介 日本画展 午前二時」(松坂屋
名古屋店) 2015年 八木佑介 solo exhibition 巣 Nest (BAMI gallery/京都) 「八木佑介 日本画展 午前二時」(あべのハルカ
ス近鉄本店/大阪) 「八木佑介 日本画展 午前二時」(福山天満屋/広島) 2016年 「八木佑介 日本画展 午前二時」(岡山天
満屋/岡山)

頭上では電線が絡み合う。空は高い。
私達は重く、地の上を這いつくばって見上げる。
廃材を切り取り、彫る。私達は青を欲する。息継ぎを
繰り返しながら、磨り減らすように藻掻く。

crawl
板・墨・岩絵具
H60.3×W35×D1(cm)

1991 年 大阪府出身 2009 年 京都精華大学入学 2013 年 京都精華大学卒業 グループ展
等 2012 年 pallet /KUZUHA ART GALLERY 2013 年 tricolor/7-23gallery 2015 年 4 展
shiten Thema お金について(BAMI gallery/京都) 4 展 Shiten Round2 Thema【種】(BAMI
gallery/京都) コンポラサーカス― 京都若手現代美術作家展(倉敷天満屋/岡山) 精華
-ESSENCE 展 京都精華大学先鋭パーティ(福屋八丁堀本店/広島) 新進芸術家育成
交流作品展 FINE ART/UNIVERSITY SELECTION 2015-2016 (茨城県つくば美術館)
コンポラサーカス― 京都若手現代美術作家展(京阪百貨店・守口/大阪) 2016 年 琳派
400 年記念 京都府美術工芸新鋭展(京都文化博物館) コンポラサーカス― 京都若手現
代美術作家展(山口井筒屋/山口) 個展 2013 年 "Joy"nt/高松天満屋アートギャラリー
2015 年 宮本大地 ヒミツ基地ノヒミツ(BAMI gallery/京都) 現在・京都精華大学芸術学部
洋画コース実習アシスタント

"我楽多"という言葉が面白いと思った。
はたから見ればゴミとされるモノも自分
にとっては宝の山。
そんな"ガラクタ"のイメージをすべて
表している様に感じた。
この星もきっと、まだ宝の山に違いない。

「我楽多ノ星」F6
41.8×31.8(cm)
アクリル

1987 年 新潟県燕市に生まれる 2009 年 京都精華大学 陶芸コース入学 2013 年 京都精華大
学 陶芸コース卒業 2013 年 京都精華大学 大学院芸術研究科芸術専攻入学 2015 年 京都精
華大学 大学院芸術研究科芸術専攻修了 個展 2012 年 ゆらゆらと行方知れずの小宇宙 /
BAMI gallery / 京都 ゆらゆらと行方知れずの小宇宙 / 高松天満屋 アートギャラリー / 香川
裏アイデンティティは放たれた / BAMI gallery / 京都 境界の狭間でオドル / 高松天満屋 アー
トギャラリー / 香川 私は私をやめることは出来ぬ / BAMI gallery / 京都 2015 年 卵の惑星
忘れられた宇宙地図/ BAMI gallery / 京都 遠藤良太郎 連鎖する形態/ BAMI gallery / 京都
グループ展 2012 年 上賀茂アートプロジェクト2012 / 上賀茂神社 / 京都 2013 年 京都精華
大学 卒業制作展 / 京都市美術館 / 京都 SEIKA CERAMICS+PRINTMAKING / ギャラリー恵
風 / 京都 Gombessa proposal ep3 / BAMI gallery / 京都 京都同時代学生陶芸展 / 元・立誠
小学校 / 京都 2014 年 青いブルース展 / GALLERY 器館 / 京都 2015 年 4 展 shiten Thema
お金について(BAMI gallery/京都) 4 展 Shiten Round2 Thema【種】(BAMI gallery/京都) コ
ンポラサーカス― 京都若手現代美術作家展(倉敷天満屋/岡山) 精華-ESSENCE 展 京都
精華大学先鋭パーティ(福屋八丁堀本店/広島) 2016年コンポラサーカス― 京都若手現代美
術作家展(山口井筒屋/山口)

例えば、割れた茶碗は捨てられてしまうのが常ですが、本阿弥光悦の金継ぎされた茶碗のように、割れてしまった
茶碗にも再び価値を与えることができます。ゴミの定義は、私には分かりません。しかし美術を生業としている人間
は、そうしたボーダーをふわりと飛び越え、表現をするのでしょう。このツギハギの焼き物は、無価値なものが再構
築された姿です。一つ一つの破片に意味は無くとも、ツギハギされたこの物体には不思議と親近感があります。

ツギハギの球体 セラミック
18×18×18cm 陶土,銅

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