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JAPAN2201012
ECOOPEMTIVE
OFFICE
FOR CAtt&GUIDNCE
AT-SUIAY,
RIYADH
,BOx
1419
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ll43r,TEI.NO (0024t4488-2
2410615-FAX
E.mail: sulayS@hotmail.com
目次

は じめに.....・
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イスラーム とは。
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第 1部 ア キー ダ (信仰箇条).… “。
…… .."…
…・:・
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8
イーマー ンとは.……………………………………… ………………………8
1、 ア ッラー (唯一神).… ………………:.∴
" …………………… …………9
2、 マ ラーイカ (諸天使)。…………………………………… ……………… 13
3、 ク トゥプ (諸啓典).… …………………… …………………………¨14

4、 ルスル (使徒たち).… … … ……………………………………………………17


5、 アルヤ ウム ・ル ・アー ヒル (終末の 日/審 判の 日).… ………………18
6、 カダル (定命).… ………………………………… …………………・
20
第 2部 イ バ ー ダ (信仰行為)."… … … … "… “∴・
… … …… … … … ¨023
1 シ ャハーダ.……………………………………………… ……………・ 23
A 『 ラー イ ラーハ イ ッラッフー』の真意.…………………………24
B 『 ムハ ンマ ド ラ スール ッラー』の真意 .….………¨…""………26
2 サ ラー ト. ……………………………………………………………………………………2 9

ま えが き 。
…… … … …… … …… … …… … … ・
… … …… …… … … 0…・
… … …29

まず 自宅 で .…… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 31

A 各 サ ラー トの 呼び名 と時刻 .…… … … ……… … … … “… … …… … ……31

B サ ラー ト全体 の 流れ 。
… … … … … … … … … … … … … … … … … … 32

C タ ハ ー ラ .………………………………………………………………………………34
・イ ステ ンジ ャー .…… … … … … … … … …… …… … …… … … … … …“

・ウ ドゥー .……………………………………………∴・
……………………………・
・34
・グスル .……………………………・
…・Ⅲ……………… ………………… ……………38

D ア ザ ー ン .…… …… … … … … … … … … … … … … … … … … …… …… 39
Eイ カー マ .…… … ………二・
…… … … … … … … … … … … … … ……… … 041

F サ ラー トのや り方 .…… … … … … … … … … … … … … … … … … … 43

G ス ンナ とナフルのサ ラー ト."…"“…… … …"…… … … … … … … ・


・…56

H ウ ィ トルのサ ラー ト.…… … … …… …… … … … ¨… … … … …■・


… ……57

: 女 性 がサ ラー トを免除 され るとき.…… … … … … … … … … … … … 59

モスクヘ行 く.…… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … ・

A ジ ュムア (金曜 日)の サ ラー ト.…… … “…… … … … … … … …… …60

B ジ ャマ ア (集団)の サ ラー ト.…… … … … … … … … … … … … … ・

こんな ときどうす るt…¨… … … … …10……… … … … … … … … … … …… …66

A水 がない場合 ― タヤ ンムム ー .…… … … … … 二 … … … … … … … ・


66

B サ ラー トをまちがえた とき.…
… … … …… …… … …… … … … … ¨… …68
0ラ カー トの回数 を忘れた。
… … … … … … … … … … … … … …… …… 69

C サ ラー トの時刻 を過 ぎて しま つた とき.…… … … … … ¨… ¨… ・
:・
… 70

ま つた とき.…… … … … … … … … … … … … …71
D 集 団礼拝 に遅れ て lノ

E 旅 行 中のサ ラー ト.…… … … … … … …… …… … …… …… …… …… … …72

F 短 縮礼拝 と結合礼拝のや り方.…… … … … … … … … … … … … … …73

G け が を した時のサ ラー ト.…… … …… …∴.…


… … …… …… ………… ……74

H か らだが不 自由な ときのサラー ト.…,……… … … ∴…… … …… … …74

3 ザ カー ト.…… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 76

A ザ カー トの意味 と重要性 .…… … … … … … … … … … … …… … … ・


76

B ザ カー トの精神 .…… … … … … … … … … … … … … … … … … … …77

C ザ カー トの効果 .……… … … … …… … … … …… … … … …… … … ……79

D ザ カー トの支払 いが義務 となる人 .…… …… … … … … … … … … "80

E ザ カー トの支払 いが義務 でない人 .…… …… … … … … … … … … …81

F ザ カー トの計算.…… … … …… … … … … … … … … … … … … … … 81

G ザ カー トを受 ける資格 のあ る人 .…¨… …… … … … …… … … … … …83


H ザ カー トを受 ける資格 の ない人.…… …… …… … … … 二… … … … … 84

: ザ カー トに関す る各種の規定 .…… … … … … ■ ・


… … … … … … … …85
J ど の よ うにザカー トを支払 うか … … … … … … … …二… … … … … …85

K サ ダカ .…… … …… … ……… ¨… … …… … … ・
:・
… … … … …… … … ∴… 086

サ ウム .…… … .…… … … … … … … … … … … … … … … … … … ■ .……89

A ラ マ ダー ン月 とクルアー ン.…… … … … … … … … … … … … … … ・
89
B ラ マ ダー ン月 とサ ウム .…… … … … ・
… … … … … … …………… …… ・
90
C ル ー ヤ ・アル ヒラール (新月 の観測).… … …∴.…… … … … … … 92

D サ ウムのや り方 .……… … … …… … … … … … … … …:・


… … … …… … .92
E サ ウム 中や つてはいけないこ と 。望ま しくないこ と。
。.l.…
…………..93
F サ ウム 中す るべ き こと ・許 され ること.…………….……¨…………・
"………94

G イ フタール .…...・
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…95

H サ ウム を破 つて もよい場合 ・免除 され る場合.…… … … … … … … 96

: サ ウム を してはいけない場合 .…
…… … … … …… … … … … …… … ……97

J カ ダー のサ ウム .……… … … …… … …… …… …… … ………… …… …… …… 97

K カ ッフ ァー ラのサ ウム .…… …… … …… … … … … ……… … …… … ……97

L フ ィ ドヤ.………………………………………………………………………………・
97
M タ ラウィー フのサ ラー ト.…
… … … … … … … … …… … … … … … …98

N ラ イ ラ トゥ 。ル ・カ ドゥル (力の夜).… … … …… … …… …… …… 。
98
・ライ ラ トゥ ・ル ・カ ドルの ドゥアー .………………………………………99

0 イ イテ ィカー フ…… 。
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P サ ダカ トゥ 。ル ・フ ィ トル (ザカー トゥ ・ル ・フィ トゥル).… 101

Q ラ イラ トゥ ・ル ・ジャーイザ .……… … … … … … … ……… ""… …“101

R イ ー ドゥ ・ル ・フ ィ トゥル .……………………………………………………102

S シ ャウワール 月 の任意 のサ ウム .…… … … … … …… … … … … :・


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5 ハ ッジ.…¨。
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……・
A ハ ッジの意義 。
………………………1・
… …………………………0104

B 審 判の 日:.…
….…………………………………………………"104

C ハ ッジの歴史的背景。
.…………………1.…
…∴…■¨………………105
D 聖 地マ ッカ (メッカ)と カアパ.“
∴………………………:.……¨107
E ハ ッジ とウムラ.¨
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…………0107
F ハ ッジヘ出発するとき.…………:.…
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………………108

G イ フラーム .……..・
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H タ ル ビヤ。 ……・
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: ウ ムラ.…...・

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……111

J ハ ッジ."…………・
……0………………・
………………………………112
K マ ディーナの訪問.………………………………二,二。
………………114
は じめに

イス ラー ム とは

『本当にアッラーの御許の教えはイスラーム (主の意思に服従し。帰依するこ
と)で ある.¨ ・
』イムラーン家章 (第3章)19節

イ ス ラー ム とはアラ ビア語で平和 、従順 、服従な どの意味 を持 ちますが 、す

ア ッラー のみへ の帰依Jを 表 し、全人類 のためにア ッラー か らもた


般的には 「

らされた教 えを指 します。それは最初 の預言者 アー ダム (彼の上に祝福 と平安

あれ)か ら最後 の預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝 福 と平安あれ )ま で の 、全て


の預言者 を通 して もた らされた教 えです。 かれ らの呼びかけは どれ も唯 一神 ア

ッラーヘ の帰依 と服 従で した.そ してア ッラー は、預言者たちの封印 としてム


ハ ンマ ド (彼の上に祝福
1平 安あれ)を 選ばれ、彼に啓示 を下 し、終末の 日ま
で有効 な全人類 の ためめ教 えイ ス ラー ム を完成 されたのです。

『・¨今 日われは あなたがたのために、あなたがたの宗教 を完成 し、また あなた

がたに対す るわれの思恵 を全 うし、あなたがたのための教 えとして、イスラー

ム を選んだのである。 …・
』食卓章 (第5章 )3節

一方、 ムス リム とは
自分 を全宇宙 の創造者 ア ッラー の法にゆだね 、ア ッラー
だけに帰依 し、服従す る人 とい う意味です。

イ ス ラー ムは信仰 と日常生活 を切 り離 して考えることは しません。 イ ス ラー


ムは 、支配者であ り立法者であるア ッラー に帰依服従す る人間の 、
個人 として、
また社会の一員 としての行動規範 で もあ ります。それは国家や民族、人種や肌

の色、職業や貧富の差 、性差な どに関係 な く、終末の 日まで通用す る指針です。

イ ス ラー ムは生 き方であると言えます。
『宗教には強制があつてはならない。まさに正 しい道は迷誤から明らかに (分
別)さ れている。それで邪神を退けてアッラー を信仰する者は、決 して壊れる
ことのない、堅固な取 つ手を握 つた者である。アッラーは全聴に して全知であ

』雌牛章 (第2章 )256節


られる。

こめよ うに、ア ッラーは信仰 の強制を禁 じておられます。ですから誰 でも信

仰を強制 されることはありません し、強制することも出来ません。 自らの意志


でこれを真理であると認 める人は誰でもムス リムになれます。
ムス リムになるためには、次のカ リマ ・シャハーダ、つま り信仰告白文によ

つてシャハー ダ (証言)を します。

アシュハ ドゥ ア ンラー イ ラーハ イ ッラッラー

私はア ッラー以外 に崇拝の対象がないことを証言 します。


ワ ア シュハ ドウ ア ンナ ム ハ ンマダン ラ スァル ッラー

そ して私はムハ ンマ ドがアッラーの使徒であることを証言 します:

シャハー ダはイスラァムの五つの柱の うちの一つ 目です。五つの柱 とは、ム


ス リムがア ッラーによつて定められた条件 と方法で行な うことが義務 とされて
い るもので、以下の通 りです。

シャハーダ (証言)

サラー ト (礼拝)
ザカー ト (喜捨)
ハ ッジ (巡礼)

サウム (斎戒/断 食)
また、五つの柱 と並んでイー マー ンの柱 とされ るものがあ ります。イー マー
ンの柱 とは、ア ッラー によって与 えられた知識 に基づ き、 ムス リムが確信 をも

つて信 じることが義務 とされている もので(以 下の通 りです。

ア ッラー (唯一神)
マ ラーイカ (諸天使)

ク トゥプ (諸啓典)

ルスル (使徒たち)

アルヤ ウム ・ル 0ア ー ヒル (終末 の 日)

カダル (定命)
第 1部 ア キー ダ (信仰箇条)

イーマー ンとは

ッラーの使徒はこう言われました。
アプー ・フライラ1によると、ア・
イーマーンは70以上もしくは60以上の種類があります。その最善なるもの

はアッラーの他にイラー (崇拝の対象)は ないと証言するここであり、最も小

さなイーマーンとは道路から邪魔になるものを片付ける行為です。謙譲もイ

」(プハー リー、ムスリムの伝えるハディ 不)
マーンの1つです。
またある 日、天使 ジプ リールが男性 の格好を して預言者 (彼の上に祝福 と平
ー ー ー マ
安 あれ)の 前に現れ 、イ ス ラ ムやイ マ ンな どについて尋ねま した。 ウ
ノ によると、イーマー ンについて尋ね られた預言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)

は次 のよ うに答 えま した。

ア ッラー 、そ の天使たち、諸啓典、使徒たち、終末 の 日について信 じ、善悪




に対す るカダル を信 じることです。」 (ムス リムの伝 えるハデ イ ス)

ー ー ヤ (節)に よつて裏付 け
これ ら二つのハデ ィー スは、次 のクルア ンのア

られ ます。

『正 しく仕 えるとい うことは、あなたがたの顔 を東または西に向ける ことでは



な い。つ ま り正 しく仕 えるとは、 ア ツラ と最後 の (審判 の)日 、天使たち、
・・・』雌牛章 (第 2章 )177節
諸啓典 と預言者たちを信 じ

『 信者たちもまた同じである。(かれらは)
使徒は主から下されたものを信じる、
皆、アッラーと天使たち、諸啓典と使徒たちを信じる。私たちは、使徒たちの

l預
言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)の 教友 の名
2預
言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)の 教友 で 2代 ロカ リフ
8

誰にも差別をつけない (と言う)。
』雌牛章 (第2章 )285節

一方、カダルに関 しては次の ように言われていま


す。
本当にわれは凡ての事物を、きちんと計つて (カダルに合わせて)創 造 した。
『 』
月章 (第54章 )49節

1、 ア ッラー (唯一神)

『000そ れで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのな
い、堅固な取 つ手 を握 つた者である。000』 雌牛章 (第2章 )256節

『ア ッラー以外 に崇拝 の対象はない』 との真理 を十分知 って死 を迎 える者は、


天国に入 る。」 (ムス リムの伝 えるハデ ィー ス)

ア シラー とはアラ ビア語で 「


唯 一神」 を意味 します。 ですか ら 「
ア ッラー の

神Jと い う言 い方は間違 いです。 ア ッラー とは人 間を含む この世 の あ らゆるも


のの創造者 であ り、あ らゆる力 の源泉であ り、世界 の生 きとし生けるもの全て

を養 ってい る養護者です。人間が生まれてきた ことも、考えた り話 した り食 ベ

た りして生 きてい ることも、すべ て慈悲深 い支配者 ア ッラー の力によるもので

す。大 自然が美 しい ことも、この世界が一 定の法則 によって動 いてい ることも、

すべ てア ッラー がこの世界をデザイ ン し秩序付 けて い るか らなのです。

ア ッラー は唯 一の御方 です。 この世界が一貫 した秩序に基づいて動いている

のは 、 この世界をデザイ ン し創造 した存在 が唯 一 だか らです。 ただひ とつ であ

る、 とい うことは、単 に一 であるとい うことだけでは な く、全能であ り、至高

の存在 であるとい うことです。 ア ッラー に並び立つ ものや 、同 じ程度 の力 を持

つ ものは あ りません。
また秩序正 しく動 いてい る世界を司るア ッラー には、欠点や弱点はあ りませ

ん。体養、食 事、睡眠 な ども一切必要 と しません。

ラー は決 して死な
そ してア ッラー には生み の親や妻や子供 は い ませ ん。 ア ッー

ないの で、子孫 を残す必要はあ りません。 ア ッラ は時間 も空間 も超越 してお

り、ア ツラ に似た もの はあ りませ ん。
アッラーは 目に見えないことも、人間の心に隠 していることも全てご存 じで

す。そ こで人間は祈るとき、直接ア ッラーに呼びかければよいのであって、聖


職者や聖者や偶像を仲介する必要はあ りません。

『アッラー 、かれの外に神はな く、永生に自存される御方ふ仮眠も熟睡も、か


れをとらえることは出来ない。天にあり地にある凡てのものは、かれの所有で
ある。かれの許 しな くして、誰がかれの御許で執 り成す ことが出来ようか。か
れは (人びとの)以 前の ことも以後のことをも知 つておられる。かれの御意に
適 つたことの外、かれ らはかれの御知識 に就いて、何も会得するところはない
のである。かれの玉座は、凡ての天と地を覆つて広が り、この 2つ を守 つて疲
』雌牛章 (第2章 )255
れも覚えられない。かれは至高にして至大であられる。

ア ッラーの被造物である私たち人間が、私たちの創造主であ り養護者 である


ア ッラーに感謝 しなかつた り、ア ッラー をさしおいて他の何の力もない ものに
アッラー
祈 つた りすることは、ア ッラーに対 して非常に恩知 らずな ことです。「
の ほかに崇拝の対象はない」 とは、架空の偽の神や偶像をすべて否定 して、た

だ真実の神 ア ッラーのみを信 じ、アッラーのみに従 うとい う意味なのです。

・アッラーの存在を信 じる

ムス リムは全宇宙を創造 したアッラーの存在を信 じます。天 と地 とそこにあ

10
る全てのものはアッラーの創造物であり、アッラこの支配下にあります。森羅
万象はア ッラーが存在することの証です。
本当に天と地の創造、昼夜の交替、人を益するものを違んで海原をゆく船の

中に、またアッラーが天か ら降らせて死んだ大地を甦らせ:生 きとし生けるも
のを地上に広く散らばせる雨の中に、また風向きの変換、果では天地の間にあ
つて奉仕する雲の中に、理解ある者への (アッラーの)印 がある。
』雌牛章 (第
2章 )164節

また、私たちの ドゥアー (祈り)が 聞き届けられるのも、アッラーが存在す


ることの証の1つです。
われのしもべたちが、われに就いてあなたに問う時、(言え)われは本当に (し

もべたちの)近 くにいる。かれがわれに祈る時はその嘆願の祈りに答える。
』雌
牛章 (第2章 )186節

・ア ッラーが唯一のラップ (主)で あることを信 じる

ラップとは創造者であり、所有者であり、支配者であることを意味 します。
つまリアッラー以外に創造者も所有者もおらず、ア ッラー以外からの命令はな
いと言 うことです。

『(かれは)天 と地、またその間にある几ての有の主であられる。だからかれに
仕え、かれへの奉仕のために耐え忍びなさい。あなたはかれと肩を並べ呼ぶも
のを (外に)知 っているのか。
」』マルヤム章 (第19章)65節

本当にあなたがたのラップ (主)は ァッラーであられる。かれは 6日 で天と



地を創 り、それから玉座に座 しておられる.か れは昼の上に夜を覆わせ、夜に
昼を慌ただしく相継がしめなされ、また太陽、月、群星を命に服させられる.
ああ、かれ こそは創造し続御される御方ではないか:万 有の主アッラーに祝福
あれ.』高壁章 (第 7章 )54節

『かれは夜を昼に没入させ、また昼を夜に没入させ、(昼夜の交替)、太陽 と月
を従えられ、それぞれ周期をもつて定め られた期間 (復活の日)ま で (その軌

道を)運 行さ じめる。このよ うなことが (出来るのは)あ なたがたの主、アッ

ラーであられ、大権はかれに属する。
』創造者章 (第35章 )13節

・ア ッラーが唯一のイラー (崇拝対象)で あることを信 じる

アッラー以外に崇拝の対象はなく、ア ッラーには協力者 も同位 に並ぶもの も


ー ー
ないことを信 じます。そ して、イバ ダ (信仰行為)は ただアッラ だけに向
けられるものであ り、いかなる形であつて も被造物に向けられるべ きではあ り

ません。預言者たちや信仰深い人、マ ラ イカ (天使)や ジン、自然な ども、

これ らは全てアッラーの被造物であり、アッラ の許 しなくしては何の力も持

っていないのです。 ですから、糧や健康、助けな どを求める対象はア ッラ だ

けであり、恐れや期待を抱 く対象も、依存す る対象も、犠牲を払 う対象 もアッ


ラーだけなのです。

『あなた方の神は唯―の神 (アッラ )で ある。かれの他に神はな く、慈悲あ
』雌牛章 (第2章 )163節
まね く慈愛深き御方である。

『(祈つて)言 つてやるがいい。「
わた しの礼拝と奉仕、わたしの生と死は、万

有の主、アッラーのためである。
J家 畜章 (第6章 )162節

・アッラーの美名 と属性 を信 じる
ー ー
クルアー ンと真正なハディースの中で、ア ッラ 御自身 とア ッラ の使徒 (彼

の上に祝福 と平安あれ)に よつて語 られたアッラ の美名 と属性を信 じます。

アッラー、かれの外に神はないのである。最も美 しい御名はかれに属する.』

12
ター ・ハー章 (第20章 )8節

『かれこそはもアッラーであられる.か れの外に神はないのである。かれはガ
イブ (幽玄界)と シヤハーダ (現象界)を 知っておられ、慈悲あまね く慈愛深
き御方であられる.か れ こそは、アッラーであられる。かれの外に神はないの
である。至高の三者、神聖に して平安の源であり、信仰を管理 しゃ安全 を守護

なされ、偉力ならびなく全能で、限 りなく尊い方であられる.ア ッラーに讚え

あれ。(かれは)人 が配するものの上に (高くおられる)。かれ こそは、アッラ


ーであられる.造 物の主、造化の主、形態を授ける (主であり)、最も美 しい御

名はかれの有である。天地の凡てのものは、かれを讚える。本当にかれは偉力
ならびなく英明であられる.』集合章 (第59章 )22-24節

2、 マ ラ ー イ カ (諸天 使 )

主を長れる者たちとは、ガイプ (幽玄界)を 信 じ ・・・』雌牛章 (第2章 )3



ア ッラーの様 々な創造物には、ガイプ (幽玄界)の もの とシャハー ダ (現象

界)の ものがあ ります。シャハー ダの世界は私たちの五感 によつて知ることが


で きますが、ガイプの世界についてはアッラーが使徒を通 して下された情報 し
か人間は知ることはできません。 これ らについて、人間は多くのことを知 らさ

れてはいません。

ガイプの被造物のひ とつが天使であり、ムス リムはその存在を信 じます。天

使は常にア ッラーを讃美 し、アッラーの命令によつて様 々な任務についていま


す。天使はア ッラーの命令に忠実であ り、間違えた り怠けた りすることはなく、
ア ッラーに背 くこともあ りません。

13
『・
…いや、(かれ ら天使は)栄 誉ある しもべである。かれ ら1ま、かれ (アッラ
ー)よ り先に告げることもな く、またかれの命令に基づいて行動するだけであ

』預言者章 (第21章 )26-27節


る。 ) .

天と地の凡てのものは、かれの有である。またその側近にいる者 (天使)は 、

疲れも知 らない.かれ らは毎日毎晩にかれを讃え、
かれに仕えて高慢でもなく、

』預言者章 (第21章 )19-20節


休む ことを知 らない。

天使 の任務 にはさまざまなものがあります。 ジプ リール (ガプ リエル)は ア

ッラーからの啓示を運ぶ任務 についてお り、ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安


あれ)に 啓示を伝えたのもジプ リールで した。 ミーカーイ∵ル (ミカエル)は

自然 と人間の糧を司る任務 に、イズラーイール (アズラエル)は すべての被造


物の魂を抜 く任務 についています。イスラー フィール (イスラフィル)は 審判
の 日の到来を知 らせるラッパ を吹く任務 についています。

また、全ての人間には 2人 の天使がついてお りt人 間の所業を全て記録 して


います。

見よ、右側にまた左側に坐つて、2人 の (守護の天使の)監 視者が監視する。



かれがまだ一言も言わないのに、かれの傍の看守は (記録の)準 備を整えてい

』カー フ章 (第50章 )17-18節


る。

その他にも多くの天使が、アッラーに命 じられたそれぞれの任務 についてい

ます。

3、 ク トゥブ (諸啓 典 )

ア ッラーは人間を正 しい道に導 くために、それぞれの時代 と人々の必要に応

14
じて多くの使徒を遣わ し、啓典を下されました。 しか し時の経過 とともにそれ

らは人々によつて改ざんされ、失われていきま した。そ こでこれ らの完成版 と


して、終木の 日まで全ての人間に有効なクルアー ンを、アッラーはムハ ンマ ド

(彼の上に祝福 と平安あれ)を 通 して人類に授けま したLム ス リムはクルアー


ンとそれ以前の諸啓典を信 じま九 しか し現在ある旧約 ・
新約聖書は人間の手が
加えられてお り、そのオ リジナル性が保たれているとは認めません。 クルアー
ン以前の啓典の うち、私たちに知 らされているものには次の ようなものがあり
ます。

0 タ ウラー ト

タウラー トはヘプライ語で律法 と言 う意味です。 ア ッラーは預言者 ムーサー

(彼の上に祝福 と平安あれ)を 通 してタウラー トを下されました。 タウラー ト


の主な内容はイスラエルの民に対する十戒で した。

・ザプール

ザプーノ ー ー ー
ンはアッラ からダ ウ ドを通 して授けられた詩篇です。ダー ウー
ドはムーサーの授かつた律法を引き継 ぐように命 じられていたので、ザブール
には法に関することは含まれていません。

・イ ンジール

イ ンジール はイーサーを通 して授けられたア ッラァの啓示であり、当時すで


に改ざんされていたムーサーの教えを正すためにイスラエルの民に下されま し
た。イ ンジール とは福音書とい う意味です。インジールの主題は汚れた心身を

清めることで した。
その他、イプラー ヒームやムーサーに授けられた ものもあります。

15

これ ら諸啓典の完成版 として下されたクルア ンには、諸啓典の教 えの中で

現在も有効な部分はすべて含まれています。ですからムネリムは現在あぅ聖書
を学ぶ必要 はあ りませ ん。

・クル アー ン
ー ー ハ マ
西暦 610年 の ラマ ダ∵ ン月、ア ッラ は天使 ジプ リ ル を通 して ム ン ド

(彼の上に祝福 と平安あれ)に 最初 の啓示 を下 されま した。それは次 よ うな

御言葉 で した。

読め、「
『 創造なされる御方、あなたの主の御名において。 凝血か ら、人間を
あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によつて (書くこ
創 られた:J読 め、「
J』凝血
とを)教 えられた御方。人間に未知なることを教 えられた御方である。

章 (第 96章 )1-5節

以 降、預言者ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)が 亡 くなる西暦 632年



まで、23年 の歳月をかiすてクルアー ンは少 しずつ下されま した。 クルア ンは
す の
人類 に対する導きと正邪の識別の明証であ り、また以前の啓典を確証 るも

です。それはアラビア語で啓示 されたア ッラ の御言葉であり、人間の作った
'I二 れ)に
書物ではあ りません。文盲であつたムハ ンマ ド (彼の_Lに祝福と 安tわ
ー ・

もた らされた クルア ンは、当時のアラプの文学者たちを驚かせる宅 きで美
しい文章で した。

『ラマダー ンの月こそは、人類の導きとして、また導きと (正邪の)識 別の明


…・
証 としてクルアー ンが下された月である。 』11[′
11章 t窮 2欄 185節

われは真理によつて、あなたがたに啓典を下 した。それは以前にある啓典を

…・
確証 し、守るためである。 』食卓章 (第 5鵜 48館i

16
そ して最後 の啓典であるクル アー ンは、終末の 日まで、ア ッラニ御 自身 によ

つて改 ざんや紛失か ら守 られています。

』アル。
本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。

ヒジュル章 (第15章)9節

4、 ル ス ル (使徒 た ち)

アラビア語でラスール (複数形はルスル)と は遣わされた者 、使者 とい う意

味であ り、一方ナ ビー とは情報をもたらす者 とい う意味があります。 ここでは

前者を使徒、後者を預言者 と訳 します。
イ スラームにおいては、 この二つの語は 「
神の啓示によつて与えられたメ ッ
セー ジを人 々に (預言者 ムハ ンマ ドの場合は全人類に)伝 える人」 とい う意味

を持ちます。従 つて、イスラームで使われている 「
預言者Jと い う言葉には 「

言する」 「
未来の出来事を予知する」 といつた意味は含まれていません。また、
彼 らはアッラーによって選ばれた者たちであ り、自ら望んで預言者になったわ
けでも、修業によつて預言者 になれたわけで もあ りません。
ア ッラーはこの世界 と人間を創造 したまま、放 つてお くようなことは しませ

んで した。 ア ッラーは人間を導 くために、それぞれの時代のそれぞれ の民族 と

地域で人々の間から預言者を選び、唯一の創造主に帰依する正 しい生 き方を教


えました。 ムス リムは、アッラーにようて多くの預言者 と使徒が遣わされたこ
とを信 じます。
本当にわれは、各々の民に一人の使徒を遣わ して 「
『 アッラーに仕え、邪神を
Jと (命じた)。…・
避けなさい。 』蜜蜂章 (第 16章 )36節
私たちはアッラー を信 じ、私たちに下されたものを信 じ、またイプラ
言え、「

ー ヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤアコー プおよび諸支族に下された

ものを信 じ、またムーサー とイーサー と (その他の)預 言者たちに主から授か

17
ったものを信 じます.私 たちはかれ ら (預言者たち)の 間に、どんな差別もし

ません.私 たちはただ、かれ (アッラー)に 服従、帰依 します。


」』雌牛章 (第
21D■ 36節


そ して、これ ら預言者たちの封絨 として遣わされたのがムハ ンマ ド (彼の上
に祝福 と平安あれ)で す。ですから、預言者ムバ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安
あれ)以 降は預言者 も使徒も現れません。
ムハンマ ドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。 しか し、アッラーの

使徒であり、また預言者たちの封減である。…・
』部族連合章 (第33章 )40節

このよ うに多くの人間がアッラーによつて預言者 または使徒 として選ばれて

お り、その うちの何人かはアッラーによつてその名が明らかにされています。
ムス リムにとつて預言者または使徒であつたと信 じる義務 のある人物は、ア ッ

ラーによつて明らかにされた人物だけです。それ以外の預言者や使徒に関 して
は、その名前や時代な どを知ることは出来ません:

5 、 ア ル ヤ ウム ・ル ・ア ー ヒル ( 終末 の 日/ 審 判 の 日)

ムス リムは終末の 日の到来 とそれに続 くア ッラーの審判があることを信 じま

す。人間は誰でも必ず死を迎え、審判の 日まで墓の中に留ま ります。そ して天


使によつて終末の 日の到来を告げる最初のラッパが吹かれ ると、すべての人間
は死に絶えます。そ して 2度 日のラッパが吹かれると、すべての人間はアッラ
ーにようて再び魂をその身体に吹き込まれ、復活 します。

その後、ア ッラーによつて人間は現世での行ないを清算されます。誰でもア

ッラーを唯一であるとし、アッラー とその使徒に従 つた者は易 しい清算を受け


ますが、多神崇拝者や不義を行なつた者は厳 しい清算を受けます。善行 と悪行

18
が秤 にかけられ、それに応 じて楽園の民は楽園へ、業火 の民は業火へ と入れ ら

れます。
ア ッラーは終末の 日について次のよ うに語 つてお られます。

かれ らは、アッラー を正 しい仕方では尊崇 しない。審判の 日においては、か



れは大地の几てを一握 りにし、その右手に諸天を巻かれよう。かれに讃えあれ。
かれは、かれ らが配するもののはるか上に高 くおられる。ラッパが吹かれると、

天にあるものまた地にあるものも、アッラーが御望みになられる者の外は気絶

しようも次にラッパが吹かれると、見よ、かれ らは起 き上って見まわす。その

時大地は主の御光で輝き、(行ないの)記 録が置かれ、預言者たちと証人たちが
進み出て、公正な判決がかれ らの間に宣告され、(少しも)不 当な扱 いはされな
い。人びとは,そ の行 つたことに対 して、十分に報 いられよう。かれは、かれ

らの行つた凡てを最もよ く知つて おられる。


不信者は集団をな して地獄に駆 られ、かれ らがそ こに到着すると、地獄の諸門
は開かれる.そ して門番が言 う.「あなたがたの間から出た使徒は来なかつたの
ですか。(そして)主 か らの印をあなたがたのために読誦 し、またあなたがたの

Jか れ らは (答えて)言 う。「
この会見の日のことを警告 しなかつたのですか。 そ

の通 りです.そ して不信者に対する懲罰の言葉が、真に証明されました。
J(か

れ らは)「あなたがたは地獄の間を入れ。その中に永遠に住みなさい。
」と言わ

れよう。何と哀れなことよ、高慢な者の住まいとは。
またかれらの主を長れた者は、集団をなして楽園に駆られる。かれらがそこに
到着した時、楽園の諸門は開かれる。そしてその門番は、「
あなたがたに平安あ
れ、あなたがたは立派であつた。ここにお入りなさい。永遠の住まいです。
」と
アッラーに讃えあれ。かれは私たちへの約
言 う。かれ らは (感謝 して)言 う。「

束を果た し、私たちに大地を継がせ、この楽園の中では好きな処に住まわせて
J何 と結構な ことよ、(善)行 に勤 しんだ者への報奨は。
下さいます。
あなたは見るであろう、天使たちが八方から玉座を目んで、主を讃えて唱念す

19
万有の主、アッラニにこそ几ての称讚あ
るのを.人 びとの間は公正に裁かれ、「
Jと (言う言葉が)唱 えられる.』集団章 (第39章 )67-75節
れ。

『あなたがたは,ア ッラーに帰される日のために (かれを)長 れなさい.そ の


各人が稼いだ分に対し清算され、
時、 誰も不当に扱われることはないであろう.』
雌牛章 (第2章 )281節

『それで秤が (善行のため)重 い者たちは、至上の幸福をえる.ま た秤が軽い


者たちは、魂を失い、地獄に永遠に住む。
』信者たち章 (第 23章 )102-103

『またあなたは、自分の知識のないことに従 つてはならない。本当に聴覚、視

』夜の旅
覚、また心の働きの几てが (審判の日において)尋 問されるであろう。
章 (第 17章 )36節

6、 カダル (定命)

ムス リムはカダル を信 じます。 つ ま り、私たちに とつて善 い ことも悪 い こと

も、すべ てア ッラー によつて定め られた もので あるとい うことを信 じます。 ア

ッラー こそ望まれた ことを実行す る者であ り、ア ッラー が望まれた こと以外は

何ひ とつ起 こ り得ません。 なに もの もア ッラー の御意志 か ら逃れ る ことはで き

ず、 この宇宙 の 中で何ひ とつ としてア ッラー の定命か ら逃れ られ るもの はあ り

ません。 また、ア ッラー の定め られた法則によらずに何ひ とつ として動かす こ

とは出来ません。 ア ッラー こそ しもべ の 従順な行為 と不義 の行為を創 られた御

方であ り、誰 一人 としてア ッラー によつて定め られた事柄 を避 けることは出来

ず、また誰 一人 として天啓 の書に書 かれた事柄 か ら逃れ ることは出来ませ ん。

20
ア ッラー は望まれた者に慈悲によつて導 きを授 け、また望まれた者 に英知 によ

つて迷 い を授 けます.

私たちは 自らの意志で 日々あ らゆることを選択 し行動 している と自党 して い

ます。それ らに関 して何 ものか らも強制 されて い ると感 じることはあ りません。

また、私た ちは 自らの意志 で行 な つていることと、震 えや心臓 の動 きの よ うに

自らの意志 とは関係 な く動 いてい ることを区別 しています。 しか し私たちの意

志 も能力 も、実は ア ッラーの御意志 と権限の許 にあるに過 ぎませ ん。 なぜ な ら

この宇宙はア ッラニ の所有であ り、何ひ とつ としてア ッラーの知識 と意志 の外

にあるもの はないか らです。

『だがアッラーが御望みにならなければ、あなたがたは欲 しないであろう。¨・

人間章 (第76章 )30節

しか し、一方でアッラーはかれのしもべに命令事項 と禁止事項を教え、自分
の行為を自分で選択するようにされま した。 ア ッラーはクルアー ンでこう語 つ
てお られます。

『・
…だから誰でも望む者は、主の御許に戻るがいい。
』消屋、
章 (第 78章 )39

つま り、主の御許に戻ることを望むか望まないかは人間に任されているので

す。また、人間の能力に関 しては次のよ うに語 られています。


アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない。(人び とは)自 分

の稼 いだもので (自分を)益 し、その稼いだもので (自分を)損 なう。
』雌牛章

(第 2章 )286節

そ して 、審判 の 日には私たちは皆、 自分の行為について責任を問 われます.



『もしアッラーが御好みならば、かれはあなたがたを つのウンマになされた

21
であろう。だがかれは、御望みの者を迷 うに任せ、また御望みの者を導かれる。

あなたがたは、行 つたことに就 いて、必ず問われるであろう。


』蜜蜂章 (第 16
章)93節

ですから、私たちは努力を止めた リアッラーに対する不服従や悪行を 「自分

はこのよ うに定められていたのだ」 と言 つてカダルのせいにすることは出来ま


せん。預言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)は 言 つています。

あなた方の うち楽園の住人であるか火獄の住人であるか、その住処 となる場

所が書き留められていない者はない。」そ こで民の中の一人の男がこ う尋ねまし


ア ッラーの使徒よ、それなら私たちはカダルに身を任せればいいのではな
た。「
いです力、」彼は答えました。 「
そんなことはあ りません。誰でも定められたよ
うにすることが易 しいよ うに創 られているのですから。」 (プハー リーの伝える
ハディース)

このよ うに、ア ッラーの使徒 (彼の上に祝福 と平安あれ)は カダルを理由に

努力を止めることを禁 じています。また、カダルは私たち人間には隠 されたも


のであり、それ らは実際に起こつてからでしか私たちは知ることが出来ません。
一方私たちの意志はそれ らが起こる前にあ ります。つま り私たち人間にとつて

は、カダルの知識に基づいて行動を意図することは不可能なのです。誰でも自

分の知 らないことを理由にすることはできませんから、カダルを理由に不義を
行な うことはまつた く受け入れ られないことなのです.
ですから私たち人間は、ア ッラーのカダル を信 じると同時に、正 しく生きる

ための努力を怠 つてはならないのです。

22
第 2部 イ バ‐ ダ (信仰行為)

1 シ ャハーダ
:::::3::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::3::38:::888::38::38:::38:8:8:::

シャハーダ (証言)と はイスラームの核であり、次の 2つ のカ リマによる信

仰の証言です。

アシュハ ドゥ ア ンラー イ ラーハ イ ッラッラー


ワ ア シュハ ドゥ ア ンナ ム ハ ンマダン ラ スール ッラー

(私はア ッラーのほかにイ ラー (崇拝の対象)は ない ことを証言 します。また、


私はムハ ンマ ドがア ッラーの使徒であることを証言 します。)

ムス リムはこのカ リマの意味す ることに確信をもつことが大切です。しか し、

これをただむやみに信 じ込もうとした り、理性だけで理解 しようとするのは正


しくありません。盲信 と理性だけによる理解 は両極端にあ りますが、ムス リム
はその中道を行き、正 しい知識に基づいた信仰を持つことが求められます。で

すから、クルアー ン とハディース (預言者 ムハ ンマ ドの言行の伝承)を 学び、


正 しい方法でサラー トやサウムなどのイバーダ (信仰行為)を 実践することに
よって、 このカ リマの真意を深 く理解 してい くことがとて も大切なのです。
アッラーは信仰の強制を禁 じています。ですからシャハー ダはいかなる圧力
からも自由な状態で、自らの意志で行なわれなければな りません。

『宗教には強制があつてはならない。正に正 しい道は迷誤から明らかに (分別)



されている.そ れで邪神を退 けてアツラ を信仰する者は、決 して壊れること
のない、堅固な取 つ手を握 つた者である。・0・』雌牛章 (第2章 )256節

23
そして、次のアーヤにあるように、シャハーダは人生の終わる時までそれを
堅持しつづけることで、火獄の懲罰からの救い となります。
『あなたがた信仰する者よ、十分な長敬の念でアッラーを長れなさい。あなた
がたはムスリムにならずに死んではならない。あなたがたはアッラーの絆に皆
でしつかりとすがり、分裂してはならない。そしてあなたがたに対するアッラ
ーの思恵を心に銘じなさい。初めあなたがたが (互いた)敵 であつた時かれは

あなたがたの心を (愛情で)結 び付け、その御恵みによりあなたがたは兄弟と


なつたのである。あなたがたが火獄の穴の辺りにいたのを、かれがそこから救
い出されたのである.こ のようにアッラーは、あなたがたのために印を明示さ
』イムラーン家章 (第 3
れる。きつとあなたがたは正しく導かれるであろう。
章)102-103節

A 『 ラー イ ラーハ イッラッラー』の真意


『ラー イ ラーハ イ ッラッラー』、このカ リマ はイ ス ラ ムの核 です。この

カ リマ をよ り深 く理解す るために、 これ を単語 ごとに見てい きます。

ラー」は否定であ り、それに続 く言葉 を否定 します。次 の 「


まず、初めの 「 イ

ラー」 によつて否定 されて い る言葉で、 これは 「


ラーハ 」 は前 の 「 崇拝 され る

もの」 と言 う意味 があ り、次 の よ うな意味 を含んでいます。

1、 心か ら愛 され るもの

2、 怖れ られ るもの

3、 助 けを請 い求め られ るもの ・

4、 そ の命令 と禁上に服従 され るもの

イラーハJと は愛 と怖れ と望みを持 つて崇拝 0服従 される対象であ


つま り 「

イラーはない」つま りこの地上にあるあらゆる
ラー イ ラ∵ハ」 とは、 「
り、 「

24
崇拝を完全に否定 しているのです。
イ ッラーJと い う言葉ですが、 これは 「
そ して次の 「 …以外にJと い う意味

であ り、次に来る 「ッラー (アッラー)」を除外 します。つま りここでは 「アッ


ラー以外に」 とい う意味であ り、この地上で崇拝 ・服従されるべ き対象は 「

ッラーだけ」であることを強調 しています。
ラー イ ラーハ イ ンラッラー」 とは1ま ずあらゆる 「
ですから 「 イラー」
を完全否定 し、そ して至高偉大なるア ッラーだけが真実の 「
イテー」であると
い うことを述べたカ リマなのです。そ してア ッラー以外に対する崇拝や心の傾

倒は、それがどんな形であれシルク (多神崇拝)と みなされます.


多くの人々が意識的か無意識的かを問わず、 このシルク (多神崇拝)に 陥つ
ています。例えばエゴイズム とい う自分 自身に対する崇拝は、自分の定めた規

イラー」 とした
則以外に従 うことを拒否 します。 このよ うな人は 「自我」を 「
人 と言えます。至高偉大なるア ッラーは語つてお られます。
『あなたは自分の思惑を神として (思い込む)者 を見たのか。あなたはかれ ら
の守護者になるつもりなのか。
』識別章 (第25章)43節

一方、ほか の人間 の 自我 も 「
イ ラー」 にな り得ます。例 えば フ ィルア ウンは

イ ラー Jで あるとした権力者で した。彼は全 ての人 々が 自分に服


自分 自身 を 「

従す ることを望み、人 々にその欲望を強制 しま した.ク ルアー ンにこ うあ りま

す。

『フ ィルアウ ンは言 つた。「


長老たちょ。わた し以外に、あなたがたに神がある

筈がな い。そ してハー マー ンよ、泥 (を焼 いた煉瓦)で わた しのために高殿 を

築 け.そ してムーサ ー の神 の許 に登 つて行 こ う。わた しには、どうもかれは虚

言 の徒 で あると思われ る。
」』物語章 (第 28章 )38節

フィルア ウンのような権力者はいつの時代にもどこにでもいるものです。そ

25
してそのよ うな権力者や指導者を、ア ッラー以外のイラー として服従 している

人々もたくさんいます。人間が他の人間の しもべ となることはいつの時代にも


一 ー
見 られ る問題です.で すから預言者たちはみな、唯 神アツラ だけに従 うこ
イラー」 とするあらゆる形のシルクを排除す
とを説き、特定の人間や集団を 「
ることに力を注いだのです。
また、人間 の 自我や欲望 のほかに、それ 自体は益 も害 も及 ぼす ことので きな

イ ラー」 とされて います。彼 らはある特定の物質には


い物質 も人 々 によつて 「

特別な力が宿つていた り奇跡を起 こした りできると信 じてお り、特定の 日時に



厳 かな儀式 を行なつた りしています:彼 らはそれで偽 りのイラ から加護 と救
いが与えられると考 えているのです。ア シラニはこう語 つてお られます。

かれ らは、アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それ ら (邪

神たち)は 、かれ らを助ける力はなく、む しろかれ らの方が邪神を守るため軍
備を整 えている始末。』ヤー ・スイー ン章 (第36章 )74-75節

アッラーの他 にイラーはない」と証言 したムス リムは、これ ら偽 りのイラ



ーから完全に自由であり、至高至大なるアッラーだけに帰依服従するのです。

B 『 ムハ ンマ ド ラ スール ッラー』の真意

ムス リムが証言する二つ 目のカ リマは『ムハ ンマ ド ラ スール ッラー』です。


アッラーの使徒である事を信 じる
これはムハンマ ド (彼に祝福 と平安あれ)力 `

とい う証言であると同時に、ア ッラーの使徒 (彼の上に祝福と平安あれ)の 神


性を否定 しています。
アッラーの存在を証言す ることは、当時のクライシュ族の人々にとつて も特

にめず らしいことではありませんで した。彼 らは先祖の教えであるア ダム と
イプラー ヒームの教 えからアッラァの存在を知ってお り、 日々の生活の中でも

26
ア ッラー とい う言葉は使われていま した。T方 、私たちの周 りにも創造主の存

在を認める人は多 くいます。 しか し彼 らは預言者の存在を信 じません。 このよ


うに、唯一神 の存在を認めることょりもその使徒たちの存在を認めることの方
が、いつの時代でも多くの人々にとって難 しい問題 となっているのです。

たとえア ッラーの存在を認めたとしても、ア ッラーによって遣わされた使徒


たちの存在 も同時に認めるのでなければ、アッラーを正 しく信仰 したことには

な りません。ア ッラーは私たちを導 くために預言者たちを遣わされたのですか


ら、預言者たちの指導なくしては、創造主に正 しく敬虔さを示すことは出来ま
せん。 また、明瞭な模範がなければ、迷 つた人生を正すことはできないで しょ

う。 ア ッラTは ア ッラーの唯一性を証言するすべての人のために、ムハ ンマ ド
(彼の上に祝福 と平安あれ)と い う人間をその模範 として遣わ されま した。そ
して、ア ッラーの使徒 (彼の上に祝福 と平安あれ)が サハーバ (教友たち)と

共に築いた社会は、完成 されたイスラーム社会のモデル となっています。 ア ッ

ラーは語つてお られます。
われが使徒を遣わ したのは、唯アッラーの御許 しの許に服従、帰依 させるた

めである。・・・』婦人章 (第4章 )64節

本当にアッラーの使徒は、アッラー と終末の日を熱望する者、アッラー を多

く唱念する者にとって、立派な模範であった。
』部族連合章 (第33章 )21節

使徒に従 う者は、まさにアッラーに従 う者である。・・・』婦人章 (第4章 )



80作市
ムハンマ ドはア ッラーの使徒である」 と証言 したムス リムは、彼によって

伝えられた啓示の真実性を認め、
全ての命令に服従 し、禁 じられたことを避け、
使徒の行なった方法によつてのみイバーダ (信仰行為)を 行ないます。
使徒 (彼の上に祝福 と平安あれ)に 対 してムス リムは、彼を愛 し、尊敬 し、

27
擁護 し、彼を愛す る者を愛 し、彼のスンナ (慣行)を 実践 し、彼のために多 く
の視福を祈 り、そ して彼のメッセー ジを守 り、伝えてい く義務があります。
これ らの使徒に対する義務を行 な うことによつて、ムス リムは正 しい導 を踏

み外す ことなく、ア ッラーの使徒が示 した方法で正 しくアッラ を崇拝する こ
とができるのです。

28
2 サ ラー ト
::888=18888888888:88:::=:8=:8888888888:38888:::=:888888::3888:

まえがき
イスラ=ム は全世界の創造者であ り唯一の神、アッラーのみを崇拝する宗教
です.そ して私たちの預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)が 、ア ッ

ラーのみ使 いであると信 じ、彼の伝えた教えに従 うことです。

イスラームには様 々なことに関する教えがあ ります.も ちろん一番大切なの


は信仰ですが、信仰は心の中や 口先だけではな く、実践することが大切です.

預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と幸安あれ)は 人類が幸福にな り天国へ入る


ための具体的な方法を示 してくれました。ですから、イスラームの教えやきま
りの中に、本変だつた り難 しいよ うに思えることがあった として も、それは長
い 日でみればすべて自分のためになることばか りなのです。

ア ッラーは非常に優 しい御方です。人間のできないことは命 じられません。


ですから、もし精一杯努力をして もできないようなことであれば、すべてアッ

ラーは許 してくださぃます。イスラームには 「
無理」 とか 「
強制」 とい うこと
はあ りません。無理 ではな く、自分にできるペースで、少 しずつ勉強 していっ
てください。
サラー トとい うのはイスラームの礼拝です。サラー トとは、私たちが毎 日食
べ るもの、着るもの、健康などすべて恵んでくださる偉大な養護者ア ッラーに

対する感謝を表 し、私たちムス リムがア ッラーヘの帰依 と服従を確認する行な


いです。ですからサラー トはすべてのムス リムの義務です。そこで毎 日食物を

食べ るように、毎 日サラー トをするのです。


イスラームを信仰 してからまず始めなければならないのはサラー トです。 ム
ス リムは、男も女も、若い人も年寄 りも、金持ちも貧乏人 も、忙 しい人 もひま

29
ー ムス リム
な人もみな、一 日五回のサラ トが義務 とされています。 もちろん、
になりたての人はす ぐには完壁にできないで しよう。それは仕方がありませ ん。
でも、少 しずつ努力 して、全てできるように頑張つて ください。

サラー トの言葉はアラビア語です。サラ トに使う言葉だけはどうしても覚
えてもらわなければなりません。最初はとつつきにくいでしょうが、これです
ラー トを覚えることによつて、ムスリムは世界中どこに行つても同じ言葉、同
一 ー
じスタイルで他の国のムスリム兄弟たちと 緒にサラ トができるのです。
ア ッラー がみな さんを助 けて くだ さいます よ うに。

30
まず 自宅で

A 各 サ ラニ トの呼び名 と時刻
一 日五回のサ ラー トの
名前は、次の通 りです。

1、 サ ラー トゥ ・ル ・フ ァジュル (暁)、ハ詢 :地 平線 にぼっと曙光 が さしてか

ら、太 陽 が頭 を出す前までの間に行ない ます。

2、 サ ラー トゥッ ・ズフル (正午過 ぎ)J澤 L太 陽 が南中 し、子午線 を完全 に

通過した後から、アスルの始まりの時間までの間に行ないます。
3、 サ ラー トゥ ・ル ・ア スル (午後遅 め)JL珀 :垂 直に立てた棒 の影 が 、正
午時 の影 の長 さプラス棒 の長 さにのび ■時刻か ら、日没までの間に行ないます。

4、 サ ラー トゥ ・ル ・マ グ リプ (日没直後)里 鼻 コ :日 没か ら、イ シ ャー の始

まる時 間まで の間に行ないます。

5、 サラー トゥ 。ル ・イ シ ャー (夜)'日 由 :夜の開 が完全に空を覆 つてか ら、

翠朝のファジュルの始まる時間までの間に行ないます。

フ ァル ド前 の フ ァル ド フ ァル ド後 の ウィ トル
ス ンナ スンナ
1、 フ ァ ジ ュル 2 2

2、 ヌr7ル 4 4 2

3、 ア スル (4) 4

4、 マ グ リブ 3 2

5 、イ シ ャー (4) 4 2 3

表の数字はサラー トの単位 の回数です。 ファル ドのサラー トは、ムス リムが


や らなければならない最低限の義務のサラー トのことです。 ウィ トルのサラー

トは、ファル ドのつ ぎに重要です。 スンナのサラー トとは、預言者 ムハ ンマ ド

31
ー コ
(彼の上に祝福 と平安あれ)が いつ も行なわれたサラ トのことです。(カッ )
のなかのスンナは、預言者がや つた りや らなかつた りしたもので、ほかのスン

ナよりも重要度が低 い ものです。 「」線 は日の出日の入 りにかかるおそれがあ

るので、サラー トをやるべ きでない時間です。

B サ ラー ト全体の流れ

サジダ ︵
キ ヤー ム ︵

ルクー ︵

立 ち上 が る
起 き 上が る

ひれ伏︶
立 礼︶
立 つ︶

起 き上が る

(2ラ カー トのサ ラー ト) 右 と左にサ ラー ム

32
起 き上 が る

立ち 上 が る


( 3 ラ カ ー トの サ ラー ト) 座 る

右 と左 にサラー ム
起 き上 が る

(4ラ カー トのサラー ト)右 と左 にサ ラー ム

33
C タ ハー ラ
・イ ステ ンジ ャー

サラー トは日常で体を清潔にすることから始まります。糞尿や血、膿は自分
自身 の もの も、また他人や動物 の もの も不浄 であ り、それ らが衣服や身体 に付
いたままでサラー トをすることはできません。またイスラTム では、酒類も不

浄なものとしてみなされており、これらが身体や衣服についたままではサラ
トはできません。生活の中で気をつけなければならないのは トイ レの中です。

トイ レの中での清めの作法をイステンジャ といいますが、 これは重要なこと
です。

放尿や排便の後、水の容器ないしは水道のホ スなどを右手で持ち、局部に
水をかけながら左手を使つてよく.洗います。その後、水分をとるために再び ト

イ レットペーパーで拭いてもかまいません。服を直す前にもう 度確認 し、尿
が後から出てきて下着や身体を汚すことのないように気をつけます。もし汚し
て しま つた場合、洗 い清 めなければな りません。水 で洗 つてか ら絞 り、それ を

3回繰り返せば充分です。こうしてトイレをすませた後、手をよく洗います。

・ウ ドゥー
“ "の
ウ ドゥー とは、 清 め ことです。サ ラー トをす る前には、自分 の身体 を清

めな くてはな りませ ん。預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)は 清

ス ー ム には単
潔 さは信仰 の半分 である」 とお つ しや つています。 しか し、イ ラ

に汚 い とか汚れ た とかい うことの他 に宗教的な意味 の汚れ があ ります。 これ ら



目には見 えない身体 の汚れ には二種類 あ り、サ ラ トの前に清 めな くてはい け

ませ ん。

大 きな汚れ」 です。次 のよ うな ことがあ つた場合 「


最初 は 「 大 きな汚れ」 の

状態 にな ります。
―精液 が もれた場合

34
一性交 した場合

一生理があ った場合

―女性 が子供 を産んだ後

大 きな汚れ」 がある状態では、サ ラー トをす ることも、クルアー ンに触れ


ることも、マス ジ ド (礼拝堂)の 中に入 ることもできません。 この場合には、

ウ ドゥー だけでは清 めは不十分 です。 グスル (全身沐浴)を 行 なわなければな

りません。 (39ペ ー ジ 「
グスルのや り方」参照)

もうひ とつ は 「
小 さな汚れ」 です。 小 さな汚れは次の場合 にお きます。
一小便 を した場合

一大便 を した場合

―おな らを した場合

―吐 いた場合

―血が流れ るほ どの量 、出血 した場合

―膿 が 出た場合

―眠 つた場合

―失神 した場合

これ らの場合には、サラー トを した リクルアー ンに触れ ることはできません。

また 、一 回 ウ ドゥー を して も、上記 の ことがあった場合、 ウ ドゥー は無効 にな

つて しま うので、や り直 さなければな りません。 こ ういった ことがなければ 、


一回の ウドゥーで引き続きサラー トできます。(注:くしゃみやあくび、しゃつ

くりやげつぷではウドゥーは無効になりません)

35
ウ ドゥーのや り方
さて、ウ ドゥーのや り方です。まず、心の中でア ッラーに対 して 「ウ ドゥー
を行ないます」 と意志を表 します。それから、日の中でそつ と 「ビス ミッラー

ヒ ラフマーニ ラヒーム ‖勇‖」ど〕ふ│「


明 と、言います。(意
味:慈
悲あまね く、慈悲深きア ッラー の名 にお いて)

1、 そ して きれ い な水で右手 を手首 2、 それから右手で水をす くい、 日

まで 3回 洗 い ます。同 じよ うに して、 を 3回 ゆすぎます。 ミスワー クとよ

左 手 を手首ま で 3回 洗 い ます。指輪 ばれる木 の歯 プラシで、歯をよくみ

を してい る場合 、指輪 を着 けたまま がきます。 ミスワー クがなけれ:ず



回 して、指輪の下 の皮膚 が濡れ るよ 右手の人差 し指で歯をこす ります。

うにすれば充分 です。

36
3、 それから右手で水をすくい、鼻 4、 それか ら両手で水 をす くい、顔

を 3回 ゆすぎます。 を 3回 洗 い ます。額 の生え際か ら顎

の先まで と左右の耳のつ け根 までの

範囲にきちん と水がかか るよ うに洗


います。髭 の ある人は髭 の 中まで洗

い ます。

5、 それか ら右手を肘 まで 3回 洗 い 6 、 両手 を水で濡 らし、そ の濡れた

ます。右手に水 をす くい、その まま 手 の平で前か ら後に向かつて頭 をな


腕 を傾 けて、肘 に向か つて水を流す でます。
よ うにす ると洗 いやす いです。同様

に して 、 こん どは左手 を肘 まで 3回

洗 い ます。

37
7、 そ してそのまま人差 し指 で耳の 8、 つ ぎに、右足 をくるぶ しまで 3

中を、親指で耳の うしろをなでます。 回洗 います。裏側 まできちん と洗 い

最後に、左右の手の甲で、首の うし ま しょう。 この時 、水 をかけるの に

ろをなでます。 右手 の助けを借 り、左手を使 つて洗

いますふ同様 に して、左 足 を くるぶ

しまで 3回 洗 います。

これで ウ ドウニ は終わ りです。

。グスル

ウ ドゥー について説明 した とき、グスルの ことに少 し触れま した。次 の よ う

な ことがあつた場合、宗教的に 「
見えない大 きな汚れ」 とな り、そ の ままでは

サ ラー トを した り、クルアー ンに触れた りす るこ1とはできません。


―精液 が もれ る

一性交す る

一生理がある

一出産す る

そ こで 、それ を清めるた めに入浴 をす る必要があ ります。その入浴 をグスル

といいます。

38
・グスルのや り方

1、 心の中で 「
グスル をします」 と意志表示を します。
2、 両手を洗います。
3、 陰部など、汚れた部分を洗います。

4、 ウ ドウーをひととお り行ないます:
5、 水を (あるいはお湯を)頭 から二回かけます。
6、 本 を右肩に三回かけます。
7、 水を左肩に三回かけます。
8、 日と鼻の穴をすすぎます。
9、 髪の毛のつけ根から足の指の間まで、全身をまんべんなく洗います。

イスラームでは、り
:│などの大量の水の場合 を除き、一度汚れた身体に触れた

水は汚水 としてみなします。ですから、人が一度入 つたお風 呂の水でウ ドゥー


をした り、グスル をすることはできません。そ こで、グスルの ときはシャワー
か、人がまだつかっていない風呂おけの水をす くってかけるのが適当です。お

風呂につか る習慣のある人はお風呂の後、シャワーを使 つて もう一度 さっ と全


身を洗い、グスル をすれば良いで しょう。
グスルはウ ドゥーをも兼ねますから、グスル を行なつた直後はウ ドゥーをや

り直す必要はありません。ちなみにグスルでは、 日と鼻の中を洗 うのは要件の


ひとつですから、必ず行な うようにしてください。

D ア ザー ン
ムス リムの国へ行 くと、遠 くから歌のよ うな音が響 いてきます。 これが “

"で
ザー ン す。アザー ンはサラー トの時刻を皆に報せて、サラー トに来るよう
に呼びかけるための ものです。 しか し、家で自分ひとりしかいない場合でも行

なった方がよいです。ただ し、女性はアザー ンをしません。

39
まず、少し高い場所にマッカの方向を向いて立ちます。それから、両手の人
差し指を耳の穴へ入れます。そして、ボリュームをあげておごそかll、こう唱
えます。音の高低やのばし方には国や人によつて独特のスタイルがあ り、決ま
っていません。

ア ッラー フア クパル ア ッラー フアクパル

ア ッラー フアクパル ア ッラー フアクパル 声 缶鰤 缶


‐ ー
(意味 :ア ッラー は偉大な り、ア ッラ は偉大な り)

アシ ュハ ドゥ ア ン ラー 、イ ラー ハ イ ッラ ッラ
ー ふ1■
lJ!り ルf
bil疑

アシ ュハ ドゥ ア ン ラー イ ラーハ イ ッラッラー ム1■


1だ1■bil疑
│千

(意味 :私はアッラーの他 に崇拝に値するものがないことを証言する)


アシュ′ アジナ ムハンマダンラスールッラー h3■31麟L子
ドゥ 1酔f

アシュハドゥアンナ ムハンマダンラスールッラー ふ3■31遷Lf ttμ


f

味:私
(意 がアッラーの使いであることを証言する)
はムハンマド
サラー
ハイヤー アラッ 曲 1ルン

ハ イヤー ア ラッサ ラー 出 1ルン


(意味 :サ ラー トに来な さい) こ の時、右 を向 く

ハイヤー アラルファラーハ こ 郷l ルン

40
`刈lルン
ハ イヤー ア ラル フ ァラーハ

(意味 :成 功に来な さい)こ の時、左 を向 く

ア ッラー フアクパル ア ッラー フアクパル

(意味 :ア ッラーは偉大な り、ア ッラーは偉大な り)

ラー イ ラーハ イ ッラッラー ユ:■l Jl■

(意味 :ア ッラーのほかに崇拝に値するものはない)

ハイヤー ア ラルファラーハJ
ファジュル (暁の礼拝)に 限 り、 「

後に次の言葉を唱えます。

ア ッサラー トゥ ハ イルン ミ ナン ナ ウム

ア ッサラー トゥ ハ イル ン ミ ナン ナ ウム

(注 :サ ラー トは眠 りより良い)

E イ カー マ
“ ーマ"と
イカ これか らサラー トが始ま り
は、マスジ ドの中の人々全員に 「
ます」とい うことを知 らせるためのアナ ウンスで、サラー トの直前に唱えます。

イカーマが始まるとムス リムたちはサラー トのために立ち上がって整列 します。

(整列の仕方。 60ペ ー ジ 「
イマーム とその うしろ」
)

41

自宅な どで 自分ひ とりしかい ない場合 で も、イ カ マ は した方がよいです。

唱 える言葉は アザ ン とほぼ同 じですが、「 ハ イヤー ア ラルフ ァラー ハJの 後
ー ー (意味 :サ ラー ト
に 「カ ドウカー マテ ィッサ ラー 、カ ドウカ マ テ ィッサ ラ

は、今ま さに始ま ります'(3ゞ 2‖ ,■正 ■ ■丘JF自 二1めJと ぃ ぅ言葉 が入 り


ます。アザ ー ンよ りは小 さい声で、で もは つ き りと周 りに聞 こえる声で、早 ロ

で伸ば さずに唱 えます。

ア ッラー フアクパル ア ッラー フアクパル × 2


ー X2
アシュハ ドゥ ア ンラー イ ラーハ イ ッラッラ
ー ー × 2.
アシュハ ドゥ ア ンナ ム ハ ンマ ダ ン ラ ス ル ッラ
ハ イヤー ア ラ ッサラー × 2

ハ イヤー ア ラル フ ァラーハ X2

カ ドゥカー マテ ィッサ ラー × 2

ア ッラー フアクバル ア ッラー フアクパル

ラー イ ラーハ イ ッラッラー

ー ア ッサラー トゥ ハ イル
(注 :フ ァジュルのサラー トで も、イ カ マの時は 「
ン ミ ナ ン ナ ウム」は唱 えません)

42
F サ ラー トのや り方

ウ ドゥーを済ませた後、清浄な服を着てマ ッカの方角を向き、清浄な場所に

静かに立ちます。男性は最低限へそからひざまで、女性は顔 と手首か ら先を除


いた全身 を衣服で覆います。マ ッカは 日本からは大体西北西の方角にな ります。

ア ッラこをたたえて、なになにのサラー トをなんラカー トさ
そ して心の中で 「
さげます」 とニーヤ (意図)し ます。 (31ペ ァジ 「
サラー トの呼び名 」参照)
このニニヤは何語でもかまいません。 この とき両足は間を少 し開け、顔をま
つ́す ぐマ シカの方角に向け、背筋を伸ば して雑念をはらい、集中します。サラ
ー トの途中でやめた り
、ものを食べた り、話 した りすれば、そのサラー トは無
効 にな ります。
そ して、両手の平を正面に向けて耳の高さまであげ、日は正面を見、声をは
ア ツラー フ ア クバル (意味 :ア ッラニ は偉大な り)
つきりと出 して、 「

メヨふl」と言います。そ してただちに両手を自分のへそあ上あた りで組み


ます。手の組み方は、左手の指をそろえてのばし、右手をその上に乗せます。
この姿勢をキヤーム と言います。 この とき、視線は自分がサジダした時に頭が
つ くあた りにとめ、きょろきょろあちこちを見ないよ うに します。

43
心の中もtア シラーの事だけを
念 じるように努力 しますよ
それから、日のなかでつぶやく
ように小 さい声でこう唱 えます。
(注 :まだ言葉をおぼえていない
人は、サラー トの始めか ら終わり
ヌノパ ーナノ7
まで 「 (意 味 :

アッラーは完壁だ)ふ:こ
■郵れ と
繰 り返 します)

ヌノパ ーナカ ノノ ノ ンマ ノ どンヽムデレ カ ノ タバ ー/ カヌムカ


3
ノタ/― / ―ジヤン ドクカ ノ / ―イ7 ―ハ ガ 7″ 力

3」
呼 1`33毎Jttabi33晩 皓チ融l夢

ー たをたた えます。あ
(意味 :ア ッラ よ !あ なたは神 聖 であ り、私 たちはあな
しお
なため名ほ祝福されています。あなたの停大さは最高であり、あなたをさ
いて崇拝に値するものはありません)

それから日の中で、 こ うつぶやきます。
二 / ジ ーム
アクーズ どノ/ ―ど ミ ナノシヤイタ


げ"夕卵lむ
夕│メ〔
ー います)
(意味 :い まわ しい悪魔に対 し、アッラ の守護をねが

3こ の では日の中でつぶやくように唱える言葉は斜体で表します。

44
そ して、今度ははっきりと声を出 してクルアー ンの開端章を唱えますが1第
1節 目だけは日のなかで読みます。

(注 :ズ フル とアスルのサラー ト (31ペ ー ジ 「
サラー トの呼び名J参 照)
では、クルアー ンはすべて日の中だけで唱えます)

どス ヾノ7 と ノ/ フマーニ ノ7 ど―ス


げ"″JⅢ‐

アル ハ ム ドゥリッラー ヒ ラ ッビル アー ラ ミー ン 響 口i し3 J 劇 :

ア ッラフマ ー ニ ッラ ヒー ム

マー リキ ヤ ウミッデ ィー ン

イ イヤー カナアプ ドゥ ヮ イイャー ヵナ ス タイ ー ン

イ ヒデ ィナ ッス ィラー タル ム スタキー ム

ス ィラー タ ッラデ ィー ナ ア ンアム タ ア ライ ヒム

ガイ リル マ グ ドゥー ビ ア ライ ヒム

ワラ ッダー ッリー ン

アー ミー ン

45

(開端章 〔アル ・ファ ティハ〕の意味)
1。慈悲あまねく慈愛深きア ッラーの御名において。
2.万 有の主、アッラーにこそ凡ての称讃 あれ、 │

3.慈 悲あまねく慈愛深き御方、
4.最 後の審きの 日の主宰者に。
5。私たちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願 う。
6.私 たちを正 しい道に導きたまえ、

7。あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み
迷 える人 々の道 ではな く

アー ミー ン

それか らまた 日の 中で こ う唱 えます。

どヌ ミノノ ど ノノマーニ / E ―ム Jlま


み" 夕

ー 一
それから、はつきりと声を出 して、自分にとつて易 しいクルア ンの 章、も
しくは数節を唱えます。
サラー トの呼び名」参照)で は、クノ ー
(注 :ズフル とアスルのサラー ト (「 ンア
ンは日の中だけで唱えます)

ア ッラー フ ア クバル 3封 ふl」と唱 えなが


クルアー ンを唱 え終わ つた ら、 「
らただちに腰 を曲げて、前方 にむか つて礼を します。 この とき、背筋はま つす

ぐに伸ば し、頭 か ら背 中、腰 までがちょうどテ プルの よ うに平 らになるよ う

に します。足 もま つす ぐ伸ば し、両手 の指 を開 いて膝 をつかみます。視線 は両



足 の親指 の間あた りに定めます。 この姿勢 をル ク と言 います。

そ の姿勢 の まま 日の中で こ うつぶや きます。

46
ヌノパーナ 7 ノ
どヤル 「ズベース x3 ♂口:(ぁL島

(意味 :尊厳なる主にたたえあれ)

それか ら、身体 を起 こしなが ら、はっき りと声を出 して こ ういい ます。

サミアッラーフ リマン ハミダ IL二lβれ


lと出
(意味 :ア ッラーはたたえる者を聞いてお られる)

手 を垂 らして直立 したまま、続 いて声を出 して こ う言 います。

°
ラ ッパ ナー ワラカル ィヽム ドゥ ェ L卸 3崎

(意味 :私 たちの 主 よ !あ なたに こそたたえあれ )

アッラーフ アクバル 郵 ふ│」


それから、「 と声を出しながら、サジダす
47
る姿勢 に移 つていきます。サジダはまず膝をつ き、両手を置いてから、鼻、額
の順序でゆつ くりとつけます。 この時、視線は自分の鼻に、両手の指はそろえ

てまつす ぐ伸ば し、手の平は耳のす ぐわきに置きます。ひ じは地面か ら上げ、


おなかの下に仔やぎ(の赤ちゃん)が立って歩けるくらいのすき間をあけます。
足はつま先を立て、かかとをあげます。この姿勢 をサジダといいます。そ して、
その姿勢のまま日のなかでこう唱えます.

ヌノパ ー オ ノ ノ どヤル //ノ ー X3


許b“ 3‐
(意味 :至高 の主にたた えあれ)

それから、声を出して 「アッラーフ、アクパル」 と唱えなから、体を起こし


て座 ります。そのとき、両手は自然にももの上に置き、背筋はまつすぐに伸ば
し、視線は膝のあたりに定めます。

ア ッラーフアクパルJと 唱えながらもう
ひ と呼吸おいて再び声を出 して、「
ヌ//ヽ―ナ ノ ノどヤル //7 ― Jと 3回 唱えます。
度サジダし、日の中で 「

48
ア ッラーフ ア クパル」と唱えながら立ち上が
そ して今度は、声を出 して、「
ります。 これで 1ラ カー トロが終わ りです。

さて、キヤームの姿勢 にもどりま した。 ここか らは 2ラ カー トロです。先 ほ

どの ようにへその上あた りで両手を組んで、背をまつす ぐ伸ば し、視線を下げ


ます。そして今度は、最初の言葉はとばして、『
開端章』の読誦からサジダまで
を 1ラカー トロと同じように繰 り返します。

キヤーム 『 開端章』とクルアーンの別の章を読む
ルクー しながら ア ッラーフ ア クパル
ルクーで ヌ //ヽ一ナ / ノ どヤル ア ズベ ース× 3回

起き上が りながら サ ミアッラー フ リ マン ハ ミダ

起き上がって ラ ッパナー ワ ラカルハム ドゥ


サジダしながら ア ッラー フ ア クパル
サジダで ヌ ノパ ーオ 7 ノ どヤル ア /7 X3回

座 りながら ア ッラー フ ア クパル


ひ と呼吸 またサジダに移 りながら ア ッラー フ ア クパル
サジダで ヌ ノパ ーナ 7 ノ どヤル ア /ジ ーX3回

さて、2ラ カー トロのサジダから、今度は 「
ア ッラーフ ア クパルJと 唱え

ながら立ち上がらずに、そのまま座 ります。

それから次の ような言葉を目の中で唱えます。
“ち

J一

/ノ タ と ヤ ハ ク ノ ノ7

49

ノンチ 7 ノ ト ク ノ ンタイイノヾ ハク 珀 ぅし1メ
コち

アノナ7 ン ナ ど=ユ
ム /7 イ カ ア イ■ノヽ l ぴ準 静 l

ノ7 ノマ ハクノノ ど ノ バ 7 カー トクノ も ふち

/ノ ナ7 ―ム /ノ イナー ク // ― あ 手 静 l


イパ ーデンン/ ―どツチーノ ど ン 辞JCコiふ
い●

/シ =ノヽだク ア ン7 ― イ 7 ―/b イ ン/ ノ/ フ ふl、


l Jl■ 酔1
b iヽ

ノ/シ ュハ だク ア ンナ スハンマダン 1島
二b i ■
機ち

/ノ ドクノ ′ 7 ヌ /2ノ 奪6 6 等

(意味 :あ らゆるあい さつ と、祈 りと、良い ものは、アッラ 、あなたのため
ー ー
にあ ります。預言者 よ、あなたに平安 と、アッラ の慈悲、アッラ の恵みが
ー べ
あ りますように。私たち とアッラ に忠実なすべてのしも たちに平安あれ

私はアッラーの他 に崇拝に値するものがない事を証言 します。そ して私はム
ンマ ドがアッラーの しもべであり、使徒である事を証言 します)

上 の言葉 の 中で 、「/シ ュハ ドク /ン / ― イ / ―/vと 唱える時 に、右手


ー 一
の人差 し指 をま つす ぐ前 につ き出 し、ア ッラ が唯 であることを表 し、次 の

「イ ン7 ノ7 /」 と唱 える時には、そ の指 をその まま下げます。

50
さて、これでサラー トの単位である 2ラ カー トが終わ りました。 1ラ カー ト
はルクー 1回 とサジダ 2回 です。サラー トは通常、最低 2ラ カー トや つて終わ
ります。
そこで、 2ラ カー トで終了する場合は、このまま下へ、 3ラ カー トもしくは
4ラ カー ト続ける場合は、54ペ ージヘ進んで下さい。

終えるまえに、座 つたまま次の言葉を 日のなかで唱え、預言者の祝福を祈 り


ます。

/ノ 7 ―ノンマ ナ ノノ /ノ ー ム ハ ンマデレ ン
■ ル レ 静:

ノ/7 / ノ ム ハ ンマ/ /ン “ J許 3

カ マー チ ン7 イタ /ノ ー イ /7
“鳴渉 4 “
ど マ

ノ/7 ― ア ーノ イ /7 ム

■■ダ議3

インカ ″ ハ ヾ― ドクン マた だ ‐ ‐ 鋤

(意味 :ア ッラー よ。 ムハ ンマ ドとその子孫を祝福 してください。あなたがイ


プラー ヒーム とその子孫を祝福 したように。真 に、あなたは賞賛すべ きお方、

最 も高貴なお方です)

/ノ ノ ノ ンマ バ ーノタ ア 7 ― ム ハ ン マ / /ン “ J多 ち嘔

クア7 ― /― ノ ム ハ ンマノレ ン お よ許3

.51


´


カ マー ノヾ
― / タタ /7 イ /7 ど マ

“豊 ダ議3
ノ/7 ア ノ イ プラ ー ど―ム

イ ンナカ fハ ヾ― ドタン マ ジLだ ‐ ‐ 観

(意味:アッラーよ。ムハンマ ドとその子孫にあなたの恵みをお与えください。
あなたがイプラーヒームとその子孫に恵みを与えられたように。真にあなたは
賞賛すべ きお方、最 も高貴なお方です)

それからこう祈 ります。

ぼ´ 山
嘔   ど
7 ノバ オ ア テ ィオー

ノィン ドクニ ヤ ハ チナ

ダノィルアーどィティ ノヽ
チオ L夕 和ψ

ノキナー /プ Lバ ン オー/2 口l ●
:L嘔

(意味 :私たちの主よ。現世でも良い ものをお与えになり。来世でも良いもの


をお与えください.そ して炎の罰から私たちをお守 りください)

そして、最後に右をむいて声を出 し、

ー ・ l
アッサラマム アライクム 7 ラ フマ トゥッラ 夕
L勇 i筆 静

(意味 :あなたたちに平安 とアッラーの慈悲がありますように)

52
と言 い 、 さらに、左 をむ いて

ア ッサ ラー ム アライ クム ワラフマ トゥッラー ふ れ " 卜等 静 l

と言 います.こ れで、サ ラニ いは終わ りです。

サラー トの終わつたあと、そこで座 ったまま、ア ッラーをくり返 し讃えるズ

ィクルをすることが勧 められています。 これは義務 ではあ りませんが、やれば


それだけ報奨があります。声は高くても低 くてもかまいません。

一ナン7
ヌ//ヽ ■ と33回となえます.
hi 3嗅

(意味 :ア ッラーは完全だ)

それから、//2/ヽム だクノンノ J■ 舅 と 33回 となえます。

(意味 :ア ッラーに讃えあれ)

53

フアタ′
さいごに、/ノ7 ― ル メ 亀l と34回となえます。 ‐

(意味 :ア ッラーは偉大な り)
手の指を使 つて数えるのが、預言者ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)
の習慣で した。

それから、ア ッラーヘ 自分の個人的な願 いを自分の言葉でします。 ア ッラ
はあらゆる人の言葉を、それが何語であつて も、どこにいても聞いてお られま

すから、悪いことでないかぎり、現世のことも来世のことも、自分なりに望む
ことを願 えばよいのです。 この祈 りのことを ドゥアー といぃ ます。

3 ラ カー トと4 ラ カー ト

これは 51ペ ージからの続きです。2ラ カー トが終わらて、その先を続けると



きは ここに進みます。言葉 と動作は 102ラ カ トの時 とほ とんど同 じです。

2ラ カー トロの終わ りに 「ノ/シ ュバ だク ・アンナ スハ ンマダン アプ だ

クノ ノ / ヌー/2/」。 ア ッラー フ アクパル」と


と唱えおわつてか ら、す ぐに 「

言 つて立ち上が ります。

3ラ カ∵ トロ

手を組んだキヤームの姿勢にもどります。それから、今度は日の中でクルア
ーンの 『
開端章』を唱えます。
重要 13・ 4ラ カー トでは、『
開端章』の後に別の章は唱えません.


そ して 1 、 2 ラ カー トロと同 じよ うにル ク とサジダを します。

ル クー しなが ら ア ッラー フ ア クパル

ル クー で ス ノス ー ナ / ノ どヤル ア ズ ベ ームX 3 回

54
起き上がりながら サ ミアッラーフ リ マ ン ハ ミダ

起き上がって ラ ッパナー ワ ラカルハム ドゥ


サジダしながら ア ッラー フ アクパル
サジダで ヌ ノス ーオ ブ ノどヤル //7 X3回

座 りながら ア ッラー フ アクパル


ひと呼吸 またサジダに移 りながら ア ッラー フ アクパル
サジダで ヌ /ハ ーナ 7 ノ どヤル ア /7 X3回

再び声を出してアッラーフアクパル と唱えますが、 3ラ カー トで終わる場合


はそのまま座 ります。そ して49ペ ージにもどり、「
/ン タ と―ヤ ハ ク ノ ン

7 ・
ど°Jと 0」を読み、サラー トを終了します。
「アン7 ―ノンマ◆

もし、 4ラ カー トに進む場合は、そのまま立ち上が ります。

4ラ カー トロ

そ して、また同じように 『開端章』からサジダまで繰 り返 します。


キヤーム 『 開端章』を読む
ルクー しながら ア ッラー フ ア クパル
ルクーで ヌ ノス ーナ / ノ どヤル ア ズベ ームx3回

起き上が りながら サ ミア ッラー フ リ マン ハ ミダ

起き上がつて ラ ッパナニ ワ ラカルハム ドゥ


サジダしながら ア ッラー フ ア クパル

サジダで ヌ //ヽ一ナ 7 ン どヤル //7 ― X3回

座 りながら ア ッラー フ ア クパル


ひ と呼吸またサジダに移 りながら ア ッラニ フ ア クパル
サジダで ヌ ノス ーナ 7 ノ どヤル //7 X3回

55
最後 に、再び 「ア ッラー フアクパルJ‐と唱えて座る姿勢にな ります。そ して
49ペ ージヘ もどり、「/ノ タ と ヤ ハ ク ノ ン7 ど ・
・」 と 「/ノ 7 ノ ン
マ・
・」 を読み、サラー トを終えます。

G ス ンナ とナ フルのサラー ト
いままで説明 したのは義務 のサラー トで、義務のことをアラビア語でファル

ドと言います。サラー トは一 日五回のファル ドを行なえば 応十分です。けれ
ども、イスデームの考え方 としては、できるだけ少なくや つて楽をしようとい

うのではなく、良いことならば積極的にやろうという考え方なので、もし難し
くなければ、義務でないサラー トもや つた方がよいです。

預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)の 行ないのことをスンナ と言


います.そ こでスンナのサラニ トとは、預言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)が

義務のほかにや つてお られたサラー トのことを指 します。


また、まつた く自発的に行な うサラー トのことをナフルのサラー トといいま

す。ナ フル とは、アラビア語で任意のことです。 これはいつでも好きなだけや。


ることができます。(注 :ただし、日の出と日没の際に太陽が地平線にかかつて
いる間と、太陽の南中時はサラー トをしてはいけない時間になつています。)

ナフルのサラー トは基本的に 2ラ カー トずつです。そ こで例えばナフルのサ


:2ラ カ‐ 卜ごとに終了して行ないます。
ラー トを 4ラ カー トといえば、

人 々が寝静まつた深夜、一人起きあがつて行な うサラー トには非常に大きな

報奨があると言われています。そのよ うなナフルのサラー トのことをタハ ッジ


ュ ドといいます。

・スンナ とナフルのサラー トのや り方

スンナもナフルもや り方はファル ドのサ ラー トとほとんど同 じです。ただ、

少 しだけ違 うところがあ ります。

56
最初ltニーヤ (意思表示)です。「 り のチラー トをし
スンナ (あるいはナフ′
ます」と意図します.そ して、スンナもナフルも全ての言葉を目の中だけで唱
えます。それから、いくつかの場合を除いて、スンナもナフルも自分ひとりで
行ないます.そ れに対し、ファル ドのサラー トは原則として (もちろんできな
ければかまいませんが)マ スジドでほかの人たちと一緒にやるものです.た だ
し、女性はマスジドヘ行く義務はありません。

H ウ ィ トルのサラー ト
ー 日の しめ くくりに行な
う3ラ カー トのサラー トを 「
ウィ トル」のサラー ト
と言います。 これは、義務 ほど重要ではありませんが、スンナよりも重要なも
のです。

ウィ トルのサラー トはスンナやナフルのサラー トのように、言葉はすべて口


の中でつぶや くように唱えます。

また、スンナやナフルのサラー トの ように、それぞれのラカー トで 『開端章』


を唱えた後にも うひとつ別 のクルアー ンの章を唱えます。

ウィ トルのサラー トのや り方は次の通 りです。

ウィ トルのサラー トをするとい う意思表示をします。

普通にスンナやナフルのサラー トのようにサラー トを進めます。


3ラ カー トロまで来て、クルア=ン の 『開端章』 ともうひとつ別の章を読み終 t
わつた時、ルクーに入る前に両手を耳の高さまで上げて 「 アッラーフ ア クパ
ル」と言います。
それか ら元 の よ うに前で手を組んでか ら ドゥアー クヌー トと呼ばれ る次 の祈 り

を唱 えます。

/ノ 7 ノ ンマ イ ンナー ナ ス タィ ーメカ
学 t静 │
57
ノチメ タノプレ ーカ ノ チメ タグフ ィルカ

スヌノ ミヌ どン グ ナタノンカル Z7 イ カ 纂 鮨勇 後 レ発

クヌヌニ ー /7 イ カル `
イラタノ/ 艦,1畔■

ナシュタルタ ノ 7 ―ナタ フルカ 摯 ■暉缶

ノナノ7 ク ノ カ ハゥルク マ ンヤノジLル カ 撃 ン場 “

アンノ ノ ンマ イイヤ‐カ ナ アブ ル 寧 31静:

ノ/ / ヌ チンノー ク ″ シ狂 だク 場 ル4

ノイライカ ナ ス アー ク ナノノィ だ才 巧 ご」鋼 3

カル ジュー/ ノマタカ ノ ナノシャー


1■
♂屯■ L 3 ■y

//― /シ “ エ

インナ ア升 ノシ //2ジ ング 毎l“Lコ

ごルク シノァーノ カ ″ ゾ 的L
メ リ
(意味 :ア ッラー よ。私たちは本当にあなたの助けとあなたの導きとあなたの
許 しを求め、あなたを信 じ、あなたに頼 ります。 あなたを賞讃 し、あなたに感
謝し、あなたに背きません。そしてあなたに不服従な者と離れ、つき合いを絶
ちます。アッラーよ。私たちはあなためみを崇め、あなたに対してのみサラー
トを捧げます。そ してあなたにサジダ し、あなた の もとに参 ります。 そ してあ

なたの慈悲 を願 い、あなたの罰 を恐れます。ま ことに 、あなたの罰 は不信者の

す ぐそばにせま つてい ます)

ア ッラー フアクバル 」 と唱えてル クー に入 り、あ


この祈 りが終わ つてか ら、「

とは他のサ ラ‐ 卜と同 じよ うに終 えます。

預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安 あれ)は 、ほ とん ど毎晩 タハ ッジュ

ドとい う深夜 のサ ラー トを行な つてい ま した。そ してその しめ くくりに ウィ ト

ルのサ ラー トを しま した。そ こで、 自分が深夜ネL拝に起 きる自信 の ある人は ウ

ィ トルのサ ラー トを しないで とってお きます。 しか しその 自信 のない人は、イ


シ ャー の後に済ませて しまった方がいいで しょ う。

: 女 性がサ ラー トを免除 され る とき

女性 は次 の場合 にはサ ラー トを しません。


1、 生理の時 :た だ し、体質的に出血 がいつまで も止ま らない女性 の場合は病

気 による出血 とみな し、生理期間 が過 ぎた らまだ出血があって もグスル を

し、通常 どお リサ ラー トを始 めま九

2、 出産後 の 出血が続 いて い る期間 :こ れ も 40日 間を限度 とし、期 日が過 ぎ

ればグスル を し、ふだんの生活 を始めます。

これ らの免除 されたサ ラー トは、や らなか ったサ ラ∵ 卜な どと異な り、後 で

や り直す必要はあ りません。

育児や家事で忙 しい な どはサ ラー ト免除 の理 由にな りません。 ア ッラー が私

たちに忍耐 を与え、物事 を易 しくして くだ さいます よ うに。

59
モ ス クヘ行 く


A ジ ュムア (金曜 日)の サ ラ ト

金曜 日はムス リムたちの祝 日です。そ の 日、 ムス リムはグスル を し、 番 よ

い服 を着 て町 の大 きなマスジ ドに集 ま り、 ジュムアのサ ラ トを します。導師
一 ー
の説教 が行 なわれ、そ の後、皆 で 緒 にサ ラ トします。 ジ ュムア は ズフル と

同 じ時間 に行 なわれ、ズフルの代わ りにな ります。


ジュムアは最低 4人 いない とできませ ん。 そ こでジユムアに参加 で きなかつ

た人は、各 自で ズフルのサ ラ トをお こないます。

下 の表は ジ ュムアのラカ トの回数 です。

ジュムア (金曜礼拝)の ラカー ト数

サラー トの前のスンナ ジュムアのサ ラー ト サ ラー トの後 のスンナ

4 2 4そ して 2

B ジ ャマア (集団)の サラー ト


0イ マーム とその後ろ

サラー トは基本的に集団でお こな うものです。近くにマスジ ドがあればマス


ジ ドで、なくてもなるべ く二人以上で集団を作つてや つた方が、よ り多くの報

奨があります。集団礼拝は個人の礼拝の 27倍 優れていると言われています.



集団のサラー トには、先頭に立つてサラ トを率いる役 目の人がいます。 こ
一 ー
の人のことをイマーム といいます。イマームはその集団のなかで 番 クルア
ンを知つている人、宗教の知識がある人、それから年長者な どがな ります。

・並び方

二人でサラー トするときはイマームの右側 にもうひとりが並びます。 3人 以

60
上の場合tサ ジダするだけの距離をとつてイマームの後に横一列に並びます`

列はまっす ぐに、お互いの肩 と肩がふれあ うぐらい くっついて並びます。

夫婦で一緒にサラー トする場合、夫がイマームにな り、妻はその後ろに立ち


ます。

0イ マーム とそれ以外の人 との違い

集団礼拝で、声を出すのはイマームだけです。イヤームの声に合わせて、後
ろの人々はサラー トの動作をします。イマームより先に動いてはいけません。

そ こでイマームの唱える言葉 と、後ろの人の唱える言葉を分けて書いてみまし
た。

イマー ム │ 後ろの人々
一人がイカーマ を唱 えた ら
集まってきて並ぶ
みんなが並んでい るのを確かめる

″ マーム と ιこ なだなた の テジー ″ マースのダろこ なだなだの プ


ハをなん 7 2 ハ ささF/1カ とい う 7 ―卜をなん 7 カー トささゲ甘 カ
意志 を心 の 中で唱えます。 とい う意志を心の中で唱えます。

立ったまま

ア ッラー フアクパル

(と声を出す) ヽ /ノ デー ノアクノヾ

一 オカ ノ7 ―才ンマ ク どン、
ヌ ノンヽ ム デンヵ

クタバ ー / カヌムカ ク タアー ター ジ ャノ だクカ

ク7 ― ハガ7ル″
イ7 ■


アクプ どノ7 ど ヾナッシャイターニノ7 ジ ム

クルアー ンの 『開端章』 を

声に出 して読む

ビス ヾノ/ ど / ノマーニ ノ ど

アル ハ ム ドゥリッラー ヒ ただ聞 く

ラッビルアー ラ ミー ン
∼∼ 中 略 ∼ ∼

ガイ リル マ グ ドウ ビ アライ ヒム
ワラッダーー ッリーン
/― ミーン

クルアー ンの別の章を読む
↑     〃  弓 ﹂ も
:

ル クーヘ

ア ッラー フアクパル


ナ  ナ   オ
一  一  一


ヌ   ヌ   ヌ

ノ   一
ノ   ン   ノ

フ   一

起き上がる
サ ミアッラーフリマンハ ミダ
7 ″ ヾオー ク ノカル ′ヽ
ス だク

62
サジダヘ
ア ッラー フアクノ`

/ノ 7 フ アク ノヾ

ヌ//ヽ一方7 ノどヤルアアジー

ス/ハ ーナ7 ノど七ル//7


ヌ//ヽ一ナ7 ノどヤルア/7

起 き上が って座 る
ア ッフー フアクパ ル

ア ン7 ノ アタパル
ニ回 目のサジダヘ

ア ッラー フア クパル

ア ンタ フ アタノヾ

ヌノスーオ7 ノどヤルア/7
スノスーナ7 ノどヤルア/7
ヌ//ヽ―ナ7 ノどヤルア/ノ ー
立つ (あるいは座 る)

ア ッラー フアクパル

/ノ 7 ノ アタノヾ

以降、同様 に行な う
∼∼ 中 略 ∼

最後 に

/ン タど ヤ ハ クノノ/ ―ど ク ノナ7 ノ ハ ク ノ ンタイイノヾト ク


ンナ ゲーニ ク 7 ノマ ハクノ7
ア ッチ7 ―ム ア7 イカ ア イニノヽ ど

63
ノバ 7 カー トクノ
ーノ
/7 ナ // ―ノ―
ヾプ タどナ
レノ ―
ーノどン/

/ノ/ ム
― イ タ

シュハだ /ンラー イラ /h イノイノノ
ー/2ノ
ノ/シ ュハ だ /ン テ ム ハンマダン 1/ブ ドノ ノ / ヌ
/ノ/ ィノマ チノノタラー f4`
ンマデレン フアプ /―ノム
ハンマ/インカマー チノ/ タ
イ タ/ ―イノンニど―マ ノ// /
ニノイプフーど ニスイン″ ハやドタ ン マジードク
/ノ/ ノンマバ ノク /7 ―ネハンマデレン グ// /―ノム
ハンマ/インカマーバ / クタ 才/ ―イノンーど―マ ノ// /
―ノイノフーど ―ムインナカ ハや―ドクン マジードク

ノナー /―テイオー ノィンド


/ バ ケンヤー ハチナ ノノィ

ーミ
イ ハ チオ ノキオー /ギ ノ
アーど/ テ ンナ /2

右 をむ き

ア ッサ ラー ムア ライ クム
/ ノ チ/ ス ア/ イクス
・ ー
フ ラフマ トッラ
ク/ ノマ トノ7

左 をむ き

ア ッサ ラー ムア ライ クム
ワラフマ トッラー
/ ノ チ/ ―ム/ ノ イクス
ク/ ノマ ハノ7

ー ワラッダー ツ
開端章』を唱えて 「
この表でお分かりのように、イマ ムが 『
アー ミーン」 とい
の人々は 「
リーン」 と言うと、それに応えるようにして後ろ

64
います。

それから、ルクーから起き上がる時にイマームが 「
サ ミアッラー フ リ マン
ハ ミダJと 言 うのに対 し、起き上がった人々は 「/ ノバ オー ク ノカノ
レノヽ
ムだ

ク」 と、これ も呼びかけに応えるようにして唱えます。
しか し、後ろの人々は最初から最後まで無言で、 これ らの言葉はすべて日の
中でつぶや くように して唱えるのです。
このよ うに声を出 してサラー トするのは、基本的にイマームが後の人々の動

作に号令 をかける必要のあるときです。ですから後に並ぶ人やイマー ムにはな


らない女性は声を出さずにサ ラー トします。 しか し男性が単独で義務のサラー
トを行な う場合は、自分がイマームになつたとみなしてイマームの唱えるべ き

言葉 と後に並ぶ人の言葉を全て唱えます。

65
こんなときどうする

A 水 がない場合 ―タヤ ンムムー

生活の中では、ウ ドゥーやグスルのための水がどうしても手に入 らないこと


があ ります。そ ういつた場合、清潔な砂や 自然の石などを用いて清めを行な う
ことができます。そ うい う清 めのや り方をタヤ ンムムといいます。

タヤ ンムムをするにはある種の条件があ ります。それは他に方法がなく、や
むを得ない とい うことです。例 えば、
1、 身近な所に水が得 られない。何 キロも離れた所に水があつて、容易に持つ

て来 られない。
2、 水 は近 くにあるのだが、そ こになんらかの危険 (例えば、水道の前に危険

な野犬がいるなど)力`
あつて、そ こにど うしても近付 くことができない。

3、 皮 膚病な どで、医者に水の使用を禁 じられている。

4、 山 岳地帯などで、水は持 つているのだが、それは飲料水 として重要なので

使 うわけにはいかない。
5、 風 邪をひいて熱がでているが、冷たい水 しか手に入 らない。もし冷たい水

を使えば、確実に病気が悪化する。
6、 病 気で身動きのできないよ うな状態である。
7、 水 は売つているもののtこ ちらの弱みにつけこむような法外な値段である。
8、 長 距離 の列車に乗 つてお り、降 りることもできなければ、水を手に熱 _る

事もできない。サラー トの時刻は刻 々 と終わ りに近付いている。

これ らの場合には、タヤ ンムムをしてもよい とされています。 けれ ども、た

だ単に水のある所まで行 くのが面倒臭い とか、冷たいのがいやだとかは理由に



な りません。 もし水がなくてタヤ ンムムをした後でも、サラ トの直前に水が
手に入 つたよ うな場合、その瞬間にタヤ ンムムは無効にな りますから、ウ ドゥ

66
― をや り直 さなけれ ばな りません しか しタヤンムムで行なったサ ラー トが
。 終
わつた後に水 が手に入 つて も、そ のサ ラー トをや り直す必要はあ りません。

タヤ ンムム をす るためには、清潔 な土や砂、石灰 、磨 いてい ない石 の置物、

レンガ 、粘土、陶器、あるいは 自然 の石、清浄 な砂、漆喰 の壁 な どを用 います。

使 えるの は上 の性質 を備 える天然 自然 の もので 、熱によって灰 にな らない もの

です。例 えば鉄や銅 、布や灰 、 ガラスやプラスチ ック、木や紙 な どは燃やす と

融 けた り灰 にな った りして しま うので、 これ らで タヤ ンムムを行な うことはで

きません。 しか し、 これ らの ものの上に充分な砂 ば こりが乗 つていた場合 、そ


の砂ば こ りを使 つて タヤ ンムム を行 な うことがで きます。

タヤンムム をす るには、まず ニー ヤ (意思表示)力 S必要 です。 サ ラー トのた

めかクル アー ン読唱 のためか 、何 の清 めの代わ りにタヤンムム をす るのか をは

つ き りさせ ます。 タヤ ンムムは ウ ドゥー の代わ りにもグスルの代わ りにもな り

ますか ら、それに応 じたニー ヤが必要なのです。 またその有効期限は ウ ドゥー

と同 じで 、 ウ ドゥー を壊す原因 となるよ うな ことが起 きない限 り、 1回 のタヤ

ンムムで何回で もサ ラー トできます。 ただ し、 クルアー ンに触れ るために行 な

った タヤ ンムムで 、サ ラー トを行 な うことはで きません。

0タ ヤ ンムムのや り方

フ ァジュルの サ ラー トをす る
まず 意思表示 を します。例 えば心 の 中で 、 「

ために、グスルの代わ りにタヤ ンムム を します 」 と意図 します。


両手 の平 で石か砂に触れます。そ して余分な砂 を払 います。



両手 のひ らを自分 の顔 に向け、顔 の ウ ドゥー の時に洗 うの と同 じ部分 にま

んべ んな く砂 ぼこ りがつ くよ うに 1回 、顔 をなでます。

4、 そ して も う一度両手 で石または砂 に触れ 、そ して余分な砂 ば こ りを払い 、

今度 は左手で、右手 をひ じまでなでます。

5、 次 に右手 で 、左手をひ じまでなでます。最後に、両手 の指 を交差 させ、指

67
と指 の間 にも砂ば こりがつ くよ うに して終わ りです。あごひげがある人は、

あごひげに も指 を通 します。

タヤ ンムムでは頭や足は清 める必要はあ りませ ん。 ウ ドゥ‐ で清 める顔 と腕

の部分 にまんべ んな く砂ばこ りがつ けば、それで じゅ うぶ んです。 また石 を用

いた場合、砂ばこりが じゅうぶんないことがありますが、それもまつた くかま

いません。

タヤ ンムムは、タヤンムムを行なわなければならなかった条件が続 く限 り有

効です。 ウ ドゥーが壊れるのと同 じ条件で、タヤンムム も壊れます。

B サ ラー トをまちがえたとき
サラー トの中には、それなくしてはサラー トが成 り立たない重要なことがあ
ります。それ らは次の とお りです。
1、 ニーヤ (意図)

ア ッラーフ ア クパル」 と唱えること


2、 最初に両手を耳の高さまでかかげ 「
3、 立った姿勢で数秒 とどまること
4、 クルアー ンの開端章を読む こと (注 :まだ覚えていない人は構いません)
5、 ル クー
6、 二 回のサジダ
7、 最 後にしばらく座 つた姿勢でいること

8、 サ ラーム

9、 こ れ らを順序正 しく行な うこと

これ らの どれかを忘れると、サラー トは無効でや り直 しです。 これ ら以外の


ことを忘れた り、順序を間違えた り、抜か した り、遅れた り、多くや りすぎた
りして しまつた場合、や りなお しをせずに訂正することができます。

68
実際にサ ラー ト中、ラカー トの回数 を忘れて しまった場合 を追 い なが ら、 こ
の訂正 のや り方 を見てみま しょう。

・ラカー トの回数 を忘れた

預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安 あれ)の お言葉 にこ ういった意味 の

アザー ンの声 が聞 こえると、悪魔は 自分 の耳に指 をつつ こん


ものが あ ります。「

で後 ろをむ くと放屁 を し、アザー ンが聞 こえない所まで一 日散に逃 げてゆく。

ところがサ ラー トが始まると戻 つて きてサ ラー トを している人 々の心に 「


あれ
を思 い 出せ。 これ を思 い出せ」 とささや き、それでサ ラー トしている人は 自分

のサ ラー トの回数 を忘れて しま う」

本 当に悪魔は人間に とって しっ こい敵です。それでは、サ ラー トの途 中で ラ

カー トの回数 を忘れて しまった場合、 どうすればよいので しょ う。

さて、例 えば私は ズフルの 4ラ カー トのサラー トを してい ま した。 2ラ カー

トロあた りまでは確 かに覚えていたのですが、はつと気がつ くと今 自分が 3ラ

カー トロか 4ラ カー トロかわか らな くな っていま した。

この時、 自分が確実にや つた少ない方の 3ラ カー トだろ うと仮定 し、その ま

まサ ラー トを続 けます。

4ラ カー トロ (も しか した ら5ラ カー トロか もしれないが)を や ります。 ラ

カー トの回数 が少な過 ぎる場合、そ のサ ラー トは無効にな ります。 ですか ら、

分 か らな くな つた ときは、常に多 めにや ることです。

座 って 、 「/ン タ ど ヤ ハ クノン7 ど 」を唱えます。


「……/シ ュノヽだク ア ン ノー イ / ―/h イ ン/ ノ/ ア 、 ノ/シ ュノヽだク

/ン ナ ム ノヽ
ンマダン /ブ だク フ ク ノヌ ー/2/」 を唱え終わった ところで

ア ッサ ラー ムアライクム ワ ラフマ トッラー」 と言 います。


右 をむ いて 「

ア ッラー フ ア クバル」 と唱 え、サジダ します。


そ の まま正面をむ いて 「

69
ヌノパ ーオ 7 ノ どヤル ア /7 ― 」 と3回 唱えます。

ア ッラーフ ア クバノ
そ して 「 吻 と唱えて座 ります。
一呼吸おき、ふたたび 「 ア ッラー フ ア クバル」 と唱えてサジダします。
ヌノパ ーオ / ノ どヤル ア /ノ ー」 と3回 唱えます。

ア ッラー フ ア クパル」 と唱えて座 ります。


最後に、 「
もう一度、 「/ン タ ど ヤ ハ ク ノ ノ/ どJを 唱えます。
そのまま最後まで、普通のサラー トのよ うに言葉を唱え、最後は左右のサラ
ームで終わ りますこ

アッサ ラームアライクム
このよ うに、間違 いを訂正するためには、最後 に 「
ワラフマ トッラー」を一つ とサジダを二っ余分に付け足せばよいのです:

他 の細かい間違い もみんな同 じや り方で訂正できます。 どんなサラ トに も

同 じや り方で使えます。また、同 じサラ トの中で 2回 以上間違えても 1回 の
訂正で済みます。
4
この訂正のためのサジダをサジダ ・サハ ウといいます。

C サ ラー トの時刻を過ぎて しまったとき
サラー トをや らない うちにそのサラー トの時刻が過ぎて しまつた場合、なる
べ く早 くそのサラー トをや らなくてはいけません。 このように遅れて行な うこ

とを、カダー といいます。

例 えば寝坊 してファジュルのサラー トに遅れてしまった場合、いそいで ウ ド

ゥーをし、遅れた分のサラー トをや ります。

4ィ
マー ムの後についてい る時は、後にい る人は間違 えて も訂 正の必 要はあ り
ませ ん。集団礼拝 にお いて は、イマー ムが正 しいサ ラー トの責任 を負 つて後 の

人 々の盾 となるか らです。 もしイマ ムが間違 い を犯 し、それに対す る訂正 の
サ ジダを行 なえば、後 人はそれ を真似すれば よいのです。

70
ア ッラー をたたえて、今朝の (あるいは何月何 日の)フ
その ときの意志は 「

ァジュルのサラー トを、カダーで行ないます」の ようにします。


基本的には、スンナおよびナフルのサラー トにはカダーはあ りません。

D 集 団ネ
L拝に遅れてしまったとき
L拝にやつて来たとき、もしすでにサラー トが始まっていた場合、次の
集団ネ
ようにします。
1、 列に空きがあれば列に並び、なければその後ろに並びます。

サラー トの意志表示」を心の中でします。
2、 おちついて 「
ア ッラーフ ア クバル」 と唱え、手を組みます。
3、 両手をあげて 「
4、 そのまま皆の動作に参加 します。みながルクーをしていればルクー、サジ

ダしていればサジダ、座 つていれば座 ります。


5、そのまま最後まで一緒に行ない、イマームが 「
ア ッサラームアライクム ワ

ラフマ トッラー」 と唱えた時点で、もしラカー トの回数が足 りていればそ


のまま皆 と一緒に終わ ります。

どのラカー トに間に合 つたかは、皆の動作に参加 したとき、ルクーに間


に合つたかどうかで判断 します。もしルクーに間に合 つていれば、その回
のラカー トは有効です。 しか しルクーに間に合わなければ、そのラカー ト

は数えません。
アッサラームアライクム ワ ラフマ トッラー」 と唱えた時点
6、 イマームが 「
で、もしラカー トの回数が足 りていなかつた場合、ほかの人たちが右を向
いているときも自分一人は正面を向いたままでいます。

そ してイマームが もう一度 「
ア ッサラームアライクム ワ ラフマ トッラ
ー」 と言 つて左 を向いた ときに一人で立ち上が り、足 りなかった分のラカ

スプハーナカッラーフンマ……」および 「
ー トを行ないます。その時、「 ア

ウーズビッラーヒ……」「
ビスミッラーヒ……」『
開端章』『もうひとつ別の

71
章』 を読んで、サラー トの足 りなか つた要素を全 て補 います。
7、 最後に もう一度座 って終了の言葉を唱え、終了 します。

E 旅 行 中のサ ラー ト

旅行 をす る と、普段 自分が住 んでいてよく知 ってい る場所か ら離れ ることで

い ろい ろ と不便があ り、サ ラー トも大変な ものです。イ ス ラー ムでは 「


旅行者J

に限つてサ ラー トを短縮 できます。 また、 ズフル とア スル を同 じ時 間 に、マ グ

リブ とイシャー を同 じ時 間に続 けて行な うこともできます。

・「
旅行者」 の条件

旅行 している人全 てがイ ス ラー ムでい うところの旅行者ではあ りません。 イ


ス ラー ム における 「
旅行者」 とは、次 の条件 にあてはまる人です。

自分 の普段住 んでいる場所 か らおお よそ 80キ ロメー トル以上離れ た場所 ヘ

行 き、そ こに 15日 未満 (つま り14日 以下)滞 在 しよ うとい う意思 を持 つて


い る人。

.つま り、たとえ日帰 りの旅でも80キ ロ以上の距離を移動すれば、その人は



旅行者」としてみなされます。
また、 80キ ロ以上の所にあるホテルや旅館 にたどりつ き、そこで十分 くつ

ろいだ としても、そこでの滞在予定が 15日 未満であれば、その人はまだ 「


行者」です。 しか し、目的地が 80キ ロ未満であつた り、到着地での滞在予定


が 15日 以上であった場合は普段通 りのサラー トをします。
また、注意 して欲 しいのですが、「
旅行者」になるか否かはその人の 「
予定」
によります。つま り80キ ロ以上 15日 未満の旅行の予定のある人は、自分の

家 を出た時から 「
旅行者」です。例え自分の家から10キ ロしか離れていなく

ても、あるいは帰 りに自分の家の近くまで来ていても、自分の家にたどりつ く

までは 「
旅行者」です。

72
またたとえばある人が80キ ロ以上 15日 未満 の予定である場所に泊まって
いた とします。その間ず つと短縮 と結合のサラー トをしていま したが
、急に滞
在予定を延長 し、 15日 以上滞在することにしま した。その瞬間からその人は

旅行者」ではな くな り、その次の回からのサラー トは平常通 りにや らなけれ
ばな りません。 ただ し、それまで行なった短縮 ・結合礼拝はや り直す必要はあ
りません。また、旅行先で集団礼拝に参加 し、地元のイマームの後につ く場合、
イマームに従 つて平常通 りの回数を行なぃます。

F 短 縮礼拝 と結合礼拝 のや り方

それぞれのサラー トにおける短縮の仕方は次の通 りです。


ファジュル :2ラ カー ト → そのまま
ズ フル : 4 ラ カー ト → 2 ラ カー ト

アスル : 4 ラ カー ト → 2 ラ カー ト
マ グ リブ :3フ カー ト → そのまま
イ シ ャー :4ラ カー ト → 2ラ カー ト

ウィ トル :3ラ カー ト → そのまま
ジュムア :旅行者にとってジュムアは義務ではないので、参加 しな くても

構いません。代わ りに 2ラ カー トのズフル をします。


スンナ :旅 行中はスンナは重要度が下が り、ほとんど任意のサラー トと
同 じ程度にな ります:で すから、やって もや らなくて も構 いませ
ん。 しか しもし行な うとすれば短縮は しません。

短縮礼拝はラカー トの回数が減つて短 くなる他は、それぞれのサラニ トのや


り方 と同 じです。

結合礼拝はズフルの時間、もしくはアスルの時間にズフル とアスル を続けて

行ない、マ グリプの時間、もしくはイシャーの時間にマ グリブ とィシャーを続

73

けて行ないます.フ ァジュルは他のサラ トと結合 しません。
自動車、列車、飛行機、船な どの中でも、ふ らついて転ぶ心配がなければ立

ってサラー トすべ きです。そ うでなければ座 つたままサラ トできます。乗 り

物に乗 つている時も、できる限 リマ ッカの方角を向きます。

G け がを した時 の サ ラー ト

イ ス ラー ムの教 えはあ らゆる時代、 あ らゆる状況に対応 して います。例 えけ



がを した り病気 を した りして いて も、サ ラ トをす る方法はあ ります。 また無

理 はあ りませんか ら、けがや病気が重 くて意識 が も うろ うとしているよ うな場



合 は免除にな ります。それで も、病気や けがの時 のサラ トのや り方があると

い うことは、サ ラー トが どれ だけ重要 か とい うことを物語 つているのです。

・けがをした時の ウ ドゥー

出血をするとウ ドウーは壊れてしまいますから、けがをした時はウ ドゥ の

前に手当てが必要です。例えばもし指を切 つた りして指に包帯や絆創膏を巻い
ている場合、濡 らした手で一度包帯の上か らなでることで洗 う代わ りにな りま

す。また、骨折 して足にギプスを巻いているような場合も同 じです。 この時、


絆創膏や ギプスの全体をなでる事がポイ ン トです。
ベ ッ ドからまつた く動けないような場合、ウ ドゥーの代わ りにタヤ ンムムを

します。 (66ペ ージ 「
タヤンムム」参照)

H か らだが不 自由なときのサラー ト

けがや病気などで通常のサラー トの動作ができない場合には、どんな姿勢で
もサラー トはできます。例えば、膝の関節が悪くて正座ができない場合、椅子
ー `
に腰かけてサ ラー トできます6こ の とき、ル ク やサ ジダの代 わ りに、それ を

示す動作 をすれば良いのです。その時、ル ク とサ ジダの違 いが分 かるよ うに、

74
前 へ の傾 き方で区別 します。サジダを示 す の には 、ル クー よ り深 く傾 きます。

片足 をギプスで 固定 している場合、そ の足は前 へ投げ出 して床 にすわ り、そ


の ままサ ラー トで きます。足に障害 の ある人 も同 じです。
ベ ッ ドに寝た き りの場合、 しで きればベ ッ ドを動か して足 をマ
.も ッカの方向
に向けて もらい ます.そ うして上体か頭 を少 しだけ起 こして もらい、そ こに枕

な どをあてがいます.そ うしてそ の姿勢 でサラー トします。 ル クーやサジダは

頭 の わずかな傾 きかげんで区別 します。 ベ ン ドを動かせない場合、顔 を右か左

に傾 けてマ ッカの方角 を向き、サ ラー トします。痛みな どによ り顔 をマ ッカの

方角に向ける事がで きない人は、 どち らを向いたままサ ラー トを して も構 いま

せ ん。 このよ うに、 どんな場合 で も無理 な くサ ラー トがで きるのです。

75
:8:8:::=:::8:38:::::888888::38::::8:::::38888=:::::3888:::::::::::388:::8888::8::388:::=

3 ザ カー ト

A ザ カー トの意味 と重要性
ザカー トは、イスラームの基礎 となる第二の柱です。 これは財産に余裕のあ

るムス リム (イスラニム信者)に 対 し、至高なるア ッラ が命 じられた義務の
一つであ り、その人の財産から一定比率の金銭や現物を支払 うことを意味する

ものです。ザカー トは毎年の終わ りに、それぞれの人の収入資源 と貯蓄の双方


ー ー
に課せ られます。 クルアー ンにも、ザカ トについてサラ トの務めと同じ章

や節に しばしば述べ られています。


本当に信仰 して善行に励み、礼拝の務めを守 り、定めの喜捨をなす者は、主

』雌牛章 (第2章 )277節
の報奨を与えられ、恐れもな く憂いもない。

『これは英知の啓典の微節 (印)で あり、善行に勤 じむ者への導きであり、ま


た慈悲である。礼拝の務めを守 り、定めの喜捨をな し、また、来世を堅 く信 じ
る者たちへの (導きであり慈悲)で ある。
』ルクマ
これ らの者は主の御導きの許にあり、かれ らこそは成功する者である。
ー ン章 (第31章 )2∼ 5節


このように、サラー ト (礼拝)は 言葉 と動作による至高なるア ッラ に対す
ーヘ
る崇拝の行為であり、ザカー トは財産による崇拝の行為なのです。 ア ッラ
の崇拝の気持ちがなくては、この二つの行為は精神的な意味を持ちません。

あるとき預言者ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)の ところに、 人の
私を天国に入れる行ないを教えてください。」予
男がや つて来て尋ねま した。 「 貢

言者 (彼の上に祝福 と平安あれ)は こうお答えにな りま した。 あなたは至高な

76
るアッラー を崇拝 し、かれにどのような同位者 も立ててはいけない。サラー ト
をきちんと行ない、ザカー トを支払 い、親戚 と良い関係を保ちなさい。J

イスラームは信仰 とそれに密接に結びついた行ないからな ります.ク ルアー


サラー トを確立 し、ザカー トを支払え」 とい うくだ りが数多く出
ンの中には 「

てきますが、 このよ うに精神的行為であるサラー トと実際の行動 (この場合は

福祉)と が密接に結びついているのがイスラームの特徴です。信仰が単なる個
人の精神的満足のための信心で終わらず、社会に向かつて行動する方に向いて
いるのです。博愛や慈悲の精神による福祉は様 々な所にあ りますが、イスラー
ムにおけるザカー トは崇拝行為の一種です。サラー トやサウムが体を使つて行

な う崇拝行為であるように、ザカー トは金銭を使 つて行な う崇拝行為なのです。


ムス リムはザカー トによつて 自分の財産を清め、至高なるア ッラーの恵みに感

謝 し、来世への投資とするために施すのです。
実際には、イスラーム国家がある場合、ザカー トの支払能力のある人々から
ザカー トを徴収するのは国家の義務です。 しか し、非イスラーム国家では、至
高なるア ッラー と社会に対するこのザカー トの務めは、ムス リム各人の 自発性
に任 されています。 したがつてムス リム兄弟たちが互いにその務めに注意を促
し合 つています。

B ザ カー トの精神

富は至高なるアッラーの恵みです。至高なるアッラーは宇宙の創造主であ り、

保持者であ り、人間が持つているあらゆるものの本当の所有者です。 クルア
ンでこ う語 つています.

誰が天と地を創造 したのか.ま た誰があなたがたのために、天から雨を降 ら



せるのか.そ れでわれは、美 しい果樹口をおい茂 らせる.そ この樹木を成長さ
せることは、あなたがたには出来ない.… ・
』蟻章 (第27章 )60節

77
至高なるア ッラー こそあらゆるものの本当の所有者であ り、私たち人間は富
を託 されたにすぎないのですから、財産はアッラーの御意志に沿つた方法で使
うべきです。財産を築くことは、それ自体が目的ではなく手段ですから、正し
く使うことを考えなければなりません。また至高なるアッラーヘの純粋な信仰
のほかに、アッラーから見て最も大切なことは、親切と慈善、忍耐と他人への
思いやりであると述べられています。
順境においてもまた逆境にあつても、(主の贈物を施 しに)使 う者、怒 りを押

えて人びとを寛容する者、本当にアッラTは 、善 い行ないをなす者を愛でられ

』イムラー ン家章 (第3章 )134節


る。

このよ うに至高なるア ッラーは、創造物 に対する謙譲の心、正 しい欲求を充

たすための中庸の道、煩悩の制御および寛容 と博愛の精神 を私たち人間に命 じ

てお られ、同時に、傲慢、享楽の追求、物質への欲望の追及を控えるように求

めておられます。ですから、サラー ト (ネ
L拝)は 心のおごりを清め、サ ウム (斎

戒)は 肉体的欲望を制御 し、ザカー トは財産へのどん欲を克服するためでもあ


るのです。
これ らの行ないすべての背後 にある本質は、至高なるアッラーヘの帰依、至

高なるア ッラーのすべての恵みに対する感謝、至高なるア ッラーの寛容 と慈愛


への希望です.

特に、財産 に余裕 のあるムス リムがこのザカー トの務めを果たす ことは素晴


らしいことです。それは、至高なるア ッラーからの恵みに対する感謝 の気持ち
と、他人を助けることのできる喜びです。ザカー トを払 うことは至高なるア ツ
ラーヘの務 めですから、人はザカす 卜を与えた相手に何か してやつたように考
えてはな りません。む しろ自分のザカ‐ 卜を受け取る相手がいることに感謝 し
なくてはな りません。貧 しい者がザカー トを受け取 るのは正当な権利であ り,、

それを与えることは裕福な者 の義務だか らです。イスラー ムの他の信仰行為 と

78
同様 に、ザ カー トを与 えた り受 け取 つた りす ることは、双方 の意図 が純粋 で誠

実 でな くてはな らないのです。

C ザ カー トの効果

ザカー トの道徳的 ・物質的な効果は明 らかです。ザカー トを施すことは、そ


の人の財産に対す るどん欲な気持ちを洗い清め、貧 しい人に対する慈悲の心を

育てます.そ してザカー トを受けることは、その人の心から金持ちに対する羨


望 と反感 の情を和 らげ、彼の心の中に親愛の情を生みます。至高なるア ッラー
はクルアー ンの中でこう言われています。

『天と地の凡ての鍵は、かれに属する。かれは、御心に適 う者に恵みを広げ、

またひき締められる。本当にかれは凡ての ことを知 り尽される。
』相談章 (第
42章 )12節

かれこそはあなたがたを地上の (かれの)代 理者となされ、またある者を外



よりも位階 を高められる御方である。それは与えたものによって、あなたがた

を試み られるためである。0・ ・』家畜章 (第6章 )165節

このよ うにムス リムは、金持ちであれ、貧 しい者であれ、みな現世でどう生

きるかを至高なるア ッラーに試 されています。財力のある者は寛大で慈善の気


持ちを持ち、至高なるアッラーから授けられたものをムス リム兄弟に分け与え
る義務があり、貧しい者は忍耐し、他人を羨んだり嫉妬したりする心を抑える
よ う努力す る義務があ ります。来世 での人 の運命 を決定す るものは現世での富

や地位 ではな く、そ の人 の至高なるア ッラーヘ の帰依 の心、美 しい品性お よび

至高なるア ッラー か ら授 け られた もの をいかに使 うかにかかっています。

イ ス ラー ムの経済原則は、クルアー ンに記 されて い るとお り、富を正 しく、

79
そ してバ ランスよく分配することにあります。

『・
¨それはあなたがたの中の、ただ富裕な者の間にもっばらわたらせないため

である。 …・
』集合章 (第59章 )7節

このようにイスラームでは、富の死蔵 と無制限な蓄積を禁 じていますが、富


の強制的な平等分配 も認 めてはいません。む しろイスラームは中庸を勧めてい

ます。イスラームの教 えに従えば、生活の手段や収入は合法的で正 しいや り方


で行われ、それによつて得た利益は社会に正 しく分配するようになるのです。

イスラームにおける富の社会への還元と分配は、ザカー トとサダカです。ザ
カー トは義務であ り、サダカは自発的なものです。ザカー トが正 しく行われる

ならば、社会の差別 と貧困を抑制する大いなる力 となり、他人に対 して互いに

愛 と尊敬の心を持ち、他人の幸福に関心をもつ人びとの社会を作 り上げてゆく
で しょう.

ザカー トを人に与えることは、優越感 とは全 く関係があ りません。それはサ


ラー ト (礼拝)と 同 じく信仰 に基づいた義務であ り、ザカー トを支払 うことに

よって、その人はムス リム としての行ないを果た したことについて至高なるア

ッラーに感謝 し、自分の罪の赦 しを願 つて至高なるアッラーに祈 らなければな


らないのです。

D ザ カー トの支払いが義務 となる人

ザカー トの支払いが義務なのは、成人の男女 ムス リムで、ニサープに相当す

る金額の財産をイスラーム暦で一年間所有 していた人です。

・ニサ ー プ

ニサー プ とい うのは、ザカー トが義務 になる最低余剰財産 の ライ ンの ことで 、

これ未満 の財産 しか持 つてい ない人にはザ カー トは義務 ではあ りませ ん.つ ま

80
り収入がい くら多 くても、必要経費や生活費が高 くてお金が残 らない場合、ザ
カー トは義務にはならないのです。

・ニサープの計算方法

ニサープの計算方法は、金 87、 4θ
βグラムの時価か、銀 612、 36グ ラ
ムの時価 どちらか低 い方をとります。イスラーム暦は太陰暦なので、一年は通

常私たちが用いる西暦より短いので注意が必要です。ザカー トを払 う人は自分


で任意に決算 日を決め、そこから一年 さかのぼって計算 しますが、多 くの人は

ラマ ダー ン月を決算 日にしています。

E ザ カー トの支払いが義務でない人

ザカー トはイスラームの多くの決ま りと同様、能力のない人には義務ではあ

りません.そ こで次の人はザカー トを支払う必要はありません。


―財産 がニサー プに満たない人

一正気 を失 つてい る人

一未成年

F ザ カー トの計算
・何 にザカー トがかか るか

ムス リムの財産 の うち、ザカー トの 義務 が発生す るの は以下の よ うな財産で

す。以下の財産をニ サー プ以上 1年 間所有 していた人は、その財産に対 しザカ


ー トを支払わなければな りません。

T現 金
―金お よび金製品

―銀お よび銀 製品

―在庫商品

81
―家畜
―農作物 (収穫毎)

・ザカァ トの義務 がないもの


一家庭用 あるいは個人の物品 (例えば家、衣服、食器、家具、自動車、パ ソ
i品
コン、電話機、本な ど)
一商売目的以外の物品 (例えば商用車、事務機器、借 りている事務所)

ザカー トの計算は別表のよ うにされていますが、それぞれの計算については


ムス リムの学者、あるいは当センターヘ ご相談 ください。

人為的水利 の場合 :5%

雨水 の利用 の場合 :1鰯

金 銀 お よび 金

獅 品

鉱業

頭 につ き 1才 の もの 1頭

頭 につ き 2才 の もの 1頭

めの 40頭 に対 して 1頭

120頭 に対 して 2頭
羊、山羊
頭 に対 して 3頭
100頭 毎に 1頭

82
4頭 まで、羊か 山羊 1頭
∼35、 1才 もの雌 ラクダ 1頭

∼45、2才 もの雌 ラクダ 1頭

46∼60、3才 もの雌 ラクダ 1頭

1∼75、4才 もの雌 ラクダ 1頭

6∼90、2才 もの雌 ラクダ 2頭

1∼120、3才 もの雌 ラクダ 2頭

121頭 以上 、40頭 毎に 2才 もの雌 ラク

ダ 1頭 または 50頭 毎に 3才 もの雌 ラ

クダ 1 頭

G ザ カー トを受ける資格 のある人

ザカー トを受ける資格のある人について、クルアーンでは次のように述べ ら
れています。
サダカ〕は、貧者、日窮者、これ (施しの事務)を 管理する者、およ
施し 〔

び心が (真理に)傾 いてきた者のため、また身代金や負債の救済のため、また

アッラーの道のため (に率先 して努力する者)、また旅人のためのものである.


これはアッラーの決定である.ア ッラーは全知にして英明であられる。
』悔悟章
(第9章 )6o節

ですから、ザカー トを受ける資格があるのは次のような人々です。
―貧困者 :自 分 と家族を支 えるだけの充分な財産を持たない者
―羅災者 :災 害のために財産を失 つて しまつた者

―ザカー トを集めて管理する者 :こ の仕事にたず さわる人の賃金はザカー ト基

金か ら支払われます.あ る学者の見解では、イスラーム国家の国税庁や公共

団体の職員は、これに含まれます。

83
―ィスラームヘの改宗者 :イスラームに改宗したために財産を失つた者は、当

然救済 され、きちん とした生活に立ち直るよ うに助 けられ るべ きです.


― 自由を東縛 されて い る者 :ム ス リムの人質や戦争捕虜 を釈放す る身代金 の支

払 いが含 まれます。
一債務者 :合 法的な必要経費 がか さんでできた債務 の返済が出来ずに困 つてい

る者。 しか し、大げ さな結婚式や、その他 自分 の見栄や浪費 によつてできた

債務 の返済には当てはま りません。
一旅行者 :イ ス ラマムの布教、学問の修得、商売な どの正 当な理 由で 自分 の住

まい を離れた地 で 困 つてい る者は、 この部類 に入 ります。 ザカー トは、 この

種 の救済活動 を行 つてい る福祉団体に対 して も支払われます。


一至高なるア ッラー の道に奉仕す る者 :こ れは もつば らイ ス ラー ムの布教活動

を行な う人や、イ ス ラー ムの知識 を探求す る学者や学生、それ か ら社会 の た

めに有益な組織 を作 り改善す る人、例 えば病院、孤児院、教育研究所 、図書

館 、モスク、イ ス ラー ムの奉仕団体、あるいは知識 の普及団体な どの団体や

職員を指 します。

H ザ カー トを受 ける資格 の な い人

次 の人 々あるい は用途 にはザカー トを支払 うことはできません。


一非 ムス リム

ー預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)の 直系 の子孫

―ザカー ト支払 い者 の祖父母、両親、配偶者 、子供、孫

ニザカー ト徴収人以外 の給料 としての支払 い

一裕福な親 のい る子供

―故人 の借金 の返済 のため

―葬儀費用 のため 、

一モスクの購入や建築 のため
I ザ カ■ 卜に関する各種の規定

ザカー ト提供者の扶養家族はザカー トを受けることができません。ザカー ト

受給者に必要以上を与えてはならないし、ザカー トを受ける権利 のある者 も必


要以上を受け取つてはなりません。政府へ支払 つた税金はザカー トには含まれ
ませんが、政府がザカー トとして徴収 している場合はかまいません。

ザカー トの提供者は この務 めを実行することによつて、おごり高ぶつた り売

名 したりしてはいけませんが、もし自分がザカー トを支払 つたことが他人を励


ま し、善行への競争心をあおるような健康的なものであれば、名前を公表する
ことも許 されます。

受給者に自分の もらつた ものがザカー トであることを告げる必要はありませ


ん。ザカー トを受ける資格のある人が遠慮 してザカー トは受けたくない と言 う

場合 には、その出所を特に言わないで与えてもかまいません。 しか し提供者は
それをザカー トと意識 して支払います。
ザカー トは前に述べたような個人や団体に直接に渡されます。提供者は、そ
の相手が本当にザカー トを受け取る資格があるかどうかを、出来るだけ明確に

判断 しなくてはな りません。イスラーム政府がある場合 には、ザカ トは公的
機関を通 して税金 と同じように集められ、その分配は政府の特別部門の仕事で
す.し か し非イスラーム国でのザカー トの支払いは、それぞれのムス リムが 自
分の責任 で支払 う義務があります。
日本でザカー トを支払 う場合、個人が自分で貧 しい人などを探 した り、他の
ムスリムからの紹介 してもらつた り、あるいは自分の信頼するイスラーム団体

がザカー トの分配を行 つている場合、その団体に任せるとい う方法があります。

J ど の ようにザカー トを支払 うか
ザカー トを支払 うときには、ニーヤ (意志)力菫必要です。 もしニーヤなしに

ザカー トに相当するお金を払 つた り施 した後で、あれはザカ トだつたことに

85
しようと考えた場合、そのザカー トは無効です。 もしザカー トを支払 つた後で

ザカー トを払 うべ きではない相手に施′


して しまったと気がついた場合、そのザ

カー トは有効です。ザカー トを支払 うときは施 された相手にそれがザカー トで


あることを告げる必要はありません。

K サ ダカ
ザカー トは経済的に余裕 のあるムス リム男女に課せ られた一つの義務 ですが、

サダカはその他のあ らゆる慈善行為をさします。私たち人間が持つてい るもの

は全て至高なるアッラーの恵みであ り、その中か ら金銭や 自分の能力を提供 し


て他人を助けることは人間の務 めです。至高なるアッラーはクルアー ンでこ う

述べています。

『あなたがたは愛するものを (施しに)使 わない限 り、信仰を全うし得ないで


あろう。あなたがたが (施しに)使 うどんなものでも、アッラー は必ず御存知
』イムラー ン家章 (第3章 )92節
である。

さらに何を慈善の為に使 うかについて、至高なるアッラーは次のよ うに語 つ


ています。

『・
…またかれ らは何を施すべ きかをあなたに問うであろう。その時は 「
何でも

余分のものをJと 言 つてやるがいい.… ・
』雌牛章 (第2章 )219節

そ して施 し方については、それを受け取る人の人格が傷つかないよ うに気を

配 り、匿名 で施 した り、自分の行為を見せび らか した り高慢になつた りしない


ように注意するべ きです。至高なるア ッラーはこう語 つています。

信仰する者よ、あなた方は人々に見せびらかすため、持物を施すように、負

担侮辱を感 じさせて、自分の施 しを無益にしてはならない。…・
』雌牛章 (第2

章)264節

86
親切な言葉と寛容とは、侮辱を伴 う施 しものに優る.ア ッラーは富有にして

』雌牛章 (第2章 )263節
慈悲深 くあられるこ
施 しをする相手は、まず自分の家族、扶養者からはじめて、親族、孤児、貧
しい人、困つている人、未亡人、債務者、旅行者、至高なるアッラーの道の布

教者、そ して最後に、救助を必要とする一般人に対するように拡大 してゆくも


のです。至高なるア ッラーはこう語 つています。

かれ らは、如何に施すべ きか、あなたに問うであろう`言 つてやるがいい。




あなたがたが施 してよいのは両親のため、近親、孤児、貧者 と旅路にある者
のためである。本当にアッラーはあなたがたの善行を、何でも深 く知 つておら

』雌牛章 (第2章 )215節


れる。

『(あなたがたの良い施 しは)ア ッラーの道のために、心をいためながらも、大


地を開歩出来ない困窮者のため (のものである)。かれ らは控え目であるから、
知 らない者は金持であると考える。あなたがたはその様子から察 しなければな
らない。かれ らはしつこく人びとに請わないのである6あ なたがたがよいもの

を施せば、アッラーは必ずそれを熱知されておられる。
』雌牛章 (第 2章 )273

最後に、より広い見地からして、慈善の意義は援助を必要 としている者に対
して与える金や物だけに限らないことが強調 されています。それは他人を助け
るためにする行為や言葉のすべてを含んでいます。例えば時間、労力、利害関
係、同情心、援助の気持ち、親切な言葉な ども含 まれます。他人が必要として
いることに良く気を配 り、病人を見舞い、葬儀 に参列 し、近親者に死なれた者

を慰めること、また、笑顔で人に接すること、 これ らすべてが慈善の行為なの
です。

87
この慈善行為を通 して、私たちが真のイスラーム友愛精神 を成 し遂げること
がで きるよう、至高なるアッラーのお導きがありますように。

88
4 サ ウム
8888888888888:8::::888888888:38888::88888888::888888::::888::888888888888888888888888888888888

A ラ マ ダー ン月 とクルアー ン

ラマダー ン月はイスラームにおげヽ
て非常に重要な月です。ラマダー ン月にム
ハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安 あれ)が マ ッカ近 くのヒラーの
洞窟にこもつて
いた時、クルアー ンの最初の啓示が下されました。

読め、「
『 創造なされる御方、あなたの主の御名において.― 凝血から、人間を
J読 め、「
創 られた。 あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって (書くこ
とを)教 えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。
J』凝血
章 (第96章 )1-5節

ア ッラーはクルアー ンの中で こ う言われています。

『ラマダー ンの月こそは人類の導きとして、また導きと (正邪の)識 別の明証


としてクルアー ンが下 された月である.そ れてお前たちの うちこの月家にいる

者は、この月中サウム しなければならない.』雌牛章 (第2章 )185節

ア ッラーの御言葉であ り、イスラームの最 も重要な啓典であるクルアー ンは、

ラマダー ン月に下されました。 この月はイスラームの聖月にあた ります。 ラマ


ダー ン月にはクルアー ンをいつ もよりもよく読み、現世の仕事や遊びより祈 り

や精神的な修養により時間を費やすことが求められます。
ラマ ダー ン月は、イスラーム暦の第 9番 目の月にあた ります。イスラーム暦
は月の運行にもとづ く暦ですので、私たちが通常使 つている太陽の運行をもと
に した暦 とは違います。一年でおよそ 11日 短 く、したがってラマダー ン月も

毎年約 11日 間早 く繰 り上がっていきます。年を重ねるとラマダー ン月も冬、

89
秋、夏、春 と全ての季節 に順番にめぐうてきます。 これはどうい うことかと言
えば、世界中のどんな地域に住んでいるムスリムも、公平に全ての季節でサウ
ムをしなくてはならないとい うことです。実際サウムは冬には気候も寒く、日
も短いのでやりやすいのですがt夏 は暑く日も長いので他の季節よりも大変で
す。もしサウムがある特定の季節に限られていれば、ある国のムスリムはしつ
,ヽ

も楽なサウムを行ない、他の地域のムス リムは、ず っと苦 しいサウムを行な う


ことにな ります。ラヤダー ン月が毎年ずれてゆくことで、世界中のムス リムは

全ての季節 のサウムを体験することになります。

B ラ マ ダー ン月 とサ ウム
ー ー
ラマ ダー ン月のサウムはイスラ ムの五柱、つま リイスラ ムで最も重要な

5つ の義務の一つです。あらゆる成年のムス リムは、男性 も女性も、 ラマ ダ
ン月の lヶ 月間には毎 日暁から日没までの間サウムをしなければな りません。

これは単なるダイエ ッ トや 肉体的な苦痛のためではなく、精神的な行であ り、

ア ッラーに対する崇拝 と服従を表す祈 りの つの形なのです.
アッラーは私たち人間を創造 され、私たちに生命や身体をはじめ毎 日の生活
に必要なさまざまなものを与えて下さいました。私たちが健康で生活できるの

も、毎 日の食事が食べ られるの も、アッラ がそれを与えてくれてい るからで
す。例 えば人間は努力 しますが、ほんの少 し雨が降らなかつた り、冷夏だつた

りするだけで、飢饉 になります.い くら科学技術が進歩 しても、アッラ がほ

どよい天気に してくれなければ人間にはどうにもできません。ア ィラ は私た

ちの創造主であ り、人間を養 っている偉大な存在です。 しか し人間は 日常に慣


れ、その恵みをあた りまえのことと思いがちです。サウムを行な うことによつ
ー ー
て、私たちは普段忘れているアッラ の恵みを改めて認識 し、よリ 層、感謝
と服従の気持ちを新たにすることができるのです。

また、私たちはアッラーの しもべであ り、アッラ は私たちの主です。 です

90
から、ア ッラーが私たちに一定の期間、食欲や他の欲望を控えるように命 じら

れたなら、私たちは従わなければな りません。 ア ッラーはクルアー ンでこ う語


つてお られま九


信仰する者よ。お前たち以前の者に定められたように、お前たちにサウムが
定められた.お そらく、お前たちは主 を長れるだろう。
』雌牛章 (第 2章 )183

サウムには多くの利益があ ります。預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安


あれ)は 次のよ うにおっしゃっています。

誰でもラマダー ン月に誠実な信仰 とアッラーからの報奨を期待 してサ ウム


する者は、以前の罪を全て許される」

またサ ウムの効用の一つ として、自分の 自制心 ・克己心を強 くする作用があ

ります。私たちは毎 日の生活の中でた くさんの欲望を満たし、自分の健康に害


があることを習慣に していることもあ ります。私たちが欲望に常に忠実であ り

続けると、私たちは自分の欲望の奴隷になってしまいます。サウムを行な うこ
とによって、私たちは欲望に支配 されるのではなく私たちが欲望を支配 し、自

分の生活を抑制する精神的な強 さを得ることができるのです。
またサ ウムをすることによって、私たちは食べ物のない貧 しい人々の不幸を
わずかで も体験することができ、それによって貧 しい人々に対する同情心や親

近感がわきます。またサウム とい う行事を通 じて、私たちは自分が世界中のム


ス リム と一体になった と感 じ、同胞意識を確認するのです。医学的に も、サウ
ムは血液 中の脂肪分をとり、腸内の細菌や乳酸の有害な働 きをおさえるなど、

健康にもよいことが解 り始めています。
しか し、 これ らはどれ も二次的なことです。私たちはアッラーからサ ウムを

命 じられま した。そ こでア ッラーの忠実なしもべ としてア ッラーのお喜びを求

91
めヽ精神的にア ッラーヘ近づ くためにサウムを行な うのです。

C ル ーヤ ・アル ヒラール (新月の観測)

ラマダー ン月の始ま りと終わ りは新月の観測 によつて決ま ります.こ れをル


ーヤ ・アル ヒラール と言います。現代は計算によつておおよそのラマ ダー ン月

の始ま りは分か りますが、実際の始まりは肉眼で観測 して決定 します.



イスラームの暦は月をもとにしているので、 日は日没から始まります。 ム
ス リムの多い地域 では、シヤアバー ン月 (イスラーム暦 8月 )29日 の 日没後

に子供 も老人も建物の屋上や山の上に登 つて 心に 目をこらして新月を見つけ
ー マ
ょうとします。 もしそれでシャアバ ン月の 29日 に新月を見つければ、ラ
ー ー
ダー ンが始ま り、その夜からタラウィ フのサラ トが行われ、翌朝からサウ
ムが行われます。新月はとても細 く、また地平線 の上に登 つている時間は 日没

直後の短い時間なので、天気が署かつたり空気が澄んでいなければ月を見つけ

るのは難 しいです。 も し誰 も月を見つ ける ことができなか つた場合、 シ ヤア
ニ ンの 30日 を終 えてか らラマ ダー ン月が始ま ります。です か ら、隣 り合 う別

の国 で 、 ラマ ダー ン月 の始ま りと終わ りがずれ ることもあ り、それはそれ で全



くかまわないのです。 日本 の よ うにイ ス ラ ムの国で もな く、天候 の ために新
‐ 一 イス
月 を見つ けるのが難 しい国では、新月が確認 できなか つた場合、 番近 し .`

ラニ ムの国 であるマ レ シアの 日程 に合わせ る ことにな つています。

D サ ウムのや り方

・ニーヤ (意志)

サ ウムを始 めるにあたつては、まずサウムをするニ ヤ (意志)が必要です。
日で言 う必要はなく、本人がサ ウムすることを分かつていれば十分です。

92
・サ フール

サウムの時間はファジュル (日の出より前の地平線に曙光が さしたとき)か

らマ グリプ (日没)ま でです。 このファジュル とはファジュルのサラー トが始


まる時刻 と同 じです。空の 自み始める前に起 きて、サウムに備えて軽 く食事を
とります。この食事のことをサフール と言います。これは預言者 ムハ ンマ ド(彼
の上に祝福 と平安あれ)の スンナ (実践)で す。 これ によつて一 日の体力を損

なわない程度にサウムをすることができます。 しか しこの時の食事でお腹をい
つぱいにするのは好ましくありません。 この時の食事には、あま り塩味のきい

たものや、強い味付けのものを避け、タンパ ク質を多く含んだ食べ物が良い と

されます。
サフール を食べ る時刻は遅い方が良いのですが、ファジュルまでには飲食を
終え、歯を磨 くなどしてサウムに備えるべ きです。
サ フール を終えたら、この 日一 日のサウムを行な うとい うニーヤを持ちます。
ア ッラー よ。あなたの命令に従い、今 日一 日のサウムを行ないます」
たとえば、「
と意図 します。食事をしてからファジュルのサラー トが始まるまでの しばらく
の間は、クルアー ンの読誦や祈 りに費や します。そ してファジュルのサラー ト
°
の時刻に入つたら、 日の昇る前までにサラー トをささげます。

E サ ウム中や つてはいけないこと ・望ま しくないこと

サウムを始めたら、昼の間は一切の飲食や喫煙、 性行為をしてはいけません。
一切の とは、例え一粒の エ
米や ウ ドゥ の ときに口をすすいだ水の一滴 もの どを
通 つてはいけない と言 うことです。 さらに口に入れた ものを呑み込んだ り、鼻
や 日か ら、あるいは注射器や座薬によらて体内に薬や栄養剤を入れることもサ

ウムを破ることにな ります。
しか しうつか りとサ ウム中であることを忘れていて、無意識に飲食 した り、

何かを目に入れた りした場合、気が付いた時点です ぐにやめ、そのままサウム

93
ー い
を続ければ良いです。香水、 こ う薬、化粧 クリ ム、外用薬の使用、歯 を磨
て口を軽 くすす ぐこと、無意識に唾を飲み込む こと、身体 を洗 うことなどは、
サ ウムを破 ることにな りません。

また、サ ウムを直接破ることにはなりませんがtけ んかや議論、他人 悪 口
ス ー
や猥談な どはサウムの精神的な効果 を落 とすので慎むようにします。イ ラ
ムのサウムは単に食べないと言 うことではないのです.食 事を しないことによ

る空いた時間を、こんな悪い方向に向けな いよ うに気を付 けたい ものです。

F サ ウム中するべ きこと ・許 されること

ラマダー ン月はサウム とい う行を通 じて、自分を精神 的に磨 く月 ですから、


ハ マ の に祝
普段 よりもよい生活習慣を心がけるべ きです。預言者 ム ン ド (彼 上

福 と平安あれ)は 次のよ うにおつしやつています。



ラマダー ン月、視福の月が近づいてきた。その月の間には、アッラ はあ


なたたちの方を向かれ、かれの特別の慈悲を下 される。またあなたたち 過ち

を許 され、祈 りを受け入れ られる。あなたちが良い行ないをお互いに競 合 う
のをご覧にな り、天使たちの前であなたたちのことを自慢 される。だからアッ

ラーに対 し、自分の良い所を見せなさい.真 に最 も哀れで不運な者は、 この月


にアッラーの慈悲にあずかれなかつた者である」


そ こでこの月には、普段 よりず つと多くの時間を崇神行為に費やす きです。
ー ー ンの最
まず、ラマ ダー ン月 とクルア ンには密接な関係 があ ります。 クルア
ー 一 ー ンの
初の啓示は この月に下されま した。そ こでラマ ダ ン月に 度、クルア
始 めから終わ りまで読破す ることが強く薦 められています。
ー ー
次に、義務のサラ トは当然のこと、スンナのサラ トやナ フル (任意)の

サラー トもたくさん行な うべ きです。 ズィクル (アッラ の御名の唱念)や ド

ゥアー (祈願)も いつ もよ り多く行な うよう心がけます。

94
またサ ウムの 目的 の一つ は、飢 えや貧 困 とは どんな もめか を体験 して
貧 しい
人に対す る親近感 を育てるこ とにあ ります.で すか ら、施 しをす ることはサ

ムの 目的に強 くつ ながっていて 、 ムス リムは余 の
裕 ある範囲で、で きるだけ多
くの施 しをす ることが薦 め られます。た とえ金銭 でな くて も、サ ム
ウ を解 くと
きの食 事 │1人を招いて一緒に食 べ ることもそ の一環です。

また 、多 くの人がザカー トの決算 日をラマ ダー ン月に しています


.一 年 の貯

蓄 2.5パ ー セ ン トを貧 しいムス リム に施 します。

サ ウム 中で も仕事 を した り買 い物 を した り、禁 じられて い ること


以外は普通
の生活 を して もかまい ません。 ただ、ラマ ダー ン とい うこの
聖なる月 を良い機
会 に、仕事 な どの 日常に全てをかけ るのでは な く、人 間 が生 きて い る目的 ア

ッラ ー の偉大 さな どに思 い を巡 らせ 、 自分 の人生 をひ とまず立 ち止 まって ゅっ

くりと考 えてみ ることが大切です。 ラマ ダー ン月 とい うの は、ま さにそ い


う う
精神的な意味 の ある月なのですか ら。

G イ フ タール

日が沈む と、その 日のサ ウムは終了です。 日没 後す ぐになつめ しの


や 実か ミ
ル クか水 な どを摂 ってサ ウム を解 きます。 この食事 をイ フタール
と言います:

イ フ タ ル を始 めるま えに、次 の よ うに唱えるのが預言者 (彼の上に
祝福 と平
安 あれ)の 実践です。
ア ッラー フンマ ラ カスム ト ヮ ビヵ ァ ー マ ン ト ワ アライカ

タ ヮ ッヵ
ル ト ワ ア ラー リズ キカ ア フタル ト ビ ス ミッラー ヒ ラ フマー ニ
ラ ヒー
A」

(意味 :ア ッラー よ。 あなたのために私はサ ウム しま した。 あなた を私は信

じ、あなたに私は頼 ります。そ して今私はこのサ ウム を、あなたか


ら来 る食 ベ
物 によって破 ります。慈悲あまね く慈悲深 きア ッラー のみ名 において
)
そ の後、 マ グ リブ (日没後)の サ ラー トを行ないます。 マ グ リプのサ ラー ト

95
の間は普通 と同
を終 えてから、各人の好きなように十分な食事 をとります:夜
べ せ よう
じ生活ができます。けれ どもその時に、昼間食 なかつた分を埋め合わ
として一度 に食べ過 ぎないよ うに注意 したい ものです。


H サ ウムを破 つてもよい場合 免除 される場合

次の人々はサウムをしなくてもよいことになつています。
―サウムをすると病状が悪化する病人
一イスラーム法で規定された 「 旅行者J:つ ま り 80キ ロ以上の距離 を移動 して
かし旅行中でも特に
現地での滞在 が 15日未満の意志で自分の町を出た人。し
ムします。
苦痛 なくサウムできるようであれば、サウ
一妊婦、および乳飲み子を育てている女性 が、サウムによつて胎児や母体に悪

影響がある場合

ムのできない条件が
以上の人々はサウムを遅 らせることができますが、サウ
ム らなくてはなりません。
終わ り次第、後 日できなかつた分の 日数、サウ をや

一老人や虚弱なためにサウムにたえられない人 :こ の人々はサウムの義務 を免
がサウムできなかつた
除されます。 しか しもし金銭的に余裕があれば、自分
しい人に施 さな
日数一 日につ き、二食分の食事か、それ に相当す る金銭を貧
ければな りません。
一思春期に達 しない子供 :しか し子供の うちか らサウムに対する心構 えを持た
一 ムを体験 さ
せるために、数 日間、あるいは 日の うちの数時間だけでもサウ
せるといいです。

勝手にサウムをやぶるのは、
病気や旅行、月経な どの正当な理由がないのに、
ア ッラーに対する違反です。

96
I サ ウム を してはい けない場合

次 の人はサ ウム を してはいけません。
一月経期 間中の女性 :彼
女はラマ ダー ン月の後にや らなか った 日数分、遅れ て
サ ウム を行ないます。
一出産後 の 出血がある間 :彼
女は出血が止まってか らや らなかった分 のサ ウム
を行ないます。

J カ ダー のサ ウム

正 当な理 由があろ うとも、ラマ ダー ン月の定め られたサ ウム を しなかった場

合やサ ウムを破 つて しまった場合 、後 日同 じ日数 のサ ウムで埋 め合わせ を しな

けれ ばな りません。 これ をカダー のサ ウム といぃ ます。 カダー のサ ウムは 、ラ


マ ダー ン月 の後、なるべ く早 く行ないます。

K カ ッフ ァー ラのサ ウム

食 べ た p飲 んだ り性交す るな どしてわ ざとサ ウム を破 った場合、その償 いの


ため、後に 自分で連続 60日 のサ ウム を しな くてはな りません。これ をカ ッフ ァ
ー ラのサ ウム といいま
す。 もし体力的にそれができな ければ、破 った 1日 につ
き 60人 の人に 1日 2食 の食事をふ るま うか、同等額のお金 を施 さなければな り

ません。

L フ ィ ドヤ

サウムが全くできない非常な高齢者や、死ぬまで治る見込みのない病人など
はサウムの義務を免除されますが、その代わり補償金を払わなければなりませ
ん。 これをフィ ドヤといいます。 フィ ドャは逃 したサ ゥム 1日 につ き、貧 しい

人に 1日 2食 分の食事をもてなすか、相当額のお金を施 します。

97
M タ ラウィー フのサラー ト

ラマダー ン月の間には、毎 日5回 の義務 のサラ トのほかに、預言者 (彼の

上に祝福 と平安あれ)の 慣習であつたタラウイ フと呼ばれるサラI∵卜があり
ー ー
ます。 このサラー トは各 自または集団で 8ラ カ (礼拝の単位)、 10ラ カ 、
または 70ラ カー行ないます。

L拝堂)で 行な う場合は、インヤ (夜 )の サラ トの後、
実際にマスジ ド (ネ
スンナのサラー トを終えてから集団で行ないます。 2ラ カー ごとに終了 し、4
ー ー
ラカー ごとに少 し休憩 します。 タラウィ フのサラ トの後に続けて、普段は

各個人で行な うウィ トルのサラァ トも集団で行ないます。 もしイマ ム (サラ
ー トの先導者)が クルアー ン暗記者であれば、毎晩クルアー ンをこのサ ラー ト
ー ー ー
中に読み、ラマダ ン月のタラウィ フで全クルア ンを読み切 ります。

N ラ イラ トゥ ・ル ・カ ドウル (力の夜)
ー ー
ライラ トゥ ・ル 0カ ドウルはイスラ ムで非常に重要な夜です。ア ッラ は

クルアニ ンで次のよ うに語 つてお られます。


・ ・
真にわれはこの (啓示を)ラ イラ トウ ル カ ドウル (力の夜)に 下 した。

力の夜が何であるか をお前に理解させるものはなにか。力の夜は千月に優る。
天使たち と聖霊は主の許 しのもとにあらゆる所に舞い降 りる。嘩ま
(その夜)`
』みいつ章 (第97章 )1-5節
でそれは平安である。

。 一
ア ッラーの啓示 クルアーンは、ライラ トゥ 。ル カ ドゥルに天上から第 天

に下されま した。 また この夜には天使たちが群をな して地上に下 り、祈 つてい



る人々の許 しを求めます。 この 夜は精神的価値 において千月に優 ぅ と言われ
ています。 この夜が何 日なのかははつきりと分かつていません。 しか しラマダ
ー ン月の最後の 10日 に探 さなければな りません。 ラマダー ン月 21日 、 23

日、 25日 、 27日 、 29日 (の前夜/ヒ ジュラ暦は日没から始まるたo)は

98
可能性が高 く、特に 27日 (の前夜)の 可能性が最も高い と言われています。
そ こでムス リムはこの夜を求めて毎晩祈 りに時を費やすのです:

0ラ イラ トゥ ・ル ・カ ドゥルの ドゥアー

イスラームにおける夜 とは、マグリプ (日没)か らファジュル (暁)ま でを

意味 します。その申でも最も祈 りが聞き届けられ、精神的に重要な時間は夜の
最後の三分の一です。 この時間に起きてタハ ッジュ ド (深夜ネL拝)を すること
には大きな価値があ ります。ある時預言者の妻アーイシャが預言者 (彼の上に

もし私がライラ トゥ 0ル ,カ ドゥル を見つ


祝福 と平安あれ)に たずねました。 「
けたら、なんと言つて祈れば良いで しょうか」預言者 (彼の上に祝福 と平安あ
れ)は こ うお答えにな りました。
ア ッラー プンマ イ ンナカ ア フー ウン ト ゥヒップル ア フワ フ アーア

フアンニ (アッラー よ、あなたは最 も許 されるお方です。ですから私をお許 し

下さい)」

0 イ イティカー フ

イイティカー フとは、お籠もりの意志 とともにマスジ ド (礼拝堂)の 中に籠

もることです。預言者 ムハンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)は いつ もラマダ


ー ン月の最後の 10日 間にはイイティカニフをされました。イイテ ィカーフと

は、現世の一切の雑事を置いてア ッラーに対する祈 りやクルアー ンの朗唱など


に費やす ことで、それによって通常の祈 り以上の精神的な恩恵を得ます。イイ
テ ィカー フの状態にある人は、眠 つていて も祈 つているの と同 じ状態にあると

見なされます。

0イ イティカー フのや り方

イイティカー フをするのに最良の場所は、マ ッカのカアバがあるマスジ ド

99
ー ー
ゥ 0ル ・ハ ラ ムですが、 どのマス ジ ドで行な つて も構 い ません。 ラマ ダ ン

月 20日 の 日没前、お籠 もりの準備 を してマスジ ドに入 り、イイテ ィカ フを

す るニーヤ (意志表明)を します。ひ とたびイイテイカ フが始ま つた ら、正

当な理 由な しに中断 した場合 、その分を後 でや り直 ししなければな りません。

イイティカーフはお籠もり、
そすので、通常の生活をすることは許されません。
基本的にマスジ ドの外に出ることができません。飲食や睡眠、更衣な どすべて
マスジ ドの中で行ないます。

イイティカーフ中に外出して も許 される理由は、次のよ うなものです:


°
一便所に行 くこと :マ スジ ドに便所があれば、その便所を使用 しなければいけ

ません。
―風呂に入ること :マ スジ ドにシャワー室が備えてあれば、それを使用 しなけ

ればなりません。
―食事を用意 してくれる人が誰もいない場合、家に食べ物をとりに行 くこと :

しかし食事はマスジ ドの中で しなければなりません。


一自分のいるマスジ ドで金曜礼拝がない場合、全 曜礼拝に参加するために他 の

マスジ ドヘ行 くこと

これ ら以外の理由、例 えば家族に会いに家に帰るとか、葬式や見舞いに行 く

などはイイテイカーフを破ることになってしまいます。イイテイカ フの最中

は、 1日 5回 のマスジ ドのサ ラ トに参列 し、サ ウム し、空いた時間は クルア
ー ー
ァンを読んだり任意のサラ トに費やします。特にラマダ ィ月の最後の 10日
間にはライラ トゥ・ル 1カ ドルのチャンスがあるので、深夜ネL拝は欠かさず行

なうようにします。 このようにして初心の通りお籠もり́をするのです。シャウ
ワール月の新月が確認されたならば、イイティカーフを終えることができます。

100
・女性のイイテ ィカー フ

女性の場合は自分の家の一角をイイテイカー フ専用の場所に定め、その中に
籠もります。男性がマスジ ドに籠もる場合 と同様、イイテ ィカー フの最中は定
められた理由なしにそ こか ら出ることは許 されません。ですから食事 も家族の

誰かに作 つて もらうことにな ります。

P サ ダカ トゥ ・ル ・フィ トゥル (ザカー トゥ ・ル ・フィ トゥル)


・誰 が支払 うか

サダカ トゥ 0ル 0フ ィ トゥル とは、ラ■ダー ン月の間にする施 しで、ザカニ


トと同 じくイスラームで定められた一定額の貯蓄 (これをニサープといいます)
を所有している人全員の義務です。一般的に、家長である夫が妻や子供たち全
員の分を払います。サダカトゥ0ル ・フィトゥルによってアッラーはラマダー
ン中に犯 した私たちの過ちをお許 しにな ります。そ してそれは貧 しいムス リム

同胞がみなと一緒にイー ドを祝 う助けになります。

・い くらをどのよ うに、誰に支払 うか

サダカトゥ 。ル 0フ ィ トゥルはラマ ダー ン月の間、少なくともイー ドのサラ


ー トの前までに払いま 。額は 1。633キ■グラムの小麦か米、あるいは
す 相当額

のお 金です。現代 の 日本では、約 1500円にな ります。自分で貧 しいムス リム を

捜 して与えるか 、信頼できるイ ス ラー ム団体に任せます。

Q ラ イラ トゥ ?ル ・ジャーイザ
ラマダー ン月は、その始ま りと同 じように新月を見つけることによつて終わ
ります。ラマ ダー ン月 29日 に新月が見つかればその晩はタラウィーフもなく、

翌 日は祝 日ですから、全てのムス リムはサウムの行が終わつたことに対する達

成感 と満足感で休みます。 もし新月が見つか らなければタラウィー フのサラー

101

卜を行 ない 、翌 日のサ ウムに備 えます。 いずれ にせ よ、イ ス ラ ム暦 の他 の月

と同様 にラマ ダー ン月は 29日 か 30日 であ り、それ以上にはな りません。 し


ル 0ジャーイザと呼ばれ、価値 ある夜ですから、
か し祝 日の前夜もライラ トゥ・

意欲のあるムス リムは祈 りに時を費や します。

Rイ ー ドウ ` ル ・フィ トウル

ラマダーン月の明けた翌日はイスラームの祝日です。アッラ の教えのサウ
ムを成 し遂げたことに対してアッラーに感謝し祝 う日です。この祝 日のことを
イー ドゥ ・ル ・フィ トウルと言います.こ の 日t午 前中にムス リムは晴れ着を
ー ー
着て広場か大モスクに集ま り、イ ドのサラ トをささげます。その後自分の
家族や友人たちを訪問したり、食事をしたりして幸せのひとときを過 ごします.

・イー ドのサラー ト

イー ドのサラー トは朝早くに行なわれます.ム ス リムは晴れ着を考て広場(


ー ー ー ‐ ー
集 ま り、集団でイ ドのサラ トを行ないます。イ ドのサラ 卜は 2ラ カ
アッラーフアクパル」
で、普通のサラー トのや り方に加えて 6回 のタクピール (「
ー ー
と唱えること)を 唱えます。イー ドのサラ トが終わつた後はイマ ムの説教
があ り、その後ムス リムたちは休 日を過 ごします。

S シ ャウワール月の任意のサウム

ラマダー ン月の翌月をシャウワ ル月 と言いますが、この月に 6日 間の任意
のサ ウムをすることは、あたかも一年を通 じてサ ウムするような報奨があると

言われています。イー ドの 日にサウムをすることは許 されませんので、その翌



日から、シヤウワール月中であれば自由に 6日 間のサ ウムをすることができま

す。

102
○ ラマ ダー ン月 の始 ま りと終わ り、お よびザカー トの支払 いな どに関 しては 、

イ ス ラ ミックセ ン ター 0ジ ャパ ンのホー ムペ ー ジ をご覧になるか 、お電話 で直

接お問 い合わせ下 さい。

103
::::8:3888:::::::::::8=::::::::::::88::3::::::::::::38:888:888:::38:888:3888:::388::::388

5 ハ ッジ

A ハ ッジの意義
ハ ッジ (大巡礼)は イスラームの五柱 と呼ばれる最も重要な五つの義務のひ
一 一 ハ
とつです。健康で十分な資金のあるムス リムは、少なくとも 生に 度 ッジ

を行なわなければな りません。ハ ッジは、ムス リムにとつて信仰 と実践の集大

成 とい うべ きものです。預言者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)は 、布



教 23年 目に最後のハ ッジを行ないました。そ して、その時に以下のクルア
ンの節 が啓示 されました。

『・¨今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成 し、またあなた

がたに対するわれの思恵を全 うし、あなたがたのための教えとして、イスラ
ム を選んだのである。―・
』食卓章 (5章)3節


また、この時のハ ッジに同行 した約 10万 人の教友たち (彼らにアッラ のお
ームの教
喜びあれ)の 前で、ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)は イスラ

えの要約 とも言 うべ き鵬1れの説教』を行ない、イスラ ムの精神を再確認 し、

自分の死期が近ぃ ことをほのめか し、教友たちに自分の後を継 いで布教を続 け



てい くように命 じています。私たちはムス リム として、ア ッラ と最後の預言

者 ムハ ンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)を 信仰 し、1日 5回 のサラ ト (礼
ー ー ハ
拝)を し、ザカ ト (喜捨)を 払い、ラマダ ン月にサウム (断食)を し、
ッジを行い、預言者の教 えに従 つて生 きていくことが義務なのです:

B 審 判の 日

イスラームの重要な信仰の つに審判の 日があります。 あらゆる人間は現世

104
での生活を終えていつか死にます。アッラーが人間をこの世界に送 つたのは意

味のないことではな く、誰が信仰するか否かを試すためです。

『ジンと人間を創 つたのはわれに仕えさせるため。』撤き散 らす もの章 (51章)


56償籠

人間にとって短 く、不条理なことも多いこの現世は、人間が精神的にいかに
成長 し、ア ッラーに認められて天国に入るかとい う重要な試練の場なのです。
それが精算されるのが審判の 日です。
ハ ッジの象徴的な意味の一つは審判の 日の疑似体験です。ハ ッジの
最 も重要
ー 一
な行事は、特定の 日にアラファ トとい う荒野に 日とどまることですが、そ
の時、巡礼着をまとい、現世の一切の地位や虚飾を捨てた巡礼者たちは、いつ
‐かは
自分が直面 しなければならない審判の 日を思い出すのです。
またイスラームには、全人類の共同体 (ウンマ)と い う考え方があ ります。

世界中のあらゆるムス リムは信仰によって結ばれた兄弟です。そ してイスラー


ムでは、その理念 を単なる理想にとどめないようにい くつかの実践があ ります

例えば毎 日5回 のサラー トは、基本的にはマスジ ド (マスジ ド)で 集団で行な
うものです。そ して毎週金曜 日のジュムアのサラー トは、大マスジ ドにより広
い地域の人々が集ま ります。毎年 2回 のイー ドの大祭には、マスジ ドには収容

しきれない人数の人々が広場に集ま ります。 このよ うに社会性を重ん じるイ ス


ラームが、全人類 0全 民族を信仰 とい う、
絆によってひとつに集 める行事がハ ッ
ジなのです。

C ハ ッジの歴史的背景

′ヽッジの精神はすべての ものを犠牲にする心にあ ります。それは個人的な楽


しみ、現世の悦楽、金儲け、家族や友人 との団 らん、きれいな服やアクセサ リ
ーなどの虚飾、民族 ・教養 0職 ・
業 地位などに対するプライ ドなどの全てをな

105
げ うつて、ア ッラーに帰依する心なのです。
ハ ッジの行事の中には、預言者イプラー ヒーム (アプラハム)に 関わるもの
ー ー 一 べ
がいくつ もあ ります。預言者イプラ ヒ ムは 神教の父 とも言 う き偉大な
ー ハージャル とまだ赤ん坊 の
預言者です。彼 はアッラ の命令 により、自分の妻
息子イスマ イ ル を砂漠の真ん中に置き去 りにしなければな りませんで した。
ー ー マル フの
食料 も水も尽き、ハ ジヤル は水を求めてまずサ フア の丘、椰いて
ー ハ ツジ
丘に登 つて水場を探 しました。 この行動を象徴する行ない (サイ )が
の行事の一つとなり、全巡礼者は彼女の行動を真似します。この時赤ん坊のイ
スマ ーイールが踵で掘 つた地面か ら水が湧 き始 めま した,こ れがザ ムザ ムの井

戸 の起 こりです。
ー ー い
またイ スマ ーイ ールが、イプラ ヒ ムに とつて 日の 中に入れ て も痛 くな
ー ー 、
子を犠牲に
ほどに美しい少年に成長したとき、アッラ‐はイプラ ヒ ムに自́
ー ー
捧げるように啓示 しました。 これは預言者 としてのイプラ ヒ ムの信仰を限
ー ー ー
界まで試すアッラ からの試練でした。彼はイスマ イ ルに相談 しま した。
ー ー 「
わ しはこのよ うな啓示を受けたがどう思 う」イスマ イ ルの答 えは アッ

ーヒ
ラーのご命令の とお りにしてください」 とい うものでした。そ こでイプラ
ームはナイ フを携 え、イスマーイール を砂漠に連れていきま した。途中、悪魔

が人間の姿を して現れ、叫びました。「 気でも違 つたのか、イプラ ヒTム 。お

前は自分の息子を手にかけるのか。それが人の道か。」 「
帰れ、悪魔 !」イプラ
ー ヒームは石を投げて悪魔 を追い払いま した。悪魔はいつたんは逃げ、再び道
ー ー
の途中でイプラ‐ヒームの決心をひるがえそ うとイプラ ヒ ムに呼びかけま
ー ー
した。 しか しそのたびにイプラ ヒ ムは石を投げ、悪魔 を追い払いました。
ついにイプラーヒームが息子を地面に横たえ、その首にナイフの刃をかけよう
ー ー ー
としたその時、ア ッラ は預言者イ プラ ヒ ムの決心 が不動なの を確認 し、

イ スマーイ ニル を犠牲に捧 げ させ る代わ りに天か ら羊を送 り、預言者 イプラ

ヒー ム とそ の息子 を祝福 しま した。 この父母 と息子 のア ッラ に対す る信頼 と

106
犠牲の精神を讃え、この世の終わるまで信者の手本とするため ハ
、 ッジではこ
れらの故事に基づ く行事がいくっ もあるのです。

D 聖 地 マ ッカ ( メッカ) と ヵ ア バ

カアバは、元来預言者イプラーヒームとィスマー ールがア
ィ ッラーを讃え、
かれに祈るための建物をアッラーに指定された場所に建てた のが
も その原型で
す。その後何度も再建 され、現在のよ うな立派な建物に
な りましたが、位置は
そのままです。 これはイスラーム以前から唯一神を信
仰する,場所 としてあ りま
したが、預言者 ムハ ンマ ド (後の上に祝福 と平安あれ
)が 送 られる直前にはマ
ッカの多神教徒に支配され、巡礼の行事はそのままに
、偶像崇拝の場所になっ

ていました。ム ンマ ド(彼の上に祝福 と平安あれ
)に よって偶像が駆逐 され、
それ以来カアバは一神教の中心地 として存続 していま
す。
現在の建物は石 を積みあげて作 られた三階建てのビル くらいの
大 きさの建物
で、全体を金の刺繍を施 した黒い布ですっぽ りと覆 ってい
ます。扉がついてぃ
ますが、中には何 もあ りません。 この建物はあ くまで
も象徴の意味であって、
中に本尊があるとか、ムメヽンマ ドの遺品に関わるものがあるとい
うことではあ
りません。 ア ッラーは時空を超越する御方ですが、人間には
方向があ りますの
で、信者たちが揃 つてサラー トする方向として、ヵァバ
はその一点を示 してい
るのです。

E ハ ッジとゥムラ

巡礼の行事にはハ ッジ (大巡礼)と ウムラ (小巡礼)が


あります。ハ ッジは
健康で十分な資力のあるムス リム全てが一生に少 なくと 一
も 度は行なわなくて
はならないムス リムの義務です。そ して、ハ ッジを行な
う時期はヒジュラ暦 (イ
ス ラームの暦)に よって定められていて
、自分の好きな時に行 くとい ぅゎけに
はいきません。 しか しゥムラは一年中いつで も好きなと
きに行な うことができ

107

ます。また儀式もウムラがマッカ市内で数時間で済むのに対 し、 ッジの場合
はマッカ郊外の数ヶ所を訪れ、行事も数日に及びます。ハッジを行なうために
マ ッカを訪れた ときに一緒 にウムラを行な うことも出来、ハ ッジとウムラはそ
0キ ラー ン、ハ ッジ ・イフ
の組み合わせ方によつてハ ッジ 0タ マ ッ ト、ハ ッジ

ラー ドの 3種 類あ ります。

・ハ ッジ ・タマ ッ ト
一 フラー を脱 ずま
最初 にウムラを行ない、髪の毛を剃るか切るか して 旦イ 台
ハ ジのためにイ フラー ム を着ます。 ハ ッジの
す。そ してハ ツジの当日に再び ッ

最後に犠牲の動物を捧げます。

・ハ ッジ ・キラー ン
ームも脱がないままでハ
最初 にウムラを行ない、そのまま髪を剃 らずイ フラ
の てから髪
ッジの当日まで待ちます。ハ ッジの行事が終わ り、犠牲 動物を捧げ

を剃るか切 り、イ フラ ムを脱ざます。

・ハ ッジ ・イ フラー ド
ー マ ムラは
最初からハ ッジだけを目的にイフラ ムを着て ッカに入 ります。 ウ
ハ ジの行事が済ん
行なわず、ハ ッジが終わるまでイ フラ丁ム も脱ぎませ ん。 ッ
でか らイフラームを脱ぎます。犠牲の動物は捧げる必要はありません。

F ハ ッジヘ出発す るとき
ハ ッジあるいは ウムラに出発する人は、事前 にサウジアラビア大使館 に問い
の を して身
合わせ、必要書類 をそろえます。航空拳や ビザ、予防注射など 準備
一 ビーチサ ンダル、
辺を整理 します。 般の旅行 に必要な荷物の他 に、巡礼着、
ポーチ、日傘な どを用意 します。

108
・ミーカー ト

ハ ッジや ウムラのためにマ ッカに行 く人は、マ ッカを含む特定の地域に入る

前にイフラーム (巡礼着)を 着用 していなければな りません。 この境界のこと


をミーカー トと言います。 日本から飛行機でジ ッダ空港へ行 く場合、ジッダに

着 く前にミーカー ト上空を通つて しまいますので、その前にイ フラームを着て


いなければいけません.飛 行機の中で着るか、あるいは一般的には例えば飛行

機 がバ ンコクからジッダに飛ぶよ うな場合、バ ンコクでイフラーム着用を済ま


せてから飛行機に乗 りま九

G イ フラーム

男性 の場合イフラーム (巡礼着)は 縫 い 目のない二枚の 白い布です。一枚を


下半身に巻き、もう一枚で上半身を覆います。眼鏡や時計、貴重品入れなどは

許 されますが、下着などの縫 い 目のある衣服、帽子など頭を覆 うもの、靴など


足の甲の骨をおお う履物は着用 してはいけません。ただし日除けのために傘を
さすことは許 されます。女性の場合は特別な巡礼着を着る必要はなく、イスラ
ームの規員1にかなつた簡素な服装で顔 と手首から先を除く全身を覆います。

イ フラーム とは単なる服装ではなく、巡礼のために特別に身を慎む状態に入
ることを意味 します。そ こで巡礼着を身に着けるときには、まず入浴 し、身体
に香水などをつけ、巡礼着を着用 してから2ラ カーのサラー トを捧げ、それか
らイ フラームの状態に入るとい うニーヤ (意志表明)を します。

・イ フラームのニーヤ (意志表明)

例えばタマ ッ トゥの場合、イ フラームのニーヤは次の通 りです。


Tラ ッパイカ ウ ムラタン ム タマ ッタアン ビ ハー イ ラルハ ッジJ

ひとたびイ フラームの状態に入ると,、ハ ッジか ウムラの行事を終えるまで普


段着を着ることはできません。 また、イフラームの状態の ときには、以下の事

109
柄が禁 じられます。
1。 通常ムス リムに禁 じられていること全て
2。 けんか、 日論、他人を傷つけること
3。 夫婦生活 0妻 に性的な意味で触れた リキスをした りすること 。それをほ
のめかすような話、 しぐさなど全て

4.草 木を含む一切の殺傷 0蚊 も殺 さず、草一本 も抜かなし


.ヽこと

5。 ■分の爪、体毛 (髪の毛 ・ひげなど全て)を 故意 に切 つた り剃 つた り引

き抜いた りすること (しか し入浴中に自然に抜ける毛は構ぃません。)


6。 あらゆる香料 (香 水、香料入 り石鹸、香料入 リシャンプー)の 使用 (た
だ し香辛料入 りの食物は構 いません。洗濯や入浴は無香料石鹸、あるい
は石けんを使わずに行ないます。)
7.男 性が縫い 目のある服を着た り、頭を覆 うこと

H タ ル ビヤ

イ フ│ラームのニーヤをすると、ただちにタル ビヤと呼ばれる次の言葉を唱 え
ます。
ー ー
ラッパイカッラー フンマ ラ ッパイク ラ ジバイカ ラ シャリ カラカ

ー ー
ラッパイク イ ンナルハムダ ワ ンニヤマタ ラ カワルムルク ラ シャリ
カラク」

意味 :(ア ッラニ よ !私 はここにお ります。あなたの御前にお ります9あ なたに


は同位者はお りません。あらゆる賞賛はあなたのためにあり、あらゆる恵みは

あなたから来ます.力 はあなたにのみ属 します。あなたに同位者はありません)


このタル ビヤは ウム ラのタワー フを始 める直前 、またハ ッジの最初 の石 投げ

の直前 まで、男性 は大きな声で、女性 は小 さな声 で唱え続 けます.

110
I ウ ムラ

ァ ッカに着いたらまず宿をとり荷物を置きます。それからカアパのあるマス
ジ ドゥ ・ル 0ハ ラームに行きます.カ アバ (黒い建物)の 向かつて正面左手に
黄金の扉がありますが、さらにその左側の角に黒い石 (ハジャル ・アスワド)
があります。 これがタワーフ (カアパの周回)の 起点です。そこでタワーフを
行ないますというニーヤをアッラーに対してします。黒石の正面には位置を表
す線が色の異なる石で引いてありますから、 その上に立ち、
黒石にキスするか、
手を触れるか、あるいは離れた所から手をかざしてから 「 ビズミッラーヒ・ア
シラーフアクパル ・ワリッラーヒルハム ド」と唱えます。
それから成時計回りに 7回 、カアパの周りを回ります。男性は最初の 3周 は
右肩に掛けていたイフラームの布を右脇に通して巻ぎ、右肩をさらけ出した状
態で力強く早足で回ります.3周 が終われば服を元に戻し、歩くペースで回り
ます。タワーフの間はアシラーを讃えtさ まざまな言葉で祈 ります。 どんな特
定の祈 りも決まつていません。 クルアーンやズィクル、あるいは個人の祈 りな
ど何でも構いません。下周 ごとに黒石に手をかざし、同じ言葉を唱えます。7
周終えたら、最後に起点に戻つて同じように手をかざし、同じ言葉を唱えてタ
ワーフを終了します。
それからできればカアパの扉の前にあるマカーム ・
イプラー ヒームのそばで、
もしできなければマスジ ド内の どこででも、2ラ カーのナフルのサラー トを捧
げ、ザムザムの水を飲んで一体み します。

それからサファーの丘に登 ります。サイーの意志を し、丘の上で祈 つてか ら

今度はマル ワの丘へ行きます。途中、
廊下の緑色 ランプが点いている区間では、
男性は小走 りに走 ります。マル ワの丘で祈 つた後、再びサ ファーの丘に行き、
このよ うにして 7度 、つまり合計 3往 復半サファー とマルワの丘を行 き来 して

最後はマルワの丘で終了します。この行事をサイー といいます。

111
ウム ラ自体はこれで終了です。1続けてハ ッジ ・キラー ンを行 な うので はない

場合 、頭 を剃 るか頭髪 の二部 を切 つてイ フ ラー ム を脱 ぎます。

J ハ ッジ

ズル ・ヒ ッジ ャ月 8日

ハ ッジのためにマ ッカに集まらたムス リムたちは朝t一 斉に数キ ロ離れた ミ

ナーヘ向かいます。そ こにはテン トが用意 されてあり、そこに 1日 滞在 します。


ズフル、アスルtヤ グリブ、イシャー、ファジュルの 5回 のサラー トを時間通

りに行ないます。そ こでズィクルや ドゥアー、祈 りやクルアー ン読唱などに時

間を費や し、明 日に備えます。

ズル ・ヒッジャ月 9日

翌朝、ファジュルのサラー トを済ませ、 日の出の後、再び巡礼者 の群れは ミ


ナー よりさらに数キロ先のアラファー トヘ と向かいます。 これは百万人以上の

巡礼者を収容できる巨大な荒野です。 ここで巡礼者たちは 日が暮れるまでア ッ


ラーに祈 りを捧げます。 このアラファー トに一時 とどまること (ウクー フ)は
ハ ッジの最 も重要な行事であ り、巡礼者は谷の領域内に必ず足を踏み入れるよ

うに注意 しなければなりません。アラファー トの谷の境界を示す塔がいくつか


立っています。巡礼者はアラファー トでズフル とアスルのサラー トを捧げます。

日暮れ とともに、アラファー トに集まつていた巡礼者たちはマ グリブ (日没


=斉 にミナーの方面へ移動 し始 めます。
後)の サラー トを行なわず、そのまま
そ して ミナーの少 し手前のムズダリファとい う所で野宿 します。巡礼者はそこ
とイシャーのサラー トを行ないます。そ こでいくつか小石を集 めま
でマ グリブ。

す。

112
ズル ・ヒ ッジャ月 10日

翌朝、ムズダリフテにてファジュルのサラー トが終わった後、ミナーに戻つ
た巡礼者たちは、マッカとミナーの間にある三つの石塔 (ジャムラ)の 第 3番
目 (最大でマ ッカ寄 りの)に 小石を投げる儀式を行ないます。小石は右手の親
指 と人差 し指でつまめる大 きさで、7個 を 1個 づつ投げます。投げるとき 「ビ
ス ミッラー ヒ ・ア ッラーフアクパル」 と唱え、預言者イプラー ヒーム
(彼の上
に祝福 と平安あれ)の 試練を思い、自分 自身の欲望や悪魔め誘惑 と戦 う決心を
します。

石投げを終え、再び ミナーに戻 うてから動物を犠牲に捧げます。 これは 1人


につ き羊か山羊 1頭 、あるいは 7人 で牛かラクダ 1頭 です.

犠牲が終わると剃髪するか髪の毛の=部 を切つてよ うや くィ フラームを脱 ぐ


ことができます。 しか しこの後、マ ッカに戻つて もう一度タワーフ ・ル 0イ フ

アーダを済ませるまでは、夫婦生活は許 されません。
上記の行事の後、ズル ・ヒッジャ lo日 あるいはズル bヒ ッジャ H日 にタワ
ー フ 0ル 0イ ファ‐ ダを行な
うこともできます。また、ズル 0ヒ ッジャ lo日 は
全世界でイー ドゥ ・ル ・ア ドゥハーの大祭の 日にあた ります。

その後巡ネ L者は少なくともズル ・ヒッジャ 11日 。12日 までは ミナーにとど


ま り、その間毎 日3つ の石塔に向からて小さい石塔から順番に石投げの儀式を

行ないます.lo日 の石投げの行事では日の出から正午までの間に最 も大きな石


塔に向かつてのみ石を投げました。.けれ ども 11日 、12日 には、正午から日没
までの間に二つの石塔すべてに石を投げます。ただ し女性はこれを夜に行な う
ことが許 されていま九
ズル ・ヒッジャ 13日 まで ミナーにとどまることもできます しか し
。 、もしズ
ル 0ヒ ッジャ 12日 に ミナーを去るつ もりならば、必ず 日没前に去 らなければい

けません。

113
こうしてめでたくハ ッジの全行事を終えた巡礼者たちは、自分の好きなだけ
マ ッカにとどまり、マスジ ドウ 0ル 0ハ ラームでサラ∵ 卜をしたり、■ディー
ナヘ行つて預言者のマスジ ドを訪れたりできますが、マ ッカを去る前には必ず
別れ の タワー フ (タワー フ ・ル ・ワダー)」を しなければな りません。
最後に 「
これをもってハ ッジの行事は完全に終了します。

K マ ディーナの訪問
ハ ッジの義務ではありませんが、ほとんどの巡礼者はハ ッジの前か後にマデ

ィーナ市を訪れます。マディーナは預言者マスジ ドや歴史的な場所が多数あり、
預言者ムハンマ ド (彼の上に祝福と平安あれ)が 埋葬されている地です。また
イスラームが地歩を固め発展 していくきつかけにならた場所でもあります.こ
の地にある預言者マスジ ドを訪れるこ。
とは強く勧められています.
マディーナ市へはマ ッカからバスで 8時 間位です。途中多くダルー ド (預言

者への祝福を求める祈 り)を 唱え続けます。


マディ ナ 市へ着いて宿に荷物を置いたら、なにはともあれ預言者マスジ ド

に行きます.一 般のマスジ ドに必要なあらゆる尊敬のルールが預言者マスジ ド


ー ー
も適用されます..マスジ ドの中で 2ラ カ のサラ トを棒げた後、キプラに
!こ

向かつて左手、建物の外から見ると丁度緑色の ド ムの真下にある預言者ムハ
ンマ ド (彼の上に祝福と平安あれ)の 墓を訪れます。墓は真鍮のグリルによつ
て保護されています.そ の正面に面と向かつてから、平安あれの挨拶を送 りま
す。その時過度に激 して泣き出したり、他の訪問者の妨げとなるくらい延々と
祈 りをあげるのは良いマナーではありません。
預言者 (彼の上に祝福と平安あれ)へ のあいさつの後、彼の傍らに埋葬され

ているアプー ・パクル とウマルにも平安あれとあいさつを送 ります.マ ディ

ナには預言者ムハンマ.ド(彼の上に祝福と平安あれ)の 墓以外にも、サハ パ
の多くが眠る墓地ジャンナ トル 0パ キ、ウフ ドの戦場跡、イスラーム最初のマ

114
スジドであるクーバ ・マスジドなどの名所があります。これらを訪れるのも良
いでしよう0し かしマディーナにいる間はできる限り預言者マスジドを訪れ、
その中で祈り、アジラーに許しを求めるようにします。

さて、ハ ッジの行事が全て終わ りゝ自分の国へ帰る時がや って来ま した。人


ッジを行つた者は以前の罪を全て許 され、生まれたばか りの赤ん坊の ように罪
のない状態にな ります。そ こで巡礼者は自分の人生を再出発 し、生涯罪から遠

ざかる決意で帰途につ きます。

115
」 ヽl γヽ ` J J L D じ J ソJ 3 ノ J ● J 日 1 ‐ iO

戸 1・ ■1 ■
百 中 ♪1 ギ こ `L″

Чリジしり1 デ) l
OLり
J 〔 γヽ` ´り1 - ■ りЧρ J ン■ 1 / くいけメ亭 ) 沖 ン
X `〔` ♂り``●
ピ マ`

11■ ・-1ヽ ヽA―マーA:こLDリ

i し洸″
。りJ l … 日l …
ソ1 6 ■ ヽ
ヽ〔Yヽ/● ▼ マ〔oζ,3
ヽ・


17ヽヽ
/●o▼
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りl″
J
llヽ ・-1ヽ ヽA―マ ーA:こ LDリ
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