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2010[No.242]69-75
―新しく炭素材料実験を始める人のために―
高分子から作製される炭素・黒鉛材料
Carbon and graphite made from polymer
村上睦明 ❖
Mutsuaki Murakami❖
1.はじめに
近年, 高分子を原料とした炭素作製技術が注目されている。本
稿ではこれから高分子フィルムの炭素化・黒鉛化に取り組もう
とする人のために, 最初になぜ高分子から炭素なのか, 何が面白
いのかについて述べ, 次にその実験方法, 留意点, 物性測定法など
について記載する。また, 具体例としてポリイミド(PI)の炭素
化・黒鉛化反応を取り上げ, その熱分解・炭素前駆体・炭素化・
, 高分子からの高品質黒鉛フィルム製
黒鉛化過程を紹介し(図1)
図 1 高分子から炭素・黒鉛への反応
造技術の特徴を紹介する。 (a)本稿で取り上げる芳香族ポリイミド(PMDA-ODA)
の分子構造,(b)黒鉛(グラファイト)の結晶構造
2.なぜ高分子から炭素なのか
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炭素を高温(3000 ℃以上)
・加圧下で長時間(数週間∼ 2 カ月) 抵抗加熱炉としては, 例えばFe-Cr ヒーターを用いた最高処理
かけて黒鉛化するもので小型ブロックの形で得られる。これら 温度 1200 ℃の炉, MoSi2 を用いた1400 ℃の炉, 炭素(黒鉛)を用
に対して高分子から黒鉛を作製する方法は, 容易に大面積フィル いた2400 ℃の炉, などが一般的に市販されている。3000 ℃の超
ムや大型ブロックとして得ることができるという特徴がある。工 高温炉には黒鉛ヒーターに直流電流を流して試料を間接加熱す
業的にもきわめて優れた方法で多くの報告がなされており 2)-7), る方法と, 電極間にパッキングコークスを詰めてその媒体内に熱処
筆者も 20 年以上この技術の事業化に携わってきた。現在, この 理試料を埋め込み直接通電加熱する方法がある。直接通電加熱
方法で得られる高品質黒鉛はその価値が認められ重要な工業材 は大量処理に向いた方法で, 工業的に人造黒鉛を製造する方法で
料となりつつある。 もある。代表的な炉としてアチソン炉(AG 炉)
, 直接通電黒鉛化炉
(LWG 炉)があり, コークス中に試料を埋め込むのは断熱効果と
3.実験方法
酸素吸収による熱処理物の酸化防止のためである。しかしなが
3.1 高分子原料 らこの方法は炉全体の熱容量が大きいために精密な温度制御を
ここでは高分子を炭素化・黒鉛化する場合の実験法, 実験上の 行うことは難しく, 実験室向きではない。
留意点について記載する。原料の観点から見た炭素化・黒鉛化 一方, 間接加熱法は温度制御が比較的容易であるので, 精密な熱
実験における第一の注意点は, 炭素化・黒鉛化の反応が高分子の 処理プロセスの制御が必要な高分子の炭素化・黒鉛化実験には向
化学構造と熱処理プロセスのみでは決まらないという点である。 いている。先に述べたように3000 ℃の超高温炉は黒鉛ヒーター
反応は高分子の配向性, 結晶性, フィルムの厚さなどの多様な物 を用いた炉であるが, このような超高温の実現にはさらに多くの
理的因子によっても影響され, 極端な場合には試料の置き方など 工夫が必要で, 炉内材, 断熱材, 炉壁, 温度測定法, 温度制御方法
の条件にも影響される。したがって実験結果の厳密な評価のた などにそれぞれ特有の技術が必要になる。このようなノウハウ
めにはこれらの条件をすべて同じとすることが必要である。 をもった国内のメーカーは数社に限られており, 炉の導入にあたっ
芳香族ポリイミドを実験室的に合成する場合, ジアミンとカル てはそれらの専門メーカーと十分に相談することをお勧めする。
ボン酸二無水物との反応で得られるポリアミック酸をガラスな 3.3 炭素化, 黒鉛化の熱処理方法
どの基板上にキャストし, これをイミド化する。イミド化反応は熱 熱処理は炉内をロータリーポンプで真空引き後 Ar ガスに置換,
キュア法, 化学キュア法で行うことができるが, 実験室的には熱 Ar フロー中で行えばよい。ガスフロー中で行う理由は, 酸素の混
キュア法が便利である。イミド化反応は水が脱離する縮合反応 入を防止し熱処理過程で発生するガスを炉外へ流し出すためで
であって, 反応過程でのフィルムの収縮による応力で高分子は自 ある。超高温領域での温度測定は炉体に形成された石英板窓を
然に配向する。このとき, キャストフィルムに応力を加え配向度を 通して炉外部から間接的に赤外線温度測定器で行い, 測定器から
向上させることも可能である。PI の分子配向度は分子構造のみ の電気信号をヒーターの制御系にフィードバックする。石英窓
でなくフィルムの厚さによっても異なり, 一般には薄いフィルム を常に掃除してその透明性を確保しておくことも重要である。
のほうが高い配向性が得られやすい。高分子の分子配向は高分 炭素化・グラファイト化反応では試料処理に用いる容器も
子フィルムの複屈折率によって評価されるが, 本稿で取り上げる 3000 ℃に耐える必要があり, 例えば高分子フィルムを人造黒鉛製
芳香族 PI(PMDA-ODA)
(図1)は高い複屈折率をもった結晶性 の板に挟み, さらに黒鉛製容器(等方性カーボンブロックなど)
の高いフィルムであり, 製膜時の分子配向によって機械的強度に にいれて処理すればよい。高分子フィルムは一般に加熱・熱分
優れたフィルムとなることが知られている。現在高品質グラフ 解・炭素化・黒鉛化の工程で膨張・収縮することが多く, この間
ァイトになる芳香族ポリイミドとして 6 種類の PI が知られてお に黒鉛フィルムに皺が入ることがある。高分子原料を黒鉛製の
り, これらはいずれも平面性や配向性に優れたPI である 7)。 板に挟むことは生成物に皺が入ることを防止する意味があり, 高
3.2 超高温炉 分子フィルムを黒鉛製の板に挟むだけで生成物の物性が異なる
高分子から黒鉛に至る工程はすべて不活性ガス中(主にアルゴ ことはしばしば経験することである。
ン(Ar)ガス)で行うが, 黒鉛化には最終的に3000 ℃付近での超 3.4 超高温炉の安全対策
高温処理が必要になる。高温加熱の方法としては抵抗加熱法, 高 超高温処理炉では安全の確保に十分な対策を講じる必要があ
周波誘導加熱法, 燃焼加熱法, 赤外線集光加熱法などが知られて る。一般的に間接加熱法による炉では炉外壁は鉄で作製されて
いるが, 3000 ℃の超高温が実現できる方法は抵抗加熱法と高周波 いる。鉄の融点は 1700 ℃程度であるため, 黒鉛ヒーターと鉄外
誘導加熱法である。高周波誘導加熱法は比較的簡単に超高温が 壁の間には炭素繊維製の断熱材料が置かれ, 鉄の外壁には冷却の
得られる方法であるが, 基本的に実験材料の導電性に影響される ための冷却水が流されている。安全上での最も怖い事故はこの
という性質をもっている。高分子の熱処理の場合, 原料出発原料 冷却水が停止した場合である。冷却水が停止すると炉壁の溶解
は絶縁体であるが炭素化が始まると導電性が現れ, 黒鉛になると が考えられ, 密閉した炉内に水漏れした場合には炉の水蒸気爆発
導電体となるため, 特に高温領域で温度制御が不安定になる可能 の可能性もある。超高温熱処理では二重, 三重の安全対策(停電対
性がある。したがって, 個人的には実験室的に高分子の炭素化・ 策, 水漏れ対策, 温度の異常上昇の検知など)を講じる必要があ
黒鉛化を行うには抵抗加熱法が適当であろうと考えている。 る。超高温処理の危険性, 安全対策の重要性を十分に理解し, 安
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置から出る排ガスは専門の大気測定業者に依頼し安全を確認す
高分子 熱分解物の伝導度(S/cm)
る必要があることは言うまでもない。高分子の熱分解反応を行 ポリイミド(KAPTON H) 20(800℃),160(1000℃)
う際にはあらかじめどのような熱分解物が生成するかを必ず確認 ポリオキサジアゾール(POD) 40(800℃),340(1000℃)
して欲しい。 ポリアミドイミド(PAI) 60(1000℃)
BBM(ラダーポリマー) 0.2(H2SO4ドープ) 注1
4.高分子の熱分解反応と炭素前駆体 BBL(ラダーポリマー) 0
2×10(H2SO4ドープ) 注2
BBB(ラダーポリマー) 1.0(H2SO4ドープ) 注3
熱分解機構の解明には, 発生ガス分析, 生成物や分解物の成分
ポリ(Cu-フタロシアニン) 8×10−1
分析, 熱天秤(TGA)分析, 赤外分析などの化学者にはおなじみの ポリアクリロニトリル 5(435℃),20(900℃)
分析手段が有効である。PMDA-ODA 型 PI は熱処理温度(HTT) シアノアセチレン重合物 1900(1200℃) 注4
が500 ∼ 600 ℃の温度領域で熱分解を起こし, 透明黄色である外 ジアノジエン重合物(ファイバー) 2300(800℃) 注5
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えば炭素前駆体構造が原料高分子の性質を反映していることを , および制限視野回折(SAD)の測定結果を示す。TEM 測
(TEM)
示しているとも言える。高分子の分子構造のみでなく熱処理条 定では炭素縮合多環構造の存在が観察できるが, その構造や大き
件や原料の物理的条件(フィルム厚さ, 結晶性など)まで同一に さまではわからない。しかしながら, SAD 測定ではフィルム面方
した実験が望まれる所である。 向にハローが観察され, 1000 ℃付近の温度領域における炭素縮合
PMDA-ODA の場合, 熱分解反応を経て得られる生成物は700 多環構造は全体としてはフィルム面方向に平行に配向している
∼ 1000 ℃の領域では炭素以外に窒素, 酸素が含まれた炭素前駆 ことが確かめられた 3)。このような炭素前駆体の配向は黒鉛化反
体である。元素分析では HTT = 1000 ℃での炭素前駆体は C : 応の起こしやすさを決めるきわめて重要な因子である。
95.20 %, H:0.56 %, N:2.16 %, O:1.62 %, であると報告されて
5.炭素化・黒鉛化反応
いる 8)。一方, XPS 分析からC, N, O 元素の存在状態が明らかに
なっている。これらの分析の結果から想定されているHTT =700 ℃, 5.1 黒鉛化反応に影響を及ぼす因子
800 ℃, 1000 ℃における推定炭素前駆体構造を図 2 に示す 9)。 通常炭素化過程では, 外見的にも物理的な特性にも大きな変化
PMDA-ODA から作製された炭素前駆体は高い伝導度を示す一群 は観察されないが, 黒鉛化反応に大きな影響を与える重要な過程
, このことは得られる炭素前駆体の分子量が大
に含まれるが(表1) である。一方, 黒鉛化は特定の温度で急激に進行し電気伝導度,
きく, 前駆体中の共役二重結合も発達していることを示唆してお 熱伝導度などの物性値が劇的に変化する。したがって, それらの
り, 推定構造に一致する。ただし, この前駆体のサイズ(分子量) 物性を測定することで黒鉛化の進行状況がわかる。
や形状はあくまで推定であり実際の前駆体構造はよくわかって 表 2 には各種耐熱性芳香族高分子をそれぞれ, HTT = 1000 ℃,
いない。 2500 ℃, 3000 ℃で熱処理(HTT までの昇温速度 20 ℃/min)した
写真1 にはHTT =1000 ℃処理フィルムの断面透過電子顕微鏡 場合の電気伝導度(フィルム面方向, または繊維の長さ方向)を
示す。この表にはPI 以外にポリアミドイミド(PAI)
, 分子構造の
異なる2 種類のポリアミド(PA-1, PA-2)
, POD, ポリベンゾイミ
ダゾール(PBI)の実験結果を示している。また, PA-1 について
は分子構造はまったく同じで試料の形状が異なる(繊維状, フィ
ルム状)2 種類の試料の実験結果を示している。ここに示した高
分子はいずれも1000 ℃処理炭素としては高い電気伝導度をもつ
範疇に属するものであるが, HTT = 2500 ℃, 3000 ℃で得られる
炭素の電気伝導度は原料によって大きく異なっており, 黒鉛化反
応の特徴をよく示している。例えば, PI ではHTT = 2500 ℃での
電気伝導度は520 S/cm に過ぎないが, 3000 ℃では20000 S/cm に
達する。これに対してPAI は3000 ℃でも電気伝導度は380 S/cm
に過ぎず, 高配向黒鉛ができていないことを示している。2 種類
表 2 各種芳香族耐熱高分子の熱処理温度(HTT)と電気伝導度
Conductivity(S/cm)
Name Structure
HTT=1000℃ 2500℃ 3000℃
PI
160 520 20000
図 2 炭素前駆体の推定構造 8) (KAP)
PA-2
(MX) 270 1000 1100
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写真 3 高分子を原料とした各種黒鉛製品の例。 (a)柔軟シート,
(b)X 線モノクロメーター,(c)ベント型 X 線集光素子,
(d)中性子線フィルター
図 4 (a)携帯電話に現れたヒートスポットの例。 (b)裏面筐体
表 3 KSGS(㈱カネカ)と膨張黒鉛シート(NAGS)の物性比較 にKSGS を貼り付け, 熱源とKSGS を熱伝導ゴムで接続し
た場合。
PI焼成法シート 膨張グラファイトシート
(KSGS) (NAGS)
密度(g/cm3) 1.0−2.0 1.0−1.8 囲に広げることによるヒートスポットの緩和, 放熱効率の向上を目
電気伝導度(S/cm) a-b面 10000∼16000 1000 的に使用されるものである。
c面 2∼7 2∼6
熱伝導度(W/mK) a-b面 1000∼1600 100∼400 一般に高分子材料の場合はその熱伝導度は小さく(0.1 ∼ 0.4
c面 4∼6 2∼6 , 高い熱伝導度をもつことで知られる金属材料の熱伝導
W/mK)
引っ張り強度(Kgf/cm2) 2.0 0.2 率はFe:80 W/mK, Al:237 W/mK, Cu:398 W/mK, などであ
圧縮率(%) 71.3 44.4
る。先に述べたNAGS は比重が小さく(Cu のおよそ1/9)単位重
復元率(%) 76.6 34.2
量当たりの熱輸送能力はCu シートよりも大きくなるために放熱
吸水率(%) 0 49
熱膨張率(1/K) a-b面 0.93×10−6 1×10−6 シートとして使用されているが, 熱伝導率のみを比較すると Cu
c面 32×10−6 30×10−6 の1/2, 理想的なグラファイトの熱伝導率の1/8 に過ぎない。一方,
製造(量産)可能な厚さ(µm) 10∼100 40∼400
KSGS のa-b 面方向の熱拡散率は1000 ∼1600 W/mK である。これ
は銅の熱伝導の3 ∼4 倍, 単位重量当たりの熱輸送能力では20 ∼
によって高熱伝導性 GS(KSGS)を開発した。KSGS と膨張化黒 30 倍であり, 実用的な熱伝導シートとしては最も優れた特性のシ
鉛の圧延処理法(黒鉛フィルムの製造方法として一般的な方法) ートである。また, c 軸方向の熱拡散率は4 ∼ 6 W/mK であり, こ
によって得られた市販黒鉛シート(NAGS :ナチュラルグラファ のような大きな異方性は熱の拡散, ヒートスポットの解消には最適
イトシートの略)11)の物性とを比較して表 3 に示す。KSGS は な特性である。
NAGS と比較して, 電気伝導度, 熱伝導度, 柔軟性, 引っ張り強度, 携帯電話のヒートスポットの緩和に KSGS を利用した場合の
圧縮率, 復元率, などの点ではるかに優れた物性を有しており, 例 効果をシミュレーションによって検証した。図 4(a)はKSGS を
えば伝導度や引っ張り強度は10 倍に, 熱伝度率は4 ∼ 10 倍も大 , および筐体表面の熱分布
使用しない場合の筐体断面(上段図)
きい。KSGS においてこのような優れた特性と柔軟性が実現でき (下段図)を示している。シミュレーションを行った機種では発
た理由は, 原料やプロセスの制御によって黒鉛シートの結晶子 熱体の温度は 93.7 ℃であり, 筐体表面には 2 カ所にそれぞれ
(La)を大きく成長させていること, さらにLc が6 ∼ 7 nm(黒鉛 40.6 ℃, 43.7 ℃のヒートスポットが, 裏面には46.9 ℃および45.2 ℃
16 ∼ 20 層程度)程度のきわめて薄い良質の黒鉛薄膜の集合体と (b)はKSGS を筐体に貼り付け熱
のヒートスポットが存在する。
なるように制御していることによっている 12)。 源との間を熱伝導性シートで接続したときの温度分布である。
6.2 GS の熱拡散シート応用 KSGS の利用で発熱源の熱はスムーズに拡散し発熱源の温度は
近年, マイクロプロセッサの高性能化・高速化に伴う発熱量の 48.1 ℃に低下する。その結果キーパット側のヒートスポットは
上昇や電子機器の小型化により, 携帯電話, パソコン, PDA, ゲーム 31 ℃台, 裏面のヒートスポット温度は 35.1 ℃にすることができ
機などの電子機器における熱対策が重要になっている。その対 る。現在, KSGS は携帯電話を始めとする電子機器の熱対策部品
策として, 発熱源の熱を速やかに広範囲に広げる熱伝導シートが として広く使用されており, さらにLED 照明の熱拡散用途など広
注目されている。熱伝導シートは, CPU などの発熱源の熱を広範 範囲に広がりつつある。
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