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ネオ・コーポラティズムの行方

内部労働市場は、雇用契約や教育訓練への誘因、慣習による安定性が働くことで、通常の経済状態で
は生産性にプラスの効果を持ち得る。しかし経済全体の状況が企業経営に大きな制約を課すとき、こん
どはそれが経営に対する制約となって働くことになる。
企業は雇用契約によって採用した労働者と長期的な契約をかわすことになるため、職業能力の低い労
働者を採用することをできるだけ避けようとする。マクロ経済の変動が大きいとこの問題はより先鋭化
し、企業は労働者の採用に躊躇する。雇用契約によって生じるコストを最小化するためには、スポット
的に労働力を確保することが可能な二次的労働市場の存在は必須である。また不況が長期に続くことが
たびたびあると、二次的労働市場の規模はより大きなものとなる。
内部労働市場は、マクロ経済の変調が企業経営に対する制約を強めるにしたがい、経営に対する非効
率を生じさせ、その一方でその制約が弱まれば、生産性を高める効果をもつことになる。また制約がよ
り柔和なものであれば、二次的労働市場の規模も小さなものとなり、そこに属する労働者が柔軟な雇用
契約を希望する者に限られていれば、それが社会的な問題につながることもない。こうした労働者は昇
進への関心が薄く、魅力のない仕事環境に寛容である。ドーリンジャー=ピオレは、扶養すべき家族の
いないティーン・エイジャーの場合など、所得への要求があまり大きくなく、将来的には正社員の仕事
につくことが可能な労働者にとって、二次的労働市場の存在は極めて適切なものかも知れないと指摘し
ている。98
また、マクロ経済学の有力な学派は、完全雇用や物価安定の達成を妨げる主な要因は物価、賃金や雇
用の硬直性にあるとする。ドーリンジャー=ピオレもまた、内部労働市場の諸規則・慣習が、雇用機会
をその構成員にために独占し、労働市場におけるその構成員の相対的地位を高めようとする諸組織によ
って強いられているものである場合には、それが「マクロ・レベルの効率性の改善」につながることを
認めている。しかし一方で、
「限定合理性」や「リスクと不確実性」などの諸課題に対し、内部労働市場
の諸規則・慣習が有効な解答を示すという意味で効率的であれば、物価、賃金や雇用の硬直性に対する
新古典派経済学的な解決策は、マクロ経済の成長と効率性にとって高い代償につながるという。

ポール・クルーグマンがいうように、不況とは国民個個人が現金を保有しようとすることが中心的役
割を果たして社会全体が協調不足になってしまうために生じるものであるとすれば、協調不足を改善し
社会の効率性を回復することはマクロ経済政策の役割となる。
「ミクロ・レベルの成果の改善」によって
「マクロ・レベルの効率性の改善」を目指すのではなく、
「マクロ・レベルの成果の改善」によって所得
と消費を拡張させることができれば、内部労働市場は制約を受けることなくその本来の効率性を発揮す
ることができる。
すでにみてきたように、経済が流動性の罠に陥るとき、物価、賃金や雇用の硬直性が解消され、完全
雇用が成立したとしても、その罠から離脱することはできない。2000 年代以降の日本の景気拡張期のよ
うに、雇用は改善しつつも相対的に賃金水準の低い非正規雇用者が増加し、名目でみた国内総生産はほ
とんどゼロ成長を継続することとなる。この「定常的世界」は以後も続き、労働者が豊かさを実感する
ことはなく、特に、階層化したフリーターには景気の恩恵はまったく行き渡らなかったといっても過言

98
ドーリンジャー=ピオレ前掲書 206 頁。

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ではない。
しかし、景気の恩恵が行き渡らなかっ
(Fig.5) 労働生産性上昇率の分配
40 たのは階層化したフリーターだけに限ら
30 ない。労働生産性(ここでは時間あたり
20 実質GDP)が上昇すれば、その範囲内
10 で、その恩恵は労働者と企業の営業余剰
0 等(脚注 92 を参照。なお、企業の営業余
-10 剰等は、
株主配当や内部留保に該当する)
時間賃金
-20 営業余剰等 に配分されるというのが「生産性基準原
物価
-30 理」の考え方である。これらに対する配
労働生産性
-40 分を超えた労働生産性の上昇分は、物価
1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010
の下落によって生活者全体に配分される。
(資料) 内閣府「国民経済計算」、総務省統計局「労働力調査」
物価の下落=貨幣価値の向上は、同時に
「金融機関、金融資本家、あるいは多国籍企業の経営者」
(ボワイエ)にとっての勝利でもある。一方、
これらに対する配分が労働生産性の上昇分を超えれば、物価は
(拡大図)
上昇し、経済はインフレ基調となる。99高度経済成長期から 1980 10

年代初頭まで、あるいはバブル景気の時期には経済はインフレ
基調となり、実物的な労働生産性の上昇分を超える大きな配分 5

が労働者と企業の営業余剰等にもたらされた。ところが、1990
0
年代半ば以降、経済の姿は激変する。労働者や企業の営業余剰
等は横ばいないし減少基調となり、物価の下落によって、生活
-5
者に対する恩恵が高まることになる(Fig.5)。
1990 1995 2000 2005 2010
マクロ経済の基調がこのまま変わらなければ、定常的世界は
続き、労働の価値=商品の価値は低下する。また「資本の限界効率」は高まらず、企業が資本投資に積
極化することもない。労働者にとって、このようなマクロ経済の基調は好ましいものではない。このよ
うに考えると、労働者がその交渉力を行使し経済に影響を及ぼすことは、むしろ積極的な意義をもつこ
ととなる。物価、賃金や雇用の柔軟性を高めることで市場の効率性を改善することは、マクロ経済がこ
のような基調を続ける限り、経済の根本問題=流動性の罠を解決することにはならない。労働者の交渉
力の強まりは、市場の効率性に悪影響を及ぼすとされ、新古典派経済学の標準的な考え方からは忌避さ
れるものであるが、経済の「マクロ・レベルの効率性の改善」が求められる時代には、それとは逆に、
積極的な意義をもつことになるのである。

マクロ経済の変調を最小限に抑制することは極めて重要である。しかしその一方で、日本の雇用シス
テムにとって、階層化したフリーター等雇用「弱者」の不満に応えることもまた必要である。これは、

99
この配分の考え方は、脚注 92 にもとづく。なお、グラフは下式による。
 = w + k − k  
PRD
p − p  
ULC  ∙ 
ULC 
ULC  − 
ULC 

ただし、PRD:時間あたり実質GDP、w:時間賃金、k:営業余剰等(名目GDP-雇用者報酬) 、ULC:
単位労働コスト、p:GDPデフレーターである。右辺[ ]内の第1項はグラフ内の時間賃金の寄与、
第2項は営業余剰等の寄与、第3項は物価(-)の寄与にあたる。

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積極的就労化政策および生活支援といった雇用のセーフティ・ネットとは異なる、働き方の改善に関わ
るものである。雇用システムの機能を維持しつつ、かつ仕事の格差への不満に応え、労働のための経済
を実現するための方向性はどのように導かれるか。ひとつめの補助線は、アルバート・ハーシュマンの
議論100の援用することで得られる。経済学では、衰退企業からの消費者や労働者の《離脱》が当該企業
を淘汰し、適者生存の原理によって経済成長が可能になるとのビジョンが重視されているが、ハーシュ
マンは、
《発言》というメカニズムによって企業が内部から改善され経済成長が可能となるというビジョ
ンを重視している。日本の雇用システムの中に非正規雇用者を含めた労働者の《発言》と《離脱》の機
会をバランスよく配備することで、労働のための経済を実現するための契機が生まれる可能性がある。
また企業内での価値の配分や教育訓練の提供をより公平なものにすることで、仕事の格差を是正する
機運を生み出すことができる。近年、企業では業績・成果主義的賃金制度の導入が進んでいる。これは
まず、
月例給に対する賞与のウェイトを高めることで企業・部門の業績がより給与に反映しやすくする。
また月例給についても、新たに(より大括りな)役割・仕事に応じた等級・グレードが定められる。こ
れはいわば降格ありの職能給を意味する。
従来の職能給では、
退職者に支払われていた給与
(「内転原資」
とよばれる)から新卒採用者の初任給分を減じた額が現職従業員に配分されることで、
「積み上げ型」の
昇給がなされていた。一方業績・成果主義賃金制度では、個別の査定101によりメリハリをつけることで
「ダイナミック」な運用が可能になる。査定にあたっては、仕事に応じた職務記述書を用いることで職
務給的な要素が強くなる。
また、より高い職務へ昇進しない限り同一等級・グレード内での査定による昇級しかなくなる。1990
年代以降、企業では非正規雇用の活用が進んでいるが、その理由としてあげられるのは将来の給与負担
である。もし業績・成果主義給与制度がより広範囲に拡大することで、等級・グレードの低い労働を続
ける限り将来の給与上昇には歯止めがかかることになれば、当該等級・グレード内での相対評価はより
厳しいものとなる一方、非正規雇用を活用する必要も小さなものとなる。102
業績・成果主義賃金制度の導入により、内部労働市場による管理のもとで、仕事の格差を縮小できる
可能性がある。しかし一方で、労働者の《発言》の機会が配備されなければ、市場からの圧力によって
全体的な雇用の質の低下につながることもあり得る。しかし、雇用契約は将来の不確実性のもとでも労
働力を利用可能にすることで、使用者にもメリットをもたらすものであり、特に特殊訓練が必要となる
場合にはメリットは大きなものとなる。使用者は労働者の交渉力を無視することはできない。内部労働
市場の中におおくの労働者に開かれた「よい仕事」の機会を創るためには《発言》の機会を用意するこ
とが重要であり、その際には、従来の企業別労働組合103の役割が見直されることとなる。

100
アルバート・ハーシュマン(矢野修一訳)『離脱・発言・忠誠 企業・組織・国家における衰退への
反応』 。
101
小池和男は日本の賃金制度について「仕事給ではなく社内資格給、やや広い範囲給、となりの範囲給
との重複は大きく、昇進がなくとも範囲給のなかでその上限まで査定つき定期昇給で上がっていく」も
のであり、訴訟社会の米国よりもむしろ日本の方がおもての査定はより厳しいことを指摘している( 『日
本産業社会の「神話」 経済自虐史観をただす』266 頁)。
102
濱口桂一郎は、EUの有期労働指令が採用している「期間比例原則」(プロ・ラータ・テンポリス)
を紹介し、これは日本でも十分に適用できるものだとしている( 『新しい労働社会──雇用システムの再
構築へ』 )。これは就業形態に関係なく勤続期間に比例した処遇を義務づけるものであるが、均等をはか
るための別の物差しがある場合は、その趣旨にしたがって均等を図ることができる。この原則は、ここ
に述べた業績・成果主義賃金制度の考え方に近い。
103
ここで問題となるのが小規模事業所においては組織率が極めて小さいという事実である。この点から、
企業別労働組合とは別に法的な手続きによって「従業員代表制」をもうけるべきではないかという議論

-70-
もうひとつの、そしてより重要な補助線は、企業を超えた(さらにいえば国を超えた)労働者の「横
の連帯」を可能にする仕組みである。あらゆる労働者がそのメンバーとして承認される連帯的な関係が
構築されるとともに、政策決定過程において、企業と労働者双方の代表性をもつ者が関与するほんらい
の意味での「三者構成主義」
(政策決定プロセスにおける政府、使用者、労働者の三者協議体制)を実現
する、また労働者の「横の連帯」が構成される中に、職業・職務・職能別に形成された包括的な労働組
合(クラフト・ユニオン)
、あるいは職業・職務・職能別の訓練やジョブ・マッチングの機能を埋め込む
ことで、その権能をより強化することである。104
このような取り組みや労働市場をとりまく制度が相互に補完し合いながら有効に活用され得るために
は、労働者自身が制度の設計や運営に関する取り極めに関与するとともに社会に包摂(include)されて
いるという意識をもつことが重要であり、
それによってはじめて全体としての就労化の拡大
(activation)
が可能になる。
社会に包摂されていることが重要なのは、それがない場合、
「消費社会」=商品市場における自分と「労
働社会」=労働市場における自分の間の統一性が十分にとれなくなるためである。しかし定常的世界で
は、経済全体のバランスがゆらぐことで労働の価値は低下する。消費社会における自由で合理的な個人
としてのふるまいが、ひいては、ひとりの労働者としてのその価値を引き下げることにつながる可能性
がある。人々が真に社会に包摂され、バランスのとれた労働生活を営み得るためには、労働者の「横の
連帯」である労働組合の役割が改めて見直されなければならない。さもなくば、ほんらいの意味での「三
者構成主義」を実現することは不可能となる。人々は自らが社会に包摂されていることを疑い、消費社
会の中で、ばらばらな個人としてふるまうことになるだろう。105

三者構成主義に代表される、集権的な利益集団システムが協調し政策を形作る政治システムは「ネオ・
コーポラティズム」とよばれている。このシステムは、二つのオイル・ショックとインフレーションと
いう過程を経て、また経済のグローバル化により資本の国際的な移動が進む中で、しだいに退潮してき
たとされている。
しかし稲上毅は、1994 年時点において、今後のネオ・コーポラティズムの行方についての暫定的な見
方として、現代社会の拡散化(Divergence)ではなく収斂に向かう中期的な傾向を指摘している。106い
ま進行しつつあるのは、一方で、ネオ・コーポラティズム的な協調行動や団体交渉に対する政労使のコ
ミットメントの水準の低下であり、他方で、ネオ・リベラリズムが大きな影響力をもってきた社会にお

が派生する。これは、労働契約法の法制化にあたって議論されたときに実際に提言されている。
104
このような主張は、いうまでもなく柄谷行人らが主張する「アソシエーション」という概念へのオル
タナティブとなることを意図している。なお柄谷は、労働運動は労働者にとって企業がつぶれたら困る
ので企業と一緒になりがちである、資本主義は労働者が生産したものを消費者として買い戻すことで成
立しているのであり、労働運動は労働者=消費者運動として組織し直される必要がある、と指摘してい
る(朝日新聞GLOBE 2010 年6月 21 日)

105
同時に労働市場が生産性の高い雇用を高いレヴェルで生み出すことができることも必要である。1990
年代後半以降の日本では完全失業率がそれまでの水準を大きく超えて上昇し、その後は回復するものの
その振幅の幅は大きなものとなり、低賃金の労働者の割合が拡大するなど雇用はその不安定性を増して
いる。労働市場が質の高いディーセントな雇用を十分に生み出すことができなければ、人々は社会への
包摂を疑い就労化を忌避するとともに 「働きたくない」自由を求めようとする誘因は大きなものとなる。
106
稲上毅『新しい政治経済モデルの探索 ~「収斂の終焉」の終わりか~』(日本労働研究機構『ネオ・
コーポラティズムの国際比較 ~新しい政治経済モデルの探求~』所収) 。

-71-
ける景気後退、高い失業率や低劣な仕事の増加である。こうした中で、ネオ・コーポラティズムは収斂
化する可能性があり、この点で、日本は一見そうみえるほど例外的な存在ではないとする。
ネオ・コーポラティズムは「集合行為の問題」を回避しなければ、持続することはできない。マンサ
ー・オルソンは、国内の利益集団が自らの利益のために交渉を行う結果、非効率と所得の低下を生むこ
とを指摘している。107ある利益集団が効率性の増大によって価格や課税がより低くなるなどの利益を受
けたとしても、それは彼ら以外の大多数の経済主体にとっても同じことである。もしこの集団が経済の
限られた部分しか代表していないのであれば、
効率性のために多大な犠牲を払おうとはしないであろう。
これらの集団は、むしろ経済全体の生産物からより多くの分け前を得ようと努力することで、そのメン
バーに最良の利益をもたらすことができる。こうした集団の構成員だけに配分される利益は、集団への
所属の強制とともに、合理的な個人が集団のコストを支払うことなく便益を享受しようとする誘因をも
つことで生じる集団形成の問題(集合行為のジレンマ)を解決するための手段となる。このように、お
おくの利益集団がその利益を確保するために行動すると、全体の効率性を高めることなく、限られた利
益の取り合い、すなわちゼロ・サム的な競争になりがちである。
また利益集団や共謀は、企業などの個々の経済主体よりもその意志決定の手続きに時間を要し、しば
しば価格を固定化しようとすることで非効率性を生む。さらに分配結託(特殊利益組織や共謀)は、経
済の変化への対応と開発力を損なわせ、資源の再配分に影響することで成長率をも低下させる。
この議論が焦点をあてる利益集団には労働者同士の結託たる労働組合も含まれる。特に労働組合が分
権的に組織され労使交渉におけるナショナル・センターの影響力が小さいとき、一種の「囚人のジレン
マ」の状況が生じ、過度な賃上げ要求によって物価の上昇を加速させる可能性がある。
このように、労働組合が分権的に組織されているときには過度な賃上げ要求によって結果的に経済全
体の効率性と成長力を阻害する可能性がある。こうした集合行為の問題を回避し賃金交渉の安定によっ
て良好な経済パフォーマンスと企業の競争力を維持することが可能な社会のシステムとして、稲上は日
本とドイツのモデルをあげている。前者は「企業間あるいはセクター間のインフォーマルな調整を伴っ
たミクロ・コーポラティズムに基づく企業別交渉」であり、後者は「セクター間の調整だけでなく企業
レベルのフレキシビリティも許容した産業あるいはセクター別交渉」である。この日本とドイツのモデ
ルには、賃金コスト・インフレに対して抑制的で競争セクターの競争条件の維持向上につながる賃金調
整メカニズムという生産者重視の共通特性がみられるという。
国による違いはあるものの、ネオ・コーポラティズムは 1990 年代以降ますます強い構造的緊張関係に
さらされるようになった。三者構成主義によるマクロ・コーポラティズム(頂上団体の協議によるシス
テム)はより企業単位での、あるいは産業や地域単位でのコーポラティズム(ミクロ、またはメゾ・コ
ーポラティズム)によって制約を受けるようになる。こうして日本の分権化されたモデルは、ネオ・コ
ーポラティズムの将来にひとつのモデルを提供することになったと指摘している。
稲上の指摘にもかかわらず、日本のモデルはグローバル化が進展する中での理想的なモデルとはなら
なかった。これは、1990 年代以降の日本経済の実態をみれば明らかである。日本銀行にはブンデスバン
クと同様「インフレ抑制という強い関心をもって利子率の安定的運用に排他的な執着」を示す傾向があ
る。もちろん 1999 年2月のゼロ金利政策の導入、2001 年3月の量的緩和政策の導入などの非伝統的な
金融政策が物価上昇率がゼロ以下となる中でとられたことは事実である。
しかし 2006 年に入り物価上昇
率が「ゼロ近傍」へと近づくやいなや、日本銀行はすぐさまこれらの政策を転換し、再び「利子率の安

107
マンサー・オルソン(加藤寛訳)
『国家興亡論 「集合行為論」からみた盛衰の科学』

-72-
定的運用」への執着を示すこととなる。

1950 年代中期に構築された春闘のシステムは、
「強力な労働組合が勝ち取った高い賃上げ率を他産業
や他企業に波及させよう」というねらいを持ち、やがて「厳しい国際競争にさらされている金属産業セ
クター労使がその競争力維持を確保し得る形で賃金決定を行うというパターンが確立」する。これによ
って「賃金格差の拡大は大なり小なり抑制」されることになる。しかし 1990 年代以降の長期不況はパタ
ーン・セッターとなるべき企業の賃上げを著しく困難なものとし、賃上げはむしろ個別企業の業績によ
って左右されることとなる。
こうした春闘の「形骸化」は、日本
(Fig.6) 労働組合組織率の推移 の労働組合組織率の劇的な低下によっ
50
ても影響を受けたといえる(Fig.6)。

40
働組合組織率の低下は、経済のサービ
ス産業化に加え、各産業内での非正規
(%)

30 雇用の増加によっても促進されたもの
である。また組織率の低下は、労働者
20
のコーポラティズム的な政策参加を弱
め、金融政策を含めたマクロ経済政策
10
1950 1960 1970 1980 1990 2000 に対する労働組合の関与を小さくする
(資料) 厚生労働省「労働組合基礎調査」 ことになる。
(注)組織率は、雇用者数に占める労働組合員数の割合。
つまり我が国におけるネオ・コーポ
ラティズムの衰退は、いうなれば結果的には、我が国経済が定常的世界となり流動性の罠から這い出す
ことができなかったこの 15 年間の劣悪なパフォーマンス、
そして持続的な物価の下落と所得の停滞に手
を貸すこととなったのである。

mailto: kuma_asset@livedoor.com

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