ヘ ボ ン略年譜

ヘ ボ

ン 事

夫 人 が病 いで幼 児 死亡 。

一方 で ア モイ語 の辞 典 を編纂 す る。

一〇月 、 アモイ ︵
夏 門︶ で施療病 院 を 開設 。


ヽnノ

マカオ ︵
澳 門︶ でS ・R ・ブ ラウ ンと 出会

七月 、 シ ンガ ポ ー ル入港 。

二月 、東 洋 伝道 のた めボ スト ン港出 帆 。 ク
ララ夫 人 、船 中 で流産 。

一〇月 、 ク ララ ・リート 二 二歳 と結婚 。

ペンシ ル ベ ニア州 ノリ スタ ウ ンで開業 。

同医科卒 業 、 医学博 士号 を受 く 。

秋 、プ リ ン スト ン大学 卒業 、 つづ いて ペ ン
シ ルベ ニア大学 医科 入学 。

三月 一三日、米 国 ペ ンシ ル ベ ニア州 ミ ルト
ンに生 ま れ る。

ど が あ った と し ても であ る。
ド ド ー ン、 ド ン、 ド ン

二八

もう お仕舞 いの太 鼓 。

天保

ヘボ ン略 年 譜

八 三 二

八三 六
八三 八
八四 〇
人四 一

一四

ヘ ボ ン略年譜

安政

一八 四四 弘 化
一人 四五
一人 四六

一人五九


万延  一


一八 六 一 文久   一

九 治 中  一

一人 六 二 文 久   二

一八 六 三

一八 六 四

四 四

四五

四六

四七

四人

四九

ヘ ボ

ン 事

四月 、 サ ム エル ・デビ ッド誕生 。
 一一月帰米 。
六月 、 マカオを離 れ、

二月 、 ニ ュー ョー ク で病 院 を 開業 し こ の

後 一三年 間 つづ け る。 こ の間、 五歳 二
 一歳 の男 子 が相 つぎ病 死。
歳、
四月 、 日本宣 教を めざ し て ニュー ョー クを
出帆 。
八月 、上海着 、 一〇月 ま で病 気静養 のた め
滞在 。

一〇月 一八 日、神奈 川 上陸 。 二 一日 成 仏
寺 に入 る。

異 人間書し
快 ︵

七月 、 戸部 浦 の漁 師 ら 、 ヘボ ンの治療 で全
一〇月 、函館 視察 へ。

、幕

一月 ご ろ、江 戸 の商 人 の竹 日喜 左衛 門 が訪
ね てく る。
春、神 奈 川 の宗 興寺 に施療 所 を 開く が
府 の圧力 で五カ月余 で閉鎖 。
肩を打
夏 ご ろ、 ヘボ ン夫 人 が門前 で暴漢 に一

た れ て負 傷 。
八月 、夫 人 い った ん帰 米 。
九 月 一四日、生麦事 件 の負 傷 者 二名 を手 当
す る。
育 を依 頼 さ れ る ︵
大村益 次 郎も含 ま れ る︶

・秋 ご ろから、幕府委 託 の九名 の学 徒 の教
。こ のこ ろ、居留 地建 設 のた め の測 量 を行
かでつ。
・同 じ ころ、失 野隆 山 が 日本 語教師 と な り
漢 訳 聖書 の 一部を 和 訳す る。
。 一二月 下旬 、横 浜 居留 地 三九番 の新 居 ヘ
移 り 、施 療所 開設を準 備 。
二月 、 ヘボ ン夫 人 が 一年 八カ月 ぶり に、横
浜 へも ど る。
秋 、夫 人 、 ヘボ ン塾 を はじ め る

横浜︶ 開港 。
七月 、神奈 川 ︵
一一月 、 フルベ ッキ、長崎 到着 。
同月 、 S ・R ・プ ラウ ンと シ モ ンズ が成 仏
寺 の ヘボ ン夫 妻 と合流 。

二月、幕 府 井伊 大老暗殺 。
四月 、 ゴ ーブ ル 一家 も成 仏寺 に住 む。
一二月 、 ァメリカ公使 館 通 訳官 ヒ ュー スケ
ン、薩 摩 藩 士 に斬 ら る。
四月 、米 ・南 北戦争 始 ま る。
東 禅寺事 件 ︶。
五月 、 イ ギ リ ス公 使館 襲 撃 ︵
一 一月 、 J ・H ・バ ラ夫 妻 、成 仏寺 へ。

・幕府 、運 上所内 に英 学 所 設 立 。 S ・R
ブ ラウ ン、同所 の教師 に つく 。

一二月 、高 杉 晋作 ら、品 川 の英 国公使館 の
建物 を焼 く 。
一月 、 S ・R ・ブ ラウ ンの 一家 、神奈 川 か
ら山手 へ移 る。
D ・タ ム ソン来 日。
九月 、幕府 、横浜 鎖港 を米蘭 に提 議 。
S ・R ・ブ ラウ ン ﹁日英会 話 篇﹂ ︵
上海美 華
書館︶刊。

とも に運上所内 の横 浜 英学所 ︵ヨ コ ハマ・ 九月 、 四カ国連 合 艦隊 が 下関砲 撃 。

一月 、 ヘボ ン夫 人 、
林董 ・
高 橋是清 ら に教 授 。 四月 、吟 香 、 眼を 病 み、 ヘボ ンの治療 を う
け る。
春、 ヘボ ンはブ ラウ ン、 バ ラ、 タ ム ソンと

ヘボ ン略年譜

︿上


 n
ハ上


慶応   一
五〇

一八 七 〇

八六九

五 六

五 五

五四

明治

一人 七 一

五七

一八 六 八

一人七 二

ヘ ボ

ン 事

五月 、 J ・H ・バ ラが居留 地 一六七番 に小
会 堂 を建 設 。

二月、 グ リ フィ ス、福 井 へ。

一二月 、 グ リ フィ ス、横 浜 に到着 。

S ・R ・ブ ラウ ン、新潟 を 辞 し て横浜 修 文
館 の教師 に つく 。

潟 の学 校 へ。 同行 のミ ス ・キ ダーは初 来
日、新 潟 へ。

八月 、 S ・R ・ブ ラウ ンふた た び来 日、新

六月、成 辰 戦争 終 結 。

九月、 明治 と改 元 し、江 戸 が東京 と な る。

横浜 新 報
四月、吟 香 、 ヴ ァン ・リ ードと ﹁
も し ほ草 ﹂ を創 刊。

同月 、戊辰 戦争 開始。

一月、 工政復古 の大号令 。

八月、吟香 、 ヘボ ン伝授 の限薬 を 調剤 し


精 埼水 ﹂ と名 付 け て売 り出 す

問宮 一が八幡

二月 、鎌倉 英 人殺害事 件 ︵
アカ デ ミー︶ で英語 ほかを教 え る ク ラ


宮 で英 士官 二名 を殺害 したも の︶
ラ夫 人 は英会 話 を受 持 つ

八月 、吟香 、 ヘボ ン の辞書 編纂 を手 伝う
文 学仮 稽古 所 の設置 を奉 行 に
日曜学 校︶ を始 め る。
六月 、安息 学校 ︵
一〇月 、夫 妻 の銀婚 式 に令 息 サ ム エルも列

四月 、米 ・南 北戦争 、南 軍降伏 し て終 る
席。
、 一一月 、 ゴ ーブ ル、聖書 の和 訳 に つと め る

一 一月、失 野隆 山 の洗 礼 バ ラがさず け


日本 人最 初 のプ こ の年 吟 香 は ジ ョセ フ ・彦 と識 り合 い
ヘボ ンが試 間 にあ た る ︵

海外新 聞 ﹂創 刊 を手 伝う 。
ロテ スタ ント信徒 ︶。

真 理易知 ﹂印 文 学稽古所 の館 号を修 文館 に改 め る
和英語 林集成 ﹂と ﹁
一〇月 、﹁



一 .月 、横 浜 末広 町 の豚肉 屋 から出火 い
刷 のた め、夫 妻 で上海 へ 吟 香も 同行

わ ゆる豚屋 火事 で関内 の大半 が焼失

ン、邸 が焼失 したた め帰 米。
四月 、 ヘボ ンと吟香 、上海 で の印 刷完 了 し ■月 プ ラウ

七月、米 公 使館 ポ ート マン 幕府 にH本 人

の ヘボ ン英 和辞書 の翻刻 禁 上 を要請 した

て帰 国。
真 理易知 ﹂刊行
英和語 林集成 ﹂と ﹁
五月 、﹁

、腿を 切断 す 。

人月 、 ヘボ ン邸 でバ ラ、 タ ム ソンの協 力 を

得 て、 マタイ伝 の翻 訳を は じ め る 九 カ

月 で脱稿 。
沢村 田之助 の脱 疸治療 のた め
八 ∼ 九 月 に か け て夫 妻 は休 養 のた め 蒙 古


?︶、樺太 、 エゾ方 面を 航行 す る。


∼九月 、 ヘボ ン、単身 で帰 米。

施療 にあ た る 一方 で、﹁
和 英語 林集成 ﹂第 二
版 の準備 を つづけ る。
二月 、米 国 公使 より公使 館 通訳を 要請 さ れ
た が国辞 す る。
夏 、 ヘボ ン夫 人 、 ミ ス ・キ ダー に ヘボ ン塾

摩 太福 音書 ﹂ 刊。
七月 、 ゴ ーブ ル訳 ﹁
の女 生 徒を 渡す 。
一 一月 、辞 書第 二版 のた め、夫妻 で上 海 ヘ 八月 、 プ ライ ン、ピ ア ソン、 ク ロスビ ー の

二月 、 日本 基督 公会 が居留 地 一六七番 に創
日本 人最初 のプ ロテ スタ ント教会 ︶。
立 ︵

二人 、山手 に アメリ カ ン ・ミ ツシ ョン ・
ホー ム ︵
横 浜共 立学 園︶を創 立。

五月 、 H ・ルー ミ ス夫妻 、横 浜 に来着 。

行く ︵
帰浜 は翌年 七月 ︶。

九 月 、 六 日間 かけ て ヘボ ン館 で宣 教 師会 議 。


和 英 語林集 成﹂ 第 二版 刊行 。
馬 可伝
秋 、 ヘボ ン ・ブ ラウ ン ・奥 野共訳 ﹁

275


ヘ ボ ン略年 譜

五八

五九

六〇

一八 七 四

八七 五

ヘ ボ

ン 事

約 翰伝 福音 書﹂ 出 版
福音 書 ﹂ ﹁

一〇月 、 ァメリ ヵ聖書協 会 から依頼 があ っ
和英語林
た聖書 の献 上 が実 現。併 せ て ﹁
集 成﹂ も 。

一〇月 、夫 妻 は ヨー ロ ッパ経由 で帰米
馬太伝福 音書 ﹂
ヘボ ン訳 、ブ ラウ ン改 訂 の ﹁
・ラ フ ァィ エ ット大学 より法 学 博士 の学位
を受 け る。
、 和 英語林 集成 ﹂
・ニ ュー ョー ク市 滞在 中 ﹁

︵ロー マ字 と 英語 ︶の小型 縮刷版 同地 で
発行 。
約翰 伝 福 音
・米 国 聖書協 会 よリ ヘボ ン訳 ﹁

書 ﹂ ︵ロー マ字 と英 文対 照︶発行
・長老 派 ミ ッシ ョン本 部 で ﹁日本 ミ ッシ ョ
ン の起 源﹂ に ついて講 演 。

一 一月 、米 国 から横浜 にも ど る

切支 丹禁 制 の高 札 が撤 去 さ れ

九月 、新 橋︱ 横 浜 間 の鉄道 開業 。
一 一月 、太 陽暦採 用を布 告 。


四日

ブ ラウ ン、修 文館 を辞 し て、 山手 二 一一

番 の自 宅 でブ ラウ ン塾 を 開く

ネ ー サ ン ・ブ ラウ ン、 チ ェンバ レ ン来 日
米 国 聖教書 類会 社、 横浜 居留 地 で出 版事
業を 始 め る。

カ ロザ ー ス、築 地大 学校 を 開く

六月、 お雇 い医 師 ト ク ・ベル ツ、横浜 着 。

こ の年 、横 浜 ベー ス ・ボ ー ル ・ク ラブ ︵
BB C︶結成 。

東京 ・築 地 に倫 敦 聖教書 類会 社 設立。

六月 、 フ ェリ ス英和女 学校 、山手 に開校 。
八月 、 ク ララ ・ホイ ット ニー、家 族 で来 日。

教 のう
こ の年 、 ルー ミ ス編 ・奥 野呂 綱 訳 ﹁
廊 祝 問答 ﹂刊 。
た﹂、 バ ラ ・奥 野訳 ﹁

七月 、 グ リ フィ ス、帰 米 。

真理易知﹂第 二版刊。
ヘボ ン ・奥野共訳 ﹁



東 京 日 々﹂
い ﹁
二月、新約聖書翻訳委員社中を結成 ヘボ 四月 吟 香 台 湾 征 討 に従
、 に観戦 記を 連載 。従 軍記者 のはしり。
ンも加わる。助手 に松山高吉、奥 野昌綱

高橋 五郎 の三名 。
と とも に日本人 一人名 の信 徒 によ る横 浜

九 月 、施療 所 のチ ャペルにお いて ルー ミ ス
指 路教会 の前身 ︶。
第 一長老 公会 を 設立 ︵
十字架 も のがたり﹂ 出版 。

ミ ラーと 共訳 の ﹁日本基督 公会条 約﹂ 出 版 。

春 、 居留 地 三九番 の施療 所 を 閉鎖 し、建物
を ジ ョン ・バ ラに譲 る。夫 妻 は山手 に移
る。 バ ラは バ ラ学校 を はじ める。


改 正讃美 歌﹂ 出 版。
七月 、 フルベ ツキ、勲 二等 旭 日章 授与 。
八∼十月 、 コレラ大流行 。
皇 国﹂出 版 。
一〇月 、 グ リ フィ スの ﹁




一 夫 妻 の教籍 を ニ ュー ョー ク市 の長老 教会 か こ の年 J ・バチ ェラーが アイ ヌ伝道 開始
ハ一
ら横浜 住吉 町教会 へ移す 。


一 一月 、新 約 聖書 の翻訳完 成 し、出 版 な る。 S ・R ・ブ ラウ ン 病気 のた め帰 国
二月 、高橋 お伝 を扱う 戯作 二篇 刊 。
六四


ハ二


ハ一

一八七 七

一八七 八
一人七九

八月 、前 米 大統 領 グ ラ ント、 天皇 と会 見 。

277

人七六

ヘ ボ ン略 年 譜

一八八 〇

一人 人 一

八 人三

一八 八 四

一八 八 五

八八六

一四

一七

六人

六九

七〇


ノヽ

ヘ ボ

ン 事

共 同委 員社 中 で行 な った新 約 聖書 翻訳 出 版
が完成 し て、祝賀 会 が築 地新 栄 町教会 堂
で開 か れ る。 フルベ ッキ が司会 、 ヘボ ン



一二月 、 ミ ラーと キダ ー の夫 妻 帰 国す る
二月、吟香 主 唱 の訓盲 院 設 立 、開校式 をあ
げ る。
ブ ラウ ンが マサ チ ュー
六月 二〇日、 S ・R ・
セ ッツ州 で永 眠、享年 七 〇歳 。

六合 雑誌 ﹂創 刊 。

が完 成 ま で の経 過を報 告 した。
バ ラ学校 を東 京 築 地 に移 し、築 地大学 校 を
のち に築
ワイ コフ、横 浜 に先志 学 校 設 立 ︵
地大 学校 と 合流 ︶。

翁書 簡し

・ユージ ン ・S ・ブ ー ス、 フ ェリ ス女 学 校

Z一

泰 明 小学 校 に通学 、北村透 谷 と 同級 にな

九 月、島 崎 春 樹 上京 し、京 橋 の長姉 宅 から

八月 、居留 地 三九番 の ヘボ ン所 有 の土地 ・
建 物 を 、 ミ ッシ ョンが売 却 し た。築 地大
学校 の資金 にあ てるた め。

設立。
二月 一六 日、 グ リ フィ スが ヘボ ン伝 を 執筆

す るた め に依 頼 し てお いた資 料 を送 る
。同 一七 日、夫妻 は静養 のた め横浜 を 離 れ

て、 スイ ス ・チ ュー リ ッヒ ヘ向 う 当 地
では ヘブ ライ語を 学 ぶ。

ベ ルリ ン、 パ リを 経由 し て マルセイ ユ ヘ
一二月 一一日帰 日 の途 に つく 。
の第 二代校 長 に つく 。

一月 、 N ・ブ ラウ ン没。

、東 京

女 学雑 誌﹂創 刊 。
明治女 学 校 設立。 ﹁

一致 英和 学校 に野球 部創 設 。

一月 、前 年 の フルベ ッキ ら に つづ き
正久 によ る高 知伝道 。


こ の年 、自 由 民権 の事 件 が各 地 であ い つぐ
、植 村

同月 、 A ・A ・ベ ンネ ット、横浜 山手 六 四
番 に横 浜 バプ テスト神 学校 開校 。

九月 、英 和 予備校 開校 。
真 理 一斑﹂刊
一〇月、植 村正 久 ﹁

一一月 、鹿鳴 館 開館 式

九 、先志 学 校 、築 地大 学 校 に合 流

一致 英和 学校 と改 め る。

開く 。

五月 、第 二 回基 督 教徒 大会 親睦 会 を東 京 で

一一月 、福 島事 件 。

二月 、夫妻 は横浜 へ帰着 。 山手 二四 五番 の 東 京 一致 神 学校 に邦語 科 と 英語科 を設 け
修 業年 限を 四年 とき め る。
借家 に住 む。

・旧約 聖書 の翻訳委 員 に ヘボ ン

フルベ ッキ、 グリ ー ン、 フ ァイ ソ ンが選
ば れ る。

服 部綾
六月 、築 地大 学校 の第 一回卒 業式 ︵
雄 、 石本 三十郎 が卒業 生 ︶ ヘボ ンが免 状
を授与 し、訓 示を お こなう 。
四月 、大 阪 で の第 二回宣 教師 会議 に出席
議 長 を つと める。

旧約聖書 の翻訳委員 の日本人助手 に松山高
吉、植村正久、井深梶之助が加わる。

一月 、 ロー マ字会 が設立 さ れ、 ヘボ ンは同
会 の顧 間と な る。
英和 語林集 成 ﹂第 二版 の改 訂を おえ
八月 、﹁
る。 ロー マ字会 の標準 式 ロー マ字 を 取 り
入 れた。
和 英語林 集成 ﹂第 二版 の著 作権 を丸
五月 、﹁

ヘ ボン略年譜

一人 八七

一人 八 八

八八 九

一人九 〇

一人 九

一人 九 二


二四

七 一

七四

七五

七六

七七

ヘ ボ

ン 事

善 商社 へ譲 る。 同社 は版 権免 許を得 た。
ヘボ ン訳 ロー マ字 新約 聖書 、米 国聖書 協会
から出 版 。
和英 語林集 成﹂
一〇月 、 ﹁
﹁こぶと り﹂ の英 訳な る。
九月 、 ヘボ ン寄付 の ヘボ ン館 と サ ンダ ム館
竣 工。

ヘボ ンは学 院 の生 理学 と衛 生 学 の教授 と な
フ一

一〇月 、夫妻 結婚 四七年 の祝 いをす る。

四月、東京 一致 神 学校 ・東京 一致 英和 学 校
・英和 予備校 の合併案 成 る。
六月 、明治 学 院 の名称 がき ま る。
一〇月 、白 金 に土地を購 入。
一月、明 治学 院 の設置 が認 可 さ れ る。
九 月 、明治 学 院 開校、普 通 学部 本科 に島 崎
春樹 が入学 。
こ の年 、 キ リ スト教系 の女 学校 、各 地 に設

一。
六月、島崎 春 樹 ら、高 輪 台 町教会 で木 村 熊
二により受 洗 。

一二月 、旧約 聖書 の翻 訳 が完成 す る。

言文 一致 の論 お こる。

二月 、新 約 聖書 の翻 訳事 業完 成 祝賀会 が東
京新 栄 教会 で開 か れ る。 ヘボ ンは英語 で

二月 、 アメ ル マン帰 国 。

一〇月 、教育 勅語 の発布 。
不敬事 件 ﹀
一月 、内 村 鑑 三 の いわ ゆる ︿

八月、井 深 梶 之助 、 ュ ニオ ン神 学 校留 学 の
た め、米 国 へ向 う。

七月 、基 督 教青 年会 第 二回夏 期 学校 が明治
学院 で開催 。

球試 合後 、イ ンブリ ー事 件 お こる。

五月 、明治 学 院 VS第 一高等 中学 校と の野

こ の年 、 シ モ ンズ 没。

同月 、文 部大 臣森 有 礼 が キ リ スト教徒 と み
な され刺 殺 。

二月、大 日本帝 国憲法 など 発布 な る。

基 督 教公 許
異ら有 志 ﹁
・井 深梶 之助 、新 島一
の建白 書﹂ を 元老 院 へ提 出 した。

翻 訳事 業 に関し て語 った。

聖書 辞 典﹂ を 山本秀 燈 と 編
二月 、念 願 の ﹁
纂 に着手 。
四月 、指 路教会 堂 の建 設資 金募 集 のた め
夫妻 で帰米 す る。

一〇月 、明治 学院 の初 代 総 理 に推 さ れ、 井
深を 副総 理 にを条件 に受 く 。
一二月 、横 浜 に帰着 。
一〇月 、横 浜 指路 教会 の定 礎式 。式 後 、 山
手 の家 に て夫妻 の金婚 式 を あげ る。

六月 、明治 学 院卒 業式 。 ヘボ ン自 ら島 崎 春
樹 ら に証書 を手 渡す 。
一〇月 、明治 学 院 総 理を辞 す 。留 学 から帰
朝 した井 深を後任 総 理 に推 す。
一月 、指 路 教会献 堂式 。

七月 、箱 根 で第 四 回キ リ スト教夏 期 学校 が
開 か れ る。

鍵﹀ を渡 す 。
一 一月 、井 深総 理就任式 で ︿
聖書 辞 典﹂完成 。
六月 、 山本秀 違 と の ﹁
一〇月 、指 路 教会 ほ か で ヘボ ン夫 妻 の送 別
会 が行 なわ れ る。
同 三 二日、夫 妻 は横 浜 から帰 国 の途 に つく
︵一一月 一〇 日、 サ ン フラ ンシ ス コ着 ︶。

ヘ ボ ン略 年譜

一九 〇 〇

一九 〇 五

一九 〇六

一九 〇 八

一九 一 一
四四

八五

八七
九〇

九 一

ヘ ボ

ン 事

一 一月 、 ジ ェー ムズ ・H ・バ ラ来 日五 〇年
祝賀 会 。

二月 、 日米新 通商 条約 が調印 さ れ、関税白
主権 を 回復 。

ワイ コフ没 、白金 の瑞 聖寺 に埋葬 。

一月 、大逆事件 の幸徳 秋水 ら処 刑 。

破戒 ﹂出 版 。
三月 、島 崎 藤村 ﹁
翌年 発表
一〇月 、校 歌 を藤 村 に依 頼 す る ︵
にな る︶。

ら ﹁
文学 界﹂ を創 刊 。
五月、夫 妻 は ニ ュージ ャージ ー州イ ー スト 島崎 藤村 ・北村透 谷

二月、 田村直 臣 の英文 著書 ﹁日本 の花嫁 ﹂
・オ レ ンジ にて隠 棲 の日 々に入 る

を めぐ って、教会内 部 で議論 さ れ る
一 一月 、同 地 のブ リ ック長老 教会 の長老 に
選 ば れ る。


ン 像 建 設 発起 人会
ボ スト ンで開催 の万 国宣 教 大会 で ヘボ ン 四月 ド クト ル ・ヘボ 銅


が開 か れ る。 来会者 は岸 田吟 香 林董
多 年 の功 績 に対 し て、会 衆 一同 が起 立 し
実 現を 見ず ︶。
三宅 秀 、井 深梶 之助 ら ︵
て敬 意 を示 した。
一月、学 院生 が足 尾鉱毒 視 察街 頭 演説 を行
ク ラ ラ夫 人 、病 いのた め ベ ンシ ル ベ
のサ ナト リ ウム ヘ入 る。

条約。
二月 一三 日 の九 〇歳 の誕生 日 に日本 政府 か 日本海海 戦 日露 講和
ロー マ字 ひ ろめ会 発足 。
い勲 二等 旭 日章 を受 く 。

戦論 の対 立 があ る。
二月 、井 深総 理欧 米 への途 次 ヘボ ン ノ ッ 学 院生 の間 に主 戦論 と非

YM CA創 立 。
ク ス、 アメ ル マンを訪 問す る

六月、岸 田吟 香 死去 、享 年 五 〇
六月 、高橋 是清 が訪 れ る。

、享年 八 八。

同月 、 プ リ ンスト ン大 学 から法学博 士 の学
位を受 け る。
二月 四日、 ク ララ夫 人永 眠

プ リ ン スト ン大 学 総 長 ウイ ル


のち 大 統 領︶ の誕 生 日を 祝 う メ ッセ ー
ジと どく 。
九月 、海老名 禅 正 が訪 問 した。
一〇月 、大 阪毎 日新 聞 の取材 で、油 谷生 が
﹁五十年 前 の日本 ﹂ を掲載 した。
九 月 二〇 日ご ろ、自 宅 で死亡 し て いると こ
ろを発 見 され る。
同 二 一日早朝 、明治学 院 ヘボ ン館 焼失 。
同 二三 日、葬 儀 。 ローズ ・デー ル の墓 地 に
埋葬 さ れ る。
同 二七 日 は指 路教会 、 二八 日は明 治学 院 で
ヘボ ン追 悼会 が催 さ れた。

村 _L文 昭

(む らかみ

ふみあき
)

1935(昭 和 10)年 ,山 形県鶴岡市に生まれる。

明治学院大学英文学科卒業,同 大学院修士課程修了。
現在,関 東学院大学教授,明 治学院大学講師。
著書,『 イギリス道徳劇瞥見』 『イギリス道徳劇とその周辺』『庄内少年歳時記
(正 ・続)』

など。

ヘ ボ ン物語 一一 明治文化の中のヘボン像
2003年 10月 25日
2003年 12月 24日

初版発行
再版発行

著 者 村上文昭
発行者 中村 義 治
発行所 株式会社 教 文 館
東京都中央区銀座4‐ 5‐ 1 振替 00120211357 電話 03(3561)5549
URL http:〃 www kyobunkwan cojp
印刷所 安信印届U工 業株式会社
製本所 株式会社関山製本社
配給元

日キ販 東京都新宿区新小川町91 振替 00130360976

電話 03(3260)5670(代

)

◎ Fumiaki Murakami 2003

1SBN 4-7642-9926-7

落丁・乱丁本はお取り替えいたします。
Printed in Japan

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