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表1

2018/01/10
西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
岩田英哉/もぐら通信
(カント以後の哲学の系譜)

17世紀 18世紀 19世紀 20世紀 21世紀


哲学 宗教
バロック [註2] [註4]
非超越論 父権宗教(キリスト教)に
ヘーゲル マルクス フランクフルト学派 Globalism 唯物論
基づく論理(=言語の再帰性
共産主義
[註3] フィヒテ[註1] の絶対的否定)
物自体 グローバリズム 言語の再帰性の
カント (das Ding an sich)
否定と肯定
シェリング
超越論
ショーペンハウアー ニーチェ ハイデッガー ハラルド・ヴァインリヒ 大地母神崇拝に基づく論理
汎神論
(=言語の再帰性の
デカルト 安部公房
汎神論的存在論 絶対的肯定)
デリダ
ジル・ドゥルーズ バロック哲学
ポール・ チョムスキー
「17世紀の天才によって供与された観念の蓄積資本によって生きてきた」 『デカルト派言語学』1966年刊行
ロワイヤル 「その後につづく2世紀と4分の1」
(A.N. Whitehead, 『Science and the Modern World』1925年刊行)
1660年刊行
文法

古代ギリシャ [註1]フィヒテのドイツ語のWikipedia(https://de.wikipedia.org/ [註4]Globalismの名の下にあるものは次のものである:


プラトン イデア論(汎神論的存在論) wiki/Johann_Gottlieb_Fichte)に、フィヒテがカントの唱へたDas (1)国際金融資本主義:資本の移動の自由
Ding as sich(物自体)の存在を全く否定してカントと一線を画したと (2)国境のない政治:国境の廃止
あるので、日本語版のフィヒテ全集には超越論の文字があるものの(晢    ①関税自主権の放棄:物の移動の自由
書房:第18巻:超越論的論理学・自然哲学:https://ja.wikipedia.org/    ②人の移動の自由
wiki/ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ)、非超越論に分類した。実際に    ③資本の移動の自由
ヘーゲルの『大論理学』(『Die Wissenschaft der Logik』)を読んで (3)上記(1)及び(2)によつて生まれる貧富の格差の拡大、即ち
もさうであつた。詳細な説明は本文を参照ください。 国民国家の国民の貧困化。働けど働けど富は国内にではなく、海外の国
際資本家へと流出する。
[註2]私(岩田)の仮説:ヘーゲルの弁証法(正反合:These,
Antithese, Synthese)は、中世スコラ哲学(キリスト教神学の論理学 安部公房の哲学は掲図にある通りに超越論でありますから、
または哲学)の焼き直しである。スコラ哲学が古代ギリシャの哲学から 反グローバリズムです。「シャーマンは祖国を歌う」(全集第28巻、
何を学んだのかは別途稿を改めて論じます。 229ページ)にこれは明らかです。これの意味するところは、欧米の
読者と日本の読者とでは、安部公房に関する理解と解釈が正反対の方向
物自体
[註3]    にゆくことが十分にあり得ることを意味してゐる。前者の読者は、場合
(das Ding an sich)
によつては、二つの系譜をごつちやにして安部公房を論じてしまふとい
カントからヘーゲルとショーペンハウアーに分岐するに当たっての重要な ふことがあり得るといふことである。即ち、後者の読者が犯した先の戦
鍵語(キーワード)は、物自体(das Ding an sich)である。ヘーゲル 後の後の安部公房前衛論(アヴァンギャルド)といふ誤解を、前者の読
は、フィヒテの論を受けて此れを外部にではなく自己の内部にのみ適用 者が21世紀になつて同じく誤解するといふ行き違ひの起こることであ
し、ショーペンハウアーは、これを其のまま受け継いで意志(der る。安部公房は徹頭徹尾、超越論の作家である。誤解のないように再度
Wille)と呼んだ。自己の外部に物自体を置かぬヘーゲルから共産主義が 繰り返すと、安部公房は徹頭徹尾、国境に無関係に、超越論の日本語の
生まれ、物自体は「既にして」もともと最初から自己の内部にあり、さ 作家である。
うして物自体である意志は外部と内部の両方にあると考へたショーペン
ハウアーから超越論即ち汎神論的存在論が生まれた。

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