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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

もぐら通信   


Mole Communication Monthly Magazine
2018年11月1日 第74号 第二版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の : わが友 ラルス
あな
ない
迷路 あ 手紙ありがとう。日本式の手紙のスタイルに従えば、まず季節の挨拶。ここは山の
ただ を通
けの って
番地 中なので、夜はまだストーブをたいていますが、下界はそろそろ亜熱帯の気候です。
に届
きま

『Lars Forssell宛書簡 第2信』(全集第29巻、11ページ)

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               目次
0 目次…page 2
1 記録&ニュース&掲示板…page 3
2 久堂夜想十一句:久堂夜想…page 11
3 『カンガルー・ノート』論(9):(21)列車:岩田英哉…page 12 
4 安部公房とチョムスキー(2):(3)バロックとはどういふ時代か:岩田英哉…page 24
5 言葉の眼12:スイスの世界最長トンネル開通式典の異様:大地母神崇拝の復活とキリ
スト教の衰退…page 35 
6 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(18)∼安部公房をより深く理解するため
に∼:岩田英哉…page72
7 連載物・単発物次回以降予定一覧…page 79
8 編集後記…page 82
9 次号予告…page 82

・本誌の主な献呈送付先…page83
・本誌の収蔵機関…page 83
・編集方針…page 83
・前号の訂正箇所…page 83

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。
そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。

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  ニュース&記録&掲示板
Tweets Best 10

@aishokyo 1月14日
ヤマザキマリ『ジャコモ・フォスカリ』。この漫画には三島由紀夫らしき作
en M
ole 家が登場しています(安部公房らしき作家も登場)。とても雰囲気のある作
Gold
Priz
e 品でずっと2巻を待ち続けています(と昨年も一昨年も書きました・・)。

ole
er M りょうぽこ@arunoka_nanika 1月24日
Silv
e
Priz BOXに入った途端 触れてもないのに安部公房の全集
が倒れてきた 不吉さしかない

久保浩志(しおまち書房)@hiroshikubo 1月19日
改めてセゾングループの堤清二(辻井喬)のエッセイ集を読んでいる。安部公房の
「燃えつきた地図」という小説が発売された時、西武百貨店の書籍コーナーで見つ
からず、地図コーナーに置いてあるのを見て、書籍に詳しい人を招いて別会社を作
ることを思い立つ逸話が好き。それで生まれたのがリブロ。

今月の壁
ヒロ @Pocky1123 1月21日
関東の安部公房ファンへ朗報。現在、東京国立近代美術館のMOMATコレクション
展にて桂川寛が描いた安部公房『壁』の初版に用いられた挿絵の原画が18枚展示さ
れているとのこと。写真は架蔵の安部公房『壁』(S26)の初版本と挿絵。ファン
必見です。撮影もできますよ。私も絶対見に行きます。5/27迄。

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今月の箱男
白山Kンジ@Knji366 1月23日
『箱男』 安部公房

今月の読書会
山本多津也@猫町倶楽部@tatsuya1965 1月18日
#猫町倶楽部 名古屋文学サロン月曜会 2月開催のお知らせ
■名古屋会場 2/7(水)課題本:安部公房の『砂の女』http://nekomachi-
club.com/schedule/51524
■藤が丘会場 2/16(金) 課題本:島尾敏雄「死の棘」http://www.nekomachi-
club.com/schedule/51625

【2月3日安部公房読書会】 #TAP_MTG
本日1月22日は安部公房25回目の忌日です。2月3日(土)にはTAP恒例の安部公房
読書会を開催します。課題本は『人間そっくり』。
会場は荻窪ベルベットサン。開場16:30、開演17:00∼終演20:00。料金¥1500(1D
付)。みなさん奮ってご参加を!

2/3(土) 東京・安部公房・パーティー 【安部公房読書会】第11弾・課題本『人間そっ


くり』(1967)
東京・安部公房・パーティ(通称TAP)による読書会inベルベットサン第11弾!
今回の課題本は『人間そっくり』(1967)。 『他人の顔』、『燃えつきた地図...
velvetsun.jp

今月の安部公房論
本作り空Sola@Sola_since2004 23時間
赤坂憲雄氏による新コラム「遊動文学論」がスタートしています!
この連載は、遊動と定住をめぐる葛藤という視座から、三つの代表的な戦後小説を
読みなおす試みです。
第1回目は、安部公房『砂の女』(1962)を取り上げています。
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↓↓ぜひご覧ください↓↓
http://sola.mon.macserver.jp/tp/tp_2018.html
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詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 1月13日
〈中折れ〉してしまう記述者 : 安部公房『他人の顔』試論 http://ci.nii.ac.jp/naid/
110009432959 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 1月13日
地図と契約--安部公房『燃えつきた地図』論 http://ci.nii.ac.jp/naid/
40016907083 …

@hirokd267 1月12日
【安部公房関連】<書評>リチャード・F・カリチマン『国家を超えて――安部公房
の作品における時間、書くこと、そして共同体  鳥羽耕史

CiNii 論文 - 書評 リチャード・F・カリチマン『国家を超えて : 安部公房の作品に


おける時間、書くこと、そして共同体』
書評 リチャード・F・カリチマン『国家を超えて : 安部公房の作品における時間、
書くこと、そして共同体』 鳥羽 耕史 日本研究 56, 218-221, 2017-10
ci.nii.ac.jp

1月22日は安部公房の命日
今日は安部公房の命日です。
亡くなったときは、ほんと泣いたなあ…。

初アンソロジー『絶望図書館』(ちくま
文庫)にも短篇『鞄』を収録させてもら
いました。
「選ぶ道がなければ、迷うこともない。
私は嫌になるほど自由だった」

番場 寛(Hiroshi Bamb
a)@desirdelAutre 1月22日
今日は、寺山修司と並んで未だに大きな
影響を受け続けている安部公房の命日だ
と聞いた。これは昔、講演会で本人から
サインしてもらったもの。インクが少し
掠れている。
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今月のアーカイヴズ
ホッタタカシ@t_hotta 1月22日
ホッタタカシさんがNHKアーカイブスをリツイートしました
ちなみにNHKアーカイブスのサイトでは今、「あの人に会いたい/安部公房」全編
のほか、下の方でテレビドラマ『日本の日蝕』の一部が観られますね。脚本・安部
公房(原作『夢の兵士』)、演出・和田勉、そして主演・伊藤雄之助。横浜の放送
ライブラリーでは全編観られます。
ホッタタカシさんが追加

NHKアーカイブス
認証済みアカウント
@nhk_archives
命日1月22日【NHK人x物x録 #安部公房 1924∼1993 作家】作品は無限の情報―
「砂の女」や「壁」など数々の前衛的な作品で世界的人気を誇る。満州育ちで、終
戦で故郷を喪失したことが…続きは https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/
detail.cgi?das_id=D0016010088_00000 … #NHK人物録 #今日は何の日

今月の句会
【安部公房句会】今月22日は安部公房の命日です。この日を「もぐら忌」として毎
年この時期に追悼の句会を開いています。今年も1月末まで安部公房にちなんだ句
をお寄せください。
・「もぐら忌」「公房忌」を季語とします。最後に (半角スペース)+ #もぐら忌 
または #公房忌 を付けてください。

今月の上演
鈴木彰紀 Akinori Suzuki@Akinori_Akky03 1月22日 

チケット発売開始
『箱男からの思想』
3/22(木)∼3/26(月)
@江古田アトリエサードプレイズ
発売開始いたしました
安部公房「箱男」
に着想を得たアヴァンギャルドシアターです

▼鈴木彰紀予約フォーム
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https://www.quartet-online.net/ticket/av01boxman?m=0ehcija …
何卒よろしくお願い致しますm(._.)m
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今月の安部公房論新刊
笑和笑女@Htreetop 1月13日
【見本出来】『日本近現代文学におえる羊の表象』(江口真規 著)が出来ました。
夏目漱石、十一谷義三郎、江馬修、大江健三郎、安部公房、村上春樹の作品に現れ
る「羊」は、戦後日本の何を表してきたのか。アニマルスタディーズの手法を用い
た研究書です。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2411-2.html …

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今月の安部公房邸/仙川の家
AkiraSaito#齊藤聡@Sightsongs 1月22日
4年前の大雪のときに、取り壊し前の安部公房の家に行ってみたのだった。

2014年2月15日、安部公房邸 - Sightsong
この冬に、故・安部公房の家が取り壊される。その前に一目見ようと思い、雪が積
もってはいたが、足を運んだ(2014年2月15日)。家は、京王...
http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/21bed6833df9518bd09a6b51954562db

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九堂夜想十一句

九堂夜想


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『カンガルー・ノート』論
    (9)
岩田英哉

目次

0。はじめに

1。結論:この小説には何が書いてあるのか
1。1 様式について
1。2 内容について
1。2。1 量としてある言葉の視点から見た内容
1。2.2 質としてある言葉の視点から見た内容

青字は前回までに
2。『カンガルー・ノート』の呪文論
2。1 呪文とtopologyと変形の関係
て論じ終つたもの、
赤字は今回論ずるもの、
3。『カンガルー・ノート』の記号論 黒字はこれからのもの
3。1 章別・記号分類
3。2 記号別・記号分類

4。シャーマン安部公房の秘儀の式次第

5。シャーマン安部公房の秘儀の式次第に則つて7つの章を読み解く
5。1 差異を設ける:第1章:かいわれ大根
5。1。1 存在と存在の方向への標識板と超越論の関係
5。1。2 安部公房の幾つかの文章(テキスト)を超越論で読み解く
(1)『カンガルー・ノート』
(2)『さまざまな父』
(3)再び『カンガルー・ノート』
(4)『砂の女』
(5)『魔法のチョーク』
5。1。3 如何にして主人公は存在になるか
5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論
(1)《提案箱》
(2)《カンガルー・ノート》
(3)袋
(4)《かいわれ大根》
(5)開幕のベルの音
(6)二種類の救済者
(7)片道切符
(8)手術室と手術台
(9)自走するベッド
(10)自走ベッドによる章の間の結末継承(1)
(11)何故人間は《かいわれ大根》を吐かねばならないのか
もぐら通信
もぐら通信                          13
ページ

(12)人面スプリンクラー
(14)温泉療法
(15)満願駐車場の呪文
(16)風の音
(17)笛の音
(18)駐車場
(19)「進入禁止」の立て札
(20)サーカス
(20.1)サーカス(その2):『カンガルー・ノート』の象と『S・カルマ氏の犯罪』の《シロクマ》
(21)列車
(22)呪文
(23)尻尾
(24)3といふ数
(25)自走ベッドによる章の間の結末継承(2)
5。1。4。1 寓話とは何か
5。1。5 章間形象連続性分類
5。1。6 存在の祭りと次の存在への立て札

5。2 呪文を唱える:第2章:緑面の詩人
5。2。1 存在の中の存在の中の存在の怪奇小説『大黒屋爆破事件』

5。3 存在を招来する
5。3。1 存在の中の存在の中の存在の話1:第3章:火炎河原:
5。3。2 存在の中の存在の中の存在の話2:第4章:ドラキュラの娘

5。4 存在への立て札を立てる:第5章:新交通体系の提唱

5。5 存在を荘厳(しょうごん)する:第6章:風の長歌:長歌(鎮魂歌)

5。6 次の存在への立て札を立てる:第7章:人さらい:反歌(鎮魂歌)

6。安部公房文学と大地母神崇拝∼神話論の視点からみた安部公房文学∼
 (i)『カンガルー・ノート』論の論点を整理する
 (ii)神話論
 (iii)父権宗教と大地母神崇拝
 (iv)安部公房は大地母神を選び、父権的存在を殺した
 (v)父権宗教と大地母神崇拝の差異
 (vi)言語機能論と胎内回帰
 (vii)大地母神崇拝と日本SF文学の意義
 (viii)言語の再帰性に関する安部公房の考へ:言葉は母である
 (ix)父権宗教であるユダヤ教とキリスト教の差異
 (x)大地母神崇拝と『箱男』
 (xi)大地母神崇拝と三島由紀夫

7。附録 章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」

*****

5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論
もぐら通信
もぐら通信                          ページ14

(21)列車
列車は箱であり、実際にさう呼ばれてゐたといふことについて、太宰治の『列車』といふ小説
に以下の記述のあることから本章を始めます。安部公房が生まれた翌年に書かれた話です。太
宰治は二十一世紀にも残る日本の作家3人は誰かと山口果林に問はれて二人目に名を挙げた作
家でありました[ 1]。その太宰治の引用です:

「一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じ
ころ製作された三等客車三輌(りよう)と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輌ずつと、
ほかに郵便やら荷物やらの貨物三輌と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を超
える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれ
ば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走った。時に依って万歳の叫喚で送られた
り、手巾(ハンカチ)で名残を惜しまれたり、または嗚咽(おえつ)でもって不吉な餞(はな
むけ)を受けるのである。列車番号は一〇三。」(傍線筆者)

[ 1]
山口果林著『安部公房とわたし』の「家の改装」(179ページ)より引用します:

「いつのことだったか、「次の世紀に生き残る作家は誰だと思う?三人挙げてみて」と聞いたことがある。安部
公房は少し考えて「宮沢賢治、太宰治……うーん」三人目の名前はなかった。自分だという思いがあったのだと
思う。」

この小説にある通りに列車が箱だといふ意識と呼び名は安部公房にもあつたでせう。カンガ
ルーノートといふ作品の構成そのものが、存在の凹といふ7つの箱の連結された列車であるこ
とは、「1。カンガルーノート論(1)」(もぐら通信第66号)で述べた通りです。その存
在といふ(上位接続ーconjunction(論理積)ーである)無時間の空間を疾走する列車の物語
の中に、「垂れ目の少女」の乗つた「遊園地のミニ列車」が、速度無く走つてゐる。再掲すれ
ば:

「何故交通体系であり、列車であり、電車なのかと云へば、それは、この体系の道の上を走る
のが列車や電車といふ、箱といふ存在の凹の(形象の)連結された《箱》であるからです。こ
の意味では、『カンガルー・ノート』といふ作品は、時間の中を走る列車である箱ではなく、
時間を捨象した無時間の、リルケの純粋空間の中を、この作品ならば《提案箱》の中を走る、
7つの車両の《箱》の連結された一連の列車であるといふことになります。」

晩年、安部公房の好きな写真家であつたブレッソン[註2]から送られた写真について、安部公
房の以下の言葉があります。

「 ブレッソンについて語ることは不可能である。なぜならその画面のなかで、つねにすべて
が語りつくされているからだ。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 15

 その画面は空間の窓というより、むしろ時間の窓だろう。時間を突き抜けて走る列車の窓で
ある。
どの光景にもつよい既視感がにじんでいる。しかもなぜか私的な記憶を呼びさまされるのだ。
ぼくは「そこ」をよく知っている。ぼくは「そこ」で立ちすくみ、強く両眼を閉じて心をかき
みだされながら、不可解なその場面の意味を記憶のなかに刻みこんでしまうのだ。
 ブレッソンはぼくにとって単なる偉大な写真家にとどまらない。自分の眼球の運動軌跡が無
条件に共鳴するほとんど唯一の作家である。ぼくはそのたびごとにブレッソンがシャッターを
切ったその瞬間、その場所に引き戻されてしまう。
                 [1988.10.19]」(全集第28巻、414ページ)

[註2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・カルティエ=ブレッソン:
アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson、1908年8月22日 - 2004年8月3日)は、フランスの写
真家。
20世紀を代表する写真家であると多くの写真家・芸術家から評されている。彼は小型レンジファインダーカメラを
駆使し、主にスナップ写真を撮った。芸術家や友人たちを撮ったポートレイトもある。
彼はライカに50mmの標準レンズ、時には望遠レンズを装着して使用した。1947年にはロバート・キャパ、デ
ヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーと共に国際写真家集団「マグナム・フォト」を結成した。

ブレッソンについては『買物ー作家の生活』と題した2ページのエッセイがある。(全集第26巻、282ペー
ジ)

この短文で安部公房の言つてゐることは、次のことです。

(1)ブレッソンの写真は「時間を突き抜けて走る列車の窓」である。
(2)上記(1)の窓から眺める光景は「どの光景にもつよい既視感が」ある。
(3)その光景は、安部公房の「私的な記憶を呼びさます。」
(4)その光景である「そこ」を安部公房はよく知つてゐる。
(5)「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴するほとんど唯一の作家である。」
(6)ブレッソンの写真を見ると、安部公房は「そのたびごとにブレッソンがシャッターを切っ
たその瞬間」、「その場所に引き戻されてしま」ふ。

この言葉は『カンガルー・ノート』といふ7両連結の列車に乗つて、主人公が車窓から眺める
7つの光景たる7つの章の説明ではないでせうか。即ち、

安部公房の文章(テキスト)は、「時間を突き抜けて走る列車の窓」なのであり、「『カンガ
ルー・ノート』といふ作品は、時間の中を走る列車である箱ではなく、時間を捨象した無時間
の、リルケの純粋空間の中を、この作品ならば《提案箱》の中を「時間を突き抜けて走る」、
7つの車両の《箱》の連結された一連の列車であるといふこと」なのです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ16

試しに、作品最後の章、第7章の最後を見てみませう。果たして、安部公房の文章(テキスト)
は、上記(1)から(6)のことを満たした「時間を突き抜けて走る列車の窓」になつてゐる
かどうか。「垂れ目の少女B」が「幼く甘い声。つくりものの流し目。膝と踵にのせて、静か
に歌いだす」と次には安部公房の詩である人さらいの歌が続き、この詩の最後の一行「人さら
いがやってくる」に即座に次の地の文が続きます。

「網膜周辺でしか見えない、数人の小さな人影。闇に身を潜めるようにして、待合室を迂回し、
大型冷蔵庫でも入りそうな、ダンボール箱を運んでくる。」(全集第29巻、188ページ上
段)

上記(5)にある「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴するほとんど唯一の作家である」と
いふ安部公房の言葉は、「網膜周辺でしか見えない、数人の小さな人影」とあるので、ここで
も正しいのです。

安部公房の読者であるあなたは、安部公房文学を理解する鍵語(キーワード)としてある周辺
飛行といふ言葉や、辺境といふ言葉を思ひ出すことでせう。前者、即ち周辺飛行といふ題名の
エッセイは、同じ題名の二つの講演を除けば、第1回から第44回まで、全集第23巻から第
25巻まで、期間にして1971年3月から1975年6月までの間に書かれてゐます。安部
公房スタジオを巡るエッセイです。どの題名も大いに「網膜周辺でしか見えない、数人の小さ
な人影」に関係してゐるのですが、しかし特に其の中から、文字の字面の上で此処で直接関係
のある題名を挙げて見ると、次のやうなものが目につきます。

(1)第16回:意味もなく視線を宙におよがせる
(2)第17回:ニュートラルなもの
(3)第18回:再び肉体表現における、ニュートラルなものの持つ意味について。
(4)第20回:写真のぞき
(5)第23回:シャボン玉の皮
(6)第24回:贋魚のエピソード
(7)第25回:贋魚(「箱男」より)[戯曲]
(8)第26回:「贋魚」改訂版[戯曲]
(9)第27回:時空の交差点としての舞台
(10)第34回:裏返しの情緒
(11)第35回:〈ここのところ〉[註3]
(12)第37回:アリスのカメラ
(13)第42回:道化的脱出劇

[註3]
〈ここのところ〉とある題名の〈 〉の記号の意味は、リルケの詩と自分の詩の世界の言葉を意味してゐることは、
「3。『カンガルー・ノート』の記号論」(もぐら通信第66号)に分類して示した通りです。
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ
上記(11)第35回の〈ここのところ〉は、上記(3)から(6)のブレッソン写真に関して 17
いふ、

(3)その光景は、安部公房の「私的な記憶を呼びさます。」
(4)その光景である「そこ」を安部公房はよく知つてゐる。
(5)「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴するほとんど唯一の作家である。」
(6)ブレッソンの写真を見ると、安部公房は「そのたびごとにブレッソンがシャッターを切っ
たその瞬間」、「その場所に引き戻されてしま」ふ。

といふことに当たつてゐる筈です。

第35回の『周辺飛行35』(全集第25巻、128ページ)を開いてみると、これは『緑色の
ストッキング』からの引用のみからなる科白であつて、白い複数の一枚布から出現する登場人物
たちの登場から、白い一枚布の中に複数の登場人物が隠れてゐなくなるまでの舞台が、「ここの
ところ」といふ出だしの言葉、即ち「ここのところ」何をしてゐるかといふ一種の報告の文章に
続いてゐるといふ(題名を地の文に接続するといふ)言葉遊びの後に続けて、戯曲の科白がその
まま引用されてゐます。

これは、安部公房にとつては、リルケと自分の無時間の世界の詩の窓から眺めた安部公房の「私
的な記憶を呼びさます」世界でありー奉天とサーカスについては「(20)サーカス」で論じま
したー、「「そこ」を安部公房はよく知つてゐ」て、「ブレッソンの写真を見ると」即ち同じ科
白の舞台または同じ舞台の科白を目にして読む「そのたびごとにブレッソンがシャッターを切っ
たその瞬間」と同様に、安部公房は「その場所に引き戻されてしま」ふ「そこ」、即ち一枚布の
存在の世界、即ち安部公房スタジオの存在の舞台なのです。

「そこ」は「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴するほとんど唯一の」文字通りの舞台である。
それ故に、『カンガルー・ノート』の最後では、

「網膜周辺でしか見えない、数人の小さな人影。闇に身を潜めるようにして、待合室を迂回し、
大型冷蔵庫でも入りそうな、ダンボール箱を運んでくる。」(全集第29巻、188ページ上段)

箱は、いふまでもなく、存在の形象であり、存在の箱、即ち(topologicalに存在する上位接続線
たるメビウスの環の一捻り、あるいはクラインの壺の上位接続面たる空虚の接続面ーいづれも論
理積(conjunction)である)箱といふ存在なのです。箱には窓があつて、この窓から外部の光
景を眺めると、安部公房は「そのたびごとにブレッソンがシャッターを切ったその瞬間」を覚え
て、いつも「その場所に引き戻されてしま」ふ。即ち、存在といふ「私的な記憶」に回帰する。
(例へばサーカスのテントは安部公房にとつては存在のテントであり、その外部も内部も言語の
形象そのものでした。)それが『カンガルー・ノート』の場合には、最後の章たる第7章の最後
に書かれてゐる存在のサーカスの存在のテントの中への「道化的脱出劇」(『周辺飛行42』全
集第25巻、245ページ)といふわけです。
もぐら通信                         
もぐら通信 18
ページ

この「道化的脱出劇」のために、主人公がどのやうな呪文を必要としてゐるかは、 「2。『カ
ンガルー・ノート』の呪文論」(もぐら通信第66号)及び「5。1。4 『カンガルー・ノー
ト』の形象論」の「(15)満願駐車場の呪文」(もぐら通信第67号)、「(16)風の音」
(もぐら通信第68号)、「(17)笛の音」(もぐら通信第69号)、「(18)駐車場」
(もぐら通信第70号)、「(20)サーカス」(もぐら通信第71号)、「(22)呪文」
の章をご覧ください。安部公房文学と作品中の呪文について整理し、詳述しました。

また、話が前後しますが、上記「(6)第24回:贋魚のエピソード」には、次の記述があり
ますので、これもまた上記(5)の「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴するほとんど唯一
の作家である。」といふ安部公房のブレッソンの写真に対する評価に直結してゐることがわか
ります。

安部公房は「貝殻草のにおいを嗅ぐと、魚になった夢を見るという。」といふ一行の文を若い
安部公房スタジオの役者たちに発声し朗読させる訓練を施しますが、役者たちの「緩急」のあ
る「奇妙なうねり(節まわし)」(原文傍線は傍点)の発生を取り除くことに苦心して取り除
いた後に、同じ一行の例題を今度は意識の/に「集中点」を見つけ出すためには一行の構成する
言葉のどれを選んで此れを行ふかと問ふた後で、三人の俳優の解答に対して、次の発言をしま
す。
「あいにく」俳優A, B, Cの「右の解答は三つとも、集中点の意味をとりちがえている。ニュー
トラルな状態が、単なる中立状態ではなく、集中の結果おきる周辺部分の緊張の解除だったこ
とを、もう一度よく思い出していただきたい。」(全集第29巻、422ページ上段)「繰返
すようだが、ニュートラルとは単なる中性化ではない。エネルギーをゼロにすることではない。
自分を情況の函数として、正確に位置づけることなのだ。その位置を決定するのは、どんな場
合でも、必ず生理なのである。(以下略)」(同巻、422ページ下段)(傍線筆者)

となると、上記の、

(1)第16回:意味もなく視線を宙におよがせる
(2)第17回:ニュートラルなもの
(3)第18回:再び肉体表現における、ニュートラルなものの持つ意味について。
(4)第20回:写真のぞき

といふこれら(1)から(4)は皆少なくとも、ニュートラルといふ演技概念についての説明
をした周辺飛行といふエッセイであるといふことになります。

確かに、上記[註2]に記した『買物ー作家の生活』と題した2ページのエッセイ(全集第2
6巻、282ページ)に書かれてゐる、『贋魚のエピソード』の舞台稽古での、ブレッソンが
撮影した安部公房の写真に写る安部公房の眼は「自分の眼球の運動軌跡が無条件に共鳴する」
「網膜周辺でしか見えない、数人の小さな人影」を横目でみてゐるやうに見えます。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ19

さて、かうして考へてきて本題に戻りますと、7つの箱の一つ一つが、地上を、しかし存在の
中を行く列車であり、また周辺飛行をする飛行機であると言つてもよいことになります。この
形象(イメージ)の二つの裏表のあり方もまた、安部公房らしい。箱から箱へと乗り移るたび
に(連続量としての接続移動)、飛行機から飛行機へと乗り移るたびに(非連続量としての接
続移動)「道化的脱出劇」が行はれる。まるで曲藝であり、サーカスである。この脱出劇のた
めのtopologicalな章間接続については、「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」の
「(10)自走ベッドによる章の間の結末継承」(もぐら通信第66号)及び「(16)風の
音」(もぐら通信第68号)にて整理した通りです。この後「(25)自走ベッドによる章の
間の結末継承(2)」で、更に章間接続について一覧性のあるやうに一つにまとめられます。

さて、『カンガルー・ノート』に通用してゐる個別的な概念連鎖」を最後に引用して、話を終
はりにしたいと思ひます。

「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」の「(18)駐車場」(もぐら通信第70
号)より「1。函数形式・一般式」「2。概念連鎖・一般式」「3。概念連鎖・個別式」を引
用します。これによつて、作品中の列車の位置を確かまることにします、例によつて、列車と
いふ形象に関係する言葉は青色にします:

「1。函数形式・一般式
存在[(始め、終り)、差異(時間、空間)、(存在の形象、甲高い音、呪文類)、案内人
(立て札)、窓(脱出口)]
もぐら通信
もぐら通信                          20
ページ

2。概念連鎖・一般式:どの作品にも通用する一般的な概念連鎖
座標の喪失ー愛ー存在(凹の形象)ー(永遠の)別離ー愛の真実性の証明ー(何かの開始を告
げる)甲高い音ー存在の十字路ー案内人の交換ー詩文・散文のtopologicalな交換ー沈黙の空間
の誕生ー(詩文も含む)呪文類による唱導ー自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる)→
存在の出現ー閉鎖空間からの脱出

3。概念連鎖・個別式:『カンガルー・ノート』に通用してゐる個別的な概念連鎖
ー「地獄谷みたいな硫黄泉」の臭ひー硫黄泉の露天風呂ー存在の凹ー賽の河原ー呪文類ー満願
駐車場ー未分化の実存の子供達(「垂れ目の少女」「トンボ眼鏡の看護婦」)ー窓ーサーカスー
人さらいー列車ー駅ー交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)ー笛の音(警笛の
音)ー(時間の断面の複数の断層ー「私」の自己増殖ー)風の音ー祭り(ーサーカスー人さら
い)ー」

『カンガルー・ノート』にある「3。概念連鎖・個別式」の概念連鎖のうち、列車に直接に関
係するものは、

ー列車ー駅ー交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)ー

といふ連鎖ですが、この連鎖については、既に一連の「5。1。4 『カンガルー・ノート』
の形象論」の次のところで論じましたので、ここでは引用を繰り返さず、以下に章を列挙しま
す。

(1)駅:「(20)サーカス」(もぐら通信第72号)
(2)交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)
①「2『カンガルー・ノート』の呪文論」(もぐら通信第66号)
②「(6)二種類の救済者」(もぐら通信第66号)
③「(15)満願駐車場の呪文」(もぐら通信第66号)
④「6。『安部公房文学と大地母神崇拝』∼神話論の視点からみた安部公房文学∼の(iii)父
権宗教と大地母神崇拝」(もぐら通信第67号)
⑤「(16)風の音」の「第5章:新交通体系の提唱」(もぐら通信第68号)
⑥「(17)笛の音」(もぐら通信第69号)
⑦「5。2 呪文を唱える:第2章:緑面の詩人」の「5。2。1 存在の中の存在の怪奇小
説『大黒屋爆破事件』」でも「ポイントの切り替え(支線から本線へ)」が、この場面では
「下がり目の少女を乗せてすれちがった、例のミニ列車も、やはりこの桟橋から乗り換えたの
だろうか。船の接岸装置が岸壁を噛んだ。」(全集第29巻、104ページ下段)とあるやう
に、鉄道の切り替として、桟橋が船の切り替えポイントとして出てきますので、追つて此処で
も再た論じることになるでせう。
もぐら通信
もぐら通信                          21
ページ

さて、船もまた移動する、それも海の上を移動する乗り物である。となれば、これで陸海空の
三つの圏域で、列車、船、飛行機と、安部公房の世界の移動接続の乗り物は、ここで、出揃つ
たことになります。

最後の最後に再度カルティエ・ブレッソン宛書簡の話です。(全集第28巻416ページ)

この書簡にあるブレッソン宛の手紙に書いた、65歳の安部公房の詩を読んでみませう。この
ことをとつても、カメラを撮影して写真を撮るといふことが、安部公房にとつては詩を書くこ
とに等しいといふことがわかります。短いものですが、この詩の後に引用する安部公房22歳
の『化石』と題した詩に全く変わらずに通じている詩です。その間43年の時間があります。
この間安部公房は詩人であり続けた。

リルケが最晩年にスイスのアルプスの山村に引き籠もって詩を書いたやうに、安部公房の同様
の天下の剣の箱根に隠棲して書いた最晩年の此の詩には、沈黙の中を永遠に飛翔する鳥が出て
きます。また、融合という(22歳の『化石』では)漢語で言われていた言葉が、溶け合うと
いう大和言葉として出てきます。これは鳥と呼ばれる存在の生きた上位接続体なのであり、従
ひ『カンガルー・ノート』の主人公の生体と二本のチューブで接続されて存在となつた主人公
と意識の通じる存在の自走ベッドなのであり、さうであれば此の自走ベッドの走る章といふ箱
は、そして章といふ列車の走る間(はざま)を接続するベッドといふ移動体は、「さしかかっ
た」周辺飛行する永遠の一羽の鳥なのです。その他、存在と非存在などなどの言葉あり。お読
み下さい。

「黒から湧き出る白 白に落ちていく黒
 たがいに溶け合うことなく 機略に富んだせめぎあい
 平面と立体のあいだの 存在しない次元に
 さしかかった一羽の鳥
 追憶に声を奪われた 沈黙の鳥」
                 [1988.2.16]」

そして、安部公房22歳の詩。化石には時間なく、さうであれば、これもやはり存在の化石で
す。

「化石

 総てが化石する刹那
 凋落の日に目覚めは深い
 胎動する太古の風を
 廻転する歯車に聞きながら
 再び在る事を知り
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ22
 私は沈黙して夜の言葉を聞いた
 あゝ、融合の中に自律する原人の絶望よ……
 太陽より星への路が
 深い虚空を支へるのだらうか
 一切が無の中に安定する、型の上を不動する
 化石の中で鳥は尚ほ永遠を飛翔する
                           [1947.2.20]」

安部公房の主人公たちは「平面と立体のあいだの 存在しない次元[ 4]」に棲み、「一切が
無の中に安定する、型の上を不動する/化石の中で鳥は尚ほ永遠を飛翔する」

安部公房の《世界》も〈世界〉 [ 5]も十代の最初から六十代の最後まで全く変はらない。

[ 4]
「平面と立体のあいだの 存在しない次元に」について、安部公房が言語の本質を語つてゐる文章(テキスト)が
ありますので、引用します。まさしく「平面と立体のあいだの 存在しない次元に」といふ次元展開[ 4ー2]
の話、二次元(平面)を三次元(立体)に変形する話です。

「安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼」の「3。空間感覚といふ毒(存在論の毒)」
(もぐら通信第55号)より:

これは、このまま、安部公房の言語機能論です。 [註20]

[註20]
「 ついでにパブロフについても触れておくべきだろうな。(略)でもあえて推測すれば、要するに言語は一般条
件反射の積分値だと言いたかったんじゃないかな。
――-積分値、ですか?
安部 積分値というのは、要するに平面上に描かれたあるカーブを、平面ごと移動させて出来る三次元像を考えて
貰えばいい。初めが円なら、こう、チューブになる……
 これはパブロフの暗示にもとづく類推だけど、僕としては積分値よりもやはりアナログ信号のデジタル転換のほ
うを採りたいな。大脳半球の片方(言語脳)が、どんなやりかたで、アナログ信号をデジタル処理しているのかは、
今後の研究に待つしかないけど、言語がデジタル信号であることは疑いようのない事実だからね。 」(『破滅と
再生2』全集第28巻、255ページ)

また、

「たとえばパブロフは、条件反射で有名なあのパブロフですが、《言語》を一般の条件反射よりも一次元高次の
条件反射とみなしていたようです。(略)
 「一次元高次」のという意味は、たとえば紙のうえに円を画き、その円を紙から話して空中移動させてみてくだ
さい。チューブが出来ますね。平面が一次元高次の空間になったわけです。言葉を替えれば二次元が三次元に積分
されたことになります。つまりある条件反射の系の積分値として《ことば》を想定したのがパブロフの仮説になる
わけです。ぼくとしては「積分」よりも「デジタル転換」のほうを採りたいような気もしていますが、今のところ
これ以上の深入りはやめておきましょう。肝心なことは、《ことば》をあくまでも大脳皮質のメカニズムとして捉
えようとした姿勢です。」(『シャーマンは祖国を歌う―儀式・言語・国家、そしてDNA』全集第28巻、23
2ページ)」(もぐら通信第55号)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ23

[ 4−2]
「次元展開」については、安部公房20歳の論文『詩と詩人(意識と無意識)』に詳しく論述されてゐますので、
これをお読み下さい。

[ 5]
《世界》も〈世界〉と書いた《 》と〈 〉の記号の使ひ方については、「3。『カンガルー・ノート』の記号論」
(もぐら通信第66号)をご覧ください。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 24

安部公房とチョムスキー
(2)

岩田英哉

      目次

1。ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あるのか
2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
3。バロックとはどういふ時代か
3.1 バロックとは何か
3.2 バロック建築:差異の建築
3.3 バロック文学:差異の文学
3.4 バロック絵画:差異の絵画
3.5 バロック彫刻:差異の彫刻
3.6 バロック音楽:差異の音楽
3.7 バロック哲学:差異の哲学
3.8 バロック文法学:差異の文法学
3.9 バロック論理学:差異の論理学
3.10 30年戦争
3.11 ウエストファリア条約
3.12 イングランド銀行の設立
3.11 東インド会社の設立
4。チョムスキーとバロックの言語学:変形生成文法とポール・ロワイヤル文法
5。ポール・ロワイヤル文法とラシーヌ
6。ラシーヌと三島由紀夫:三島由紀夫とバロック
7。チョムスキーと安部公房:安部公房とバロック
8。バロック人間としての安部公房と三島由紀夫
9。座談会『近代の超克』(文芸誌『文学界』(1942年(昭和17年)9月及び10月号))を読む
10。座談会『世界史的立場と日本』(1943年(昭和18年)初版印刷。中央公論社)を読む

***

3。バロックとはどういふ時代か
バロックといふ時代を日本語で一言でいふと、

神も仏もあるものか

といふ時代です。

そして、この一行は時代を問ひませんので、そもそもバロックとは何かと問はれれば、それもやは
り、古今東西、時間空間を問はず、地域・個別言語・民族・国家を問はず、
もぐら通信
もぐら通信                          25
ページ

神も仏もあるものか

といふ考へ方であるといふことになります。

言ひかへれば、

神も仏もないといふ、この絶対軸のない、絶対的な座標のない此の世を、一体どうやつて生きた
らいいのか?といふ問ひに対する答へが、バロックといふ考へなのです。

この考へと考へ方を、ヨーロッパの白人種キリスト教徒が時代の過酷に強ひられて、哲学者、数学
者、政治家その他の、学問と科学の領域を問はず一括りに各領域の最上位に位する人間たちが、
物・事・人の在り方について考へ抜いた17世紀の結論が、これなのです。

これを言ひ換えると、

(1)世界認識:世界は差異である。
(2)価値観:価値が等価で遍在してゐる。

といふ此の二つの方程式から成る宇宙観、これがバロックの考へかた、物・事・人の観方(みか
た)なのです。

(2)の価値観とは、(1)の世界に対するものの考へ方ですから、この二つは同じコインの裏
表であるといふことになります。

これは冒頭に述べましたやうに神も仏もあるものかといふ考へですから、別に17世紀のヨーロッ
パの人間を問はず、地球上のどの時代どの地域であれ、さう思つて生きること、即ち、生きるため
の絶対座標などなく生きなければならないと自覚しまたは自分自身に無意識にでも密かに又深く
思つて生きる人間たちの根底にある考へ方が、

(1)世界認識:世界は差異である。
(2)価値観:価値が等価で遍在してゐる。

といふ考へ方なのです。

有色人種である私たちが、ヨーロッパ白人種キリスト教徒と話を通じることができるようにする
ために、彼ら周知の此の言葉、バロックといふ言葉を使はうといふのです。もし彼奴らに通じると
いふのであれば、別にバロックなどといはずに、日本の同じ17世紀に生まれた、織部焼の様式
とか、芭蕉の俳諧とか、もつと古く古代より日本列島にある注連縄(しめなは)とか、もつと云
へば、力士の世界のあの横綱といふ綱とか、また同様に捻(ねぢり)鉢巻きとか、まあ何でも良
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ26
いのです。流石に褌(ふんどし)の捻れたの、とはいへないでありませうが。と、まあこういふ連
想の逸脱をバロックといふのです。あるいはdeconstruction(脱構築)。S・カルマ氏の遁走。
バッハのフーガ(遁走曲)。

3.1 バロックとは何か
バロックの語源を尋ねれば、ポルトガル語のbarocco、即ち歪んだ真珠といふ意味だとは、関係す
るどの本にも書いてありますが、しかし、それが何故歪んだ真珠が様々な領域のバロック様式の共
通した命名に(ユーラシア大陸のあの極西の地域で)なつてゐるのかの、語源と様々な対象領域に
ある様式との関係についての理由の説明がありません。

しかし、バロックといふ宇宙観を構成する二つの方程式のうちの一つが、世界は差異であるといふ
世界認識であれば、説明は容易につくのです。即ち、対象を連続量としてみれば、差異とは歪みで
あり、非連続量としてみれば、差異とは隙間です。義務教育の英語の授業で嫌々教はつたやうに、
前者は不可算名詞、後者は可算名詞です。前者は不可算名詞で1、2、3と数えられないものです
から単位化してa cup of tea、a bottle of waterといふことになり、後者は加算名詞で数へること
ができますから1、2、3と自然数で数えることになる。

Baroccoと呼ばれる歪んだ真珠は表面が連続量でありますから、その差異は歪みと呼ばれてゐると
いふわけです。

もう少し時間の幅を大きくとつて、バロックの眼で人類の歴史を眺めれば、人類が有史以来延々と
ゆくりなくも、また弛(たゆ)むことなく、飽きることなく行つて来たことは、只々差異を埋める
こと、差異を無くすること、これだけのことであるといふことが、容易に理解できるのです。

バロックの眼で眺めれば、人類の歴史とは差異を埋めることである。

あなたは毎日会社にゆくのに(定時定刻に対して)遅刻といふ差異を生ぜしめぬように必死である、
交通体系(システム)の上を規則的に走る電車に乗り遅れぬように必死である、誰それと何時何分
に何処そこで会ふといふ約束を守ることに仕事であれ私事であり(前者であれば尚一層)必死であ
る、計画通りに事態の進捗を図らねばならぬ、誤解(といふ差異の発生)を避けて正解を他人と共
有せねばならぬ、毎日経理の帳簿をつけて一日の終はりには出と入りがプラス・マイナス0でなけ
ればならぬ、店に入つて対価を払はずにものをとると其れは泥棒である等々、これらの現実的な事
実はなべて、差異を埋めるために互ひの等価交換をしようといふ考へ方からなつてゐることが判り
ます。この世のことはみな全て、このやうに法律も含めて、宇宙の真理と正反対のことである。こ
れを私たちは社会と呼び、現実と呼んでゐる。三島由紀夫が『血と薔薇』に寄稿したエッセイの表
題のいふ通りに、eros(憧れとソクラテスは言ひ換へた)の眼から見れば、All Japanese are
perverseである。すべての日本人は倒錯してゐるのだ。

しかし、1951年の人間の遺伝子の二重螺旋構造の発見以来今や全地球的にバロックの時代なの
で、Human being is all perverse(人類は皆倒錯してゐる)といふことなのです。神も仏もある
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ27
ものか。日本の歴史ならば室町時代、戦国時代、江戸幕末・明治維新の混乱が、そのまま世界史
になつたといふことです。最後の場合は王政復古ですから、これを除いて前二者を考へれば、日本
本史の言葉でいふ下克上の世、全地球的に下克上と戦乱の時代だといふことになります。バロック
の時代とは、このやうに座標のない、さうして差異を0にするにせよ差異を別するにせよ差異を求
める時代ですから、思考から行為に至るまで人間は逸脱し、逸脱を繰り返しー何故なら差異は相
対的な値だから。相対的とは時間の中では常に変化する値だからー、従ひ時代も逸脱し、逸脱を
繰り返すことになります。人によつては(本名から逸脱した)偽名を使ひ、本名は歴史に埋もれて
長く隠れ、200年も本名のわからなかったバロックの作家もおります。ドイツのバロック小説の
ベストセラー『阿呆物語』の作者グリンメルスハウゼンです。また、同じバロックの哲学者デカル
トの二つの座右の銘の一つが「よく隠れた者こそ、よく生きた者である( bene vixit, bene qui
latuit)」といふのは、これもまた同じ逸脱といふ差異に着眼するといふ時代意識に共通してゐま
す。さうして、確かに全ての安部公房の主人公は無名であり、無名のまま差異を求めて逸脱を繰り
返し、最後には此の世から失踪してしまふ。私たちの人生がさうなるといふ事、そのやうな時代
だといふことです。

このやうに差異と逸脱と繰り返し(または反復。何故なら差異は時間の中では反復として現れる
から)といふことであれば、まさしくS・カルマ氏の世界である。

さて、17世紀のヨーロッパを見てみませう。さうして、この世界認識と価値観(以後この二つを
併せてバロックと一つにいふことにします))は、地球上の地域と時代を、従ひ個別言語も人種
も民族も問ひませんので、従ひ国家あるにも拘らず、これらを全て横断して通用する考へ方であり
ますから、そのうちの一つの例として、17世紀のヨーロッパを見てみようといふのです。

実は、この場合名前はなんでもよろしい。バロックといふも、脱構築(deconstruction)といふも、
捻れてゐればフーテンの寅さんの口上「見あげたもんだよ、屋根やのフンドシ」でもいい、要する
に、世界は差異であるといふ認識と其の事実をいふだけなのです。

冒頭、神も仏もあるものかといふ宇宙観だと言ひました通り、ヨーロッパの17世紀は激動の時
代でありました。人間の歴史がいつもさうであるやうに、その差異たるもの(シャレです)の最
たるものは、戦争であり、それは30年戦争と呼ばれる戦争のあつた世紀でした。戦争は互ひの
差異を武力によつて埋めること、0にすることです。これは政治のことですが、経済、言語、文学
を始めとする藝術、建築、都市設計等々に亘るバロックについてもみて参りたい。

3.2 バロック建築:差異の建築
目で見て、ああさうかと思つて下さるのが一番理解への近道だと思ひますので、百聞は一見に然か
ず、バロック建築の実物の建物と其の設計図面を見てもらつて、「差異の建築または建築の差異」
を見てもらひたい。ここで「差異の建築または建築の差異」などといふ言葉が等価交換をして書
けるといふことが、実はバロックの位相幾何学的な性格、即ち互ひに再帰的な、従ひ主客等価交
換関係が、このバロックにはあることを自づと物語つてゐます。安部公房ならば前衛(アヴァンギャ
ルド)と革命の関係で「革命の芸術、芸術の革命」といふことができるといふわけです(全集第
9巻、253ページ下段)。つまり、そもそも安部公房は世にいふアヴァンギャルドではない。
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ28
最初にパリの教会の写真と平面図を、次に垂直方向に伸びるオックスフォードの図書館の写真と
断面図をご覧ください。これは、もはや騙し絵の世界でありまして、一見すると対称性のある建物
の内観外観であるやうに見えて、実はそれを小さく崩してゐるのです。バロックがbarocco、即ち
小さな真珠の歪んだものといふ語源を思ひだして下さい。この歪みは小さく人目につかぬように
置かれてゐるのです。ですから、このバロックの論理と感覚は、そのままシュールレアリスムの画
家たちの絵画、例へばダリだとかマグリットの騙し絵に直結してゐますので、バロックは、シュー
ルレアリストが対称性を表現したやうに見せて小さな歪み(連続量)や隙間(非連続量)をどこ
かに置いてゐるのであれば、そのやうなシュールレアリスムを含むといふことが云へます。

幾何学的な図形でいへば、バロックといふ概念は差異にありますので、形は直線ではなくクネク
ネとした曲線であり、真円ではなく楕円であり、正方形ではなく並行四辺形であり、3次元では
遺伝子と同じく隙間の集合である螺旋形です。最後の場合は安部公房が言語の本質を説明する言葉
を借りれば「「たとえばパブロフは、条件反射で有名なあのパブロフですが、《言語》を一般の
条件反射よりも一次元高次の条件反射とみなしていたようです。(略)/「一次元高次」のという
意味は、たとえば紙のうえに円を画き、その円を紙から話して空中移動させてみてください。チュー
ブが出来ますね。平面が一次元高次の空間になったわけです。」[註1]といふことであるので
す。

安部公房が《言語》と書いて言語といふ言葉を《 》といふ記号によつて存在の言語と化さしめて
ゐること[註2]は、改めていふまでもありません。言語は存在に直結してゐるのです。さて、そ
の上で、安部公房のいふ「紙のうえに円を画き、その円を紙から離して空中移動させてみてくださ
い。チューブが出来ますね」と言ひながら、安部公房の両手は真つ直ぐ直線的に垂直方向にチュー
ブを描いたのではなく、両手を左右にゆらゆらさせながら、謂はば螺旋形にクネクネとチューブ
を描いたのです。

[註1]
これは、このまま、安部公房の言語機能論です。
「 ついでにパブロフについても触れておくべきだろうな。(略)でもあえて推測すれば、要するに言語は一般条件
反射の積分値だと言いたかったんじゃないかな。
――-積分値、ですか?
安部 積分値というのは、要するに平面上に描かれたあるカーブを、平面ごと移動させて出来る三次元像を考えて貰
えばいい。初めが円なら、こう、チューブになる……
 これはパブロフの暗示にもとづく類推だけど、僕としては積分値よりもやはりアナログ信号のデジタル転換のほう
を採りたいな。大脳半球の片方(言語脳)が、どんなやりかたで、アナログ信号をデジタル処理しているのかは、今
後の研究に待つしかないけど、言語がデジタル信号であることは疑いようのない事実だからね。 」(『破滅と再生2』
全集第28巻、255ページ)また、

「たとえばパブロフは、条件反射で有名なあのパブロフですが、《言語》を一般の条件反射よりも一次元高次の条件
反射とみなしていたようです。(略)
 「一次元高次」のという意味は、たとえば紙のうえに円を画き、その円を紙から話して空中移動させてみてくださ
い。チューブが出来ますね。平面が一次元高次の空間になったわけです。言葉を替えれば二次元が三次元に積分され
たことになります。つまりある条件反射の系の積分値として《ことば》を想定したのがパブロフの仮説になるわけです。
ぼくとしては「積分」よりも「デジタル転換」のほうを採りたいような気もしていますが、今のところこれ以上の深
入りはやめておきましょう。肝心なことは、《ことば》をあくまでも大脳皮質のメカニズムとして捉えようとした姿
勢です。」(『シャーマンは祖国を歌う―儀式・言語・国家、そしてDNA』全集第28巻、232ページ)
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ29
[註2]
『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』(もぐら通信第56号から第59号)をご覧ください。
安部公房が記号を使つて如何にtopologicalに詩人から小説家に自らを変形させたかを詳述しました。

さて、まづは、教会の写真と平面図をご覧ください。

これは、Saint-Louis-des-Invalidesといふフランスの首都パリにある建物です。設計者名はJules
Hardouin-amsart(ジュール・アルドゥアン=マンサール)建築年数は1693ー1706とあり
ます。
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ30
教会の前面を見ると、外観は左右対称に全く見えますが、しかし中に入ると、右の平面図を見る
とどうでせうか。小さな真珠の歪み、即ちbaroccoの差異があるのです。下に赤い丸と矢印を付け
ました。

外部では左右対称であるが、内部に入ると、その空間には歪みがあり、左右に差異がある。といふ
ことなのです。外部に、建物の前に立つて、あなたは正面の左右対称に美しいとおもひ、何か安定
した心持ちになる。さうして、内部に足を踏み入れて、同じ安定と調和を期待する。さうして、ある
人は差異に気づかずに、勘違ひをして其のまま安心して此の空間を退出するが、しかし安部公房の
読者であるあなたは目敏(さと)く差異に気づいて、空間が内部では歪んでゐることを知る。しか
し、あなたはバロック的な人間なので、差異のあることに心が安らかになる。不安に安らかになる。
安らかな不安を感じて安心する。これがバロック様式なのです。

次に、これは、Villa Doria Pamphiliといふイタリアの首都ローマにある建築です。Villaとあります


から、さうしてこれだけの建物ですから、勿論王侯貴族の建てたものでありませう。建築家は
Alessandro Algardi。建築年は1650年。
もぐら通信                         
もぐら通信 31
ページ
もぐら通信                         
もぐら通信 32
ページ

この建物の平面図をご覧ください。差異にはやはり、丸印と矢印を付けました。外部外観は勿論で
すが、内部に入つても対称的な内観であるやうに見かけ上は見えます。しかし注意して見れば、や
はり差異がある。

次は垂直方向に差異のある建築の例です。

これはイギリスのオックスフォードにある図書館の一部を構成する建物です。Radciffe Cameraと
呼ばれる図書館。建築設計者は、James Gibbs。建築期間は、1773ー1749。18世紀。

これは垂直方向の建物の部分の、天頂のところ、天蓋のところに差異が設けてあります。隙間、
空隙といつても良い。内部からは此の差異は見えません。贋の現実を贋の現実と知らずに、人々
は此の空間の内部で安心して本を読んでゐる。

外部から見ても、建物の屋根に空間があるとはおもはないでせう。
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ33

最後にもう一つ、ローマにあるスペイン風の階段であり、これがバロック様式であるといふ例
を見て見ませう。設計者はFrancesco de Sanctis。建築期間は17世紀ではなく、1723−
1726。18世紀初頭です。まづ正面からの姿です。

階段は螺旋を描く
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ34
この階段の平面図です。やはり建物の前、即ち野外にあつても、最初の階段と中の階段と奥の
階段の中心線をそれぞれ小さくズラして差異、即ちbaroccoといふ歪んだ目に見えない、さう
いふ意味では透明な、安部公房のすべての作品の結末継承と結末共有[註3]と同じ真珠を生み
出してゐる。

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ35

言葉の眼
(12)
スイスのアルプス貫通世界最長トンネル開通式典の異様
∼大地母神崇拝の復活とキリスト教(父権宗教)の衰退∼

岩田英哉

これまで、ヨーロッパとアメリカの動静については、言葉の眼で世界を観る、即ち言語構造とし
て現実にある世界を観ると、一体何が起こつてゐるか、即ちどんな差異が立ち現れ、また其の差
異をどのやうに無くさうとしてゐるのかについて、次の表題の下に連載の中で都度述べて来まし
た。

(1)言葉の眼10:ホーネッカーの最後の晩餐とヒットラーの珈琲クリーム(もぐら通信第52号)
(2)言葉の眼 10:ユーラシア大陸の東と西で何が起きてゐるのか?(もぐら通信第53号)
(3)言葉の眼 11:安部公房の世界からトランプ大統領の就任演説を読む(もぐら通信第54号)
(4)『カンガルー・ノート』論(2)「6。『安部公房文学と大地母神崇拝』∼神話論の視点からみた安部公房
文学∼」(もぐら通信第67号)
(5)『メタSF作家A氏への五つの手紙』(もぐら通信第71号)

さて、今回はスイスで何が起こり、それがヨーロッパの文明にとつて何を意味するのかといふ
お話しです。

最初にスイスといふ国の地図上の位置を見てませう。写真はGoogle Earthから。

(地図1)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ36

この地図を見ると、スイスは、

(1)フランス(スイスの西)
(2)ドイツ(スイスの北)
(3)オーストリア(スイスの東)
(4)イタリア(スイスの南)
(5)リヒテンシュタイン(スイスの東)

といふ国々に囲まれた小さな面積の山岳の国といふことがわかります。

この場合もしヨーロッパの臍と地理的にいふならば、東欧を含まず、大陸の主要国に挟まれた国
といふことになります。しかし、他方20世紀の冷戦時代は、政治的には、東欧と此の狭義の欧
州である西欧の間(はざま)にあつたといふことになります。冷戦時代にソヴィエト共産党の支
配下にあつて共産主義国家であつた東欧諸国を含む地域を入れると、ヨーロッパの地図は此の
やうになります。

(地図2)

今回話題とするGotthard(ゴットハルト、またはゴッタルト。前者の表記を採ります)といふ峠
の位置は、地図1に黄色のピンで留められて指し示されてゐます。このトンネルの出入り口の両
端で同時に(双方の式典を大画面のスクリーンで互ひに共有しながら)開通式の祝典が開催さ
れました。

この開催式典についての話です。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 37

2。 式典の怪
このトンネルの開通式は、2016年6月1日。この世界最長のトンネルの姿を平面図(地図)
と断面図(アルプス山底部貫通図)の二つの図面でご覧ください。

(1)平面図(地図):https://de.wikipedia.org/wiki/Gotthard-Basistunnel
中央を南北に走る太い点線が今回完成したトンネル(57.1キロメートル)です。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 38

(2)断面図(アルプス山底部貫通図):https://de.wikipedia.org/wiki/Gotthard-Basistunnel

向かつて左端の出入り口は、Erstfeld north portal(エールストフェルト北口)、右端の出入り


口は、Bodio south portal(ボーディオ南口)と呼ばれてゐます。真ん中に少し濃目の赤い色調
で描かれてゐる幅のある山塊が、このトンネルの名前の由来するSt. Gotthard massifと呼ばれる
山塊です。Massifとありますので、やはり英語ならばmassiveであり、単なる何々山といふので
はなく、複数の山がかたまつて一つになつてゐる山塊なのです。

さうして、注目すべきは、この山塊が「聖人ゴットハルト」山塊と呼ばれてゐることです。「聖
人ゴットハルト」山といふ、つまり八ヶ岳とか剱岳といふやうな個別の山の名前ではないのです。
これは山塊に付けられた名前です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Saint-Gotthard_Massif
もぐら通信
もぐら通信                          ページ39

聖人ゴットハルトといふキリスト教(カソリック)のお坊さんは、10世紀の半ばから11世紀
の前半に生きた方で、司教(Bishop)といふ職位にあつた僧侶です。パッサウの生まれ、ニーダー
アルタイヒの修道院に勤め、ザルツブルクに居住、イタリアに勉学に赴く、またパッサウに戻る。
といふこのやうな経歴を見ますと、パッサウはドイツの南バイエルン州の南東部の都市で、オー
ストリアとチェコに国境を接する位置にある町であり、ニーダーアルタイヒは同じバイエルンの
パッサウの北西の近隣の町、ザルツブルクはオーストリア、さうしてイタリアの地を踏むとあれ
ば、やはりアルプスの山を超えて往来した者でありませう。さうであれば、この事実の意味する
ところは、次の二つであると思はれます。

(1)アルプスの此の山塊を巡る土地土地に住む人々にとつて親しく名の聞こえたキリスト教の
聖人であるといふこと
(2)キリスト教に教化されたスイスの土地土地であり、それぞれの住民であること

この祭典の問題は、このキリスト教の10世紀から11世紀に生きた聖人の名前のついた峠の
根底を通るトンネルの開通式に、反キリスト教的且つ悪魔的儀式を執り行つたといふことあり
ます。

どのやうな(キリスト教から見ての)悪魔的儀式であつたのか、その写真を動画から切り取つて
お見せしますので、ご覧ください。この最たるものが、この山羊男の、人間の女性との交合であ
り、この一幕の後に時間を置いて、役割を交代して行はれる山羊女と(悪魔たる山羊男が人間の
姿をしてゐる)男との交合です。英語で説明を語る別の動画を見ると、正視に耐えないのでぼか
しますといつて其の場面だけ直視できないように加工してゐるほどに、やはり異常な場面なので
す。
もぐら通信
もぐら通信                          40
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動画の全体は30分程のものですが、全体を見るのであれば、次のURLへ:
https://www.youtube.com/watch?v=uh8zhgNnlmE

(1)山羊男の登場:6:10から

(2)山羊男、人間の女性を後ろから抱きしめる:14:00から
もぐら通信
もぐら通信                          41
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(3)人間の姿に帰つた山羊男、山羊女を背後から交合する:14:00から

上記の写真の遠景:さすがに此の場面は接写できなかつたものと見え、上の写真から一気に此
の遠景にzoom outする。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 42

この儀式がBodio south portal(ボーディオ南口)で行はれてゐる間に、もう片方の


Erstfeld north portal(エールストフェルト北口)では、EU各国の政治家首脳たちがまた別様の
祭典を観覧してゐたのでした。出席者は、ドイツ首相のメルケル、フランス大統領、イタリア、
オーストリア、スイスほかの首脳たちでした。いづれの政治家の報ぜられた言葉も、これでヨー
ロッパの南北が繋がり、ヨーロッパ全体にとつて非常に大きな意味のあるトンネルの開通であ
るといふものです。

(Erstfeld north portal(エールストフェルト北口)での式典:Tagesspiegel 01.06.2016


13:40 Uhr)

これらの写真を見ると、Bodio south portal(ボーディオ南口)といふスイスの山中にある会場


は土地の古代的神話の世界を、さうして典型的な長尺もののホルンの列と演奏を置き、他方、対
するErstfeld north portal(エールストフェルト北口)では、アルプスの北にある主要國の政治
家首脳たちを配し、写真は掲げませんが、そこの行列には贋物のローマ法皇が馬車様の台の上
に立つて駅舎内を練り歩く行列の中の一つの要素として登場してゐますので、この異教とキリス
ト教といふ両極端の対比は明らかです。

さて、ここからは、スイスのTV局の報道番組(https://www.youtube.com/watch?v=aF63-
qzCVRI )とロシアの暴露専門のウエッブサイトであるKatehonからの引用を入れながらお話し
します。前者の報道もまた後者の記事に依拠してをりますので、映像を除けば、情報源は後者で
あるといつて良いでせう。Katehonからの引用するのは、次の一種の新聞といひませうか、ある
いは告発紙といふべきでせうが、『賛成と反対』(Stimme und Gegenstimme; S&G)といふ
名前の20世紀一斉同報マスメディアの偏向・隠蔽・捏造報道を告発する専門新聞です。

Hand-Expressと副題がついてゐますので、手軽に人から人へと流通する最新情報を提供すると
いふ意味なのでせうし、それほどに速報性と即報性が高いといふ意味でもあるのでせう。新聞
もぐら通信
もぐら通信                          ページ43

の名前と此のHand-Expressの文字の間にある謳ひ文句が、我が国のマスコミ報道の現状に照ら
して、興味深い事に、庶民と国民の立場から次のやうな言葉(スローガンといふべきでせう)が
列挙されてゐることです。これはこのまま此の新聞発行の目的であり、日本にそつくりな、ヨー
ロッパの現状なのです。

(私は読みながら、思はず笑つてしまひました。しかし、このヨーロッパの現実を思ひ併せる
と、本当は日本の国もまた笑ふどころの話ではないのです。日米欧で報道に関し同じことが起き
てゐる。つまり、次のことができてゐない。)

(1)知的な分析を通じた透明性を。
(2)全然聞こえて来ないぞー国民から国民のための声が!/国民について国民のための声が!
[一昔前のマルクス主義者ならば、このVolk(フォルク)は人民とか民衆と訳してゐるところで
す。人民について/からの声が全然聞こえないぞ!前衛的であれ!といふわけです。]
(3)自由で、そして無料であれ。[国民の知る権利に必要な情報はタダにしろ!]
(4)なるほどとすぐにわかる。[四の五の理屈を抜かすんぢやねえ!]
(5)透明ではない市民ー透明なメディアを。
[この含意は、市民ばかりに透明性を要求して、メディアはちつとも透明ではないではないか。
この関係を逆にしろ。といふ意味でせう。]
(6)政治家、金融界の大物(の名前こそ)を、我々は必要としてゐるのだ!
(7)国民の虫眼鏡(拡大鏡)の下での世相世事・社会事件(Weltgeschehen)の報道を。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ44

Hand-Expressといふ文字の下には更に太文字の一行が書かれてゐて、これは相当にヨーロッパ
各国の庶民・国民が共通して、知る権利に関する危機感を覚えてゐる証左です。つまり、どの国
でもどの民族でも同じことが報道に関しメディアに関して起きてゐる:

「諸国民(または諸民族)は、賛成と反対に対する権利(賛成・反対をいふ権利)がある。」

しかも、この権利といふ名詞の前に不定冠詞がついてをりますので、これは一つの権利、即ち諸
民族(または諸国民)共通の同一の権利であるといつてゐるのです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ45

これはこのまま、反EU、反Globalismの主張であり、マスメディアは諸国民諸民族に賛成も反
対も言はせない。と言つてゐることになります。それ故に、

(5)透明ではない市民ー透明なメディアを。
(1)知的な分析を通じた透明性を。
(2)全然聞こえて来ないぞー国民から国民のための声が!/国民について国民のための声が!

黒幕は誰だ?陰に不透明に隠れてゐる悪人どもは!その名前をメディアは明らかにしろ!それ故
に、

(6)政治家、金融界の大物(の名前こそ)を、我々は必要としてゐるのだ!
(7)国民の虫眼鏡(拡大鏡)の下での世相世事・社会事件(Weltgeschehen)の報道を。

といふ此の告発紙のキャッチコピーでありスローガンなのです。

だから、どんどん悪事をなした人間の実名と居所を告発してくれ、何故ならば、私たち国民・庶
民・民族には(いづれもVolk(フォルク)の日本語訳です)、国民・庶民・民族を問はず、同一
の知る権利があるからだ。

さて、上記にURLを引用したスイスのTV放送は、この告発紙を元に番組のスライドの画面を構
成してゐますので、直接此の放送と告発新聞から引用して一体黒幕は誰か?金の出どころはどこ
か、誰が金融界の大物なのか、その名を挙げることにします。

(拙訳:トン
ネルの開通式
は、悪魔崇拝
の象徴的な反
キリスト教の
(確信犯的な)
行為であつた)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 46

これらの人間にとつて恐ろしいことには、無名の庶民がネットで情報を検索して、個人名はいふ
までもなく(もし偽名筆名を使つてゐても本名が明かされて投稿されるでせう)、住所までもが
投稿されて公表されてゐることです。例へば、

(1)この悪魔的儀式の舞台の総監督は、俳優でもあるVolker Hesse(フォルカー・ヘッセ)。
ドイツ語でHauptverursacher(ハウプト・フェアウアザッハー)とありますので、日本語なら
ば首謀者といふことです。流石に犯罪の首謀者とは言つてをりませんが、直訳すれば主要な(中
心の)原因をなした者といふ意味です。きちんとウエブサイトのURLまで明示してゐる。これを
見ると、この男の職業は舞台監督であることがわかります。

日本の国ならば廻状が
ネットで廻つてゐると
いふところです。
凶状持ちのヘッセさん。
この告発紙はネット廻
状、ネット凶状といふ
ところです。

このTV報道では、このヘッセといふ舞台監督がクレディ・スイスから金をもらつてゐたと報じ
てゐます。

以下、関連する人物については、この告発紙にある記事の内容を伝へたスイスTV局の画面を引
用します。国際金融資本に関係するglobalistである金の亡者たる人間の名前が続きます。このTV
放送では(上のヘッセを除き)皆シルエット姿で報じられてをり、これが文字通りに黒幕である
やうな印象を与へます。また悪魔的な儀式に資金を出した人間たちといふことから言つても、と
ても表に出すことはキリスト教の禁忌に触れてできないので黒いシルエットで表したといふ解釈
も成り立つと思ひます。あるいは顔写真を報道するとTV局に金の力で圧力でもかかるものか。
もぐら通信
もぐら通信                          47
ページ

以下、即物的に関係する人間と言葉について説明します。

(2)Georg Otto Schmid(ゲオルグ・オットー・シュミット):


https://de.wikipedia.org/wiki/Georg_Schmid_(Religionswissenschaftler)

Schweizer Sektenexperte(スイス人。カルトの専門家)

(3)Moritz Leuenberger(モーリッツ・ロイネンベルガー):
https://de.wikipedia.org/wiki/Moritz_Leuenberger

ehemaliger SP-Bundesrat(元●)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 48

(4)Tidjane Thiam:(ティジャーネ・ティアン):
https://en.wikipedia.org/wiki/Tidjane_Thiam

写真の背景の壁に書かれてゐる文字「世界経済フォーラム(World Economic Forum)」の


議長を務めた。クレディ・スイスのCEOを務めた。人脈はglobalistsの人脈。スイスのTV放送
曰く、イギリスの元首相のデヴィッド・キャメロン、元外相のジョージ・オズボーン、アジア
諸国の首脳政治家とも親しく、中国共産党の習近平と特に親しいことはいふまでもない。ま
た、アフリカ諸国54カ国のうち40カ国の首脳政治家と親しい。

Thiamは、LeSiècle(https://fr.wikipedia.org/wiki/Le_Siècle)の会員でもある。この秘密組
織(と放送は言つてゐる。ドイツ語はGeheimloge)は1944年にGeorgesBérard-Quélin1によっ
て設立された影響力のクラブであるとのこと。 この協会は、フランスの政治、経済、文化、
メディアのリーダーを集めている。とのことです。Thiamはフランスの植民地出身のフランス
人として此の組織に入会したのでせう。

(5)World Economic Forum:https://ja.wikipedia.org/wiki/世界経済フォーラム


このWikipediaの文章を読むと、globalistsの集まりであることがわかります。この組織の創
設者もまたスイス人です。この祭典に出席したドイツのメルケル首相も会員の一人です。

「世界経済フォーラム(せかいけいざいフォーラム、World Economic Forum)は、経済、


政治、学究、その他の社会におけるリーダーたちが連携することにより、世界・地域・産業の
課題を形成し、世界情勢の改善に取り組む、独立した国際機関。ジュネーブに本部を置きスイ
スの非営利財団の形態を有している。1971年にスイスの経済学者クラウス・シュワブにより
設立された。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 49

スイスのダボスで開催される年次総会が特によく知られており、約2500名の選ばれた知識人
やジャーナリスト、多国籍企業経営者や国際的な政治指導者などのトップリーダーが一堂に会
し、健康や環境等を含めた世界が直面する重大な問題について議論する場となっている。また、
同機関は、東アジアやラテンアメリカなど6-8の地域会議を開催し、中国及びアラブ首長国連
邦においても別途の年次総会を開催している。さらに、会議だけではなく、同機関はさまざま
な研究報告書を発表したり、メンバーたちが各業界に関連したイニシアティブに関わるなどの
活動を行っている。2011年のダボスにおける年次総会は1月26日-30日に開催された。2012年
総会は1月25日-29日に"The Great Transformation: Shaping New Models"というテーマで開
催された。2013年総会は1月23日-27日に、創設者クラウス・シュワブによる「地球規模の協
力の必要性が今ほど重要な時代はない」との声明を受け、"Resilient Dynamism"というテー
マで催された。2014年年次総会は1月22−25日に"The Reshaping of the World:
Consequences for Society, Politics and Business"というテーマで催された。2015年年次総
会は、"The New Global Context"というテーマで催された。」

(6)Roger Köppel(ロガー・ケッペル)
このトンネル開通式典の3ヶ月とない直近の時点で、Phlipp Ruch(フィリップ・ルフ)とい
ふ(キリスト教から見たら反キリスト教の極左芸術家)の影響下にある悪魔主義の実践者た
ち(ドイツ語はdie Voodo-Praktiken)が、メイン・ストリーム・メディア(要するにマスメ
ディア)を通じて、スイス国内の出版社及び政治家ロガー・ケッペルに反対して80万回の呪
いの言葉を送信した(とTV局の報じた)その呪ひを受けた当の政治家。右下の人物です。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 50

この報道とWikipediaの経歴を読むと、スイス政治界の右翼であり保守だといふことが知られ
ますが、しかし、面白いのは此の記述の中に、此の政治家(ジャーナリストでもあります)
が本を書いてゐて、その題名が(スイスの哲学者ゲオルグ・ケーラーとの共著)『正統と神話:
カール・シュミットと再度魔術化された国家権力』[註1]といふことです。

[註1]
His thesis, Autorität und Mythos: Carl Schmitt und die Wiederverzauberungstaatlicher Gewalt (1916‒
1938) ("Authority and Myth: Carl Schmitt and the Re-enchantment of State Power") was written in
collaboration with the Swiss philosopher Georg Köhler.

(8)カール・シュミット:https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・シュミット;https://
en.wikipedia.org/wiki/Carl_Schmitt
日本語のWikipediaは文章の書き方が曖昧でよく理解できないので、英語版から引用します:

「Carl Schmitt (German: [ʃm t]; 11 July 1888 ‒ 7 April 1985) was a conservative[2][3]
German jurist and political theorist. Schmitt wrote extensively about the effective
wielding of political power. His work has been a major influence on subsequent political
theory, legal theory, continental philosophy and political theology. It remains both
influential and controversial due to his close association and juridical-political
allegiance with Nazism; he is known as the "crown jurist of the Third Reich".[4]
Schmitt's work has attracted the attention of numerous philosophers and political
theorists, including Walter Benjamin, Leo Strauss, Jürgen Habermas, Friedrich Hayek,
[5] Jacques Derrida, Hannah Arendt, Susan Buck-Morss, Giorgio Agamben, Jaime
Guzmán, Antonio Negri, Slavoj Žižek and Avital Ronell among many others.」

【拙訳】
カール・シュミットは、ドイツの保守の法律家にして政治理論家。シュミットは広く政治権力
の効果的な執行または行使について書いた。その著作は大きな影響力を有し、その影響下に
政治理論、法律理論、大陸ヨーロッパの哲学、そして政治神学が生まれた。シュミットの著作
は依然として影響力があり、議論を呼ぶが、それはシュミットがナチズムと近しい関係を有し、
法律的ー政治的な忠誠を共に有してゐたからである。シュミットは第三帝国の 王冠の法律家
(第一の法律家)として知られてゐる。その書作は数多くの哲学者及び政治理論学者の関心を
惹き、数多(あまた)ゐる中に含まれる者には、ヴァルター・ベンヤミン、レオ・シュトラウ
ス、ユルゲン・ハーバーマース、フリードリッヒ・ハイエク、ジャック・デリダ、ハンナ・アー
レント、スーザン・ブックーモルス、ジオルジオ・アガンベン、ジェーヌ・グズマン、アントー
ニオ・ネグリ、サルヴォージュ・ツィツェック、そしてアヴィタール・ロネルがゐる[註2]。
これら読者の名前を打ち見ても、もはや右翼左翼で識別のできる時代ではないことが、わか
ります。カントーヘーゲルから発した共産主義の系譜の人間も、カントーショーペンハウアー
から発した超越論の人間もともに、此の人間の著作を関心をもつて読んだといふことだから
です。(後掲する図表1をご覧ください)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 51
[ 2]
以上列挙された名前を「2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」(『安部公房とチョムスキー』(もぐら通信
第73号)の分類により仕分けると次のやうになります。判定の規準は『西洋近世哲学史の中の安部公房の位置』
と題した図です。ダウンロードは:https://ja.scribd.com/document/368975265/西洋近世哲学史の中の安部公房
の位置

①ヴァルター・ベンヤミン:共産主義、globalism、フランクフルト学派(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァルター・
ベンヤミン;https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Benjamin)
②レオ・シュトラウス:超越論、反マルクス主義、反ナチズム(https://ja.wikipedia.org/wiki/レオ・シュトラウス;
https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_Strauss)
③ユルゲン・ハーバーマース:共産主義、globalism、フランクフルト学派(https://ja.wikipedia.org/wiki/ユルゲン・
ハーバーマス;https://en.wikipedia.org/wiki/Jürgen_Habermas#Habermas_versus_postmodernists。
https://plato.stanford.edu/entries/habermas/。https://www.britannica.com/biography/Jurgen-Habermas)
④ジャック・デリダ:超越論(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャック・デリダ。https://en.wikipedia.org/wiki/
Jacques_Derrida)
⑤ハンナ・アーレント:反ナチズム、反全体主義(もしアーレントが全体主義にマルクス主義と国際金融資本の
globalismを含めたのであれば、これらにも反対したことになる;https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンナ・アーレント;
https://en.wikipedia.org/wiki/Hannah_Arendt)
⑥スーザン・ブックーモルス(スーザン・バック=モース):反マルクス主義、反globalism、反フランクフルト学派;
https://ja.wikipedia.org/wiki/スーザン・バック=モース;https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_Buck-Morss)
⑦ジオルジオ・アガンベン:超越論(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジョ・アガンベン;https://
en.wikipedia.org/wiki/Giorgio_Agamben;http://1000ya.isis.ne.jp/1324.html)
⑧ジェーヌ・グズマン:反共産主義(https://en.wikipedia.org/wiki/Jaime_Guzmán#Political_thought;https://
en.wikipedia.org/wiki/Jorge_Alessandri)
⑨アントーニオ・ネグリ:共産主義。Globalism(https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ・ネグリ;https://
en.wikipedia.org/wiki/Antonio_Negri)
⑩サルヴォージュ・ツィツェック:共産主義、Globalism(https://ja.wikipedia.org/wiki/スラヴォイ・ジジェク;
https://en.wikipedia.org/wiki/Slavoj_Žižek)
⑪アヴィタール・ロネル:超越論(https://en.wikipedia.org/wiki/Avital_Ronell)
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ 52
日本にもしカール・シュミットに相当する法律学、政治学、(安部公房の『カンガルー・ノート』
にならつて)縄文以来の古神道学・神道学といはうか日本島国哲学の(とあへてヨーロッパ大陸
哲学に対抗して命名すれば、このやうな)学者がゐれば、さうしてゐた筈でせうから、私たちは此
の学者を憶ひ出し、掘り出して、此の先の戦争後70年を過ぎた今、それこそヨーロッパにみなら
つて日本と世界の死者たちと後世のために再論すべきではないでせうか。

以上のやうに見てまいりますと、今のヨーロッパの政治と宗教と思想の世界は次のやうなマトリ
クスになつてをり、このセルのいづれか又はどれをも此の世界のヨーロッパの人間たちは、言葉
は悪いが、このチェスか将棋か碁盤の目の上かで、右往左往してゐることになります。(ヨーロッ
パの知的劣化については最後に述べます。)これを見ても、もはや日本語でいふ戦後70年の右翼
左翼といふ幼稚な言葉遊びを赦して来た寛大なる日本語の言論空間は「既にして」「いつの間にか」
(超越論的時間)「どこからともなく」(超越論的空間)日本の外部で消滅しー現実はいつも今
遅延して現れます、時間も空間も差異であり、従ひ世界は差異だからですー、フランス革命の政治
構造は崩壊してゐることが、従ひ自由・平等・博愛といふ近代民主主義と資本主義のglobalismの
観念も崩壊してゐることが、ヨーロッパの臍であるスイスの政治と宗教と思想の様子をもとに考
察しますと、よく解ります。言葉の眼で観た日本の今日の混迷の外部が、これです。次の図表1を
ご覧ください。ダウンロードのURLは:https://ja.scribd.com/document/369971714/キリスト
教-共産主義-Globalism-超越論の関係
図表1

思想的に見れば、この図表の上でのヨーロッパ白人種キ
リスト教徒たちの、現今の右往左往がある。曰く、移民
問題、難民問題、EU諸国の国家主権喪失の問題、国際金
融資本(globalism)の跳梁跋扈の問題、EU内・その他
の地域の諸国間の貧富の格差の増大の問題、テロの頻発、
戦争の頻発等々。『メタSF作家A氏への五つの手紙』(も
ぐら通信第71号)に書いたやうに:

「近代ヨーロッパの歴史が、このやうに、自らの歴史を、
それ以前は暗黒の中世だといひ(私はド
イツ文学の世界で中世の優れた叙事詩を読んで、実はさ
うではないことを知つてをります)、イ
スラム文明を通さずに直接古代ギリシャ・ローマに接続
して、これらの文明文化を(イスラムを排して直接)継承
してゐるかのごとき嘘の歴史の上に成り立たせたことを
自分に事実だと思ひこませてゐること、この嘘、この歴
史の捏造が、欧州白人種キリスト教徒の生み出した(広
義の)近代共産主義と、対有色人種に強要する偽善的要
求の始まりであることは、手紙のどこかに書いた通りで
す。これを隠すために奴らの曰く、人種差別の禁止、人
権の尊重、男女の平等、動物の愛護、捕鯨の禁止、
political correctness等々、これらは先づ、他の有色人種
の文明に向けて要求する前に、自らに向けて要求すべき
事項です。」
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もぐら通信 ページ53
また、次のTV放送の画面の文字を見ますと、明らかに、日本の(俗称)インテリが意味も理
解できずに日本の国で音だけを口にするポストモダンといふ言葉が、彼の地では此のやうな
悪魔主義も含めて、オールドメディアに表立つて目立つほどに日常的な反キリスト教の運動ま
でをも言葉の意味の外延となつてゐることが判ります。ところで、日本の国には悪魔などがを
りましたかね。ああ、ゐましたね、芥川龍之介の作品に『煙草と悪魔』『神々の微笑』とい
ふ作品がありました。それから安部公房の初期作品に悪魔といふ文字の登場する作品が幾つ
かありますね。もつとも此の唯一絶対のGodと超越論の戦いは処女作『終りし道の標べに』か
ら最後の作品『カンガルー・ノート』に至るまで書かれるわけですけれども。

前者芥川龍之介の悪魔は八百万の神々の前に戦はずして退散し、後者の悪魔は、作者安部公房
が勇敢にも敵の土俵に載つて戦ひ、西洋論理学の論理と其の独自の超越論に基づく新象徴主
義哲学の論理によつて、相対的な存在概念といふ関数関係の檻の中に呪文を唱へて封じ込めて
しまひましたね。ヨーロッパで悪魔が滅んでも大丈夫。日本の国は博物館みたいな国ですから、
マルクス主義と共産党と悪魔が見たければ日本以外の地域では絶滅したので日本へ行かうとい
ふことになつて、世界中の人々が金を払つてでも見物にやつてくるでせう。観光立国日本万歳。

Die postmoderne Show(ポストモダンのショー)とあるやうに、この悪魔の儀式はポスト


モダンと理解されてゐるのです。
もぐら通信
もぐら通信                          54
ページ

(9)予算
予算は9Mスイスフラン。そのうちの5Mスイスフランを、クレディ・スイスほかの金融資本
が出資したといふことです。1スイスフランは、この原稿を書いてゐる時点で1CHF:115
円ですから、9MCHFは、9MCHF x 115円=1,035M円となります。そのうちの半分
弱、即ち5億円をクレディ・スイスが出した。ちなみに、クレディ・スイスといふ会社は、銀
行であるか証券会社であるか、いづれにせよ日本の法律をないがしろにして、よく摘発される
臑(すね)に傷持つ外資系金融企業グループです。

クレディ・スイス以外の出資者は、上のショット右にある通り、SBB CFF FFSとあるのは、スイスの


鉄道会社です。

(10)バフォメット(Baphomet)といふ悪魔について
この演出に登場した悪魔は、バフォメットといふ悪魔だといふことです。一般的にスイスのみにある
悪魔の名称といふ訳でもなく、山を降りた他の土地にあるやうです。とはいへ、演出された此の悪魔
はスイスのこのゴットハルトの土地に古代よりある神話的な悪魔だといふことです。私の意見では、
恐らくはキリスト教に禁圧されたアルプスにすむ古代の神々の一人ではないのでせうか。

私のドイツ人の友人に尋ねたところ、スイス人はよく儀式に
反キリスト教的な要素を入れて式を挙行することがあるのだといふ
ことでしたので、低地ヨーロッパに及ぶキリスト教の威光も、
アルプス一万尺の高さまではすつかりは及ばないのかも知れません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バフォメット
もぐら通信
もぐら通信                          55
ページ

(11)表現の自由について
このTV放送ではこれ以外にも、所謂(いはゆる)右翼と目される人々に対する極端に挑発的・暴力
的な言論が芸術家によつてなされてゐるので、こんな暴力を許して良いものかどうか、芸術家の自由
などといふ大義名分のもとになされる此のやうな言論とマスメディアを悪用した暴力に対して、対抗
措置が法曹界から取られるべきだといふことになつて、いつて見れば芸術家の自由に対抗すべく専門
の法律110番といふべき救済の要請が、次のウエッブサイトで受付けられてゐるといふことです。

この写真の見出しは「法曹と法律ー法律濫用について;法曹家(法律の専門家)が、藝術の自由につ
いては政治的な判断を下します」ので、TVの女性のアナウンサー曰く、このURL宛に御通報下さい。
とあります。

さう、暴力である以上、芸術家であれ一般市民であれ、職業・身分を問はず、法律に基づく政治的判
断の対象になるのです。政治的といふ言葉が日本と彼地では意味の違ふことがわかります。単に個人
の限度を超えた自由の問題ではなく、今度は他方対照的に反対側から、法治国家の自由、即ち国とし
て社会としての権利と義務の公平を考へた視点からの吟味を法律家がなすといつてゐるのです。これ
は正義の女神の手にする公平の天秤の均衡からいつても、当然のことだと私には思はれる。
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冒頭の私の問ひは、スイスで何が起こり、それがヨーロッパの文明にとつて何を意味するのかといふ
問ひでした。

これについては、言語といふ角度から面白い結果(「キリスト教-共産主義-Globalism-ナチズムー超
越論の関係」といふ図表)を得ることができましたが、もう一つスイスに起こつてゐることは、この
国の国際政治・経済上の地位の変化があります。短期・中期的には、これまでの既得権益を失つたわ
けですから、スイスの没落といふべきではないかと思ひます。

それは1991年にソビエト連邦が崩壊して冷戦が終はつてしまふと、その政治の隙間でスイス銀行
の口座の持ち主に関する守秘義務と匿名性の固い保持によつて政治思想、政治体制の西東を問はず、
両方からの預金を預かつて儲けて来たことが、FATCA[註1]の成立によつて、もはやできなくな
り、顧客情報はアメリカの内国歳入庁に厳正に報告して、アメリカはこれを全世界の国々が共有する
プラットフォーム[註2]で公開して、日本は勿論、アメリカもロシアも中国共産党も脱税をしてゐる
自国民がだれで幾らの金額がどこの口座にあるのかを把握できるようになつたといふことです。

[註1]
Foreign Account Tax Compliance Act(外国口座税務規律遵守法)。2014年7月よりアメリカにて発効。
(藤井厳喜著『国家の逆襲ーグローバリズム終焉に向かう世界』80ページ)

[註2]
IDES((International Data Exchange Service:国際データ交換サービス)といはれるもので、暗号を用ゐて口座の最
終受益者に関する大量のデータを瞬時にかつ相互に交換できるシステム。
(藤井厳喜著『国家の逆襲ーグローバリズム終焉に向かう世界』81ページ)

最後に付言すると、この悪魔的儀式の資金の出所が中国共産党であることです。上の挙げた英国の政
治家たちが政権にあつたときの中国共産党との親密な関係、またTidjane Thiam:(ティジャーネ・
ティアン)と習近平主席との親密な関係といふことから、またこのやうな人間がクレディ・スイスの
CEOであつたといふことから、またドイツのメルケル首相が世界経済フォーラム(World Economic
Forum)の会員であることから、上に紹介した番組はチャイナ・マネーの存在を伝へてゐます。とす
ると、習近平の一路一帯構想は、いよいよヨーロッパのアルプスを超えて、パリとベルリンに繋がる
ことになります。次の図の3つある回廊のうち中央回廊の一部が、2016年6月1日の世界最長ト
ンネルの開通といふわけです。

さうして、それが反キリスト教の悪魔主義の儀式であつて、他のネット上に報ぜられた複数の記事を
併せて読みますと、これをドイツもフランスの首脳も受け容れて、何の危機感も覚えてゐなかつたと
いふことが、去年の現実的な事実、歴史的事実であつたといふことです。
もぐら通信
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(藤井厳喜氏の動画より)

私が恐れるのは、今年になつてドイツの友人二人に尋ねたところ、この反キリスト教的な開通式につ
いては知らなかつたといふことでした。中国共産党のお金がドイツの放送業界にも流入して、報道に
関する共産主義的な自主規制が行はれてゐるとしたら、日本もまた対岸の火事といふわけには行きま
せん。回答してくれた敬虔なカトリック信者である友人の住む州はバーデン・ヴュルテンベルク州と
いつて、スイスの国境を越えて直ぐにある州の一つだからです。この友人はTVを見ない人間ではあり
ませんから、報道されなかったか、大きくは報道されなかつたといふことになりますが、しかし日本
のいい加減な暇つぶしのオチャラカTV放送局・新聞紙とは大いに異なり、ドイツ人の社会で自分た
ちの国を代表する首相の動静が報道されない筈はないのです。ドイツ人は政治に敏感です。それも、
ヨーロッパの北と南を接続するトンネルが17年かけて開通したといふ快挙なわけなのですし、国境
を接して隣国があるといふことは、ドイツ敗戦後の冷戦時代から常に報道はメディアの種類の如何を
問わず政治的であらざるを得ないといふ政治的緊張の中にゐる国のマスメディアであつた筈だからで
す。

このエッセイの標題を「スイスのアルプス貫通世界最長トンネル開通式典の異様:大地母神崇拝の復
活とキリスト教(父権宗教)の衰退」としましたが、しかし、ここまで書いてきて、これはやはりヨー
ロッパの頽廃といふ気持ちが強くします。勿論、ヨーロッパ内外の此れまでの歴史を見れば、キリス
ト教による支配が健康だといふのではないのです。私のここ数年の経験でも、他にも知的階層の最上
位にある筈の大学にあつても、その知性と社会の仕組みの劣化を知ることがあるのです。最近取り寄
せた本の著者であるドイツのある大学のバロック建築の専門家である教授が、その後書の冒頭に、バ
ロックといふ概念は多種多様で定義することができないと、それも自分を主語に立てず(バロックと
いふ単語を主語にして)無責任なことに受動態で書いてあつたからです。(概念を定義できない
professor(教授)はprofessorの名に値しない。)この後書きの冒頭の一行は、今ヨーロッパで起き
てゐる幾つものことを私たちに教へてくれます。(詳細は控へ、別途論を立てることに致します。)
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もぐら通信                          ページ58

ドイツの社会のみならずヨーロパに於いて此のProfessorといふ名前の地位が歴史的に如
何に社会的に信用されてゐる高度な地位であつたことか。日本の大学もまた例外ではあ
りません。日本の社会の仕組みの劣化についても同じです。これをしも劣化globalism
と呼ばんか。あたしあ、お断りだね。

最後に、このスイスのTV放送局が引用した情報源が映像の最後に一覧になつてをりま
したので、そのまま引用してお伝へします。

ご興味のある方はいらしてみては如何でせうか。http://katehon.com/de/node/30316
(deとありますのでロシアの暴露サイトのドイツ語版)などは面白いかも知れません。

いや、英語版がありました:http://katehon.com

このサイトへ行つてみますと、英語版の他に、フランス語、スペイン語、(多分)アラ
ビア語版もある。スイスのTV番組ではロシアの暴露専門「プラットフォーム」といつ
てゐた当のロシア語版が表立つて出てゐないといふことは、何か情報源の秘匿に関する
問題があるのかも知れませんし、配信上の戦略的な深謀遠慮があるのか知れません。し
かし、フラッシュといふ動画技術を使つたフロントページは、眺めてゐるだけで、
Opera Carmen: Cultural Marxism Destroys Cultureなどといふ見出しがあつたりし
て、なかなかに刺激的です。

【附録】
欧米の動向について、この言葉の眼の過去の連載をおさらひすれば、次のやうになります。極力
要点だけを抽出したとはいへ、少し長いおさらひになりましたが、子曰く温故知新、今地球上で
何が起きてゐるかを再度確認することも、遠方より朋(とも)来るに等し、また楽しからずや。
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もぐら通信                          ページ59

(1)言葉の眼10:ホーネッカーの最後の晩餐とヒットラーの珈琲クリーム

「この写真は、2014年10月16日のBerliner Kurier(ベルリーナー・クリール)といふ名前の、
まあ訳せばベルリン飛脚とかベルリン急使とかといふ早耳新聞といつたやうなドイツ語の新聞のネッ
ト記事に掲載されてゐた、当時の東ドイツ(ドイツ民主共和国)の第一書記、エーリッヒ・ホーネッ
カーが、1989年10月7日、即ちベルリンの壁の崩壊する同年11月9日のおよそひと月前に、
東ドイツ建国40周年を祝つて当時の共産主義国家の首領たちを招いて開いた祝賀の席で演説してゐ
る写真です。

この記事によれば、この宴会の最中に、この「共和国宮殿」と名付けられた建物の外では、東ドイツ
の民衆が共産主義体制に対する反対デモを繰り広げてゐるといふ10月7日の演説であつたのです。
(略)
立つてゐるホーネッカーの両隣には、ソヴィエト連邦のゴルバチョフ夫妻、ホーネッカーに向かつて
4人目にルーマニアの、文字通りに命を賭けて出席したチャウシェスク(ベルリンの壁崩壊後に自国
が崩壊して夫婦共に銃殺刑に処せられた)の姿も見られます。

この記事の配信されたのが2014年10月16日。この日から25年前の1989年10月7日を、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ60

ドイツ人が、といふことは、これは冷戦の崩壊ですからヨーロッパ全体が、改めて思ひ出したといふ
ことを意味してゐます。今から2年前です。」

「さて、このホーネッカーの演説の記事と同じ年の10月24日に配信されたのが、BerlinerZeitung
(ベルリーナー・ツァイトゥング)、ベルリン新聞といふドイツ語の新聞です。

スイスのミグロスといふスーパーマーケット・チェーンの子会社が、コーヒー用クリームの容器にヒッ
トラーとムッソリーニの顔写真を貼つて販売したといふ記事です。

世間の手前、親会社は一応は謝りましたが、しかし、これは間違ひなく、意図的に製造され販売さ
れたものです。

これもまた間違ひなく、先だつてのイギリスのEU離脱に大いに関係があり、また其のあとのア
メリカの大統領選挙でトランプが当選したことに、これも大いに関係のあることでせう。

スイスといふ国は、日本では永世中立国などと言はれてをりますが、戦争とは無関係のヨーロッパ
の国家が国境を接してあるわけもなく、傭兵を輩出して外貨を稼ぎ、国を維持して来たのですし、
あの山岳地帯の中は軍事基地になつてゐて、謂はば国全体が要塞であることは、スイスの高速道路
を走つてゐると突然、右手の山の中からジェット戦闘機が2機轟音をたてて飛び出して来たのを目
もぐら通信
もぐら通信                          ページ61

にして知ることがありました。

このほかにも、スイスは国民皆兵であり、各家庭に核戦争を想定したシェルターを備えることが義
務付けられ、予備役の男子がいる家庭には鉄砲が常備されていると云ひます。

ヨーロッパ大陸の地政学には不案内ですが、しかし素人考へでも、ドイツ、オーストリア、リヒテ
ンシュタイン、イタリア、フランスに囲まれてあるヨーロッパの真ん中の国が、上のやうな要塞化
した国であつて、2年前に上のやうなコーヒークリームが(間違ひなく)25周年記念で、販売さ
れたことは、あまりにも常軌を逸して片方に行き過ぎたEUとしての、国家主権をないがしろにし
た自国とヨーロッパの政治のあり方に庶民たる国民が反省し、即ち各国の政府の政治の方向と経済
の方向(共にglobalism)にヨーロッパの各民族が疑念を抱き、その政治体制を、従ひ経済体制も
また、反対方向の極へと向かはしめて、均衡(バランス)を求め、均衡といふ安定の中心を求める
運動の最初の兆候が、このコーヒークリームであつたのだと、2年後の2016年の此の11月の
今になつて思ふのです。

やはり先の世界戦争の終わりから70年が経つて、あらゆる方面で大地震と大津波が起きてゐるの
です。」

(2)言葉の眼 11:ユーラシア大陸の東と西で何が起きてゐるのか?
「ユーラシア大陸の東と西で何が今起きてゐるのか?

(藤井厳喜氏の動画より)
もぐら通信
もぐら通信                          62
ページ

今、ある文章を読んで、ふと思つたのだが、中華人民共和国といふ中華思想とマルクス主義を体現
した中国共産党の支配する国の貨幣価値の崩壊は、ヨーロッパ白人種による此の500年の近代と
いふ時代が生み出したグローバリズムの終焉を最後に人類に示すことなのだな。

この事は、今ヨーロッパで起きてゐる移民・難民問題が500年かけて巡り巡って地球を一周して
自分自身に戻つ来てゐる(お釈迦様なら因果応報といふだらう)現実と密接に深い関係があるな。

地球のユーラシア大陸の東と西で同じ事件が起きてゐるといふ事になります。

かうして考へて見ると、イギリスがヨーロッパではないやうに(ヨーロッパ大陸又は大陸ヨーロッ
パに帰属しないといふ意味ですし、これが歴史的・伝統的・地政学的にイギリスがEUから離脱し
た一番の理由だと私は考へる)、実は、日本もアジアではないのです。明治以来に、そして最近も
特に脱亜論なども論ぜられてをりますが、そもそも脱する必要はなく、既に、最初から、そもそも、
日本は日本であつたし、ある、といふ事が判ります。日本は、再帰的な(recursive)な国だつた。

(略)
この考へから、また此の考へで、我が国を論じては、みなさん、如何か。

それでは、何をどうやつて論じるのか。即ち、大陸をではなく、海洋を主体にものを考へるといふ
事です。即ち、海と島で地球を眺めるといふ事です。大陸の人間が、海洋と島の歴史と伝統を学ぶ
といふ事です。その中に、縄文時代も弥生時代もあるだらうといふ事です。全く従来とは異質な世
界が眼前に開かれるのではないでせうか。

日本は、もともと再帰的な(recursive)な国だつた、日本人はそもそも再帰的な民族だった、日
本人はそもそも再帰的に思考する人間だった、即ち八百万の、白人種のキリスト教の言葉でいへば、
多神教の国であつたといふことです。外に敢へて、規範を求める必要の、そもそも無い国であると
いふことです。自己に帰れば良い。

(略)

あなたも自己に回帰すればよい。

このやうに考えると、結果として、鎖国するでもなく、攘夷でもなく、無条件にむやみやたらに(今
時のやうなだらしのない)開国するのでもなく、日本人の美意識に則つた古来からの第三の道を私
たちは行く事ができるのではないか?

(略)

日本語で言葉とあるコトバが、言の葉であり、コトの葉であり、事の葉であり、コトの端であるこ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ63

とは、言語の起源を其の儘説明をしてくれてゐて、誠に日本人にとつて意義深いものがあります。
安部公房ならば、言語による「周辺飛行」と云ふことです。

安部公房のいふ存在といふ概念をより良く読者に理解してもらふために私がもぐら通信で論じた日
本文化「幕の内弁当論」(『奉天の窓から日本の文化を眺める(4):幕の内弁当』、もぐら通信(第
38号))を思ひ出して下さい。キリスト教の主張する唯一絶対神から逃れるためにヨーロッパの
白人種の生み出した哲学といふ学問と、私たちの美意識の根底にある多神教の、八百万の神々の論
理は、後者は前者を既に最初から含んでゐて、互ひに論理上何ら矛盾するものではないことが実感
として判る筈です。

普通に考へて御覧なさい。唯一絶対の神といつても、それは結局、神々の中の一つの神に過ぎない
のです。八百万の神々と唯一絶対の神。

後者が前者を支配しようとして起こつた歴史が、資本主義の此の500年といふことなのです。

一神教であるキリスト教の奉戴する唯一絶対の神から逃れるために哲学が生まれた。

言語の世界から言葉の眼で人類の歴史を眺めると、そのやうに見えます。」

(3)言葉の眼 11:安部公房の世界からトランプ大統領の就任演説を読む
「もぐら通信第22号に『安部公房のアメリカ論』と題して論考を書きました。この論は、その続
きです。

第22号では、アメリカ文化の生み出す次の贋物の文物を論じ、その起源を明らかに
しました。

1。都市(町)
2。ディズニーランド
3。コカコーラ
4。カウボーイ
5。ジーンズ
6。ハンバーガー
7。ジャズ
8。インターネット

(略)

更に、もぐら通信第50号に於いて、『安部公房の読者のための村上春樹論(中):Baseballとは何
か? Baseballは旧約聖 書の創世記の贋物である 』と題して、日本語で正岡子規が野球と訳し
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 64

baseballについて、その贋物性と起源について解説をしました。このURLが其れです:
https://abekobosplace.blogspot.jp/2016/10/baseball-baseball.html

さて、これらの論をお読みくださることを前提に、掲題、即ち「安部公房の世界からトランプ大統
領の就任演説を読むと」どのやうに見えるものかを以下に論述します。

一言でいへば、トランプ大統領は、第二の独立宣言を宣言したのではないでせうか。

その独立宣言とは、就任演説その物に外なりません。

結論を云へば、トランプの主張してゐることは、アメリカといふ国家をもう一度人造国家、人工国
家、即ちこの国の生み出してきたコーラやジーンズやスーパーマンといふ英雄たちと同じ質
(quality)の普遍的(universal)に、従ひ贋物として世界的に通用する贋の国家に戻さうと云つ
てゐるのです。

(略)

これは、アメリカ内国内での、内国独立宣言といふべき宣言ではないでせうか。

特に上記に複数のURLを以って引用した私のアメリカ論の骨子の一つが、アメリカの文化文物の贋
物性が、ヨーロッパと絶縁することによつて生まれた孤児の文化であり、またアメリカといふ国家
が、インディアンの大虐殺やアフリカ大陸から黒人を攫つて来て奴隷にして売買をするといふ罪深
い歴史的事実と、しかし其の忘却の上になるといふことに由来する幼児性であり、無垢であり、無
名性であるといふことを考へれば、トランプ新大統領が、上の引用で「忘れられた人々」といつて
ゐることは、アメリカの歴史とアメリカ人の精神の正統なる後継者の自覚を、当人が無意識であれ
ばあるほど象徴的に、表現してゐると思はれるからです。

本来自分たちアメリカ人が忘れ且つ「忘れられた人々」であつた筈のアメリカ人を再度思ひ出せと
云つてゐる。二重の忘却を思ひ出せと云つてゐるのです。この、トランプの忘却に関する二重性が、
政治的な議論をややこやしく、難しいものに、これから、政治現象としては、することでせう。

アメリカのmain streamと呼ばれる(誰がさう呼んだのかは私は知りませんが)20世紀型のTV
や新聞紙といふ大量一斉同報メディアは、これを自覚することがないでせうし、同じ前世紀の大量
一斉同報メディア情報をアメリカのmain streamから受けて、頭の中にresistor(抵抗器)を入れず
にゐて空つぽのまま、右から左に垂れ流すだけの日本のTVや新聞紙のマスコミの業界の人間たち
も、これを自覚することがないでせうし、従ひ、日本人と日本の国の重要な問題だと理解した上で、
事実を報道し、批評することができないでせう。

さて、最初の独立宣言は、1776年7月4日に批准され宣言されたとは歴史の教へるところです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ65

これに対して、また此れに継いで、2017年1月20日の此の独立宣言は、今度は内国の
Washington D.C.に蟠踞して富裕になつた政治家たちと其れを取り巻いて出来上がつてゐ
る establshiment からの独立宣言といふことに、トランプの就任演説はなります。 [註1]

(英語原文略)

共通してゐるのは、いづれも前者はイギリスによるアメリカの富の搾取と収奪からの独立、後者も
Washington D.C.の establishment によるアメリカの富の搾取と収奪からの独立といふことです。

(英語原文略)

1。第一次独立宣言ではイギリスからの分離独立の宣言でしたが、第二次独立宣言では、就任式の
直後に日を置かずに、イギリスの女性首相をWashintong D.C.に招いて、就任後の最初の外国首脳
との会議を開催してゐます。

前者は絶縁の宣言、後者は復縁の宣言といふことになります。さうであるならば、事情は強ひられ
たとはいへ、家出をした孤児が親と復縁したといふことになりますし、また旧約聖書の中の逸話を
持ち出せば、放蕩息子(lost son)が、家に帰つて来て、父親たるヨーロッパに迎へられたといふ
ことにもなりませう。

2。今年はフランスも大統領選挙が行はれますが、もしルペン党首が大統領になれば、アメリカの
独立を祝つてフランスの送つた自由の女神像に匹敵する何かの贈り物を、フランスがアメリカに送
るか、それともイギリスの首相の例のやうに、逆にアメリカがフランスに其のお返しをするといふ
ことになるでせう。これが政治現象の上で何であるのかを注視することは、象徴的な出来事や事件
をみることになるでせう。

これで、イギリスといふ島国の、アメリカ13州の支配者であつた親との復縁と、フランスといふ
大陸ヨーロッパの親との復縁がともに成立するといふことになります。この場合には、ルペン党首
はEUからの脱退といふことと一式に、この復縁は、なるのでせう。

考へてみれば、この演説によつて、フランス革命の主張した、そして私たち日本人が義務教育で教
はつた自由・平等・博愛が、今ヨーロッパを襲つてゐる移民・難民問題と軌を一にして、難民・移
民問題がヨーロッパ近代文明の因果が巡り巡つて500年かけて地球を一周してヨーロッパに戻つ
て来たのと全く同様に、そのglobalismの革命理念も、2017年1月20日にアメリカで終焉し
たのではないでせうか。

冒頭に掲げたアメリカの贋物の文物に戻つて云へば、トランプの主張は、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 66

1。都市(町) を再度復活させよう
2。ディズニーランドのやうな国土(ランド)を復活させよう
3。コカコーラといふ神聖なる泉の水を自国で生産し、飲むことにしよう
4。カウボーイの精神、荒野を往く孤児の不屈の魂を復活させよう
5。ジーンズを自国で生産して、身につけ、再度American Dreamを復活させよう
6。ハンバーガーも自国で生産して、これを食することをしよう
7。ジャズも盛んにして、これを大いに演奏し、アメリカを思ひださう
8。インターネットを活用して、安全保障も復活させて、自国の産業の復興をしよう

といふことになります。

そして、アメリカ人が、常に国旗を掲揚し威儀を正して国歌を斉唱するbaseballといふ神聖なる
game、即ち旧約聖書の贋の創世記については、いふまでもありません。

蛇足のやうですが、トランプ氏の就任演説を読んで感じたことを二つ以下に掲げて、この一文を終
りにします。

1。トランプはAmerica Firstだけを掲げたのではない。当たりまえに、お互ひにお互ひの国益を
考へやうといつてゐるのです。

(英語原文略)

国益といふ言葉を見るといつも、プラトンが『国家』の中でソクラテスを讃嘆せしめて言はせる言
葉、即ち国家を論ずるのに人体の譬喩(ひゆ)を使ふと何とこんなにぴったりと国家の説明ができ
るのだらうか、といふ此のソクラテスの言葉をいつも思ひ出します。

確かに、アメリカ人と日本人では、その骨格が異なります。

2。演説の最後に言はれる次のやうな一節はカントリーアンドウエスタンを聴いてゐるやうな気が
しますし、バンジョーの音が聞こえてきます。やはりこれもカウボーイの、親のゐない、孤児の世
界ではないでせうか。あるいは、一家族が幌馬車を仕立てて西へ西へと向かひ、夜になつて荒野の
中で野宿をする。焚き火を炊いて、満天の星の降る夜空を見上げて、アメリカを建国した無名の民
草は、このやうな感慨に耽った、この魂を思い出せと、トランプは言つてゐるのです。

(英語原文略)

トランプといふ人間は、歴史的な、アメリカ人の父性と父権を代表してゐるカウボーイなのです。
但し、上に述べたやうに、その父性と父権のあり方が二重構造、即ち内国に金にものを言はせて、
アメリカ人の伝統と文化を破壊しようといふ、globalistsといふ敵が大勢ゐるといふことが、この
もぐら通信
もぐら通信                          ページ67

新しい大統領の困難であり、危険であることなのです。

トランプ大統領が暗殺されぬことを祈つてをります。

しかし、かうしてみれば、この二重構造は、日本も全く同様の状態にあることに気づくことになり、
私は此の事に愕然と致します。さて、我が国の国益や如何に。

日本人の骨格と体格に戻る以外にはありません。私はそのやうに思ひます。」

(4)『カンガルー・ノート』論(2)「6。『安部公房文学と大地母神崇拝』∼神話論の視点か
らみた安部公房文学∼」
「(v)父権宗教と大地母神崇拝の差異
この父権宗教と、母権の大地母神崇拝との地位の優劣の逆転が生じたのは、前者、即ちユダヤ教、
キリスト教、イスラム教、釈迦の開いた仏教が生まれてからといふことになります。今世界中で起
きてゐる政治・経済上の反globalismの激動は、神話論の視点で眺めると、父権宗教の衰退と、大
地母神崇拝の復活を意味してゐます。前者は論理の結果として男尊女卑、後者は女尊男卑です。

言語の視点から見れば、父権宗教とは、言語の本質である再帰性を絶対的に否定した宗教、大地母
神崇拝は、言語の本質である再帰性を絶対的に肯定した汎神論的存在論です。

(時事的な蛇足を云へば、去年2016年の暮れに、ローマ法王が来年は世界中でクリスマスを祝
ふことができないかも知れないと発言したとのことです。これは、その兆候の一つであると、私は
思ひます。結婚を禁じたカソリツクの坊さんに、若い人のなり手がゐないのださうです。それとア
メリカの大統領に年が明けて2017年の1月にトランプといふ反globalismを標榜する大統領を
アメリカの国民が選んだといふこと、これも大きな地割れと地崩れの兆候です。何故アメリカのマ
スメディアが此の大統領を根拠なく批判するのかといへば、それは自分たちの既得権益を守つてく
れたきた父権宗教キリスト教に基づく、父権・特権的な収奪の資本主義の此の500年の既得権益
の体制が崩壊しつつあるからですし、事情は日本も同じです。

日本の場合は先の戦争後にアメリカといふキリスト教国がつくつり其の上に既得権益を生み出して
来た既存マスメディアの体制が崩壊しつつある、即ち日本民族の古代以来無意識に存在する大地母
神が意識の表に既に十分な位に現れ始めてゐるので、既存の地上放送局と紙媒体の新聞である二十
世紀の一斉同報型のマスメディアが大恐慌を来してゐるといふ訳です。第三の客観たる媒体は、今
ではインターネットといふ二十一世紀のN:N双方向通信型のメディアといふ事になります。安部公
房に今の時代を見せてやりたかつた。何故ならば、『方舟さくら丸』でいふなら、今はすつかり「ご
破算」の時代だからです。これは初期短編の『洪水』の時代です。今安部公房が生きてゐたら、ま
た汎神論的存在論の水、海、風の登場する、大地母神復活による人間蘇生の物語を書くことでせう。
さて、本題に戻ります。)」
もぐら通信
もぐら通信                          ページ68

安部公房の主人公たちの経験する地軸の喪失によつて、時間の断面に断層が現れる。さうして、大
地母神崇拝といふ古代的な汎神論的erosの復活が始まり、汎神論的存在論の紀元がやつてくる。さ
うすると、1960年代以降のやうに、また安部公房が世界中で読まれることになるのかも知れま
せん。二十世紀の当時は東西の冷戦といふ地軸の喪失と時間の地割れが、欧米で読まれる主要な原
因をなしてゐましたが、二十一世紀の今度は、あるとしたら、globalismの衰退に反比例して大量
頒布され大量流布する(これが安部公房の小説の中の汎神論的存在論の形象の一つ)地球的な規模
での大地母神崇拝の復活と共に、あることでせう。

大地母神の復活と父権宗教に対する優越的地位の恢復、これが世界中の孤児の求めてゐる、自己を
含んだ生命の蘇生です。私たちは男女を問はず、みな母から生まれて来る。この事実は、とても大
切なことです。父親は常に命令者であり、しかし永遠の生命を産むことはできない。何故ならば、
この世での、男の最初で最後の仕事は、死、であるからです。(略)」

(5)『メタSF作家A氏への五つの手紙』
「1.1 共産主義は何を実現したか?
笠井潔さんの『テロルの現象学』を手元にをいて、折に触れ眺めてをります。この方は1948年
生まれ、Aさんのいふ戰後の二大思想の潮流のうちのマルクス主義にやられた一人だとあとがきに
自ら書いてあります。まあ、やられたといふのは私の言ひ方です。

それからもう一つは、サルトルでしたね。要するにイデオロギーは人を平気で殺すといふことです。
サルトルも、後述するやうに欧州白人種キリスト敎徒の(Aさんのいふ)「上から目線」の植民地
主義によるものですから、既に最初から限界がありました。安部公房は見拔いてをりました。あれ
は実存主義ではない、と、はっきりさう20代の最初に、哲学談義を成城高校時代に親しく交はし
た友、京都帝国大学へ行つた中埜肇宛の書簡で述べてをります。

さて、共產主義はキリスト敎を否定することで疑似宗敎になつた。唱へたことは、終末思想と方舟
思想ですから、否定した当のキリスト敎と変はらぬことを一見科学的に(といふことは僞の科学と
いふことになりますが)おこなつた。何をなしたか?

私の共産党一党独裁政治による恐怖政治の行はれた東ドイツ(ドイツ民主主義共和国)での見聞に
よれば(私は安部公房と同様に、国家の消滅を経験したことになります)、それは時閒の停止です。
近代の文明、卽ち資本主義と民主主義を憎み否定して、中世に戾らうといふことに結果としてなつ
たのがマルクス主義の実現した社会でした。マルクス主義はルネサンス前の中世に帰らうといふ運
動だつたのです。私にはさう見える。

ブルジョワと呼んだ中産階級が(資本主義の勃興期に)自らの歴史の過去を振り返つて否定して、
それ以前の中世を暗黑の中世と呼んだ、さうして古代ギリシャに範型を求めた此のブルジョワの資
本主義と民主主義の発想が既に歷史の連続性を否定する共產主義のドグマを含んでゐます。つまり
歴史の嘘の捏造の上に欧州近代史は成り立つてゐる。委細後述。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ69

(略)

1.2 21世紀の前衛(アヴァンギャルド)とは何か?
先の戦争後70年経てば、アメリカ GHQの自主検閲体制も崩壞する。インターネットに拠る
ニュー・メディアに因つて、GHQによるWar Guilty Information Program( WGIP )ー日本人
に先の戦争の原因は日本人であつて悪業であるといふ罪の意識の洗脳・刷り込みプログラムーも、
もうやつと崩壞し始めてゐる。ソ連の恐怖政治も70年で終わった。今中国共産党が結党70年に
あたりますから、もはや崩壞してゐるところです。アメリカのトランプといふ不動產で一代の財を
築いた大統領の就任が一つの大きな潮目の転換点でせう。

これに反対する輩は20世紀の一斉同報型のオールド・マスメディアですが、既得権益の喪失に反
対して、民主主義の制度に則つて合法的に国民の選んだ自国の大統領を攻擊してゐるわけです。事
情は日本も同じで、対岸の火事と見るわけにはいきません。ベルリンの壁は崩壞したが、日本には
今だに(WGIPの上に)東京の壁がある。ベルリンの壁と同様に、東京の壁を破壞せねばなりませ
ん。これを、私は21世紀では前衛(アヴァンギャルド)といふのだと思ひます。今欧州の東西で
連続的に起こつてゐる反グローバリズム(広義の反共産主義)の選挙結果を支持する無名の民を、
オールド・マスメディアは極右と呼んでゐる。20世紀には自らが人民(peopleまたはVolk(フォ
ルク))と呼んで褒めそやしてゐたものを。自分たちが既得権益になつてしまつてゐて、金儲けの
ために報道するといふ、従ひ事実を報じない、偽貴族になつたからです。ゾンビ・メディアといふ
べきです。

1.3 SF文学(仮説設定の文学)と植民地主義の文学
「(略)
安部公房が仮説設定の文学を唱へた根底にある考へは、文学が(小說を念頭に置きませう)欧米白
人種キリスト敎徒の作った近代植民地主義の論理の上に書かれるからダメなのだといふことです。
それは肯定するにせよ、否定するにせよ、それは大体は後者でありませうが、植民地主義の土台の
上で書かれるのでダメだといふ 年文字になつてゐる主張は、若い時から変はらず、日本共産党員
にまでなつて主張してゐたわけですが、共産党といふイデオロギーの集団で理解されることはなく、
かうして安部公房のことを思へば、マルクス主義といふ共產主義も、社会主義などといふ名前で偽
装しやうが、また植民地主義であることは、歷史的な搾取と收奪と殺戮の事実を顧みれば明らかで
す。

世界大戰を二つもやり、そして上述のやうな有樣ですから、20世紀は誠に人類が愚行をなした愚
かな世紀でした。愚行といふ言葉ではとても言ひ足りない。

結局は、21世紀の今も、これはキリスト敎の引き起こした宗敎戰爭が継続してゐるのであると思
ひます。中東の問題も然り、テロの問題も然りです。イギリスの大英帝国を始めとする欧州白人種
キリスト教国のdevide and rule(分割して統治する)、即ち、二枚舌を使つて、折角幸せに暮ら
もぐら通信
もぐら通信                          ページ70

してゐた有色人種の民族を分裂させて仲違ひさせ、漁夫の利を得るといふ帝国主義と植民地支配の
卑劣なやり方については、これ以上は政治と経済の専門家に任せて、本題に戻ります。
(略)

2。A氏への手紙 II
2.1 キリスト教とイスラム教の関係
また、キリスト教の一神教が、さうであるといふご指摘は、私も同感で、同意見です。イスラム教
の高度な文明、ユダヤ人の信奉する旧約聖書、いづれも素晴らしいものがあります。しかし、戦争
を起こすのはいつも一神教のうちのキリスト教。やむを得ず、他の二つが反撃する。

これをキリスト教のローマ法皇がみづからいふやうになつてやつと、世界は平和になるのではない
かと思ひます。(大体イエス・キリストがあんな華美豪奢な衣装を身にまとひ、冠を頭に置き、錫
杖を手にして説教をしただらうか?)ローマ法王と欧米の政治家が口にすべきは次の言葉です。

イスラムの皆さん、皆さんのおかげで近代ヨーロッパの文明が成立したのです、ありがたう、あな
たたちが古代ギリシャやローマ帝国から継承した文物と知識をアラブの言葉に学んで、ラテン語に
翻訳して、それまで貧しかつた私たちヨーロッパ人は近代といふ時代を作ることができたのですと、
正直に歴史的事実を口にして感謝の言葉を言へば良いものを、いはないし、いへないから、遂にNY
に飛行機で突撃されたのが、欧州資本主義と民主主義の鬼子、アメリカの経験した2001年9月
11日です。

近代ヨーロッパの歴史が、このやうに、自らの歴史を、それ以前は暗黒の中世だといひ(私はドイ
ツ文学の世界で中世の優れた叙事詩を読んで、実はさうではないことを知つてをります)、イスラ
ム文明を通さずに直接古代ギリシャ・ローマに接続して、これらの文明文化を(イスラムを排して
直接)継承してゐるかのごとき嘘の歴史の上に成り立たせたことを自分に事実だと思ひこませてゐ
ること、この嘘、この歴史の捏造が、欧州白人種キリスト教徒の生み出した(広義の)近代共産主
義と、対有色人種に強要する偽善的要求の始まりであることは、手紙のどこかに書いた通りです。
これを隠すために奴らの曰く、人種差別の禁止、人権の尊重、男女の平等、動物の愛護、捕鯨の禁
止、political correctness等々、これらは先づ、他の有色人種の文明に向けて要求する前に、自ら
に向けて要求すべき事項です。

いや、書き始めるとキリがありません。

(略)

4.2 バロックの人間の世界観
これらの人間の思考論理には共通性があります。それは、価値が等価で遍在する(a)といふ論理
です。デカルトならば、『方法序説』の冒頭に次のやうに書いてゐます。
もぐら通信
もぐら通信                          71
ページ

「良識はこの世で最も公平に配分されているものである。」

これが後の世紀の民主主義と資本主義の原理でありませう。国家理性と呼ばれる人間の集団的な理
性もこの上にある。

価値が等価で遍在するならば、ある価値と別の価値は等価で交換可能である(b)といふことになり
ます。

この(a)と(b)の考え方がバロックの考へ方の根底にあります。バロックの世界認識は、世界は差異
である、差異からなるといふ認識ですが、この差異が差異であり、落差のあるが故に、この凹とい
ふ空間的な形象であれば隙間、窪み、襞の山(であり且つ襞の谷)は、見かけはどうあれ、価値の
問題としては等価で交換関係の中に遍在してしてゐなければならず、実際に世界を此の眼で眺めれ
ば、さうなつてをります。
(略)
価値が等価で遍在する(a)といふバロックの論理は、ご存知のやうにライプニッツも同じで、こ
れがモナド論であり、モナドに窓はなくとも、モナド同士で意思疎通のできる根拠となつてゐます。

さうして、ある価値と別の価値は等価で交換可能である(b)といふことになりますから、これはそ
のまま変形の論理となり、後代19世紀のtopology(位相幾何学)の考へ方と、また写像(map!
地図!)の考え方と、モナド論は同じ論理です。

このやうな論理は、キリスト教が自分の教義を哲学として補強するために採用したアリストテレス
の論理学、即ち主語と述語の関係は絶対的であつて固定して動かないといふ論理とは異質であり、
さうではなくむしろ逆に、主語と述語は、厳密には主体と客体、subjectとobjectは等価で交換可
能であり、水平関係にありsuperflatでありますから、Aさんの『世界接触部品』の最後の一行「熟
語の駿馬にまたがる主語は 境界面を浸透する」のです。

この世界観では本質といふ言葉には実体はありません。むしろ、従ひ、本質とは関係に外ならない
といふ認識が、この世界観の本質です。」
もぐら通信
もぐら通信                          72
ページ

リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(19)
   ∼安部公房をより深く理解するために∼
岩田英哉

XIX

WANDELT sich rasch auch die Welt



wie Wolkengestalten,

alles Vollendete fällt

heim zum Uralten.

Über dem Wandel und Gang,



weiter und freier,

währt noch dein Vor-Gesang,

Gott mit der Leier.

Nicht sind die Leiden erkannt,



nicht ist die Liebe gelernt,

und was im Tod uns entfernt,

ist nicht entschleiert.



Einzig das Lied überm Land

heiligt und feiert.

【散文訳】

世界は素早く変化する
雲の姿のように
すべて完成したものは
ふるさとへ、太古へと落ちる

逍遥と歩みについては
もっと遥かに、そしてもっと自由に
まだ、お前の序の歌が続いているよ、
竪琴を抱いた神よ。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ73

苦しみは、ひとに認識されないし、
愛は、学ばれないものだし、
そして、私たちを死の中で遠ざけるものは、

そのヴェールをとって本当の姿をあらわされることはないのだ。
国、土地の上にある歌だけが、唯一、
荘厳し、そして祝うのだ。

【解釈と鑑賞】

まだ、序の歌が続いているという「まだ」とは、オルフェウスが引き裂かれて殺されたあともな
お、まだという意味だ。序の歌と何故リルケは歌ったのだろうか。それは、まだまだ、その先
の本歌が歌われるまで、その持続を言いたいからだろう。

第1連のfallen、ファレン、落ちるという動詞は、リルケの美しい言葉だ。太古とは訳したが、
そうして言葉としては確かにそうだが、しかし、時系列で遡っての太古という意味ではない。そ
の前にふるさとへとあるように、原初の状態を言っているのだと思う。

完成したものはすべて、原初の状態へ落ちるとは、その循環を言っていると解釈することができ
る。循環と言う言葉を、リルケは、ひとことも使ってはいないけれども。これもリルケのヴィジョ
ンのひとつの性格を示していると思う。

オルフェウスの死後も、こうしてオルフェウスの歌声は絶えることなく、響いている。

【安部公房の読者のためのコメント】

すべて完成したものは
ふるさとへ、太古へと落ちる

と訳した第一連は、【解釈と鑑賞】に書いたやうに、時間とは無関係にそもそもの最初の、原
初の場所へと落ちるといふ意味です。即ち、超越論的な落下です。不図気がついたら落ちて其処
にゐる、いつの間にか其処にゐるといふことです。安部公房のいひ方を引用すれば「∼以前」
[註1]に落ちるといふこと、そのふるさとへ回帰するといふことです。

[註1]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より以下に「∼以前」といふ安部公房の超越論的な思考論理につ
いて引用します。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ74

「安部公房は、何か危機的な時、転機の時には、いつも言語とは何か、文学とは何かを問い、後者の問いの次には、
必ずといってよい程、その最初に戻って物を考え、前者との関係で詩とは何か、小説とは何か、戯曲とは何かを問
うて、そうして言語以前、詩以前の、即ち未分化の実存と言う未だ名付けられない存在のことを考察してから、そ
の問題の本質へと入って行きます。即ち、論ずる対象「以前」に戻って考えるということを致します。更に即ち、
時間を捨象して、物事の本来の、根源的なあり方として物事を考える、そのそもそもを存在論的に考えるのです。
そうして其の根源的な、論ずる対象のあり方を存在と呼び、存在として、即ちこの世に現れている「以前」の無名
のものとして考え、それを論じる対象との関係にある語彙を使って次に有名なものとして考え、論じるのです。[註
22]

[註22]
詩については、『第一の手紙∼第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ページ下段)。

この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危機と転機の時期が訪れて
いたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した翌年のことです。このときの危機は、
詩人としての危機でした。

この危機をこのように『第一の手紙∼第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ歳に出版した
ということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し得た
様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ページ)と10代の哲学談義
をした親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生にとっての素晴らしい価値であり、安部公房
の人生に持つ『無名詩集』の意義なのです。

小説については、この『猛獣の心に計算機の手を』で、「読者の存在」(全集第4巻、497ページ)と呼んでい
ます。「小説の存在」とは言わなかったのは、小説は読者あっての小説だという考えであるからです。ここで「読
者の存在様式こそ、小説の表現(認識の構造)の様式を決定する」と書いておりますので、小説以前
の存在を読者の存在として論じていることがわかります。この読者とは何を意味するかについては、上記本文で、
また[註20]で論じた通りです。このときの危機は、小説家としての危機でした。そうして、シナリオ(drama、
劇)を執筆する戯曲家たる安部公房が、小説家たる安部公房のこころを救済したのです。

戯曲と舞台についても、安部公房は同じ思考の順序を踏んでいて、1970年代の安部公房スタジオの俳優たちに
は、「戯曲以前」にまづ「言葉による存在」になること、俳優以前にまづ「言葉によって存在」することを要求し
ています。[註24]この言葉を読むと、安部公房が、この安部スタジオをどのような思いで立ち上
げたのかが、よく判ります。これも、詩や小説の場合と同様に、10代の安部公房の詩の世界、即ち、時間の無い、
自己が存在になることのできるリルケの純粋空間への回帰なのです。このときの危機は、戯曲家としての危機でし
た。

その淵源を求めて時間を遡れば、最初にこの何々以前という考え方が文字になっているのは、やはり20歳のとき
に書いた『詩と詩人(意識と無意識)』です。この詩論・詩人論では、「価値以前」と存在が呼ばれて、この存在
を更に夜と言い換えて論じられております(全集第1巻、112ページ上段)。

この『詩と詩人(意識と無意識)』は、『中埜肇宛書簡第1信』によれば、遅くとも此の書簡を書いた1943年
10月14日、 安部公房19歳の秋には、「新價値論とも云ふ可きものの体系」として考えられております(全集
第1巻、68ページ下段)。」
もぐら通信
もぐら通信                          ページ75

完成したものはみなさうやつて太古のふるさとへ、ふるさとの太古へと落ちる。22歳の安部
公房は其のふるさとを、時間の存在しない化石に歌つた。

「化石

 総てが化石する刹那
 凋落の日に目覚めは深い
 胎動する太古の風を
 廻転する歯車に聞きながら
 再び在る事を知り
 再び消え去つた事を知り
 私は沈黙して夜の言葉を聞いた
 あゝ、融合の中に自律する原人の絶望よ……
 太陽より星への路が
 深い虚空を支へるのだらうか
 一切が無の中に安定する、型の上を不動する
 化石の中で鳥は尚ほ永遠を飛翔する
                           [1947.2.20]」
(全集第1巻、208ページ)

「総てが化石する刹那」とは、リルケの此の詩にならへば、

すべて完成したものは
ふるさとへ、太古へと落ちる

その刹那、といふことでありませう。

ここでも化石は全てとなつたい以上、落下する。凋落といふ言葉の選択はニーチェの『ツァラ
ツゥストラ』の主人公の没落、即ち安部公房の用語でいへば問題下降[註2]をいつてゐるので
す。名作『砂の女』ならば、仁木純平が穴の中へと縄梯子で問題下降する。『カンガルー・ノー
ト』ならば主人公が地獄の地獄の地獄の底へ、即ち3度数へる存在の其処へと問題下降する。

[註2]
問題下降といふ概念については18歳の論文『問題下降に依る肯定の批判』に詳しい。(全集第1巻、11ページ)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ76

「胎動する太古の風」とは、『第四間氷期』の最後に水棲人間の少年の求めた風と同じ風であ
りませう。さうして3度問題下降した存在の底で「凋落の日に目覚めは深い」。話者は自らを原
人と呼んでゐる。ドイツ語ならばUr-Mensch(ウル・メンシュ)。

原人は夜に生きてゐると見える。

「私は沈黙して夜の言葉を聞いた
 あゝ、融合の中に自律する原人の絶望よ……」

同じ「一切が無の中に安定する、型の上を不動する/化石の中で鳥は尚ほ永遠を飛翔する」こと
を、65歳の安部公房は次のやうに歌ふ。

「黒から湧き出る白 白に落ちていく黒
 たがいに溶け合うことなく 機略に富んだせめぎあい
 平面と立体のあいだの 存在しない次元に
 さしかかった一羽の鳥
 追憶に声を奪われた 沈黙の鳥」
                 [1988.2.16]」
(全集第28巻、416ページ)

黒でもなく白でもない、だからといつて灰色なのではなく、互ひに溶け合ふことのないせめぎ
合ひの領域。これらの領域はせめぎあふとあるやうに、意志を持つて生きてゐる。無機物も、
化石同様、生きてゐる。超越論の世界、即ち汎神論的存在論の世界、即ち私たちの八百万の神
の世界である。石にも命あり、化石にも命あり。

「平面と立体のあいだの 存在しない次元」といふ上位接続のtopologicalな「一定の巾とか、
長さ等」のないといふ「一つの具体的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念」である「遊
歩道」、即ち「郊外地区を通らずに直接市外の森や湖に出ることが出来る」接続線、即ちメビ
ウスの環の上位接続の一捻り、クラインの壺の同様の上位接続面のことである。安部公房の言
語の本質の形象(イメージ)です。

22歳の「化石の中で鳥は尚ほ永遠を飛翔する」鳥は、65歳の「平面と立体のあいだの 存
在しない次元に/さしかかった一羽の鳥/追憶に声を奪われた 沈黙の鳥」と歌はれてゐて、安部
公房の心は変はらない。

落下といへば、成城高校時代の安部公房の愛唱したリルケの詩が『秋』といふ次の詩でありま
した。ここで味読するのもまた楽しからずや。
もぐら通信
もぐら通信                          77
ページ

安部公房は成城高校時代の哲学談義を交はした親しき友中埜肇宛の手紙の最後に次のやうにリ
ルケの此の詩の全文をドイツ語でひいて、自分のおもひを伝へてゐます。

「僕は概念から生への没落を試みた、所が毎日午後になると、成程、概念は没落して行く。総て
のものが「僕の周圍で落ちて行く。けれど僕丈が忘れられて、後に残されて……。何の冗談でせ
う。泣きたい様な苦笑。

僕の大好きなリルケの詩、

Die Blätter fallen, fallen wie von weit,


als welkten in den Himmeln ferne Gärten;
sie fallen mit verneinender Gebärde.

Und in den Nächten fällt die schwere Erde


aus allen Sternen in die Einsamkeit.

Wir alle fallen. Diese Hand da fällt.


Und sieh dir andre an: es ist in allen.

Und doch ist Einer, welcher dieses Fallen


unendlich sanft in seinen Händen hält.

 では又、     物足らない気持ちで、
                       公房より
[1943.11.4]」
(『中埜肇宛書簡 第3信』全集第1巻、73ページ)

【拙訳】

葉といふ葉が落ちる、遠くからのやうに落ちる
恰も天といふ天にあつて、遥かな庭といふ庭がす枯れるかの如くに。

そして、夜といふ夜には、重たい地球が落ちるのだ
すべての星といふ星の中から外へと出て 孤独の中へと。

わたしたちはみな落ちるのだ。この片手も、ほら、落ちてゐる。
そして、他の人々を見てごらん:それはすべての人々の中にあつてさうなのだ。
もぐら通信
もぐら通信                          78
ページ

しかし、一者がゐる、この落下を
無際限に優しく、その両手の中で留め置く一者が。

[ライナー・マリア・リルケ、1902年9月11日、パリにて書かれた詩]
もぐら通信                         

もぐら通信 79
ページ

連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部

(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(2)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ80
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
    真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
    て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
    ①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
    ②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
    ③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
    ④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
    ⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
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もぐら通信 ページ 81
(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少
年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語と言霊の関係
(68)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(69)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(70)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(71)安部公房の超越論と神道(1):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(72)安部公房の超越論と神道(2):topologyと産霊(むすひ)または結び
(73)安部公房の超越論と神道(3):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(74)安部公房の超越論と神道(4):呪文と祓ひ・鎮魂
(75)安部公房の超越論と神道(5):存在(ザイン)と御成り(をなり)
(76)安部公房の超越論と神道(6):案内人と審神者(さには)
(77)安部公房の超越論と神道(7):汎神論的存在論と分け御霊(わけみたま)
(78)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(79)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(80)安部公房とチョムスキー
(81)三島由紀夫のドイツ文学講座
   (あ)リルケ
   (い)ヘルダーリン
   (う)トーマス・マン
(82)安部公房のドイツ文学講座
   (あ)リルケ
    (い)ヘルダーリン
    (う)トーマス・マン
(83)三島由紀夫のドイツ哲学講座
   (あ)ニーチェ
    (い)ハイデッガー
(84)安部公房のドイツ哲学講座
   (あ)ニーチェ
    (い)ヤスパース
    (う)フッサール
    (え)カント
   (お)ハイデッガー
もぐら通信                         
編集後記

もぐら通信
●九堂夜想十一句::九堂夜想さんの十一句を戴きました。安部公房の世界にかよふどれもいい句です。しかしページ 82
今までとは何か風情が異なつてゐるやうに感じます。ご本人に変化が起きてゐるのか。それとも日本の俳句界に
も変化のある兆しあるか。これもまた楽しみなことの一つです。またのご寄稿を楽しみにしてをります。● 『カ
ンガルー・ノート』論(9):(21)列車:太宰治の短編に『列車』と題した小説があるとは。窓、カメラの
ファインダー、網膜の周辺に影をとらへること、ニュートラル、リルケ、22歳の『化石』の詩と65歳のブレッ
ソン宛の手紙にしたためた詩。詩人安部公房といふ以外にはありません。●安部公房とチョムスキー(2):バ
ロックとはどのやうな時代か:なんとかバロックといふ概念を理解してもらはうと思つて書いた第二回めです。
勿論バロックは超越論です。これだけ視覚的な例を挙げればなんとかわかつてもらへるか、伝はるか。といふ思
ひですが、どうでせうか。何故そんなに隙間ばかり差異ばかりがあるのだ?と訊かれても、安部公房と同じ答へ
を答へる以外にはありません。宇宙がさうできてゐるからです。奉天のバロック様式の建築はみな窓(といふ穴)
があつて成り立つ、ドーナツは真ん中の穴があつて成り立つ、『バベルの塔の狸』のアンテン君と同じで影(と
いふ穴凹)がなければ人間にはなれない。隙間にこそ物事の本質が関係として、函数として隠れてゐる。透明人
間みたいに。と答へる以外にはありませぬ。次回はドイツのバロックの詩をご紹介します。また同じ問ひがやつ
てくることでせう。一体何でまた郵便配達夫は依頼主の命令で国境を超えて隙間の中へと喪はれた者を尋ねてあ
ちらこちらヨーロッパ中を東西南北さまよひ歩いてついには自分自身が失踪することになるのだ?と。でも、こ
れ、あなたのことです。『燃えつきた地図』の主人公の探偵の話ではありません。●リルケの『オルフェウスへ
のソネット』を読む(18):完成したものは太古へと回帰する。こんな一行の書ける詩人になりたいものです。
西部邁さんがお亡くなりになつたが、リルケが『マルテの手記』に書いてゐる、詩は世の人が思ふやうには感情
ではなく実は経験であるといふ其の人生を生きて最後に生まれるといふ三行の詩、それだけが詩だといふ三行を
書いてから死にたいものだ。かにかくに生きてをらねば此の世は直らじ。この方の訃報に接して思つた思想家の
定義は、思想家とは言葉と生きることが一致してゐる人のことだといふ定義です。生きることは死ぬことです。
三島由紀夫は私は一行を命をかけて書くのだ、若者たちにはさういふ生き方をして一生懸命生きてもらひたいと
最晩年の動画にあり。世の人はみな如何に生きるべきかばかりを考へる。如何に死ぬべきかを考へるべきではな
いのか?安部公房のやうに。こころの通つた二人でした。羨ましい。思へば、二人のやうな友が私にはゐなかつ
た。●言葉の眼12:スイスの世界最長トンネル開通式典の異様:まさか、こんなに長い文章になるとはおもひ
もかけませんでした。最初はスイスの話をして、欧州の事実のみを簡単に伝へる短いものにしようといふ意図で
したが、分析の入つた長いものになりました。でも、面白い事実の露呈あり。またロシアの暴露専門紙の凄いこ
と。日本のジャーナリズムはまだまだ甘い。もつと徹底的にやらねばならないのに。日本人に欠けてゐるのは、
思考論理から振る舞ひまでの一気通貫の首尾一貫した徹底性です。大陸の人間はあざとい位に徹底的である。
ジャーナリズムはこれ位で牛丼の並み。まあ、人を殺すにも残酷な分だけ、武士の情けはないが。極西から極東
に亘るユーラシア大陸の人間から我が島国の心やさしき日本人は何を学ぶか。外来品は音読みと訓読みに分ける
ことが、その要諦ではないか?如何か。舶来品といふだけで有り難がる時代はもう流行としてもお終ひです。若
い人たちをみてゐてさう思ふ。汎神論的存在論(超越論)といふ日本製、Made in Japanのブランドの自前の脳
味噌で考へませう。さうしたら、野蛮な文明人士と(何と矛盾した形容!)、私の経験ではこころは通じないが、
しかし論理的に意思疎通を図ることはできる。さうしたら少しでも良い世の中が地球の上に生まれるかも知れな
い。以上のことで誌面が一杯になつてしまつて、予定してゐた書評その他の投稿は次回以降になりました。●で
は、また、次号にて。

差出人:
次号の原稿締切は超越論的にありません。いつでも
贋安部公房 ご寄稿をお待ちしています。

〒 1 8 2 -0 0
03東京都
調布
市若葉町「 次号の予告
閉ざされた
無 1。『カンガルー・ノート』論(10):(22)呪文
限」
2。私の本棚:庄田秀志著『戦後は作家たちの病跡』所収の「第5章 安部公
房論」
4。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(20)
5。Mole Hole Letter(7):超越論(3):安部公房の女性の読者のための
超越論
もぐら通信
もぐら通信                          83
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくた その共有を喜びとするものです。
めに、 安部公房縁りの方、有識者の方など 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、
に僭越ながら 本誌をお届けしました。ご高 もぐら通信の編集及び発行を行うものです。
覧いただけるとありがたく存じます。(順
不同)  【もぐら通信第73号訂正箇所】

安部ねり様、近藤一弥様、池田龍雄様、ド 『書評三題』中「(1)今泉早織:〈研究論文〉
ナルド・キーン様、中田耕治様、宮西忠正 「自覚」と「不快」 : 埴谷雄高の創作における
様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 西田幾多郎の影響」に次の訂正あり・ページ:

潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓 30ページ:

一郎様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行
(1)訂正前:奥一防
様、内藤由直様、番場寛様、田中裕之様、
   訂正後:奥所
中野和典様、坂堅太様、ヤマザキマリ様、
(2)訂正前:『死一室巴去最後の審判記」
小島秀夫様、頭木弘樹様、 高旗浩志様、島
   訂正後:『死霊最後の審判』
田雅彦様、円城塔様、藤沢美由紀様(毎日
新聞社)、赤田康和様(朝日新聞社)、富

田武子様(岩波書店)、待田晋哉様(読売
新聞社)

【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ
ア図書館、「何處にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集
と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜びを見出す
ものです。
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
とするものです。
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

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