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7。附録『章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」

5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論
(16)風の音
さて、『カンガルー・ノート』では、風はどこでどんな契機に吹くものか。

一度「(15)満願駐車場の呪文」で知るに至つたことを、そこで①②③と番号を
振つて閉門と寄付の受付と吹く風についてまとめたことを軸にして更に整理してみ
ませう。①②③を軸にして、章立てとの関係も考へてみながら、閉門について3つ
の風を合はせて並べてみると、一体安部公房の世界に吹く存在の風とはどのやうな
風なのかがわかる筈です。3つの風を並べると、次のやうになります。

第6章:
①では、「タダイマ閉門サセテイタダキマス」:只今現在の閉門直前の時間
①では「まず長い隙間風がふき、つづけてゴボゴボと詰まりかけた排水孔の音がす
る。その合間に、蜘蛛が糸を繰り出す感じで、粘着性の悲しげな呻き。まるで外の
風の悲鳴と競争しているみたいだ」とあるやうに、隙間風(隙間に吹く存在の風と
は安部公房らしい)、ゴボゴボと繰り返しの言葉即ち呪文を唱へ、「蜘蛛が糸を繰
り出す感じ」もまた規則的な繰り返しの糸の繰り出しでありませうし、従ひ呪文で
あり、その後に(通路の対角方向から聞こえる)「粘着性の悲しげな呻き」が聞こ
え、「まるで外の風の悲鳴」のやうな音として聞こえる。
①では、只今現在の閉門直前の時間:「タダイマ閉門サセテイタダキマス」寄付の受
付の文はない。

といふことは、①の風は「隙間風」であることも思ひ合はせると、「ゴボゴボ」と
いふ呪文と共に、存在を招来する風である。第6章風の長歌の章は、存在を荘厳す
るための章でありますから、この風は存在を荘厳するために招来する風です。

第7章:
②では、「駐車場ハ閉鎖シマシタ」:既に閉門し終はつてゐる時間
②では、冒頭の人さらいの歌の後に直ぐ続いて「吹きすさぶ風」の音が聞こえ、こ
の風は「病棟とほぼ直角に切り結ぶ北東の風」であり、直角に交差する存在の風、
存在の十字路に吹く存在の風である。そしてまた続いては「いったん海から吹き上
がった北東風が《法螺貝風》になって丘を超え」て聞こえて来る。海は(安部公房
がリルケに学んだ)存在の形象、北東風の《法螺貝風》は、《 》で記号化された
存在の風であることはいふまでもない。
②では既に閉門し終はつてゐる時間:「駐車場ハ閉鎖シマシタ」「寄付ノ受ケ付ケ
モ間モナク締メ切」りになる。

といふことは、②の風は「、冒頭の人さらいの歌の後に直ぐ続いて「吹きすさぶ
風」であることと、「「病棟とほぼ直角に切り結ぶ北東の風」であり、直角に交差
する存在の風、存在の十字路に吹く存在の風である」ことから、《法螺貝風》と
《 》で記号化された存在の風であるので、この風が存在である。

「駐車場ハ閉鎖シマシタ」とある通りに既に定刻で「締め切られた後」に+の価で
ある遅延をしてゐる主人公の満願成就の願ひであり、且つ「寄付ノ受ケ付ケモ間モ
ナク締メ切」りになる定刻「以前」の(病院の開門の場合と同様に主人公は定刻よ
りも早く来すぎてしまつてゐるので)、ーの価である遅延をしてゐる主人公であ
る。従ひ、ここの駐車場といふ空間の価と時間の価は、0である。ここが、従ひ、
存在といふ(安部公房スタジオならばニュートラルと命名して安部公房が演技論の
中核概念とした)存在の価なのである。[註1]

とすると、ここに吹く②の風が存在であるといふ解釈は正しい。

[註1]
この安部公房の超越論については、『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら
通信第67号)をご覧ください。詳述しました。

③では、 *駐車場ハ閉鎖シマシタ*の文はない。閉門には、従ひ開門には無関係
な空白の位置。
③では、「いきなり上体が揺らぐほどの烈風」が主人公に向かつて吹く。そこに
「待ち受けていたように」③の呪文が続くのです。
最後の③の「いきなり上体が揺らぐほどの烈風」は、『デンドロカカリヤ』のコモ
ン君を思ひ出せばよくわかるやうに、体が揺らぐとは地軸が、即ち座標が失われ
て、体が地面を失ふ、差異の中に隙間に落下するといふことを意味してをりますか
ら、この存在の風が、それも①では隙間風とありますから、文字どおりに隙間に差
異に吹く風であり、この時確かに主人公は北東風の《法螺貝風》の「病棟とほぼ直
角に切り結ぶ北東の風」、即ち存在の十字路に吹く存在の風に「いつの間にか」
(超越論的に)吹かれてゐて、「既にして」「理屈抜きに」「四の五の言はずに」
「いつの間にか」存在の十字路に立つてゐるのです。
③では、*駐車場ハ閉鎖シマシタ*の文はなく、閉門の時間はない:「寄付ノ受ケ
付ケモ間モナク締メ切」りになる:尚、まだ、これからの締め切りである。:閉門
には、従ひ開門にも、即ち始めと終はりには無関係な呪文のお告げ。
といふことは、この上のやうな存在の風の吹きすさぶ存在の交差点にゐる主人公に
よる寄付の受付は、閉門の定刻に始まつてゐるのかどうかは不明、閉門の定刻後に
終はつてゐるかも不明といふことになります。

といふことは、この③の風は、「閉門には、従ひ開門にも、即ち始めと終はりには
無関係な呪文のお告げ」といふ立て札の標識指示板の指し示す存在の方向へと吹く
風であるといふことになる。

③の風は、満願駐車場のアナコンダ地蔵尊のお告げといふ立て札の示す存在の方向
へと吹く、即ち次の存在へと向かひ、主人公をさらつて行く風である。

以上3つの風を整理すると、外部と内部の門の開閉との契機(定時定刻)に関し
て、また物事の開始と終了に関して、この二つの関係の間に(隙間に)あつて、風
には次の通り、3種類の風がある。

①存在を招来する風
②存在である風(①と②の風の関係は再帰的でありtopologicalで、誠に安部公房ら
しい)
③次の存在へと主人公をさらつて行く風

この3つの風です。

この作中に吹く風は、この後に論ずる「(18)駐車場」「(20)サーカス」
「(21)列車」といふ形象に関係してゐます。風といふ形象は織物の縦糸を走る
図柄であるといふ考へから(安部公房の存在の風は『カンガルー・ノート』中を通
して吹いてゐる)、これまで論ずることで知るに至つた風に関する関連用語と、そ
れから此れ以降を吟味して知るに至つた関連用語を併せて一つにまとめると、他の
形象との関係が解りやすくなりますので、その概念連鎖一式を此処で時間の先後を
抜きにしてまとめますと、次のやうになります。

ー「地獄谷みたいな硫黄泉」の臭ひー硫黄泉の露天風呂ー存在の凹ー賽の河原ー呪
文類ー満願駐車場ー未分化の実存の子供達ー窓ーサーカスー人さらいー列車ー駅ー
交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)ー笛の音(警笛の音)ー(時間
の断面の複数の断層ー「私」の自己増殖ー)風の音ー祭り(ーサーカスー人さら
い)ー

これらは、みな、縁語であり、連想連語です。この概念連鎖一式を念頭に置いて論
を進めます。折に触れて必要であれば、この概念連鎖一式を繰り返し引用して考察
を進めます。
さて、風については、上記「(15)満願駐車場の呪文」で書きました通り、

「第1章の病院がいつ開門し、第7章の満願駐車場がいつ閉門したのかは、そもそ
も文字では書かれ得ないし、書かれてゐない。第1章の診察は定刻より遅れて受け
付けられ、第7章の寄付も同様にして遅れて受け付けられたらしく、主人公との関
係では宇宙には始まりもなく、終はりもない。そして、開門と閉門に際しては、常
に其の前に存在の風が吹き、そして其の風の甲高い音が聞こえる。風は常に1、障
害物に当たつて別れても向かう側でいつも1になる、即ち存在であるので、始まり
も終はりもない。」

といふ場所と契機に、甲高い風の音と一緒に、安部公房の風は吹くのでした。さう
して、風が吹くと呪文が唱へられる。まとめますと、

存在への上位接続点[(開門、閉門)、(風、甲高い音、呪文類)]

といふこれらの関係が、存在への上位接続点にあるといふことになります。

「(15)満願駐車場の呪文」に吹く風は、それが章にとつての風でもあります
が、作品全体では、第6章ならば存在を荘厳するための風、第7章であれば次の存
在への立て札を立てるための風です。さうであれば、これ以外の此のやうな風が吹
く場所と契機があれば、それは各章の中の話の筋に吹く相似の(謂はば小さな)風
といふ事になります。勿論、結局は此の風も、冒頭共有・結末共有・結末継承とい
ふ章間接続によつて、作品全体の風になつてゐます。

上の函数形式をもう少し一般化して、作品と各章に適用できるように変形すると、
次のやうになります。以下、「存在への上位接続点」は、単に「上位接続点」とい
ふ表記を以つて此れを表す事にします。いふまでもなく、上位接続点
(conjunction)とは、存在の異名に他なりません。従ひ、

存在[(始め、終り)、(存在の形象、甲高い音、呪文類)]

安部公房の作品の全体と部分(各章)は、この函数式で成り立つてゐる事になりま
す。

そこで、存在の函数形式と「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」(以下短称して
「存在のプロセス形式」と此処では呼び替えることにします)を函数形式の存在と
いふ言葉を主体に二つの関係を考へると、次のやうに整理することができます。
1。存在の函数形式:空間
存在[(始め、終り)、(存在の形象、甲高い音、呪文類)]

2。存在のプロセス形式:時間
(1)差異を設ける。
(2)呪文を唱える。
(3)存在を招来する。
(4)存在への立て札を立てる。
(5)存在を荘厳(しょうごん)する。
(6)次の存在への立て札を立てる。

この空間と時間の交差点で、安部公房は一行の文を書き連ねたのです。

結局、時間の中で、即ち存在のプロセス形式の中で、無時間の存在の構造(空
間)、即ち上位接続点(conjunction)のtopologicalな接続構造を実現すること
が、安部公房の文章である。といふことが判ります。これが、安部公房自身が「完
全な存在自体」になることなのです[註2]、この二つの時間と空間の関係を、文
章の中の此の二つの交差点で、即ち入籠構造で、この構造のままに説明すること
は、実に至難の技です。

[註2]
「詩人、若しくは作家として生きる事は、やはり僕には宿命的なものです。ペンを
捨てて生きるという事は、恐らく僕を無意味な狂人
に了らせはしまいかと思います。勿論、僕自身としては、どんな生き方をしても、
完全な存在自体――愚かな表現ですけれど――であ
ればよいのですが、唯その為に、僕としては、仕事として制作と言ふ事が必要なの
です。これが僕の仕事であり、労働です。」
(『中埜肇宛書簡第8信』(1946年12月23日付)、全集第1巻 188ページ下
段)

それにも拘らず、「(15)満願駐車場の呪文」で書いた風も含め、それ以外の風
を各章の中から拾い上げて仔細に吟味するために、以下、上の存在の函数形式の構
成要素と存在のプロセスを比較してみませう。しかし、一章一章これを見てみるの
は時間がかかりますから、時間を節約するために、上記「5。1。4 『カンガル
ー・ノート』の形象論」の「(3)袋」に章ごとに整理した普通用語としてある存
在の形象の言葉がありますので、次のやうにします。
(1)普通用語としてある(存在の形象である)凹の前後に存在の函数形式の構成
要素を読み取ることができるかどうかを見ることにし、且つ
(2)この函数形式の構成要素が、存在のプロセス形式の中に配置されてゐるかど
うか、また配置されてゐるならばどのやうに配置されてゐるかを見ることにする。

存在のプロセス形式を優先させて、その中で存在の形象たる凹の形象前後に函数形
式の構成要素を入れて見ることにします。その凹の形象を囲んで函数形式の構成要
素がくつつゐて一まとまりになつてゐれば、その形象が、安部公房の選択した相似
の(謂はば小さな)存在の形象であり存在であるといふことになります。読者にを
かれては、少しばかり高級な遊びだと思つて、愉しみながら、もうしばらく、お付
き合ひ下さい。安部公房が何をどのやうに考へて小説を作つたのかが解ります。

以下結論を最初に申し上げますと、一見乱雑めいた列挙のやうに見えますが、安部
公房は明らかに、次の函数形式、即ち、

存在への上位接続点[(開門、閉門)、(風、甲高い音、呪文類)]

と、それから風を中心にして時間の中での物語のプロセスを考へた場合には、次の
存在のプロセス形式、即ち、

座標の喪失→(何かの開始を告げる)甲高い音→呪文類を唱へる→自己喪失(意
識・無意識の境界が曖昧になる)→存在の出現

このプロセスを必ず踏んでゐることがわかります。これはシャーマン安部公房の秘
儀の式次第の6つの存在のプロセス形式(基本手順)の下位の層の概要のサブ・プ
ロセス(概要手順)になります。一番下の層の詳細なサブ・サブ・プロセス(詳細
手順)は、これから各章別に明らかになります。

この「(16)風の音」では、上記赤字の部分に焦点を当てて第1章から第7章ま
でを附録『章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」』より該当箇所を抜き出し
ました。その前後について不明な点があれば、「7。附録『章別詳細「函数形式と
存在のプロセス形式」』」を折々にご参照ください。

上記の風を中心にした赤字の部分について、それ以外の青字の部分との関係を考へ
ますと、超越論の思考が要求されることになります。超越論の思考論理はどのやう
なものであるかは、本論の「5。1。1 存在と存在の方向への標識板と超越論の
関係」及び「5。1。2 安部公房の幾つかの文章(テキスト)を超越論で読み解
く」、それから『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら通信第67号)に
て、安部公房に即して具体的に明らかにしましたので、これをごらんください。ど
うか、安部公房の読者にをかれては、各自ご研究下さいますよう。

第1章:かいわれ大根
自宅で:
「いつもどおりの朝になるはずだった。」:差異を設ける(時間の差異)
「見出しの活字の上で石蹴り風にジャンプしながら」差異を設ける(空間の差異)

3といふ数字:3個のトマト(82ページ上段):「完熟トマト」:このトマトは
第6章風の長歌の「完熟したトマト」に対応したトマトになつてゐる。第1章での
3個のトマトといふ3といふ数字で数へられたトマトが、それが何個であれ完熟し
たものは1として数へれば、3が1に、即ち存在になつてゐるといふことである。

A「脛の下から上に蟻走感がはしった。」:呪文を唱へる
B「チリチリとかれた髭根みたいなものだ。」:呪文を唱へる
②《提案箱》(82ページ下段):存在を招来する
③《カンガルー・ノート》(82ページ下段):《カンガルー・ノート》=「落書
きメモ」(余白のメモ):存在
④毛穴(82ページ上段):存在
①有袋類(83ページ下段):存在
⑤ポケット(84ページ下段):存在
⑥《かいわれ大根》(85ページ上段):存在

病院前:
C「玄関に表示板が掛かっている。」(85ページ上段):存在への立て札を立て

D『初診の方は七時半から申し込み受け付けます。(略)』(85ページ上段):
開始、始まり。
E「玄関のベルを押してみた。なんの反応もない。さらに押し続けたが、壊れている
のか、切ってあるのか、鳴ってくれる様子はない。」:甲高い音(沈黙と余白の
音):存在の音:存在を将来する

病院内:
F「細い女の声がして玄関の錠が開けられたのは、すでに定刻を過ぎてからだっ
た。」(85ページ下段):差異を設ける:時間のない超越論的な、従ひ存在の差

G「ぼくの催促」(86ページ上段):呪文を唱へる:催促は繰り返す言葉
H「トンボ眼鏡が看護婦の制帽をピンで留め」(85ページ下段):帽子は存在の
形象凹:存在を招来する
I「[NO1]とプリントされたプラスチックのカードを滑らせてよこす。」(86ペ
ージ上段):存在への立て札を立てる
J「診察室から回転椅子のきしむ音。」(87ページ上段):甲高い音:存在を荘厳
する
K「ドアの隙間から哀願した。」(88ページ上段):呪文を唱へる:哀願は繰り
返しの言葉:存在を荘厳する
L「医者が白衣の裾を翻し、巨大な風のように手洗いから戻ってきた。回転椅子の背
を鳴らして伸びをする。」(88ページ下段):存在を招来する:風と甲高い音
「脱衣籠」(88ページ下段):存在
「例のペダルを踏んで蓋を開閉する、ステンレス製の容器だ。」(89ページ上
段):存在

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
「また眠くなってきた。採血は口実で、何か麻酔薬でも注射されたのかもしれな
い。枕元のジュースを飲み、また熟睡した。」「何時間経ったのか分からな
い。」:意識・無意識の境界が曖昧になる。

次の存在への立て札は、病院前と病院内には、ない。次は手術室を見る。

手術室:病院の中の手術室といふ入籠構造の一階層下の空間
⑦「淡黄色の液でふくらんだ大判のビニール袋」(90ページ上段):存在
⑧「拳大の透明な袋」(90ページ上段):存在
M 上記⑦と⑧「から出た二本のチューブが接続器で一本になり、ぼくの鎖骨の下あ
たりに突き刺さっている。」:存在:主人公はチューブ(=坑道、トンネル)を通
じて存在になる。
N「たぶん夜だ。風の音。遠くでラジオの試験電波を思わせる風の唸り。」:風、
風の音。ラジオ(存在招来の形象。『砂の女』のラジオと同じラジオ)

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
O「経過してゆく時間の速度がなくなったみたいだ。綿菓子が食べてみたい。」:
意識・無意識の境界が曖昧になる:これは時間に関する意識・無意識の境界が曖昧
になること。(91ページ上段)

P「風が歌っている、ハナコンダ アラコンダ アナゲンタ……」(91ページ上
段):風による呪文の歌
Pp 人面スプリンクラー(92ページ上段):「人間の顔そっくりの、薄気味悪いス
プリンクラーだ。」:存在への立て札を立てる:通路(トンネル)
Q ⑨大型のコンクリート・ミキサー(95ページ上段):存在
R 大型のコンクリート・ミキサーが「短くクラクションを鳴らす。」(95ページ
上段):呪文を唱へる
S「巡回員が呼び子を吹いてこたえ」る。(95ページ上段):甲高い音:存在を招
来する
T「風にさらされ、(略)《かいわれ大根》にエネルギーを吸収され」:存在の形
象:風
⑩点滴の袋(95ページ下段):存在
⑪警官が示した「薄い書類挟みから」取り出した「葉書大のカード」に描かれた
『尻尾』の
ない豚(95ページ下段):存在への立て札を立てる
⑫飼葉桶(96ページ上段):存在
U「涙がこみあげてきた。」:存在を荘厳する:透明感覚
V「移動車がバックで坑道を降りはじめた」:坑道=次の存在へのトンネル(上位
接続):地下へと降りて行く上位接続(安部公房らしい)

この第1章から第2章緑面の詩人への結末継承の接続をまとめると次のやうにな
る。

     第1章かいわれ大根          第2章緑面の詩人
(A)「移動者がバックで坑道を降りはじめた」:「坑道口に投げ捨てられた」  
(B) アトラス社製のベッド:         アトラス社製のベッド 

第2章:緑面の詩人
W「ベッドごと廃棄処分され、坑道口に投げ捨てられたのは、つい二十分ほど前の
ことである。」(98ページ上段):差異を設ける:時間の差異
Z「最初しばらくは急斜面がつづき」(98ページ上段):差異を設ける:空間の
差異:斜面は主人公が意識の座標を失つて現れる時間の断面・断層
Y「膀胱にも蜘蛛の子をちらすような刺激」(98ページ下段):呪文を唱へる
⑬小便袋(98ページ下段):存在
Z「ベッドの走行感にも変化が現れた。無秩序な震動が、滑らかで規則的な揺れに
変わったのだ。左右の震動に対するホールド、一定間隔で鳴る二拍子のリズ
ム……」(99ページ上段):呪文を唱へる
AA 呪文:「規則的な揺れ」「一定間隔で鳴る二拍子のリズム」は繰り返しの言葉
(99ページ上段):呪文を唱へるのは、存在を招来するため。
BB「遊園地の『おさるの電車』かな?さもなければ、作業用トロッコ?」:存在

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
⑭穴(99ページ下段):存在:「穴の中で、さらに深い穴の中に落ちていく
夢」:存在への立て札を立てる。:これは空間に関する意識・無意識の境界が曖昧
になること。

この⑭の夢から、空間に関する意識・無意識の境界が曖昧になる。時間に関する意
識・無意識の境界が曖昧になることは、既に上記の第1章で起こつてゐるので、こ
れで本格的に時間と空間の交差点で次の存在への、一階層下への、穴の中の穴へ
の、旅が始まる。

CC「例の人間の顔をしたスプリンクラー」(99ページ下段):存在への立て札を
立てる:次の存在への通路(トンネル)
DD「勃起しかけているみたいだぞ。めっそうもない、こんな状態での勃起なんて真
っ平だ。」(100ページ上段):存在への立て札を立てる:勃起した陽物が立て
札。となると、次の呪文は存在を招来する呪文であり、さうなつてゐる。「ごく自
然に出てくる、間の手ふうの文句。」(100ページ下段)

「レールの継ぎ目のひたすら正確な脈動
   ハナコンダ アラゴンダ アナゲンタ
   唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」:存在を招来する:呪文を
唱へる。

続いて、もう一つの、一行目の言葉の少しズレた呪文が来る。

「アナベンダ アナゴンタ アナゲンタ
 唐辛子の油ヲ塗ッテ バナナノ皮デクルミマス」

EE 人面スプリンクラー(100ページ下段):「トンボ眼鏡の看護婦」と父親の顔
が等価交換される場面:人面スプリンクラーは次の存在への通路(トンネル):次
の存在への立て札を立てる
FF 呪文:「アラベンタ ハナゴンタ アナゲンタ……」(101ページ上段):呪
文を唱へる:存在を荘厳する。

アラ(粗)とは凸凹してゐるといふ意味。ハナは凸、アナは凹で存在の陰陽。ベン
タ・ゴンタ・ゲンタは(『S・カルマ氏の犯罪』以来の)non-senseの脚韻、即ち呪
文の本体、語幹である。アラ、ハナ、アナは、従ひ前綴(prefix)となる。無意味か
ら生まれる有意味。言葉に意味はないといふ安部公房らしい言葉遊びです。即ちク
レオール語の発生と同じで、語幹に意味があるのではなく、前綴(prefix)に意味が
あり、これが語幹と接続して全体の意味を構成するといふ論理。アラ(粗)とは凸
凹してゐるといふ此の形象は、この後の章にも凸凹といふ言葉と一緒に複数回現れ
ます。
⑮5台分の量を運搬する十トントラック(101ページ下段):存在の大きな列車
⑯列をなすトロッコ(101ページ下段):存在の列:小さな列車:小さな存在の
連結:物を運ぶ列車
⑰「遊園地風のミニ列車」(102ページ上段):存在のミニ列車:小さな存在の
連結:人を運ぶ列車
GG「トンネルがカーブにさしかかっている」(101ページ下段):次の存在への
通路。「カーブの向こう」である。存在の交差点の曲がり角。
HH「近づく鳴動」(101ページ下段):座標の喪失と時間の断面・断層の出
現。『デンドロカカリヤ』のコモン君の場合と同じ。
II「甲高い警笛の断続」:甲高い音:存在を招来する。
⑱硫黄泉(102ページ下段):存在
JJ「ポイントが切り替えられ、引き込み線に誘導される。」(102ページ上
段):「近づく鳴動」の後の「時間の断面・断層の出現」による体系の等価交換が
行はれる。

KK「五両編成の小型車両が駆け抜けた」「けばけばしく着飾った遊園地ふうのミニ
列車だったのだ。とりわけ窓をとりまく極彩色の柄模様」(102ページ上段):
「極彩色の柄模様」は極楽の色彩。存在のミニ列車:新しい交通体系にポイントを
切り替へられて入つたミニ列車:存在

LL「あれは音楽だろうか?サーカス向きのブラスバンドのようでもあり、歌謡曲の
ようでもあり、ただの風のようでもあり……」(102ページ上段):音楽、歌謡
曲、風:存在を荘厳する
MM「二両目の後部ドアの窓越しに手を振っていた少女。その手の振り方が、気に
なったのだ。六、七歳か、せいぜい十歳どまり。(略)きれの長い、いまにもこぼ
れ落ちそうな下がり目。」(102ページ下段):案内人の未分化の実存たる「垂
れ目の少女」:
⑲鳳仙花(103ページ上段):存在を荘厳する。世俗ならば葬式とお盆の仏花で
ある。

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
NN「どれだけ寝たのかも見当もつかない。一時間か二時間かの区別さえつかない。
限界だ、この拘束感は忍耐をはるかに超えている。」(103ページ上下段):意
識・無意識の境界が曖昧になる:これは時間に関する意識・無意識の境界が曖昧に
なること。

OO「進行方向からの風が強まったような気もする。」(103ページ下段):風が
吹く。進行方向からの風であるので、次の存在から吹いてくる風といふ事になる。
上で考察したやうに風には3種類ある。
①存在を招来する風
②存在である風
③次の存在へと主人公をさらつて行く風

この風は「③次の存在へと主人公をさらつて行く風」であらう。

PP「単に傾斜が急になっただけか、それとも新しい状況を迎えようとしているの
か。」(103ページ下段):傾斜といふ言葉が出たので、ここは時間の断面であ
り断層が露わになつたといふ事を意味する。
QQ「風には独特な粘つく臭い。硫黄だろうか?いや、硫黄とは違う。ずっと有機的
な、ビルの地下街の臭い。(略)下水の臭気で糊みたいになってしまうのだ。主成
分は硫黄ではなく、アンモニア。」(103ページ下段):このアンモニアの臭ひ
は消臭剤。前の存在の臭ひを消して、接続を一度なくするための臭ひ。
RR「急カーブ」(103ページ下段):次の存在への曲がり角。安部公房の読者な
らば『燃えつきた地図』の冒頭の存在の団地へ向かふ上りの急坂の曲がり角に当た
る。
SS「坑道の終点だった。」(103ページ下段):前の存在からのトンネルの終わ
り、次の存在への入り口。
TT「緑色の緊急電話用ボックス」(104ページ上段):電話ボックスの透明なガ
ラスは、物語の結末共有の透明感覚の形象。ここで一つのまとまりある前章からの
存在の物語が結末共有を迎へたことを意味してゐる。緑色が何を意味するかについ
ては、『もぐら感覚(1):緑色』(もぐら通信第26号)及び『もぐら感覚
(2):緑色』(もぐら痛りん第27号)をご覧ください。「緑色は夢の世界へ入
つて行く契機であり、またその資格を主人公の付与する働きをしています。夢とい
い、従い、狂気の世界といってもよく、更に従い時間の前後も喪失した矛盾だらけ
の現実的な実感のある非現実の世界の前触れを告げるのが、この緑色」です。
(『もぐら感覚(1):緑色』(もぐら通信第26号))そして、緑といへば愛が
出てきます。更に、緑色とくれば、主人公のゐる空間が上位接続(conjunction)さ
れて次の存在へと主人公は入つて行きます。
UU「タールにまみれた仔豚状の物体が、右から左に流れていく。」(104ページ
上段):第1章かいわれ大根で登場した豚が、ここでは死体の仔豚として登場す
る。安部公房が仔象とか仔鯨といつたやうに仔の文字を使ふ時には、これは存在に
なつた動物の事を意味してゐるのでした。[註3]前の世界と次の世界の境界線で
ある運河の流れに、それ故に豚でもなく子豚でもなく、仔豚は流れてゐる。

[註3]
この表記の持つ意味については、「『方舟さくら丸』の中の三島由紀夫」(もぐら
通信第53号)をごらんください。
また、『笑う月』(新潮社文庫)所収の「公然の秘密」に、この仔象の話を主題と
して、安部公房の形象が書かれてゐる。ここでは、最後には仔象は殺されるわけで
す。最後にある一行は、「当然だろう、弱者への愛には、いつだって殺意がこめら
れている。/やがて仔象は、古新聞のように燃え上がり、燃えつきた。」(傍線は原
文傍点)この憎悪の原因については、『Mole Hole Letter(3):超越論』で論じ
ました。強者とは超越論的な遅延を否定する者たち(ほとんど大多数の人間た
ち)、これに対して弱者とは日常の時間の中で未来の前者が予定した定時定刻に対
して常に超越論的な遅延をすることによつて、世のため人のために絶えず現在の値
をゼロ(ニュートラル)にする少数の者たちです。

VV 呪文:「波のうねり」「櫓を漕ぐひそかなきしみ」「船縁をたたく水の音」
(104ページ上段):呪文が3回続く。3といふ数字はあちこちに出てきて繰り
返される。

⑳「船の全長は、約八メートル。帆もかけていないのに、高いマストが前後に二
本。どうやら昔は烏賊釣り船だったものをフェリーに改造したものらしい。」(1
05ページ上段):存在。二本のマストは、存在を呼ぶための差異を表してゐるの
かも知れない。

WW「ぼくの声は意味なく拡散し、壁から壁に反響を繰り返し、チベットの大笛に
負けないほどの咆哮になって鳴り響いた。」(105ページ上段):呪文と大きな
笛の音。かうして見ると、安部公房が思つてゐる笛の音は、繰り返しの呪文を唱へ
る笛の音だといふ事が判る。確かに風の音もヒューヒューとかゴーゴーとか大きな
音で繰り返す呪文であることがある。

XX「三日堂」と書かれた標識(105ページ上段):存在の方向への標識、立て
札。『砂の女』の主人公の年齢に地の文での年齢と最後の存在の方向への立て札
(審判書)の年齢に、後者を若くして、負数の3年、即ちー3年といふ差異を設け
た安部公房でありますから、この「三日堂」の3も同様で、これも負数の3日、即
ちー3日といふ意味で、この店も同様に、この時間の差異に存在する存在の店なの
でせう。それ故に、主人公に「何か記憶の中でうごめくものがある」のであり、思
ひ出したのが怪奇小説『大黒屋爆破事件』である。思ひ出した冒頭の一行が、存在
の( )の中に書かれてゐる、

(そのとき男は三日堂の二階でチョコレート・パフェを舐めていた)[註4]
といふ一行である。

[註4]
チョコレート・パフェには、バナナが置かれて入つてゐるので、これは、後で出て
くる呪文の「レールの継ぎ目のひたすら正確な脈動/ハナコンダ アラゴンダ アナ
ゲンタ/唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」と、そのあとに『物欲ショ
ップ』の「変り種雑貨」売り場に売れらてゐる「ニューギニア製のペニスの鞘」に
関係してゐる一連のバナナ連想物の一つであると思はれる。安部公房のバナナの形
象は、チョコレート・パフェのバナナは輪切りにされてゐるのに対して、呪文のバ
ナナは全体があるが、しかし空虚で存在しない勃起した陽物として出てくる。

YY 3といふ数字(105ページ下段):「三日堂」の立て札の後に、安部公房は
3といふ字を三回繰り返して呪文となしてゐる。一つ目は上の( )の中の「三日
堂」、二つ目は「四年ほど前、父の遺品として宅配便で送られてきた三冊の本」、
三つ目は「『大黒屋爆破事件』を、暇にあかせて三度も読まされてしまったのであ
る。」:存在。物語は閉鎖空間である。[註5]

[註5]
『砂の女』の最初と最後にある主人公の年齢を引き算するとー3年といふ3といふ
数字に関係してゐる筈。この数字については別途論じます。

「縞魚の研究によれば、雄と雌それぞれの生殖腺を生干しにして、百メートル十
五秒以内の
速度(中学三年生の平均走行能力)で接触させると、ダイナマイトをしのぐ強力な
爆発力を発
揮するといふ」烏賊(107ページ):存在

ZZ「『三日堂』の標識を通過して間もなく」明滅する支柱の上の点滴袋(105ペ
ージ上下段):存在。最初が三日堂と地の文でベタで書かれてゐたものが、標識に
書かれたところから『三日堂』となつてゐて、「3。『カンガルー・ノート』の記
号論」の「(2)『 』:存在の中の存在の詩人または其の物語の作者《縞魚飛
魚》の書いた物語についてのものであることを意味する」『三日堂』となつてゐ
る。

ZZz 烏賊(108ページ上段):存在
「『三日堂』の標識のすぐ先に、以前は荷揚げ場に使っていたらしい、「コ」の
字型のテ
ラス」(108ページ下段):存在

小便袋(108ページ下段):存在
AAA「風向きが変わったらしく、急に臭気の濃度が増した。」(110ページ下
段):風。存在の形象。
BBB「雄烏賊も支柱の先で痙攣しはじめた。象にマウンティングしたがっている種
豚だ。」(111ページ下段):支柱にかかつてゐる点滴袋を雄烏賊に喩へてゐ
る。点滴袋なので、この種豚は、存在である。ここで、豚が存在になりかけてゐ
る。この豚は、第6章風の長歌で、尻尾のない鯛焼きに変形する。
BBBb コンピューター占い器(112ページ上段):『第四間氷期』のコンピュー
ターに相当する電子計算機の形象。
CCC 天気によって色が変わる豚(112ページ上段):これが後々に第6章で尻尾
のない鯛焼きに変形する前触れ。
DDD 福引きの玉出し機(112ページ上段):存在。穴のある箱。
EEE ニューギニア製のペニスの鞘(112ページ上段):存在。これは上記に引用
した呪文に関係する形象である、

「レールの継ぎ目のひたすら正確な脈動
   ハナコンダ アラゴンダ アナゲンタ
   唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」

といふ呪文、存在を招来するための呪文に連想が掛かつてゐる。そして、この呪文
は、あとで第6章風の長歌と第7章人さらいで歌はれる「通りゃんせ 通りゃん
せ」の歌と同様に古謡の呪文であるといふ事が共通してゐて、この呪文の性格を決
めてゐることに注意しませう。「通りゃんせ 通りゃんせ」は童歌(わらべうた)
であるのに対して、この呪文は「手毬唄ふうの節回し」で歌はれるといふ事です。

EEEe 一九〇七年製のラジオ(112ページ上段):過去の時間との遥かな距離を
ゼロにするラジオ『砂の穴』の、女が内職で購入して砂の穴に来着して、砂の穴が
存在とする其のラジオと同じ形象。
FFF 靴(112ページ上段):存在
GGG 小型の懐中電灯(112ページ上段):存在
HHH 時計(112ページ上段):時間を代表する。
鞄(112ページ上段):存在
財布(112ページ下段):存在
脱衣籠(112ページ下段):存在
「胸のチューブも挿入したまま」の主人公または「チューブも挿入したまま」の
胸(113
ページ下段):存在
「トンボ眼鏡の大型バッグ」(113ページ下段):存在。案内人は鞄(凹)を
持つてゐる。
HHHh バナナの皮の呪文に連想される「トンボ眼鏡の看護婦」との会話(113ペ
ージ下段):
「冗談いうな、大事な食料なんだ。バナナの一本も持たせてくれなかったくせに」
「バナナ、好きなの?」
「茶化すんじゃないよ」

便器(114ページ上段):存在
亀頭(114ページ上段):存在
III 下り階段:次の存在への通路
JJJ「三つ目の鉄扉で、またも下水の臭気がまつわりついてきた。」:この下水の臭
ひは、この第2章の初めにアンモニアの臭いが消臭剤として、第1章の臭ひを消臭
したやうに、第3章の冒頭ではタンニンの臭ひが此の下水の臭ひの消臭剤として使
はれて、二つの章の単純な接続のあることを一度無に帰せしめててゐる。
Topologicalな非連続の連続、連続の非連続となつてゐる。

この第2章から第3章火炎河原への結末継承の接続をまとめると次のやうになる。

     第2章緑面の詩人の終はり        第3章火炎河原の始め
(A)「またも下水の臭気」:         タンニンの臭気
(B)「船縁を叩く、溜め息まじりの水の音」:(水に対して)題名が火炎河原
(C)「ピンク・フロイドの最新作の導入部」:「ハナコンダ アラゴンダ アナゲ
ンタ/唐辛
(『鬱』の導入部:「櫓を漕ぐひそかなきしみ、 子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デ
クルミマ
  船縁をたたく水の音」)          ス」といふ呪文
(D)「乾いたチノパンツの感触が素晴らしい」:(乾きに対して)運河の水の流れ

第3章:火炎河原
KKK 章間の結末継承については上記前章(A)から(D)の通り。
KKK-1 冒頭第一行:「運河の壁がせばまり、削り跡が目立つ手掘りの岩肌に変わっ
た。」(116ページ上段):壁を削る、壁に手型をつけるといふ19歳の『僕は
今こうやつて』や『終りし道の標べに』以来のもぐら感覚。
KKK-2 冒頭第二行:「流れもずっと速まったようだ。」(116ページ上段):時
間の速度が第3章では速くなる。
KKK-3「水路が直角に折れた。」(116ページ上段):やはり存在の十字路を曲
がるといふこと。「カーブの向こう」である。
KKK-4 「すごい臭気、タンニンの噴霧だ。」(116ページ上段):前章との接続
を一度断ち切るための消臭剤としてのタンニンの悪臭。
LLL 呪文(116ページ上段):この呪文は『タンニン・ロードの夜はふけて』と
いふ『 』で記号化された存在の歌の「節まわし」で歌はれる上に、タンニン・ロー
ドはシルク・ロードと交差してゐて、地の文でも十字路を形成してゐる。
「ハナコンダ アラゴンダ アナゲンタ
 唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」

タンニン・ロードはシルク・ロードと交差してゐて、地の文でも十字路を形成して
ゐると地の文で語られた後に再度上記の呪文とはズレた第一行だけの呪文が続きま
す。

「アナベンダ アナゴンダ アナゲンタ」

この呪文の前綴は皆アナ(穴)であり、次の 滝壺(116ページ上段)で滝壺に
落ちてゆくからであらう。
滝壺(116ページ上段):存在。この存在の形象は三島由紀夫と同じ。

この 滝壺に主人公の乗つてゐる船は「船尾が跳ね上がった」後、「舳先から滝壺
に落ちていく。錯覚にきまっているさ。ぼくが漂流してきた運がは、海抜ゼロメー
トルの河口付近だった。それより低い滝壺なんて、ありっこない。地底におちたの
だろうか?地獄だ廊下?」とある通りに、主人公は更に地下へと降りて行く。前の
第2章緑面の詩人の章の冒頭では、章間接続の自走ベッドが「ベッドごと廃棄処分
され、坑道口に投げ捨てられ」「最初しばらくは、急斜面がつづ」いて、既に一度
地下へと降りて行つてゐるので、これが二度目の垂直方向の下方落下となる。

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
時間は「夕暮れの残光だろうか、それとも朝焼けだ廊下?暗渠水路の彷徨のせい
で、時間感覚が狂ってしまったらしい。」とあるやうに、またもや時間に関する意
識・無意識の境界が曖昧になる。

MMM 「硫化水素の風が渦巻き、めくれ上がって、河原を走った。」(117ペー
ジ上段):タンニンの臭ひで前章との接続を断ち切つた後、あらたに此の章の臭ひ
である硫化水素の臭ひが立つ。それも「硫化水素の風」であるから、この風は、

①存在を招来する風
②存在である風
③次の存在へと主人公をさらつて行く風

この3つの風のうちの①存在を招来する風であらう。

地獄谷といふ谷(117ページ上段):存在

それでは、空間に関する意識・無意識の境界が曖昧になることはどうやつて生まれ
てゐるかといへば、第1章で登場した案内人である「トンボ眼鏡の看護婦」が、主
人公と交はす次の会話によつてを主人公を此の章の河原に案内します。それは、既
に第1章で「トンボ眼鏡の看護婦」と交わしたのと同じ次の会話のある通りに主人
公を導くのです。その会話です。同じ会話の二度目が、ここ第3章で繰り返され
る。

NNN 「結論として、えらく陳腐な見解だけと、いまの君には温泉療法しかないんじ
ゃないかな、それも硫黄泉がいいね、できるだけ強力なやつ」
OOO 「地獄谷みたいな……」
PPP「そう、地獄谷みたいな……でも、すんなり受け入れてくれる宿があればの話
だけど……君のその脚、他の客にいい感じはあたえないだろうからね……」
(117ページ上段)

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
空間に関する意識・無意識の境界が曖昧になることは、この会話の後に一行の余白
があり、「空白の論理」によつて、その沈黙と余白の一行の中で主人公は「既にし
て」「いつの間にか」「ふと気がつくと」時間の先後なく、火炎河原に立つてゐる
のでした。

32露天風呂(117ページ下段):存在
温泉は「飲用可能」(118ページ上段):これは地の文として初めて此処に出
てくるが、後で同じ章で記号化されて《飲用可》といふ存在の形象凹である露天風
呂の間近な方向を示す立て札として登場する(119ページ上段)。
QQQ「まあ、落ち着けよ、ここが辛抱のしどころだ。せめて半日は湯浴みを繰り返
し、《かいわれ大根》の変化を見極めてからでも、遅くはないだろう。」(118
ページ上段)(傍線筆者):呪文。呪文を唱へた後に存在を示す記号の中の《かい
われ大根》が文字で書かれてゐる。

QQQq 露天風呂の側に立つ立て札:「さらに視界がひらけ、西側三分の一を遮って
いた屏風岩の背後に、変色した立て札が頭をのぞかせた。」(119ページ上
段):存在である露天風呂を示す立て札。この立て札の前にある屏風岩は、『S・カ
ルマ氏の犯罪』の最後の限りなく時間の存在しない垂直方向に成長する壁と同類の
形象である。主人公は世界の果てに来て、次の存在の方向への立て札を見て、存在
の露天風呂に入るといふ順序になる。

RRR《飲用可》(119ページ上段):立て札
SSS《危険 立入禁止 飲むべからず》(119ページ上段):立て札。言葉と言
葉の間に一文字分の沈黙と余白の空間が置いてあるので、安部公房の意識としては
詩の一行と変はらない。

TTT「屏風岩の陰から昆虫の身軽さで人影があらわれた。やはり子供だ。五、六
歳、あるいは発育不全の七、八歳。」(119ページ下段):未分化の実存。未分
化の実存たる子供達の登場:小鬼たち

UUU「堤防の斜面」(120ページ下段):時間の断層を主人公は登つて(其処に
ある筈の開けた)町に行かうと思ふ。「断層の斜面を登りはじめた。」『デンドロ
カカリヤ』のコモン君が植物に変身する直前の地割れに相当し、座標を喪失するこ
とに相当する。
VVV「同時にどこかで梵鐘の音。小振りの鐘らしく、澄んだ悲鳴のような余韻。」
(120ページ下段):甲高い音。風や笛や救急車のサイレンの音と同じ意味を持
つ。上で①存在を招来する風が硫黄の臭気と共に吹いたので、ここでやはり甲高い
「悲鳴のような余韻」が響くことになる。

33「底なし井戸の陰惨な歌」または其の歌の井戸(122ページ上段):存在

座標を失い、地面が底抜けになつて、甲高い音が聞こえると、次に小鬼といふ未分
化の実存の歌ふ御詠歌が聞こえて来る。安部公房は御詠歌とは断定せず、「御詠歌
ふうの節回しで」と直喩で書いてゐるのは、実際には御詠歌であるが、しかし、存
在を呼び出すための存在に関係した歌であるからでせう[註4]。この御詠歌の中
の「そのときかわらのいしもあかくやけ/かわのながれはかえんとなり ものみなな
べてほねとかす」といふ最後の二行が、この章の題名である「火炎河原」の由来と
なつてゐる。

[註4]
『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』(もぐら通信第
55号)の「1。直喩といふ毒(修辞の毒)」をご覧ください

座標の喪失→(何かの開始を告げる)甲高い音→呪文類を唱へる→自己喪失(意
識・無意識の境界が曖昧になる)→存在の出現

といふ順序を踏んでゐることになる。

ここで御詠歌の全文を引用すると次の通り。

「しでのやまじのすそのなる さいのかわらのものがたり
 きくにつけてもあわれなり
 ふたつや みつや よついつつ とおにもたらぬみどりごが
 さいのかわらにあつまりて ちちうえこいし ははこいし
 こいしこいしとなくこえは このよのこえとはことかわり
 かなしさほねみをとおすなり
 かのみどりごのしょさとして かわらのいしをとりあつめ
 これにてえこうのとうをつむ

 ひとつつんでは ちちのため
 ふたつつんでは ははのため
 さんじゅうつんではふるさとの きょうだいがみをえこうして
 ひるはひとりであそべども ひのいりあいのそのころは
 じごくのおにがあらわれて やれなんじらはなにをする
 しゃばにのこりしちちははは ついぜんさぜんのつとめなく
 ただあけくれのなげきには むごや かなしや ふびんやと
 おやのなげきはなんじらが くげんをうくるたねとなる
 われをうらむことなかれと くろがねぼうをうちふるい
 つみたるとうをおしくずす
 そのときかわらのいしもあかくやけ
 かわのながれはかえんとなり ものみななベてほねとかす」
(121ページ)(傍線筆者)

WWW 座標を失い、地面が底抜けになつて歌はわれる歌なので、御詠歌のあとに
「底無し井戸の陰惨な歌」と言はれてゐる。(122ページ上段)この御詠歌の歌
はれる契機は、夜明け前の夜であり、主人公を旅をしてゐて、御詠歌は未分化の実
存たる、即ち大人になる前に死んだ子供達の霊を慰める歌であり、従ひ鎮魂の歌で
あるので、これもまた『旅と鎮魂の安部公房文学』(もぐら通信第65号)で述べ
た通りの日本の文学的伝統に則つた話の運びとなつてゐる。

XXX 風速計で風速を読んで露天風呂(といふ存在の風呂)で入浴するための大きな
赤字で『注意!』の立て札:「風力3以上のときは入場禁止」とあるので、これは
禁止則を表示した立て札。『燃えつきた地図』の冒頭で主人公が存在の高台の団地
へと無時間の垂直方向へと向かふところで「「クラッチを踏んで、ギヤを低速に入
れかえ」て時間の遅延を生み出してから[註6]、その後に立つ禁止則の立て札の
規則を(安部公房の単独したリルケの『オルフェウスへのソネット』の最初の連で
オルフェウスがさうするやうに限界を)破つて更に上昇を続けるのと同じである。

[註6]
時間の遅延を生み出すといふ安部公房の世界の根底にある超越論の論理について
は、『Mole Hole Letter(3):超越論』で詳細に論じましたので、これをお読み
下さい。

この後に、風速の値が「5と6の中間」であるといふ小鬼の男の子の発言があつ
て、「3以下」は「めったに」なることはなく、「夕凪のときくらいだね」といふ
ことから、風が吹けば、それは時間の進行を、「3以下」の「めったに」ない「夕
凪のとき」は時間の進行の無さ、即ち無時間の空間を表してゐることが判る。この
場面では風が「3以下」で吹く場面ではないので、時間の中で進行する。主人公は
上で述べたやうに禁止則を破つて、この後更に無時間の垂直方向の存在の高みへと
登つてゐくことになるので、そこで、

YYY 次の呪文が小鬼によつて歌はれる。この呪文はまだ此処では地の文のベタの呪
文であつて、「3以下」の風の吹かない時間の中での呪文であるので、第7章人さ
らいの章のやうには存在の記号である(  )の中に入つてはゐない。

①1回目の呪文(122ページ上段):
「西風に乗って、マーチ風の粗野な合唱が流れて来た。
   オタスケ オタスケ オタスケヨ
   オネガイダカラ タスケテヨ」

時間の中での定時定刻開始の歌ひ方ですから(「言っただろ、時間だから、じきに
やってくるって」)、「マーチ風」の定型的な韻律に則つた合唱になつてゐて、そ
れは「粗野な合唱」であるといはれてゐる。

②2回目の呪文(122ページ上段):
「「『お助けクラブ』の合唱隊。言っただろ、時間だから、じきにやってくるっ
て」
     オタスケ オタスケ オタスケヨ
     オネガイダカラ タスケテヨ」
「時間だから、じきにやってくる」といふのは、『お助けクラブ』の合唱隊は未来
に予定されてゐる定刻通りにやつて来るといふ意味。この呪文はまだ此処では地の
文のベタの呪文であるので、「いつの間にか」「どこからともなく」といふ超越論
的な出現を『お助けクラブ』の合唱隊はしてゐないし、その呪文はまだ本当の存在
の《呪文》になつてゐない。

③3回目の呪文(122ページ下段):
「(略)歩調を揃えた軍隊風の行進だ。
    オタスケ オタスケ オタスケヨ
    オネガイダカラ タスケテヨ」

連続して3回繰り返し歌はれるといふ此の3といふ数字に意味があります。これに
ついては稿を改めて詳述します。第2章緑面の詩人での上記「三日堂」の立て札の
後に3回繰り返される3といふ数字の呪文、それからそもそもこの物語が3回垂直
下降して語られる物語である事、即ち、存在の中の存在の中の存在の(中の)物語
であるといふ此の三重構造を思ひ出して欲しい。

34「沸騰した薬罐の蓋の賑やかさで」火炎河原に到着する「橙色の軽自動車」(1
22ペー
ジ下段):自動車は開口部の箱であるから、存在。

ZZZ このあとに「オタスケ オタスケ オタスケヨ/オネガイダカラ タスケテ
ヨ」の前半の一行だけの呪文が2回(3回ではない)繰り返して唱へられます。
(124ページ上下段)一つ目は主人公が「土手の斜面」(時間の断面)を登つて
町の方へ向かはうといふとき(小鬼たちが自走ベッドを押して助けようとする)、
もう一つは、今度は方向が逆で、小鬼たちの引率者が「斜面を降りて」来る時に小
鬼たちを励まして「さあ、お助けクラブの諸君、今日も元気で頑張りましょう!」
といふ声を発声するときです。いづれも其の呪文の甲斐がなく、霊験あらたかでは
ありません。最初の場合には、自走ベッドを土手の上には運べず、二つ目の場合に
は、引率者は「年ですな、もう子供のようには動けません」と言つて「マットの上
にたおれこむ」ときです。いづれも呪文の効果がない。あるいは逆に呪文の効果が
ないので、そのやうな結果になるか、そのやうな結果になる程度に力のない呪文で
あるといふことです。

AAAA ここで二回目の「垂れ目の少女」の姿が現れる(124ページ上段):「き
わだった下がり目。待てよ、この下がり目には憶えがあるぞ。すれちがった遊園地
のミニ列車の窓から覗いていた顔……もっとも確信は持てない。」

35門のある「硫黄鉱山」(125ページ下段):存在
BBBB 「死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語/(略)/これにて回向の塔をつ
む」までの8行の御詠歌が小鬼たちによつて歌はれてゐる。これは此の後も続いて
小鬼たちに歌はれて、その御詠歌の間に散文による小鬼たちの石を積み始めてから
積み終はるまでの様子が挿入されて語られてゐる。最後に「ころころ地面に倒れこ
んだ小鬼たちが、胎児の姿勢で動かなくなってしまった」ところで御詠歌が終は
り、次に甲高い音が響いて、その次に「風が出て」来て、風が吹くのです。甲高い
音とは「老人たちのうめき声」です。この声はそのまま第6章風の長歌の「またも
廊下の老人の、遠吠えを思わせる苦悩の呻き」に繋がつてゐます(171ページ上
段)。老人のうめき声は、風の音の一種だといふ事です。

CCCC このあとには「市の職員が熱狂的な拍手をおく」つたので、「小鬼たちも生
き返り、最敬礼しながら拍手に加わ」り、「つられて老人たちも、手拍子をうつ」
といふことになり、小鬼たちも力を得たので、御詠歌の前では二行のうちの最初の
一行しか(2度)歌はれなかつた呪文が(「オタスケ オタスケ オタスケ
ヨ」)、御詠歌の後の此処では、二行とも(2度)歌はれてゐます(「オタスケ 
オタスケ オタスケヨ/オネガイダカラ タスケテヨ」)。(127ページ下段)手
拍子といふ現実の時間の中での繰り返しといふいはば音による呪文であるので、こ
の呪文はまだ地の文に書かれてゐる。

36小型バス(127ページ下段):存在。老人たちが小型バスに乗つて帰つて行
く。
37カンガルーの袋(128ページ上段):存在

DDDD「オタスケ オタスケ オタスケヨ/オネガイダカラ タスケテヨ」といふ呪
文の前半分の一行だけが、ここでまた小鬼たちによつて唱へられる。(128ペー
ジ下段)

37A 鞄(128ページ上下段):同名の短編小説または戯曲でお馴染みの存在の形
象。
38風呂敷包(128ページ下段):存在
39スーパーの紙袋(128ページ下段):存在
39A 薬罐(128ページ下段):「ボンネットの中で、薬罐が熱湯をたぎらせは
じめる。」:上記34では軽自動車が存在であるが、薬罐と自動車の内部と外部が
交換されて、ここでは薬罐が存在になつてゐる。
39B 「枯葉の目立つ野菜畑」(128ページ下段):存在。かいわれ大根の形
象と同じ。
39C 落花生・ピーナッツ・南京豆(129ページ上段):真ん中にピーナッツと
あるので、割れた隙間のある落花生または南京豆といふことになる。
次の存在へと降りて行くために、主人公はベッドのままに「エスカレーターに足を
のせ、三段ほど下がったところで、到着地点に少年がたちはだか」つてゐて衝突す
るものの、次の階に降りる(129ページ下段∼130ページ上段)。その後に、
余白と沈黙の一行があつて(130ページ下段)、「気が付くとぼくはまたベッド
の上にい」て、「場所はどこか廊下の隅」とあるやうに、「いつの間にか」「どこ
からともなく」次の存在の章へのトンネルにゐることになつてゐる。

39D 誰かが置き去りにした朝刊の皺(131ページ上段):皺は、上の野菜畑と
類似同様の存在の形象。付記すれば、これはいつもの超越論的な「明日の新聞」の
朝刊。
40露天風呂(131ページ下段):存在
41「薄いプラスチックの小箱」(132ページ上段):存在。浦島太郎の玉手箱で
ある。
42缶ジュース(132ページ上段):存在
42A 缶コーヒー(132ページ上段):開口部のある存在の形象
43テント(132ページ上段):存在
EEEE タオルケット(132ページ下段):存在。存在としての一枚布。『砂の
女』の砂の女が夜顔に掛ける手拭いに相当する。

この第3章から第4章ドラキュラの娘への結末継承の接続をまとめると次のやうに
なる。。

     第3章火炎河原             第4章ドラキュラの娘
(A)「日が翳り、雲が崩れ落ちてくる。/:「切れぎれに先を争う雲の下から、さ
らに暗い  
   「雨が来そうだ」          雲がせりあがり、雨脚は激しくなる
一方だ。」
(B)「すっかり馴染んだアトラス・ベッド。:「ぐしょ濡れになってしまったタオ
ルケット」
   ひんやりと敷布に横になる。」       
(C)「風がはためく」:前章に同じ平面に接続してゐるので(差異がないので)
風は吹いてゐない。「風が渦巻」くのはもう少し後です(133ページ下段)。
(D)「薄いプラスチックの小箱」:「飛び箱」

第3章と第4章の接続は、階段を降りるのではなく、エスカレーターによつて降つ
てゐる事、それから上の接続項目を見ると、(A)(C)(D)に時間的・形象上の
連続性があることから((B)は非連続)、やはり此の二つの章は同じ平面に置か
れて繋がってゐると考へることができる。ここで此の論考の最初に「5。シャーマ
ン安部公房の秘儀の式次第に則つて7つの章を読み解く」(もぐら通信第66号)
に戻つて、章立てごとの「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」即ち存在のプロセ
ス形式に戻りますと、

「『カンガルー・ノート』の7つの章に亘る6つのシャーマン安部公房の秘儀のプ
ロセスを見てみましょう。

簡単に6つのプロセスに即して各章を割り当てれば、次のやうになります。

(1)差異を設ける:第1章:かいわれ大根
(2)呪文を唱える:第2章:緑面の詩人
(3)存在を招来する:第3章:火炎河原;第4章:ドラキュラの娘
(4)存在への立て札を立てる:第5章:新交通体系の提唱
(5)存在を荘厳(しょうごん)する:第6章:風の長歌:鎮魂歌
(6)次の存在への立て札を立てる:第7章:人さらい:反歌」

とある通りに、この二つの章は同じ平面で接続してゐるのです。

また、この作品を「(6)二種類の救済者」(もぐら通信第66号)との関係で分
類した、章立てでは、

「①第1章:かいわれ大根:差異を設ける(「トンボ眼鏡の看護婦」)
②第2章:緑面の詩人:呪文を唱える(「トンボ眼鏡の看護婦」「垂れ眼の少
女」)
③第3章:火炎河原:存在を招来する:存在の中の存在の話1(「トンボ眼鏡の看
護婦」「垂れ眼の少女」)
④第4章:ドラキュラの娘:存在を招来する:存在の中の存在の話2(「トンボ眼
鏡の看護婦」「垂れ眼の少女」)
⑤第5章:新交通体系の提唱:存在への立て札を立てる(「トンボ眼鏡の看護婦」
「垂れ眼の少女」)
⑥第6章:風の長歌:存在を荘厳(しょうごん)する:長歌(鎮魂歌)(「トンボ眼
鏡の看護婦」「垂れ眼の少女」)
⑦第7章:人さらい:次の存在への立て札を立てる:反歌(鎮魂歌)(「垂れ眼の
少女」)」

と、このやうに「存在の中の存在の話」として、もつと正確に云へば「存在の中の
存在の中の話」の1と2を二つで構成してをりますので、この二つの章の接続関係
が謂はば地続きであることは自然であり、偶然ではなく必然であり、当然であると
いふことなのです。
第4章:ドラキュラの娘
FFFF「二度目の《賽の河原拝観バス》そのものが延期になつてしまったのだろう
か。」(133ページ上段)とあるやうに、記号化された存在の《賽の河原拝観バ
ス》は定時定刻には来着せず、いつ来るかは未定不定となつてゐる。「既にして」
「いつの間にか」なつてゐる超越論[註7]の、存在の空間である。

[註7]
超越論については、『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら通信第67号)
に詳述しましたので、これをご覧ください。

GGGG タオルケット(133ページ上段):存在
HHHH 露天風呂(133ページ上段):存在
HHHHh 「風が渦巻き」133ページ下段:ここで風が吹く。ここは下記の
JJJJ「トンネルの開口部」(133ページ下段)といふ事があるので、この風は、

①存在を招来する風
②存在である風
③次の存在へと主人公をさらつて行く風

この3つの風のうちの①存在を招来する風であらう。

IIII 飛び箱(133ページ上段):存在
JJJJ「トンネルの開口部」(133ページ下段):トンネルといふ(次の存在へ
の)上位接続線。
「例の目尻の下がった、知恵遅れの小娘」(134ページ下段):未分化の実存に
生きる少女。即ち主人公にとって見ると「赤の他人とは思えない。記憶の片隅に小
屋をたて、以前からひっそり住みついていた「誰か」のような気がする」救済者。
『進入禁止』の柵』(134ページ下段):『 』で記号化されてゐるので、存在の
世界での禁止の立て札。主人公はいつも此の禁止を犯して垂直方向へ上昇する。ま
たは下降すると云つても同じ。
「再びくらいトンネルに突入する」そのトンネル(135ページ上段):トンネル
といふ(次の存在への)上位接続線。

44キャベツ畑:かいわれ大根と同じ形象。(135ページ下段):存在。主人公が
「痛みをなだめ、なだめして、おもむろに情況観察をする。(略)ゴロゴロ並べた
サッカー・ボールの隙間。」とあり、「ゴロゴロ並べたサッカー・ボールの隙間」
は、形象としては凸凹ですから、凹だけならば其れは存在ですが、凸凹とあるの
で、これは変な言ひ方ですが、現実的な存在といふことになります。しかし総体と
しては「キャベツ畑」ですから、結局はかいわれ大根と同じ形象ですので、存在と
いふことになります。

KKKK「布団が動いている」その布団(136ページ上段):存在
LLLL「トンボ眼鏡の看護婦」と「垂れ目の少女」の等価交換性(140ページ上
段):「眼鏡を外したら、どんな眼をしているのかな?素通しのガラスのせいで、
反射がひどく、奥がみえない。すごい下がり目なのかもしれないぞ。」

45注射器(138ページ上段):存在

MMMM「カーブの向こう」:「県道に出て、すぐの角」にあるラーメン屋(143
ページ下段):存在の交差点、存在の十字路。次の存在への曲がり角。安部公房の
読者ならば『燃えつきた地図』の冒頭の存在の団地へ向かふ上りの急坂の曲がり角
に当たる。

NNNN 呪文(144ページ上段):「黙々とラーメンをすする音」「和気藹々とみ
えるぼくら」
46味噌汁(の碗)(144ページ下段):存在

この第4章から第5章新交通体系への結末継承の接続をまとめると次のやうにな
る。

   第4章ドラキュラの娘の終はり       第5章新交通体系の始め
(A)《かいわれ大根》:          《かいわれ大根》
(B)《かいわれ大根》入りの冷暖の差異の: かいわれ大根》入りの冷暖の差異

   ない味噌汁              ない味噌汁
(C)存在の十字路にあるラーメン屋:    存在の十字路にあるラーメン屋
(D)ラーメン屋の内部へ:         ラーメン屋の外部へ

上記(B)のことは、第4章と第5章に差異はなく、章としては同じ平面にあること
を示してゐる。

第5章:新交通体系の提唱
OOOO ラーメン屋の外部へ(145ページ上段):「引き戸の外はモノクロームの
朝」
PPPP 夜と昼の隙間の時間(145ページ上下段):時間の差異を設ける。「引き
戸の外はモノクロームの朝。色彩を行き渡らせるまでには熟しきっていない時刻。
一番電車は出てしまったが、二番電車までには間があるらしく、駅までの県道はひ
どく閑散としていた。」

QQQQ 札入れ(145ページ上段):存在
47脱衣籠(145ページ上段):存在

RRRR 犬笛:(145ページ下段、146ページ上段):「人間には聞こえない高
周波で鳴る笛」。存在の風の吹く前に鳴るか、または風ではなくとも存在の前触れ
である甲高い音。例へば、救急車のサイレンの音。

SSSS ベッドの立てる「雀か、キリギリスみたいな声」(146ページ下段):呪
文。存在の風の吹く前に鳴る甲高い音。
TTTT ベッドの車輪の立てる激しい軋みの音(147ページ上段)「百舌鳥の叫び
を連想させるけたたましさ」:呪文。存在の風の吹く前に鳴る甲高い音。
UUUU 呪文による願い事の成就(147ページ上段):「呪文の効果か、ぼくの足
がその場に釘付けになってしまった。ベッドも横に並んでおとなしく停止する。」

VVVV 「トンボ眼鏡の看護婦」は「垂れ目の少女」である(146ページ下段):
「トンボ眼鏡が皮肉っぽく小首をかしげ、ぼくを見上げる。角度のせいか反射が消
え、やっとレンズの奥が見えた。案の定、下がり目だ。」この4人目までの「垂れ
目の少女」との出逢ひの履歴は、「まず地下道ですれちがった遊園地めぐりの電車
の少女、次に賽の河原の知恵遅れの小鬼、そして最後が自称ミス採血のトンボ眼
鏡。」

48トンボ眼鏡の持つ「ショルダー」(147ページ上段):存在
49「黒の線が入った看護婦の制帽」(147ページ上段):存在

WWWW 存在の十字路(147ページ上段):「トンボ眼鏡の看護婦」が「瞬時に
本物の看護婦に早変わり」するのは「ちょうど陸橋の真下だった。バス停を跨いで
駅に渡るための陸橋だ。」駅の線路と直角に交差してゐる陸橋に対して、一羽のか
もめと三羽のカラスのかいくぐる橋は歩道橋と呼ばれてゐる。

XXXX 一羽のかもめと三羽のカラス(147ページ下段):「一羽のかもめが歩道
橋の下をくぐり、三羽のカラスがその後を追って飛んだ。」第2章の緑面の詩人の
怪奇小説『大黒屋爆破事件』と同じく、3といふ数字に安部公房は意味を持たせて
ゐる。この対照的な1と3、白と黒、即ち「かもめと鴉」(前者がひらかな、後者
が漢字)と使ひ分けてゐる。

YYYY 3といふ数字(105ページ下段):上記「三日堂」と書かれた標識(10
5ページ上段)である存在の方向への三日といふ3の数字のある立て札と、その
「三日堂」の立て札の後に、安部公房は3といふ字を三回繰り返して呪文となして
ゐる。一つ目は怪奇小説『大黒屋爆破事件』の( )の中の小説の地の文としてあ
る(しかし、存在の)「三日堂」(105ページ下段)、二つ目は「四年ほど前、
父の遺品として宅配便で送られてきた三冊の本」(105ページ下段)、三つ目は
「『大黒屋爆破事件』を、暇にあかせて三度も読まされてしまったのである。」
(105ページ下段):三つ目の『大黒屋爆破事件』は記号化された存在であるか
ら、この物語は閉鎖空間としての存在である[註8]。それ故に、開口部またはト
ンネルを開けるために、『大黒屋』は爆破されねばならない。

[註8]
安部公房の小説観と世界認識については、『何故安部公房の猫はいつも殺されるの
か?』(もぐら通信第58号)の「IV 安部公房の小説観と世界認識」をご覧くだ
さい。

①①「幼児化現象の窪み」(147ページ下段):存在
50砂風呂(147ページ下段):存在

ZZZZ《日本尊厳死協会》(148ページ下段)は「トンボ眼鏡の看護婦」の実家
であり、そこは店を開いてをり、《日本尊厳死協会》の支部は「トンボ眼鏡の看護
婦」の店子であるといふ繋がりがある。「トンボ眼鏡の看護婦」の実家は、「カー
ブの向こう」にある。「次の信号のところ。線路を渡った、すぐ右の角」のところ
に。

a 呪文:(149ページ上段):この呪文は、アメリカ人が「陸橋からカメラで狙
っているみたい」な具合に、従ひ『箱男』に挿入された8枚の写真と同様の被写体
の世界、即ち箱男から見・見られた存在の世界の中で唱へられる呪文である。それ
故に、沈黙と余白の中の行進であるが故に「しばらく無言の行進が続いた」のであ
り、その行進の韻律(リズム)も日常の時間の中の定例・定時の韻律ではなく、非
日常の時間の中の空間的な「車輪の不規則なリズムの脈をとる。」「車輪の不規則
なリズムの脈をとる」のは、「トンボ眼鏡の看護婦」かまたは主人公であるか、両
方である。呪文類の詳細は「(22)呪文」で詳述します。

「ハナコンダ アラゴンダ アナゲンタ
 唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」

b 時間の単位の等価交換(149ページ上段):次の会話で1週間と1日といふ時
間の単位の等価交換が主人公の記憶の中で行われて、時間が無化されて、無時間の
空間となつてゐる。

「それ、何時ごろのこと?」
「なにが?」
「だから、君のお母さんがなくなったのは……」
「初七日が開けたのが、つい先週だから」
「変だな、ぼくが君の診療所に寄ったの、昨日じゃなかった?」

c「尻尾のない豚の絵」(149ページ上段):第1章の尻尾のない豚。尻尾のない
といふことは一筆描きの豚のこと。尻尾のところに穴があいてゐるのか。さうであ
れば、鯛焼きの尻尾を食べて、その穴から中の餡を吸い出すといふ後半の第6章風
の長歌で主人公に通じてゐる。

d 二人の「垂れ目の少女」と「トンボ眼鏡の看護婦」の関係(149ページ下
段):
主人公の問ひに答へて、

「二人いたけど、一人は死んで、もう一人は家出したらしいの」
「やはりそうか。ここに来るまでの間に、二人も、すごい下がり目の女の子に出会
ったんだ。一人はその坑道の中を走っているとき、すれ違った空っぽの電車の窓か
ら手を振っていたよ」

e「断続するベルの音が三回」鳴る(150ページ上段):やはりここで劇の開幕の
ベルの甲高い音が3回鳴つてゐる。終はりのベルが鳴る前に「既にして」「いつの
間にか」終はつてゐる劇が同様に「既にして」「いつの間にか」終はつてゐること
を告げるベルの音である。超越論的な開始のベルの音。既に上で「b 時間の単位の
等価交換(149ページ上段)」が主人公と「トンボ眼鏡の看護婦」の会話で交は
されてゐて、1週間と1日といふ時間の単位の等価交換が主人公の記憶の中で行わ
れて、時間が無化されて、無時間の空間となつてゐることを思ひ出すこと。

f「財布」(150ページ上段):存在
g「チャーシュー麺(の器):存在(150ページ上段)
h「診療所の脱衣籠」(150ページ上段):存在
i「烏賊船」(150ページ下段):存在
j「強力な硫黄泉の露天風呂」(150ページ下段):存在
k 呪文類:御詠歌(150ページ下段):
「死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語
 聞くにつけてもあわれなり
 二つや 三つや 四つ五つ 十にもたらぬみどりごが
 賽の河原にあつまりて 父上恋し 母恋し
 恋し恋しと泣く声は この世の声とはこと変わり
 悲しさ骨身をとおすなり

 それからあの有名な『ひとつ積んでは父のため』に続くわけさ……」

l 呪文類:御詠歌(151ページ上段):
「ふたつ積んでは、母のため……」
「みっつ積むのは、誰のためか知ってる?」

安部公房は、ここでも3といふ数字を重要視してゐて、これ以降の歌の行を沈黙と
余白に隠してゐる。といふことは、三つめ以降に喪はれた子供達が一体何を歌ふの
かが大切だといふことである。それを第4章火炎河原から引用すると、

「ひとつつんでは ちちのため
 ふたつつんでは ははのため
 さんじゅうつんではふるさとの きょうだいがみをえこうして」
(傍線筆者)

傍線部を見るとおわかりの通り、安部公房は一つ、二つ、三つといふやうな連続に
はしてをらず、上記で1週間と1日の時間の単位を等価交換したのと同じく、数を
単位化して、三つ目では「三十積んでは古里の 兄弟我身を回向して」と30にし
てゐる。3を10倍して単位化し、ひとつのまとまりある意味をもたせたら、これ
以降の3で全て30の倍数である意味のまとまりを表すことができる。しかし、安
部公房の世界は超越論の世界であるので、この論理は此れ以降のみならず、これ以
前にも最初から適用できるといふことになる。

といふことは、安部公房は3の意味は、時間を捨象したある単位、即ち単位は無時
間であり、そもそも時間には無関係でありますので、そのやうな空間を創造するに
際しては、安部公房は3といふ数字を用ゐて、そして其れを単位化して、話を書い
たといふことになります。しかし、それが何故3であるのかを論ずるには別稿を要
します。
m 呪文類:御詠歌(151ページ下段):
「好きなわけないだろ、あんな呪文みたいなもの。」と主人公がいふところを見る
と、ご詠歌は主人公にとつても呪文類といふことになる。

上位接続地点である駅の方角から聞こえる警笛:上記の犬笛と同じく、存在の風の
吹く前に鳴るか、または風ではなくとも存在の前触れである甲高い音。例へば、救
急車のサイレンの音。

n『通りゃんせ 通りゃんせ』のメロディー(152ページ上下段):『 』で記号
化された存在の呪文類:存在の古謡:甲高い警笛の音と一緒に踏切で此の曲が鳴
る。大切なことは、賽の河原の御詠歌と同様に、『通りゃんせ 通りゃんせ』のあ
とに続く沈黙と余白に置かれた文字である。

これについては、「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」」の
「「(6)二種類の救済者」と「(15)満願駐車場の呪文」で詳細に論じたやう
に、この第6章の新交通体系の提唱の存在の交差点で、「トンボ眼鏡の看護婦」
は、「垂れ目の少女」と案内人の役割を交代します。即ち「トンボ眼鏡の看護婦」
が母親だとすれば「垂れ目の少女」の手を引いて、通りやんせ通りやんせ、天神様
の神社の鳥居を潜つて、お宮といふ存在の中で、行きは良い良い帰りは怖ひ、しか
しまた七歳の女の子の手を引くのが主人公なのであれば、妻である「トンボ眼鏡の
看護婦」から貰つた[NO1]の存在への片道切符のお札を返しに、行きは良い良い
帰りは怖ひ、その奥のお宮の中で、即ち存在の十字路で、この3人は疑似家族を構
成してゐるのです。果たして、この3人は(消しゴムで書かれた)沈黙と空白の中に
ある存在の天神様の神社の鳥居を潜つて、再び此の世に帰つて来ることができたの
でせうか。」

o「珍しいタイプの信号」標識板(152ページ下段):存在の方向への立て札:
「RUN」の文字が点滅してゐる「大きめの矩形」の信号としての立て札。

p「近距離用らしい三両編成の電車」(152ページ下段):3といふ数字に意味
がある。上で解析したところによれば、「安部公房は3の意味は、時間を捨象した
ある単位、即ち単位は無時間であり、そもそも時間には無関係でありますので、そ
のやうな空間を創造するに際しては、安部公房は3といふ数字を用ゐて、そして其
れを単位化して、話を書いたといふことにな」る以上、ここから先は、超越論的な
時間の存在しない空間の中へと主人公は入つてゆき、いよいよ「行きは良い良い、
帰りは怖い」で、片道切符の旅が始まるといふことになる。

q 3といふ数字:線路と道路の交差した存在の十字路に、「RUN」の文字が点滅し
てゐる「大きめの矩形」の信号としての立て札と「警笛の断続」と『通りゃんせ、
通りゃんせ』の呪文と「三両編成の電車」が通れば、存在の十字路に必要な4つの
構成要素は皆揃つたといふことである。『通りゃんせ、通りゃんせ』の呪文は、こ
の第5章新交通体系の提唱といふ超越論の交通体系の創造にあつては計3回繰り返
されることにご注意下さい。

r 「RUN」の立て札:何故(主人公曰く)「あの信号、急ぐように、催促している
んじゃないの?」か、何故「通過後十秒ほどしてから、RUNの点滅が消えた」の
か、また「RUN」の立て札が何故(主人公曰く)「変な信号だな。まるで事故の発
生を誘っているみたい」であるのかといへば、以上のことについて、この節の最初
にまとめた函数形式を再度引用すると、

存在[(始め、終り)、(存在の形象、甲高い音、呪文類)]、即ち「問題下降」
[註9]すると、

存在への上位接続点[(開門、閉門)、(風、甲高い音、呪文類)]

といふことでありますから、

駅[踏切(開門、閉門)、(風、「三両編成の電車」の警笛、『通りゃんせ、通り
ゃんせ』)]

といふことになります。

この函数形式で、まだ此の場面での割り当てが未確定な要素は、風です。引き算を
すると、

風=「RUN」の文字が点滅してゐる「大きめの矩形」の「珍しいタイプの信号」と
しての立て札

といふことになります。存在の風には次の3つがあるのでした。

①存在を招来する風
②存在である風
③次の存在へと主人公をさらつて行く風

この立て札は、この3つの風のうちの①存在を招来する風であり、且つ②存在であ
る風ではないでせうか。何故ならば、①立て札ですから存在の方向を指し示してを
り、上の主人公の問ひかけについて読むと判るやうに、「三両編成の電車」の通過
のこの定時定刻に間に合ふように「走れ」と命じて点滅する立て札は、②存在の十
字路を通過する定時定刻に対して負数(マイナス)の時間を表示してゐる立て札に
等しい。即ち、

いつ走ることを開始せよといふ命令であるのかは不明、即ち主人公は定時定刻「以
前に」「既にして」「早過ぎて」そこに到着してゐるから「三両編成の電車」の定
時定刻の通貨の予約は無効となつてをり、さてそして「通過後十秒ほどしてから、
RUNの点滅が消えた」とある以上、定時定刻より遅れて主人公は交差点を渡ること
になつてしまつてゐるから、いや、もう渡り終はってゐるといふことになつてゐま
す。何故ならば、自走ベッドは踏切のところでは、横切って渡るのではなく、無時
間の方向である垂直方向に「いきなり加速ジャンプして乗り越える」からです。こ
のジャンプは、第1章の冒頭で主人公が新聞を見ながら「見出しの活字の上で石蹴
りふうにジャンプしながら苦味を効かせたコーヒーえ口の中を湿してや」った際の
ジャンプと同じジャンプです。《かいわれ大根》を脛に生やした主人公は、『密
会』ではジャンプ・シューズの営業マンでした。

ここの文章を読みますと、踏切には横断禁止の横棒は降りてこないものと見えま
す。即ち、いつ渡り始めたのか、いつ渡り終はったのかは、この意味でも不明で
す。丁度『カンガルー・ノート』の主人公が第1章で病院の開門と受付の予約の時
刻に対して、前者については早く到着し過ぎてをり、後者については遅れて受付け
されるのと同じ論理、即ち超越論の論理です。超越論とは一体何かについては、
『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら通信第68号)で詳細に論じました
ので、これをご覧ください。これで、日本人にはよく理解されない超越論が、安部
公房の作品に即してよく解る筈です。

[註9]
「問題下降」とは何かについては「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」(もぐら通
信第53号)を参照ください。詳細に論じました。

そして、上で線路をジャンプして超えたあとに、主人公は「トンボ眼鏡の看護婦」
といふ案内人に案内されて、「空いている車庫は、道に添った裏側……」といふこ
とで車庫へ行き、次の①①①の存在の隙間に至る。

①①①「模型の建物の底辺の空き地に、びったり自分を嵌め込めるだけの隙間が開
いていた」
その隙間(153ページ上段):存在
s 6つの立て札:この隙間にあつて「線路の裏側から見ると、ガラスの引き戸一
面」に6つの存在の方向への立て札が立ってゐる:安部公房は盛大に6つもの立て
札を立ててゐる。笑つてしまふのは、この6つの立て札が皆、人を殺す立て札であ
ることです。6つ目の立て札である「極念流空手道接骨院 導師 ハンマー キラ
ー」といふ看板は、確かに整骨院で骨折を直してくれるのかもしれませんが、「ハ
ンマー キラー」といふ名前では尋ねたら殺されるのではないかと思はれる。

(ここに立て札をみな立てる事。スキャンする)

立て札の数が6であるのは、3の倍数であるから。6は単位化すれば3だと解する
ことができるので、ここでも時間は、時間の中の数を単位化することによつて、存
在しないことになる。

t「警笛が無知のようにしなって」なる其の警笛(154ページ下段):甲高い音:
存在への上位接続点[(開門、閉門)、(風、甲高い音、呪文類)]といふことで
あるから、再び、

駅[プラットフォーム(開門、0)、(「床が波打った」こと、警笛、『通りゃん
せ、通りゃんせ』)]

となつて始まり、終わりは、

駅[プラットフォーム(0、閉門)、(「床が波打った」こと、「風向きによって
は聞こえない程度のブレーキ音」、『通りゃんせ、通りゃんせ』)]

となつて終はります。

この始めと終はりの間には2回目の『通りゃんせ、通りゃんせ』の呪文が鳴つてゐ
る(154ページ下段)。この間「トンボ眼鏡の看護婦」は時間が存在しないの
で、「急須を傾け、湯飲みに注ぐのも忘れて、じっと何かを待ちつづけるトンボ眼
鏡」(154ページ下段)になつてゐる。歌舞伎ならば、見栄を切るといふところ
です。

『通りゃんせ、通りゃんせ』の呪文が鳴つてゐる箇所をまとめると、

(1)一回目:存在の記号『 』で記号化された『通りゃんせ、通りゃんせ』(15
2ページ下段)
(2)二回目:地の文の「通りゃんせ/通りゃんせ」(154ページ下段)
(3)三回目:地の文の「通りゃんせ/通りゃんせ」(155ページ下段)
②②缶コーヒー(154ページ上段):存在
③③急須(154ページ下段):存在
④④湯飲み(154ページ下段):存在

u「三軒の商店と契約」(155ページ上段):「トンボ眼鏡の看護婦」は、3と
いふ数字に関係して三軒の店と契約をして「ローリング族」といふオートバイ族の
情報を収集してゐる。このオートバイ族は、
函数形式の問題下降したものが、

存在への上位接続点[(開門、閉門)、(風、甲高い音、呪文類)]といふことで
あるから、

本文を読みますと、その成り行きは、この集団が踏切の交差点を通過するまでに
「あと二十秒」といふ(何時何分とは言はれぬ定時定刻では本当はない)定時定刻
に対して二十秒前に、

踏切の交差点[門の開閉(0、0)、(全員が乱れ打ちした「太鼓に仕立てた象の
剥製」、「おくればせに警報」、『通りゃんせ、通りゃんせ』)]

といふことになります。

門の開閉がともに値が0であるのは、そもそも此の場面でも踏切を通る始めと終は
りが不分明であり、オートバイ族は警笛に対して既にして「通過してしまった」
(155ページ下段)ものとして書かれてをり、また従つて終はりについても同様
で、『通りゃんせ、通りゃんせ』の後で「数秒の間をおいて」「警笛」が遅れて鳴
つてゐるからです。始めと終はりは、ここでも不分明です。即ち、ここでも、オー
トバイ族は「あと二十秒」といふ定時定刻に対して「「来たぞ! でも早すぎるん
じゃないか」と二階からアメリカ人のキラー君がわめいた」やうに(155ページ
下段)、踏切には早過ぎて到着をしてゐるといふ超越論的な通過をしてゐます。そ
れ故に、踏切の警笛は始めと終りに事後で遅れて鳴るといふことになります。

この3回目の『通りゃんせ、通りゃんせ』の呪文で解ることは、奉天の小学生であ
つた安部公房にとつては、木下サーカスでは間違ひなく、矢野サーカスではひよつ
としたら、観た象といふ動物は、ゆつくりと動くので、超越論的な動物であつたと
いふことです。定時定刻に対して緩慢に動く大きな象が、安部公房は好きであつ
た。しかし、これに対して小さな象、即ち安部公房の表記でいふ「仔象」[註1
0]は、小さい象であつて、擂鉢(すりばち)の底の円の中の舞台では、鞭打た
れ、定時定刻通りに動くことを強ひられてゐて、小学生の安部公房には哀れを催す
可哀想な動物であつたのではないかと私は思ひます。まだ大人になる前の未分化の
実存としての(毎日学校と教室といふ閉鎖空間へ入らねばならぬ)自分自身の姿を
そこに観たのではないでせうか。「仔象」と「仔」の文字を使つて特徴を際立たせ
た意味は、「仔象」は定時定刻までに移動し藝を見せなければならず、幼いがため
にうまく行かず、そのために鞭打たれてゐる「仔象」の姿に、いづれ死ぬ運命をみ
てゐたか、既に時間の中で死んでゐる「仔象」であるといふ意味を持たせたか、そ
のやうな感懐を同じ子供として抱いたかといふことになります[註11]。小学校
の教室といふ閉鎖空間と安部公房の「既に此の時にあつた」超越論の関係は、
『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら通信第68号)で詳細に論じました
ので、これをご覧ください。

[註10]
この表記の持つ意味については、「『方舟さくら丸』の中の三島由紀夫」(もぐら
通信第53号)をごらんください。

[註11]
『笑う月』(新潮社文庫)所収の「公然の秘密」に、この仔象の話を主題として、
安部公房の形象が書かれてゐる。ここでは、最後には仔象は殺されるわけです。最
後にある一行は、「当然だろう、弱者への愛には、いつだって殺意がこめられてい
る。/やがて仔象は、古新聞のように燃え上がり、燃えつきた。」(傍線は原文傍
点)この憎悪の原因については、『Mole Hole Letter(3):超越論』で論じまし
た。強者とは超越論的な遅延を否定する者たち(ほとんど大多数の人間たち)、こ
れに対して弱者とは日常の時間の中で未来の前者が予定した定時定刻に対して常に
超越論的な遅延をすることによつて、世のため人のために絶えず現在の値をゼロ
(ニュートラル)にする少数の者たちです。

v「アイスの缶コーヒー」(156ページ上段):存在
⑤⑤口裂け女(156ページ下段):存在
⑥⑥人面魚(156ページ下段):存在。人面スプリンクラー同様に、顔は外部へ
の通路。
w『口裂け女と人面魚の故郷』といふ本(156ページ下段)
⑦⑦「小学校の大便用のトイレ」(157ページ上段):存在
⑧⑧郵便受け(157ページ上段):存在
x「ダイレクト・メール」の封筒(157ページ上段):存在
⑨⑨屑籠(157ページ上段):存在

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
「自分でも知らずに長い昼寝をしてしまった。/(沈黙と余白の一行がここにあ
る)/気がつくとベッドに連れ戻されている。(略)すっ裸の腹にタオルケットを巻
こうとして、目を覚ました。この暗闇では時間も分からない。(略)首が痛くなっ
た。また何度か居眠りをした。」:意識・無意識の境界が曖昧になる:これは時間
に関する意識・無意識の境界が曖昧になること。(157ページ下段)

ここの意識・無意識の境界線での覚醒と睡眠のところに「耳をそばだてる。風の音
にはあらゆる音の要素が溶け込んでいるかあら、あらゆる音が聞こえてくる。」
(157ページ下段)とあるので、上の「r 「RUN」の立て札」やうに、

(1)風=「RUN」の文字が点滅してゐる「大きめの矩形」の「珍しいタイプの信
号」としての立て札の、点滅の音
(2)風=「床が波打った」その音
(3)風=全員が乱れ打ちした「太鼓に仕立てた象の剥製」の音

と解したことは、間違つてゐないことになります。

風は安部公房がリルケに学んだ存在の形象の一つです。風は障害が前にあつてたと
へ二つに分れても、その向かうでは常に1に戻り、1であり、全体であり、即ち存
在でありますから、「風の音にはあらゆる音の要素が溶け込んでいるかあら、あら
ゆる音が聞こえてくる」のです。

⑩⑩氷嚢(158ページ下段):存在

この第5章から第6章風の長歌への結末継承の接続をまとめると次のやうになる。

   第5章新交通体系の提唱の終はり       第6章風の長歌の始め
(A)沈黙と余白の一行にある意識の喪失:  「長い針で局所麻酔を打たれた」   
(B)「気合いとともに、後頭部に肘打ちを: 「ゴムの大型ハンマーで、こめかみ
の辺りを強
   くわされた」其の肘打ちと「鼻をひねり 打される」其の強打
   あげられた」と「往復ビンタ」 
(C)「顎をくるんだ氷嚢」の中で「触れ:  「ガラス板に顔を押しつけられ
た」其のガラス           
    合っている氷」(透明感覚):    板
(D)「顎をくるんだ氷嚢」:        「顎をくるんだ氷嚢」

第6章:風の長歌
自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
「眠りながら聞いたテレビ、とぎれとぎれの記憶。」「もう一度眠りに落ち、もう
一度夢をみた。」:意識・無意識の境界が曖昧になる:これは、特に時間・空間と
いふ形象に拠らずに意識・無意識の境界が曖昧になること。といふ意味では両方の
領域で意識・無意識の境界が曖昧になること。といふことができる。(159ペー
ジ上段)

この章では最初から時間と空間に関する自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧にな
る)が起きる。それ故に、直接次には「存在への脱皮」も起きることになる。ここ
で、安部公房の読者であるあなたは、『箱男』の「貝殻草のにおいを嗅ぐと、魚に
なった夢を見るという」贋魚の章を思ひ出すでせう。(《それから何度かぼくは居
眠りをした》全集第24巻、35ページ)

y 脱皮(159ページ下段):「ふいに蝉が脱皮。それとも、蛇の脱皮かな。いや
もっと厚みのある、衣替えの膚ざわり。蝦か蟹の脱皮に似ているような気もする。
くるりと麻酔の皮がめくれ、軽くなった。(略)濡れた郷愁の甘皮にくるまれ、視
覚だけが異常に鋭敏になり、言葉にはならないイメージで溢れかえる。」:これら
の脱皮と形象は「バナナの皮デクルミマス」といふ呪文の文句の形象に通じてゐ
る。「5。2。1 存在の中の存在の怪奇小説『大黒屋爆破事件』」の「(5)存
在を荘厳(しょうごん)する:(100ページ下段)」から引用する。この呪文は次
の存在へと脱皮するための呪文だと考へることができる。

   ①「ハナコンダ アラゴンタ アナゲンタ
     唐芥子ノ油ヲ塗っテ バナナノ皮デクルミマス」
   ②「アナベンダ アナゴンタ アナゲンタ
     唐芥子ノ油ヲ塗ッテ バナナノ皮デクルミマス」

z 風と風の音(160ページ上段):風の吹くこと、風の音、笛の音が連語連想に
なつてゐる。概念連鎖の一式。
「すごい風ですね」
「風?」(略)
「そういう音じゃなく、空いちめんに……たとえば、何百個ものハーモニカを撒き
散らして、肺が焼けるほど力一杯吹き鳴らしているみたいな……」
「キザなこと言うじゃない」
「僕、草笛がふけるから……」

⑪⑪口腔外科の先生(160ページ下段):存在。口腔の文字ある故に。
aa 氷嚢(160ページ下段):存在
bb 人面スプリンクラー(160ページ下段):「父そっくりの眼鏡をかけたスプリ
ンクラー、あるいはスプリンクラーに刻まれた父の肖像」

自己喪失(意識・無意識の境界が曖昧になる):
「麻酔が波打ちながら引き返してくる。時間が感覚いっぱいの幅で逆流し始めてい
るようだ。陶酔感とまではいかないが、やんわりとした浮遊感」:意識・無意識の
境界が曖昧になる:これは時間に関する意識・無意識の境界が曖昧になること。
(160ページ下段)

cc 風(160ページ下段):上で時間に関する意識・無意識の境界が曖昧になつた
後で「やはり風だよ……」といふ主人公の科白がある。

⑫口数の多い患者(160ページ下段):存在。口数ある故に。

dd 3といふ数字(160ページ下段):「看護婦が毛布の上からぼくの股間をはじ
いた。つづけさまに三回もだ。」
ee 風(161ページ上段):「遠吠えみたいな」風
ff 会話の中での呪文(主人公の呪文)(161ページ下段):「オタスケ オタス
ケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ」
gg 風(161ページ下段):「神楽おろしの北風」
hh 缶ジュース(161ページ下段):存在
ii 病院(162ページ下段):「病院の夜の出入りは監獄なみなんだ。」:存在。
閉鎖空間。
jj 3といふ数字(162ページ下段):「前科三犯の抜け師」
⑬「守衛も知らないような出入口」のある病院(162ページ下段):存在
kk 風(162ページ下段):「この風じゃ、みんな気が立っちゃうよ」
ll 脛毛(163ページ上段):《かいわれ大根》の贋物
mm 万葉集(163ページ上段):文字面をみると脛毛や《かいわれ大根》に似た
形象である。脛毛や《かいわれ大根》との形象の類似性による接続など、普通の日
本人ならば誰も想像もできない。安部公房以外には。
nn 便器(163ページ上段):存在
oo 風と風の音(163ページ下段):「カードではなく、ポルノ写真だった。」と
ある小さな立て札または片道切符の後に、やはり風が吹く。「風がまた蝙蝠を二、
三匹叩き落とした。だれかの甲高い呻き声。」(163ページ下段)風の後に甲高
く鳴り響く老人の呻き声は、救急車のサイレンの高い音と同じ役割を演じてゐる。

pp 3といふ数字(163ページ下段):「風が蝙蝠を二、三回叩き落とした。だれ
かの甲高い呻き声。
「何だろう?」」
qq 呻き声と隙間風と呪文((164ページ上段)):「呻きはかえって激しくなる
ばかりだ。痰が喉にからまるらしく、まず長い隙間風がふき、つづけてボコボコと
詰まりかけた排水孔の音がする。その合間に、蜘蛛が糸を繰り出す感じで、粘着性
の悲しげな呻き。まるで外の風の悲鳴と競争しているみたいだ。」

rr 一つ目の満願駐車場の呪文(164ページ上段):「輪郭に霧がかかった、院内
放送」。この後に続いて次の会話がある。注目すべきは、この外部の放送が「院内
放送」であり、外部と内部の別なく境界を超えてゐること、病院の内部と外部を等
価交換する呪文であることである。その前に呻き声(甲高い音)と隙間風と呪文
(164ページ上段)が置かれてゐるといふことです。

「何だろう、満願駐車場って……」
「珍しいね、そんなふうに聞こえた?」
「聞き違えかな?」
「私にはチェンマイ駐車場って聞こえるんだ」
「なぜ? チェンマイって、タイかどこかでしょう?」
「人によって、ここえたかたが違うらしいよ。いいじゃないか、医者にも看護婦に
も、定説がないらしいし……」

一つ目の満願駐車場の呪文(164ページ上段)は次の通り:

「満願駐車場カラノオ知ラセデス。アナコンダ地蔵尊ノオ告ゲニヨッテ、タダイマ閉
門サセテイ
タダキマス。満願駐車場カラノオ知ラセデス。アナコンダ地蔵尊ノオ告ゲニヨッテ、
タダイマ閉
門サセテイタダキマス。」(164ページ上段)

ss「輪郭に霧がかかった、院内放送」といふ此の満願駐車場の呪文の持つ輪郭曖昧
性(164ページ上段):これは、後で出てくる3回目(3といふ数字)の満願駐
車場の呪文(179ページ下段∼180ページ上段)が、人によつて聞こえ方が異
なると再度ある次の会話に通じてゐる。

「君にもアナコンダ地蔵尊って聞こえただろ?」
「アナコンダ? ハナコ地蔵でしょう」

⑭⑭喫煙所の小部屋(165ページ上段):存在
tt 灰皿(165ページ上段):喫煙所の小部屋の「四隅に」ある「真鍮の脚つきの
灰皿」:存在
uu どんどん焼きは「皮より餡が命だからな」(166ページ上段):この科白は、
次に引用する存在への脱皮のための呪文の「唐芥子ノ油ヲ塗ッテ バナナノ皮デク
ルミマス」といふ形象とは反対だと考へることができる。皮と中身(餡子)の形象
の関係は丁度正反対になつてゐる。鯛焼きの皮とバナナの皮と、中身の餡子とバナ
ナの中身の関係で、それまでは「餡より皮が命」であつたものが「皮より餡が命」
だといふのが、「真紅のガウンに真紅のベレーをかぶった、車椅子の中年男」が縄
文人に云ふ科白である。

   ①「ハナコンダ アラゴンタ アナゲンタ
     唐芥子ノ油ヲ塗っテ バナナノ皮デクルミマス」
   ②「アナベンダ アナゴンタ アナゲンタ
     唐芥子ノ油ヲ塗ッテ バナナノ皮デクルミマス」
(「5。2。1 存在の中の存在の怪奇小説『大黒屋爆破事件』」の「(5)存在
を荘厳(しょうごん)する:(100ページ下段)」)

「真紅のガウンに真紅のベレーをかぶった、車椅子の中年男」が、縄文人が鯛焼き
を主張するのに対して、「どんどん焼きには歴史がある。皮より餡が命だからな」
といふ意味は、歴史は餡子で中身が大事だといふ主張であり、暗に「鯛焼きは、歴
史がないから餡より皮が大事なんだらう」と言つてゐるのであるが、しかし、これ
に対して縄文人は鯛焼きには歴史はないと云はれたことになるので、「おれの祖先
はたぶん縄文人なんだよ。万葉集にも出て来る、毛人ってやつさ。大和族なんかよ
りもずっと古くから日本に住みついている、名門の出なんだよ」(163ページ上
段)といふことを自慢する縄文人は腹を立てるのである。「鯛焼きは、歴史がない
から餡より皮が大事なんだらう」といふ論理は、縄文人よりも、《かいわれ大根》
を同じ脛に生やしてゐる主人公にこそ相応しい。かうやつて、二人は鯛焼きといふ
ものを共有して繋がるといふ趣向です。しかも、その理由が、縄文人が鯛焼きを尻
尾からまづ齧つて、中の餡子を吸い出して、鯛焼きを開口部のある袋にする(17
1ページ上段)と云ふ存在の形象を創造すると云ふことによつて、同じ存在の形象
の凹である主人公の《かいわれ大根》の形象とtopologicalな共有を行ふといふこと
からである。もしバナナの皮ではなく、鯛焼きの皮の呪文と唱へるのであれば、

   ①「ハナコンダ アラゴンタ アナゲンタ
     鯛焼ノ尻尾ヲ齧ツテ餡子ヲ吸ツテ 鯛焼ノ皮デクルミマス」
   ②「アナベンダ アナゴンタ アナゲンタ
     鯛焼ノ尻尾ヲ齧ツテ餡子ヲ吸ツテ 鯛焼ノ皮デクルミマス」

となりますが、やはりここには、論理として等価交換可能であるが、現実的な具体
的なものとしては、バナナと男性生殖器といふ連想が働かないので、幾ら縄文人が
「尻尾の先まで餡がつまっている鯛焼きなんで、そうめったにあるもんか」(16
6ページ上段)と主張しても、難しいものがあります。。
余談ですが、安部公房が餃子が好きなのは、味のほかに、「唐芥子ノ油ヲ塗ッテ 
バナナノ皮デクルミマス」といふ此の論理と感覚であるのかも知れない。

vv 呻き声(167ページ上段):「例の呻き声が高まった(略)喉を笛のように吹
き、老人の呻きは、しだいに哀願の調子をつよめてきた。」:風の音と甲高い音の
組み合わせのうちの後者である。
ww 呻き声(166ページ下段):「例の呻き声が高まった。」
⑮⑮処置室(167ページ上段):存在の部屋、即ち存在
⑯⑯ベレー帽(170ページ下段):存在

xx 呪文(167ページ下段):ここで呪文が唱へられる。この呪文の両端に、それ
ぞれ「――」と「……」が置かれてゐることに注意。

「――トントコ トントコ トントン トントコ……」

この呪文の音がトンでなつてゐるのは、第1章の最後に出てきた尻尾のない豚がト
ンだからであらう。豚の呪文、トンの呪文である。何故なら、ここには尻尾のない
豚ー尻尾のない鯛焼きー開口部ー閉鎖空間からの脱出といふ概念連鎖があるからで
す。

しかも、この音を「車椅子」の男が「ステッキで、小太鼓のリズムを刻みはじめ
る」とあつて、ステッキは戯曲『棒』に代表的なやうに、安部公房が概念化した存
在の棒である。更に、ここでは小太鼓になつてゐるのは、topologicalに考へて、第
5章新交通体系の提唱の駅の近くの存在の踏切の十字路でオートバイ族が「太鼓に
仕立てた象の剥製を、全員が乱れ打ちしながら通過してしまった」とある此の形象
の大きな象の剥製の太鼓に対照して、小太鼓と云つてゐる訳です。

この両端の記号については「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」の
「(15)満願駐車場の呪文」より再度引用して考察を加へると、次のやうな安部
公房の記号使用の規則が明らかになります。

「②第7章 人さらい
「満願駐車場カラノオ知ラセシマス。駐車場ハ閉鎖シマシタ。アナコンダ地蔵尊ノ
寄付ノ受ケ付
ケモ間モナク締メ切ラセテイタダキマス。オ急ギクダサイ、オ急ギクダサイ。」(1
75ページ
下段)
しかし、第7章では、第6章とは異なり、このお知らせの直ぐ次の行に、次のもう
一つの呪文が
続きます。

「――オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ――」

これは、まだ最後の結末部でのやうに、存在の記号( )で呪文が括られてをりま
せんから、次
の存在へ行くことの願文にはなつてをらず、存在を予兆する( )の中で唱へられ
るる呪文ではな
く、この人さらいの章の中での、地の文の呪文になつてゐます。それを示すのが、
この呪文の両
端にある「――」の意味でありませう。」

このことから見ると、安部公房の呪文の使ひ方による存在の物語の存在化の深まり
の度合ひは次のやうになつてゐる。呪文に関する存在化深化の表記規則です(以下
「呪文存在化深化規則」と呼ぶ事にします)。

①呪文を地の文にベタで書く
②呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「――」と「――」
③呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「――」と「……」
④呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「―」と空白:最後の端には記号を置か
ずに余白とする。
⑤呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「(」と「)」:存在の記号( )を使
ふ。

安部公房の呪文は、この5つの順序を踏んでゐる。

この「――トントコ トントコ トントン トントコ……」は、③のステップの呪
文であることになります。

この呪文の本体の末尾の記号が段々と実線から点線になり、点線が空白になるの
は、存在になつてゆき、呪文のあり方が深化して存在の存在の存在に達する事によ
つて透明になつてゆき(透明感覚)、最後には( )に記号化されて存在になるか
らです。

yy サイホン式のコーヒー・メーカー(168ページ上段):存在
yyY 「二度目の雷が鳴った」後に「突風、そして屋上で巨大な鳴り独楽が吠え
た。」(169ページ上段):突風と其の風の音。次には同じ甲高い音として老人
の呻き声が響く。
yyYY 甲高い音(169ページ上段):「再び老人が呻きはじめた。」
zz 3といふ数字(170ページ上段):「縄文人が三本目のタバコに火をつけ
た。」

⑰⑰尻尾をかじって穴を開けられた鯛焼き(171ページ上段):存在:「食うの
は、尻尾の先からだよ。なんたって、尻尾が命なんだ。」:この解釈については上
記「uu どんどん焼きは「皮より餡が命だからな」(166ページ上段)」を参照下
さい。

ここで上記の鯛焼きは「皮より餡が命だからな」(166ページ上段)に関係して
ゐる。「皮より餡が命」と「尻尾が命」を比べると、餡と尻尾が命といふことにな
る。尻尾は何よりも命なのであらうか。安部公房の「空白の論理」によれば、鯛焼
きの本体といふことになり、尻尾を齧つて本体だけにして中の餡子を吸つて空にす
る(171ページ上段)といふ縄文人の言葉を聞けば、即ち此れは第1章の最後に
出てきた、尻尾のない一筆描きの豚と同じ形象になる。尻尾のない豚が、「空白の
論理」によつて、鯛焼きの尻尾によつて沈黙と余白に表された鯛焼き本体になつて
ゐるといふことです。安部公房の世界です。

⑱⑱看護婦の詰所(172ページ上段):存在
aaa 風(170ページ下段):「末端肥大のギブス男が、子供のような笑みを浮か
べて姿を現した。容量だけで体重のない、煙か風船の柔らかさだ。」:この「風
船」の風の連想があるので、次の老人の甲高い呻き声が繰り返し、呪文として響
く。
bbb 甲高い声:呻き声(171ページ上段):主人公が「二匹目を尻尾から齧り終
えたとき。またも廊下の同人の、遠吠えを思わせる苦悩の呻きが始まった。」:甲
高い声。これが三度目の呻き声。「二匹目を尻尾から齧り終えたとき」に。
ccc 片道切符(172ページ上段):「学生がシャツのポケットから取り出した」
「まだ二十二回分のこっている」「電話のカード」
ddd 3といふ数字(172ページ上段):「老人が眠りに落ち、看護婦が詰め所引
き返すのを確認して、一気にボタンを押した。呼び出しのベルが鳴りはじめる。三
度目のベルで応答があった。」
eee 風の音(173ページ下段):「誰かが何処かで溜め息をついた。」安部公房
が成城高校時代に読み耽ったリルケの詩の世界では、溜め息は風であり、従ひ存在
である。この風が吹いたあとで、次の3といふ数字のある一行が来る。
fff 3といふ数字(173ページ下段):「学生が壁からカレンダーをめくり(あと
三日で月替りだ)、テーブルにひろげてアミダ籤の作成をはじめた。運命を左右す
る横線の一本々々に、何やら念じながら息を吹きかけている。」:これは初期安部
公房で頻出した「運命の顔」に関係する未来の時間・人間・運命・存在についての
アミダ籤。ここでは哲学用語はもはや現れず、『S・カルマ氏の犯罪』の軽みを帯て
ゐる。「念じながら」「吹きかけている」息は、勿論存在の風。このアミダ籤は、
甲高い呻き声を繰り返す老人を安楽死殺人するためのアミダ籤である。

ggg トマト(174ページ上段):「完熟トマト」:これは第1章の冒頭の「健康
のために、小粒のトマトを三個まとめてかみ潰す」とあつたトマトに対応するトマ
ト。ここでは完熟したトマトになつてゐる。第1章での3個のトマトといふ3とい
ふ数字で数へられたトマトが、ここでは完熟してゐるので、何個であれ完熟したも
のは1として数へれば、3が1に、即ち存在になつてゐるといふことである。

hhh 3といふ数字(174ページ上段):「六本めの鯛焼きをゆっくり噛みしめ
る。」6は3の倍数であることから、6は単位化すれば3だと解することができ
る。
hhhH すすり泣き(174ページ下段):呪文:「続けるばかり」である「すすり
泣き」
風(174ページ下段):「吹きすさぶ風。風の中の風の音。あれはまぎれもなく
祭りの賑わいだ。」:hhhI 存在。存在の祭りは「風の中の風の音」、即ち存在の中
の存在の中にある。「1。2。1 量としてある言葉の視点から見た内容」を参照
ください。

この第6章から第7章人さらいへの結末継承の接続をまとめると次のやうになる。

   第6章風の長歌の終はり        第7章人さらいの始め
(A)風の長歌(鎮魂歌):      (風の反歌(鎮魂歌)):この題は沈黙
と余白に置かれてゐる
(B)「吹きすさぶ風。風の中の風の音」:「吹きすさぶ風」:存在の中の存在の
中で吹く激しい風
(C)「祭りの賑わい」:        人さらい:人さらいの四行詩:これが
(風の反歌)である
(D)「吹きすさぶ風。風の中の風の音」:「速度の違う大気の流れが、上空摩擦
し合う音」:超越論的
                    な遅延の発生:第7章での次の存在の
世界の誕生

第7章:人さらい
冒頭に安部公房の概念連鎖の一式を掲げてから、この最終章の本題に入ります。こ
の概念連鎖一式にいつも戻つて考へませう。
ー「地獄谷みたいな硫黄泉」の臭ひー硫黄泉の露天風呂ー存在の凹ー賽の河原ー呪
文類ー満願駐車場ー未分化の実存の子供達ー窓ーサーカスー人さらいー列車ー駅ー
交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)ー笛の音(警笛の音)ー(時間
の断面の複数の断層ー「私」の自己増殖ー)風の音ー祭り(ーサーカスー人さら
い)ー

結末継承によつて此の冒頭に吹く風は、「ぼくを誘っている音……呼んでいる
声……」とあるので(175ページ上段)、3つの風のうち、「③次の存在へと主
人公をさらつて行く風」である。そして、この第6章と第7章の間に服結末継承の
接続として詠はれてゐるのが、次の四行詩である(第6章の風の長歌に対するに)
第7章の風の反歌といふべき(この反歌といふ文字は沈黙と余白に隠されてあ
る)、安部公房の口語自由詩による始まりである。人さらいの呪文の詩、人さらい
に来て欲しいといふ祈願と鎮魂の歌です。

「むかし人さらいは
 子供たちを探したが
 いまは子供たちが
 人さらいを探している」

上の詩の最初の二行と後半の二行にある詩行は次のものです。これは、第7章の最
後に其の全体が唱へられる安部公房の詩であり、呪文です。この冒頭では「空白の
論理」に則り、沈黙と余白の中に置かれてゐます。

「すべての迷路に番号がふられ
 子供の隠し場所がなくなったので
 いま人さらいは引退し
 子供たちが人さらいを探して歩く」

これと同じ詩を私たちは『燃えつきた地図』のエピグラフにあるのを知つてゐま
す。

「 都会――閉ざされた無限。けっして
 迷うことのない迷路。すべての区画に、
 そっくり同じ番地がふられた、君だけ
 の地図。
  だから君は、道を失っても、迷う
 ことは出来ないのだ。」
(全集第21巻、114ページ)
この小説の主人公の探偵は、人さらいにあつた依頼人の夫を探してゐるが、人さら
いに攫(さら)はれたのは今は昔、「いまは」探偵が人さらひを探してゐる物語、
これが『カンガルー・ノート』からみた『燃えつきた地図』の話だといふことにな
ります。勿論、この逆もまた等価交換であり得る。『カンガルー・ノート』の主人
公は、存在といふ等価交換可能な地獄巡りをするわけですから、

「 存在――閉ざされた無限。けっして
 迷うことのない迷路。すべての地獄に、
 そっくり同じ番地がふられた、君だけ
 の地図。
  だから君は、道を失っても、迷う
 ことは出来ないのだ。」

といふことでありませうし、迷路とは実は箱にほかならないこと、箱は迷路である
ことは、[註13]の概念連鎖から明らかですから、存在を箱と置き換へてもよ
く、迷路を存在と置き換へてもよく、迷路を箱と置き換へても良い。超越論と、即
ち汎神論的存在論の安部公房の世界です。

[註13]
安部公房が奉天の幼稚園で、もつと大きい積み木を調達してもらつたことのエピソ
ードを『安部公房伝』(安部ねり著)より引用します。

「幼稚園のころからすでにある種の特異性を発揮していたのか、担任の先生は、ふ
つうの積み木は公房には小さすぎるからと、大きな積み木を特注した。」(『安部
公房伝』21ページ)

安部公房は積み木で家を作つて、その中に潜り混んだのに違ひありません。この郷
愁は、大人にもある。子供なら庭にある小さな家だとか、あるいは樹上のツリーハ
ウスだとか、あるいは、茶室だとか、幼稚園の頃からの安部公房の嗜好である段ボ
ール箱であるとか、あるいは洞窟探検とか、従ひ迷路だとか(かうしてみると、迷
路は箱の一種です)、もつと連想のままに挙げると、オルゴール箱だとか、宝石箱
だとか、浦島太郎の玉手箱だとか、何か小さ
な箱は貴重なものである、確かに小さな箱には(例え菓子箱であるにせよ)捨て難
たい魅力がある、等々。かうして見ると、安部公房の世界といふのは、幼稚園の逸
話も考慮に入れると、思考のブロツクで積み上げた積み木の世界なのかも知れませ
ん。さうして、いつも御破算にして、新たな積み木を積み上げ、無意識の世界の中
の思考の子宮の中に潜り込む。存在の中の存在の中の存在の中の物語が、安部公房
の小説世界である。存在の差異の差異の差異の中に潜り込む。そして、この構造
は、この論考で証明してゐるやうに、実際その通りです。
iii 満願駐車場の呪文(175ページ下段):この章の最初の呪文
「――満願駐車場カラノオ知ラセシマス。駐車場ハ閉鎖シマシタ。アナコンダ地蔵
尊ノ寄付ノ受ケ付ケモ間モナク締メ切ラセテイタダキマス。オ急ギクダサイ、オ急
ギクダサイ。」(179ページ
下段)満願駐車場の呪文についての詳細は「(15)満願駐車場の呪文」を参照く
ださい。

jjj 呪文(175ページ下段):「――オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイ
ダカラ タスケテヨ……」:これは上記で明らかにした「呪文存在化深化規則」の5
つのステップに従ひ、「オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タス
ケテヨ」といふ本体を持つ呪文は、次の通りのステップを踏んでゐます。

①呪文を地の文にベタで書く:第3章火炎河原(122ページ、124ページ下
段、127ページ下段、128ページ下段);第6章風の長歌の満願駐車場の呪文
(一つ目の呪文)(164ページ上段)
②呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「――」と「――」:第6章風の長歌:
引用符の「 」の中で。(161ページ下段)
③呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「――」と「……」:第7章人さらいの
満願駐車場の呪文(二つ目の呪文)(175ページ下段)
④呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「――」と空白:最後の端には記号を置
かずに余白とする。:第7章人さらいの満願駐車場の呪文(三つ目の呪文)(17
9ページ下段)
⑤呪文の両端に記号を置く。組み合わせは「(」と「)」:存在の記号( )を使ふ
(188ページ上下段)

この呪文は③だといふ事になります。このあと④⑤と深化して行きます。

この呪文の本体の末尾の記号が段々と実線から点線になり、点線が空白になるの
は、存在になつてゆき、呪文のあり方が深化して存在の存在の存在に達する事によ
つて透明になつてゆき(透明感覚)、最後には( )に記号化されて存在になるから
です。

kkk 片道切符(177ページ上段):小さな立て札:縄文人が「花札を扱う手付き
でぼくの両側に滑らせてよこした」「重ねたまま」の「十数枚のポラロイド写真」

⑲⑲「少女だけの首無し写真」(首の無い少女)(177ページ上段):存在。
⑪「警官が示した「薄い書類挟みから」取り出した「葉書大のカード」に描かれた
『尻尾』のない豚」と⑰⑰の尻尾を齧つた鯛焼きと同じで、凹の形象。

lll 靴(178ページ下段):存在
mmm《非常口》(179ページ上段):脱出のための坑道、トンネル。《 》その
他の記号については「3。『カンガルー・ノート』の記号論」に分類して、詳細に
列挙してあるので参照のこと。ここでは、いよいよ最後の章で主人公が次の存在に
脱出するので挙げることにします。

nnn 満願駐車場の呪文(179ページ下段):第7章二つ目の呪文:
「――満願駐車場カラノオ知ラセシマス。駐車場ハ閉鎖シマシタ。アナコンダ地蔵
尊ノ寄付ノ受ケ付ケモ間モナク締メ切ラセテイタダキマス。オ急ギクダサイ、オ急
ギクダサイ。」(179ページ下段)

ooo カンガルー・ノート(180ページ下段):到頭この章に至つて第1章の《カ
ンガルー・ノート》が地の文にベタで書かれるまでになつて、日常の時間の中の言
葉になつた。
⑳⑳「細い灌漑溝」(181ページ下段):存在。かいわれ大根と同じ形象。凹の
集合。
「遊園地の大型電話ボックスのような」満願駐車場の管理人の小屋(181ペ
ージ下段):存在
ppp 3といふ数字(182ページ下段):「昔は海水浴なんかも出来て、単線の電
車が日に三度も往復していたらしいですね」
qqq「垂れ目の少女」(183ページ上段):「待避線があって、すれちがった遊
園地の周遊電車に垂れ目の少女が乗っていたっけ。もしかするとこの風に乗ってぼ
くを呼んでいるのは、彼女じゃないかな。ややこしいから、符丁をふっておくこと
にしよう。」
rrr 3といふ数字(183ページ上段):「垂れ目の少女」:「垂れ目A……垂れ目
B……垂れ目C……」:「Aは最初に出会い、後でまた再会した泌尿器科の看護婦。
Bはいましがた意識にのぼった、周遊電車ですれちがった少女。Cは当然賽の河原で
歌っていた小鬼たちの一人である。」

sss 甲高い音が二つ(183ページ上段):ベルの音と鋭い呼び子の音。最終電車
の到着を告げる音。上記の甲高い音が二つとサーカスと人さらいは、一式になつて
ゐる。甲高い音と風は連鎖してゐますから、「耳栓をしたように風が吠えるのをや
めた。」(183ページ下段)といふ一行が続きます。再度概念連鎖の一式を見る
と、この場面は次の概念連鎖の赤字にした連鎖であることがわかります。「「私」
の自己増殖」は、ここでは「垂れ目の少女」の「私」の自己増殖である。
ー「地獄谷みたいな硫黄泉」の臭ひー硫黄泉の露天風呂ー存在の凹ー賽の河原ー呪
文類ー満願駐車場ー未分化の実存の子供達ー窓ーサーカスー人さらいー列車ー駅ー
交通体系ーポイントの切り替え(支線から本線へ)ー笛の音(警笛の音)ー(時間
の断面の複数の断層ー「私」の自己増殖ー)風の音ー祭り(ーサーカスー人さら
い)ー

ttt 窓(184ページ上下段):「垂れ目の少女」は未分化の実存の子供達の一人で
あるので、窓から入り(184ページ上段)窓から出る(184ページ下段)。
tttT サーカス(184ページ下段):「サーカス、また遅れているみたい。見物し
ながら、食べようよ。ビール飲む?」:サーカスは、未来の定時定刻に対して超越
論的に遅延する。超越論については『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら
通信第67号)を参照下さい。明解に論じました。このサーカスの遅延についての
「垂れ目の少女」Bの言葉は、下記の「yyyY サーカス(185ページ上段)」の同
じ少女によるサーカスの到着の言葉、即ち未来の定時定刻に対して超越論的に遅延
する到着についての言葉と連絡してゐる。即ち、超越論的遅延には過去の定時定刻
も未来の定時定刻もない。誰もいつ着いたのか(始まったのか)、いつ終わったの
か(いつ着いたのか)、わからない。

ここには、窓ー「垂れ目の少女」ーサーカス(の超越論的遅延による到着)ー人さ
らい。といふ連鎖がある。

uuu 薪ストーブ(184ページ上段):存在
寝袋(184ページ上段):存在
vvv 手鏡(184ページ上段):(時間の断面の複数の断層ー「私」の自己増殖
ー)といふ概念連鎖から、手鏡が必要。『デンドロカカリヤ』のコモン君が時間の
断面に合はせ鏡で別の次元にゐる何人もの自分自身の姿をみる(全集第2巻、23
6ページ上段)ことに同じ。
www 運送用の本箱(184ページ上段):存在
xxx ピクニック用のコンロ(184ページ上段):存在
yyy 小型の湯沸かし(184ページ上段):存在
アルミのコップ(184ページ上段):存在
紅茶の袋(184ページ上段):存在
お風呂(185ページ上段):存在
缶ビールの缶(184ページ上段):存在

yyyY サーカス(185ページ上段):「ほら、聞こえるでしょう、サーカスが着い
たみたい」
yyyYY 窓(185ページ上段):「垂れ目のBが窓際に立っていた。」窓は存在の
部屋の窓。「垂れ目の少女」Bは、主人公を窓から外へと連れ出して、次の存在は案
内する。安部公房の窓については『もぐら感覚5:窓』(もぐら通信第3号)にて
詳述しましたので、お読み下さい。
zzz シャーマンたる主人公の意識(185ページ下段):「垂れ目の少女」Bの「憧
れをこめた視線。どうしよう。誤解にまかせ、人さらいの演技を続けるべきだろう
か?誤解でこの娘が満たされるのなら、ぼくはいっこうに構わない。ただまずいの
は、演技を続けられるほど、人さらいについて知識がないことだ。」『(霊媒の話
より)題未定』の主人公の意識と同じ。

aaaa ピンク・フロイドの『エコーズ』(186ページ上段):呪文。繰り返される
木霊であるから。
bbbb 3といふ数字(186ページ下段):「六つの電動ドアが一気に開い
た。」。6は3の倍数。「六本めの鯛焼きをゆっくり噛みしめる。」(「hhh 3と
いふ数字(174ページ上段)」)と同じ。6は単位化すれば3だと解することが
できるので、ここでも時間は、時間の中の数を単位化することによつて、存在しな
いことになる。

cccc 呪文(187ページ下段):第7章の冒頭の四行詩が反歌とすれば、この四行
詩を含む、これは長歌である。
dddd 箱(188ページ上段):存在。「大型冷蔵庫でも入りそうな、段ボール箱
を運んでくる。」この箱は、第1章の小さな《提案箱》に対応する存在の箱。

eeee 呪文(188ページ上段):(オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダ
カラ タスケテヨ)「呪文存在化深化規則」の、存在の記号( )を使つた最終の5
ステップ目。
ffff 呪文(188ページ下段):「遅れてやってきた人さらい」の歌。人さらいが何
故遅れてやつて来るかについては、『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら
通信第67号)で詳細に論じましたので、これをご覧ください。
gggg 呪文(188ページ下段):「遅れてやってきた人さらい」の呪文の後に再度
(オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ)の存在の呪文
が。

hhhh 覗き穴(189ページ上段):上記「垂れ目の少女」Bの手鏡(「vvv 手鏡
(184ページ上段)」)に当たる、今度は主人公が再帰的に自分自身の姿を覗き
見るための手鏡である覗き穴。

以上

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