You are on page 1of 57

世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信    Mole Communication Monthly Magazine


2019年5月1日 第80号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ 美の極致が古代の遺跡であるように美しいものはいつも何かの抜け殻にきまっ
ただ を通
けの って ていた。
番地
に届
きま 『美について』(全集第9巻、435ページ上段)

ヨルダンで撮影したダリの絵みたいな景色

安部公房の広場 | s.karma@molecom.org | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                           ページ 2

    
               目次
0 目次…page 2
1 記録&ニュース&掲示板…page 3
2 『カンガルー・ノート』論(14):5。3 存在を招来する/5。3。2 存在の中
の存在の中の存在の話2:第4章:ドラキュラの娘:岩田英哉…page12
3 安部公房のアメリカ論(3)∼贋物の国アメリカ∼:ドーナツとは何か:岩田英哉…
page27
4 安部公房とチョムスキー(8):今回は休載:岩田英哉…page 49
5 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(25)∼安部公房をより深く理解する
ために∼:岩田英哉…50
6 連載物・単発物次回以降予定一覧…page 53
7 編集後記…page 56
8 次号予告…page 56

・本誌の主な献呈送付先…page57
・本誌の収蔵機関…page 58
・編集方針…page 57
・前号の訂正箇所…page57

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。
そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                           ページ 3

  ニュース&記録&掲示板

The best tweets 10 of the month

Yoshihiro Ishii@YoshihiroIshii1 3月22日


en M
ole 安部公房のものはもう読まないことにした
Gold
Priz
e 憂鬱でたまらん

er
Silv
e
Mol
該当なし

今月の読書会
ふみ子@読書垢・趣味垢@akutagawa_ranpo 10時間前
※ツイッター読書会のお知らせ※
定期・訂正
#ツイッターで読書会・壁
上記のハッシュタグを付けてツイッター内で読書会を開催しています
お題→安部公房「壁」
日付→4月30日まで(訂正しました)
参加はご自由に
#拡散希望RTお願いします

今月の朗読会
人肉食用反対陳情団@6dystopiandream 3月21日
再始動・劇団暗黒卿の夢旗揚げ公演
『人肉食用反対陳情団と三人の紳士達』(安部公房作)リーディング公演
場所 スタジオ犀
日時
14日 14時、18時
15日 11時、15時、19時
入場料 500円
公演後にアフタートークがあります。

朗読者 in the world@roudoku_sha 3月30日


安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp
アンソロジスト・東雅夫氏が満を持して「安部公房」を語ります!!どんな話が飛
び出すのか、今からゾクゾクしますね。ぜひともお聞き逃しなく!!!!
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 4

2018/4/14sat 17:00
@KAF_GALLERY
『おばけと公房』 ―戦後幻想文学
史の視点から―
▼ご予約・詳細▼
http://www.roudokusha.com/
2018/03/week.html …

今月の安部公房ワークショップ
寂光根隅的父@jakopapa 3月21日
大好評の「安部公房のシステムによる演劇ワー
クショップ」、2年ぶりの開催が決定!定員
は20名、お早めに!! 詳細はこちらから 
→ https://www.facebook.com/events/
2003256803255890/ …

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                           ページ 5

今月の安部公房特集
勝見博士@TheBoxMan_A 3月21日
『一個人』は文士宿の特集、買うまでもないかなぁと思ってたら安部公房特集が
組まれてたので買ってしまった

没後25年も経つのか…安部公房の再評価はよ! pic.twitter.com/09VI8V0yBO

今月の安部公房の新刊
大阪市大 文芸部@Bungeibu_OCU 3月21日
@Bungeibu_OCU 【新刊お知らせ】安部 公房『内なる辺境/都市への回路』
http://booklog.jp/item/1/4122064376 … #ブクログ新刊

今月の読書会
石井あやこ@aco_pretty 3月30日
カンガルーノート、安部公房、読み終わったーーーっ。8日のmook Book倶楽部の
テーマ本。この前衛的な感じ。ザ.物語って感じで、安部公房独特の異世界。闇莫っ
て。造語。

onecafe 学生哲学カフェ@onecafe_ 3月29日


4日(水) 心がキレイとは何か
8日(日) 無題
11日(水) 客観視は可能か
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp
18日(水) ブックカフェ「無知はどこまで許されるのか」
20日(金) 結婚を前提としないカップルの意味
26日(木) ブックカフェ『友達』(安部公房著)
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 6

hirokd267@hirokd267 3月19日
@maihana124 こんにちは。関西安部公房オフ会第14回読書会『人間そっくり』3/
11は8名の参加にて楽しく話し合うことが出来ました。この模様をYouTubeにUP
しています。
前編 https://www.youtube.com/watch?v=-qFwTobr2Bo …
後編 https://www.youtube.com/watch?v=G1D_70KcgqU …
なお次回は『幽霊はここにいる・どれい狩り』日は未定です。

今月の団地文学
忍澤勉@oshikun 3月19日
「層 映像と表現 vol.10」 樺山三英さんの「団地の文学史」、安部公房の『燃え
つきた地図』、後藤明生の諸作、古井由吉の「円陣を組む女たち」、さらに宮内
悠介の「北東京の子供たち」などから、団地と文学との関係性を考察。昔松原団
地の中学に通い、今高島平団地の病院に通う身としても興味深い。

今月の上演
松田ミネタカ(舞台写真撮影アカ)@type4132mine 3月28日
神戸大学演劇研究会はちの巣座 様@Hachinosuza8_2
vol.160 33期生卒業公演『友達』
作:安部公房 演出:わざおぎ
場所 神戸市 神戸大学国際文化学部 
シアターD300
ゲネ撮影①
#舞台写真

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                           ページ 7

今月の箱男
ザッキー@yamadax_z 3月22日
安部公房作「箱男」を再現した文学
的遊び。
#気仙沼フェニックスフェス

寅ヲ@tretigre 3月20日
安部公房
「箱男」

今月の復刻と再販
車輪-Reboot@sy_mkII 3月19日
超絶版本だった安部公房の「けものたちは故郷をめざす」がめでたく再版ッ‼︎ 次
は「石の眼」も頼みます!

今月の他人の顔
カラヤン2008@karajan2008 3月19日
返信先: @cieloazzuraさん、@desertlanuitさん
いや、よくわかりますよ(笑 今日おききの「他人の顔・ワルツ」が勅使河原宏
監督「他人の顔」で使われている場面、ビヤホールの音楽です。→https://
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com
youtu.be/Mjb44VhZzx4 | www.abekobosplace.blogspot.jp
 仲代達矢・平幹二朗。原作者安部公房氏がカメオ出演
しててびっくり
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 8

今月の赤い繭
有川オレガ@orega2061 3月22日
憂鬱な場所からは出てゆかねばならない。自分を守るため。自分らしく自然に生
きるため。周囲と状況を嫌悪・憎悪・呪いながら生きるのはつらい。人生の敗者
になっても、最底辺生活者になっても、自分のペースでユックリ生きる。虫のよう
に。安部公房の『赤い繭』になる。宇宙は子供の玩具箱だ。永遠に。

今月の燃えつきた地図
モンゴメリーランド@montgomeryland 3月21日
ポール・オースターの「ガラスの街」、安部公房の「燃えつきた地図」をかなり参
考にしてると思うな。構成が似てる。

今月の時の崖
柿沼 慶典@keitwo88 3月21日
【いずみやイベントナイト 7月決定!!】
3月30日(金)のイベントナイト
二人芝居『歯医者のたまご』も目前ですが、
7/16(月祝)に芦田達也ひとり芝居が決定しまし
た。
『時の崖』 安部公房作
14:00∼と、19:00∼の2回公演。
チケットは1500円+1orderとなっております。
こちらも是非☆

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                           ページ 9

今月の『デンドロカカリヤ』
朗読者 in the world@roudoku_sha 21時間前
澁澤龍彦/編「変身のロマン」には安部公房「デンドロカカリヤ」が、東雅夫/編「ド
ラコニアの夢 」澁澤龍彦には「変身のロマン」の解説がそれぞれ採集されていま
す。同じ文章でも編者の意図が加わることで見え隠れするものが変わってくるのが、
興味深い。文章は生きている、と感じます。

今月の『パニック』
鯖井テトラポット@saba_tet1126 3月27

この記録は、
失敗も他人の
手にわたれば智恵になるのコトワザにしたがって、
失業者諸君ならびに現在の平凡な職業に絶望している
人たちにおくる忠告である。「パニック」安部公房

今月の映画『箱男』
ホッタタカシ@t_hotta 3月25日
山口果林『安部公房とわたし』によると、石井聰亙
&荒戸源次郎から『箱男』映画化の打診を受けた安部
公房は、『ツィゴイネルワイゼン』や『どついたるねん』と共に『半分人間 1/2
MENSCH』も観たという。「石井監督の感性はジム・ジャームッシュに似ている
ね」などと話して映画化を快諾した。

今月の安部公房の講演:箱男
のぶ @Remsleep5115 3月19日
小説を生む発想について 安部公房 「箱男」匿名と民主主義
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCB2776564630D95D

今月の贋箱男
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp
昭和精吾事務所@showa_terayama 3月18日
昭和精吾事務所さんがこもだまり[昭和精吾事務所]をリツイートしました
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 10

事務所公演に出演する俳優、麻宮チヒロ 作・演出『箱男からの思想』が3/22-26上
演。安部公房「箱男」に着想を得たオリジナル作品です。出演には本人のほか、7月
出演者の左右田歌鈴さん、鋤柄拓也さんも。 昭和精吾事務所さんが追加

こもだまり[昭和精吾事務所]@mari_air
日誌更新 Air*Log : 告知※関連舞台)3/22-26 麻宮チヒロ作・演出「箱男からの思
想」舞台芸術創造機関SAI http://komodamari.blog.jp/20180318.html

今月の桂川寛
今村 博 hiroshi imamura@pop_group 3月17日
今村 博 hiroshi imamuraさんが【公式】東京国立近代美術館 広報をリツイートし
ました。MOMATコレクション 桂川寛 安部公房 壁挿絵も良かった!

今月の感想文
☆しもうさ☆@_simousa_ 3月18日
【第四間氷期 (新潮文庫)/安部 公房】おっもしれえ∼∼∼∼ → https://
bookmeter.com/reviews/70715151 … #bookmeter

ふみ子@読書垢・趣味垢@akutagawa_ranpo 3月17日
閉鎖された町、革命がテーマですが、読み進めるうちに小さな組織、例えばご近所
付き合いとか学校とかに例えると...『飢餓同盟 (新潮文庫)』安部 公房 ☆5 http://
booklog.jp/users/murasaki69/archives/1/4101121044 … #booklog

今月の安部公房論
詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月21日
〈おれ〉の〈ユダヤ性〉にみる実存的状況 : 安部公房『赤い繭』論 http://
ci.nii.ac.jp/naid/110000437716 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月21日
流動と反復--安部公房『砂の女』の時間 http://ci.nii.ac.jp/naid/40006048786 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月20日
劣性の思想̶安部公房『カンガルー・ノート』論
http://ci.nii.ac.jp/naid/120000980678 …

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com
詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月20日| www.abekobosplace.blogspot.jp

書物の「帰属」を変える(3)安部公房『箱男』と虚構の移動性 http://ci.nii.ac.jp/
naid/40020255668 …
もぐら通信
もぐら通信                           11
ページ

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月20日
メビウスの輪--安部公房「砂の女」 (特集 脇役たちの日本近代文学) -- (脇役28選)
http://ci.nii.ac.jp/naid/40005656921 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月18日
〈おれ〉の〈ユダヤ性〉にみる実存的状況 : 安部公房『赤い繭』論 http://
ci.nii.ac.jp/naid/110000437716 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月18日
安部公房「壁あつき部屋」試論--罪責の行方 http://ci.nii.ac.jp/naid/
40015983416 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 3月18日
自由と反復 : 安部公房『砂の女』論 (特集 変容する欲望 : 高度経済成長期を読む)
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019623991 …

今月の安部公房全集
愛書館・中川書房@aisyokan 3月20日
【入荷情報】『安部公房全集 全30冊揃
い(29巻+別巻)』入荷いたしました!昭
和後期から国際的に活躍した小説家・劇
作家、安部公房の全集です。最終巻には
新たに発見された作品と幻の映画用シノ
プシスなど70篇を収録。CD-ROMの
書誌付きです。#新潮社 #安部公房 #日
本文学

今月の他人の顔2
山Kンジ@Knji366 3月24日
『他人の顔』 安部公房

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                          ページ 12

『カンガルー・ノート』論
    (14)
岩田英哉

目次

0。はじめに

1。結論:この小説には何が書いてあるのか
1。1 様式について
1。2 内容について
1。2。1 量としてある言葉の視点から見た内容
1。2.2 質としてある言葉の視点から見た内容

2。『カンガルー・ノート』の呪文論 青字は前回までに
2。1 呪文とtopologyと変形の関係
て論じ終つたもの、
3。『カンガルー・ノート』の記号論 赤字は今回論ずるもの、
3。1 章別・記号分類 黒字はこれからのもの
3。2 記号別・記号分類

4。シャーマン安部公房の秘儀の式次第

5。シャーマン安部公房の秘儀の式次第に則つて7つの章を読み解く
5。1 差異を設ける:第1章:かいわれ大根
5。1。1 存在と存在の方向への標識板と超越論の関係
5。1。2 安部公房の幾つかの文章(テキスト)を超越論で読み解く
(1)『カンガルー・ノート』
(2)『さまざまな父』
(3)再び『カンガルー・ノート』
(4)『砂の女』
(5)『魔法のチョーク』
5。1。3 如何にして主人公は存在になるか
5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論
(1)《提案箱》
(2)《カンガルー・ノート》
(3)袋
(4)《かいわれ大根》
(5)開幕のベルの音
(6)二種類の救済者
(7)片道切符
(8)手術室と手術台
(9)自走するベッド
(10)自走ベッドによる章の間の結末継承(1)
(11)何故人間は《かいわれ大根》を吐かねばならないのか
(12)人面スプリンクラー
(13)(欠番)
もぐら通信
もぐら通信                          13
ページ

(14)温泉療法
(15)満願駐車場の呪文
(16)風の音
(17)笛の音
(18)駐車場
(19)「進入禁止」の立て札
(20)サーカス
(20.1)サーカス(その2):『カンガルー・ノート』の象と『S・カルマ氏の犯罪』の《シロクマ》
(21)列車
(22)呪文
(22.1)呪文類の分類
(22.2)章別・呪文解説
(22.3)何故ローリング族は象の皮の太鼓を叩いて踏切を渡るのか?
(23)尻尾
(24)『カンガルー・ノート』の中の3といふ数
(25)自走ベッドによる章の間の結末継承(2)

5。1。4。1 寓話とは何か

5。2 呪文を唱える:第2章:緑面の詩人

5。3 存在を招来する
5。3。1 存在の中の存在の中の存在の話1:第3章:火炎河原
5。3。2 存在の中の存在の中の存在の話2:第4章:ドラキュラの娘

5。4 存在への立て札を立てる:第5章:新交通体系の提唱
5。5 存在を荘厳(しょうごん)する:第6章:風の長歌:長歌(鎮魂歌)
5。6 次の存在への立て札を立てる:第7章:人さらい:反歌(鎮魂歌)
5。7 再度3といふ数:3とは何か

6。安部公房文学と大地母神崇拝∼神話論の視点からみた安部公房文学∼
 (i)『カンガルー・ノート』論の論点を整理する
 (ii)神話論
 (iii)父権宗教と大地母神崇拝
 (iv)安部公房は大地母神を選び、父権的存在を殺した
 (v)父権宗教と大地母神崇拝の差異
 (vi)言語機能論と胎内回帰
 (vii)大地母神崇拝と日本SF文学の意義
 (viii)言語の再帰性に関する安部公房の考へ:言葉は母である
 (ix)父権宗教であるユダヤ教とキリスト教の差異
 (x)大地母神崇拝と『箱男』
 (xi)大地母神崇拝と三島由紀夫

7。附録 章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」(v3)

*****
もぐら通信
もぐら通信                          ページ14

5。3 存在を招来する
5。3。2 存在の中の存在の中の存在の話2:第4章:ドラキュラの娘
この第4章の性格を、「2。『カンガルー・ノート』の呪文論」(もぐら通信第66号)より
以下に引用して思いひ出すことにしませう。

「さて、この作品に呪文類の出てくる章は、次の通りです。

(1)第1章:かいわれ大根:呪文
(2)第2章:緑面の詩人:呪文
(3)第3章:火炎河原:御詠歌、呪文
(4)第4章:ドラキュラの娘:なし。空白の章。
(5)第5章:新交通体系の提唱:御詠歌、古謡
(6)第6章:風の長歌:呪文
(7)第7章:人さらい:詩、呪文

第4章のドラキュラの娘に呪文の唱へられないのは、存在の凹の空間、即ち存在の交差点、存
在の十字路がなく、脱出するための閉鎖空間がないからです。即ち、第4章は、次の存在との
上位接続(conjunction)の場所ではないことを示してゐます。以下にもう少し仔細に見てみま
せう。

「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」の「(10)自走ベッドによる章の間の結
末継承」の結論の一つを先取りして此処でお伝へしますと、第1章で主人公が夢を見て「一般
にノートはポケットに入れるものですね、そのノートにさらにポケットをつけ足す……そのポ
ケットに、さらにノートを重ねていくと……」とあつて、夢で存在の構造の予兆を知るやうに
(全集第29巻、84ページ下段)、この『カンガルー・ノート』といふ物語の前半は、第1
章、第2章、第3章と地下へ地下へ地下へと垂直方向に、存在の中の存在の中の存在の中へと
文字通りに段々と下降してゆく物語なのです。

さうして、三層目[註1]の存在の中で、存在を招来するする章として第3章の火炎河原と第
4章のドラキュラの娘があるのですが(「5。シャーマン安部公房の秘儀の式次第に則つて7
つの章を読み解く」を参照)、前者には呪文類があるのに対して、後者にはそれがないのは、
何故か。

[註1]
第66号では「四層目」とありますが、「三層目」が正しい。訂正します。

(1)一つの目の理由は、安部公房らしく対称性を大切にして此の章を7つの章の真ん中に配
したといふ様式上の均衡(バランス)のことがあるでせう。
(2)二つ目の理由は、内容の上から見ると、章の間の結末継承は「5。1。4 『カンガ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ15

ルー・ノート』の形象論」の「(10)自走ベッドによる章の間の結末継承」で詳述しますが
(引用者註:同じ第66号にて既述です)、ここで今かいつまんで結論だけを申し上げれば、
「自走ベッドによつて接続される章としてあるそれぞれの空間と空間の接続、即ち結末継承は、
次のやうに色々な意味でtopologicalな接続になつてゐる」わけですので、第4章の前後の章と
の結末継承をご覧になれば、何故かといふ理由は理解することができます。その結末継承の接
続は、次のやうになつてゐるからです。

「(3)第3章火炎河原と第4章ドラキュラの娘の接続:雨:天から地へ。(2)の(第2章
の結末の)接続の水であることを残したまま更に垂直方向の下降接続。(リルケに学んだ)天
地の間を永遠に循環する存在としてある水脈の形象。

第1章、第2章、第3章と下降、下降、下降と3回の接続を下に降りて行き、存在の中の存在
の中の存在に辿り着くと、下記の通り、第4章はドラキュラの娘の章であり、第4章と第5章
新交通体系の提唱と、それから第5章と第6章風の長歌の結末継承は、存在(凹)同士の再帰
的な接続になつてゐる。存在同士の接続とは、垂直も水平も方向がないといふ意味である。
(略)

(4)第4章と第5章の接続:《かいわれ大根》入りの味噌汁:凹の中の《かいわれ大根》か
ら凹の中の《かいわれ大根》への再帰的な接続。存在へと存在自体が回帰するための接続。下
記(5)の(第5章の冒頭の)冷たい接続に対して、この章の結末継承は、味噌汁なので暖か
い接続であり、暖かい凹の形象である。」

上記の引用に「第4章と第5章と、それから第5章と第6章の結末継承は、存在(凹)同士の
再帰的な接続になつてゐる。存在同士の接続とは、垂直も水平も方向がない」とあるやうに、
第4章ドラキュラの娘は第5章新交通体系の提唱に対して接続上「凹の中の《かいわれ大根》
から凹の中の《かいわれ大根》への再帰的な接続。存在へと存在自体が回帰するための接続」
であるので、同じ存在を招来する章とはいへ、第2章は、「第2章と第3章の接続:水から水
へ、運河から運河へ。(リルケに学んだ)存在の海の形象が背後にある。「こんどは下り階段
だ」とあるので、(1)の(第1章との)接続と同様に垂直方向の下降接続。(略)」である
以上、第3章火炎河原はその始めに垂直方向といふ方向性を備へた接続を備へてをります。こ
れが第4章ドラキュラの娘とは異なるのです。

しかしこの第3章に対して、今度は第4章は第5章新交通体系の提唱に対して「凹の中の《か
いわれ大根》から凹の中の《かいわれ大根》への再帰的な接続。存在へと存在自体が回帰する
ための接続」であるが故に、方向を備へた接続がないといふこと、即ち差異だけのある宙に浮
いた空白の章であつて [註8]、これが7つの章の真ん中にあるといふことの、呪文類がない
といふことの意味なのです。

この第4章が「差異だけのある宙に浮いた空白の章」、即ち呪文類を唱へる章ではないことを、
安部公房は章の最初に次のやうに書いてゐます。(133ページ上下段)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ16

「驟雨に撹拌されて透明度はゼロに近い。爪先で探りながら進むと、岸から5、6歩でいきな
り深くなつた。」とある文章の意味は、透明度はゼロに近いといふことから、これはまだ存在
の世界ではないといふこと(透明感覚がないといふこと)、「爪先で探りながら進む」とは闇
同然の空白、云つて見れば白い闇であるといふこと、「岸から5、6歩でいきなり深くなつた」
とは、垂直方向に落下するといふこと、ところが此れに反して、「風が渦巻き、一瞬霧が裂け
た。上流三百メートルほどのところに、小高い丘があり、トンネルの開口部が見える。ぼくを
船ごと吐き出した、排水溝だろう。」とあつて、今度は垂直方向の上昇のことが語られてゐる
こと。このやうに垂直と水平の方向が入り混ぢるのです。乱気流に入つた飛行機と同じ状態と
いふわけです。

さて、従ひ、第3章には呪文類があるが、第4章にはなく、第5章に呪文類が(存在への立て
札を立てることと併せて)唱へられるといふことなのです。」

5。3。2。1 目次
第2章緑面の詩人以降の目次を受け継いで、第3章同様、次の目次を採用して話を進めます。

(1)冒頭共有
(2)結末継承(大)
(3)結末継承(小)
(4)差異を設ける
  (1)冒頭共有の通り。
(5)呪文を唱える
  (A)地の文の呪文
  (B)呪文らしい呪文
  (C)3回の呪文の後に登場する者
(6)存在を招来する
  (A)3回鳴る甲高い音
  (B)存在の始め
  (C)存在の終はり
(7)存在への立て札を立てる
(8)存在を荘厳(しょうごん)する
(9)次の存在への立て札を立てる
  (A)最初の立て札
  (B)最後の立て札

5。3。2 (1)冒頭共有
冒頭共有はない。何故ならば、前章と同じ(存在の3番そこの)平面上でtopologicalな非連続
の連続・連続の非連続といふ接続関係に、前章との関係があるからです。

「小鬼たちの《お助けコーラス》」や「二度目の《賽の河原の拝観バス》」とあるので、存在
もぐら通信
もぐら通信                          ページ17

の記号《 》が使はれてゐる以上、ここは依然として存在の世界です。しかし前者は「近づく気
配はない」のですし、後者はバスの配車「そのものが延期になってしまったのだろうか」とあ
るやうに、前の章との存在関係は一度断ち切られてゐます。さうして、存在のタオルケットも
「ぐしょ濡れになってしまった」ので「絞ったくらいでは間に合わない」とあるので、安部公
房は、この一枚布についても前章との関係を一度断ち切つてゐます。

しかし、この章は相変はらず前章の続きであると見える。何故ならば、シャーマン安部公房の
秘儀の式次第の様式が見当たらないからです。そして、それが証拠に[患者は手を触れないで
ください]と書かれた「プラスチックのプレート」(136ページ上下段)といふ[ ]の記
号が使はれてゐる立て札が立つてゐるからです。存在の中の存在の中の存在の章が続いてゐる
のです。

さうして、存在の中の存在の中の存在といふ閉鎖空間から主人公を救出するのが「トンボ眼鏡
の看護婦」、即ち『カンガルー・ノート』の謂はばマネキンのY子であることは云ふまでもあ
りません。

この章では、「トンボ眼鏡の看護婦」が此の章と次の新交通体系の提唱の章との接続者または
媒介者になつてゐます。この章の最後では、「いつの間にか」(超越論的時間)姿を消してを
り、次の章新交通体系の提唱の最初では、「いつの間にか」(超越論的時間)「どこからとも
なく」(超越論的空間)姿を現してをり、主人公に「いつも、あわやという時に助けに来てく
れる。劇画に出てくる、正義の味方なみじゃないか。赤いマントと、伴奏がないのが、玉に瑕
だけど」(146ページ上段)と言はれてゐます。

といふことは、次の章もまた存在の三番底の話の続きなのか、それとも話法の階層を一つ登つ
て主人公を一番上の存在の世界か、その存在の世界から更に外の世界へと連れ出すものなのか。
といふことになります。このことについては、「『カンガルー・ノート』論(14)」(もぐ
ら通信第79号)の「第4章ドラキュラの娘」で既述の主人公と「トンボ眼鏡の看護婦」の間
に交はされる此の第4章の最後の会話、

「幼い女生徒が闇の中を指差した。
「どの辺?」
「県道に出て、すぐの角。長距離トラックの近道なんだ」
(143ページ下段)(傍線筆者)

といふ会話の中での交差点で、それぞれの呪文とともに、主人公は存在の階層を上昇し、また
「(6)二人の救済者」(もぐら通信第66号)に既述の通り、次の章では新旧の交通体系が
入れ替はり、案内人の役を担ふ未分化の実存の女性も「トンボ眼鏡の看護婦」から「垂れ目の
少女」に入れ替はります。
もぐら通信
もぐら通信                          18
ページ

(2)結末継承(大)
「(3)第3章と第4章の接続:雨:天から地へ。(2)の接続の水であることを残したまま更
に垂直方向の下降接続。(リルケに学んだ)天地の間を永遠に循環する存在としてある水脈の形
象。」
(「(10)自走ベッドによる章の間の結末継承」(もぐら通信第66号))

(3)結末継承(小)
「この第3章から第4章ドラキュラの娘への結末継承の接続をまとめると次のやうになる。

     第3章火炎河原             第4章ドラキュラの娘
(A)「日が翳り、雲が崩れ落ちてくる。/:「切れぎれに先を争う雲の下から、さらに暗い  
   「雨が来そうだ」          雲がせりあがり、雨脚は激しくなる一方だ。」
(B)「すっかり馴染んだアトラス・ベッド。:「ぐしょ濡れになってしまったタオルケット」
   ひんやりと敷布に横になる。」       
(C)「風がはためく」:前章に同じ平面に接続してゐるので(差異がないので)風は吹いてゐ
ない。「風が渦巻」くのはもう少し後です(133ページ下段)。
(D)「薄いプラスチックの小箱」:「飛び箱」」
(「(25)自走ベッドによる章の間の結末継承(2)」(もぐら通信第76号))

(4)差異を設ける
  (1)冒頭共有の通り。

(5)呪文を唱える
前章、第3章火炎河原が盛大に呪文が唱へられたのとは対照的に、または対称的に、この章、第
4章ドラキュラの娘では呪文が、地の文の呪文、呪文らしい呪文ともにほとんどない。このやう
な対照性をまたは対称性を持たせた章であるにせよ、それでも前の章と同じ平面で接続してゐる
ので、からうじて次の呪文がそれぞれあるかといふ程度です。

(A)地の文の呪文
からうじて次の呪文が、地の文の呪文であるかといふ呪文です。

①「切れぎれに先を争う雲の下から」(133ページ上段)
②「チカチカ鳴って、チカチカ光る」(133ページ下段)
③「身震いしながら疾走をつづけるベッド」(134ページ下段)
④「廃校になつた木造校舎の廊下のきしみ」(135ページ上段)
⑤「二枚めの葉が浮き上がる。三枚目……四枚目……」(135ページ下段)
⑥「天幕の照明が数回息をつき」(136ページ下段)
⑦「額から頰まで、均等にひろがった老年の皺」(137ページ上段)
⑧「蛙みたいに喉の皺がうねった」(137ページ上段)
もぐら通信
もぐら通信                          19
ページ

⑨「風にのって、子供たちのざわめきが近付いてきた」(142ページ下段)
⑩「子供達の半数に、緊張から開放感が、さざ波になって広がった」(143ページ下段)
⑪「和気藹々とみえるぼくらは」(144ページ上段)

(B)呪文らしい呪文
上述の通り、主人公の母親の次の呪文類(御詠歌)を除いては、呪文らしい呪文はない。

①「「しのばずの みなもにゆれる べにつばき……」
   (略)
  「もしや ほとばしる 血しぶきか……」」(137ページ下段)
②「「不忍の 水面にゆれる 紅椿……」
   (略)
  「もしや ほとばしる 血しぶきか」」(140ページ下段)

(C)3回の呪文の後に登場する者
呪文がほとんどないので、3回の呪文の後に登場する者もない。

(6)存在を招来する
前章でふんだんに呪文が唱へられてゐるので、同じ地続きの平面にある三番底の存在では、呪文
類はほとんどない。

(A)3回鳴る甲高い音
「呪文類のないところでは、甲高い音が響かない」のです。

「第4章:ドラキュラの娘を見ると、呪文類のないところでは、甲高い音が響かないので、呪文
類と甲高い音は一式であることがわかります。これは、「(16)風の音」で考察した風の吹く
契機と呪文類の関係についての次の一連の連鎖の中での結論とも一致してゐます。

座標の喪失→(何かの開始を告げる)甲高い音→呪文類を唱へる→自己喪失(意識・無意識の境
界が曖昧になる)→存在の出現

といふ順序なのでした。」(「(6)次の存在への立て札を立てる:第7章:人さらい:反歌」
(もぐら通信第69号))

しかし、地の文の呪文と同様に、地の文として甲高い音はあるのではないかと考へることができ
ますので、この目でみると、次のやうな甲高い音が地の文としてあることが判ります。さうして、
その前後を調べますと、存在を招来するための一式である次の単位が、やはり地の文にも見られ
るのです。
もぐら通信
もぐら通信                          20
ページ

(1)立て札を立てる
(2)呪文を唱へる
(3)甲高い音が鳴り響く

地の文にはある此の3つのシャーマン安部公房の儀式の構成要素を次に此の章に登場する順序に
時系列に並べて見ます。やはり、3といふ数字を巡つて、この儀式の単位もまた3回繰り返され
てゐます。

1回目目:
①呪文を唱へる1:冒頭の一行「切れぎれに先を争う雲の下から」(133ページ上段)
②甲高い音が鳴り響く1:風の音1:「風が渦巻き、一瞬霧が裂けた。」(133ページ下段)
③立て札を立てる1:「行く手をはばむ『進入禁止』の柵」(134ページ下段):禁止の立て
札。

2回目:
①呪文を唱へる2:数字による呪文:(1)「二枚めの葉が浮き上がる。三枚目……四枚目……」
(135ページ下段)
(2)「「しのばずの みなもにゆれる べにつばき……」/(略)/「もしや ほとばしる 血
しぶきか……」」(137ページ下段)
②甲高い音が鳴り響く2:風の音2:「速度が違う風の摩擦音」(136ページ上段)
③立て札を立てる2:(1)存在内の立て札:[患者は手を触れないでください]と書かれた「プ
ラスチックのプレート」(136ページ上下段):禁止の立て札。
(2)ペニス1:「僕は吸血娘のスカートの短さに見とれ、ちょっぴり勃起しはじめていた。」
(140ページ上段)

3回目:
①呪文を唱へる3:「「不忍の 水面にゆれる 紅椿……」/(略)/「もしや ほとばしる 血
しぶきか」」(140下段∼141ページ上段)
②甲高い音が鳴り響く3:風の音3:(1)「風にのって、子供たちのざわめきが近付いて来
た。」(142ページ下段)
(2)風の音4:
③立て札を立てる3:(1)ペニス2:「まだ勃起前だった。」(142ページ上段)
(2)ペニス3:「勃起衝動も萎えてしまった。」(143ページ下段)
(3)指差し:「幼い女生徒が闇の中を指差した」その指差し(143ページ下段)

これらのことからわかることは次の通り。

(1)勃起したペニスといふ立て札は3回の間に段々と力を失つてゆくこと。
(2)3回目のペニスの勃起の力の喪失と入れ替はりに、未分化の実存である「幼い女生徒が闇
もぐら通信
もぐら通信                          ページ21

の中を指差し」て、その指差しが存在の方向への立て札となつてゐること。即ち、
 (a)その方向に「県道に出て、すぐの角」、即ち「カーブの向かふ」が、存在の十字路があ
ること。即ち、
 (b)それまでは道路交通体系の支線に二人はゐて、この幼い未分化の実存の立て札によつて、
県道といふ一次元上の県道といふ本線に出ることができたこと。これはこのまま次の章新交通
体系の提唱での、「トンボ眼鏡の看護婦」と「垂れ目の少女」との役割交代を暗示してゐるこ
と。更に、
 (c)『方舟さくら丸』の結末もさうであるが、「長距離トラック」(143ページ下段)は、
安部公房にとつては、交通体系の上を走り常に移動する箱であつて、『カンガルー・ノート』
の列車と同様に、またアトラス社製ベッドと同様に、上位接続(conjunction)するー支線から
一次元上の次元へと上昇するー乗り物だと考へられてゐること。
(3)2回目に歌はれる母親による最初のひらかなの御詠歌の時にだけは、順序が狂つてゐて、
立て札を立てた後に呪文として唱へられてゐること。

(B)存在の始め
前章でふんだんに呪文が唱へられてゐるので、同じ地続きの平面にある三番底の存在では、呪文
類はほとんどない。「呪文類のないところでは、甲高い音が響かない」ので、

座標の喪失→(何かの開始を告げる)甲高い音→呪文類を唱へる→自己喪失(意識・無意識の
境界が曖昧になる)→存在の出現

といふ連鎖が一式の単位として機能してゐない。むしろ、この章は前の章と同じ平面で地続きで
あることから、冒頭から上の座標の喪失に相当する存在が存在に再帰する景色と状態の描写か
ら始まり、そのまま存在の三番底の中で話が進行して、(何かの開始を告げる)甲高い音→呪文
類を唱へるといふ連鎖は上の通りの次第で地の文(母親の御詠歌は会話体)で行はれ、章の最
後には未分化の実存である「幼い女生徒が闇の中を指差し」て、その指差しが存在の方向への
立て札となつて、次章へと上位接続(conjunction)してゐる。つまり、自己喪失(意識・無意
識の境界が曖昧になる)→存在の出現といふ連鎖単位は次章になるといふことです。即ちここ
で、文字では繰り返し既述ではありますが、一層わかりやすく此の作品の構造を図示すれば、
次のやうな、これは小説であるといふことです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ22

(C)存在の終はり
(B)存在の始めにある通り、存在が招来されるわけではないので、存在の始めと終はりは、この
章にはない。

(7)存在への立て札を立てる
存在が招来されないので、存在の方向への殊更なる立て札はない。

(8)存在を荘厳(しょうごん)する
この章の性格から、これも呪文ではなく、地の文で荘厳をしてゐる。

「客のほとんどがトラック運転手で、誰もが寝不足らしく、聞こえるのは黙々とラーメンをすする
音だけ。和気藹々とみえるぼくらは、たちまち注目のマトになってしまう。」(143下段∼14
4ページ上段)

(9)次の存在への立て札を立てる
ペニスの勃起といふ前章の立て札が失はれ、代はりに大人の成熟した性の分化とは無縁の未分化の
実存である「幼い女生徒が闇の中を指差し」て、その指差しが存在の方向への立て札となつてゐる

(A)最初の立て札
存在がないので、「幼い女生徒が闇の中を指差し」た其の指差しが、最初で最後の立て札。

(B)最後の立て札
「幼い女生徒が闇の中を指差し」た其の指差しが、最後で最初の立て札。

(10)3といふ数字
「(6)存在を招来する」の「(A)3回鳴る甲高い音」を見ても、やはり3といふ数字を安部公
房は遵守してゐる。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ23

(11)「1。函数形式・一般式」との比較
1。函数形式・一般式:存在[(始め、終り)、差異(時間、空間)、(存在の形象、甲高い音、
呪文類)、案内人(立て札)、窓(脱出口)](「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形象論」
の「(18)駐車場」(もぐら通信第70号)より)と此の章を比較して見ますと、次のことがわ
かります。

存在[(始め、終り)、差異(時間、空間)、(存在の形象、甲高い音、呪文類)、案内人(立て
札)、窓(脱出口)]

と(始め、終り)、差異(時間、空間)と赤字にした構成要素は、この章の上述の性格から此の章
にはなく、それ以外の要素は、地の文にあるといふこと。これが、安部公房の文字と記号に関する、
哲学的な存在概念と文字づらでの普通用語としての一般的な存在の書き分けであり、使ひ分けであ
ることがわかります。

(存在の形象、甲高い音、呪文類)については、これまでの考察で明らかになりました。案内人(立
て札)についても同様ですので、窓(脱出口)についての例を章の最後から引用して、如何に安部
公房が、このシャーマン安部公房の秘儀の式次第といふ様式を厳格に守つてゐるかの証拠として示
します。

「「遠慮せずに、やれったら」
  学生帽が、機械的に繰り返す。この無表情さは、過度の緊張のせいらしい。そう思ってみると、
全員が半開きのバスの窓から吹き込む風みたいに息をはずませている。」(143ページ下段)

「「遠慮せずに、やれったら」/学生帽が、機械的に繰り返す」のは地の文の呪文であり、そのあ
とに子供達の「全員が半開きのバスの窓から吹き込む風みたいに息をはずませている。」

ー呪文ー箱(バス)ー窓ー風(の息)ー

といふ連鎖のあることがわかります。これも安部公房らしい概念連鎖です。

風と息は、安部公房がリルケに学んだ存在の形象です。ここに書かれてゐるのは、風と息による箱
の内部と外部の等価交換であり、それが未分化の実存の子供達によつて行はれたので、これによつ
て存在の出現が暗示されてゐるので、主人公はもはや立て札を必要としなくなり「勃起衝動も萎え
たしまった」と、上の引用の次に改行して此の立て札無効の一行を、安部公房は続けて書くのです。

「風みたいに」が「∼のやうに」といふ直喩であり、これは次に係る息といふ言葉が存在になる譬
喩(ひゆ)であることは、既に『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』
(もぐら通信第55号)の「1。直喩といふ毒(修辞の毒)」でお話した通りです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ24

(12)安部公房の大地母神崇拝
大地母神崇拝と安部公房文学の関係は『6。安部公房文学と大地母神崇拝∼神話論の視点からみた
安部公房文学∼』(もぐら通信第67号)」で、神話論の視点から詳細に論じた通りです。

この章では次のところに、安部公房の大地母神崇拝の感情が現れてゐます。

「母は、まっすぐ月の方角にむかって歩きだした。夜行性の昆虫みたいだ。」(141ページ下段)

大地母神崇拝とは、ヨーロッパの文明と文物を輸入する明治維新以前の私たち日本人がさうであつ
たやうに太陰暦で生活する事であり、月の周期によつて生きること、即ち女性主体の母なる大地へ
の信仰によるものである事は、そこで述べた通りです。

この一行を、安部公房が無自覚に書くことは有り得ない。

(13)『砂の女』との関連性
次の科白に、『砂の女』との関連性がある。これは、男女の性行為を衆人環視の中でできるかとい
ふ、人間の性の分化と未分化と社会に関する、若い時分からの安部公房の問題意識の表れと思はれ
る。

「子供達は方向転換して、まっすぐベッドに向かってきた。ベッドを取り囲み、無遠慮に覗きこん
でくる。
「よせ、あっちに行けよ、見せ物じゃないんだ」
「いいから、やれよ。やるとこなんだろ」
「何を」
「あれさ」
 最年長らしい、学生帽の男子生徒が、人差し指と中指のあいだから親指をつきだす仕種。」
(143ページ上段)

『砂の女』にはかうある。

「そうだねえ……」老人は、頭の中で、古い書類を整理しながら喋っているような、間のびのした
調子で、「そりゃあ、かならずしも、出来ん相談じゃあるまいねえ……まあ、例えばの話だが、あ
んたたち、二人して、表で、みんなして見物してる前でだな……その、あれをやって見せてくれ
りゃ、こりゃ、理由の立つことだから、みんなして、まあ、よかろうと……」
「なにをやるって?」
「あれだよ……ほれ、雄と雌が、つがいになって……あの、あれだなあ……」
 まわりで、モッコ搬びの連中が、どっと、気違いじみた笑い声をたてた。」
(全集第16巻、242ページ上下段)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ25

インタビュー『破滅と再生2』に安部公房の次の言葉がある。言語の有する人間の集団化と個別化
の機能の話をするところで、当然のことながら儀式といふ公・公衆と男女の性といふ個別・個人の
話に及ぶところです。

「いったん儀式化してしまうと、集団の安定度は半永久化される。結婚式、葬式、入学式、出産祝
い、七五三、進水式、起工式、修学旅行、成人式……儀式を並べて人生の地図が描けるくらいだ。
儀式は俗事を聖化する。たとえば結婚なんて単なる男女の個人的な結合にすぎないけど、式を挙げ
ることによって性的なものが覆い隠され、集団として共有できるん無難な類型に変質してしまうん
だ。
 人間の場合、集団と儀式は分離不可能に見えるほど癒着しあっているけど、本来そういうものじゃ
ないんだ。」(全集第28巻、264ページ上下段)

この引用のもう少し後で、儀式といふのは「脱糞の最中を見せられているようで、寒気がしてくる
よ」と言つてゐて(同巻、265ページ上段)、この発言は其のまま『燃えつきた地図』の最後の
場面、主人公が結末共有としての透明感覚の象徴である公衆電話ボックスのガラスの中で存在の喫
茶店《つばき》の女に電話をして「受話器を置くと、ぼくはそのまま、電話ボックスの中に、しゃ
がみ込んでしまう。隅にまるめた新聞紙があり、下から黒く乾いた大便の端がのぞいている。(略)
これはよほど長いあいだ耐えていた大便に相違ない。公衆電話の中で、用を足さなければならない
ほど、大便を耐えつづけなければならなかった男……(略)」とある場面に通じてゐます。(全集
第21巻、309下段∼10ページ上段)

安部公房には『便器にまたがった思想』(全集第17巻、108ページ)といふエッセイがあり、
これを読むと安部公房の「儀式といふ公・公衆と男女の性といふ個別・個人の話」と同じ事に属す
る便器を巡る感情と論理がよくわかります。

これらのことは、『もぐら感覚15:便器』(もぐら通信第13号)に詳述しましたので、ご覧く
ださい。

(14)7。附録 章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」(v3)
「7。附録 章別詳細「函数形式と存在のプロセス形式」」に地の文にあるこれまで遺漏の存在の
形象を改めて列挙すると次の通りです。

凹の形象=1箇所の開口部+(素材を問はず)袋状の形態 

といふことです。

37A 鞄(128ページ上下段):同名の短編小説または戯曲でお馴染みの存在の形象。
39C 落花生・ピーナッツ・南京豆(129ページ上段):真ん中にピーナッツとあるので、割れ
た隙間のある落花生または南京豆といふことになる。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ26

39D 誰かが置き去りにした朝刊の皺(131ページ上段):皺は、上の野菜畑と類似同様の存
在の形象。付記すれば、これはいつもの超越論的な「明日の新聞」の朝刊。
42A 缶コーヒー(132ページ上段):開口部のある存在の形象

ダウンロードのURLは:
https://ja.scribd.com/document/374501997/7-附録章別詳細-函数形式と存在フ-ロセス-v3
もぐら通信
もぐら通信                          27
ページ

安部公房のアメリカ論
(3)
∼贋物の国アメリカ∼
    ドーナツとは何か
岩田英哉

     目次

1。アメリカ文化の特徴
2。アメリカ文化の贋物性の起源
3。ドーナツは何の贋物か?
3.1 貨幣と通貨
3.2 通貨の分類(形状視点による分類)
4。何故ドーナツは通貨の贋物なのか?
5。何故ドーナツには穴が空いてゐるのに、アメリカの通貨には穴が空いてゐないのか?
6。再度コカコーラとは何か?
7。追記
***

『安部公房のアメリカ論∼贋物の国アメリカ∼』(もぐら通信第22号)と『安部公房のアメ
リカ論(2)∼『アメリカ発見』を読み解く∼』(もぐら通信第23号)といふアメリカ論の
続きです。

この論考は同じ「安部公房のアメリカ論」の下で書かれてる3つめのものとなりますが、しか
しこの間アメリカ人の野球(baseball)が旧約聖書の創世記(Genesis)の焼き直しの贋物で
あることを論じた『安部公房の読者のための村上春樹論 (中):Baseballとは何か?∼
Baseballは旧約聖書の創世記の贋物である∼』(もぐら通信第50号)を書きましたので、ア
メリカ贋物論としては4つめの論考といふことになります。これらはみな最初のアメリカ贋物
論に詳述したアメリカ文化の贋物性の起源論に基づいて書かれてゐますので、この起源論の詳
細は最初の論である『安部公房のアメリカ論∼贋物の国アメリカ∼』(もぐら通信第22号)
をご覧ください。

さて、以下簡単にこれまでのアメリカの文化の贋物性の起源論をおさらひした上で本題に入り
ます。

1。アメリカ文化の特徴
アメリカ文化の特徴は一言でいふことができるのでした。それは、

「いつでも、どこでも、誰にでも」

といふことです。この代表的な例として、以下のものを一連の論考で論じました。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 28

(1)都市(町):ラスヴェガスに典型的なやうに人工の、従ひ贋の、そして実際贋物の建築
物からなる(ディズニーランドに通じる)都市
(2)ディズニーランド:デンマークのTivoliといふ(今でいふなら)テーマパークの贋物
(3)コカコーラ:神聖な伝説と神話の世界(ヨーロッパのキリスト教中世)の森の中に滾々
(こんこん)と永遠に湧き出る泉の水
(4)カウボーイ:旧約聖書とヨーロッパの羊飼いの贋物
(5)ジーンズ:羊飼いの贋物とアメリカン・ドリーム(一攫千金の夢)の体現
(6)ハンバーガー:イギリスのサンドイッチ伯爵の考案した手軽な食べ物とハンバーグ・ス
テーキの贋物
(7)ジャズ:黒人の音楽の贋物
(8)インターネット:贋の現実

これらに今回はドーナツを加へようといふのです。今様の風俗を見れば、携帯電話とか、スマ
ホと呼ばれるiPhoneその他のモバイル・フォンを入れても良いと思ひます。これも「いつでも、
どこでも、誰にでも」です。即ち便利である。便利といふことから、セブン・イレブンのやう
な通称コンビニ(convenience store)も同様です。また便利といふことから「いつでも、ど
こでも、誰にでも」決済できるクレジットカードを入れても良いでせう。

2。アメリカ文化の贋物性の起源
『安部公房のアメリカ論∼贋物の国アメリカ∼』(もぐら通信第22号)より要約的な引用を
します。

「アメリカは、その建国の最初は、インディアンを大量虐殺して、その歴史の上に成り立った
国ですし、また、アフリカから黒人を攫(さら)って来て、売買をし、奴隷貿易とその上に立っ
た経済で莫大な富を築いた国であり、そうして、そのようなアメリカの白人種が、その罪深い、
残虐な前史を忘却し、その忘却の上に成立した全く新しい国家です。

それは、はい、何月何日にそれまでの世界とは全く別した、新しい国ができたのです、それ以
前の歴史は在りませんというものの考え方において、共通しています。この一点に於いて、ア
メリカという国は、共産主義国家です。(アメリカという国は、自国の成り立つ前史を、すべ
ての共産主義国家がそうであるように、否定することはあっても、決して正視し、直視するこ
とができません。)

その共産主義的な国家の成り立ちを宣言したものが、1776年7月4日の独立宣言(The
Unanimous Declaration of the thirteen United States of America)ということになりま
す。

普通、自然に生まれた国家、即ち、アメリカのように人造の国家、人工的な国家ではない、そ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ29

の国の民族の神話とそれに由来する歴史を有する普通の国家は、そのようにものを考えません。
その国の神話と歴史を尊び、大切にして、その国の今があるでしょう。

こうしてみると、アメリカという国の民主主義という政体も、その思想も、人造国家の政体で
あり、人造国家の思想だという意味では、贋物の政体、贋物の政治思想だということが言える
でしょう。

そして、当然のことながら、ヨーロッパの世界の民主主義の贋物でもあるわけです。ヨーロッ
パとの歴史的な連続性をも、その絶縁を宣言することによって、成立した国であり、従い、ア
メリカは、ヨーロッパの資本主義と民主主義(これらは表裏一体の関係にあります)の鬼子
です。

これは、このアメリカという国を治めている権力の正当性の根幹に関わる大きな問題です。

アメリカという国は、誰からどんな建国の権力の正当性を歴史的に授かり、保証されて、成り
立ったのか。アメリカという国は、このことそのものを、この問いそのものを否定する国家な
のです。(このことは、間違いなく、アメリカという国の外交政策に現れています。)

自国の歴史に相対して向き合い、それを直視出来ないものは、外へ膨張する以外にはありませ
ん。これは、マルクス主義を始めとする共産主義国にも共通の特徴です。

(略)

また、ヨーロッパの白人諸国には、それぞれの神話があるのに対して、上述の建国の成り行き
から言って、アメリカには、古代の、そして中世の神話の世界はありませんし、そもそも持ち
ようがありません。

これが、例えば、日本の国のように古事記や日本書紀を持ち、伊耶那岐命(いざなぎのみこ
と)、伊耶那美命(いざなみのみこと)や天照大御神やその他の八百万の神々を有する日本
の国とは、本質的に、決定的に、異なることです。

逆にいいますと、これから論じますが、アメリカ人の白人種は、そのような神話を無意識に、
強烈に、求めているのです。何故ならば、このようなアメリカという人工国家について、それ
以外の国とを比較して考えて見ると、国家が成り立つには、やはり神話がなければ成り立たな
いからです。

それから、神話に根差した宗教がなければ、国として、その国が成り立ちません。従い、やは
りキリスト教は必要とされ、確かにアメリカの大統領は、就任時には聖書に手を置き、神に誓っ
もぐら通信
もぐら通信                          30
ページ

て、政治を始めるのです。宗教と政治は不可分です。

さて、宗教は、政治と共にあるとして、しかし、神話の無いアメリカという国では、またアメ
リカ人は、それを意識していなくとも、無意識の裡に、神話を心底欲しているという状態にあ
る以上、一体どうやってその渇望と憧憬を満たして来たのでしょうか。

アメリカ人は、こころの底では、古代に通じる国とそこに生きる人間たちに関する神聖性、
the holinessを欲しているということです。そのことを、アメリカ人は、無意識に知っている
のです。大東亜戦争で日本と戦ったアメリカという国は、この日本の国の神話を欲し(神武天
皇の建国から数えても当時皇紀2600年という日本の歴史)、それ故に、それを憎んだかも
知れないという仮説を立てることができます。

この欲求、渇望、渇仰、憧憬が、アメリカ建国の独立宣言によるアメリカ前史の罪深い残酷な
忘却と、やはり分ち難く結びついているのが、アメリカという国なのです。

即ち、歴史の忘却によって自己を喪失し、自らの神聖性を恢復し、何かを創造するということ
です。この神聖性の恢復は、自己喪失による忘却によるということから、同時にそのとき、ア
メリカという国家もアメリカ人も、無名性という性質の烙印を必然的に押されることになり
ます(この烙印を一体誰が押すのでしょうか。やはり、それはGodなのです)。この必然性を、
アメリカ人は求めているのです。

神聖性を恢復する事と裏腹な関係にある、この無名性という性質が、アメリカ文化の特質で
す。」

この神聖性を体現するのが、アメリカの文化にあつては子供であり、アメリカ文化の無名の人
間としての幼児性が、これを示してゐます。即ち、子供は純粋無垢であり、そのやうに無知で
あるが故に罪はなく穢(けが)れはなく、それ故に神聖なる人間の姿として(安部公房ならば
未分化の実存二種の女性のうちの一人、即ち知恵の遅れた偏奇な少女といふところです)
innocent(イノセント)、無実無罪である。

さうして、この「アメリカ文化の特質」である「神聖性を恢復する事と裏腹な関係にある、こ
の無名性という性質」が、「いつでも、どこでも、誰にでも」なのです。

3。ドーナツは何の贋物か?
さて、同じアメリカの文物の一つとして典型的に「いつでも、どこでも、誰にでも」ある贋物
としてのドーナツを論じます。

問ひ:一体ドーナツとは何の贋物なのでせうか?
もぐら通信
もぐら通信                          31
ページ

答へ:ドーナツは通貨(currency)の贋物である。もつと卑俗に云へば、ドーナツはお金の
贋物である。

これがこの論考でお伝へしたいことの結論です。

以下、論証です。別途用意してゐる『言語貨幣論』の成果の中から、ここに必要な結論だけを
以下にお伝へして本題に入りたい。

3.1 貨幣と通貨
一言で私たちはお金といふわけですが、よく考へるとお金には次の二つがあります。

(1)貨幣(money)
(2)通貨(currency)

安部公房の読者にはこの分類はお馴染みのtopologicalな分類ですので多言を要しない筈です。
何故なら、安部公房の存在の記号を用ゐて水平方向に同じ平面の上にこれら二つを同列に、
安部公房の小説の登場人物たちがいつもさうであるやうに、superflatに並べれば、この二つ
の関係は次の通りであるからです。

《貨幣》《通貨》

これは安部公房の作品では、一つの存在であれ、また存在の存在の中であれ、存在の存在の
存在といふ三番底の存在の中であれ、等価交換が可能な関係を意味するのでした。即ち、貨
幣と通貨は等価で交換が可能である。

あるいはまた『カンガルー・ノート』の第二章緑面の詩人での記号[ ]を使ふと、この二つ
の名前の関係は、同じ存在の中では次のやうになります。

《縞魚飛魚》[緑面の詩人]
《緑面の詩人》[縞魚飛魚]

といふことは、安部公房の読者であるあなたは次の等価交換の関係に自然に気づくでせう。
それは安部公房の哲学、新象徴主義哲学の存在の記号を使つた次の関係です。

《存在》《現存在》

前者は時間と無関係な何か、後者は時間の中に現れた前者です。お金の世界では、同じこと同
じ関係が、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ32

《貨幣》[通貨]
《money》[currency]

と呼ばれてゐる。この関係がそのままtopologicalに等価交換されて、

《通貨》[貨幣]
《currency》[money]

となつて、人間そつくりの火星人と人間の関係、即ち贋物と本物、本物と贋物の等価交換可
能なtopologicalな相互関係であることは、安部公房の読者には理解が容易なことは自明であ
りませう。[註1]

[註1]
『何故安部公房の猫はいつも殺されるのか?』(もぐら通信第58号)の「IV 安部公房の小説観と世界認識」
か、または「『カンガルー・ノート』論(1)」(もぐら通信第66号)の「2。1 呪文とtopologyと変形の
関係」をお読みください。詳述しました。

言語の常で、言葉の意味は使ひ方によります(言語機能論)。概念は同じですが、領域が異
なるので、名前が異なつてゐる、あるいは異なつてゐるだけなのです[註2]。即ち、ここで
も汎神論的存在論、即ち西洋哲学用語でいふ、カントーショーペンハウアーの系譜の超越論が
適用されます。[註3]従ひ、今私が執筆してゐる言語貨幣論は、カントーヘーゲルの系譜に
属するカール・マルクスの貨幣論の否定であり、従ひマルクスの資本論の否定であり、従ひ共
産主義の経済とこれに基づく政治の全面的な、しかも哲学と論理学による徹底的な否定です。
超越論の論理と共産主義の論理が相容れることはありません。前者は後者を理解することが
できますが、後者は前者を理解することはできません[註4]。

[註2]
「『カンガルー・ノート』論(5)」(もぐら通信第70号)の「(18)駐車場」をお読みください。詳述し
ました。。

[註3]
『安部公房とチョムスキー(1)』(もぐら通信第73号)をお読みください。

[註4]
これが何故かも、西洋論理学の用語と概念で説明が簡単にできますが、これは稿を改めます。今備忘のために記
すれば、前者は全体を考へた上での論理積(conjunction:AND)であるのに対して、後者のヘーゲルの弁証法
は否定論理(non-disjunction:NOR)のみでものを、しかも時間の中でのみ(即ち歴史の中でのみ)考へるだ
けだからです。後者の論理がどれほど歪(いびつ)であるかは、後日初等数学で教はつた集合論のベン図を用ゐ
て詳細に、しかし簡単明瞭に論じます。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 33

通貨がcurrency(カレンシー)だといふのは、電流を英語でcurrent(カレント)と言ひ、実
際に時間の中を流れる電気(electricity)が電流と呼ばれてゐることを想起して下さると、存
在と現存在、貨幣と通貨といふ関係と同じであることが、即ち存在と時間と名前の関係が、
わかるのではないでせうか。

ちなみに、カントもヘーゲルもショーペンハウアーもニーチェも貨幣論の著作はありません。
貨幣論を書いたといふのは、この二つの系譜では、マルクスの独創です。しかしこれは経済学
だからで、哲学と領分が異なりますので当然といへば当然です。カントーヘーゲルの共産主義
の系譜にある俗称弁証法はキリスト教の論理(スコラ哲学といふ神学)の延長にある焼き直
し(二番煎じ)ですので、それは必然的に擬似哲学、擬似科学、擬似宗教になることは『安部
公房とチョムスキー(1)』(もぐら通信第70号)にて明解に分類して論じた通りです。

同じカントーヘーゲルの共産主義の系譜ではマルクス以外に誰が他に貨幣論を書いたか、また
カントーショーペンハウアーの超越論の系譜では、ニーチェの後で誰か貨幣論を書いたものが
ゐるかどうか、これは後日の課題とし、そこで論じます。[註5]

[註5]
今私の手元にある超越論に基づく日本人の貨幣論には次のものがあります。ともに優れた著作です。

(1)『貨幣とは何だろうか』今村仁司著。ちくま新書。
(2)『貨幣論』岩井克人著。ちくま学芸文庫。

一言でいへば、貨幣とは何かといふ問ひに、ユーラシア大陸の極西の大陸哲学でいふ超越論、
即ち私たちユーラシア大陸の極東の島嶼(とうしよ)哲学でいふ(八百万の神々の世界でい
ふ)汎神論的存在論、そして数学でいふtopology(位相幾何学)の論理によつて本質的、根
源的な解を得ることができるといふことです。

3.2 通貨の分類(形状視点による分類)
貨幣(といふ存在)が時間の中に姿を現して物体化した通貨と呼ばれる物(無機物としての現
存在)の一次分類は次の二つです。分類と命名は私によるものです。[註6]

(1)環穴型通貨
(2)棒型通貨

[註6]
参照した著作は『Curious Currency』(Robert D. Leonard Jr.著。Whitman Publishing, LLC)です。また、
岩井克人著『貨幣論』の本文によれば、これ以外には、人類史の中での古今東西の通貨を列挙した類似の著作に
『Primitive Money』(2nd ed., New York: Pergamon Press, 1966)があります。後者によれば、古今東西の
貨幣には「金のほかに、銀、銅、聖堂、鉄、鉛、黒曜石、石の円盤、ガラス玉、陶片、指輪、塩、矢、斧、鉄砲、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ34

木材、樹皮、小麦、大麦、トウモロコシ、米、ココナッツ、ココア、アーモンド、ヤム芋、砂糖、茶、ラム酒、
ジン、タバコ、笛、太鼓、毛布、麻布、綿布、羽毛、毛皮、皮革、牛、羊、水牛、豚、トナカイ、干し魚、バ
ター、子安貝、法螺貝、カタツムリ貝、鯨の歯、犬の歯、豚の歯、蜜蝋、そして人間の奴隷といったありとあら
ゆるものが古今東西にわたって貨幣として流通していたことが書かれている。」(同書140∼141ページ)

また、この二つの一次分類の下位分類がその変型としての下記の(2)から(4)の3つです。『Curious
Currency』に掲載の古今東西の通貨の実例の写真を基にして下記の分類を得た。

(1)環穴型通貨:穴に紐を通して単位化できる形態
(2)半環型通貨:同書75ページ以降を参照。半分環状であるといふことは、その隙間は上記(1)の環穴貨
幣の表現形態の変型であるといふことがいへる。
(3)棒穴型通貨:棒型通貨に穴のある通貨(同書23ページ)
(4)板型通貨:棒型通貨を潰した形の平面の貨幣。動物の皮の通貨、織物の通貨などあり(同書29ページ以
降、また98ページ以降参照。
(5)棒型通貨:棒状にして単位化された形態。

古今東西、全ての人類の歴史上の通貨は、これら5つの分類のどれかに当て嵌まります。上の註に列挙されてゐ
る通貨もみな上記5つのどれかに分類される。詳細は『言語貨幣論』にて詳述します。

(1)環穴型通貨とは、次の写真のやうに、環の真ん中に穴が一つ空いてるゐる通貨のこと
です。
(2)棒型通貨とは、次の写真のやうに、文字通りに棒の形をしてゐる通貨です。

これら二つの形状の共通点は、見かけは似てゐませんが、しかし、単位化して一つになり、ま
た一つにすることができる、即ち1であり、従ひ存在であるといふことです。バラバラであれ
ば通貨(現存在)であるが、紐を通したり、そもそも棒型であることから単位化されてゐると
いふことから、ともに単位化して一つにすれば存在(貨幣)である。

例へば(1)環穴型通貨の例:インディアンの環穴型通貨
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 35

例へば(2)棒型通貨の例:塩の棒の通貨

これら二つの形状の共通点が、単位化して一つになり、また一つにすることができるといふこ
とは、人間の次の世界観の二つの原理によつてゐます。

(1)世界は差異である(認識論)
   差異あるが故に/にも拘らず、時間の中で等価交換が生まれる。人間はこの差異をなく
さうとする。これが人類の歴史である。
(2)価値は等価で遍在する(存在論)
   等価交換といふ世界の差異の値を0(ゼロ)に、またニュートラルな状態にする/なつ
てゐることを補償し/保障する、これは存在論である。この交換によつて、後述するやうに余
剰の価値(富)が生まれる。

かうしてみると、この二つの人類の思考原理は、言語の本来的な性質、即ち本性に従ひ、互ひ
に再帰的であり又互ひに冗長性を有してゐることが判ります。[註7]

[註7]
『安部公房とチョムスキー(6)』(もぐら通信第78号)の「4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語
の持つ冗長性とは何か」より引用します:

「チョムスキーは言語の再帰性の持つ、この場合は日本語が文の中に文を埋め込むことができるといふ冗長性
(redundancy:リダダンダンシー)が理解できてゐないといふことを意味してゐるのです。

このポイントこそが、言語の本質、言語の機微、言語の要諦、言語の奥義、言語の奥の細道の奥、安部公房のい
ふ鳥居といふ門を潜つて至る天神様の奥の宮であるのです。安部公房のいふならば、言語構造としてよく語る遺
伝子の二重螺旋構造といふことです。これが冗長性の構造です。

この言語構造をもつと日常的な音声の時間のある世界に上昇させるとこれはそのまま社会システムの構造となり
ますので、あなたの場合でいへば、あなたは同じことをPC(パソコン)のファイルをiCloudやWindowsのサー
ビスの自動バックアップか、又は有料のMozyなどといふバックアップサービスによつて、要するに同じファイ
ルを複製して保管してくれるサービスを利用してゐるのではないでせうか、さうであれば、これがあなたと社会
の共有する冗長性、即ち主体を二重に(redundantに)するバックアップ・システム、即ちoriginal(元々の何
か)やorigine(起源)を複製し保管するシステムなのです。これは、チョムスキーが疑問の立て札を立てた「終
りし道の標べ」に存在してゐる言語の再帰性の別名なのです。

再帰性とは自己を鏡に映して記憶すること、即ち冗長性(redundancy)のことである。

Redundancyを例によつてWebster Onlineに伺ひを立てますと[註2]、これも案に相違せず、1601年文献
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 36

に初出の、即ち案の定17世紀の第一年目にヨーロッパの世に現われ出でた言葉でした。この酷い時代は世紀の
最初に冗長性、再帰性を必要とした。まあ、平俗に考へると、いつ財産が30年戦争の擾乱で失はれるかわから
ないので(未来は予見できないので)、今のうちに全財産の複製を作つてをいて他所へ預けて隠して置かうとい
ふ考へだといふことになります。つまり、いつでも自分の元に帰つて来る権利、取り戻す権利を有する(時代が
時代ですから権利もへつたくれもありませんが)、そのやうな再帰性であり、これは庶民には無理で、ある程度
の財がなければなりませんから、さういふ意味でも豊かで(abundance)、余剰の富であり(superfluity)、従
ひそつくりそのまま全く同じ姿をした余計なもの(redundancy)であつて、従ひ、不要な繰り返し(needless
repetition)であり、伝達手段ならば本質的な情報を失はずに削除できるそのやうなメッセージの部分であると
いふ訳であり、特に最後の伝達メディアのことは、私が上で例に挙げた、あなたのパソコンのハードディスクの
ファイルの複製の保管のことに当たるといふわけです。」

さて、今は果たして上掲の(1)環穴型通貨が紐を通して1になつて単位化された通貨であれ
ば、女性の首環(ネックレス)も通貨かといふ議論には(誘惑に抗して)入らずに、本題に沿
つて話を進めます。

4。何故ドーナツは通貨の贋物なのか?
超越論に基づく私の仮説によれば、環穴型通貨が、超越論的な、即ち時間を超えた、時間に
無関係の、従ひ始めも終はりもない、最初の、始原の通貨の形である。超越論即ち汎神論的
存在論であるtopologyではこの形をトーラス(torus)[註8]と呼んでゐます。即ち、

通貨の本質とは、穴である。

といふこと、即ち、

穴があるから通貨になる。

といふことなのです。

[註8]
https://ja.wikipedia.org/wiki/トーラス より:
「最もありふれたトーラスは、円(周)の外側に回転軸を置き得られる回転体、いわゆる「ドーナツ型」であ
る。」(傍線引用者)

ドーナツ
もぐら通信
もぐら通信                          37
ページ

ここで、S・カルマ氏と『バベルの塔の狸』の貧しい詩人アンテン君のことを思ひ出してくだ
さい。前者は、本人よりも、本人ではない、さういう意味では贋物の名刺の方が本物(本人)
よりも世間では通用するのでした。後者は、捕らぬ狸に影を食はれて、影がないために本人は
透明人間になつてしまひ、世間では通用しない人間、即ち影がなければ本人が世間に存在し
ない人間、即ち凸といふ陽画の人間ではなく、誰にも見えない凹の陰画の透明人間になつて
しまふのでした。

このやうに、本人が存在するから存在してゐると思つてゐた二次的・二義的なものがあればこ
そ、さう、名刺や影といふ二次的・二義的なものの方こそが、本人、本体、実体と思はれてゐ
るものを、時間の中に、即ち世の中に存在せしめてゐる当のものであつたといふわけです。

上で見たやうに、貨幣がなければ通貨がないのではなく、後者がなければ前者がない。

このやうな二つの本物と贋物の関係を成り立たせてゐるのが、存在の形象凹でした。即ち、
穴、です。安部公房の読者ならばお馴染みの、『砂の女』の砂の穴、傷ついた『他人の顔』の
主人公の顔の凹、『燃えつきた地図』に安部公房の描いた窪地凹の地図、『箱男』の覗き窓の
ある箱の凹、『密会』の病院の広がる凹の地形、『方舟さくら丸』の凹である地下の洞窟、
『カンガルー・ノート』のやはり覗き窓のある提案箱の凹、といふことは、簡単に言へば、哲
学的に云ふと、

通貨は凹から生まれた

といふこと、即ち、

通貨は存在から生まれた

といふことなのです。

これが、何故ドーナツは通貨の贋物、それも環穴型通貨の贋物なのか?といふ問ひに対する、
私の超越論的な答へです。いや、安部公房の答へだといふ方がいい。

更に、この答へを、アメリカの歴史と文化との関係で、特殊な問ひに適用して回答すると、

問ひ:「いつでも、どこでも、誰にでも」といふアメリカの文物の無垢の手放しの幼児性は、
ドーナツの場合、何から生まれたのでせうか?
答へ:それは、お金に対する飢餓感から生まれた。

といふことになります。これもS・カルマ氏ではありませんが、いやしかし同様に、物を見た
だけで何でも(陰圧の凹の胸ならぬ)陰圧の凹の腹の中に吸収してしまふ、アメリカ人の飢餓
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 38

感から生まれたのです。

何故ならば、ドーナツの生まれた直前の時代はイギリスからの独立戦争直後であつて、アメリ
カはハイパーインフレーション[註9]のために物価が急激に高騰して通貨が通貨の役に立た
なくなり、つまりお金として機能するお金が、国民庶民の間にはなかつたからです。

[註9]
ハイパーインフレーションの定義:

「フィリップ・ケーガンは、ハイパー・インフレーションにかんする有名な研究のなかで、月平均五〇パーセン
トを越す物価上昇が一年以上も続いた状態ハイパー・インフレーションと定義している。」(岩井克人著『貨幣
論』の註(23)。229ページ)

また、この著者は、有名な事例である第一次大戦後のドイツの場合の他に、次の例を挙げてゐる。

「このドイツの経験のほかにも、古くは独立戦争直後のアメリカやフランス革命下のフランスにおけるハイパー・
インフレーションの事例が有名であり、今世紀に入ってからは、社会主義革命直後のロシア、第一次大戦後のオー
ストリア、ハンガリー、ポーランド、第二次大戦後のギリシャ、ハンガリー、共産党政権確立前の中国、一九八
〇年代の中南米諸国、さらには社会主義体制崩壊後の東ヨーロッパ諸国や旧ソヴィエト連邦諸国な度がはげしい
ハイパー・インフレーションにみまわれている。」(同書206ページ)

アメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地が宗主国イギリスから独立するための独立戦争は、
1775年4月19日から1783年9月3日まででした。ドーナツといふ言葉は、文献としては180
3年出版の料理本に附録としてついてゐるレシピに初出です。[註10]

[註10]
https://en.wikipedia.org/wiki/Doughnut:
According to anthropologist Paul R. Mullins, the first cookbook mentioning doughnuts was an 1803
English volume which included doughnuts in an appendix of American recipes.

といふことは、ドーナツといふお菓子は1775年4月19日以降1803年の28年の間
に生まれたといふことになります。一つのお菓子が生まれてアメリカ国内に広がつて洗練され
料理本のレシピになる十分な時間の長さです。

しかし、アメリカのドーナッツは日本で売られてゐるドーナツ・チェーン店のドーナツより
も、もつともつと甘いといふことです。何故そんなに甘いドーナッツを求めるのか?といふ問
ひに答へると、甘味といふ味は、貧しい時には豊かさ、贅沢さとして感じられる味であるから
です。アメリカ人が何かに自分たちの貧しさを感じ、飢餓感を覚えたので、その解決として甘
さといふ味を強烈に求めたのだといふのが私の考へです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 39

先の戦争後の日本人の味覚も同様でした。戦後の貧しさの中では甘さといふ味覚は贅沢を意
味してゐた。チョコレートは今よりももつと甘かつたし、ケーキの味も甘かつた。甘さは贅沢
であつた。今ではむしろチョコレートはカカオの味を生かした苦い物まで出てきて、甘すぎ
るやうなチョコレートは姿を消してゐる。ケーキも、もともと甘い物ですが、しかし強い甘さ
だけを求めて、甘さを基準にして、私たちはもはや食べてゐるのではない。つまり、

このお菓子の過ぎたる甘味と環穴の形状であるドーナツには、やはりお金に対する飢餓感に
由来するお金持ちになりたちといふ強い願望であるアメリカン・ドリームが宿つてゐて、その
思ひが物体化した物がドーナツである。このお菓子を食べると、ジーンズがさうであつてジー
ンズを一着に及ぶと其の夢が叶ふかも知れないやうに、物体化した贋の貨幣といふ贋の神話
性を食べて食べて食べ続ければ、自分の体に其のやうな神話性が時間の中に生きる自分の血
肉に、食べ続ける限り永遠に、宿ることになるといふことなのです。

ここで神話といふ言葉を使つたのは故なきことではありません。『安部公房とチョムスキー
(3)』(もぐら通信第76号)を再掲します。

「安部公房の分類:https://ja.scribd.com/document/371370776/安部公房の分類-v2
チョムスキーの分類を更に時間といふ視点で、即ち安部公房文学の《存在》と《現存在》と
いふ新象徴主義哲学の視点で分類し直すと、次のやうになります。」

神話はこの図の三層目に当たります。
もぐら通信                         

この言語階層図の三階層のうち深層構造2(存在2)が、時間の存在しない、さういふ意味では
ページ40
もぐら通信
永遠の、差異からなる神話の階層です。何故なら宇宙は差異から生まれるから。その差異から生
まれる差異といふ再帰的な差異といふ(安部公房の記号で表せば)《存在》の物語が、また存在
の中では《縞魚飛魚》と[緑面の詩人]の等価交換可能な関係の物語が、神話であるからです。

そして、深層構造2に生まれ、文字・数字・記号を刻印され凹の印(しるし)を押され刻まれる
こと[註11]によつて深層構造1(存在1)の存在と貨幣は成り、記憶(media)と記録
(documentary[註12])として此の階層で物体化してから(あるいはさうなることで此の階
層を創造し形成してから)、次に表層構造といふ時間の存在する現実の中を流通する通貨
(currency)となつて、私たちの財布の中に携帯され、現実の時間の中で等価交換(売買に際し
て同時決済)されるといふ順序、さうしてtopologicalに貨幣といふ存在が循環すること、等価交
換が余剰(富)または剰余価値(富)を産むこと(この富が資産と呼ばれる)、何故ならば安部
公房の読者に周知の通りに等価交換は論理積(conjunction:上位接続)であるからー安部公房
の主人公たちの最後の死は常に此の論理積の否定である否定論理積であつて、この論理の実践に
よつて此の富をそれまでの次元に残して無一文の人間(「箱男」)として次の次元である存在へ
と失踪するのですが、しかし哲学的・数理的にまた人間個人の意志の問題としてはさうであつて
もー経済といふ社会や国家の問題としては、これが貨幣の観点から見た私たちの経済の構造であ
るといふことなのです。従ひ、

通貨には、貨幣(存在)の神話性が宿つてゐて、このことからも貨幣は、呪術やシャーマンの祈
祷や、従ひ/それ故に、大地母神崇拝から生まれたことが判ります。[註13]欧米白人種キリス
ト教徒による貨幣論には最初から限界がある。この安部公房文学の性格は、安部公房シャーマン
論として諸処に記述の通りです。この論考の文脈では、安部公房の存在の文学は貨幣小説である
といふことができます。例を他に挙げれば谷崎潤一郎の『少年の王国』、アンドレ・ジッドの『贋
金造り』、ボードレールの『贋金』、ゲーテの『親和力』、安部公房の一番好きな作家であつた
エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』など、他にもまだまだ存在概念との関係で貨幣小説と呼ば
れ得る小説はある筈です。贋の通貨(贋金)の生まれる契機と贋の父親の登場する契機は同じで
す。同じ契機によつて、安部公房の世界の家族は常に擬似家族、即ち贋の、即ち存在の、即ち貨
幣の家族である。

私たちは、このやうな経済構造の上に生きてゐる。ここまでお話をすると、これがそのまま言語
構造であることもお解り戴けると思ひます。超越論者であるチョムスキーと安部公房が、もし対
談をして経済を論ずる企画があつたとすれば、話は此のやうになり、ユダヤ人のチョムスキーの
ことですから旧約聖書の言葉も引用して、また存在と神話の関係は初期安部公房からの此の作家
の謂はば十八番(オハコ;箱に通じてゐるわけ)ですから、非常に人間と貨幣と存在と言語に関
する根源的(radical)な対話になつたことでせう。

[註11]
文字・数字・記号を刻印することと、文明と文化の関係については、「『カンガルー・ノート』論(2)」の「6。
安部公房文学と大地母神崇拝∼神話論の視点からみた安部公房文学∼」(もぐら通信第70号)をお読みください。

[註12]
通貨はドキュメンタリーなるものです。Webster Onlineより:
赤字にした一行bが、貨幣の記録性(documentary)を、素材と思考論理と象徴との関係で定義してゐる。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 41

Definition of document
1 law
a archaic : proof, evidenceb : an original or official paper relied on as the basis, proof, or support of
something
c : something (such as a photograph or a recording) that serves as evidence or proof
2
a : a writing conveying information financial documents historical documents a classified document that
was leaked to the media
b : a material substance (such as a coin or stone) having on it a representation of thoughts by means of
some conventional mark or symbol
c : documentary
3: a computer file containing information input by a computer user and usually created with an
application (such as a spreadsheet or word processor) create a new document

[註13]
世にある貨幣論の中には、貨幣の呪術性や祝祭性に起源を求める論のあることが岩井克人著『貨幣論』からわか
ります。

「たとえば、フィリップ・グリアソンは、貨幣の起源として、ひとの魂を鎮めたり神の心を鎮める力をもつお祓
い(pacification)=支払い(payment)の手段としてもちいられた共同体てきな「原始貨幣」が「一般貨幣」へ
転用された可能性を指摘している。Philip Grierson, The Origines of Money, Research in Economic
Anthropology, vol.1, pp 1-35, 1979」(同書註(15)。145ページ)

5。何故ドーナツには穴が空いてゐるのに、アメリカの通貨には穴が空いてゐないのか?
さて、最後の論題です。しかし、何故ドーナツには穴が空いてゐるのに、アメリカの通貨には
穴が空いてゐないのでせうか。私たち日本の国の通貨には穴の空いた通貨があります。この原
稿を書いてゐる時点で、50円玉と5円玉は、私の分類でいふ古代的なまた神話的な、直接に
存在起源の環穴型通貨です。

上の言語階層図の三階層のうち深層構造2(存在2)といふ時間の存在しない、さういふ意味
では永遠の、差異からなる神話の階層で鋳造された通貨には穴が空いてゐる。例へば、これは
日本列島文明の縄文時代前期(約7,000 - 5,500年前)[註14]に製造された石の通貨の例
です。文字・数字・記号といふ有文字文明化してゐない時代の、無文字文明である文明の通貨
の最初の形態には存在の穴が空いてゐるのです。私が此の写真を撮影した東京都埋蔵文化セン
ターの分類では「環状石器」となつてゐますが、しかし、私の仮説によれば、これは石器では
なく、明らかに縄文時代の、私たちの祖先である縄文人の製造し使用した石の通貨です。
もぐら通信
もぐら通信                          42
ページ

[註14]
https://ja.wikipedia.org/wiki/縄文時代#時期区分

また、人類の貨幣史では必ず出て来る太平洋のヤップ島の石の通貨も同様です。この石
の大きな通貨の現物は東京の日比谷公園にありますので、ご覧になるのも一興です。

此の二つの石貨をみると、ともに火山の爆発によつて出来た礫や変成岩であることに気づき
ます。勿論地域によるでせうが、大地の爆発といふことから生まれる恐ろしい自然の力を神
聖なるもの、即ち人間の意志と支配を超えるものとして、崇敬の念からそのやうな石を素材
として選んだのかも知れません。何故なら通貨の素材は、穴があるのであれば何でも良いか
らです。私たち人間のtopologyは、形に着目して価値の分類をするのであつて、素材には拠
らないからです。さて、さうして、そのやうに、試しに一定期間文字を使はずに私たちも普
段生きて見れば、古代の人間の心情と存在論の論理を理解することができるかも知れませ
ん。

このやうに穴といふ存在概念の形象を考へると、アメリカの通貨に穴の空いてゐないのは、
神話を持たない国であり、神話を有するまでに古代まで遡ることの出来る古い歴史がない国
であるからだといふことになり、他方反対に、神話を有する国々の通貨には穴が空いてゐる
といふ事になります。

試しに歴史の浅い人工的な国家の通貨を調べてみると、シンガポール(マーライオンの像の
立つ海の岸辺に建国の神話を謳つた詩碑が立つてゐますが、勿論これも贋の神話です)、中
華人民共和国、またヨーロッパの経済共同体EUの硬貨に穴はない。(ちなみに、EUは生ま
れから言つて共産主義です。シンガポールも同様です。中華人民共和国についてはいふまで
もありません。)アフリカ大陸の諸国には古代からの神話がある筈ですが、穴のあるものも
あれば、無いものもあり、後者の数がGoogleの画像検索では圧倒的に多いやうです。欧州白
人種の植民地支配による収奪によつて、安部公房の言葉によれば「ぺんぺん草も生えない」
ほどに徹底的に搾取され文化を破壊されたので、それができないのかも知れません。しかし、
エチオピアの通貨には今も、二種類の異なる素材を使つて、素材の色によつて真ん中の円に
穴の形象を際立たせたものがあります。また、古代神話のあるスエーデン、ノルウエー、そ
れから同じ支那でも宋の時代の硬貨には穴が空いてゐます。また20世紀初等のフランスの
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ43
通貨、低地ドイツやスエーデンと同じ文化圏である今のデンマークの硬貨にも穴の空いた通貨
があります。

穴といふ形象が通貨の形態の初原であるとして、いづれにせよ文字・数字・記号を刻印すると
いふことが同じ凹を刻む行為でありますから、この意義にあつては、国の成り立ちの新旧古代
現代を問はず、通貨で存在の《穴》の無い通貨は無いのです。それでは、紙幣はどうだといふ
事になれば、それは絵画がさうであるやうに、二次元の平面の紙幣の上に立体的な凹凸の図柄
を描いてゐるので、これも同じことになります。通貨として物体化されるのは、素材が不変性・
耐久性がある限り、即ち変質しない限り、素材は何でも良いのです。また、通貨に使はれた金
属の幾つもの種類、そしてまた紙幣といふ紙の通貨については、これらの素材加工技術の時代
ごとの難易度によつて通貨製造のための(通貨としての)地位の優劣が定まり、その通貨の通
用する共同体の最高権力が最高機密の通貨製造技術を独占するといふのが、通貨から見た人間
の歴史であるといふのが私の仮説です。既に古くなつた製造技術による通貨は、通貨の身分を
落として行き小銭になつてあなたの財布にかうして収まつてゐる。この最高度の技術を独占し
たものに富が集まり(資産となり)、富(資産)が更に等価交換のために資本と呼ばれて蓄積
される。今は紙の通貨製造技術(印刷技術)以上の高度な電子的技術が生まれて、暗号通貨
(script currency)、通称仮想通貨が通貨の素材と製造技術の交代の問題になつてゐる。こ
れらの委細は『言語貨幣論』で論じます。

この事からわかることは、穴の空いた通貨の持つ次の事についての総合的・統合的な象徴性で
あり、象徴の力です。

(1)古代
(2)神話
(3)呪術
(4)シャーマン
(5)共同体
(6)単位化:単位化とは、存在が時間の中へと現出する事、貨幣が通貨になる事、即ち国ま
たはその他の大小の通貨使用共同体が「既にして」(超越論的に)「いつの間にか」(超越論
的時間)「どこからともなく」(超越論的空間)誕生してゐることを意味する。紐やその他の
結びといふ上位接続(conjunction)によつて個々の通貨が1に、即ち時間の中の現存在(通
貨)が存在(貨幣)になる事である。

(7)存在
(8)記憶

以上が無文字文明での通貨の穴を巡る象徴的要素ですが、文字・数字・記号を通貨に刻印する
事によつて、同じ凹を記録するといふ行為であつても、更にこれらの上に、有文字文明では次
の要素が加はります。

(9)記憶と忘却
(10)記録と消失
もぐら通信                         

もぐら通信 44
ページ

(11)死者と生者
(12)鎮魂・追悼と御祝ひ
(13)存在(貨幣)と単位化(通貨):この文脈で再度上との重複を厭はず挙げます。
(14)計算と記録
(15)記録と管理台帳

さて、最後の最後に、一体何故アメリカ人はそれほど食慾といふ慾を冒されるほどに強烈な
飢餓感をお金(money)に対して覚えて、そして今も覚えてゐるのだらうか?それは、

(1)独立戦争後のハイパーインフレーションの時代には特に、単純に非常に貧しく、餓え
てゐたから(2)この貧しさはお金があれば何でも買へて、その貧しさを埋めることができ
ると考へたから、でありませうか。

しかし、この説明は余りにも単純で表層的に過ぎるのではないでせうか(「安部公房の分類」
の言語機能論の三階層図を参照のこと)。ここにあるのはコカコーラを生み出し、果てしな
く此の贋の水を生産し、毎日大量消費する動機と同じ動機が隠れてゐるのではないか。即ち
それは、

(1)自分たち白人種の、人間としての魂と精神の消耗の恢復といふことである。何に対す
る消耗か?それは、
(2)インディアンの大虐殺と黒人奴隷の売買といふ建国以前の歴史的事実、即ちアメリカ
といふ国の根底にある自分たちの罪に対する贖罪への非常に強い感情である。ドーナツの場
合には、贖罪を食材と二つの言葉を並べても良いかも知れない。即ち、

茶色に揚げ、また黒いチョコレートを掛けるのは、黒人やインディアンといふ有色人種に対
する歴史的な贖罪の感情とともに、その裏返しにある茶色や黒い色に対する憧れを逆に意味
してゐるのではないだらうか。コカコーラの黒がさうであり、白人のジャズがさうであるや
うに。コカコーラを飲めば罪が赦され、ジャズを演奏すると罪が赦される。

そして、私たち日本人も其の魅力に抗することができない。

6。再度コカコーラとは何か?
このやうに考へて来て、コカコーラの場合の4つの構成要素、水、黒い色、発泡、臭ひを、
ここで再度整理すると、

(1)製造法の秘匿による贋の神聖性の創造
(2)黒い色といふ一番強い贖罪の意識の色。そして黒人の色。
(3)この神聖な水は、祖先の地である(つまり、独立宣言以降にも歴史的にも血統として
繋がつてゐる筈の)ヨーロッパの神話の世界の神聖な場所である森の中に滾々(こんこん)
と尽きず永遠に湧き出る神聖なる泉の水であり、それは湧き続ける炭酸の泡によつて其の神
話の永遠性が保証されてゐるといふ事。またヨーロッパの都市の中心の広場(市場)にある
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 45

やうな泉は無い替はりに、ガラスの瓶に詰められて携帯性を帯びた其の聖水を「いつでも、ど
こでも、誰にでも」飲むことができるということ。
(4)独特の消臭剤の臭ひで、罪の臭ひを消してしまふといふこと。しかし、この臭ひは薬臭
ひといふことから「(1)自分たち白人種の、人間としての魂と精神の消耗の恢復」をも含ん
でゐる。プラトンの言葉でいふ、コカコーラはアメリカ人のpharmakon(ファルマコン)[註
15]である。

これが、コカコーラといふ贋の神聖なる飲み物の象徴的な意義、即ち深い意味の様々といふ事
になります。

[註15]
pharmakon(ファルマコン)とは、古代ギリシャ語で、薬である毒、毒である薬といふ薬効/毒効を揺する物事
のこと。プラトンは『パイドロス』で、文字を使つて書くことと記憶と忘却の関係で、この言葉を使つてゐる。
`Pharmakonは、エジプトの神テウスからの贈り物であるといふ。薬である毒、毒である薬といふことが既に、
このエジプトとギリシャの話では、神話の世界と結びついてtopologicalな等価交換の関係にあることが判る。こ
れは、一神教の、時間の中で常に人間が選択を迫られる二項対立ではなく、時間とは無関係な、構造的で物事の
性質を問ふ多神教の両義性を備へた思考論理であり、二つの宗教の性格の相違がここにも現れてゐる。勿論後者
は超越論であり、前者は、近代にあつては、目的のために暴力を含めた手段を選ばない絶対命令による中央集権
化といふことであれば、カントーヘーゲルの系譜の共産主義であり、ファシズムになる。

「プラトンのパイドロスでは、登場人物であるソクラテスとパイドロス(と登場はしないリュシアス)が、書き
言葉と話し言葉を巡る部分で書き言葉=筆記をその例として挙げている。

They go on to discuss what is good or bad in writing. Socrates tells a brief legend, critically commenting
on the gift of writing from the Egyptian god Theuth to King Thamus, who was to disperse Theuth s gifts to
the people of Egypt. After Theuth remarks on his discovery of writing as a remedy for the memory,
Thamus responds that its true effects are likely to be the opposite; it is a remedy for reminding, not
remembering, he says, with the appearance but not the reality of wisdom.
Discussion of rhetoric and writing (257c‒279c)

書き記すことは記憶を助ける薬であるように思われるが、実際には覚えるのではなく覚えたことを思い出させる
に過ぎず、むしろ覚えることの妨げ=毒になるという内容だ。パイドロスでのファルマコン・パルマコンについ
てはジャック・デリダが題材としており、「散種(La Dissémination)』には「プラトンのパルマケイアー」と
いう一節がある(ちなみにこれは英語ではPlato s Pharmacyと訳されている)。」
(https://pcareer.m3.com/plus/article/pharmakon/)

この一節は、無文字文明である大地母神崇拝と、有文字文明である文明(文字で書かれた聖典を有する父権宗教
である一神教はこれに属する)の相違を、ここでも想起させる。

デリダの此のセッションは、私も読みましたが、いつもながら面白いもので、私の好きなテキスト(文章)の一
つです。しかし題名の訳では誤訳といふべきであつて、それは何故かといへば、散髪するやうに鋏で髪の毛をぱ
ちぱちと切つて散らばせるものではなく、これは人間の意志を以つて、従ひ目的を持つて種を撒くのであるから
(撒水にも手偏があれば消防署員と消防車の目的があらう)、種を播(ま)く、チラスのではなく(チラシ寿司
ならいいだらうが)マクのであるから、やはり播種と和訳の題名を直してもらひたいものである。さうでなけれ
ば、中身の誤訳多きことを恐れ、私は今だに訳本を買つてゐない。あるいは、かくして、撒種ならまだ赦せる。
しかし尚、そのやうな通用する語は普通にはなく、やはり播種である。もし漢字の字義を知らずに訳者が訳する
もぐら通信
もぐら通信                          ページ46

のであれば、やまと言葉で、種播き又は種まき、といふ題名の方が遥かに分かり易くて良いと、私は思ふのであ
る。年とともに意地悪な蛇足の註釈を[緑面の詩人]になつて付けたくなる私である。

別途『安部公房とチョムスキー』(第73号以降)に、また其の中で論じる予定の『近代の超
克』といふ題の座談会で、津村秀夫さんといふ方が、アメリカ文化の映画とエロティシズム(性
愛のあり方/表現の仕方)を簡潔に批評して、アメリカ文化の本質を、既に大東亜戦争開戦直
後に(そして、アメリカから見ると確かに太平洋戦争直後に)、それまで日本の経験して来た
アメリカ文化を省察して、的確に言ひ当ててゐます。これは映画だけのことを言つてゐるので
はありません。

「津村 第三には元来、アメリカといふ国自体が伝統的文化を持たなかつたと思ひますが、こ
れも重要な理由です。といふのはアメリカ映画がそれを正直に反映して行つたために、そこに
鑑賞上の世界的普遍性が生まれた。風俗、習慣、道徳等が欧州のやうに複雑でないから、如何
なる国民にも理解が容易であるといふ結果が生まれて来る。」(『近代の超克』255ページ。
富山房百科文庫)

先の敗戦直後から早速、企業人も含めた日本人と八百万の神々が、アメリカ文化を如何に変形
させて、戦後の経済の急成長による国の復興をなさしめ、またアメリカの文化を日本文化の一
部となしたかは、別途稿を改めて論じます。

いづれにせよ、1945年から数へて此の原稿を書いてゐる時点で70有余年を閲(けみ)し
たのである。この歳生まれた人間の一生のうちのほとんど全ての時間といふべき人生の時間に
値する大切な、二度と繰り返さぬ、取り返しのつかぬ時間の長さである。

70有余歳の人間の、自分の人生を振り返つて、自分の人生に果たして悔いなきか。

7。追記
このアメリカの文化の一つの産物であるドーナツを、言語貨幣論の観点から論じて見て、あら
ためて思ふのは、18世紀のカントが分岐となつて二つに分かれた、カントーヘーゲルの共産
主義の系譜とカントーショーペンハウアーといふ超越論の系譜のことである。

結局言語貨幣論の観点から此の分岐を眺めると、前者は貨幣を経済論の論理の中にのみ限定し
て論じ、近代国家といふ政治と経済の関係の内部でのみ論ずる狭い道を敷いたことになり、他
方反対に、超越論に拠つて近代国家の枠を超えて、その経営する経済の外部に文化の問題とし
て哲学的・言語論理的な原理を求めた後者の系譜は、広い道を敷いたことになる。何故なら、
前者は言語と貨幣の本質である再帰性を絶対的に否定し、他方後者は言語と貨幣の本質である
再帰性を絶対的に肯定する思考であるからだ。そしてまた、再帰性は自己を映し記憶する鏡と
しての冗長性(redundancy)と常に裏表の関係にあることを忘れてはならない。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ47

結局いづれの道が正しかつたか。正しかつたかといふのは、どちらが人間と社会と国家により
多く不都合の播種(デリダの用語法とは正反対の用語法であるが、しかし其の)の量を減少さ
せたか。即ち、人間をより幸せにしたか。その答へは明らかである。

今村仁司著『貨幣とは何だろうか』(ちくま新書)に著者の次の言葉がある。これは二十一世
紀に今ゐる私たちには自明なほど理解に努力を要しない。私がしばしば、資本主義と民主主義
とマルクス主義を一式にして共産主義と読んでゐることと同じことを、また安部公房が植民地
主義と同様に一括して呼んでゐることを、著者はもう少し専門の立場から詳しく述べてゐるの
である。「貨幣形式と資本主義」と出した節から引用する。この著者は超越論者です。

「しかも現在、資本主義なる言葉はすでに時代遅れである。それは理論概念としてなお学問的
有効性をもっているが、現実の世界はすでに資本主義的ではない。それは二十世紀の三〇年代
以降から社会主義的資本主義ないしは「国家資本」の社会主義のいずれかになったのである。
 西欧では「社会化した資本主義」(国家管理を強化した資本主義)は十九世紀の自由競争資
本主義を追放してしまったし、おなじ西欧でもドイツやイタリアでは、国家社会主義が「ファ
シズム」として実験された。
 他方、東欧圏ではスターリン主義の実験があり、それは「社会主義」と定義されてきたが、
実態はいわば全資本を国家に集中した「国家資本主義」である。二十世紀はどの地域でも「社
会主義」時代であった。そしてその内容は、ジンメル風にいうと「貨幣の不滅性」を証明した
ようなものである。」(同書073∼074ページ)

さうして二十一世紀の現在は二十世紀後半からいよいよ明らかになつて其の姿を現した「無国
籍国際金融資本主義」または「無国籍企業主義」といふ、「国家資本主義」を超えた「無国籍
資本主義」が跳梁跋扈してゐるといふことになつた。しかし、これは国家の枠を超えただけで
あつて、しかも国民の福祉のことはどうでもよく金儲けのためだけに国家の法律の外部にゐつ
づけようといふ意志のある丈一層貧富の差を激しくして一層共産主義であり、安部公房の言葉
でいふ植民地主義であることを止めない。

かうしてみると、18世紀のカントの分岐点の鍵語(キーワード)、das Ding an sich(ダス・


ディング・アン・ジッヒ)即ち物自体といふ言語論理の再帰性に全くの信を置いたカントが哲
学を打ち建てた同じ時代に、ルソーやヘルダーが言語起源論を、キリスト教から離れてそれと
は無関係に、人間の能力とは何かといふ問ひとともに、考へ探求したことは正しい努力であり、
時代の要求する思潮であつたのです。[註16]しかし人間は愚かにもカントーヘーゲルの共
産主義の系譜を選択した。

著者は更に「言語起源論について」と題した第3章第1節で次のやうな疑問を呈してゐます。

「言語の起源に関する議論と研究が十八世紀に集中的に行なわれた(ヴィーコ、ルソー、アダ
ム・スミスなど)。言語起源論に託された課題は二つある。
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ48
 ひとつは、言語の起源を迂回して認識と思考の根源を考えることであり、もうひとつは、文
学と芸術の起源を考えることである。前者はコンディヤックやデステュット・ド・トラシー、
あるいはアダム・スミスがとりくむ。後者はヴィーコとルソーの問題であった。
 しかし、なぜ十八世紀において、いくつかの西欧の国々で、同時多発的に言語起源論が提出
されたのであろうか。」(同書184∼185ページ)

この著者の問ひに対しては、言語と哲学と貨幣の関係及び哲学の系譜の分岐を論じた『安部公
房とチョムスキー(1)』(もぐら通信第73号)と、超越論に基づく言語起源論である『言
語とは何か II:言語起源論』(もぐら通信第77号)で論じましたので、これをご覧下さい。

これら二つの論考と此のアメリカ文化贋物論である「ドーナツとは何か」論の三つを併せて、
著者の疑問に十分に回答し得てゐると私は思ふが、如何か。

また、著者曰く「フランス革命は西欧のみならず世界の歴史の全体的転換を画すことになるが、
言語起源論はまさにフランス革命の直前の時期に集中している。こうして問題は、歴史一般で
はなくて、ひとつの歴史的時期(十七、十八の二世紀間の第一近代)の終焉と次の時期への危
機的移行における文明と文化の問題に通じている。」(同書186ページ)

この近代史の転換点であるフランス革命の標榜した自由・平等・博愛といふ観念も、二十一世
紀に入つて2017年1月20日のトランプ大統領の就任演説で終焉を迎へたことは、『言葉
の眼 11:安部公房の世界からトランプ大統領の就任演説を読む』(もぐら通信第54号)
でお話しした通りです。何故ならば、近世・近代の共産主義(または安部公房のいふ植民地主
義)を含めて、これまでのキリスト教といふ唯一絶対全知全能神の支配してきた地域の侵略的
な文明に替はつて、二十一世紀初頭に登場したトランプといふアメリカの大統領は、不動産と
いふ大地母神の資産の売買を業と為して財をなした男であり、従ひ、父権宗教から生まれた絶
対命令による言語再帰性の否定をするものではなく、全く正反対に、同氏の標語がAmerica
First(米国本位)といふやうに、アメリカの大地と言語の再帰性を絶対的に肯定するものであ
るからです。

二十一世紀の時代は、言語再帰性の、従ひ言語冗長性の、絶対的な肯定に向かつてゐる。わた
しが、1951年の遺伝子の二重螺旋構造の発見以来全地球的にバロックの時代であり、バロッ
ク紀元だといふ所以です。

『貨幣とは何だろうか』は1994年9月20日の初版発行。歴史に学んで、これからの時代
の潮流を良く読み抜いた、今も読まれるべき優れた本であると、私は思ひます。

この著者の思考論理は超越論でありますから、貨幣と通貨の本物贋物論なども含めて、安部公
房の読者にはお馴染みの論理であり、読み易く理解し易い筈です。同様に、同じ理由で、これ
まで何度か参照して来た岩井克人著『貨幣論』といふ超越論に拠る貨幣論も一読をお薦めしま
す。ともに読みながら、貨幣といふ存在の観点から、人間や社会や国家を、そして安部公房の
読者であるあなた自身を再帰的に省察することができませう。これは読書の楽しみであり、愉
悦です。両著ともに、章末・巻末に参考文献が列挙されてゐる。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 49

安部公房とチョムスキー
(8)

岩田英哉

      目次

1。ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あるのか
青字は前回までに
2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置 論じ終つたもの、
3。バロックとはどういふ時代か 赤字は今回論ずるもの、
3.1 バロックとは何か 黒字はこれからのもの
3.2 バロック建築:差異の建築
3.3 バロック文学:差異の文学
3.4 バロック哲学:差異の哲学
4。チョムスキーの統辞理論とバロックの言語学:生成文法とポール・ロワイヤル文法
(1)チョムスキーの統辞理論とは何か
(2)ポール・ロワイヤル文法とは何か
4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語の持つ冗長性とは何か
5。ポール・ロワイヤル文法とラシーヌ
6。「2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」に関する補遺的説明
(1)再度バロックとは何か:バロックの概念ー歪な真珠とは何かー:真珠の分類と存在の凹の形象の一致
(2)ヨーロッパのバロックの概念と定義:ヨーロッパのバロック概念を中心にヨーロッパの17世紀を再帰的に読
み解く:何故ヨーロッパの人間はバロックに戻るべきか
 (あ)政治:ウエストファリア条約
 (い)金融: イングランド銀行の設立
 (う)経済:株式会社の成立
 (え)文化:バロック様式
    ①目に見えるバロック様式:都市設計、建築、庭園、美術、天文学
    ②目に見えないバロック様式:文学、哲学、論理学、修辞学、文法学、数学(幾何学)、音楽
7。イスラムから見た近代史:『イスラームから見た「世界史」』(タミム・アンサーリー著。小沢千重子訳)を読
む:イスラム文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する
8。日本列島文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する
9。 座談会『近代の超克』(文芸誌『文学界』(1942年(昭和17年)9月及び10月号))を読む
10。座談会『世界史的立場と日本』(1943年(昭和18年)中央公論社)を読む
11。二つの座談会で指摘された問題の列挙と解決方法について
12。Topological(位相幾何学的)な「近代の超克」
(0)ヨーロッパ中世スコラ哲学の論理を論破し、topologyで変形させる
 (あ)カントーヘーゲル(共産主義)の系譜に内在するスコラ哲学とカントーショーペンハウアー(超越論)の
    系譜に内在するスコラ哲学を比較して継承と消滅と残存変形をみ、これを論破し、再度変形する
 (い)共産主義の系譜と超越論の系譜に生きてゐるスコラ哲学の論理を論破し、これを変形して超越する
(1)日本の世界史的立場:公武合体政策の解消とバロック的楕円形国體への復帰を
(2)世界の日本史的立場:汎神論的存在論(超越論)に拠つてヨーロッパ地域での古代の神々の復活を

今月は休載。次号をご期待下さい。
もぐら通信
もぐら通信                          50
ページ

リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(25)
   ∼安部公房をより深く理解するために∼
岩田英哉

XXV

Dich aber will ich nun, Dich, die ich kannte



wie eine Blume, von der ich den Namen nicht weiß,

noch ein Mal erinnern und ihnen zeigen, Entwandte,

schöne Gespielin des unüberwindlichen Schrei's.

Tänzerin erst, die plötzlich, den Körper voll Zögern,



anhielt, als goß man ihr Jungsein in Erz;

trauernd und lauschend ―. Da, von den hohen Vermögern

fiel ihr Musik in das veränderte Herz.

Nah war die Krankheit. Schon von den Schatten bemächtigt,



drängte verdunkelt das Blut, doch, wie flüchtig verdächtigt,

trieb es in seinen natürlichen Frühling hervor.

Wieder und wieder, von Dunkel und Sturz unterbrochen,



glänzte es irdisch. Bis es nach schrecklichem Pochen

trat in das trostlos offene Tor.

【散文訳】

お前に、しかし、わたしは、今こうして、お前に、わたしが知った、名前を知らない花のような
お前に、もう一度だけ、思い出させて、そうして、彼らに示してやりたい、盗まれた者、克服で
きない、克服とは無関係の叫びの美しい遊び友達よ。

まづ最初に踊り子、突然、全身を震わせている体を、恰もその若いという存在を鉱石の中に注
ぎ込むかの如くに、そのままの状態で止めている踊り子。嘆き悲しみながら、聞き耳を立てな
がら。ほら、そこで、高い、高貴な能力のあるものたちから、彼女の音楽が、その変えられた心
臓の中へと落ちた。

病気がそばにいたのだ。既に影によって領されていて、暗くなって、血が、押し寄せたが、しか
もぐら通信
もぐら通信                          ページ51

し、束の間疑わしく思われたかのように、血は、その自然の春の中へと表に押し進んで出てきた
のだ。

何度も何度も、闇と墜落によって中断されながら、その血は、地上で輝いた。驚愕の心音の後、
その血が、慰め無く開かれた門の中へと歩み入るまで。

【解釈と鑑賞】

リルケ自身の註釈によれば、このソネットは、Weraという女性、若くして亡くなった、友人の
娘、若い踊り子に捧げられています。

リルケは、若い女性をいつも花に譬える。そうして、例外なく、その心理上の原因によって、名
詞句をつくる。女性や花に、重層的に、そういう意味では花びらのように、花そのもののよう
に、従属文を幾つも掛けて、動詞の無い、名詞句を構成するのだ。この顕著な傾向は、第2部
のソネットで、女性と花を歌ったソネットにも、もっと見ることができる。

冒頭の「お前に」に、関係文がかかり、比喩である花という言葉にまた、関係文がかかってい
る。リルケは、そうしないと、女性と花について書くこと、歌うことができないのだ。

それが、何故なのかについては、「リルケの青春と謎の一行」(2009年7月18日)(http://
shibunraku.blogspot.com/2009/07/blog-post_18.html)で、悲歌でも同様の現象が典型的
に、意図的に現れているので、そこで論じましたので、ご興味のある方は、お読み戴けると、う
れしく存じます。

「お前に」という言葉が重くなっていて、その谷間に一人称が埋もれてしまいそうな感じがしま
す。性愛を意識すると、リルケは、止めどなく我を喪うのだろう。そうして、文を書くことがで
きなくなる。

第2連の最初の行も、踊り子という名詞だけで、それに関係文が掛かっているという、同じ構造
をとっています。

第2連のErz、エルツ、鉱石は、豊かな、しかし沈黙と一緒に出てきたのではないか。そこから
何か生産的な、しかし静かなものが生まれるものとして。今そう思う箇所を見つけることができ
ないので、この段落は備忘に留まる。

第2連の「その変えられた心臓」とは、普通の状態ではない心臓のことなのでしょう。
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ52
第3連を読むと、一時病状は恢復に向かったように見えたことがあったのでしょう。しかし、
やはりいけなかった。

【安部公房の読者のためのコメント】

もしこの詩に、安部公房と安部公房の創造する主人公と共通することを挙げるとすれば、

1。「このソネットは、Weraという女性、若くして亡くなった、友人の娘、若い踊り子に捧げ
られてゐるといふこと。」即ち、若い命が若いままに喪はれたといふこと。私たちは、金山時夫
のことを思へばよいでせう。
2。「「お前に」という言葉が重くなっていて、その谷間に一人称が埋もれてしまいそうな感じ
がします。」即ち、一人称と二人称の境界が曖昧になつて、これもやはり自他の識別が失はれ、
自己喪失の状態になること。
3。「性愛を意識すると、リルケは、止めどなく我を喪うのだろう。そうして、文を書くことが
できなくなる。」とあるやうに、二種類の未分化の実存、即ち知恵遅れの偏奇な少女と、少年
のやうな成熟した女性といふ女性のうちの特に後者に性愛を意識することと自己喪失の契機の
到来と存在への下降と、世界の果てに至つた際に
主人公を救済するために再度登場するといふことが、一つになつて描かれることに通じてゐます。

「文を書くことができなくなる」ことが、自己喪失に相当するでせう。

4。「第2連のErz、エルツ、鉱石は、豊かな、しかし沈黙と一緒に出てきたのではないか。そ
こから何か生産的な、しかし静かなものが生まれるものとして。」とあることは、今あらためて
安部公房の世界を振り返りますと、

(1)リルケの『形象詩集』にある『飾り彫りのある柱の歌』(『Das Lied der Bildsäule』)が


同じ主題を詠んでゐますし:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/das-lied-der-
bildsaule.html
(2)それから、安部公房自身のこととしては、初期安部公房に『化石』といふ詩があり(全集
第1巻、208ページ)、また小説家として身を立てた後の作品には、小説『石の眼』(全集第
12巻、27ページ)と戯曲『石の語る日』(全集第12巻、341ページ)があります。

安部公房が石について考へ、論じ、書く時には、砂といふ石の細粒も含めて、リルケの此の詩や
『飾り彫りのある柱の歌』の論理がそのまま生きてゐます。その論理が如何なるものかについて
は、上のURLのブログか又は『リルケの『形象詩集』を読む(連載第7回):『飾り彫りのあ
る柱の歌』、『Das Lied der Bildsäule』∼リルケ・戯曲『石の語る日』・大坪都築・ラジオド
ラマ『棒になった男』・小説『S・カルマ氏の犯罪』∼』(もぐら通信第38号)をお読みくだ
さい。
もぐら通信                         

もぐら通信 53
ページ

連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部

(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(2)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ54
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
    真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
    て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
    ①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
    ②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
    ③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
    ④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
    ⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
もぐら通信                         

もぐら通信 55
ページ
(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少
年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(68)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(69)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(70)Topologyで神道を読む(1):祓詞と祝詞と結界のtopology
(71)Topologyで神道を読む(2):結び・畳み・包みのtopology

[シャーマン安部公房の神道講座:topologyで読み解く日本人の世界観]
(71)超越論と神道(1):言語と言霊
(72)超越論と神道(2):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(73)超越論と神道(3):topologyと産霊(むすひ)または結び
(74)超越論と神道(4):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(75)超越論と神道(5):呪文と祓ひ・鎮魂
(76)超越論と神道(6):存在(ザイン)と御成り
(77)超越論と神道(7):案内人と審神者(さには)
(78)超越論と神道(8):時間の断層と分け御霊(わけみたま)
(79)超越論と神道(9):中臣神道の祓詞(はらひことば)をtopologyで読み解く:
              古神道の世界観

(80)三島由紀夫の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(81)安部公房の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(82)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(83)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(84)安部公房とチョムスキー
(85)三島由紀夫のドイツ文学講座
(86)安部公房のドイツ文学講座
(87)三島由紀夫のドイツ哲学講座
(88)安部公房のドイツ哲学講座
(89)火星人特派員日本見聞録
(90)超越論(汎神論的存在論)で縄文時代を読み解く
もぐら通信                         

もぐら通信 編集後記 ページ 56


●『カンガルー・ノート』論(14):5。3 存在を招来する/5。3。2 存在の中の存在
の中の存在の話2:第4章:ドラキュラの娘:論中に書きました通り、凹の形象=1箇所の開
口部+(素材を問はず)袋状の形態 です。まあ、これだけでも、今回のアメリカ贋物論で論じ
たドーナツと通貨がさうであるといふことは納得ではないでせうか。人間に此の理解(といふ
よりは認識といふ方が正しいかもしれません)が難しいのは、素材に拘泥するからです。金貨が
いい、銀貨がいい、素材こそが貨幣(存在)の価値だと錯覚するのです。マルクスも同じ過ちを
犯しました。しかし、あなたもきつと心の何処かでマルクスと同じことを思つてゐる筈。マルク
ス主義を奉じて金持ちになつたのは地球上どこの国でも共産党の幹部だけです。日本も同様。人
生は勿論お金が全てではありませんが、しかし富を得たければ安部公房の超越論で考えるべき
です。何故ならこれは宇宙の真理だから。●安部公房のアメリカ論(3)∼贋物の国アメリカ∼:
ドーナツとは何か:近代ヨーロッパの経済学者を含めて専門家が理解できないで来た言語と存在
と貨幣の関係を、安部公房の読者は容易に理解ができるといふ、まあ、これは数学に長けた安
部公房の読者ならではの私たちの特権でありませう。存在と現存在、貨幣と通貨、電気と電流、
移民第一世代の親の言葉とクレオール語、普遍文法と個別文法、言語論理と発声語等々、あな
たの日常生活に応用できるこれは本質的な分類です。ご活用ください。例へば、バランスシート
(B/S)と損益計算書(P/L)、管理部門と営業部門、要するに、存在と時間、それから存在と
(時間の中に存在する)現存在といふわけです。さうして、これら後者が凹の形象=1箇所の開
口部+(素材を問はず)袋状の形態であるならば、相互に「いつでも、どこでも、誰にでも」
等価で交換可能であるといふtopologyの世界。汎神論的存在論、西洋哲学用語でいふ超越論の
世界です。●安部公房とチョムスキー(8):今回は休載。バロックのヨーロッパをどうやつて
読者に伝へやうかと思案中。21世紀のヨーロッパはバロックに回帰すべし。といふのが私の
所論。日本は最初から縄文時代からバロックなので回帰は無用。縄文土器のうちの火焔土器と
呼ばれてゐる火炎は火炎にあらず、これは渦状紋だといふのが私の意見。何故ならば、超越論に
よれば二つの時間の同期に遅延の生じた場合に存在が現れるから。これが水ならば鳴門の渦、
気流ならばこれも空気の渦。これが液体と気体の場合。個体の場合は、いふまでもなく、細か
ければ『砂の女』の砂粒である。●リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(25):山
頭火の句のやうですが、言ふならば、分け入つても分け入つてもリルケ、分け入つても分け入つ
てもオルフェウス、分け入つても分け入つても安部公房。●ではまた、次号

差出人:
次号の原稿締切は超越論的にありません。いつでも
贋安部公房 ご寄稿をお待ちしています。

〒 1 8 2 -0 0
03東京都
調布
市若葉町「 次号の予告
閉ざされた
無 1。『カンガルー・ノート』論(16):第5章新交通体系の提唱
限」
2。火星人特派員日誌
3。。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(26)
4。Mole Hole Letter(7):超越論(3):安部公房の女性の読者のための
超越論
もぐら通信
もぐら通信                          57
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくた その共有を喜びとするものです。
めに、 安部公房縁りの方、有識者の方など 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、
に僭越ながら 本誌をお届けしました。ご高 もぐら通信の編集及び発行を行うものです。
覧いただけるとありがたく存じます。(順
不同)  【もぐら通信第79号訂正箇所】

安部ねり様、近藤一弥様、池田龍雄様、ド 23ページ:
ナルド・キーン様、中田耕治様、宮西忠正 訂正前:「幼い女性とが闇の中を指差し
様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 た。
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓 訂正後:幼い女生徒が闇の中を指差した。
一郎様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行
様、内藤由直様、番場寛様、田中裕之様、
訂正の場合には、Googleドライブには訂正後
中野和典様、坂堅太様、ヤマザキマリ様、
の最新版を差し替へて置いてあります。
小島秀夫様、頭木弘樹様、 高旗浩志様、島
田雅彦様、円城塔様、藤沢美由紀様(毎日
新聞社)、赤田康和様(朝日新聞社)、富
田武子様(岩波書店)、待田晋哉様(読売
新聞社)

【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ
ア図書館、「何處にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集
と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜びを見出す
ものです。
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
とするものです。
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

You might also like