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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信    Mole Communication Monthly Magazine


2019年10月1日 第85号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通 安部 しかし、どうもわれわれの放談にしちゃ、あまり話が正論すぎるから、もっ
けの って
番地 と別な話をしようじゃない……。
に届
きま
す 岡本 だって安部公房が正論をはじめるから……。

『宇宙・人間・芸術』(全集第8巻、217ページ上段):[対談者]安部公房・岡本太郎

安部公房の広場 | s.karma@molecom.org | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                          ページ 2

    
               目次
0 目次…page 2
1 記録&ニュース&掲示板…page 3
2 詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観…page 9
3 安部公房とチョムスキー(10):9. 近代ヨーロッパの17世紀に何があつたか:休
載:岩田英哉…page 26
4 哲学の問題101(2):私とは本当は誰か:岩田英哉…page 27
5 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(29):第2部 III: 鏡を、今だ嘗て、
お前たちが、お前たちの本質の中に何があるのかを知って、 :岩田英哉…page 38
6 Mole Hole Letter(10):超越論(5):勾玉:岩田英哉…page 45
7 編集後記…page 59
8 次号予告…page 59

・連載物・単発物次回以降予定一覧…page 56
・本誌の主な献呈送付先…page60
・本誌の収蔵機関…page 60
・編集方針…page 60
・前号の訂正箇所…page60

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。
そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。
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  ニュース&記録&掲示板

The best tweets 10 of the month

今月も不作なり
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Silv
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Priz 今月も不作なり

今月の箱男1
BON@1632bdkrst 7月24日
《箱男》(1973)のための写真と
自筆原稿…安部公房

今月の箱男2
非おむろ@Non_omuro 7月22日
諸悪の根源は、コテハンなんだよなあ。
社会への所属・登録についての思考実験の詳細については、安部公房『箱男』
で……。

今月の上演
蒸気展望@steamvision0703 7月18日
【安孫子陶 過去作品紹介①】
『隧道』
蒸気展望主宰、安孫子陶が17歳のときに作演出をつとめた作品。東北地区高等学校
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp
演劇大会で優秀賞第一席・創作脚本賞を受賞し、春季全国高等学校演劇研究会に出
場。安部公房『砂の女』を下敷きにして、突如トンネルに閉じ込められた国語教師
の反抗と葛藤を描く。
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くろはる@harubonnechance 7月22日
舞台のお知らせです!
今月28日(土)と29日(日)に
安部公房作「少女と魚」を上演致します。
私はAグループでどちらも違う役で出演します!
興味ある方は私に連絡ください!

今月の勅使河原宏
川崎弘二 Kōji Kawasaki@koji_ks 7月23日
安部公房脚本、勅使河原宏監督の映画「1日240時間」
(1970)の美術デザインが高松次郎。

(写真を)

川崎弘二 Kōji Kawasaki@koji_ks 7月23日


安部公房、勅使河原宏、武満徹による映画
「白い朝」1965。「ハイティーンたちに当って
まず音を収録、このなかから主題的なテーマを
引出して武満氏が音を構成、これに勅使河原
監督が絵をぶっつける」という七里圭監督が
取り組む「音から作る映画」を先取ったこの
映画の顛末は「武満徹の電子音楽」で!
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今月の他人の顔
だると@sir_scanner 7月24日
安部公房原作の名作「他人の顔」。仕事上の事故で顔をなくしてしまった男が人の
面を装着することにより他人になったような気でいるというストーリーだったよう
な。原作小説よりもこれは映画の方が楽しめます。

今月のハンミョウ
蟲文庫 田中美穂@mushi_b 7月23日
昨日の閉店後、山越えルートで近所のローソンに向かっていたら、足もとにハンミョ
ウ(斑猫)が。ちょうど、昼間お客さんから「安部公房の『砂の女』に出てくる虫っ
てなんでしたっけ」と尋ねられ「ハンミョウじゃないですか?」と答えたところだっ
たので、なおさら「わっ!」と思いました。

今月の絶版
hayamin@hayamin_tw 7月26日
「幽霊はここにいる」安部公房
これもう絶版なんだね。全集を買わせる魂胆か何か知らんが、安部公房も文庫で読
めない時代になったか。

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今月のピンク・フロイド
まち@wish_blur 7月24日
タモさんが安部公房の前でピンク・フロイドの悪口を言ったらすげー怒られたエピ
ソード大好き

今月の署名本
古書 柘榴ノ國 (ザクロノクニ)@奈良@zacronokuni 7月21日
本日の棚出し署名本。安部公房
「第四間氷期」講談社・昭和45年の初版。
サインペン署名入り。

今月の朗読会
yukitad@yuki_tada1203 7月21日
何故に「毒」かと言うと、俳優の河内さんはタップの村田さんと安部公房の作品を
題材にした「朗毒会」という公演を行ってるからなんですよね。前回の「朗毒会」
も(私が観た回はピアノのスガダイローさんもご出演)毒っ気たっぷりでヤバくて
サイコーでした。8月10日(金)はどんなことになるんだか!

(写真を言える>言葉とリズムが。。。)

今月の安部公房劇場
佐藤一恵@LYX4UrCLrPpsJHf 7月20日
「安部公房の劇場」をめぐる一夜
http://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar720444 … #blomaga

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今月の自筆原稿
漢と密偵@BaddieBeagle 7月19日
"昭和43年(1968年)。池袋西武百貨店の古書市に二百点を超える作家の自筆原稿
が出品された。大江健三郎、安部公房、江戸川乱歩、川端康成、井上靖、遠藤周作
などなど、錚々たる作家たちの自筆原稿が一堂に会したのはなぜか?":青木正美『文
藝春秋作家原稿流出始末記』

「昭和43年(1968年)。池袋西武百貨店の古書市に二百点を超える作家の自筆原
稿が出品された。大江健三郎、安部公房、江戸川乱歩、川端康成、井上靖、遠藤周
作などなど、錚々たる作家たちの自筆原稿が一堂に会したのはなぜか? その時、
安部公房『砂の女』の原稿を落札した著者(古本屋青木書店店主)の元に数日後、
文藝春秋の社員を名乗る男が原稿を買い戻させてほしいと訪ねてくる。膨大な自筆
原稿類は文藝春秋が銀座から麹町に引っ越す際に処分したものだったのだ…。

30数年後、処分済みの原稿の残りの行方をたまた知った著者はすべてを買い取るが、
それは原稿の一枚目が欠けている「首ナシ」原稿だった。その日から、著者は文藝
春秋の雑誌を購入し、作品、著者を特定する日々を送る。はたして「首ナシ」原稿
は特定できるのか。

下町の古本屋・青木書店の店主青木正美が文藝春秋から流出した自筆原稿の売買の
顛末を綴る「文藝春秋作家原稿流出始末記」のほか、戦後の古本価格等の移り変わ
りを記録した「古書流行史」、窪川鶴次郎、佐多稲子、中野重治の三人の関係を考
察する「『鶴次郎・稲子・中野重治』考」を収録。

今月の安部公房論
詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 7月27日
安部公房『砂の女』研究--砂の世界への解放 http://ci.nii.ac.jp/naid/
40001291768 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 7月25日
鳴り響き続ける「ぼく」 : 安部公房『カンガルー・ノート』試論 http://ci.nii.ac.jp/
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naid/120005851876 …
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詩的文学論文bot @shiteki_bungaku 7月23日


〈中折れ〉してしまう記述者 : 安部公房『他人の顔』試論 http://ci.nii.ac.jp/naid/
110009432959 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 7月22日
所有の始原 : 安部公房「赤い繭」論 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007506049 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 7月24日
安部公房『砂の女』研究--砂の世界への解放 http://ci.nii.ac.jp/naid/
40001291768 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 7月18日
安部公房『他人の顔』論 : 自己疎外と加工された顔 http://ci.nii.ac.jp/naid/
120005942791 …

詩的文学論文bot @shiteki_bungaku 7月19日


安部公房『壁̶S・カルマ氏の犯罪』における「ぼく」から「彼」へ
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006272201 …

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詩的な、余りに詩的な
     安部公房と芥川龍之介の共有する小説観 
岩田英哉

『詩的な、余りに詩的な』といふ題名は、芥川龍之介の文学論『文藝的な、あまりに文藝的
な』の題名の捩(もじ)りです。そして、芥川龍之介の此の題名の本家は、勿論ニーチェの
『人間的な、余りに人間的な』(『Menschliches, Allzumenschliches』:メンシュリッヒェ
ス、アルツーメンシュリッヒェス)です。

私の題名の由来は、芥川龍之介の此の文学論を読んで、この小説家の文藝論が小説論である
にもかかはらず、余りに詩的であることによります。このことが、実は安部公房の文学によ
く通つてゐると思ひました。二人の共通点は、次の二つです。

(1)詩的精神を大切にしたこと
(2)エドガー・アラン・ポーの愛読者であること[註1]

[註1]
『ポーの片影』といふポー論を芥川龍之介は書いてゐます。小さいけれどもよく調べられてゐて、芥川がポーの
愛読者であつたことを思はせます。青空文庫に収められてゐます。URL:https://www.aozora.gr.jp/cards/
000879/files/4614_6777.html

ポーが『大鴉』といふ詩を制作してゐる其の詩的精神と、この詩の論理的な制作過程を自ら
論じてゐるといふ散文的な精神の二つを、ポー自身が一つの身に体現してゐることと、安部
公房のやはりポーを自分の好きな作家の第一位に置いて、同時に詩を作中に挿入すること、
また小説も戯曲も、詩文をtopologicalに内部と外部を等価交換したものが安部公房の散文で
あること[註2]、そして登場人物同士の会話のやりとりがそのまま安部公房の詩の世界で
あること、一言でいふと論理的な詩精神が、ポーと安部公房の共通項ですが、これら二人に
対して、芥川龍之介も同じ志を有する小説家だといふことが、『文藝的な、あまりに文藝的
な』を読むと判ります。

[註2]
「『カンガルー・ノート』論(4)」(もぐら通信第69号)の「5。1。4 『カンガルー・ノート』の形
象論:(17)笛の音」より引用します:

「(12)詩を書く事と散文を書く事が同じ原理、外部と内部の交換というtopologicalな原理によって書かれ
てゐるからである。詩文の裏返しが散文であり、散文の裏返しが詩文である。(これは『無名詩集』の最後に
あるエッセイ「詩の運命」(全集第1巻、264ページ)とエッセイ『猛獣の心に計算機の手を――文学とは
何か』(全集第4巻、492ページ)に、双方の表現形式の裏表の関係として、実際に書かれてゐる。)従ひ、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 10

(13)日本の文学の伝統から見ても [註3]、(12)のやうにtopologyの視点から見ても、安部公房の小
説の中に詩が詠まれる事は必要必然のことである。
(14)上記(12)と(13)のことは、初期安部公房が詩人のままに小説家になるために確立した様式
「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」のtopologyと、旅と鎮魂といふ日本の詩の伝統と、また大和物語や伊
勢物語や源氏物語以来の歌物語の様式とを、一次元上で統一したといふ事である。

[註3]
『旅と鎮魂の安部公房文学』(もぐら通信第65号)をお読みください。詳述しました。」

しかし尚、次のやうな相似たる作品を書いてをります。括弧の中は共通する主題、URLは青
空文庫のURLです。

(1)『箱男』:『藪の中』(複数の視点)[URL:https://www.aozora.gr.jp/cards/
000879/files/179_15255.html]
(2)『箱男』:『尾生の信』[註3](超越論:存在の十字路)[URL:https://
www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/24_15235.html]
(3)『洪水』:『尾生の信』(超越論:存在の十字路)[URL:同上]
(4)『他人の顔』:『ひよつとこ』(仮面と素顔)[URL:https://www.aozora.gr.jp/
cards/000879/files/54_15238.html]
(5)『終りし道の標べに』その他のノートブックもの:『奉教人の死』(偽書による小説
の虚構化)[URL:https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/49_15269.html]

[註3]
『尾生の信』は、定時定刻に待ち人きたらずの小説。橋の下で男が女と待ち合はせるといふのは『箱男』に似
る。橋の下とは、安部公房の世界では存在の十字路である。川と橋の交差点。安部公房の好きだったベケット
の『ゴドーを待ちながら』によく似た話です。おまけに結末は、女は来らず、洪水に男は溺死する。存在の交差
点での洪水といふ発想からは、安部公房の初期作品『洪水』に似る。

さて、この文藝論は、谷崎潤一郎の『饒舌録』といふ小説論を契機に其の応酬から生まれた
ものです。ここでは谷崎の小説論については直接は触れず、芥川の小説観に関係する範囲で
『饒舌録』に言及することにします。芥川の所論を一覧性ある図にすると次のやうになりま
す。芥川の小説論は文章で読むと一見晦渋ですが、しかし主張してゐる骨子は図示すると解
りやすいものです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ11

ダウンロードは:https://ja.scribd.com/document/384860069/芥川龍之介の小説観

[註4]
象限Aの谷崎潤一郎の『麒麟』の冒頭には、故郷を後にした孔子の思ひを歌つた次の詩が書かれてゐます。詩情
のみならず、文字通りに詩があるわけです。これが小説だといふ考へです。

「或る日、いよいよ一行が、魯の國境までやつて來ると、誰も彼も名殘惜しさうに、故鄕(ふるさと)の方を
振り顧(かへ)つたが、通つて來た路は龜山の蔭にかくれて見えなかつた。すると孔子は琴を執つて、
  われ魯を望まんと欲すれば、
  龜山之を蔽(おほ)ひたり。
  手に斧柯(ふか)なし、
  龜山を奈何(いか)にせばや。
かう云つて、さびた、皺嗄(しはが)れた聲でうたつた。」
もぐら通信
もぐら通信                          ページ12

この図をみて、芥川龍之介の目指したものは何かといへば、美といふこと、散文による美で
有るといふ事になります。大正十五年(1926年)、死の前年に芥川は『小説作法十則』
といふ題の小説作法要領を書いてをり、その第一則は上の図の事実を示して次の通りです。

「小説はあらゆる文藝中、最も非藝術的なるものと心得べし、文藝中の文藝は詩あるのみ、
即ち小説は小説中の詩により、文藝の中に列するに過ぎず。従つて歴史乃至伝記とは実は少
しも異る所なし。」

この第一則のいふところは、歴史や伝記には詩があるのだといふ事、さうであれば歴史も伝
記もまた、その中にある詩を発見すれば、小説になりえることを意味してゐます。実際芥川
の書いた歴史物も伝記物も、この考へで書かれたのだと思つて、『奉教人の死』や『邪宗門』
などの一連の切支丹物や『地獄変』『戯作三昧』『枯野抄』などの藝術家小説の執筆動機を
思つてみると芥川龍之介の世界への理解は一層深まるやうに思ひます。

安部公房も同様である。しかし、安部公房の場合には其の美は陰画の美でありました。『密
会』刊行後のコメントを引用します。これを読むと、芥川の『地獄変』の藝術家の主人公と
同様の運命的な、即ち藝術家であることと裏腹にあつて分かち難い凄惨な美を求める安部公
房の衝動を私は感じますが、あなたは如何。

「この小説のエピグラフとして僕は、「弱者への愛には、いつも殺意がこめられている」と
いう言葉を置いたけれども、それが最後には裏返されて、「弱者の幸せには、いつも殺され
る期待がこめられている」という感じに逆転していった。「弱者への愛には、いつも殺意が
こめられている」と言っている立場と、小説を書いている僕の立場とは、ちょうど裏表なん
だな。書きながら感じたんだが、強者である「馬人間」を仮に主人公とすると、この小説は
やはり、僕の眼で書いたのではなく、僕が自分の眼にはしたくない眼でこの世の中を書いた
ということになる。ある意味で、「もの凄く美しく地獄を書こうとした」とも言えるし、ま
た、ユートピアを裏から書いたとも言える。」(『裏からみたユートピア』全集第25巻、
503ページ

それから、上の図の象限AとDに芥川がデッサン力がなくても色彩で完成(象限A)または未
完成(象限D)の作品が生まれて、詩的精神の発露があれば小説になるといふのに対して、芥
川と安部公房の大きな違ひは、安部公房には骨太のデッサン力があつたといふことです。そ
れ故に、芥川龍之介の自殺に関する小林秀雄の次の言葉となるのです。

「鷗外と漱石とは、私小説運動と運命をともにしなかった。彼等の抜群の教養は、恐らくわ
が国の自然主義小説の不具を洞察していたのである。彼等の洞察は最も正しく芥川龍之介に
よって継承されたが、彼の肉体がこの洞察に堪えなかった事は悲しむべき事である。芥川氏
の悲劇は氏の死とともに終ったか。僕らの眼前には今私小説はどんな姿で現れているか。」
(小林秀雄『私小説論』)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ13

当時の文学的論争の対象は、私小説(自然主義の小説)とプロレタリア文学(マルクス主義
の小説)の小説観であり小説でした。

小林秀雄の批評を読むと、これも誠に当たり前の指摘をしてゐる事に今更ながら気づくので
すが、かうしてみると、それが表に出るか否かは別にして、作家に古典的な教養がなければ
話のある虚構の小説を書くことができないといふことです。乱暴な言ひ方をすれば、素材と
しての私小説を書くには古典的教養を必要としない。しかし勿論私小説作家には古典的な教
養を、やはり此れは文藝ですから、必要とします。私の私小説の定義は次のものです。

私小説の定義:
私小説とは、圧倒的な近代ヨーロッパ文明に直面して、その強圧に抵抗して明治時代に生ま
れた家父長小説であり、且つ藝術家小説である小説である。

この定義に従ひ、また小林秀雄の『私小説論』の筆捌きに其のまま従つて、私小説と虚構小
説、それから私小説作家と虚構小説作家の違ひを次のやうに説明することができます。

作家の日常生活(家父長生活)と藝術活動の生活(藝術家生活)が等しく一致させようとし
てゐる作家が私小説の作家であり、この二つをきちんと整理して分けて創作活動をなすこと
のできた作家が虚構小説家である。

前者の代表を志賀直哉、後者の代表を谷崎潤一郎として、小林秀雄の私小説論から引用する
と次の通りとなります。要約しますと、

(1)私小説作家は、日常生活を純化し藝術化して、その生活を私小説と呼ばれる小説へと
一致させる。
(2)虚構小説家は、反対方向に、虚構の世界へと日常の生活を純化し藝術化して、その生
活を描く。

前者の代表的な文章は昭和三年に志賀直哉の或る創作集の序言として作者自身の寄せた求世
(ぐぜ)観音に関する以下に引用する言葉を、後者の代表的な小説としては谷崎潤一郎の『蓼
食ふ虫』を小林秀雄は挙げてをります。

「夢殿の救世観音を見ていると、その作者というような事は全く浮んで来ない。それは作者
というものからそれが完全に遊離した存在となっているからで、これは又格別な事である。
文芸の上でもし私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論それに自分の名など冠
せようとは思わないだろう。」

この志賀直哉の言葉、即ち「花袋が、モオパッサンに、日常実生活の尊厳を学んで以来、志
賀直哉氏ほど、強烈にかつ堂々と己(おの)れの日常生活の芸術化を実行した人はない。氏
もぐら通信
もぐら通信                          ページ14

ほど日常生活の理論がそのまま創作上の理論である私小説の道を潔癖に一途に辿った作家は
いなかった。氏が夢殿観音を前にして感慨に耽る時、氏の仕事は行く処まで行きついたので
ある。」といふことを一方の極とすると、他方の極は芥川龍之介が小説論を戦わせた虚構小
説家谷崎潤一郎に対する小林秀雄の説明は次のやうになる。

「谷崎氏が最近「盲目物語」以来創作の態度なり技法なりに大改革を断行したのは周知の事
だが、「中央公論」五月号で生田長江氏が、谷崎氏が新しく提唱した古典主義の技法論が、
近代小説の技法論として不完全であり薄弱である事を真正面から論じている文章を読み、一
向面白くもなかったが妙な気がした。(略)問題は氏の技法の完全不完全にあるのではなく、
凡そ近代小説というものに対する興味を谷崎氏が失った或は失ってみせたというところが肝
腎だ。(略)谷崎氏の最近の革命は、評家の忠言なぞ納れる納れないという筋合いのもので
はなく、実生活を味い尽くした人の自(おのずか)らなる危機の征服であり、退引(のつぴ)
きならない爛熟である。又、言ってみればこの作者も遂にそこまで社会に追いつめられたの
だ。「蓼食う虫」に見られる様に、日常生活をあれ以上純化する事が氏に可能であったかど
うか考えてみるがいい。近代小説の手法がどうのこうのという様な問題ではないのである。」

安部公房の小説家としての立場は、志賀直哉ではなく、谷崎潤一郎の側にある事は、安部公
房の読者も当然の事と思はれるでせうし、実際にさうなわけですが、『蓼食う虫」』といふ
日常生活を描く虚構小説(日常小説)に実生活を純化し藝術化したのに対して、安部公房は
反対に実生活を、いふまでもなく、日常生活を日常小説(虚構小説)へと向かふのではなく、
反対方向に日常生活を非日常小説に、即ちtopological(位相幾何学的)な変形小説(非日常
小説)に純化し藝術化したところが相反して異なります[註5]。

[註5]
『何故安部公房の猫はいつも殺されるのか?』(もぐら通信第58号)の「IV 安部公房の小説観と世界認識」
に、安部公房自身の言葉によつて其の小説観は詳しく述べられてゐる。

このやうに見て参りますと、安部公房の明治以来の近代日本文学史上の正確な位置が段々と
確定して来ます。やはり、優れた批評家といふ職業人が、作家には必要なのだ、いや読者に
も必要なのだといふ事が、小林秀雄の批評文を読みますと、このことの有り難味がよくわか
ります。普通世にある、といふ意味は通俗的な、小林秀雄の紹介文を読みますと、印象批評
といふ言葉で言はれることが多いやうですが、果たして印象を批評して、あるいは批評が印
象であつて、こんなに論理的な、後代の批評に耐える批評文を書くことができるものでせう
か。

さて、ことのついでに、芥川の冒頭の図のうちの象限Bについて、小林秀雄が芥川の親しい友
人であつた菊池寛と久米正雄の純文学から大衆小説への移行の原因と動機も書いてをります
ので、この機会に、安部公房の読者としては近代日本文学史の全体を俯瞰して措くことは悪
くないことです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ15

「例えば菊池寛氏や久米正雄氏が、従来の客観小説に抗する最も聡明な才能ある作家として
登場しながら、後年通俗小説に仕事の場所を見出すに至ったのも、作家的良心の弛緩とか衰
弱とかいう妙なものでは恐らくない。(略)両氏が純文学を捨てるに至った根柢には、日常
生活こそ純文学の糧であると信じざるを得なかった一方、日常生活の芸術化そのものに疑念
があったという極めて正当な矛盾があったのである。」

文脈から言つて、客観小説とは、私小説に対して(芥川の図の象限Aにある)事実によらぬ
虚構小説のことをいふものと思はれる。二人は、象限Aから象限Bに移動した作家たちといふ
事になります。

ここで、安部公房の文学理論に戻りますと、二項対立の否定による第三の道(第三の客観)、
即ち一次元上の存在の創造といふことはいふまでもありませんから、安部公房の位置は、最
初から象限Cは論外としても、安部公房には骨太のデッサン力がある以上象限Aではなく、ま
た当然の事ながら私小説の象限Dといふ純文学でもなく、また象限Bでもなくといふことにな
つて、所謂純文学からは外れた日本の近代文学史上の分類の手に余る位置を占めてゐること
が解ります。これがまた同時にSF文学の位置でもあつたのでせう。芥川龍之介は『河童』な
どといふSF小説といつて良い小説を書いてゐますが、芥川の意識では、これも詩の作中にあ
るならば小説と呼ぶべき虚構の小説だといふ分類になるのでせう。

龍之介自筆の河童の図
もぐら通信
もぐら通信                          16
ページ

実際に芥川の小説の定義の通りに、作中には詩人のカッパも登場すれば、詩も二つ歌はれて
ゐます。まづは自殺した詩人河童トックの詩を。

「いざ、立ちてゆかん。娑婆界を隔つる谷へ。
 岩むらはこごしく、やま水は清く、
 薬草の花はにほへる谷へ。」

[註6]
こごしくとは、険しくの意。

二つめの詩もトックの詩です。

「̶̶椰子の花や竹の中に
   仏陀はとうに眠っている。

   路(みち)ばたに枯れた無花果といっしよに
   基督(キリスト)ももう死んだらしい。

   しかし我々は休まなければならぬ
   たとい芝居の背景の前にも。

   (そのまた背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ?)̶̶」

おまけに、安部公房の世界でいふ存在への立て札、芥川の世界でいふ「河童的存在」への立
て札まで立つてゐる。
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もぐら通信                          ページ17

かうやつて見て参りますと、芥川の『河童』は、安部公房と同じく、日常生活を非日常小説
に、即ちtopological(位相幾何学的)な変形小説(非日常小説)に純化し藝術化した小説と
いふことができるでせう。安部公房文学の先蹤に芥川龍之介を数へて良いのではないかと思
ひますが、如何。

さて、この後、小林秀雄はアンドレ・ジッドを論じて、このフランスの作家が最初に純粋小
説といふ事を提唱したといふヨーロッパでの文学的事実を述べて、これが「その強烈な自己
探求の精神に」発した事を述べてゐます。これが、恐らくは西洋の小説を真似てきた日本の
文学者たちの言ひ始めた純文学の言葉のよつて来たるところではないでせうか。他方日本で
は、この純粋小説の最初の提案者を、ジイドについで、『純粋小説論』を書いた横光利一の
名前としてをります。勿論、芥川のいふ通りに、単にヨーロッパ文学の模倣ではなく、日本
人の作家独自の小説を美に求めて書く努力も併せていふ所の、これら三つの事情を併せて生
まれた日本の国に生まれた純文学といふ言葉なのでありませう。これで純文学といふ、今で
は死語になつた言葉の、しかし、由来が明らかになりました。

さて次に、私小説と虚構小説といふ、日常の積極的な肯定を前提にするか(私小説)、消極
的な肯定を前提にするか(虚構小説)に対して、日常を否定して登場したのがマルクス主義
に基づくプロレタリア文学であるといふのが小林秀雄の見立てです。これは、私にも、今こ
の21世紀になつて何もかも20世紀のことが整理されて来ると、さう見える。

さて、ここからは私の見立てですが、しかし日常を否定するにせよ、これは肯定する二つの
分派と同様に、論理で物を考へれば、否定する場合にも二つの分派に分かれるのではないだ
らうか。すなわち、マルクス主義による私小説とマルクス主義による虚構小説と。何故なら
ば、小林秀雄曰く、バルザックの『人間喜劇』と対比してマルクスの唯物的認識論、即ち文
藝作品を商品としてみるものの考へかたを並べて、それぞれに理論は理論、実践は実践でま
た別なのであり、現実を生きる事に於いては両方に共通するものは同じものであつて、それ
は「この二人は各自が生きた時代の根本性格を写さんとして、己の仕事の前提として、眼前
に生き生きした現実以外には何物も欲しなかったという点で、何ら異るところは無い。二人
はただ異った各自の宿命を持っていただけである。」といふ以上は、この小林秀雄の考へ方
を敷衍して更に考へると、私小説も虚構小説も、マルクス主義によるプロレタリア文学の私
小説も虚構小説も、その共通項は「「この二人は各自が生きた時代の根本性格を写さんとし
て、己の仕事の前提として、眼前に生き生きした現実以外には何物も欲しなかったという点
で、何ら異るところは無い」事にあらうから、さて、結局のところは、「眼前に生き生きし
た現実」をどのやうに写すかといふ問ひだけが、主義主張の如何にかかはらず、残るといふ
事になるからです。

最後に、最初に戻つて、かうして再度芥川の分類を眺めると、この問ひに対する答へは、象
限Aの小説が理想の小説なのであり、志賀直哉は象限Dであり、菊池寛と久米正雄は象限Bで
あり、谷崎甚一郎は象限Aと併せて、詩的精神は無いが日常生活を描いた(図中にはない)
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もぐら通信                          ページ 18

純文学であるA だといふ事になるやうです。結局このやうに考へて来ると、芥川と谷崎の双
方の異論の点は、芥川が[(詩文、散文)、(私小説、虚構小説)]といふ組み合わせで詩
のあること、詩情のあることを小説に強く求め、且つ詩文であれば私小説であつてもよしと
して藝術的な小説としたのに対して、谷崎は詩文有る無しにはこだはらず、且つ私小説を排
し、[(詩文、散文)、虚構小説]といふ組み合わせで虚構小説を強く求めたといふ、私小
説を巡る事実と虚構への強勢の置き所の相違にあるといふ事になります。

『様々なる意匠』で小林秀雄は、安部公房と芥川龍之介の愛読したアメリカの作家エドガー・
アラン・ポー[註7]について次のやうに述べてゐます。

「一八四九年、エドガア・ポオの死と共に、その無類の冒険、詩歌からあらゆる夾雑物を取
り去り、その本質を決定的に孤立させようとした意図は、ボオドレエルによって継承され、
マラルメの秘教に至ってその頂点に達した。人はこの文学運動を「象徴主義(サンボリス
ム)」と呼んだのである。」

[註7]
安部公房とポーの世界地図上の関係は次の図をご覧ください。『私の本棚:岡和田晃著『世界にあけられた弾
痕 と、黄昏の原郷ーSF・幻想文学・ゲーム論集』を読む』(もぐら通信第59号)より引用します。安部公房
文学世界地図のダウンロードのURLは:https://ja.scribd.com/document/349163377/安部公房文学世界地図-
v2
この世界地図に、ポーから線を引いてフランスの象徴主義とリルケを追加すべきだといふ事になります。
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もぐら通信                          ページ 19

ボードレール、マラルメ、リルケは、ポーの死後、19世紀の後半を生きた同時代人です。
世界文学史の視点から見ても、二十歳の安部公房が著した『詩と詩人(意識と無意識)』と
いふ詩作方法論と詩人のあり方に関する認識論と存在論についての理論を「新象徴主義哲学」
[註8]と呼ぶには十分な理由があるのです。安部公房の散文体の持つ言葉の意味の二重性、
即ち現実の、安部公房流に言へば自宅からスーパーマーケットを往復する間に使ふ言葉で書
かれてゐながら其のまま象徴性を帯びてゐるといふ安部公房の独特の文体の誕生が、詩では
リルケから、論理はtopologyから来たものである事、哲学では存在論であり、この三つの融
合を初期安部公房は成し遂げて、純情な詩人から(日本共産党員であることを経験して)辛
辣な小説家に変貌した事は、初期安部公房論で詳細に論じた通りです。[註9]

[註8]
安部公房自身による新象徴主義に関する説明は次の通りです:

「僕の帰結は、不思議な事に、現代の実存哲学とは一寸異つた実存哲学だつた。僕の哲学(?)を無理に名づ
ければ新象徴主義哲学(存在象徴主ギ)とでも言はうか、やはりオントロギーの上に立つ一種の実践主ギだつ
た。存在象徴の創造的解釋、それが僕の意志する所だ。」(『中埜肇宛書簡第10信』全集第1巻、270ペー
ジ上段)

上記に引用した手紙の段落の直ぐ後に、23歳の安部公房は次のやうに続けてゐます。

「それから、現代のいはいる実存主ギとは、僕はまるで無縁だ。一口に言つてあの下劣なコッケイさが実存主
義なら僕は反実存主ギ者だと言はれてもかまはない。同じく「ハナ」と言つても、花と鼻との相違、いやそれ
以上の相違が在ると思ふ。あれは単なる流行主ギだ。」

[註9]
この詩人から小説家への変貌については『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)及び『安部公房の初
期作品に頻出する「転身」といふ語について』(もぐら通信第56号から第59号)をお読みください。

芥川龍之介の俳句は、師夏目漱石に褒められてをります。やはり俳句作者としてもなかなか
の腕前なのでせう。「芥川君の俳句は月並みじゃありません。もつとも久米君のやうな立体
俳句を作る人から見たら何(ど)うか知りませんが、我々十八世紀派はあれで結構だと思い
ます。」(大正五年八月二十四日(木)芥川龍之介・久米正雄宛書簡『漱石人生論集』18
7ページ)

「我々十八世紀派」とは蕪村のことを言つてゐるのでせう。漱石と芥川は蕪村が好みであつ
たのでせう。立体俳句は明治の長谷川零余子(はせがわ れいよし)による創作といふことで
す[註10]。

[註10]
「長谷川 零余子(はせがわ れいよし、1886年(明治19年)5月23日 - 1928年(昭和3年)7月27日)は、明治
から昭和初期にかけて活躍した日本の俳人。群馬県出身。本名は長谷川諧三(旧姓富田)。東京大学薬学科専
科を卒業。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の編集に従事。1916年、「枯野」を創刊。立体俳句を提唱する。
幾何学的な俳風で、知識人層の支持を得た。1928年、41歳で死去。妻は俳人の長谷川かな女。小説家の三田完
は孫。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/長谷川零余子)
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ページ

最後に、詩人芥川龍之介の死後刊行された句集『澄江堂句集』より、私の好きな二句をあげ
て終はりとします。まづ、句集の最初に置かれた一句から。

蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

自嘲
水洟や鼻の先だけ暮れ残る

そして、安部公房の本籍の地で詠んだ最後に置かれた句。

旭川
雪どけの中にしだるる柳かな

附録:
この論考と、それから『夏目漱石と安部公房∼日本文学史上の安部公房の位置について』(も
ぐら通信第31号)の一部をあへて此処で再掲して、安部公房の日本文学史上の位置を明確
にして纏めて措きたい。

『夏目漱石と安部公房∼日本文学史上の安部公房の位置について』(もぐら通信第31号)
より、福田恆存の近代文学批判に対して、安部公房文学が、ポーを巡り、仮説設定の文学と
いふ文学概念を確立して其の日本近代文学批判に対して十分に応へてゐる作家であることを
再度思ひ出して、この稿の附録と致します。

「このように考えて参りますと、安部公房は、日本文学の二度にわたる歪みの徹底的な否定
者であり[註11]、矯正者であるということなります。そうして、この意義に於いて、安
部公房は其れ以前の江戸文学に連なる作家だということになるでしょう。

と、してみれば、安部公房の江戸時代の先達は、上田秋成であり、滝沢馬琴であるという
ことになります。

この二人も、安部公房の言葉で言えば、仮説設定の文学者です。

今月号(第31号)にご寄稿戴いた田中美代子さんの安部公房論『匿名の神話ー安部公房試
論ー』より下記の箇所を引用しますので、安部公房の読者には再度、安部公房と伝統の関係
をお考え戴きたい。(傍線筆者)
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「昭和二十三年の処女作『終りし道の標べに』の「あとがき」においても、著者は言ってい
る。
「当時私は文学的には完全に孤立していた。小説の概念も、まったく自己流のもので、小説
を書こうというよりも、たぶんひとつの世界を書こうとしていたのだと思う。戦争中のあの
閉鎖的な空気のなかで、リルケとニーチェの間を往き来しながら、実存主義だけをたよりに
自分を支えてきた私には、小説的虚構も、世界を表現するための手段以上には、なんの意味
も持ち得なかったのだ。しぜん出来上がった作品は、きわめて非小説的なものにならざるを
得なかった。新しい小説を目指したためではなく、乗り越えるべき旧い小説をさえ、私はほ
とんど持っていなかったのである」

大体、「リルケとニーチェの間を往き来しながら、実存主義だけをたよりに」生きている男
に、「まったく自己流の」小説概念しかない、などということはありえない。リルケとニー
チェと実存主義の背後には、広大なヨーロッパ文学の大河が流れているのだとすれば、その
文学の素性は、どこの馬の骨か、ちゃんとわかっている筈だからだ。

そこで、このエッセイの目的は、この日本でたった一つの例外的な前衛文学・安部公房の文
学において、本人が敢然と否定するその「根」のありかを探る、ということである。

「根」はないのではなくて、置き去りにされているのにすぎない。つまり「根なし草」の意
識とは、裏返して言えば、必ずどこかに根があった、という確信であり、見失われた「根」
の所在をさがし当てようとする、欠落の感覚にほかならないであろうから。本人は、「拠り
どころへの期待が嫌なんだ。そういう甘えは不潔です」(『私の文学を語る』での発言)と
いうに違いないとしても。

「ただね、きみが言ってる伝統が一つのメトーデだとうことだけははっきりした。これは筋
が通るし、僕もそれには非常に賛成だ。それは一種の戦略だよな」(三島由紀夫との対談『二
十世紀の文学』での発言)というとき、安部公房はおそらく「伝統」をではなく、「伝統の
欠如」そのものを、彼自身のメトーデとして押通そうとしているのだ。そしてこれは、何も
安部公房にとってのみ特殊な状況であったとは言えない。それは、いわば、ヨーロッパの概
念における古典主義の欠落と、小説のメトーデの喪失、という、日本の近代人に一様に課せ
られた二重の疎外の運命だったと言えるのだろう。

この間の事情について、例えば福田恆存氏は次のように説明している。

「ぼくたちには伝統がなかつた----いひかへれば、確固たる芸術概念がなかつたのです。文学
について考へてみても、近代日本文学は明治のある一時期に----たとへば明治二十年代とか、
もうすこし遅れて明治末年の自然主義文学全盛のころとかに----はつきり確立されて、それか
らのち現代にいたるまで徐々に成長してきたといふふうに、ふつういはれてをります。

けれども、事実はけつしてそんなものではなく、極端にいふと、近代日本文学史は全活動を
もぐら通信
もぐら通信                          22
ページ

あげて、ひとつの文学概念の発見と確立に努力してきたのであつて、いまだに出発点にすら
到達してゐないのであります。ですから、出発点からの成長ではなく、出発点への模索にす
ぎません。ひとつの伝統の展開ではなく、伝統への郷愁があつただけです」(『芸術概念の
革新』)

そうであるとすれば、自ら「根なし草の文学」となのることによって、安部公房は実は近代
日本文学そのものの根なし草性を否定している、ということかもしれない。それをもう一度
裏返すと、「我こそは日本文学なり」と宣言しているに等しいことだ。自己と外界との関係
を逆転させる一種の悪意、これはもともと西欧的なメトーデではあるが。」

田中美代子さんの言う「「伝統の欠如」そのものを、彼自身のメトーデとして押通そうとし
ている」という指摘は正しく、それは上に引用された三島由紀夫との対談での安部公房の発
言の通りです。そして「伝統の欠如」は、「何も安部公房にとってのみ特殊な状況であった
とは言え」ず、「それは、いわば、ヨーロッパの概念における古典主義の欠落と、小説のメ
トーデの喪失、という、日本の近代人に一様に課せられた二重の疎外の運命」であることも、
その通りです。

このことを明瞭に意識していた安部公房は、そうしてみますと、足し算の文学である私小説
の方こそ「根なし草の文学」だと言っているのであり、積算の文学概念を唱える「我こそは
日本文学なり」と宣言しているということになりましょう。

福田恆存の言葉で言えば、安部公房は「全活動をあげて、ひとつの文学概念の発見と確立に
努力し」たのです。そうして、わたしの眼には、安部公房は、このことに十分過ぎる位に成
功したと思います。

仮説設定の文学という「文学概念の発見と確立」、そして、「いまだに出発点にすら到達し
てゐないので」は全然なく、敗戦後の時代の中を生きながら、その文学概念から何度も出発
をし、そうして其の度に、あの大好きだったリルケの『秋』という詩に歌われた唯一者(神)
の両手の窪みに帰還を繰り返して、「伝統への郷愁」などなく(こう書いていても、何とい
う厳しい生活であることでしょう)、「ひとつの伝統の展開」、それも陰画としての「伝統
の展開」を行ったということになるからです。

それも、田中美代子さんのご指摘通りに「自己と外界との関係を逆転させる一種の悪意、こ
れはもともと西欧的なメトーデではある」其の内部と外部の交換という、19歳のときにリ
ルケに学んで開眼した方法(メトーデ)によって、そのことを実現したのです(『〈僕は今
こうやって〉』。全集第1巻、88ページ∼89ページ)。

この安部公房の、明治以来の日本文学の成し得なかった「文学概念の発見と確立」と「「自
己と外界との関係を逆転させる一種の悪意、これはもともと西欧的なメトーデではある」其
の内部と外部の交換という、19歳のときにリルケに学んで開眼した方法(メトーデ)」は、
もぐら通信
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日本の文学史上に安部公房の齎(もたら)した意義であり、素晴らしい達成なのです。

この、安部公房の達成した日本文学史上の確固たる地位と素晴らしい業績を、わたしたちは、
安部公房にとってのリルケの意義(それは、このように其のまま日本文学史上の意義です)
と共に、発掘し、顕彰しなければならないのです。

この故に、そして此のことを考えることを抜きにして、安部公房を先の戦争後の時代の中で
だけ考えようとすると、それが断片的で全体を論ずることが不可能になり、従い、安部公房
の作品は人の耳目を惹きつけること甚だ多いにも拘らず、このような俯瞰した視点から読者
自身によって真に理解されることが甚だ少なく、また安部公房を論じることに至ると、辛辣
な言い方でありますが、敢えて言えば、群盲象を撫でるということになるのです。安部公房
は、小説論、演技論・演劇論、写真論については、安部公房全集の諸処に於いて、率直に隠
すことなく自分の意見を述べているにも拘らず。但し、この方法(メトーデ)を教わったリ
ルケのことについて以外は。

このように考えて参りますと、夏目漱石と江戸趣味を共有する石川淳が、私小説と私詩(「戦
後詩」)の徹底的な否定者である安部公房を敗戦後の時代に称揚したということは、日本の
近代の文学史を俯瞰して考えてみれば、誠に意義深い、文藝の歴史的、伝統的な連続性と自
律性を証明するものだと、わたしは思います。

安部公房の師、石川淳の慧眼に感謝することに致しましょう。勿論、安部公房の発見者、安
部公房と同様に、この日本の国に存在の革命を起こそうとして傑作『死霊』を書き続けた存
在論の目利き埴谷雄高の慧眼に対しても。」

[註11]
『夏目漱石と安部公房∼日本文学史上の安部公房の位置について』(もぐら通信第31号)より引用します:

「このように夏目漱石と安部公房を比較してみますと、日本の近代文学は、二度大きな歪みを経験したことが判
ります。

最初は、夏目漱石の生きた明治時代の小説(散文)の世界での私小説という歪みの発生、即ちそれまでの日本
の文藝の歴史と伝統を等閑にふして、私事のみを書くことで文学(literature)になると思って書かれた私小説
と呼ばれる小説が書かれたこと。

もうひとつは、大東亜戦争敗北後の昭和の時代に、今度は小説ではなく、詩文の世界で、日本の文藝の歴史と
伝統を閑却した「戦後詩」と呼ばれる謂わば私詩というべき歪みが発生したこと。

この二つです。

さて、前者について言えば、安部公房の日本文学史上に占める位置は、誠に明らかです。それは、私小説の徹底
的な否定であり、私小説を足し算の文学として此れを退け、求める自分の文学を仮説設定の文学、即ち積算の文
学として位置付けております。 [註2]
もぐら通信
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[註2]
『カフカとサルトル―20世紀文芸講座•第二回』(全集第2巻、257ページ)に、安部公房の、カフカを巡る
考察の中に、以下の発言があります。1949年、安部公房25歳。

カフカの小説の方法とは「つまり時間を、空間を次元転換せしめる微積分作用として捉えることにより、低次元
のものの細かな手の込んだ加算によって高次元を描こうとする自然主義的表現方法の誤りを克服したのである。
カフカの作品がカットグラスを流れてくる光線の複雑な組合せのように見えたり、立体派的な印象を与えたりす
るのは、単に文体からくる印象ではなく、そう云った次元の交錯、積分(のことを書いたのではなく)によって
書かれたものであるからなのだ。フィクションとリアリティの関係も、ここに於いて始めた論理的に
説明され得る(中略)」

一言で云えば、カフカに対立する自然主義文学は、足し算の世界、これでは世界の全体を描くことはできない。

それは当たり前だとわたしも思います。これに対してカフカの世界は、掛け算(積算、論理積=conjunction)
の世界、積分による次元転換による高次元の世界とその現実(リアリティ)の創造と言っているわけです。実に
明解な分類です。

また、安部公房は、「仮説の文学」(1961年。37歳)という題名のエッセイを書いています(全集第1
5巻。237ページ)。

ここでは、安部公房は、科学(合理)と妖怪(非合理)の間を論じながら、仮説の文学はこのふたつの間にあ
る鵺(ぬえ)のような日常とその日常信仰の破壊者であると喝破しています。そうして、仮説の文学は、「むし
ろギリシャの古典文学、たとえばルキアノスの『本当の話』などから、すでに脈々とつづいている、仮説の文学
の伝統、『ガリヴァー旅行記』『ドン•キホーテ』『西遊記』等々と、枚挙にいとまもない、大きな文学の流れ
の一つのあらわれにほかならないのだ。仮説を設定することによって、日常のもつ安定の仮面をはぎとり、現実
をあたらしい照明でてらし出す反逆と挑戦の文学伝統の、今日的表現にほからなないのである。
 見方によれば、この仮説の文学の伝統は、自然主義文学などよりは、はるかに大きな文学の本流であり、根
元的なものであり、(略)何か本質的な意味をもっているのではあるまいか。それは、(略)むしろ崩壊しつつ
ある、この日常の秩序の反映であるように思われてならないのだが。」と言っております。

さて、後者について言えば、これも、安部公房は「戦後詩」の徹底的な否定者でした。 [註3]

[註3]
もぐら通信第30号の『詩人たちの論じた安部公房論(連載第3回)三木卓『非現実小説の陥穽---安部公房『砂
の女』をめぐって---』』から、次の引用をして、このことの説明に替えることにします。

「(略)
しかし、この三木卓の上の言葉、即ち黒田喜夫という、これも日本の詩の歴史に名を残している詩人の私的な
イメージの所有ということは、リルケに、そうしてリルケの『マルテの手記』に詩人としての生き方と日常の態
度を深く学んだ安部公房が一体それをどれくらいの時間の長さの間そのこころの中にリルケに学び自分の独創
とした形象(イメージ)に変形させて大切に抱き続けてそれが発酵するのを待ち、そうして誰にも知られぬよ
うに、それは従い私のものではないものとして恰も隠しているかのように表現して来たことを、もぐら感覚シリー
ズの読者であるあなたには十分お判りのことと思います。

そうして、安部公房の場合、とても大切なことは、安部公房という人間は、その形象(イメージ)を自分の所有
するものとは決して一度も考えたことすらなかったということなのです。これは、詩人以上の詩人、或 いは安
部公房の筆法を借りれば、詩人以前の詩人の在り方であるというべきだと、わたしは思います。安部公房にとっ
ては、形象(イメージ)の方こそ生命であったのです。そんな生き物を所有したり、制御したりすることなどで
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きる筈はありません。安部公房は、そもそも形象(イメージ)を私的に所有するなどという、そんなことを考
えることを一切しませんでしたし、そのような考えとは全く無縁でした。10代でリルケに、特に『マルテの手
記』学んで既に至っていた「存在象徴」という言葉が、このことを意味しております。中埜肇宛書簡第10信(全
集第1巻、269ページ)及び『終りし道の標べに』(全集第1巻、271ページ)をご覧ください。

このように考えてきますと、この安部公房が戦前リルケに10代で学んだ詩人のあり方は、大東亜戦争敗北後
の戦後の言語空間の中で、日本語の詩人と詩作に焦点を合わせますと、三木卓が称揚しているような戦後の詩人
の在り方に対する猛烈、痛烈な、徹底的な批判になっていることに気がつきます。それ故に、このことを知って
いた安部公房は柾木恭介との対談『詩人には義務教育が必要である』の場で、「詩というジャンルはすでに破
滅したジャンルだね。」と1958年の時点で断言しているのです。詩という藝術領域にある此の詩に対する安
部公房の規準(基準ではない)は、徹頭徹尾リルケだからです。(以下略)」
もぐら通信
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安部公房とチョムスキー
(10)
目次

1。ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あるのか
2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
3。バロックとはどういふ時代か
3.1 バロックとは何か
3.2 バロック建築:差異の建築 青字は前回までに
論じ終つたもの、
3.3 バロック文学:差異の文学
赤字は今回論ずるもの、
3.4 バロック哲学:差異の哲学
黒字はこれからのもの
4。チョムスキーの統辞理論とバロックの言語学:生成文法とポール・ロワイ
ヤル文法
(1)チョムスキーの統辞理論とは何か
(2)ポール・ロワイヤル文法とは何か
4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語の持つ冗長性とは何か
5。ポール・ロワイヤル文法とラシーヌ
6。「2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」に関する補遺的説明
(1)再度バロックとは何か:バロックの概念ー歪な真珠とは何かー:真珠の分類と存在の凹の形象の一致
7。 一神教と大地母神崇拝をtoplogyで読み解く
7。1 一神教のtopology み

7。2 大地母神崇拝のtopology お

7。3 一神教のtopologyを大地母神崇拝のtopologyに変形する 月

8。スコラ哲学は21世紀にも生きてゐる
9. 近代ヨーロッパの17世紀に何があつたか
(1)宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント)の内部の宗教戦争
(2)政治:ウエストファリア条約:近代国家同士のヨーロッパ内部の政治戦争
(3)経済:株式会社と中央銀行の成立:近代国家同士のヨーロッパ外部の経済戦争
(4)文化:超越論に依るバロックといふ差異の様式
   ①目に見えるバロック様式:都市設計、建築、庭園、美術、天文学
   ②目に見えないバロック様式:文学、哲学、論理学、修辞学、文法学、数学(幾何学)、音楽
10。イスラム文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:イスラムから見た近代史:『イスラームか
ら見た「世界史」』(タミム・アンサーリー著。小沢千重子訳)を読む:一神教内部の宗教と文明の戦争
11。アフリカ大陸文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:『新書アフリカ史』を読む
12. 日本列島文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:大地母神崇拝と一神教の文明間戦争
12. 1 座談会『近代の超克』(文芸誌『文学界』(1942年(昭和17年)9月及び10月号))を読む
12. 2 座談会『世界史的立場と日本』(1943年(昭和18年)中央公論社)を読む
12. 3 二つの座談会で指摘された問題の列挙と解決方法について
13。Topological(位相幾何学的)な「近代の超克」
(1)日本の世界史的立場:公武合体政策の解消とバロック的楕円形国體への復帰を
(2)世界の日本史的立場:汎神論的存在論(超越論)に拠つてヨーロッパ地域での古代の神々の復活を
もぐら通信
もぐら通信                          ページ27

哲学の問題101
(2)
  私は本当は誰か?
岩田英哉

この問ひに対するページ数は、前回の 私とは何か? といふ問ひに比べて少ない、見開き2ペー


ジのみが問題に当てられてゐる。前回は4ページでした。しかも、今回はそのうちの3分の1は
このカフェのテラスでビアを一杯やつてゐる老人の写真である。

見たらわかるだらう?こんな生活ができたら、私は本当は誰か?なんどといふ愚かな問ひを立て
る必要はないといふ意味であらう。何故なら私はビアだから。

確かに、この写真を見たら、羽田空港からフランクフルト直航便に乗つて一杯やりにドイツに行
きたくなつた。ドイツのビアは、土地土地のビアで特色があり、コクがあつて誠に旨いのである。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ28

私のお好みのビアはこれです。勿論日本にはない:https://www.dachsenfranz.de/home.html

さて、本題に戻ると、前者の私とは何かといふ問ひは、法律と社会の外へと出てゆき、哲学の
世界で存在論的な道をゆくことになる問ひであるが、しかし、後者の私は本当だれかといふ問
ひは、逆に私を法律と社会の中に留めをいて、身分を証明する手立てを具体的に考へることに
なる問ひです。例へば、上のダクセンフランツを飲みにドイツへ行ったとして、ドイツで私が
私であることを証明するのは日本国政府の発行するパスポートです。

ここで、S・カルマ氏のことを思ひ出して下さい。この小説が、私は誰か?で始まつて、私は何
か?で終はる小説であることが判ります。

冒頭:「ふと、ぼくはペンを握ったまま、サインができずに困っていることに気づきました。
ぼくは自分の名前がどうしても想出せないでいるのでした。」(全集第2巻、378ページ下
段)
結末:「★/見渡す限りの曠野です。/その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なので
す。」(全集第2巻、451ページ下段)

即ち、この小説は、もつと詳細には後述しますが、現存在で始まり、存在で終はる小説だとい
ふことができます。私は誰かといふ名前を巡る問ひは、時間の中での問ひであり、私は何かと
いふ存在を巡る問ひは、時間の外部での問ひであるといふことです。

実は、この『哲学の問題101』の今回の問題である掲題の問ひは副題であつて、本題は、
Authentität(アウテンティテート)といふ英語をドイツ語にして使つたもので、これでは外国
語で普通の読者には頭では解つても実感として伝わりませんから、続く本文の冒頭で本来のド
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 29

イツ語であるEchtheit(エヒトハイト)といふ言葉に置き換へてゐます。英語で本題を表した
のは、この問題がドイツだけの問題ではなくヨーロッパ全体の問題であるからでせう。EUと
いふ共産主義経済体制に支配されてゐるので、本物であることとは一体誰であることなのか?
私とは一体誰であつたのか/あるのかといふ問ひが、即ちドイツ人とは誰か?が、また従ひフ
ランス人とは誰か?が、イギリス人とは誰か?が、イタリア人もスペイン人もポルトガル人
も全く同様に時間の中での此の問ひを、各国民が立ててゐる。

時間の中でとは、歴史の中でといふ意味です。時間は歴史の上位概念、歴史は時間の下位概
念です。時間とは何かといふ問ひに答へることができたら、歴史とは何かといふ問ひにも「既
にして」「いつの間にか」(超越論的時間)「どこからともなく」(超越論的空間)答へて
しまつてゐる事になるのでした。これが超越論のものの考へ方です。

時間とは差異であり、遅延でありました。[註1]それで各国民が自国の歴史同士の差異、
即ち歴史的な遅延を求めてゐる人々が優勢になつてゐる。これら優勢なる各国国民を、20
世紀型一斉同報メディア(一神教topologyメディア)は極右と呼んで、時代の潮流を読むこと
ができず、その呼称が全くの時代錯誤である事に気づかないことは、諸処既述の通りです。2
0世紀にはこれらの無名の民草を、一神教topologyメディアはプロレタリアートと呼んで囃
し立ててゐたことをもうすつかり忘れてゐる。

[註1]
『Mole Hole Letter(3):超越論』(もぐら通信第67号)をご覧ください。詳述しました。

さて以上のことを背景として話を先に進めますと、このEchtheit(エヒトハイト)といふドイ
ツ語を今手元にある独和辞典で見ますと、この語の概念は次の言葉からなつてゐます。一言
でいへば、本物であることといふ意味です。

Echtheit:合法、正当;嫡(正)出;真性;実際;純粋(正);実質のあること;確実性;
永続性;〔化学用語〕堅牢度)

これらの日本語に相当する一つ一つの語彙をまとめてドイツ語で一言でいふ言葉が此のエヒ
トハイトといふわけです。日本語を眺めますと、この本物であることといふことは、

(1)法律に則つてゐること
(2)親と血の繋がつてゐること

この二つのことを基に、それ以降の本物贋物の判断基準、実際にさうであるといふ判断基準、
さうしてそれが其のやうに判断されれば、それが純粋であり純正であるといふこと、さうし
てそれは虚ろなことではなく実質であり実のあること中身のあることであり、従ひ確実であ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ30

り、さうであれば現実の中で永続性が保証されてゐて、化学の領域では堅牢の度合ひを数値
化することができるといふ事になるのでせう。

これらのことを一言で、本物であること、といふわけです。

上の理解をもとに考へて見ると、私はだれかといふ問ひは、

(1)法治国家であること
(2)血縁関係が証明できること

この二つに言ひ換へることができます。

箱男が、国家の管理台帳、即ち戸籍簿に登録されてゐない何者かであるといふ設定は、やは
り箱男の物語が存在の物語であり、現実の世界で本物であるといふこと(現存在)から脱し
て、本物の本物即ち贋物になるといふ贋魚の物語であるといふことの次第も、かうして解ら
うといふものです。即ち、

(1)私は私であるといふ言語再帰的なことを証明するのは、言語による以外にはないが、
(2)私は誰それであるといふことを証明するには具体的な物(ブツ)を私は必要とする

(1)が存在の問題、(2)が現存在の問題といふわけです。前者はザイン(das Sein:ダス・
ザイン)の問題、後者はダーザイン(das Dasein:ダス・ダーザイン)の問題です。

話を原著の書き順に戻し、著者の話の筋に耳を傾けませう。

Authentität(アウテンティテート)の語源がギリシャ語のauthentesであり、これは自己完成
してゐる(ドイツ語でselbstvollbringend:ゼルブスト・フォルブリンゲント)、または自己
成就してゐる(ドイツ語でselbsttuend:ゼルブスト・トゥーエント)といふ意味だと書いて、
この論を書き始めてゐます。

さうであれば、古代ギリシャがさうであるやうに、自己充足的な自己のあり方、即ち再帰的
な自己が保証または保障されれば、あなたは本物であるといふ事になる。即ち、私は私であ
るといへれば良いといふことです。このことを巡り、名前の出てくる哲学者は次の五人です。

(1)ジャン・ジャック・ルソー(1712ー1778)
(2)ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744ー1803)
(3)マルティン・ハイデッガー(1889ー1975)
(4)ジャン・ポール・サルトル(1905ー1980)
(5)チャールス・テイラー(1931ー)
もぐら通信
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青色の最初の二人の名前は『言語起源論II』(もぐら通信第77号)で論じた哲学者です。

『安部公房のアメリカ論(3)∼贋物の国アメリカ∼ドーナツとは何か』(もぐら通信第8
0号)の「7。追記」より引用して、言語起源論からみた近代ヨーロッパの歴史的な政治変
動を眺めると次のやうになります。引用する著者は今村仁司、同書とある著作は『貨幣とは
何だろうか』。時代はヨーロッパの18世紀です。

「著者(引用者註:今村仁司))は更に「言語起源論について」と題した第3章第1節で次
のやうな疑問を呈してゐます。」

「言語の起源に関する議論と研究が十八世紀に集中的に行なわれた(ヴィーコ、ルソー、アダ
ム・スミスなど)。言語起源論に託された課題は二つある。                  
 ひとつは、言語の起源を迂回して認識と思考の根源を考えることであり、もうひとつは、
文学と芸術の起源を考えることである。前者はコンディヤックやデステュット・ド・トラ
シー、あるいはアダム・スミスがとりくむ。後者はヴィーコとルソーの問題であった。
 しかし、なぜ十八世紀において、いくつかの西欧の国々で、同時多発的に言語起源論が提
出されたのであろうか。」(同書184∼185ページ)」[註2]

上の名前にドイツのヘルダーを入れて良いでせう。ヘルダーにも言語起源論と題した著作があ
るからです。『言語とは何か II:言語起源論』(もぐら通信第77号)で論じた通り、ル
ソーもヘルダーもともに、唯一絶対神との関係ではなく、自然との関係で人間と言語の関係
を考へた人間たちでした。

「かうしてみると、18世紀のカントの分岐点の鍵語(キーワード)、das Ding an sich(ダ


ス・ディング・アン・ジッヒ)即ち物自体といふ言語論理の再帰性に全くの信を置いたカン
トが哲学を打ち建てた同じ時代に、ルソーやヘルダーが言語起源論を、キリスト教から離れて
それとは無関係に、人間の能力とは何かといふ問ひとともに、考へ探求したことは正しい努
力であり、時代の要求する思潮であつたのです。[註16]しかし人間は愚かにもカントー
ヘーゲルの共産主義の系譜を選択した。」

[註2]
この著者の問ひに対しては、言語と哲学と貨幣の関係及び哲学の系譜の分岐を論じた『安部公房とチョムスキー
(1)』(もぐら通信第73号)と、超越論に基づく言語起源論である『言語とは何か II:言語起源論』(もぐ
ら通信第77号)で論じましたので、これをご覧下さい。また、これら二つの論考と此のアメリカ文化贋物論で
ある「ドーナツとは何か」論、即ち『安部公房のアメリカ論(3)∼贋物の国アメリカ∼:ドーナツとは何か』
の三つを併せて、著者の疑問に十分に回答し得てゐると私は思ひます。

さて、以上が言語再帰性を巡る、フランス革命(1789年)の起きた18世紀の時代の概
観ですが、これを此の哲学入門書の著者は次のやうに書いてゐます。
もぐら通信
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(1)近代ヨーロッパのいふ私が本物であるといふことは、古代ギリシャの意味とは異なる。
古代ギリシャも、またキリスト教の支配の強かつた中世でも、私の本物であることとは上述
の意味であつたが、18世紀から21世紀の今に至るもさうではない。近代または現代と
いふモダン(modern)の時代は、「やつと此の時代になつて初めて、個人(Individuum:
インヴィドゥウムと呼ばれる個体と和訳される個人です)の像が形成され、この像は、生命・
人生についての当該個人独自の、自分の固有の形象(イメージ)を現実化し実現する像であ
り、単により高い、神聖な秩序の中に編入されることではない。」

と、このやうに述べてゐるところをみると、上述の、

Authentität(アウテンティテート)の語源がギリシャ語のauthentesであり、これは自己完
成してゐる(ドイツ語でselbstvollbringend:ゼルブスト・フォルブリンゲント)、または
自己成就してゐる(ドイツ語でselbsttuend:ゼルブスト・トゥーエント)といふ意味だ

と書いてゐることは、古代ギリシャの汎神的な世界でもなく、唯一絶対神Godの世界でもな
く、人間だけで本物であるといふことを証明し保証/保障しようといふ意図だといつてゐる
事になります。即ち一神多神を問はず、これら神聖なる存在を抜きで、私は本当は誰か?と
いふ問ひに答へようといふことになります。

さうなると、ルソーの『告白録』にあるやうに「内的に実際、現実がさうであるやうな」
「一人の人間の飾らぬ像(姿)」が大事だといひ、この後にロマン主義の思潮が生まれて、
ヘルダーが「新しい内面性と根源的で過激な主観性、個人・個体(としての人間)の嘘偽り
のない独自性・固有性をプロパガンダしたのである。」といふ。このプロパガンダといふ動
詞の選択に、この著者の否定的な評価が出てゐる。何故なら前回知つたやうに、この著者は
共産主義者であり、ルソーとヘルダーの言語起源論が(Godを除いて)自然と人間の関係に
言語の起源を求めようとする思想であり、これがカントーショーペンハウアーの超越論の系
譜にその発想からして直接に連なるものだから、です。そしてといふべきか、しかしといふ
べきか、著者は共産主義者であるにも拘らず、これに対して超越論者であるハイデッガーを
持ち出します。そして/何故なら、その説明を読みますと、マルクス主義が共産党といふ暴
力的な集団で近代国家を転覆させて(人間の予測不可能な)未来の方向に人間を誘導した
のと同じく、単位は集団ではありませんが、今度は反対に個人の単位で、個人の話として人
間が「未来へと自分自身を企画し設計する」といふハイデッガーの言葉を引用して話を進め
てゐるからです。

ここに欧米の共産主義者は論理上正反対の超越論者ハイデッガーと共有してゐると誤解して
ゐる類似を見るのでせう。となれば、現代の共産主義者は、個人をやはり扇動して個人の不
確定な予測不可能な筈の未来への否定的な感情を当人の心に起こして、その人を支配しよう
といふ慾に生きてゐるといふ事になる。即ち、通俗化したマルクス主義の一形態が、これで
す。
もぐら通信
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自分自身の未来の設計図を描くといふのは良いでせう。設計するといふのが、entwerfen(エ
ントヴェールフェン)といふドイツ語の意味ですから。しかし、自分自身を設計するとは一
体どういふことでせうか。ハイデッガーは、この場合男性でもなく女性でもない、中性とし
ての人といふものを、ドイツ語の文法を踏み破つてdas Man(ダス・マン)といふ現実には
あり得ない人を人工的につくります。この中性名詞の人が自分自身を未来に向かつて設計す
る。これでは意味が不明ですから、実際には自分自身の将来の人生設計をするといふことで
せう。この方がずつとわかりやすい。そして、設計者には男もゐれば女もゐるでせう。しか
し、さうではない中性名詞の個人をハイデッガーは思ひ描く。これはハイデッガーの思考の
限界であると私は思ひます。ドイツ語の文法を破格にして、ドイツ人はものを考へることが
できない筈です。日本人であるならば、日本語の文法を破つて、自分の意志を整理して伝へ
ることはできません。

さうして、しかし、この著者の要約を借りて考へを進めれば、ハイデッガーが何故中性名詞
の人を考へたかつたかといふと、文法的にも(gender:ジェンダー)肉体的にも(sex:セッ
クス)普通に日常的に男であり女である人は、今ここに生きてゐるといふこと、即ち時間の
中にゐる現存在である男女としての人間は自分自身の死を忘れてゐて考へないからだといふ
のが、恐らくその理由でありませう。しかし、さうではない自分の現存在であることに対し
て、自分の死を真剣に考へる人間が現存在としてゐるのであつて、それは自分の固有の存在
を考へる人間であり、それが中性名詞としての人のあるべき姿だといひたいのです。かくあ
れば、その個別の現存在たる人間は、その個別独自の固有の存在を、即ち自分が本物である
ことを「取り戻す」ことができるといふのです。「取り戻す」(herausholen:
へラオスホーレン)は譬喩(ひゆ)ですから、散文的な事実に関する論理的な説明にはなつ
てをりません。かういふところが甘いのです。取り戻すといふことは、失つて手元に今ない
ものを取り戻すといふことでせう。今調べましたころ、これはハイデッガーの言葉使ひです。
ハイデッガーはリルケとヘルダーリンの詩を論じましたので、やはり此の哲学者の言語化で
きないことを、二人の詩人は言語化してくれてゐること、これが二人を論じた理由でありま
せう。詩は隠喩(メタファ)に満ちてゐますから。安部公房も三島由紀夫といふ十代の詩人
二人も、ハイデッガーの書いたリルケ論とヘルダーリン論を通じて、ハイデッガーの哲学を
理解しました。

さて、このハイデッガーの考への行き詰まりと息の詰まるやうな袋小路の息詰まりは、間違
ひなく、一神教の唯一絶対神Godがゐないことを前提にした場合には、人間は死後にどうな
るのかといふ問ひに答へようとした試みです。キリスト教を離れると、欧米白人種キリスト
教徒は無宗教になり、虚無主義(ニヒリズム)に陥るといふ事は単純な図式で、これまでも
諸処既述の通りです。これを回避するためにどんな考へがあるのかを考へることになり、ハ
イデッガーも同じ筋道で考へた。しかし、かうして相変はらず、一神教のtopologyに捕らわ
れてゐる。本当は囚われてゐると書いて、囚人のやうだといひたいところです。

次にサルトルの名前が出てきます。ハイデッガーの後を継いで、サルトルは、同じ考へを、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ34

その個人が「自分独自の数多くの判断を下すことに対する責任をとる事だといふ事」、これ
が其の個人の本物の人生である、本物性を証明し、それが保証され/保障されてゐる人生で
あるといふのです。私が私自身に再帰する事は良いでせう。しかし、責任といふ事だけで、
人間と言語の持つ再帰性を限定しては、如何にも生きることが窮屈になつて(何故ならば人
間も自然の一部であるからですが)、これでは裁判沙汰の世の中になるでせう。

ここでも著者の結論は、前回の私とは何か?といふ問ひ対する答へと同じです。

私といふ個人・個体が本物である事といふ事は、「真の自分」と調和して生きる事である。
といふのです。この調和は他人との対話の中で認識することができるのであるからには、自
己についての像が幻滅の像であることもあり得るといふのです。前回の私とは何か?といふ
問ひ対する答へは、私は虚構(Fiktion)であるといふものでしたが、ここでも、調和でき
る「真の自分」が存在しないか、または発見しても幻滅するやうな自分自身の姿であるかも
知れないといふ、即ち自己の発見が対話にある以上、揺れ動いて確定しない自己の姿(像)
でありますから、相変はらず死の不安に怯え、これを直視することなく、現存在で嫌々時間
の中を生きる著者であるのでせう。さうであればこそ101の問題を挙げることができたの
かも知れません。

最後にカナダの哲学者チャールス・テイラーの考へを述べてゐます。この哲学者によれば、
本当の人生とは「意味の地平」にあるのださうです。地平といふ言葉は、フッサールの現象
学の用語です。初期安部公房もフッサールをよく読んだ事は、『無名詩集』の最後に置かれ
たエッセイ「詩の運命」の冒頭に「総てのものに於いてそうである様に、詩の見解について
もノエシス・ノエマの対立を避ける事は出来ない。」とあつて、ノエシス・ノエマといふフッ
サール用語の使用で其れが判ります。

さて、「意味の地平」とは何かといふ事になりますが、意味とは勿論言葉の意味であります
から、言葉とは何か、言葉の意味とは何かといふ問ひに答へる事で、その「地平」は明らか
になります。[註3]この地平は絶対固定の平面ではなく、著者が「私が本当である事はい
つも社会的な次元を有する。私たちは、本当に私たち自身であるためには他者・他人を必
要とするからだ。」と最後の文を書く以上は、時間の中で地平は常に揺れ動き、曖昧であり、
自己証明不可能であり、自己はいつも忘れられ、自分が誰かなどいいふ問ひに答へて安心す
るに至る事はないでせう。何故ならば、そのやうに考へる限り、存在について考へることが
ないからです。なぜならば、現・存在は、存在の上に成り立つ言葉であり、言葉の意味であ
るからです。

[註3]
これがカナダの哲学者のいふ「意味の地平」です。『言語とは何か』(もぐら通信第39号)より引用します。
このベン図の集合論の基本的な図が「意味の地平」です。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 35

CはAとBの掛け算、即ち時間の無い計算であり、安部公房の小説の結末が、これです。これに対して、AとB
だけを問題にするならば、これは足し算、即ち時間の中での計算です。例を挙げれば、リンゴ、バナナ、ミカ
ン、イチゴと時間の中で個別の名前を一々挙げて数えるのは足し算ですが、これに対して、Cといふ概念をあ
なたが発見し、さうだこれは果物(くだもの)だと命名すれば、これで全ての果物といふ果物を一言でいふこ
とができましたので、これが全体を意味する意味(meanings)、即ち意義(a sense)と呼ばれる意味になる
わけです。

論理学では、前者を延長(A+B+C+……)といひ、後者を内包(C)といひます。英語では延長はextensive、
内包はintensive。前者は意味(meaning)、後者は意義(sense)と呼ばれます。皆概念は同じです。使ひ方、
使はれる場所、使はれる文脈によつて名前が違ふだけで、概念は同じです。これが、言語機能論といふのでし
た。安部公房の世界の具体的な此の一例として「『カンガルー・ノート』論(5)」(もぐら通信第70号)
の「(18)駐車場」で論じた『没我の地平』に収められた最初の詩『詩人』と題した詩の第一連第一行目の
「小さな庭」が最後の長編小説『カンガルー・ノート』では「満願駐車場」と呼ばれてゐることをお話ししま
した。概念は同じですが、場所により領域によつて、即ち使ひ方によつて、名前が異なるのです。

この「意味の地平」を『S・カルマ氏の犯罪』で考へてみませう。

冒頭:「ふと、ぼくはペンを握ったまま、サインができずに困っていることに気づきました。
ぼくは自分の名前がどうしても想出せないでいるのでした。」(全集第2巻、378ページ
下段)
結末:「★/見渡す限りの曠野です。/その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なの
です。」(全集第2巻、451ページ下段)

(1)私は誰それであるといふことを証明するには具体的な物(ブツ)を私は必要とする
(2)私は私であるといふ言語再帰的なことを証明するのは、言語による以外にはないが、

(1)が冒頭のS・カルマ氏の現存在の問題、(2)が結末のS・カルマ氏の存在の問題と
いふわけです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ36

もう少し噛み砕いて言へば、

現存在は時間の中の存在ですから、これは足し算の世界です。私は本当はだれか?といふ問
ひは、S・カルマ氏が現在只今ここで一体誰か、何といふ名前で呼ばれてゐる者であるのか
といふ問ひに対する世界、即ち、名刺と本人の関係の世界、即ち、直喩(シミリ)の世界、
即ち「∼のやうな」「∼のやうに」の世界。[註4]

これに対して、

存在は時間の外の(名付けられぬ)何かですから、それは掛け算の世界です。垂直方向とい
ふ時間の存在しない差異からなる幾つも存在のある存在の世界です。それは、私とは何か?
といふ問ひに対する世界、即ち名刺と本人との間に隙間のない(非連続量)歪みのない(連
続量)世界、本人が本人自身、物が物自体、事が事自体である世界、即ち隠喩(メタ
ファー)、即ち「∼のやうな」「∼のやうに」ではなく、私は壁であるといふことのでき
る世界です。

[註4]
『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』(もぐら通信第55号)の「1。直喩とい
ふ毒(修辞の毒)」をご覧ください。詳述しました。

初期安部公房にあつて安部公房は既に、部屋、窓、自己証認、反照の四つの概念で、自己証
認の問題を解決しました[註5]。その最初の作品が『終りし道の標べに』です。『S・カ
ルマ氏の犯罪』と重ね合はせて見ます。

[註5]
『もぐら感覚5:窓』(もぐら通信第3号)にて論じましたので、ご覧ください。

冒頭:「旅は歩みおわった所から始めねばならぬ。墓と手を結んだ生誕の事を書かねばな
らぬ。何故に人間はかく在らねばならぬのか?......ああ、名を呼べぬ者達よ、此の放浪をお
前に捧げよう。」(『終りし道の標べに』全集第1巻、273ページ上段)(傍線は引用者)

冒頭:「ふと、ぼくはペンを握ったまま、サインができずに困っていることに気づきました。
ぼくは自分の名前がどうしても想出せないでいるのでした。」(『S・カルマ氏の犯罪』全
集第2巻、378ページ下段)

結末:「ああ、どうしたのだ。何処まで落ちるのだ。この洞穴は、この暗さは、この響は、
このしびれは……死、死ぬのだ。終ったのだ。もう一息。ああ、素晴らしい童話!
もぐら通信
もぐら通信                          ページ37

 (略)いや死なない。私は死なない。あの名を口にするまで死ぬはずがないじゃないか。
それまではお前だってやはり落ちるはずだ。勝手に待呆けるがいい。私は永久に死なない。
あの名をいつまでも口に出さないでいてやるんだ。
 ああ、旅はやはり絶えざる終焉のために……。」
(『終りし道の標べに』全集第1巻、273ページ上段)(傍線は引用者)

結末:「★/見渡す限りの曠野です。/その中でぼくは静かに果てしなく成長してゆく壁なの
です。」(『S・カルマ氏の犯罪』全集第2巻、451ページ下段)

(1)私は誰それであるといふことを証明するには具体的な物(ブツ)を私は必要とする。
(2)私は私であるといふ言語再帰的なことを証明するのは、言語による以外にはない。

(1)が冒頭の現存在の問題。この作品そのものが金山時夫のための墓碑銘でありました。
時間の中で不変の存在としてある物(ブツ)としての墓碑銘です。私は誰それであるといふ
ことを証明するには具体的な物(ブツ)を私は必要とするからです。この場合の私とは彼、
即ち金山時夫です。この一人称と三人称の同質の等価交換は、上の二つ目の結末で★の前で
は一人称で物語られ、★の後で三人称になるといふ人称の機制の問題として現れることに結
果してゐるといふ解釈も可能です。安部公房固有の話法「僕の中の「僕」」の構造です[註
6]。

[註6]
『デンドロカカリヤ論(後篇)』(もぐら通信第54号)にてこれを詳しく論じましたので、ご覧ください。

さうして(2)が結末の存在の問題、即ち「あの名」を口にしない限り、時間の中で私は死
なないのです。さうして、私の「旅はやはり絶えざる終焉のために……」、「……」の中の
沈黙の中の、即ち存在の中の旅を贋魚のやうに永遠に出発点にして終着点といふメビウスの
環の接続に再帰して繰り返す。私は私であるといふ言語再帰的なことを証明するのは、言語
による以外にはないからです。

この先も実はまだまだ議論は尽きないのですが、ここまでとします。
もぐら通信
もぐら通信                          38
ページ

リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(29)
   第2部 III
       ∼安部公房をより深く理解するために∼ 岩田英哉

III

SPIEGEL noch nie hat man wissend beschrieben



was ihr in euerem Wesen seid.

Ihr, wie mit lauter Löchern von Sieben

erfüllten Zwischenräume der Zeit.

Ihr, noch des leeren Saales Verschwender ―,



wenn es dämmert, wie Wälder weit...

Und der Lüster geht wie ein Sechzehn-Ender

durch eure Unbetretbarkeit.

Manchmal seid ihr voll Malerei.



Einige scheinen in euch gegangen ―,

andere schicktet ihr scheu vorbei.

Aber die Schönste wird bleiben ―, bis



drüben in ihre enthaltenen Wangen

eindrang der klare gelöste Narziß.

【散文訳】

鏡を、今だ嘗て、お前たちが、お前たちの本質の中に何があるのかを知って、ひとは叙述
したことはない。お前たち、篩(ふるい)のただ穴だけで満たされているように、満たさ
れている時間の中間空間(時間と時間の狭間の空間)よ。

お前たち、夕暮れになるといつも、遥かなる森という森のように、まだ、空虚な大広間の
浪費家であるものたちよ….
そうして、シャンデリアが、角が16に分かれた牡鹿(おじか)の如くに、行く、
お前たちの、中に踏み入られないという性質を通って。
もぐら通信
もぐら通信                          39
ページ

時には、お前たちは、絵画で一杯になることもある。
幾つかの絵画は、お前たちの中、内側で、歩行しているように見える。
その他の絵画は、お前たちは、内気なことに、そうはしないで、やり過ごして、ただ行か
せてしまうのだ。

しかし、最も美しい女性は、留まることになる。そこ、その女性の含まれた両の頬の中に
まで、清澄な、禁忌、呪縛から解き放たれたナルシスが押し入って来るまでは。押し入っ
てきたのだ。

【解釈と鑑賞】

前のソネットが鏡を歌っていることから、このソネットも鏡を歌っている。

第1連は、鏡というものの性質を歌っている。鏡は、時間と時間の間にある空間だと言って
いる。時間と時間の間の空間とは、変化する時間の性質を有した、変化しない空間という
意味に解釈することができる。一見矛盾のようであるが。

第1部のVIIIの妖精が棲む空間、あの賞賛、讃嘆の空間の中に棲んでいる妖精も、同じ空間
にいるのだろうか。なぜなら、そこでは、泉から流れ出るわたしたち人間の流れを、不変
(巌)の尺度で計測し、わたしたちがklar、クラール、清澄であることを見張ってくれてい
たからである。Klar、クラール、清澄という言葉は、このソネットの最後にナルシスの形
容としても使われているので、これらふたつのソネットは、どこかで間違いなく響きあっ
ている。

それから、悲歌2番最後の連の次の文、これが鏡という空間なのではないでしょうか。いや
順序は逆で、リルケはこのような空間が時間と時間の合間にはあって、それを鏡と呼び、
また次のように果実のなる豊かな土地と呼んでいるのでしょう。この巌(不易)と流れ(流
行)という対比の仕方から言っても、上に述べた泉の妖精と大いに関係のある空間だとい
うことがわかります。

Fänden auch wir ein reines, verhaltenes, schmales



Menschliches, einen unseren Streifen Fruchtlands

zwischen Strom und Gestein.

【散文訳】

もし、わたしたちが、純粋で、抑えられている、狭い、人間的なもの、すなわち、急流と
巌の間にある一筆の果実のなる豊かな土地を見つけることができるならばなあ(実際には
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そういうことはないのだが)。

今こうして読んでみて、人間的なものと鏡との関係をもう少し考えなければならないとい
うことに気づきました。それをしなければ、この豊かな土地が鏡であるとは言えません。
しかし、リルケが、時間の中に、何かそのような、わたしたちが生きる、変わらぬ空間を
思い描いていたことは否定できないでしょう。鏡もそのような、しかし一寸非人間的な感
触で、歌われているように思います。非人間的な感じがするのは、それが鏡だからでしょ
う。

この空間は、篩の穴だけからできているような空間だと歌われています。そのような空間、
それが鏡です。それは、ものとものとで構成される空間。ある時間というものと、次の時
間というものとで構成される空間。さて、こう考えてくると、リルケは時間をひとつだけ
念頭においているのではなく、複数の時間を念頭において、この一行を書いたのではない
かと思われるのです。ひとつの時間の中で、ある時点と次の時点の間の空間という意味で
はなく、一本の時間の流れがあり、別の一本の時間の流れがあり、その間の空間という意
味です。どちらの解釈も可能だと思います。

第2連をみると、大広間ということから、ヨーロッパにあるような何か宮殿の中の空間を連
想しますが、そのような空間を思い描いてみるとよいのではないでしょうか。シャンデリ
アが、角の豊かな牡鹿のように、鏡の中を歩いている。悲歌でもみたように、注意すべき
は、リルケはいつも空間の中に時間をおくことです。空間を設定して、そうしてその中で
動きを歌う。これがリルケの順序です。

さて、シャンデリアが歩行しているのも、鏡の性質、現実のものを映すという性質によっ
て、「中に踏み入られないという性質を通って」と歌われています。像は映っていても、鏡の
中に入っていくことはできません。何か幻想的で美しい連だと思います。

同じように、広間には絵画が掛けられていることが多々ありますので、そのような空間で
は、鏡は絵画を映じることになるでしょう。これが、第3連です。第3連の最後の行、

その他の絵画は、お前たちは、内気なことに、そうはしないで、やり過ごして、ただ行か
せてしまうのだ。

という一行をみると、リルケは、空間にも何か意志、意図といってよいものを認めている
のではないかと思われます。この一文は、譬(たと)えとは言えない、何かぎりぎりのも
のがあります。このことは、第2部XIIの第3連第1行でもう一度論ずることになるでしょう。
そこでは、空間が認識するという言葉が書かれているのです。リルケの空間と意志の問題
は、悲歌5番のところでも論じたところです。
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さて、最後の連ですが、最初の一行は、しかしという接続詞で始まっています。この「しか
し」の意味は何でしょうか。前の連で、鏡の中でシャンデリアが歩行したり、また現実のも
のを映すことをしないで、やり過ごしたりするということに対して、反対にそうではなく
という意味なのでしょう。

そうではなく、美しい女性は、鏡の内側にあっても動かないままである。空間という性質
の本来の性質を体現しているかのように、留まって、動かない。ただ、いつまでかという
と(やはり時間があらわれて)、

そこ、その女性の両の頬の中にまで、
清澄な、禁忌、呪縛から解き放たれたナルシスが押し入って来るまで

というのです。

「清澄な、禁忌、呪縛から解き放たれたナルシス」といわれているので、このナルシスは、
自分自身を愛するという呪縛から解き放たれて、女性を愛するナルシスだと考えられます。
鏡の中に自分自身ではなく、異性である女性を見ることのできるナルシス。やはり、ナル
シスも、「中に踏み入られないという性質を通って」、鏡の中に入ってゆくことができるの
でしょう。

「清澄な、禁忌、呪縛から解き放たれたナルシス」と同じ文を、わたしたちは、第1部ソネッ
トIに既に見ています。それは、

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren



gelösten Wald von Lager und Genist

沈黙の中から生まれてきた動物たちは、清澄な、禁忌を解き放たれた森、
寝床と巣であった森からから外へと切迫したように走り出た。

興味深いことは、この「清澄な、禁忌、呪縛から解き放たれた」とリルケが歌うものとの関
係では、いつも、何かが、押し迫って出たり、押し迫って入ったりするということです。
これは、リルケの実感なのでしょう。

この「最も美しい女性」は、ナルシスが、その頬の中に押し入ると、やはり時間の中を、ナ
ルシスと一緒に動くのでしょう。花という主題ではなく、鏡という主題を歌っているから
でしょう、リルケの筆致は、エロティックに過ぎることがなく、美的な形象を歌うことが
できていると思います。

「含まれた両の頬」という言葉が少しわかりにくい。それは何かに含まれているのでしょう
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が、含んでいるのが何かが不明です。あるいは、過去分詞になって、形容詞のような意味
を持つとして、それが何を意味するのか。何かある形状を言ったものなのか。いづれにせ
よ、美しい頬であることには変わりがないでしょう。この女性の頬は、ナルシスが魅入ら
れ、その中に押し入るほど魅力的な頬なのでしょう。あるいは、神話に典拠があるのでしょ
うか。調べましたが、そこに至りませんでした。

【安部公房の読者のためのコメント】

最後の「含まれた両の頬」という表現は、恐らくは女性の美しい、魅力的な頬の形容なので
せう。日本語ならば、若い女性の肌の形容で、張りのある頬とか、艶のある頬とか、つま
り皺のない頬であるといふ、さういふ頬なのかも知れません。

さて、鏡については、安部公房の世界にはいつも登場する物ですから、あるいは一々の例
を挙げるまでもありませんが、例へば、

(1)『幽霊はここにいる』の冒頭の手鏡
(2)『愛の眼鏡は色ガラス』の扉の鏡(初演時の)
(3)『カンガルー・ノート』の最後の第7章の「垂れ目の少女B」の手鏡
(4)『鏡と呼子』の鏡

まだまだあるでせうが、いづれも鏡の本来の働きに戻つて考へると、鏡に自分の姿が映り
ますから、人間は自分の姿を見るために鏡を発明したといふこと、それは同時に目的がさ
うだといふよりも、人間が自分の在り方の再帰的な姿を確認するために必要とした物だと
いふことでありませう。

即ち、鏡と同じ働きをするものであれば、それが物であれ、人であれ一向に構はないとい
ふことです。初期安部公房の言葉でいふと、有機物も無機物も生きてゐるといふことです。
読者は『S・カルマ氏の犯罪』の名刺や、主人公の部屋の中での名刺や靴や眼鏡やネクタイ
や帽子やビラの反乱を思つて見ると良いでせう。
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今思ふと、第二次大戦後のヨーロッパで流行したシュールレアリスムは、アンドレ・ブル
トンの『シュールレアリスム宣言』を読みますと、隠喩(メタファ)で物事を表現する運
動でありましたから、一神教のtopologyの配下にある民主主義、資本主義、マルクス主義
を否定し、これらに反対するものでした。しかし、同じ一神教のtopologyであるにも拘ら
ず、即ち同じ穴の狢であるにも拘らず、マルクス主義が前二者を貨幣の存在の肯定否定を基
準にしてこれらの制度を否定してみせましたから、マルクス主義といふ共産主義と結ぶこ
とがあつたのでせう。

しかし日本にあつては、これは「死んだ有機物から 生きている無機物へ!」といふ存在
の立て札は、藝術家それぞれが身にまとつた衣装も思案した意匠も様々でありましたが、
やはり、隠喩の世界でありますから、確かに三島由紀夫が当時安部公房の出版記念会の席
上褒めて言つたやうに、コミュニスト(換喩[註1])であつて且つシュールレアリスト
(隠喩)であるなどといふ矛盾を一身に抱へて矛盾しないといふ安部公房は素晴らしかつ
たといふことなのです。

修辞学の視点で20世紀を眺めますと、20世紀は政治の世界のマルクス主義もさう、民
主主義も資本主義も、商業のマスマーケティングによる広告も宣伝もさう、文学の世界の
村上春樹の小説もさう、これらはみな換喩であり、前世紀は換喩の時代でした。21世紀
は、これから隠喩の時代になるでせう。まあ、シュールレアリスムが日常になつてしまつ
た世界といふことになります。安部公房の読者には日常的に過ぎるかもしれませんが。

[註1]
宣伝広告での換喩の典型例は、化粧品の広告です。美しい若い女性と並べて化粧品を置くと、これを見た消
費者は、本当はそんな関係など全く無いのに、この化粧品をつかふと其の女性と同じやうに美しくなる効果
があるのだと錯覚すること、これが換喩です。

換喩といふのは単なる並列であり、隣接であつて、二つのものが実際に交流して何か新し
い価値を生み出すといふ事はないのです。言語の意味の問題としては、次の通りの関係で
す。『言語とは何か』(もぐら通信第39号)より引用します。
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AとDの関係が換喩、AとBの関係が隠喩です。銭形平次と本名をいはずに、八丁堀といつ
たり、新潮社と呼ばずに矢来町、文藝春秋社と呼ばずに紀尾井町、国会議事堂の中の政治
とはいはずに永田町、行政府を霞が関といふのが、これみな換喩。これに対して、君は薔
薇だ、あいつは麒麟だといふのが隠喩です。三島由紀夫は隠喩の作家。安部公房はこのい
づれでもない直喩の作家。この図でいふと、BとEといふ無関係なものを上位接続して一つ
にまとめる、即ち存在を創造するのが安部公房。ですから、三島由紀夫のいふコミュニス
ト(換喩)であつて且つシュールレアリスト(隠喩)といふ評言は当たつてゐるのです。

思へば、この換喩関係の示す通りに、20世紀といふのは人間同士が唯隣接してゐるだけ
で、心の通はぬ世紀でした。しかし、BとEの直喩関係を創造し続けた安部公房は、これも
また孤独なことでした。ほとんどの人間は隠喩関係に、即ちAとBの関係を持ちたいと思ひ、
共通集合の意味をなすCを創造して共有したいと思つて生きてゐるのです。

しかし今猖獗を極めて悪事をなしてゐるpolitical correctnessや人権などといふのは、相変
はらず、一神教のtopologyを世界中で主張して20世紀を失ひたくない換喩人間たちの悲
鳴のやうに(これは直喩)聞こえます。まあ、リルケの詩を熟読玩味して、もう少し文化
とは何かといふことについて考へてもらひたいものです。
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Mole Hole Letter


(10)
超越論(5)
勾玉
岩田英哉

勾玉については、八といふ漢字の文字との関係で既に前回お話しした通りですが、ここで改め
て取り上げるのは、折口信夫の御魂論を読んで、その所論が私のtopological(位相幾何学的)
な理解に一致してゐることを知つたからです。折口信夫の説明は、私とは逆方向からの、即ち
論理ではなく感情からのわかりやすい説明です。『万葉集に現れた古代信仰ーたまの問題ー』
(折口信夫全集第9巻。中央公論社。1955(昭和30)年12月発行)ー原題のたまの傍
線は傍点ーより次の箇所を引用しますので、ご覧下さい。

ここで、私たちの理解に共通してゐるのは、古代人の信仰心とふことです。このタマを巡る私
たちの祖先の信仰心は、折口信夫の論の冒頭に曰く「玉といへば、光かゞやく美しい装飾具と
しての、鉱石の類をお考へになるでせう。又、万葉集で「玉何」と修飾の言葉としてついてゐ
るのは、その美しさを讃美した言葉だ、とお考へになるでせうが、多くの場合、それは昔から
の学者の間違ひの伝承で」あるのですから、さうではない、といふ意味では正しい理解を、即
ち曲がらぬ理解を曲玉を巡つて、お話しすることになります。勿論、解ることと解らぬことの
二つは明確にして論を進めたい。話の筋道に沿つて幾つか引用しますので、折口信夫の大意を
汲み取つて下さい。(以下全ての引用の傍線は原文は傍点)

「日本人は霊魂をたまといひ、たましひはその作用をいふのです。そして又、其の霊魂の入る
べきものをも、たまといふ同じことばで表してゐたのです。凡(およそ)信仰に無関心な人々
も、装身具の玉は、信仰と多少の関係を持つてゐると考へてゐますが、はつきりとは考へてゐ
ません。昔の人は、其を密接に考へてゐました。即、尊いたま(霊)が身に入らなければ、そ
の人は、力強い機能を発揮する事は出来ないと信じてゐました。」(原文は傍線が傍点)

「日本の信仰では、霊魂が人間の体に入る前に、中宿(なかやど)として色々な物質に寓ると
考へられてゐます。其代表的なものは石で、その中で、皆の人が承認するのは、神の姿に似て
ゐるとか、特殊な美しさ・色彩・形状を具へてゐるとか言ふ特徴のある物です。(略)之をを
一つの紐に通しておくのが、古語で言ふみすまるのたまです。だから、考古学の方で、玉の歴
史を調べる前に、どうしても霊魂の貯蔵所としての玉といふ事を考へてみなければ訣(きま)
らぬものが、装身具の玉になつた後にもあるのです。古代には、単なる装飾とは考へてゐず、
霊的な力を自由に発動させる場合があつたに違ひないのです。併(しか)しそれは、非常に神
秘的な機会だから、文字に記される事が少かつたのです。」

これは、古事記に関して前回『3。三種の神器とは何か』の「(2)八尺瓊勾玉(やさかにの
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もぐら通信                          ページ 46

まがたま)とは何か」の節で分類をした、

①服飾の飾りものとしての勾玉
②祭りの用具としての勾玉

これら二つの勾玉のことを言つてゐます。そして、信仰心にあつてはこれらは一つのものであ
るといふ。信仰心とはこの場合、魂(タマ)が一つの勾玉に宿つてゐるといふ事を知つてゐる
といふ事です。

さて、このやうな玉と魂の理解を前提に、折口信夫の次の万葉集の和歌の引用と解釈の例をみ
てみませう。

「あも刀自(とじ)も 玉にもがもや。戴きて、みづらの中に、あへ巻かまくも(四三七七)
 おつかさんが玉であつてくれゝばよい。それをとつておいて、何時も頭のみづらの中に交へ
て纏かうやうに、玉であつてくれゝば良い。」

「人言のしげきこのごろ。玉ならば、手にも纏(ま)きもちて、恋ひざらましを(四三六)
 人の評判がうるさい此頃だ。あの愛人が玉だつたら、人目につかない様に手に纏きつけてお
いて、常に離さないで暮して、こんなにこがれないで居られたらうのに……」
(略)かういふ言ひ方をするのは、まう一つ前に、霊魂なら、ある点すぐ自由に分離したり、
結合させたりすることが出来るといふ考へがあつたからの事です。その表現が、霊(タマ)の
中心観念から装身具の玉に移つて行つても、ついて廻るのです。文字の上にも、信仰の推移が、
非常に影響してゐる事を考へなければなりません。」(傍線は引用者)

上記引用の傍線部は、哲学ならば汎神論的存在論、数学ならばtopologyといふ事です。

タマを接続することが自由に出来るといふ此の論理の延長に又其の上に、次の大伴坂上郎女(大
伴家持の叔母)の歌があります。

「玉主(たまぬし)に玉はさづけて、かつがつも 枕と我は、いざ二人ねむ(六五二)

これは、自分の娘を嫁にやつた母の気持ちを詠んでゐるのです。「かつがつ」といふ言葉が、
二人寝るといふ条件を、完全には具備してゐない事を示してゐるのです。つまり、枕と自分と
だけでは、やつと形だけ二人寝るといふ事になるので、もつと何か特別な条件がつかないと、
完全な二人寝ではないのです。たまの本来の持ち主にたまを授けた、保管せらるべき所にかへ
つた、といふのが「玉主にたまは授けて」といふ事なのですが、この意味が、はつきり訣(き
ま)れば、「かつがつも」が解けるのです。これは唯、今まで二人ねて居て淋しくは思はなか
つたが、これからは、それが出来ないから、枕と二人寝しようよと言ふ事だけでは訣らないと
思ひます。つまり、枕べに玉を置いておくのは、そこに、その人の魂があるといふ事なのです。
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もぐら通信                          47
ページ

其で完全な一人なので、そこへ自分を合わせて二人となるのです。」(傍線は引用者)

ここで『3。三種の神器とは何か』(もぐら通信第84号)の「(2)八尺瓊勾玉(やさかに
のまがたま)とは何か」のtopologyの図形と説明を再掲します。

「これは何も特殊なことでは無く、私たち日本民族の古代の、間違ひなく縄文時代以来の論理
と感情と感性の表現です。私たちは今でもいつも半分しか言葉にせず、またものに表さない。
その例として中臣の祓詞(はらひことば)、通称大祓(おほはらひ)と呼ばれる祓詞の最初の
段落の後半を引用します。これは祓詞ですから、否定形のものの言ひ方になつてゐますが、こ
れを肯定形で読み直して見ると、私たち自身のこころがよくわかります。わたしたちは木々が
言葉を話す声が聞こえるのですが、しかし、それは言葉といふ言の端(ハ)の半分だけ、片葉
だけが話をするのです。

「(略)如此依(かくよさ)し奉りし國中(くになか)に 荒振る神等(かみがみ)を 神問
(かみとは)しに問(とは)し給ひ 神掃(かみはら)ひに掃(はら)ひ給ひて語問(ことと
ひ)し 磐音(いわね)樹立(こたち)艸(かや)の片葉をも語止(ことやめ)しめて 天
(あま)の磐座(いわくら)押放(おしはな)ち 天(あま)の磐戸(いわと)を押開(おし
ひら)き 天(あめ)の八重雲(やえぐも)を 伊豆の千別(ちわき)に道別(ちわき)て 
天降(あまくだ)し依(よさ)し奉りき」

上記の下線部のいふことは、古代にあつては、カヤの木(といふ宇宙樹)は葉つぱを介して人
に語りかけるものであるが、しかしそれは葉つぱの半分だけの葉が語るのであるといふことに、
この文はなります。これは、高天原0と高天原1の関係に同じです。また、あなたが折り紙を
半分に折つて開き、次のやうに名前を置いても良い。
もぐら通信
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これはそのまま安部公房の「沈黙と余白の論理」といふ名前をつけて、私たちの知るところで
す。安部公房は半分しか言挙げしない。」

折口信夫の本文とは挙げる順序が逆なのですが、大伴坂上郎女の歌の前段に上記と同じ趣旨の
理解を伝へるために次の柿本人麻呂の歌を挙げて解説してゐます。

「沖つ波来寄る荒巌(ありそ)を しきたへの枕とまきて、寝(な)せる君かも(二二二)柿
本人麻呂)
 沖の方の波が来寄せる所の、岸の荒い岩石を、枕の如くして、寝ていらつしやるあなたよ。」

「人麻呂の歌も、本道なら、枕に玉を置かなければならないのに、岩の枕だけだといふので、
昔の人には、これだけで霊魂(タマ)がなくなつて死んでゐる事が訣(きま)つたのです。」

タマが二つに別れ別れになつたままの此の歌を、このやうに理解をすると、この柿本人麻呂の
歌の番号が二二二であるといふ付番もまた何かの暗号であるかも知れないと思ひたくなります。

Topologyでいへば、勾玉は二つあつて初めて完璧なtorus(トーラス)となる、といふ事です。
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かうしてみると、伊耶那岐神・伊那美神が天の御柱の周りを廻るといふ国生みの行為もまた、
思考論理としては、天の御柱がトーラスの中心の中空(ドーナツの穴)、則ち存在(凹の形
象)に立てられてゐて、この周りを上の勾玉の形象のやうにぐるぐると廻るといふのであれ
ば、国生み神話もまたtopologyで出来てゐて、そのやうに国生みをしたといふことになる。
これは何故御柱を廻るかといふと、やはり半分半分が一つになつて円環をなすための周回で
はないかと考へられる[註1]、ともに歩いて廻ると円環をなす。即ち、天の御柱の周囲を
巡つて円環をなぞり、周回することによつて半身半身である男神女神それぞれが一人一つ一
柱になることができると考へられるのです。

さうやつて、半分半分であれば時間の中でも玉が穢れることはない。何故なら「穢れをそも
そも回避し、祓ひをする「以前に」(超越論)祓ひを終えるといふ祓ひをするためには、勾
玉のやうに半分だけ表すのがよく、カヤの木の片葉のやうに半分だけ語るのがよく、残りは
沈黙と余白に残すことが正しいことである」からだ。(Mole Hole Letter(9)/超越論
(4):高天原2:八といふ文字/(3)何故仁徳天皇陵以下の御陵である古墳は記紀に書
かれてゐないのか:古墳とは何か)

これが縄文時代以来大和朝廷で編纂した記紀にも文字では書かれ得なかつた私たちの論理と
感情の基礎にある超越論(汎神論的存在論)であり、遥か大昔1万5千年来の私たちの
topology[註2]の論理による天地初発であり国生み神話なのです。私たちは21世紀に此
の論理の上に生きてゐる。

[註1]
最初右回りで、声を掛けるのが女性の神である伊那美神からであつたことからヒルコが生まれたので、高天原
に天の御柱を通じて共に高天原にお帰りになつて、天津神に相談をして指示を求めたところ、天津神の太占(ふ
とまに)の太占の結果を受けて、次に今度は反対周りにして、声を男の神から声を掛けたとといふ順序の変換
は、topologyを位相幾何学と訳した位相といふ言葉を使へば、これは位相を変へたといふことになります。ま
た、卜占は鹿の骨を焼いて割れ目をみて判断するといふことですから、安部公房の読者ならば、割れ目、則ち
隙間(非連続量)であり、差異であることは歴然たるものあり、則ち高天原の神々は差異の分類、則ち割れ目
の分類ができてゐるといふことです。大八島で国津神の間で骨を焼いて卜占することがあれば同様のことだと
思はれる。勿論、それは太占(ふとまに)とは呼ばずに、別の名前で呼ばれてゐるのかも知れませんが。

[註2]
私たちの超越論は、近代ヨーロッパ文明の超越論とは次のやうに異なつをり、異質です。表にして示します。
前者の超越論を、この論考の文脈に従つて「秋津島論理学」と呼び、後者の超越論を「ヨーロッパ論理学」と
呼ぶ事にします。
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ページ

ヨーロッパ論理学と秋津島論理学の比較表は:
https://ja.scribd.com/document/384867977/ヨーロッハ-論理学と秋津島論理学
安部公房の分類は:
https://ja.scribd.com/document/377549947/安部公房の分類-v2-赤字強調

欧米に生まれた一神教topologyの下での民主主義といふ政治制度では、政権与党に対するに反対政党が必
要であるが、しかし我が国では此の対立は成立せず、政権与党に対するに必要な政党は、それがもし政党
であるならば(さうでない可能態・蓋然態もあり得る)「沈黙・余白」党といふべきものであるといふ事
になる。私のいふ自然政治学があり得るとしたら、やはり後者の可能態・蓋然態を、高天原の存在の三階
層のtopologyに基づいて構造化する事になります。私たちにとつては、肯定の反対は否定ではない。もし
否定といふ言葉を使ふのであれば、肯定の沈黙と否定の沈黙、肯定の余白と否定の余白が、私たちの論理
学にはあるといふことになります。
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20世紀の一神教topology型の一斉同報マスメディアが選挙のたびに浮動票と呼ぶ有権者の層は、実は少しも浮
動であるのではなく、この「沈黙・余白」といふ確たる原理上の論理を無意識に選択してゐる、お不動様の不動
のむしろ不動層であるといふ事になります。これが日本人の選挙であり政治であるのです。

また、沈黙・余白の列と掛け算の行の交差するセルにある超越論とは、高天原は文字では歌ふことをせず、歌ふ
ならば和歌といふ(高天原と同じ様式を備へた)詩文にのみよるといふ此の考へ方、これが超越論に当たります。
此のセルの超越論を、日本人は縄文時代以来1万5千年、自分自身に対して日本語といふ言語で語ることができ
なかつた。況んや、各時代時代の大陸諸国に対してをや。

そうやつて生まれた大八島の中の中心である畿内地域が大倭豊秋津島(おほやまととよあきつ
しま)といふ名前で呼ばれ、また日本書紀では後代に初代神武天皇が橿原の西に接する掖上(わ
きがみ)の本間の丘に登って國見をされた際「妍哉(あなにや)国を獲(え)つるこ
と。・・・・・・なお蜻蛉(あきつ)の臀占(となめ)せる如(ごとく)あるかな」とおしや
つたことからも、特に後者の言葉には直接次の形象、即ち勾玉と同じく半分半分で併せて一つ
といふ論理のあることが判ります。古代の人は秋津といへば、トンボの番(つが)いの事を連
想したのでせう。勾玉の頭と勾玉の尾、赤とんぼの頭と赤とんぼの尾同士の、メビウスの環の
接続といふわけです。

この秋津島といふ命名には、秋津(トンボ)の交尾、ヤゴの棲める清らかな水のあること、ア
キアカネの群れ飛ぶ豊かな稲穂の実る水田か葦原のある土地の景色、そして秋のみのりの豊か
さといふ連想があるのでせう。日本の美称である豊葦原瑞穂の国といふ命名もまた、同様の連
想連鎖があるものと思はれます。天(あめ)には高・天原、地(つち)には豊・葦原といふ、
垂直方向に対称性を備へた配置です。

上で見た勾玉の論理と感情を敷衍して此処で秋津の世界を眺めれば、秋津には秋津の命あり、
トンボにはトンボの魂があるといふ事になります。さうであれば、折口信夫のいふ通り、勾玉
の形をした赤トンボのやうな石には勾玉の命あり、勾玉といふ石には勾玉といふ魂と其の命が
あるといふ事になります。私たちには無意識には、石の命と人の命の識別がつかない。
もぐら通信
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最後に、言霊(ことたま)といふタマについて同じ事を考へてみませう。 『安部公房
とチョムスキー(8):7. 一神教と大地母神崇拝をtoplogyで読み解く』(もぐら通信
第81号)より引用します:

「(g)「私たち日本人は、存在に関しては言挙げしない」といふこと。既述の通り、時
間との関係で現れたものは穢れるからであり、判りやすく西洋風に言へば変化するから
であり(カントーヘーゲルの系譜の共産主義のやうな進歩はない)、最初の形を留めな
くなるからであり、又空間との関係では、高天原といふ差異には時間は存在しないから
である。だから、「私たち日本人は、存在に関しては言挙げしない」。何故ならば、私
たちは超越論的に「既にして」このコトを知つてをり、また私たちには「いつの間にか」
(超越論的時間)「どこからともなく」(超越論的空間)このコトが知られてゐるから
である。
(h)言挙げのコトとは、言葉のコト、即ちコトの葉、コトの端といふコトであるが、私
たちが常に端(ハ)をいひ、本(モト)を言はずに沈黙してコト挙げしないのは、モト
が樹木といふ垂直方向の無時間に立つ(従ひ)始めも終はりもない超越論的な永遠の命
だからであり、これは宇宙の構造そのものである入籠構造であるからであり、言語構造
そのものであるからだ。柱は宇宙樹木である。即ち、
(i)コトは、樹木のモトの構造を意味する。コトとは、天地の間に立つモトとしてある
樹木の幹・大枝・中枝・小枝の入籠構造を意味する。それ故に、コトの端(ハ)といふ。
私たちが四季を愛で、木々の景色の変化を愛するのは、木々の幹・大枝・中枝・小枝の
構造が言語宇宙の構造であることを無意識に知つてゐるからであり、ハはモトを隠し、
私たちの鑑賞眼はハに注意を向ける。それ故に季節の変化点で、春ならば桜のハを、秋
ならば紅葉のハを愛でる。ハが散ると、私たちはモトをもはや忘れてしまふ。コト挙げ
しない。私たちは宇宙樹木の形象を言挙げしない。恐らくは、このモトとハの再帰的関
係に言霊(ことだま)は宿る。即ち言霊は再帰的である。それは言語の再帰性から言つ
ても当然のことである。」

言霊を勾玉と同じく半分の現れだと考へると、沈黙と余白にある残り半分のタマは、存
在の三階層にある。これを古事記の天地初発神話に求めれば、高天原の三階層といふこ
とになり、私たちは日本語で話しをしてゐればそれだけで、榊の木といふ神木の宇宙樹
木の御柱に上の枝には八尺瓊勾玉を掛け、中の枝には八咫の鏡を掛けて、下の枝には木
綿と麻の布を取り垂らすやうに、「霊魂の貯蔵所としての玉」を高天原の最上位、則ち
高天原0または1に我が身にある半分の言霊のもう一対を置いてゐるのではないでせう
か。この言霊の威力(天津神に/より再帰するわけですから神威といふべきでありませ
う)、地(つち)にあつて此れを体現するのが、同じ高天原が3、5、7の奇数で様式
化された和歌である。長歌は高天原をなぞり、これを繰り返し再生する。そして、反歌
は長歌を5、7、5、7、7を以つて高天原に奉納する。一首の和歌、連歌、俳諧、俳
句以下の詩文はみなこれに倣つてゐる。これが私たちの無意識にいふ言霊(ことだま)
といふことになります。
もぐら通信
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それでは、散文はどうであらうか。

日本書紀、古事記に高天原の名前の文字で表されることが禁忌(タブー)であるやうに、
21世紀の現代の私たちの文学のうち小説といふ範疇に於いては、日本語で書かれる以
上、事情は古代から同様なのであり、富士山といふ名前を呼ばずに、神奈備と呼んで存
在を示し、天(あめ)の高天原へ/より再帰し又地(つち)の大八島へ/より再帰する、
となれば、これは安部公房の用語でいふ問題上昇と問題下降といふ思考と言語化のプロ
セスそのものであつて、安部公房文学の持つtopologyに基づく構造化され「横に並んで
いるものがいつの間にか、縦に見えてくる迷路のような小説」[註3]の読者である私
たちは、超越論的に「いつの間にか」(超越論的時間)「どこからともなく」(超越論
的空間)、《高天原》[註4]と大八島の間を、上昇下降の、また水平方向の、往復・
往来をしてゐるといふわけです。

[註3]
『文学世界にテーマはいらない』全集第29巻、245ページ上段)

[註4]
安部公房が意味を割り振つた安部公房の汎神論的存在論(超越論)、則ち新象徴主義哲学[註4A]に基
づく記号の定義については、初期安部公房論の四つのうち『安部公房の初期作品に頻出する「転身」とい
ふ語について(3)』(もぐら通信第58号)及び『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語に
ついて(4)』(同59号)または『カンガルー・ノート論(1)』(もぐら通信第66号)の「3。『カ
ンガルー・ノート』の記号論」を参照下さい。

[註4A]
安部公房の自分独自の哲学に関する言葉:

「僕の帰結は、不思議な事に、現代の実存哲学とは一寸異つた実存哲学だつた。僕の哲学(?)を無理に
名づければ新象徴主義哲学(存在象徴主ギ)とでも言はうか、やはりオントロギーの上に立つ一種の実践
主ギだつた。存在象徴の創造的解釋、それが僕の意志する所だ。」(『中埜肇宛書簡第10信』全集第1
巻、270ページ上段)

上記に引用した手紙の段落の直ぐ後に、23歳の安部公房は次のやうに続けてゐます。

「それから、現代のいはいる実存主ギとは、僕はまるで無縁だ。一口に言つてあの下劣なコッケイさが実
存主義なら僕は反実存主ギ者だと言はれてもかまはない。同じく「ハナ」と言つても、花と鼻との相違、
いやそれ以上の相違が在ると思ふ。あれは単なる流行主ギだ。」

さう、確かに安部公房の箱根の仕事場からは富士山は見ることができないのでした。縄
文人からみると、安部公房は富士山といふ高天原(といふ存在)を言挙げせずに、神奈
備ですら陰画で描いて自分たちの禁忌(タブー)を遵守した、アンチ・ヒーローばかり
を描いた優れた20世紀の小説家だといふ事になります。縄文文学賞といふのがあれば、
もぐら通信
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時空を超えて、まづ安部公房のところにやつて来ることでせう。この賞を授与するため
にやつて来るのは『カンガルー・ノート』に登場する、脛にふさふさの毛を生やした大
和朝廷以前の悠久の彼方、無文字文明の縄文時代からの名門の出である(安部公房に作
中)縄文人と呼ばれてゐる縄文人に違ひありません。もつともこの場合、受賞者の脛(す
ね)にもカイワレ大根が生えてゐなければなりませんが。

何故富士山の見えない場所に仕事場を構へたかといふ事について、養老孟司との対談で、
仕事場の山荘の下の芦ノ湖畔の少し上の道を歩きながら安部公房曰く、このいい景観に富
士山が入つたら、と安部公房がいふと、そこに養老孟司が半畳を入れて風呂屋の看板みた
いになる、さう、とてもやつてられないからねと作家が応じてゐるところは、動画が始ま
つて2分過ぎのところ、関東もぐらと関西もぐらが箱根の山を境に戦つてゐるといふ話の
直後から:https://www.youtube.com/watch?v=Ywj7xuNGfb8

考へてみれば、『カンガルー・ノート』の第6章風の長歌に登場する縄文人の大好物であ
る漉(こ)し餡の鯛焼きを、縄文人は尻尾から食べるのでした。尻尾を食べて、穴をつく
つてから中身の餡子をチューチューと吸い出して鯛焼きを空つぽにする縄文人。なるほど、
確かにかうして鯛焼きの写真を並べて見ると鯛焼きの尻尾はみな、中身は餡子であれクリー
ムであれ、神奈備の山、即ち高天原である富士山に見える。縄文人は富士山を齧つてゐる。
富士山は鯛焼きの尻尾になつた。
もぐら通信
もぐら通信                          55
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縄文時代に鯛焼きはあつたのだらうか?いや、鯛焼きの尻尾に餡子はないが、しかしどん
どん焼きは餡子が詰まつてゐて、鯛焼きとは違つて「ドンドン焼きには歴史がある。皮よ
り餡が命だからな」といふドンドン焼きは、あつたのかも知れない。ドンドン焼きを食べ
る縄文人を想像するのは楽しい。もつとも、さうだとしても、縄文遺跡からドンドン焼き
が発見されることは決してないであらうと思はれれる。何故なら、縄文人の子供達が食べ
てしまつてゐるから。
もぐら通信                         

もぐら通信 56
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連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部

(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(2)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
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もぐら通信 ページ57
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
    真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
    て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
    ①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
    ②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
    ③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
    ④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
    ⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
もぐら通信                         

もぐら通信 58
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(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少
年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(68)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(69)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(70)Topologyで神道を読む(1):祓詞と祝詞と結界のtopology
(71)Topologyで神道を読む(2):結び・畳み・包みのtopology

[シャーマン安部公房の神道講座:topologyで読み解く日本人の世界観]
(71)超越論と神道(1):言語と言霊
(72)超越論と神道(2):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(73)超越論と神道(3):topologyと産霊(むすひ)または結び
(74)超越論と神道(4):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(75)超越論と神道(5):呪文と祓ひ・鎮魂
(76)超越論と神道(6):存在(ザイン)と御成り
(77)超越論と神道(7):案内人と審神者(さには)
(78)超越論と神道(8):時間の断層と分け御霊(わけみたま)
(79)超越論と神道(9):中臣神道の祓詞(はらひことば)をtopologyで読み解く:
              古神道の世界観

(80)三島由紀夫の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(81)安部公房の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(82)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(83)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(84)安部公房とチョムスキー
(85)三島由紀夫のドイツ文学講座
(86)安部公房のドイツ文学講座
(87)三島由紀夫のドイツ哲学講座
(88)安部公房のドイツ哲学講座
(89)火星人特派員日本見聞録
(90)超越論(汎神論的存在論)で縄文時代を読み解く
もぐら通信                         

もぐら通信 編集後記 ページ 59


●芥川龍之介と安部公房の共有する小説観:二人とも詩を規準に考へてゐるとことが、
何か日本の近代文学といふものの足りないところ補つてゐるやうに思ひます。芥川は俳
句が好きでしたし、芭蕉の亡くなったことを巡る作品を『芭蕉雑記』正続二編を書いて
ゐます。これは芥川の芭蕉論であり俳句論です。
●哲学の問題101(2):私とは本当は誰か?:やはり、あの老人のやうに、夏に、
緑陰のもとにあるカフェのテラスの椅子に座つてのんびりと一日を、ぼんやりと通りの
往来を眺めながら過ごしたいものだ。これは都会では無理。やはり田舎田舎したドイツ
の地方都市が最高です。
●安部公房とチョムスキー(10):ほかのものが満載で休筆です。一人の編集では5
0ページが限界です。これを過ぎると70ページまでの間に誤植が3つ、10ページま
での間に誤植が6つ生まれる。前回のやうに。
●リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(29):第2部 III:やはり詩人も日
本人なら日本語の文法とそれから初等論理学を学んだ方が良いと思つた。しかし今の日
本で日本語の文法を教へる義務教育の学校があるのだらうか。
●Mole Hole Letter(10):超越論(5):勾玉:やつと古代の人たちの心が今に生
きてゐることを通じて、その論理の体系的な説明をすることができた。以後思ふままに
日本の古代の文物を論じたい。
●では、また次号にて

差出人:
次号の原稿締切は超越論的にありません。いつでも
贋安部公房 ご寄稿をお待ちしています。

〒 1 8 2 -0 0
03東京都
調布
市若葉町「 次号の予告
閉ざされた
無 1。『鏡と呼子』論
限」
2。火星人特派員報告
3。哲学の問題101:存在:何が在るのか?
4。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(30)
5。Mole Hole Letter(11):超越論(6):安部公房の女性の読者のため
の超越論
もぐら通信
もぐら通信                          60
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【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくた その共有を喜びとするものです。
めに、 安部公房縁りの方、有識者の方など 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、
に僭越ながら 本誌をお届けしました。ご高 もぐら通信の編集及び発行を行うものです。
覧いただけるとありがたく存じます。(順
不同)  【もぐら通信第84号訂正箇所】

安部ねり様、近藤一弥様、池田龍雄様、ド 訂正箇所は次の通り:
ナルド・キーン様、中田耕治様、宮西忠正
様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 P96
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓 訂正前:(4)高天原はどこにあつたか、どこ

一郎様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行 にあるか
訂正後:削除
様、内藤由直様、番場寛様、田中裕之様、
中野和典様、坂堅太様、ヤマザキマリ様、
訂正の場合には、Googleドライブには訂正後
小島秀夫様、頭木弘樹様、 高旗浩志様、島
の最新版を差し替へて置いてあります。
田雅彦様、円城塔様、藤沢美由紀様(毎日
新聞社)、赤田康和様(朝日新聞社)、富
田武子様(岩波書店)、待田晋哉様(読売
新聞社)

【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ
ア図書館、「何處にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集
と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜びを見出す
ものです。
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
とするものです。
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