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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信    Mole Communication Monthly Magazine


2019年11月1日 第86号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の : 石川さんの作品から、ぼくはしばしば、巻貝の内側を連想する。(略)巻貝に美学はない。
あな
ない
迷路 あ
巻貝の美しさは、美学から出発したものではなく、生活のための空間を形成するために、そ
ただ を通
けの っ て のエネルギーをもっとも有効に、無駄なく利用した、一種の機能とでも美とでも言うべきも
番地
に届
きま のなのだ。機能に徹することは、エネルギーの集中であって、節約や抑制ではない。

『巻貝の文学』(全集第21巻、31ページ)

「ヘビ、長すぎる」などというしゃれた文句が出てくる前に」
(『ヘビについてII』の冒頭の第一行;全集第19巻、131ページ))

安部公房の広場 | s.karma@molecom.org | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                          ページ 2

    
               目次
0 目次…page 2
1 記録&ニュース&掲示板…page 3
2 『鏡と呼子』論:岩田英哉…page 10
3 私の本棚:永井俊哉氏書評:レイ・カーツワイル著『シンギュラリティは近い』:
                              岩田英哉…page 28
4 安部公房とチョムスキー(10):9. ネットワーク・トポロジーの変遷で近代ヨーロッ
パ文明の300年間を読む:今月は休載:岩田英哉…page 37
5 哲学の問題101(3):何が在るのか?:岩田英哉…page 38
6 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(30):第2部 IV: ああ、これは、
存在しない動物だ。 :岩田英哉…page 51
7  編集後記…page 64
8 次号予告…page 64

・連載物・単発物次回以降予定一覧…page 61
・本誌の主な献呈送付先…page65
・本誌の収蔵機関…page 65
・編集方針…page 65
・前号の訂正箇所…page65

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。
そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 3

  ニュース&記録&掲示板

The best tweets 10 of the month

今月も不作なり。どうしたコーボーズ。
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Priz 今月も不作なり。どうしたコーボーズ。

今月の今は昔の新潮文庫
ヤソ@yaso_thomas 8月11日
作家によって色が違う新潮文庫の背表紙、安部公房は銀色がすっかり定着しました
が、以前は緑がかった水色でした。カバー装画はほとんどの作品が真知夫人による
ものです。試しに『壁』『砂の女』『箱男』を並べてみました。現在のものと比べ
たら楽しそうですね。

今月の医者に役立たず
KAMEI Nobutaka@jinrui_nikki 8月11日
「医学部に入っても離職するからケシカラン」「医療現場で役に立たない」「外科
を嫌がる」とか騒ぐ人たちは、まずこういう人たちに石を投げるんですよね。
手塚治虫=医師にならない
安部公房=医師にならない
渡辺淳一=医師をやめる
山中伸弥=外科医療の現場で役に立たない

今月の狂気安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


ナドレック@nadreck7 8月12日
"『火垂るの墓』の製作に携わった新潮社の新田敞さんがいみじくも言っていました。
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 4

「松本清張や柴田錬三郎、安部公房、いろんな作家と付き合ってきたけど、あんな
人はいなかった。高畑さんと比べたら、みんなまともに見える」"
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲
#3 ¦ 文春オンライン
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきた
スタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかっ
た。(#1、#2より続く最終回)◆ ◆ ◆ この…
http://bunshun.jp/articles/-/8408?page=3

【編集子コメント】
それは、安部公房の読者たちに会つたことがない
からです。

今月の映画『砂の女』
橋本駅前展示スペース @Space_gochi 8月9日
『砂の女』
安部公房小説原作。どこからともなく侵入して
くる砂の不快感。男が、突如強制的に放り込ま
れた望んでいない生活に慣れていく様が恐ろしい。
順応性が恐ろしい。終始変貌する砂に目が釘付けだ。 #1日1本オススメ映

今月の安部公房スタジオ
しめじ@abekoubou 8月4日
数年前に万有引力の芝居を見たときに、天井桟敷系譜の劇団の演出はある種定型化
してなんとも食傷気味と感じたのですが、こちらは全くの別物。今を生きる演者た
ちの肉体が紡ぐ台詞たちは唯一無二のものだと感じました。過酷な稽古が想像でき
るところなんか少し安部公房スタジオを彷彿しました。

今月の方舟さくら丸
すみれ書房@sumireshobo12 8月10日
〔今日のうれしいこと〕
古書を買った時に、刊行当時の新刊&既刊案内が入っていることがあるが、すごく
得した気分になるのは何故だろう。今回は新潮社の1985年2月のが挟まっていた。
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好評重版に安部公房の『方舟さくら丸』を発見! #本好き#古書#古本#目録#新刊
案内は時間の経過を苦にしない営業マンだ
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 5

今月の箱男
鴻巣友季子(執筆再開中)@yukikonosu 8月4日
『箱男』との出会いは「日本文学あの名場面」にも書きました。ちなみにこのリレー
連載、『箱男』→河野多恵子『みいら採り猟奇譚』→川上弘美『神様』ときて、次
回は、いとうせいこう『ノーライフキング』です。−−安部公房「箱男」 運命の
出会い 文学の魔道へ http://www.kanaloco.jp/article/293519 #神奈川新聞

今月の安部公房全集第1巻
misty@misty882311 7月31日
持っている本の自慢(というよりベタ惚れの垂れ流し←)
これ!安部公房全集の第1巻。銀色のプレートの硬質感と布地のなめらかさがたま
りません。

今月の安部公房全集第28巻
夏希青井@旧リッケンBK@rickenbk 8月7日
いろんな全集に触れてきたけど、最高なのは安部公房全集。
安部公房らしさ全開で、点数がつけられない。
見開きだけでなく、箱裏にも安部が撮ったインテリジェンスな写真が。
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp
銀プレートの貼り付けタイトルが、また最高∼。
アート本、超えてるよね。
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 6

今月の読書会
oody Allen@w1allen 8月12日
いつの間にか2ヶ月半先まで近づいてきた『幽霊はここにいる・どれい狩り』KAP
読書会ですが、私も読み返しています。
時代の空気も感じつつ、現代に通じる普遍性も感じます。だからこそ、私は安部公
房が好きなんだと再認識しました。

信州読書会:安部公房 『砂の女』 読書会(2016 1 30)


https://www.youtube.com/watch?v=zeEJKJI8Pds&t=6157s

今月の写真家安部公房
古書 あざぶ本舗@azab_honpo 8月12日
写真展図録『Kobo Abe as Photographer 安部公房
写真展』1996年10月26日-11月29日 ウイルデンスタイン東京
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w250860153 …

今月のイット:戯曲「永久運動」(1956年発表)
steward@stewardtokyo 8月11日
stewardさんがほうとうひろしをリツイートしました
「イット」というフレーズ、クララ・ボウの映画を知る前に安部公房の戯曲「永久
運動」(1956年発表)で知りました。戯曲のなかで中年紳士が若い女性を「あなたに
はイットがある」といって口説くのですが、いわれたほうは「イット」という言葉
を知らなかった、という。時代的には合うのでしょうか。
stewardさんが追加
ほうとうひろし@HiroshiHootoo
返信先: @shimizu4310さん
「イット」なんてフレーズが、流行歌に歌
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われていたんですね。コレ、クララ・ボウの『あれ』
1927 のことですよね。当時の日本人にとって「イットを振りまく」ってどん…
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 7

今月の他人の顔似の他人の顔
yasu_kum@yasu_kum 8月9日
yasu_kumさんが井上靜 Joe Inoueをリツイートしました
図像的には、安部公房が自らの小説(1964)を脚本化した勅使河原宏『他人の顔』
(1966)もつらなりそうですね@atoreides
yasu_kumさんが追加
井上靜 Joe Inoue@ruhiginoue
返信先: @HiroshiHootooさん
顔面の負傷を隠す白いマスクと治療のため他人を次々と犠牲にするのはジョルジュ
フランスの『顔のない眼』(60年)があり、これが円谷作品『セブン』の「遊星よ
り愛をこめて」や『怪奇』の「白い顔」「死神の子守歌」に…

今月の安部公房論
詩的文学論文bot@shiteki_bungaku
メビウスの輪--安部公房「砂の女」 (特集 脇役たちの日本近代文学) -- (脇役28選)
http://ci.nii.ac.jp/naid/40005656921 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 8月12日
狂気の躍動--安部公房『密会』 (特集 〈精神病院〉の文学) http://ci.nii.ac.jp/naid/
40019027292 …

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku

予言=権力 : 安部公房『第四間氷期』論 http://ci.nii.ac.jp/naid/40019842612 …


詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 8月11日 

安部公房『砂の女』研究--砂の世界への解放 http://ci.nii.ac.jp/naid/40001291768
…

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 8月11日 

『他人の顔』--変貌する<世界> (特集 安部公房--ボ-ダ-レスの思想) -- (作品の新しい
顔) http://ci.nii.ac.jp/naid/40001343312 …


詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 8月8日
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com 

| www.abekobosplace.blogspot.jp
劣性の思想--安部公房『カンガルー・ノート』論 http://ci.nii.ac.jp/naid/
120000980678 …
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 8

詩的文学論文bot@shiteki_bungaku 8月7日
書物の「帰属」を変える(3)安部公房『箱男』と虚構の移動性 http://ci.nii.ac.jp/
naid/40020255668 …

今月の東鷹栖安部公房の会
朗読会「おばあさんは魔法つかい」
柴田望@NOGUCHIS7 8月7日 

■8月7日(火)発行号の「あさひかわ新聞」に、
8月1日(水)に近文第一小学校にて行いました
安部公房作品の朗読会「おばあさんは魔法つかい」に
ついて、掲載頂いております。誠に、ありがとう
ございます。

柴田望@NOGUCHIS7 8月7日
東鷹栖安部公房の会(高見一典会長)の主催∼約45分間、子どもたちは静かに聞き
入り「おわり」の声とともに拍手が沸き起こった。∼

柴田望 @NOGUCHIS7 8月7日


「芥川賞作家で世界的に知られる安部公房(1924-1993)の作品「おばあさんは魔
法つかい」の朗読会が夏休み中の1日、近分第一小学校(今井一也校長)で行われ、
一年生から四年生までの二十三名が集まった。
*


片山晴夫先生(北海道教育大学名誉教授)の特別講演
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■2018年6月23日(土)東鷹栖安部公房の会主催による、片山晴夫先生(北海道
教育大学名誉教授)の特別講演、「安部公房文学の小説の方法」が東鷹栖公民館に
て行われました。
もぐら通信
もぐら通信                           ページ 9

人事異動
「東鷹栖安部公房の会」では、今年7月の総会で、2012年より6年間会長を務め
られた、森田庄一会長が顧問に、市会議員の高見一典氏が副会長から会長に。
柴田望氏は事務局長に任ぜられました。

今月のアイドル愛読者
乃木坂センター、齋藤飛鳥20歳。ネガティブ発言連発でも愛される 新エース - 安
部公房と大江健三郎を愛読するアイドル/安部公房がずっと好き、大江健三郎は最近
好き(文春オンライン:http://bunshun.jp/articles/-/8612)
 「密着取材中、齋藤のテンションが一番上がったのは、雑誌の写真撮影で小道具
に使った本をチェックしていると、編集者から、気に入ったものがあれば差し上げ
ますと言われたときだ。このとき齋藤が選んだのは『現代日本文学大系』の「石川
淳・安部公房・大江健三郎集」。安部公房はずっと好きで、大江健三郎は最近好き
になったという。番組では書店で本を選ぶ様子も
出てきて、伊藤計劃の『虐殺器官』などを手に取
っていた。《現実で生きててモヤモヤすることの
ほうが多い気がしていて、だから本にスッキリを
求めていないというか。考えるのがすごい好きな
んで、たぶんモヤモヤして考えたいんでしょうね》
というのが彼女の読書観らしい。」

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もぐら通信
もぐら通信                          10
ページ

『鏡と呼子』論

岩田英哉

目次

1。この作品の背景
2。作品論
3。安部公房文学史上の此の作品の位置

***

1。この作品の背景
安部公房が此の作品を書いた年は1957年(昭和32年)。この年の前後を見ますと、安
部公房にとつてはとても忙しい時期でした。産経新聞のインタヴューに答へた次の記事の冒
頭からも其れが察せられます。

「すぐ上を高圧線が通っている野方町の二階家にこの夏引越してきた。 執筆中につき面会は
十分以内に願います という木の札がかかっている。夜昼とわぬ仕事に追いまくられて、無精
ひげをそるまもないらしい。チェコスロバキアの作家大会に出席して帰った夏頃に比べると
もとどおりやせてしまった。日本という国は彼を肥らせないらしい。
 国民必見の問題作と銘うたれて、三年以上も前に書いた 壁あつき部屋 がやっと陽の目を
見た。 公開されなかった間、腹をたてたりしたが今となっては気がぬけてしまった。今だっ
たらもっと突っ込んで書けたのに とファイトをもやしている。
 来年上半期の仕事は、まず群像の連載、俳優座の芝居を一本、ラジオの子供むき科学空想
連続ドラマを予定している。群像の小説は 一種の新しい冒険小説で野心作なんだ と大ハリ
キリ。もう一つ野間宏、芥川也寸志、草笛光子らと結成した ゼロの会 のミュージカルスの
シナリオもひきうけている。
 題して「新しい金もうけの方法」。(略)」
(『〈きょうこの頃〉『産経新聞』のインタヴューに答えて』全集第6巻、214ページ)

「来年上半期の仕事は、まず群像の連載」とある「 一種の新しい冒険小説で野心作なんだ 」
とあるのが翌年1月から4月まで同誌に連載した『けものたちは故郷をめざす』ですし、「ラ
ジオの子供むき科学空想連続ドラマ」は『キッチュ クッチュ ケッチュ』です。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ11

この年の前後の作品を全集より引用して年譜を作成すると次のやうになります。

(1)1956.6.25:チェコの旅から(エッセイ)
(2)1956.7.26:チェコの作家大会から(佐々木基一との対談)
(3)1956.8.1:チェコ作家大会とその周辺(座談会:針生一郎、佐々木基一、清岡卓
行)
(4)1956.11.22:ハンガリー問題と文学者(座談会:埴谷雄高、大西巨人)
(5)1956.12.8:共産主義と文学ー日本共産党批判・新日本文学会批判(座談会:埴
谷雄高、関根弘、大西巨人)
(6)1957.1.1:鏡と呼子(小説)
(7)1957.1.1:けものたちは故郷をめざす(小説)
(8)1957.1.1:動乱と知識人(座談会:平林たい子、加藤周一)

『鏡と呼子』といふ読者の目に目立たぬ小品を理解するために、時間の範囲を1953年まで
の過去と、1958年の『第四間氷期』までの未来に少し拡げて見て見ませう。『安部公房と
共産主義』(もぐら通信第29号)より引用してお伝へします。煩(はん)を避けるために
[註]の引用は略します。:

1953年:
「十代から二十代に掛けて、即ち初期安部公房[註1]が「あれほど、リルケを読み、ニーチェ
を読み耽って、用心に用心を重ね、慎重に慎重を期して、またリルケとニーチェに倣って、生
と自己と言葉と若さに対して、最も遠い距離を維持していたにもかかわらず、その距離を一挙
に失って、即ち我を忘れてしまって、感動ではなく、現実に触れて感激するだけの安部公房[註
2]が、ここにはいます。これでは、何かを言語を以って創造することは、詩においても小説
においても、できません。

実際に、1953年は『R62号の発明』という短編小説以外の小説を書いておりません。し
かし、『壁あつき部屋』という映画のシナリオを書いていて、ドラマ(drama)を構築すると
いうことが、当時の安部公房のこころを救っていたということを想像することができます。全
集を読みますと、この日本共産党員であった時期の前半の5年間は勿論ですが(戯曲『制服』
『奴隷狩り』等)、しかし特に後半の5年間は、その量の多さから言って、戯曲(『幽霊はこ
こにいる』等)と、それからラジオ・ドラマ(『棒になった男』や子供向けの『キッチュ・クッ
チュ・ケッチュ』等)やTVドラマ(『日本の日蝕』等)という、即ちシナリオ(drama)を執
筆するということが、やはり安部公房のこころを救っていたのです。 [註6]」

[註1]
『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』の中の「I 安部公房の自筆年譜と『形象詩集』の
関係について」(もぐら通信第56号)より初期安部公房の定義を引用します:
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 12

初期安部公房の定義

『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』といふ題でお話を致しますが、ここでいふ安部公
房文学の「初期」といふ言葉の定義について最初に簡単に説明をして読者のご理解を得てから本題に入ります。

この場合の「初期」とは、既に「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」(もぐら通信第53号)にて明らかに致し
ました「詩人から小説家へ、しかし詩人のままに」のチャート図に基づいて定義をすると、次のやうになります。

1。狭義には、3つの問題下降の時期、即ち詩人から小説家への変身に3回の問題下降によつて美事に成功する
時期、即ち全集によれば詩集『没我の地平』を著した西暦1946年(昭和21年)安部公房22歳から『デン
ドロカカリヤB』 [註1]を著した西暦1952年(昭和27年)安部公房28歳までの期間を言ひ、

2。広義には、3つの問題下降以前の時期、即ち西暦1942年(昭和17年)安部公房18歳から西暦194
4年(昭和19年)安部公房20歳までの問題下降論確立の時期及び、西暦1945年(昭和20年)安部公房
21歳までの1年間を含んだ時期を併せた全体の時間を言ひます。

[註1]
『デンドロカカリヤ』には二種類あります。一つは、全集によれば「雑誌「表現」版」と呼ばれてゐるもの、 も
う一つは、「書肆ユリイカ版」と呼ばれてゐるもの、この二つです。便宜上、前者を『デンドロカカリヤA』と呼
び、後者を『デンドロカカリヤB』と呼ぶことにします。前者の発行は1948年8月1日、安部公房25歳の時、
後者の発行は1952年12月31日、安部公房28歳の時です。この二つの作品の間に、『S・カルマ氏の犯罪』
で芥川賞を受賞してゐます。」(「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」もぐら通信第53号)」

初期安部公房の定義は、上記の通りです。また、「詩人から小説家へ、しかし詩人のままに」のチャート図は次
のURLにてダウンロードできます:https://ja.scribd.com/document/348350137/詩人から小説家へ-v9」

[註2]
リルケとニーチェを忘れて、全ての対象からとるべき距離を失つた安部公房については、『安部公房と共産主義』
(もぐら通信第29号)より引用します。

「安部公房が、1953年には、マルクス主義のこの終末思想と方舟思想に何故囚われて、それはどのような無残
な状態であったかは、『〈……私にわかった。〉』(全集第30巻、39ページ、1953年9月10日)を読む
とよくわかります。安部公房も普通の20代の若者でした。生が安部公房に授けた青春の力に敗北したのです。
[註5]」

この年、1953年が安部公房にとつて、共産主義と日本共産党との関係で、一番辛い年でした。

「さて、これら二つの作品以外には、『少女と魚』という戯曲があり、この三作だけが、この
歳の成果ということになります。『少女と魚』は、シュールレアリズムの作品で、1955年
以降安部公房が手を染める児童向けラジオドラマをここで既に先取りしております。

この無残な歳の成果をまとめますと、次のようになります。勿論、これらの作品が無残なので
もぐら通信
もぐら通信                          ページ13

はありません。これらの作品を構築する本来の安部公房の言葉と、現実に対したときの安部公
房の言葉が、かくも分裂しているということが、安部公房の苦しみの原因であり、その藝術活
動を貧しくした原因なのです。

(1)小説:『R62号の発明』。SF小説、即ち仮説設定の文学、自分独自の小説観に基づい
た小説
(2)映画のシナリオ:『壁あつき部屋』
(3)シュールレアリズムの戯曲:『少女と魚』。『壁』以来のルイス・キャロルに学んだ、
言葉の意味を捨象したnon-senseの文体の継続的な維持。安部公房は、この最も苦しい1年の
間にも、自分にとって大切な、この3つの領域は死守したのです。 [註7]」

1955年∼1958年:
エッセイである「この『猛獣の心に計算機の手を』を書いた1955年2月25日には、マル
クス主義と共産党の、現実の向こうに法則を見るという、10代の安部公房、ニーチェに学ん
だ安部公房からみると誠に愚かとしか言いようのないその物の考え方から離れて、これを超克
し、法則に依る必然ではなく、生を混沌とみての偶然を大切にし、直面する現実を一回性の生
としてそれを受容する、従いリルケに深く学んだ待つということをも大切にする、本来の安部
公房に戻っております。

何故安部公房は日本共産党に入党したのでしょうか。1950年代の文章を読むと、日本共産
党の党員になった動機と目的は、次の4つが挙げられます。

(1)典型的な人間としての詩人の意識と無意識の個人の在り方を、社会と人間の抑圧と被抑
圧の関係にまで拡張して考えたこと。
『詩と詩人(意識と無意識)』(全集第1巻、104ページ)で確立した人間の典型としての
詩人の意識と無意識の境域に在るその意識・無意識の在り方を、社会と人間の抑圧と被抑圧の
関係にまで拡張して考えたこと。『シュールレアリスム批判』(全集第2巻、260ページ)
と、もぐら通信第15号の『安部公房の変形能力14:シュールレアリズム』を参照下さい。
(2)生という混沌たる現実の背後に法則を見つけようとしたこと。
『文学における理論と実践』(全集第4巻、314ページ。1954年6月30日)
(3)言語の観点から、文学における理論と実践の統合を考えた事
『文学における理論と実践』(全集第4巻、314ページ。1954年6月30日)。これは
(2)と表裏一体の関係にあります。
大変興味深いことは、このエッセイで、この時点でマルクス主義に決別することを考え、同時
にそのことに迷い、悩みながら書いた『文学における理論と実践』で引用するレーニンとマル
クスとスターリンの言葉は、みな言語に関するものであり、言語の観点からのものであること
からも、安部公房は、共産党に対しても、その言語観の証明と実現のために接近し、急激に左
傾化して、その党員となったということが判ります。
もぐら通信
もぐら通信                          14
ページ

同じ考え、すなわち言語の側から考えるということは、『文学理論の確立のために』でも述べ
られています(全集第3巻、229ページ、1952年6月10日)。

(4)日本の国に、言語の側から、革命を起こしたいと思ったこと
『〈人物カルテ〉『社会新報』の談話記事』(全集第15巻、480ページ、1962年3月
11日)。また、『偶然の神話から歴史への復帰』(全集第2巻、337ページ。195
0年8月)参照。
池田龍雄の『詩的発明家---安部公房』(『安部公房を語る』、あさひかわ社、144ページ)
によれば、安部公房は、この言語の側からの革命のシナリオを思い描き、革命が1957年に
起きると本気で、そう考え、思い込んでおりました。[註23]安部公房がこのことを池田龍
雄に暗い小声で話したのは、間違いなく1955年2月25日以前の時点です。

つまり、以上4つのことを一言で言うと、言語の観点から現実を捉えようとしたということ、
そして自分の言語観の正しさを現実の時代の中で実践的に証明しようとしたこと、そして、そ
の正しさによって革命、即ち日本人の意識の根本的な変革を起こすことによって現実を実際に
根本から変革しようとしたことが、安部公房入党の動機です。

大事なことは、徹頭徹尾、それが言語の観点からなされたということです。これは、共産党員
であった時代にも、終始変わらぬ、10代からの安部公房の姿です。」

「さて、こうして1955年には、実質的にマルクス主義と共産党という閉鎖空間から脱した
安部公房は、1950年代の後半には、並行して、のびのびと子供のためのラジオドラマを集
中的に書いております。

子供のためのラジオドラマは、1957年6月の『キッチュ・クッチュ・ケッチュ』から始ま
り、1962年の『時間修繕します』まで続きます。

この時代の安部公房の生き生きとした記録は、当時NHKのディレクターであった長与孝子さん
の長与日記で、わたしたちに明らかになったところです。(もぐら通信第17号から第20号
までの連載をご覧ください。)

これらのラジオ・ドラマは、読むとすぐわかりますが、『壁』所収のあの軽いnon-senseの文
体で表した、『不思議の国のアリス』にならったシュールレアリズムの世界です。現実の世界
の欲の深い大人達を相手にした小説の世界とは全く別の、無邪気な子供たちを相手にする世界
で、『S・カルマ氏の犯罪』や『バベルの塔の狸』のシュールレアリズムの世界が、子供たちが
空を飛び、様々な冒険をするという話の中に、生き生きと生きております。

これは、日本共産党員になる前に、小説家になろうと努力をし、『不思議の国のアリス』に想
を得て至った安部公房独自の小説の世界とそのこころを、そこに帰ってそのまま生かそうとし
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 15

た試みです。

またこの間、同時期に、1958年の『おばあさんは魔法使い』から音楽劇、ミュージカルの
試みが、子供向けのラジオドラマを含めて、書き始めて、これが、1963年の『乞食の歌』
まで続いております。

1955年にマルクス主義と日本共産党という閉鎖空間を脱した後に集中的に展開するラジオ・
ドラマやミュージカルで安部公房が何を試みたかは、後年とはいへ、上記の[註11]でドナ
ルド・キーンさんとの対談での発言を引用したバロック音楽についての、マルクス主義の必然
をでは全くなく、ニーチェの偶然を、その世界を構成する要素(単位)の自律性とそれらの互
いの衝突と矛盾を尊び、一回性の生の現実をそのまま受け容れる、本来の安部公房に戻った後
のその安部公房自身の後年のその説明に尽きます。 [註17]」

「また1955年にマルクス主義を脱した後、1950年代の後半、1958年に、安部公房
は『第四間氷期』という傑作をものします。 [註18]

このとき、当時戦後の日本の文学界に興隆していたSF文学の世界では、安部公房は、1951
年の芥川受賞作『壁』所収の連作当時から、最初期の、そして第一級のSF作家として見られて
おりました。SFが、まだ空想科学小説と呼ばれていた時代です。このことは、『砂の女』を発
表して世評を博した翌年の『SFマガジン』(1963年5月号)のインタビュー記事「SFを創
る人々*その1 安部公房氏」に詳しく見ることができます。この記事はもぐら通信(第28
号)で読むことができます。」

上記引用に下線を施した「池田龍雄の『詩的発明家---安部公房』(『安部公房を語る』、あさ
ひかわ社、144ページ)によれば、安部公房は、この言語の側からの革命のシナリオを思い
描き、革命が1957年に起きると本気で、そう考え、思い込んでおりました。[註23]安
部公房がこのことを池田龍雄に暗い小声で話したのは、間違いなく1955年2月25日以前
の時点です。」と思つた安部公房の予測は、1957年といふ此の『鏡と呼子』の年に実現し
たでせうか?その答へ明らかです。この理由からだと思はれますが、安部公房は『口』といふ、
人工頭脳アンドロメダ号といふ予言機械のラジオドラマを此の年に書いてゐます(全集第6巻、
236ページ)。この構想は、そのまま翌1958年の傑作『第四間氷期』に結実します。『第
四間氷期』が現実をピタリピタリと予測する、といふことは現実を生み出す、予言機械である
ことは読者ご存じの通りです。安部公房が、あとで引用するやうに革命家のあるべき姿を『第
四間氷期』に関連して後年する話は、やはり誠に此のメタSF作家の心に秘めてゐた当時の思ひ
を吐露するものがあります。

2。作品論
全部で9章からなる此の作品の舞台を図示しましたのでご覧ください。ダウンロードは:
https://ja.scribd.com/document/386056142/鏡と呼子の村の平面図
もぐら通信
もぐら通信                          ページ16

シャーマン安部公房の秘儀の式次第[註3]をいふまでもなく、主人公Kが、橋と川の交差点
に立ち現れるところから話が始まります。川は時間を、橋は空間の二つの(川の向かふとこち
らの)平面の接続を表すと考へると、やはり時間と空間の差異の交差点に立つてゐる。この時
点で既に此の話の舞台の設(しつら)へは日本ではありません。それでは、地平線が南に見え
ますから、よく言はれるやうに満州なのでせうか。さうでもありません。日本語で平俗にいへ
ば、橋を渡る前の平面は、Kが歩いてきた限りには此の世であり、橋を渡つたこちらの平面で
は、あの世であるといふこと、後者は足を踏み入れた途端に「既にして」(超越論)存在の世
界であるといふことなのです。

[註3]
「『箱男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く∼」(もぐら通信第34号)より、シャーマン安部公房の秘儀
の式次第は、次のようなものでした。

1。差異(十字路)という神聖な場所を設けて、
2。その差異に向かって、また其の差異で呪文を唱えて、
3。その差異に、存在を招来し、
4。主人公と読者のために、存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を存在の十字路(差異)に立て、または
案内人か案内書を配し、
5。存在を褒め称え、荘厳(しょうごん)して、
6。最後に、次の存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を立てる。

という、このような、安部公房の秘儀の式次第でありました。

安部公房の読者が、安部公房の作品を読むための便覧として役立つように、もう少し簡略にしてお伝えすると、

1。差異を設ける。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 17

2。呪文を唱える。
3。存在を招来する。
4。存在への立て札を立てる。
5。存在を荘厳(しょうごん)する。
6。次の存在への立て札を立てる。

ということになります。」

差異(十字路)という神聖な場所を設けてその中に入つたわけですから、『赤い繭』や『デンド
ロカカリヤ』や『S・カルマ氏の犯罪』やらの主人公と同じく、時間も空間(距離)もなくな
り、Kもまたその差異である断層に落ちて、意識と感覚は朦朧として、次のやうな状態になり
ます(主人公を迎へに橋まで出てきたのは村の学校の校長です)。

①「村の入口の橋のたもとに立ったとき、Kは急に気ぬけして、虚ろな気持ちになってしまっ
た。」(最初の一行)
②「指さされたところに、ポプラの林が、四角く箱のようにみえた。近いようにも見えるが、
案外遠いようにも思われる。」(校長が学校のある場所を指して)
③「さっきから見えている二台の自動車が、もう近づいてもいいはずだのに、まだ同じところ
にいるように見えるのも、この道があまりまっすぐすぎて、距離感が狂ってしまうからなのだ
ろう。」(校長と主人公が連れ立つて学校へ向かふ途次に)
④「学校は、歩くにつれて一歩一歩遠のいていくように思われた。」(校長と主人公が連れ立
つて学校へ向かふときに)

学校の校長と主人公は、橋から一直線に続く表通りの道を二人で歩き始めますが、

「トランクを持つ右手がしびれてきたので」(トランクといふ鞄は、読者にお馴染みの、存在
への道案内をする案内人です)「学校は、まだ遠いんですか?」とKが尋ねると、いやさうで
はないと校長の指差すポプラ林のこんもりした向かふの「指さされたところに、ポプラの林が、
四角く箱のようにみえた」とありますので、これも安部公房の用語からして、校舎は「四角く
箱のようにみえる」林の中にあるといふことは、校舎そのものが、箱男を念頭に置くまでもな
く、閉鎖空間の中にあることが判ります。

いや、校舎のみならず、あとあとお解りの通りに、実は橋のこちら側の世界の全体が閉鎖空間
になつてゐて、ここから脱出するかどうかといふことが、主人公の念頭を最後まで去来する主
題になるのです。そして、これから校長の案内するKのための下宿となる家の家主の阿瀬宇然
といふ男は、校長のスパイとして此の村の全員を監視して、校長に密告する役割を果たしてゐ
る。勿論このことをKは、学校で同僚の千見といふ社会科の教師に教へられて知るのです。こ
の千見といふ教師は他の教師の代表として主人公に此の話をするのですが、これらの教師が校
長による監視を否定していゐるのか肯定してゐるのかは曖昧に書かれてゐます。この社会科の
もぐら通信
もぐら通信                          ページ18

教師の教唆するところによつて、主人公は下宿先である阿瀬宇然の毎日の日課である全村監視
の場所である石灰山(いしばいやま)の中腹にある洞窟の前で、ある日望遠鏡を覗いて同じこ
とをして見て、世界が天地逆さまになつて見えることが原因で神経衰弱になり、狂気の世界に
入るのです。

この論考の最初に此の当時に安部公房の年譜を掲げましたが、更に当時の日本共産党の動向を
付け加へますと(安部公房は当時日本共産党員でした[註4])、当時のソヴィエト連邦の共
産党のスターリンが1953年に亡くなつて、「一九五六年二月一四日から二五日にかけて開
催されたソ連共産党第二〇回大会は」「初めての党大会であり、前年の六全協[註5]もあっ
てか、日本でも高い関心を持たれていた。」といふことですので、ソ連と日本の共産党の内部
と相互の政治的な関係も動向も、また「ソ連共産党第二〇回大会」でのスターリン批判を巡つ
て日本共産党内の解釈と理解の統一には激しいものがあつたのでせう。結論をいへば、前年1
955年には日本共産党は党の綱領として掲げてゐた暴力革命の看板を降ろし、武装闘争を放
棄し、1956年のソ連共産党の大会でフルシチョフのスターリン批判が行はれたといふマル
クス主義内外の動向の中に安部公房はゐたといふ事になります[註6]。

[註4]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より引用します:

「安部公房が、共産党員になった日については、不明です。日本共産党に照会をしましたが、記録が残っておりま
せんでした(もぐら通信第17号『質問箱』、38∼39ページ)。世間に流布している説は、1951年という
年を言っております。今仮に、この年を日本共産党入党の年として措きます[註1]。北辰電機の労組書記長で『下
丸子詩集』編集発行人の高橋元雄の言葉によれば、安部公房は1951年上半期の芥川賞を受賞した7月には、
既に共産党員でありました((贋月報第3号、全集第3巻)。

[註1]
高野斗志美は、「野間宏の推薦で、勅使河原宏といっしょに日本共産党に入党しています。」と書いています(『安
部公房を語る』採録「安部公房の作品を読む(8)」、あさひかわ社刊。67ページ)

しかし、一般財団法人草月会の資料室に照会すると、次のような回答が参りました。2014年11月29日付
のメールです。

「以下のような資料がございましたので、ご参考までに記載しておきます。
瀬木慎一著『日本の前衛1945−1999』(2000.1.15生活の友社発行)には、安部らとともに1951年3
月に入党申し込みをしたにもかかわらず、宏だけ受理されなかったということが記載されております。
また、宏自身も、大河内昭爾、四方田犬彦とともに著した『前衛調書』(1989.8.25学藝書林発行)という鼎談集
のなかで、家元の息子なので入党は勧められなかったと語っております。」

また、信州大学友田義行先生のご教示によれば、「勅使河原宏の入党(未完)については、桂川寛『廃墟の前衛』
に詳しく書かれて」いるとのことです。

このように考えて参りますと、安部公房は1951年3月に野間宏の推薦で入党の申請をしたが、その受理の正
確な日付は不明、しかし、入党は、同年3月以降7月以前であるということになります。
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木村陽子著『安部公房とはだれか』によれば、安部公房の入党については、「安部は五十一年五月、日本共産党
に生正式入党している。」とあり、それは、1951年5月となっています(同書、95ページ)。根拠が明示さ
れていないのが惜しまれます。

これに対して、日本共産党に除名された日は、もぐら通信編集部への日本共産党からの回答によって、1961年
9月6日と判明しております(もぐら通信第16号『質問箱』、39∼40ページ)。

さて、この1951年から1961年9月6日までの間の共産党員としての安部公房は日本共産党員であるわけで
すが、その「熱病」(全集第30巻、626ページ)から覚める年は、1955年2月25日です。即ち1955
年2月25日に、『猛獣の心に計算機の手を』を書くことによって、そしてその後も繰り返し自分の人生の中で折
に触れて安部公房が好んで引用する魯迅の言葉の力によって、マルクス主義と日本共産党という閉鎖空間から見事
に脱出に成功します。

この意義において、魯迅は、安部公房の人生にとって、とても重要な作家です。」

[註5]
六全協とは、ソ連の共産党の影響下にあつた日本共産党の党大会の第6回目の名前第6回全国協議会(1955
年7月27日∼29日)の略称です。詳細は坂堅太著『安部公房と「日本」植民地/占領経験とナショナリズム 
無国籍的・国際的という作家神話を問い直す』(泉書院)の「第四章 安部公房と「一九五六年・東欧」(11
7ページ以降)の章に詳しい。

[註6]
勿論、安部公房は後年、当時を振り返つて、革命について次のやうに語つてゐます。もぐら通信第29号『安部公
房と共産主義』より引用します。

「[註18]
ナンシー・S・ハーディンとのインタビュー、『安部公房との対話』(全集第24巻、478ページ下段)で、 安部公房
は次のように、『第四間氷期』と革命について述べて言います。これは、結局、安部公房を発見した埴谷雄高の至っ
た「存在の革命」と同じことを、安部公房は言っているのです。それを「内部の対話を誘発すること」と言ってお
ります。これは、その人間の意識の革命のことを、ふたりとも言っているのです。

「ーまだ話題にしていない小説のひとつに『第四間氷期』があります。あとがきのなかで、この小説の目的のひ
とつは「読者に、未来の残酷さとの対決をせまり、苦悩と緊張をよびさまし、内部の対話を誘発すること」(『第
四間氷期』二七二頁)だと書かれていますが。
安部 ひとことだけ説明します。ぼくは革命というものに決して反対ではありません。しかし、強調しておき
たいのは、革命ではそれを望む人々が逆に殺され傷つけられたりすることが少なくないということです。革命家が
自覚して己の幸福のためよりもむしろ革命のために進んで苦しんでいるならば、自分の命を賭ける自信や、革命で
殺されてもよいと信じる意志がないならば、革命など起こせません。反対に、もしそれほどの強い意志があるなら
ば、当然起こすべきです。それが『第四間氷期』のテーマです。」(傍線筆者)」

このやうに本当に自分の死を覚悟し共産主義に身を挺してゐたわけですから、安部公房は当時、
最初は、即ち日本共産党に最終的に本当に幻滅し絶望するまでは、武力闘争の側にたつた筈で
す。本当に革命を起こし、世の中を革するには言葉と行動は一致しなければなりません。勿論、
暴力的な力、即ち人を殺す武器を以つて行ふ革命なる行為が正しいと、私は全く思ひません。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ20

目的を達成するための手段の質は、結果する目的の質を決めるからです。質といふからには、
そこには道徳と倫理が、人々の生活の安全と安寧の保持の連続性が保証されなければなりませ
ん。世の中があり、社会があるからです。安部公房の上記の発言は、自分は世のため人のため
に真つ先に死ぬ覚悟をして生きたと言つてゐるのです。そして他の党員はさうではなかつた。

安部公房はドナルド・キーンさんとの対談『反劇的人間』の「アドルフ・ヒットラー」の章で、
自分がナチスの映画を見るのが好きだといふことの理由を説明する最後に、分脈から言つて此
の共産党員であつた当時のことの反省を「人間を信じるのは、疑うのと同じくらいいけないこ
とだと、つくづく思いました」と述べてゐます。この言葉が口にされる直接の契機は、ナチス
に占領されたフランス人たちがナチスに「抵抗した人は非常に少なかったのです。戦争が終っ
てから「自分も抵抗した」というのですけれど、実際に命がけで抵抗した人はほとんどいない
のです」といふキーンさんの或るフランス映画でナチスのことを撮影した映画について語つた
感想に、安部公房が同感して口にした言葉です。ナチスを日本共産党と置き換へれば、安部公
房の思ふところが理解されます。善意だけでは世の中はよくなりません。むしろ災いをもたら
すことが多々あります。何故なら善意は人間に関して無知だからです。

ここではこれ以上マルクス主義と共産党については深く立ち入りませんが、しかし、この作品
のスパイ(密告者)の元締めである校長と阿瀬宇然と、そして阿瀬宇然の姉で、宇然が山の中
腹から望遠鏡で監視して知つた事実を鏡(晴れた日には)と呼子(曇つた日には)で伝へられ
た事実を受けて、自宅で飼つてゐる緬羊を連れて校長のゐる校舎へとご注進に都度及ぶトク婆
さんと呼ばれる老婆の三人で村全体を監視してゐるといふ構図は、当時の日本共産党の内部の
様子を幾分かは反映したものかも知れないと思はれます。自分の身の廻りの現実を抽象化し概
念化して(安部公房の用語でいふ問題上昇:デジタル変換)、そのあとに小説化して(問題下
降:アナログ変換)誰にでも平易に理解できる言葉で、現実を別の位相で描いた[註7]。安
部公房はこれを仮説設定の文学と呼びました。

[註7]
現実を抽象化し概念化して(安部公房の用語でいふ問題上昇:デジタル変換)から、そのあとに小説化して(問題
下降:アナログ変換)誰にでも平易に理解できる言葉で、現実を別の位相で描くといふ安部公房の方法論につい
ては『デンドロカカリヤ論(前篇)』(もぐら通信第53号)を参照ください。詳述しました。

さうだとすれば、1943年の『(霊媒の話より)題未定』の老婆が橋の上で自動車事故にあ
つて「婆さんは真逆さまに河の中に飛び込ん」で死んでしまふ此の老婆も町の市場に新鮮な魚
を買い出しに行くたびに手にステッキ(棒)を持つのですし、このトク婆さんも校長に告げ口
をするたびに家から緬羊を引いて直線の道路を歩いて行くのですが、やはり自動車を緬羊の動
きのせいで避け損なつて死んでしまふ。『(霊媒の話より)題未定』の老婆の手にする棒は、
1955年の戯曲『棒』を思ふまでもなく、読者には棒といふ存在の形象は、変形自在の縄と
いふ同じ存在の形象とともに(1960年の短編『なわ』がある)、馴染み深いものですし、
この作品の老婆の持つ緬羊もさうであれば、同様に存在の形象であることは、これも容易に連
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想されることです。緬羊もまた、安部公房らしく間違ひないことは、豚がさうであるやうに
(『密会』冒頭に挿入された満州の梅山豚(メイシャントン)の写真を見よ[註8])、緬羊
もまた満州で安部公房の見た緬羊でありませう[註9]。さうであればこそ、地平線のある此
の抽象的な作品の舞台にはふさはしい。1955年の小説『盲腸』や1974年の戯曲『緑色
のストッキング』に、この話は繋がつてゐる事になります。緬羊もまた変身を媒介する。この
作品の緬羊の場合は、老婆を生から死へと、『(霊媒の話より)題未定』の老婆と同じく、生
者から死者へと(変身とはいはないでせうが、しかし)転移させたといふことになります。

[註8]
「『カンガルー・ノート』論(9)」(もぐら通信第75号)の「(22.3)何故ローリング族は象の皮の太鼓
を叩いて踏切を渡るのか?」に詳述しましたので、お読みください。

[註9]
満州と緬羊については、江口真規著『日本近現代文学における羊の表彰 漱石から春樹まで』(彩流社)179
ページ∼184ページに、安部公房と満州と羊の関係が、私とは別に政治・経済的制度との関係で解説されてゐ
る。

また作品の年度が前後しますが、1951年の『詩人の生涯』の主人公の詩人の「三十九歳の
老婆」である母親によつて、あの存在の「しわくちゃの皮袋」の中に(皺の襞があり凹の形象
たる袋は存在の形象です)、毎晩遅くに包まれては翌日また取り出されて、「ユーキッタン、
ユーキッタンと」繰り返しの呪文の音を立てる「油ですきとおるように黒くなった糸車」の其
の糸車に「めん羊からきりとった毛」(原文傍点)で織られ編まれて、主人公の詩人の務める
工場の門前で或る厳寒の冬の日に、この世での自分の生命の消滅と引き換へに貧しい人々に頒
布されて着用され世界中に流布するに至るジャケツ、あの汎神論的存在論的なジャケツを編み
出すための緬羊もまた忘れるわけにはまいりません。

かうして見ますと、老婆と緬羊と存在はやはりひと連なりになつてゐることが判ります[註1
0]。緬羊は、普通に考へればメエー、メエーといふ鳴き声を繰り返す呪文を唱へる動物です
が、作中文字で鳴き声が書かれてゐないのは、直線道路を引き連れられて歩くときにも緬羊は
メエー、メエーと鳴くことを前提に、文字には書かれてゐないのでせう。安部公房の「沈黙と
余白の論理」に従ひ、安部公房が余白に隠して文字にしないものには、あるいはものにこそ、
安部公房の黙示的に示唆したい宇宙と自分の生命が隠れてゐるのでした。この作品では緬羊が
さうだといふ事になります。さうして、後述するやうに、緬羊は実は直線の道路ではなく、歪
んだ曲面のtopological(位相幾何学的)な路面を歩いてゐる[註11]。

[註10]
『緑色のストッキング』では冒頭に老婆に関して次のト書きがある。

「(男が壁のスイッチを押し、舞台暗黒。投影機が作動しはじめ、スクリーンに次々と奇妙な映像がうつし出さ
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もぐら通信                          ページ22

れる。まず最初は、顔の前に肘を上げ、はげしい拒絶の表情をみせている老婆の全身像)」とある。

また更に話が進むと、

「しかし、老婆が残した白蟻の牧場だけは、いまもこのとおり(と、例の立方体を指さし)、前とおなじいちに
そのまま残され、保存されています。」とある。

[註11]
閉鎖空間から脱出する此のtopologicalな道の初出は、安部公房18歳の論文『問題下降に依る肯定の批判』(全
集第1巻、11ページ)です。これは成城高校時代に既に完成してゐた主題です。これは1942年12月9日成
城高校の校友会誌『城』に発表されました。

この事に深く関係して、安部公房は、晩年、1985年に書いた『NHK対談のためのメモ』に、次のように備忘
を書いています(全集第28巻、145ページ)。安部公房、61歳。

「★ 子供のころいちばん恐かったのは辻斬りのイメージと、兵隊蟻の運命だった。」

安部公房は、18歳の時に書いた『問題下降に拠る肯定の批判』の中で次のように書いています(全集第1巻、
13ページ)。

「実を云えば現代社会はそれ自体一つの偉大な蟻の社会に過ぎないのだ。無限に循環して居る巨大な蟻の巣。而
も不思議に出口が殆どないのだ。」

ここに既にして、安部公房の発想と感受性の総てがあるでしょう。そうして、61歳のときの上のメモには、この
18歳のときの論文の三行が、全く変わらずに生きていることを知ることができます。

しかし脱出のためのたった一つの方法がある。その方法がtopologyです。この接続と変形の数学の論理についての
言及は、当時親しく哲学談義を交はした友、中埜肇宛の手紙に書かれてゐます。(『中埜肇宛書簡 第3信』全集
第1巻、72ページ)

実存的な欲求は既に『問題下降に依る肯定の批判』に現れてゐますが、その詳細な理論化にとなると、やはり成
城高校時代を終えて20歳の時の論文『詩と詩人(意識と無意識)』(全集第1巻、104ページ)を待たねば
なりません。ここに、安部公房は独自の新象徴主義哲学といふ、これも一生を貫く生命の哲学を打ち立てました。
上記の哲学の友、中埜肇宛の手紙には次のやうに言つてゐます。

「僕の帰結は、不思議な事に、現代の実存哲学とは一寸異つた実存哲学だつた。僕の哲学(?)を無理に名づけ
れば新象徴主義哲学(存在象徴主ギ)とでも言はうか、やはりオントロギー(引用者註:存在論のこと)の上に
立つ一種の実践主ギだつた。存在象徴の創造的解釋、それが僕の意志する所だ。」(『中埜肇宛書簡第10信』
全集第1巻、270ページ上段)

この哲学とは『詩と詩人(意識と無意識)』に拠つて簡潔に言へば、二項対立の両極端の項を否定して、自己喪失
による記憶の喪失を代償に(この否定の中に自分自身の否定を含むといふことです)、果てしない垂直方向(時
間の存在しない方向)に次元展開を繰り返した果ての究極に観る(自己の反照としての)第三の客観、即ち存在の
創造をするといふ方法論でありました。ここで観ることと自分自身が存在になることと存在自体の出現が一つに
なつてゐます。安部公房の、これが創作の秘密であり、一生を貫く創作のための方法論です。これは、コンピュー
タの基礎であるブール代数による二進数の論理演算の論理によれば、否定論理積といふ論理に当たります。これ
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が、一生の安部公房の生きる論理であり、安部公房の「現代の実存哲学とは一寸異つた実存哲学」であるのです。
これが、後年安部公房が「言語はデジタルだからね」[註A]といふ理由なのです。

[註A]
「 安部公房は色々なところで言語とは何かといふ問ひに答へてゐますが、そのうちの今二つを以下の通り引用し
ます。:
「文学というものは、言語というデジタルを通じていかに超デジタル的なものに到達するかという、自己矛盾の仕
事なんだ。デジタルを通じて超デジタルに、つまり、最終的にその先のアナログに到達するための努力なんだね。
そうすると、文学はものすごく苦しい作業でなければならない。だから、小説家は音楽家に非常にねたみを感じ
るんだよ。そのねたみの本質は何かというと、音楽家がストレートにアナログに到達できるのに小説家は苦しい
廻り道をしなければならないからだ。」(『内的亡命の文学』全集第26巻、383ページ下段)
(傍線筆者)

「その遺伝子情報に「言語」を組み込んだらどうなるか。人間になるわけだ。そうなんだよ、「言語」というの
はデジタル信号だろう。他の動物の場合、行動を触発する刺激情報はアナログなものに限られるけど、人間だけは
デジタル信号を行動触発のサインにすることが出来た。」(『破滅と再生2』全集第28巻、254ページ上段)」

上記に引用した手紙の段落の直ぐ後に、23歳の安部公房は次のやうに、フランスの哲学者サルトルを契機にして
当時流行した実存主義哲学を否定して、続けてゐます。

「それから、現代のいはいる実存主ギとは、僕はまるで無縁だ。一口に言つてあの下劣なコッケイさが実存主義
なら僕は反実存主ギ者だと言はれてもかまはない。同じく「ハナ」と言つても、花と鼻との相違、いやそれ以上
の相違が在ると思ふ。あれは単なる流行主ギだ。」

このやうに、安部公房の哲学は実存主義ではなく、安部公房の名付けたやうに新象徴主義と呼ぶのが正しいのです。
即ち、それは流行主義であつた実存主義では全くないのです。これが、安部公房がこれまで一番誤解されて来たこ
との一つです。

何故緬羊はtopological(位相幾何学的)な曲がつた路面を歩いてゐるかと言へば、最後の長編
小説『カンガルー・ノート』に登場する古謡に分類した呪文である「通りゃんせ、通りゃんせ」
と同じ繰り返しの呪文が、この作品の第6章にも「〈行きはよいよい、帰りはこわい〉と子供
の歌ふ歌として出てくるからです。『カンガルー・ノート』の場合は「通りやんせ、通りやん
せ」でしたが、しかしともに其の心は同じです。[註12]即ち、余白に置かれて文字になつ
てゐない歌詞に深い意義があるといふ事です。後者の場合には、ゆきて帰らぬ[NO1]の片道
切符といふ御札をお宮に返しに行く事が歌詞の上では伏せられてゐるのに対して、前者の場合
には、〈行きはよいよい、帰りはこわい〉であり、しかも安部公房の記号である〈 〉といふ
リルケと自分の詩の世界の言葉であることを意味する記号[註13]で囲まれてゐますから、
これは勿論存在への道が、果たして表通りの直線道路の一本道であるのか、それともtopology
の道であつて最初から曲がつてゐる現実の道、即ち平行線を引くと必ず向かふで交わる道であ
るのか、いふまでもなく答へは後者です。即ち内部と外部の等価交換された世界、即ち阿瀬宇
然が毎日終日山の中腹で村中を橋のところまで視野に納めて監視する其の倒立した世界、何し
ろそれは普通の望遠鏡ではなく天体望遠鏡であるが故に(と説明されてゐる)天地が転倒して
もぐら通信
もぐら通信                          ページ24

ひつくり返つてゐる世界であるからです。それ故に、宇然に終日付き合つて、内部と外部の交
換された逆転の世界を眺めた主人公は神経衰弱になり、正気を失つてしまひます。

[註12]
『カンガルー・ノート』(もぐら通信第66号)の「2。『カンガルー・ノート』の呪文論」と『カンガルー・ノー
ト(9)』の「(22.3)何故ローリング族は象の皮の太鼓を叩いて踏切を渡るのか?」をお読みください。詳
述しました。

[註13]
詳細は『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について(4)』(もぐら通信第59号)にて論じま
したので、これをご覧ください。以下相当するところのみを引用します:

「1。初期安部公房の詩人から小説家になる変貌の相(phase)は同時並行的に二つあること。
(1)一つは、A系統の作品と呼んだ詩文散文に関する問題下降の相であり、詩文は〈 〉の記号で、哲学は《 》
の記号で示されてゐるといふこと。
(2)二つ目は、B系統の作品と呼んだ《 》で示された天使と悪魔に関する哲学的な対話の相であり、この相は、
哲学的な対話を安部公房固有の内省的・再帰的な「僕の中の「僕」」の話法で対話するといふ相であるといふこ
と。 [註7]

[註7]
「『デンドロカカリヤ』論(後篇)」(もぐら通信第54号)をご覧ください。『デンドロカカリヤ』の此の話
法について、詳述しました。

また、道つながりで言ひますと、第2章の最初に安部公房の存在論の記号である《 》で括られ
た独白、即ち安部公房独自の内省的な話法「僕の中の「僕」」の話法が使はれてゐて、この独
白の存在論の記号の中で、表立つては上図のやうな直線の道が、この話法によつてtopological
な道に変形してゐます。それは、一直線の道を歩きながら、明日の朝の朝礼でどのやうな新任
の挨拶をしようかと頭の中で以下のやうに考へるところです。安部公房の沈黙の記号である
「……」二つに科白が挟まれてゐる事にもご注意下さい。さうして、ここで言はれてゐる道は、
二項対立を否定して成り立つ超越論の道、即ち20歳の論文『詩と詩人(意識と無意識)』以
来の第三の客観、即ち存在、への道であることを思ひ出してください。このやうに、安部公房
の記号論によれば、《 》で括られた言葉は、存在か現存在に関する言葉でありました。

「《……世の中には、いいことと、悪いことの、二つがあるように言われています。しかし、
なにがいいことで、なにが悪いことか、はじめからはっきりした区別があるわけではありませ
ん。(みんな、あわてるだろうな)道ははじめから道だったのではなく、人が沢山そこを通る
ようになってから、はじめて道になるのです。だからどの道も、かならずうねうねと曲がって
いるのです。それは道をきめることのむつかしさを物語っています。(名文句だが、どこかで
読んだような気もするな)だから、諸君も歩きたいと思った方なら、道がなくても歩いていく
勇気をもってください。やがて、そこが、本当の道になるのかもしれないのですから……》」
もぐら通信
もぐら通信                          25
ページ

さて、校長、阿瀬宇然、トク婆さんといふ三人で構成する監視者と密告者の三角形に対応する
やうに、何を一体監視し、村人を閉じ込めるのかといふと、対応する監視の目的は「一つは家
出亡国論という校長の思想、もう一つは阿瀬宇然という家出監視人、いま一つは猜疑亡者の底
なしの胃袋といふ、実にうまくバランスのとれた三つの要素で、きっちり三角形の中にとじこ
められてしまっている」といふことでできてゐる三角形、この図形の均衡の維持が監視目的と
いふわけです。ここでも安部公房の3といふ数字が出てきます。「猜疑亡者の底なしの胃袋」
とは、そのやうな密告社会にゐる人間たちが、事実に関する判断の基準が明確ではないために、
噂話で右往左往するといふ其の食欲に似た、猜疑心に駆られて噂話といふ曖昧な情報を求めて
止むに止まれぬ姿を隠喩(メタファ)で表したものです。俗称インテリと呼ばれる教師たちが
かうであると言はれてゐる。恐ろしいことに、今の日本国と日本人の姿にこのまま当てはまつ
てゐる。この小説は、少しも古くありません。

この三角形の出てくる後に「いわゆる進歩的な教員たちのあいだでも、家出否定論の傾向が強
いらしいですよ」と千見といふ同僚のいふところを聞けば、これはこのまま日本共産党員の間
の共産党を脱党するか否かといふ、当時恐らく党員の間で内輪でヒソヒソ話で交はされた現実
の議論の一旦を暗示するものでありませうが、これを家出といふところが味噌で、実は、この
校長の唱へる家出否定論は、そのまま1951年の小説『闖入者』と1967年の戯曲『友達』
の話にそのまま繋がつてゐるのです。この小説はその中間に位置することになります。

といひますのも、トク婆さんの死んだ後に葬儀を行ひますが、そこに集まつた親類の人間たち
が、一日二日と日の経つうちに四日目には五つの家族で構成される二十人余りの人間たちで阿
瀬家をいつの間にか占領し、主人公の部屋も占拠して、Kは「隅のほうへ押しやられて」しま
つてゐる。「緬羊は外にほうり出され」、宇然は山に逃げてゐない。といふ事の次第と相成る
のです。

最後になつて、主人公が天地の転倒した現実を天体望遠鏡で覗いて以来患つてゐる神経衰弱の
ままに、この村に飲み込まれてしまひさうになる直前に、やはり安部公房がリルケに学んだ存
在の透明感覚が登場します。小説の最後に、家を占拠した親類たちのゐるところへ宇然が帰つ
て来て、

「誰からも相手にされず、ひとりで歯をむいて笑いながら遠眼鏡をみがいている宇然を見てい
ると、Kは自分の体が透きとおり、かすかな輪郭だけを残して消えていくような不安におそわ
れた。」(傍線引用者)

この後、親類たちも家の中の家財共々皆ゐなくなり、Kの持ち物も「本や帳面をのぞいてあら
かたがなくなって」ゐて、最後に甲高い「泣き叫ぶように連続する呼子の音がし」て、この甲
高い音が3回響くと存在が現れるのでしたから[註14]、かうして、『方舟さくら丸』では
何でも嚥下咀嚼する万能便器として登場するのと相当の「巨大な三角が、大きな口を開けてす
ぐ後ろにせまってきているように思われ」るところで、話が終はります。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ26

[註14]
存在を招来する甲高い音については、「『カンガルー・ノート』論」(もぐら通信第66号から第83号)まで
の中にて詳述しましたので、これらをご覧ください。

また、上記「巨大な三角」の「大きな口」は、万能便器のみならず、宇然とともに天地倒錯の
望遠鏡を覗いた場所の後ろにある石灰山の洞窟に通じてゐて、そのままこの洞窟は同じ『方舟
さくら丸』の地下洞窟への入り口の崖に掛かる廃車スバル360の中を通つて至る「方舟さく
ら丸」への崖の中を穿つ水平方向の入り口であることでせう。地下の方舟といふ、これも天地
倒錯の閉鎖空間だからです。

作品論の最後に『カンガルー・ノート』の賽の河原は『砂の女』の砂の穴と同じ役目を果たし
てゐることを論じた『カンガルー・ノート』論(もぐら通信第71号)の「(19)禁止の立
て札」より以下に引用して、読者に鏡と呼子といふ組み合はせが、安部公房の世界で何を意味
するかを理解してもらひたい。ここにはやはり禁忌を踏み越えるといふこと、また従ひ毎日同
じ因習的な作業の繰り返しである日常的な閉鎖空間からの脱出といふ動機(モチーフ)がある
のですし、その形象が此の一対の鏡と呼子なのです。『砂の女』では、砂の女が内職をして手
に入れたいと求める鏡とラジオが、これです。安部公房は日常的な閉鎖空間を賽の河原と呼び、
賽の河原での毎日同じ因習的な作業の繰り返しを賽の河原の石積みと呼んでゐます。

「最後に『カンガルー・ノート』と『砂の女』の関係について、主題と動機(モチーフ)の関
係で、この「(19)「進入禁止」の立て札」を書くにあたり、私の知り得たことをお伝へし
ます。

『砂の女』を読み返してみますと、既に此の作品に、砂の女と主人公の会話の中に賽の河原が
出てをりました。以下に引用するのは其の一部ですが、この会話のやりとり全体と其の前後の
地の文は、『カンガルー・ノート』の註釈と言つても良いものです。何故なら、この会話は、
主人公が砂の穴から脱出して逃走しながら思ひ出す砂の女とのやりとりですが、これの意味す
る所を一言でいひますと、砂の穴とは賽の河原であるといふことだからです。

「(略)......もっとも、百姓の場合は、米や芋の収穫というお返しがあるだけ、まだましって
ものかな?それにくらべると、この砂掻きときたら、まるで賽の河原の石積みじゃないか!
「賽の河原って、あれ、しまいに何うなるんでしょうねえ?」
「どうもなりゃしないさ……どうにもならないから、地獄の罰なんじゃないか!」
(略)
「やっぱり、貯金がたまったら、ラジオを買ったりしたんでしょうねえ……」
(略)
それにしても、分からない……女が、あの賽の河原に、なぜあれほど執着しなければならない
のか、さっぱりわけが分からない……「愛郷精神」だとか、義理だとか言っても、それを捨て
去るときに、一緒に失うものがあって、はじめて成り立つことではないか……いったい彼女が、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ27

失う何を持っていたというのだ?
(ラジオと、鏡……ラジオと、鏡……)[註18]」
(全集第16巻、220ページ∼221ページ)

[註18]
ラジオと鏡を、呼子と鏡と置き換へると、読者には目立たぬ短編小説『鏡と呼子』(全集第6巻、273ページ)
を読み解くことができます。この小説の冒頭もまた、存在の十字路である川と橋の交差点に、主人公がやつて来る
ところから話が始まります。
(略)」

3。安部公房文学史上の此の作品の位置
さて、かうしてみますと、この『鏡と呼子』といふ作品は、1950年代後半といふ時間はさ
る事ながら、それ以前の安部公房から始まつて1960年代を通り抜け、この間他の複数の藝
術領域での活動とともに、20年後の具体的には1974年の戯曲『緑色のストッキング』に
至るまでを貫いてゐる、小品ながら、作品群の時系列的な結節点足り得てゐる、そして以下の
視点からは(小さい作品である分だけ余計に)画期的な、小説です。即ち、

このマルクス主義批判、日本共産党批判のみならず今も世界中に名前を変へ姿を変へて蔓延し
てゐる共産主義、即ちフランクフルト学派以降今の金融資本主義のglobalism(グローバリズム)
に至るカルト的な一神教の論理による侵略主義、勿論カルト的であれば擬似宗教といふべきで
ありませうが、その論理の矛盾と破綻の核心を正確に見抜いてゐるからです。即ち、安部公房
の言ひ方を借りれば、共産主義といふ特殊の中に普遍がない、マルクス主義・フランクフルト
学派以降今の金融資本主義のglobalism(グローバリズム)といふ特殊の中に普遍が存在しな
い、執拗に宣伝され喧伝(けんでん)されるpolitical correctnessや人権といふ特殊の中に普遍
が存在しないといふことです。世に此れを偽善といひます。[註15]

安部公房は作品の大小を問はず、二十一世紀の今も新しい。(安部公房の読者であるあなたに
は釈迦に説法ですが)

全集をお持ちであれば当該巻を手に、またお持ちでなければ図書館に足を運んで、一読するこ
とをお薦めします。全集第6巻に所収です。

[註15]
安部公房のいふ特殊の中の普遍については『安部公房の札幌文学への批判』(もぐら通信第62号)に詳述しま
したので、これをご覧ください。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 28

私の本棚
永井俊哉氏書評
レイ・カーツワイル著『シンギュラリティは近い』

岩田英哉

永井俊哉氏書評「レイ・カーツワイル著『シンギュラリティは近い』」を書評するといふ、安
部公房に相応しく、しかし意図せずして、入籠構造になつてゐる再帰的な書評です。わたしは
原著を読んでをりません。下に掲げる図書のうち向かつて左が原著です。

この書評のURL:https://www.nagaitoshiya.com/ja/2018/technological-singularity-ray-
kurzweil-2045/

この書評は「2005年にカーツワイルは『シンギュラリティは近い(日本語訳:ポスト・ヒュー
マン誕生)』を出版し、2045年の技術的特異点(シンギュラリティ)以降、人間が生物学的限
界を超えた爆発的な進化を遂げると予言した。人工知能の能力が人間の能力に迫る中、カーツ
ワイルのシンギュラリティ論を信じる人は増えつつあるが、彼の未来予測は本当に正しいのか
どうか、批判的に検証してみたい」といふ通りの原著の所説が正しいかどうかといふ、この批
評家らしい批判的検証の書評です。

今流行のAIの人工知能が爆発的に伸長する特異点と呼ばれる未来の出来事の登場に関する本が
原著です。当然の事ながら、未来の出来事ですから、予測は不可能です。

これが安部公房ならば、未来の特異点の出現時点から逆算して過去へと出来事が対称的に 及
して現在へと到り、それぞれの時間的点の等価交換を行つて時間の値を帳消しにしてAI版『第
四間氷期』を書くところですが、この書評子は小説家ではなく、システム論を主にして論ずる
もぐら通信
もぐら通信                          ページ29

哲学者ですから、至つて虚構性抜きで、論理的に、そして散文的に書評をしてゐます。著者
のウエッブサイト「永井俊哉ドットコム」と、同サイトに掲載の著者略歴です:https://
www.nagaitoshiya.com/ja/:著者略歴:

永井俊哉(ながいとしや): 著作家。インターネットを主な舞台に、新たな知の統合を目指
す在野の研究者。専門はシステム論。1965年、京都生まれ。1988年、大阪大学文学部哲学
科卒業。1990年、東京大学大学院倫理学専攻修士課程修了。1994年、一橋大学大学院社会
学専攻博士後期課程単位修得満期退学。1997年、初めてウェブサイトを立ち上げる。1999
年、日本マルチメディア大賞受賞。現在、ウェブサイト「永井俊哉ドットコム」を運営して
いる。

さて、この書評を読んでのわたしの感想は次のやうなものです。最初に結論を掲げます。

1。この今のAI騒動は、キリスト教徒の終末論であり、終末思想の現れであるといふこと。
さうであれば、
2。いつも終末思想と一対になつて登場する方舟思想、即ち選民思想がその背後に隠れてか
前景に現われてか、必ずある筈だといふこと。20世紀のマルクス主義が、そのいい例でし
た。(そして今も隠れマルクス主義者はあらゆる領域でグローバリストとして生きてゐる。)

3。一神教の論理は、時間は単一で単線に進むのであり、これ以外の時間のあり方はないと
いふものであること。これを思ひ出すことがAIの未来を考へるためにはいいのではないかと
いふこと。対して、私たち日本人の大地母神崇拝の考へる未来は、汎神論的存在論ですから
時間は複数存在するので、さうはならないだらうといふこと。さうして、
4。一神教の常で、旧約聖書の天地創造が唯一絶対神によつてなされ、人間はGodの似姿と
して創造されたので、諸処既述の通り、欧米白人種キリスト教徒の論理は次の二つになる:

(1)人間がGodになることができる。バベルの塔がこれである。
(2)人間がGodの位置にゐて、人間を製造することができる。

即ち、

5。ヨーロッパ中世以来の執拗なホムンクルス(人造人間)の創造、フランケンシュタイン
の製造、まだ人間を製造してゐないが、遺伝子組み換えその他による生物の製造。つまり、
このAIが特異点で期待されてゐることは、人間以上の人間であり、人間を支配するための人
間を超えた人間といふことである。これがソフトウエアプログラムで人間の頭脳だけを取り
出して、そのやうな脳味 を製造しようといふ願望が、このAIの特異点の発言には籠められ
てゐるといふこと。これは執拗なる一神教教徒のうちのキリスト教徒の潜在的な願望である
といふこと。わたしの感じでは、イスラム教徒はしないのではないかと思ふが、しかしユダ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ30

ヤ教徒の科学者はするかも知れない。何故なら、原爆を製造して、実際に日本の国に実験的
に二種類の原子爆弾を落としたからである。つまり、
6。このAIの特異点への期待は、安部公房の言葉でいふならば破滅願望なのではないか?安
部公房の読者のあなたに考へてもらひたい。これは『方舟さくら丸』の話であるとわたしは
思ふが、如何か。上掲の書影のうち同じ原著者による向かつて右にある本の題が「ポスト・
ヒューマン誕生」とあるのが、そのことを示してゐる。「コンピュータが人類の知性を超え
るとき」といふ副題もまた然り。この著作の題名と副題を思ふと、わたしはまたしても安部
公房の傑作『第四間氷期』の水棲人間を思はずにはゐられない。あなたもさうであるに違ひ
ないと思ふが、如何か。但し、書評氏によれば「ポスト・ヒューマン」は、ヴィンジといふ
他の人のもので、カーツワイルは、「人間2.0」さらには「人間3.0」といった表現を用いて
おり、「ポスト・ヒューマン」も人間と考えているとのこと。要するに人間の知能を超える
脳味 を持つた超人(スーパーマン)といふことです。さて、そして、核爆弾の核戦争の話
が、AIの特異点によるAI戦争の話になつただけではないのだらうか。確かに今世界中の主要
国がAIの開発に鎬(しのぎ)を削ってゐる。即ち、
7。AIの特異点が発現したとして、原子爆弾の時と同様に実験的に特異点を爆発させて見な
ければ(原子爆弾の爆発の譬喩(ひゆ)を使つてみて、この爆発が一体何でありその名前は
何といふのかは今わたしには不明であるが)、わからないのであるといふこと。そして、原
子爆弾の実験を実施したといふ人間の愚かさから言つて、またAIの爆発実験をしたいと思ふ
やうな輩が出てくるのではないかといふこと。同じ例を考へれば、AIの開発科学者ではなく、
政治家の中に出てくるのではないかといふこと。この悪意ある政治家が、特異点をどのやう
に利用するかといふことは注目すべきことであるといふこと。
8。そのやうな危険性のある政治家を見つけるための指標は一体何かを考へることが大事で
あらうといふこと。
9。わたしが思ふのは、これは18世紀のダーウィンの進化論と同類の騒動なのではないか
といふことです。即ちダーウィンの進化論の突然変異に当たるのが、AIの特異点ではないか
といふこと。といふことは、欧米白人種キリスト教徒の間では、当時と同じく21世紀の今
でも、この特異点は、

(1)当時は猿であるにせよ、このAIは、深層心理としては、人間に対する侮辱と感じ、考
へられてゐるといふこと。
(2)これは人間の知能の進化の過程で、単線の一元の時間の線の上では発達が連続的では
突然の変異は説明ができず、時間の先後がないといふ即ち超越論的な(汎神論的存在論の)
変異であるので、AIについても、同じ超越論を超越論とは言葉でいへないままに、『デンド
ロカカリヤ』のコモン君の場合でいへば、時間の断層に嵌(はま)つて落ちて植物に変形す
るやうに、何かの変形を、この場合は人間の知能の延長であつたAIが超越論的に変形する特
異点として期待してゐることではないかといふこと。といふことは、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ31

10。この特異点の発現への期待は、キリスト教徒の一種の救世主登場の願望ではないかとい
ふこと。即ち、
11。上記9に戻り、これは21世紀の種の起源といふ生き物の全体に関する進化論ではなく、
知能の起源と題された脳味 進化論であるのだといふこと。
12。上記10のことから言つて、欧米白人種キリスト教徒はまた、Globalismといふ共産主義
に対抗するために、20世紀はドイツ一国であつたが21世紀には一国を超えて、アドルフ・
ヒットラーに相当するやうな独裁者を渇望してゐるのではないかといふこと。意匠は科学であ
るが、心理的に見れば、さうして現実的な事実としても(後述するやうに)、実は疑似科学、
即ちカルトである側面が濃厚ではないのかといふこと。

このやうなことです。さて、以上の一読後の感想を列挙した上で、再度この書評をまとめてみま
す。まづ書評の目次を挙げます。

1:なぜ情報技術は指数関数的に進化するのか
2 : 指数の指数関数的成長という仮説
3 : シンギュラリティの本来の意味は何か
4 : カーツワイルの予想は当たっているのか
5 : ムーアの法則の限界はどう克服されるのか
6 : 脳をコンピューターにアップロードできるか
7 : 宇宙が覚醒する日は来るのか
8 : 参照情報

これらの目次から、わたしの興味を引いたところを伝へたい。やはりシンギュラリティとは何
かといふ本題から入りたい。以下、書評子の言葉をそのまま引用してお伝へします。引用文中
の赤字や傍線はわたしが強調したいものです。

3 : シンギュラリティの本来の意味は何か
カーツワイルはシンギュラリティ(Singularity 特異点)という用語をヴィンジ[15]が1993年に
発表したエッセイ「来るべき技術的特異点[16]」から借用している。ヴィンジは、このエッセイ
において、人類の知性を凌駕する存在が誕生し、人類を絶滅に追い込む技術的特異点の到来を
予想した。ヴィンジはこの用語を使うにあたって、フォン・ノイマン[17]による1950年代のシ
ンギュラリティの用法に言及している。」(フォン・ノイマン:https://ja.wikipedia.org/wiki/
ジョン・フォン・ノイマン)

フォン・ノイマンはコンピュータの初期発明者の一人です。

「ある時、フォン・ノイマンの話は、絶えず加速し続ける技術の進歩と人類の生活様式の変化
に集中した。その進歩と変化は、さながら人類史上におけるある本質的なシンギュラリティに
近づいている観を呈し、そのシンギュラリティを超えると、今日おなじみの人類の仕事は継続
不可能になるだろうというのだ。[18]
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ 32
ここで、フォン・ノイマンは「シンギュラリティ」でもって、超人間的な知性の誕生を念頭に
置いていたのではなかったが、ヴィンジと同様、シンギュラリティを、私たちの時代に終焉を
もたらす望ましくない特異点とみなしていた。そして、こうした意味合いで使うことはもっと
もなことなのである。

そもそもシンギュラリティは、カーツワイルも認める通り、数学では、関数が無限大または微
分不可能といった定義不可能な値をとる点という意味で使われている。
(略)
彼のシンギュラリティ信仰(Singularitarianism)は、科学としては不可解だが、宗教としてな
ら理解できる。事実、彼は「私たちは新しい宗教を必要としている[23]」と言っている。科学
が奇跡と思えるものを奇跡でないもので説明しようとするのに対して、宗教は奇跡を奇跡とし
て好意的に肯定しようとする。同様に、カーツワイルは科学が回避しようとするシンギュラリ
ティを好意的に認めようとしていると考えれば、納得がいく。たぶん彼は、シンギュラリティ
でもって、終末論的な超越、すなわち人類の神との一体化を考えているのだろう。その意味で
は、シンギュラリティ信仰が「科学的というよりも宗教的な見解[24]」であり、「科学の仮面
を被った終末論的カルト[25]」という評価は正しい。」

4 : カーツワイルの予想は当たっているのか
「本書が出版されてから12年以上が経過した2018年3月現在、カーツワイルの予想の一部を検
証することができる。カーツワイルは、2010年までにスーパーコンピューターの性能が人間の
脳の性能を上回ると予想していた。

「IBMアルマデン研究所の認知コンピューティング担当ディレクタ、ダーメンドラ・モダは、コ
ンピューターは、人間の脳に匹敵するには、38ペタフロップス(PFlop/s)、つまり1秒あたり
3京8000兆回以上の演算を実行できなければならないと推定している。 下の図は、世界の最高
のスーパーコンピューター(茶色の三角形)が2010年までにこの目標を達成しなかったことを
示している。

Fig.4. 世界トップ500のスーパーコンピューターの性能の変化[28]。縦軸は浮動小数点演算の回数で、対数目盛。横軸は西暦。茶色の三角形は
世界第1位のスーパーコンピューターの、青色の四角形は世界第500位のスーパーコンピューターの、緑色の丸は合算の値を表す。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 33

この図はまた、スーパーコンピューターの演算性能が、2013年以降、カーツワイルが期待した
ような指数関数以上の成長ではなくて、むしろ指数関数以下の成長しか遂げていないことをも
示している。
では、カーツワイルによる以下の「2010年のシナリオ」はどうだろうか。

2010年代の初めに登場するコンピューターは、本質的に不可視になるだろう。すなわち、それ
らは衣服に織り込まれ、家具や環境に埋め込まれるようになるということだ。[…]ディスプ
レイは眼鏡やコンタクトレンズに組み込まれ、イメージは私たちの網膜に直接投射されるよう
になるだろう。[29]
彼の予測通り、ウェアラブル・コンピューターを普及させようとする動きはあった。例えば、
彼が所属するグーグルは、2012年4月にグーグル・グラスというヘッドマウント・ディスプレイ
方式の拡張現実ウェアラブル・コンピューターを公式に発表した[30]。しかし、2018年現在、
米国の職場で採用されている業務用のグーグル・グラス・エンタープライズ・エディションを
除けば、スマート・グラスはほとんど普及していない。スマート・コンタクト・レンズもまだ
開発段階であり[31]、インテルの Vaunt[32]や QD Laser の RETISSA Display[33]などの網膜
投影方式によるスマート・グラスもまだ販売されていない。コンピューターがこれまでのダウ
ンサイジングのトレンドに沿ってウェアラブルになるほど小さくなるという予測自体は間違っ
ていないが、ダウンサイジングの速度は、カーツワイルが予想したほど爆発的に加速はしなかっ
たということである。

現時点でカーツワイルの予測を暫定評価するなら、コンピューティング性能が指数関数的成長
以上の爆発的成長をするという予測は間違いであったということだ。だから、数学的な意味で
のシンギュラリティは、神による奇跡でも起きない限りないだろう。それどころか、ムーアの
法則のような単純な指数関数的成長にすら疑問を持つ人が出てきているのが現状である。

6 : 脳をコンピューターにアップロードできるか
コンピューターの性能が今後とも指数関数的に向上するなら、遠からず人間の脳の性能を超え
るようになり、人間の存在意義が問われることになる。これはネオ・ラダイトたちが心配して
いることだ。しかし、もしも私たちが、コンピューターに「人間の脳をアップロードする[51]」
こと、すなわち、「人間の脳の顕著なすべての詳細をスキャンし、それらの詳細を十分強力な
コンピューター基盤に再生すること[52]ができるようになれば、不老不死という人類の夢がか
なうだけでなく、コンピューターの進歩とともに私たちも指数関数的に進歩することになり、
私たちはこれからも文明の主人公としての地位を保つことができるようになる。問題はそれが
可能かどうかだ。

オープンワーム・プロジェクトに従事する科学者たちは、線虫(Caenorhabditis elegans)の
ニューロン間接続をすべてマッピングし、ソフトウェアにシミュレーションをして、それにレ
ゴ[53]やアルデュイーノ[54]のロボットを駆動させた。以下の動画にみられるとおり、線虫のバー
チャルな脳は、人間がプログラムした指令なしにロボットを線虫の体のように動かした。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 34

Fig.6. オープンワーム・コミュニティのワームロボット[55]。

このウエッブページにて視聴ください。
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2018/technological-singularity-ray-kurzweil-2045/

「同様に、将来、私たちは人間の脳をリバース・エンジニアリングして、人工知能でシミュレー
ションし、それにロボットを制御させるということは可能になるだろう。しかし、このようなプ
ロジェクトは、たんに人間の脳のパターンをコピーしたにすぎず、アップロードしたとは言えな
い。カーツワイルも認めるとおり、複製と移転は全く別なのである。」

7 : 宇宙が覚醒する日は来るのか
カーツワイルは、以下の図に示すように、ビッグバンから未来にかけての進化の歴史を六つに画
期し、このうち「五番目の時代(Epoch 5)から、シンギュラリティが始まり、六番目の時代
(Epoch 6)では、シンギュラリティは地球から残りの宇宙へと広がるだろう[69]」と言う。
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もぐら通信                          ページ35

カーツワイルが、ここで参照しているロイドの論文は、以下のような結論となっている。

非常にありそうにないことだが、ムーアの法則の指数関数的進歩が将来にわたって継続すること
が可能であるならば、1010ビットで毎秒1010回の操作を行う現在のコンピューターよりも40桁
性能が上である1031ビットで毎秒1051回の操作を行う1キログラムの究極のラップトップ・コ
ンピューターを作るのに250年しかかからないだろう。[73]

そうした1キログラムのコンピューターなら、250年後には作ることができるようになるかもし
れないが、宇宙内のすべての物質とエネルギーを利用して、宇宙をコンピューターにすることは
不可能である。なぜなら、物質が持つ複雑性はそのままでは情報ではないし、すべてのエネルギー
が情報処理に使えるエネルギーとは限らないからだ。

カーツワイルは、愚かな物質をスマート物質に変える一例として、普通の岩を取り上げる。彼に
よれば、1キログラムの岩は、1025個の原子を持ち、少なくとも1027ビットのメモリーを持つ。

計算上、たんに電磁気的な相互作用を考慮するだけで、1キログラムの岩の中で、毎秒毎ビット
1015回の変化が少なくとも起こる。これは事実上、毎秒1042回(百万 一兆の三乗回)の演算
を行っていることになる。しかし、岩はエネルギー入力を必要とせず、かつほとんど熱を発生さ
せない。[74]

ここからもわかるとおり、複雑性が情報と混同されている。カーツワイルは、「複雑性の概念自
体が複雑[75]」であると認めた上で、「システムやプロセスを特徴づけるのに必要な、意味のあ
る、ランダムではないが、予測不可能な情報の最小量[76]」という定義を一例として提示してい
る。「ランダムではないが、予測不可能な」という矛盾した表現に混同の結果を見て取ることが
できる。情報ならランダムではないが、複雑性なら予測不可能な不確定性がなければならない。

この混同は多くの人にみられ、実際、複雑性の単位であるはずのビットが、情報の大きさを表す
単位として一般に使われている。そこで、複雑性が情報でないことを簡単な例で説明しよう。

以下の二つの命題を比較してみてほしい。

1 明日の天気は、晴れか否かのどちらかであり、かつ、高温であるか否かのどちらかであり、
かつ、強風であるか否かのどちらかである。
2 明日の天気は、晴れであり、かつ、高温であり、かつ、強風である。

一番目の命題は、明日の天気に関して、23=8ビットの可能性を示している。つまり複雑性は8ビッ
トあるのだが、この命題は明日の天気に関していかなる情報をも提供していない。これに対して、
二番目の命題は、その複雑性を縮減することで、明日の天気に関する一定の情報を提供している。
複雑性の対数をエントロピーと言い、底を2とすると、一番目の命題のエントロピーが3である
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もぐら通信                          ページ 36

のに対して、二番目のエントロピーは0である。シャノン以来認識されている[77]ように、情報と
は負のエントロピーであり、この場合、-3の負のエントロピーが与えられることで、情報が提供
されたことになる。

岩を情報保存のためのメモリーにする場合であれ、情報処理のためのプロセッサーにする場合で
あれ、いずれにせよ、岩のエントロピーを縮減するには、熱力学第二法則により、外部から低エ
ントロピーのエネルギーを入れ、それを高エントロピーの熱として外部に排出しなければならな
い。宇宙に存在するエネルギーの多くは、そのために使えるほどエントロピーが小さいエネルギー
ではない。資源と環境という二つの制約要因のおかげで、宇宙全体がコンピューターとなり、覚
醒するといったことは、熱力学的に不可能なのである。

宇宙の覚醒という観念は科学的というよりも宗教的なテーマだ。人間の精神が神の水準にまで高
まって遍在化し、その結果宇宙が覚醒するという思想はヘーゲル[78]にも見られるが、その思想
をさらに るなら、キリスト教の終末思想に り着く。

私たちが宇宙における物質とエネルギーを知性で満たすと、宇宙は「覚醒」し、意識を持ち、崇
高なまでに知的になるだろう。それは、私がそれ以上は想像できないほど神に近づく時なのだ。
[79]

カーツワイルがこういうのを聞くと、やはり彼のシンギュラリティ論はカルト的だと感じてしま
う。予言者カーツワイルの信奉者たちは「シンギュラリタリアン」と呼ばれているが、これは奇
妙な呼称である。シンギュラリティの本来の定義からすれば、「頭の中が破綻した人」というふ
うに聞こえる(実際に、世間ではそのように思われているのだが)。私は、情報技術の指数関数
的進化の継続や、マインド・アップロードや、ポスト・ヒューマンの宇宙への拡散が将来実現さ
れる可能性を否定はしないが、カーツワイルとともに「イッヒ・ビン・アイン・ジンギュラリタ
リアン[80](私はシンギュラリタリアンだ)」と宣言するつもりはない。

中長期的に私たちが誠に注意すべきことは、カーツワイルといふ著者が、ここでは引用しません
でしたが、Wikipediaにあるやうに、Googleの社員であるといふことです。

カーツワイルが「イッヒ・ビン・アイン・ジンギュラリタリアン[80](私はシンギュラリタリア
ンだ)」と宣言できるのは、この名前からしてドイツ系アメリカ人であるからです。

カーツワイルの経歴その他です:https://ja.wikipedia.org/wiki/レイ・カーツワイル
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もぐら通信                          ページ37

安部公房とチョムスキー
(10)
目次

1。ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あるのか
2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
3。バロックとはどういふ時代か
3.1 バロックとは何か
3.2 バロック建築:差異の建築 青字は前回までに
論じ終つたもの、
3.3 バロック文学:差異の文学
赤字は今回論ずるもの、
3.4 バロック哲学:差異の哲学
黒字はこれからのもの
4。チョムスキーの統辞理論とバロックの言語学:生成文法とポール・ロワイ
ヤル文法
(1)チョムスキーの統辞理論とは何か
(2)ポール・ロワイヤル文法とは何か
4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語の持つ冗長性とは何か
5。ポール・ロワイヤル文法とラシーヌ
6。「2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」に関する補遺的説明

(1)再度バロックとは何か:バロックの概念ー歪な真珠とは何かー:真珠の分類と存在の凹の形象の一致

7。 一神教と大地母神崇拝をtoplogyで読み解く 載

7。1 一神教のtopology は

7。2 大地母神崇拝のtopology

7。3 一神教のtopologyを大地母神崇拝のtopologyに変形する
8。スコラ哲学は21世紀にも生きてゐる
9。ネットワーク・トポロジーの変遷で近代ヨーロッパ文明の300年間を読む
10. 近代ヨーロッパの17世紀に何があつたか
(1)宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント)の内部の宗教戦争
(2)政治:ウエストファリア条約:近代国家同士のヨーロッパ内部の政治戦争
(3)経済:株式会社と中央銀行の成立:近代国家同士のヨーロッパ外部の経済戦争
(4)文化:超越論に依るバロックといふ差異の様式
   ①目に見えるバロック様式:都市設計、建築、庭園、美術、天文学
   ②目に見えないバロック様式:文学、哲学、論理学、修辞学、文法学、数学(幾何学)、音楽
11。イスラム文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:イスラムから見た近代史:『イスラームか
ら見た「世界史」』(タミム・アンサーリー著。小沢千重子訳)を読む:一神教内部の宗教と文明の戦争
12。アフリカ大陸文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:『新書アフリカ史』を読む
13。 日本列島文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:大地母神崇拝と一神教の文明間戦争
13. 1 座談会『近代の超克』(文芸誌『文学界』(1942年(昭和17年)9月及び10月号))を読む
13. 2 座談会『世界史的立場と日本』(1943年(昭和18年)中央公論社)を読む
13. 3 二つの座談会で指摘された問題の列挙と解決方法について
14。Topological(位相幾何学的)な「近代の超克」
(1)日本の世界史的立場:公武合体政策の解消とバロック的楕円形国體への復帰を
(2)世界の日本史的立場:汎神論的存在論(超越論)に拠つてヨーロッパ地域での古代の神々の復活を
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もぐら通信                          ページ38

哲学の問題101
(3)
  何が在るのか?
岩田英哉

この章に登場する哲学者は次の4人です。

(1)パルメニデス(西暦紀元前約520/5∼約460/455)
(2)プラトン(前428/427∼348/347)
(3)アリストテレス(前384∼322)
(4)ハイデッガー(西暦1889∼1976)

(1)から(3)が古代ギリシャ人で、(4)だけが20世紀のドイツ人の哲学者です。

近代ヨーロッパ文明の哲学は、17世紀のバロック哲学者の登場したあとは、18世紀に入つて、
カントーヘーゲルの共産主義の系譜と、カントーショーペンハウアーの超越論の系譜に分岐して
ゐるのでした。[註1]

[註1]
『安部公房とチョムスキー(1)』(もぐら通信第73号)の「 (1)ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あ
るのか;(2)西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」を参照ください。後者の『西洋近世哲学史の中の安部公房
の位置』と題した図を掲げますので、ご覧ください。ダウンロードは:
https://ja.scribd.com/document/368975265/西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
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もぐら通信                          ページ39

ハイデッガーは、存在について思惟を巡らしたのですから、超越論者です。存在について思惟を
巡らしたとは、存在といふ概念を定義しようとしたといふことです。ある概念を定義するために
は、ほかの概念との関係で定義すること、これが概念を定義するといふことです。[註2]ハイ
デッガーの場合には、それが時間であり、時間との関係で存在を論じたといふこと、これが『存
在と時間』といふ著書の最も抽象的て簡潔な要約です。

[註2]
概念を定義するためのフォーマット『分類のためのフォーマット』を『安部公房とチョムスキー(17)』(もぐ
ら通信第84号)の「5。7 再度3といふ数:3とは何か」より引用して、再掲します。

(1)から(3)が古代ギリシャ人で、(4)だけが20世紀のドイツ人の哲学者だといふこの
名前の列挙の仕方は少し極端です。といふのは、その間にやはりデカルトやライプニッツの名前
が来て、そのあとにカントーショーペンハウアーニーチェーハイデッガーといふ順序で時系列に
並ぶ事になるからです。

しかし、今回の4ページといふ短い紙面で、しかも次のやうな写真を挿入してゐて、これで1ペー
ジをとつてゐますから、実質3ページで存在についてわかりやすく説明するとすると、ハイデッ
ガーの名前を飛んでいふ以外にはないのでありませう。といふことは、今のドイツ人の間でも、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ40

存在といふ概念を巡つて話をしようとすれば、やはりまづは此の哲学者の名前を出して、その所
説を振り返るといふ事になるといふことでせう。確かにカント以降ニーチェまでは、存在といふ
言葉は普通のドイツ語ですから、何か変はらぬもの、本質といふ意味で一般的に使はれてゐます
が、しかし此の概念に着目して此れを集中的に論じたのは、20世紀の哲学史の上では、ハイデッ
ガーが最初だからです。

さて、何が在るのか?といふ問ひに答へる著者の順序で読んでみませう。著者の掲げた問ひは、
存在とは何か?ではなく、何が在るのか?、もし存在といふ訳語を使ふのであれば、何が存在す
るのか?といふのが、その問ひなのです。即ち上記[註2]の概念を定義するためのフォーマッ
トの3つのカテゴリー(範疇)のうちの、最初の二つ、即ち概念のカテゴリーと定義のカテゴリー
の二つのみを使用した文であるのです。

概念のカテゴリー   定義のカテゴリー  補足説明のカテゴリー
何が         存在するのか?     

存在とは       何か?
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もぐら通信                          ページ41

このやうに範疇に分けて(カテゴライズして)みますと、よくわかることは、この著者の問ひの
持つ関心は、名詞に関する関心ではなく、動詞に関する関心であるといふことです。主語との関
係で動詞の概念を定義したいと考へてゐることです。といふことは、何が存在していゐるのか?
(現在進行形で即ち時間の中で今存在してゐること)といふ問ひについて答へたいと考へてゐる
といふことです。そこで、著者は、上記の哲学者たちの所説をかいつまんで話す前に、これまで
の哲学史上の存在(名詞)を巡る議論を次のやうにまとめてゐます。

(1)何かが 存在する 、何かが 在る といふ事が何を意味するのかを巡つて古代ギリシャ以來


の議論がある。しかし、
(2)今日まで、この概念が何を意味するのか、そもそも意味を持たせて話をすることができる
概念なのかどうかについての議論がある。
(3)意見の一致を見てゐることは、そもそも存在(名詞)とは、一個の(一個として)存在し
てゐること自体ではなく、また一個の特性(といふ特別な何かに固有の性質)でもないといふこ
とである。

この(1)と(2)の議論については、古代ギリシャのパルメニデスから話を始めて次のやうに
解説してゐます。

(1)パルメニデス
パルメニデスは、存在(名詞)を、すべての存在してゐるものの内的な統一と理解した。この内
的統一は、無として存在してゐるものを全く考へることができないと考へ、そしてそれ故に、無
として存在してゐるものは有り得ないと考へた。

(2)プラトン
プラトンは、これに対して、真の存在は、単に空間と時間の無い (複数の)イデア に帰属する
のであるとし、他方同時に、感覚的な世界の様々な対象は、単にこれらのイデアの複製に過ぎな
いのであり、これらの複製は、それらイデアの存在に与(くみ)してゐる、それらイデアの存在
に預かつてゐるのだといふ説を唱へた。

(3)アリストテレス
個々の物の、本質に応じた存在とは何かといふ問ひを立てた。アリストテレスの 形而上学(メ
タフィジーク) では、この研究の最初に立てるべきものを、 存在してゐるものとしてのそもそ
も存在してゐるもの であるとして、これによつて存在論の哲学的な原理を確立した。

この文章からは次の二つの解釈があることになります。

①一般:個々の物として存在してゐるものの、それら全てに共通してそもそも存在してゐるもの
②個別:個々の物として存在してゐるものの、それぞれのそもそも存在してゐるもの
もぐら通信
もぐら通信                          ページ42

この二つの解釈です。この結論はこのまま保留して次へ進みます。

(4)ハイデッガー
ハイデッガーの存在論は、プラトンの犯した致命的な過ちを指摘してから論を始めてゐるのだと
いふ。ハイデッガーによれば、これまでの全ての形而上学は、(存在とはそもそも何かといふ)
そもそもの存在を、一個の存在してゐるものとして考へて来た、即ち私たちの思考と行為に対向
対置する対象として(簡単に言へば別の対象として)考えて来たが、しかし 存在 といふ概念は、
これに対して、1927年刊の『存在と時間』では、(存在とはそもそも何かといふ)そもそも
の存在は、一個の存在してゐるものではなく、存在に実体(Substanz;substance)はなく、ま
た本質的なものではないと説いた。そもそもの存在(名詞)と、存在してゐるもの(動詞)とは
違ふといつたのである。

ここから原文の説明を要約しますと、ハイデッガーは、存在(名詞)といふ概念を、時間の中で
私たち人間が普段時間の中で必要に迫られて生み出す道具(例:釘を打つ金槌)を介して、存在
は時間の中で「一種の理解の地平」となるのだといひ、これが「理解の地平」であるとは、この
地平で、物が私たちに出逢ふからであるといつてゐる。

ここでハイデッガーの行なつてゐる論理上の回転あるいは逆転の創意工夫は、次の四つです。

①存在といふ抽象概念と、時間の中に生きる人間との媒介に道具を持ち出したこと。さうして、
②時間の中で人間に発生する必要性を満たすための道具といふ媒介(または媒体)が「理解の地
平」であるとしたこと
③存在を認識するのではなく、時間の中で理解できるとしたこと。そのための上記②の「理解の
地平」であり、上記①の道具であること
④人間が物に出逢ふのではなくて、物が人間に出逢ふと考へたこと。恰も物には意志があるが如
くである。

私がショーペンハウアーを通じて知つたカントの用語によれば、あるいはカントの用語の相互の
齟齬を整理したショーペンハウアーの分類によれば、存在、現存在、時間、認識、理性、悟性、
理解の七つの用語と概念の関係は次のやうなものです。

①時間を捨象して構造的に物事を認識する能力、即ち存在を認識する人間の能力は理性である。
②時間の中で、また時間の中に在る何かを理解する、即ち物事の関係を因果関係で説明できる能
力は悟性である。因果関係の代はりに、人間の意志との関係で時間の中で目的と手段の関係を説
明できる能力は悟性である。従ひ、悟性は、現存在に関する人間の理解力である。
③理性は悟性の上位概念、悟性は理性の下位概念である。従ひ、悟性は理性を理解することがで
きず、しかし他方、理性は悟性を認識し、理解することができる。認識は理解の上位概念、理解
は認識の下位概念である。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ43

さて、本題に戻ると、ハイデッガーは、前述のやうな「理解の地平」をいふことによつて、「存
在は人間的な現存在を必要とし、人間的な現存在は存在を必要とする」として、理性と悟性の関
係を垂直関係にして置かずに、時間と現存在の中に存在といふ存在を人間が必要とした道具を媒
介にして、いつて見れば水平関係に置換して、私たち日本人の古事記の天地初発・国生み神話の
topologyに近づいて縦の物を横にすることによつて、理性と悟性といふカントの用語を使用する
ことなく、存在、現存在、認識、理解、道具といふ五つの用語に拠つて、汎神論的な地平を同じ
平面の上に開かうとしたといふことになります。これが「理解の地平」です。人間的な現存在と
は、人間が時間の中で生きてゐること(現存在)といふ意味です。

これで、私たちも、天地初発・国生み神話のtopology、即ち高天原topologyに似た並行四辺形に
襷掛けのネットワーク・トポロジーを描くことができます。これがハイデッガーの基本用語の概
念のtopology、即ち概念関係図といふことになります。

さて、かうして、人間である現存在は、全てのほかの存在してゐるものに対して、世界に対する
関係に於いてのみならず、固有の存在との関係に於いても、関係を持つて立つことができるとい
ふのです。

しかし、今ここで私はハイデッガーのいふ世界と固有の存在の関係を知りません。文章にその関
係の記述がない。また、固有の存在とありますが、この固有の存在が、私といふ人間の現存在に
対する私固有の存在であるのか、それとも私といふ人間の現存在に対する人間一般の固有の存在
であるのかの区別は、著者のドイツ語からは読み取ることができず、ドイツ語の固有の存在
( zum eigenen Sein :ツーム・アイゲネン・ザイン)では、どちらの場合でも有り得る理解
が二つあるといふことになりますので、これはこのまま理解は留保して置きませう。

さて、ここで著者は、現存在がこのやうな存在との関係になると、もはや現存在の本質は何か?
と問ふ必要はなくなり、私たちの存在をーこの「私たちの存在」といふ表現も依然として上の理
解の留保のままで有り、私たちの存在とは個別にバラバラに有り得るのか、それとも私たち一般
もぐら通信
もぐら通信                          44
ページ

に共通する存在であるのかが不明で有り曖昧ですがー、私たちの存在を、存在してゐるだけで理
解してゐることになり、つまり道具を媒介にして生きてゐればといふことでありませうが、さう
であれば、未来に向かつて私たちの様々な可能性に応じて、自分自身の人生を企画することがで
きるのだ。といふのが、ハイデッガーの論だといつてゐます。

上記の 存在してゐるだけで理解してゐる といふ箇所の 存在してゐる は、実はドイツ語ではな


く、英語(exit)を使用してゐて、厳密な自国語による定義から著者は逃げてをります。ここに
来るべき 存在してゐる に当たるドイツ語は、著者の原文の意味する所に倣つて其の延長で私が
有り得る表現を列挙すれば(カタカナでルビを振りませんのでざつと眺めて下さい)、

① wir sind da
② wir sind daseiend
③ wir sind im Dasein
④ wir sind das menschliche Dasein
⑤ wir sind ein Seiendes
⑥ wir sind Seiendes
⑦ wir sind das Seiende

等々となる筈ですが、著者はこれらを全て曖昧なままにexistieren(エグジスティーレン)とい
ふ英語由来のドイツ語を使つて、論を省略してゐます。これらは皆日本語でいへば、私たちが今
此処にかうしてゐること、といふ意味なのです。またいへば、翻訳調ですが、私たちが現存在し
てゐるとか、私たちが時間の中を此処でこのやうに生きてゐること、といふ意味なのです。

さて、この後には、著者は、exist(存在)することは、私たち人間の現存在であることが有限
であり、このことを知ること、これに直面することが大事だとハイデッガーの考へとして書いて
ゐます。この有限性は、現存在の時間性によつて決められてゐるといふこと、これが『存在と時
間』の根本思想だといふのです。人間の有限性、現存在の時間性とは、その人の死といふことで
ありませう。

前回の「私は本当は誰か?」でもハイデッガーが引用されてゐました。そこで私の述べたことは、
次のことでした。

「そしてといふべきか、しかしといふべきか、著者は共産主義者であるにも拘らず、これに対し
て超越論者であるハイデッガーを持ち出します。そして/何故なら、その説明を読みますと、マ
ルクス主義が共産党といふ暴力的な集団で近代国家を転覆させて(人間の予測不可能な)未来の
方向に人間を誘導したのと同じく、単位は集団ではありませんが、今度は反対に個人の単位で、
個人の話として人間が「未来へと自分自身を企画し設計する」といふハイデッガーの言葉引用し
て話を進めてゐるからです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ45

ここに欧米の共産主義者の思ふ超越論者ハイデッガーと共有してゐると思つてゐる類似を見るの
でせう。となれば、現代の共産主義者は、個人をやはり扇動して個人の不確定な予測不可能な筈
の未来への否定的な感情を当人の心に起こして、その人を支配しようといふ慾が此処に生きてゐ
るといふ事になる。即ち、通俗化したマルクス主義の一形態が、これです。」

著者は共産主義者ですから、超越論といふ始めも終はりもない世界を理解することができません。
ですから、上記で留保した理解に読者は行き当ることになります。即ち、世界と固有の存在の関
係については著者の文章にその関係の記述がないために、その人固有の存在とありますが、この
固有の存在が、私といふ人間の現存在に対する私固有の存在であるのか、それとも私といふ人間
の現存在に対する人間一般の(何故ならば私はたくさん居りますから)固有の存在であるのかの
区別がつかないのです。

著者が最後に述べてゐるのは、ハイデッガーは、存在の本質を時間性にあるとしたといふことで
す。時間性(Zeitlichkeit:ツァイトリッヒカイト)といふ言葉は翻訳語ですが、私たちの日本
語でいへば、諸行無常といふことであり、時間は絶えず変化し、タイミングが合ひ、またタイミ
ングが合はない、人間の予期できぬ変化であるといふこと、即ち、時間は未来にもあるやうであ
るが、未来に何が起きるかを人間は知ることはできないといふことを言つてゐるのです。もし時
間性があれば、それは日本語でいふドンピシャリといふことであり、時間性がなければ行き違ひ
であり、数年前のアニメーション映画『君の名は。』の思春期の男女がさうであつたやうに[註
3]、行き違つてばかりでなかなか逢ふことがなく、従ひ時間性(Zeitlichkeit:ツァイトリッ
ヒカイト)はないといふことなのです。

[註3]
戦後すぐに大変流行した『君の名は』(1953年公開)といふこれは成熟した男女の映画は、日本人は此の時間
性(Zeitlichkeit:ツァイトリッヒカイト)を喪失したのだといふことを示してゐるのではないでせうか。安部公房
の読者ならば、この男女が橋の上で出会ひ、再度橋の上で出会ふことを誓つて別れるが、何度も時間性
(Zeitlichkeit:ツァイトリッヒカイト)を失つて再会できないなどといふシナリオに、『箱男』の主人公が看護婦
と待ち合はせるあの情景を連想して、存在論的な解釈もまた可能であると思ふのではないでせうか。勿論、安部公
房はtopologyの作家ですから、看護婦と待ち合はせるのは橋の上ではなく、橋の下であるわけですが。『君の名は』
論は稿を改めて、アニメーション映画『君の名は。』と併せて、論じます。

しかし、さて、このやうに言つて置きながら、著者によれば、ハイデッガーの考へでは、(そも
そもの)存在は、不変で永遠の本質性でもなく、実質でもなく、またイデアでもないといひます。
しかし、これは上記の 未来に向かつて私たちの様々な可能性に応じて、自分自身の人生を企画
することができる といふハイデッガーの考へとどのやうに折り合ひをつけるものか。

上述の 人間の有限性、現存在の時間性とは、その人の死といふこと であれば、さうして可能性


は様々であれ、さて自分自身の人生を未来の方向に向かつて企画するとして、ハイデッガー曰く
存在を忘れること が、近代ヨーロッパ文明の20世紀の没落の原因だといふことであれば、個
人の人生と近代ヨーロッパ文明の20世紀と21世紀の今は一体どのやうな関係になるものか。
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もぐら通信                          ページ 46

さうして、存在を忘れないで只今此処でこのやうに生きることがあるとして、存在の本質、即ち
存在論的な何かと何かの関係が時間性にあるならば、キリスト教といふ唯一絶対神を離れて、ヨー
ロッパの人間は一体どのやうな規準を求めて生きたら良いものなのか。即ち、

ハイデッガーの考へでは、(そもそもの)存在は、不変で永遠の本質性でもなく、実質でもなく、
またイデアでもないといふのであれば、それは記憶することなどはできずに、常に忘れることば
かりをする人間になつてしまふのではないだらうか。忘却は記憶と一対であり、これらは裏腹の
関係にありますから、忘却がヨーロッパ文明衰退の原因であれば、記憶は文明興隆の原因であら
うか。はたまた、結果であらうか。近代ヨーロッパ文明が、キリスト教支配の中世を暗黒時代と
呼んで其の歴史的な連続性を切断し忘却して、その起源を大変無理のあることに古代ギリシャや
ローマに求めて、歴史を捏造したことは既に述べました[註4]。これが近代300年来の共産
主義(マルクス主義のみならず民主主義と資本主義を含む)の原因であり、21世紀にも尚
globalismといふ名前の共産主義が止まない原因です。欧米白人種キリスト教徒も自分の文明の
歴史的事実に、実証的にまた実証主義的に、戻る以外にはありません。さて、これらのことをハ
イデッガーはどのやうに考へたものか。

[註4]
『メタSF作家A氏への五つの手紙』(もぐら通信第71号)に詳述しましたので、ご覧ください。

「このハイデッガーの考への行き詰まりと息の詰まるやうな袋小路の息詰まりは、間違ひなく、
一神教の唯一絶対神Godがゐないことを前提にした場合には、人間は死後にどうなるのかといふ
問ひに答へようとした試みです。キリスト教を離れると、欧米白人種キリスト教徒は無宗教にな
り、虚無主義(ニヒリズム)に陥るといふ事は単純な図式で、これまでも諸処既述の通りです。
これを回避するためにどんな考へがあるのかを考へることになり、ハイデッガーも同じ筋道で考
へた。しかし、かうして相変はらず、一神教のtopologyに捕らわれてゐる。本当は囚われてゐる
と書いて、囚人のやうだといひたいところです。」

これは前回書いた私の引用です。ハイデッガーには上述の通り汎神論的存在論の並行四辺形に襷
掛けのtopologyが折角あるやうであるのに、金槌のやうな有用性のある道具を時間の中で使用し
て、これを介して時間の外に存在する存在が、時間の中の現存在と接続されるといふハイデッガー
の思想は、しかし、どのやうな世界を思ひ描いてゐるのでせうか。この著者が用意した最初の首
だけの写真は、如何にもこの著者が思ふヨーロッパの今の人間の集まつた姿を示してゐると、こ
れまで3つの主題を読んできて、私は思ひます。個人個人がバラバラであること、そして首だけ
といふ彫像の集まりを見て、やはり晒し首のやうだといふこと、つまり人は生きてゐない、死ん
でゐる、そして体全体はなく頭だけが人間であるかのやうです。そのやうな首だけの人間たちが
皆同じ方向を、空虚な何もない方向を向いてゐる。

しかし、また著者も考へたのでせう、人間が生きることの問題はこれでは解決しないのですから、
同じ章にある二つめの写真がこれです。
もぐら通信
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ページ

この写真は昔のドイツの織物工場の写真でありませう。左が、その服装から設計者、右がやはり
服装から工場長といふやうな現場の管理職でせう。後者はドイツ式の定規を持つてゐて、定規を
持つ右手の甲も染みが幾つもついてゐて、如何にも現場の人といふ感じがします。

しかし、二人が打ち合わせて見てゐる織物の模様は、古代ケルト民族にも特徴的な、そして私た
ち日本民族にも特徴的な、縄文時代以来の渦状紋を表した模様、即ち差異から生まれる超越論の、
汎神論的存在論に基づく対称性と破れを備へた模様です。かうしてみれば、ハイデッガーも何処
に回帰すべきかは、21世紀の今ならば明らかであると私は思ひます。一神教を捨てて(捨てら
れるだらうか?)、捨てられなければ離れて、距離を置いて、大地母神崇拝の心を思ひ出すこと、
即ち其の心を忘れないことです。

最初の写真の下に赤色の文字で大きく書かれたハイデッガーの『1946年、フマニスムに関す
る手紙』の二行は次の通りです。(フマニスムスは英語ならばヒューマニズム)

「人間は、存在してゐるものの主人ではない。人間は、存在の羊飼である。」

この一種の格言もまた、聖書の世界からの引用と本歌取りに違ひありません。主人(Lord)と
はキリスト教の世界では時間の外にゐるGodの異名であり、即ちいふところは、存在してゐるも
の(動詞)のLordではないといふ意味であり、さうではなく、人間は、存在の、といふことは
時間の外にある存在の(名詞)、そもそもそのやうな存在である存在の羊飼である。この羊飼を
一瞬でも、ハイデッガーがイエス・キリストだと思つたら、ハイデッガーは存在を主人(Lord)
だと思つてゐることになります。それでは、存在してゐるもの(現存在)は何なのだ?といふこ
とになり、これがそのまま「存在と時間」の問題となります。
もぐら通信
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ページ

本当にヨーロッパ人が一神教の教義から逃れることは難しい。しかし、古典からの引用がなけれ
ば、言葉の豊かな世界もまた成り立たない。

ハイデッガーは、das Man(ダス・マン)などといふ好き勝手に(とドイツの庶民には見えるで
せう)、本来男性名詞であるManに破格の性(中性:neutral:ニュートラル)をあてがふこと
などせずに、自分の言語の文法に基づいた正格の言葉を使つて自分の哲学を打ち立てるべきであ
つたと私は思ひます。ドイツ語の言葉はハイデッガー一人のものではなく、ドイツ人万民のもの
だからです。万民とは死者と未来の子供達を含みます。安部公房の耽溺したリルケの言葉の素晴
らしさは、どんなに高度に抽象的な存在に関する概念を歌つてゐても、決してドイツ語の文法を
踏み外してゐない、ドイツ語の文法の規則を遵守してゐるといふことです。ハイデッガーのリル
ケ論を読むための、これは一つの視点かも知れません。さう思つて読めば、ハイデッガーが自分
の哲学の論理展開上何に苦しんだかがわかる筈です。そして、その問題の解決のために隠喩(メ
タファ)を必要とし、詩人を論じ、しかして他方、論理的な散文の世界では破格のdas Man(ダ
ス・マン)といふ中性(neutral:ニュートラル)の人(Man:マン)といふ語を必要とした。

この著者がこの章の最後に述べてゐることは、ハイデッガーがナチスに協力的であつたといふこ
とであり、上記の羊飼の格言の趣旨とは正反対に、次の言葉で章を締めくくつてゐます。

「全てを存在に従属させるものは、その視界から存在してゐるものを、これによつて具体的な人
間を、簡単に見失ふ。」

しかし、ここでいふ「全てを存在に従属させる」とある言葉の中の存在は、das Sein(ダス・ザ
イン)であり、この一行だけでは、この著者が果たして此の存在が、私といふ人間の現存在に対
する私の存在であるのか、それとも私といふ人間の現存在に対する人間一般の(何故ならば私は
たくさん居りますから)の存在であるのかの区別がつかないといふ上述の問題にまた、ここで直
面することになります。

これは、ドイツ語の文法の限界であるのか(この限界を突破するには新しい文脈(context:コ
ンテクスト)を創造すればよい。これが哲学であり文学の筈です)、さうでなければ著者がドイ
ツ語を曖昧に使つてゐるのです。そして同時にこの曖昧な用語法には、キリスト教といふ唯一絶
対神に絶対的に支配されて来たヨーロッパ人の論理のあり方としては、中世スコラ哲学のGodと
いふ唯一絶対神の存在証明の三つの論理基準の一つ、即ち「一か多数か」といふ基準が隠れてゐ
ると私には見えるのです。ちなみに、中世のスコラ哲学はGodの実在を三つの思考論理基準[註
5](あるいは公準といふべきかも知れませんが、これら)によつて証明しようとしました。但
し、この証明の限界は最初からあつて、中世の神学者たちが採用して唯一絶対神存在の証明の根
拠は、これらの基準三つは同時には成立しないといふ三基準同時不定立といふ否定的な矛盾発生
論理による、それ故にGodは存在する、何故ならばこの論理的事実は人間の人智を超えてゐるか
らといふ人間の能力に否定的な唯一絶対神存在証明であるからです。
もぐら通信
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この否定的にGodといふ絶対的な存在を証明するといふ此のスコラ哲学の論理が、このままヘー
ゲルの(時間の中にある)否定的な三つの因子を相互否定関係に置く、正反合の弁証法に、三つ
の基準同時不定立の理屈として、瓜二つであるのです。それ故に、この 何が在るのか? といふ
存在論の方面から考へても、即ちカントーショーペンハウアーーニーチェーハイデッガーといふ
超越論の系譜から考へても、ヘーゲルの考へは幾ら意匠と衣装を新しいものに見せたとしても、
依然として中世のスコラ哲学のままであり、唯一絶対神を奉じるキリスト教の教義と何ら変はる
ことなく、従ひ、マルクス主義を奉じる共産党といふ一党独裁中央集権絶対命令型の組織がそこ
から生まれても不思議はないのです。歴史といふ時間の中での否定形による足し算(二進数なら
ば否定論理和:non-disjunction)を幾ら繰り返しても、それこそ永遠に答へには至ることはあ
りません。無宗教から、無目的な虚無主義(ニヒリズム)に陥ることになります。マルクス主義
はニヒリズムです。だから、絶対的な精神などといひたくなり、これを絶対精神の自然の姿だな
どと言ひたくなるのです。上掲最初の晒し首の写真をご覧なさい。絶対精神の自然の姿が、これ
です。

[註5]
スコラ哲学の唯一絶対神存在証明三基準について、八木雄二著『神を哲学した中世ーヨーロッパ精神の源流ー』よ
り以下の箇所を引用します。良書です。

「中世の議論をより深く理解してもらうために、もう少しギリシャ哲学の本質について述べておきたい。(略)こ
うした哲学用語を学ぶことは、いわば子供が自転車に乗る練習をするときに補助輪をつけるようなもので、それに
頼っていると、むしろいつまでたっても自転車に乗れるようにならない。補助輪を捨てて、自転車の両輪だけで乗
る練習をする必要がある。
 では、哲学において、その両輪に当たるものは何かと言えば、それは「より大とより小」、「全体と部分」、「一
と多」という三つの対である。この三対を使いこなすことができるようになれば、哲学はむずかしくない。(略)
じつのところ普遍論争は「全体と部分」及び「一と多」の論であり、後に説明するアンセルムスの神の存在証明に
は、「より大とより小」の論理が使われている。また神と被造物の関係は、「一と多」の関係なのである。むずか
しい言い方をすれば、たしかにこれらの対は「超越論」的に用いられる。超越論的に用いられて、じつは形而上学
を可能にする。(略)基本をみて見よう。そのためには、三つの対同士をぶつける。(略)
なんだか三すくみのようで頭が混乱するかもしれないが、ようするに三つの対はうまく整合しない。「多」は「一」
と比べて「より大」であるにもかかわらず、「多」は「部分」と一致するのだから「全体」たる「一」と比べて「よ
り小」でもある。
 ここに紹介した三つの対は、プラトンが『パルメニデス』で示した哲学分析の道具である。哲学するためにはこ
の道具を使いこなす必要がある。」(同書「ギリシャ哲学という道具」より)

このGodの存在証明のためのスコラ哲学の三つの基準の論理は、カントから分岐するヘーゲルの
論理展開、またショーペンハウアーの論理展開の両方に、その論理がそのまま継承されて使用さ
れてゐます。[註6]前者は、歴史といふ時間の中で否定的形式としてそのまま中世スコラ哲学
の此の三基準同時不定立といふ否定的な矛盾発生論理を継承し、後者は同じ論理を自分の哲学原
理の中に統合して超越論(汎神論的存在論)の一部となし、独自の超越論哲学を打ち立てました。

[註6]
中世スコラ哲学の用語と関係する語彙が、カントーヘーゲルの共産主義の系譜と、カントーショーペンハウアーの
もぐら通信
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超越論の系譜のその後どのやうに継承されて行つたかを統計的に数字で示しましたので、『安部公房とチョムスキー
(9):8。スコラ哲学は21世紀にも生きてゐる』(もぐら通信第82号)の「 2。近代哲学に於けるスコラ哲
学・神学関係用語頻出回数」をご覧ください。

二つ目の工場の中の現場の写真の理論(博士:ドクトル)と実践(職場長:マイスター)の調和
した和やかな姿は、如何にもドイツ人らしいと思ひます。ドイツ人もまた自分自身に再帰するの
が、この織物の古代の大地母神崇拝の心を表した渦状紋の世界に再帰することが良いのではない
でせうか。私たち日本人も同様だと思ひますが、あなたは如何。

初期安部公房の親しき画家の一人岡本太郎は、近代ヨーロッパ文明とは異質な古代日本の縄文土
器の持つ卓越性と美意識と生命力を褒め称へたのでした。東京は渋谷駅京王線の改札口を出て直
ぐ右手の壁に、岡本太郎がメキシコで描いて移設された大きな壁画が掛かつてゐます。岡本太郎
流に言へば、生命の爆発です。あなたも、東京にゐらした折にご覧になつては如何でせうか。あ
なたも「いつの間にか」(超越論)S・カルマ氏となつて壁の中に入つてしまひ、『カンガルー・
ノート』の縄文人になることができるかも知れません。

さて、存在は名詞、存在してゐるものは動詞(現在進行形)。安部公房の読者らしくtopological
に、最後に最初に戻ります。一体何が在るのか?存在が在るのか?存在するのか?存在してゐる
のか?

概念のカテゴリー   定義のカテゴリー  補足説明のカテゴリー
何が         存在するのか?  

存在が        存在する      
存在が        存在してゐる    
存在してゐるものが  存在してゐる
存在してゐるものが  存在する

これらに対しては更に否定形の文があります。

さて、かうしてみても、やはりここに図らずも露呈してゐるのは、言語の持つ再帰性です。我輩
は猫ではない。我輩は我輩である、在る、存在する、存在してゐるといふわけです。

ハイデッガーが、存在を本質性と時間性との関係で考へ、人間を有限性との関係で考へたといふ
ことは、この ー性 といふ訳語からお判りの通り、これは性質でありますから、実は認識の問題
であるのです。即ち、ハイデッガーが書くべきであつたもう一冊の著作の名前は『認識と時間』
といふ題名であつたといふことです。さうであれば、ハイデッガーは大地母神崇拝の心の知る、
神道の中今といふ、時間を単位化して無化する此の日常的な現存在の技術(techne:テクネ)
を体感したことでせう。私のいひたいことは、レヴィ・ストロースのやうに日本に来て、神社に
お参りに行くとよかつたのではないかといふことです。
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リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(29)
   第2部 IV
       ∼安部公房をより深く理解するために∼ 岩田英哉

IV

O DIESES ist das Tier, das es nicht giebt.



Sie wußtens nicht und habens jeden Falls

― sein Wandeln, seine Haltung, seinen Hals,

bis in des stillen Blickes Licht ― geliebt.

Zwar war es nicht. Doch weil sie's liebten, ward



ein reines Tier. Sie ließen immer Raum.

Und in dem Raume, klar und ausgespart,

erhob es leicht sein Haupt und brauchte kaum

zu sein. Sie nährten es mit keinem Korn,



nur immer mit der Möglichkeit, es sei.

Und die gab solche Stärke an das Tier,

daß es aus sich ein Stirnhorn trieb. Ein Horn.



Zu einer Jungfrau kam es weiß herbei ―

und war im Silber-Spiegel und in ihr.

【散文訳】

ああ、これは、存在しない動物だ。
鏡は、動物が存在していないことを知らなかったし、しかし、いづれにせよ動物を―
動物の悠然たる歩行、態度や姿勢、その首を
静かな眼差しの光の中にまで―愛したのだ。

なるほど、動物は存在していなかった。しかし、鏡は動物を愛したので、
一匹の純粋なる動物が存在した。鏡は、いつも空間がそうしたいままにしておいた。
そうして、空間の中で、清澄に且つ上手に空間を無駄なく節約して、
動物は、軽くその頭(こうべ)を上げ、そして、存在することをほとんど
もぐら通信
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必要とはしなかった。鏡は、動物を穀物で養いはせずに、
ただいつも、動物は存在する、存在せよ、あれかし、という可能性だけを以って、養った
のだ。
そうやって、鏡は、動物に、それほどの強さを与えることになったので、

動物は、自分自身の中から、一角獣を追い出した。角一本の一角獣だ。
ひとりの乙女のもとへと、一角獣は、白い色をして、やって来た。―
そして、銀の鏡と乙女の中に、存在した。

【解釈と鑑賞】

前のソネットが鏡を歌ったので、そのままこのソネットでも鏡が歌われている。
鏡と動物と空間の関係が歌われている。

このソネットは、他のソネットには例がないのですが、前のソネットからそのまま主題も
気分も文字の上で繋がっていて、つまり、最初から鏡が指示代名詞で呼ばれているのです。

このソネットでの鏡は、前のソネットと同様、複数形の鏡です。ですから、この地上にあ
る鏡という鏡を想像することができます。この形象は、悲歌2番に出てくる天使と鏡、鏡
に変身している天使を、やはりここでも、わたしには思わせます。

鏡と来れば、空間なのです。空間と言えば、動物なのです。あるいは、動物と言えば、純
粋な空間なのです。これがリルケでした。

鏡という鏡は、そんな動物を、存在の可能性だけでいつも育てているのです。

このような文は、譬喩というのではない、やはり意味するところは、そのところ、そのま
まだ、そのままでよいというふうに思います。

このソネットは、何も解釈するところがなく、そのままだという気がします。

第1連の最後の行、「静かな眼差しの光」とは、動物の目の光だと思います。

その動物の目で見る空間は、悲歌5番第1連では、純粋な空間と呼ばれていて、そこには時
間は存在しないのです。リルケが、rein、ライン、純粋なという意味は、時間が存在しない
という意味です。
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動物や花々は、その空間を観ることができ、実際に知っている。悲歌5番の純粋な空間は、
神とさへ呼ばれています。この神は、もちろんキリスト教の神ではありません。神と呼ば
れえる一般名詞の神です。

そうして、純粋な空間は、開かれている。開かれているとは、外側を知っているというこ
とだと、リルケは悲歌5番で言っています。そうして、その空間の持つ外側とは、永遠な
のだと歌っています。同じ思想は、ここにもあるでしょう。悲歌とオルフェウスへのソネッ
トは同じ時間の中で同時に並行して書かれたから、尚更です。

動物の持つ強さは、こうして悲歌5番で歌われている強さと同じ、上に述べた強さなので
すが、それを話者は、あれかし、ある、という存在の可能性で養われた強さだと言ってい
る。その可能性だけで、鏡は動物を飼育したのです。

注意すべきは、時制は、このソネットでは、すべて過去で、こういったことは、みな、動
かしがたい事実として歌われているということです。

最後の連で、何故一角獣が出てくるのでしょう。このソネットには、リルケ自身による註
釈がありますので、それをそのまま訳して引用します。

Das Einhorn hat alte, im Mittelalter immerfort gefeierte Bedeutungen der


Jungfräulichkeit: daher ist behauptet, es, das Nicht-Seiende für den Profanen, sei,
sobald es erschiene, in dem «Silber-Spiegel», den ihm die Jungfrau vorhält (siehe:
Tapisserien des XV. Jahrhunderts) und «in ihr», als in einem zweiten ebenso reinen,
ebenso heimlichen Spiegel.

【散文訳】

一角獣は、古い、中世にあってはいつも、女性の処女性を祝した様々な意味を持っている。
それゆえ、そこで言われていることは、一角獣が、処女が自分の前に持つ「銀の鏡」(15世
紀の刺繍やつづれ織りをご覧なさい)の中に現れるや、ただちに、世俗の者にとっては、
一角獣、すなわち、存在していないもの(非存在)が存在するということであり、(その「銀
の鏡」と」)「処女の中に」、すなわち、第二の、まさしく純粋な、まさしく密やかな、秘密
の、隠された鏡の中に、一角獣という存在しないものが存在するということなのです。

哲学者や科学者は、時間を欠いた空間など存在しないということでしょう。しかし、ここ
が詩人と哲学者、詩人と科学者の違いです。ないもの、ある筈のないもの、非存在を創造
することができる。存在する、存在あれかしという可能性があるのであれば。これが、詩
人であり、詩だということを、詩そのものとして示しているソネットだと思います。
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もぐら通信                          54
ページ

そういう意味では、詩の中に、詩への批評を含む、これもやはり、外側に開かれた、そう
いう意味では純粋な詩なのだということができるでしょう。リルケならば、このように言
うことができることでしょう。

鏡と女性の処女性をこのように歌うリルケは、これから出てくる花と女性を歌うときに、
男としてその処女性を奪うことに対する罪悪感と贖罪の気持から、エロティックに惑乱し、
それでも自分自身を保とうとしながら、いつものように性愛を歌うときには動詞、すなわ
ち時間を捨象して、時間を越えた純粋な空間の中にあるもののようにして、永遠の形象と
して、花と女性を歌うのです。

それで、次のソネットVからは、花が続けて主題となるのです。

【安部公房の読者のためのコメント】

安部公房を語るときには、リルケの『マルテの手記』を抜かすことはできません。安部公
房は『マルテの手記』を三島由紀夫と共有してゐました。『アスペルガーとしての安部公房:
アスペルガーを媒介項にして安部公房を読む(2):ヴィトゲンシュタインと安部公房』(も
ぐら通信第61号)より以下に引用して、リルケのこの詩に歌はれてゐる顔や存在や鏡や
動物や、動物の内部に棲む一角獣がどのやうな動物であるのかを知つてもらひたい。

「「女はその音で驚いて、両手から顔を上げた。あまりに急激に上げたので、顔面が二つ
の手のなかに残った。僕は顔面のうつろな裏側が手のなかに残っているのを見ることがで
きた。手からもぎ離された顔を見なくて、手に残った顔面だけを見ているのは、恐ろしい
努力を要した。顔面の裏を見るのも恐ろしかったが、顔面がなくなったのっぺらぼうな顔
を見るのは、もっと恐ろしかった。」(望月市恵訳『マルテの手記』11ページ、岩波文
庫版)

三島由紀夫も『マルテの手記』を読み耽つて、この箇所に深く感銘を受けた。安部公房は
『他人の顔』を書き、三島由紀夫は『仮面の告白』を書いた。二人は、三島由紀夫邸の「太
陽の部屋」か六本木のCHIANTIであるか、リルケの『マルテの手記』の此の二行について
親しく語りあつた筈です。以下、三島由紀夫の学習院高等科時代の親友三谷信氏の『級友
三島由紀夫』より引用して、この作家が如何にリルケに耽溺したかをお伝へします。

「此の便りとは関係ないが、思い出したことを書いておきたい。二階の彼の部屋に相当大
きな西洋館の写真がかかっていた。彼の机からみて斜め右手の壁にである。尋ねると、そ
れはリルケの最後の住居となった、かのミュゾットの館であった。ともあれ、高等科の頃、
彼は「マルテの手記」に夢中であった。「男が膝に置いた両手の中に顔を埋めていた。や
もぐら通信
もぐら通信                          ページ55

がて顔をあげると、掌に顔がそっくり冩っていたと云うんだねえ」と感心して語った。そ
の時、こちらを見つめた黒く円(つぶら)な瞳が目に浮かぶ。(略)
 彼は「マルテの手記」の中に挿入されている一角獣と少女のゴブラン織りの写真に惚れ
こんでいた。それを何遍も指で撫でて、「君、綺麗だねえ」を連発した。三島にはそれが
信じられぬくらい美しく見えるようであった。彼は、例によってその本を親切にも貸して
くれた。しかし私には良く解らなかった。」(中公文庫、69∼70ページ。1999年
12月18日発行)

この『マルテの手記』は、『定本 三島由紀夫書誌』(薔薇十字社)によれば、昭和15年
(西暦1940年)2月10日発行、大山定一訳、白水社版の『マルテの手記』である。
成城高校生であつた安部公房も同じ『マルテの手記』を読んだ。三島由紀夫のリルケ熱か
ら言つて、また此の書誌の記録から言つて、三島由紀夫はリルケの作品が訳されれば此れ
を買つてゐるので、この年の前に『マルテの手記』の翻訳出版はなく、後に出るのは同じ
訳者で養徳社から昭和25年(西暦1950年)4月5日であるから。

三島由紀夫は後年『他人の顔』の書評を書いてゐる(『 仮面の男 を主題に―安部公房著


「他人の顔」』決定版 三島由紀夫全集第33巻、208ページ)が、そこにはリルケと『マ
ルテの手記』の名前は書かれてゐない。それほどに、大切な作品であつた。人間の心理と
して、本当に大切な物事は他言しないものである。「1964年(昭和39 年)初めには『浜
松中納言物語』を読み、『豊饒の海』の構想もなされ始め」たとありますから(https://
ja.wikipedia.org/wiki/三島由紀夫)、この年に書いた『絹と明察』にはハイデッガーとヘ
ルダーリンといふ十代に読んだ哲学者と詩人の名前の出てくることから、三島由紀夫は十
代の詩と文学の世界に回帰することが、虚飾を捨てて大切だといふことを、死の一週間前
の古林尚によるインタヴューで語つてをりますので、安部公房と同様に一度は否定したリ
ルケ(『花ざかりの森・憂国』自筆後書。新潮社文庫)をもう一度想起したことでせう。
『豊饒の海』といふ名前は『絹と明察』に引用されてゐる、これも十代以来読みふけった
ヘルダーリンの詩『追想』(『Andenken』)に詠まれるガロンヌ河が遂に流れ入る「豊
饒の海」であり、主人公松ケ枝清顕の夢日記による転生輪廻がリルケの『オルフォイスへ
のソネット』のオルフォイスの「転身」の果てに見る夢物語だといへば、あなたは驚くで
せうか。仏教の唯識論は三島由紀夫の用ゐた様々な意匠の一つに過ぎません。唯識論を幾
ら研究しても三島由紀夫には至らない。安部公房のリルケも三島由紀夫のリルケも、文学
と言葉といふものは、普通の世の人が思ふやうな通り一遍のものではなく(勿論娯楽とし
て読んでもいいでせう、しかし)、誠に言語の藝術家にとつては其の生死を賭けた人間の
命そのものだといふことを深く深く感じるのです。この問題は『三島由紀夫の「転身」と
安部公房の「転身」』と題して稿を改めます。」

『マルテの手記』に叙述されてゐる壁に掛けられてゐるゴブラン織りの中の一角獣の写真
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 56

です。貴婦人に向かつて右に立つのが、それです。

ー存在ー鏡ー乙女ー動物ー一角獣ー空間ー観ることー

といふ概念連鎖があります。

「第1連の最後の行、「静かな眼差しの光」とは、動物の目の光だと思います。

その動物の目で見る空間は、悲歌5番第1連では、純粋な空間と呼ばれていて、そこには時
間は存在しないのです。リルケが、rein、ライン、純粋なという意味は、時間が存在しない
という意味です。」

「静かな眼差しの光」を持つ動物を歌つた詩に『豹』といふ、通称事物詩と呼ばれる詩の一
つとして有名なリルケの詩があります。勿論しかし、他のリルケの詩と変はるものではあ
りません。

【原文】

Der Panther

Im Jardin des Plantes, Paris


もぐら通信
もぐら通信                          ページ57

Sein Blick ist vom Vorübergehn der Stäbe


so müd geworden, daß er nichts mehr hält.
Ihm ist, als ob es tausend Stäbe gäbe
und hinter tausend Stäben keine Welt.
Der weiche Gang geschmeidig starker Schritte,
der sich im allerkleinsten Kreise dreht,
ist wie ein Tanz von Kraft um eine Mitte,
in der betäubt ein großer Wille steht.
Nur manchmal schiebt der Vorhang der Pupille
sich lautlos auf ― Dann geht ein Bild hinein,
geht durch der Glieder angespannte Stille ―
und hört im Herzen auf zu sein.

September 1903

【散文訳】


 パリの植物園にて

その眼差しは、数ある格子が通り過ぎるせいで
眼差しがもはや其れ以上堪え切れないほどに、疲れてしまつた。
眼差しにとつては、恰も千本もの格子があるかの如くに思はれ
そして、千本の格子の背ろに、世界は無い。
しなやかに強い一歩一歩の柔らかな歩みは、
最も小さな円環の中を巡つてゐて、
一つの円心を巡る力強い踊りのやうであり、
その踊りの中には、痺れて無感覚に、大きな意志がある。
ほんの時折瞳孔の帳(とばり)が
音もなく上がる ―と次に、ある形象(イメージ)が入つて来て、
豹の四肢の緊張した沈黙を通り抜けー
そして、豹の心臓の中で、存在することを止めるのだ。

1903年9月

【解釈と鑑賞】
もぐら通信
もぐら通信                          58
ページ

リルケの詩想は、内部と外部の等価交換にあるのでした。これは「リルケの『形象詩集』
を読み解く」(もぐら通信第32号∼第47号)までの連載にてお伝へした通りです。十
代の安部公房はリルケを数学のtopology(位相幾何学)で完璧といつて良いほどに理解し、
自家薬籠中のものとした。勿論、存在論としても。

それ故に、豹が格子の前を巡るのではなく、この詩の主題は既に最初の一行に置かれた豹
の眼差しでありますから、豹は物を見ながら旋回するのでありませうが、しかし眼差しを
主体に周囲を眺めれば、格子の方が幾千と豹の目の前を通り過ぎる事になり、従ひ、

「数ある格子が通り過ぎるせいで
 眼差しがもはや其れ以上堪え切れないほどに、疲れてしまつた。
 眼差しにとつては、恰も千本もの格子があるかの如くに思はれ
 そして、千本の格子の背ろに、世界は無い。」

といふ事になるのは、『形象詩集』にある例へば「四月の中から外へ」に歌はれる次の雲
雀(ひばり)と詩想の拠る論理は同じです。雲雀が垂直に天高く飛翔するのではなく、逆
に雲雀が天を垂直に持ち上げる。

「ある四月の中から

再び、森が匂い立つ
宙に浮遊している雲雀(ひばり)たちは
自分自身と一緒に(自己を以って)、わたしたちの肩には
重かった其の天を高く持ち上げている
なるほど、人は、未(いま)だ数々の大枝を通して、一日というものが如何に空虚であっ
たのかを見たのであるが
(略)」(もぐら通信第33号)

さうして、この最後の二行でも判る通り、「人は未(いま)だ数々の大枝を通して、一日
というものが如何に空虚であったのかを見た」といふことは、豹の「眼差しにとつては、
恰も千本もの格子があるかの如くに思はれ/そして、千本の格子の背ろに、世界は無い。」
のと同じです。

大枝であれ格子であれ、隙間の向かふにあるのは普通に見える物の存在しない何かなので
あり、そこに普通の世界はないのです。

世界は差異であるといふ安部公房のバロック的な認識論については、諸処既述の通りです
が、これを安部公房がこのやうなリルケに学んだといふのもよし、しかし既に全集所収の
もぐら通信
もぐら通信                          ページ59

18歳の論文『問題下降に依る肯定の批判』にこの世に存在しない抽象概念の都市として
描かれてゐる通りのtopologyの視点からリルケを読んでリルケを自家薬籠中の物にしたの
だといつても同じです。安部公房はリルケを自分は論理的に読んだといふのは、このこと
を言つてゐます。

ー存在ー鏡ー乙女ー動物ー一角獣ー空間ー観ることー

といふ概念連鎖を思ひ出せば、動物である豹が千本の格子の向かふにみる存在も、即ち格
子の向かふの外部から、豹の「ほんの時折瞳孔の帳(とばり)が/音もなく上がる ―と次
に」豹の内部へと入つて来て「豹の四肢の緊張した沈黙を通り抜けー/そして、豹の心臓の
中で、存在することを止める」「ある形象(イメージ)」も、そして動物として「宙に浮
遊している雲雀(ひばり)たち」のお蔭で「「人は未(いま)だ数々の大枝を通して、一
日というものが如何に空虚であったのかを見た」といふ未だ時間の終はりの来てゐない隙
間から覗く無時間の空虚も、内部から外部へと出てゆくか、外部から内部へと入つて来る
かは別にしていづれによせ、それは存在であるといふこと、そしてそれは「ある形象(イ
メージ)」だといふことなのです。

「なるほど、動物は存在していなかった。しかし、鏡は動物を愛したので、/一匹の純粋な
る動物が存在した」とある動物は、一角獣といふ「ある形象(イメージ)」であり、存在
の形象であるといふことなのです。

他には、息や風や水が、リルケの存在の形象なのでした。これらの形象は小説に舞台にと、
安部公房の諸作品に登場することは、あなたのご存知の通りです。砂漠、洪水、風(『第
四間氷期』の結末や『カンガルー・ノート』第6章風の長歌)等々。

この存在は、内部と外部の空間の等価交換によつて生ずる隙間に余剰として立ち現れる。

「鏡は、動物を穀物で養いはせずに、
ただいつも、動物は存在する、存在せよ、あれかし、という可能性だけを以って、養った
のだ。
そうやって、鏡は、動物に、それほどの強さを与えることになったので、

動物は、自分自身の中から、一角獣を追い出した。角一本の一角獣だ。
ひとりの乙女のもとへと、一角獣は、白い色をして、やって来た。―
そして、銀の鏡と乙女の中に、存在した。」

内部と外部の空間の等価交換する鏡が動物を養つた。動物には「それほどの強さ」といふ
隙間が生まれたので、さうして此の隙間は可能性だけによつた隙間なので、即ち時間の存
在しない隙間であるので、動物は此の隙間にあつて自己再帰的に自分自身の中から一角獣
もぐら通信
もぐら通信                          ページ60

を追い出すことができた。あるいは、自分自身である一角獣を動物の中から動物が追い出
すことができた。何故なら、乙女とは未分化の実存であり、性の分化する「以前の」(超
越論)neutral(ニュートラル)な存在であるからだ。そのやうな乙女と同じとなつた存在
の一角獣は、かうして乙女のところへやつて来て、「銀の鏡と乙女の中に、存在した。」
といふことができるやうになるのです。
もぐら通信                         

もぐら通信 61
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連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部

(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(2)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ62
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
    真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
    て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
    ①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
    ②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
    ③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
    ④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
    ⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
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もぐら通信 63
ページ
(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少
年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(68)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(69)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(70)Topologyで神道を読む(1):祓詞と祝詞と結界のtopology
(71)Topologyで神道を読む(2):結び・畳み・包みのtopology

[シャーマン安部公房の神道講座:topologyで読み解く日本人の世界観]
(71)超越論と神道(1):言語と言霊
(72)超越論と神道(2):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(73)超越論と神道(3):topologyと産霊(むすひ)または結び
(74)超越論と神道(4):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(75)超越論と神道(5):呪文と祓ひ・鎮魂
(76)超越論と神道(6):存在(ザイン)と御成り
(77)超越論と神道(7):案内人と審神者(さには)
(78)超越論と神道(8):時間の断層と分け御霊(わけみたま)
(79)超越論と神道(9):中臣神道の祓詞(はらひことば)をtopologyで読み解く:
              古神道の世界観

(80)三島由紀夫の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(81)安部公房の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(82)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(83)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(84)安部公房とチョムスキー
(85)三島由紀夫のドイツ文学講座
(86)安部公房のドイツ文学講座
(87)三島由紀夫のドイツ哲学講座
(88)安部公房のドイツ哲学講座
(89)火星人特派員日本見聞録
(90)超越論(汎神論的存在論)で縄文時代を読み解く
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ 64
編集後記

●『鏡と呼子』論:恐らくほとんどの読者が注目したことのない作品ではないかと思ひます。随
分前に全集ご担当の編集者でゐらして『安部公房・荒野の人』の著者宮西忠正氏に言はれて久し
く、今月号で暑気の時間の隙間に籠つて書きました。まあ、読者としてはひいきの引き倒しに
なるでせうが、やはり安部公房美事といふ感深し。時代を超えた作品です。鏡と呼子は、『砂の
女』(1962年)では鏡とラジオとして、主人公が砂の穴を脱出して逃亡するときに主人公の
頭の中で繰り返される(脱出に成功したら砂の女に送つてやらうと思ふ)一対です。閉鎖空間を
監視して封鎖するための一対か、同じ空間を脱出すると手に入る一対なのか。安部公房の創造
する文脈によつて意味は異なります。読者も臨機応変を要す。●私の本棚:永井俊哉氏書評:レ
イ・カーツワイル著『シンギュラリティは近い』:この書評は面白かつた。ウエッブサイトへ行
つてお読みください。もつと数式が引用されてゐて、私には限界がありましたので、この範囲で
の引用になりました。この方の文章は面白い。私はファンです。●安部公房とチョムスキー(1
0):9. ネットワーク・トポロジーで近代ヨーロッパ文明の300年間を読む:今月は休載:
エクセルシートを広げて落書きしてゐたら、ネットワーク・トポロジーで近代ヨーロッパ文明の
300年間の推移を図示できることに気づきました。今月の休載は例によつて例の如し。50
ページを超えたからです。●哲学の問題101(3):何が在るのか?:今の日本の若い人たち
はヨーロッパやアメリカに対する劣等感は希薄と見受けますし、さうであれば良いことです。し
かし其の分だけ、この著者が曖昧にして宙ぶらりんになつて論理的に解決できない共産主義の問
題に対しては無防備ではないかと私は心配します。哲学を日本人である自分自身に学ばれたし。
それ以外に自分の命を守る道はないと、私には、現下の日本が見えます。学校などでは勿論教へ
ず、大人たちも教へない。怠惰に惰眠を貪つてゐた。自分で勉強する以外にはありません。私は
さうしました。もぐら通信が其の一助とならむことを。ドイツの詩人シュトルムの詩の一行に、
俺は/私は眠りたいのに、お前は/あなたは踊らずにはゐられない といふ一行がありますが、ど
つちが踊つてどつちが眠つてゐるのか?さあ、考へてをくれ。●リルケの『オルフェウスへのソ
ネット』を読む(30):第2部 IV:鏡と獣といへば、前者は一生の安部公房の形象、後者は
特に初期安部公房の形象。後者には『夢の逃亡』といふこれも素晴らしい作品があります。この
リルケの詩を契機に再読も一興かも知れません。リルケの一角獣が変形して、何と呼ばれるもの
になつてゐるのか。

次号の原稿締切は超越論的にありません。いつでも
差出人: ご寄稿をお待ちしています。
贋安部公房
〒 1 8 2 -0 0 次号の予告
03東京都
調布
市若葉町「 1。私の本棚:建築学会論文:安部公房の作品にみる視線と空間のイメージ
閉ざされた
無 2。火星人特派員報告
限」
3。哲学の問題101(4):自然:何故私たちは自然を保護しなければなら
ないのか?
4。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(31)
5。Mole Hole Letter(11):超越論(6):安部公房の女性の読者のため
の超越論
もぐら通信
もぐら通信                          65
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくた その共有を喜びとするものです。
めに、 安部公房縁りの方、有識者の方など 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、
に僭越ながら 本誌をお届けしました。ご高 もぐら通信の編集及び発行を行うものです。
覧いただけるとありがたく存じます。(順
不同)  【もぐら通信第85号訂正箇所】

安部ねり様、近藤一弥様、池田龍雄様、ド なし
ナルド・キーン様、中田耕治様、宮西忠正
様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 訂正の場合には、Googleドライブには訂正後

潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓 の最新版を差し替へて置いてあります。

一郎様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行
様、内藤由直様、番場寛様、田中裕之様、
中野和典様、坂堅太様、ヤマザキマリ様、
小島秀夫様、頭木弘樹様、 高旗浩志様、島
田雅彦様、円城塔様、藤沢美由紀様(毎日
新聞社)、赤田康和様(朝日新聞社)、富
田武子様(岩波書店)、待田晋哉様(読売
新聞社)

【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ
ア図書館、「何處にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集
と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜びを見出す
ものです。
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
とするものです。
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

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