You are on page 1of 7

著 者 略 歴

大正15年名古屋に生まれる 昭和26年東京大學文學部(印度哲學科)卒業 かって 東京大學文學部助手•同朋大學講師•東海學


園女子短期大學教授•カナダ國トロント大學 客員教授•名城大學教授•愛知學院大學文學 部教授•同文學部長
現 在愛知學院大學客員教授•パーリ學佛教文化學 會會長
昭和37年文學博士(舊制)
昭和41年本書によって日本學士院恩賜賞受賞 平成10年文化功労者
著 書『釋尊』『佛教要說——インドと中國——』 『現代ス リ ラ ン カ の 上座佛教』(編著)その他 現 住 所 名 古 屋 市 中 川 區
前 田 西 町 1 丁目904番地
原始佛敎聖典の成立史研究 定価本体15,000円
昭和39年3月31曰第一刷發行 平成11年6月30日第七刷發行
著者© 前 田 惠 學

發行者 淺 地 康 平

印刷者 小 林 裕 生
發 行 所 株 式 會 社 山 喜 房 佛 書 林
〒113-0033東京都文京區本郷•東京大學赤門前 電 話 03 (3811) 5 3 6 1 番
振 替 00100 - 0 - 1 9 0 〇番
ISBN4 - 7 9 6 3 - 0 0 6 3 - 5
第三章小部原形の成立 七一六 (一).他の部派でもudplnaを傳えていた形跡があること、
(ニ)九分敎の形式を採っていること、
(三)Dhammapada, Itivuttaka, suttaB.pataに比してudplnaの內容が必ずしも新しいとは言えないこと、 等よ

り推して、udplnaの原形を部派分裂以前におくことは、決して不都合ではない。ただもちろん今日のuda- naはその
後の變化を受けたもので、最古のままの姿ではないに相違ない。本經は九分敎の中にudplnaの項が
(51)
あるのに應じて、セィロンで三藏中から拔抄されたものであるとの說もある。しかしそれほど新しくは考えられ ない。
偈文部すなわち本来のUdanaと因緣物語を述べた散文部との間には、距りがあると考えられている。M. wines?)
ternkzによれば、udplnaの物語の編者と偈の編者とが同一であったという印象は少しもない。散文の物語は一 人ある
いはそれ以上の註釋家が案出したものか、もしくは他のテキストから引用したものであるが、UdSnaの 偈は眞の古代佛
敎徒の詩に屬するという。またH. weekhもUdanaの偈には佛陀みずから述べ、佛陀の實際
(53)
生活に應ずるものがあると論じている。
54 )

G. c. Pandeによれば、udplna中の偈文は文體と思想において全く同質のものであり、古さを示す特徴を多 く具え
ている。一般に韻律は不規則であり、古いという印象を强める。稀ではあるが、古い語形も現われる。言 語は單純•明
解でカ强さがある。suttanipwltaよりはDhammapadaをしのばせるものがある。他方散文部は、 一般に個々のudan
aの成立事情を說明する註釋的な役割を果している。時には散文の物語は、つづく偈文と極 めて關係うすく、ある場合
には全く關係がない。さらに內容的に見て、成立の新しいこと明白なものが少數ある。
恐らく純粋で古い散文はきわめて稀である。要するにUdanaの偈文は、同質の古い層に屬し、散文部は大部分 新
しくして、 異質なものであるといぅ。
もともと udplna形式にとって散文部は、偈文部が單なるgathfalやgeyyaではなく、udaaaであることを 說
明する部分である。從って註釋的であることは當然である。このことを理由として散文部が偈文部より新しい と、主
張することができないのがudplnaの特徵である。なぜならば、一般にudanaは散文部がなければ、他 のgathplと區別
することができない。從ってudanaと言われた時には、散文が附随していたはずである。聖典 udplnaの中にも、やは
り古い散文も多少はあると考えられる。
C55)
三 Itivuttaka (如義 )
1tivuttaka (Jtiv.)はKhuddakanikplyaの第四經である。パーリ聖典において本經をsvuttakaと稱する のは、全
く經典形式上の結構にもとづく。すなわち、本經は一節毎にsti (如是)の語をもって結び、次の節 はく uttaih hetaih b
hagavata vuttam-arahatS ti me sutarh.(げに世尊は說き、應供は說きたまえりとわれ聞 けり)にはじまる形式をと
り、この首尾を合してItiv£takaと稱するにいたったと考えられる。各經すべて散 文部と偈文部より成り、九分敎で言
えばsuttaとgplthaとが重頌の關係において組み合わされたもので、geyya の一特殊形ないし發達形である。九分敎i
tivuttakaの主たる内容を形成するものと考えられる。『摩訶僧祇律』 卷三ニに「如是」の經名を記しているところか
ら、大衆部系でもItivuttaka相當經を傳えていたのであろぅ。 また『四分律』卷五四の「本經」が1avrsakaに當ると
すれば、法藏部でも相當經を有していたことになる。
第二節小部の成立各論(一) 七一七
第三章小部原形の成立 七一八 現存する相當經典としては漢譯『本事經』(七卷)がある。西麿六五〇年玄奘の譯したもので、
有部系所屬と言
■ (57)
われている。本事經の名はitivyttakaに當る。しかし內容から言えばityuktakaである。各經すべて「吾從世 尊聞如是語」で
はじまっている。
パーリItivstakaの組織を見るに、四集(nipplta)より成る。一集は一法を說いたものを集めて三品ニ七經、 ニ集はニ法を
說いたニ品ニ四經、三集は三法を説いた五品五〇經(ただしそのぅちItiv. 9C0はニ集に入れるぺ きものであろぅ)、四集は一品
一三經を含んでいる。各小經は序•散文•偈文•結尾の順序で述べられる。
これに對し漢譯『本事經』は三法品より成り、一法品は卷ー、卷ニの六◦經、ニ法品は卷三ないし卷五の五〇 經、三法品
は卷六、卷七の二八經を含む。計一三八經である。卷による分類は必ずしも内容に卽しない。各法品 の中はuddSnaの示す區
分によって合理的にいくつかの〈章〉に分けることができる。
一法品 通し番號 一 章 一 二 經 一 — — 1 2 ニ 章 一 二 經 1 3 — — 2 4 三 章 一 ◦ 經 2 5 — — 3 4 四 章 一 三 經 3 5 — — 4 7 五 章
一三經 48 -------------------- 60
ニ法品
第二節小部の成立各論(一〕 七一九

■涟 端 7
Sn m
r
w Sn r Sn

W Q
蝴 ? 窗
謅 謅

一 —
—— -

- - to to
一 00 CO

00 一. 仏 tfu.

Is
Oi Ol

CT
CJi
)

00 00
C
ご CO
O
i

i
ご H »-* -
IN
to
D
ほ 02 CO
一 に 仁

to 一. Ol Ol
Ol Oi

-

广 *-■ 00
00

S 一 5の
一 to ド
h •

卜一 to 1 口: —
h-

x
bo tND
ND

K 一 ts2
CO
CO

ico
to
私 仏
to Ol
Ol
cn tND cn
O)

to

to
肖 尚
00
is
IND l>0
C
X5
一章一二經 61——72 ニ章一二經 73——84
三章ニー經005——の6
四章一四經 97--------------------- 110
三法品
一章一三經 111——123 ニ章ニー經 124——135 三章 三經 136 138
『大正藏經』本には各經に番號が附されていないが、「吾從世尊、聞如是語」の冒頭の語に留意すれば、簡單に一
(59)
連番號を附することができる。右の通し番號は、それを示している。各章大體一二、三經から成るが、三法品の 第三章
のみ三經であるのは、恐らく最後の部分を散失したものであろう。
今パ!リを基本として、これに漢譯を對照して示せば、次の如くである。
0か沙づハ铨己涔 洱 咩 邻 遄 犛 咚 e—^;。 HさrtンrArtv钭唞咚翻澥 H锫汴阱
>

£Z -
d n.d SI'd 9.d X X 0Z -d X X X X X X i6 02I
1
I * £I £
I £
I zsrd 92 .
(
NV •NV •NV ■NV in I
•P d •N

*NV V I
尹0
Zll TIT Oil 601 801 ZOI 901 901 1 SOI 201 101 001 66 86 L6
ST Zl II 01 6 8 L 9 s S z I 01 6 8
X HI X X X Z6 SSI X X TOT 9ZI 0 Z£l 981 X ZSI X 9ZI LZl TIT X ZZl X PZl X X X X X X X X oT "?9
01
IT IT TIT ii IT it it II n i a i
i •i’ i i
i I
j

96 96 歹 6 86 Z6 16 06 68 88 Z8 98 98 歹 8 C8 Z8 T8 08 6Z 8Z LL 9L 9L u SL ZL u OL 69 89 Z9 99 S9 尹 9
L f f
L 9 9 S
2
T
01 6 8 9
S
8 2
I
01 6 8 L 9
s s
z I
01 6 8 L 9
9

A At ni
Iff' l'
1
O 1S 601 0 08 68 18
X
ST X m T X X X X X X X X X 6 SL X 58 X 06 91 98 X Ci U 28 89 L9 OL 69
II
U rn u IT IT II i a [i IT
i IT i

S
£9 Z9 19 09 69 8S L9 93 Q f9 8S 29 IS OS 6P 8f Lf 9f 9f n £P Zf 0^ 6S 88 L2 98 ss n ss 2S 18 OS
8 Z T 01 6 8 L 9 S f 8 2 I Zl II 01 6 8 L 9 9 f 8 I 01 6 8 L 9 S P s
II i u
I i if
QUA-
WgtS 逮 缅 琪 令 擁 ! 1 ! 铖
法 品 章
法 品 單 位 の 經 數 通 し 號

番 號
123456789 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29
14 15 24 20 21
18 19
23
30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47
48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60
12 3 4 61 62 63 64
9 10 11 13
12
87
27 17 16 26
1
25
28 29
5 6 7 8 9 10 11 12 65 66 67 68 69 70 71 72
13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 73 74 75 76 77 78 79 80 81 .82 83 84
25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96
I
iv
37 38 97 98
32 33 30 31
36 35
44
47 45 34
42 38
46 40 91 48
39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123
87 87
49
78

m
16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138

80 79 62 85 60 90 84 82
鵷 n騄 令 锸 砟 猸 〇 )
97 59 76
叫 I !
14 15 124 125
74 86
第三章小部原形の成立 七ニニ
今パ漢對照表について見るに、パーリIr+iv. 1—5:漢譯13—100、パーリ9—13:漢譯35—40、パーリ100—2
4:漢譯3丨12、パーリ200133:漢譯61—70等には、いくつかの經典群を見出すことができる。このことは兩
本が全く別種の異本でありつつも、やはり共通の源泉から出たものであることを示している。パ漢いずれが本源
の姿に近いかと言えば、内容的にはパーリの方が原始の姿を多く留め、漢譯は複雜となっている。しかし經典の
組織の上では、漢譯の方が_然で合理的な形をとることが多い。
パ漢比較して最も顯著な事實は、パーリには四集があるのに、漢譯に四法品のないことである。漢譯は最後の
部分が散失したと思われるから、かつては存在したと考えることもできようが、やはり最初からなかったのであ
(61)

ろう。『大唐内典錄』卷五の記すところによれば、『本事經』は當時から七卷であった。これは現在の卷數と同じ であ
り、散失した部分があるとしても、その量は極めてわずかであることを示している。それ故漢譯には、最初 から四法品
がなかったと考えられる。内容的にはパーリ四集は、增支部に類似の經典を見出すことが多い。Itiv. と增支部との間の
貸借關係は、にわかには斷じえないが、Itiv•もまた法數によってまとめたものであるから、
增支部に類似の經典が見出されても不思議ではない。しかしパIリ1tiv.自體にとって四集が後世の附加であろ
(63)

うてとは、疑いえない。パーリ四集は分敎itiviittakaとしての形式完備せず、經首の定型句のみならず、重頌 の關係を
示す定型結合句をも缺いている。完備しているのは、ただ最初と最後のニ經(Itiv. soおよび112) だけである。このこと
も後世附加の推定を强める根據と言いうる。
次に注目されるのはパーリ三集である。漢譯三法品は三章から成るのに、パーリでは五品ある。しかるに五品 のう
ち、初三品はitivvittakaとしての形式が完備しているのに對し、第四•第五のニ品はやはり品の最初と最
後の經(Itiv_ 80, 89および90, 99)のみにこの形を見せ、他の諸經(Itiv.sl—0000;91—98)は經首の定型句並 びに重頌の關
係を示す定型結合句を缺いている。こんなところに本來三品であった名殘りが殘っていると見てよ いであろう。しかし
第四。第五のニ品には、初三品よりむしろ多く漢譯相當經が見られるので、このニ品が後世
64 )
の附加であると考えられるにしても、注意すべきことである。いずれにしてもパーリ三集と四集には多くの附加 が含ま
れている。
後世の附加增廣は、もちろんパーリだけでなく漢譯にも多く含まれているであろう。漢譯では、その組織の全
體にパーリ相當經が散在するという現象を呈している。これに對しパーリでは、漢譯相當經がー集とニ集に比較
的よく集まっている。このことはパーリの一集とニ集とが多少古い形を保持していることを示唆するものであろ 6

5 )

う。G.ppandeによれば、パーリItiv.の發達は少なくともニ段、さなくば三段に分けられるという。第一段
は一集、ニ集と三集の前半であり、最後段は四集である。この分け方はほぼ妥當であろう。
Itiv.の聖典としての成立についての見解は、學者の間にかなりの相違がある。T. W. :Rhys Davidsは佛陀入
滅後ァソーヵ王までのパーリ聖典の發達を一〇段階に分ち、Itiv.をその第八段に位置せしめ、udplna, Dham-
(66)

mapada等よりも後におき、Niddesa, patisambhidaと同段階としている。これはかれが本經をあまり古くは考
えていないことを示している。赤沼智善教授や美濃晃順師は、もっと新しいと言う。赤沼教授によれば、恐らく
(67)

今の聖典Itiv■はセィロン上座部の作であろうという。美濃師によれば、Itiv.はセィロン島内で初心者の法相

入門書として作られたものである。その文學形式と經名は九分敎のitivuttakaに準えたもので、その内容は決
(68)

して信じうるほどの古典性がないという。
第二節小部の成立各論(一) 七二三
第三章小部原形の成立 七ニ四 しかしこれは現在形についての論とすればとにかく、原形についての論としては受
け容れ難い。本經が聖典と してー應の形をもつようになったのは、かなり古いと思われる。もっとも>• J. Edmunds

のように、Itiv•に
(69)
して佛陀の直說でなければ佛陀の直說なるものは存しない、とまでは考えられない。しかし古い材料を用いて、 セイロ
ン渡來以前インド本土でその原形が形成されたことは疑いえない。もし1tiv.がセイロンで形成されたと すると、漢譯に

『本事經』の存在する理由が說明し難くなる。宇井伯壽博士も古く考えられ、聖典〗tiv.を九分
(70)

敎itivuttakaの内容に比定された。漢譯『本事經』が有部のものであるとすれば、パ漢一致の原形は、上座部 の起源以
前に溯りうるわけである。大衆部系でもこの種經典を傳えていたようであるから、恐らく四部四阿含成 立の頃、あるい
は部派分裂の前後には、1tiv.の一集ないしニ集、一法品ないしニ法品を中心としてある程度ま とまっていたであろう。

今九分敎との關係を考慮するに、geyyaやudplnaのような他の多くの支分とは異なり、itivuttaka形式の經 典
は他のニヵーヤの中にほとんど見出すことができない。これは聖典^<-.の特殊性を示しているが如くに見え る。しかし、
いかなる事實を意味するものか、明らかではない。敢えて推測するならば、法數に關係するgeyya を聖典中から抽出し

て編集し、これにitivuttaka的特徴を加味したのであろう。itivuttaka形式は、この時案 出せられたものであって、古

くから廣く聖典に用いられた形式ではなかった。それ故聖典Itiv.を傳えていない 部派では、分敎itivuttakaの原意を忘

失し、あるいはこれをitivyttakaと解釋するような傾向も生じたので あろう。

聖典Itiv•の散文部(sutta)と偈文部(gatha)との關係についても、いろいろに言われている。もともとItiv.
はgeyyaの一種であるから、散文部と偈文部とは重頌の關係にあり、同一思想のくり返しであるか、または多
少相互に補足し合う形をとっている。しかし散文中の思想の方が機智に富み美しいとか、散文の中には個^的調
<71) /

子が現われることがあるが、偈文にはこれがない、と言われる。散文と偈文との間に、新古の差を認^^る學者も ある。
聖典Itiv•の成立を新しく見る赤沼敎授も、このうち偈文に關しては、佛陀入滅後數十年にはありえたと
(72) ( 73)
考えている。J. H. Mooreは散文について、それが多くの場合偈文の註釋であり、後世の附加であると論じた。 1tiv.
がgeyyaの一種であり、その本質が〈重頌〉にあることを知らない人が、このように解したのも無理から ぬところであ
る。しかしItiv•が散文と偈文との結合を本質とするものである限り、散文にも偈文と同樣に古い ものが多いことは當然
である。パ漢一致する古い部分においては、その散文も價値の點でも古さの點でも偈文に 劣るものではない。M. Win
ternitzによれば、古代の散文に後年の偈文が結合せられている場合もある。ただ
74 )
散文が偈文の一種の註釋のように見える数章は、後年に添加されたものである。一般に散文と偈文との間に、内 容的に
重頌の關係がなかったり、兩者矛盾している場合には、後年の附加が行なわれたものと判斷してよいであ ろう。
2 (75)
四 suttanipplta (經集)
suttanipPJIta (sn.)は Khuddakas.kaygL の第五經に位置する。Uragavagga, 0Qlavagga, M^ahava
gga, At^a- kavagga, parplyanavaggaの五品七ニ經一一四九偈より成る偈經である。そのうち一七經は、偈のほ
かに散文を 含んでいる。ー經中の偈は多く內容的なまとまりを有し、同一時に説法せられたものであることを示してい
る。 第二節小部の成立各論(一) 七ニ五

You might also like