You are on page 1of 314

-

--
--
-
--
--
- -
- --
-
- -
-
- --
-- --
--
-
-- -
-
--
-
- -
--
-
-
------ --- -
- -----
-
------
-
--
---
-
----
--
----- --
--- --
-

---
-

-
-
-

-
-


- 寺ェ
寺 - -
-

三 -
-
-

-
寺ェ -
-
-
-
-
-

- -

-
ェ シ
-

-
毒 -
-

-
三 -
霊 --

-
-

--

-
-
-
衰 -

エ-
---
-
ェ 三
ェ霊

|エ
-
-
-
---
--

----

-エ
-
--
---
--
-
--
-
-
-
--
『7シ* *すi
國民教育の思潮
ーー
修身訓練の根本問題)
*
-

東 京 教育 研究 倉 務行
-」
シ」
教育 研究 倉 発行

\
文學 士 < {水 議 者
(~ ~ // ン
︽《︽〉
- ~ 」

arヴy

T國民教育の基礎 を築することは小學校教育に於ける根本問題であつ て、 文家
陈友が 社會教育に於ける重要なる任務である。 然るに小學校に於てこれに封する方
法は果して撤退して居す、 家庭及び社會はそれに充分の任務を盛して居るであらう
か。 愛ムペ«VĚ戰大 馬德道德の混亂を本社 る現代の社會に於て、 新しくこれにつ
いて考 へ 見る必要はない であらうかº
本書はその問題に関して論究せられ戻る思想を紹介し此制する と共に著者が考
て京 る教育方法を放送し、 教師、 父母方主國民の指導者 へ の参考資料に似せんとし
て執筆した。のである。 本書下統は既に諸羅語に公にしたものであるが、 上游 指
作ってそれを開にするものであるから合せて関銃、 北正の勢を題はらんことを望む
で止め ないº
大正 十 二 年 三 月 1 日 著者 議
國民教育の思潮 目次
(修身訓練の根本問題)
よ 第
第一章 緒 論i・・・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一、人道を愛國心 11、急進派と保守派 三、本書の企圓
第一 一章 國民教育思想の発達 。。。。。。。。。。。。。。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』・・・・』・・s ・・・
第三章 國際教育と國民教育 Q 。。。。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一、戦前戦後の状況 二、デュキーとウェルス、及びへーワード、
三、ウキリャムスとストックス
• • • •• • • • • •• • • • • • • • • • • • • •• • • • • • •• • • • • • • • •
第四章 國際教育 と國民教育 •g
| 249クレシン シュタイナー 11、 ナトップ さ m ーナスコージ
三r 1 2 ンユ
*: |0
第五章 思教育と國民黨་
第六章 界民道德の愛達·་ 二
| 國發 的要素 11、 宗教的要素 |、 道德的要素
•. •••••••••••••••••••••••• • • • • • • • • • • • • 二人
第七章 國民教育の方法་
~ № 11 名化 二、 個性化 倍、 合理化工、 行動化
|0
第八章 羯民教育と教科·་
~ &身 11、 男爵 、 農民 間、 地理 五、 體機
... •••••••••••••••••••• ** ************* 元
第九章 國民教育 と家庭
社西會

教育
國民


用心
國民

國西
哥”。•
.




二 第

1

教 •







|

思び
社會
原始
主義
人文想





|



教六

現関
結語 國民
發育
時期

< 本の

けA

自に
的 热

新-
欧覚る邦狀育米 主義、
國小

教際家人義育
主思想
章 的
章 第
三 新
J
-

歌第

教意舞


•10

國民主義 の教育 • • • • •• • • • • • • • • • • • • •• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •



國民的思想過將の方法 • ••• • ••••• •••• • • • • • • • • •• •• ••• • • • • ••• ••• • • • •
一些

特許

|







|




方 法
力説酷 五、新方法の長所さ短所 六、思想と威情と行動 七、修身
教授及び教訓書 八、歴史教授及び歴史的讃物 九、國語教授及び一
般の譲物 十、行動に訴ふる方法施設
● ● ● ● ・・・・・・・・・・・ ・sese・・・・・・・・e・・・・・・・・・・・・・・・・・。。。。
三四
第五章 國民道徳の宗教化

者三教国
宗三
説達 教育


e

第六章
発々三
學の

宗教 四 。



第七章
第八章
第九章 國民教化の 一 考察
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。。。。。。。。。。。。。。。
三毛0
三毛先
第十章 修身教授論 の批判と 主張i
目次 終
國民教育の思潮
修身訓練の根本問題
上 篇
第一章 緒 論
一人道と愛國心
吾々は平和を愛し人道を尚ぶ。東西相橋り、彼比相済して人文に貢献しなければ
ならぬ。偏狭なる排他心、敵憶心、國民の利己心が世界の平和を機側し、人道的㎞
碑を害ふものてあるこをはいふ逸もない。か\る傾向が従来の教育にあ。す。
らば1德宗に存在すると さは明らかである1それを除かなければならないº ॥
際教育の思潮はその監に於て起るべくし て起 つなものであるº 供しながら人道主義
者の成者が主張する知く、 愛國心|正常なる愛國心は平和% 人道とのために絶滅
すべさものであらうかº 國民の正常なる生存の構利、 向上發展の飲水を捨て く直に
人類の共同開結に急進し得、さものであらうかº 國際教育の主唱者 もその多数はか
(みないであろう。 個人が社會の中に自己を主張し、 現し、義大し 、他人。
協調し物力して社會に貢献する知く、 國民もホその生存の構利を主張し、 人間の幸
職を事業し、 國民の特性を務展し、 他國民% 相機 へ て人道のために貢献すべ さであ
らうº 們人の薬師を完成する ことによって就會國家に貢献し得るが狗(、 國民の文
化を務展する ことによって人造に設し得るのであるº 個人に自覺さ 德立とが必要で
ある知く、 國民心國家とにもそれが必要であるº 利己 心、 排他心を擁正するは個人
の教育にも頭民の教育に も必要であるが、それが 変わに正常なる自己主張、御立志、
名學系、 自愛、 國民心を構築 せんざするが加さは、 理想的にも現實的にも不合理 の
そこである。 自己的現によりそこそ、 社會は向上し、 國民文化の発展によりて~ų
世界文化は進步し得るのであるº
現時效~~して知った国民主義の傾向の中には、 たしかに関民的利己心、 吳人體
排斥の不純なる分子を含んておるやうに見える これは必ず人道的精神の陰、 カ
能によって舞わなければならgº 陋的副主義 國陸的國民教育 は同民間約の
非機に立つて協調、 他愛を主張するものであって、 極めて合理的であり、 貨幣的で
あるが、 世界國家主義 の主張者中には人道の基礎として自愛、 日發r 姊立志、
愛國心を人道のための妨害人 見るものがある。 彼等は基礎を離れ て理想のみと送。
て居る。 彼等の運動にも関誌的利己心に向つて警告する意義は十分あるが、 それが
我心に人道 へ の件なの国民心、 正常なる愛國心の教養を思る く際のあることと見 *
逃してはなら近。 本書に引設する ストック スの論の知さは人道 へ の修作»して愛國
&於防省でなく て被派なる ことを論じて居る監に幕式、さである。 ライの知さ3國 |
*
民心から世界 へ の道をカ說して居る。 本書がこれらの思潮を紹介し地利しゃうと
„3日的长圆民的利己心の橋正 と共に本模なる人道主義、 根底なさ人類發の主張
の撃を指摘する郡にある。
李和 人道への道は利己心、排他心の除部であると共に基礎, 根底としての正し
„國民心、 愛國心の教養に存する。 愛國心は利己でなくて他愛、 李代、 様性、 武
さわるo 2た世界に養大したるものが人類縁であり、 人道の質現である。 ベスタ
『 ソチが家庭心を以て社會心、 宗教派の基礎»したのはそれである。 同民教育の基
種 と愛するは草に日本國民と國家さの 幼少のみでなく、 ライの所開國民心から
世界 へ のためであるo 本書が国民教育の基礎としての国民通信を論述し、國民數
育の方法を説(所以も売、 沈して帰族なる利己心のためてはなく、國際的國民、 人
道と平和とを愛する国民の教養のためである。
二、 急進派 と保守派
從漢の国民教育|本書に於て用心る国民教育の文字は小學校令にい。 所の風景
教育の意義で、廣義の国民の教化の意味ではない—方军令の国民教育の御宅
に利己的友不純の分子を含む ときは前部にも述べた。そしてこれを縦する急進派
の運動の意義ある とと、 しかもそれが格す 場さ業をも述べた。本書には次性 で º
具體的に通、そそれに封する保守派の意義とそれが格す場合 衆をふあべて見º
思よº
麥隆信頼なる愛國主義者の中には本和と人道とを無視する議論をなす 。の人多S
ここに事實である と とに急進思想家は人道主義、 本和主義のためにトッターイの
やうに愛知心月てを排斥したり、 様性的精神—國家のための—を、 従ってか
13後村と人類發の教材で全く設さ線へやうさする。 かくる企ての不合理、 不自然 e
である ことに前にも述べたが、急進思想家の中にはそれを企てる人々が可法。多い。
初論それも警戒の意義は十分あるが、直にそれを以て改善の質際的指針を考へるな

らばそれは大なる誤である。彼等はいふ、我が国の忠君愛國は戦争に於て名誉の戦
死をすること\のみ考へられ、國定教科書はか\る教材の充満にすぎると。か\る
戦争に於ける犠牲心とスパルタ時代の愛國心を教材をするは時代錯誤であるさいふ
のてある。吾人も固より現行の教科書を以て少しも完全てあるとは考へないが、か
\る教材を有害とする獣については教育的見地から賛同することが出来ない。ライ
は世界心への教育を十五歳以上として居るが、質際に家庭心、愛郷心、愛國心から
人類愛への過程は見童の発達段階に合すべきものてなければならぬ。又最も考ふべ
きは、愛他心、犠牲心への教育の方法として、そして年少の見童を封象とする以上、
現質化、具鶴化、直観化は第一原理でなければならぬ。名誉の戦死はか\る献身、
奉仕の精碑のあらはれとして見童に強く響き得る好個の教材ではないか。大人、成
人、青年に教へ得る抽象的、包括的説明が見童に加へらるべしと考へるのは、教育
に闘して無知なる人である。彼等の主張は、人道愛への熱烈なる精碑は吾々の認む
るに客ならざる所であるが、彼等はその主義に熱烈なるの極、基礎を根底と方法と
を忘れてみる。ルッソオは『エミール』 に於てスパルタの母を噛笑してみる。しか
しそれはへ ルデルをしてエミールを國民見童たらしめざるべからずといはしめて居
るてはないか。義理と人情をの葛藤の直観的な場面、そこに義理を撰む道徳心のあ
らはれの澄測たる光景、それは國家へ、人道への犠牲心が躍如をして見童に威得せ
られるのではないか。この際に國家に封するものを止めて、人道に封するもの例へ
ばキリストを説けといふ者は、見童心理を教育とを心得ざる門外漢の忠言であり、
基礎を忘れて人類愛のみを説く急進思想家の手段錯誤である。
急進的思想家の中には平和主義のために見童の興味を有しその中に犠牲心を溜養
し、志気を鍛ひ得る冒険談をも取除かうとするものがある。彼等はいふ、質質剛健
は軍國主義の産物なるが故に教育上取り去らるべきものであるを。誠に驚くべき立
言である。軍國主義が平和と人道との敵であるこをは論がないが、質質剛健が軍國
Q
主義のみの産物であり、軍國主義によらざれば養ひ得ざるものであり、又人間の生
活に質質剛健を排庁して文弱に流れざるべからずとは全く受け取れぬ事柄である。
責任、協同、犠牲、それらは剛健の精碑を有せざれば能はざることである。質質な
らずんば、個人も國家も世界も苦しまなければならぬではないか。
吾人は初論彼等が警戒する方面を認める。彼等の忠言を甘受すべき保守派の存在
を熟知して居る。國民的利己心、排他心、軍閥心、それらは保守派の陥り易き弊で
あって、現代の國民教育の思潮の中にそれが存在するならば、それを焼正すべきは
前節にも述べた所である。たゞそれの貸めに人類愛の基礎をも無くする結果に陥る
のは愚てはないか。國民は自ら統治することを寧ぶべく、博説と環境をに盲目的た
るべきではない。急進派がこの獣に警戒する意義は十分にこれを認めるのてあるが
現質と人性とを無祀するこをに賛同することは出来ぬ。
保守派の運動はこの話に意義があるº 理想の質現は現實と人性~から出立すべく
現在は過去を使敵との職級であることを忘れてはなら近。 湖邊の知成した社會
に於ても得教と過去と國民性とから集さ上げやうそして居る。 ナトップさ 《 ºその
點を見て居るo 理想は現實の中に働かなければ高裁がないからである。 なく使敵人
香情»はど と進も理想によって改造しなければなら 。
徐々に保守派の解としては過去を以て理想とし、 德統を以て手上の 。のºし、 自
脚と以て理想的のものとする領があるº 過去は現在の出立野 であるが、 未發達のº
のであり、 傳統は改造せらるべきものであり、 自國には理想的の のがある大化
鉄路を有して居ることを自覚しなければなられ。 その監に近時の国際教育及び國民
教育の武湖から保守派が事长、 多くのものがある。 随其~德被º間科大 拿大º法
保守派の解である。
併しながら保守派の運動の意義は息れてはなら 。 精靈址られさる思想運動が外
奈したと 、 それを含水し此刻し特被せるものとなすが あには保守的思想が大な
0
3亿日と廊(o 國民的存在を始 てく貢現せられざるな 組へ赴かんとする急進歩を -
警戒するものは彼等である 非建さ現實さ、 傳統を素質~を忘れざる意味に於て彼
等の いふ所も優勝すべさである。
三、 本書の企圖
以上會達した立場から見て、 今日の修身前線は国際的精神—國民~國家の立場
からせる1の教養にもr國民教育の基礎の順にも決して理想的のぶのではない。
それは教育家も 一般人士も認めて居る事實てある。 或者 は国際主義に心都し、 或者
は帰がる愛國心に固執し、 共に新しい者自然的、 合理的なる敵後方法を考 《 º
ないo 校に関民教育, 乃至國際的國民教育、 成は文國際主義の教育の思潮について
反省し、 新教育方法の水陸する教養によって修身前線を徹底するそºた職すべきは
散ていふ海。ないo 本書はとの戦に反省の資料となり、 方法の指針として何等が武
就すべさであらうと思 よº
この修身副線の被應は軍に教育家の軍校教育に於ける努力のみで足れり としない
ことは勿論であるº 集裝上と社會,とに於ける頭足教育に後ろ,ところが大であるº Jれ
本書上德の末部に於て論述しやうとする のであつ て、 教育家の考慮がそこに向~&?
さと共に、 家庭の教育者なる父母,と社會の教育家なる有識者 の注意を望んで止めな
いのである。 次産は教育の源であり、 就會は教育の完成所であるからであるº
第二章 ॥教育用紙の紋達
ſ國民教育の基礎 は武松政協調のためにも認民の向上のためにも始從やられなけれ
ばならgくは東に述べたのであるが、本にはかくる国民幣の思想の後継を
尔し、 その中に世界主義、 國際主義の出現をも頭みて現代に於ける思潮の根源を明 :
にしやうと思 よº
原始赴倉の教育を見るにそれが國家といへない時代に於てもその間 のシ 2]
1
合のための宗教風習の教育、外敵に封して獅立を保っための武育があって、。
タなどが市園家を形成した場合にそれが國民教育てあったのである。そ***

へる宗教風習の教育であり鶴操は全く武育であった。
併し発達せる赴倉に於ては國民教育は教育の全部てはない。道徳教育と一シ
技能の教育が要る。落に希臓の文化が進むにつれて音楽科は文學哲撃を合み、シ
科は競技を身鶴そのもの、修練をなった。面して美的、主知的(百科的 、個人主義
的教育に進展して國民教育が忘れられたとき、マセドニャに征服せられてシ
は不必要になった。かくて倫理観と宗教観をに慰安を求むる倫理時代、宗教時代が
来た。ッフイスト及びストアの個人主義、世界主義はこの時に生れた。初論それが
偏狭なる、官目的なる服従から自覚へ事いた重賞、平等を考へしめた長所は。
健全なる連績的発展てはない。それ故プラトー及びアリストテレスは國民教育を唱
導した。プラトーは理想的國家の教育を述べたが、それは奮希臓の現質から考へた
ものてある。アリストラレスも赤奮組織を新組織との調和を計ったのであるが、彼
等の鼓吹努力も効を奏しないて終つた。
羅馬の原始教育も赤敬碑と尚武との教育であり、その質際的色彩はそれを保存し
たが、希臓主義の教育の殖民地となり、綱紀の地滞と博統の破壊とはその國を滅ぼ
した。プルタークの憂國的思想もこの大勢を携回すべくもなかった。
中世は基督教の時代であり、宇宙主義の時代てあり、しかも赤道世的個人主義の
時代として国民教育の思想を見るべくもない。近世の人文主義と述希臓主義の博統
として同様てあった。然るにホップスの思想の出現した時代、質赴曾、質學に注意
を向けて来た十七八世紀に至って國民教育思想は勃然として起つた。 Q
1
軍なる訓練論者としてのみ考へられて居るジョン・ロックを注意して讃んだ人は、
後がチームスの封鎖に厳して国民の道德|景德1の扉を求はんとする
國民教育館を見るであらうº 不幸由主義的なミルトン さ へ 8戦時及び本時のための
武育を説いて わるではないかº Jれを軍に十七世紀の番原湖が と考へる人は、 現代
がどれ文がそれより進んでおるかを測定して見るがよい。 理想的狀態を考 《 るは“
so « たければならgº 考へ て向上しなければならぬº ,しかふその可能の度を
*~ * *人であった 。 翌 證書
する者の方が知つて理想を貸現する間際主義者であり、 本和主義者である。
十八世紀は国民及び國家の教建せる時代として、 網通の諸國には義務教育の成立
セ る時期として、 獨通には チーラースの頭足教育論があり、 佛蘭西にはラッャ º ?
1の国民的教育館を見るのであるº 後者はいよ、 私は教育が唯國家にのみ使整すべ
ものである ことを風呂に向っ て真言するº 阿~なれば、 教育は本質的に興味に東
し、 國家はその各具を教育する権利を有し、 國家の見量は岡家の各具によって教育
されるものであるからであるº る メルタに於て興《心社な教育の第 目的は スメル
タ人を造るといふ ととであつたº 各國家に於ては必ず公民の精神を愛知する ことを
目的としなければ ならgo & UÇ 師團西人を造ることでなければなら%
„Jº
急進思想家は同じ(文とれは十八世紀の質問題であるといふかも知れ%。 佛しそ
れは質に現代にも必要なる思想であるº 人道 へ の教育の基礎である。 試に見、 現
代の 1 人たる英國の モルガンが近時の社會教學及び生物科學がスメッタの公民的现
想を正當多がたといつて居ることをº 物論スメルタの公民服食が直に今日の公民期
念なり得るといふのではないº な构的理想主義よりも現實% 大性 とから出立するこ
人 がやがて理想に近づくよりよさ方法なるととをい メのみである。 |
十八世紀末の英命政治家さ 《 3家の加(通? て居るº 從來の地方中學に於ける敵
立に人間の陰莖
なすべく、 東洋語及び被指對科を入るべきであるとº 祖國の希望は とくに人間の要求
»國和すべ さものなるは前車に音人の池、たところであるº
十八世紀後半に教育改造の就收 と資行 とに備した流变原の人々もホルッツオの思 |
想を貸就會% 結びつけ、 教育を以て愛國的生活の準備であるとし、 新人文主義者も
家族主義、 國家主義をカ說したº 使 し近藤原の メビドウ は、 音タ は別獎學徒であ
~、 文中主義者である と いび、 新人文主義者の ヘルデル は 学校が頭家的反5地
方的著色を勝が ベ n 阴平は自分も認めるけれども、 それは必要なるものに限り、 國家
の公民たると共に人間たらねばならぬ といつて居るº 机翼派は宗教的宇宙主義者
であり、 新人文派は希臘主義の得税としてかく人道主義を主張する のであるが、 し
かもそれは関家 と國民人とを基礎 として居るのであるº
十九世紀は 一 屆國民的統一 の時代 として國家的教育組織は完成し、 國民教育はカ
說せられたº 般にカントが永遠の平和を理想ーとする と共に公民の性格を奏~ ~~とを
發ar 4 4 %が人間性の教育 を求に国家の公民を落成することを以て教育至
上 の任務である といった思想はライセチ及び シュライェル マッ ペルによって 活力
設されたo < 4 %が理性的人間は同時に最良の画家の公民である~いび、 個
人としての教育はやがて國家全體の教育であるといい、 其の愛國の精神、 國民的品
性とをはねばならg» いった考は、 ライセチに於ては自我と自由と自立~からカ映
(北 长江たo 爾教育によって周邊人が 1 つの全體にぎで開始されることが再々の
目的であり、 陈氏教育でなく、 特有なる病逝國民教育を成り立たせればなら% ~
3,33,3 ㎢の人格的要素に立ち入り、 生命の愛知、 生活 水島を
接触する のである これ故に 真の教育は純な道德性を開始するに存する。 香道德
性のみでた(全人間を完全面描かる人間に永 て開始する のである。 そしてそれは
周邊的精神を辞し、 自然の根本を飾ら、 全體に参加する精神を愛する のて 立
める かく の手段 としてはベスタッチの方法を探 するのである。 **
P ッチの生活による開始、 すなはら飛機、 行動による政治によって、 はた文久 之 s
ェッシュタイナーの作業面體の教育によってそれが可能であるoęが 図民教育の
基礎 を築いために来してか くる方法が採られ て居るであらうかo
シュライェル マッ ペルの 「國家の 一員 として教育する さいふ國家には理想的國家
即 人文的なる。のであるが、 しかも彼の との論は ライセチと同じ(當時の周邊と
魔神社 しめるためであったと さ、 次墓にと(ナト 形 ブと同じ考 へ方であるo » +2
ィルマッペル はい、 教育は政府に於ける風民の代表者»國民の中にふける政治
の代表者によ小龍祥寺 少なべきものである とº Jれはナトルチが関家による指導の
に国民の協力的自主的教育をカ設する主張の源 と考 《傳るo
普備戰爭は御用國民へ國民教育の必要を抑に成功 しめたo 24 , ? m
ーは最も弱く これを唱導した。 その詳細は 教育新思湖北村 の 教育改造の 考
接Jº本書下邨第 に議つてそくに述べないº 彼等は決して軍國主義者でないo 文
化的博統主義者であり、ギュョーの如きは國民的奪大が眞の愛國心でないことをさ
へ力説して居るのである。
たゞ ライェ等には人文主義的博統のために経済的教育を功利的教育として排庁す
る獣が著しいが、功利的思想は國民教育を非精碑的ならしめるものであるさ共に、
経済と勢働とを教育から没却して考へることは現代的でない。こ\にナトルプの考
へ方、彼の理想主義は経済と勢働とを考慮して居る酷に新し味がある。吾人はこ、
に國民教育思想の歴史的警見から現代の情勢に進んて本書が中心に考へやうとする
思潮 へ 移らうと思ふ。
第三章 國際教育と國民教育
一戦前戦後の状況
ストアの宇宙主義、へ ルデルの人道的陶治は初論、ゲーテやべスタロッチの職業
を取る前に人なれ といメ用假想、 その停航としての関係数有、 平和主義は十九世紀の
國民衆に触れておた。それが世界大戦の儀なる方法を勤めた後に物 !
然 として起 Ç た ことは自然的であるº そしてそれが敵疎水 y 國民的利己心の除神を
主張する所に世大なる意義を有するとさ は第一 章結論に述べた所であるº > る
等の主張も数に反省の材料 とすべ さ3のであるº
同時にふた國民教育の思想3戰前% 戰後に著しく高調され て急進派の空想を警戒
して現實からの道を示すと を奪取しなければならgº 戰前に於ける公民教育の主
張、 ボーイスカウトの運動は岡民教育の思想のあらはれてあるº それが戦争の質行
となれば、 守(體育と平教育と國民教育となり、戰後に及んでおる。 米国に
於ける軍事教育と國旗の質量は従家と全く異 つた教育を現出し、 英傑は特にポーオ
スカウト に熱中し、 佛蘭西には関民的傳統の試與語教育の復活を企圖して居るº »
の間に前に述べた不純なる 分子を含む ことは明らかであるが、 人性と現實 とを無視
せざる以上、その思潮にも傾聴し反省すべき多くを見出すのである。戦中及び戦後
にあらはれたその思想の状況は下篇第二に譲りそれと重複しないものを前の國際教
育論と共に本章に述べやうと思ふのである。
二、デユ+ーとウエルス及ひへーワード
デユキーとウエルスとは英米に於ける代表的國際教育論であり、へーワードはウ
エルスの本國に於てそれの質行を企圓したものとして本節に注意したい。
デュキーによれば、教育は階級の間の融和を計るは初論のことであり、又経済の
不平等の調和を企てるに止まらないで、國民相互の平等をも期望しなければならぬ。
それには軍に戦争の恐るべきことを教へること\、國際的嫉妬と敵僚心とを挑発す
る凡てを避けるのみては足りない。中心の酷は、地理的匿割を離れて人類共同の目
的に各國民を結合するこをでなければならぬ。比の大目的に比べては第二次的な國

民的主権は心の傾向として植る付くべきである。かくいふ事が教育に取って除りに
廣達だと思よならば、 それは教育の真義を解しないものであるº 教育にして社會目
的に従い高上的發達をなすべく個人の性能を開發することであるならば、 必ず有の 游
東に達しなければなら 。然 文化後立の広く者用された~ ~~
とは出來gº
デュ +1は期(國民的教養を超えて國際社會行しろクチレスの所謂世界國家 へ の
成立を くのである。 全 世界への証でなく関心を建ての仲介を
いて居る。李世主義者は書からそうであったが、 帝 は第 1章に述べた絵に於て
賽周する~が出來ない。 なく彼の所會が現今のやうな軍事教育と米化とに封して
の警戒 として、 人種差別の撤廃さしての意義は米人の、 そして文殊なる愛國主義
者の考ムペ さ所ではあるo
ウェッスº亦かくる理想を高唱し、 その方法として文化の聖書や世界共通の教材
を 脱してある。愛心の頭を記くは防がない。 しかも理想に委託を
れたものであるたクエアメの国際的精神を理想さして國民教育の基礎の上にあ
へなければならぬº
ケチレスの観察的精神を貫現する方法としてベーワード %がフリーマンは
改造の精神的基礎 (カカ年)に国際教育の提案をして居る。ウェルスがそれ
と判して(Much is admirable, some I dont like)といつて活るに見て、多くウェルス
人の共通勤があり、しかも多少國民的色彩がある。この色彩がウェアメをしてT111
のものは予の好みなさる所なり,といはせた朝てあらう。しかも多くは風魔主義的の
ものであるから、アームメトロングは本能を無視し、理想に過ぎるといつて居るの
である作し19ードは世界國家でなく、國際聯盟主義、國際的國民主義で、國
民»しての見地を無視しては居ないやうである。しかし全體はウェルメ的として見
るべく、從つて後に説く知く定教家以外の教育者には反對があるのである。 然
との書の始めにいよ、英國民は岡縣縣監を希望して居るが、それは風魔的了解及
び新意に本多く てなければ強し得ない。 即ら教育の改造によって殺人 愛美の中に
成長し、 國民~してしか2國際的國民として統一 的協力を保つやうにしなければな
º 成人 。 それには今日 の反応理的方法を改造し止しさ公民を作るべし として次の四
つの提案をして居るº
1、 イクトリャ女王維護衛、 シチークスピャ紀念日、 聖ダビッド 派の儀式と改
良した国民的儀式を各學校に行い、 通に 1 度は様式に参加させるo 德式は聖
書、 文學、 音樂を直接に教 へ るものであるo
11、 様式 とは別に道德科、 公民社を課すº Jれは様式から約を引いて助 さするが
その教授は理性を中心とするº 模式に於ては理性を成精に従姉させるo
一、 時間、 空間、 歷史に開する科學的圖表を各學校にかくけ、 地球の年齡、 全面
の存在に開し て明院に教 へ るº
四、 機式の際に元ての宗派、 元 ての職業、 兄 ての運動及び えての教育の代表者の
演說を蘇かせるº それは父兄及び 公衆 へ も開かせるやうにするº
{ 17ード は光の提案に就いて姿しく読明して居るのであるが、 要するに様式に
よる直接的、 特意的教育が中心で、 しかも 一方には不備不盡の異質なる 了解をねら
つて居る。 其祖的の儀式は中心思想を有し、 その思想は多くの場合人格, 國民、 事
作に疑人%れ て居ると いび、 様式は互 に訴 へ る と いい、 様式の目的は自己活動でな
く数度であり、 情意に訴 よさ いつ て居るº
提案の に暴ば て居る三つの儀式の外、 國際聯盟日 (本和紀念日) 也 不日など?
行本といつて用 が、 模式の拡的网格は国民國立さして注目すべ ~のである。
シチークスピャ然が英國詩人の紀念であるはいふそもなく、 それが カ 大年か
ら行はれて居る ことは世界大戦の国民的教育の傾向をあらはし、 ヴィクトリャ女王
陈冠役は 九O七年から行はれて居る國民族成であり、 聖ダヴィッドは七世紀の人 節
そ91 の守護神に触れた人でその後は カ 王年か ゆえる 。
のに見て、 國民教育の色彩。平成小鬼のものがあるのを見るのである。 國文學,
國史等級英 文化を有しない~が書かの微格である» š3、 國民は共通の記憶 ●
C2
を有する限りに於てのみ其の頭足的存在を有するといつ て居るのもそれであるº
併し科學的圖表はウチルス式であり、 少年を最 理に接続させ少く とも可否爾模の意
見に接せしめる のが中心だ といい、 世界の得武により國民の精神職合間も関際聯盟
がなし遂げられる といふのも政院教育のものである。 それ故、 前學校期學アルフレ
ッド ・グレーヴスは彼の提案について 次の知く批評して居るº
个日 の動搖の時代に於 は、 ヘーソード等の砲撃波德式の成るものは除さ文は愛化
すべ さものであるº 著者は米國が元 ての見重に封し星隊旗 へ 般認 させる ことを知っ
てわるだらうº 著者の儀式 (國際的儀式) は英國入りもそれら米國の軍校に魔(用
あらるべ さであるº 著者 の組織を愛化すれば いく ものとなるであらうº 國民語を議
行 ことは極めて必要である 。 それは武器が最も美しい形にあらはれて居るから であ
&
が, て
等 あ協際
愛で



基熱
社心

国際
時として


デを
ュキー
分に會礎國る同 說 P
(

いて 長くに
らい


そ»
既。

について
批関係


たから
と述べ


«
興れる判にの所 そ般

ある







國民








的 の




徴 ある

º

, 特のる方に民學 及び
文ズウオース

º
國よい
共は


地會

ば見



もに

べ 精。

新貨

そ生活
あ、




コ自然

º
ウオー
れはる鮮神
して
ット
的 そュキーた礎民較れ 教育



居る
比デいて

ウェルス
國及び


基すれ
しを

國 ウィリアムス
ス米















をトック




際 急いふ




つ批評

%
8
帝派
し何、



と其


ない故國て進
國家 協
_j
湖下るき意水位
す、
%
居的





注の

べこと
あす

o

ウィリアムス
スr

ストック

— 27 —
名的
要する

o












戦時




。 民


家 扱類す誠發わ さ 。
自り



o
起熱られる


愛國
同なる



'
º
な し会





なり




國民



此 く



氏 9
る 見来るる度いり級民く を
か出に
国o
階て

よ性
深心
態も

あ社會



こと 階知めるじり民合級足 な
も合界衛の が



とき
禁でない

戦闘
と共に
世大戰
結者




º
引 結同
国と

弱し



さ的
感。


国民
ながら
*
沈 よしく


,
s

著ば



なる








、 れて



く 節のべ理民治點

政會
国と




心學

述性
そを


共っ
られ
認め
時に
ない












? 通




度 移練



現金












民族
によって


婚 3942


チムス

科學
1

K

)









。 會

1

*
* _

— 28 —
く階級的精紳に導く。それ故園内ても國際闘係でも合理的な協同精碑が必要であ
た。かくて現今米化運動には二つの相封立する傾向がある。一 つは開園常
な経済的機曾の自由を候復しやうとするものて、他は現在の経済闘係を維
有産階級の赴倉支配である。又競人は米化運動を外人に英語を教へ
は後者に属する。前者は質業の民本化てあつて、それには園民
全鶴に於ける知性と同情さの発達を要し、創造的衝動を刺戦し修練するために一般
教育が必要である。然るに今日の教育に於ては教科課程は固定し、教法は街學的で
あり、教師は固定的になって、生徒の作業から判断すべきを自分の態度で計量す
る。
教育は青少年人と共に大人にも興 へられなければならぬº 个日はそれが減家實現さ
0
?
れ て居るº そして今後の副总教育は進步的公民の教育でなければならぬ。 それは撤
派的、 宗派的、 階級、 國民的競爭のものであつてはならぬº か くるものであるなら
ば自由なる知的發達を守る。 公民幣の中心事實は思考であって、 思考は外的東
線及び第動から離れなく ては不可能である 。 この魔装の自由は、 國家の目的なる人
-
-
格の教建の中心であるº
以上はウィリアムスが図民性の心理について述べ て居る所であるが、 最初に彼が
S の階級戦が図民的感情を弱めることは貨に認るべ さ事實であつ て、 我が図の
後經開庭 帝に就會主義のみの問題でなく、 階級的反感としてそれが頭足 教育に及
ばす大なる関係を忘れ てはならぬº Řに彼が合理的、 知的教養を力能する所に偏期
3あるが、 大なる意義も存在するº 羯常的行動、 無意識無我制が疑義 と混亂~に導
くからそれを制御するための合理性の規格は極めて大切である。 しかし同時に 正し
き威情の要素を関却してはならない。
ウイリアムスがその次の章に説いて居る『政治的態度と理想との衝突』も落に考
へて見る必要がある。彼のいふ所に従へば、従来濁逸は支配を中心とした。國民的
優越の衝動は上流の支配を起す。教育も上流に集中し、階級戦を惹起する。濁逸は
衰へたけれども、上流が下流を支配する態度は衰へない。比の態度を止めるにはあ
らゆる階級の完全なる教育によるの外はない。濁逸の支配的態度は教育にもあらは
れて、その公民教育は上流の支配を認める國民的威情の教育てある。ケルシェンシ
ユタイナーの説はそれを示す。それは教育の民本的理想とは反封てある。それ故デ
ユキーの説くところはそれと異ると。

ー31 ー
階級戦は前にいふ如く必ず除かなければならない。併しケルシェンシュタイナー
を以て上流支配の教育を説くものとするのは、世界國家を第一に現在の國家を副次
的に考へるデュキーからの考へ方てあつて、ケ氏も後に見る如く文化國家、正義國
家の主張者てあり、勢働園鶴による殺育の力説者てあるからナトルプもそれに賛し
て居り、著者の経済中心の見方とも一致するわけてある。合理主義理想主義が、質 %
行主義、現質主義に封する立場の相違のためにかく考へること、思はれる。ケ氏も
階級打破のための統一寧校を力説した ゞ個性の差異をその中に認める丈けてある。
次に彼が「國際的闘係の心理的方面」 と「國際的協同の失敗」 の二章にかける所
は、彼の立場を見る上に引誇したい。彼によれば、各國家の濁立は碑聖ローマ帝國
の衰類と法王権からの濁立によって得られるが全き濁立とはいへぬ。これ兵力によ
つて獅立を保つて居るからである。併し濁立國家の平等の貸めに國際法が立てられ
た。抑☆園際的行動には四つの型式が考へられる。一、國民的孤立、二、支配なき
國際的封立、三、支配のための國際的競争、四、國際的協同がそれである。一 は一
時的の状態にすぎないし、二は資本階級のために不利益であるから新國際闘係に進
まうとし、三が歴史に多く現はれる態度てある。トライチケは比の状態を力説した
が、それは四の理想を破壊するものである。國際聯盟はそれを取り去るてあらうが
* いで、近き将来は経済的封立の継績であらう。四の國際的協同
は凡ての国民の合理的興論の発達を要求し、國際的経済闘係の整理をしやうとする
のである。これ経済的競争は國際的平和の脅威てあるからてある。
かくてウイルソンは私的利害てなく共通の利害を念とすべきこと、個人的友情に
よることを説いた。競争は相互に理解し同情する友人間の競技たるべき☆のてある。
優者は弱者を軽蔑しないで共の長所を賞すべきてある。即ち競争は相互に共の個性
を進めることでなければならぬ。園際的協同の経済的基礎は、質業園鶴が國家的境

界を超えて世界的なることである。私的利益の経済組織は
礎である。
政府が利益を求むるに汲々たる資本家によって大なる影響を受ける間は利益追求
が国際闘係を決定し、國際的協同は國際闘係が各國民の勢働者によって決定される
ー 34 ーマ
までは可能でない。何となれば、勢働者は利益のみを追求しないて友情的闘係の経
済的基礎に立って居るからである。光もこの友情には他の國民の状態につき理解を
有し、公開的外交と思慮ある正直とを必要とする。新聞は最も有利な興論の書籍た
るべきてあって、それが資本家の手にある事は協同を不可能にするものである。
以上の所論は彼の経済的園際協同であって何人も是認すべきであらう。彼が軍に
ウェルス等の文化的、思想的聯合のみでなく、経済的の基礎からし、しかもそれは
教育にょる理解を同情を根底をすべきを説くのは正鶴の見とすべきである。
彼は進んて第十章に園際聯盟の心理的方面を説いて居る。彼によれば、有効なる
國際聯盟は、単に平和を強制する政治的聯盟又は論争を決定する法律的形式である
のみならず、経済的事項に於ける國際的協同の組織てなければならぬ。そして國際
聯盟の終局の目的は、ウイルソンもいへる如く各國民間に於て新しい心的闘係を打
ち立てなければならぬ。「人間を結合する唯一のものは友情てあって、各國民を結
理性 衝友的
協同
ある

あより

しから
強。





本能
かも
いる動情 導れ




主義


こと




容易
にとって
新聞








ば く 資本


る 目るにび服衆る属的

す従赴


こと
然させる
民。




征一方
及を
的 條来














聯盟


こと


なかっ 然るにめ持威家り済 で
約 たから




る 。
経ある



よ平和

國民
権も


維博
努の

平 こ来る

経出養
ら。






友協同


のなけれ


もみ情れ済と 組織
そしてっ同済民情際 た

ある
國友比






協同
経及び
協の
よ的
に 組イルソン



即ち
立する


心理


ウこと




のてる




で す情


唯一









巴里
故に






の の




る者ー







働封

資本家


に 有る
聯盟

















的 効







増する
有の






合理


増加
によって


もの

。 加


職自る



%




者 業

3
**
之 び 祀曾
の 園 撰 闘 係人
が慈に聯盟の成効のために必要てある。これ聯盟の闘係は従来
闘係と異るものてあるからである。
これがウイリアムスの園隠教育論である。吾人の緒論に述べた如く、園際協調主
義には賛同するものてある。園民を基礎とせる人道主義には反封するものてない。
たゞその理想を送ふの急なるがために直に現質を無祀することに反封するに過ぎな
い。それ故現質に立てる國際教育に何等不賛を唱へない。それは成申語書にも述べ
られて居る思想である。たゞその基礎を忘れ、根本を開却するこを、國民殺育の基
礎を培養することーそれは人道と矛盾しないーを忘れてウェルス主義を謳歌す
るものを警戒せんとするのみである。
この獣に愛國心を敵祀せずしてそれを擁大せんとし、理想を説くも現質より一歩
々々進まんとする英国のストックスの如きは大鶴に於て賛同の意を表するに客なる
ものでない。ストックスは 『愛國心と超國家』(一九二○年)に於て愛國心を分析し
てその上に園民主義と國際協同との闘係を述べて居る。彼の愛園心論は下篇第三に
紹介し批判してあるから、慈にはその國民主義論と國際協同論をを述べて偏願盲目
的な園粋主義さ空想的世界主義をを警戒する参考をしやうと思ふ。
彼によれば、國民主義には二つの意味がある。第一 は最近数世紀の間に欧洲の歴
史に著しくなった強制力又は傾向で、それは帝國ではなく國民の園結いはば國民の
園家の事質である。第二はこの歴史的務達に合まれた原理、主義、もしくは理想と
しての園民の国家である。強制力としての國民主義はその賛成者もあり、その反封
者もあるが、それを理想として高調したのはマッチニ て、それに封しても反封論が
あるから、その原理と質行をの匿別について考へなければならぬ。
園民主義はそれを質隠の運動として又理論としても共に第一には人間の政治的園
結に闘する。愛国心の闘係する所も赤政治的軍位即ち園家に闘する。愛園心も園民
主義も政治的でない形式に於て発現はするがそれは第二次的のことである。かくし
— 38 —
て国民主義は政治の適當なる単位さしての理論として現はれ、 從つて愛國心の座位
人として、 統一 の歴史的傾向こして現はれるº 此の統一 の軍位は勿論國民であるº ॥
民が現在を支配する政治思想である とさ は疑がないº しかもホそれが个日 に於ける
新しい思想であるº 即ら國民は岡家、 都市、 總士、 地方等に封し て優れたもの とし
て承認されるP 的 現代に於 て社會上及び政治上の根本的事實であるº
然らば國民)とは何であるかº Jの問題は事實の方面 と理論の方面,とから考へると
さ 二重の後 を要求するº 先ヴ事實の方面からい へ ば自ら國民 と呼ぶ人類の集團の
般的性質は何かと といふ 間期であるº 个英國と列にさ つて見るに、 それは調派的には
英国さして通用するけれども負は四つの図なる英克蘭、 蘇格蘭、 維成、 愛爾た企み
大不列顛 覆開き の合衆王國てあるº 时放に これが 一 國民y して考え られるかP 被
らくそれは同質的の集團として信守られ、 英克蘭人、 クエ 1形 ス人、 スコットラン
ド人、 愛關人の四 つの中に他國民とはより扱なる関係ありさせられるからである
この四つがそれ(國民% いはれる事があるけれとも、 それは不使 てあらう。 それ
放四 つの部國民を含んだ | 國民とすべ さであるº 集 し彼 に愛關人は自己を擁立した
1 節の国民大して主張するが、 その常容を定める 殺的標準はないº 伊(少くとも
大不列舰は政治的のみてない続 觀で、 それが魔鬼上 一 つ でなかつた こと民族も混
同し て居る こと をいふ 必要はないº 大陸に於てふそうてあるº 名叫義は二つの頭龍
を持つ て居 つて、 先天的に 翻民 てある ことを認める のは困難であるº 位 し斯の知
う ことを考える のは危險てあるº ॥ の人々 は統一 に満足し て居るからであるº
他の図では多く 関語であつ て、 言語の共通は現今では政治統一 の連絡物であるº
瑞西は日正義よりも複雜で、 國內の関語の交通が困難であるº しかもよく結合して
居るº それ故に関民とい ひねないやう てしかも素福なる生活 を送り、 且世界の文化
に貢献し て居るº 此の事實は困民主義の在信者 の銃撃 を止める ものであるº
以上は光としての国民の意義であるが、 理論としての国民の意義には ジナ
の教義を見やうを思ふ。彼の信條は人民の撃は碑の盤であるといふことである。碑
の抗は濁り冥想するこをによつて得られるものでなく、人類の協同によって得られ
結合は碑聖な事質であるをいふのである。
この結合の二つの根本的形式は彼にをつて家族を國民をである。家族は國民が人
道に向ってなさうとする事を園民に封してなす。家族を園民をは停説によって震化
され、人間の生活及び容智を不断に進歩させ得る二つの組織である。家庭は公民を
造つて彼を國民生活の博統的財によつて自由なる人をする如く、國民は人類の過去
の発達を意識して現代を批判し向上を計り人道のために献身する人を造る。國民は
碑が世界の人間を匿分した家族として見ることが出来る。國民は人道のために霊す
に常り、分業を多様なる方法とによって最も容易に旦有効に貢獄する。彼のいふ所
によれば、興へられた範園の仕事をなし、國語を性向と習慣とを持った人々を助け
るために公民であり又國家を有して、それによって現在及び将来の凡ての人間のた
に貢獄するのであると。
斯の如きマッチニの見解は、常時なほ統一せられなかつた伊太利人に封して説か
れたものである。伊太利人を結合する共通の言語、共通の博説にそれを求めた。フ
イヒテが既に一八○六年に獅逸に鼓吹した如く伊太利が自然的 単位であることを論
じたのは正常である。
マッチニの原理の中て二つの酷が重要である。園民性と民本との相互闘係と、国
際主義とである。これが普通の國粋主義と異る所をして注意すべきものである。民
本との連絡は国民主義の批判家に許容される所である。これ園民の自治によって回
結を固めるものであるからである。マッチニの園際主義には疑問の酷もある。今日
は国民的威情が国際職盟の妨げとして見られる。これ嫉妬、敵陥に導くからである。

ー 41 ー
英国を以て他国に優るとするは盲目的偏見である。十九世紀の歴史は國民主義を平
和及び協同の原因としないて、寧ろ狂信的愛國家及び専制主義の道具をして示した
佛し マッチ の原理が不健全であり、 彼の理想が自家建者である とはい へない。
以前の北条は国民主義を以て英國のやうな大帝國を破壊する のであべた。
ッキーはかく考 《 七 日正義、 瑞西についてもさうである とし、 ジョン ・ スチュッル
ト., 形, 即时主義をかくる意義 に解して自由制度によって弱める~~を説いた。
併し彼は外國人を嫌い日停用しないのは野猪、 非文明の性質である といい、 各國民
の施和は人類に貢献する として居るº
个日 に於 國民主義が撃大きれる戦は、 かくの加さ國家の被統文は主權を最近す
るいふととでなく、 即ら関家の結合を弱める といふ事ではなく て、 その結合を題
め過ぎるとい大戰であるo 使略主義、 軍隊主義、 帝國主義が国民主義の結果である

とい のである チンメン教授は 国民と政府 立 五年)に於江、 國民主義-i
の原理は人道の進步を書いるといつて居る。 それに反し國民主義が国家 康弘、 社
J
會及び教育の範圍に限られるならば、 雑賀安全なる原題だといって帰る。 彼の議
“れば、 政治は人類の範圍より抜くてはならgº たマ教育はそれよりも 精制限し
た基礎を必要 とする。 その必要なる背景は家庭の外にある民族の情發r應能であるo
それ故教育に於ては国民主義が必要であり、 文無害であると そして彼のい大阪に
“れば、 ユダヤ人は岡家を有しないが国民としての機能を持つて居る0 米國も関胤
を破し愛國歌を歌。 ことを外來人に頭よるのは不必要であるといメのであるo
上述の11機の見解を見るた、 1 は国民主義を以て帝國を破壊するものとし、 他は
それが張しさ度國主義~なることを唱 《るのであるº 國家は必ずしも密國主義では
ないが 、 後の説は国民主義大 帝國主義さを混同する誤認に降り て居るo 此二つば
結合することはあっても、 張の連絡はないº ︽關人、 印度人は 形 クスやチンメ %

-
ン教授の説よ^?” 形や マッチ の思想によって 廃車頭を見出すであらうo -

***?)
ッ社會 主義 と反國民主義よ~ ジョーレーの真面目なる国民主義の方が敗戦争と

-__
止めるそ% に貢献した。 英帝國が大に過されば小さくすべきであるo 教にすれば
*u㎝
それを止めねばならぬ。政治的境界が第一に住民の希望及び親和力に闘するもので
あるといふ園民主義者のいふ基理を祀する企ては何等査するところがないであ
うo
以上ストックスが國民主義について述べて居る所であるが、彼が大鶴に於て國民
と國家との現質から出立して偏順なる愛國主義でないを共に極端なる國際主義をも
採らぬことは右に見える。たゞ末尾の獣は急進的思想のやうであって、その程度に
よって問題も簡単でないけれども、英米をしては次に説くライの説の如く殖民地擁
は生存の合理的欲求以上に出ておる。ライがいふ如く濁逸と日本 (特に日本)は
國民の生存の権利として植民地を有することが正、善であるを考へられる。生存の
権利は主張すべく、しかもそれを超えて蜀を望むべきてない。公正は決して行はれ
て居ないから力説しなければならぬ。これは教育ょりも政治に多く闘するが、吾々
はどこ逸も現質を基礎としつ\如かも理想に一歩づ\進むべきこをを忘れてはなら
安º 各地馬祖家のチンメルシ にして既に家族の情發音、 傳說の教育を説く所は、 音が
國の頭株主義者に考慮して貴 いたさものであるº > 業者 ストック スがその書即ら國
際的精神のための書に於て (國際關係業書) 國家主義是認を とく事をよく住意すべ
さであるº
ストック スはなば國家政策 として帝國主義 と民本 とについて述べ、 進んて國際社
會の論をして居る。 彼によれば、 マッチ の教義には国家主義が民本と合致して居
るが、 その質際の教建には南者が衝突して居るº 戰前の御通は國家主義で民本主義
てなく、 英俊の反民本盤は頭家主義を高調するº 國家主義は欧洲の平和を書すると
考 へ られたが、 危險は張國の敵對が頭家主義を他の方面に見出すことであるº 2 の
意味の国民政策は関民的利己心及び 政大の政策であり、 その愛國は外國人を嫌ムと
人 であるº 小) る政策も十九世紀の自由主義に封するためには必要であつたが、 そ
れは戦争に導くº それを除くには民本主義との連絡結合によるº > > > > ン教授が
いよ加さ國民の間體が見ての政治的意義から離れる ことはあり得ないº 現今に於て
は国民の間體は主なる政治事實人として存在するてあらうº 降 の質際的進路は その
!
事實と水解し、 その婚を認め、 出來得る文け マッチ の民本的國民の理想を負現
する にあるº
然るに国民間帶及び交國心を予備らし 事である とし、 教育ある人士には不適當
のものだといふ論があり、 文かく考へるぎでは国際的結合は望み得ず とする ものが
あるº る學校の試験で十中九人は愛國心を以て國際聯盟の障害である とした。 佛
し音タ はこれと見解を異にするº 西名は愛國心及び國民團結をなくする道を見出さ
ことは出來ないº て行 放音名 にし て頭馬の頭家よりも大なる組織を打ら立てやう~
するならばそれは国民の社會で、 それは愛國心と矛盾しないº
ストック スはかく て頭民の就會を打ち立てやうとするのであるが、 それは軍に
類の道德威に訴えるのみでなく、 經濟的興味よりするº 人間は道德的英雄主義で生
きることが出来ないから経済的基礎よりするをいふので、その獣はウイリアムスの
説と似て居る。
ストックスの國際聯盟は軍に仲裁のためのものでなく、政府の代表のみのものて
なく、國民の代表による國民の聯合て、経済、政治、法律の協調、世界のためを限
中に おく常局をっくる。その成立には愛園心は基礎たるべく妨げとならないことを
述べて居る。その質行の困難はあるが、その困難は國民主義者及愛園者の威情の基
礎からする反勤ではないとし、國民間の協同の下に國民主義を國際主義とは互に一
致し、互に補足するものであるといつて居る。
以上本章に述べたものは國際主義と國際教育の方向のものである。デュキー、ジ

一ー 47ー
ェルス、へーワードのは極端で質際的てないことは既に述べた如くてある。ウイリ
ァムスのは経済的基礎よりせる獣に於て質際的であるが、なほデュキー式であるが
ストックスのは一層質際的である。たゞストックスの説にも直に取り入るべからざ
人く












それ がら 。
格 世界
によって


作用

º




。 っ

互 公
高速 主れかのるめ義


た主義
あの

しとし




教育
国民
として
そ改造 について


1
r
トレデ
º
やう
述べ もュタイナーるくの
説く



シは

シェ
ケル
及び
あライ


香質1育料

教フト
1民

物(











)



主義 受ル












教育


ライ
º
シュタイナー
ジェンけ


る の

3


こと




した
注意






º




へ に



たの民れるめ
あ心
よで



居る
國として

つば
1

教育
書 よみ



~
%
33



,







教育
国民
つくり



ケル


?
^
シュタイナー
シェン


، 久*
行動の原理を先づ述べて居るが、それは従来彼の説いた所てあり、世に知られたも
のであるから省いて、彼が教育の生活園的段階と稲する部分にっいて述べゃう。國-
家教育の方法に闘する思潮として大に考ふべきものを思ふ。
彼によれば、この生活園による國家教育は見童の発達に伴ひ、家庭から地方、郷
國、祀園、世界といふやうに擁張せられ、家風から郷土心、國民性、人道へとす、
む。これを年齢に常てると、六歳までが家風の教育、六歳から九歳まてが地方的生
活園の教育、九歳から十二歳までが郷國的教育、十二歳から十四歳までが祀國的教
育、十五歳以上が人道への教育てある。
先づ家庭心の教育から考へるに、家庭の生活園は血族的赴曾秩序を提供する。今
*シgてsる。それはシ生活の改善、国民教育によってのみ 」
改善し得ることで、それには國民性を熟知することを要する。そして國民精碑の基盤
礎は家庭㎞であって、又それは人格を基礎とする。比の人格を意志、成 、
の三方面から考へる。それには英備との比較が必要である。 一
英人は質際的であり、質務家であり、現質主義者である。それに封し濁逸人は悟 %
性と心情とを匿別し、利己的てなく、理論的、理想主義的である。これを備人に比
べるに、備蘭西人は威情と悟性とが刺戦として働き、濁逸人には停止として働く。
故に濁逸人の意志は備蘭西人よりも緩やかて確質であって、何虜までも追求する。
併し獅逸人個々の意志は固定して重々しいから統一的全鶴意志をつくる事が困難で
ある。故に濁逸の教育は早くから赴曾的教育をしなければならぬ。寧級及び寧校を
作業園として自治によって組織することを要する。然るに今日の寧校は、寧校軍國
主義てあって試験を中心をし、高尚なる作業心と赴曾威情とを鉄くg
次に威情からすれば、外的印象も内的に素質動向の発達である。 備人はこれに反
し、内的のもの☆外的のものとして取り、好んで外園の力を信ずる。獅人は長くし
て強い刺戦を求め、備人は新しい刺戦を求める。獅逸精碑の著しい特色はかくて内
面性、心情である。吾々が心情をいふ名を他の國民は持つてみない。心情は素質及
び生活園の影響から生じるものである。太古からの長い冬季生活がその大部分を家
庭に生活させ、内的生活に向はせた。かくて碑 秘 的経験を碑聖と威ずるやうにな
った。
次に濁逸人の思考について考へるに、濁人は凡ての事情を考へて試験し、凡ての
理由を認めたとき始めて判断する。備蘭西人は共の軽快なる悟性を以て長く考へる
事がなく、早く判断するから誤ることがある。濁逸人は事物の内部に深く徹底する
これが濁逸人の徹底性である。併し比の徹底性があまりに細かなこをに向く場合に
は、専門癖を教員根性に陥る。
濁逸人に取っては心情が眞理の探究を助け、備人は具理の研究に明瞭なる思考の
には心情的、充情的の構成があり、備人には論理的 g
陥に封して濁逸の學校は注意しなければならぬ。

英國人は思考を直接に質生活と結合する。これに反し濁逸人は直接赴曾生活と連 B
給しないて、自らの思考内のこと\する。比の純粋理想主義はフランス人及び英人 一
には見られない所てある。この獣に最 理の追求性がある。それが備人に於ては明瞭
なるものを基理をするのに封し、御魂人は悟性の確質を疑ひ、悟性的思考以上のも
の即ち心情的思考を求める。獅通人の思考は結合、構成てあって、備人の思考は分
析、軍純化てある。それ故に濁逸人は哲學、古典語學、歴史、組織的自然科學に秀
て、備人は数撃、論理事、非組織的自然科事に堪能てある。併し獅適人の追求心は
偏強になり、村夫子的になる獣がある。獅過の教育者は比の著しい民族性の陥り易
い弊について注意しなければならぬ。
以上濁逸人の特色を記述してそれを濁逸の家庭の基礎とした。家庭、家族園鶴の
中に濁逸民族心の基礎が存する。公共教育の基礎たる家庭の生活園に於て、即ち雨
親によって國民教育は始められるのてある。それ故に、見童の経験は偶然に委せず、
家庭生活は秩序により統一せられなければならぬ。赴曾への教育は家庭に始まり、
雨親は子供に家風を徹底すべきてある。家庭教育は質に寧校教育に比べて言語と挿-
-
書とによらない長所を有するのてある。
家庭教育は又他の教育と同じく健康、國民経済、科學、藝術、道徳、宗教の教育
をもする。健康については田園の家庭はい、條件に立っ。経済に闘して☆都倉の子
供は金銭についてのみ知るが、田舎の子供は諸種の事物に接して経済教育 に宜しい
一般に節険、忍耐、勤勉は女子の主徳てあって、従って母は経済の教育者てある。
科學に闘しては、都倉見童の観念界の調査は自然現象の知識の薄弱を示す。大都
市の見童の多数は日の出を見ず、馬鈴著は木から生じると考へて居る。こ、に家庭
に於ける教育が必要である。又歴史の初歩も家庭て教ふべきてある。それは先っ祀
先に闘する知識から始める。家族の歴史は質に道徳となるべきものてある。都倉人
は大詩人の熟知した民族の道徳、風習、信仰と一般國風に闘して知るところが貧弱
てあり又間違って考へて居る。都曾から来る教師はそれを了解して居ない。そして
今ゃ田園出身のものがます〜少くなって行くのは國民意識の陶治に闘して愛ふべ
きことてある。
E闘して 倉人は自然 に接 しない。初倉年少のものは自然美を 有するこ
とが少ないけれども段々に発達する。燕 術の了解は自然美の威得よりも容易てある。
音楽も赤この時代に極めて必要て、それは民謡の中に最も純に、最も美しく響く。
都市の家庭も田舎の家庭の如くそれに注意しなければならぬ。又童話が母から物語
られることが極めて必要てあって、童話は民族説話に導く。又童話は人間が自然及
び他の人間との交際を物語る。そして童話は質に國語の製作品てある。教育者は慈
に次のことを常に念頭に置かなければならぬ。一、濁逸童話の世界は濁逸民族精碑
の反映であること。教育學は民族精碑の発達状態に従ってそれを分類し、最もよき
ものを撰み、教育段階によって排列すること。二、低學年に於ては事物教授に結び
つけ、想像的、詩的の叙述をすべきこと。三、見童は童話に於て、自分に適常なる
想像、了解を経験する。四、童話は生死、身心に闘する太古の世界観を有し、善悪
観にも闘係して居る。五、童話は生活上の知識を含み、初歩の人生観を含むて居る
から、それを心理學的、哲學的、宗教的問題に導くべきてある。
次に道徳に闘しては、濁逸精碑の内面性からして無意識、碑秘的精碑力を信じ、
婦人に封する奪敬を生ずるこをが家庭生活の基礎となる。濁逸の女性は少女の利務
性から純潔なそして重々しい心情生活に進む。英國の女性は思慮ょりも女徳に秀づ
る。獅逸の男性は女子に封して上述の如き女性を求め、女性は男子に力強き人格を
求める。かくて結婚は最面目に心情の深みにす\む。これがフランス人の結婚の利
日を質用的なのと異なる。濁逸人の家庭生活は威情を中心とし、備蘭西人のそれは
悟性を旨とする。それ故濁逸人の方が家庭心が強い。
家庭に於ては共虜に住んて居た祀先の奪敬によってその家が碑聖にされるのてあ
るから、教育は見童が古い遺物を愛幕すること、雨親がその子に祀先の物語をなす %
こさに注意せればならぬ。共同の仕事、共同の祭事、相互の手備、共同の遊び(祭
のとき又は日曜祭日冬季などの) など、それら凡ては家族の結合威情を強め、見童
を都市の家庭に見るやうな不作法、微慢から脱れさせる。又雨親は家庭が検約、謙
遜、満足、廉恥、貞操、友愛、誠質の起原てあり、修養所てあるやうに努めなけれ
ばならぬ。赴曾威情の根本形式たる連帯責任は先づ家庭の生活園中に最も深く養は
れるのてある。
吾々濁逸人に民族をして鉄けて居る赴曾威情の教養は學校及び赴曾教育の努めな
ければならぬ所てある。寧校生活は學級及び學校赴曾の形に於て初年級から共同生
活所でなければならぬ。自ら経験し活動することの無い、無味乾燥な公民教授は数
果が少ない。フェルスターの道徳談は結構であるが、それは言葉のみてある。修身
教授は自己の経験、自己の衝動に本づかなければならぬ。教授は慈に學級及び寧校
を生活園に構成しなければならぬ。
宗教に闘していへば、見童が父に封する闘係は、天の父に封する闘係の経験的基
礎をなる。高尚なる債値を認める教養は敬度をしての宗教ー教義の信仰でない所
のーに導く。精碑的債値に闘する威じは家庭の交際の中で養はれる。父母の信仰
の模範は直接その子に影響する。特に家庭に於ては母が宗教の教養者である。母に
宗教心が薄ければ教育は不完全である。
なほ家庭教育の問題として職業撰揮の問題がある。それには家庭教育と學校教育
とが職業指導に向って協同しなければならぬ。故に國民教育の施設は、教師を雨親

ー57 ー
をに封して質験教授學が教へる如き職業指導に導かなければならぬ。終りに家庭教
育に取って重要なをころの一つは、父を母との教育方針が一致すべきこをである。
然らずんは好果を撃げることが出来ない。
— 58 —
以上述べたと さを要官すれば、 家庭の生活國は生活社會の生活圈であるº 羯道の
改善は光の銅鏡家庭の再生に存するº 此の家庭教育のためには教育者の両親 を図家
の指導者とが、 教育に必要なる準備 さ資任感情とを持たなければならぬº №れ故に
及ての軍校% 德科教育 とは祖國の各員が教育の基礎 と方法 とを熱知するやうにしな
ければならgº 特に神族、 遺傳、 純なる信徒、 それの神に於ける統 を知らなけれ
ばならgº 羯通の家庭は音タ の祖先が持つ て居た家庭精神、 家庭意識、 高的なる家
建の誘うを再び 被視しなければならぬº 家庭特神は種族精神及び國民特神にすく行
3のである から、 湖邊民族は再び高的なる自覺及び國民的品位に立ら帰る ことを望
み得る のであるº
以上 アイが家庭教育に開して述べ て居る所を可成り 詳しく 事け て見たのである
が、 たしかに我が図民教育に と つて参考に値するものである。 こくに彼がいメ版 は
我が頭に於ては特に的確にあてはぎる所であり、 しかも今日の人心はそれに球なら
んをして居るから、充分考慮を要するのてある。彼が童話を民族博説基礎として眺
めたこを、祀先崇拝を説いて居るこを、家庭を赴曾威情の起源、修養所をして力説
して居るこを、父母の信仰の影響の力説、祀國の各員が國民教育の基礎及び方法を
-
熟知すべしとするこをなど大に注意すべきこをである。
ライは次に 『郷土地方の生活園に於ける地方的教育』 を述べて居る。これは六歳
から九歳に至る間に相常する。彼によれば、家族及び友人に封する濁逸人の威情は
強いが、公共的及び國家的園鶴に封する園鶴威情は弱く、政治的には非園鶴的、利
己的てある。地方園鶴の父兄教師などはこれに留意せねばならぬ。赴曾の多数と全
鶴をに向ける理想主義が必要てある。政賞、宗派の敵封が濁逸人の鉄陥である。
地方赴曾に於ける健康を民力をについて見れば、地方生活は都曾よりも健康によ
ろしい。國力は金を財をてなく、健康で力強い人間てあり、彼等の勢働が國家の根
本資本てある。慈に運動競技の習慣が必要である。又地方の青年は又早く経済的活
動に参加するから、経済険約の教養が必要てある。土地は自分のものてなく國家の

ものてあり、経済は金のためてなく相互扶助のものであるこをを知らしめねばなら C
ぬ9
この年齢に於ては自然及び歴史に封する知識がす\む。近隣の動植物をば小さき
生活園をして取扱ふ。地方の文化に闘する教授も地方赴曾の観察者、研究者として
取扱ふ。教師は地方の動植鏡物を荒集し、それによりて生徒及び地方人に知識を興
へるを共に國民教育の基礎をする。民族藝術には既に濁逸藝術の本質が示されて居
る。獅英人は形式よりも内容を重んじ個性的であつて、俳人の形式主義を異る。濁
逸的心情のものであり、碑秘主義である。『クリムヒルド』『フアウスト』『ワレンシ
ュタイン』『ラル』の如き何れも民族的である。音楽は威情意志の世界をあらはす。
こ\に濁逸式である。これを地方的教育の時代から導くべきである。地方的教育は
獅逸人の愛を誠をの地方的國民歌乃至民謡によりて養はれる。凡ての藝術教育は郷
土から移し、 それが図民藝術にすく びº 戰術と國民性»は相互に関係影響する。 そ
れ故國民教育はこの戦に大なる性意 さ好方»を排はなければならぬº
これを法律»道德»に見るに、 網通人の法律は成精に基(º 法るに 法律意識
と解散 られる所のものは特性の事柄であつて、 法律家のみが子解して國民は知らな
so 部通の法律は神秘的のものであるから、 形式的法律は頻道人の術ばない所であ
るo 羅馬法は利己的で、 獨通法は衛理的であるº 法律のみでなく元ての社會生活の
形式は精通人の成績 を示すもので、 しかも北の職棒 、 同執が終點にも導く。 即ら逃
代文は法律賓、 利己に導くから、 この愛を始めから都御して防止する ことは數 -
育者 の代移であるº
資額の多くは国民話語文は国民の登頂から生するものであるから、 地方的教育政
-
に於 て最もよく法意すべきであるº 此の国民認証は古い球隊、 信物、 古墳、 歷史 6
的出家事に連絡して居るものであるから、 教育者はその生徒のために先 地方的鄉
土的説話を集めてそれを物語らねばならぬ。説話は國民が愛好する債多き思想、古
代から国民がそれに闘興した思想であるから、濁逸の家庭及び學校がどの発達段階 %
にも注意すべき債値の多い國民の文化財てある。
古い國民信仰も今日なほ道徳及び風習に残って居る。比の古い國民的宗教の賛同
者は基督教に勤して戦ってそれを保存した。そは魔術、巫女の事をもなったが、民
間信仰には残って居るから共の金層から金を探り出すこをは國民教育の義務てある
農民及び庶民生活には深い意義のある國風を存して居ることが知識階級より以上で
ある。教育者はょくそれを熟知して教養し又改善するに努めねばならぬ。
宗教に闘してこれを見れば、心霊及び祀霊崇拝が碑の信仰を導く。北欧碑話のニ
ダが北ゲルマシ人の古代信仰の中心てあった。然るに濁逸の生徒が獅太、希臓、羅
馬の碑話及び英雄説話を知って自分の國のそれらを知らないのは國民教育に取って
不可である。古代獅逸の民風は今日の吾々の道徳風習に生きて働いて居る。獅逸の
教師はエダ及び祀先の宗教についてどれ丈け知って居るか。これ濁逸の學校教育、
師範教育、庶民教育の大映陥てある。これらを知ってそこに濁逸的基督教を知るこ
とが出来る。濁逸の奮教は羅馬の奮教よりも濁逸の新教を近い闘係にある。濁逸の
的てあるからである。世人は宗教と愛國心との反封を説くのであるが、その調和は
國民教育の任務である。濁逸の道徳、風習、法律、敬度心は、農民中に内的に、純
粋に、豊富にあるから、地方の旅行によってそれを看取するこをが必要である。
地方的教育は地方赴曾に於てこれをなす。地方史、地方の気象、動植物、地方の
説話、博説、歴史、警術、習慣、信仰を確立し菓集して教材とすべきである。それ
からして全國的のものに進むのである。かくて國民教育の統一を期さねばならぬ。
そしてそれを民族的、人類的にすべきてある。

家庭を鉄き又は家庭で十分教養することの出来ないものには、地方事務委員がそ g
れを助けねばならぬ。それが母に代るやうな教育をしなければならない。今日は少
年が秩序と権威とを蔑祀する傾向が都曾に強い。弦に濁逸民族の心情及び品性陶治
を十分にしなければならぬ。それには赴曾殺育に於て民風にまでの教育、赴曾教育
の施設が必要である。
以上のライの言も赤吾人の反省をそ\る。政治的には園鶴心が弱いといふこと、
國民説話、國民信仰、國民的宗教、民風の力説に充分考へ て見なくてはならぬ。
ライは進んで九歳から十二歳に至る 「郷國赴曾に於ける種族的教育」を説く。こ
れは低地、中部、高地濁逸の赴曾 (地方赴曾よりは範園の大なる)について自然及
び文化的統一を鶴験させるをいふのてある。フリーセン風、ザクセン風、プロイセ
ン風、フランケン風、チューリングシ気質、シュレジエン気質、アレマン気風、バ
イェルン風、塊國風が説かれる。これら種族的教育はその種類の地、その民風を了
解して奪重し、愛好し、改善することを撃ぶこさを要し、それが國力及び國家経済
獅逸の科學、薬術、道徳、宗教に封する意義を知るこをを要するとし、種族赴曾に
於 相關係するほと廊通の統 及び國力に関係し、 種族的を国家的に拡張せればな
らぬこ いふ のであるº
進んで彼は 周囲の生活圈に於ける国民教育 を説く。 それは主ºして十二歲か
ら十四歲に至る間、 青春期の始める時期で、 この時代に就會の秋安が 加國がその
見解に選人3て赤る この項に彼のいつて居る要點は次の知さものである。
土地がなければ 同家がなく、 土地と人民»は のものとして特色を有する。 それ
校舎を以て銀の教育目的とするは反自然である。 同じ高級の ものが自然同民
とつくり、 国民意識、 國民政情を形成するが、 物論而就の提格はある。 國民意識の
成長する前にも同比は存したº 國民特郡、 國民相互の子解はなば通(發達する。 海
外務 農政策は人口の路加を以てしては道德的である。 英、 佛、 路、 米の加く多くの
5
土地を持つであるものには不捨てある。 李兆しては藤的要求のみを書く >
،
就會主義者 の見解は就會政策でないº 發達を無視するからである。 網通は今や雑«
ず衝突の中にあって、それが教育の理論及び質際にも闘係して来た。新濁逸の教育
は比の破綻を除かなければならぬ。それは國民教育によってゞある。落に種族の威 g
、回の成情を喚起すべく、比の威情から力が湧出する。併しこの 通心から道
んて人道に至るべきである。
弦に世界の生活回に於ける人道的教育は十五歳から死に至る間に亘り、純なる人
道を目的さする。人道は政治、経済、文化の協同てある。併し政治的協同はなほ全
く鉄く所てある。文化の方面には濁逸は大に貢戯した。科學、哲學に於て特にさう
である。各國民がその特性を発揮して世界赴倉に貢戯する。又國民の人格を陶治す
れば他の國民を軽蔑するこをはなくなる。
以上彼が刺園及び世界の生活間の教育に回する主張の要獣で、甚だ簡単な紹介で
あるが彼自身もこの部分ょりは家庭及び地方生活園の教育を詳述して居る。その獣
に 「國民教育の基礎」の培養としては大に寧ぶべきものを見出すのである。
ケルシェンタイナーは尻に 『家庭少年の公民的教育』 (一九○一年) に於て健全
なる國民を養成する目的の確立を教養の方法をを説いたのてあるが、『戦時及び平時
に於ける濁逸學校教育』(一九一六年)『教育者の精碑を教員養成の問題』(一九二
年) に於て主張せる近時の彼が主張を弦に眺めやうを思ふ。
彼によれば、人類の歴史は國民國家の存在のための血醒き戦争の歴史てあるを共
に、精碑的、道徳的、美的、宗教的債値に向つての奮闘の歴史である。将来も比の
雨方面の闘争は繰返されるてあらうが、それは発達のための闘争であり、自己を生
産し構成する永遠の闘争たるこをが必要てある。
戦争は人間の結合を造った。外敵に封する戦は國家の成立の第一原因である。併
し比の目的のみでは不完全である。園家は保護する園家てあると共に正義の園家及
び文化國家でなければならぬ。権力國家を正義國家、文化國家としなければなら Q
%
ぬ。即ち個人を道徳的及び理性的生活に導かねばならぬ。務に教育は個人に於ても
國家に於ても理性的債値を眼中に置かねばならぬ。外敵に封する戦は原始的國家の
教育案であったが、潮次人間の文化債値をつくる事が教育案となった。即ち内部の
敵からの保護さいふ思想が潮次強くなった。併し文化債値の多様なるがために教育
の統一的な組織を破り、一方に偏するものを生じた。國家は必ず統一であり、統一
であるべきもの、國家の統一が輩固てあるほど外に封しても内に封してもその影響
が強い。分業と票賦の差はあっても、それが一酷に向けられなければならぬ。その
方向は理性國家の理念、即ち正義國家及び文化國家の目的を務達させる理念であ
る9
ヶルシェンシュタイナーは斯くて國家の統一のための教育、その基礎たる人格、
品性、理性の陶治、眞善美聖の債値の奮闘を説くのである。面してこの奮闘のため
の道徳的勇気 (危険に抵抗する勇気、道徳的確信、責任威の三を合む)を説き、責
任本務の威を特に力説し、眞を愛とを最高債値をその基礎の上に自我を擁張するの
が愛國心てあるとして居る。それを彼の言でい へば、最高の合理的債値は最 理、正
義及び内心の自由で、最高の非合理的債値は孝道の愛及び隣人の愛であって、國家
の愛もこの基礎から重要であり、債値の愛は自我の擁大て、國家が吾々の債値を舎
む限り國家の愛は自己の擁張に外ならないといふのてある。
従来の學校も長善美聖の債値の獲得につくしては居るが、これらの債値の正しき
使用即ち道徳的勇気の陶治に於て不完全であるから、慈に作業學校の意味に於て品
性を行動の方面から陶治せねばならぬといふのが彼の主張てある。彼はなほ進んて
債値威は心的態度によるをし、真賊、個性の方面より本務の成途を論じ、嘉賦の基
礎の上に統一的學校組織の必要なることを主張して居る。
彼がその中に人格債値を最高の地位におくとき始めて長の赴曾的情操が成立する
をいって居る自覚的赴倉教育、園家的情操の陶治の方法に闘して説いて居ることは
顔る参考に値するものであるから次に述べやう。
—‫ ۔‬70 —
彼によれば、 再々が人間 となるためには人間に封して自由なる移めをなす時に始
めて可能である。 その自由なる案在には早く非同的實際作業に導くよりいく方法は
他にない。 それ故今日の軍校が社會的本移の教育の役目を果すには改善を要するo
即も軍校は平なる習所からして有效なる教育所に彼らなければならぬ 棲
志を愛知し、 意志を向ける ことは出來るけれども、 意志から行動に移るにはなば攜
^があるº 或る方面に於て行動するやう情らされたものが最も 確固たる決心に導
く。 早く生じた武會のために盛す科博が最もいく。 車なる言葉、 平なる教へ は社會
的情操を造らないº - なれば、 情操は知識以上のもので東在準備であるからであ
るº 小社會の活動範圍に於て活動的に慣らされない ものは、 大就會に於ても信徒 の
る素在者たることは出來ないº
それ故に 公民教育、 國家或情の愛達の第 一 の方法は作業團體に於ける教育で、 自
分のために働くのみてなく他人の素在のために自己の作業をなすやうに慣らされな
ければならぬ。慈に完 庭は人間が入り込む最初の最も組織的なる作業園鶴てある。
家庭が作業園鶴として著しいほどーその他の條件が著しければーその教育的債
値は大である。併し見童は早く家庭の協同生活から學校の生活に進むものであるか
*、寧校に於ける協同心の教育が必要てある。然るに今日の寧校は少しも作業園鶴
ではない。寧校が組織的に生徒の個人的作業を仲間の生徒若しくは學校の全鶴のた
めに建設して居ない。凡ての公民の子弟を結合しない。 それは國民の相違、宗派の
シはかりてなく、見童の将来のため(階級教育)と能力のために分裂させて居る。

校は他人を助けるこをを教へないて、仲間の生徒を歴服する動向を喚起するやう
*組織されて居る。寧校は常然そうならざるを得ないやうに施設されて居る。何を
なれば、事校は言語、書籍、筆記帳てのみ教育されて、共同の目的を達するやうに
生徒を統一する活動に慣らされて居ないから、個人々々の利己心を発達させる計り
『あるからてある。それ故に寧校を斯の如き個人的の名誉欲の場所から赴曾奉仕の
人上










生活
國家


意義


同じ




に 類 家庭



る する





主婦

º
ないぶ ど
ところが









生活家


さ 人開くす政供め放類封 º

解つし





たといふ

子運動
家に


を 必ずや務るめ福 でも

幸なく
た人類





あ素

義から


︽ 流浪
國際





主義




なく




在 術 世界




者 たいる間め 人
方されくに法 世界


導常永
3

國家
な正しい

)

しº



調


公民 の
人間
可能
によって
作業
する
あと共に

しから

º

公民 ふじく




本質


もの

%











同の
とく





民 ある 的

º 正得
場を

愛彼
撃に



根こと
の しい造然本機所 機
必制度
改、
する 理しい識化様間頼論

信場所
人知


多から
酸的
知に

正し

،

聞間
寿



のみ






人 く

— 72 ー~
於ける元ての理性的な生活體の最高點會~しての人類は、 その教建のために個々の
國家公族の内的組織及び 分業を必要 とする とき込 も国家が覚の教建のために家族及
びその他 の間體を必要とすると全く同じてあるº 軍に海地なる人類の ブッチャ交性
は何等の発達をなし得ないものであるº
佛しながら学校が造ることが出來て組織的教授により被應し機服し得る社會成特




で、

國威
ºの

あ成

,
o
べから
国るく家は
続ない
のみ
酸根
ぎる

は な
目想味同る的

す的


あに

のみ
準備

共。

興目的
愛の

は 共同
そして自り様味同いれ

ける


さ試合

共ば

興ほ
多の

目的
あ及び
各で


目貴義會く來る的族


す、


出に

たこと
º
社ない
正非

が のため
成す與隊が必要である。 成る航會が協同意志を続く時には非同與水は消失,33
それ故に岡家は間の意志をつくる事が必要であるº そして就會的動向がその英雄ų
あって、 成の郡に於て初选民族はといく歌德のものは無いº 國民的成棒に於ては ス
タケ 丘陵も 「 民族も強いけれども、 國民的威格は英の基礎に於て利己的のºS

ųからo „ J し國家威格は利他的のもので、 周邊民族はそれたっ“い がºその
發展を務めればならぬº
の 後の彼が立高は精 r 姊同心の終の必要、 社會心、國家公、 世界の側
係。 その行動發信からの教義方法は大に難くべさ のがある。 ライトと同じく國家に
出立してしかもそれに止めらず人類世界にも、 そして正義º自覺~德惠ºº成 sº
-
居る と さを注意すべさてある。
r ナトルプとヨーナス コーン
24及び アレ ジェンシュタイナーの経験的見地よりするものに対し、 理想主義。
合理主教徒り て国際的方面をより多く読めては居るが、同じ(鄉土 と國家 との教育
を説くものはナト 形 ブ及び コーシてあるº
先ジナトルブの 国民文化さ人格文化J ( 11 年) 及び 起會理想主義、社會
教育の原理』(一九二一年) から彼のいふ所を見るに、國民文化を人格文化とは非常
に違って居るゃうに見え、現代の多くの人は何れかの一っを努めるやうであるが、
雨者は相互に相規定するものであり、自由と赴曾をは連絡して居り従って人格の教
養を國民性の教養をは相連絡し、人格の正しき自由は深く旦固き基礎に立つ赴曾に
ょってのみ禁え、正しき赴曾は人格形成の自由なる開展によってのみ禁える。べス
タョッチは作業を少年教育の中心をしたが、この作業は暖かて心からなる家庭生活
の作業てあり、國民が楽えんがためには経済的濁立の教育が第一に必要てあるをす
るのてある。ヶルシェシシュタイナーはペスタロッチの理想をミュンへシに於て行
った。彼は全くべスタロッチの精碑によって職業教育、作業教育を人間陶治の門戸
ざした。そこには認識の教育も行動によって養はれるのてある。
べスタョッチは「隠者夜話』に於て階級を生活状態から隠れた人間的治を中心と
し、その基礎は環境の状況、即ち生活を行動、人間の赴曾に基くをして居る。家庭
及び家庭結合たる赴曾の教育に出立する。國民の教育は國民生活の全部に闘係しな
ければならぬ。べスタロッチの時代も工場勢働により家庭生活の破壊があったから
それを回復し家庭教育を改善するこをを主張した。そは家庭生活が赴曾の教育の基
礎であるからてある。
墨意べスタロッチの主張は、一、國民全部の向上のために國民の自発的なる協同
の形成、二、生産的勢働に闘係する教育任務のために直接的の教育をするこを、三
しかも職業教育、公民教育は人間教育に従属させるこをの三つてある。彼が中心と
する所は自由即ち自己から務する責任の行動てあるが、しかもそれは同時に赴曾的
のもの、経済及び政治の條件を考慮したものである。そして絶えず個性の精紳、個
性の意志から発し、思考、意欲及び創造的行動の無條件なる濁自性の喚起を目的と
するのである。一言ていへば自由なる赴曾を中心をするのであるを。
べスタロッチに學ぶべきは教育の目的は全鶴を眼中におく事である。比の全鶴の
中に於て最終の基礎は家庭の教育作業にありをする。即ち家庭は言語によらずして
生きた行動によって教へる。家庭の容智は人間の陶治にとって幹であって、凡ての
枝たる知識、科學はそれに基く。この幹が病めば文化は測落する。『ゲルトルード
は如何にしてその子を教へるか』といふこの題目がすてに家庭教育の重要をあらは
して居る。
べスタロッチは工業生活が家庭生活を悪化することを考へたけれども、常時の状
態は今日ほどでは無かった。今日に於ては結婚が生涯の結合の意義を失って子女の
教養は生活難のために関却せられて居る。フレーべルも比の鉄陥を救ふために幼稚
園の教育を力説した。ライヒラ☆その鉄陥を救済すべく幼年教育の純國家化を説い
た。併し理想的にするならば、それは家族の組合の手に委すべく國家はそれを助け
それを刺戦し、それを保護すべきである。自己管理の組織をして國民文化の凡ての
方面を含むべきである。
かくる組合の中に於ける教育は、連帶 在にまく書面像の他全なる姿 をなす
ことが出来るo 國民は言語でなく行動を以て数表せらるべきもので、 家庭に於て飛 織
がその子と共に生活しつくそれを再放に、 従順に、 動拠になすが 知(、 行動を以?
すべきであるo 學校は家庭教育のやうに行動さ、 直接の種情さ、 活家~を以てし、
學校教師は問題の心、 兩類の愛を以てすべさてある。 この行動、 事物の教育は作業
教育であるo 作業によらなければ事物は事ばれない。 ケッ ジェッ シュタイナーはこ
れを挙校に 入れることを始めたのである。
學校が家庭に比してカ行 ?«vことは軍校が家庭から社會に出る中間の社會なるそ
とであるo 學校から光の就會 《、 そして終りに國家の社會《衛家さくぎなければな
らgo ? る タロッチは光の画家の公民としての義務をカ設し、 アッツォ さ へ ºそれ
と記 く たo 南朝、 公共開館、 社會、 國家へ對する責任成の教養が必要である。 リー
ツの田園學校、 渡り鳥はそれに努めるº かくる教養によって連帶資在の念をつくる
こをが國民教育にをつて肝要のこをてある。
べスタロッチは特に寧校卒業後の務育について直接にはいはなかったが、併し彼
のいふ國民の勢働生活、経済生活の秩序はそれに闘するものてある。吾々は法律、
習慣などの秩序を持って居る。しかもそれは中央集権的でなく、自覚的、自治的な
ることを要する。か\る連帯責任は如何にして教養するかといふに、べ スタロッチ
の考ては手近の赴曾に於て質威、質験させるのてある。比の赴曾は質に作業園鶴で
ある。
軍意人間的赴曾の基礎は健全なる家庭生活にある。家庭生活の充質と共に少年園
の中に鶴育遊戯、高肉なる享楽、自由なる補習教育をなし、特に國家の公民として
の教育にっくさなければならぬ。公民教育には自己責任を有する青年園の中に於て
鶴育美育と共に倫理、赴曾、政治、宗教の知識を興へる。かくて自由にまての教育
が必要てある。
自立はかく必要であるが、 それは張文 であつてはならぬº 說會化が必要である。
0
co
精神的結合でなければならgº ンュタイン、 フンポルトなどはそれに努めた。 ベス
タッチも東各村民の結合により社の道德的發展を説いたº 英國に於ける大學機服
運動はこれを目的として居るº 國民の精神的指導に従事すべさ人はかくる教育に
意をればならgo 位しそれは民本的基礎に出立すべく、 そして道德的、 宗教的、 國
民的影響が中心であるo 動會教化事業は自由意志による仕事であると共に、 國民數
青に父での 公共的組織でなければならぬº
ベスタッチによれば見ての陶治は作業、 行動から数する。 人間の作業は特徴の
阿隆の中に成るもので社會的である。あ物の材料は科學を基礎とし形式は間帶的作
業で社會的基礎のものであるo 校に法律、 政治學、 法律中、 政治史、 法理學、 政治
教育學を要するº 2 して共の基礎は備理學であるº
人間の調和を完成するのは美的文化 の任務で、 それは知的及び他理的文化を強烈
する。美的國民教育には鶴育も旅行も闘係する。自然美のために郷土藝術が基礎を
供する。人間が郷土を持たなくなれば精碑的死である。郷土、環境の美化がこ\に
必要である。環境は自ら発達した赴曾てある。環境は彼の協同の場所であるから、
その詩、その歴史を知らなければならぬ。
自由と人格と赴曾との闘係を見るに、自由は無法則ても、非赴曾てもない。自由
は赴曾を自身に有するのみてなく、必然にそれを要求する。それ故人格の教養は赴
倉の教養、赴曾的勢働、政治的奮闘を矛盾しない。自由は決して孤立ではない。個
人間の結合は特に青年にをって高尚にして碑聖なる権利であって、國民意識即ち共
同文化財に封する共同的努力は最高の義務である。カシト、シラー、グーラ、ッシ
ポルト等は決して主観主義を力説したものでなく、その個性に最高の客観的なる*
の即ち赴曾債値及び人間債値を興へやうをして最も最面目に努力したのである。ッ g
アットさへも自由なる国民と自由なる基礎に立っ事を賞しさした。自由 な人
は、虎の意味に於 、 吉 卜火なるものく意味に於て、 最も知識人的なる知識人
2
の意味に於て示現する。 ライセチに従 へば、 周邊人たる ことは自由なることである co
そして文をれは最も人間的なる人間の意味に於てくあるo
以上すトップがいメ所は神阿にもケル シェン シュタイナーのいふ所と相近いもの
てある。 人道のカ說と國民意識さは共通であつ て、 國民特神、 國民文化をいかにカ
成するかを見るべきである。 そしてその教義方法は全くライやケレ シン シュタイ
ナー と同一 なのであるº
それは ſ國民文化 さ人格文化J はいふ所であるが、 社會理想主義 には人間的陶
治º自覺をカ說し、 國際的社會にも言及して居るが、 しかもホ家族心、 社會心、 國
家祖國の念を説くº 理念% 討會» は相互に適應すべく、 建全なる理想主義は生活に
德 宗の雑なる方向へšš曲? でなく 生器の最中に なければなら
º いよのが彼の主張てある。 語を稼ぐ てい へば理想を現實の中に見出して 一步タタ
進めといふのである。それ故に彼は次の如くいつて居る。
あまりに直線的なる合理主義も、プラトー式の焼き直しも共にいけない。つぶや
かず、忍耐っょき誠質なる協立に於て過去の重荷を負携し抜かねばならぬ。これは
凡ての人間の発達によって可能である。乳見も犯罪者も合理的存在者として発達し
なければならぬ。乳見は乳により、犯罪者は修復により共同的教育によって進む。
『彼のこと』 をし、正義を行ひ、赴曾的秩序を打立てる。直線的構成は赴曾主義を
ュートピャに堕落させる。ュートピャから科學に進まなければならぬ。
この可能なる救済の道について今日の状態を見れば次の如くてある。今日の勢働
者の共同生活は、故郷と結合する紐帯を断ち、郷土威情をなくし、家族氏族の結合
爺のシ夫婦の貞操、子女の発育、教育、魔吐ある道徳的安立、共同威情、園家
祀國の念の生長する凡ての健康なる根底を破って居る。結赴や集まりは赴曾的生活 鶴
の観を呈して居るけれども、純なる共同の念は消失して居る。吾々の生活は職責な
ー 84 ー
く、家なく、誠質なく、良習なく、歓びと平和をなく、祀國なく、國家なきものと
なって居る。なほ今日の痛切なる鉄陥は大にして深き創造的なる理念の鉄乏であ
る。創造的なる知を意志との鼓舞せられた勢働、澄測たる経済、活澄なる國家に於
て初めて具の共同鶴を見出すべく、それは異意自己の中に於てゞある。従来は統治
されて統治することを知らなかった。共同に作業はするもそれは同じ事をするとい
ふ逸てあって、各人は他人に封し責任を威じないで、全く孤立、分離の中に働いて
居るのである。それ故に自由なる自覚的の赴曾化が落に要てある。
即ち弦に強制を排庁する。しかも山を登るために身を縛って落ちないゃうにする
意味の強制は必要である。教育にもこんな意味の制約的強制の存在することは否認
しない。たゞその外部からの牽引も自己訓練の目的を持った手段てなければならな
い。教育の助力は人が自己を教育することを悟ることに向ってのみ働かなければな
らぬ。そして比の自己行貸の上に國家を建設する。それには彼自らを務見するこ。
が大切であるo &自らを意欲するとさが大切である。 意欲が存在しないな^ば、
意欲させる ことが必要で、 こくに教育が要る。 この自由のために変調することが大
初 であるº
徐々に既に久しい間、 意志、 風習、 鄭士公、 家庭的精神などのあらゆる内面的支
性が人間に続けておたくめ根底を失った。 故に家庭組合をつくって、 遊戲、 成後、
遠足等と共同的にやり、 母の組合によってベスタッチの理想を管理し、 李姓を再
び教育の中心に 心かなければならぬº
かくして先グ朝正なる意味に於ける國家、 福道の社會的統一 國家を建設しなけれ
ばならgo 光の銅鏡の社會國家が世界的社會主義に橋を示し、 强制なした構い建
関を捕捉すべきであるo 發展は 光度 及び 合 から数して機がる。 網通の社會
的國家 體實質から地球上の社會國家が自ら構成されるであ ろう。常は 周邊
家の国家 に向つて進されば止されであらう。 治 科學º教派人 が既に国際的にな
つた如きであらう。
これがナトルプの理想である。併しそれは前にいふ如くュートピャに堕するもの %
でない。現在の國家を基礎をしてゞある。「比の虜」 を 「今」から一歩々々進むので
ある。それ故経済と政治と連絡し、濁逸のそれから固めて行くのである。それ故に
次の如く説いて居る。
人間への教育は同時に経済と國家への教育てなければならぬ。従来の濁逸の高等
教育はそれを鉄いてみた。それ故教育は経済を國家への道を見出さず、経済を國家
とは教育への道を見出さない。これを救ふのが赴曾的教育てある。統一的経済と統
一的國家とに封する統一寧校はそれをなす。赴曾的教育は政治的てあつて、國家公
民を教育し、國家そのものを内部から築く。又それは経済的であつて、経済的勢働
へ教育する。偏狭なる質際政治を質際経済さが比の戦役に屈辱的破船をなした如く
偏狭なる質際教育は陸映するものてある。赴曾的教育は経済と國家との奴隷てな
い。経済に闘して寧校は家庭共同の型即ち質科學校、作業學校でなければならぬ。
今日の経済の危機はそれによって救はるべきである。
この赴曾的教育の内容については次の如く述べて居る。トレルチは核心的なるも
のとして古典的古代の精紳、基督教の精碑、北方的精紳殊にゲルマン的の特色をな
すもの、更にその中からドイツ的精碑の特色をなすものを数へて居る。併し今日及
び将来の濁逸文化を世界文化の基礎がこれのみては足りない。東洋文明に注意を挑
はないて行き過ぎることは出来ない。
以上ナトルプにっいて述べたのであるが、同じく新カント派に属するョーナス・ョ
ーンの 『現代文化の意義』 (一九一四年)及び 『教育の精碑』(一九一九年)の中から
彼の國民教育論を見て反省の資としやうを思ふ。

ー 87 =
コーンによれば、今日の時代は一方生活の合理化の時代、経済の國際的協調の時
代である。然るに一方園民的統一の努力、民力瀬養の努力の時代てあって、この封
— 88 —
立は 兄弟 であるやうに思はれるが、 この間の運輸交渉について考《たければな
らgº
文化のみの間結即ら文化國民を政治國民大 しやうとの試みは頻道及び 伊太利に於
て 一 八七O年ぶまでの歴史に見る所で、 北米合衆國にも近時新國民感情が起つた。 然
るに 一方には合理、 思考によって改造するといふのが資業の目錄~する所て、 少く
ーとも多数の社會改良家及び社會主義者の目的 とするところである。 しかも合理は、
現實を形成学ん どするとさに特殊の像作を考慮に 入れなければなら明。 此の修作則
ら國民の特性を考へると さは、 國民武器の多様なる を見るであらう。 此の頭足社の
福表には兄ての現存する特色を元て保存する事は必要でなく、 理想的國民性を現在
のものから成長發達させるやうに努力すべさであるº 國民運動は頭足の特性を果た
保存するよりは何等か與ç て居るº 得 《心れたものを貫現する のてなく、 全國民を
大なる自覺的統一 に持ら家さうとするものであるº
此の頭足的統 に於て11つの方向を見ることが出來、 それが時には カ、 時には
他の方とカ說するのを見るº その 1つ といふのは、 國民文化は特色を維持すること
く、 國民がその頭足的運動を自ら開拓すること く であるº 些の開者% もその目的を
意載せねばならgº 特色, 得統はそれが存在するが放に結合せられるのでなく、 自
由に認められるが故に結合されるのであるº なくして軍費留民運動は合理的に造ら
れたものではない所與の もの を 合理的飲求の目的に封し自由に認識することであ
るo
以上は n ージが 現代文化の意義 の京官の中に述べて居る所であって、 傳統~
合理 さを結合せんざすることを示しておるº 音人は彼がいかに結合して居るかを注
意して見やうと思 。彼によれば、今日に於ては小家族が人格的修を高め、國民
3
は人格の自由を提供する大團體となった。 即も国民は大なる例子の生活躍で個人 co
を創造者、 發展者 として見、 その 一員として見る。 そして小家族はその商民の細胞
— 90 —
であり、 機關てあるº
國民は歴史を有するが、 獨立の風民なるには文化の特色を要するº wして頭足は
その各員を自然的威常のみでなく伸理的義務によ つて結合しなければならぬº ,しか
* 此の義務は感情との結合が必要であるº 是 % し て の自覺と感情とが必要であ
るº 即ら海士威格が図民感情% 結合し、 祖國が図民と結合せればならgº 小生活修作
の中で言語の同一 は重要のもの であるから、 國民は言語の統一 を必要 とするº 人間
の目的が超國民的なる場合にも國民の中の結合は必要であるº Jれ個人は疑もなく
國民に属し て居るからであるº
自分の民族が唯一 の優秀民族であると説く ものがあるが、 自分は唯一 の優秀民族
であるから自分の民族に属し て居るのではなく、 自分の民族であるから帰する のみ
である。 優秀てあるから海士を愛するてなく、 それを愛する から信徒を認める の
である。 かくして各國民は平等に相交通して人類文化に貢献すべきであるo
魏王威性を国民的意志にぎて高めることは固よりあ要であつ て、 その統 を妨げ
るふのは階級の野立である。 上中流は就會の風習及び生活模式をつくり、 テレタ
ファは国際的に結合しやうとする。 この野立が統 を破るo
→ →松れなる国民である といふ高校必は他の国民を彼德にしやうとs ㏊
を走 。 かくる考を避けて人類の文化開館をつくらればならgº ~ は関連動の
世紀 大世紀 に於 沙阿波 羅多した。 經濟、 工廠、 衛生の方面、 科學研究の
隣 の流さく である。 かくる結合はアトム的な個人の結合でなく、 各國民の記
º- S 人潮 流行が生林面 となんねる。 國民的差異を無視さず、 それを取り入れ
カ人熟 銃である。 ライセラの 人類國民J % に 社 である これは各國民の正的
認めるものであるº
越獄 して成する例 が周家を建設するは正常のことである として開反的意
よ;
威は必ずしも人称的區分でなく、 統 的生法、 統 的經驗がそれをつくり、 特に
~
— 92 —
語の同一 が自然 と文化 さ を結合するº 佛克、 風習よりも國語がその生活形式をつく
る ものであるº そして國民は大家族、 残士の社會に失はれた際公 を自分の中に対 «
國民は岡家をつく つて目的の社會に結合しやうとするº そこに理想的狀態が達せら
れるが、 それには個人の自由なる活動を許すことを激怒するº 此の正義國家の考か -
ら國民及び國家の上に諸民族を結合する間體も生するてあらうº
國家は服從を張開する ことが出來、 特に 一 日 戦争 のる場合それをなすと どが出來
るº 他死し國家のカは 公民がそれを背定する報に存するº 事制的國家には服從がある
のみであるが、 立憲的國家は個人が全體の 一員なる責任を自覺しなければならぬ º
かく て正常なる國家航の教養が教育に於て必要 と なる。 それには11つの方面があ
るo は自由なる内的服從及び他功する行動をする所の正義さ、 他は岡家に封する
音人の議員とであるº 此の正義は旅行者として他の風に滞在するとさも有すべさも
のであるが、 就算は公民として 帰する國家に封してのみ各 6ところの ものである。
正義は秋 かに封する限從であって、 シクラテスはその永久的實例である。 しかし 止
義心は服從のみてなく、 正義の保護、 チーリングの所調 正義のための衛國を要すº
即ら個人が現存の構利に従つて行動するのみでなく、規則を得数しなければならぬº
此の正義のための戦は個人が規則に参加し自らわけ前を持つとさに生するものであ
る。 それに封し自分 の場する國家に封する職責は正義心以上にすくみ、 法律規則の
求める以上のことをするº その政體 如何に約はらず國家に封して議員を務理するも
-
ので、 科主國に於 てはそれを科主の人格に集めるº
正義及び 戦艦は、 品性及び意志の性質であるけれど8文知的婚能及び 一定の知識
を要する。 戰艦 が育目的 とならない 為必には御魂國家の歴史及び業績の知識を要す

~~- 93 —
るº 海邊國の元ての 公民が図民人としての湖邊人ではないから、 獨选國民或情の無い
* のには武家威語の数表が必要であるº 政官者は国家威特人 國民感情 との間加を知
らればならgº
94 —
國民教育は少年として武が民族の歴史、 風習、 道德、 戦術、 文學、 言語を意識的
に試験するやうに導かなければなられº 國民成精は自分の民族が最もい) ?のであ

___________
るといふ個加ではなく、 音タ の生宿線式が音タ のものであり、 音タ は再々の親王を
有するからその生法機式を愛するのである。
言語は数に民族精神の重要なる雑持者、 結合者であるから國民教育に於て特に必
要である 関語は聖なる思想了解の手段よりは以上のものである。 それ故にその特
性を保存しなければならgº ॥の特性は文學によくあらはれるからして國文學は
國民教育に大なる意義を有するº 居候の統 は共通の言語に関するから地方語は數
愛する必要がない。しかし地方語を厳し 龐+成性を勤めやうとするのではない。
それらをば民族就常に従姉させるのみであるº 大文學、 公共生活には共通の言語を
必要 とするから関銃の統 が必要である。 國民は空間的統 のみでな《時間的統
であるº 古文學は とくに必要であるº 國語についでは岡市 であるが、 その範圍及び
内容は國家的のものに限らない。國民道徳、造形美術及び音楽など、知識の封象を
してのみでなく、生徒の生活の部分でなければならぬ。それらは國民生活のあらは
れをしてのみでなく、それ自身奪重すべきものである。そして國家は土地に闘する
から、愛國心は國家と國民さの結合物である。多くの國民を國家が有するとき、そ
れは土地の争てなく土地に封する愛たらしめねばならぬ。
この愛國心と郷土心との闘係を見るに、都市の子供の郷土威は家具にすぎないか
ら田舎の子供の方が豊富であり、農民は愛國心よりも郷土心を持つ。これに反し都
市の住民はその眼界が全民族に向ひ、田舎人の目は近くを見るに過ぎない。然し都
曾人は田舎を慕ひ、田舎人は都倉を潟仰するから田舎人の郷土も豊富となり、又都
曾人の思慕も高尚となる。こ\に自己の生活を全鶴の一部分として威ずるやうに郷
土心を擁張するこさが必要である。郷土の知識、郷土の愛の必要さ共に都倉を田園 艇
さの交換が必要である。そして郷土を保存し務達させるのには、郷土の美酷、信値
— 96 ----
と仮処する»共に、鄭士の改善のためにはその総監を熱刺することを要する。 その
事长民族にも周囲にも必要であるº 民族»期國»は郷土の拡張されたものである。
个日爾遜人兄てが狗達を縦士 として成することはなば被分 て居る。 それには海士公
と婚する ことが必要であっ て、 それがために高地興趣語を果に交通語~~してのみ
きた (共同生活のあらばれざして考える と さが必要である。 海道全國に動する例體
„r 姊文學も必要で、 國語は特に重要であるº 外國語は外國的»して挙げるべさ
ものであるo 物量が多くの関語で教育されるのは危險である。 少(% ?~の風雨が
高さ文化に達して居る國民に於て徐小 である。
民族、 聖闘に封して頭<日 正しい愛を有して居るささ、 民族及び加國を襲 する
義に対して触するに人情である。特に見識に動しては全民族を隠する機能は通
けなければならgo 部もか くるものは撃技からは全く取り去るべさである。 湖湖人
の仕事に封して名譽を成するのは正義であるº たく外人の仕事を使德步ºS人 し
て説くは不正である。他國の文化に負ふことは共の國民の特色を失ふ ことではな
い。併し他國の風が如何なる獣に於て自國に適して居るかは考へなければならない。
そして自國の風と相違した酷を悪くいふべきてはない。他の文化を撮取して向上し
なければならぬ。
國家は國民精碑の身鶴として土地、空間を持っべきであるから力を必要とする。
それ故教育は自ら國家を有することを誇りとし、國家を失はうをするときには保護
することを教へなければならぬ。國家の全鶴の一員としての分け前を持っ自覚が必
要である。そしてそれは郷土心及び國民心の擁張である。教育はそこに悟性及び意
志を向けることを要する。単なる威情のみてはいけない。米國が他園から這入って
来たものに米國旗について教へることを考へよ。そこに少年義勇園の教育が力説さ
れるが、それは自由なる國民教育であるべきことを忘れてはならぬ。自ら興論の作
成に参加するときは、他律的でなく自律的てある。歴史的連績は事質のことであっ
て革命は決して過去を引き離したのではない。公民教育は歴史を基礎をしなければ
S
ならぬ。歴史を共に憲法の教授も必要であるが、それはたゞ憲法について教へるの Q
みでなく、政治状態の成立と政治生活を直観的に斎すことてなければならぬ。
これを要するに、強固なる意志を以て自國民の中に力強く貢蹴多き國家を建設し、
他國民の正義を奪重することが必要である。過去を知り過去から発した現代を理解
することが必要である。正義のみが世界を支配するこを、自己の権利を力強く質現
するこをを忘れてはならぬ。少年にかくの如き意志の強固を助け、戦争を暴力より
☆平和と正義をが優れることの確信を強からしむべきである。
以上ョーンの主張するもの\中で、彼が博統、風習、歴史を奪重すると共に合理
正義、博愛を見服従を説くと共に自覚と参加とを主張するに考へなければならぬ。
自らを撰民と考へ、排他的、利己的行動を排する事に注意すべきである。國民威情
と國家威情、誠質と正義との匿別もよく味はなければならぬ。この匿別が殖民地の
教育に参考となると共に新思想家、 急進思想家が合理的なる方面、 國家的感情のみ
と感じて、 國民成信を高く話に注意を要するº > 1 ンが認識、 國文學のカ設~
從 つて外國語に関して ウ“ 形 スが数ヶ國語を教へ よとい~ ~能 、 立場の相違を考
< なければならgo てして n 1ンが関家を失はんとする時これを保護することを数
ベトしいふ立場をクレス 等の超國家主義のもの と野立して考 《 なければならぬº
名譽の戦死はこの戦の必要なる教材ではないかº 而して文 n ージが国家國民を思春
する演說を抜からさけよといふ注意、 海士佔據表のカ設など大に味。 ベさぶのが
あるº
三 < ーニッシュ
周邊社會民主黨の文相であった ページ シュの 頭家人 大學—國民教育開通の
會 と見るに彼も水合理的自覺的なる国民教育論者であり、 反對黨がいふさ非

愛國者でもなく國際原理の続道者でもないのがわかる。 そくには主~して前者の方
ー 100 -ー
面から注意する。
へーニッシュによれば、世界観の封立、政窯の封立、経済闘係の興味の封立は全
國民を弱めるものてなく、國民生活に債値ある力を生ずる。然しそれには醸備條件
として必ずその封立者が一 つの大なる全鶴の各員たるこをを絶えず意識し居るこ
を、その封立を互に了解して一方は他方に封し常に公正なることを要する。獅逸國
民の歴史に於て今日ほど國民の結合祀國的精碑に充てる作業園鶴を必要とする時代
はない。エナの大敗後文相ウイルへ ルム・フオン・フンボルトは國民の凡ての部分を
出来る丈け融和することを第一とするといったが、予も赤それに努力することを光
禁とする。
今日勢働者と大學生との間には深い誤解がある。今日の多数の大學生は赴曾主義
の勢働園鶴を凡ての今日の調悪の源と考へて居る。それは名撃、自由、祀國をすて
\國際的獅太主義に興し、べルサイユの屈辱的平和を結ばしめたを考へて居る。勢
榮大學生の本質を子解しないで勝者の敵~して見、 元に敵 を持って見
るo J の誤解、 衛奕を除くことは極めて必要であるº
百年前に於ては頻道の大學は全國民存在の中心に立ち、 法務なる影響がそれから
流れ出たo 2 ん と チとシュ ライエル マッ ヘルとは関民の指導者であり、 彼等の下に
學生は民本的網通のために復國したº 然るに今は大學が国民の誤解の下に立って居
るo <は勿論大學に於てなされた研究の業績及び教派を知って居す、 戰時につく
した食欲も知り て居るo 然るに个日は百年前の熱誠の太陽 と異す、 表白、 暗算の論
かな月であるo 年前の精神的、 道德的飲水は今日月出すことが出来ない て、 國民
と大學とは対立して居るº 他获大學建設の常時 と異~ 1た カ年に於けるケッシ
の大學の設立は関民に冷静に読められて居るº
*
0
个日に於 ては愛生面とが働者とに於て関民及び開國の考が異つて居る。 この証を -
根本的に考 < るは大切の事であるº 國民成樹人 國際主義~はとららも個定しな旅舍
てはなく、時代の鍵化に伴ひ内容がかはる。へーグルの語でいふならば絶封的範疇
でなく、歴史的範疇である。希臓のいひあらはし方ていへば「凡ての物は流る」で 鷹
ある。例へばョーマ教曾の國際主義は希臓時代の宇宙主義と違ふ。國民主義も赤時
代と階級とを異にするに従って異る。碑聖ローマ帝國の盛時とビスマルクの時代と
は異り、上流のそれと勢働者のそれとも異る。種族を異にする場合も同じてあって
露西亜の汎スラヴ主義と備蘭西の「行け、祀國のために」とは異り、戦前濁逸の忠
君的愛國と英國の「支配せよ、英國」とは異る。獅逸では十九世紀の中頃統一を自
山ーをいふのが高い叫び盤であった。今日の勢働者も赤祀國の基礎に立って居る。
今日の濁逸は資本家の濁逸てなく、勢働者の濁逸てある。自分は一九一五年に 『勢
働者と濁逸』 といふ書に彼等の愛國心を述べた。たゞ勢働者は赴曾主義の濁逸につ
とめる。勢働階級は他の階級を等しく祀國につくさんをする。戦争に於ては初論濁
逸の勝利を望むものである。
周邊の像大なる社會主義者の演說及び業作は映さ國民政府を示した。 フェルチナ
シド ・ ラソナーレ は 八五九年の 伊太利戰爭 に於て御魂 の国民的復活を彼の最
高目的とし、 ナポレオン から使 太利を自由にし、 湖邊ーとしては シュレスウイ と ホル
シュタインを取るべしとしたº | 小六二年の フィ と チ の哲學 網通國民統制の意
義 に於ては御魂統 の思想を網通人の心情に難(宗教として読め て居るº網通後總
同盟の指導者 としてラッサーレ を継いだ ンユアイチチル もホ國民的見地をカ設し
たº ングルス の書にも加國的熱情はあふれて居るのを見るº ? ーベルが 一 九O四
年にいつ て居るものもク れであるº 大戰に於て社會民主張は大なる貴就をした。 そ
れ故とくに チーベルト、 シャイデマン等が大戰中に破風及び制國に関する演說は略
して らくº 於るに御通婚之中、 純軍國的、 王朝的、 政治的反動の部分さ 經濟的部分
とが配流的狀態にあるほと國民服器にとつて危険の状態にある時はない。 R
文个日任と周邊に於て反 ユダヤ主義の艦な時代はないº かくて外國生れの精太人
— 104 —
は大學に入れない として居るº 供し勝國在住の総本人も頻道の文化º經濟ºた武成
した ことが極めて多いから、 これを図民的見地から見れば被奪を除外することは地
であるo ての連絡を破ることは関民の自殺である。 大戰中の事實についてそれを見
るも、 ユダヤ人は戦争に貢献したことは大 てある。 それ故學生面が彼等を加國の数
遊人とする のは常らないº
以上 1 ッシュ の主張の果して事實であるか否かは数に問題 としない。 加國的
精神のカ說を読めたいのであるº 彼がいメ國家の構カ思想を図民の文化思想にか«
ることはいく 必能力、 魏徵性の思義をランボルトに限って設(圖。いく。
かし彼の社會主義、 ユダヤ主義に封する側邊有盛の見地からい へ ば、 彼のは我田切
永のものが多から50 億し此處には彼も兼總統、 祖國精神のカ能 なることを
注意して、 反國家的なる成が図の社會主義者を奪わ、 急進器に反省を望み、 同時
にな た極端なる保守派にも売春3% 討があることをいはうº地。
如上前車及び本草に可成り長久しくも紹介した國民教育の思想は音タ の基大なる
與隊をそ くる ものではない かº ㎜ 1 年 の中にも音タ に考察點を興 へ るものがある
ではないかº 有人は以下數章に於て成が図民教育の方針及び 方法 でのものについて
考 へ やうと 思よº
第五章 ॥民教育 と國民進德
前二章の彼城に於て各國共國民教育の基礎を築し、 國民的團結を計ることに事
心であるこどの 証は説はれるº 國民特神、 國民性がいかに高調され ておるかく見
られ得るのであるº 國際主義の色彩のものに於てもそうてあるº ッ トの論述を離れ
て登陸を見る場合に 第三章の冒頭に述べた 知 事件が何の間に 洋である。 或
が図に於ても大正八年の改正に於て施氏地理の時間を多くし、 高等學校には頭皮を 地
加 、本の孫権には 後輩の葉を 、高等學校本には常に巻の
— 106 ー
克階にカ行 、しそし、 中學校令第一 條にも特に関民進德の養成にカペしとい 公交
を脱却した。 小學歷史が 武安人となっ て関根據說の部分 を加 へ たのも その領向であ
る。 然るに社會、 思想の状況はすでに述べた 神宗介すべさものがあり、 學校もホ
大學から小學改て改正に作家的容の充實が行はれておないやうに思~&0&はこの
新に努力しなければならぬ のであるº
我が図式教育の方針は教育に関する物語、 成中認書などに述べられて居るが、 乙
の周武道德た軍に道德の語義に提はれて、 それが合行風習的要素及び家教的要素を
開封さるために修身教授が狗教義に流れるの ではある いかº う イは頭馬教育の非
趙~してドイツ の民風さ 民風的宗教を カ說して居ること前軍に 述べた知 <である
が、 百人は道德の文字に提はれないて、 よくその内容、 性質を公 宗しやうと思 不o
即ら本軍は国民教育の方針 てあり対料である所の図民道德の性質に開する飛航との
ベやうと思 よº
吾人の見る所を以てすれば、我が國民道徳には風習的要素を先づ含んでおると思
ふ。これ道徳が風習に始まり又風習、生活形式を相伴ふものであるからてある。合
理論者、急進主義者はこれを無祀するけれども、道徳は合理のみのものてなく、情
意に本づくもの、それは國民の風習と生活形式をから離れるこをは出来ない。民風
から離れるところ否民風を改善して行くところに進歩はあるが、民風は進歩の基礎
をなすものてある。それ故ロスの如き風習は妨害とならざる限り保存すべきもので
あるといふのである。民風の研究者サムナーは民風を定義して民衆が同時に興味を
満足しやうをして集園現象を起し、それが統一、反復結合せられたものとして居る
が、民風はか\る園結的のもの、これロスが無害無益ても有害ならざる限り保存す
べしをいふ所以てある。サムナーは比の民風が正しき生活の理論を幸顧のための生
活政策を取るとき風習道徳となるをいつて居るが、反省道徳、自覚の必要はいふま % す
でもないけれども、無意識的な風習と風習道徳とに必要な根底があるこさは明らか
である。近時一般に精碑活動の情意方面及び無意識方面が精碑分析寧などにょり多
8
0
大の注意を呼び起して来たのてあるが、國民道徳に於ても比の方面が力説されなけ すよ
れば根底ある教養の質を撃げることが出来ないと思ふ。ロスは風習の維持に闘する
法則の中に威情的なる丈け風習はよく維持さるといって居るが、修身教授が一時的
の御談義もしくは威情の一時的元奮に止まらず、訓練を共に國民的儀式、年中行
等の中に情意、習慣の方面からその教養に霊さなければならぬ。同じくョスが園鶴
的なるほど風習は保存され得といふ法則から考へて、我が國民道徳は質際國民園鶴
的てある特色を有して居るこをに注意し、又ロスがいふ所の近づき難きところ (田
舎の如き)に風習は保存され得ること、ライが力説する地方に於ける風習道徳の堅
質をその発展をに留意しなければならない。
風習及び風習道徳は意識的、反省的方面に発展して反省道徳、道徳的自覚を生む。
國民道徳といふ以上その主部分がか\る道徳的要素てあることは吾人も認めるこさ
初論てある。この部分は何人も國民道徳をいふ以上注意しないものはないから、吾
人は本章に國民道徳の性質、要素を考ふる場合特に力説する必要はないを思ふ。た
ゞ所請國粋思想の中には民風の強制にすぎて自覚の要素を鉄くものがあるから、そ
れに封しては比の反省的道徳の要素を力説する必要もある。そして由来この道徳的
要素の説明が功利主義を以てして唯心的要素を鉄いで居る酷を落に注意したい。道
徳の眞髄はリップスがいふ如く主観的方面にある。見童には功利的説明より入るべ
きてはあるが、進んだ段階に於ては唯心的説明を以てしなければならぬ。明治時代
の功利的思想が道徳の説明をその方面からのみ見て、精碑的方面を関却したことは
大なる誤である。
第三に我が國民道徳は宗教的要素を有して居るものてあり、これを力説する時に
前述の唯心的、精碑的鉄陥が充たされ、國民道徳教育即ち國民教育が始めて徹底し g
1人
得る。前章に見た如くライは國民的宗教の要素を注意し、祀先の崇拝を説いて居る
— 110 —
し、 ナトレブも水文組の集数を説いて居るが、 我が認定這德の中心なる敵制度國の
念は祖國の神に封し、 國家に封する愛國的信仰てある。 史 考 文郡の忠文は家人类
6、 自美麗に封し、 祖先に封し、 神靈 さして信頼朝陈ºる超對的威格が主になって京
るo 然るに多くの論者は我が図の祖先秦野は父母に封する者を加元に及ばした 。の
であるといふけれども、 これは艦数を以て成が誕生素养を曲解した もの である。 道
德的に父母に封する者必を以て製炎に及ばすことに何等政府はないが、 事實家が風
の祖先 発は聖靈 感神の風習、 宗教に始まったものであり、 今日º文鼎盛の挑発化
聖靈として神明の加護の信仰に於て真の数度の念の海くのを見るのである。 神社傍
数も北の信念の下に立つて始めて撤退する。 音タ民衆はかくして居る。 然º作為避
思想家はこれを除外して考えるから神社も編修。同じ~なる。 國家化對 ,る効
學 ,63),本で考 るからである 方會完数上の興黨黨界が樹木道德的要素を図
加して変たととは勿論であるが、 今日君なが神社、 柳樹海域に動して起飞虎の撤走
の誠は道徳上の報本反始のみでなく、祀霊に封して斬る宗教的態度である。斬らず
とても碑が守るをいふのは、既に碑を認めて誠を説くもの、道徳を宗教さの一致を
説くものてあるが、吾々は明治大帝を共に祀霊に所り、祀霊に騎依する。ギユーリ
ックは『日本人の進化』 に於て忠孝は宗教的情操であるをいひ、この宗教的情操か
ら碑赴が建てられて今日に大なる影響を及ぼして居るをいつて居るが、この騎に想
到しなければ精碑的なる國民教育、國民道徳の教養はなし難い。これ根本に徹底し
ないからてある。我が「國民道徳」が軍に道徳でなく、風習的要素及び宗教的要素
を含み、その根底に立つ ことを自覚しなければ、國民道徳の教養に全きものてな
い。これ吾人の國民道徳の宗教化(下篇参照) を説く所以てある。
或る論者は祀霊崇拝の事質を否定しやうとして、生前親愛の情を以てしたものが
死後恐怖を感ずるは不自然さいふ。かくて恐怖と希望、長怖さ騎依との雨面性を有
する宗教的本質を祀先崇拝から除かうとするのであるが、論者のいふ不自然は心理
ー 112 ー
上、宗教上の事質を関却するもので事質でない。明治の物質的、功利的思潮は精碑
的、宗教的要素を忘れしめ、政策としての碑赴行政はこれを除いて見て居るけれど
も、それがために事質を見失ってはならぬ。義理として本務として軍に園家に封す
る功業を追慕するのみでは敬碑思想は通り一遍のものをなる。義務的威謝のみてな
く、宗教的威謝、碑人合「の場所をして始めて碑赴と祀先祭りとが意義を有して来
る。単なる風習から道徳化した儒教の功を認めぬのではないが、功利的、現質的に
解響して、唯心的、心霊的方面を関却したことはその過てある。
これを要するに國民教育の方針であり材料てある所の 「國民道徳」 は道徳として
の外に風習を宗教との要素を合んて居るものてあり、その要素を力説することによ
り國民道徳の教養を徹底することが出来るのである。弦になほこの酷を明にするた
-
Hのに比の三要素を発達的に見て行かうと思ふ。
第六章 國民道徳の発達
一、風習的要素
我が國民道徳に於て風習的要素の存在するこを、それが基礎として重んずべきこ
をは前章にこれを述べたのてあるが、この風習はいくたの鍵遷を経てしかも美風と
して存して居るこをを本章に先づ一警したい。
祀碑崇拝の風習はいづこの赴倉にもあった。我が國に於ては天照大神が祀碑の祭
式のために自ら襲を総り給ふたことが得 られ、神武帝が御即位のシ
職を設けられたこをは歴史の記述する所である。これが宗教的要素のものてあり、
又大孝を宣べさせ給ふ道徳的要素のものてあることはいふ逸もない。純神道、権碑 一
の道はか\る風習、宗教、道徳のものである。崇碑の朝の敬碑の認などに*ょく現 B
はれて居る。それが常時の生活様式であった所へシ入ってシの
ー 114 ー
常初は文字の教育が中心てあったが、その後支那の風習儀濃は留學生の派遣と共に
多大に取り入れられ、固有の祀先崇拝は支那の儀濃風習の形式を取り入れた事の多
いことは今日の祭式の内容形式に見る虜てある。
固有の風習に封し封立的に衝突を見たものは備教の典濃である。併しこれも祀碑
崇拝に結合して祀先祭りを備壇の先祀崇拝をしてあらはれた。かくして儒教は初論
備数も固有の風習と調和して、外園には殆んど失はれた祀先崇拝の風習が今日に継
績して居て、ライやナトルプのいふ所の父祀の奪敬が國民園結の力をなって居る。
然るに明治時代の功利主義、主知主義、科學主義は軍なる風習を無意味をするや
うな傾向を生み、 それが反宗教的、物質的の思想を醸成したのてある。風習の奪重
は既に説いた如くてあって、それが宗教的要素とも道徳的要素とも連闘して居るの
であるから、家庭と赴曾と學校をはこの酷に意を用ひなければならぬ。
1」、宗教的要素
原始時代は風習の中に宗教も道徳も合まれる。それが惟碑の道である。そしてそ
の風習は碑を中心とせるもの、道徳も赤碑に基づくものである。かくて宗教的要素
は碑道、本教、日本の水土による教の中に著しいのてある。前節に風習的要素とし
て見たものも宗教的であり、宗教的儀式である。
この宗教的要素は祀先教であり、民族教であり、碑人教であり、多碑教であった。
この多碑教は汎碑教に行く道として備教思想による室町時代の汎碑的解響にあらは
れて居る。しかもその多碑、碑人の酷に個性の中に碑を見るギューリックのいはゆ
るよき傾向がある。それ故我が固有の宗教は決して或る論者がいふ如き軍なる過去
の宗教でなく、儒教や備教の思想をも加味しテイーレのいはゆる他の外教のよき要
素を取り入れて今日にまで発達し、また発達すべきものてある。

15
儒教は先づ儀濃と倫理的宗教に向ふ要素とを興へ、備教は宗教的宇宙観を興へて =
碑道教理の形成となった。室町時代にはト部傘倶によってそれが打立てられ、親房
書には神道の借鑒を見る。德川の 後時代になれば、雲山は牛
學から理常 少地神道を立て、 能是、 延住、 開辦公な未子學から解釋して、 教義の建部
設を試み、 それを宣傳した。 此の 他的方面の像、 ひしろその信仰が民間に試
入って無疑でなく 民衆教化の魔 い方面に進んでは心學者 のあるもの、 宗教的神道家
の宣傳 となつなº vして信佛的解釋から離れて古代の信仰にか へ る傾向は本居の日
神拳、 本田の信仰となったが書くに風雲、紫のカ能 作って居ること
は事實てあるº 本月舉派の思想は この道義即ら大義名分と、 兵種模式の追究即ら頭
資的要素が著しいが、 しかもホその動力の中心は敵疎學術の愛國的信仰であつなº
それらが明治維新をつくり、 國本のカ となつたのであるが、 その後の功利的、 物質
的、 急進的領向が異體後成 さ是史の成熟銃とを過去のもの精神なさ ものと見るやうな
思想を生じ て家たのであるから、 音人は前部に見たやうに比の精神的、 心靈的方面
をカ設しやうと思い のであるº
三、道徳的要素
風習と宗教をの中にも道徳は含まれておる。潔白、正直、誠はその間に奪重せら
れ、崇祀、敬碑の風習の間に忠孝は守られた。道徳の教訓としては天壊無窮の碑勅
と碑鏡奉斎の御教の二大語勅があり、崇碑の朝に至れば教化の語が喚務せられた。
垂仁帝の語は風習道徳から反省道徳にす\む道を示す。罪過の自覚も宗教の即ち碑
に封する道から起つて来た。
儒教はこ\に文字と徳目とを教へて思考概念の発達と道徳的観念の明瞭、反省に
機曾を興へ、備教は五戒と四恩とを教へ て来た。
平安朝に「本朝の綱教は敬碑を以て最上となす」といひ、鎌倉時代に「碑赴を修
理し祭祀を専らにすべき」 式目を造ったのは、國民道徳即ち固有の風習と宗教と道
徳とを奪重するものであった。室町時代になると、一條翁良の碑令上下は天津御碑
の教として君臣父子の道、忠孝の道を説き、固有の道徳としてスナホ、マコト、ア
ハレミ、キヨメ、キャマヒ、ットメ、ッョミの諸徳を力説した。
3
徳川時代に於て山鹿素行の 『中朝事質』 は固有の風習、道徳を分類し、熊澤審山 すま
1
は日本の水土による教を力説し、頼房の敬碑は水戸學の源をつくったのであるが、
固有の道徳をす\むるに儒備の道徳を以てして明治時代に至り、泰西の本務自覚の
道徳をも加へて進んで来た。
比の外来思想の撮取に國民道徳の進歩があることは論はない。如かも進歩は停統
の上に成る。この二つの事賞を忘れてはならぬ。面して又文化が多様の方面を有す
る如く、狭義の道徳も風習と宗教と手を携へて始めて人倫の進歩を見る。風習、生
活様式は道徳の基礎であり、宗教、儀濃は道徳の根底である。この酷を注意して始
めて 「國民教育の基礎」が徹底することが出来る。
第七章 國民教育の方法
音人は国際教育を図民教育の思潮を紹介する中にも、 國民道德の性質及び發達を
節氣する中にも時々國民教育の方法に開設したのであるが、 本草にはそれらを旗舰
して考 、 て見やうと思~&º
一、 宗教 は
國民教育の方針と教材 C文化財) は國民道德であつて、 その宗教的要素、 宗教的
方面をカ說するととの必要は既に述べた加くである。 その力能を音人は宗教化とし
て岩 《 て居る0 ㎡本人は宗教に冷淡なりなと考へる の は 事實でなく、 愛國的信仰
の熱烈はギューリックをして日本人は非常に 完 数 的 なりといはしめて居る位であ
るº
元來宗教% 教育とを無關係に考 { るのは現今の勢であつて、 學校行政に於ては分
離して居る問者を抜い教育から連絡して考 《 ることが極めて必要である。 そして特 ●
**
w
に事校教育に於ける國民教育は國民道德の宗教的要素に考慮しなければならぬº 数
に古來の宗教 タ 育の教建 (下轄第七章參照)、宗教タ育の方法に事求 さ ころがなく て
はならないº ッ ト說《明の諸方法の見地もホ 般教育方法の進步に軍、る もの であ 沿
-
ると共に、 古來現在の宗教タ 育の方法にも軍人だもの であるº
ニ、 試 鲁 代
社會化的方法、 作業團體による教育、 それ近時張く主張せられる所の もので、 そ
の主張貼 られる理由は、 敵て説明を要しないであらう。 故にはそれを武路資に見
るに、 そは間結心 の教育てあり、 それは社會化的方法によって始めて完全に行はれ
るº 近時の宗教タ育學者は貨に その報をカ說して居るº 集数も道德も個人の反省、
內的感情、 自覺に本ジくものではあるが、 同時にそれは集團生活の生さて動(部分
人となり、 個人的から社會的 《向つて考 へ つれなければならぬº 國民道德は社會事在
であり、 その宗教的要素も神社の 社 の意義に見る 効く間體的修養でなければなら
go
社會化は開館化であると共に現代化、 實就會化でなければならぬ。 現今の社會生
活。 即ら見量の現在の環境について考慮せられなければならない。 國民進德は過去
の固有の道德であると共に現代化して社會のカさならなければならぬ。 新教 友有者
が就會學的研究を説くのはこれが 変わである。 彼等は聖書を歴史的、 社會的のふの
として見ることをカ設して居るが、 我が国民道德は既に展史的社會的のぶ のである
から 一層然らざるを得ないº
三、 個 件 º
社會學的方面のカ設 さ共に心理學的方法のカ說は宗教タ育論者の主張であり、 文
一般教育に於けるカ說點であるº 宗教タ育に於ては既に艦旗設義さ個性的方法がカ
說せられたのであるが、 學校教育の常 として 機の取扱が行はれがらである。後に
奈々育に於ては 様の取扱から離れて年齢によって発を異に する こそく なっ
༄ ༅にかんだまであるが、佐“,
分化し、 地方»都會との環境によっても分化しなければなられ。 地方º都會ºたよ
2
c
つてカ設する所が異り、 家庭の境遇によっても考慮を異にしなければならい。 例« -
に農、 敵の象廳 後 るものとに於 法を境にする必要がある。
四、 合 羯 代
宗教にも教義の合理化的方面があるº 信念信仰は情意的のものではあるが、 御的
方面»も連絡する所がなければならgº 次晉國民道德教養方法の中心は常意的、 香
情的方面にあるが、 知的文化の教建に伴って合理化が必要 となる。 鄭軍火 のベカ軍
町時代、 德川時代の軌道の微軟的机神論や無数的宇宙論化はそれである。 現代の宗
数學化もそれである0 * 19 ンクが義が神道に於ける個人に神性を認める ことは
現代化し得る基礎であるといつて居ることは味ムペさ言葉である。 その合理化は決
して自然科學化でなく、 社會科學化である。 宗教學、 社會學の方面から逃 っける
ことが中心で、 エレクッドは宗教タ育についてこれを唱 《 、 禁酒運動º 科學º千º
携へたさき成功したをいって居る。初論碑話は碑話として取扱ふべく、博説は偉説
をして見ればよい。それがやがて合理的である。た、それを直に現代になのか、意
義あるものをして考へるは保守派の弊風でそれを除くこをが合理化、歴史化、赴倉
學化である。しかもこれは一方面であつて、これがために情意習慣の大切なる部分
を忘れてはならぬ。
五、行 化
「なすな*によって事ぶ」とは知識の教育について主張されるさ共に宗教々育にも
道徳教育にも力説せられる。我が國民教育は必ずそこに意を用みなければならぬ。
作業學校、構案教授、動的教育など、それは思考の活動を説くを共に行動の要素を
力説するものである。意志活動即ち行動に向はんをする精碑的態度、行動そのもの
即ち習慣による教育によって始めて國民務育が徹底し得るのである。それ故先づ家
庭に於て國民数育の質行がなければならぬ。敬碑崇備の祀先祭りは初論、五節句そ
の他の年中行事は國民の習慣により國民的、園鶴的精碑を教養する好箇の機倉であ
る。幼稚園及び學校に於ても節句や大祭祀日、紀念日、その他の国民的儀式を以て
国民教育の最上の 倉 しなければならぬ。作業シのシス
これに資するものである。ケルシェンシュタイナーが作業寧校を以て公民教育の目
的を達するものをしたのはそれである。ャーシの國民鶴操もそれであった。近時の
少年義勇回(ボーイスカウト)も、少女野営園もそれである。戦後いかに少年義勇
圓が各園の學校に用みられて居るかを忘れてはならぬ。今その状況を語らうと思
ふ。
少年義勇園の創造者たる英國のロバート、バーデン・パウェルは昨年の備園教育
雑誌『教育』七月競に寄書して次の如く述べて居る。
近時文明園に於けるスカウトの発達は驚く計りである。現代教育の情勢を見るよ
凡て一般陶治、人道への教育を第一重要のこと\する。しかも腰々古シ
とする奮式教育を望むものがある。然しながら教育にして名誉、眞質、本務の威情
の基礎を開拓し、人生の美と趣味とを評債する能力を陶治するてなければその目的
を達したをいふ事は出来ない。世界みな品性を中心とすることは明らかである。併
し自分の見るをころによれば、品性の機械的務達は教育のよき理想でない。英國の
有名な教育者アルフレッド・ホプキンソン卿がタイムスに於て評論して居る所にょ
るを、寧校の施設の完備を教科の完全とよりもよき方法の適用が重要てある。例へ
ばボーイスカウトをガールガイドをによる品性陶治の如きはよき方法である。現代
教育のよき運動てある。何をなればそれは身心の健全なる発達によって品性を発展
する事を以て主目的とするからてあると。
スカウトの債値は教育家及び教師によって認められて来た。英國に於ては大公立
學校の校長は最初には競技及び遊戯にスカウト主義を入れやうをしなかった。然る 圏
に今やスカット主義は将来の国民の指導者をっくる事に於て、品性の向治に於て、
食の仲に於 大なる動けをなし勝 を飾った。 三年の秋の後にメットま
義は イートンとの他の大公立學校に採用され、 他の公立學校に もそれを見る に至っ
た 中學校建校でも 小熊隊のやうに組織されたものが出來、 他の種の事被º少年
義勇間組合に加入して家たº 大學の中にも スカウトの間體がある。 自分は n P ンビ
ャ大學教育學教授ラッセ 形式の見解を引用して本文を終らうと思 。
かく メク 王 》將軍は達Y て居るが、 そのラッセル教授の論の大意はそうてあるº
スカウト主義の中で著しいのは教案でなく数法てあるº 有无量によさ發 信を興《 る
ことに就いて スカウトは死んど理想を貫現したものである。 その質行には11つの飛
本條件があるo は容積を造ることで、 他は創造性、 克己、 自助、 自信の修練の機
會を提供する ことであるº 然るに今日の米國の軍校はスカウトの精神及び スタント
の方法を武線しない0 %國の軍校の中には道德的價值、愛國心、公民の輸機がない。
民本的國家の中によさ公民の警備を計る器械がない。 ポーイ スカウトの質行は成の
感い退じ





撃同

多さ

機會
させる
o は す
フランス

















ない


中心く



と 記養知治び心憶成 の

及中しない







物性
政とし

周意志
(

を なめる

な活動

國。

止て


再たると


そ鉄



くしれ々民る 彼 つかん導る業っの o
商よってり導る治業 は
政農業
す、


指の
º
ある
にところで
た者
(


西
爾 1
持熱
居指導
作て

あ間
指で

いかく




音 事ると



な自
















个 物者




る 報導





~








られ


これ



。 告 德育


れ 同111

ジT

ベ場
1・

英が





提出
會議
ョージ國じ
ルチェ するり


目的
あ器械

プログラム
o
なるには體會れた格

資指導

持貴



ら及び


社なけれ
全o



な路令會究校しく
'
にº
研学事


社外



命間



公活動

元 _
連帯責任のために自然的利己主義を破らなければならぬ。教育はこ\に奴隷を造る
を同じく指導者をも造るこをが出来る。指導者の特色たる生活の支配、勇気の習慣 園
反省をつくるこをが出来る。 一
今吾々にして優れたる精英の養成を研究するならば、先づ學校の中の組長、スカ
ウトの中の庁候長及び分隊長の役目について考へなければならぬ。先づ殺師が生徒
に進歩的自由を許してよく組織されて居る寧校を見るに、その園鶴は秩序整然をし
て作業と道徳的生活とが組長によってよく整理され調和されて居る。英米備にその
例を見る。組長の上に継組長がある。各組長の曾議によって各役員を定めるが、そ
れが将来の指導者の醸備教育となる。四五十人の寧校に四五人の組長の上に一人の
學校組長が管理し、遊戯、作業、各種の倉合も秩序的にゃる。
かくの如き學校には教師と生徒との間に衝突がない。協同、共通目的にょって秩
序立てられて居るからである。見童の利益と相反する 学校の利益はなく、事校は共
同のものてある。即ち封立を協同と愛情とを以て置き換へるのてある。備蘭西ては
エドモンド、デモーランはか\る學校をつくつた。その中に於て若き指導者は質生
活に見出す如き責任を行動とを共の小さい赴倉の中に準備するのてある。それは人
間について能く知らしめ、教師と生徒とが共同に作業するからである。かくて服従
を共に命令する事を了解する。田園の寄宿學校てはかくの如き機曾が多い。
比の組長を同じつをめをスカウトの庁候長及び分隊長がなす。庁候の動作に於て
作業、行動、創造の修練をしたこをを多大てある。天候と地勢とを知り、動植物を
地理とを知り、行動のためにそれが貢獄した酷も多い。スカウトの創設者バーデン
パウエル将軍は新學校の創設者と同様の名誉を携ふべきてある。新學校とスカウト
とは将来の赴曾指導者の苗床である。今日民衆の使命を指導すべき地位にある人は
比の暗光をす\め確質にする義務を負はなければならぬ。
以上べルチエの所論には傾聴すべきものが多い。彼はなほ組長制度によりて見童
の年齢及び経験に適應せる作業をなすが貸め責任威をよく養成することを撃げて居
Q
るが、この年齢、経験の適應が極めて大切の事てあって、自治的施設から起る弊の CC
1
一たる年少のものに不相常の任務を課してはならぬ。べルチェはなほ次の如くいっ
て居る。初論自分は校長が命令し禁止する規定を知つて居るが、たゞか\るやり方
ては指導者を作らない。牧師や俗人が一人の保護者をなつてやる仕事も同様に強い
人格を造らないと。自治、行動によることの必要はいふ逸もない。
以上五つについて述べた外他にも注意すべきことがあるが、下篇の第四、第五章
にゆづつておく。
第八章 國民教育と教科
國民教育の教養方法の中心が情意行動にあることは前章に述べた所であるが、
教科の教授に於ても知的及情的方面から力説するところがあり、又それと行動との
連絡を計らなければならぬº
、修
我が風の修身科は勿論それを主として居る。 然るに前にもいよく家教的要素の
春奈が被應しない為心に御殿義に終るのである。 神龍德蘭に領かさる教師の下に、
書に優の姿を しない楽を抜に入ては、 明治大帝の 敗北を守るë
教の大師 »家永和た新りがとうして見書に停 へ得られやうか。 武帝11年の教材に
ある コンセ シアタット ? は知何にして被應し得るかº 佛境に供物をそなべて誕生
とねる ことを果たる行事、 風習» 心得、 文は軍に開発の思に報eるさいふ所利的道
御のみでは精神のないものになるº 对利的な報恩縣、 祖先の功業に封する説はで
た(~ & 等を作る態度でなければならgº ~れは勿論家庭の空気に基(º それ故家
道との連絡が極めて必要であるº 月离には効利的說明から通入る必要のある とさは
認めるが、 对利でなく離心的に、 機體は宗教的に取扱って数度の念に導かればなら
ぬ。
それ故三年の皇太碑宮、祀日は初論碑赴参拝と寧校の儀式と連絡すべきはいふ逸
もないが、その参拝と儀式さが敬度の教養に取って絶好の機倉を供することに留意
せねばならぬ。へーワードの儀式の奪重 (第三章) はこ\に深く味ふべきである。
四年の靖國碑赴はかくして単に 「忠君愛國の模範」 としてのみでなく、「亡霊を祭
り」しをころ、貴き霊を祭る所をしての意義を明かにしなければならぬ。「功業を慕
ふ」 のみでなく霊を慰め霊に所る場所でなければならぬ。
四年の 「迷信をさけよ」、六年の 「迷信を避けよ」 は初論必要である。「だうりに合
はぬことを信じた」 のは固より宜しくない。併し比の 「だうり」 を科學の道理とし
て自然科學の現象から誇明出来ぬことは凡て排するのが明治時代からの風で あっ
た。迷信に行かずして正信に行くことを考へてこの教材を取扱はなければならぬ。
五年の「大日本帝國」は教師用にある碑勅、碑武帝の鳥見山の祭場の事柄は國民教
育、精碑的教育の意義を発揮すべきもの、六年の皇太碑宮もさうである。六年の祀
先さ家、高等一年の「家」共に家名、名誉を重んずることが主にしてあるが、それ
も初論必要であるを共に、祀霊に結びつけて考へさせねばならぬ。高等一年に美風
としてある風習的要素も必要ではあるが、宗教的、心霊的要素に結合すべきであ
る。
高等二年の建園、孝のかき方は結構てある。高等三年のは倫理學者間に論争もあ
ったが、大鶴に於て結構であるけれども、吾人の所論から見れば獣晴を鉄いで居
る。「祀先を祭り敬愛の誠を致すべきなり」は至極結構であるけれども、義務的の報
恩のためで、威謝、敬度の要素が力説されておない。「祀先」のところの「本に報い
始に反るの理にして自然の道といふべし」 てふ道徳的、儒教的解響もい\が、進ん

13 ー
ではそれが心霊的てあるべきこを吾人の度々繰りかへした所てある。國風、人情の
自然といひながら、それが義務交換的、名誉謝恩の功利的から数歩を進めてみない
ー 134 ーャ
のは鉄酷である。
これ
を要するに風習的要素に可成り考慮されて居るけれども、敬碑崇祀の精紳的
らぬ。
二、國 語
「道徳教育及園民シニ闘聯セル事項 何レノ教科目ニ於テモ常ニ留意シテ教授セ
ショトヲ要ス」る。就中修身の外に國語はこの獣に留意すること最も必要であっ
て、コーンが力説するところをよく考へねばならぬ。
碑話と敬碑崇祀の教材はこ\に修身について述べたを同様の精紳を以て取扱はな
くてはならない。尋常の方ては、天ジシサマ、自ウサギ、天の岩戸、皇太碑宮、草
薙剣、靖國碑赴、大和巡り吉野山等はそれてあって、特に参宮日記、大和巡りは我
が邦人の宗教的生活の叙述としての取扱に注意すべきてある。平和なる村に碑赴の
記事のないのは物足りない。村の祭は平和のしるしとして力説すべきものではない
か。
高等の譲本とは好箇の題材がある。女子用一年の 「一年の折々」 二年の碑赴、古
赴寺と國資、三年の 「大和心」「鎮守の森」「み山のしづく」 などはそれである。
「大和心」 の中の中臣耐春と香川景樹の歌は特に碑霊の描寛であり、「鎮守の森」の
㎞響を籠めし」 云々は特によろしい。
如上の心霊的教材の外に國民教育は初論多大にある。高寧年の國文學は中學校教
授要目にいふ所の 「國鶴及民族ノ美風ヲ記シ國民性ヲ発揮スルニ足ルモノ」 として
取扱はねばならぬ。
三、歴 史 機
國語には 「知徳ヲ啓務スル」 といふ以外、國民教育について述べてないに比して

歴史は明らかに「園鶴ノ大要ヲ知ラシメ衆テ國民タルノ志操ヲ養ファ以テ要旨トス」
eひ
とし、「建國ノ鶴制、皇統ノ無窮、歴代天皇ノ盛業、忠良賢哲ノ事填、國民ノ武勇、 3
1
文化ノ由来、外園トノ闘係」 の大要を知らしめるこを\しておる。全く國民教育の
ためのものてある。これが果して発揮されてみるか。
修身に於て 「國家及赴曾ニ封スル責務ノ 一班ニ及ボシ」、「忠君愛國ノ志気ヲ養」ふ
ことにつとめる以上に歴史は内容によつて國家心、赴曾心を教養すべきてある。単
に事質の暗記に終つてはならない。歴史家の歴史てなく、國民教育のための歴史で
ある。それ故考古學的碑代の記事から碑話博説の國史となつたのは極めて結構てあ
る。和気清磨の碑託は時々問題となつて居るが、上代の信仰として何等妨げないて
はないか。心霊的事質を認めず、信念を鉄いだとき説明にも困るのてある。
初論歴史は事質の記述てある。しかも同時にそは國民理想の叙述てある。事質に
腸踏して理想の活躍を忘る\とき誤が生ずる。歴史教授でなく、國民教育の教科た
ることを忘れてはならぬ。知的取扱に捉はれて戦争の原因を明かにするに没頭し、
威情的取扱を忘る、如きこをがあつてはならぬ。著者の忠君愛國の志気は小學時代
の恩師内藤岩雄先生の歴史教授に負ふところが極めて多い事を落に附言する。先生
の歴史教授は歴史家の歴史てはなかったかも知れぬ。しかしそれが小學校教科の歴
史の本質てある。近時情意の力説につれて特に我國の歴史教授が捉はれたる歴史家
の歴史教授てないこをを望むものてある。
初論歴史教授に於て単なる省同古的精碑の酒養に満足すべきではない。排他的歴史
精碑から世界史的事質と世界的精碑に導くべきは論はない。大戦後の歴史教授改革
論は初論参考に値する。しかしそは郷土の歴史、郷土心、地方の歴史、地方心、國
家の歴史、國民心から潮次世界心へと導くべきてある。
四、地 理 3
地理は「愛園心ノ養成ニ資スル」ものを明言してある。國家は土地、人民、主権
— 1.8 —
から成る ことはいふ造もないº 上地の愛着は自然の必てあるº 地は母であるº 軍な
る物產)と地名の記憶に終 つてはならgº
现科沙弥ライがいよ 如く地方の動植物によって地方的團體狀なら出立する方面を
有し、 その他の教科文 教師に いふ ところの精制が、 その頭足的なる ことに於て落は
れる。 國民藝術の教材の城攻は極めて必要のことであるº
五、 體 羯
特に敵機は快法、 剛教、 規律務局の精神を奏 家に於て國民教育に資する説が極め
て多いº 軍なる機械的修線でなく、 スカウト主義の輸入の必要なるとど、 前景に述
ベな构くである。 美的技能に提はれて精神教養を忘れる解はないであらうか。 國民
の指導者はこの戦に留意することを思れてはならないº
第九章 議民教育と家庭
前二章の国民教育の手段に関する急速は主として撃校教育について述べたのであ
るが、 既に渡ク 開設した加(國民教育は家庭の習慣から始めなければならないº 學
彼に入った後も変家庭に於て完分注意しなければならgº 7 形 ンチン シュタイナー

が公民教育さ文子 との関係を述べて居る加く、 母によって公民教育の基礎はらかれ
る。 母は公民の教育者であるº
母 と共に父孫家庭の主人として家風の源 として欧神學期の家庭を作るに努めな
ければなら明。 被の家庭教育に父もその分け前を持たればならgº 事情の許す保
^子女の放送に於て飛を助くべきであるº 國民教育節ら國民特神の胸についても
同様であるº

— 139 —
ナトルプが ベスタッチを服りて知何に家庭の精神教育をカ設したかは
所である。 特にライが知何に家庭に於ける國民教育をカ說したかは これ文維達した
所てあるが、 本草にはその中から注意すべさ點を輸出して述べて行かうと思 º
先づ母の物語る所の童話ーその中には民族固有の童話が初論あるーが先づ見
童に観念内容をーそして國民的なるー授ける。童話のみてなく、歴史物語も彼 %
等の興味を有し得るもの、従って教育の機倉に富むものである。この際心得べきこ
とは童話は初論荒誕不稽のものを含み、歴史物語にも色々の要素があることてあ
る。それらは見童的であること見童の本能に合ふことに於て、たとへ理想的には不
合理でも不自然ても始くこれをおく必要があり、その段階に於て満足することを許
さなければならぬ。荒誕なりとして童話を排するもの、道徳的 (大人の) ならずを
して凡てを排することは考へ物である。否見童の心理を了解せざるものである。た
とへば桃太郎の話の如きてある。この征伐の物語は殺伐の風を養ふから排すべしを
するものがある。併しながら鬼ヶ島征伐の冒険談を除けば桃太郎童話は味のないも
のになる。加藤清正の虎退治の如きもか\る事がいはれる。虎を殺すことは殺伐の
に物語から除けといふのてある。これ拾も吾人が名誉の戦死についていった如(
直觀的なる描寫~して、 はな冒險、 男氣の 例として採用するに何等の不可を見な
S のである。 かくる所說に犯はれて、 必要なる方面を開封さる ことは教育 と見量と
を必得 知ら のといはねばならgº
祖先鋒、國民的宗数はライのカ說する所であつて、 特に我が国民教育の最大の
數減なるそくは中す选ºない。 該に正月, 她曾, 于商館などの年中行事は直接間接
にそれに貢献する。 簡易の立像 を送信として排 ,るものは、義太僕人同様の
過に招つたものであるº
ライは家庭を以て 「社會成樹の起源 であり、 修養所 であるといつたo 次會學
彼はよ^多《社會心の教養所である。 しかし本産はその基礎を提供するo ︽世 は事
常の許 。很小家庭の中に成の修養所たる意義を務報する ことに努めればならgo
電が主成主義者なるか、 博愛者たるか、 愛國者たるか、 寶國女たるかは貨に周圍の 4
*
*
人の成化による。 自重はある政略に於て利己主義者である これは頭4 個性の意志
~關係もある。 伊しそれを正しさに導く ことは質に軍校と共に家庭の任務でなけれ
ばならぬº ッ クは貨に それを愛感したものである 。 彼が家庭組合を設けやうとし
なのはそれてある。 カトルブが近時それ を説くのは全く同じ理由からであるº
ライ はいふ T後母の信仰の模範 は極めて大切であるとº 有化廣闊的信仰の模範
は父母がそれを示さなければならgº N4は宗教タ育についていつ て居る のである
が、國民的宗、 四肢の協奏はかく 見事に似るべくのである。
祖國の各員が教育の基礎方法を熱刺するやうにしなければならぬとは ライ の言~
所である。 官に父母は勿論、 その家庭に出入するもの、家庭の各具は勿論社會のす
べてが頭足國結に努行 ると とが見重に影響するº ? % ジマン の臨機的教育者 とはか
てる証會の各具をい~&のであるº 集裝)と学校% 討會上 が共力して初めて國民教育の
安が撃がり得るº
第十章 羯 座 教育と社會
かくして社會全部が武氏教育のために参加するとさ、 安重の教義が全くなるº ?
オが地方的教育として説く國民能說, 國民信仰, 國民的宗教はかくて見事に被冠し
て国民教育が完成するº
然るに我が頭の就會教育はなば未發達の状況にあるº 帝年のみならず大人をも数
有許さ るべからず とは欧洲に於て戦後特に主張, 實行社 られ て居る ことろのもので
ある。 補習教育といはず、 死する道の教育が社會的に施設されなければならgos
論我が風に も周武館その他の設備がない ととはないº しかし國民が浮動的にそれを
利用する姿でになって居ないº 文部の常見も とれからそれに盛さ うとして居る位で
ある。 そくには 一般の教育についててなく國民教育の運動に於て証會の各具がそれ 議
に つくさなければならぬº 2 充ては病故家が先多手を下すべ さであつて、 米國の政 |
治家の加さは少年義勇間に多大の助力を興 へ て居るº J の事實3球が頭にもあるけ
れとも 一 届くの方面に盛さればならぬ と思 ムº 经
-
佛國のブルデ 形 民は 「スカウト主義の起源 と名づくる 文に於て英國がその始
源地 として盛せる ことをいび、 米國の右の事實を指摘し、 そして スカウト主義は協
によりて國家を維持するにつくすと共に人道主義人 无后しない ことを論じて居
る。 それは直接自國のためてあると共に間性の陶治を目的とするからである といよ
のである。 國民心 と國際汽との関係は既に音人の途?た所であるから秋に練り返さ
ない。 國家必 から國際汽 へ、 そしてその基礎は家庭心、 海上心から数し、 人格の砲
治を基礎~すべさ~ ~れ亦有人のカ設した所である。 武會の各具は元の基礎と
方法 とを熱気して文化のために努力しなければならgo
下 第
第1 章 議民用低限と國民的教育
I、 結 育
社會には様々の形式がある 家庭、 地方面體。 最繁簡體、 國家、國際社會、 その
他遊戲團體、 學校等も就會であるº Jの中て家庭が最も理想的の社會であることは
古來も認められ、 現今も居 へられ て居るº と対象建は血族關係から最も有機的な、
繁術な関係から成り立ち、 規則% 法律とによらずとも同様な平和が行はれるからそ
ある 作しながら家庭の小人目の両親のみを以てして完全なる事實 數達とを得る |
ことは出來ないº vれ以上の間結、 交際によって人間の接連、 李麗を計る必要上, -
義 都府、夏の面積 蓄えては他の国家 の電池、安徽である所かº
— 143 —
それ《の社會的團結が成立した。 國際社會の間結が完成して、 各個人、 各國民が
それ《その天分を務理して真の幸福が 増進される ことは何人も盛行所であり、 翌
もベさ事である。 百人はか くる進步のために努力すべら東方輪であるo
伊,しながら社會の発達は個人の教建に保つ加く、 國際社會の発達は国家、 國民の
建 模なければならg。 家庭の有機的統 的なる水には現金に於 國家, 因反
が最*有機的、 統 的であるから、 北の国民的統一 體の発達は各家庭、 各個人に幸
魔を保證し、 享樂させる聖彼となつて居るo その車位の上に関誌社會がその有機性
激 性を進めて行くことは個人の幸福, 國民の幸福を 届大にする所以であるが、
逃し國際社會の完成を急で結果、 その軍位の統一 性を妨げる加さことあらば、 治す
物質的進步のために家庭の統 性、 家庭の幸福が破壊されたと同じ要目と見なけれ
ばならぬº 大工業、 資本主義の教建は物質的には音タ に利便を供したかも知れgo
优しその 為心に生じな家庭生活の破壊は音タから真の人間としての幸福を奪ったの
であるº 羯 5た國際社會にぎ て封達也 んき の旅順は国民の統 性と美麗とを破壊
する傾向を作家から、 音人は國際社會の成立に努力すると共に、 國民的統 の整国
に留意しなければならぬº 後者を忘れて前者に没頭する ことは知っ て人間の幸福を
雑誌でない。 人は決して 栄え が、国家主
義の上に阿积士誠を建設する ことが最も安全にして完全なる行程なるここを信する
ものであるº 國民的利己主義は頭條社會の妨げ さなること物 論であるが、 右に述べ
る加 国家主義、 國民性魚類は老 奶けとならない評すか、 その進歩の非難さなる
ものである0 ㎞人主義、 個性發揮が就會進步の基礎 と なる % る く同じであ
るo »國家は個性、 家庭の終建を阻害すべ さでない と同じく、 國際社會は岡家
国民の後継 機 を阻止すべてない。 寺を形成する個人 家庭の後 、 後達を
基礎として進行?« »全く同じく、 國際社會を形成すべさ、 國家、 國民の停航 (個 協
人に松の恋情し 及松子の頃まr
民主義は加斯人 のであるº
徐々に世には光の国民得總主義を図民的利己主義さ同一 視し、國民の優勝と個性
とと力能する事を以て、 人類學網の敵であるが知くに考 《、 國民の敵 を本和李麗
の防护»し、 少(ともそれを思る)が加さ個向がある。 國際主義 (福原なる、 性急
なる) に防護されて頭足總統の思想 と國民的教育の意義を開封 し、 成は知事化效地
し 国民の正しう指導と、 國民的教育に想到老gものが多い。 世界大戰が破冰の風
民の階級と教育とに大なる期就を興 、 そ改造に着手 でしめた大事實を見ないで、 思
想の統帥に彼得~ 8のが多いº 集者が故に頭足的思想 の治見大 國民的教育の後進を
延期以长、 新思想、 新教育の練生に送りて國民の統 と教育の大本を思る~~~
の危険と警戒さんとの意に外ならgº 而してそれは職業的教育者のみならず、 國民
後の武器として有體被の何人心得?~とである。
ニ、 原始就會の思想 と数育
原始赴倉は國家と國民といふ形態を備へては居ないが、その萌芽であり、シ
ある。それ故、原始赴倉の思想を教育とを理解するこさは、國民的思想と国民的教
育の起源を了解することであり、起源は発達すべき萌芽を備へ てみるから、起源の
研究は何物の研究にも必要である。
原始赴倉はその発達のために内は宗教によってその回結を固め、外は外敵に常る
ために軍事尚武を必要とした。敬碑向武は何れ の赴曾に於ても中心とせられた。こ
の宗教は潮攻道徳、法律、政治、藤術、哲学、科學に分化し、軍事は警察、兵事、
鶴育に分化したが、原始赴倉に於ては道徳風習は碑に封する行事、奉仕てあり、法
律は碑の抗てあり、政治は祭り事であり、藤術は碑を喜ばすための舞踏、建築か。

ー 149 ー
発達し、哲撃、科學は碑に封する思索に基き、鶴育は武備のためであった。教育は
これらの行事、奉仕、武備に闘する博説を寧び、慣習を曾得することであった。即
ち圓鶴中心のもので、その碑は初論その園鶴の碑であった。個人のための宗教て。
ー 150 ー
なく、個人のための鶴育でもなかった。これが文化と活動との分化につれて新なる
要素、個人的なる要素を加へて来たのは確かに務達であると共に、その新要素の偏
顔なる力説は赴曾の存立を危くするものてあった。次項に見る希臓及ひ羅馬の末期
はそれである。
それ故思想と教育をは根本に騎れといふ呼撃を聞かざるを得なかった。公民教育
の力は個人主義の利己的傾向から赴曾奉仕の方向に引き返さうとするものである。
原始赴曾は凡てこれ赴曾奉仕の貸めであったからである。初論この事は直に個性を
無祀した原始赴曾へ全く後返りするをいふ意ではない。あまりに個人の力説に過ぎ
るから、赴曾中心に顧させるといふのである。個人の力説せられ過ぎた欧洲の思想
が「赴曾」 を力説し、研究するに至ったのは斯かる事情に基くものである。
職業教育、質用教育の近時の呼盤もそれである。原始時代は初論分化しない未登
達の貸めてはあったが、赴曾奉仕のために職業と質業と乃至は碑に仕ふるための手
近なる作法、行事を中心とする教育、質用を旨とするものであった。それが知のた
めの知、美のための美を旨とし、装飾を中心とし、質用から遠かったから根本に騎
らうといふのである。役に立つ教育を主張するのてある。併しこれも原始状態その
ま、に騎らうといふのでは初論なく、岐路に這入り過ぎたから、正しきに従はふと
いふに外ならぬ。
原始時代の教育は父母の養育及び教練に発する。家庭教育の力の近時特に認めら
れて来たのは比の原始的形式の眞義を見たものである。父母の教練に次で或は同時
に赴倉の教練は原始的教育として既に存在した。3督、Q教練、@入盟式、C備説
の教育は共の重なる形式である。警は我園の盟㎞、 脳、獣約の如きものて、
赴曾が個人に修養、教育として課するものてある。入盟式はその一層組織的な赴曾
1
の一員として認める儀式であり、その式の準備として断食その他の修養を課する。 に 、
1
教練は軍事教育であるが、それらの教育のために常時に認められた知識文化の博達
~して優を後、る。成の優が多くな~ 文字の後開によっては事故 s, 捷
の教育所が必要 となり、 思想 と教育人 の教建を促したのである。 即ら學校はその航路
金の他說、文化を他 « るための機關として発生したものである。 その軍校の起源と
就會的意義は久しく不間に防守られておたのを、 原始社會、 原始教育の研究がこれ
を明にしたのであるº 現今の軍校は分化してそれ~)特殊の目的を持つ てあるが、
我が図の小學校令が道德教育 とは別に T國民教育 »特筆し、 中學校令は 特に國
民道德の養成にカ行 ? « 3のJ ーとし、 高等學校令はその 文官に力行 、さもの %
いい、 大學分は 頭家思想の源義に留意すべさもの として居る所以は、 右の根源
の町について語って居るのであるº 知事に提はれて、 この各學校令が第一 條に示す
事柄に注意を意る もの であるは退すん)も遠鏡である。
三、 希臘主義及び人文主義の思想 と教育
希臘は最も早く國家を形成し、 文化の美はしさ發達を見た。 思想と教育は分化し
て新しい要素を加《た。 特に着しいのは社會國家の中に於ける個人の自覺, 能力の
個湖なる後建てあった。 軍に神のための行事であった中から、 數饰、 哲學、 科學r
文學は分化した。 魏のための素は音樂さなり、 書兼教育には文學、 哲學の教育も
加はった。 武備、 軍使のための軍事、 次走は五校となったº 體操は身體くのものの
發達てよ新しい要素を加 《たº 會用教育から、 人格の調和的發達に進んだº
佛し個人の自覺が信頼なる個人主義 ともなったº 社會國家の方面が 開封 ぜ られ
た。 此の時、 ブラトー及び アリストチレスの武家譜は現はれて、 ソフィストの個人
主義から間體主義、近さうとしたº る メ 形タ の思想と教育とはこの行 過ぎた教育
を引き返すためにプラトーにより深用せられたº 分離すラトー とても未發達の スメ
ック時代に 全く後歸少しよう といふのではないº 思想 と言學人 知識さ文學とのカ設
はプラトーにある。 佛しプラトーは分離せる赤峰の闘家を興さ間結の上に建て直さ 議
うとしたが、 個人主義の役割を風速の愛爾は知何と しがたかった アリストテレ
スは奮組織と新組織をを調和しょうとしたがこれも無盆てあった。斯くて希臓は個
人の内部に道徳的及び宗教的の安心と幸顧とを得る外に道がなく、思想上に所請、
道徳時代と宗教時代とを経過して沈んていつた。
羅馬は民族的一致と質際的精紳とから堅質な國家を組織したが、思想を教育とは
多く希臓に負ひ、右の希臓主義、個人主義の教育と基督教の輸入は固有の民族的宗
数、祀先崇拝の園結を破壊して國家は破産した。破産の原因にはいろ〜あるが、
思想と教育もその一因たることは明らかである。プルターク☆、クインライリアン
も道徳の衰類期に入つて羅馬を革新しようとした人々で、哲寧は知のための知でな
く、人間精碑の偏向及び病弊を正すこと、及び宗教、政治、法律並に日常の行貸に
指針を興ふるが故に寧ぶべきものだといふ質用的見地を力説してみる。鶴育の力説
にも軍に身鶴の美的発達でなく、賞用を力説してみる。併し羅馬に浸潤した思想は
希臓國民文化でなく、希臓主義の文化であった。國民的思想と國民的教育の分子は
ない。これ希臓主義の文化及び思想は國家の濁立の破壊後のものであるから。
近世初頭に於ける人文主義及びその教育は希臓主義の文化及び教育の復活で、従
ってそこに國民的思想と國民的教育とは無い。個人の自覚てふ長所はあるが、統一
さいふ着眼はない。中世のォーガスチンが希魔古典の教育に反封して碑の園に入る
者は寧ろ無學者たるべしといったのは、基督的統一の教育を妨げるものとしてゞあ
った。その偏順は更に角一面の眞理はある。併しそれが貸めに個人の自覚その他の
美酷を開却してはならぬ。慈には民族的自覚を園結、統一の方面を中心にして見て
の言である。
四、自然主義と新人文主義
十七世紀から十八世紀への自然主義、宗教ては自然宗教、倫理ては自然道徳、経
済ては重農主義、自由貿易主義、政治に於ては自由民権、契約説、教育に於ては自
然主義の教育は、希臓主義、人文主義の開展てあるから、多くの美酷は初論あるが
國民的色彩の濃厚はそれを求行 、《ºない。 個人主義の色彩のあさやかさを見るの
%
んであるoę義の個人主義のストア學派の見地はその宗教、 その管理成の基礎 。 -
つたº
作し十七八世紀に於ける風 、 國民の教建は全く彼等の思想の根拠とな。從*S
常はないo 國民的教育はゴータ公國の加さに於ては十七世紀の前年に機 的學制º
布う、 普魯西は十八世紀にそれを完成した。 それ故この十八世紀の教育家の1人次
るメビドアは撃波を教會の事とせず國家の事 とすべしといい、 學校は風味を率論文
する最要, 最經の機關である といつて頭家的見地をカ設し、 教育の主目的は見重を
して公共に負わる生活、 愛國的生活及び 軍職の生活の準備をなさしめるたあって、
學問と技能とは北の主目的を省しない範圍に於て吸得社しむべきゃのだ といって見
« 作し戻して栄養學徒であ~ 學術家であるといって栄
もあつて、 獨通の頭家に不利なども見 られた朝はそそにあった。
それたして* * ッジオの理想を現實化した朝は多いが、 光の世紀にはノシャ s
ブー及び チーラース の関民教育館の知さもあらばれ、 國民的見地がカ設せられたo
魔人文主義は英名の典《人文主義の継続であるが、 ヘレデレの知らは アノたり
人間を知らぬ H ”ーアを風呂克重たらしめ、 モンテ スキーの ſ法の精神 を図民
教育水流 で&ばならぬJ ~いって居る。 たくし新人文主義德3て宇宙主義として
家の劇《S って見る。 學校が国家的及び地方的著色を帯びなくてはならない事に自
分。鄭秀 8が、 それは必要なる ものに限り、 國家の公民たるのみならず、 人間たら
さºベがº ºs って居る。 それは人道的陶格で、 必ずしも難しくはないo 國家
* ・人 入社の小。
新人文主義は人文主義の 神 とはい~ ~のく、 希臘を模板するでなく、 その精神

*取って倒地に埋めよう~いメので、希臘文學のカ設~~ 國民文學と打ち立 o
-
ºś^部に向った。 グープの知さもかくして国民的觀念, 國民特郡の色彩の遠景
になるものがあるº 《 彩 » ンとドチア の末尾は、 子は自己を振り 連して武器を
吸って戦は50 %は3% に家を守南郡を大切にせよ。 かくして自分は変えして
敵に封し て男を張はうといつ て居るº ッジオが スメルタ人の愛國心を愛した
の とは実施の相違があるº 方の詩の第二輪にも、 ヘルマンをして家族主義を説かし
あて居る このゲーチの家族主義、 國家主義を賞したベスタッチは、 父子の精神
は国民總統に於てあらゆる図民的幸福の源である といい、 義自 太る母の精神は風
民の心を結合し、 秋に風呂氏神神 と愛國心が生する」 といい、 家庭は道德º國家ºS
學校である といつて居るº
永遠の平和を理想としたカシトも、 實際的國民的陶治を関部 やす、 公民の性格を
泰~ ~ ど、 陰陽に慣れしめ社會の有用なる 一員とすることを説さ、 彼の衣衛を受け
た ニーマイエ 形は、 人間性の教育を目的とすると共に 「理性的人間は同時に最良の
國家の公民である といびに天敵の人種を主張するのみでなく、 社會上の秘
と内的自由によって打立てる様な國家公民を養成するのが教育至上の任務である
といつ て居るo たば進んで彼は 先?各學校が有機的統一 體を形成するは國民の
投明治を成像がるのである さ いい、 各個人についてのみならず、 公民的結合が最
も大切であるo 個人としての教育はやがて國家全體の教育てある といい、 公民の
調和的母语、 其の愛國の精神, 國民的品性を奏はねばならぬ ~いふのである。 新
人文主義の思想家に加斯克地のある と とは航る性意すべさてある。
五、 國家主義 と國際主義
上述の状況はナポレオン戦争による影響 として特に福通の国民的思想と調印的数
育とを愛知したo ンユタインは頭足の道德的、 宗教的、 愛國的精神を高め、 男家»

– 159 —
自信と酸性の念 とを落成すると さを目的 として制度を改革し、 ライセチ、 シュラオ
% 2 … 詞 人につ ご め、 キョルネ 形、 アレント、 クライスト等の所調國
民的詩人は、 愛國的詩歌によって国民の志銀を振地するにつとめた。 しかも彼等は
單なる熱情でなく、 國民に自立的精神を愛知する こと を目的としたº
ライヒテはいメ、 黃の教育は純なる道義性を胸するに存するº ︽道義性のみな
!
らず、 全人間を完全面海水る人間にぎ て砲治すべ さであるº 員の生活躍起、 生活タ
動が目的であるº 者の人格的成分を形成するのが目的で、 それには極速國民を
つの全體に約佔し、 人間の社會的雅虎を悟らせる、 教育の任務を完全なる人間に要
く場合には、 必ずや宗全なる國家によって解決せればならぬ » T個邊的精神を飲
理し、 自然の根本を新も、 全體に参加する精神を愛すること を最も 必要 とし
た。 それには 数帯を真の生活に基づかしめ r 見書の恋愛に立ち入り、生
命の隆起, 生活タ 動を務理する のであるº 名由、 自立に本多くのて、 個人人格
さ を関部守るでなく、 その祭神により全體の統一 を計るのであるº R ントからの理
想主義、 人格主義、 道德主義が根据であるº
シュラ イチャン ベルは現在の歴史的國家でなく、 理想的、 一般的國家が最高の
目的であるとするに於て、 人文的、 理想的であるが、 これは教育を現實よ^ %理想
の移居から見ての主張で、 貨幣には彼のカ說が狗通の国民的思想と國民的教育の後
達に影響を及ぼしたのであった。
ナトレアが教育の目的 とする所のものも、 か くる理想的社會 永 る。 然しながº
„の特有の手段としては精通を改善し、 それから他國《火すº いふのである。
世界大戦により モナの大敗 は比較になら ばとに表紙の測に沈んておる現今の
阿道のために、 彼は 社會的理想主義 < 10年) の開通よん、 「就會的教育
によって経済の回復、 政治の統 、 教化の終還を打ち立てようざいふのである。 國
為主義は理想であるが、 分會國家を果在» しての改善から、國家の中の 統 學校

161 — •
陈 敬治 神 經濟 なら進みょうどいメのである。
國民的統 の教育は十七世紀の n メニクス等に暗 《 5れて而亦%現今%で極道に
にはなかった。 享年の書か 遵義 學校舎
— 162 — —
% )なった。 それは単なる國際主義の見地からでなく、 國民的統 の思想からであ
る。 なばこれについては次增に述べるこ» ) し、 佛國の画家主義的思想と教育さに
ついて本項に頼みなければならgº
普備戰爭の愛目を見た機關西は国民的統 の教育によって国民のカを張貼 る
を得なかった。 普備戰爭の御魔城く振たたとさ國民義務教育は統 されたo しかし
制度より も精神が重要である。 アイエ はかく て国民的精神の愛知、 國民的傳統の数
青を次降したº
彼はいよ、 國民は集合的意識を有社 る有機體である0 % 股骨を光の頭足的意識
國民的意志から見ようと思 。 子の考入るところに依れば、 教育の終局目的は神族
の教建を確立するのみでなく、 國民性、 祖國の教建を確立することであるo 自己を
超越し、 自己の事業、 貨業、 富を超越し て期國の利害を念 としなければならぬきo
ライチ が新く び、 フス と テが自然を排斥し、 ナトルブが協同 を絶叫する背後に
は普備戦争、ナポレオン戦争、世界大戦の痛切なる現質が追ったからであるこさ初
論である。世界大戦から比較的間接であった我が國に自己の利害から國家の着眼を
すてる道徳的類魔が源って居るこをは自然といひ得ないことはないが、大なる豊醒
を呼び起さなければならぬ。
フィェは斯くて功利的教育を排庁する。これ個人的及び直接的利害の追求から、
公共心が弱められるからである。かくしていふ、我が國民はルッソオやプルードン
が夢想した如き平等に従はず他の國民より優秀にならうとするのである。國民は何
ょりも公共的精碑即ち公衆の幸顧に貢献する精碑を要する。面してそれは具及び美
に封する無闘心の愛に基づく。功利的教育は國民にさって致命的であるさ。
フィェが功利を排し、従って科學教育を不常に排庁する所は極端でもあるが、我
●●
が園も科學教育の力説から精碑教育を忘れる傾のあること、道徳も功利的説明に専 ひ
14
らで、唯心的要素を鉄ぐこと、物質的経済的思想の輸入から、赴倉の物質崇拝が不
當に高文ç て わる ことを思 へ ば、 フイチ に難くべさ多くがあると思~&º
フィ は教育が図民神殿、 國民の科性倾向、 國民の歴史、 傳說、 國語國文學、 國聯
民藝術と調和すること、 短言すれば國民進化の形式及び被本條件と合することをカ
設するP 加國を愛し人道を後にする ことを排斥する思潮に封して、 魔を起すべく認
を向くるものなると さを恐るといつて居るº 人道は固より教育の目的であるべきだ
が、 直接には祖國を愛する ことがその基礎なるべさを思はねばならぬº
フイエ よりも人道的色彩の濃厚なギュラーさ へ 次の加<いつ ておる T國家の干涉
のみが倒れの青年を個人主義から脱ぎ得るもの である。 それのみが最上の国民陣線
を維持し、 彼而非愛國的女が 不道德の教育に封立し得るº 國民得税の機網は進步の
其の修作であるº 學かなる愛國心の絶え せg京である とº * コーのこのカ諸は
決して育目的熱情を弱いる もの てはないº 有目的熱情は知つて反動にも対 くからで
あるº それ故に彼は次の知くもいつて居るº 各學校の各見量の心に艦後でなく、 强
き情操を植えつけねばならぬ。虚楽は一旦國家の危難に面せば失望となり、崇外、
自卑に陥って了ふものてあると。すなはち祀國の長所のみを力説することが眞の愛
國心瀬養の道てはない。祀園の鉄陥をも知らしめて反省せしむべきである。排他的
倣慢は決して具の愛國へ導くべき手段でない。
六、欧米に於ける國民的教育の現状
フイエ、ギュョーの警告よりも平和主義の潮流が備國に盛んてあった時、世界大
戦は起った。開戦に不賛成を唱へた者が多かった。併しのッびきならぬ始末さなっ
た時、非戦論者も矛を取って戦った。斯くして得られた平和、戦争の惨害は初論十
二分に官めっくしたけれども、國民的園結の必要はよく教へられた。これは備蘭西
のみの事てない。苦痛を最も守めた濁逸は混流の中にも統一を完成しょうとして諸 一
種の改革が質行されてみる。教育に於ては既に述べた如き統一撃校即ち従来は階級 郎
に於シにして の国民的教育の総 が行はれなかったから「シ」を
四年以下人として統一 すると さくなつたº
佛蘭西にも チュール ・ ユーク (統 學校) の主張があり、 補習教育の義務與制御
象がある仏と な 事には至ら 。他 に師範學校舎を改正し
たのみである。 しかも前者に於て新たに小學校教員を備國人に限ったと と、 小學校
教育の充實につくしつくある事は世界大戦の影響, 而し て國民的教育のあらばれで
あるº
英國に於ては途に交相 フィッシャーの手に成る國民教育克會、 義務建長が慣行さ
れた。 英國人とても就改に打撃を受けて財政整理上、 教育賽の節城が目下岩 、 つれて
あるけれとも、 國民發展の基礎なる教育賽は師號すべ からずといメ憩論が多いo
米國における アメリカ ゼーション (米化) の整 は世界大戦による国民的統 の
鄭である。 國際主義は成る範圍には暗 《 心打 ておるけれども、 教育の統 は貨業教
には既に素手され、文部省の従来他の帯は日下の問題となっておる。 國
民的思想と國民的教育は目下に於ける諸外國の主湖である。
七、 本邦に於ける國民的自覺の時期
以上較新に於ける國民的思想 と國民的教育の発達と現狀 とを覚したが、 次に
梅蘭軍に我國に於けるそれを考 へ て見よう。
我が古代の状況は第二項に述べた原始社會の思想及び教育の状況に減 ない。 そ
れが新しい要素を加え たのは備教及び像数の構來によってくある。 そして武の仲%
の時, 國民的思想及宗教と衝突を見たが物論 1 * 2充ける基督教の知《民族的宗
数と残さないて、 民族的宗教が外來の数を愛化したのであった。 佛し德被 排隊の構
來につれて民族的自覺が起らざるを得gº 大武の古事記新築は それ を 示す。ので

— 167 —
ある との時能性の名稱。日本的の名に改められ、宗廟の拡張された。
李安眠時代は美的教育が大期から遠入って来た。 その時点部の古語為這~香家の和
神のカ設は、 自愛の時期を示しておる。 雖原文化の表層は武士道て3個有の思想の
ー 168 ーー
時期となったが、備教は特に室町時代に浸潤した。ト部碑道はこの時に形成 され
た。儒教浸潤の時代たる徳川期にも尻に山鹿素行の國民的思想があり、貝原益軒の
國史國文の教育の力説があつた。併し大なる國民的思想の勃興は儒教が潮次浸潤し
て行った徳川末期に於てゞある。復古碑道、水戸學の國民的思想はこの時に成り、
明治の維新の大業をつくつた。
明治の世は軍に自主自立の狭陰なる見解ては文化に後れるこをを豊つて盛んに欧
米の文物を吸牧した。西洋心酔、崇外思想も張った。この時 「國民道徳」 の語は成
り、力説せられた。國民道徳とは軍にその名の示す如き道徳のみでなく、紳道、和
魂、水土による教 (徳川時代にはかく呼ばれた) のつ ゞきてある。これが最も力説
されたのは二十七八年戦後に於ける國民的自覚の時であった。三十七八年戦後に於
てまた一層強く主張せられた。
それ以前に國民的教育は明治の初年から統一學校的基礎より完成され、進歩した。
排しその内容は、 最初は西洋模板であったが、 國粹主義の反省から國民道德が修身
の内容 となつたº 位 しそれは進化論、 功利主義の時期の影響をうけて利率的、 功利
的說明に過ぎておて、 歷史の教材もか くる種群の下に取られたが、それは今度のT國
史 ,となつ て精神的要素を取り入れたのは結構であるº
世界大戦は我が図には間接的、 遠隔的てあったが、 それと共に外來想敵の注入が
あり、 右の 画史 の改正となり、 前に述べた、 中學以上の軍校令に頭足道德~國
民服器の順應 となったのは基於結構であるº 高等學校に國史を入れたのもそれてあ
るo
併し第一 項に述べた加《戰爭に間接てあつた武が頭の 一般には、 光の頭足的自覺
が優姬なる風魔王將に藤岡された 新さ成がある。 そして国民的思想はなば原 美なる

6
同种思想、 唯我們各式を脱却しないのは遺域である。 音人はそくに前述のギュー *
の言に開くべ さであると思よº
八、 結 話
世界大戰は国民的自覺を各國に愛知した と共に、 平和主義、 國際主義に質際的色 部
形を興た 。不過すべきでない。 帝人は国際社會の機 と廊和 に貢献すべ
であるが、 その基礎 として建全なる國民的思想 と闘民的教育によ つて頭民の個性の
克曾ºる ことに努めればならぬº 被羅なる諸種の思想と運動との間に立つ て確固不
編の目的に向 つて進め ればならぬº 本篇はそのために資料 となる ことを信じよう と
思よº
第二章 第歌羅巴 と國民的教育
数に新歌羅巴さ は地國の色取の改正でられた歌舞巴、 民族自決主義て着色された
歐洲、 或は文縮的に戦後の歌洲語國とさすものであるº 此の戦後の歌州、 方军强合
の戦期は 一 部の成が図の人々が考 へやうとして居るやうに面照的精神に向つて数据
し て居ない ことは事實であつ て、 それは道德の理想に取つて精致に値する ことであ
るが、 その自然の状態を無視し て直に国民大 國家とを超越し後衛者同盟のやうな國
隊教育同盟を造るべさであらうかº 國際教育聯盟も、 國際教育協會3決して松樹同
盟のやうな精神でやるものではなからうº なく在家の被检な愛國心、排他的愛國心、
唯我們會的の教育でなくて、 いはば國際的國民教育、 即ら國民的教育の上に観察的
協力的精神を乗って行かうといメのであらう。 佛しながら破除教育の名の下に翻訳
ど國家より も國際社會がカ說されるとさ、 所調試進思想家 さその共鳴者は 頭足数
育の基礎 の巻を忘れる傾向がない てあらうか。彼等は欧洲に於ける急進的思想
にのみ在意して、 新歌羅巴に於て被强 い國民的感情の武術なる ことを無視する際は
*
>
ないであらうか。 著人は光の国民的成樹の中に偏微な保守的 思想 の存在をも認 *
て、 それを排斥するに客なる ものではないが、 同時に建全なる國民的教育の下に
歩々々道徳的理想に近づいて行かうをする穏健なる思想の横溢せることを認める。 Q%
7
私はこの酷を明にする貸めに「國家的教育思想の発達」、「教育上の園家主義を同 1
主義」、「國際教育の思潮」等の論文を公にした。吾人は決して頑迷な時代㎞の愛
園心を絶叫するものではない。健質に「園民教育の基礎」を培養して世界の文化、
道徳の進歩に一歩々々貢献して行くこさを力説するに過ぎない。急進思想家のい。
が如く頑迷なる國粋思想が或る意味の危険思想てあるこをも認める。併し急進的、
的な理想主義も赤教育の健全なる指導者でないことを痛切に威じる。この故に
私は 競に諸論文に論述した以後目に鋼れた新欧洲の國民的教育論にっいて述べるこ
さによって、「國民教育の基礎」の培養の参考に資しゃうを思ふ。米園の教育の近時
著しく國民的となり、軍事的さなってみることは周知の事質である。これが偏㎞を
批難する論もある。この批難論に我が園の頑迷派に封する警告を合むてる。こ*を
認める。欧洲に於てもこの雨派はあり、日本に於ても赤然うである。そして『の見
機金想みめ益人家制 の
國人



のた利個カ
思に





現存在


の 英國
は 教めて

極を





必要


o 育 新


る 国てる礎民


す基際

あを
つ任



教育
国民



戰 に究


られる







次第







»

の せ に関する


れ あ容









觀念
道德



國民


研究る 所



く そた戒進藝本る要れめ の
のる於い委礎筑くみ 器
建多論

教育
国民
な評なる

基會

すの
»

這 必を
日あする
文が



急に

警家


製 を以て





すれ
















進 政





なたと



S




º教いい心性育
個英國
中が



置の


と らい


1
,
%








思想




~
o





やうれ



中ふく


あ教
然で
い。

権モルガン







にるに利る核

主張



~~~~ 173 -----
會學がくつが 、した。 個人主義の理論を論理的に併にぎて述べ任國家級機に戦
くことを感じて来た。 試會の生物學的概念もホ個人の自由に封する書の要求を社會 形
敵 に動する要求に繋ぐやうそして居る。 かくて最後の英國教育は、 國家主義の成
神を建 全なる現はれざし て進め、 人類の統一 のために英國の統一 が必要なる 設備
として国民的教育を目標とする い のである 異の教育の武術 團隊の形
のために教育の頭家的組織を進める ことに進んだのであるº
ラジ カシャ イヤー及び チーシャイヤー教員聯合會は 一 九11O年に 教育の頭家組織
ど期してその詳細なる決議案を公にして居るが、 國民教育については 次の四 つのそ
どが有取せられるº 第 一 は頭龍紋育の質量であるº 小生徒及び學生に封して正
し 国語を殺すべしさいび、 元ての学校、 全英國の各地方に於て國語の質上を維
資にすべしさいつて居るº 第二は統 學校の教全てあつて、 十11歲以下に於ける激
備教育及び中學校と小學校ーとの高刑を除くといよのであるº 們通は既に貢行し、 佛
蘭西*計書しっ\あるが、これによって統一せる国民教育を立てゃうといふのであ
る。
第三は精碑教育の修項であって、精神力及び精神的債値は教育に於て最も必要で
あるをして、これら地方の質業萬能の中にも精碑教育を力説して居る。第四は國民
鶴育の力説で、鶴育上の施設に注意すべしといって居る。國民鶴育は戦後の欧米の
第一撃であって、その後今日まで各國に唱導され施設されてみる。次に備蘭西の所
に説かうと思ふ各國に於ける現時の少年義勇園の流行はこの精碑教育と鶴育さのた
めてあるこをいふ逸もない。
同じく一九二○年に公にされて居るプライャント女史の『道徳教育及び宗教々育』
は、将来の公民教育を論じ次の如く述べて居る。教育は賢明なる人、善良なる人、
公に奉ずる公民を造るを以て目的をする。新選撃令によって八百萬の選撃人が殖え
たが、その中六百萬は女子であるから女子の公民教育が必要てある。女子をして國
家に野する責任を感謝 しめなければならぬº るモれには社會問題、 政治問題を子解さ
すべ さてあり、 その純のに就會國家の愛達 を知らしめなければならないº そして早 府
**
» » » »
(分物の神聖、國際的靈に動する相互本在の精神、蘇益の神聖を各得させ
ればならぬº ア 陸鉄の主義的利益,と民本的暴力に封する情愿の心を養成すべ さてあ
るº 校に英國憲法と米國憲法 との相違を知らせる こと、 一條大統領 さ上院,と代議院
とから成り、 一 は皇帝と真族院と家戲院とから成る組織である ことを比較研究させ
るº たく て英帝國の理想を各生徒に子解させる といふのであるº
}
佛國に於ては 一層國民的教育の思想の濃厚なる ものがあるが、 一 九111 年に文部
大臣から高等教育會議 《 諸問した中等教育の改革家及されに封する諸方面の人々の
意見の加さ とれを示し て徐りある ものであるº J の改革家は新 N テン國民% しての
傳統を維持發展するために古典的教育を中等學校の作部に規制するとい メのであ
&o … 詞しては反對論もあるが、 多数の人は古典教育の得税を保存するは世界
における役人の任務であるとし、 初等教育には国語國文學を充實し、 中等教育には
國民的精神、 精神文化の進步のために古典發音を盛にすべし ていメのである。 實業
足に入る者のためにも奇諾及び拉與語の教育がよさ修練さなる~い のである。
アイ の頭足教育論が現代に復活したもの である。
他方には少年鑒別の運動が顔る証であり、 體育の施設が目下流に封じられて
居30 分布賴仇討論の末尾に脱しておる現今に於ける世界の義州面数は次の効º
3のであるº
英國 | 11^OOO

---- 177 —
スカシ ディナヴィア 大rOOO
和 關 -

五、OOO
日 † 務 1 入^000

班 蘭
F TH

— 178 —
| ^000
二六、OCO

西 和

1月、○○○

三r六OO
チュンゴスラヴィック五、COO
:

臘 蘭

三rOOO
巴 批 香

八、五OO
米合衆國五三rOOO 西
二、五OO
求他の風17歲前支那、日本帝李元ooo
この家にょって世界に於ける國民教育の面を抜いるとさが出來3やうに思は
れるP
周邊に於てケレジェンシュタイナー等がいかにそれを主張しつくあるかは前の論
文などにも引用したが、ケ丘の近著發育者の精神及び教員養成の問題Kカ11
年に於てケは數目後成組織の根本要求のそして國民的理想による組織を要す
»し、社會は組合が現實的目的の結合さ與人種植的價值よりせる結合てあり、その
最も色指的であり、現實的のものは国家社會、國民社會てあるから、核に風見的情
操を務はなければならgさいい、次の知(科んておるº
國民將人アレントからブレタリアの詩人レルシュに至るぎて、“Ich glaubean
Deutschland wie an Gott” %討つたo英國の国民歌はRule Britannia, rule waves,

— 179 —
Britons nevershall beslaves Jいメのではないかº * アンカレの中心としたのは
全德國の教育者が頭足的情操を高めることにあった。音タは物論家庭から出て世界
の国民であるが、しかも関民主義によってそれを成強するやうに教養しなければな
らgyº *
0
ライの近業 國民教育 (一方11 年) は次の知く通Y ておるº 現今の銅鏡に於て &
は物質主義、 主和主義、 個人主義が多いが、 個人主義は社會生活を破壊するº 般會
的生活は文化の存在 と同じ い古い越源を有し、 それによってのみ大人格の愛達は可
體であるº 物質主義、 主和主義、 個人主義は外國安ら這入つて家た有害なる見解て
周遊詩には これらの言い表はしはなく、 網通の本質にはよそなるものであるº ルて
の時代の御魂の大時人、 大恶想家はそれを離婚したº 於るに最近十年、 湖邊國民は
物質主義、 主和主義、 個人主義に沈み、 精神的に無力となり、ために戦争に破れたº
傳達國民の精神は今や病態にあるのであるから始投及び 學化を要する。 周邊國民性
は数に内部から改造されなければならぬº 的を意識した力强さ教育のみがそれを
改よ ことが出來るº 物質主義、 主和主義、 個人主義が 一般法制及び學校行政に混入
つて来て教授及調線に得奖した。 こくに改造の要があるº
彼は かくて証會生活(Gemeinschaftsleben»教育さの関係を論述して頭民教育を
唱《て居るのであるº
へて > > >がドもホその著新單的教育學K一九七年)に於
てケルシエンシュタイナーなどにより國民的教育を論じ、愛國心及び正しさ就會心
により德族やる環境によって教育すべさことを論じて居るº

以上最近に音人の目に倒れたものについて英、佛、御の三國に於ける現今の国民
的教育の思湖を読めたº國際主義、國際的精神の際に心部する成が図一部の急進家
に共轄する前に、具に世界の大勢に考、體本なる早合點をしてはならg。國際協
調主義、國民的國際教育の必要を認めるに客なるものではないが、國境を認めない
國際主義の運動が、國家を認めない論家の運動が直に教育の方針として取る |
ベ55のと考えるやうな危險は我が教育界からは夫らしめないものである。羅語國風
本に於ける事中几建筑中の国民主義の思潮の独立博士
の文部省に送れる米園最近の國民教育の運動の状況の如き、 吾々教育者の参考に値
するものてはなからうか。
吾々は静かに「國民教育の基礎」について考ふべき使命、
をもってみるものてはないか。
第三章 園民主義の教育

戦争の影響は何時も民族の自覚を呼び起し、民族主義、國民主義の教育が起る。
未曾有の世界の大戦もどうやら共虜に騎したやうである。米園を見よ。英園を見よ
備蘭西を見ょ。特に濁逸を見よ。米國の撃校は軍事教育に熱中し、英國は國民的組
に一大発展をなし、備蘭西はボーイスカウトと古典教育(新ラテン國民をしての
博統) に熱中し、濁逸も赤國民主義の教育を力説して居る。
この状勢は國際的平和の見地から見て必らずしも喜ぶべき現象てはない8 國際聯
盟の有望に見えた大戦の直後には濁逸は初論米國もフランスも従来の排外的愛國心
をすて、同じ斬 源に終始した好を温める方法を力説した。然るに現今に於ける状況
は比の傾向を後へにして前述のやうな形勢に向はしめてみる。理想に照らして現質
の浅ましさを威ずるもの軍に國際主義者のみでない。道徳の理想、人格の王國の理
想に見て通遠、悲痛の威を懐かざるを得ない。
さりながら一方からこれを見るならば、現質は理想に向ふ足場である。現質曝露
の悲哀を威ずると共に、この現質を足場をして 一歩々々理想に向ふべきである。所
請國際主義の教育も決して今次の大戦を以て起つたものでなく、東西相俺り彼比相
済す精碑の教育は以前から努められて居る。それが今次の大戦には一大発展をなす
べくして社絶した。理想主義者がこ\に一大努力を試みやうとすることに封して吾
Q
々☆賛同を客まないが、同時に悲しむべき現質の中に、現質よりして一歩々々進む Q
1
べきであって、決して急進的冒険を敢てすべきではない。詳密に現質を了解せよ。
そこに就會改良人 教育との手段が見出される。 而して異の図民的教育は関院的國民
*
教育であり、 國民教育の基礎の上に、 國民の個性の充質の上に理想の現實がなされ co
-
ることを忘れ てはならないº ︽愛心 と愛國心 と人類愛どの連續的關係を考 へないて
平なる人愛の後立、 國際教育に高飛びしゃうとするものは、真に効果を見るもの
でないº J の時國際的精神の普及に努力する 関際關係業省 の 一 篇なる ストック
スの 愛國心と報國家 C 110年) の知さもトゲストイの過激なる愛國心論を非
% して愛國心の上に国際的精神を打ち立てやう として居るのは、急進器製炎に動し
てたしかに原府の 一 對たるべ さもの と思~&が放に、 それを頼みやうさ回 ~&º
I
その書の始めに出版者が存していよ、 本義青の目的は國際關係の事實の知識を放
布し、 クエレス の所謂國際的精神を務 提するにあつて、 しかもそれが焼 のに事實を
曲げやうごする ものではない こ99此乃事實についての研究は極めて 重要であ
るo 單に国際的精神を科んで、 その基礎を忘れてはならないのである。
3 着者 ストック ス圧は先多數國心を分析して次の三つとして居る。 祖國化對す
る愛情, 即興の書事に封する鉄路、 祖國に奉在する熱身の念それである。 その興國
の愛にその土地、 人民、 言語、 風習及び 就會組織に戦する好愛である。 その死後は
„の陰 なつてあらばれ、 それが他のものよういく と思ようになる。 佛し“ *
ストムは いつて居る、 各國民各國家が自已を最上さするならばそれは有害な実施に
路3たものである»0 億、 自分の妻、 家、 國家の優秀を誇る ことはいく異様では
な so : 林を好む ないが愛するといふ とどが出來る。 好みを愛さを分離するそ
とが出來るならば、 祖國の愛はその賞賛さ分も得るふのである。

— 185 —
ストック スは光の戦ではト 形 ストイに左組して居る。 何人永この論には同意す
らであらうo 大戦直後の教育論にも自國獨尊の念を去るそ% を設さ、 反にギュョー
は自己 要想の愛國心は真の愛國心でなく反對の場合自國の非を知った際に自家に路
ー 186 ー
るこさを撃げて居るが、いかに貧しくても欠酷があっても我が家を我が國家は愛す
る☆の、愛すべきものである。眞を教へて愛國心、「國民教育」 が出来ないこをはな
い。排他的に導かなくても「國民教育」の基礎は養ひ得る。この獣に各國さも従来
の教育法に欠陥のあったことは認めてみてこれは頻る正常のこをてある。頑冥者流
の時代錯誤の愛國心論は固ょり寧ぶべきてない。そは眞の國民教育にもならないも
のである。汎んゃ園際的園民教育ふやである。

ストックスは第二要素たる自國の善事に封する欲求をしての愛國心を論じ、それ
は自然的であり、それを排するトルストイは誤って居るをして居る。ストックスは
いふ、愛國者はその國が富み、強くなり、文化がす\み、正義の行はれるこさを欲
する。この四つの中で強くなるこを、力の思想は一般に愛國者によって欲求される
をころで、富、土地、人口の増加が望まれる。併し力はそれ自身正義とはいへない。
気をはなれ德を作はないカはその所有者及び他人に» つて危険であるo 即らそのカ
が登州に使用されなければならぬº 文化さ 正義さは核に翻訳の道德に存しなければ
な %。 而してそれは精神的善事であって、 それを自國に留行 ことは他國の愛國者
º有等師後すな所がない。在ºカとは農事國主義 經濟的帝國主義を合 が後に他
大 事业 。。 それ故に文化さ正義さがな さかさを歩けるために用いられるので
ある。 トルストイはそくに精神的善事を自國民に留行 ことは不可能なりとするo ,
れは愛國心は文化º 正義さを望む ないから有省な成當於といふº 作し光の精神的性
孫に異に適合せる 。のはそれを自國民に留人得る。 それは自國民のみにではた(特
た 自國民化契特る。 文カマ 曲さ の大部は他を排して得られたものではないo ,
故トルストイのいふ ざ ころは常らないとo

— 187 —
方の所書はなしかに正常である。 カ% 在» は成度文で個人にも関家にも必要であ
る。 軍國主義、 利己的國民主義は、 それを正義の監よりしないからであるouして
ー 188 ーー
正義と文化とを特にその國民に望むことは不可能ても不道徳てもない。國民の文化
によって世界に貢献すること、個人の完成によって赴曾にっくすを一般てある。急
激なる思想家はこの獣に誤解をもって居る。

ストックスは進んで第三の要素についてトルストイの妄を開いて居る。愛國心の
第三要素たる自園に奉仕する献身の念のあらはれたる愛園の詩歌を見るに、教育、
財産、生命その他すべてをその國家に負ふからそれに奉仕するさいふので、それ丈
けでは他の國家を比較するをころはない。然るにトルストイはいふ、愛國心は不道
徳の威情てある。何となれば、自分自身を基督教の教へるが如く碑の子だといはな
いし、又自己の理性によって導かれる自由人としないで、その祀國の子であり、そ
の政府の奴隷であるといって理性及び良心に反する行動をするからであると。かく
して彼はその避くべからざる結果として外は戦争を惹起し内は政府さょぶ恐るべき
結合を強くするをいって居る。この彼の言葉の内には、愛國心は人をして不正をな
さしめ國家はそれを命ずるといふこと、第二には愛國心が附随する所の國家又は政
府は悪い組織、非基督教的組織てあるから何人もそれに奉仕する義務がないといふ
ことてある。この第一に勤しては次の如く答へるこをが出来る。同じ批評は人間の
九ての威情に勤していはれることてあると。即ち夫婦の愛は幾多の罪悪の舞解とも
なるが、決してそれが故に不道徳ではない。第二の酷は複雑であるが、今日は園家
に封する無政府主義の興味はあまり行はれない。政府はそれ自身罪悪をは認められ
ない。併し共産宣言のゃうな國民の要求に向って宣戦するものがある。その勢動同
盟は今日質現されないけれども、それが質現されるものと考へ、又その質現は愛國
心を絶滅すると考へるものがあり、國際聯盟に含まれる理想も必然愛國心に敵封す
る。のと考へる人があり、又國家の破壊を企闘する人がある。これらは現今ては吾
々の従ひ行くことの出来ない深淵に導くものである。
ストックスの右の言に、彼がいかに現質から一歩々々園際精碑に導くべきかをカ
説する獣がわかる。勢働者のインターナショナルのやうな意味の國際教育は全く國 蹴
家も園民も世界の文化をも毒するものてある。園際教育に行くの道は国民主義の教 一
育でなければならない。

ストックスはなほ進んでこれら三要素を國際的精碑の教養に反封する ものと見
ず、ジャステイフアイして居るのである。即ちこ\に國民主義者も國際主義者も聴
かなければならぬ。彼によれば愛國心に於ける威情、欲求、奉仕の行動の三要素は
同時にあらはれて相互に強め合ふものである。例へば學校の生徒はその寧校を好み
その成効を欲し、彼の出来後る限り共の寧校につくさうとする。彼がそれにつくす
丈けます〜その寧校を好み、ます〜その成効を所るやうになる。彼が國家の公
民をして國家又は國民に封する闘係も赤同じである。彼の國家赴曾の信仰、風習、
**〜
實行は彼に適當する のである。 彼はそれを好み、 その成物を望み、 それに奉仕する
その成效さ彼の意志 さが愛國志と稱する複合的のものを頭 のるº な くる愛校必もし
くは愛國心は正常であって危險を含む ことはない。 しかしてその間體の理想的狀態
パク質 の不完全なる世界に崩さるべくないから、愛國家はその不完全に対し
て反對する ことがある。 その反對は愛國心の久之ではなく、 現在の制度, 政治に反
對するのみである。 それ故 為政者、 その反對者、 反對政黨を以て愛國心の欠乏とし
ない ことが所要であるとº
ストック スはかく愛校必、 愛國心をジャスチオ ファイして居るº こしてそれは法
して國際的精神を書する ものでない とするº愛校必が間體を愛する情であるならば、
それは人類愛、 國際特神の基礎であるº J の船をト 形 ストイのやうに考 《 たい とと
が所要である。 ア 後が最後に いふ ところの現狀に封する つよさ此神を加入 るもの必 -
ずしも非後國家でないては環流の考«ればなら 脱である。しかも国家を思
— 192 ー
れて頭院的聯盟に熱中し、 國民教育の基礎を開新し て國際教育に急進する ものは非
愛國者 であり、 文具の調教教育を信行し得ないものであるº

以上 ストック スの書に於ける愛國心論を頼みて急進思想家に参考の資を興 、よう
としたº 而して試みに思 《 我が図民教育の基礎 は果して被應して居るかをº 現
在の制度、 教育を不完全% して収入はよし、 それは愛國の李常がら出たものでなけ
ればなられº 四公 と共に現實の基礎からの改造を書集しなければならぬº 學なる國
陈教育を説く前に、 その教養の基礎としての国民教育さその方法 とを考 、よº 過去
には排他的愛國心の傾向もあったº 國民的利己心の助長もなくはなかった。 それら
の改造を唱よるに何の差支はないº 使 しそれがために愛樂公、 愛國心を被海のふの
と考 ム ならば ストック スのいはゆる深淵に導くものであるº 理想に提はれて現實
を思る くものであるº 教育は理想的であると共に現實的である。 先多國民主義の数
青とその方法とについて考 、よº 排他的、 利已主義的の方面を輩新する と共に興正
なる愛都心愛國心の殺後方法を考 、よº *の所調國民道德の宗教化、 功利的解釋の
隨心的見地 へ の進展、 國民族文の容重, 國民教育のための家庭教育の改善、 それら
は こくに運ぶべき取りでないが、 先グ國民の現在に考へる ことが必要である。 現實
よりの終是、 國民的個性の文化的貢献、 これを精 いて國際教育を説く ものは聖なる
*
主張に止るに至るであろうº
第四章 國 民的思想過著 の方法
、精 置
帝人に襲に 国民的思想を問正的發育 % 討し、 現今に於て、 酸化の時代なる現
代の情勢に於て、 動もすれば関神社 社 んざする光の方面の必要を述べた。 本稿は
← けに は 後に巻を築き かに 千人の所º
を述べょうと思ふ。即ち國民的思想の教養についての方法を論じて見ようと思ふの
てある。 4
Q
1人
固ょり従来もか\る方法に就いて考究せられ又質行せられた。そしてそれが有教
てもあった。併し時代の鍵化は奮方法の適用を困難ならしむるやうになって来た。
奮方法は今日に適用すべくあまりに偏狭てあると威ぜられるやうになった。果して
然らば奮方法は今日に於て教果を失して来たのてある。初論吾人の新方法も全く過
去の方法を類を異にするものてはない。奮方法から発達したもの、奮方法に合まれ
てみるもの、発展てあるが、一般思想の鍵化に伴って過去の偏狭なる方法に新しい
要素を加味しょうといふのてある。家庭教育に於ても、寧校教育に於ても、赴曾教
に於ても、軍隊教育に於ても、過去の偏狭なる方法から現代に適する方法に進む
ことは、何人もその必要を威じてみるに違ひない。吾人の新方法もなほ組織された
☆のではないが、賢明なる讃者諸彦と共に、比の吾々が必要を威じてみる方法の研
究と思索を質行とに入る刺戦として、吾人の所見を披歴して見ようと思ふ。組織
的、特殊的方法及び手段はこの後の研究と思索に待つの外はない。
11、奮方法と新方法
則にもいふ如く奮方法の中にも大なる眞理はある。然し夫れは今日に於ては偏狭て
あり頑強であって到底今日の人心を指導するに充分てない。二三の例を撃ぐれば、
先づ第一に過去の方法は祀園の長所のみ力説して督小的熱情にのみ訴へた。か\る
方法は到底今日に大なる効果を撃げることは出来ぬ。威情は多くを支配するけれど
も、理性の一般に発達した今日に於ては却って反動を誘致すること、もなる。祀國
の短所は短所をして知らしめ、短所についても長所と同じく反省せしめなければな
らぬ。第二に排他的方法も従来の教育が取った方法て、第一の盲目的熱情を長所の
力説のみにより誘はうとするのをも連闘してみる。排他をはいふ逸もなく自己のみ % リ
が完全てあると濁奪し、他を見下してそれを蔑祀するものてある。元来園民道徳と
ー 196 ー
今日稲せられて居るものは、吾人の見方によれば宗教的の要素を持ってみる から
(その議論は本文には鋼れないでおく)、宗教一般の性質をして排他的に出たのも
常然であるを思はれないでもないが、今日に於ては宗教を離も決して古昔の排他的
態度を探らないで、各宗教宗派共に協力して人道のために霊さうをして居る情勢に
ある。固ょりその宗教、宗派の教義 (國民道徳にありてはその特色) を中心とする
も、必ずしもそれを他の宗教宗派に強ひるをか、それを以て破邪顕正(排他的意義
の)態度に出でないで各派を絵合して一の宗教的、道徳的、人道的運動を起さうさ
してみるのである。携夷主義は徳川時代、孤立的時代の思想てあり、方法である。
第三に権威的方法、すなはち軍に教権による注入は、宗教教育に於ても、道徳に
於ても過去の方法で現在の方法ではない。教権に封する盲目的服従でなく、自務的
に教権を認める発動的服従、自律的服従が今日の方法てある。
かくいへばをて決して過去の方法に眞理を見出さないのでなく、統一的長所はこ
れを認めなければならないし、新方法にも取り来るべきものであるが、今日は盲目
的熱情や、排他的態度や、軍なる教権の歴追によるべきでなく、眞の熱誠、眞の獅
奪、眞の服従、自己から務するそれらのものでなければならぬ。過去の方法をその
ま、現代に用みんとするは、家庭、寧校、軍隊、いづこに見らる、教育法の弊賞で
ある。
三、教育上の新方法
一般の思想、寧術、研究の進歩に伴ひ、教育上に於ても具に科學的なる効果多き
方法の研究が盛んである。吾人は國民的思想油養の方法の基礎として比の一般教育
上の新方法について考へたい。
今日の新方法に於て中心を構成して居る思想は、自己活動にょる教育てふこさで
}
ある。自務の原理をも稲せられて居る。動的教育 (Puaneeducation) をいひ、創
Q
1
造教育 (Educationofcreatineness)といひ、作業主義 (Arbetsprinzip) といひ、構
198 ー
案教授法 (poectneuod) をいひ、何れも比の自己活動を力説し、「なす事により
事ぶ」(“ggag)を高調するのてある。比の「なす事」は初論自らなす


事てあるが、それは軍に行動(身鶴的質は心理生理的の) のみに限らず、自ら見聞
し、自ら反省し、自ら考ふるこさを合む。教育は比の獣に中心を置くことによって
共の効果を大にするこをが出来るをいふのが新方法の主張てある。思想を行動をに
於て自ら考へ自ら貸すこをによって寧ばしめ、教師は軍に傍観者の地位にあってそ
れを指導し、激励し、自己活動を補助すべしとするのである。これを國民的思想活
養に適用すれば、自ら國民的教材即ち國民道徳、國史、國語に封して自ら學ばし
め、自ら考へしめ、國家奉仕の仕事に自ら参加する練習をなさしめることてある。
右の動的 (Dynane)といふ語は、いふ逸もなく静的 (State)といふ語に封して
活動、発動、自務を意味するもの、創造の力説も赤この酷を旨とする。作業主義、
構案教授も中心は「活動による教育」(Lensegnnent pa achon)である。作業
(Arbet)の語は初論始めは身鶴的作業を意味したものであるが、精碑的作業(Ge
stge Arbet)をいふ言葉も早く出来て、廣く自ら貸すこをを意味し、構案(project)
の語も質赴曾上の仕事について用みられ、教育上にも具鶴的のものに始めは用みら
れたが、今日は抽象的作業にも用みられるこ\になり、行動及び思想の全部に互つ
て合まれ得ること、なつた。
四、新方法の力説酷
作業、構案の原義に見る如く、軍に抽象的な取扱てなく、具鶴、行動の力説は新
方法の一特質である。従来の教育法は文字から、即ち記競からのみ取扱って、質際
との連絡が顧られなかったから、質習的作業を重んじなければならみさいふのであ
る。これは質業教育や軍隊教育に於ては大に意を用みられて みた 所である。一般
教育には矢張り質行、作業よりも日てやかましくいふ方が多くはないかと思ふ。質 園
業教育の如き技能的のものには質習が重んぜられるが、智識的教育には、質は必要
ー 200 ー
なる質際方面が関却せられがちてある。
第二の獣は第一をも連絡してみるが、生活、境遇の力説てある。従来の一般教育
は文字即ち記競を中心として、記競が代表する質際との交渉を開却した。落に生活
にまでの教育、生活又は境遇による教育が主張される。従来は一般に境遇が人間と
分離されて考へられたのであるが、これは吾々の威豊が個人と事物もしくは他人を
別の存在をして見るから起る誤りてあって、生理學及び認識論はこの誤りを正すこ
“、なった。生物學からいへば、個鶴は孤立的の生活をしておるものてなく、必ず
その環境の各物と共通的生活をなしてみるもので、これが生活園の原理といはれる
*のである。認識論からいへば六ヶしいやうであるが、簡単にいへば、吾々の威愛
にうっる肉鶴的個鶴をはなれて精碑的個性を考へて見ると、それは孤立的なものて
なく環境と融通してることがわかる。環境はこの精碑的自我が自己を質現する媒介
で、環境は個性があって始めてその意義を発揮するこをがわかる。これを自己と環
境をの継績性をいつてみる。環境は慈に自己の 一部であるとい へる。精碑的自己が
形成せられておる要素を考へて見ても、その多くは環境の習慣、思想と多く共通な
ものてあり、環境 (他人、家庭、友人等)から得られたものてあることがわかる。
かくして環境を離れて自我を考へることが出来ず、環境と生活とは吾人の精碑的自
我の成長発達の上に大なる要素であることがわかる。
第三の酷は思考、問題解決の過程の力説である。吾々の日常の活動は過去の習慣
で滑かに解決が出来るものでない。その活動は何等かの抵抗を威じてその抵抗を切
り開いて進む。これが目的、問題の解決で、思考の作用がそこに働く。教育上の事
柄もそれを注入、記憶せしめるでなく、この自己解決の活動に訴へて始めて債値あ
る牧得となるのである。果して然らは軍なる注入てなくして、質際その立場(問題
解決)に遭遇せしめて、その立場において頭を働かすことが必要である。軍事の練 劉
にはか\る方法が多く用sられてみるに拘はらず、精科教育には教権的、歴道的
ー 202ー
注入的方法が採用されて居るのは矛盾てはあるまいか。固よりか\る方法の中にも
知らずノ〜その空気に慣れるといふことはあらう。その題材に鋼接して威ずること
は大にある。しかしそれが自発的に、活動的に、反省的 (思考的)に内部の信念と
なるこをが一層望ましいことではあるまいか。
以上の三酷は異意自己を活動させるをいふことに騎する。この自己は初論素質を
にし環境を異にしたものてあるから (同じ田舎でもその家庭の人の気質が異る)
自己の内容が様々てある。軍事上の活動の練習にはこの個性がよく考慮に入れら
れ、個性表が出来上っておるにも拘はらず、精紳教育に個性的の取扱をしないのは
矛盾である。年齢は同じでも発達の程度は様々てあることを眼中におき、或者には
理を以て説き、或る者には質行を以てするの差がなければならぬ。
五、新方法の長所と短所
前述の力説獣はたしかに新方法の長所である。過去の歴追的、割一的方法に封し
て撃%?く、 探るべ さ多くの真理を含んでわるº 位しながら新方法は番方法に封す
る反抗として空力法の病態を極端に勝大興し、 自發的方法のみが唯一 の方法である
やうに考へるのはその短所であるº 個性的なる と共に人間には共通的な,ところがあ
~、 國民的陶治はその共通にし て何人 もそれを念 させざるべからず定の共通的陶治
であるº 中人に於てはこの共通的陶治を編隊の習慣、 宗教、 法律て規制したº 現今
-
3張制の要素を開新する義には行かgº
併し龐制は自由に至る手段であるº >& に達せしむる方法であるº 强制のみて成
れ,9% 民~ ~ものは大なる誤り であるº 張制は止行 を得さる際の手段であるº 小(者
よる ここに於て、 今日の教育法が時代に過する方法 となり得るのであるº
軍隊教育、 航會教育が対象として取扱小青年は既に思考、 反省の大に愛達した時
期の者 である。 この思考反省のカの教建は、 神像力の教建のためで、 社會現象, 國 戰
あ最能、 國民的生活、 前的侍の真の意義を『魔術 時期である。小笠
と異り、赴倉教育、軍隊教育は比の理解あり、素養ある青年を取 。
に、理を以てせず、法を以てし、思考に訴へずして東縛を強ひるの。
はあるまいか。こ\に新方法に撃ぶべき獣があると思。
俳しながら新方法論者の成者が力説するが如き、自律的、自由シ
青年、成は成人にても質現し得るものではない。新方法はシして、名。
祀する獣に大な
則を超えず底の理想人 (deanenschen)と見童若くは青少年を同一
る短所を持ってみる。見童の自己判断を重んずるの結果、誤れるシ
即ってシ美の理想から避けるの慰を新方法の質行に見るのはこのシっ(。
のてある。新方法は質は奮方法の発展てなければならぬ。管方法。全(シ。
みを以てしない。歴道の数が過ぎて自務と反省とに訴ふることが少なかっ。
る。故に吾人はこの意味の奮方法から発展して歴追を少くし、反シ多く。
法にす\まねばならぬのである。
ハ、思想と感情と行動
以上吾人は新方法について精碑教育の効果を大にする手段の基礎を考へた。吾人
はなほこれを知情意の三方向から考へ、その上にて質際的、特殊的方法に及ばうと
凡そ人間の精紳には知情意の三方向があることは尻に注意せられた所であつた。
この三方向もしくは三方面は異意方向であり方面であって、一っのもののあらはれ
ではあるが、この方向、方面に分けて考へて見ると、思想の方面は観念に訴へ、威
情の方面に於ては情操を陶治し、意志の方面では行動、練習による。これを本論の
れば、思想、観念の養成が主であるやうであるが、それには威情の方面
にも訴へ、行動、練習にもよつて始めてその効を撃げることが出来る。特に行動、
9
練習の力説は妙に述べた新方法の主眼獣の一 つである。元来人間も他の生物を同じ 0
Q

く行動し反應する有機鶴であり、身鶴の機闘と同じく精碑も行動によりて務達する
生物學 樓閣の原題といふととがそれ て、 使用することにより後述する。 國民的桃
神の際にもその精神とその方面に使用する ことが大切で、 社會本在の宮を武º š
生徒の先 とをふととは既に加わられて居るもの である。 軍に道を載《のみでは元。
たい 親と行はしめたければならgº 李在の練習が数に必要て、青年間はか^*作
をたすことにより本公の念を委 3代る。 しかもそれは機械的作業でなく、威虎」
「國民的成器の愛新たるもの く教規てなければならず、 その成樹は思想概念作“っ
セ地3る)から、 國民的思想の愛はやがて國民情操の開始~なる。 神奈斯》
連動して和治史5れなければなられº それを国民的發射から考《千克。
七、 修身教授及び教訓書
教授とは主として知的作業であるが、右にい。 如(觀念を通じて成帝太郎 、 例
的修練に導かればならgo しかも成樹に於て軍なる官的威性、 1 時的战神ºś
がないo 特徴として神殿的のものでなければなら明。それは例的合理的契特?
信念、 確信てなければなられº 修身書教訓書は校にその力を養女もので、 しかも と
れが注入的、 記憶的でなく、 自ら反省して取るもの でなければならぬ と さは日 にの
ベた所であるº ㎝ 砲にその徳目が必要であるか、 國民進德が必要である か、 社會。
國家の方面から考 へ ればならぬ と とで、 これが軍隊教育を受くる年齢には既に可能
なると とは既にのベたº 其の 公民教育はその時に至 つて可能であるº 德統、 風習の
社會に取りていかに重要なるかを子解させればならぬº Jれは社會學3しくは社會
必理學の軍派的見地より音人に数よる所で、 その監に社會教育者、 軍隊教育者たる
ものはよく との方面の理解を有たなければならぬº
しかも理解を以て足れ,9% しないº 理解ある信念、 情操 どならなければならgº
その説に私は宗教的態度の必要を思よº 宗教% は逃信てはないº 自日的服從でもな
|
sº 数種による怪造てもない。 自ら人間以上の大なるカに進んて触し、 そこから 新
カを得來る現象である。 幸にして成が図には国家的の神があり、 國家的の熱に触
依する博統がある。この博統が軍なる道徳をして取扱はれ、軍なる風習と見られ、 一
修身書にも力説されないのは甚だ不可解てある。折角の博統、尚ぶべき根城がある ㎞
にも拘はらず、道徳撃者の道徳中心の考方から、又は宗教家の排他的根性から、こ 一
の尚ぶべき国民思想教養の根抵が関却されるのは概すべきことである。倫理學者は
道徳を以て最上とする。宗教家は自己の宗教宗派を至上さする。かくてこの國民的
宗教を道徳化せずには措かない。併しよく考へて見ると吾々は國民的宗教の信念に
養はれ、この信念から活動してみるのてはないか。國民的碑霊の前に国家の幸調を
所り、国民の加護を願っておるではないか。吾々の祀先は心霊として我を護り、我
と我が国民の幸顧に力を興へてくれておるではないか。物質と科學をのみょ*考ふ
るならばいざ知らず、吾々はこの碑霊の力に依りて日常の行動をして居る。国民的
精碑の指導者はこ\に意を致し、この信念を自発的に起し得るゃうに指導せねばな
らぬ。國民的儀式、祭日、祀先の祭り、碑赴の参拝はこの機曾を作るものてある。
修身書、教訓書はこの指導を怠つてはならぬ。私はこれを國民道徳の宗教化と呼ん
でみる。國民道徳とい へば道徳のやうに思へるが、それは倫理學者の解響て、我が
國民道徳と呼ばれておる祀先崇拝、忠孝、家族精碑には道徳的要素を共に宗教的要
素がある。これは筆者の 「國本」 その他に展々述べたをころであるから、弦に闘説
しないが、右に述べたことからも讃者諸君の賢察に浮び出るこを\思ふ。
八、歴史教授及び歴史的譲物
國民精碑の教養は歴史教授及び歴史的讃物により養はる、機曾も質に多い。過去
の歴史教授には可成りこの酷に注意されたものもあつたが、同時に歴史家の歴史は
科學としての歴史で、國民教育、歴史教育の歴史てない。歴史教育は史眼を養成す
るこをも大切であるが、各國民の歴史、特にその國の歴史によって國民的精碑を養
ふ任務を持つてみる。然るに歴史家の歴史が國民的教育をも支配するやうになって Q
%
軍に歴史事質の科學的叙述に専らで、國民の生きた活動の歴史、精碑的、愛國的記
曲出す
\

歴で
す、
な化

意必要




見。
を義いる史解 軍
生れは



知も





出て


そこ



来るるっ活 碑





方面





こと


同必要




話時に




る もさして史ふむの

\
い含か

こと
歴べき







ある
ので

的 。 て
ぬ こら




國民







こと
する


は の





く あいったか

もの
ら知

啓発
により
こと







。かなる
れる
大 祀

年 取かも



とは



しひ

つてきよ
活取扱




先して動扱 よろしい










教育





教材


、 民 。



り よろしいい要史り て

歴みる
必を



よなとして





博 たれ

こと















の る




決して





はせ説民る史いよ


歴ぬ
あは
國で


教育

ー 210 ー・
ベしどいよのである。 何れの団もその頭の詩話、 傳說は貴重なるものとして取扱う
て居るのに、 我が図に於ては物質文化、 自然科學の取り入れのために、 貴重なる風
民的產物を思る くに至ったのである。 これは民族心理學名胜會心理學が近時 での必
要をカ論し て来て、 神話の意義を認める と さくなつたのは喜ばしいº るに 殺に
はなば自然科學と以て神話、 傳說の施度集積を非議するものが多いº 府被科學は
つの見方てあるº 文化は多様であるº 議論語學。 宗教學はこれ 文學問てあつ て、 理解
の上に立つ て神話、 傳說の意義を明にする ものであるº <も神話學的事實, 宗教
學的事實を否定する義にはゆか於º 羯座を以て完教を否定するは不合理てあるº ॥
會指導者はよくこの説について考 へ、 其の歴史家もホ大に考よる ことろなくてはな
-

— 211 —
られ 9
九、 國語教授及び 一般の議物 *
神話、 傳說、 國民文學は頭龍紋の内容でなければなられº 國語教授 さい へ ば言
マー 212 *ー
語的敗 の方のみが考へられるが、国民教育に於ける園語シょっシ
シするこさ、国文学の教授も含まなければならぬ。不幸にしてシ
はシに回 なるがために言語教授に没頭して国文學に入り得ないのが、シ
一般であり、高等教育に於ても国文學教授より古語古文法の教授。なって。
これは口語の回㎞のためもあるが、國民思想通養のための国語教授のシ
ものである。必ずしも古語を以てせずさも一般に請み得べきもの。し。
近時少年自 にこの方面が注意せられて来たのは喜ばしいこ。 シ
も、教科書もこの獣に留意せねばならぬわけである。
十、行動に訴ふる方法施設
教授及び計物によって国民的思想成情を教養すると共に行シ
に くすことの必要は既に述べた所である。青年間、軍人祭日等の機曾は初論、
、シ、 そ
國民的儀式、
る環境をっくることに意を致さねばならぬ。
の他奉仕の事業、赴曾的活動、旅行、見學等によつて充分この酷につくすべきであ
る。環境の勢力は質に偉大である。言語も、風習も、美的、道徳的評債も環境の模
倣から生じたものである。寧校で教ふる言語の基礎は家庭に於て 他の 言語を模倣
(反覆、行動) するこをにより得られ、行儀作法風俗習慣も殆んど観念を通さずし
て模倣するこをに於て得られたのではないか。善悪の標準、美醜の評債も、周園が
知らず〜の間に教へたものが多いのではないか。近時の教育法が環境の力を力説
し、行動の必要を高調するのも誠に故ありてある。
以上私は國民的思想の酒養について教育の新方法から述べて来た。個々特殊の酷
に及ぶことは出来なかったし、新方法の解説も、宗教的要素の説明も簡単に過ぎた
であらうが、讃者諸彦にしてその方に従来のやり方の改善を求められる動機となり 一
得ることを信ずる。教育法についてはなほ機を見て述べたいと思ふ。宗教的取扱を 猫
その根操は加藤博士などの文を熱讃衡味されたい。宗教々育の方法に學ぶべき酷も
ー 214 ー・
あると思ふが、それは後の機曾にゆづる。要は従来の精碑教育の方法の改善の途を示
さうとしたことにある。その必要は既に譲者の威じて居らる、ところを思ふ。寧校
教育も軍隊教育も到底従来の方法では教を撃げない時代に到達したこさを想はねば
ならぬ。果して然らば新方法に向って考慮すべき時代ではないか。一般教育の方法
が改善せられなければならぬが、特に國民的思想の酒養が一般にも軍隊にも関却さ
れてみるこさが明らかである。 そのこをは前にも述べた。その著眼をその方法の攻
究を質行さは一日も怒にすべきこをてないと思って筆をさった次第である。
第五章 國民道徳の宗教化
倫理學者の間に國民道徳の意義に闘する議論は賞て盛に討究されたが、彼等の立
場をして初論その教養方法論に深入りする必要はなからう。併し吾々教育者は日々
「國民教育の基礎k小學校令)を造り、「國民道徳の充質に力め」(高等學校令) 「國家
思想の瀬養に留意すべき」(大學令)ものをし、國民道徳の教養方法に注意するこを
を怠ってはならない等てある。斯くいへば國民道徳が道徳たる以上それは一般道徳
教育の方法によるべく、各自それを努めて居るさの答へを得るてあらう。併し私は
「國民道徳」をいふ名に拘泥しないで内容を見れば、その中に軍なる道徳以外のもの
が存在して居り、従って単なる道徳教育以外の方法を探ることに依って始めて國民
道徳の教養を全うするこさが出来るを思ふ。本論はこの酷を力説しようとするもの
で、國民道徳教養方法の全部を論じょうさいふのてはない。全部の論は一小論に霊
すこをも出来ず、又それは一般教育方法に於て追求するのてあるから、 本文は方法
の一部を力説する事に依って吾々日常の仕事を有教にする道を講じようと思ふのて
ある 「國民道徳」がその名の示す如く軍なる道徳ならば、道徳教育の一般方法は直
に園民道徳教養の基礎となるべきであるが、私の見る所によれば、我が「國民道徳」
ー 216 ー
を稀せられて居る所の祀先崇拝も忠孝も単なる道徳以外の要素を合んてみる。私は
それを國民道徳の風習的要素を宗教的要素と稲して居る のであるが、風習は道徳の
中に風習道徳をして合ましめ得るけれども、國風として美風としての國民道徳の方
面を力説する必要上別に置いて居るのである。然し本文には特に宗教的要素の方面
を力説してその方面に於ける國民性情の教育に勤する方法を考へょうを思ふ。

國民道徳といふ言葉は明治に至って出来たものてあるが、その内容は本教といひ、
和魂といひ、日本の水土による教といって我が國固有の思想威情を指して居る。残
に固有の思想威情といふも、個人の思想威情が本能の基礎の上に発達進歩する如
く國民の思想威情も固定的なものては無く、外来の思想威情をも取り入れて進歩発
達する。それ故に古事記編纂時代の本数を、藤原時代の和魂と、徳川時代に於ける
「日本の水土による教」と、今日の 「國民道徳」とは鍵化して居る事初論である。
それ故に國民道徳を固定的のものとする事は誤であるが、國民道徳が本教の発達し
来つたものたることは初論てある。そして落に問題となるは本教時代、和魂時代、
徳川時代の國民道徳はその中に宗教的要素を包含しておても、今日の國民道徳はそ
れを捨て、発達したものてあるか否かである。それには今日の國民道徳と稲せられ
ておるもの、内容を胎 味して見なければならぬ。
國民道徳の字義に拘泥すれば、それは何虜までも道徳であつて他の何物でもなく
又概念上さう考へることは合理的である。併し、今日國民道徳と稲せられて居るも
の\内容、即ち國民固有の思想威情に國民道徳として数へ撃げられる敬碑愛國、忠
孝、祀先崇拝の中には単なる道徳以外のもの特に宗教的要素を含んでおるこをは事
質である。それを無祀するものは、前にいふ如く道徳の名に拘泥するか、概念に於
て抽象するか、又は支那流の解響でそれを眺めるからである。支那流の解響といふ
のは敬紳崇祀を報本反始て説明するが如きである。彼等によれば我が國の祀先崇拝
は父母に封する孝を祀先に推し及ぼしたものであるといふ。併し事質は過去に於て
8
14
も現在に於ても祀先に封し人間以上の碑霊をして信頼騎依斬願する絶封的威情が中 2
心となって居るてはないか。この威情を無祀して表面的な取扱をして居るために
「國民教育」の教材として採ってある祀先崇拝が生きて来ないでは無いか。比の報
本反始論者中には"我が園の組先崇葬は他園に見る如き宗教的のものでないことを
論ずるため、生前親愛の情を以て接したものが死後恐怖するのは不合理だといふ者
があるが、それこそ心理上も宗教研究上も許されない議論である。といふのは霊さ
して存在を考へるとき恐怖と希望とを相伴的に惹起するのは宗教心理上の事質てあ
り、祀霊崇拝の研究は我が國の祀先崇拝も世界のそれに渡れない事を示すからであ
る。軍意支那の忠孝道徳を以て我が國のそれを律する誤認に基くものてある。吾々
が今日碑棚備壇に封する報本の誠は、単なる道徳的報本でなく、祀霊に勤して家族國
家の冥顧を斬る心霊的、宗教的のものてある。ギューリックは『日本人の進化』 の
中に忠孝を以て完数的情操% 見、 宗教的情操から神社が建てられ て今日に大なる影
鄭を及ぼして居る ことを述べ て居るが、 音人认同感であるº

斯く通常道德とのみ見られスは解釋せられ て居るもの く中に音人は宗教的要素を
見出さ くる を得ないが、 世人の多くは在家の解釋に満足し、 事實人としても完教的で
ないやうに考え て居る。 これは右のギューリックが右の書に言って居る知( 文献
の元子数が造入っ て調民統制を支配し、 それによって道德的並に日常生活を送っ て
居るから、 かく思はれる ので、 事實はギューリック の指摘し てる 加(道德的と思 S
っく失敗的態度を取って居るのである。 ギューリックは北の事實を次のやうに述べ

----- 219 —
て居るº
日本人は宗教的でないところが非常に宗教的 であるº 2てれは神社傍間の多い事に
よ つてもわかり、 文自ら信じて神の調だ とい S 就非 へ参拜するもの (多い の によつ
てわかる。参拝旅行は敬度の念よりも寧ろ娯楽的のゃうに見えるが、質際に於ては
彼等の或者は悲劇的境遇に在って所轄するために参詣するのてある。特に民家は碑
棚備壇のあるこを、碑秘的の行事の日本には多い事などから見れば、非宗教的園民
と見たのは誤で、宗教的國民である。それが明らかになったのは日清日露の戦勝に
よる。比の戦争に強き信仰が現はれた。それは靖國碑赴の儀濃にょってもわかり、
皇室に封する宗教的情操が戦勝を得させたのてある云々。
吾人もギューリックの見方に同意するものてあるが、果して然らば、比の宗教的
敬度的態度を教養することは、「國民教育」に於て極めて大切なことである。そして
それは道義的取扱以外に宗教的敬度の教養方法にょって始めて完全に達し得べきて
ある。宗教學者の説く如く、我が忠孝道徳と敬碑崇祀とは天皇教、勅教として取扱
ふ時に始めて教養を徹底する事が出来る。義理として、本務として、人間的シ
於て功業を追幕するのみては祀先崇敬も殆んど無意味てある。義務的威謝のみでな
く、宗教的威謝、碑人合一の場所として碑赴は始めて意義を有し、銅像さ異つた精
碑的意義が生れて来る。碑赴参拝は慈に始めて國民道徳の教養方法たり得るのてあ
る。

慈に問題となるは、忠孝道徳、祀先崇拝を斯く解する事によって、信教の自由を
束縛するこを\ならないかをいふ酷てある。ギューリックは忠孝を説き、勅語を宗
教的に取扱って居ることは信教の自由と矛盾して居るといひ、質際にも碑赴参拝拒
庁問題がある。併し吾人は國民道徳内の宗教的要素は成立宗教てなく、宗教的、心
霊的たるのみであるから、信教の自由と矛盾しないと思ふ。併し例外として斯かる
宗教的をも拒むならば、それは軍に道徳的に参昇するのみて差支はない。併し新か 」
る例外のために多数が宗教的態度を取ることを拒んではならぬ。比の小数例外のも
の\貸めに多数の傾向、萌芽の培養を怠るべきては無い。異意忠孝も祀先崇拝も道
— 222 ——
傳的にも 見習としても 、宗教的にも取扱い ととに依って國民道德宣揚の目的を述
し得るのであつて、 たく本文に於ては前に述べた 知く、 道德的要素 とその対象とは
別にして、カ諸點を完敗的要素に置いて述べるのみであるº —? ックラシッは訓
者と社會的狗治、 道德的构治、 宗教的陶格に分つて論じて居るが、 彼の社會的的治
は道德の外的方面、 形式的方面をいい、 道德的例治は内的方面 として京。 それは
區別してもしなく てもよく思はれるけれども、 彼が副書の一 方面~~ て完敗的的治
を挙げて居るのは基於結構であるº 成立宗教を撃被教育の外に置(場合、 學校に於
ては成立宗教の儀式 と宣教を行公職には行か於けれとも、 宗教的情操の東港 を始º
すやうの事があつてはならçº 分 に今日の小學教育に於ては逃信を排斥 , る の
極r正信の東非を貼らし、 成は風習の民族的團結の基礎たること を忘れる傾向が あ
るo 送信は勿論非凡すべ さであるが、 角を締めて生を殺すの思を挙人ではなº明。
成立宗教は教室に於て負傷する ことが出家かが、 成立宗教に封してその意義家要を
認め、迷信を排庁する場合は正信に移るべき暗示を興へなければならぬ。
一般宗教に封して然るべきと同じく、祀先崇拝の儀式に封して敬度的態度の通発
*務めねばならぬ。家庭に於ける年中行事の如きも民族園結の基礎として善導すべ
きてある。電蘭盆倉の先祀祭の如きは特にさうである。節分の豆撤きに至っては違
信を含んてみるが、風習をしては善導すべきで節分そのものを排庁すべきでない。
普通の子供ならば豆撮きの起源に含まれる思想が迷信てあるこをはよく倉得してみ
るのを、「豆撤きは迷信だから、するものではない」 をいひ聞かした質例があるが、
一 つの年中行
、風習としての要素を理解して善導すべきで、ロスのいふ如く妨害
をならざる限りは風習は維持保存せねばならぬo

ー 223 ー
かくいへはさて、風習的要素を宗教的要素とを軍に古来の博統の維持保存のみで
足る“いふのではない。風習も宗教的要素もそこに新しき意義と新しい見解とを加
へて来べきこを初論である。今日の祀先崇拝は過去の祀先崇拝でなく、今日の世界
観、人生観の上に立つべきこと初論てある。ギューリックは古碑道の中に各人が碑 %
性を持っを見る思想は今日に調和すべきものださいって居るが、質時それを初歩の 一
多碑教的解響でなく、汎碑的碑人合一的見解に務達させねばならぬ。室町備教の時
代には、備教の汎碑論から我が祀先教に理論的基礎を興へた。徳川儒教の世には
人唯一を居敬をを以て説いた。明治大正に宗教學的碑道論の出たのも偶然でない。
祀先崇拝を羅馬に亡んだ宗教をして捨てるのは大なる誤りてある。吾人は新しい見
解で解響してこれが教養に努めねばならぬ。
碑話的教材もこの意味に於て「國民教育」 の基礎とならねばならぬ。見童は初論
それの宗教學的解響と、新世界観による見解を理解する必要もなく、又可能でない
が、教師はそれを持して見童を導いて行かねばならぬ。都下の某師範學校に宗教學
の課外講話を企てたのは極めて結構のことである。然るに教育界の一般は依然をし
て敬度の教育に反省もしないゃうである。小學校の教材に碑赴の教材、崇祀の教材
は可成り多いが、果してこれがよく了解され、発揮されて居るてあらうか。赴曾教
育に所請碑官碑職の講演はあるが、頑冥碑道論か、然らずんば通り一遍の國民道徳
論のみではあるまいか。私は慈に本誌の讃者には無趣味かとも思はれるが、國定教
科書の敬碑崇祀の教材について眺めて見ょうを思ふ。

國定教科書は報本反始主義によって教材を叙述して居る。如上の見地から見れば
不足に威ぜられること初論てあるが、それを上述の宗教的見地から補充して行った
ならば、眞に 「國民教育」を徹底することが出来ると思ふ。先づ修身教科書の敬碑
崇祀の教材から見るに尋常二年の修身書にある「ッセンァタットべ」は、稲生春が
備壇に供物をするといふ好箇の教材である。これを祀先の恩に報ゆをして説くこと 獅
固より結構である。併し落に祀先教の基盤的表現、敬虜のあらはれざしてカ説する
ー 226 ー
必 要 はないであらうか。吾人固よりこれを原始的宗教の利己的動機即ち供物によっ
て碑の歓心を買はうといふ昔に遡れよといふのではない。たゞ祀先の霊に封する敬
れとしての意義を力説せよといふのである。祀先の霊に所る態度、祀先の
霊と備壇に合一する態度を高調せよといふのである。
三年の修身書には皇太碑宮、祀日があり、四年には靖國碑赴、大祭日がある。皇
太碑宮に於て 「我世を守れ伊勢の大碑」 の御所りを力説し、靖國碑赴に愛國的信仰
國民的宗教情操を高調すべく、大祭祀日についてはその國民的儀式の意義、祀先の
祭の意義を説いて、平素の儀式の敬虜的態度の質行を力説せねばならぬ。靖國碑
の章にいふ 「功業を為」 ふを共に、「亡霊を祭」 るをいふ意義を威情とを教導すべき
てある。尋常五年の大日本帝國は、教師用には碑勅と碑武の鳥見山祭場とを撃げて
あるが、碑勅の中に現はれて居る敬碑崇祀、大碑が自ら碑衣を織つて祀先を御祭に
なった事填、碑武の御敬碑の事質等を徹底すべきてある。








決。

»








s


くみ
利して
義 go




o 歩してられは換道

交決し

で義務
忘的


なない







光 あ然しい先らつ 異なる

祖なみ



報明

には




自始

s


の 居して







敵後


決で

べく




義務



る 祖さい








小を



居る
つて
g

人 先 go

た あら

v





から






國民


として


高 る




ね 色
















すれ






3 る





た べびつけ畜者べき 線
述す

後地帯
家、
結は




その時
てい 建間本祀單者材國
教年




前及び

簡で
祭は



根ながら
仲の
と 战等


3
それ


と共に











べき

o 事




祖して

戰術












さ1




説い
が 先


~
J
,
?
^










とし






人情
として





227


|
徳教は勤検貯蓄のみと心得て居るものは、報徳の天地人三才の徳に報ゆる精碑的意
義を忘れたものである。光も功利主義的説明は見童にはわかり易い。孝の説明も父
母の功績、努力からして差支ない。併し先祀の霊を祭ることも決して見童の仕事と
して離れたことでは無い。祀霊を祭る習慣、祀霊を拝する行動、そこに「敬愛の誠
を致すべく」導かねばならぬ。面して軍に祀霊のみてなく、奪徳の報徳、盆軒の事
天地、奉若天地の如き心霊的敬度の念を養ふことが、今日の物質的傾向から離脱さ
せる修養方法でなければならぬ。

修身教科書に於ける敬碑崇祀の教材は一寧年に一二を数ふるのみである。面して
その解響は多く義務解響のみである。道徳としてはそれでもよからう。併し「國民
道徳」 を教養する上には補充的教材と補充的説明を要する。如上の注意は断片的な
がらに取扱の方針を述べたのてあるが、なほ請本の中に見出される敬碑的教材につ
いて二三述べて見ようを思ふ。四の巻の自ウサギ、五の巻の天の岩戸等は碑話的教
材として既に述べた如き注意を要する。巻八の皇大碑宮、巻九の草薙剣、靖國碑
巻十の大和巡り、巻十一の吉野山など敬碑的教材をして注意すべく、殊に、巻八の
参宮日記の一節と右の大和巡りはギューリックの所請日本人の宗教的生活として眺
める必要がある。高等の譲本に進むと可成り敬碑的教材がある。巻三の碑赴、四の
古赴寺と國質、三年上の巻の大和心、鎮守の森、下の巻のみ山のしづく、乃木大将、
山鹿素行を祭る等はそれてある。特に大和心の中の中臣赴春及び香川景樹の歌は碑
霊の力を説いた絶好の教材である。鎮守の森の叙述もい\。三の巻の響迦、四巻の
弘法大師の如きも備教の日本化を補充教材として課すに都合がい \。俳教は我が國
に通入って四思を力説し、護國滅罪、護國息災の方向を取り、興顧安園、立正安園
を標校し、祀先崇拝を結びついては備壇、墳墓の崇祀となった。この酷を知らせる 劉
ことは極めて大切で、軍にT尚古的精神を有すべきなり」ては足りない。尚古的精 一
ー 230 ー
碑*必要てはあるが、現代的意義を発揮することは一層必要である。吾人の力説も
に*述べた如く現代の基礎の上に博来の思想を解響してその眞義を発揮しようと
いふのである。ョスが風習の保存所、従って堅質なる精碑の所在地をしての田園に
敬碑崇風の念の衰類したことは、風習と宗教とに封し不闘焉の態度を取って居る教
育家乃至地方有力者の罪ではあるまいか。國民道徳教養の方法を誤った貸めではな
からうか。頑冥なる國粋論が眞の國民思想を誤ると共に、國民道徳の一部たる民間
信仰を関却した罪も決して軽くはあるまいと思ふ。迷信打破は極めて必要であるが、
迷信をさけて正信を指導すべき用意を鉄いだことはないか。尋常四年及び六年の修
身書にある「迷信をさけょ」の章は落に極めて大なる注意を要する。「どうりに合は
*
。こ。」といふ道理を科學の理論と誤解したものはあるまいか。科學の外に宗教あ
*、哲事あり、藤術がある。合理的に封する非合理的分子威情、意志の方面、それ
を忘れては國民道徳の教養は完成すべきものでない。
º
脚上百人は国民通德の宗教的要素の存在を説いて、 この要素とカ設する ことが破
性質の拳にする広であふくな 品に書くたs
の企畫は略後ることが出來た。 尤もそれも 国民教育の基礎 を造るベ心學教育
た ついてであって、 それ以上の教育を封象 としたものではないº た『ホ教的要素の
世界觀人生興の方面について述べたことは中等以上の教育に富 て は なり得ると思
*。 佛し本文の中心は小學校に於ける方面で、 なほ被派のためには幼稚園 祭壇に
がける放送が最も根拠になることを思ムのであるが、 それにも立ち入らないて記(
佛、 総º上級制に於ける信念の必要 と、 現今に於ける 一般家数々育の傾向ことが加

— 231 — .
することによって音人の力能する宗教的陶治の方法論を補つて置かうと思 o
國民館館の教養に富つて教師にその信念の必要である ときは道德會者もカ說する
所である。 香人は 歩をすくめてその信念は信仰でなければならぬと思 不安帝
シへた信者などは殆んど凡てさうてあった。中江藤樹の致良知は絶封 『
の 人合一であり、貝原盆軒の天地に事へ、それを奉若長敬するさいふ思想威情は 盤
シである。心事の創石田梅厳は知性の工夫によって悟道に入り一生御身て博道的
シ民を教事した。二宮奪徳は天地人三才に報ゆる敬度の念に出立し、大
シ教的なる「性理教倉」を以て農民を教化したのてあった。教育の根本は
教師に騎
る。技能の教授、言語の教授も教師の技能を寧殖に本づく。沈んや人格
シ化、 仰的影響に於てふゃである。方法の基礎根本をして、教師の素養、修得
*第一 件てある。軍なる徳育に於いても、この信念、この信仰が基礎とならなけ
ればならぬ。
*現今上於ける宗教々育の新傾向は、吾人の唱導する現代に基礎を置いた園民
道徳の宗教的要素の発揮に直接の参考となるものである。過去の宗教々育は信修の
盲目的注入てあった。新教の教育家はそこに自由自発の要素を入れた。聖書を紳秘
的起源のものとせず、 歷史的、 航會的の もの として現代生活を支配する精神力とし
て取扱ってある。 これは宗教的意義を少くした もの として非難する人もあるが、 宗
數的 とは神秘的 と同意義てはないº 人間以上の神の力を認めてそこに出發するもの
は宗教であるº 部 書は目的でなく、 手段であるといつ て居るが、 我が図の神話と使
說と教訓とも敗の見解から現代化、 社會化して現代の生活を指導するものとして生
かして楽なければなら 。 新教育者は社會學的研究と教育心理學的研究をカ能して
め るが、 我が取民道德の教養老 とれらの研究の上に組織されなければならgo 校に
宗教派の後述から教材 と数法,とを打ら立てなければならないが、 これは別に運ぶべ
さこと てしてやくº
第11の傾向は行動、 環境による宗教タ育であるº 國民的儀式、 神社參拜、 家庭に
於ける期生教、 それらは軍校 と家庭と真に連絡し、 教師は小就會の指導者 として、 ၌
よさ家境をつくり、 よさ行動の習慣をつくらればなら安º 高に述べた幼兒教育に於
ける注意はこれである。赴倉化さ行動化、これは現今に於ける宗教々育の傾向て
が國民道徳の教養もそこに方法の組織を見出さねばならぬ。これに闘する質際案を
述ぶることは別の機曾にゆづり、本文は前に限定した範園に止めて置く次第てあ
る。
**
第六章 教育者と宗教
學校教育の進歩は宗教さの分離によって成立したをいってもい、程に、過去の教
育常局は宗教の範園から脱去するこをにより、教育の自由なる務達を成し遂げた。
宗教家に養はれて来た長い歴史から考へれば、一種の叛逆であり、忘恩てあるけれ
ども、教育そのもの、発達のためには、思ひ切って忘思をも叛逆をも敢てせざるを
得なかった。備蘭西は最も完全にこれを決行した國てあるが、英國はなほ宗教家の
熱力が地方教育當局にはあり、 網通は宗教タ 授の問題になば攜んでかるo %國は宗
数家の道った事被が、 死んと金(世俗的のものになってしゅつて、 宗教家は新しs
社會的基礎から完数々育を打ち立てやうとしてわる日下の情勢であるo
我が明治の軍側は最初から國家的のものて、 宗教の教権 とは離れて居つたからr
欧米各國に見る 知さ間期はない。 总思2號通。 なくして自由なる教建、 組織的統
をなした。佛しそれがために成立 後とは全く無關係のものと考、宗を無理
解に排斥することが教育家の移めてあるかの知(者 へ させたのではあるないかo 會
通教育の教材には科學、 醫術、貨業、 道德はあって、 宗教はない この彼に教育者
は宗教に封して無理解に終つてもいく といメ理由にはなるないo 過去の師範教育に
は小學校に数よる教材の知識以外に走るのを危險ど見た時代があったº 加納學校の
数料は試み書籍で走る~せられた時代があった。然し愛らく現金に於ては新 線

の 知(者 へ る人は 1人もなからう。 佛蘭西てさ へ、 作年の師範教育令では社會學物
歩の中に宗教の赴曾的職能を教へることになっておる。寧校に於て宗教上の儀式を
行ひ宣博をなすこをは許されないが、宗教そのものについて理解を持つことは國民
教育に於ても極めて重要なものではあるまいか。宗教に理解なくして建國の理想的 一
事質かどうして説けやうか。和気の清磨の碑託を見童から質問されて果して正常に
説けるであらうか。碑託を否定しても忠義の事質は説ける。併しそれによって宗教
心の萌芽を枯死せしめ、宗教的理解のないものとして了ふ恐れはないか。迷信は努
めて避くべきである。然しその際正信を暗示するこをは必要でないてあらうか。

宗教が軍に過去の産物て、今日の文明に何等の交渉のないものか、若しくは有害
のものならば、吾々はこれに不闘焉の態度を取って然るべきである。然し宗教は文
化の一要素である。精碑的文化の一方面をして人心を指導し、向上せしめるもので
あるとすれば、教育者はこれに封して決して不闘焉の態度を取るべきではない。宗
教家は初論寧校の外部に於て自己の宗教から人心教化の事に努めるてあらう。教育
家は少(ともこれを妨ぐべきてはない。否教育者も赴倉教化の一員としてそれを補
助すべきてある。動もすれば物質主義に陥らんとする世間に精碑的意義を力説する
のには、宗教は極めて大なる力を持って居る。これが基礎を培養するためには、教
育者は少くをも宗教に封する理解を持たねばならぬo
然るに寧校教育は宗教に理解なき教育者のために見童宗教心の萌芽を枯死せし
め、物質と科學以外に理解なき国民を造る傾向はないであらうか。教育者も見童も
碑赴と備開さ、碑利と備壇とに封し、博物館、銅像、本棚、本箱と同様の取扱をな
しては居ないだらうか、刺先崇拝はいかにして精碑的意気を見出し愛園的信仰はい
-
かにして心霊的勢力の上に立ち得るであらうか。
或論者はいふ、刑先崇拝は報本反始の道徳て、愛園心は國家の恩に報いる道義て
あると。刺先崇拝にして如期軍なる尚古的精碑か又は偉業を慕ふ心的事質のみてあ
ー 238 ー
るとすれば、碑赴は銅像と撰ぶところなく、俳壇はカードの列べてある本棚たるの
みてはないか。稲生春は果してカードの大切なるために、カードが吾々に教へる文
字を刻しあるために供物をさ\げるのてあるか。これは少しく比喩に過ぎたかも知
れぬが、要するに人間以上の霊的力を認めるてなければ、ソセンヲタットべの教材
も本箱を愛せよといふのと撰ぶところないてはないか。
愛國心の要素には初論國家の恩に報いる道義心も含まれておる。併し単にそれを
義理道徳のみから見る人は、二十七八年、三十七八年の戦勝が日本人の宗教心の結
果だをいふ外人の言はわかるまい。祀先の霊が國家を國民とに封して紳人合一的闘
係に立てる心的事質、斬願と奉告の意義は物質と科學とでは説明が出来ぬ。「碑赴」
「鎮守の森」「み山のしづく」等の愛國心教養の教材は、彼等に取っては比喩的の文
章の修飾に終つて、何のために 「斬誓を籠め」たか、何の故に 「敬愛の誠を致すべ
き」 か決して理解が出来ないのであらう。

國定教科書は報本反始、道義主義の下に編纂され、内務省は碑赴の道義的方面を
力説して居る。然しながら國民信仰は碑赴に封し、備壇に封しどういふ態度を取っ
て居るか。初論軍なる道徳的意義に於てのみ祀先を崇拝する人もあらう。そしてそ
れが宗教的心霊的意義にまで高められた人もあらうし、中には信教の自由からそれ
以上を拒む人もあらう。併しそれは極めて小数てある。この小数の人士のために吾
々の信仰の事質を否定し去るは事質に反し、又それによつて國民的統一を地めるも
のてある。吾人が既に述べた如くか\る解響によつて生ける事質を抹殺するのみか
又必要なる陶治を関却するこを\なる。人間以上の霊的力を認めてそれに生活々動
の基礎をおく事質を排除して物質的傾向を強くすること\なつて了ふ。
國定教科書は國民凡てを封象をして荷も例外を許さぬ。内務省の意義における又
同じである。我々はその立場を諫としないてはない。併し祀先崇拝と忠孝道徳の根
— 240 —
本義に想到し、 國民多數の事實に参照するとさ、 その宗教的基礎をカ說する ことに
よって始めて愛國的信仰の教養を完成すべさことを信するのであるo
我が加生學界が国民的宗教であったとさは宗教學上, 就會學上野の疑もなう事
實てある。 それを否定する ものは支那の道德恩想を以てこれを解釋するもので事實
でない。 なく光の国民的宗教が道德的要素を加味して家たととは事實であるo vれ
は思想發展の過程として総るべさと さであり、 德教は特にそれを助けたもの で、 宗
教的要素をカ說する。 百人もそれを否定もしなければそれが論をなした ととも認
るº 集 し同時に國教ではないが、 國民的宗教として非公認の中に教建して家、 文侯
秋の分子をも加 《 て、 今日の国民道德と呼ばれて居るもの で中に賛は宗教的要素を
加 《 て居る こと前述の知く てあるº 果して彼らば、 音人の冒頭に説いた 一般家教の
理解の必要、 宗教派閥治の必要は我が図民道德を補委し、 國民教育の基礎 をつく
る上に必要なのではないかº 教育は 一般的なると共に特殊的でなければなられº
般的には道義によって例外を許さぬとするも、多数の特殊に徹底すべく、修身國語
は初論、國民的儀式に於てもその宗教的意義を務揮することは極めて大切である。
宗教理解の必要、信仰の必要はこ\に存する。

吾人はかくいふと難も、比の國民的宗教 (國民道徳の宗教的方面)をして過去の
ま\に継績すべしといふのではない。初論現代の赴曾的基礎からこれを改造し、現
代の赴倉認、世界観、人生観によって合理的基礎を興へなければならぬ。質際過去
に於ても改造を経て今日に及び、又常時の備教儒教の世界観人生観を以て合理的基
礎を興へられて来た。過去のつ ゞきてあると共に、改造され、合理化されて来たの
てあるが、今日に於て又改造と合理化の必要あること初論である。吾人は改造に客
なるものてなく、合理的基礎の必要を力説するものである。弦にはそれを説く除自
を持たないが、一方には碑赴の赴曾化と一方には碑道の新宗教的世界観に出立すべ
*こさを考へて居る。然るに常局は却ってそれが國家の碑なるこさを力説して園民
2
から遠けるゃうな施設を取り、碑道家は古代の思想を保守して新世界観の樹立を危 4
2
険祀する。かくては園鶴碑道の基礎たる碑赴の発展も、國民的宗教の向上も望まれ
ない。こ\には具鶴的にのぶる除格を見出さないが、碑赴常局を教育者をが提携し
て教化上の任務を充質させねばならぬこさを力言する。外人でさへこの碑道思想の
形成さ、国民宗教の意義を説いて居るのに、常事者も教育者もそれに努めないのは、
吾人ょ*見ればその雨者に宗教の理解のないこともその一因てあるやうに思はれ
る。政策をしてはこれを宗教の将外に置くことに敢て異議を唱へるものではないが
事質に於て宗教的なる以上、その園明と発揮には宗教的方面よりしないでどうして
徹底することが出来ゃう。碑赴銅像論の出づる常然とも思れ、崇祀古教論の羅馬と
共に滅ぶべしといふもこの獣に闘係がある。犬も後者の如き排他的態度は吾人の一
警の要もないと思はれるが。

吾人は再び前に騎って教育者封宗教論に終りをつけるこを\する。國民的宗教に
止まらず、一般宗教の理解の必要は、既に述べたが、教育者にして具に人格的威化
を興へんがためには、自ら信仰の人たらざるべからざる事を力説して終らうと思
ふ。宗教家が教育者たりし過去の時代にはこの人格と熱誠をを以て教化に常ること
が出来た。宗教家ならぬ儒者の人格的威化も赤、か\る信仰の賜物であった。これ
は徳川時代の儒者、教育者に最もよくこれを見る所てある。中江藤樹は良知は碑な
りとの信仰に出立し、貝原盆軒は天地に奉若し長敬する信仰に立ち、山崎闇斎は天
人合一、居敬の敬虚態度によつて教育した。石田梅魔の教化は知性の工夫、頓悟に
出立した博導的精碑のものである。手島塔庵は自性の見得から説いた。勤険貯蓄の
教とのみ考へられてみる二宮奪徳は天地人三才の恩に報ゆる敬度の態度に出て、同
じく農民を教化した大原幽寧は性理の工夫から教曾としてその教育園鶴をつくつ
— 244 —
龙。 彼等の成化の術大、 酸化に於ける熱誠はそれが狗的である 役等の酸と位に
元 の教育者に求もる事は出来ないかも知れgº 術し少くとも完教に関する理解。
同党はあってほしい。 然らずんば我が小國民をして物質の放線たらしひる方面に導
S て 」。 その例º事件 は最も多い。 物質文明の理解、 統制、 それは理科教授に於
『春につあなければならず、 その他の事務も教養につとめればならgo 他死しそれが
家必に精神のカ~院教を思る) ものがあったならば、 人の子を導するに至るべきで
あるº
第七章 宗教育學說の巻
宗教タ育學說は先多数詞の布教方法の中に説かれてある 神通の臨濟發熱、 同じ
《基督の個性的方法の知さそれてある。 佛教の本の使節的方法として最常は山家學
生式に於て脱線設数といび、 泰生之湖能與、 所 與之變不同といい、 所 修所 學結
業在用 といつて居^、 基督が数を説くや個性に適應して教同及び越發とし、 直觀的
な手段を取ったととは、 弟子に於て抜せられたo
洪武 家とは備後に於ても非常数に於冬の数の精神であり、後者の手段であ
った。 阿難分別經に 師弟の義は義成すると さ 月然なりº 電に相机模なるべし0 ㎞
は弟子を観るそº 已の加(し、 己の被せざる所、 人に施すととなかれ、 弘(禮拜と
崇び、 彼み認よるなからしめよ % いつ てあるº
]]
無愛さ受% はかく用数の中心思想であるが、 教義の確立に伴っ て知的方法が出現

- 245 —
せざるを得慰。 かくて彼に於ては三學五明の線數的方面開始 さなり、 因明の管他
的方法を挙が、 李春秋に於ては七科を取ったº 由 世の ス n ラ主義はいふ道もないo
同時に修築のための禁欲的, 通世的方法も南教に収り入れられた これが縮に
過ぎたことは論ずる逸もないが、学習と修養にある度の困難を要するこさは近時の 一
一般的教育學説もこれを認める所である。三隷経に 「寧者は苦あり。例へば先づ草 響
議を裂き去りて利うれば、すなはち多く収め得るなり。これを先づ苦しむさ貸す」
といふのは眞理てなければならぬ。
七科は中世に於ける基督教々育の教科となったが、初期の學校に於てもアレキサ
シドリャの問答撃校は聖書の外に解設法、理科、幾何、天文、哲撃等を教へた。
禁欲的、通世的教育の代表は僧庵學校である。べネデイクトはこの教育の組織者
である。毎日七時間は勢苦をなすべきものとして農業手工を課し讃書のためには二
時間を充てた。宗教的訓練を共に七科を教へたが、中世に於ける七科は百科的教育
をいふよりも、基督教的教育の手段であった。ァッグスラインはこの瀬向を述べて
居る。即ち彼によれば聖書の了解のために歴史文學天文幾何等が必要なのてある。
天文幾何は碑の働きを理解し、音楽は教曾の仕事を管理する上に必要で、天文は祭
の起源由來を決定して組織を称东的ならしめるためざして居る のである。 アアクイ
ジ に於て もセ科は聖書の最高倉に達する必然の階段 としたº
]
基督に見た問答r 發問の適用は問答學校となり、 宗教間客 となり、 アレクインは
特に三學の学習に問答的方法を取り入れたとさに於て注意すべさであるº
アルクイン の弟子 マクレスが交法を文學に進め、 教會歷のためてあつな天文を挙
問 として追求するととは、 宗教タ育から離れたともい ひ得るが、 その合理的態度が
基督教的教育の新方法ス n ラ教學による教義學に道を開いた。 彼が故前は解說法に
1つて後法及び家愛を撃 でこの法を絶えず使用せよ いった~性恋を要 -

— 247 —
するº
*クレスの合理的態度はいよ(アベラー形 のス n N者李大 なった。 彼が理性を
命んで構成 と得者 とに反抗した戦は事る近代的て中世的ではないが、 彼の中心は調
寧であり、研究の範園は基督教である。基督の合理化は彼によってなされた。スコ
S
ラ哲學の内容はァンセルムにより建設せられたが、形式的方面にアリストテレスを 4
C/
適用して新合理的方法を建設したのはアべラールてある。

新教の新方法が主張され組織される前、この素地を作ったのはルネッサンス時代
の宗教々育家エラスムス、ヴイーヴェス等である。
ェラスムスは既にスョラ派の教科書を排庁し、聖書及びオリグネスから直接に撃
ぶべきこさを唱導した。ヴィーヴェスも學問の衰へた大原因はスコラの中心教授法
たる討論の悪化であるをした。彼れによれば、宗教は教育の始めであり終りであ
る。父母の義務をして聖書を教へ、父母及び祀園に封する愛を吹き込むべきである
基督教女子の教育としては質際的家庭的精碑を養ひ、請書は道徳的修養のためてあ
る。関暇は悪の始めであるから、女子は何かをせねばならぬ。普通の豪所の仕事を
なすべく、 文最善ºいく。 體物は聖書、 教父の書、 ブラトン、 ジを 、 セネカが:
て、 短しい時は所腹をやらせるº
その後段の後決は中世式であるけれども、 彼が見ての教育の始めであり移すで
ある~する宗教的陶格の方法をして必理的、 個性的方法を述べ て居るのは近代的ų
ある。 その基督教的教會のための各科の教授法も可成り詳細 に述べて居るのであ
るº

新歌の出現によって失散々育、 その教育法は非常の進歩を見るに至りたo 18
ーは自ら逃奔放的家庭の父たる模範を示し、 自らその子を神の場跡として教養した

— ~ 249 –
のであるが、 彼家庭の宗教的道德的教養の資料として 立二二年に 小就讀書
を出版し、 1 五三O年には オンジプ物 と公にし、 文自ら 京教間客J とつくり
書國詩を公にした。 そして家教同等にも評書にも無論を多く用心たときく、 草に
言語及び教によるよりは挿槍及び比喩によって威動させよ」といふ彼の言は、彼を

250
して 「聖書の直観教授の父」 として崇敬せしめる所以である。
新教徒のラトク及びョメニッスは一層それを進展させた。ラトクは碑を長れるこ
とを以て眞の知識の始めをし、教授の前後に所藤をし、讃み書きは碑の語によるべ
しとした。行動、威情、知性の凡てから宗教々育をしやうとしたものてある。コメ
ニウスは完全なる人間の模範としての碑人キリストから教へることを全生活に適應
する教育をした。人間の本分たる碑の小像を発揮するには碑と結合するにありとし
て、それには、碑、聖書、世界人の了解を沈思、所り、誠めの三つが重要であると
し、内心の信仰が形式よりも重要であるとした。そして宗教々授に闘する二十一 の
規則を撃げて居るのは、断片的ながらに教育思想家としての彼にして始めて見る所
てある。

ジョン ロック
の宗教々育論は彼が倫理説の基礎を碑事に おくこをよりして、碑に
封する正しき観念を教へ以て敬の念を養ふこさを根本として居る。比の敬碑の教養
の基礎をして幼少ょり碑の正しき概念を印象し、碑が造物者てあり且造物主である
こと、碑は吾々を愛し吾々に凡ての物を給することを知らしめて碑の愛と敬とを植
*っけるべく、幼時に於てはそれ丈けて充分でこれ以上説明するのはその考を混観
に導くといって居る。碑の本質について多く記す如きは害があって盆がない。朝夕
の所購に参加させることは必要てある。
かく理紳論者たる彼も教養方法としては質行より導かうとするのであるが、 弦に
に闘する誤りたる観念を有することは最も危険てあるをして居る。 碑以外の霊に
っいて語ることは禁ずべしをいふのであるo
避みたる程渡に於ては「碑撃は各教科の主位にあって、第一に撃習すべきもの」
である。この「寧習は各人の義務である。」

2
ロックが教育學説に於て影響を受けたニコール及びジャンセニストの一園は原罪 5
Qシ
の見地から悲観的、消極的の訓育を探つた。比の派に準ずべきフエスロンはこれよ
り進んで宗教を歴史的に寧ぶこと、理性の発達に従つて合理的取扱も必要だといつ
てみる。
フェスロシによれば、宗教に闘する物語は求知心を発揚させる計りでなく、宗教
の起源を知らせる。三位一鶴についての句は暗記するほど反復する必要はあるが、
話の方が宗教問答よりも乾燥てない。宗教を歴史的に教へるこさは特に必要て、近
時出版された歴撃的宗教冊管は基だい\。光もこれと同時に理性に鷹じて宗教の理
論を教へることも必要である。これ概念及び原理がなくては統一が出来ないからで
ある。しかも聖書の中にも書いてある通り、この際に想像を豊富にすることが緊要
てあると。

十七世紀に於て敬虎派のフランケが 『見童を眞の信仰と基督教的容智に導くべき
簡単なる教授方法」(一六九八) の一書を公にしたこをは注意に値する。組織的宗教
々育書であるが、そしてこの書がフェスロンの知的方法に反封して居ることも威情
を中心とする敬派虚の寧説として注目に値するものてある。
フランヶにょれば、フェスロンの如きやり方は寧ろ碑より離れるものて、自分の
は斯の如き思携的方法でなく、碑を直接に見童の心情に導くものてある。それには
最良の方法は所濃てある。所轄と共に聖書をよむことは出来る丈け早く始む可きて
あるが、中心は何虜まても心情の陶治にあって、心情の陶治は意志及び悟性に影響
する。しかも赤直接意志を服従に持ち来すこをが必要てある。
Qの
眞の信仰に導く以上の方法を共に基督教的容智に導くには注意を惹起すること、 2
9
経験を豊富にすることが必要である。容智は科學、認識及び経験によるものである
ー 254 ー
からてある。しかもその経験たる基督教的経験が必要で、それには歴史が効力があ
ると。この歴史的着眼はむしろフェスロンと一致するものてある。たゞ質際上の方
法はジャンセニストを同じく厳格に過ぎて必ずしも成効せるものでなかった。

ルッソオは宗教々育の初歩は自然に依って碑の表現を威得せしめるといって居る
が、 ゼ*ッは早くから観念上に於て宗教に回する認識の基礎をっくるべしさして
居る。
十八世紀に於て敬虜の教育を力説したものは新人文主義のグーラてある。彼の描
けるウイルへ ルムは母から聖書物語を聞き、父から自然物について教へられ、その
曾話の中から碑について多くを知ったといはしめて居る。「教育村」 の見童は腕を十
字に胸上に組み、天に封して喜悦に充てる面貌をして居るゃうに描いて居る。
汎愛派のザルッマンは宗教々授の外に道徳教授の必要を述べて居るが、ペスタロ
ッチ*宗教々育の初歩は道徳より出務すべしとして居る。近時バルトがパイプル物
語の内容は今日の見童の理解と同情とに困難であるから基礎を今日の道徳より出立
すべしとするのと同一である。
べスタョッチにょれば、成立宗教に入る前に信仰及び愛の湯仰について威ぜしめ
考へしめることが必要である。吾人は碑に向ふ前に、愛と信と成謝と服従とを知り
碑を信じ碑に従ふ前に、人を信じ人に従ふ。兄弟を愛することを知らないでどうし
て天の父を愛することが出来やう。碑の信仰の根本は家庭の愛に存する。軍純を無
折、威謝を愛に封する純なる威情が信仰の源である。宗教の初歩としては世界のさ
\ゃきを眼界に持ち来す。軍なる知からは碑の認識は生じない。眞の碑は信仰の中
にある。

ニーマィェルはこの情と知との雨者を要とし、宗教々育と宗教々授とは不可分離
のものをして居る。彼によれば、宗教々育は敬度的倫理的の威情及び情操を喚起す

るを目的として居り、宗教々授はそれらの理解を目的をして居るが、前者も概念的 にQ

指導に資し、後者は心情を暖めるに役立つ。幼時には超威畳的の理解が困難である
をの理由は決して宗教々授を取り去る理由とはならない。吾々の碑に封する考は威
豊的から分離さるべきでない。宗教界の偉人は皆人間闘係の比論から出立して居
る。父と子君主と臣下をの闘係が碑を吾々をの闘係てある (これはべスタロッチ☆
いつて居る所である前述には略したが)かくて歴史的取扱、人間闘係、宗教を道徳
をの内部的結合、聖書の精碑の理解が必要である。初歩に於ては歴史に依って宗教
道徳の根本概念を養ふべきで、パイプル物語はこの目的によるのである。次には簡
軍なる宗教問答により、終りに科學的の形を興へて来べきてあると。
この宗教道徳の闘係はカントから来た獣も多いであらうが、鬼に角十八九世紀の
交に至って宗教々育の道徳化もしくは道徳的基礎が力説されて居るこをは注意すべ
きである。さりをてそれは宗教々授の必要を少なく するのては決してないのであ
る。
十一
かく宗教々育の取扱方が潮次力説されて来たことは発達の一方向である。基督教
初期の問答學校に於て老若男女一切に洗濃の準備のための一様の教育が行はれたの
をは遥かな進歩である。そして近時日曜學校の教材が年齢によつて分化したことは
一層の進歩と見るのである。
十九世紀に於て幼時の宗教々育に注意したものはフレーべルてある。彼に於て教
は碑像につくられて自由を興へられた人間をして、自由意志を以て自由なる活動
をなさしめるものてある。基督はこ\に吾々の模範であるをして居るのであるが、
この教育ー宗教々育の手段としての恩物は碑(統一)と人(個性)と自然(多面) %
とを知らしめるためのものである。第二 の は鶴のシシルである。同時にそ
はシを数へる。第四、第五、第六の恩物また服従、均着統一、自由なる服従をあ
8
*はす。鳴歌の奪重も宗教々育を初論交渉が深い。自然による宗教々育も彼の主張 %
である。
十九世紀末から教育の研究は赴倉的見解と発達的見解とに於て多大の進歩を見
た。ョーの『宗教々育の赴倉的原理」(一九一七年)、ローランスの『宗教々育の赴倉
的力説』はそれてある。この雨者は抽著『最近教育學』 に述べてあるからそれにゆ
っる。近く『宗教々育に於ける構案教授』をいふやうな書も出来、新教育法を以て
宗教々育の改造が試みられて居る。
に述べた日曜事校の教材の分化、宗教々育の行動化赴倉化はたしかに進歩せる
ものである。
了*に一言したい。宗教の力は初論原始時代の宗教中心時代や、又は十九世紀
前ほどでないことは明らかてある。それらは道徳化もした。 理性化もした。しかし
吾人を以て見れば文藝家がいふゃうに文藝が宗教に代り得るものてもなく、道徳や
哲事がそれに全々代って了ふとも思はれぬ。宗教々授が道徳教授に或る地歩を譲る
べきことは認める。しかし宗教々育の不必要さはならぬ。バルトの如き倫理道徳論
者てもそれは認める。そしてその方法に闘してバルトの発生的方法をも述ぶべきで
あったか、その書にゆづっておく。物質化し、経済化し、器械化する傾向のっよい
今日、精碑的教育の必要は力説されねばならぬ。物質と功利とに超るを防ぐものは
哲学あり道徳あり藤術もあるが、宗教を忘る、こをは出来ぬ。成立宗教を撃校に教
ふる弊は歴史が設してみる。しかし、宗教心の陶治とその方法とは道徳教授にも、
國民教育にも、國語歴史の教授にも忘れてはならぬ。宗教の発達を度外祀して歴史


ゃ文學が教へられ得ゃうか。進んて修身教授の徹底のために宗教々育の発達を考へ

* 259
る必要はないのてあらうか。
第八章 民風と教育
民風とはフォルクウェースの講語をして弦に用みゃうとするのであるが、日本語
をしては民俗とか民習とした方が落ち付くやうにも思はれるけれども、民俗の原語
にはフオルクローアがあり、ウエースの譚には風をか様式とかゞ適して居るから暫
く民風として置く。
民風 (fokways) とは共の字義の示す如く民族生活の様式を指すもので、日本語の
國ぶりといふも大様これに常る。民風を譚したのもそこにも基いて居るが、比の國
風なり民風なり風俗なり習慣なりが赴曾活動の基礎をなり赴曾結合の力となるもの
てあるこをは何人もこれを認める所であるが、それに固執するものをそれに反抗す
るものとによって一は保守、停滞をなり、一は進歩、過激をなる。赴曾の結合の率
固民族の発展がそこに基いてみると共に、一方に偏する結果は赴曾の進歩にとり國
家の運命にとりて大事ともなるのである。 愛化の危機 としての現代に於て何人º校
に意を用心なければならgことは中す道もないが、 故に教育に関係 でしめて少し《
此の民風について述べ やうと思い のであるº
故の チー形大學政治學社會學教授すムナーは、 民風。 香份作法信哲属香及び道德
の社會學的地位の研究 に於て民風を定義して次の加《通? て居る。 民衆が同時に
與水を満足せしめんとして集團現象を起し、 それが統 1、 反復、 結合によって民風
»た。 その民風が正し 生器の理會 書のための生菜を取ると 廊
となるとo 民風は魔義に取れば風習道德 (反省道德に封す) を含むべきてあるが、
サムナーは右の知(武训して居るº なば他の所に、 風習道德を定義して、 其理さ 正

— 261 —
義» の要素が車頭の教理の中に教建するとさ民風は新しさ形式にぎで進み人間及び
社會に封する影響が大きなる これが風習道德てあるといって居るが、 文風習道德
は就會的幸福に開し教學的倫理的機器を含む民風てあるさ いつて居るから精度の差
= 263 ー
て種類の差ではない。彼はこの民風についての起源、発達の過程各要素の闘係を六
百除頁に亘って論述して居るのであるが、弦には前にいふ如くそれを教育との闘係
について述べて居るものを注意すること\する。
サムナーはいふ、民風を教育とは相互に反應する。この反應の具合は新しい國を
奮い國をで違ふ。西班牙、菊衛牙や又は伊太利や露西亜に於ても幾分、風習(道徳)
が厳格な形式を取り、小中大學を支配する。これに反したる場合に於ては寧校は博
習的のものに封し批判を加へ風習を改造せんをする新観念、新思想が盛んになる。
青年は現存のもの博習的のものに封しその鉄陥を見出さうをして居るもの學生は質
に熱心なる革新論者であった。初論彼等は誤認に陥り又は害をなすこをも多いが、
その反封は奮弊を守り、過誤を保存するこを\なる。民風は現代によく適應せんが
貸めには絶えず改新されレフレッシュさる\事を要する。博習的沈滞よりは革新さ
れる方がい、。寧校は民族の経験及び知識の博達をする建物であつて、この博達は
忠質てあるべきてあるが、併し批判なしに博達せられてはならぬ。自由なる判断及
び趣味の反應は風習を新鮮にし活動的にする。寧校は必ずや過去に於ける風習の批
判的研究により風習を革新する場所てなければならないと。
サムナーの主張は大鶴に於て認容せらるべきてある。盲目的に服従を教へるてな
く、理解ある民風の寧習が必要である。民風は改造せられなければならぬ。垂仁天
皇の語に仰せられてある如く、古の風をいへども善からずんば何ぞ従は んや てあ
る。比の民風改善の意気ありて始めて我が國は今日の進歩を見たのである。併しな
がら前に☆いふ如く保守と急進との偏顔は大弊を斎すこと属である。これが鍵化の
時機には著しく現はれる。我が國の歴史に斯る例は属あるが、明治の大革新には
も著るしかつた。これを寧校の課程に見るも西洋教育模倣時代には全く民風を関却
3
したものであった。これが高等教育に於ては現今にまで残つて居るをいつてもい、 %

寧制改革に伴つて高等教育に國民道徳と國史の課程をを顧慮したのは比の意味に於 「
て極めて至常である。固よりこれら民風の博達は無批判的であつてはならぬ。高等
教育の性質から見て特に然りである。民風の研究も赤一般に起らなければならぬ。 %
Qシ
従来は却つて外人が我が民風の研究に霊して居るが、我か國に於ては矢釜しく唱へ
られる割合に系統的、比較的の研究が殆んどない。吾人は単なる唱導よりも具面目
なる研究の勃興を希望するのてある。かくして國民道徳も、國史も、民族的宗教も
現代に権威あるものとなるべきである。博習的國民道徳をそのま\完全とするの誤
てあると共に、國民道徳の唱導を無意味なりといふ論者の存在するは、鍵化の時機
として起るべき現象ではあるが、吾人はその何れにも左祖することが出来ぬ。なほ
この獣につき論をす\め、又それと教育との闘係に入るため民風と教育との交渉に
っいての一書について述べやう。
リード大學の教育科教授 ルトは 『教育に於ける民本。教育史の赴曾的解響』(一
九一八) に於て、民風とその改善の見地から教育の発達を述べて居る。サムナー☆
述べて居るやうに原始赴曾に於て民風は無意識に形成せられ、比の民風をそのま、
教育の全内容として批判的にも理解的にも取扱はないのはなべての古代赴曾の特色
である。 ルトは比の民風が組織的になって如かもそれを教育の全内容とした例と
して、支那、印度、獅太を撃げて居る。これらの國に於ては民風は固定し、この民
風の無批判的博達が教育の凡てゞあった。スパルタもそれてあった。然るにアゼン
人は進歩的て他國をの交渉に於て新事物を寧び、その民風は鍵化の地に立ち、知性
の働を容る、こを\なった。外園の鍵動は奮民風の破綻となった。この破綻を救ふ
べく五つの方法見地が立てられたと ルトは見て居る。第一 は保守 派の態度てあ
る。彼等は奮赴曾組織、奮教育に騎るといふことが唯一 の健全なる解決の道を考へ
た。習慣は人性の二大特質の一である。赴曾の秩序、赴曾の進歩、教育の不動及発
にひ
達にとりて習慣の意義は忘れてはならぬ。赴曾は習慣の世界に於て生き動くものて %
はあるが、習慣の世界は批判的経験により動かされそれに依つて世界の進歩が出来
上るのである。 此の管制度に封し不定的立場を取った第二の解決方法を主張するの
*0
が シフィスト てあつなº ンフィストは革新に封する過激派であつたº 教育は個人の c
c
發達の事柄である とし、 番教育は個性を書く もの、 智情及び情者は個性の御制性を
藤道さる もの とした。 これは草新の途を開いた朝に於て意義を有するけれども、 彼
等は社會を離れて個人は存在せざる とさを忘れ、 個人の衝動を以てそれ自身水久の
* の% しな新に於て製つて居るº
此の問者の解決法は何れも極端に走って居るº 者信は就會の結束たるものである
けれと、 番號的、 外面的になれば個性»人格と御制とを製造するº 即ち着黑爾圖
そ有してある。 シフィストの解決法なる個人の衝動もホ南面を有するº vれは人格
的てあ^、 內的生活の発現であるが、 同時に特殊的、 私的のものであるo ~の用者
の書き方面を取って出たのが シクラチスの第三の解決法であつた、 即ら民風の社會
的結束をばそれを認め、 同時に個人の御制性を取ったのであった 彼の自己を知れ
。 のはシを基の観念との雨者を通じて考へるこさてある。観念は共通の経験
シのシから出て来る。ックララスの方法は生徒の経験の基礎から観念を引き出
“てある。彼は既に成遂された民風を破壊せずして民風から脱する道を見出し
。シッィッストの最も偉大なるものとして謎解より脱したのであった。併し希
シのシは彼の計書を失敗に終らしめた。彼の企書を質行するには多くの時を多く
の知と多くの信仰を要したからである。 又常時の希臓人は彼の改革を質行するには
シを継いでみた。こ\にプラトーは第四の解決としてこれを希臓と希臓人
*。あず、大 回の民風の建設を企てた。プラトーも師説を受けて観念に出立し
たが、彼の観念は経験を超越したものであった。ックララスは観念を「赴倉の結束」
としたが、ッラトーのィデャは「赴曾形式」である。プラトーは過去の民風赴倉特

スパルタ の民風から赴倉改造の企書を引き出してそれを理想化し批判し、 彼の赴
曾の要求に適合せしめた。この企書は羅馬帝國が政治的形式に於て質現し、 中世が
— 268 —
„化と宗教的組織の中に資行したのであった。 第五の解答~~ て、 アッストラッ*
* > アナチスとアフトーとの混合人 彼の論理的系統を以てしたのであったが、 後代
の降 してはアフトーの考 «が最も大なるもの であった。 アッ** ッター時代。
チア」 とい 公禅?( 1 の大民風雲會》、 民風的教育、 國家が隣 の駅
g たりたo 1 には法律に服從する~~、 希臘の要素なる例的隊、湖水の要
義をふ性の明治により て統一 人類合とに努めたのであったが、中世*隊正
13回老的民武胜會人 民國教育が見てくあった。然るた中世に於千歳 で交戦災º
宗教改革 命令の物質は個性と自由人 の方面をカ說して民風から 成す。 『あ
* 22 歳の誕 %の創立 公理學的佛、 膝の帯
༄༅*
建し、 同時にこの目的と信頼し地制し、 科秋にせんが あたは過去の元 の対象。
現在のあらゆる業績を利用するにある。 この教育改革には物論家機能。
比の意味に於ては原始的民風の理想にまでの復騎ともいへる。しかし原始的民風そ
のま\では決してなく、改善され錬磨され批判されたものてある。改造のためには
知性と個性をが力説されねばならぬが、個人の習慣は赴曾の習慣の保護の下に成長
し、民風は今日に於ても赤不絶あらはれ又有効なるものである。「教育は書物から来
るものでなく、民風の潮流の上に交渉するものである」 歴史は一方に於て習慣、風
習、博説と他方に於て衝動、成長、鍵化、再建との長き闘争てあった。現今もなほ
雨者の不定なる衡平の中にあるのであり、この不定を解決せんとして知性は進歩す
るのであるから、この問題の存在も自覚し、不定の現象を鶴現して理想に向って進
むべきてある。
以上 ルトの主張を警見したのであるが、民風をその改善民風的教育と進歩的教
Q
育との問題は初論未決の中に進むのてある。比の一方に偏極する結果進歩を障得し ひ
Qみ
又は園結を危うするのである。教育の質際問題をしては民風的要素と批判的知的要
— 270 —
泰% の祖李約を計る ことが必要であるº 前にも述べた御く成が風の高等教育には
民武的 要素を続いでおたº 2の戦に於て本時の改革を書人は賛同するものである。
作し中等以下の教育に於ても無此神的教育は決して欲しさもの ではない。 されば
~て急進的破壞的に過ぎるとさは大勢を設すことも 思れてはならぬ。 一般に風習~
教育さの交涉, 原有人民本主義的運動との関係、 教育上の民本主張については他化
述べた ことがあるから、 数にはナムナー» + »の書を紹介すると共に、 民風的
就會的研究の必要をカ設し、 民風と英籍さの調和衛本に備すべさを主張して興等 。
るo 民風的要素のカ說としての国民道德論, 英新のための民本主義語は別に述べる
と» ) し、 なば民風»教育と題しながら、 教育の方面よ~ 1 級社會の方面化等が
向いすぎなことを心期すして置くº
第九章 羯 民教化の 一旁家
* | *
近道及の補助に成しておることの 一 つは我が明治時代の教育教化が基於防利的であ
つて、 其の繁が今日 に減慢してみる といメ動であるº 此の功利的傾向は短時日の中
に我が物質文明を軽くべ さ程度に進步させた利益は固まり留めなくてはなられ が、
現今の社會の道德的無缺席、 頼度は文 で とに源由を見出すべさやうに思は社 る。 雖
化妝に新しい かと書とを貫 英
た帝は仮説すべきであるが、 そは文同時に告知人对加を以て精神的 無 蹤影
ベ« 德の本質をも破壊し て 了 つなº ルてが 利率的 正確といふ 標準で最りれて
通德的 正確は不問に防守 られたº 小學校の図史もそうした標準て計られ、 フィ
主 がい 公屋史の重要なる方面なる術論の部分を除外しなº 羯るデザイ チー ションが
何時改 ても続くべさてない o 小學 國史は新小るデヴィ エーション から引さもど れ c
されなº
----- ،- → ----
小學 修身 もぎた功利的傾向、 進化論 さ自然科學から成は文功利的倫理學から |
組織された 科學的正德 の標準に合はない社會現象は逃有人 して排斥されたº 武装
國の神を祭ることは異なる風習 者 へられ、先頭を祭る教材は修身教科書中為に見
る教材 となった。 そして ſ國史 の改正は な修身に及ん て居ないº 德教の功利的
解釋のみが取り入れられ、 唯心的、 精神的取扱はカ說されてわないº しかし是れ と
ても何時%でも進化論的見地より明治時代の編纂て満足すべ さではないº 羯摩耗資
家は既にその欠路をいかにして売たずかに苦惱しつくあるのであるº
併しなば动利的傾向は現代社會に愛し て居て、 精神的文化、 無關心なる道德。
傳統の精神的意義を築造して居るº 國民教化の降水的改造は目下の段が頭に於て極
めて重要のことでなければならgº 高々神神文化のことに従~ ~の、 國民の精神的
指導に従事するものは、 いかにし て光の唯心的改造に着手すべ さかの方法の研究に
從はねばならぬº 数に述べん とする神道教育 と宗教教育さ の開係、 香行しろ神道数
- ーーー等
育の方法の研究の一着眼をして宗教々育の発達を警見して見やうをする所以もまた
慈に存する。ただ目下詳論の暇を得ず、ただ碑道教化の方法の研究に諸君の注意を
喚起すれば私の望は足りる。

以上の目的の下に、碑道教化と宗教々育をの概念的玲味はこれを措く。宗教々育
の研究が教化手段の研究であるならば、碑道と宗教とが無闘係であっても方法の基
礎となることに於て豪も妨がないから。これに反して雨者に共通の分子が多ければ
多いほど基礎として役立つこをが一層直接になる。質はその酷に重要なる意義が存
するのてあるけれども、本篇はそれを説く目的はない。右いふ如く宗教々育の方法
の発達を警見することの中に、幾分にても碑道教化の手段に向つて暗示するところ
があれば足りる。
宗教が現今に於ては従来に於けるが如き働きを示してみない事は事質である。そ 一
れには色々 の原因3あるが、 一般に い へ ば文化がデオフ アレン シ エートすればする
程” っ の事象が元 てを含む ことは出來なくなるº 集数中心の原始時代に於ける知
く、 或は文時々 に現はれた宗教時代に見る知さ光彩を一般文化に興へ る事は勿論な
sº 作し現代に於 漢靈力なる知 徹に は大なる酸化カの存する~を否
定する義には行か於 心すらº Jの宗教タ 化は時に所利的色彩を以て説かれる こと
もあらう。 しかしその本質は非功利的の数变、 就身、 デジ オーション の監にあるº
その本質をいかにして教化の上に行つたかº J れが音タ の頭足教化の上に、 はな神
道教育の上に考よ?« 動であるº vの魔的なる説明、 解釋、 彼城文本文の企つべさ
範圍,としてはあぶりに魔 に失するº 本文はその警見に止まるº

宗教中心の原始時代に於ては教化の元 てが完教 てあつなº 本数は元ての社會運營
の根本であり、 教化は直に宗教タ育であつなº 調先師、 民族称に開する素在が元て
の活動の直接目的てあった。この時代に於ける教化の内容は碑に闘する博説を知り
碑に封して奉仕を行ふこをのみてあった。中世の宗教時代もこの傾向を帯びたもの
であった。統一的教育は極めてよく行はれた。しかしか\る軍なる教権中心の教化
が現代に直に行はるべきものてないこと初論である。
中世に於ても既に教権から離れた自由なる信仰を力説したものがあった。これが
宗教改革に現はれた。宗教改革の人々は個性の中に碑を見ることを説いた。自然碑
論、理碑論もこの傾向を力説した。教権的、園鶴的の方法が、自由的、個性的の方
法と鍵じた。然しそれのみが眞の方法てあらうか。
教園はそれ〜組織された。教園の中にもエスイタの如き組織的方法を取るもの
と、ボールロッャリストの如く個人的方法を取るものとの差はあったが、集園によ
って教化育成を計った。個人内心の自覚てなければ強くあらはれないけれども、そ 〜
●%
の方法は通世的冥想のみでなく、集園的奉仕によったのてあった。固より宗派の色
彩によってその手段に相違はある。併し個性の自覚も環境の刺戦に侯っ。集圓生活
集園にょる陶治影響は現今に於ても力説されて居る所である。この生活園の原理は 獅
原理としては進化論が科學的に教へて呉れたものとして、その限りに於ては威謝す
る所である。

個性的方法を園鶴的方法をの封立の外に、思索的方法を質行的方法との封立があ
る。思索的方法の起源は原始時代のアイゾレーションによる修養にも見られるが、
原始時代の方法の中心は初論後者である。アイゾレーションも断食も寧ろ質行によ
る方法てあった。初期の問答學校も洗濃の準備て、質用的のものであったが、希臓
文化の発達特に精誇法の宗教に於る適用は思索的方法を発展した。中世はそれに過
ぎた。初論通世的質行修養も同時にあつたけれども、中世の末期は全く思索に捉は
れておた。近世に於けるエスイタ教園にも知識の教育が濃厚であった。敬虚派はこ
の主知的傾向に反封した。十九世紀の主知主義に反動して起った現代の傾向にも、
又その能率的着眼からも、質行を習慣による方法が力説されておる。ボーィスカッ
ト的方法が宗教々育に取り入れられて、前の集園的意義とこの質行にょる方法の結
びついたものが主張されておる。

第三の封立は一般的方法を個別的方法とである。初期の問答學校は老若男女を問
はず同じ教材を以て洗濃の準備教育を施した。過去の日曜學校もそうであった。然
るに現今の傾向は発達的段階に應じた教材を取扱さを以て常るこを\なって来た。
各學年に別れた日曜學校の教材もある。幼見の宗教々育は可成特殊化してその効果
を牧めて来たが、要するに特殊化、発生的取扱は宗教々育の務達が、「他の教育
もそうてあるがー教へてくれる 一方面である。
教化の根底はなほその指導者の如何にある。ェスイタ集園は最もこの方面にっく
— 278 —
した。 その他に於てふそう である。 內國布教師。 外國傳道者とのそれ(特別なる
梁 º金てられて家た。 指導者の分化であるº 指導者の教義時に指導方法の教徒が
取。入れられたこさも大なる被建てあるº 家数公理學、 社會心理學は勿論、 教育教
化に関する理論 と偶然 とも彼等の教養に取り入れられて来たo

それ^宗教タ 育の後達は音人に何物かを示後しないては止め gのであらうo 各 教の
沈氏に伴って過去に於ては教育の方法が宗教家に考え られ、 現今は魔義の教育家及
び 就會科學者に考え られて居るのであるが、 宗教タ育もこの後者に考 てその貨行
た運んてある。 近世初期の大教育家は船とみな新教を育家であった 彼等は 一般较
香火 º大なる手段を供してくれた。 今日の分化は特殊なる研究家と教育家さと現出
しなが、 しかも先後々育家は熱心にその立場からこれらの新方法を取り入れて特 行
し てある。 國民数化特に詩道教育に於て育人は考慮し、 研究し、 貨行すぐ ろくの
ものを有 ってみる。教義の建設、再構成も極めて必要である。併し同時にこれが教
化方法を関却する譚には行くまい。博習的方法に満足して、精碑的意義の発揮につ
をめないならば、吾々の使命を充分に充たすことが出来なからう。これについては
教育教授一般の方法の研究も、特にその新傾向の意義に考へる必要が大いにある。
この酷に諸君の注意を喚起するをいふこをが、この短文によって達せられたをは思
はないけれども、再び機曾を得て、や、系統的なる方法の叙述を試みるこを\し、
本稿はこ\に判筆しておく。
〜 #右
第十章 修身教授論の批判と主張

ー279 ー
*
現今に於ける修身教授が甚だ不満足な程度のものであることは何人も一致する所
てあらう。そしてこれに封する改造論の唱へられるに就いては何人もその必要を認
制o 味o 歴o のo うo か Y

限o はo 史o 文o 「い
的o 数o 的o 藝o 自o
のo 育o " 萬o 分o
もo そo 心o 能o のo
のo のo 理o かo 立o
てo もo 的o らo 場o
なo のo のo のo がo
いo てo 立o 見o あo
こo あo 場o 方o つo
とo うo かo やo てo
りよo .) らo " そo
認o 修o ° 急o のo
めo 身o 経o 進o 見o
てo 教o 験o 思o 地o
戴o 授o 的o 想o がo
きo そo 立o 家o らo
たo のo 場o のo 批o
いo もo かo 破o 牛判o
とo のo らo 壊o もo
思o にo 方o 的o しo
ふo 立o 法o 唱o "
しo をo 導o 主o
* 論o でo 張o
をo ずo はo もo 勾o
のo るo なo すo 論o
立o のo くo るo 私o
場o でo " にo にo
はo あo 数o 違o もo
経o るo 育o ひo そo
験o かo 教o なo のo
的o らo 授o いo 専o
でo そのo がo 門o
国o 専o
露 立o " 臭o
場o 文o 味o
人o 門o かo 豪o がo
的o 臭o らo 家o あo か 2

0ー
すべき多くを有する修身教授論が、私には甚だ不満足 に思は れ てならないのてあ
る。
その第一 は文藝主義的修身教授論である。彼等によれば、算術教授に於て機械的
に運算練習をするのみで最 理の愛を養はない如く、修身教授は形式的空虚で徳目を
以て少年を一様に律するのみだをいふ。この批難は大に修身教授の質際に常つて居
1
QQ
のみ
* の とい メのではない。 唯文藝家の指摘するほと形式的空艦のものでない事實をs
2
よのみであるº co
ca
なば文藝家の主張する所の、 文藝は道德威情の根本方を豊富にするものであるか
ら文教育は道德教育である といふ主張も音タ には直に首肯することが出來安 o 2
の立春の前提はそれ を認めるが、 結論は道德教育を助ける といふすけ、 道德教育の
一 部文けにしか通用出來ない と思~&º る文藝、 正しさ文數は貨に道德威を愛~ 3
のである。 佛し他の宗教 、哲學。同様に成は以上に道德威を祭事實を看過して
はなら約。 文藝家はい~ 、 過去には宗教が生活を深く強く生 さることを教 へ たが、
今は數饰がそれに代つたとº 然少家数の威化カは書日 の加くてはないº 此し無力で
はない。 相應の力を以て道德化しつくあるº なくて完数も執事も生活を深く開く生
さる とどを数 、 そ おる。 何だ文藝のみが魔力を持つておやうº 文教家は割 礼貌,
個性質量、 創造主義は文教主義のあらはれてあるとして文藝のカを高調するº 能 し
吾々から見ればそれは哲寧にも宗教にもあらはれて居る所であり、新教育主義その
。のがそれてある。単に文藝ょり眺めることが教育を改造する唯一の道とは考へら
れないのである。
併しながら文藝主義的修身教授論の目ざして居る獣を無祀してはならぬ。功利主
義に封する反動の撃、形式倫理に封する心情の力説、偏道徳に封する人間生活の高
調がそれてある。功利主義が道徳を毒し、修身教授を害したことは質に膨しい。明
治時代に編纂された修身教科書の功利的形骸が今日の初等教育界を毒してみること
は私の履力説した所である。カシトやへルバルトの形式倫理を以て見童に強いやう
“する結果*研修身教授を無効にして了ふことが多い。道徳のみが人間生活の全部

ー283 ー
てあると心得るために、基の道徳教育を妨げて居るこをも事質てある。これらの酷
に文藝主義の教育の長所を認めるに客なるものてなく、大に聴かねばならぬ酷の多
*ことは初論てある。併しながら、文藝的にするこさにより直に修身教授が完全に
— 284 —
行に 加(あたり、 感情を重んするために巻を排したりする交事主義德
身教授論には信頼の戦が多いことを意れてはなられ。 それが私のそれに動してカ戦
しやうと思~&對てあるº
]
第二に同じく文藝家文は批評家の話よる國際主義的修身教授論がある。 それに“
れば現金の修身教科書には希臘古代の偏微な愛國心力至軍事的熱身が説いてあって
國際的平和を書 いる教材があるからそれを除かればならぬº い のである。 それ*
面の真理と見て居る事は認めなければならgº 東西和荷役此和流すの精神を歌
産すべ さとと分會であるo 自目的服從、 音目的樣性でなく、 其の服從、 具の熱身で
なければならg こと物 館であるº 先しながら國際的協調のみを説いて自己の国家元
熱身的なるべき ことを説かないてい くだらうか。 先っ鄉土の愛から 始め 國家长及
が、 後に関隊に及ぶべきではなからうかº 國家 は 最も 有機的なる社會的高熱であ
~ 3 個結により て文化につくし、 文明に貢献するもの、 國家、 國境を打破して
進行が勝回龍の国際主義を図民教育に移籍しやうとする もの) 加さ、 文は、 それた
近 n 理想主義は音タの排すべ さものでなければならぬº 英國の モルガンはいよ、 西
常には関家を以て個人の利益のためにのみ存すとした思想があったが、 社會會學及
が生物學的社會顯はその姿を買うせて古代希臘の公民の理想に類似しな成る物に近
接すべし»するに到ったとº 論者はそれを思想の退步だ といふかも知れ ぬが、 それ
は現實, 事實を無視して理想に急進しやうそして必ず爾(者 方である。 英國の統
は世界の統 に進行 一 段階であるとして考える とさが決して不合理ではない。
愛國心に関しては随处色々の誤解があるº トルストオ はいよT精神的善事を自國民

— 285 —
に飲む ととは不可能である 間も愛國心は文化大 正義~を望さない有害な成佛
である とo Jれに封してウェルスのいはゆる国際的精神の後援につくさらざする
ストック スさく も次の知くいつて居るº 文化さ 正義といふ さ精神的性質に興に通
合したものは、それを自國民に望み得る。それは自國民のみではなく、たゞ特にそ
れを自國民に望み得るのてある。又力及び富の大部は他を排して得られたものては
ないから、トルストイのいふ所は常らない」 を。質に吾々の精碑的事質を無祀して
に國際平和のみに急進せんとするは却ってその道でない。吾々は父母の愛、郷土
の愛、國家の愛を通過して碑の愛、人類の愛に進むべきである。
初論愛国心と国際的精碑とが矛盾する場合がある。これョーシのいふディアレク
チークである。このデイアレクチークの上に個人及び祀曾の進歩が ある のであっ
て、その一を以て他を全く歴しゃうとするのは不可能でもあり、沈滞であり、休息
であり、退歩てあり、破滅てある。この酷については東亜の光本月競にも記述して
おいたから詳述しない。これを要するに、國際主義的修身教授論が頑冥の徒に教ふ
るをころの多いこをは事質であるが、急進、理想に提はれて眞の道を指示するもの
てないことを忘れてはならぬ。

第三に自律主義的修身教授論がある。それによれば、従来の修身教授乃至訓練は
服従を強い、干渉を事をした。将来は見童の自覚、自律に訴へてやらなければなら
ぬといふのである。これもこの論者がいふ如く従来見童の自由自賞を低く見過ぎた
ものに封してたしかに一面の眞理を捉へて居るけれども、これらの論者はまた甚だ
それを高く見すぎて居る。それ故見童の幼稚なる判断を重んじてそれの誤を訂正し
ないて終る修身教授をなる。この事質は博聞にすぎないがそう てあるべき事を思
ふ。彼等も見童心理を無祀せざれといふ。然らば単に克己と自律とのみて、カント
やへルバルトの形式倫理のみては行けぬわけてある。パルトがいふ如く功利的な段

ー 287・
階を眼中に入れてそれから克己説、唯心説へ進まなければならぬ。従来の修身教授
はそれを考へておた。或はそれに過ぎてみたから、彼等の力説する理由は明らかて
あるが、さりとて見童心理を無祀しては修身教授は行はれない。従来の修身教授が
功利的説明に過ぎて居たこさは吾人の前にも述べた所であって、この酷に改造の道
はあるが、功利的手段を全く排しては修身教授は行はれない。吾々は功利を克己さ ㎞
のディアレクライークの上に進まねばならぬ。ロックがいふ如く、矛盾せるものを 一
雨手に持って正しく指導し得なければならぬ。これは賞際に於て必要なること、避
くべからざることである。理想を現質とを有する以上避けるこをは出来ないのてあ
る。

以上私は今日の修身教授に封する改造論の重なるものについて批判した。私はこ
れら改造論の力説する酷に改造の方向の存することを否定するものでなく、大にそ
の酷に考ふべきことを思ふものであるが、同時に従来の修身教授に存する重要なる
方面を忘れてはならぬことを唱へるのである。従来の方法を以て満足するものでな
いことは前にも述べた如くてある。従来の方法に封する私の考の一二を撃ぐれば次

「-ー ー
の如きものである。第一に従来の修身教授は祀國の長所のみ力説して盲目的威情に
のみ訴へた。か\る威情のみては理性に訴へて考へる時矛盾を威じ却って反動を誘
致するか又はその然らざるこをを覚った時に失望に陥って了ふ。短所は短所をして
知らしめ長所と同じく反省せしめなければならぬ。父母が完全をは考ないでも父母
を敬愛する如く、短所を知らしめるこをが愛國心を害するものではない。第二に権
威のみに訴へることも過去のやり方てあって、今日に取るべきものでない。自務的
に教権を認める自律的服従を主をしなければならぬ。
か、る見方から修身教授は今日一般教育上の新方法として主張せられるもの、長
所を寧ばねばならぬ。例へば、具鶴、直観の力説、生活、環境からの教育、行動、

ー289 ー
作業による習慣の奪重の如きそれである。國民的儀式、祭日、曾合等は修身教授の
徹底の好機曾である。修身取扱は修身作業であり、修身構案でなければならぬ。そ
の方法は功利の心理に出立すると共に、唯心的、精碑的 (心霊的)要素を忘れては
ならぬ。従来の修身教授は國民道徳を説くに功利的説明のみをなし、精碑的要素を
関却したが貸めに不徹底に終った。これが予の所請明治の功利的教育の弊てある。劉
この獣にっいては魔々論じた所であるから慈に述べない。へーソードの「改造の精
碑的基礎」(一九一九年)は寧校に於ける國民的儀式を説いて甚だ詳細なるものがあ
る。凡て宗教々育の過去及び現在の方法に顧みることは修身教授に於て有効の示唆
を興へるもので、この獣も私の常に力説して居るところてある。本文が批判に多く
して主張に疎であるのは、既に公にした論文との重複を順うての故である。
國民教育の思潮 終
大正十二年 四 月 十 日印 刷
大正十二年 四 月十三日発
國民教育の思潮」

大正十三年 三 月十五日再版発行 定慣金武圓参拾銭
著 作者 入 澤 宗 毒

祀曾式株刷印田稽早

東京市碑田匿錦町三 ノ 十 一 番地

所 刷
近 発行 者 辻 本 経 蔵

シ -=』

東京市早稲田牛込匿鶴巻町三六一
印刷 者 闘 根 慶 寛
*海支 一 東京市碑田匿錦町三ノ十一番地 * *
務行 所 振替口座東京 五 八 一 八○番 教育 研究 曾
大販 ㎞ ㎞ ㎞
大阪 市 大阪質文館 久留米市 菊竹金文堂 和歌山市 宮井書店
賞所 ㎞ 札幌 市 富貴 堂 ㎞
名古屋市 星野 書店 長岡 市 豊 張 書店
・e目書版出曾究研育数se…一ー

口名古屋市祀學 水 本 四六列函入美本
趙著 ㎞理科新教授法 第五版 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口奈良女高師教授 志垣 寛著 四八判函入美本
㎞國史新教授法 第五反 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口奈良女高師教授 石澤吉磨著 四六判面入美本
㎞家事新教授法 第八版 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口廣島高師教官 菊池勝之助著 四六判函尺美本
㎞地理新教授法 第八版 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口鳥取高師教官 峰 地光 重著 四六判函入美本
㎞綴方新教授法 第二版 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口名古屋市祀學 水木 四六判函入美本
趙著 ㎞算術新教授法 第三版 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口小學修身研究者 四六判函入美本
松葉 勇著 ㎞新修身質演例話 新刊 正債金二圓五十銭 送料十八銭
口第五高等寧校教授八波則吉著 第二 國語 の 講習 近刊 四六到上製函入美本
正債金 参 圓 送料十八銭
四六判ポイシト組美本函入
口音楽批評大家 柿沼 太郎著ショパンの生涯と手紙 二版 正債金参圓五十銭 送料十八銭
四六判ポイント組美本函入
口音楽新潮主筆 柿沼 太郎著 べートべ ンの作品 新刊 正債金参圓五十銭 送料十八銭
*●●目書版出曾究研育数●●●一ー

ロ第五高等座校教授入波則吉著 ㎞國語の講習 第七版 ㎞十入g


ロ第五高等%校教授入波川* ㎞夢の園から 新 ョ ㎞十三g
ロ酒田高女校長 教育 的 悲劇 ㎞ 科十二g
ロ教育研究倉 全園㎞試験問題集 新刊 ㎞
ロ府立第三高女教授木下 人間相愛の道徳新刊 ㎞
(文部省検定済 女學校用教育科 科書)
口法 寧 博士 岡 賞著 國民 法制 要義 ㎞ a
ロ法 撃 博士 岡 質著 國民 経済 要義 ㎞六g
師範學校、中學校、女學校、
(㎞
商業撃校、工業学校、農撃校、法制経済科、
稲増

正四 正 四 正四 正四 正四


営 数



口文學 博士 吉田 熊 次 著
ロ東京帝大教授 入澤 宗 毒著 新 教授 法 原論 五 版
・●● 目書版出曾究研育数●●・

口東京帝大教授 阿部 重孝著 藝 術 教 育 三 版
口東京帝大講師 上村 顧 幸著
六判約八百頁ポイント組
知能 測定 法 四 版 金

債六
ロ奈良女子高師教授松清泰厳著

正四 正四 正四 正T 定紙
ロ東京帝大研究室岡部鋼太郎著 教育 的 測定・再版
口文 學 士 高木 秀一著 個人 債 値 論 再版
口京都帝大研究室 高橋俊乗著 日本 教育 史 再版
口國立武蔵野學院長菊池俊諦著 威 化 教 育 再版

根思
約三百数十頁図人

翌再
ロ東京帝大教授 入澤 宗 養 著 國民教育 の 思潮 版 武圓三十銭 送料十八銭




/ヘ



- } -*} → -
1103175130

-
-



-

-
-
--
--
-

-
-

-
-
-
---

|||
-

10811868427

--
ェ霊

。 慶應義塾 -
-- 言

-
--
-
--
--
--
-
-
-
-

--
-

You might also like