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表1

20181019
岩田英哉
今のドイツ人の頭の中とドイツの国情 といふことは、ナチズムの再現と男色者の求めてゐる場所は同
もぐら通信 (v2) じだといふことになる。違ひは前者がゲルマン民族国家の建設で
あるのに対して、後者はマルクス主義(グローバリズム)による、
今ドイツのナチズムを再現するドイツ人にとつての意義は、ヒットラーのナチズムは反キリスト
LGBTといふpolitical correctnessを利用した、男色者社
教、反ユダヤ教、反マルクス主義、反民主主義(反共和国制)、反資本主義といふことであるの
会の実現といふところにある。後者は国家を否定してゐる。
で、本来のゲルマン民族の国を建国しようといふ大地母神崇拝の心の復活を訴へてゐると考へるこ
とができる。

男色者はここで生活したいと
言つてゐる

論理的にも現実にも此処に難民・移民が押し寄せて国が混乱
非キリスト教 社会(の外部)
してゐる。即ち、男色者を含むLGBTの問題と難民の問題は
同じ問題であり、問題の根は同根である。
「寛容」といふ言葉の使ひ方の意味の文脈もここにある。即ち
社会 キリスト教の寛容ではない。
キリスト教 (の内部) キリスト教圏の中の社会(内部)は、キリスト教の内部の社会
といふ意味である。しかし、社会とだけいふのでは言葉が曖昧。
非キリスト教の社会とキリスト教の社会と二つあり、マルクス
主義者により意図的にこの二つの社会の混同が起きて来た。

社会社会と言つても、キリスト教圏の内部にも社会があり、またキリスト教圏の外部にも社会があ
る。といふことは、男色者はキリスト教圏にゐながら非キリスト教徒の社会を模範(モデル)にし
て(実はこれはユートピアみたいなもので想像か妄想の中にしてないかも知れないが)、男色者の
婚姻を認めろと言つてゐることになる。これはキリスト教圏ではないそれ以外でと言つてゐて、物
事の全体を示すことができないでゐるので、クルクルパー論理学、馬糞論理学です。ここに、マルク
ス主義者が人間の組織の最上位概念に国家ではなく、社会を置く目的があり、また其の結果の混乱
がある。日本国内にやつてきた外来種(ブラックバスやブタクサのやうなのもの)といふべきか。

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