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ラジオ学習メモ
− 106 −
会や自然の中で生きる人間について理解を深める。 「里山物語」は内容のまとまりから、大きく四つの部分に分
けることができます。大きく分けたそれぞれの部分を意味段落
全二回
の 一 [里山物語]
ということがあります。
第一段落……題名にある「里山」
が話題として示され、「里山」
は決して「自然」ではない、と述べられている。
学習のポイント1
現代文編
第二段落……「里山」とはどのような場所であるか、「里山」
随想の特色やその味わい方を確認する の成り立ちに基づき、「人と自然が交錯する」「人
したがう と自然のせめぎ合いが続いていく」のが「里山」
高校講座・学習メモ
随想の「随」の意味 であると、筆者の考えが展開されている。
国語総合
まかせる
第三段落……「里山」で起きている「奇妙なこと」へと話題
第 41・42 回
「随想」とは「想いにしたがって」あるいは「想いにまかせ が転換され、人間は「徹底した自然」と「徹底し
て」書かれた文章のことを言います。随想は思いつくままに自 た人工」の両極端の間をさまよっているという筆
由に書いた文章なので、評論のように、厳密な論理展開を取り 者の考えが示されている。
第四段落……「人工物」を発達させて生きる現代人にとって
学習のポイント3
ラジオ学習メモ
「里山」がいかに意味深いか、筆者の考えが述べ
「人と自然が交錯する」とは
られている。
どういうことか
第二段落の後半を読んでいきます。
学習のポイント2
「交錯する」とはどういうことかを考えながら、人と自然の
筆者は「里山」を 関係を捉えていきましょう。
どのような場所だと考えているか ※交錯……いくつかのものが入り交じること。
冒頭から第二段落の前半までを、里山の成り立ちや「里山」
と「自然」
(「もともとの自然」)の対比に注目して読み取ります。 〔第二段落後半の展開図〕
里山 = 人と自然が交錯する所
〔第一段落から第二段落前半までの展開図〕
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も と も と の 自 然 = 薄 暗 くひ ん や り し て い て 、 あ ま り 快 適 な 場 所 で は そこでは人と自然がともに生きているのではない
なかった
人 はたらきかけ
↓ 深い林 ↓ ↑
人のはたらきかけ=木を採り、畑を作る
自然 負けてはいない元に戻ろうとする
↓
現代文編
蝶や花蜂がやっててきて、虫を求めて小鳥も姿を見せる
人と自然のせめぎ合い
↓
エコトーン(自然の傾斜)ができてくる
高校講座・学習メモ
明るい林・草地・畑・人家 = 里山
国語総合
*
* * *
第 41・42 回
・里山は決して自然ではなく(第一段落)、人が自然にはたら
きかけて生まれた場所
・人と自然が交錯する所、基本的には人里
という対照的な言葉が出てきます。具体的には、「自然の美」「人
全二回
の 二 [里山物語]
ラジオ学習メモ
工の美」
、「徹底した自然」
「徹底した人工」ですが、これらが
意味するところを対比的に捉えることで、
学習のポイント1
①「喜ばしい」と肯定したことに「果たしてそれでよいのだ
「里山」をめぐって
ろうか」と疑問を投げかけたのはなぜか
人々の間で何が起こっているか ②「人間は、両極端の間をさまよっている」とはどういうこ
第三段落を読んでいきます。「奇妙なこと」とは何か、また
とか
それがなぜ「奇妙なこと」だと言えるのかを考えましょう。 を読み取っていきましょう。
〔第三段落前半の展開図〕 〔第三段落後半の展開図〕
里山 = 人間が親しみと安らぎを覚える場所 里山の美への憧れの高まり=人工の美ではなく自然の美を求めている
↓
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里山賛美 喜ばしい(肯定)
↓ ⇔
里山への立ち入りを禁止・規制= 奇妙なこと
果たしてそれでよいのだろうか(疑問)
↓
(人間が「里山が自然と人間のせめぎ合いの産物」であることを忘れる)
里山の「荒廃」=逆説的な状態 ↓
(保護が逆に「荒廃」を招 く) 徹底した自然
現代文編
↑ (原因) =人間にとって恐ろしいもの
人間が「里山が自然と人間のせめぎ合いの産物」であるこ ⇔ を求める = 非現実的で不自然
とを忘れる
徹底した人工
=徹底的に発達させ、利便さを
高校講座・学習メモ
国語総合
学習のポイント2 享受している人工物
↓
第 41・42 回
筆者の言う「自然」「人工物」とは 一抹の不安→自然礼賛
どのようなものか ↓
人間は、両極端の間をさまよっている
第三段落後半を読んでいきます。ここには「自然」「人工(物)」
学習のポイント3
ラジオ学習メモ
筆者がこの文章で
言いたいことを捉える
第四段落を読んで、筆者の言いたいことを捉えます。
そのために、里山は意味深い →「人工的環境」と「里山」
との比較 → 筆者の提案、という文書の展開を意識して、「里
山」がなぜ「意味深い」のかを考えていきます。
ここでも対比を捉えることが読みのポイントとなります。
〔第四段落の展開図〕
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里山は意味深い
↓
人工的環境 利便性に富む
安全(実は危険が絶えない)
= 徹底した人工(第三段落)
⇔
現代文編
利便性に富んだものではない
里山
安らぎを感じることができる
=
自然と人間のせめぎ合いの産物
予見できる危険
高校講座・学習メモ
国語総合
↓
第 41・42 回
自然を追い払って全てを人工的に管理することより、身の回りに自
然とのせめぎ合いの場を残した人里に生きるほうが楽しいのではなか
ろうか。
ラジオ学習メモ
里山物語 講師
高野光男
ひ だかとしたか
日高敏隆
び わ
つい何日か前、テレビで里山の番組を見た。人が自然とともに生きている琵琶
湖西岸の美しい映像であった。僕は自然の中に吸い込まれていくような気持ちで
じっと見入っていた。
そのうちに僕はふと気づいた。自然の中に吸い込まれるというこの表現は、里
山については適切なものではないのではないかということに。
なぜならいつも言われているとおり、「里山」は決して「自然」ではないからである。
もともとの自然の中に人間が入っていき、木を切ったり、草を刈ったり、いろ
− 110 −
いろなはたらきかけをしていることによって生まれたもの、それが里山である。
もともとの自然は深くこんもりした林であっただろう。そこはあまり日も差さ
ず、薄暗くひんやりしていて、あまり快適な場所ではなかったにちがいない。少
なくともそこに腰を下ろし、のんびり弁当でも開いてくつろごうという気になる
場所ではなかったろう。
現代文編
しかし人が入っていって薪にする木を採り、小屋を建てる材木を切り出し、あ
るいは林の緑を切り開いて小さな畑を作ったりというようなことをしていくと、
かんぼく
林は少し明るくなり、やがて明るい場所を好む草や灌木も生えてくる。
高校講座・学習メモ
ちょう
その草木に花が咲けば 蝶 もやってくるし、花蜂たちも訪れる。草木にはいろ
国語総合
いろな虫が付いて葉を食べる。そしてそのような虫たちを求めて小鳥たちも姿を
第 41・42 回 見せる。きっとこんなふうにして林は少しずつ変わっていったのだろう。
そこにはいわゆるエコトーン、すなわち自然の傾斜ができてくる。深い林から
少し開けた明るい林、そして草地、畑、人家という傾斜が。
これが「里山」なのだと僕は思っている。つまり里山は「里山」という「山」
ラジオ学習メモ
ではなく、人と自然が交錯する所、基本的には人里なのである。
そこでは人と自然がともに生きているのではない。人は自然の中に入っていっ
て、自然になんらかのはたらきかけをする。そこをただ歩くだけでも、それはは
たらきかけである。人は地面に生えた草を踏み、何匹かの虫を払い落としたり踏
みつぶしたりする。木も切るであろうし、草も刈る。
しかし自然も負けていない。切られた木は元の状態に戻ろうとして若枝を伸ば
し、草はまた生えてくる。虫たちもせっせと子孫を残す。こうして人と自然のせ
めぎ合いが続いていく。これが里山であり、人里である。
こうして生まれた里山は、もともとの深く暗い林と違って、人間が親しみと安
らぎを覚える場所になる。それが近年の里山賛美の源であることは疑いない。
けれど里山を賛美するあまり、奇妙なことも起こっている。例えば里山への人
の立ち入りを禁止したり規制したりというのもその一つだ。
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人が入ってはたらきかけることをやめれば、里山の自然はたちまちにして元へ
戻っていく。それは人間の入っていきにくい、少なくともあまり快適ではない場
所になってしまい、たちまちにして里山の「荒廃」が起こる。今や各地で、里山
の荒廃が問題とされるに至っている。
その一方、里山の美への憧れはますます高まっている。里山の美しい映像は人々
現代文編
の心を打ってやまない。どうやら人々は、そこに自然の美を求めているように思
える。今やっと、人工の美ではなく自然の美を求める気持ちになってきたのだろ
うか? もしそうであるのなら、それは喜ばしいことであろう。
高校講座・学習メモ
でも果たしてそれでよいのだろうかと、僕は時々考える。
国語総合
少し前に述べたとおり、里山は決して自然そのものではない。それは自然と人
第 41・42 回 間のせめぎあいの産物なのである。もしこのことを忘れると、人間は徹底した自
然と徹底した人工とを求めることになりはしないだろうか? それは何か非現実
的で不自然なことになってしまうような気がしてくる。
地球上で徹底した自然というのは、地震とか噴火とか暴風、大雨などのように、
ラジオ学習メモ
人間にとって恐ろしいものであることが多い。人間はそれを求めてはいないし、
美しいものとも思っていない。
一方、人間は人工物を徹底的に発達させ、その利便さを享受している。
それはそれでよいのだし、それが人間の偉大さでもあるのだが、人々はそこに
一抹の不安をも感じている。その反動が自然礼賛の気持ちの源であることも否め
ない。どうやら人間は、何か両極端の間をさまよっているのではないだろうか?
そんなふうに思ってみると、里山というのは意味深いものである。それは繰り
返して言うとおり、里山が自然と人間のせめぎ合いの産物だからである。
人間は雨露をしのぎ、できるだけ快適に暮らすために、自然の一部を破壊して
家を建て、町を作る。家や町の中に自然が入り込んできてほしくない。そこで人
間は自分の回りを管理する。
庭は自分の思うようにしつらえ、道も交通も管理する。子どもの遊び場までも
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きちんとしつらえ、人工の遊具を設置する。都市は計画的に作られ、建物もでき
るだけ自動化する。こうしてあたうかぎり利便性に富み、安全な人工的環境がで
きあがる。けれど絶えず報道されるとおり、そこにはさまざまな、そして予見し
がたい危険が絶えないのだ。
人間と自然のせめぎ合いの結果として生まれた里山は、これとはかなり異なっ
現代文編
ている。
▼作者紹介
それはそれほど利便性に富んだものではない。けれどそこではなんらかの安ら 日高敏隆(ひだか・としたか)1930年~2009年。
東 京 都 生 ま れ。 動 物 行 動 学 者。 少 年 時 代 か ら 昆 虫 採 集 に
ぎを感じることができる。危険はないことはない。早い話がうっかりすれば蚊や
興 味 を も ち、 生 物 学 を 志 す。 日 本 で 動 物 行 動 学 と い う 新
高校講座・学習メモ
時には蜂に刺される。子どもが木に登って遊んでいれば、落ちることもあろう。 し い 研 究 分 野 を 開 い た 草 分 け 的 な 存 在 で、 生 物 多 様 性 に
国語総合
もいち早く言及した。主な著作に『チョウはなぜ飛ぶか』
けれどその危険の多くは、人工的遊具の場合と違って予見できる。そういう危険
第 41・42 回
『 春 の 数 え 方 』( 日 本 エ ッ セ イ ス ト・ ク ラ ブ 賞 受 賞 )『生
物 多 様 性 は な ぜ 大 切 か?』 な ど が あ り、『 種 の 起 源 』『 ノ
を予見するトレーニングは、生きていくうえで不可欠である。
ミはどうしてはねるか』(共訳)『ファーブル植物記』(共
自然を追い払って全てを人工的に管理することにより、身の回りに自然とのせ 訳)など、翻訳も多く手がける。「里山物語」は雑誌『波』
2004年5月号に発表された。本文は『セミたちと温暖
めぎ合いの場を残した人里に生きるほうが楽しいのではなかろうか。 化』(2010年刊)による。