You are on page 1of 434

-ー一 - -- ー 一一 - ----一

スエ/天%エス 窓

次委 R)* ●




*


*。
-

- * -
シ1形2
射 山 小川平吉著
東京 廣文堂書店発行
。“ * 日 * 『シ 』
王道 覇道 ミ 皇道 政治
目 次
二、 日本
前 篇 王道 と 覇道“
第 一章 王道の意義及び起原”
第 一章 天 と 人、
第 三 章 王道と明徳と性と心、
U*
王道 朝 道 ミ
皇 道 政治
王道覇道 さ 皇道政治
日 次
序 説
一、東西雨洋の政治精紳:i 三
二、 日本 の 現状: 一
前 篇 王道 ーと 覇道 **・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第 一 章 王道の意義及び起原 * * * * ** *** * ** * * * * * * ** * *** * ** * * * * * * *** * * * **・・・・・・・ ・ ・・ ・ ・ ・き * ● ● ● ● *** ● ● ●

第二章 天 と 人: 三五
第 三 章 王道と明徳と性と心 * * * * *・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・
四三
日 次 一
**
日攻1
第四章 供善設:西屯
第五章 供 器說:五七
• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •
第六章王道の三葉縣• •大
第七章 議・親・再の王道政治と•元・高の王道輸 :七
第八章 小の王道四聖日 …九
第九章 羯 逃 致 治:0公
第十章 状 律 致 治:二家
第十一章 H道と朝道の比較 :意大
• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •• • • • •• • • •• •• • • • • • • • ••• • •• • • • ••
後編皇道政治• •四五
第十二章 是道の本質:·|西屯
• • • • • • • • •• • • • • • • • • • • • • • • • • •• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •• ••• • • •
第十三章 皇道政治の日本史觀• •__{
• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •• • • • • • • • ••• • • • • • • • • • • • • •• • • •• ••
第十四章 主翼政治の支那史觀• •許
第十五章 親道政治の西洋史觀:|
第十六章 王道政治の満洲國 :一些
第十七章 王道と東洋政治學:天
第十八章 大化の革新と明治の維新:}
第十九章 皇道と外來用心想:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大
第二十章 日本精神と西洋科學:00
第计一章 日本の法律と西洋の法律:0公
第サ二章 皇道と立像制度------------------------------------------------------ -----芸
第サ三章 皇道と立法證會:定

目攻-四
第サ四章皇道と同法裁判___________________ …宗五
第立五章 是道と行政府:元四
結 論
|、 是道院所、武郡物和 :0
二、支那•湖州・西洋諸國の現狀:四10
1月攻終 —
第十三章 皇道政治の日本史觀.................…'''''''''''''・・・・・・・・・・・・・・・・•••••{
••••••••••••••••••••••••••••••••••••登
第十四章 王嘉措政治の支那史觀.......…
第十五章 野弘治の西洋史觀…|
第十六章 王道政治の湖湖國·高
第十七章 王道と東洋政治學·|
第十八章 大化の軍神と明治の維新----------------------- …}
第十九章 道と外來開心想:·大
第二十章 日本精神と西洋科學:00
第计一章 日本の法律と西洋の法律:0公
第サ二章 皇道と立憲制度:·室
第サ三章
E
目次-四
• • • • • • • • • • • • • • • •• • • • •• • • • • • • • • • • •• • •• •• •• •• • • • • • • • • •• •• •
第五四章皇道と同法裁判• •…意大君
第サ五章皇道と行政府• • • • • • • • • • •• • • • • • • • • • ••• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •
•…元四
結 論
• • • •• • • • • • • • • • • • • • • • … • •• •• • • • • • • • • •• ••
•0
،皇道旅、萬部物和•
• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • •• • •
二、支那•湖州・西洋諸國の現狀• •西10
一、東西雨洋の政治精紳
東洋ノ政治精碑 ハ何ゾ
西洋ノ政治精碑ハ何ゾ
東洋の政治は王道を以て理想となす、西洋の政治は覇道を以て終始す。一は道徳の
務展を以て目的となし、他は功利の質現を以て主眼となす。道徳の政治は天理の公に
基づく、故に人々相愛し、相敬し、㎞々として和睦す。功利の政治は人欲の私に出
っ、故に人々相争ひ、相凌ぎ、紛々として騒換す。これ王道の奪ぶ可くして、新道の
卑しむべき所以なり。
王道の語は支那より始まる。支那の政治は、四千年前の発・疑時代より王道を以て理
想となし、儒教を向び、覇道を卑しみ、仁義を重んじ、功利主義を排庁す。然れど*
湯武の放伐以来、易姓革命相継ぐ。王道政治は共の質現眞に容易に非ざるの観あり
序説 三
序 説 四
我が日本に在りては、天祀の碑勅以来、皇道の柄平として明かなるあり、上に萬世
一系の 天皇を戴き、建國以来幾千年、王道政治の碑髄を質現して、碑人一如・君臣
一鶴・道徳流行、四海韓睦して、東海君子國の名に背かす、以て今日に至れり。
西洋の政治はローマ以来、各國分立の今日に至るまで権力争奪の歴史なり、利益衝
突の継績なり。内にありては上下相争ひ、外に封しては民族互に相闘ぎ、戦闘攻伐止
むときなく、優勝劣敗、強弱相凌ぎ、赴曾・國家を撃げて紛優混剣、拾も修羅場の如
き観を呈せり。
或は目く、古代は人民質朴にして政治と道徳とを混同せしが、後世赴曾の進歩する
に及んで、雨者は相分科するに至れりと。予請へらく、比の説必ずしも真理の全部に
非ず。試みに東西の歴史を達観的に研究すれば、政治と道徳とは時代の古今に因りて
相分る\ことなきに非ずと難も、寧ろ洋の東西と、民族の相異とに因りて相分る、も
のあることを務見すべし。即ち東洋の政治精碑は、古来、道徳の務展を以て主眼とな
し、今日に至りて尚塗る所なく、プラトンの請はゆる 「政治は最高の道徳なり」 と一
致せり。西洋の政治精碑は大鶴功利の質現を以て主眼となし、道徳を以て政治と別物
なるが如く思惟して、國家の政治は専ら功利の主義に基づき、権利本位の法律を以て
園民を治めんと欲し、法律は政治の大分部を占むるに至れり。
東洋に在りて、専ら法律を以て國を治めんと欲したるは、古今を通じてたゞ秦の始
皇帝あるのみというて 可なり。然るに、西洋にありては現在法治國を以て誇るは初
論、ローマの如きは古代より法律を以て國を治め、現代欧洲法律の母法と仰がる、程
の、驚くべき浩潜なる法典を編纂して専ら人民の権利を規定したるを見れば、共の如
何に功利思想の旺盛なりしやを知るに足るべし。
法律の精紳も、赤大鶴に於て東西雨洋に因りて相異なれるものあり。東洋の法律は
古来道徳の擁護を以て目的となし、義務を以て本位となせり、従って共の種類は道徳
軌範の外、道徳擁護の貸にする刑罰法規を以て共の大部分となせり。之に反し、西洋
序 説 五
序 説 六
の法律は、ローマ以来、権利を以て本位となし、個人若しくは國家の利盆擁護を以て
主眼となすの傾きあり、従って共の種類は民法若しくは訴訟法の如きもの、共の主要
部分を占めたり。
固より 西洋の法律も、共の文字の示すが如く、正義を重んずること初論なりと難
も、利を重んじて義を軽んじ、義を向びて仁に通せざるの減あり。特に欧洲近世の法
律學者は法律と道徳とを分つて別物となし、政治家も赤専ら法律に依りて國を治めん
とするの風あり。故に法規盆、繁くして争訟念、多く、権利の思想は念、織烈にして
義務の観念は盆く稀薄となり、加ふるに、近世科學の進歩と産業の発達とは人欲を怒
にし、権力を発揮するの機曾を激増して、物質主義的功利思想は奪、旺盛を極め、べ
ーコシの如く功利主義の哲寧を唱ふるものあり、イエリシグの如く権利を以て法律に
保護せらる、個人の利益なりとの説を唱へ、権利を主張せざるは一 の罪悪なりと極論
するものあり。特に近世進化論の普及するありて、著しく優勝劣敗の観念を刺戦し、
功利萬能の思想は世界を風魔し、濃譲・廉恥の風は地を挑ひ、貧富相凌ぎ、強弱相虐
げ、怨暁呪調の盤は四方に充満するに至れり。
面して、國家自身も赤功利の思想に没頭して、専ら権力・利益の擁充に努め、正義
を軽んじ、公道を無祀して顧みず、途に振古未曾有の世界的大戦争を惹起するに至れ
り。これ堂に人類の不幸に非すや。比の如き所以のものは、人類本然の美性たる道徳
の発展を関却して、専ら人欲に基づき功利に努めたるの 結果に外ならず。要言すれ
ば、王道政治を忘れて覇道政治を行ひたるに由るといふべし。
大賢子血子は、二千年前に在りて既に明かに之を喝破したり。曰く、
「王何ぞ必ずしも利を目はん、赤仁義あるのみ参。王は何を以て吾が園を利せん
と曰 ひ、大夫は何を以て吾が家を利せんと目ひ、士庶人は何を以て吾が身を利せ
んと目はば、上下交、利を征して面して國危し英。萬乗の園、共の君を拭する者
は必す千乗の家なり焉。千乗の國、共の君を征する者は必す百乗の家なり。萬に
序説 七
序 説 八
千を取り馬、千に百を取る焉、多からずと貸さず参。荷くも義を後にして面して
利を先にするときは、奪はされば慶かじ。未だ仁にして面して共の親を遺る、者
は有らざるなり。未だ義にして面して共の君を後にする者は存らざるなり。王も
赤仁義を目はんのみ参、何ぞ必ずしも利を目はん」
と、千古不磨の卓言、王道政治の精紳を説き得て明かなり。
子血子を距ること一千八百歳、明代に至りて守仁王陽明先生の出づるありて、聖人の
學を主張し、良知良能の説を唱へて、功利の弊を痛論せり。目く、
「聖人の寧は日に遠く日に晦くして、功利の習は奪、趣り奪く下る。共の間に常
て備老の説に賛惑すると難も、面も備老の説も赤未だ以て共の功利の心に勝つこ
と能はず。又群備に折裏すと離も、面も群個の論も終に赤未だ能く以て共の功利
の見を破る有ること能はず。蓋し今に至りて、功利の毒は人心に論淡して、面し
て習、以て性を成すや幾千年なり参。相殆るに知を以てし、相軌るに勢を以てし、
相争ふに利を以てし、相高ぶるに枝能を以てし、相取るに撃撃を以てす。共の出
でて面して仕ふるや、銭穀を理むる者は、即ち夫の兵制を奪ねんと欲し、濃楽を
典る者は、又鈴軸に興らんと欲し、郡懸に虜すれば即ち藩泉の高きを思ひ、豪諫
に居れば則ち宰執の要を望む。故に共の事を能くせざれば則ち共の官を衆ぬるを
得ず。共の説に通せざれば則ち共の撃を要む可からす。記謡の廣きは適さに以て
共の数を長するなり。知識の多きは適さに以て共の悪を行ふなり。聞見の博きは
適さに 以て共の舞を隷にするなり。辞章の富めるは適さに以て共の偽を 飾るな
り。皇・菱・残・契すらも奪ぬる能はざるの事にして、面も今の初學生は皆共の
説に通じ、共の術を窮はめんと欲す。共の名を稲し競を借るや、未だ曾て吾は以
て共に天下の務を成さんと欲するものなりと目はざるにあらず。然れども、共の
誠心質意の在る所は以貸へらく、是の如くならすんば則ち以て共の私を済して共
の欲を満たすこと無しとなすっ 鳴呼是の若きの積染を以てし、是の若きの心志を
序説 九
だ 說 | O
以てして、 而して文之 に議するに、 是の若さの軍艦を以てす。 官なり、 音が地人
の数を聞いて、 而して Nを祀るに警戒被整を以てし、 即ち其の良知を以て未だ足
らすと続し、 而し て聖人の軍を語って用いる所なしとなす。 亦共の勢の必ず至る
所あるなり。 體能 、 士、 斯世に生れて、 而して 高価 を以て聖人の愛を求めん平。
而し て 同値 を以て聖人の事を論 でん手。 士、 斯世に生れて而して以て撃を捕さん
と後 , 李永寺にして絶ならず 、赤羽織にして 栄し
行、さなる のみ。 幸とする所は、 天理 の人心に在りて終に飛ばす可らざる所有 9
て、 而して良知の明は高中 日なり。 則ら音の故本樂隊の論を聞かば、 必ずや湖
然として歩しみ、 成像として産み、 情欲として起 6、 流体として江河を決するが
如くして細く可 6 るものあらん。 夫の家傑の士の待つ所なくして興る者に非す
んば、 音、 離と異に か 型 文化や
と。 現和思想出鉴の状態、 目に語るが加し。 何を現在我が関の質相に酷似せるや。
ニ、日本 の 現状
功利思想ノ浸潤
碑州本来ノ員面目、皇道政治ニ 還レ
熟、我が國の現状を観るに、功利の思想は上下四方に浸潤して、忠・信・孝・傍の





著人教

仁繊



慈鎖








義しく悲愛情理

は って
空しく、残忍冷酷、上を凌ぎ下を虐げ、濃譲・廉恥の美習は全く鎖霊して騎倣
人を敬せず、分を顧みず、老若男女を問はす己の業を築しみ人の務を霊して精紳的幸
顧を求むることを知らす、只成功に焦慮し利己に没頭して、一家に在りては父子相刺
し、夫婦相争ひ、一郷に在りては隣人互に相闘き貧富互に相闘ひ、甚だしきに至りて
は 天皇の政治機闘たる政府共の者にして國民と権利・利益を争ひ、道徳政治の精紳
を没却し、功を立て利を撃ぐるを以て唯一政治の要諦なりと信するに至れり。上下既
序説 一二
序説 一二
に互に功利を以て相争ふ、民風いかでか険悪ならざらんや。
試みに、かの官吏となる者を観るに、只共の答達の速かならんことを欲して、陸下
の股版たるの重責を忘る、者少からず。かの曾赴に入る者を観るに、只共の俸給の多
からんことを欲して、共の業務の貴きを威せざる者あり。立法・司法・行政の各府よ
り教育・宗教・文學・藝術の各赴曾に至るまで、只利己に終始し、紛々優々として騎
一する所なく、一時の功利を争ふに汲々として、至誠至純・崇高雄大、天地を 一貫せ
る大精碑に至つては容易に之を務見すること能はす。特にかの経済界を観るに、都市
には同盟龍工の頻発するあり、農村には小作争議を絶たす、貧富の懸隔は盆、甚だし
くして、強弱相凌ぎ優勝劣敗、争闘止む時なし。面して共の日常赴曾に現はれ来る事
象を観るに、盗賊・殺傷・詐欺・蹴倫・非行相次ぎ、粗暴過激に非れば則ち卑屈晒劣
なり、浮薄 張薬に非れば則ち残忍酷薄なり。利に殉し欲に拘はれ、倒行逆施して顧み
ざる者、殆んど数ふるに暇あらず。
西洋は固より覇道政治の國なり、功利主義の國なり。科學の進歩、産業の発達に伴
なひて利己の思想念、織烈となるは常然の勢なりといふべし。支那も赤王道政治を以
て理想となすと難も、古来共の質現を見たること少く、共の國民は極端なる利己的性
質を有するが故に、功利の思想発達して、権力・利益の争奪に熱中せること、赤固より
怪しむに足らざるなり。近時、蒋介石の如き、孫文の三民主義を承けて更に之を皇張
し、唱道して聖人の寧を庁け、孔子の廟を設たしめんとせるが如き、赤新奇に姻び権
勢を張らんとする功利の質現に外ならず。幸にして共の事途に行はれす、却って上海
郊外に宏壮なる聖廟の新建せらる、を見たるが如きは、王陽明先生の請はゆる 「幸と
する所、天理の人心に在りて終に混ぶ可らざるもの有る」に由らずんばあらざるなり。
濁り怪しむ、我が日本が古来皇道政治の徳澤に潤ひ、仁愛・濃譲の美風を有する國
民にして、面も不仁不義・強懲非道、利己心の織烈なること、却って遥かに西洋と支
那とを凌ぐものあるが如きは何の故ぞや。
子 一三

序説 一四
惟ふに、明治の維新は西洋の交通と、國内の鍵革と相侯ち、上下酒々相率みて 一切
の奮物を破壊し、一切の新物を歓迎したり。科學の研究に熱中したる結果は、物質を偏
重し、精紳を軽祀したり。法律の制定に没頭したる結果は、権利を信仰して義務を忘
却したり。君民争奪の政治機構を模倣して政治の紛争を助長したり。下は小學より上
は大學に至るまで、一切の教育は知識の研鎖に専らにして、道徳と人格とを閉却した
り。之が貸に奮道徳は途に共の権威を失ひ、固有の良風美俗は潮次に破壊せられ、面
も新なる生活軌範の之に代はるものなく、赴曾は遂に迷惑混蹴・不規律・無節制の観
を呈するに至れり。加ふるに、産業の革命、経済組織の鍵更は生存競争・優勝劣敗を
激甚にし、勢の赴く虜、物質を奪崇して利己的観念を織烈ならしめ、西洋の権利萬能
思想と相侯つて忠孝を軽祀し、貞操を蔑如し、義理・人情を以て保守未開となし、争
闘・凌虐・騎漫・横暴、敢て私情私懲を怒まにして樺らざるに至れるなり。
凡そ比の如く悲しむべき現象の起る所以のものは、人々みな功利の念に騙られて天
は質に皇道政治の精紳を忘却し、覇道政治に没頭したるに由らずんばあらざるなり、
の指導その宜しきを得ざりしに由らずんばあらざるなり。面して共の刷患の根本原因
國り針野と情
以来
ふ維新






朝鍵



方難

教育
誤共に



、 。 ふ を
なり
所以 濁正いりす 良
な心










動もの





中。

失 固賦のしり有 人
な人



自然
霊妙
する



ま。



こ善
、 誤る

判断








なり
ざる



生成



の ら の

一 譲非



















なり
ざる己 は

ら ざる









なり









義 愛 貸



ら 理る




せる














な 性






國治






主義
物質



思想


所以
せる


は 民




の 良微道れ制心







抑とき

こ徳性

世す




衰道義

する


一五
序説 一六
道徳を閉却して功利に専念したるに由らずんばあらざるなり、権利を奪んで義務を軽
んじたるに由らずんばあらざるなり。抑、政治は一園治働盛衰の繋る所、併せて民風
隆替の岐る\所なり。共の本既に蹴れて、如何でか共の末を正すことを得ん。共の源
既に濁りて、如何んぞ共の流れを清むることを得ん。今にして翻然豊醒するに非ずん
ば、東方君子園の名を辱しむるのみならず、園家の前途赤基に寒心に堪へざるものあ
らん。
抑、王道政治なるものは、君主自ら共の天賦の明徳を明かにすると同時に、個々の
國民全鶴をして共の明徳を明かならしめんとするものにして、道徳の充質と発展とを
以て共の精紳となし、旦、共の目的となすものなり。故に王道政治に在りては、一切
の立法、一切の司法、一切の行政は初論、経済・教育・文學・藝術を初とし、人事の一
切を撃げて、之を道徳化せんとするものなり。赴曾・國家の全鶴を通じて仁義を以て
一貫せんとするものなり、國民の全鶴をして各共の生に安 んじて共の徳を全うせし
め、以て精碑的快楽を亭有せしめんとするものなり。
我が日本の皇道政治は、萬世一系の 天皇が現人碑として、天地生成の理と同一な
る皇道を行はせ給ふものにして、支那の五千年来、理想として湯仰し来れる道徳政治
を質現するものなり。面して立法・司法・行政等、政府の諸機闘、並に官吏・公吏。
議員はすべて 天皇の股版として 天皇の政治を奉行するものなれば、造次に*、順
流にも 天皇の廣大無漫・深遠無窮なる碑徳の大御心を以て心となし、臣民☆赤比の
大御心を以て心となし、上下一鶴・四海韓睦・和気班々、精紳澄刺たる宇内無比の紳
州君子國を質現するに至れるなり。
然るに、今や西洋の文物・制度の輸入と共に、功利思想は道徳・政治・経済・教
育・文學・藝術の各方面に亘りて深く侵触し、利己排他・闘争紛蹴・不規律・無節制
の極、遂に暴力を以て國鶴を鍵革せんとする共産窯の出現をさへ見るに至れるは、定
に概魔の至りに勝へざるなり。 子をして今日の我が賞状を観察せしめなば、それ
序 説 一七
接心










する








に し は






理 恩永



主義




西





ぼく








福 怨





想 教質

學校
全國
を以て







政治




6

こと科



る 中擁し神道對部る立 は


反湖州

王支那

精し
建國
なを以て






、 東するにれす想洋


構加
増精神







特至する

値り

注目

、 º
さる






べし 歩面目
%



天漫





開ぶ
神を


真社
の る州明理く 細
還本來


こと 無する


有・



なる
無窮










西洋

、 邊 不




に 助備




した

<


高低
みな












盡 長



し 例

に蘭洋道さし
な李









西唱て

あり
もの
米する
3





教 支途





















し 那













るや、 王儲の の如く、 決して永(*のに非* = 後從して反応の書
性を自覺せば、 明鏡を排球やるが如く、 湖水を構成すが如く、 雲峰の消散して天日を
略称すると同じ さものあらん。 要は共の本を好むろ に在るなり、 共の自然に 反るに在
るなり。 これ子の後學能本を頼みず、 進みて本書を著せる所以なり。
前 篇 王道 を覇道
第 一 章 王道の意義及び起原
王道政治ハ天賦ノ道徳ノ発展チリ
皇道政治ハ日本ニノミ質現ス
第 王道 の 意義
王道とは國王たるべき者の行ふべき道をいひ、王道政治とは東洋政治の理想たる道
徳至上主義の政治をいふ。
換言すれば、王道とは、天地生成の理に基づき、君主が自ら天賦の徳を修むると同
時に、之を擁充し、國民個々の道徳を擁充して共の人格を完成し、生活を豊耐にし、
以て個人の顧赴と赴曾の康寧韓睦及び生成務展を期するの道を請ふなり。則ち道徳に
基づき、道徳に擁りて道徳の発展を圓り、道徳に始終するが故に、約言すれば道徳政
第 一章 王道の意義及び起原 二三
前 篇 王政 と 覇道 二四
治なり、道徳その物なり。『説文』 に王の字義を説いて、「一の三を貫くを王となす」
とあり。漢の董仲釘は之を解して 「三書は天地人なり、天地と人との間に取りて以て
貫き、之に参通するものを王となす」 とい へり。則ち天地と共に共の徳化を行ふの意
なり。これ則ち王の意義にして、面して赤王道の根本義なり。
一、王道は道徳を以て本となす。道徳の本鶴たる仁義の本性は人の天より賦興せら
れたる所にして、宇宙生成の大精紳と同一鶴なり。故に、君主自身が自己の固有
の道徳を明かにし、之を高むるは王道の第一義なり。
二、君主が自己の道徳を明かにして之を高むると同時に、共の仁徳を國民に及ば
し、営に自己の徳を以て人民を威化するのみならず、政治を以て國民を指導し、
奨励し、統率し、撫育して、共の道徳の向上、人格の完成、赴倉の安寧及び顧赴
の増進に努むるは王道政治なり。
三、以上の結果として、國民は各自に共の徳性を擁充し発展して、相愛し相和し、
駐曾は康宣 韓睦、生成発展するに至る。
王道は上述の如く、君主が自己の道徳を擁充し発展して、一切の人民をして共の道
徳を向上せしむるに在るが故に、政治・経済・寧問・教育・文學・技藝ょり朝野の儀
濃・冠婚・葬祭・交遊・議築の 日常生活に至るまで、共の鶴様形式の如何に 拘はら
ず、道徳振興の精神を以て一貫するを要す。特に教育に在りては人倫を明かにし、人
格を完成するを以て根本義 となすべく、政治に右仕りては一法 一令悪く道徳を以て基準







なな
仁義
み し

紳を以て貫徹するは初論、政局に常る官吏・公吏・職
員・議員たる者は立法・司法・行政その何れの機関に在るを問はず、常に君主の徳治
接 に
を暴賛して国民の道徳を高むるを以て第一義となさざる可らず。就中、直接人民に接
鋼するものは、造次にも類浦にも、仁愛と正義の精紳を忘る、ことなかるべく、決
功ゲ
愛 が






をら
術数利







如きことあるべか













仁の
政治
なり



も 義

道 思





第 一章 王道の意義及び起原 二五
前 篇 王道 と 覇道 二六
王道政治は至純至誠なる人の本性に本づくものなれども、人の本性は常に威情の貸
に動かされ易く、従って政治の局に常る者も、赤常に威情の貸に動かされ
に傾き易し。是に於て平、覇道政治を生ずるなり。
覇道政治は、後に説くが如く、功利を主として道徳を第二義となし、物質に偏して
精紳思想を軽んず。故に、たとへ園富み兵強く、事功撃がると難も、共の結果は道徳
衰微じて人欲の旺盛を招致し、争奪紛援相次いて起り、遂に赴曾の混蹴を見るに至
る。これ共の王道政治に及ばる所以なり。
第 ニ 王道 の 起 原
王道なるものは支那の理想政治にして、遠く葉・疑の時代に起源し、共の後、孔・
子血二子に依りて闘明せられ、後世王者政治の軌範となれるものなり。従って王道の文
字並に共の内容は、薬・愛 以後、聖君賢相の事填を記述せる 『書経』 を初とし、『易
経』『詩経』 『濃記』 『春秋』 より 『論語』 『子血子』 『中庸』『大學』 共の他各種の経典
並に史書に掲載せられたり。今、左に共の要獣を摘記せんとす。
支那最古の政治書たる 『書経』 の洪範に目く、
「偏なく破なく、王の義に違へ。好みを作すこと有るなく、王の道に違へ。悪を作
すこと有るなく、王の路に違へ。偏なく窯なく、王道薄薄たり。窯なく偏なく、
王道平平たり。反なく側なく、王道正直なり。共の有極に曾して、共の有極に騎
す (中道ニ騎着スルチリ」
と。 又曰く、
に手いて共れ訓とす。凡そ厩の庶民、極の敷言を是れ訓とし、是れ行はば以て天
子の光に近づかん。目く天子は民の父母となり、以て天下の王となる」
と。これ王道なる文字の起源なり。
-
第 一章 王道の意義及び起原 二七
前 篇 王道 と 朝 道 - 二八
豊・舞二聖が帝位に在りて王道を質行したることは、『薬典』『疑典』 に載するが如
く、天下克く治まり、國民は撃壌鼓腹して太平を楽しみ、後世幾千年に亘りて政治の
理想とし、模範とせらる、に至れり。 降って周の代に至りて徳化四方に治く、文物爆
然として王道政治の質現を見たれども、周末春秋時代に至りて、天下大いに蹴れ、王
道は全く魔類したり。比の時に常りて、大聖孔子の出づるあり、共の位を得て共の道
を行ふこと能はざりしと難も、共の徳を以て天地の化育に賛し、共の言を以て霊 ・疑
を祀述し王道を園明して、道徳政治の原則を萬世に標示したり。孔子の著述制叙に係
る『詩経』『書経』『易経』『春秋』の諸経、及び共の言行を記録せる『論語』は、天
理の灌奥を窮め、人倫の至極を明かにすると共に、政治の要諦を審かにし、大義名分
を正しうして軌範を後世に垂れ、人心を永久に威化したり。後世、王道を行はんと欲
する者は、悪く範を孔子に取らざる者なし。孔子の道は則ち王道なりというて可なり。
『楽記』 に曰く、
。民心を し、築*て民盤を和し、政もて之を行s、刑もて之を防ぐ。濃・
楽・刑・政四達して停らす、則ち王道備はる参」
と。
**で**子の出っるあり。孔子を顕彰し、仁義を高唱して、極力功利本位の政
シし、以て王・新の別を明かにしたり。常時、諸侯各地に割擁して権勢を争
、シ治のシし、復た王道を顧みる者なし。五子も赤志を得て共の
*を行ふこと能はす、退いて『五子』七篇を作り、仁義を高唱し、王道を間明したり。
『子血子』 梁恵王章句上に目く、
『 の時を述へされば、殺は勝げて食ふ可らざるなり。数居、浄池に入されば、魚
シげて食ふ可らざるなり。斧庁時を以て山林に入れば、材木勝げて用ふ可らざ
る。衆と魚艦と勝げて食ふ可らす、材木勝げて用ふ可らすんば、足れ民をし
『シひ死に襲して悩みなからしむものなり。生を発ひ死に襲して機みなから
第 一章 王道の意義及び起原 二九

前 篇 王道 と 劉道三
しむるは王道の始なり。五敵の宅、之に樹ふるに桑を以てせば、五十の者、以て
畠を衣るべし。鶏豚狗競の畜ひ共の時を失ふことなくんば、七十の者、以て肉を
食ふべし。百畝の田、共の時を奪ふなくんば、数日の家、以て鶴ふることなかる
べし。序序の教を謹み、之に申ぬるに孝様の義を以てせば、 願白の者、道路に負
載せず。七十の者、出を衣、肉を食ひ、黎民健えず変からず。然 面して王*
ざる者は未だ之れ有らざるなり」
と。以て王道の意義を見るべし。
業は戦闘を して事ら法律政治を行s、信者をシし、シし、シー
て滅亡せり。
漢は王道を奪び、之に交ふるに覇術を以てせり。董仲寄の『封策』 に目く、
「人君なる者は、心を正して以て朝廷を正し、朝廷を正して以て百官を正し、百官
を正して以て萬民を正し、萬民を正して以て四方を正す。遠近、正に一ならざる
ことなくして、邪気の共の間を好するなし。是を以て陰陽調ひ、風雨時あり、群
生和し、萬民殖す。諸顧の物、之を致すべく、群、軍く至らざることなくして、
--
王道終はる矢」
とあり。漢家四百年の基は、質に秦の法律政治を排庁して、王道の質現に努めたるに
ょるといふべし。漢の末、天下久しく蹴れて復た王道の質現を見ることなし。
唐の太宗に至り、兵蹴を鎮定して、大いに王道の質現に努力したり。『貞観政要』
に回く、
「貞観七年、太宗、秘書監魏徴と、従容として、古よりの理政(理想政治)の得失を論
ず。因って目く、「常今大蹴の後なり。造次にして理を致す 可らず」 と。鍵徴
曰く、「然らす。凡そ人、危困に在れば則ち死亡を憂ふ。死亡を憂ふれば則ち
理を思ふ。理を思へば則ち教へ易し。然らば 則ち蹴後の教へ易きは、獅飢人の
食ませ易き如し」 と。太宗目く、「善人國を治むること百年にして、然る後に、
第 一章 王道の意義及び起原 三一
前 篇 王道 と 覇道 三二
残に勝ち殺を去る(論語の語)なり。大蹴の後に理を致すことを求めんとするも、安
んぞ造次にして望む可けんや」 と。徴目く、「比れ常人に擁るものにして聖哲に
在らず。もし聖哲にして化を施し、上下心を同じうせば、人の鷹すること響の如
く、疾くせずして面も速かに、恭月にして可なり、眞に難しと貸さず。三年にし
て功を成す。獅共れを晩しと請ふ」 と。太宗以て然りと貸す。封徳競 目く、「三
代以後は、人潮く濃季なり。故に秦は法律に任じ、漢は新道を ふ、皆理を欲し
て面して能はず。豊に理を能くして面も欲 せざるものなんや。若し鍵徴の説く
所を信せば、恐らくは國家を敗亡せん」と。徴目く、「五帝・三王、人を易へず
して面して理なり。帝道を行へば則ち帝たり、王道を行へば則ち王たり。常時之
を理化する所に在るのみ。之を載籍に考ふるに。得て面して知るべし。昔、黄帝
単光と七十除戦す、共の蹴るること甚だし。既に克つの後、便ち太平を致す。九
黎、徳を蹴る。順項、之を征す。既に克つの後、共の理を失はず 中略)。もし人、
福 <常能にして絶縁に及ばす と言はば今 に至りて確さ に 悪く 思想 となるべし。 安
んを抜かれて教化すべけんや」 と。德華等以て之を離することなし。 然 と 成
な以て不可と母子。 太宗無 に力行して修改す、 數年の間にして海內東寧、 突厥破
とあり。
唐の王道政治の思想は、 共の制度 ・ 文物 と共に我が関に輸入やられて大化 の事新 と
なり、 師學の興隆となりて、 支那の王道なるものは我が皇道に脱化して成が頭に共の
神明を見るに 至れ,9°
之と要すか に、 王道政治は、 支那古来の理想政治にし て、 二十四湖を通じてク を以
て 攻治の師範と残せ 6。 宋に至りて、 德學業出し、 陈树る修に赴きなす。 衛後
元 ・ 明 ・清、 諸朝の非王永眠術を以て天下を 治めんと彼しなる 者かかわず。 偶者
は即ち化子の従にして、 儒派は即ら北子の側明る王道政治の意に外ならざるなす。
第 1 和 H道 の意義及び 起始 三
前 ㎞ H ॥ w 別 通 三四
然れと%、 支那の関情 ・民風は、 王道政治を管理するに使ならず、 陽性器會、 戰亂相
機さて、 成は新道を以て極力を競い、 或は暴政を行いて人民を選び、 王道政治は全く
張の形を投しなること少からず、 時々成は野・明王の出るあり、 四海を続 して
仁政を行^ ~~ある %、 久しからずして私鉄を志にし、 修正を施し、 横方を離開して
郡政を行い、 途に天下の大亂を発す者、 比タ みな変らざるはなし。 果實 ,るに、 王道
政治は、 支那人之を唱 《 て共の政治の理想となしたれとも、 支那に於ては共の貨現を
見る こと空難にして、 獨り飛が日本の ︽皇に由,9てのみ始めて仮説 を見るに至れ
20?
第 二章 < yJ 人
天命之 7性トイフ
太接 2 其理
太歲 )國解
王道に天の人に載する所の加德を明かにする。 のなす。 然 性則 天上は側 で*
文天と人との関係和何。
天とに、 古朱、 支那國民の間に共通 る の理想にして、 天命なる のは、 義 。
以東、 北·孟家の 敵に開通する所なす。
上古に於ける歌大の思想は、 天の際性なくして日月星辰羅列の現象を望み、 マを張
欧したるに始めるものの加し。 然 と。他本の調はゆる天なる。のは、 市 の天*
と 大 三五
第 11 ㎏ %
前 策 H - 新进 三大
**のた非す、 文宗教家の調はゆる遊人の神を指すにも非子、 天地离物の根本から
然の社長、 及び Nを押する神秘的の郡、 若しくはカを捕 , のた。 後輪上に作り
ィ は、 正しさ人心の艦橋 ,る所を以て天意の現はれたるものと母 ,ものの知し
* S㏊ r ㎏ 大、 金を討す」 とあり 文 天の書
は、 張氏の書に 、 天の加茂の霊に日 - ㎞に な
H 文《天城を踏み、 亞人文く伸縮めす」 といい、 成有 德には 天の敗が有商に反し
** *、重大の 機を除けなるのみ」とい が、森には 女の後、 天に繋
-雞はず、 義を下風に流す。 天方ら成親を作り、 命じて来の命を降し難しい」 と
あ。 後世、 梁の君主 、 赤みな天命に順 を以て離約と廊 ,に至江2
孔子は、 「天の未だ斯文を亡はさざる、 福建、 共在于とな価さん」 とい が、 金子に
は 「天、 アを興。 さは、 諸々然としてクを命するか。 目《香、 天は言はず、 行と平と
* ** * * *のの養 Ng㏊
る に 足るべし。
降りて来の時代に至るや、 銅頭 の軍旗 る進步し、 太極の 説を 唱 《 、 大なる もの は宇
市の根本與理 なり とし、 天と人との関係を説く こと、 頼る精細なるを殺せり。
朱德の説によれば、 宇宙の根本原理を以て太極と名づく。 太極なるもの は、 事堂、
無極にし て、 武家及び動輪を超越しなる最理なり。 而して共の中自ら動輪の理 を 具備
す。 故に、 敵然不動は太極の陰の論 にして、 感じて送に通するは太極 の物の 動なり 。
故に、 體用 一派 ・親被無間なり。 而して、 陰陽五に動いて武物を生じ、 生 女 院 改 6な
し。 彼 に、 太極の理は、 高約に普通し、 人は共 の中正 を 得なる2のなり。 朱子目く、
太極は兵是九 天地武物の理なり。 天地に在すて 公 《は、 天地の中に太極あり」 劉
とº 族に、 太極は宇宙に於ける根本的其理なると同時に、 人性に放 ける 根本的兵師 な
6。 人の性の未だ事物に接せずして沈没無從なるは、 即ら太極なす。 事物に接し成通
し て前總 ・準器 ・ 雑誌 ・非となるは統中の動なり。 論中に動あり、 動中に輸め^、
第 二 章 < - 人 三七
前 篇 王道 と 覇道 三八
一動一静す。人心の原理は獅宇宙の原理の如きなり。
朱子又目く、「上天の載は、無盤無臭にして、質に造化の梶紐、品彙の根底なり」
と。
『三角堂全集』 に目く、「夫れ太極は萬理の継合なり。天に在りては命と貸し、人に
智と貸す。共の篠ありて案れざるを以てすれば、之を道といふ (中略 。共の至極にし
て加ふるなきを以てすれば、之を太極といふ」 云々と。『中庸』 に 「天命之を性とい
ふ。性に違ふ、之を道といふ」 とい へるも、赤同一理なり。
『近思録』 に曰く、
「渡漢先生曰く、無極にして太極なり。太極動いて陽を生ず、陽極まつて面して
静なり。静にして面して陰を生む、静極まって復た動く。一動一静、互に共の根
と貸り、陰に分れ陽に分れて雨儀立つ。陽鍵じ陰合して水・火・木・金・土を生
ず。五気頃布し、四時行はる。五行は一陰陽なり、陰陽は一太極なり。太極は本
と無極なり。五行の生ずるや、各共の性を一にす。無極の眞、二五C五行五気)の精
妙、合して面して疑る。乾道は男を成し、押道は女を成す。二気交威して萬物を
化成す。萬物生成して鍵化窮まりなし。惟だ人や、共の秀を得て最も霊なり」(朱
子目く、形は陰に生じ、碑は陽に発す。五性威動して善悪分れ萬事出づ)」
と。朱子又目く、
「二気五行、交威萬鍵す。故に人物の生ずる精粗の不同あり。一気よりして言へ
ば、則ち人物みな是の気を受けて生ず。精粗よりして言へば、則ち人は共の気の
正、旦通なるものを得て、物は共の気の偏、旦塞なる者を得たり。惟だ人は共の
正を得たるが故に、足の理、通じて塞がる所なし。物は共の偏を得たるが故に、
理塞がつて知る所なし」
と。乃ち知る、天理の幽玄碑秘、微妙深遠なることを。乃ち知る、古来天を長敬す
第 二章 天 と 人 三九
前 篇 王道 と 覇道 四○
るの偶然に非ることを。
周濠渓の太極の園は左の如 し。
陰・静

成 化物 萬
○@
陽・動
太極 五行・五気

更に圓を以て人の性と情との闘係を示せば左の如し。
徳性 善)ー 簿
人性 ー四徳 「七情 ㎞
欲情(善・悪)ー 欲
比の如く説明し来れば、即ち人の人たる所以の理を知るべく、王道の根擁たる天賦
の明徳を具ふる人の本性も赤之を知り得べきなり。
近時、科學の進歩は電子を以て萬物の根原と貸し、陰陽の作用に依りて萬物を形成
すとの説を立っるに至れり。これ周渡渓の請はゆる太極の説と酷似せる☆のといふべ
し。
と 人 四一
第二 章 天
第 三 章 王道ミ明徳さ性さ心
王道 ハ明徳ヲ明カニ スルモノ チリ
明徳ハ人ノ本心チリ、天性チリ
王道の本義は、人の天賦の明徳を明かにするに在り。明徳とは、孔子の請はゆる仁
の本鶴にして、人の本心なり、監子の請はゆる良心なり、人の固有の本性なり。『大
寧』 に請はゆる大學の道は明徳を明にするに在りといへるもの即ち是なり。今、弦に
先儒の説を撃げて、明徳の本質を説明せんとす。
朱子の『大學』 章句に目く、「明徳なるものは、人の天より得る所にして、虚霊不
味、衆理を具備して以て萬事に應ずるものなり」と。
王陽明目く、「明徳は是れ比の心なり、即ち是れ仁なり」と。
玉渓慮目く、「明徳は只是れ本心なり」と。
孫仲語目く、「明徳は性なり、性の心中に在るを請ふ」 と。
張横張 目く、「心は性と情とを統ぶるものなり」 と。
桜するに、人の性の本鶴は、固より沖漢無股にして、仁・義・濃・智の衆理を奪ね、
寂然不動なり。面して、事物に接鋼して務現する、之を情といふ。『濃記』 に請はゆ
る喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲、是なり。子血子の請はゆる側隠・差悪・鮮譲・是非
*、赤なり。四者は人の心中に具有する所にして天賦なり。側隠の情は人の本性た
る仁の発露情なり。差悪の情は義の本性の務露なり。鮮謙の情は濃の本性の発露な
り。是非の情は智の本性の発露なり。分ちて仁・義・濃・智と説くと難も、共の
仁に在り。仁は他の三徳を一貫包括するものなり。要するに、仁は人性の本鶴にし
て、天地生成の理と同一鶴を貸すものなり。王陽明が 「明徳は只是れ比の心な
即ち是れ仁なり」 といへるものは、質に簡にして要を得たりといふべし。
朱子も赤曰く、
第 三 章 王道と明徳と性と心 -
四三
-
前锋 H ॥ u 羯 道 - 四四
天地の道兩次 小されば以て立つ こと艦はす。 故に端麗ム にノ酸ナ 海峰/3
*《南 、貴 金剛 》、生物 學) に四 小學, 之を立つ る もの
は陽のみ。 仁大義 と野立して開を残すと離 % 然º作 は貨に四者の中を貫通す
香し無言すれば 1 平なり、 李善すれば 四者を包5 故に伝は伝の本體なり、 議は
その他文なん、 義は伝の新制なり、 智はにの分別た 。 御書 ・ 夏 ・ 秋 ・各同じか
らず と離3 同じく家より出? るが知し。 四よりして明とな- 兩よりして 一 と
*。 之を減るに宗あり、 Nを命するに元あり 後に 、 五行は 一條場な
^、 陰陽は 1 太極なりと。 是从 天地の理、 周より除るなり」 來子交集客服器會 º
1とº
' 家 を以て心の徳の全體となすものた6 %、
* ~** ****の、 Nを命と廊 。人の物と共にそぐ~ 2.
S° 1 に主なるもの、 Nた心とい 天よん ねて加して光明正大なるもの
*を加德 い 。 即 是什性ならず、 文心たり 」 と

と 萬る













もの









なり事
情 属る


























ものし 應るり
な萬事




すは







なり
もの 。 を以て




の な見
























すれ
-
り なり




上し











もの
なる




する





て 述




有 明りべ情徳





性呉



な統は



一心
たる









。 する













ざ黄











なり
もの 明り明徳




よ朱子






光は








あ得





朱徳子
明『







便















使

王徳道


明第




ざい



なり
へ る 、
といふひ 化

いを


又 共徳に 親

しみ
に し民









なり














比 た




王道



すいふ庸りる
中在溶
と『













同するに




要義




道徳




なり
ざる一


なる






もの








なり
第四章 性善説
性善ノ説
性ト情トノ闘係
善ト悪トノ闘係
子血子ノ性善説
程子・朱子・王氏ノ性善説
王道は、天賦の明徳を明かにするを以て本義と貸す。明徳は人の本性に具備する所
なり。然らば則ち人の本性なるものは果して如何。
人の性は善なり。王道は人の性に違ふものなるが故に、善を長ずるの道なり。
抑、人の本性は、虚霊不味・至誠至純にして偽なきものなり。面して自然に仁・義・
濃・智の衆徳を具備すること、前章に述べたる所の如し。これ人性は本来善なりと調
、ふ所以なり。性の 一旦外物に接して 面して動くや、乃ち情を生す。情は職☆すれば
第四 章 性 善 説 四七
四八
前 篇 王道 と 朝 道 -
悪を貸すに至るなり。性とは心の静なるものを請ふなり。情とは心の動くときを請
なり。古来の學者は情を匿別して喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の七となせり。性☆情
も共に天の賦する所にして、固より悪には非ざるなり。然れども、情は外物に接して
動く所なり。故に動いて中正を失すれば、則ち人の本性に反して面して悪を貸すに至
るなり。これ性の本鶴には非ざるなり、共の作用の誤れるなり。威情の本性を蹴る
は、拾も浮雲の明月を厳ふが如く、又泥土の清水を濁すが如し。
『中庸』 に目く、「喜・怒・哀・楽の未だ務せざるや、之を中と請ふ。務して面して
節に中る、之を和といふ。中なるものは天下の大本なり、和なるものは天下の達道
なり。中和を致して、天地位し、萬物育す」 と。人の性は善なり、情☆赤悪には非ざ
るなり。然れども、発して面して節に中らざれば則ち不中なり、不和なり、天地自然
の眞理に反するなり、人の本性に反するなり、則ち之を悪と請ふなり。
『近思録』 に目く、「問ふ、心に善悪ありや否や。程子曰く、天に在りては命と貸
し、物に在りては理と貸し、人に在りては性と貸し、身を主とすれば心と貸す、共の
質は一なり。心は本と善なるも、思慮に務したるときは、則ち之を情といふべし、之
を心といふ可らず。警へば水の如し、流れて派となるに至りては、或は東に行き、或
は西に行く、却って之を流といふなり」 と。以て性と情と善と悪との闘係を知るに足
るべし。
性善の説、良心の説を首唱せる者は子血子なり。共の聖教に大功あること、先儒の等
しく讃嘆する所なりとす。
子血子曰く、
「人みな人に忍びざるの心ありと請ふ所以は、今、人、午ち濡子の将さに井に入
らんとするを見れば、みな械楊側隠の心あり。交を濡子の父母に内る、所以に非
ざるなり、興 を郷窯朋友に要むる所以 る て然る
には非ざるなり。是に由りて之を観れば、側隠の心なきは人に非ざるなり、差悪
第四章 性 善 説 四九
前 篇 王道 と 覇道 五○
の心なきは人に非ざるなり、鮮譲の心なきは人に非ざるなり、是非の心なきは人
に非ざるなり。側隠の心は仁の端なり、差悪の心は義の端なり、鮮譲の心は濃の
端なり、是非の心は智の端なり。人の是の四端あるは、獅共の四鶴あるが如き
なり(中略)。仁・義・濃・智は外より我を鎌するに非ざるなり、我、固より之を
有するなり、思はざるのみ」
と。又曰く、
「人の寧ばすして能くする所のものは、共れ良能なり。慮らずして知る所のもの
は、共れ良知なり。該提の童も共の親を愛することを知らざるものなし。共の長
ずるに 及んでや、共の兄を敬することを知らざるものなし。親を親しむは仁な
り、長を敬するは義なり、他なし、之を天下に達するのみ」
と。又曰く、
「人に存する者と難も、豊に仁義の心なからんや。共の良心を放っ所以のもの、
孟し




更に



て 子
護 孟り

















あり
不善子
なり



く らべさ善し むべ






不ん


なり
残むる
むを








さや むりし

在過


















し べ ば
ら ざれ










なし
有る
こと







稱 る ぎる

り 人らりくさ水る性 なさ

游書

下や
就の



なが





有る
こと 孟と


















に さ に

西

下 すく


西
















分 れ 、






西 骨方しれく橋子
艦「



如目

東水

すなり

流に



西ば

諸 ける





游客









五 生性















なり
1

を以て





،
前 篇 王道 と 覇道 五二
義を貸すは、獅相柳を以て構柄を貸すが如し。子血子曰く、子、よく相柳の性に順
つて面して、柄構を貸す平、将た相柳を状賊して面して後以て栖構を貸す平。も
し将さに相柳を栽賊して面して以て柄構を貸すとせば、則ち赤将さに人を栽賊し
て以て仁義を貸さんとする平。天下の人を率みて面して仁義に顧する者は、必ず
子の言か」
と。告子に次いで荷子は、性善説に反封して性悪説を主唱し、共の徒、商鞍・李斯の
輩は、秦に相として性悪説に基づき、法律至上主義の弾歴政治を質行し、天下の大蹴
を致したり。子血子が性善を論じ、良心を説き、異端邪説を排庁して人心を正しうする
ことに努めたるは誠に故ありといふべし。
性善説は、宋の代に至りて更に詳密を加へたり。
程子目く、「天地精を備ぶ、五行の秀を得るものを人と貸す。基にして静なるは、
共の未だ務せざるなり。五性具はり、形鶴現ず。外物その形に編れて中に動く、共の
中動いて七情出づ」 と。
又目く、「天下の善は悪く天理なり。之を悪といふものも、本と悪に非ず。但だ或
は過ぎ、或は及ばざるより便ち比の如し」 と。
『近思録』 に目く、「繋鮮に目く、一陰一陽之を道といふ、之を継ぐものは善なり」
と。蓋し天道流行して萬物を務育す。賦受の間、運然たる一理、純粋至善なり、所請性
善なるものなり。之を継ぐといふものは、獅水の流れて下きに就くが如し、共の清濁
遠近の同じからざるあり。獅(人の)気高 に香・明・純・験・浅・深あるが如きなり。
水は固より清し、流れて濁るに及んでも、之を水に非ずと請ふべからす。獅性は本と
善なりと難も、気に局せられて悪なるに及んで、之を性に非ずと請ふ可らず」と。
朱子目く、「人物未だ生れざる時は、只之を理といふべし、未だ性と名っく可ら
ず。所請天に在っては命と目ふといふものなり。継かに性を説く時は、便ち是れ人生
以後にして、比の理は己に随って形気の中に在り、全く是れ性の本鶴ならず、所請
第四章 性 善 説 五三
前 篇 王道 と 覇道 五四
に在つては性と目ふといふものなり」 と。
朱子又目く、「天地の物を生する所以は理なり、共の物を生ずるは気と質となり、
人物は比の気質を得て以て形を成す。面して共の理の是に在るもの之を性と目ふ。然
れども、気質には、偏あり、正あり、純・験・音・明・厚・薄管しからす。故に性の
是に在る者、共の品たるや、赤一ならす。所請気質の性とは之をいふなり」と。
又目く、「性は是れ未だ動かざるなり、情は是れ己に動くなり。心は己動と未動と
を包み得たり。恭し心の未だ動かざるを性と貸す、己に動くを情となす。所請心は性
情を統ぶるものなり」 と。
又目く、「性は仁・義・濃・智・信、是れなり。情は四端(側隠・産悪・解譲・是非 、七
情(喜・怒・哀・築・愛・悪・欲) 是なり」と。
又目く、「性は不善なし、心の務する所を情と貸す、或は不善あり。不善は是れ心
に非すと説く☆赤得ず、却って是れ心の本鶴は本と不善なし、共の流れて不善を貸す
ものは情の物に遷つて然るなり。性は是れ理の継名にして、仁・義・濃・智はみな性
中の 一理の名なり。側隠・差悪・鮮譲・是非は是れ情の発する所の名なり。比れ情の
性より出でて面して善なるものなり、共の端の発する所、甚だ微なり、みな比の心よ
り出づ。故に目く、心は性情を統ぶるものなり」 と。
王陽明目く、「夫れ心の鶴は性なり、性の原は天なり」(博習録)。
又目く、「性は一なり、仁・義・ ・智は性なり」とシ
又目く、「至善は性なり、性はもとより一豪の悪なし、故に至善といふなり」 C同上)
と。
又目く、「至善は心の本鶴なり、心の本鶴なんぞ不善あらんや 中略 。心の務動は不
善なきこと能はず。故に須らく比虜に就いて力を著くるを要す。便ち是れ意を誠にす
るに在り」(同上) と。
又目く、「質に清濁あり、情に過不足あり、面して厳ふこと深浅あるなり」
第四章 性 善 説 五五
前 篇 王道 と 覇道 五六
と(同上)。
以て性善説の梗概を見るべし。
性善説に封して性悪説あり。商線・韓非等の法律政治説は足に基づく。後章に述ぶ
べし。
第五章 性 悪 説
菊子ノ性悪説
商鞍・韓非ノ性悪説ト弾歴政治
子血子の性善説に封して、性悪説を高唱せるものを荷子となす。
菊子は共の著書中に性悪の 一篇を設けて、人性の悪なるを詳論し、以て子血子に反封
したり。
『荷子』 性悪篇に曰く、
「人の性は悪なり、共の善なる者は偽なり。今、人の性や、生れながらにして利
を好む有り焉。是に順ふが故に、争奪生じて面して鮮譲亡ぶ焉。生れながらにし
て面して疾悪有り焉。是に順ふが故に、残賊生じて面して忠信亡ぶ焉。生れなが
らにして耳目の欲あり、盤色を好む有り焉。是に順ふが故に、浮蹴生じて面して
第 五 章 性悪 説 五七
前 篇 王道 と 覇道 五八
濃義文理亡ぶ焉。然らば則ち人の性に従ひ人の情に順へば、必す争奪に出でて犯
分蹴理に合し、面して暴に騎す。故に必ず将さに師法の化、濃義の道有りて、然
る後、鮮譲に出で文理に合し、面して治に騎す。比を用て之を観るに、然らば則ち
人の性の悪なるや明なり英、共の善なる者は偽なり。故に拘木は必ず将さに隠葉括
丞橋を待ちて然る後ち直に、鈍金は必す将さに襲働を待ちて然る後利なり。今、
人の性は悪なり、必ず将さに師法を待ちて然る後ち正に、濃義を得て然る後治ま
る。今、人、師法なければ則ち偏険にして面して正ならず、濃義なければ則ち特
蹴にして面して治まらず。古者聖人、人の性は悪なるを以て、以貸へらく偏険に
して面して正ならず、特蹴にして面して治まらす、と。是を以て是が貸に濃儀を
起し、法度を制し、以て人の情性を籍飾して面して之を正しくし、以て人の情性
を援化して面して之を道びくなり、皆をして治に出で道に合せしむるものなり」
と。則ち荷子は人の性情を以て 悪なりと断定し、隠括を以て拘木を正すが如く、濃
儀・法度を以て悪性を橋正せざる可らずと論せり。これ拾☆告子が仁・義の人の本性
に非ざるを疑ひ、相柳を狂げて柄権を作るが如しと言へるに同じ。菊子は質に相柳を
狂げて柄権を作るは、則ち相柳の本性に順ふものにして、人をして仁・義を行はしむる
も、赤人の本性に順ふものなることを知らざるなり。惟ふに荷子は人の性と情とを混
同したるものに非ざるか。人の性は固と善なり、外物に接し、動いて面して情を起
す。情は則ち善あり、不善あり。性には不善なきなり、拾も水の濁れるが如し。水の
本性に至りては、透明清澄、一酷の濁なきなり。
荷子又目く、
「濃は何に起るや。目く、人生れて面して欲あり。欲して面して得ざれば則ち求
むることなき能はず。求めて面して度量分界なければ則ち争はざること能はす。
争へば則ら湖れ、蹴るれば則ち窮す。先王共の鍋る、を悪むなり。故に濃義を制
して以て之を分ち、以て人の欲を養ひ、人の求めを給して欲をして必ず物に窮せ
第五章 性 悪 説 五九
う 必敵ざらずり ・
至削て
ひ、









ざれ




る な書り





詩任









)



(












濃 ゆれる治て




みて



天下

政仁義

すこと


至上


り 法り
依特ら
天刑罰






めて

欲を
至と




するれん下りに律 て
主し






















専 張



者 せ以

然と
李。




韓共
性・


基等
法に

主義
るに治非斯りん
悪説
づき 。

賛り















な濃






、 性定人度主るく悪


す説荷




君難
聖法に
制、





せる
敢くりずるら
至敵
必す

あ難

)



(


全部







孝悦 以






もの
」 に し

り 必持









しめ
ざら











て ず

覇王前


六篇道 -
修、聖人の道を認めざるなり。『韓非子』に目く、「旦父母の子に於けるや、男を産め
ば則ち相賀し、女を産めば則ち之を殺す。 比れ倶に父母の懐姫に出づ。然るに男子は
賞を受け、女子をば之を殺すは、共の後便を慮り、之れが長利を計るなり。故に父母
の子に於けるも、獅計算の心を用び、以て相待っなり」 、gといひ、又「有衛の君
は、 、然るの善に随はすして、必ず然るの道を行ふ。先王の仁義を言ふも治に盆な
し。吾が法度を明かにし、吾が賞罰を必するは、園の脂澤粉窯なり」といへり。
性悪説に基づく政治は、王道政治が人性に基づきて、人性に違ひ道徳を助長するも
のと な 、権力を以て人を拘束せんとするものなり、法律を以て人をシせんとす
。のなり、術数を以て民に臨むものなり、権略を以て衆を制御するものなり、共の
王道政治と相距ることを遠しといふべし。
商戦・李斯は共に秦廷に宰相として道義を排庁し、 法律政治を行ひ、一時権力を以
て秩序を維持したれども、 道義亡びて陰険風を成し、人々互に陥擁し、 雨人共に遂に
第五章 性 悪 説 六一
六一
前 篇 王道 と 覇道
秦廷の貸に惨殺せられ、 韓非は秦皇の知遇を受けて、 面も同門の友人宰相李斯の嫉妬
を受けて之が貸に殺されたり。面して秦朝共のものは、皇帝即位後、二世十数年にし
て滅亡し、後世復た性悪説を唱へて法治を質行する者なきに至れり。権力主義・法律
政治の特むべからざるや、比の如し。
第 六 章 H 道 の 一 環繞
剛剛 、 アン”、 軍
說意正心 m 9法國平天下》 一貫
王城明2 明德麗
王龍の愛麗に載せて北子の遺書なる 大學 作品やられた。 大學 性則* H
道の事なり。 目く、
「大學の道は明德を 明かにするに在 す、 民を親しむに 作り、 李善に 止まるに在
2 3と知りて直して 定めるあす。 ただって直して 地(常な。 鄭
そして 仕組(安し。 安くして直して后能く振る。 張って直して 地(從。 身
本末 かり、 平に終始めり、 先後する所を知れば則 通に近し。 古の側窓を天下
明かにせんと彼する者は先?共の頭を治行。 北 の関 を治めんと敵する者は先っ共
第 六 章 H 道の 王 愛稱 六三
前橋 H 桜庭
の家を素 。 共の家を書 《人と敵する者は光っ共の身を修 。 其の身を修めんと
彼*る者は先っ張の心を正しうす。 其の心を正しうせんと敵する者は先輩の意
を載にす。 共の意を載 にせん)と彼する者は先ヴ其の知を殺す。 知を殺すは物を格
す に在す。 物格し て加して后和至り、 知至 つて而して后高職なり。 意識にして面
して后公正し。 心正しくして面して后身修改 る。 身修改 つて面して后家資公º %
旅うて而して后國治 改 る。 國治 改めて面して 后天下本 かなり。 大子より低人に
至る まで登是に背身を修行 る を以て本 と残す。 其の本拠れて面して木の治安 るは
香なり交。 共の厚さ所の者海くして、 而して共の機公所の者是公 は未だ之 社有り
さるなり 中隊 。 此を本を 知ると調 ~&。 此を 知 の金 ,9と語~& なり。 所調意を載に
するは、 自ら歌く と となさなり。 張良を好むが如く、 好色を好むが如くす。 此を
Nれ自省で , 那么。 後に非子は必ず其の源を帯びなり
と。 王道の要請は初 の一句、 即ら明明德 觀《民、 止 於李善 に書きたりといふくし。
第一、明徳を明かにすとは、則ち天賦の明かなる徳性を明確に認識し、之を磨きて
鏡の曇らざるが如く明かにするなり。
第二、民を親しむとは、天賦の徳たる仁心を以て人民を親愛し、共の徳性を発展せ
しめ、共の生活を安んぜしむるなり。
第三、至善に止まるとは、至善を知り得て之を堅持し、豪も動揺せざるなり、豪も
他念を起さざるなり。
第一は自ら修むるなり。大學の説く所、能く共の旨を霊せり。
第二は民を治むるなり。大學の説く所、赤共の要領を得たり。
桜するに、「自ら修むる」 と、「民を治むる」と、「至善に止まる」 と、三箇に匿別
して説くと難も、軍意するに、明徳を明かにするは王道の根本にして、三者は則ち本
末の闘係なり。故に格物・知致・誠意・正心・修身・治國平天下は一貫して分つべか
らす、これ則ち明明徳なり、これ則ち王道なり。
第 六 章 王道の三要綱 六五
-
前 篇 王道 と 覇道 *
六六
抑く明徳なるものは、天地生成の理を享けて人の固有する虚霊不味の徳性なり。従
って、人の人を愛し物を愛するの本性は、天地生成の理と同一なり。是を以て、明徳
を明にせんと欲せば、先づ格物・致知・誠意・正心より始むと難☆、共の結果は、必す
や民を親しみ、民の徳を磨き、民の徳を新にするに至る。これ明 明徳 の常然の騎
結なり、請はゆる本末なり。故に明徳、親、民、止ニ於至善の三者は一貫不可分にし
て、究意、明 明徳」 の三字に騎著するものなり。明の領儒王陽明は、明徳三要綱を
-
説きて明かなり。
、ダ
『博習録』 に目く、
「格物致知より平天下に至る、只是れ一箇の明明徳なり。親民と難も赤明徳の事
なり。明徳は是れ比の心の徳なり、即ち是れ仁なり。仁は天地萬物を以て一鶴と
貸す。便ち一物の所を失ふあれば、便ち是れ吾が仁の未だ霊さざる虜あるなり」 -
と。更に王氏の説を暇りて明徳以下王道の三要綱を説かんとす。
大學問 に目く、
r姊明子目《 大人たる者は、天地离物を以て l 舗と食す者なす。 大人の能(天地
黃易に以て 証と母 ,や、 Nを意とするに非さるなり、 夫の心の七、 本 と歩くの
有《北 九天地离物と共にして たるなり、 登に離た大人のみならんや。 小人の心
と艦も彼らさんはなし。 彼は順ムに自ら之を小人 ずるのみ、 この故に離子の非º
人々と見ては必や他找・前總の心あり。 是社共の伝 の孫子 と共にして l 舗% %
2、 張子に類と同じら するものたす。 島駅の寿を見ては、 必*%。
の心 かり、 仏 のにと 戦と共にして 機 にるなす。 李本は微生态。の次
6 S ㏊瘤を見ても必ず和情の心あり。 是从北 の作 の元五 式にしºl 舗%
39 (の心と艦も ホ% ,之れ布す。 是八方も 天命の神に張さしºšº
當時にして書かさん のなり、 元の後にNを開催とい、 本人の金
關於2 ㎞ に北の 証のには熊(ほからざること、 北の加 ºsド、
六七
第 六 章 小池 の 三原型
前 篇 王道 と 覇道 六八
共の未だ欲に動かすして、未だ私に厳はれざるの時なり、共の私欲に厳はる、に
及んでは、利害相攻め、念怒相激し、則ち将さに物を栽ひ、類を担りて貸さざる
所なからんとす。共の甚だしきに至りては、骨肉相残する者あるに至る。面して
一鶴の仁亡ぶ 中略。是の故に、菊くも私欲の厳ふこと無ければ、則ち小人の心
と難*、共の一鶴の仁は獅大人の如きなり。一たび私欲の厳ふあれば、大人の心
と離*、共の分隔院晒、獅小人の如きなり。故にかの大人の撃を貸すものは赤権
だ共の私欲の厳を去って、以て自ら共の明徳を明かにして、共の天地萬物一鶴の
本然に復するのみなり、能く本鶴の外に於て之を増盆する所あるには非ざるな
り。目く、然らば則ち何を以て民を親しむに在るか。目く、明徳を明かにすると
は天地萬物一鶴の鶴を立っるなり。民を親しむとは、共の天地萬物一鶴の用を達
する*のなり。故に明徳を明かにするは必す民を親しむに在り。民を親しむは則
ち共の明徳を明かにする所以なり。是の故に、吾の父を親しんで以て人の父に及
はし、以て天下の父に及ぼす。面して後に吾の仁は質に吾の父、人の父と天下人
の父と共にして一鶴となる。質に之と一鶴と貸って面る後に、孝の明徳始めて明
かなり。吾の兄を親しんで以て人の兄に及ぼし、以て天下人の兄に及ぼし、面し
て後に、者の仁は質に吾の兄、人の兄と天下人の兄と共にして一鶴となる。質に
之と一鶴となりて面る後に、様の明徳始めて明かなり。君臣や、夫婦や、 朋友
ゃ、山川・鬼紳・鳥獣・草木に至るまで、質に以て之を親しんで以て吾が一鶴の
仁を達すること有らざることなし。然る後に、吾の明徳始めて明かならざること
なくして、眞に能く天地萬物を以て一鶴と貸す。夫れ是を之れ明徳を天下に明か
にすといふ。是を之れ家管 ひ國治まって天下平なりといふ。是を之れ性を霊すと
いふ」
と。以て明明徳と親民との闘係を知るに足る。『大學問』 に又目く、
「目く、然らば則ち又鳥くんぞ、共の 「至善に止まる」 に在らんか。目く、至善
第 六 章 王道の三要綱 六九
-
前 篇 王道 と 朝 道 七○
なるものは明徳・親民の極則なり。天命の性は、粋然として至善なり、共の霊昭
にして味からざるものは、比れ共の至善の発見なり、是れ乃ち明徳の本鶴なり。
面して即ち請はゆる良知なるものなり。至善の発見は、是にして面して是とし、
非にして面して非とす、軽重・厚薄、威に随ひ鍵に應じ、鍵動して居らす。面し
て赤天然の中、有らざるなきなり。是れ則ち民葬物則の極にして、共の間に議擬
増損あるべからざるなり。少しく共の間に議擬増損するあらば、則ち是れ私意小
智にして至善の請に非す。慣濁の至り惟れ精、惟れ一なる者に非すんば、共れ熟
れか能く比に興からんや。後の人惟だ共の至善の吾が心に在るを知らすして、共
の私智を用ひて以て、共の外を端模測度し、以て事事物物各定理ありと貸すな
り。是を以て共の是非の則を味まし、支離滅裂、人欲隷にして天理亡び、明徳親
民の寧途に大いに天下に観る。蓋し昔の人、固より共の明徳を明かにせんと欲
する者あり。然れども権だ至善に止まるを知らキして、基の私心を過 にせた
~&& №陋安徽 に失して、而して家國天下の拳。事
し の逆になり、阿卜の民を襲しゃんと破する家。然 º
婚妻にふし 、東の 心を求に神 。 李弘之書
術に失して、 而して に愛馬祖の敵に有る ことなし、 即ち 王拓地利の従来な。
光義によると知り るの適なす。後に 巻の閉式に松
神之 戰期の方 に於けるが異なり、 火災の北側にあげるが 加え、橋s
༄༅<་後にか にして 栄*
長短にして反逆に止め らずんば共の湖に重く、 體重にして機物に止めずんば英
の準を失す。 明明德 祖母にして主義に止めずんば式の本を亡 。 故に至善に
*~ *~ *の訓練を聞かにす。 そ N 大人のぞ
~&
とº 以て王道三重要調の種概を知るを 足るべし。
第 六 章 H道 の 三班制 七
前 篇 王道 と 覇道 七二
第 モ章 亮・殊 再の王道政治さ孔子血の王道論
道徳至上主義
発・愛 ・再三代ノ王道政治
孔子ノ王道論
子血子ノ王道論
第 - 舞 再三代の政治
王道政治は、道徳を以て終始一貫する道徳至上主義の政治にして、支那人の理想と
%
する所なり、共の源は売・愛の時代に遡る。
義・%の時代は人民素朴にして、政治も赤従って簡易なりしなるべく、今共の詳細
を極むるに由なしと難も、古典に依りてほぼ共の硬概を窺ふことを得べし。
『書経』 に操るに、髪帝の徳は最も高大にして、「克く俊徳を明かにして九族を親
しむ。九族既に睦しくして百姓を平章す。百姓昭明にして萬邦を協和す」とあり。こ
れ則ち王道の質現にして、徳治の模範なり。
皇帝の政治は順る簡易なれども、或は暦を願ち、農耕を導き、 或は産業を督し、洪
水を治めて人民を愛撫し、各方面に賢人を採用して、以て仁政を施したり。面も共の
徳化は魔く人民に普通して天下泰平、人民安塔せり。更に目く、義帝自ら天下の治
*るか治まらざるかを知らす、又億兆の己を載くことを願ふか願はざるかを知らす。
微服して童謡を聞くに、目く、「我が函民を立て、共の極(至極ノ徳)に非ざることな
し、識らず知らず帝の則に従ふ」と。老人あり、哺を含んで腹を鼓し、歌って目く、
『出でて面して作し、日入って面して息ふ、井を撃って面して飲み、田を耕して面
して**、帝力何ぞ我にあらんや」と。以て共の徳化の極、一物も共の虜を得ざるも
のなきの状を想見すべし。
『シ』 にょれば、録の時代に在りては、政治の方法既に順る整頓せるを見る。前
第 七 章 発・難・馬の王道政治と孔・監の王道論 七三
也四
前 統 王道 と 親 道
ら 離異 には、
「上有二州を集め、 十有二出を封じ、 川と廊 」 とあり、 天下を十分 、 成
←3て安治と変化したす。 文日く、 「五張 永遠寺 、 聖 衣 。
, „ 53に言を以てし、 明かに武れるに助を以てし、 車服、 書を以“,
… …てく、本 機、羅什么。越冬**
‹› « た金 として、作人を書 。
__
東沙基 る限す -
とお68 H道政治の精神は極めて明院なす。 鄭軍は更に、 能制の機關なる四 世に政務
-
を歌詞したす。 . "
那市の政治機關は、 -
-*
| +1 ㎢充行政を司とす、 意見を奏す。
1、 中央政府
司祭 1水土を司とる。 機・愛・ 東側をク に在す。
后援1百般を敷く。 素を以てNに在す。
司徒1五教を司とる。 五教は父子親あ。 非正義あり、 夫婦別あり、 長約洋龙
6. 之信ありの五数なり、 契を以てク に作す。
士官」制前を司とる。 平陽を以て之に作 。
共工|工務を司とる。 乘を以てク に在 。
陈 (平水魚の事を司とる。 未能・熊猫を以て N 作 。
康奈(三體を司とる 天 *< ッš。 愛と記とを以て之 に在す。
其業|樂を司とる。 美を以てNに作す。 - _
政治の
=し ~ r 姊にして敵を考 、 三者 本 にして講師を掛牌 , *
組織並に方法は、 前にして愛を得たす とい。ペー
制度に固12時教に依6て愛すべきものなるが故に、 李 家の東は** **
七五
第 七 章 党·弗·馬の王道政治と元 ・高 の王道會
前 篇 王道 と 覇道 七六
世に適用すべきに非ず。然れども、共の制度を見れば、如何に人倫道徳を重んじ、如
何に人民生活の豊祐に力を致したるやを察知するに足るべし。
愛の時代☆赤徳化人民に普く、史を見るに 「海内成な愛の功を戴く」 とあり。又
「五舷の琴を弾じ南風の詩に歌ふ。詩に目く、南風の薫せるや、以て吾が民の儒りを
解くべし、南風の時あるゃ、以て吾が民の財を皇くすべし」と。以て共の至治の状を
見るに足るべし。
『大再謀』 に目く、
「 目く、地に悪へは吉に、逆に従へは凶なり、確れ形態の如し。全目く、時、
戒めょゃ、無慮に倣戒せよ、法度を失ふことなかれ、逸に遊ぶことなかれ、築に
浮ぐることなかれ、 賢に任じて武ぶこと初れ、 邪を去って疑ふことなかれ、疑謀
ヒロマ
は成すこと初れ、百志惟れ熙らん。道に違うて以て百姓の撃を毛むることなか
モトス
れ、百姓に鳴りて以て己の懲に従ふことなかれ、怠ることなく聴むことなくん
ば、四海来王せん。再目く、松、帝、念へよゃ、徳は惟れ政を善くす、政は民を
養ふに在り。水・火・金・木・土・穀、惟れ修まり、正徳・利用・厚生、惟れ和
す。九功惟れ叙し、九歌権れ歌ふ。之を戒むるに体を用ってし、之を すに威を
以てし、之を勧むるに九歌を以てし、壊ることなからしむ。」 「帝受舞曰く、皇陶、
惟れシ庶、予が正を干すことあることなけん、次士と作り、五別を明かにし、
以て五教を弱け、予が治を期せよ。別は無別に期し、民、中に協ふ。時れ乃の功
なり。患めよゃ。事物目く、帝徳シし、下に臨むに簡を以てし、衆を御するに
寛を以てす。罰は嗣に及ぼさす、賞は世ふに延ぶ。過を有すには大なりといふこ
となく、故 (悪意) を刑するには小なりといふことなし。罪の疑はしきは惟れ軽く
し、功の疑はしきは惟れ重くす、共の不幸を殺さんよりは、寧ろ不経に失せん。
好生の徳、民心に治し、慈を以て有司を犯さず」
と、眞に千古の金言にして、王道政治の要諦を得たるものといふべし。特にかの「道に
第 七 章 亮・愛舞・馬の王道政治と孔・子血の王道論 七七
前 篇 王道 と 覇道 七八
違うて以て百姓の興 を干むことなかれ、百姓に哺りて以て己の懲に従ふなかれ」 とい
ふが如き、又「徳は惟れ政を善くす、政は民を養ふに在り」といふが如き、将た又「五
刑 を明かにし、以て五教を胴け、予が治を期せよ。刑は無刑に期し、民、中に協ふ」
といふが如きは、眞に今日の時勢に適切なるを覚ゆるものあり。『書経』 再王の洪範
には、冒頭に 「天乃ち再に洪範九疇を賜ふ、葬倫を叙っる所以なり」 とありて、君主
自ら徳を修めざるべからざることを説き、天時・地宜・農耕・ト策との外、政治組織に
闘しては「三に目く、八政、一に目く食、二に目く貨、三に目く祀、四に目く司空、
五に目く司徒、六に目く司冠、七に目く質、八に目く師」と、以て共の行政の大綱を見
るべし。洪範は、再の天より興へられたる所なりとして、箕子が周の武王に上陳せし
所のものなり。故に載せて周書の初に在り、以て周代政治の根本方針を察知すべし。
周の朝は聖君文王の後を承け、周公の仁政を施すありて、制度整ひ、濃儀具はり、
文物爆然として務達したれども、文運盛にして徳化足らざるの観あり。特に惜しむべ
古卓徳非るん成め賢来越行凡 し

立言
聖せる
集の
大を
びて





せし
と 主りとち幸張
不た道
立。



こにし




ざの






と 至れ を




り 王力
次ぎ





















し 道



立 こくし

あひざ




な四

幾赤

べし
なといふ








て よいさ徳下びり 成
ばくりと て
及時



道天康王
犯安寧




描隆興



用 としめ



なり
せ文




見哉


周たり


たに




してる公 後ら道き世 」
開はしめ




王に


たたる





あ政治

ずん

ず けらす

山請





をや
知「











以て中ん 君
武以て






天下
を以て
を伯












を 力


こいに

孔子






周末









大を


王の


章 どみ




政治















た も
















政治
論九
七道



前 篇 王道 と別 道 八○
売・舞の王道を天下に明かにして、之を萬世に博ふることを得たり。孔子没後百年にし
て子血子の出づるあり。孔子に継ぎて、仁義を明かにし、功利を排し、邪説を庁ぞけ、
人心を正し、王道・覇道の匿別を明かにして、大いに道徳至上の主義を宣揚したり。
第 二 孔子の王道論
孔子は、政権を獲て王道政治を行はんと欲せしも、共の志を果すこと能はす。乃ち
書・ 楽・濃を叙し、詩を制り楽を正し、易の家・繋・象・説封・文言を序し、以て道
義を確立し、王道を闘明したり。後世、王道政治を行はんと欲する者は、皆範を孔子
に取り、孔子の道を以て王道と貸し、王道政治を指して儒術と稲するに至れり。
孔子の王道論は、『大學』 の一書、よく共の綱領を霊せり。面も共の言行、共の著
述は、悪く道義の結晶、王道の顕彰に非ざるものなしというて可なり。特に共の 『春
秋』 を著して、政治の正邪・曲直を明かにし、諸侯を褒財職陸し、蹴臣賊子を戒めた
るが狗 、 文書の 農砲 を敵戦して人民の前職を示し、 神經 を制定して人の性
常を書美に導けるが加さ、 其の教練の像大なる、 古來未だ曾て有りぎる所なりº
今、 孔子の言行中、 王道政治に関するものを左に挑 起きんとす。
1、 禮以て書の志を道なさ、 樂以て真の敵を和し、 攻以て英の行と にし、 刑以て英
の姿を防ぐ。 體變型攻、 其の極は な 6 筆記 º
1 、 孔子初めて在 《 て中都の軍人 稱る、 制して生を落が 死を送るの節を残し、 長約食
を 、 通常在を 、 男女優を別にす。 路に道を命。 ことなく、 義は驚き
す。 四式 の根、 五式 の親を残す、 丘陵に因6て暗と残す。 對老子樹みず、 N と行
~ ~~ 1 年にして、 四方の諸侯、 別る馬。 定公、 孔子に問う て日<、 北の法を撃
んで以て仲間を治めば 何如。 孔子對 《 て目く、 天下と離。 可ならん手術を低於
魯國 のみならん や 天子家語 º
、 京公路 を元子に問 。 孔子對《 て 目 く、 文武の攻は赤いてカ陸に作り、 其の人存
* * * * * 八
前 策 王道 と 親 道 - 八
すれば 見ら英の 攻撃がり、 其の人亡ければ 期も共の政总行 論 。
子路、 孔子に問うて目く、 資府國を治行 るに、 先とする所の ものは何だ や と。 子
目<、 資を奪んで不肯を感じに在り分子家體 。
袁公政を元子に問 º 小野へて目く、 政の急なるものは、 民をして富人、 且將
ならし ひるより大なる はなさなりº & 目く、 之を託すことな 例。 孔子目く、 力投
を省 、 武鉄を無くすれば、 別ら民當它來。 體數を抜くし、 無宗を避さくれば、
则ら民議なり安。 公目く、 家人、 夫子の言を 行はんと彼す?、 音が関の食なるを
張る交とº ルチ目く、 詩に委 、 常緑の君子は民の父親なりと。 未だ子の みて -
父母の資なる者は有りぎるなり 乱子家語 。
،
後を ,に徳を以て , 任、 書《 北京の基所に て、 衆のNに繋が知
C論語39
| 之 を道 が くに 政 を以てし、 之 を着うするに制を以てすれば、 民は発れて認なし。
Nと書くに恵を以てし、そうするに書を以てすれば、 食品 。
-
あり 重載 。
政は正なり 強權 。
布《李景の身を正しうせば、 政に於て何か有 りん、 其の身を正しくすること離は
すし て、 人を 正しくする ことを何如に せん ぱ 。
李康子攻を元子に問うて目く、 ふし無道を殺し有道に就かば他加入。 孔子對《?
日< șę ,に、広義を用いん。 子、義を彼 は、而して 栄え ん。
君子 の値は風なり、 小人の像は車なり、 李之に興を加入伙 。
子路 目《、 衛の非、 子を待っ て政を残さば、 子服さ に何をか生にせんとする。 子
目《 拳 や名を正しくせんか。 子路目く、 沈めるかな子の近なるや、 後人を求
れ名 と 正しく せん。 子 目く、 野なるかな由子继《华 、 若子は典の知らざる所に
於 て厳し關如す。 名正しからされば则ら言學ならず、 言原ならされば 見ら事成ら
第 七 章 府城 高 の 王道政治と元・吉 の王道會 <!
前 第. H <
す。 事成らされば則ら頭 ・ 業與心す。 體 ・ 業與心されば則ら制制中心す。 制前中
らされば則ら民手足を精く所なし。 故に 君子は之 に名づくる と と必す言公、さな
~ N た言ム とと必ず行公、さなり。 若子は 典の言に於て 若く めする なさ のみ
C論語)
、 子夏首交 の象となり、 政を問~&。 子目く、 速なるを欲するととなかれ、 小利を見
る ととなかれ。 連なるを欲すれば 期もっ達せ ず、 小利を見れば期も大事成らず 金
1、 子真政を問公。 子目く、 食を足らし、 兵を足らし、 民、 Nを信す。 子真目く、 必
やむを得ずして新の三者に於て去るに、 何をか先にせん。 目く、 兵を去る。 子
真目く、 必ず自行 を得 ずして新の二者に於て去るに何をか先にせん。 目く、 食を
去る。 中より者死あり、 民は信なければ立たず 嫌 。
第 三 子の王道書
後範る世 。
けし

軌に

政治
王道

たり いる子べ書て を
退


詩能



孔萬


述序

五の

作て




蓋 思こ道る下魔世想

本位
一功利
天風は




王復




ふなし
行 法中




政治















し 律



兵 惜しい

べし
といふ
常なり
覇かな







諸侯








を たるり 宣
業時 も

こと
せする


















退




、 異いで揚歳道子理論撃端 首
排て
議邪説
事し
孔正確
次明断
王に
千、



の 仁善説し道利調義


功高統
王て

覇排

賭貴
性を




見るせ里





千一




と。


来を

すし


、 言ん









政治






もの

と 説

る 生して



たる





なり
百年
こと
と孫






の れ




開句













上 巻





王第






政治
論道






前 策 夫君 と 親 道 八大
我が図を利する有りんとする平。 至于封 へ て 目く、 王阿だ必ずしも 利を 目は
ん、 赤石1歳 のる のみを。 王は何 を以て飛が國を利 人と いい、 大夫は何 を以て
我が家 を利城 人と いい、 士东人は何を以て飛が身を利 人といはば、 上下交>
利を征して前して頭角からん安。 高票の関其の君を熱する者は必ず手兼の家な
6º |秀 の風景の君を試する者は必ず 自東の家なり。 萬に千を取り、 千に百を
政る は多からずと姉さず、 荷くも装 を後にして利を先にせば、 雲はされば誰か
すº 夫だ 1にして加して英の親を遺 つる者は有りぎるなり、 未だ義にし て面し
て英の君を後にする者は有りぎるなり。 王もホ 1義を 目はんのみ交。 何 を必ず
し3利を いはん」 と。 l 舗、 直ちに王 ・ 親の別を吸 破し得て徐福なし。
> 饥荒 漠
法王安 、 王位 大打倒闭 公孫亞當上)。
|、 是の故に明在は民の産を制して、 必ず嫌いで以て父母に事ムるに足り、 修して






楽者
をを






豪しみ
しむ
以て
す )
百上らせ姓


う一




たと



同ば
(


馬道




王第






政治
論 戚の
を以て













君子

あり
ざるに
は 助親少下りけ戚 少し

至叫
多き
天は




順 失多く


助者

兵け

をす

得の



ずふ以てける革 を
助せ


、 果



む長
を園








威るに
以て
下 た上るだら







未以


ざざる



同之
C
なり

) をしむ









楽と





を以て


を以て


下 た)







変え




ざる
ざ上



C
なり
。 ら 飢え
るれ す民者せ路れ
道て




載ば

老に
黎す








ず し機む 騙





撃っ



N








の 妻に















飽き





に 子


必ず

戦へ
勝つ


前 篇 王道 と 覇道 八八
○同上、。
人みな人に忍びざるの心あり。先王は人に忍びざるの心を以て、斯に人に忍び
ざるの政あり。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を
治めて之を掌上に運らすべし。人に忍びざるの心ありと請ふ所以は、今、人午
ち需子の将さに井に入らんとするを見れば、みな械楊・側隠の心あり。儒子の
父母に交を内れんとするに非ず、興書を郷常に求めんとするに非す、共の撃を悪
んで面して然るに非ざるなり。是に由りて之を観れば、側隠の心なきは人に非
ざるなり、差悪の心なきは人に非ざるなり、鮮譲の心なきは人に非ざるなり、
是非の心なきは人に非ざるなり。側隠の心は仁の端なり、差悪の心は義の端
なり、鮮譲の心は濃の端なり、是非の心は智の端なり。人にこの四端あるは、
獅共の四鶴あるが如きなり。この四端ありて面して自ら能くせすといふ者は、
自ら賊する者なり。共の君能くせすといふ者は共の君を賊する者なり。凡そ我
に四端ある者、皆擁めて面して之を充っることを知る。火の始めて然え、泉の
始めて達するが如し。菊くも能く之を充たさば、以て四海を保っに足り、菊く
も充たさざれば、以て父母に事ふるに足らす(同上 。
一、義は愛を得ざるを以て己の憂と貸し、愛は再・皇陶を得ざるを以て己の憂と貸
す。 夫の百畝の まらざるを以て愛と貸すものは農夫の事なり向上
一、藤の文公、國を貸すを問ふ。子血子目く、民の事は緩うす可らざるなり。詩に
く、書は 、手いて業かれ、青はシへ、函かに共れ屋に乗れ、共れ始めて
百殺を掃かんと。民の道たるゃ、恒産ある者は恒心あり、恒産なき者は恒心な
し。菊く*恒心なければ、放備邪修貸さざることなし。罪に陥るに及んで然る
シって面して之を別するは、足れ民を問するなり、馬んを仁人の位に在るあ
りて、民を岡して面して貸す可けんや。
足の故に賢君は必す恭険下を濃し、 民
に取るに制あり。陽虎目く、富を貸せば仁ならす、 仁を貸せば富ますと。夏后
第 七 章 亮・愛・再の王道政治と孔・監の王道論 八九
前 篇 王道 と 覇道 九○
氏は五十にして貢し、股人は七十にして助す、周人は百畝にして徹す、共の質
はみな仕の一なり。徹なる者は徹なり、助なる者は籍なり。龍子目く、地を治
むるは助より善きはなく、貢より不善なるはなし。貢なる者は数歳の中を校し
て以て常と貸す。楽歳には粒米狙戻なり、多く之を取るも、面☆虐と貸さざる
に、則ち算く之を取る。凶年には共の田に糞して面も足らざるに、則ち必す取
りて死軍つ焉。民の父母となりて、民をして略勝然として将さに終歳勤動して以
て共の父母を養ふことを得ざらしめ、又稲貸して面して之を盆し、老稚をして
溝堅に轄せしむ。悪んぞ共の民の父母たるに在らんや。夫れ藤を世にすること
は藤固より之を行へり。詩に目く、我が公田に雨ふりて遂に我が私に及ぶと。
惟だ助には公田ありと貸す。比に由りて之を観れば周☆又助なり。序序學校を
設けて以て之を教ふ。序なるものは養なり、校なるものは教なり、序なるもの
は射なり、夏には校といひ、股には序といひ、周には序といふ。寧は則ち三代、
之と共にす、 みな人命を明かにする所以なり。 人偷上に明かにして、 小人、 下
に親し行。 王者の起るあらば必ず來,9て法を 取らん。 是打 王者の師なり 上。
1 、 天下不仁なれば四海を保たず、 諸侯不仁なれば誰種を保たず、 義大夫不仁なれ
ば 宗廟 を保た ず、 士东人不仁なれば 四體を 保なす 同士 。
1 、 仁言は石器 の人に 入る こと深さに加 がさるなり。 義政は善教の民を得るに 知が
さるなりº 資政は民之 を受れ、 義教は民之 を愛す。 普段は民の財を得、 善款は
民の 心を得 同上 。
1、 東は心を務し、 成はカを務す。 心を務する者は人を治め、 カを務する者は人に
為 3 人に始めるる素は人を飲、人を浴びる者は人に食はるるは、 天
下の通報なり 上 。
後世、 人平の愛達、 社會の推移に因すて、 政治の形式 と藤とは種々 に酸化すべし
七雄も、 政治の原則に至りては、 永久に派はる ことなかるべし。 かの元子が 「政は正
第 七 章 治・宗・馬の 王道政治と元・吉 の 王道 會 九
*
九1
前橋 H道 と新道
なり」 ,と いび 、「其の人存すれば其の政學がり、 其の人亡ければ其の政总行」 といい、
文 「之を道がくに政を以てし、 ク を廃しうするに測を以て セば、 民 党れて認なし。 之
を道が くに徳を以てし、 Nた資しうするに艦を以てきば、 駅の日落 るあり」 とい へ る
が加さ、 文金子が 王阿を必ずしも利を いはん、赤任務めるのみ」「為《 拳を後にし
て利を先にせば、 蘇はされば隊かず」 ,と いび 、 文 「民の業しみ を築しむ者は民以來其
の業しみを楽しむ。 民の愛を以て愛と廊す者は民2充其の愛を以て愛 と残す。 樂しむ
に天下を以てし、 愛よるに天下を以てす。 然 9而して王ならざる ものは未だ之れ有ら
さるなり」 とい へ るが如心vは、 貨に千古の格言にして、 今日命以て政治の動範 と残す
べきものなす。 後世末の親善が、 韓語の本部を以て天下を取り、 半部を以て太平を
發起 0」 と言 《 るは、 其に放ちりといふくし。 御す體背のみならず、 支那の愛者及び
政治家にして、 歩くも政治に意を用いたる者は、 みな王道を以て理想となし、 元磨の
書を以て就航と母さざる 。のなし。
第八章 予の王道四顺目
第 體
建は
人李自殺の後則にして、 上に作りては削ら京橋・祭祀を始め、 關資金. 修
所谓

“、 下に在すては知ら結婚・祭を始め、 行作服兵 ・進退陣に至る の


人* 1 制 の規律なす。 橋は人事の節制にして、 社會の文華なり。 朱子 論集中 に
︽神の師父にして人李の従前なり」 とあり。 魏、 興れば天下午かに 、 安。
れは社會破る。 故に古郡王は、 みな職を以て治國の要論と母さざるものたし
體は R家良心の勝して形に現はる) 所なるが故に、 敵を以て英の精神と母 , A
第 八 章 ァの 王道 四四 日 九三
-
阿 篇 H 道 と 製造 九四
《真の形に於て都重なりと離%、 商く 。其の心にして敵を敵く とさは、 張の順に排 さ
るたす。 私は敵の現はれなるが故に、 人よく離を書きば、 心自ら離にして、 古地
心に艦 、 宮に個人の道德を高いるのみならず、 人々 に和調和して、 社會の高潮な
3階と繋ぐることを得、 なり。 故に古の聖王は、 Nた制して、 民をし『NEº
し ひº 議は別ら王道政治の眼目の なす。
義に太古に始まり、 社會の愛達と共に備攻に教建し、 聖 ・資和の出? るあ^て、
鄭秀 に Nと改定し、 整備し、 大聖子の出?るに及んで、 葉の門人等、 孔子に聞く見
を頼み、 禮記 を欲して完成しだ。
書記 の設する所は、 鄭麗の儀禮、 神殿の祭祀より、 短期・義・後飛 • •
た総 . 開たの交際に至るまで、 人世日用年中の行事・機則、 すべて規定せざる。の次
しo 北の艦體たるや、 時と艦とによりて愛化すべく、 1 德に通用し難さぶのあ^-雞
も、 其の敵の精神に至 6ては、 武吉不易なりといよ、さなす。
曲獎金難 に目く、 * --
「禮は削ら生民日用鐵龍の事より、 其の常総の別を立て、 人をして使って直して
之を行はしむ。 英の人道 所、 武線の愛に読みが後にNを曲とい 。 義し時とし
『僕として、 天理の流行に非さるはなく、 馬 來艦として宮殿の作する所に売さ
-
るはなし
とº T此觀 上第 一 に 目く、
成 さるなし、優として栄(せよ、 職を安定せ! 。 本社して日(
君子の身を修ちるは北の 三者に在す。 而して共 の数は以て民を安んするに足る。
カち體の本なす。 故に以て艦に触すと。 那 比目<、 經說一百、 山體三千、 言以
て之を敵^ 、し。 目く、 敵せざるなし)とº 器子目く、 心定める者は、 共 の言安く
して以て安。 定さらさ る者は、 其の言語<し て以て複し
→。 以て順の心を主 とする ことを見るに足る。
第 八 章 小子の王道四間 日 九五
前 第 夫 迪 と 親 道 九六
孔子目く、
「 正之後開く、 民の生する所以のもの、 職を大なり と残す。 順に非されば則ら以
て天地の神に師事する ことなく、 禮に非されば則ら以て男女 ・ 交子・ 九龙·斯加·
親族 ・ 統數の交を 別つととなし」 と。 文 目く、 「湖畔の編は 東魏に伝なる所以な
6、 騎常の職は昭陵に行 なる所以なり、 熊の順は細葉に行 なる所以なり、 食經
の職は資客に艦なる所以なり。 湖社の橋 ・ 職官の義に明かなれば、 國を治行 る こ
と、 英語を撃に戻るが如くならんのみ。 光の後に、 Nを以て家に応すて認める
が故に長約解す。 之を以て開門に認めるが故に三族和す。 之を以て朝廷に認める
が故に含時序す。 之を以て田鄉に故 あるが順に成事間あり。 之を以て軍旅に順応
るが故に武功成る。 是を以て宮室は典の度を 得、 黑池は共の象を得、 物は英の時
を得、 樂は典の節を得、 車は典の式を得、 鬼神は典の難を得、 東証は典の裏を
從、 雑誌は基の衛を得、 百合は基の証を得、 後半は基の魔を得、 身に加はって直
して前に措く。凡衆の動、共の宜しきを得るなり」 %子家㎞)
と。以て聖人が如何に濃を重んじたるかを知るべし。監子目く、「鮮譲の心は濃の な
り」と 濃は則ち人の天性より出づるものなり。宜なるかな、濃の太古より行はれ来
りて、共の発達せる時代を文明といひ、共の未だ発達せざる時代を野霊と稲するや。
詩経に目く、「風を見るに鶴あり。人にして 濃なくんば、なんぞ過かに死せざる」
と。濃は質に天理の節文にして人事の儀則なり。濃は王道に依りて盛に、王道は赤濃
に依りて行はる。濃は王道の眼目なりといふ所以なり。
第 二 楽
楽は音の由りて生ずる所なり。音は盤より起り、盤は情の動くに由りて生ず。盤の
文を成すものを音楽といふ。音楽は喜・怒・衰・楽の情より起りて、面して人の耳に
入り、面して又、喜・怒・衰・楽の情を刺激す。音楽、中和を得るときは聞く者の威
第 八 章 孔子の王道四眼目 九七
前 篇 王道 と 覇道 九八
情も赤確々として中和を失はず。音楽、節に中らざれば聞く者の威情も赤蹴れて度を
失ふ。喋殺の音を聞けば哀情生じ、粗働の音を聞けば怒心起る。大盤ェノ業 を聞けば
心自ら和らぎ、郷シを聞けば劣情を催す。故に音楽正しければ、人情も赤正し
く、音楽蹴るれば、人心も赤蹴る。面して人心一たび蹴れて風俗類魔すれば、蹴離浮
張の音楽流行し、人心正しくして士風振起すれば、音楽も赤従つて高雅優美の風を成
す。音楽の人心を威動化育すること、深く旦大なりといふべし。比の故に聖人は楽を
撰み、之を以て人心を正し、之を以て人情を和げ、以て治國の要諦と貸す。昔、孔子
魯國に在りしとき、管人女楽を魯に贈る。魯人之を喜び、季康子は貸に朝を止むるに
至る。孔子則ち道の行はれざるを見て、父母の國たる魯を捨てて去れり。聖人の楽を
-
重んずること、正に比の如し。
『楽記』 は詳かに楽の性質及び効果を説きたり。目く、
「楽なるものは音の由つて 生ずる所なり。共の本は人心の物に威ずるに在るな
6。 是の後に実の良心成するものは、 実の整、 德以て殺なす。 其の業心成する。
のは裏 の整、 環以て殺な 69 其の高い成するものは、 其の際、 發以て敵なす。 張
の怒ら成するものは、 英の整、 組以て動なり。 其の敵心成する ものは、 葉の際、
直以て唯なりº 其の愛心成するもの は、 其の際、 和以て楽なす。 六者は性に非さ
るな 60 ㎢ ㎞して後勤(。 是の故に先王はNを破する所以の者を横行。
後に書以て非の志を遊び き、 樂以て共の際 を和 、 政以て書の行を 1 にし、 東以
書籍 . 制・攻、 其の極は な6 ㎏た同じらして治道に出? る所以次。 元
七 章なるもの は人心に生するものなり。 常、 中に動く。 故に撃 に形はる。 魏の文
を成す、 之 を 背)といよ。 *の後に常の松葉に 其の政は和す。 创世の
帝に似て絵に、 黃の攻に書く。 風の帯は文以て地に、 張の民は困 。 李 S
道は政と通す交
と 文目《、「是の後に先王の職業を制するや、 日・農・正 ・日の彼を機もるには非さ
-
第 八 章 治 手 の 王道四根日 九九
、前 篇 王道 と 覇道 一○○
るなり、将さに以て民をして好悪を平かにして人道の正に反らしめんとするなり」と
又目く、「夫れ物の人を威すること窮まりなし。面して人の好悪、節なければ、則
ち是れ物至りて面して人、物に化するなり。人、物に化するは、 天理を滅して面して
人欲を窮むる*のなり。是に於て枠逆詐偽の心あり、浮供詐偽の事あり。足の故に強
き者は弱きを脅かし、衆き者は寡きを暴し、知る者は愚なるを詐り、勇なる者は怯な
るを苦しめ、疾病養はす、老幼孤濁共の所を得す。比れ大飢の道なり」と。
又目く、「築は中ょり出で、濃は外より作す。築は中より出づるが故に静なり、濃
は外ょり作するが故に文なり。大楽は必す易に、大濃は必す簡なり」と。
又目く、「楽なるものは天地の和なり、濃なるものは天地の序なり。和するが故に
百物皆化す、序あるが故に群物皆別あり」 と。
又目く、「凡そ姦盤、人を威じて面して逆気之に應す。逆気、象を成して面して浮
楽起る馬。正盤、人を威じて面して順気之に應ず。順気、 象を成して面して和築興る
焉」と。
又目く、「薬なるものは薬なり。君子は基の道を得るを楽しみ、小人は共の欲を得
るを楽しむ」 と。
又目く、「徳なるものは性の端なり、楽なるものは徳の華なり。金石線竹は楽の器
なり。詩は共の志を言ふなり、歌は共の撃を詠するなり、舞は共の容を動かすなり。
三者は心に本づきて然る後、楽器之に従ふ。是の故に情深くして文明かに、気盛んに
して碑を化す。和順、中に積んで面して英華外に務す」 と。
音楽の人心に影響するや、至大なりと請ふべし。
音楽の人心を威化するは耳よりするなり、舞踊の人心を威化するは 目よりするな
り。面して舞踊の人心を威化することも赤順る大なり。蓋し聖人の楽を重んするや、
歌舞☆赤之に伴なふ。歌舞・音楽共の極は一なりといふべし。『楽記』に、「詩は共の志
を言ふなり、歌は共の盤を詠ずるなり、舞は共の容を動かすなり。三者は心に本づき
第 八 章 孔子の王道四眼目 一○
前 篇 王道 と 覇道 一○二
て然る後、楽器之に従ふ」とあるは、説き得て明かなり。後世赴倉の推移に伴なひ、
歌舞も赤音楽と共に盆、巧妙復雑となり、人心を威化するの力は、奪、擬大せらるる
-
に至れり。 -
濁り歌舞・音楽のみならす、槍書・彫刻の如き藝術の、目より入りて人の情を刺激す
るものは、共の人心の消長、風俗の隆替に影響する所、赤歌舞・音楽と共の揆を一にす
るものあり。人情中正穏健にして、思想高尚優雅なれば、薬術☆赤自ら高尚優雅とな
り。面して之を見聞する者は共の威化を受けて、中正穏健・高尚優雅の気象を養成す
るに至る。之に反して人心魔類、思想魔落すれば、夢術も恋自らシ・園変凶険
に傾き、見聞する者をして堕落魔類に傾かしむ。比の故に、時代・人心の隆替を観れ
ば、以て藝術の盛衰をトするに足るべく、又藝術の盛衰を見れば、以て時代・人心の
趣向を察知することを得べし。藝術の重んぜざるべからざるや、比の如し。

第 三 刑
人性は固と善なりと難も、気質の真と環境の事情とは、情欲を煽動して徳性を擁蔵
し、途に悪を貸すに至らしむるものあり、これ刑の起る所以なり。故に上古草味の時
代と難も、荷くも園鶴あれば則ち刑罰あるなり。刑の目的は、悪を懲らして世を戒
め、以て善に遷らしむるにあり。軍意するに、道徳を擁護するに在るなり。『書経』
に、「五刑を明かにして以て五教を弱け、予が治を期せ。刑は刑なきに期し、民を中
に協はしむ」 とあるは、即ち是を請ふなり。
刑の目的は道徳の擁護にあり。然れども、刑の作用は消極的なり、共の効果は間接
なり。刑は直接に國民の道徳を振興し、共の風習を向上せしむるものに非す。刑罰は
築石にして、梁肉たるものは則ち徳教なり。「刑以て姦を防ぐ」 といふは比の意忌味を

いふなり。故に孔子は 「之を管しうするに刑を以てすれば、民、免れて恥なし」 と い
第八 章 孔子の王道四眼目 一○三
後園路那いるに 。


なにし



と以

支べし

末へり

備歴




革命 後く





べき
殺す
後に




國人







比 に みな

り 大人く夫

聴れ

國といふ

なかれ
こと







べし
殺す せいふ
と失
な」



左は





ふ。

とも右りん 不
べし
殺す
みな
なか
こと
聴く いしろん幸ひ



不へん







さ『

むを


より

)





(
経 慎めり道れむ 深く
王こ用

な則










飲。







や 故に








聖人








を以て




共 育

し 陰な



恐怖



残酷








天下




もの

是 険 は


く 結民













西


たる





、 果 時 旺盛


く うする
欲し







商戦
濁り









なるり 民
せん




想 後以て

へり










姿





を刑罰



を世



権する今まらき治力
政は
臨専傾至上








欲刑罰

古ん

もの
東 う




王道




とと 化、 神を達加して欲に養を走 に は、北金、紫 关º
遠に天下の 制を数をる% の、 其の護職、 極めて明白なり、 成 さるべけんや。
第 桜
王者の国民に封する言行及び道設は、 前も巻の政治す。 立法 ・ 司法 ・行隊な
此の中に包合す。 かの刑判はもとす政治の重要部分なす。 然るに特にNを 敵の行
政と別らたる所以のものは、 其の民を教委するを目的とせる政治の中に在すて、 民を
制するといふ特殊にして 正重要の性質を有するが特なす。 春 ・ 城以來特に測政を重ん
ギ るは王道の精神なす。
政治は王道の大部分を占れるものにして、 王道の目的は、 主として政治に依^
現址らる。 牠, 非王の微行は、 もとよりそれ自身にて國民を感化する力あれと%、 更
に関民の道德を高め、 日 での生活を安樂にし、 秋かを保守するは、 政治の力に依 %
第 八 章 小 の王道四顺月 - 1 CH
前 篇 王道 と 覇道 一○六
るべからず。子血子が徒善を排庁して政治を重しとせる所以なり。
政治は、道徳務展の手段なり。故に王道政治は則ち道徳共の物なり。西人或は東洋
の道徳政治を評して、道徳と政治と未分なるは未開の状態なりといふものあれども、
是れ王道政治の何物なるやを擁せざるものなり。権力本位の覇道政治を以て政治の本
鶴なりと思料せる誤認に基づくものなり。惟ふに政治と道徳とが、時代の進歩により
て分離すといへるは、西洋歴史上の事質なりと難も、東洋の王道政治は則ち道徳共の
物にして、時の古今と、世の文野とによりて差別あるものに非ず。但だ質際に於て、
輌もすれば、道徳を離れて権力を行使し、功利を本位として、政治の貸に政治を貸す
ものありと難も、これ決して東洋政治の本質に非ず、又共の理想にも非ざるなり。
孔子目く、「濃・楽・刑・政、共の極は一なり」 と。これ即ち王道政治が道義の振
興を以て一貫するの意ならずんばあらず。孔子又目く、「政は正なり」 「政は民をして
富み旦毒ならしむるより急なるはなし」と。乃ち知る政治は即ち道徳なることを。
孔子が、一般行政の外に於て、刑・政並に濃・楽を濁立せしめて王道の四眼目をな
せるは、如何に道徳の擁護、思想・風俗の酵化に意を注ぎたるやを見るに足る。之を
かの欧洲に発達せる立法・司法・行政三権分立の制度が、権力衝突の均衡を目的とす
るものに比較する時は、自ら東西雨洋の政治精紳に差別あることを発見すべきなり。
第八 章 孔子の王道四眼目 一○七
前 篇 王道 と 覇道
第 九 章 覇道 政治
功利至上主義
斉ノ桓公ノ覇道政治
管仲ノ覇道論
王陽明ノ功利主義攻撃
覇道とは覇者の行ふ道をいふ。
覇道政治とは、覇者の行ふ政治にして、功利至上主義に基づく権力政治をいふ。詳
言すれば、治者が権力の貸に、権力を以て國民を統御し、専ら事功を本位として道徳
を第二義とする政治なり。
覇道政治は、治者の利害を打算し、功利を本位とするが故に、人欲の私に基づくも
のなり。これ王道が徳性を擁充して道徳を務展せしむるものと相同じからざる所以な
り。
新道政治は春秋戦園に始まる。常時、諸侯天下に割擁して戦闘攻伐、互に権勢を争
ひ、共の勢力の強大なる者は、諸侯を糾合して 共の牛耳を執りたり、之を覇者と稲
す。共の政治の権力本位・功利本位なるを以て、後世、功利主義の権力政治を稲して
覇道政治と稲するに至りたり。
斉の桓公は覇道の始にして、宋の裏公、晋の文公、秦の稼公、楚の荘王を併せ稲し
て五覇となす。みな功利の政治を行ひ、園を富まし兵を強くし、以て専ら共の権力の
強大を図りたり。面して共の最も雄なるものを斉の桓公となす。桓公の覇業は管仲の
功なり。新道政治は質に管仲の創むる所に係る。初、桓公の公子利たりしとき、諸公
子と互に位を争ふや、管仲は公子利を敵とし、之を射て共の釣に常てたり。面して後
に至り、桓公に事へて諸侯を糾合し、天下を 一統したり。管仲自ら共の出虜を競解
て曰く、「小節に恥ちすして、功名天下に顕はれざるを恥づ」と。共の功利を重んじ、
道義を軽んするや、比の如し。これ質に覇道の精紳にして、王道と相容れざる所以な
第九 章 覇道 政治 一○九
前 篇 王道 と 覇道 一 一○
管仲の功利思想・権力主義は、載せて 『管子』 の書に詳かなり。『管子』 の覇言に
国〜、
「夫れ覇王の始まる所たるや、人を以て本と貸す。本治まれば、則ち國固し。本
蹴るれば則ち國危し。故に上明なれば則ち下敬し、政平なれば則ち人安し。士、
教和すれば則ち兵敵に勝ち、能を使へば則ち百事理まる。仁を親しめば則ち上危
からず、賢に任すれば則ち諸侯服す。覇王の形は、徳義之に勝ち、智謀之に勝
ち、兵戦之に勝ち、地形之に勝ち、動作之に勝つ。故に之に王たり」
と。悪く勝敗を以て本位と貸す。これ共の王道と異なれる所以なり。牧民篇に目く、
「凡そ國を有ち民を牧する者は、務、四時に在り。守、倉庫に在り。國に財多け
れば則ち遠き者来り、地、群撃すれば則ち民留虜す。倉庫質ちて則ち濃節を知
り、衣食足りて則ち築辱を知る。上、度に服すれば則ち六親固く、四維張れば則
ち君令行はる」
と。これ即ち功利主義の表現なり。又曰く、
「政の興る所は民心に順ふに在り、民の衰ふるは民心に逆ふに在り。民、憂勢を
悪めば我之を供築にし、民、貧農を悪めば我之を富貴にし、民、危墜を悪めば我
之を安存し、民、滅絶を悪めば我之を生育す(中略。故に興ふるの之を取る者た
ることを知る、政の至なり」
と。民を愛撫するは大いに可なりと難も、「興ふるは取るが貸なり」 といへるは則ち
権謀術数の政治なり。これ質に子血子の請はゆる力を以て仁を暇るものにして、権力至
上主義の表現なり。子血子の之を卑しむ所以なり。管仲はまた法治主義を主張せり。任
法篇に曰く、
「聖君は法に任じて智に任せす、数に任じて説に任せず、公に任じて 私に任ぜ
す、大道に任じて小物に任せす。然る後に自ら天下をして治まらしむ。失君は則
-
第九章 覇道 政治 一一 一
-
前 篇 王道 と 覇道 一 一二
ち然らす、法を捨てて智に任す。故に民、事を捨てて撃を好む。数を捨てて説に
在す。故に民、質を捨てて言を好む。公を捨てて私に任す。故に民、法を離れて
妄行す。大道を捨てて小物に任す。故に上、勢煩して百姓迷惑し國治まらす」
と。又曰く、
「夫れ法を生する者は君なり、法を守る者は臣なり。 法を法とする者は民なり。
君臣上下貴殿みな法に出づ。比を大治を貸すと請ふ」
と。また心術篇に目く、
「事は法に督し、法は権に出で、権は道に出づ」
と。以て覇道政治の本鶴と、権力至上主義の根擁を窺ふに足るべし。
元来、管仲の政治方針は君主の権力を強大ならしむるに在り。故に君主をして権謀
術数を行はしむ。人民を撫育し、財貨を足らすも、赤この趣意に外ならす。請はゆる 三日 〜
功利を先にして仁義を後にするものなり。これ共の王道政治と異なる所以なり。明法
篇に目く、
「明王なる者は、術数あつて面して欺く可らざるなり。法禁に審かにして犯す可
らざるなり。公職に明かにして蹴る可らざるなり。故に群臣敢て共の私を行は
す、貴臣、戦しきを厳ふことを得ず、近き者、遠きを塞くことを得す、孤寡老弱、
共の職とする所を失せす、意内明葬にして相監越せす。 比れを之れ國を治むとい
ふ。明法に曰く、治なるものは王道の明かなるなり」 と。
管仲の後、覇道を行はんと欲せる者、数ふるに違あらす。面☆共の治績を撃ぐるに
於て管仲の膝下にだも及ばざる者比々みな是なり。管仲の政治は、権術の巧を極めた
るものにして、共の功績は偉大なりといふべし。然るに、子血子がこれを排庁して己ま
ざる所以のものは、共の功利の思想に基づいて、功利本位の政治を行ふが貸ならすん
ばあらす。覇道の政治は、一時の事功を撃ぐることを得べしと難も、道義衰へて功利
盛んなる時は、上下四方互に相争ひて、意に天下の蹴を招徳す。これ覇道の王道に及
第 九 章 覇道 政治 一 一三
前 篇 王道 と 覇道 一 一四
ばざる所以なり。現に管仲は、桓公を輔けて諸侯を糾合し、天下を一統し、孔子をし
て 「管仲なかりせば、我共れ被髪左推せん」 と讃稲せしめたれども、髪には既に桓公
が共の兄を殺して國を争へるを容認したるのみならす、功利に汲々として桓公の般築
著修、間門☆赤御れたるを正すこと能はず。桓公の没するや、諸子互に争ひ、霊枢を
放任して顧みざること六十日の久しきに亘り、死尻に虹を生するに至れり。道義を等
開にし、功利を主とするの弊は、基に歴然として明かなるものありといふべし
王陽明は、功利政治の弊を説いて痛功を極はむ。『博習録』に、
「三代の義ふるゃ、王道想んで新道姫んに、聖撃眠んで邪説横たはる。教ふる
著、復た比を以て教と貸さず、寧ぶ者、復た比を以て學と貸さず。覇者の徒は、
先王の近似せる者を纏取して之を外に暇り、以て内に共の私己の欲を済し、天下
魔然として面して之を宗とす。聖人の道、遂に以て燕塞し、相数ひ相数し、日に
富強なる所以の説を求む。傾詐の謀、攻伐の計、一切天を欺き人を岡みし、一時の

たり 韓めてりく非 もの

あ李斯
極等


全共










なり
終巧妙

失敗 けいで







次の




主義
法治







に ん 、


る 政例
暴虐






西洋
及び













順 治 て


り 古ずし道とりも今 の

ど同

な然



覇覇道
こ。



はすら
無能
、 要道





へり
とい













行 領



参 金り



























所 融勃


る きしき










久既



なり




奪もの


争 もるし


す得














)

(




力L


前 篇 王道 と 覇道 一 一六
第 十 章 法律 政治
権力至上主義
商鞍・韓非ノ法治主義
秦ノ始皇ノ厳刑酷罰
王安石ノ法律政治
明治時代ノ法律政治
法律ノ繁害
法律政治は、専ら権力の 作用に依り、法律を以て 人民を制御せんとするものにし
て、徳治主義に封する法治主義なり、権力至上主義なり。王道政治も赤法律を用ふる
こと固より論なしす難も、之を用ふるは仁義の道を擁充して人民の道徳を高め、共の
安楽と一般の平和を圓るが貸の手段に外ならす。然るに法律政治は即ち然らす、専ら
権力に依りて國民生活に干渉し、之を強制し統御せんとするものなり。道徳を以て第
二義となすものなり。特に先奏時代の法治主義は、主として厳刑酷罰の制裁を附して
法律を励行し、以て君主の命令を遵守せしめんと欲するものなり、園長を変神の如く
--
に操縦せんとするものなり。
ち悪なりと断定し、若しくは専ら利欲の方面より人性を観察し、権力に依り法律を
て之を操縦せんとするものなり。國民を封象として権略術数を以て之を制御せんとす
るものなり。多くの場合、國民を本位とせずして君主の権力を本位とする☆のなり。
これ王道政治と全く共の精紳を異にする所以なり。軍意するに、法律政治は権力主義・
事功本位の酷に於て覇道の政治に属するものなりとす。
始めて人性は悪なりとの説を唱道せるものは菊子なり。菊子は人性を以て利を欲し
争を好む者なりとして、人の性は悪なりと断定したり。面して、これを嫡正するには
一に法律を以てすべきことを説きたれども、菊子の説は法治を主眼とするものには非
第 十 章 法律 政治 一 一七
前橋 羯 说 | <
}、 禮儀を以て之 を擁正すべ さ ことをカ說し、 「君子なければ見 ら注目 は ると離%,
先後の施を失し、事の愛に備すること指はず」と論じて、 聖人と韓德とを尊重したりº
其の法律政治、 即ら決治主義の祖は事文子なり。 弘文子は戦國に生れ、 孟子とほぼ
其の時を同じらす。 弘文子の法治設は管仲の法度設と相似たりº
爾丁は性器を説さなれと2、 なは橋機を以て民を編作社 人と主張したり。 管仲は事
功を彼 が 法度を重んじなれとも、 なば民生を愛情したす。 然るに、 非文子以下の法治
主義者流に至りては、 極力を以て全上となし、 國民を封象としてク を操縦する こと、
倫2番線を操るが加く せん とす。 周よりに義 ・道德を服中に置く めのに非改 。 然 打と
*其の主義を粉飾するに切羅盤を以てす。 故に功利主義の君は、 やくすれば之に
義はさる)に至るなり、 成 さる郡小。
事 文子の思想は、 黃帝 ・ 愛子の 大道無名の思想に源源し、 形名の説を立て、 法治
主義の基礎を作り なるものにして、 國を治行 るには 無論自然を以て 最高の理想,とな
し、この理想に到達するには、法術権勢の政治を以てすべきことを説きたり。尹文子
には 「大道治まれば名・法・儒・墨自ら魔す」(大道上)といひ、又 「道、以て治むるに
足らざれば則ち法を用ひ、法、以て治むるに足らざれば則ち権を用ひ、権、以て治む
るに足らざれば則ら勢を用ふ。勢を用ふれば則ち権に反り、権を用ふれば則ち術に反
り、術を用ふれば則ち法に反り、法を用ふれば則ち道に反る。道を用ふれば則ち無貸
にして自ら治まる」(大道上)といひ、更に進んで 「老子目く、政を以て國を治め、奇を
以て兵を用ひ、無事を以て天下を取ると。政なるものは名法是れなり” 名法を以て國
を治むれば、萬物園る能はざる所なり。奇なるものは権術是れなり、権術を以て兵を
用ふれば、萬物敵する能はざる所なり。凡そよく名法・権術を用ひて残暴の情を抑制
れば、則ち己に無事なるのみ。無事なれば則ち天下を得る 美」(大道下)といひて法治
説を主張せり。又目く、「田子譲書して目く、幸の時は太平なりと。宋子目く、聖人
治、以て之を致すかと。影 家、側にあり。越攻して答へて目く、聖法の治、以て比
第十 章 法律 政治 一 一九
前 第 王道 と 新 道 | 10
至る、 聖人の治に非さるなりと。 朱子目く、 聖人と聖法と、 何を以て異なるやº 影集
白く、 子の名を知るや基於し。 聖人は Jよりの出なり、 聖法は理よりの出なりº 理は
己より出? るも、 己は理 に非さるなり。 已は能く 理を出す%、 理は Jには非さるな
小。 故に聖人の治は病治なる のなり、 聖法の治は削ら始まらざる ことなし。 此外部
世の利、 唯於華人のみ能く之に該ると。 朱子德縣 2 て田子に質すº 田子目く、 秦の言
徐小 さと。 以て書の功利的新疆地に本 (法治主義の本社を見るべし。
法律政治期も 接拍主義の宗は、 指を商報と韓非とに加す、 共に 戦闘の末に出でた
,9º
商数の法治主義は純然なる機方军上主義なり、 民を題にするの主義なり、 民を説く
して主の魔力を強くするの主義 》 欄に、法律の定義を書いて
「中、 未だ上下有 っさるの時、民銀行 て治安らず。 之を以て聖人、貴隊と列し、駐
位を制し、 名號を立て、 以て君臣上下の義を別つ。 地廣く、 民衆<、 高陽多しº
故に五官を分ちて之を守る。民衆くして資邪生ず。故に法制を立てて度量と貸
し、以て之を禁ず。足の故に君臣の義、五官の分、法制の禁あり、慣まざる可らざ
るなり。君、位に虜りて令行はれざれば則ち危く、五官分れて常なければ則ち剣
れ、法制設けて私 行はるれば則も長、刑を基れす。シければ則ち令行はれ、官
修まれば則ち常事あり。法制明かなれば則ち民、刑を長る」 君臣篇 といひ、「聖人の
園を貸eるゃ一質・一刑・一教なり。一賞は則ち兵に敵なく、一刑は則ち令行はれ、
一教は則ち下、上に聴く」 賞刑篇)と、君権本位の賞刑を説き、又 「國の治まる所
以の☆の三つ。一に目く法、二に目く信、三に目く権。法は君臣の共に操る所な
り、信は君臣の共に立っ所なり、権は君の濁り制する所なり」(修構篇)といひ、権
謀術数を以て政治の方針と貸す。又 「故に明主は法制を憧む。言、法に中らざる
☆のは聴かず、行、法に中らざれば高くせず、事、法に中らざれば貸さず。言、
法に中れば則ち之を競じ、行、法に中れば則ち之を高くし、事、法に中れば則ち
第 十 章 法律 政治 一二 一
前 篇 王道 と 覇道 一二二
Nを貸す。故に國治まりて地廣く、兵強くして主奪し。比れ治の至りなり」 君臣篇) と
試論じ、又 「民弱ければ國強く、國強ければ民弱し。故に有道の國は、務めて民を弱
るに在り」(弱民篇) といひて権力至上の功利思想を発揮し、更に進んで 「婦隷は蹴の賛
なり、濃築は浮供の徴なり、慈仁は過の母なり、任撃は姦の風なり」云々シ、「園
に濃あり、楽あり、詩あり、書あり、善あり、修あり、孝あり、悦あり、廉あり、競
あり。國に十者あれば、上、戦に使はるるなく、必ず削られ亡ぶるに至る。國に十者
なければ、上、戦に使はるるありて、必ず興り、王たるに至らん。國、善民を以て姦
民を治むるものは必ず蹴れて削らるるに至る。國、姦民を以て善民を治むるものは必
ず治まり、強きに至る。國、詩・書・濃・楽・孝・悦・善修を用ひて治むるものは、敵
至りて必す國を削られ、至らざれば國を貧にす。八者を用ひざるものは治まり、敵敢
て至らず。至ると難も必ず郡く」 去麗篇) と論じ、國民の道徳及び文化を抑止して、民
を愚弱にし、以て君主の権力を強大ならしめんと欲す。これ即ち法の力を主とする所
以にして、王道の正反封なり。
『史記』 商鉄ノ博)に目く、
「衛峡を以て左庶長と貸し、鍵法の令を定め、民をして仕征を貸さしめ 家ッシょ
シ、或ハ十保トシ、或ハ五保トシテ、隣保ノ制ヲ設ク)、相牧司連座せしむ 相互ニ紀弾スルョト、即
チ一家罪アレバ、九家ヲシテ之ヲ告務セシメシ、若シ怠ルトキハ連座ス)。姦を告げざる者は要斬
し、姦を告ぐる者は敵首を斬る者と賞を同じくし、姦を匿す者は敵に降る者と罰
を同じくす。民に二男以上ありて分異せざる者は、共の賦を倍にす、軍功ある者
は各率を以て上爵を授け、私闘を貸す者は各軽重を以て刑せらる。大小力を協
せ、耕織を本業とし、栗畠を致すこと多き者は、共の身を復し、末利C ェ)を事と
し、及び怠りて貧しき者は、撃げて以て牧察と貸す 基ノ妻子ァモ没収ッテ官ノ奴シ
ス)云々」、「卒に令を下す。令民に行はるること期年、秦の民、國都に之いて、
初、令の便ならざるを言ふもの、千を以て数ふ。是に於て太子、法を犯す。衛戦
第 十 章 法律 政治 一 二三
至く









、 れ
記 民利







となり







に 俗 に


力 ある









著しく


たる
整然
足 り



太ぐすん子 卒
公す
せ立っ




告欲度










。 けざる


かし




(






)








て る十



公 延する








朝露
こと


欲毒









五 べ

ぞ 大いに


治まる は闘











なし








に ず 悦ぶ

り 大十








。 日質
明いにと
















年 な孫子すり と



施太子




公可







を ざん子する




犯目




太は




なり
せため



趙良目























く 王道







残忍 の

没頭




酷薄 ど徳






道 も

商君亡げて闘下に至り、客舎に舎せんと欲す。舎人はその是れ商君なるを知ら
ず。目く、商君の法は、人の験なき者を舎するときは、之に座せん(誇券チキ者ァ宿セ
ッュレパシラル と。商君唱然として嘆じて目く、暁平法を貸すの弊、一に比に至る
哉と。去って魏に之く。魏人その公子功を欺きて魏の師を破りしを怨みて、受け
ず。商君他國に之かんと欲す。魏人目く、商君は秦の賊なり、秦強くして賊、魏
に入る。貸さざるは不可なりと。遠に秦に内る。商シに復た秦に入り、商色に
走る、共の従属と共に邑兵を務して、北に出でて郷を撃つ。秦、兵を務して商君
を攻め、之を郷の電池に殺す。秦の恵王、商君を車裂して、以て殉へて目く、商
君の如く反する者なけんと、途に商君の家を滅す」
と。 これ質に徳を軽んじ、権を重んじ、道に背き、力に頼るの結果ならずんばあらざ
るなり。
商鞍に次いで、韓非・李斯の出づるあり、共に法治主義の雄なり
-
策 十 章 法律 政治 一二五
前 篇 王道 と 朝 道 一 二六
韓非は韓の諸公子なり、刑名法術の學を喜ぶ、共の著書十数萬言あり。李斯と共に
荷卿を師とし、性悪の師説に擁り、利己の人性に基づきて法治の主義を唱ふ。韓の貸
に秦に使す。秦王曾て韓非の書を讃み之を喜ぶ。乃ち之を用ひんと欲す。李斯時に泰

に相たり。斯は固より非の己に勝るを妬む。因りて王に議して、非を更に下し、罪を
治せしむ、面して自ら薬を非に遺りて自殺せしめたり。
『韓非子』の備内篇には、「故に王良の馬を愛し、越王勾践の人を愛するは、戦と
馳との貸なり。賢の善く人の傷を眺ひ人の血を含むは骨肉の親に非ざるなり、利の加
はる所なり」 といひ、共の顕學篇には 「是の故に力多ければ則ち人朝し、力算ければ
則ち人に朝す。故に明君は力を務む。夫れ厳家には惧虜なく、慈母には敗子有り。吾
比を以て威勢の暴を禁ずべくして、徳行の以て蹴を止むるに足らざるを知るに足るな
り」といひ、道徳を軽んじ、威権を以て至上とせり。また六反篇に於ては「今の寧者
の人主に説くや、みな求利の心を去りて相愛の道に出づ。是れ人主が父母の親ょり*
過ぎん ことを求行 るなす。 是れ思を論するに熱せず、 許りて離~ るなり。 故に明王は
受けさるなす」 「故に明主の風を治行 るや、 其の守を家くして共の罪を重くすº 居を
使^ に 法禁を以てして東駅を以てやす、 母の子を愛するや、 父に位する も、 父の令の
子 に行はる ) ? の は母 に十 年併 す。 東の民に於けるや、 愛なさも、 令 の民に行はる
るや交 投 に武 義仲39 松本、 し、 松、彼にして栄 ,
S 《小。 之を かの元子が 「之を廃しうするに 別を以てセ ば民は魚科 で船なし」 とい へ
るに 比較地 は、 韓非の説は王道政治の正 反對なる を知るべしº
韓非は、 文典の 功利川忠烈なる極力至上 の法治主義を説明して日く、 「仲定は天下の
聖人なり、 行を修め、 道を明かにし、 以て海內に遊ぶ。 海內其の 伝 を使が、 其の義を
美 とす。 而 治 に服役する者は七十人のみなり。 若しに と背が 落は赤く、 義を船くす
る者は難さなす。 後に天下の大を以てしても、 而2ęに服役する者は七十人にして、
仁義を残す 者は 人のみなす。 魯の政公は下主なり、 南面して関に君と総社は、 戦
第 十 章 状 律 致 治 11
前 篇 王道 と 覇道 一二八
内の民、敢て臣たらざるものなし。民は固より勢に屈す。勢は誠に以て人を服し易
し。故に仲尼、反って臣と貸り、哀公艦って君と貸る。仲尼は共の義を懐ふに非ず、
共の勢に服するなり。故に義を以てすれば則ち仲尼は哀公に服せず、勢に乗ずれば則
ち哀公は仲尼を臣とす。今の學者、人主に説くや、必勝の勢に乗ぜずして務めて仁義
を行へば則ち以て王たるべしと貸す。是れ人主の必ず仲尼に及ばんことを求め、面し
て世の 凡民を以てみな列徒(孔子ノ弟子)の如からしむるなり。比れ必ず得ざるの数な
り。今不才の子あり、父母、之を怒れども改むることを貸さず、郷人、之を むれど
も動くことを貸さす、師長、之を教ふれども鍵ずることを貸さず。夫れ父母の愛、郷
人の行、師長の智を以て三美を加ふるも終に動かず、共の歴毛も改めざるに、州郡の
吏、官兵を操り、公法を推して姦人を求索す。然る後に恐擢して共の節を鍵じ、
の行を易ふ。故に父母の愛は以て子を教ふるに足らず、必す州郡の刑罰を待つは、民
はもとより愛に騎り威に聴けばなり」
と。韓非は又「君人たるものは、爵藤を分ち刑法を制し、必ず厳、以て之を重くす。
夫れ國治まれば則ち民安く、事蹴るれば則ち國危し。法重きものは人情を得、禁軽き
ものは事質を失ふ」といひて、厳刑酷罰主義を主張せること、商鞍と異ならす。商鞍
の秦に相となるや、法を用ふること厳酷にして、歩C六尺ノ土地ッ歩ト稲ス)の六尺に過ぐ
る者は罰せられ、友を道に棄っる者は刑せらる。常て消水に臨んで囚を論ずるゃ、人
を殺すこと算なく、消水貸に赤しといへり。
商峡死後四十年、秦の始皇の三十三年、荷卿の門下、韓非の同窓たる李斯の丞相と
なるや、翌三十四年、詩・書雨経を初め、経史百家の書を禁き、儒者を抗殺して盆、
法律政治、特に刑罰至上主義を励行し、詩・書を偶語する者は殺して、面して市に棄
てられ、古を以て今を護る者は一族を併せて刑費せらる。共の後五年にして、李斯は
共の子と共に成陽の市に腰斬せられたり。
始皇死して二世胡玄の立つや、壁臣趙高勧めて目く、「陸下法を厳にし刑を刻にし、
一二九
第 十 章 法律 政治
遂設







失敗




たり


した






統制に




業 な害りる用律ら した
法み
す悪ず






あり
官吏
あする

弊姦



百出 法れが害然業由民律 即ち
こ主義


にし
人政治

産貸

阻自進歩




る 制頻法れり罰度発律 せん
厳新






たを


こに

至上
権力 試縦




権力




干渉
強制
を以て




人民

と し



く 至れ する

なき

り に道




僅か













政治
法律
なる
極端
ものし


く 幾くし


なせら


















てばく
高 残



り な多く臣子刻めり律す と





法二

作更
努を
深、


公て


大に

死 」











する













。 い




王以て律仲き道 あり


管説王安石


法て


を・








政治
官 法安石敗しん律

め秦


天下
欲を以て
失と

王、





した




王道






にして、 其の主なる ものは左の如しº
1 、 三司德列を設け、 泉府官を置いて藩兵を買い、 N を人民に買る。 三司とは酸
鐵 ・史文 ・ 月 部を いメ。
1 、 周の古法に、 民に物を作 し、 真物を以て利息と残すの法に破り 、 背曲の法 を
設け て、 非由田 に金を貸し、 秋に 至りて、 三分 の利氏 を併せてク を 有に敗 行。
| 、 義在 佛克戰》雜食 を服 行。
| 、 常不容を置さ、 物價 の高低を 制して共の本 の得 しむ。 漢代の常不介 米德安女
༄༅ 答えた。
1 、 約會法と行 後運使命ジテクラセンメ、 上 ) ~ 7他 ンチャキノルセデ
沈キ のフルコトフ 得 七 シメ、 鐵 ス在京合 軍 2 充 サ 排水 、 キ所 フ 知 リテ、 使 此將 實 シ 以 ) 之 7得タ
シム º
1 、 知其个 修 行い、 諸路に介し て弱め彼を総し て制約を和其才。
第 十 桜 治 -
| | |

前 篇 王道 と 覇道 一 三二
一、差役を罪め、募役の法を行ひ、人を募りて役に充て、免役者をして免役銭を
出さしむ。
一、市易法を行ひ、市易務を置き、先づ官銭を支出して貨を牧め、適宜に交易す。
一、保馬法を行ひ、馬を養ふことを願ふ者は、一匹を官給し、或は債を興ふ。
一、方田均税の法を行ひ、百姓に土地を平分す。
初、青苗法の発布せらるるや、蘇職は之に反封して目く、「銭を以て民に貸せば、
吏、由つて姦を貸す。民の手に入れば、良民と難も妄りに用ふることを免れず。共の
銭を納るるに及びては、富民と離も限に違ふことを免れず。シ必キ用ふれ
ば州懸は煩に堪へす」 と。寧者・政客の之に 反封する者多し。安石則ち之を庁けて
罰し、断平として新法を働行したり。然れども共の結果は果して蘇撤の言の如くな
りき。蘇試は安石の法律政治に反封し、詩を作りて新法律を調刺して目く、「讃書萬
巻不 敵 律、致 君撃雅 終無 術」と、之に由りて獄に下さる。東城の詩案に座して
軸罰せらる、者、張方平・司馬光等の大家二十二人なり。共の後、新法を譲る者あれ
ば、虚罰放逐、豪も暇借せず。大官・領儒その厄に遭ふ者、卵げて数へ難く、貸に天
下の大患を醸成して、法律政治は失敗に騎し、安石自身も赤長調せられて問死するに
至れり
\。
惟ふに、商鞍・韓非その他の諸子が法律政治の得失を説くゃ、順る巧妙精緻にして
権充君主
法びした律 。 共
希してと利益
維、
を所以
ざする

のな講究
せ所たししる持力望

IJ

こ安石民みりきずと 、に政治
しも

質世





滅る






*





るのはる の王道
濁如王能



を人君主
貸なら


便
ならん
たく
した
失敗













は 布

に し



て、た、怨暁と不平と、紛湖と疲弊とを招徳したるのみなり。比の如き所以のものは、
一に権力至上・法律萬能・人情軽祀・功利偏執の結果に外ならざるなり。☆し、それ
功利を本位とせず、権力至上の思想を去って道徳至上主義に基づき、己むを得ざるの
第 十 章 法律 政治 -
一三三
-
前 策 上海 と 親 道 二四
範圍に於て法律を制定せば、 密に基の結果の良好なるのみならず、 英の法律は永《生
命を持續する ことを得、し。 曹洪は早く び、義社は永く存す。 これ自然の理な6
西洋は、 — %、 法律を尊氏、 現在、 歐本語國》 亦非ら送作を以て政治と行
Š、 法治を以て説とす。 湖り設が関のみは未だ 會て法律政治を作 行したる ことなし
然るに 明治維新以來、 法律學の物與た水すや、 雅利の思想は全國之原産し、 法律賓
能 ・横方军上の政治思想は、 日に命 ~ 此處,となりて、 法律は雨の加《續續使うる ) に
至少、 南はゆる法律政治の質問を見るに至りたす。 これ% ,しも良親の精神に副 所
以に非ず。 治國に志ある者は、 深く考察せざるべからざるなりº
神殿軍隊正式は、 その著 法理學大綱 に法律そのもの の利策と説さて目《 r
正義の執行には法律による ものと法律を用いざる2のとあり得?<、 時により文正
義行の在に常る人によりて、 兩者相互の範圍に消長あり。 若し社會生活の動範の全
部が法律 として頭行するに過するにあらざると同時に、 法律には法律の利益と共に法
律の弊害ありて、必ずしも常に用ふべからざるなり。法律の利益概ね左の如し。
一、法律は正義執行の径路を醸知せしむ。
二、法律は個人的判断の誤認を妨ぐ。
三、法律は正義の執行に常る不正の意園を妨ぐ。
四、法律は正義の執行に常る人に、共の赴曾の確定的倫理観念を表示せる標準を
興ふ。
五、法律は正義の執行に常る人に、共の先人の全経験の利益を興ふ。 *
六、法律は赴曾的及び個人的の最大利益が顕著急追なるも、債値少き直接利益の
貸に犠牲に供せらるることを妨ぐ。
次に法律の弊害を説くこと、左の如し。
一、法律が事及び人に闘して一般的包括的に制定せられ、又個人性を顧みず、且
多少専断的なる適用が貸さるることを妨げず。
第 十 章 法律 政治 一三五
法る




論者
萬能





べし律


更す



法律












せん
。 に


法従


















を 律






制 法歩在り渡示理定律
倫確四
表的

過観念

を以て
在する

現時代

進て

せ 法から範るみに律
生更三
せを


軌、
組織
べ法律






ざる 二




組織
法律


手段
を以て



より


目的び




王一

覇前


三道
すり成想屈る せ

至ん
卑に


醸思、
あを


する
。 故頼

なる
もの
ふる













自制
自治

に に

律 含む せ

分子
ざる
。 観應義要にず致念
は合る

常する
需、
正多少

現在
適又は

観念 設入







執行
正義
ざる


領域
なる

あり
傾向
するけ


常 傾向





二、 好者は町に法網を 免れ、 成は N を悪用し、 元人は誤りて法を犯すもの多く、
軍の頃に書籍し -
三、 法律は運用者の如何によりて英の効果を異にし、 正文地用者たる 彼の事機
を助長し し。
四、 法律は千態高線の人事を 一律に統制やんとするが故に、 社會の貨情に適應せ
さること少からずº
古族 に、 法網像~密にして栄 ~ 接し」 とい へ,9。 孔子が、『ク を導 びくに政 を
以てし、 ク を務公るに制を以てすれば、 民的 打 て 認なし」 とい へ るは、 法の制裁が以
て民を治れる に 足らぎる ことを明示 せるものなり、 非 法律に頼るの不可なるを明か
にせる ものなり。
-
第 十 章 族 律 致 治 1 三七
前 篇 王道 と 朝 道 一三八
第十一章 王道ミ覇道の比較
道徳本位ト権力本位
徳性ノ発展ト人欲ノ発展
一、王道は王者の道にして、王道政治は道徳に基づき、道徳に操りて道徳の発展を
圓る道徳政治なり。
覇道は覇者の道にして、覇道政治は権力に基づき、権力を以て國民を統御する
功利政治なり。
二、王道は天賦の理性たる道徳の無限の発展なり。故に王道政治は、誠意正心を本
とし、修身治國平天下に至るまで、徹上徹下、一貫不可分なり。請はゆる天子
ょり庶人に至るまで、壺是にみな身を修むるを以て本と貸すといふもの則ち是
なり。従って王道政治に在りては、君主の一切の言行、一切の法政は悪く仁義
を以て 一貫し、すべての國民生活を道徳化するなり。

覇道は人欲の私たる利己心の務動なり。故に覇道政治は、法を以て國を治め、
術を以て民を御す。管仲の請はゆる 「凡そ國を有ち民を牧する者は務めて四時
に在り、守り倉魔に在り。國に財多ければ則ち遠き者来り、地群撃すれば、則ち
民留虜す。倉魔質ちて則ち濃節を知り、衣食足りて則ち築辱を知る。上、度に
服すれば則ち六親固く、四維張れば則ち君令行はる」 といふもの即ち是なり。
従って覇道政治に於ける治者 一切の言行、一切の法政は悪く利害を計り、得失
を較べ、事功を主として道徳を次とす。
三、 王道政治と難も、固より功利を無祀するものに非ず。但だ仁義を先にして功利
を後にするなり、専ら功利を主とするを嫌ふなり。
覇道政治に在りても仁政を行はざるに非ず。但だ事功を先にして道徳を後にす
るなり。売・愛舞の政治は王道政治にして、春秋戦國の政治は覇道政治なり。欧
第十 一章 王道と覇道の比較 一三九
前 篇 王道 と 覇道 一四○
州列強の現状は、拾も支那の春秋戦國の如く悪く功利主義の覇道政治なり。子血
が 「力を以て仁を暇る者は覇なり、徳を以て仁を行ふ者は王なり」といへる
言は、以て王新の別を知るに足る。
四、王道覇治は理想主義なり、覇道政治は功利主義なり。
五、王道政治は正道なり。故に正義を以て終始し、技巧を排し 術を応く
覇道政治は権道なり。故に便宜を以て方針と貸し、権謀術数を行ふ。
六、王道政治は道徳本位なるが故に、義務を以て本位となす。覇道政治、就中、法
律政治は功利本位なるが故に、権利を以て本位となす。
七、王道政治に於ける君主と國民との間は道徳闘係なり。故に君主は國民と共に善
を貸し、國民と 一鶴となりて、道徳の向上務展を圓る。従って王道の民は自
治・自修・濁立・進展す。
覇道政治に於ける治者と被治者との間は権力闘係なり。故に治者は被治者を封
象として之を制御し、操縦して治者の意の如くせんとす。従って覇道の民は他
力本位の卑屈に陥り易く、又治者に反抗し易し。
王道政治の民は心服す。覇道政治の民は力服して心服せず。
王道政治は精紳本位なり。面して各人固有の道徳を振起し、且共の生活を安築
にするを以て目的とするが故に、共の結果は一般に道徳の向上を致し、奪き者
は卑しき者を隣み、賢なる者は愚なる者を教へ、富める者は貧しき者を他み、
強き者は弱き者を助け、従って卑者も、愚者も、貧者も、弱者も赤各共の分に
安んじて、相愛・互譲・和睦・共築の赴曾を質現す。
覇道政治は物質主義なり。従ひて権力の擁張、利益の擁護を専らとするが故に、
共の結果は、國民みな事功を重んじ、利己を主とし、一般に道徳は低下し、奪
*は しき者に り、貴なるものは愚なる者を侮り、常める者は貧しき者を
奪ひ、強き者は弱き者を虐げ、従って卑者も、愚者も、貧者も、弱者も赤各之
第十一章 王道と覇道の比較 一四一
一四二
前 篇 王道 と 覇道
に抵抗して共の利益を争ひ、争奪・凌虐・不和・怨暁の赴倉を質現す。
王道政治は博愛主義なり。上下相愛し、一家相愛し、一郷相愛し、全国民みな
相愛し、各階級・各機闘・各園鶴、到る虜に相愛を質現し、面*互に相犯すこ
となし。何となれば仁愛と正義とは、一貫せる王道の精紳なればなり。
覇道政治は利己主義なり。上下互に利を争ひ、一家☆赤相争ひ、一郷*赤和奪
ひ、全國民みな相争ひ、各階級・各機闘・各園鶴、到る虜に相争うて止む時な
し。何となれば覇道は常に利己に本づき、事功を主とすればなり。
抑、物質と利益とは、共の分量に限ありて、面も人の欲には限なし。限なきの
欲を以て、限あるの利益を争ふ。紛働闘争の起るは常然なり。之に反して仁義
なるものは自他共通・天地一鶴、之を用ひて障害あることなく、之を施して際
限あることなし。和睦共築せざらんと欲するも得べからざるなり。和睦と紛争
とは王道と覇道の封照なり。
王道政治は権力争奪の乱世に質現すること殆んど不可能なり。故に王道政治は支那
に始まりて、支那政治家の理想とする所なれども、面も共の質現を見たること極めて
稀にして、却りて我が日本の皇道に酵化して、共の質現を見るに至りたり。
新道政治は、支那の戦園に始まりて、支那政治史の大部分を占め、支那の民族性な
る利己主義及び耐倉的事情と相侯ちて、盆、支那の功利思想を増長せしめたり。
西洋諸国は共の建園以来、戦闘攻伐相次ぎ、権力の争奪に没頭して寧日なきこと、
拾*支那の春秋戦員に酷似せり 従って共の政治は功利本位にして、覇道政治の継績
たるは常然の勢なりといふべし。特に共の民族本来の個人主義・利己的思 想窓は多数政

治の質行と相俊ちて、盆、共の政治をして覇道の性質を発揮せしむるに至りた
言 子目く、「新者の民は騎虜如たり、王者の民は早々如たり」と。職虜とは歓娘な
り、早々とは自得の貌なり。以て共の悠揚不迫の状を見るべし。
今、王・覇雨道の系統を示せば左の如し。
第十一章 王道と朝道の比較 一四三
一 四四
前 篇 王道 と 覇道
東洋政治=王道=本 天理 =道徳『仁愛『心服『調和
西洋政治』新道=本人欲 =功利=権力=力服『闘争
上来述ぶるが如く、王道は道徳の務展にして、最良の政治なり。然るに、西洋には
固より王道の見るべきものなく、支那に在りては幸 ・愛之を質行し、孔・子血之を闘明
してより以来数千年、歴朝政治の理想とする所なれども、共の國鶴・民情は、王道政
治の質現に便ならざるものあり。濁り我が日本には萬世一系の 天皇のおはしますあ
りて常に皇道を行ひ給ひ、以て支那の理想とせる王道政治の精紳を質現したり。これ
質に人類歴史の一大偉観なりといふべし。
後篇 皇 道 政治
第十二章 皇 道 の 本質
現人碑ニマシマス 天皇ノ道
天祀ノ碑勅
三種ノ碑
日本ノ臣道
明治天皇ノ教育勅語
皇道とは、現人碑にまします 天皇の行はせ給ふ道をいふ。
皇道政治とは、現人碑たる 天皇の行はせ給ふ道徳政治をいふ。
皇道の根本は 天皇に在り。
天皇は、天照大御紳の御顕現としての天つ日嗣にして、碑ながらの道の表現なり。
天地生成の碑徳たる至仁・至愛・霊妙・碑聖の精紳共のものなり。人にして面も紳な
り、即ち現人碑にてましますなり。面して碑ながらの道を行はせ給ふ、之を天皇道、
第十二章 皇 道 の 本質 一四七
後 擔 息 说 致 治 四八
略して皇道 といメ。
天皇は三種の神器を奉じて、 天っ 日制の御位に師 かせられ、 天順天照大御神の神劍
に張りて北の関を知ろし名し、 三種の神器の精神を以て大御資なる國民を治め、 道德
政治を行い結ぶ。 故に皇道は即ら神ながらの道なり。 支那の王道は自ら北 の中に包含
す。
我が制定も、 赤世界無比の正道を有し、 無上の敵を以て 天中に平し、 以º
道を愛す。 正道は皇道と離るべからざる?のなす。
皇道は、 其の道德政治を行大戦に於て、 支那の王道 と同じけれと 、 張の特色人 。
天皇に依りて彼現せ
る所は、 李仁·李俊の神像を寄せらるく理人員なる唯一 系の
5るる動に在60 ㎏の 天皇の神像は、 支那賀の飛機だに 及ばさる所な。
北.香 の理想とせる王道政治は、 彼に日本の 天皇に依^て始めて覚する'を掛
-
なるなり。
=] 給 と ○
命 即 即 藍 ふ
。" 豊。蹴 議 為、携 影 焉澤 命 、種類 故豊 -

豊実
エ全 普磐
八 盤 に
。 耐
防 孫盤 * * 響移
読 業。
マク 、リ * 天|登 豆ー タ ゞマ
章 王ル
命 五
星 し 勅リ 就書
尺 [=
『 劉 "丸 鏡盤 物% 照
iſ 写 作 5 突社。 一w ラ
皇 、リ 宜 鏡 に て に 面憂 勅ſ ク テノ>オ
SM-
迫 天
- ノ

2。
-
" * ";

- 上。
い よ 前零。 *
治 - ・

1
上{ 又を
-
又 祀。
いカ
- *『三

-

数 蓋 魏。機 黒 器糞
本 安, 地* 豊 \
*。 *窓
リ類 以
石; リ

丸 壬

鷲、“、露。剣
論 獲 魏 * 整 行
イ . 。3
リ 凝。 上目
リ 賜。
賜。
使。。
リジ 常* 三。 際、突憂
國 岡 * "{ 妹考;
命 祀上場 。ー宴
配* %、シ 種ル 豊 豊 ュー リ 芸等 津ツ な白、『ア
特。狩苦闘
特。 " 豊 数 営 *
-- 一・*
“: * 大喜 琴
テ 玉ク 兄ク 彦監
!!

焉 砲。 "
O ー一 \。
秀 闘

祀響会 驚
原客 作; 麓 燃物
** 環ー
"霧 授。 購 せ 之。 後 リ 命 、環意
黄、両 懸 エ 蓋型。 *ト 杵。
w チ 賜。
興ュ 塁 萬 れ
端" 隆。
リ影 百オ
蓋経 翻
忌3 - 1
い"
- - - ー料 |* キ 乏ーマ *てノ

回。
iLー
孫。 -i
に 萬
冠 世
常ア
下 メ
之ノ
:H!!
算「狩《 -
量 坂党

AY
#林み
共 篤を恋ク つ
- 籠;
リリ 繋振 命器 祀※ 環芳
数。
蹴業 - ニ 人

編 魏 蓋"リ 天驚 - - 入 ー 爪* マ

曲。

以 *。
リト 所
以 あ 稲。
壌 夫と記
*ェ 五部 太魯
土多 玉3
、マ

篤* *
- -

窓 天 器 需 部露命率 警。
に* と、全 ル - ベ -)与- ミ -

-*

鏡 器
荒端 * が燃 著驚
懸豊 孫{ リ
耐; 猿 翌2
四 ーい 也 神運 # 髄% 数 " 宏狩 鎧
力L 仇ァ "
以 茅


° 関
両終素 付。 f任 。
使装 岳城 草;

天 -I→
玉 J-ム
治 宇、リ
ヴ魏 。 祀霊 鷲 薙 ャ
ノ 「* タ マ 士工士ア -

翁/ flラ め 窓 配 然務 劉
屋ノ
リ 従Sj せ
さ 籠 燃 編 *。
H!。 侍。 浜 ス wギ

笠り 二丁堂 女介 三 *
後 篇 皇 道 政治 一五○
と。天祀碑質の授賜たるや、碑意深遠、心を以て心に博ふ、 間の測知すべきに非
と難☆、試みに卑見を加へて左に之を付度せん。
鏡は即ち太陽の如く、明晃晃として一酷の塵挨を止めず、偏く宇宙を照らして豪雇
の私なし、面して萬物を生成す。これ即ち天地生成の徳を象徴するものにして、共の
形の圓満無得なるは、即ち碑徳の廣大無漫なるを示すものなり。面して是を以て吾を
祀るが如く、朝夕居を共にせよと勅せられたるは、特に紳鏡の徳に重きを置かれたる
のみならず、天祀の統を襲ぎ碑を継ぎたる天っ日嗣の奪影を碑鏡に寛し、日夕反省し
て基の徳を新にせらる、の意を高せれたるものに非ざる手
天地生成の徳は、人に在りては即ち仁なり。漢儒 請へるが如く、仁は則ち虚霊不
味なる天賦の徳性にして、概括して之を請ふときは、仁・義・濃・智の四徳を奪ぬる
。のな。故に神鏡は即ち仁の徳の象徴にして、あらゆる徳を奪ぬるものなりといふ
べし。面して剣は即ち勇の徳にして武を象徴し、聖は即ち智の徳ににして文を象徴す
るものといふべく、三種の碑器の精碑は孔子の請はゆるは「知・仁・勇三者は我能く
する無し」と讃嘆せられたる至徳を包含す。碑慮の安遠なる、眞に恐備旦驚嘆に勝へ
ざる所なり。
三種の碑器は、歴朝之を博へて皇位の謎徴と貸し、崇敬の誠を霊させられ、面して
歴代の天皇は天つ日嗣の現人碑として、碑勅の精紳を継承弘懐せられ、天っ紳と共に
一貫流通せる至仁至愛・廣大無漫の碑徳を永遠無限に務揮せられ、共の政を行ひ給ふ
や、豪末も功利の観念なく、天成自然、日光の物を照らすが如く、 父母の赤子に於け
るが如く、眞に民君一鶴・上下一徳・天下一家の質を撃げ給ひて、永く喩はることな
し。これ質に碑そのものの表現なり、道そのものの表現なり、徳そのもの表現なり。
面して我が臣民も赤厚く祀先を崇奪し、心を一にして 天皇の徳化に参賛し、由って
以て宇内を徳化す。これ則ち皇道の質鶴にして、共の奪きこと、宇内に冠絶する所

第十二章 皇 道 の 本質 一五 一
後 篇 皇 道 政治 一五二
皇道の根本観念中、最も重要なるものは、祀宗崇敬の観念なり。祀泉崇敬の観念
は、上は悠遠無始の昔に遡り、下は永久無限の未来に亘り、父母孝道の延長にして子
孫慈愛の観念と表裏するものなり。比の観念は我が國君臣の共有する所にして、氏族
制度の因って立っ所なり。天皇は固より天祀大碑の継績延長にましまし、祀宗の崇
敬を以て皇道の第一義とせらるること論なし。天皇即位大濃中、大常祭の御儀に
天皇御一人にて御身親ら深夜、碑と封座して行はせらるる御直曾の碑事は、霊秘・荘
厳・崇高・幽玄、眞に碑の継績を誇明せらる、ものなり。又毎年一月政事始の御儀が首
相及び宮和ょり、前年中、碑宮祭事並に宮中祭事の滞りなく行はれたる旨を奏上する
に在ることは、碑の道が即ち皇道の根本にして、我が園の 政 の根本は即ち祭事に在
-

-
るが故なり。
我が日本臣民の臣道は、赤字内に冠絶せるものあり。面して皇道を翼賛して共の表
裏を貸すものなり。
武ら盤念市



信封
終不況
なの



なす
ざる 火か

N




なり
もの
いる














ばか災 にし


れ な覚















特殊





て り と





德 なるとるら



6
な在








さず





は すべて德高本行











なく
こと
最北徳ばる

道にし

な といふ


大御神







以來













成 皇


く ば臣式るめ井れ
た,



あ勝





6

正か



大は

金 同時に


,
之後



N
以上


=







まで母、

る 大して



6









3





同我
とと

御神
じく 道以てす皇德








天我
を中





恋に

城市
最高


N

桜|
:


本質
小の三

(す
6

大量



され







^






。 *




}|i
後 篇 皇 道 政治 一五四
が臣民に徹底して上下四方に貫通し、我が臣民の皇室に封する忠誠と奪敬とは、凝り
て熱烈なる信仰となりたり。面して比の信仰は、幾千年来継績して、日本人の血液に
浸透し、骨髄に徹底して、共の天性と貸り、國民はみな 天皇が人にして、面も紳た
り給ふことを確信して疑はず。従って 天皇が悪政を施し給ふことは、我が國民の微
塵だも想像すること能はざる所なり。故に偶、税政の行はる、あらば、そは全く百僚
有司の責任なりとして、豪も 天皇の碑聖に疑惑を挿むことなし。事質上 天皇は、
現人神にましまし、全く人欲を離れ権力を超越したる仁愛・正義の結品なり。従って
百僚有司の税政は、獅雲霧の天日を癒ふが如く、如何なる場合に於ても、光明の本鶴
を害すること能はざるなり。我が憲法に、「天皇 碑聖ニシテ侵ス へカラス」とある
は、理論を述べたるに非ずして、この歴史上の事質を明記したるものに外ならず。古

「何事のおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こほるる」 「すめらぎ

は碑
紳にしますぞすめらぎの勅としいはばかしこみまつれ」 とあるは、よく我が臣民の
天祀及び 天皇に封する表情を表現したる*のな。
我が国民性の数厚質質なるは、共に世界に誇るに足る所な。し。
治のシにして、共の数厚賀質の風%は、乃ち又過さに以シす。 -
すんばあらざるなり。
柳、我が国民の租先崇拝は、日本精神の骨権をなすものな。『ーシ
の昔より今日に至るまで数千年間、萬世一系の 天皇の下に、一大家族に類する生活
間に
を戦績し、上、皇室に封する敬愛の情、極めて深厚なるのみな*、シ
於ける闘係も、先以薬、血液混治・胤統継承して親密なることシの 、。
に一ggの中に在りて職域を限り、振古以来、未だ付て他民族のシ。
なきを以て、民族的自奪心は純潔にして、且順る高く、基の和五のシ。
とも、赤他民族の間に見る能はざる所なり。従って基の性 、シー。
排他の念に乏しく、絶えて残忍・鶴湾の風なし。面して一般のシ、。
一五五
第十二章 皇 道 の 本質
後續 桜 治 一方 大
天の岩戸に諸神の神樂を奏して舞踏和樂し給 Sし特神を使統し、 和氣タ として共 の
生活を楽しむの風あり。 中東に目く、 「和なる者は天下の大道なり」 とº ︽日本民
旅は貨に この大道を測光 する架日 の存在なりº
師教 の使家 ,るや、 其の忠孝 ・仁義の数は、 克く設が皇道 ・ 民風に説にして従 , 其
の道德を振興し、 佛教2米克く飛が関體に韓化して意志 ・仁愛の美風を助長し、 共に
我が乱を無したす。 他 ·佛教宗の側に食べて、 劇《我が日本に修行するに
至れる所以の2 のは、 即ら飛が皇道の至 1至愛 ・ 魔大無邊なるに由 る ものにして、 文
我が風眼の素質の如何に純其質等 にして、 其の風俗の如何に教育學報館なるかを識別す
る のといふくし。
上の 、 张=不の乱は、 熊の巻にして、金剛 性金(
分離すべ からざる 一體不 二の3 のなり。
明治天皇の教育新語は、 よく飛が 皇道と國體とを開明 られたり。 目く、
於維 フ 成 之 星加 里奈國之旅 ムルト安道德フ期ッ 形 n ト達摩ナ 9 ⓚ㎡
克ク中文 《老 三 個光心 フジテ世タ 派 2美フ海 也 形成 レ 我カ國體2 神龍
シテ教育 ノ 源源亦從其 三 比 在 ス
術性民後期 三 老 三 兄弟 安東線和和 ン明安和信 シ 非使 J レフ 特 ン博愛樂 及 卡
シ 學ラ他メ 業ラ科 と以 智能 プ 形数 多德裕之 成就 シ 進 ンテ 公益ラ 族3世務ア開 キ
帝國憲ラ重 ンシ 國法 通と 1 日 終息 7 レ 為明公 本 シ以 天樂集第2章道フ
获家 スペシ 是《 如キリ 族 之 患 2 亞民 タルノミナラス文以 增加生2 選區
フ 期形 ス 形 是Nン
斯》 通貨 成 之 星舰自杀 2 进制 シテ子孫氏 2 但 通 寺スキ 所之7古个
通 シア語っ ス之 ア中外 旅 シテ 性 フス ︽斯氏ト 構築學術 ンテ成英德 7
! ントフ 來幾 フ
聖物の公明正大、 其に初として日 月の加しº
第 十 二章 说 の 本質 1 五十
後 籍 * 1 至八
國7條 公 形 n ト安達 とは、 即ら天順 の神廟、 神器接關、 武世系天つ日制の天皇
統治の史實に非子やº 羯が正民が終始 實して共の正道を離しなる事實%、 赤銅器に
明示し始 加し。 これ成が頭職の世界に逃離 でる所以にして、 皇道の根茎は彼に成に
在 6て存するなり。
朝鮮は更に五峰の道を説さ、道德の細要を明かにして、 亞民の概念所を示させ始 が、
斯人 道德 成分 配制室奈>業訓 ンテ子孫區民》报道等スキ所之 ア 市合 通
シア帝 フス之7中外 旅 ンテラス 艦橋正民ト但 李德黑魔 ン デ 數其德 》 »
トア派議 ア」 と述べさせ給 へ るは、 ︽皇親ら道德を負行し始 5て、 亞民 と供に期の
道と遠 寺址んとの聖意にして、 至大至七、 其に恐種感激に勝 へきる所なす。
文郡の王道は、 非主自ら真の徳を明かにして、 クを正式に及す% のにして、 新語の
未設と相同じ さものあり。 而2、 支那の王道の企及し難さ所以は、 我が皇道が特殊な
る頭職に在6て高低 一 系の現人神たる ︽皇がク を行はせ 給ムの監に在 すて存す。 即
** - -- - - --*_*
=不の乱に文脈の王道を包含する のにして、 道路とは我が=木の 天皇の
みが行は せ 給公所の王道政治なり)というて可なり。
德教の入り来るや、 王道政治の思想は漢末 に教座し、 大化の軍務以後は大いに度の
文物 ・ 制度を輸入して、 王道政治の興隆に努めなり。 衛後歷代の ︽皇の語新中、 赤
王道に言及 執りれ なるもの ある を見る 。
仁明天皇、 承和元年十二月、 金の義解を天下に施行 っるるの話に、
諸 レラ 神秘 術 形 形 主道 フ 先トス 形 所、 制ス 形態度量之以 2 シテ自蘇斯 在 9
とあり。 文 に富山天皇文永十年四月末言の 話に、
帝道フ行 《 k 则 于 帝タリ、 王道 フ行 《 明す 王タリ
~あり。 知るべし、 德教の使家と共に輸入やられなる王道政治の思想は、 古朱德統の
車道政治 と共の精神を同じく せるが故に、 全く設が皇道に振取 せ られ てク に話作する
に 至りなる ことを 。
第十 二章 送 の 本質 1 至九
後 篇 皇 道 政治 -
一六○
上述の如く、皇道政治とは、天皇の行はせらるる道徳政治にして、天皇が天祀の
紳勅を鶴し、天地生成の理に基づき、天賦の碑徳を無限に擁充務展して、一切の人民
を徳化するものなるが故に、皇道は即ち碑ながらの道にして道徳の務展搬充なり。従
って政治・経済・寧問・教育・文學・技藝より冠婚・葬祭・交遊・宴築の日常生活に
至るまで、共の鶴様形式の如何に拘らす、道徳の精紳を以て一貫するものなり。
特に 天皇の政府としては、共の一法一令、悪く道徳を以て基本となし、一施一設
みな仁義の精紳を以て一貫するは初論、政局に常る官吏・公吏・議員・職員たるもの
は、立法・司法・行政その何れの機闘に在るを問はす、常に世界無比 の皇道を念とし、
天皇の大御心を鶴し 天皇の徳化を双費して、人民の道徳並に生活を高むるを以て
第一義となさざるべからず。就中、直接人民に接鋼する者は、造次にも、願浦にも仁
愛の精紳を忘る、ことなかるべく、決して功利の思想を抱き、権力の観念を持し、謀
略術数を弄するが如きことあるべからず。仁愛は質に皇道政治の精碑なればなり。
『』 シ『 』
第十三章 ་ 皇道政治 の日本史觀
日本には日本 化の後辭 "、 文書には文書 の帯 =、 神奈。 して、李
即ち 共 の思想の後解 にし て、また正 の思想を養成するものなリ。 故に今法 に各國政治史の製紙を 破裂し、
列强 の関数比較表を始し、 以 て思想の後公、 國連の消長並に政治 の得失を明かにせん と彼す。
我が 日本 の 政治は、 古 朱常通を以て終始 一 貫い。 支那の 理想 とする王道政治は、 中
道 の中に包 含む られ て 敗が図 に作 現しなり。 我が関に 於 ては、 政治 に降伏 す と離
に 至り ては、 宮古德は る ことなし。
日本北起 の 北に 付く、 「故天照大神、 方開 天津港大政策在神、 八張發而王、
及人 收錄、 改 修飾、 三種將物 公タ 、 「阿勒,自稱 , 目、 葉原子五百政之魂神岡、 光子
魔王之地、 熊、 陈、祭之術、 永康熙 ** *
從十 三笠 议 政治 の 日本史觀 1 <
後 篇 皇 道 政治 一六二
一シと。これ即ち碑徳の発展、道義の結晶たる我が日本國鶴の淵源にして、面
して又萬古永勃に一貫せる我が皇道政治の精髄なり。
我が日本の、萬世一系宇内無比の國鶴はこの碑勅に由りて確定し、仁・知・勇 の 耐
三川
徳は に由りて闘明せられ、園民を天御賞として知ろしめす道徳政治の根本精神 は是
*
に由りて標示せられたり。
天祀の碑勅は柄として日月の如く、爾後天っ日嗣の歴代の 天皇は、三種の神器と
共に皇位を継承し、現人神として天地生成の碑徳を務揮し給ひ、民を祀ること赤子の
如く、常に皇道を質行し給へり。面して我が臣民も、赤日本濁特の臣道を霊して終始
『、シ 心協力、以てシして、幾千年間発も はることなし
紳武天皇己未の年春三月辛西の朝丁卵、認して目く、
「上 則チ乾霊ノ國ヲ授ケタマラノ徳ニ答へ、下 則チ皇孫ノ正ヲ養ヒタマフノ
-
イへ
心ヲ弘ム。然シテ後ニ、六合ヲ奪ネテ以テ都ヲ開キ、 八紋ヲ施ヒテ宇ト貸サンコ
ト、赤可ナラズャ」
と。宏遠なる哉、この聖旨。
崇碑天皇四年冬十月康申の朝千申、認して目く、
アマツヒツギ、シロシメ
「惟レ我ガ皇祀諸ノ 天皇等、寝 極ヲ光臨 スコト 、豊ニ 一身ノ貸ナラシャ、
蓋シ人碑ァ司牧シテ天下ァ経論シタマラ所以ナリ。故ニ能タ世々 チル功ァ闘
キ、時ニ至レル徳ァ流ク。今魔天 避 ァ奉承シチ、 元 ァ愛育ス、何常ニシテ
皇祀ノ跡ラ基盤ヒ、永タ無窮ノ 群 ァ保タム、共レ群卿百僚、 爾ノ忠貞ァ場シ
テ、共ニ天下ヲ安ンゼンコト、赤可ナラズャ」
と。以て現人碑たる 天皇の政治の精紳を見るべきなり。
仁徳天皇四年春二月己未の朝甲子、群臣に語して目く、
「咲高豪ニ登リテ以テ遠ク望ムニ、畑気域中ニ起ラズ、以貸へラク、百姓既ニ貧
シクシテ家ニ炊ク者無キカ。股聞ク、古へ聖王ノ世ニ 、人々 詠徳ノ音ヲ 調シ
第十三章 皇道政治の日本史観 一六三
"




後 篇 皇 道 政治 一
"
ー 四







チ リ、
セルョトヲ
窮乏
百姓
ラ即





ナズシテ
五 穀 リ家リテト々







ミ康





ナ。








内スラ否同
セザル



、況ャ畿外諸國ヲャ」
三月己五の朝己西、認して曰く、
「今ョリノ後三載ニ至ルマデ、番ク課税ヲ除キテ百姓ノ苦ヲ息 セント。是ノ
ミ、コロモミ、クツ アラタックス エクサ
日ョリ始メラ輔衣・轄履、弊シ霊チザレバ更メ貸ラズ、温飯暖変、艦艇ラザレバ
場へズ、心ァ制シ志ァ約メラ、以ァ無貸ニ従事ス、足ァ以テ宮垣崩ルレドモ造ラ
ズ、茅茨壊ルレドモ葺カズ、風雨、隙ニ入リテ衣被ヲ治ホシ、星辰、漏リテ壊
リ入り、床震ァ露ニセリ。足ノ後風雨時ニ順ヒチ、五穀農催ナリ。三総ノ間ニ百
姓富ミ寛カニ、頭徳既ニ満チラ、炊姻マタ繁シ。七年夏四月辛未ノ朝 天皇豪上
ニ居シラ遠ク望ミ給フニ、姻気多ク起ル。是ノ日皇后ニ語リテ目ク、(前略)「共レ
天ノ君ヲ立ッルコト 百姓ノ貸ナリ。然ラバ則チ 百姓ヲ以テ本ト貸ス。是ヲ以
テ、古ノ聖王ハ、一人ノ飢寒アルトキ 顧ミテ身ヲ責 ム。今百姓ノ貧シキ 即チ
喉ノ貧シキナリ、百姓ノ富ム 是レ則チ 股ガ富メルナリ」
と。之を諦して誰か聖徳の大なるに威泣せざるものあらん。敢て問ふ、外邦に比の如
き君主ありや。
雄略天皇二十三年秋八月康午朝内子、天皇疾弾、甚だし、遺認して目く、
「方今匿宅一家ノゴトク、畑火萬里、百姓シ安クシテ、四夷資服ス。比ニ又天
意シニセント欲セリ。所以ニ 小心己ヲ励マシテ日ニ 一日ヲ憧 ムコト 、
シ百姓ノ貸ノ故ナリ、臣・連・伴・造、日毎ニ 参朝シ、國司・郡司、時ニ随ヒ朝
集ス、何ッ心府ァ盤期シテ誠メ敷フョト盤熱ナラザラシャ 義乃チ君臣、情
父子ヲ傘ス、庶ハクハ臣・連ノ智力ニ籍リテ、内外ノ歌心、普天ノ下ヲ永ク安築
-
ニ保タシメントヲ欲ス」
と。至仁至愛、眞に民を祀ること赤子と同じ。
第十三章 一六五
皇道政治の日本史観
後備 ॥ 一次 大
歷代天皇仁至至愛の聖德は上述の加し。 而して上代に於ける飛が聞の政治は、 調は
める民族政治にして、 皇室はその中心なり。 而して國民心 な制生を歩が、 血統 を重ん
じ、 人情・義理・相愛・相和を以て 武し、 曾て繁體液態の攻を行はず。 是に由 6て
皇道の光譜は金融風となるに至れ 6
應神天皇の御字に、 百濟の王仁が論語及び 千字文を総じてより以來、 師教は、 政府
の繁體と愛者 の指導とによりて藩 家 或が関に放送り、 その説く所のに 装 ・ 忠孝 ・ 講義
東邨の数は、 我が関誌 ・ 民風に合致して道德を振興し、 その王道の説は、 全く設が
道 に離他して、 大いに道德政治を神神しなり。
鉄明天皇の御字に至り、 佛教の渡来する あり、 その孫無 ・ 志雲の教は、 頼る國民通
德を神論し、 風俗を教原ならしむ に 足れり と離3、 往タ にして武が関の 夫皇中心 •
祖先秦野の風と相容れ離さ め のありしが 特に、 一 たび法禁を被り、 その後、 女 た大連
物浦氏の反對を受け、佛教徒かる義民は、 物浦氏と和佛 羅氏の敗北に厳した
,9º
かの無我馬子が私通の大罪を犯して、 而*なは義を免れたる所以のものは、 因果
應部の思想 と結業の概念 とが、 多少彼の罪悪を徹したるには非さる平 是して総 6
とせば、 これ使教の除整なりといふ ベしº
次いで絶代の像人聖德太子の深く使教に帰依し、 克<之と設が図帳に離和社し ひる
大 同時に、 これが放流に力を備されたり。 衛後歷代の 大量相識いで之と信布し、 聖
武天皇に至りては、 全國に関分寺を建てて、 多数の補足を記録 さられたす。 哈 の間、
最傑夫 ・ 李海法大綱 を初め、 佛教の旅學・高德杰出し て、 真は絶望 安 の道
場を建て、 成は本地華義の説を機的、 佛教をして文《我が開設 ・ 民情に離合體化セし
もるに至り、 その大乘の数なる伝授の精神は、 我が良親を神無し、 我が観光性と
しなる こと極めて大なりº
李從太子の制定に係る魔法中使は、 熊の問題と他後の問題とを 卒 ,る のに
*
第十 三章 是道政治の 日本史觀 | 人也
後世




明罰






十 察 十 九
過 早朝 任







退

早 賢哲 六





















、 、 五 必





三 賞 一目
謹 二





目 、

目 同 、








目 曰 目 、
目 、
目 八


政治












、 良典
















、 略

C




シ以



以皆


)
参照
クハ下 と
軌れる範

政治
まで
な至る

即ち

なり
もの
十二日、 國同國道、 ク鉄 自建國無關主 李士班長、以 王喬夫、所 任官司、
背是王正、 何故與 公款,百姓
十三日、 諸任 官署、 同知識學
十四日、 群臣官後、 無有線新
十五日、 背《紅 四 公、 是正之道交、
十六日、 使 民以《時、 古之 長興、
十七目、 大事不可 福斯 以與《家官職、
これ 変く道德の終盤にして、 王道政治の精神を 被派 也 る2 のなり。 之を かの維馬の
古代に於ける十 二表法が極力 と利益との 生徒 を 調節 せる もの に比較すれば、 東西兩國
に4ける 政治思想の間かに抑えれるを知るに足るべし
太子は文、 質を改め、 國史を編し、 施業 ・ 施族を行い、 大いに文化の進展と普及と
に力 を殺されたり。
* 皇道政治の 日本史觀 ] <れ
後備 自軍 進 致 治 1 セ0
太子を証 る こと機はく ふなくして、 大化の大革新は行は打 たり。
此の時に常り、 支那に在すては、 唐の李氏天下を統一 し、 太宗帝は、 魏徵等の名臣
と共に、 衛武王道を負行して大いに治結を掛け、 文物接從として光彩を 放 てり。 我が
大化の改革は太宗の死より後る く こと大年なり。 されば誰都支那の王道 政治を模板し
なる こと、 2)とより師を後なす。
初め考德天皇の改革を行はんとし始め、 宮廷大概観の下 に難民 を召集して、 Nた
盟はしめ、 天神地旅に告げて目く、
「天 後 と 地 戰ス、 帝道 離 一 ノミ、 而 シテ本代建築 ンテ、 若正宗 之 失 と、
皇天、 手ラ成 假ンテ 州通ア教義 ンタリ、 今共 心血ラ族乡、 而 ンテ自今以後、
背後アク、 正 陽子クラ、 若» 此《國家 盃地板")、 安徽
人找タン、 破 トシテ 日 月 ノ 如 クシ
と、 以てその衛天の楽を見るべし。 例えを明治の維新に似たる 。 天皇は文英國
の國司等に認して曰く、
「集侍セル群卿・大夫、及ビ臣・連・國造・伴造、並ニ諸百姓等、成ナ之ヲ聴ク
可シ。夫レ天地ノ間ニ君トシテ漢民ァ率ムル者 、濁り制ス可ラス、要臣ノ翼
ヲ須ッ、是ニ由リテ代々ノ皇祀等 、卿ノ祀考ト共ニ倶ニ始メタリ。喉復タ碑護
ノ力ヲ蒙リテ、卿等ト共ニ治メント思欲ス(中略)。凡ソ治メントスル者 ハ、若シ
ク 君、如シク 臣、先ゾ常サニ己ヲ正シクシテ面シテ後ニ他プ正ス べシ、如シ
自ラ正シクセザレバ、何ゾ能ク人ヲ正サン、是ヲ以テ自ラ正シクモザル者ハ、君
臣ヲ探バズ、乃チ狭ヲ受ク可シ、豊ニ慣マザラシャ、次率キテ面シテ正シクセバ、
執 レカ敢テ正シクセザラシ (下略)」
と。大化の革新は、唐の政治を模倣したること初論なれども、國内に在りては氏族制
度の弊害年と共に甚だしく、豪族は土地・人民を傘併して、蘇我氏の全盛時代に至り
て極まれり。故に従来の氏族制度を廃し、土地・人民を朝廷に牧めて中央集権を確立
第十三章 皇道政治の日本史観 一七 一
後 幾 易 逃 致 治 | 1
するの必要を成する に至りなるなり。 是に於てか、 原则英道なる中大兄 量子は、 中亞
の織是と誤りて輸送信上 の家族源或馬子を課し、 その勢に乗じて大革新を新行したる
なりº
大化の革新は、 明治の維新に至る 食で、 未だ て有りぎる大革新なり。 今その授權
を 示さんに、 先っ年號を 立て大化と読し、 中央は太政官の下に八省 ・ 百官を置 さ、 全
國た大十餘國に分もつ、 地方の関 ・ 部 ・ 宮 ・ 甲を証書して、 里長 ・ 部司 ・ 國司を置さ、
國造 ・國司の官職世襲を禁止し、 唐の新田の制に則,9、 良家の子女生れて大族となる
や、 男子には水田 二段、 女子 にはその 二分の 一 を東 へ、 每大成にク を検し、 敵に 無伴
を止め、 土地の翼を禁じ、 公地 ・公民に改めたす。 是に於てか、 國道等の機方は東
失して都縣の制となり、 整然として中央集權の形を成すに至れりº
大化の半新は 文和秘を 改め、 京 在を伸ベ、 兵を繰り、 食を足らし、 體態を教 へ、 風
給を正し、 大いに文化を終場しなり。
我が園は、古来、祀先を奪び血統を重んじ、氏族制度を以て赴倉・園家の基礎とな
す。面して氏族の大宗を皇室となす。一祀先より出でたる一族を氏といひ、氏の本家
を大氏、分家を中氏といふ。氏には大伴・蘇我・葛城等あり、大氏・小氏の各の長を
氏上と稲し、氏上を継稲して伴造・伴緒ともいふ。大氏・小氏は各部民・氏人を所有
せり。部民は一 に品部・部曲ともいふ。例へば、中臣氏には中臣部あり、管部氏には
管部部あるが如し。氏には一定の職ありて之を世襲せり。又、氏人・部民も己の属す
る部民の職を世襲す。例へば、祭祀は中臣氏・中臣部、兵事は大伴氏・大伴部の如
し。氏の名は主として職業・地名等に擁れり。例へば、中臣氏は職業により、高市氏は
地名によるが如し。氏族制度は親族政治を以て多年の間我が國を治め、親睦・融和、
整然たる秩序を保ちたりしが、世を経るに従ひて、氏族の勢力に盛業を来し、後には
蘇我氏濁り強大にして、その権威皇室を凌ぐに至り、中大兄皇子と中臣の鎌足との貸
に亡ほされ、大化の革新が中央・地方の制度を改め、豪族の権力を奪ひ、中央集権を
第十三章 皇道政治の日本史観 一七三
後 篇 皇 道 政治 一七四
大成するに至りて氏族制度は順る衰微したり。然れども大化以後、藤原氏一族の勢力
盆く旺盛となり、後には平氏・源氏二豪族の勢力増大し、遂に武門政治・地方分権を
誘致せるが如きは、赤氏族制度の観念が祀先崇拝・血統 重と共に園長の鷹魔に深刻
して、 抜くこと能はざるものあるを見るに足る。これ我が國の美風なり。
然れども、急激なる改革は容易に数を奏するものに非ず、輸入制度・翻譚政治は、
その消化融合、極めて困難なるものあり。支那に在りて王葬が井田の法を行はんとせ
るが如き、王安石が新法に於けるが如き、理論に馳せて質際に適せざるものは、遂に
魔滅に騎すること、歴史の明示する所なり。大化の革新や盛は則ち盛なり、大は則ち
大なりと難も、軍覚、唐制を模倣して、速かにその数を牧めんと欲したるが貸に、班
田の制を初め、久しからずして魔滅に騎したるもの少からず。これ自然の勢なり。
大化革新の除勢は、制度の改正より進んで法律の制定となり、六十年後の大質年間
に至り、天智天皇以来の令律を更正して浩溶なる大賞令及び大賞律の発令を見るに至
政本





Č





| 治 現める8かのに今 6









世部分

も宗

僅使
納は
6に

のみ 地た

から










より









㎞ 表



族 描體り線く 十
繋ぐ
こと
精密

あり
もの
直なる


その
な定律
全入




に もべてのくる定 、

,

規世






ざを
なせ
す所
そ数


二 羅し位義め老夫 。
·


不八

初不
反道不義
崩品に



人 興定校法今け學 と



設設け
現を




刑なり
高の




にし
法法典

, 1學


1
+





















に 1




都 °
9
,




1








支大武


しを
あ化





し にするりにし する
面りた那目 º

特%

要て

な注意
所 判明

^








任意








こと
なる罰





星 官制


兵じ
田制






6











º 定


後 簡 息 说 致 治 -|




,

古朱 高舉が せ g國」 として議論を好きるの風あり、 文件 を決する


には、 相殺傷 せ ずして、 紫陽の法の如く に副总に頼るの風あす。 かの希臘・雑誌の
韓國と光伏、 作詞を好むものと同じからず。とよ《金組織 ・生活祭儀の異なるに
白水 艦も、 赤坂に民風の質社教座にして、 愛情に沈み、 平和を愛する に山ºんば
わり るた 0 ㎡%、 多年の間、 文字・書籍の具はらざる、 法律の後述 できる、 赤
たりといふくし 終るに、卒然として造番目撃戦なる非怖を輸入しなるは、不必要。
正不適當の施設なるの成なさに非す。 法律に無關心なる成が国民が、 途にその大部分
に設定し ひるに至 6たるは、 赤 に関情 ・ 民風の総らしむる所なんとい。 ペー 。 か
の加治の時代に西洋より離大きられたる民法・商法等の運命は果して 知府
聖德太子の際に使を離はしてよ6以後、 支那との交通は徒》報業にして、 桃の
陳寶、 低俗の留學あり、 佛教及び他数は漢末に降與して、 王道政治の思想は 家、服
O
と なり わた,り
大化革新の後も、 歷代の 夫皇は、 みな車道に遠由し、 番く意を行政 に 施し結 /,9°
天武天皇十 二年正月建議の放の語に官はく、 「傳 《 開ク共 2 天瑞ナル 者 、 政 フ行
ラノ 理、 天道 三 佛 % 討チ 之 三 條文 」 とº
光仁天天順天年正月改元大敗の際に はく、 天 以 大す1ę» NĚ
者 都サリ、 民 之 以 2 ら トę シ、 Nフ有ス 影 者 にナリ」 と。
魯山天皇文永十年四月末言の認に、 「帝道 フ行 公司手 李 俊 )、 王道 フ行 期す
王クリ」 と宣 S始 < 6。 その語は唐の太宗の兵戰敗要より出でなり。 以て簡學の影響
-
を見る に 足る。
備學の流行するに及び て支那些 种の風を生じ、 往タ にして日本間有の精神を喪失 せ
ん)とする もの あり。 信道節が皇位を期修改,るに常 6、 漢朝洪手、 沈んどęす所な かり
しが加さは、 赤、 支那帝位論議の思想が 一般學者 ・ 政客 の間に長制し 戻りなるが 狗な
らずんばあらす。 是に於 てか、 絶代の資相原稿者原道其は日本精神の復活を呼び て、
第十 五章 说政治 の 日本史觀 | 上也
後 擔 治 致 治 { <
和環流水の説 を唱 《、 泰して遺唐使を廃止したり。 衛來、 漢學術く表 へて、 漢學思想
を吸收したる日本間有の頭文學これに代り、 美術 ・ 工藝 %來支那樣板の城を 脱し、 途
に京< 我が聞網特の精神文化を殺掉 ,るに至りなり。
是より先、 紀元八百六十年神功皇后の 他建以來四百年、 連線鐵線しなる朝鮮の南部
に封する宗主權は、 秀明天皇の崩御、 中大兄皇子が飾江戰の結果、 途にク を放棄する
の 正行 を得さる に 至れす。
地 , 神功皇后の外他 は、 歐洲語國の侵略と異なり、 全く自衛の顔に出でなる ものに
して、 その任那府を設け、 南韓の 一 部を領するに常りて も、 諸外國の如く他服地の人
民を指使した る ことなく、 張を離さ期を 抜け、 仁義の精神を以て臨み來れるは、 即ら
皇道日本の日本なる所以に外ならず。 情しい戦、 カ是らずして遠にNを放棄したす。
朝鮮半島政策の後は、 天下太平にし て、 藤原氏政權を専らにし、 上下共に奇形文物
に流れたす。 近にして武門諾士の勢力擴<頭大となり、 源本二氏相爭 5なる結果、 源
頼朝、平氏を亡ぼしてより、諸國の武士皆その下風を仰ぐに至れり。
頼朝は征夷大将軍に任ぜられて政権を掌握し、幕府を鎌倉に開き、法制を立て、政
治を改良し、裁判を粛正し、全國に守護・地頭を置きて警察並に民治を司どらしめた
り。是に於てか、國司及び荘園の領主は潮くその勢を失ひて、守護・地頭は地方の質
権を握るに至り、武門政治の基礎を成したり。頼朝は皇室を奪び、碑備を崇敬し、将
士に武道を奨励し、質素・険約を守らしめ、平安朝以来の客修・文弱の弊風を 一鍵し
たり。
頼朝より以後、政権は久しく武門に委任せられたれども 天皇の現人碑たるの事質
は豪も鍵化なく、その奪厳は拾も空中に懸れる太陽と同じく、偶ふ雲霧の蔵ふ所とな
るも、その本鶴に至りては、萬古一貫、四海等しく之を仰いで溢ることなし。これ則
ち我が園鶴の世界に卓越せる所以なり。
頼朝に次いで、北條氏は、将軍の執権として、事質上、天下の政権を掌握し、奪王
第十三章 皇道政治の日本史観 一七九
-
-
後 篇 皇 道 政治 一八○
の大義に於て鉄くる所あるも、泰時・時頼・貞時らみな深く心を民治に致し、冗費を
節し、賦飲を薄くし、非違を紀し、道義を奨め、大いに質質剛健の風を養成して士民
一般に克く主従の義を重んじ、名を惜しみ、恥を知り、濃譲を貴ぶに至りたり。特に
泰時の制定せる『御成敗式目』(真永式目、三四O貢以下参照)五十一箇條は、「一、可 修理
碑赴」専#祭紀』事。二、造す修ニ堂塔 勤行備事等』事」を初とし、武家並に人民の訴訟、
土地所領の規定より、謀叛・悪日・殿打の罪科等、秩序を保ち、風儀を維持するの規定
にして、克く民情に合し、簡にして要を得たること、唐律の比に非ず。後世における
法制の基本となり、徳川幕府に至りても尚之を参駒したり。
時頼の嗣時宗は絶世の豪傑なり。我が國空前絶後の外冠たる蒙古の大軍を破って妖
気を一掃し、天下泰平、士気旺盛、文運駿々平として進歩したりしが、高時の代に
びて、放縦度なく、途に後醍醐天皇の貸に誌せられたり。
後醍醐天皇は、北條高時を滅ぼし給ひて、政を親らし給ひしが、逆臣足利奪氏の貸
に追はれ、碑器を奉じて大和に行幸し、吉野の山中に行宮を定めさせらるるに至りし
は、痛嘆に勝へざる所なり。奪氏は別に天皇を立てまみらせ、之を奉じて天下に跳令
し、南北朝雨立の観を呈したれども、正関の理は途に之を案ること能はす、後亀山天
皇に至り、北朝と和睦せられ、青天一日、復た一酷の暗雲を存せざるに至れり。
奪氏は後醍醐天皇を庁け奉り、壇まに征夷大将軍となりて、京都に幕府を開きて政
権を掌握したり。その不臣の罪や断じて許すべきに非ず、然れども戦闘の間に在りて
施政に意を用ひ、『建武式目十七箇修』を定めて、質素・検約を撃め、肌路を禁じ、
遊隋を戒め、政務執行の軌範を示したり。
奪氏の後、義満の騎省、義政の批政を経て、天下潮く蹴れ、武家政治以来、潮次地
に勢力を扶植し来りたる諸豪族は、各地に幌起して各雌雄を争ひ、京都には嘉吉
あり、應仁の大飢あり。是より以後約百年の間、六雄八将を初め、群雄四方に割披し
て互に攻伐略奪し、請はゆる戦國時代を出現し、門地は類れ、名分は壊れ、たゞ質力の
第十三章 皇道政治の日本史観 一八一
後 御 易 说 致 治 | 人二
競爭となり て、 張さ者は上 を凌さ、 主を振り、 語はゆる下利上の風を成すに至れり。
政治の取らず、 皇道 の振はぎる こと、 未だ此 の時より世だし さは有りぎるなり。 然 打
とも、 歷代の 大皇はみな民の愛を以て愛 とせられ、 秋に後來自︽天皇の如く 、 皇室式
微の最2基於しさ時に常 9て、 常に深く人民の因親を愛媛あらせられ、 展~ 至 1の聖
目を減らさせ 給 5なり。 而し て國民の皇室 を尊大家の念は雲上に太陽の感れる を見るが
如く、 固まり巻末2變化する ことなく、 毛利元就 ・ 本願寺光宗 ・大内義隆 ・織田信秀
が、 戰亂の中に在りて、 即位の資を献じだるが如心vは頭著なる事例なり。
戰國時代は、 戰爭相繼さ國民は困備を極めたれとめ、 我が関民性の東軍なる や、 諸
家族以な民治を奪開にせず、 かの支那著しくは欧洲の諸國に見るが如 唐政を布 さな
る者なし。 例せば、 北條氏康の如く は深く行政に意を用いるあり。 武田信玄は最も民
治に力を現し、 上杉景勝は義を重んする こと金鐘の如く、 その正直江兼續のよく民生
を並べ なるあり、 毛利元就は道義を重んじ、 克(學堂に勤め、 艦上 のNた以て周の
文王・武王に比するものあるに生れり。元就の弟隆景の如きは、治教を修明し、下野
の足利學校に倣ひて寧舎を建て、先聖を響典するに至れり。島津氏の薩摩には桂庵玄
樹あり、儒學勃興の気運を促進したり。面してこれら五氏はみな領内の人民を愛撫す
ると同時に、皇室を奪敬し、官爵の任叙を受け、よく臣民の本分を霊くしたり。
上述の如く戦蹴の世、殺伐風を成したりと難も、道徳はなほ未だ魔類せず、武士は
みな剛健・質直の質を具へ、信義を守り、気節を貴び、名を重んじ、死を軽んずるの
風あり。請はゆる武士道なるものは戦國時代に発達したり。かの諸外國に於けるが如
く、軍に功利に殉して互に勃略するものと同日にして語るべからざる☆のあり。
織田信長は、勅命によりて 西上し、皇室を奉戴して海内統一 の 大業を貸さんとせ
しが、不幸中道にして整れたり。信長は皇室を奪崇して忠節を鍋し、戦國攻代の間に
在りても、克く意を民治に致したり。柴田勝家を越前に封するや、戒めて目く、「そ
れ國を守るの道は徒に武勇をのみ特むべからす、常に恩威並び施し、以て人心を服す
第十三章 皇道政治の日本史観 一八三
後 篇 皇 道 政治 八四
べし」と。乃ち共の修制を申べて目く、「賦飲を厚くする初れ、闘市を征する初れ、土
民を侮る初れ、訟獄を偏する初れ」 と。赤皇道徳治の精紳を解するものといふべし。
豊臣秀吉その後を承けて争蹴を平定し、 諸侯を統一 したり。秀吉も赤深く皇室を奪
崇し、諸侯をして堅く奪王を誓はしめ、自ら闘白・太政大臣を拝命して天下に跳令し
たり。
初吉は大陸統一 の雄略を抱き、國内靖蹴の除力を以て兵を海外に出したりしが、 征
韓の役未だ軍らずして病死し、家康その後を承けて、征夷大将軍に任ぜられ、政権を
執るに至れり。
徳川家康は、上、皇室を奪崇し、下、諸侯を駕御して封建の制を定め、天下泰平、
秩序確立して、國民は始めて安穏なる生活を送ることを得るに至れり。
足ょり先、和蘭・西班牙等の使節と共に、基督教の渡来するや、九州の諸侯を初と
し、潮次にその信徒を増加するに至れり。面してその教義、及び宣教師の行貸は、我
儒し

常講爆

たや






奪ずるりに學 政治
大いに
。 を以て


孔子

せ・



仁義










のしめ
道 高


山 保鶴


厚時に
崇、

名天海

ひ等
ま用
藤。





たり原た僧博く護 至れ

しむ

り 人んじ
重り



















を 情の




活 領来










たり




博 内*

に 表侯方し風気彰 ・



民士婦


興振

地を




諸たり



赤 を以て





政治









同時に
すると
孝 準




子 極り

至り

之 刑 氏
を以て











絶滅
。 禁


の 危ぼす
及國





を以て
たる









に 害




國蘇教禁来臣し民




致家康



豊思想
以、
耶氏

厳禁制


すると そし姓りの


よ徳川


百治世





愛し


政一





日第

史観
本治

た興









*
し る


全れ及國

至普碑

する

り 赤徳























政治み 地方




し 並
同學
四その


儒散☆
努振て
たに
従し
諸。
の 道り治説孝義張徳 共に
門って侯り力興學在方下 。
主吹
忠仁政治
政力・




た、





面 とれら
儒官
た養多数
こし
鴻。


み傾







王道
してな儒り成者 の
聖府き藤賀野し模堂 しめ
定信
く規松平

古柴を
尾栗山


如精

幕二


教 鳩け

吉宗
















しめて



たり巣


ぜ 奨鳩巣






室。

白石







にし




幕府
、 励 、




れ 綱り子し島た下吉

あり
する
木輩出
まは



湯順
興聖堂
孔に
祭て



近軍家

将軍家
三代


聖人


将樹


あり





綱 江



五後


綱吉
将軍











仁斎



父子

し 代




儒家 六


政治



後 -


ふく道か鹿る

山國學
明あり



士素行

説にし


儒學の隆興に伴なひて國學も赤勃興し、僧契仲・荷田春満・賀茂眞淵・本居宣長。
平田篤胤・稿保己一等の大家績出して、皇道を論じ、國鶴を明かにしたり。徳川光図
は「大日本史』を編述し、頼山陽は『日本外史』を著し、共に皇道・園鶴を顕彰し、大
義名分を闘明したり。徳川氏の末葉、外舶来り追り、幕府政を失ふに及び、奪王論の
魔然として勃興したるものは、質に儒學・國學普及の賜物ものなりといふべし。
備教も赤よく我が國民性に投合し、園鶴に韓化して道義を維持し、文化を振興し、
國家に貢献したること撃げて数ふべからず。徳川氏の時代に至りて、盆、全國に普
し、拾も國教の観を呈したり。
明治天皇の御宇に至り、徳川慶喜は三百年来継承せる政権を朝廷に奉還して、王政
は古に復し、天皇親政、未曾有の改革を断行せられ、海内一新、文物様然として興
り、徳化四方に遍く、大いに皇道を顕揚せられたり。
特に皇國の皇國たる所以として、西洋に封して誇りとすべきは、徳川氏の政権返上
第十三章 皇道政治の日本史観 一八七
後 擔 息 沿 致 治 | <<
に次いで、 全國諸侯が多年辛布し來れる政權を従容克爾として朝廷に奉還したる こと
是なり。
明治天皇は、 不出世の地元にし して、 王成を復古し、 政治を 新し、 柳宗
散し、 市民を愛情し、 皇道を明かにし、 國艦を築くし、 交を務め 武を動 し、 進んで
東洋平和の基礎を確立 さられなり。 その聖德安徽、 日照月應、 李的未だ曾て有りぎる
所た。 明治元年成長三十四日の 王蕭條《神父 に位はく
一 、 廣ク會議フ與 ン 高機公論 法 スペシ
一 、 上下心 フ ンテ 術 總編 フ行 フシ
| 、 官武 一途度总 主 化 進各其底フ強 す人心 フジテ 德 * アラジメン 事フ要ス
、 梁2階級)天地》公道 光》 »
、 智議フ 世界 末 3大 三 皇非フ張起 スペシ
我國末曾有2 線車フęナントシ 於明7以 )來 生 ンシ 天地神明 書と 大 新國是
ァ定メ萬民保全ノ道ヲ立テントス衆赤比旨趣ニ基キ協心努力セョ
と、大なる哉、聖語。皇道宏修の叡旨、柄焉として日月を仰ぐが如し。
同月太政官の布告に曰く、
一、人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスべキ事
一、鱗寡孤濁魔疾ノモノヲ欄ム べキ事
一、人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ悪業アルマジキ事
と。法は簡なりと難も、皇道政治の精紳、端如たるを見る、眞に東洋教化法の模範な
りといふべし。
天皇は天祀の碑勅に基づき、現人碑として碑を敬し民を愛し給ひ、寸刻も叡慮を緩
め給ふことなく、その叡慮は、すべて政治の上に現はれたるは初論、数多き御製を拝
謡するときは、無限の聖徳に威泣せざること能はざるなり。
一、人も我☆道を守りてかはらずばこの敷島の國はうごかじ
第十三章 皇道政治の日本史観 一八九
一九○
後 篇 皇 道 政治
一、とこしへに民やすかれといのるかなわがょをま*れ伊勢のおほかみ
一 、さゆる夜のあらしの おとに夢さめてしづがふせゃを思ひゃるかな
一、 民のため心のやすむ時ぞなき身は九重の内に在りて*
一、まつりごとただしき國といはれなむも☆のつかさょちから霊して
一、たたかひに身をすっる人多きかなおひたる親を家にのこして
一、ちはやふる碑の心にかなふらんわが國民のっくすまことは
一、暑しとも言はれざりけりにへかへる水田に立てる時を思へば
一、わが心およばぬ國のはてまでも夜書かみはま☆り☆すらむ
一、くにといふ國の鏡となるはかり磨けますらを大和たましひ
明治十五年、儒臣に命じて 『幼學綱要』 を撰ばしめ、忠孝を本とし、仁義を先に
し、蜂倫道徳を以て教育の大本となすべき旨を勅論し給ひて、これを群下に領賜し給
へり。
明治二十三年十月三十日に下し賜へる教育に闘する勅語は、皇道・園鶴を明かにし、
道徳を働まし、寧問を奨め、以て國民の響ふ所を知らしめ給へり。常時、西洋思洋影
汚たるの時に常りて、この聖語を拝せるは、拾も雲霧を披いて天日を仰ぐの威あり、
眞に萬代不易の金科玉條なり。
明治維新は、大いに皇道の振興を見たれども、時拾も十九世紀末、欧州列強は覇を
立て強を争ひ、功利思想・物質主義極盛の際にして、彼我強弱の懸隔最も甚だしかり
しょり、上下を撃げて西洋の制度・文物を輸入するに急なりしこと、俗もかの大化の
革新に於けるが如く、玉石を混消し、長短共に採りてその可否を問はず、政治・法律を
初とし、赴曾の萬般に亘りて悪く西洋の思想・様式を模倣するに至れり。就中、科學の
進歩、産業の革命に伴なひて、欧洲博来の功利思想・物質主義は油然として勃興し、
法律學及び法律の輸入は、新に権利萬能の観念を注入し、古来の淳風良俗は潮く破壊
せられて、忠・孝・仁・義の四道徳は餓にその権威を失ひ、紛々援々、利権の争奪を
章十三章 皇道政治の日本史観 一九 一
後 篇 皇 道 政治 一九二
惟れ事とし、途に赴曾主義・共産主義の発生を見るに至れり。
今上天皇は、深く皇道の振起に叙慮を致され、時勢の推移を診念し給ひ、践産の賜
勅に於て、縛く聖論を宣べさせ給ひたり。勅に宣はく、
候皇祀皇宗ノ威霊ニ頼リ萬世一系ノ皇位ヲ継承シ帝國統治ノ大権ヲ継擁シ以ラ践
昨ノ式ヲ行へリ奮章ニ率由シ先徳ヲ書修シ祀宗ノ遺緒ヲ墜ス無カラショトヲ庶幾

惟フニ皇祀考叡聖文武ノ資ヲ以テ天業ヲ依弘シ内文教ヲ敷キ外武力ヲ輝カシ千載
不磨ノ憲章ヲ願チ萬邦無比ノ國鶴ヲ撃クセリ皇考尻ニ心ヲ養正ニ宅キ酒 チ志ヲ継
明ニ省同クス不幸中道ニシテ聖鶴ノ不像ナル 股儲武ヲ以テ大政ヲ撮ス遮ニ登返ニ遭
ヒテ哀痛極リ岡シ但皇位 一日モ之ヲ噴クスへカラス萬機 一日モ之ヲ魔スへカ
ラス哀ヲ街ミ痛ヲ懐キ以テ大統ヲ嗣ケリ脱ノ寡薄ナル唯競業トシテ負荷ノ重キニ
--
任 へ サラシコトァ之レ 擢ル
戦近世態潮ク以ラ推移シ思想 鞭モスレ 趣舎相異ルアリ経済 時ニ利害相同シ
ヵラサルァリ比レ宜ク眼ヲ國家ノ大局ニ着ヶ撃國一鶴共存共楽ヲ之レ圓リ國本ヲ
不抜ニ培セ民族ァ無騙ニ藩クシ以テ維新ノ宏護ヲ顕揚セショトヲ継ムへシ
今ャ世局 正ニ倉通ノ運ニ際シ人文 拾モ更張ノ期ニ磨ル則チ我國ノ國是 日ニ
進ムニ在リ日ニ新ニスルニ在リ面シラ博ク中外ノ史ニ徴シ審ニ得失ノ述ニ撃ミ進
ムャ共ノ序ニ循ヒ新ニスルャ共ノ中ヲ執ル是レ深ク心ヲ用フへキ所ナリ
夫レ浮華ヲ庁ヶ質質ヲ向ヒ模擬ヲ戒メ創造ヲ最メ日進以テ曾通ノ運ニ乗シ日新以
ラ更張ノ期ヲ啓キ人心椎レ同シク風俗惟レ和シ汎ク一祀同仁ノ化ヲ宣へ永ク四海
同胞ノ証ヲ教クセショト是レ股カ診念最モ切ナル所ニシテ不顕ナル皇祀考ノ遺訓
ラ明徴ニシ不承ナル皇考ノ遺志ヲ継述スル所以ノモノ質ニ比ニ存ス有司共レ克ク
股ヵ意ヲ鶴シ皇祀考覧セ皇考ニ数セシ所ヲ以テ脱カ射ヲ匿弱シ脱カ事ヲ奨順シ億
兆臣民ト倶ニ 天壌無窮ノ質唯ヲ抹翼セョ
第十三章 皇道政治の日本史観 一九三
後 御 息 说 致 治 | 九四
と、 聖 日至 1至初、 湖に恐懼感激に勝 へきるなり。
次いで年號を認和と改元封じる。 昭和の文字は別ら 書經 の議員に 「百姓路则 に
して高郡を協和す」 とある王道政治の極致に合せり、 聖意質に深遠なす とい、し。
天皇制部位の後未だ義< ばく もなくして、 湖洲國の創建せらるくあり、 王道政治を
以て建國の精神となすことを宣言 す。 これ に我が皇道教規の 場にして、 協和地
邦の第 一 步なり。
第十四章 王覇混済政治の支那史観
天下ノ 一統ト王道政治
歴朝末ノ覇道政治ト無道政治
支那の王道政治は、遠く達・雑に始まる。葉・愛 は聖人にして、その政治は、支那
政治家の理想とする所なり。売・愛に次いで再・湯・文・武・周公はみな聖人にして、
面して位に在り政を施し、王道を質現したるものにして、後世の仰いで以て範とする
所なり。
業・愛の政治は前に述べたり(七五貢以下参照。
高は受舞の臣として、克く洪水を治め、受舞の輝りを受けて帝となる。徳を修め仁を施
し、天下大いに治まりたれども、十数代を歴て暴君築に至り、貧虐浮側、途に湯の滅
ぼす所となれり。
第十四章 王覇混清政治の支那史観 一九五
後 篇 皇 道 政治 一九六
湯は徳を施し民を撫し、売・受舞・再・湯として並び稲せらるれども、その初め夏王
築を伐ちて之を南巣に放ちたり。支那の君主を易ふること、質に湯に始まる。これ宴
に王道の大現弾なり。湯の後、数十世を経て約に至り、鬼暴・浮虐、酒色に沈溺して
変 修を怒ま、にし、賦税を厚くし、刑罰を酷にす。周の文王の子武王、村を伐ちて之
を打滅ぼす。
周の文王は、聖人の資を以て、小園の王として克く湯に事へ、徳を積み民を得た
り。その子武王は股の約王を滅ぼして天子となり、周公は武王の子成王の撮政として
仁政を施し、王道を行ひ、濃・楽・刑・政悪く具備して天下泰平、文物爆然として徳
澤四方に治く、成王・康王の際に方りては、風俗敦厚、刑、措いて用ひざること四十
除年の長きに亘れり。然れども武王の約王を滅ぼせるは臣を以て君を殺するなり。伯
夷・叔管の請はゆる 「暴を以て暴に代ふ」 るものなり。民の貸なりと稲して君臣の大
義を壊ぶるは打算主義に非すして何ぞや、功利主義に非ずして何ぞや。支那の後代、
易姓革命相次ぎ、王道の振はざる所以のものは、その國氏性に由るといふと難も、湯
武☆赤その責を負はざるべからざるなり。
周の末に至りて、王道衰へ、諸侯四方に割擁して攻伐止む時なく、勢を争ひ覇を競
ふ、請はゆる春秋戦國の時代なり。王道はもとより戦國富強を競ふの時代には質現し
難し。故に孔・子血の聖賢を以てして、遂に位を得て政を行ふこと能はず。然れども道
徳を明かにし、仁義を説き、王道の軌範を萬世に垂れたるものは、質に孔子・子血子の
力に由らずんばあらず。先儒孔子を奪んで 「孔子以前に孔子なく、孔子以後に孔
なし。大なるかな孔子」 と讃頭せるもの、眞に過言にあらざるなり。
孔子の教は、門弟の之を祀述する外、『詩経』『書経』『易経』 『春秋』 『濃記』『論
語』 などの書によりて、『中庸』『大學』『子血子』 などの書と共に後世に博はり、王道
の精神を務揮して、魔く且深く人心を支配し、支那の政治を論じ、道徳を言ふ者、北
子を以て模範となさざるものなく、之を稲して儒教といへり。儒教は即ち孔子の教に
第十六章 王覇混清政治の支那史観 一九七
後 擔 易 道 一方 八
道 の語なり。
記者 の 後、 歷代の 政治家、 治世に思 ある者は、 柳科以 安元 直の道に達 が で王
道政治 º ㎞し て領學將棋、 孔子 の道 を祖地址 る もの、 歷代推出して 暴
げ て数よるに進めらず。 漢に在りては張仲舒 ・元安國 ・ 司馬遷 ・ 司馬和如 あり、 後援
には頻文 ・ 野間あり、 唐に在りては李白 ・ 社市 ・白菜天 ・韓退之 ・ 柳宗元 ・李中等あ
6、 朱に至 6て敵視作 ・ 司馬光 ・ 藤老家・ 藤東坡・部東部 ・ 張精采 ・周機・ 神明道 •
程使 加 ・来歴 ・陸後山等の領軍將德華出して使教の哲學的研究を大成し、 加 に至少
ては未達·方案描かり、 王陽明は良知能 ・知行合 の 能を立てて 元・金の数を記
« 、 王道政治を高調したり。
周亡びて、秦の始皇、天下を一統するや、専ら法律に任じて、孔子の教を根絶せん
と欲し、儒者を坑殺して聖賢の書を禁き、厳刑酷罰を以て民を治めたりしが、天下怒
ち大蹴して、僅かに二世を以て滅亡し、後世復た専ら法律を以て國を治めんと欲する
者なきに至れり。
秦以降、天下を一統して支那に君臨せる者、漢を初め、唐・宋・元・明の諸朝、そ
の始めて興るや、賢君・英主の出づるありて、概ね王道を以て國を治め、治績順る撃が
れるもの少からず。既にして太平日久しきに及べば、暗君・庸主績出して、富貴に肢
惑し、情欲を怒ままにして徳性を鎖霊し、復た民生を以て意となさず、権臣・務相、
機に乗じて威顧を弄し、刑罰を曲げ、職渉を濫りにし、財貨を貧り、浮楽に吐り、或
は興常を結びて勢力を張り、宮中の内官等も赤君主の暗弱なるに乗じて、國家の大権
を私するに至り、途に天下の大乱を醸成するに至るもの、歴代比々として皆然らざる
はなし。是を無道政治といふ。二十四朝の歴史を通観するに、悪く王道に始まりて無
第十四章 王覇混清政治の支那史観 一九九
後備 息 濟 致 治 1|OC
道に終る と称して可なり。
然。七號。、 道義の念は人々者~れ有す。 而して元・ 金の数は魔<人心に送し
張斑 ,る 」なし。 故に基 ・東は久しからずして滅亡し、 天下は更に続き りに
ィ、 再び在義を本 とする王道の復活となり、 天下來不・四民安塔の時代を使用するに
-
-
至る。 それH道政治が支那の理想たる所以なりº
漢の高温は大御の後を承 、 素に次いで天下を統一し、 帝位にたる ことほかに入
本。 他將東縣地を用いて売っ機體を興したれとも、 海內多平、 未だ 後にş53に至
らずして開きり。
文帝は高刑の第三子なす。 王道政治に志あり、 質素・後約を以て天下 の範にたし
*** 「武を作す。 史家話して目く、 海內安寧、 象を始し、 人々 に 、 後階
く及ぶ と となし」 と。
武帝は文帝の孫次。即位の物、寛文正、直言編製の土を挙げ、親りNと魔師 。
傑斐の中に あり、 日く、 人 は心を正くして、 以『劇集を正しく
すo 期延と正しくして、 以て古音を正しくす。 百官を正しくして、 以て農民を正しく
すo 高氏と正しくして、 以て四方を正しくす。 四方を正しくして遠近正に ならざる
长度し、 加して形象の共の間に好する無し。 是を以て降場調 い、 風雨時あり、 群生和
し、野氏症する 話題の物、可致の群、華<至らざる無し。 而して王道將る交」 と。 武帝
假意安を修め、 春 ・藤・西三代の治に彼女の意あり、 司馬和加・公孫弘・張照等人次
用いらる。 相如は観を抱くす。 公孫弘の執筆に目く、 「人士は徳を上に和し、 百姓德
と下に合 , 使に心和す。 心和すれば見も知す。 家和すれば見も影和す。 形 ,
ば 見ら愛和すº 整和すれば 見ら天地の和應す交」 と。 機は京帝よ小挑書の禁を除さ
文帝已に遊學の路を旅行と離%、 橋事後に未だ義(盛なるに至らず。 武帝の代に至。
* ·乔
安國內り、 六經を表意 すること賞に帝より始める、 數~議論を得たり、 自動 ・ 来歴 •
第十 四章 H期很 清政治 の支那 史觀 110
後 篇 皇 道 政治 二○二
芝房・資開みな楽章となして郊廟に薦む。文章も赤帝の代に至りて盛なり。人以て三
代の風ありとなす。惟ふに、漢家四百年の基を定めたる者は、文帝・武帝の功に由る
といふも過言に非ざるべし。 面して是みな王道政治の 賜物なりといふべし。
高祀ょり約二百年にして政潮く案れ、平帝に至りて、権臣王葬の滅ぼす所となる。
幾ばくもなくして王葬亡び、東漢の光武皇帝、漢室を復興す。
光武皇帝は景帝の後裔なり。争蹴を平げて漢室を中興す。首として大學を興し、古
典を稽式し、濃楽を修明し、また克く賢材を撃用して政を正し、民を怖み、教化を盛
にし、名節を働ます。晩年周の文王に倣ひて明堂・霊豪・壁葬を起し、爆然たる文
物、述ぶべし。毎旦、政を祀て日波いて乃ち鶴む。公卿郎将を引みて経理を講論し、
夜分に乃ち麻ぬ。群臣を愛撫して至らざるなく、光も名節を重んず。虜士周常を召し
てその無濃を各めず、却って之を優遇す。また奮遊の虜士厳光を澤中に物色して之と
『風し、之を譲議大夫に拝す。光受けず、漢の世に清節の土多きこと、比より始ま
る。
光武の後、明帝・章帝相次いで善政を施し、漢室再び盛んにして、國民みな太平を
楽しみなれども、その後の諸帝多くは幼獣にして、外戚・官官、宮中に 隠し、政を
専らにすること前漢の末よりも甚だしく、寧者・節義の士、起って之を攻撃するあれ
ば、 目して之を常人となし、悪く之を禁鋼して、決して赦免することなし。東漢賞縄
の調といふもの、即ち是なり。 加ふるに、外患赤絶ゆることなくして、國政全く振
はず、光武より約二百年後の弘農王に至りて、その臣童卓の貸に獄せらる。卓*赤群
衆の貸に残殺せられて、天下大いに蹴れ、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権、天下を三
分して、請はゆる三國時代となり、漢朝は四百年にして滅亡したり。
三國の戦闘攻伐すること約五十年、司馬氏一たび天下を一統して後、五胡十六園互
に興亡すること百五十年、南北朝に至りて封立すること約百七十年、互に刺韓して己
まず。面も雨朝共に内政治まらず、その元首合計五十君の中、魔獄の顧を蒙りたる者
第十四章 王覇混清政治の支那史観 二○三
後 篇 皇 道 政治 二○四
質に三十君の多きに達せり。比の如きの蹴世にありて、何の違あって王道政治を説か
んや。
三國割擁以後三百年にして、情の文帝始めて天下を一統したれども、その子場帝に
至りて、著修浮供、兵蹴四方に起り、唐の高祀李淵、天平を平げ、情の顧を受けて帝
立 こ m 、い。
石 い印く
唐の高祀の子太帝は、不世出の英主なり、父と共に天下の観を平げ、即位の後、大
いに力を王道政治に致したり。然れども、その初め、兄建成を殺して太子となりたる
は許し難き不道徳なり
史に目く、 「太宗即位の初め、群臣と語りて教化に及ぶ。目く、「大働の後、共れ治
め難きかと。魏徴答へて目く、 飢ふる者は食を貸し易く、潟する者は飲を貸し易し
と。封徳葬目く、三代以還、人潮く漫説なり。故に秦は法律に任じ、漢は覇道を難
*。蓋し化せんと欲する*能はざるのみ。豊に之を能くして面も欲せざるものならん
や。もし魏徴の説く所を信せば、恐らくは國家を敗側せんと。微目く、五帝三王、民
を易へずして化す。湯武はみな大蹴の後に乗じて、身、太平を致す。帝道を行へば帝
たり、王道を行へば王たり。常時之を理化する所に在るのみ。もし人潮く滝説にして
純模に及ばすと言はば、今に至りて應さに鬼魅となるべし 安くんぞ復た得て教化す
べけんやと。太宗途に徴の言に従ふ。元年闘中鶴る、斗米、絹一匹に直す。二年天下
嶋あり、三年大水あり、太宗勤めて民を撫す。未だ曾て怨暁せず。四年に至りて天下
大いに総る。斗米三四銭、終歳死刑を断ずること僅かに十九人、東の方、海に至り、
南の方五嶺に及ぶまで、みな戸を閉さず、行旅は糧を警さずして、給を道路に取る。
太宗目く、魏徴我を勧めて仁義を行はしむ。今己に数あり、惜しむらくは封徳録をし
て之を見せしめざりしことをと。蓋し徳競 は元年六月己に死せるなり」 と。
太宗は武功を以て兵乱を定めたりと難も、途に文徳を以て海内を端んず、常に騎省
を以て棚となし、身を率みること検約にして、能く課言を賞す。賢宰・名和、朝廷に
第十四章 王覇混清政治の支那史観 二○五
後 篇 皇 道 政治 二○六
満ち、心を協はせて輔翼し、天下泰平、文物爆然、貞観の政治をして史上に光彩を放
たしむるに至れり。幸鴻銘曰く、「支那の文化は唐朝を以て第一と貸す。面して唐朝
の文化は日本に厳存せり」 と。蓋し日本皇道の盛を讃嘆せるなり。
貞観理政の跡を観るときは、王道政治の質現が、支那に在りても必ずしも不可能に
非ざることを知るべし。
太宗の後、数代を経て玄宗の代に至り、順る意を政治に用ひ、天下泰平にして、文
藝盛に起り、我が日本よりも吉備眞備・阿部仲磨等の留寧するあり、四民安塔、戸田
増加せりと難も、晩年貴妃の色に弱れて安藤山の蹴を招き、蜀に出奔するに至り、國
政復た振はず。文宗・武宗の代に至り、李徳結・牛僧儒の徒、互に窯を樹てて相排擁
し、私怨を以て報復を事とするに至れり。爾後、唐君・姦臣の出づるあり、税政績出
し、建國以降約三百年を経て、天下大蹴、途に梁の貸に亡ぼされたり。
唐朝は太宗以後、治御相牛ばすと難も、太宗王道政治の影響を受けて、領撃・賢材
雖出し、後人の思想に神靈址しこと頼る大なす。 衛軍に於ては韓德·李卓の知さあり、
特に韓衛に至っては香子の承繼者を以て自ら任じ、 仁義を高唱し、 異端を排斥して王
道を張福寺 少。 而してその文章は雄大津安、 柳宗元と共に千古の名品だ60 ㎞.
世。自家天の詩は共に古今に車載し、 百世の下、人をして愛語語<能はさらしひるもの
あ。 而してみなR ・高の精神を以て 武帝 5。 然打とも、 店の代は詩歌の修行した
8號東、 人心靈。すれば文郡に流れ、 士風の旗舰を乗すに至るは情しひく な0
曲の後、 後梁 ・後座 ・後番・後援・後周の諸朝は五十年にして五期に代 へ、 語に少
る五代の世を継て、 宋の競馬加、 軍士に推され、 周の職を受けて帝位に師< Nた
祖兒帝と命す。
史に白く、 「朱の太祖、 敵意思を備し、 即位の初、 紫 微行して光器と繋 ,6 %
克郡郡に備作して支くその直線を聴く。 五代より以來、 地方の艦旗艦た0 ㎞
を以て N を倒す、 講師範を離が て、 李ら地區を用い、 民力を愛し、 文献を繰り、 法
第十四章 H新法治政治の支那 史觀 1|O 也
二○八
後 篇 皇 道 政治
除を進むることを禁す、常に瀬濯の衣を着し、寝殿は青布を以て葉確に縁す。晩歳
んで書を讃む。曾て敷じて目く、「義・ 舞の世、四別の罪☆投算に止まる、何ぞ近世法
綱の密なるやと。五代藩鎮苛政重飲の弊に懲りて、商征を寛にし、刻・園・酒の を
寛うくす。倉更にして民租を多くする者は、或は棄市せらる、に至る。大辞評覆。
シの法を定め、版籍・戸籍・戸勢を作る。長史の長田を度るに、質。
ば、或は之を杖流す。諸州早韓あれば、磯を賑ひ租を除きて、惟だ及ばざることを恐
る。徳行孝樋を撃げ、制科を親策して賢良を撃ぐ 初めて和観が定むる所の 築を別
ひ、初めて劉温曳が上っる所の開質通濃二百巻を行ふ。制度典章形形として修理あ
り」 と。
太祀の弟太宗継ぎて立ち、賢臣を登用して政治に力を致す。趙普赤宰相と貸る。
常て太宗に請うて目く、「臣、論語一部あり、牛部を以て太祀を佐けて天下を。、
牛部を以て陸下を佐けて太平を致す」と。蓋し赤王道政治を行へるをいふなり。
太宗の後、眞宗を経て仁宗に至る。遼は北より追り、夏は西より侵し、外患順る多
事なりしが、仁宗は恭険にして人を愛し、物を植むの心、即位ょり崩御に至るまで終
始一日の如く、造仲進・富弱・欧陽修・司馬光等の名臣・大儒相継いで出で、天下泰
平萬民安塔せり。遺制下るの日、深山幽谷と難も奔走せざることなく、悲競して止む
こと能はざりしといへり。
仁宗の代に夏錬、幅密使を龍められて社術之に代る。陳乃ちその窯と論を造りて、
杜行を目して常人と貸す。欧陽修乃ち朋窯論を作りて、君主たる☆のは、人の偽別
を退けて君子の眞明を進むべしと論せり。東漢窯鋼の争ょり以来、慈に至りて窯人の
論復た起る。
英宗を経て碑宗に至る。碑宗精を励まし治を求め、日状くまで食するに暇あらず。
平生岐遊を御せず、宮室を治めず、惟れ勤、惟れ検、将さに大いに貸す有らんとす。
面して花仲海・富弱・司馬光を始め、韓埼・呂海・程顕・蘇献・蘇職等の賢相英材、
第十四章 王覇混清政治の支那史観 二○九
後 篇 皇 道 政治 二一○
輩出したれども、王安石を相とし、新法を用ひて賢良を排庁し、四方の怨を買ふに至
れり。安石、日に先王を談ずれども、専ら管・商の政を行ひ、明法を以て群吏を課式
す。碑宗一たび安石を庁けて、面して又之を用ふ。既にして新奮雨派、互に相排擁し
て徒窯を樹て、哲宗の朝に及んで盆、甚だしく、雨窯互に政権を争奪すること三十除
年の久しきに及び、反封の窯派を見ること逆賊の如く、途に私怨を以て互に報復を事
とするに至り、朝令暮改、紛々優々、國民はその適騎する所を知らず、途に國運の衰
退を来せしは眞に嘆ずべきなり。
特に惜しむべきは程頭・蘇試らの傾學にして、窯を分ちて相攻め、洛窯・川窯等の
名稲を以て互に排擁せること是なり。
碑宗の政治は上述の如しと難も、部雅康節)・周願(茂叔)・張載 横梁)・程題(明道)・程
願C伊川) らの大賢傾出して、政治哲寧・道徳哲寧の薄奥を窮め、宇宙及び人生の眞理
を明かにし、多数の著書を以て大いに孔・子血の道を顕彰したり。文彦博、程願の墓に
表して明道生と目 ム。 弟、 程使 川之 に応して目く 「周公投して、 聖人の道行はれず、
孟子死して、 聖人の事博はらず、 道行はれされば、 百世青浦無く、 學傳はらずんば手)
書し。 常重くんば、 土壤。まの帯の道を得て、 以千餘 人に敵(し、 以
語 を後に使ム。 其體無ければ 天下資質馬 としてク を知る所愛し。 人被神 にして面して
天理機公交。 先生 于四百年の後に生れ、 不使の軍を遺經に得て、 異端を排じ、 那設を
息 め、 聖人の道をした複な世に明かならしむ。 著し手冊子より後、 1 人のみ」 と。 原省
て人に語りて目く、 「音が道を 知らん)と 彼する者は、 比の応を観れば 可なり」 と。 1
程子 の師教に大功あり、 人世に貢献 でる ことの真に使大なるは、 発言を要求 さる所な
,9º
王安石板と反安石板との意 事は、 宋朝 を放散 地 しめ、 鉄本帝は途に金人の 特に捕虜
として北达 七 つれ、 弟來王、 南京に立ちて南宋)となる。
南宋は親子江南に偏安して、 常に 金人の脅威を被人 、 國勢崎 る派はさん し)と離?,
第十 四章 H期 延拓政治 の支那史觀 11
後 篇 皇 道 政治 二一 二
孝宗の朝に至りて、朱熹 時庵)・呂祀謙 東業)・陸九淵 象山)等の大家輩出し、就中、朱
子は程子に次いで宇宙及び人生の眞理を研究して、その灌奥を窮め、古典を響明し、
道徳を詳説して之を質践射行し、最も力を王道の質現に致し、以て儒學を大成した
り。その著書数萬言、天下後世に神盆せしこと撃げて言ふべからず。これ後世、程。
朱二子並び稲せらる、所以なり。
朱子は孝宗の朝に召されて兵部郎となり、寧宗の朝に至り、待制奪侍講に除せられ
れしが、権臣韓住青の旨に作ひ、四十六日にして龍む。佐青、朱子を揮り、之を目し
て%となし、之を撃し、悪くその徒を度園す。然れど*子の葬に倉するもの数
千人、面して使骨は幾ばくもなくして殺されたり。
朱子の撃は、我が國に博はり、徳川氏時代に至りて全國に普及し、世道人心を振作
して皇道に神盆したること願る多し。
陸象山は朱子を議りて、訓解に従事するものとなし、二人互に論争せり。象山は請
… …等人ありと。 後世に至り、 開の王陽明~れが統を使《、 品之を吸附しº
調はゆる物则學を大成しなす。
たの政治に艦なりと離すべからず。 然 と*大將德倫敦出して、 孔 。また 議の道を
定義し、 仏と低電したるが 母に、 克く世道を維持し、 人心を張 することを恐龙
, S ㏊瘤の忠に初とし、 愛爾なる南宋の小天地を以てして、 龍(元の太平に就
し、 海明,牛奶、 京師を払わしひるもの、 陸秀夫・文天祥・張世傑·謝赫爾等、 『 S
民兵攻 いで起にる所以のものは、 彼に備發展與の間物ならずんばあざる 。
たの安 、 元は安吉16後入して金を送り、 朱を滅ぼしなるが故に、 支派は様
朱.正条 の如く、 菲雅斯康の時代を現出する ことなく、 比較的速かに天下を樹 **
ことを得なり。
元は四方を侵略し、 大いに領土を張 妙 なれと 。 安市 には間より師學なく、 從 って
王道の何物たる を解する者なかす 。
11 | |
第十四章 H期提请政治 の支那史觀
後 篇 皇 道 政治 二 一四
然れども、世祀の宰相廉希賢は孔子の信者なり。史に目く、「世祀曾て希憲をして
帝師の戒を受けしむ。希憲封へて目く、臣己に孔子の戒を受けたりと。世祀目く、次
が孔子☆赤戒あるかと。封へて目く、臣と貸りては常さに忠なるべく、子と貸りては
常さに孝なるべし、是なりと。方士あり、大丹を錬らんと請ふ。中書に勅して共の需
むる所を給せしむ。希憲奏して目く、前世の人主、多くは方士の貸に証惑せらる。売・
舞の毒を得るは、霊を大丹に暇らざるなりと。世祀之を善しとす」と。足に由りて観
れば、元朝建國の初に於て、孔子の思想が政治に現はれたるを知るに足る。
その後、仁宗帝の如き、儒術に通達し、恭険自ら持し、民を愛して遊牧を事とせ
ず、寧問を奨働し、儒臣を登用して、鋭意治を園りたるものあれども、歴代の君主多
くは暗庸にして、備教を信じ、妖僧に惑溺して浮薄・醜狙、復た民治を顧みず、群雄
四方に起り、天下大いに働れて、遂に朱明の貸に亡ぼされたり。
明の太祀朱元境は、天資英適、群雄を掃薄して、十五年にして大業を成就したり。
艦術を崇 び 、 多 た伊教を信す。 曾て得亞に語って目く、「音每に元子の言を取りてクを
觀るに、 用を節して人を愛し、 民 を使 ム に時を以てするが加さは、 其に治國 の良親に
して、 孔子の言は職に高低 の師なり」と。 皇明道師 を著し、 自ら之が定 を繰りて目
< * * *の強を建て、制を立 を認めに、株て金を多くるの元に作
6。 新し北 の創業の初、 佛さ に難者を覚め、 人を関する こと併 に多く、 事を歴る赤教
す。 之 と深空 に生長するの主、 未だ世故に接せず、 及び 山林に離婚する の士、 自ら J
の長を作る者に北するに、 また相通し交。 後、 群雄と並び寄せ た後に防ぎ、 十歲
に近くして、 方ら能く海学を統一 す。 人の情简亦隨る之を知る。 故に、 見る所、行^{
所を以て後人を開道し、 祖師範を著し、 立てて家法と母子。首是六章、 元 へてセたび
簡を認し、 个に至 6てカさ に定める。 常に難さに非す成。 著し然德修(古を提とし、
个と非人才。 好文帝に文を舞はし法を売す。 元そ我が子孫、 飲んで 除が命を派は、
陳明 を 作し、 我が 成 の 法を知る 母れ」 と。 その明家三百年の証拠を 保らし所以のº
第十 四章 H期張 精政治の支那史觀 *
1| | 小

後 篇 皇 道 政治 二 一六
の、赤偶然に非ずといふべきなり。
然れども、不幸にして嗣帝建文は、叔父燕王様 成訓帝 の貸に滅ぼされ、太祀の陵土
未だ乾かざるに、骨肉相食むの醜を呈するに至れり。面して成祀帝は武を好みて、頻
りに遠征を事とし、國権を擁張したれども、固より内政の稲するに足るものなく、爾
後、北は瓦刺轄観の侵略を受け、南は日本の倭冠に採端せられ、國力次第に疲弊し、
加ふるに碑宗帝の朝鮮に出兵して日本の兵に敗れてより、國幣は窮乏し、威信は地に
隊ち、宮廷には常派の争闘絶ゆることなく、王室は次第に衰へて、争闘四方に起り


遂 李

清 は
満 成
り に 自

の 京 に 入り、明を滅ぼして帝と稲したるも、幾ばくもなくして亡び、天下は
個の統一する所となれり。






方等

とは






、帝
孝儒
なり た口






あ文












をて
あ以て

起刀










日り

草 当日
*
れて尚屈せず、途に礎殺せられたり。
明朝の中葉に至り、領學王陽明の出っるあり、性理の寧を窮め、知行合一の説を立
て、義・愛を顕彰し、孔・監を祀述し、功利を排庁し、仁義を高唱して、大いに備 学
を振興す。その寧説、廣く後世に博はり、世道人心に碑盆する所、極めて大なり。
清は満洲より起りて四方を経略す。世祀顧臨、儒術を好み、四方多事の間に在りて
撃済を殿中に建て、披覧して常に夜分に至る。『資政要覧』 を製す。惜しいかな、一
十四歳にして残す。三子玄嘩立つ、之を聖祀康熙皇帝となす。
康熙帝即位の初、四方攻伐の間に在りて、深く意を民政に致す。曾て更部に論して
は邦の本たり。必ず家々給し、人々足り、生を安んじ、業を楽しましめ
て、方さに太平の治と稲すべし。近ごろ聞く、直隷省の民、多く所を失ひ、シ
すと。深く存施すべし。是れ吏員の貧墨肢削に由る手、或は法制未だ便ならず、民の
業を失する平、各共の懐ふ所を打べて隠すこと初れ」と。即位の十八年三月、博学安
詞を試み、影孫道等五十一人に輸林官を授く。帝、乾清宮に御し、問うて目く、「理
第十四章 王覇混清政治の支那史観 二 一七
後備 桜 致 治 11 <
學の名は未に始まるや 合やと。 議官張玉對 へて目く、 道理は具さ に人心に在6、 宋徽
の講義は群を加よるのみ と。 帝目く、 日用の常行、 北の理なさに非す、 理學の名目あ
る よ,り、 書して 言行榜はぎる もの世だ多し。 終 日期 を説いて、 而して行 所
は共の言 と背離す、 党にク を理學 といメ、けんや。 2し日 に議さずと離3、 而3行事
少会 では、 北社前も真の理學なり」 と。 帝曾て議官を論して目く、「從來民と体長する
の道は、 義さぶに作。 東の 本を多く ;は、 李 俊(に細かす。 伴
若正を製るに、 毎に多くは大を好み を喜び、民を務し、 財を傷つけ、衛軍を楽制し、
天下を施す。上下記載、 民生日に成る。 漢(學となすべした。 文日( 安人を題
るに、 心痛を先にし、 オ學を求にす。 心術等からされば、總公文學ある。何を用いん
や」 と。 文 自く、 「齊藤大夫、 事を擁する、 須らく大體を在すべし。 利高高水すべか
らず。 食なれば 見ら家を得、 信なれば期も民、 任す。 天下を治行 るの道は資を以て本
** *し を吸いて書を求めば、天下の人、なんを全く異なふん 」と
その事を好みら を 政治に用いるの深切なるとと、 北の如し。 帝文京く學者を優遇し、
著述に力を殺す。 大常會與 た初 として、 獨龍類學術文龍虎 座標字典 など
の大者を完成す。 位に在る こと大十年、 制度を 立て文化を愛し、 樹人 ・ 横人の調和 を
國~、 中央 ・ 地方 の権力を平衡し、 治期大いに座がる。 清朝三百年の基礎は貨に帝に
依りて番間 となりなり。
世傑 ·乔 夫いで立ちて遺跡を継ぎ、 義を不定すると共に、 国内
の治安を図る。 乾隆帝に至り ては、 助命を以て 四庫全書 の如 世界無比の指將太
-
る著述 を完成するに至れりº
既にして、 英 ・能證國は南 46使し、 德國は北より道 6て、 外交橋く多事となり、
途に我が 日本と戦い政る くに 及んで、 瓜分の勢、 さ に成らん とし、 威權運く表 《
て、義に隣 の本となり、 正義は、 金の 機を卒業し 、 李金を巡
なり。
第十 四章 H新福清政治の支那史 觀 1 ],
共產黨政代民同 の


合義
人と
軍て






時を


從・



時代 標主


旅游




l
6









人心


三 る


生 末しるり信路 批
榜 、
け清朝
通於
至際




頼等

にて



その





排 雑な道開誌






離者
王を

みし










?



次 下

ベビ 教 别大 神雄
表し













太る
民國





獅 奈





支際して位る史那
(

見歴上述
にを






帝建




に 維るく


らは



















こと

性 聖る

















に 樹
令 廣子し民でつ方州

南作
持府

ん降


三る

楽孫

孔主義

s 退ばく

袁自称






幾民國


なれ
となり


なくし
世凱



執いで道國す政



次5
なとなり


建帝位

王帝






政治 排 在




C

莊め園




固に





めす
らく
別を説きて、名は共和政治なりと稲すれども、質は専制政治を行ひて、議曾を開か
ず、窯を以て國を治めたり。蒋介石に至りては、軍隊の力を以て権威を盗ま\にし、
忠孝の教を以て自己の主義に害ありとなし、途に孔子の廟を設たしむるに至れり。王
道の衰へたること、未だ今日より甚だしきは有らざるなり、然りと難も、王陽明の言
の如く、天理の人心に存するや、永く混ぶべからざるものあり、無道の政治は決して
永績すべき☆のにあらず。近時、蒋介石も赤儒學の復興を決意し、先づ聖廟の祭典を
奥行せりと聞く。これ質に孔子の数が深く支那の人心に浸潤し、王道政治の理想が滅
せんと欲して、面☆滅すべからざるものあるに由るといふべし。
第十四章 王覇混清政治の支那史観 二二 一
後 篇 皇 道 政治 二二二
第十五章 覇道政治の西洋史観
功利至上主義ノ 一貫
ローマ以来権力争奪ノ継績
民族戦争・宗教戦争
列國封時権力競争
今の西洋諸國は、國家の歴史、民族の分布、各相異なれるが故に、共の政治の博統
、 及び思想は、必すしも同一なりといふべからず。然れども、各園ともに共の政治は、
大鶴、功利主義を以て一貫し、覇道を以て終始せり。これ東洋政治の理想たる王道徳
治の精紳と明かに相異なれる所なりとす。
欧洲諸國は、古来、戦闘相次ぎて、権力の争奪に熱中し、王道政治の何物たるかを
解せず、共の民族は、或は他民族を征服し、或は他民族に征服せられ、報復凌虐を繰
り返し、共の間、耶蘇教の個人主義を養成するありて、盆く利己主義を強化し、物質
思想を助長して、赴倉も園家も相率みて功利主義に没頭し、権力刻奪の争奪を事とす
るに至れり。
欧洲諸國文化の母國たるローマは、建國の初より、その貴族と平民とは互に権力利
盆を争うて相軌操し、共の後、外征を事として、四隣より巨常を擁取するに及び、功
利の思想は盆、発達し、帝政時代に至りては、権力至上義を務揮して覇道の政治を行
ひ、 法律萬能の思想いよいよ旺盛となりて、王道政治・徳治主義の如きは、共の痕跡
をだに認むること能はず、かの シセロの如きは、希臓のストア派哲寧に立脚して、
「人は自然の本性に従ひて行動するを以て最高の善なりとなし、國家は自然法に従ひ
正義に基づかざるべからす」 と主張し、共の説、願る王道に近き☆のありしが、途に
共の務達を見るに至らざりき。四世紀の頃 日本仁徳天皇ノ時代、ゲルマニャ鍵 族の侵略を
蒙り、次いで西ゴートの曾長アラリックの採端する所となり、やがて九世紀に至りて、
西ローマ帝政の滅亡するや、欧洲一帯は無秩序の蹴世となり、一方にはマホメット教
第十五章 細道政治の西洋史観 二 二三
後 篇 皇 道 政治 二一」四
のサラセン人の侵入するあり、各地には武士割擁し、互に勢力を争ひて封建の勢をな
し、請はゆる中世の暗黒時代を出現せり。面して常時耶蘇教の欧洲に普及せるよりし
て、ローマ法王は、人民の蒙味なるに乗じ、潮次に共の勢力を擁張して、君権碑授説
を以て諸侯と共に人民を歴制し、専ら苛飲誌求を事としたり。次いで耶蘇紀元一千○
九十六年より 一千二百七十年に至る 二百年間、十字軍の戦争ありて、東征の武士は
亜細亜の文化を西欧に輸入して、政治上・経済上に一大鍵化を来し、各地に大都市の
勃興を見るに 至りたるが、十字軍戦争の失敗は、著しく 法王の勢力を失墜すると共
に、諸侯の疲弊を来し、共の結果、君主の勢力を増大し、英・備・濁等の近代國家の
出現を見るに至り、文藝の復興と共に、欧洲の面目を一新したり。面して、これらの
國家は互に共の権勢を争ひ、國民を撫育して仁政を布くもの少く、或は新奮二宗教の
確執、王位継承の問題等に由りて互に相争ひ、攻伐戦蹴止むときなし。就中、一千六
百十八年より一千六百四十八年に至る濁・丁・瑞・備諸國間の三十年戦争、英・備間
の百年戦争などは、人民を謀求して君主の権力を増夫せんとしたるの結果、各園の設
治はみな権力至上主義の覇道に堕し、歴制暴虐の結果、遂に君権に封する民権の反抗
となり、甚だしきに至りては、君主を獄して革命を質行するものあるに至れり。これ
みな功利主義覇道政治の弊害なり。左に共の歴史の硬概を述べんとす。
ローマは建園の初、王政の時代に於て、己に貴族と平民との間に権力の争あり、階
級意識順る織烈にして、利己思想極はめて強く、耶蘇紀元前五百九年 シf
二年)に至り、平民は一部の貴族と結託して國王を放逐し、王制を廃して共和制を建て
たり。面して君臣の義なる観念の薄弱なるが貸に、何人も共の不義・非道を各むる*
のなし。これ質に東洋の道徳的政治思想とその精紳を異にする所にして、近世、英。
備二國に於ける革命は、母國ローマの歴史を反復したるに過ぎざるものといふべし。
共和制以後も、貴族・平民の権力争奪は依然として継績し、甚だしきに至りては、
他民族との戦争に際して、平民は頑として出兵を肯んせざるに至れり。
第十五章 覇道政治の西辻 史観 二二五
する 政治



精神

なり
所以 法洋












西





にし


と 律


長 利律世要和れら徒益



な使ける

そを
調しめ
後必が
法上





と 思ーマる治源想 法律



ロ根なんと

政、
せの



もの 國び立家
成於

6



及は




なり
もの
する
に こ祖律れ

せり
法制定


における
元後世

なり
接クス下題客


表十
ッ表





以は

1
º
參照 功る民府質利
物*

政恩怨



け人主義





のみ せ元前安くりる




(

紀此
至結果




早四
平、





法い喚廷

召第
付の

て 人る良し民




な+


不に頭



けて






約束
不て振








立傑





た 六





個人


なら


間 観光

國家
い に






°
9
,

! :
Tr

|
第 二 表 訴訟の進行に付いて
第 三 表 認諾せる債務及び裁判による債務に付いて
第四表 観権に付いて
第 五 表 相績及び後見に付いて
第 六表 所有権及び占有権に付いて
第七表 家屋及び土地の権利に付いて
第 八表 不法行貸に付いて
第 九 表 公法に付いて
第十表 宗教法に付いて
第十一表 初の五表の追加
第十二表 後の五表の追加
これ番く権利・利益の規定なり。これ即ち法律政治の起源なり。之を我が國聖徳太
第十五章 覇道政治の西洋史観 二二七
後 篇 皇 道 政治 二二八
子の憲法十七條 三貢以下参照)と封照すれば、功利思想の法律政治と、理想主義の道
徳政治との匿別は、眞に明白なりとす。
貴族・平民の争は、政権の分配、財産の調整などに由りて、潮攻緩和せらるると同
時に、附近の民族と戦争を開始し、版圓を擁張するに至れり。
ローマは、紀元前二百六十年、カルタゴとの第一ボエニ戦争以後九十年間にして、
西はィスパニアょり、東は小亜細亜に至る地中海沿岸の諸地方を悪く攻略して、前
未曾有の大版圓を作ることを得たり。然れども、連年戦争の結果、國民は休養の時な
く、加ふるに、戦勝の結果、属領より巨常を控取し薬り、大いに土木を興し、都市
を飾り、騎奪浮供に流れて、貧富の懸隔傘、甚だしく、一萬・二萬の奴隷を有する富
豪あると同時に、チべリュス、セシプロニュス、グラックスの嘆息せるが如く、「野
獣すら寝藤を有するに、イタリャの人民は、光線を受け空気を呼吸する外、食ふに物
なく、住むに家なく、妻子を伴なひて所々を漂泊しつつあり」 の惨状を呈せり。鳴呼
これみな功利主義・覇道政治の弊害たらずんばあらず。何ぞ現今欧米諸國の質状と酷
似せるや。
ローマは、外 征を継績し、ケザル、ポンべイユス等は欧洲の未開諸國を平定して、
ローマの文化と政治思想とを普及する端緒を開き、以てアッグスッスの帝政を創始す
るに至れり。共の間に於て、執政官・出征将軍・元老院等の間に、絶えず権力の争闘
を繰り返し、千古の英雄ケザルは、王位の希望者なりと見なされて児双に整れたれど
も、多年戦争の結果は、戦勝者に封する権力の集中となり、遂に帝政の創始を見るに
至りたり
アゥグスッスは政治を改良し、文學を興し、鋭意治を圓りたるを以て、制度や、完
備して、國民は塔に安んじ、属領の政治もや、共の緒に就きたり。然れども、治績
立こ中
なは未だ見るに足るものなく、子孫暗愚にして、幾ばくもなく暴帝ネロ位に即き、残
忍暴戻、怒ま、に人を殺し、家を焼き、酷刑を用ふること、股の約王の如くなりしか
第十五章 覇道政治の西洋史観 二二九
後 篇 皇 道 政治 二三○
ば、怒ち反将の貸に亡ぼされたり。
共の後、ウェスバアンスは、軍隊に擁せられて帝位に即き、質素・険約、政治を改良
し、除財を以て、かの八萬七千人の観客を容るる圓形大競技場を建設し、中央政府の
権力を確立したり。次いで、トラャンス、アドリアシス雨帝の如きは、順る民政に心
を用ひ、制度を改正し、租税を軽減し、属領の政治にまで注意するに至りたるも、幾
ばくもなくして、軍人戦属、紛湖績出の厄に遭ひ、コモッス帝の即位以後、歴代の君
主多くは暴政を施し、庶民を苦しめ、内働外窓相継ぎて至り、デオクレアシスの即位
に至る一百年の間に於て、二十九人の帝王中、獄殺せられ、もしくは戦没せる者二十
四人の多きに達せり。共の残忍酷薄なること、支那南北朝五十君主中、三十君が魔獄
の祀を蒙れると、ほゞ類似せり。
デオクレアシス帝は、ローマの版園の廣大に失するを患ひ、三世紀の末、之を東西
に二分し、 ョンスタンチンノープルを以て東ローマの都となしたり。
編の照令學説纂



學及び


法彙纂

参提要



O


(

類纂
) 。 を

至れ 入より園り

西



)





C
にな








西、




渡り



ゲルマニャ





















)




百 如ーマ







ロ状態
西





帝國




西
(
四 く





紀 ョーマ墟過ら行
暴西






至帝

経抗

なく
廃ざる







する 渦じ中
投の


たり ラーマ西動紀ン
西る





西

移族






東三


ロ起






ローマ
西東

デュスチニアン
以皇帝

亘二









、り後紀 世ラリック

次いで


より

ゴ初
ア西










紀末
ート

り よーマ古るひてり
ロ是
い先
戦叛

た之

蒙来


ゲルマニャ






覇洋道



西第


二の
政治
史観



以旦


後 御 桜 敵 治 三
の態<、 法常なる法典を編纂してク を務流し なす。 この 法令は西 ローマ 帝國に?行
ばれ、 暗黑時代には共の影を投しなれとめ、 文藝復興によりて接頭し、 途に近世晚州
大陸語國における法典の 批准)となる
1 * の歴史は上述の如くにし て、 德蘭德尼、 極力利益の年齢に終始し、 東洋政治
の 理想なる王道 政治 の知 さは、 共の片楠だ2月る こと能はぎる の状態なり。
耶蘇数は、 ローマ 帝政時代に始まり、 博愛を以て教義 となし、 神を以て 宇宙 の支配
者となす。 間より師教が人の 天賦の良心を本 とせる? の とは同じからず。 共の博愛設
は愛子の祭奠設と相類似して、 師教が父母 ・ 児光・ 加安などの 別によりて、 愛に流等
を立つ るものと同じからず。 然科とも様変は即ら伝道にし て、 其の教義はよく人常に
湖したる を以て、 常時表紙なりし戦術語國に於て漢水流行するに至りなり。
耶穌教によれば、 神は天地間離 の支配者にして、 神の前には各人以な不等なんと
なすが故に、 其の思想の普及と共に、 祖先発 ・家長將敵の風は徐、東 へて、 義し
個人主義の思想を助長したり。面して、政治上に在りては、諸王侯の政を行ふに常り、
博愛の教義に擁り、仁政を施したるもの無きにしも非ずと難も、大多数は、君権碑
の説を奉じて自己の権力を擁張し、或はローマ法王と結託し、碑の力を暇りて自己の
功利心を満足せしめんと欲したるもの、比々みな然らざるはなし。
耶蘇教の本山は、初め五箇なりしが、ローマに於ける教倉は潮次勢力を得て、西紀
七百五十五年に至り、フランク王家と結託して法王領地を獲得し、政権を奪ね有する
に至り、一千○七十三年、傑僧グレゴリ七世の法王となるに及びて、その権勢四方を
威厩するに至れり。
是より先、マホメットは、西紀五百七十一年に生れて回々教を首唱し、マホメット
教のサラセン人は、右に剣を提げ、左にコーランの経典を捧げてアラビャより潮次に
北侵し、地中海より西班牙を侵して、一時は欧洲を震恐せしめたるも、何らの文化を
☆残すことなく、又、その信仰せる回々教をも残すことなくして、西紀七百三十二
第十五章 覇道政治の西洋史観 二三三
後 為"基 找 致 治 二 三四
年、 耶穌教の フランク 王國に攻撃され、 退 いて地中海沿岸より和度に達する帝國を構
成し、 東西兩派 國に分れ、 西は西起 人百年に、 東は西起 于三十 一 年に滅亡しなり。
7ランク王國は、 紀元四百年頃の創建に係す、 八世紀の物、 金 " "
が サラセシ 人を撃退するあり。 後、 カ ン及び 有名なる カ ︽帝に至りて、 東
は エレベ 前より、 西はドナウ 川に宣 る魔大なる仮面を統一 し、 耶維教を保護して書院
に土地を寄附し、 艦ん に ローマ の文化を輸入して、 成は軍校を 興し、 成は貴族を 教育
する 一方、 全國に部 ・ 職の制を布 さ、 公 ・体 ・仙をしてク を治めしめ、 每年之を招集
して政治の要制を 示し、 水な監察官を派遣し、 地方を 視察せしめ、 頼る政治の超幾を
整よるに至りたり。 大帝の死後、 その子孫分れて、 東部は湖邊國を統一 し、 西部は微
関西國の起源を成すに至れ す。
英 ・ 修 ・ 御の三國は何れも その建國、 今より約 一 千年を測す 得るに過ぎず。 而し
て、 常時の歌劇は なは家康路線 の城にあり。 耶穌教の信は 社會第 一 の先駆者 とし
て 、絶封の信任を受け、ローマ法王は、碑の力を籍りて政・教二権を行使し、國王等
は 君権碑授の説を籍りて、國民を威歴し、各自家勢力の擁張に腐心せり。君権碑授説
は、碑の力を籍りて 君権を行ふの請にして、赤一種の力の思想に基づく 功利主義な
り。面して國王等は一面に於て各自その権勢を争ふと共に、途には法王に封してもそ
の権勢を争ふに至れり。か、る時代に在りて、誰か復た王道の精紳、道徳の政治を行
ふものあらんや。
ゲルマニャ民族勃興して、西ローマ帝國の瓦解するや、欧洲諸國は無秩序の蹴世と
なり、各人自衛の道を講ずるの必要を威じ、殊に武人は各地に園結して互に相守り、
また他を侵略したり。中世紀の請はゆる騎士なるもの是なり。時拾☆サラセン人の侵
入するあり、フランク王園の宮宰カロロ ・ マルテルの起つて之を撃退せるに際し、部
下に封して王領又は寺領を封土として割譲し、その代償として忠誠を誓はしめ、以て
主従の闘係を結び、慈に欧洲中世紀の封建制度を形成するに至れり。面してこの風
-
第十五章 覇道政治の西洋史観 二三五
後 篇 皇 道 政治 二三六
は、怒ちにして全欧洲に普及し、カロロ大帝の頃には、國王のみならず、各地の貴族・
地主等☆赤自衛の貸にその一族及び部下に封土を興へて主従の闘係を結び、面もまた
貴族・地主等は、國王又は皇帝に封して主従の闘係を結びて忠誠を誓ふと共に、自由
に自己の土地を統治することを得たり。即ち常時の欧洲は、上に皇帝又は國王あり、
その下に諸侯 貴族・地主 あり、その下に武士ありて領内を統治し、純然たる封建制度を
-
現出したるなり。
中世紀の武士即ち騎士は、眞質を旨とし、正義を守り、弱を助け強を挫き、敵に後
ろを見せず、また教曾を守り、婦人を敬愛し、努めて品格を正しくして、その気象は
王道治下の民に彷備たるものありたり。然れども、騎士は巫食して武を練るのみ、そ
の生活の費用は悪く農・商・工の負擁する所にして、面もその負擁は順る重く、一般
國民は殆んど奴隷に等しき地位に沈論しつ、ありたり。従って民治に闘しては言ふに
足るものなし。
既にして十字軍の起るあり。欧洲の全土を撃げて、回教徒に占領せられたる聖地ェ
ルチレム回復の貸に、萬里の長途を東征するに至れり。常時の騎士は、みな自費を以
て戦争の経費を支擁するの習慣なりしが故に、或者は土地・家財を買却し、或者は携
保を供して金を富者に借り、争うて出陣せしが、その結果は、たゞ 尻山血河を演出
し、疲弊困備 を招けるのみ。面して第二回・第三回を経て、第四回の十字軍に至りて
は、宗教的熱情潮く薄らぎ、或は政治上の野心を起し、或は財貨・利権を漁するに至
り、遂に全く聖戦本来の意義を没却して、惨櫓たる事跡を空しく史上を止むるに至れ
り。十字軍なるものは、質に隣むべく、また悲しむべき人類の 一大異観なりといふべ
し。
十字軍の結果は、欧洲一帯の地方に割擁したる諸侯・武士の疲弊を来し、貸に園王
の権力は潮次に擁張せられて中央集権の勢を成し、慈に近世國家の成立を見るに至れ
り。これ質に欧洲政治史の一大鍵遷なり。
第十五章 覇道政治の西洋史観 二三七
第十五* 道政治の西洋史観 二三八
十字軍の結果は又、東方の文化を欧洲に吸集したり。元来、蒙味暗黒の天地に棲息
して、文化の何物たるを解せざりし西欧人は、常時の文明國たるサラセン ・印度・ ロ
ーマの文化を見聞して、非常に驚標したり。東洋の絹布、サラセンの毛証・哨子・水
品などは初論、壮麗なる建築物を初め、端新なる科學・工藝の進歩は、迷信と因襲と
に囚はれたる彼らを刺戦して、文化の上に 一大革新を起さしめたり。
加ふるに、大部隊の往来を重ぬる従ひ、交通の便を開き、商業の隆盛を来し、地理
の研究、航海の進歩を促し、こ\に欧人雄飛の基礎を立てたり。
物質的文明の西潮を促したるに止まり、政治的並に道徳的
るものにして、就中、東洋政治の理想たる王道精紳の如
きは、固より微塵だも なふものあらざりき。
第一回十字軍の頃、欧洲は英・備二王國と、碑聖ローマ帝國 ドィッ 、及びローマ 法
王の四大勢力に支配せられたるが、数回の十字軍遠征中、英・備二園の王権は伸張し
て、ローマ法王と ローマ皇帝とは、共に大いにその勢力を失墜し、伊太利に在りて
は、僧侶の腐敗・堕落、盆く甚だしく、人民の信仰は薄らぎて、宗教の権力は政権と
共に奪ふ衰へ、ドイツに在りては、皇帝の権力衰へて、之を選撃する諸侯は各地に割
擁し、遂に一定の帝位を有せざる大空位時代を出現するに至れり。
是より先、第九世紀の初、カロロ大帝は中欧地方を征服して西ローマ皇帝の稲跳を
授けられ、大いにローマの文化を輸入して、之を四方に博播せしめたりしが、第十世
紀に至りては、世黒に大學の興るありて哲学を論究し、十一世紀に至りては、英国の
オックスフォード大學、伊國のボロニア大學にて、早く己に法律寧の講究を見るに至
り、権利の思想は油然として興り、十八世紀より十九世紀に亘り、英・備等の革命を
経て法律學の勃興を来し、科學の進歩、産業の革命に伴なふ功利思想・物質主義の増
長と相侯ちて、権利の思想は念、旺盛となりたり。
十字軍失敗し、法王の教権失墜して近代國家の出現するや、國王の権力は潮次に強
後 篇 皇 道 政治 二三九
後 篇 皇 道 政治 二四○
大を致し、十五世紀の末より十六世紀の初には、彼のマキヤべリーの 出づるありて
(西紀千四百六十九年ー千五百二十七年)君主全権説を唱へ、君主の無上支配力を説きたり。彼
は先秦の商鞍の如く、人の性を以て悪なりとなし、之をして善ならしむるが貸には、
法律の強制を要すと論じ、宗教及び道徳は、國家の務達を途ぐるが貸に必要なるもの
にして、それ自身目的たるべきに非ず、単に功利的意義を有するに過ぎずとなし、君
主は必要なりと思権する限り、如何なる権謀術数を するも神るべきに非ずと断言せ
り。マキャべリーの思想は、欧洲全土に深甚なる影響を興へ、備國のルイ十三世の宰
相リシェリユーの君主専制、権謀術数の政治となり、ルイ十四世に至り、君権は盆、
擁張せられて覇を欧洲に振ひ、レタ、セモソー (我 コレ國家ナリ) と豪語するに至
れり。特にシャン・ボーダン (西紀千五百三十年ー千五百九十六年)が、 戦にシょり政治を
分離して、歴史的考察と政治的考察とに基づき、法理學を鶴系的に建設して、君主の
主権は絶封にして永久なる権利なりとなし、國曾も、元老院も、君主の補佐機闘たる
に止まりて、君主を拘束するの力なしとの説を唱ふるに至りて、一層備國の王権を伸
張したり。その結果は権力至上主義に堕して、國王の騎省浮供、苛飲誌求となり、加
ふるに貴族・僧侶の戯属横暴を遅うするあり、就中、僧侶は裁判権を濫用して、生殺
興奪を怒ま、にし、特に國民の怨恨を招きたり。
一方、君権の旺盛にして虐政の重なるに従ひ、之に反抗する思想は潮く勃興し来
り、備國人にして新教徒たるユーべル・ラングェ は、セント・バーッロミュー新教徒
虐殺の後七年、西紀一千五百七十九年、ジュニュス、ブルチウスの名を以て、『暴君
政治反抗論』 を著して、大いに君権反抗の思想を煽揚したり。ラングェは、「君主は、
契約により、神又は人民により主権を得たるものにして、その主権はもとより絶封的
のものに非ず。契約の本旨により、人民の精紳的及び物質的幸顧と利益との貸に統治
せざるべからず。もし君主がこの義務に背きて暴政を施すときは、人民は服従の義務
なきのみならず、之を放伐する権利あり、又之を厳罰すべき権利あり」 との趣旨を主
-
第十五章 覇道政治の西洋史観 二四一
後備 治 致 敵 二四
-
張し 、 機の性質に開し、 政治思想上に 大衛動を興 《左 0 夫 いで、 モンテス
キュー 西起手 大 百八十九年1千七百五十五年5 ㎞ 大いに英國の森达 を称賛し、 非主權の制限
を主張し、 武松林則 繼母艦飛輪 等の書を著して、 菲雅打破の思想上 に 大影鄰
を 東 へたす。 ルーリー 『正十二年1年正七十八年 に至 6ては、 太武人歷山陰 の
李 、 正式將軍 を成して、 家 元は、 別 の契約15%
にして、 五人は本來自由不等なるべきものなり」 と記さ、 財産の 私布を否認し、 政廳
の花を以て正義の源なんと論性 》。 これらの思想は、 國民の延長と別從5て応と
張 し、 途に西起 手也正九十 三年 1 月二十四日、 佛王 4 大世に定制と合作し
て、 共和制を建 つる に至りなり。
*** < <*「 玉 の加さ、 非主權益を唱える空系の出るありて、 正隆
カ・ 自然法を設さ、「國家は、 人々の 一切の自然無力を収めて、 クと無制限に行使す
る ことに依りて、 始めて各人をして 完全に自己保存彼を 全うせし行 る ことを 得るな
6。 かく て人民は、 國家 の権力に封して絶對に服從の義務あり。 國家は、 人民のク に
對し て 全然無力なる程度に張大なる組對的權力を有するに至る」 と論新址 ,9。 時に
紀 一 千六百三十年、 エリザベス女王の後を制さなる スチュワード家の祖、 ジェームス
1 世の王位 に即くや、 菲雅神授 の説 を固執し、 「君主 は神の代表者 にして、 地上 に於
ける最高の支配者なり。 故に、 人民も、 議會3、 情侶3、 貴族2、 非主に封しては、
何ら于海及對を残す ことを許さず。 法律は君主の意志なるが故に、 非主を約束する の
カなし」 と主張して、 徳を無視し、 李金を踏みず、 その子チャールス 1 世。 亦同
機にして、 暴政を行~ ~と十 一 年、 その 反動として、 途に 一 千六百四十 二年の草食 を
表記し、 一 千六百九十四年、 死刑に渡せらる ^ に 至りなり。
英國は、 草命の後、 彼ら王制を回復したれとも、佛國は、 共和・帝政元 に興族して、
途に現今の共和政體に 安定するに至 红 ,9。
第十 五章 爾濟政治 の西洋史觀 1 四|
後 篇 皇 道 政治 二四四
備國大革命の 起るに及び、英・濁・地諸國の皇帝は、相連合して 碑聖同盟を組織
し、以て自由民権・共和政治の思想を鎮脳し、主権の維持を圓りたり。幸にして一時
その目的を達したりしが、世界戦争の結果、濁・塊雨國共に帝制は廃止せられて、共
和政鶴の樹立を見るに至りたり。
欧洲諸國が、比の如く悲しむべき争蹴を繰り返す所以のものは、質に功利思想・権
力主義の発露たる覇道政治の結果にして、ローマ以来の博統たる権力争奪の歴史を反
復したるに外ならざるなり。
弦に現代西洋に於ける諸大國の歴史を大観せんとす。
伊太利は、ローマ大帝國の中心地なりしが、帝國の末期以来、魔、外敵の征服を蒙
りて國士分裂し、約一千年の間、多くは諸小國に分れ、僅かにローマ法王に由りて重
きをなすの状態なりしが、近代に至り、國民的威情の勃興せるに乗じ、サルジニア王
國が全伊太利を統一して、現今の王國を創建せるは、僅かに牛世紀前の事に属す。
英吉利は、 古来展>大陸人民 の侵略する所となれり。 則らその初め — * <に征服
支配せらるる こと四百年、 永いで中世期の初め、 アング 、 サキンシ 人種使入して、 在
來のブリトン人を西北に駆逐し、 故に関を建てて今日の英國を築さなりしが、 後、 更
に ノルマン人の侵入するあり、 而して英國の今日 の王室は、 ノルマン人の系統なる術
関西の ノルマン デー公 ウィリアム 他服王が、 十 世紀に英國を 征服して故に君臨せる
に始める。 而 李國民は王家に心服 せず、 やく ぶすれば、 兩者の間に衝突を生じ、 ジ "
ン王に至りて は、 人民に限制やられて問く人權の保障を約し、 祖爾 の試題 は、 貴族及
が作例の集合なる側 式登の派を要する こととなし、 義しく王權を制服しなる、 か
の有名なる大赛事 に署名して、 世界に於ける議會政治の端緒を旅 なす。 幾ばく ふな
<して、 チャ1形 ス 1 世は人民と低い、 民軍の施クロシウェル の 傍に死刑に艦 せ られ、
-
一時、 共和國の成立 を見るに至れり。
かくの如く、 英國の象徴は、 陳儀なる非民國術 の結果によりて成れる飛機制限 。 民
第十 五章 洲道政治 の 西洋史觀 二四 五
後 御 说 致 治 二四 六
標誌の約束に 外ならず。 我が帝國の鉄定康状とは 全く北 の性質と 異にするものな
,00
術後二百年、 非王の地位は安定を見るに至りたれとも、 仲て アング 』、 チャ> > <
に征服 せられなる ウエー 形 ス、 スコットランド、 アイルランド は、 个 日 に至る も 金(
_
同化するに 至らず、 アイルランド は、 最近に至り、 途に英國, 0頭立するに至 20
佛蘭西は、 古代羅馬に征服せられて共の支配を受くる こと五百年、 中世の初期に至
~て、 全くゲルマニャ語民族の彼 に使略せられ、 その 一 部 アランク 族の下に、 カ
大帝によりて大國家の建設を見かれとめ、 九世紀に フランクは三分して、 数に備開明
國の成立を見るに至れ す。 かく て カペイ、 ヴァロソーの南王朝を維て、 ブレポン王朝
に至り、 國家大いに振り、 交通志願る艦んなりしが、 王權他派の極、 李神となくに
して指政を施し、 途に十八世紀末、 大革命の物質を見るに至り、 國王 》 不 十六世と新
頭盃上に私設し、 第 一 共和 政 ・ 第 一 派政 (* * ン 1 世 、 ブレポン王女 ・ オルレアシ
王政・第二共和政・第二帝政 (チポレオン三世) より現今の第三共和政に至るまで、約一
世紀間に國鶴の鍵化せること、質に七回の多きに及べり。面してこれみな権力争奪の
結 果なり。赤以て備園人の政治思想を知るに足るべし

濁逸は、近世に至るまで國民の統一不完全にして、各地方の分権基だ強く、事質上
一 の國家を成すこと能はざりしが、第九世紀に、フランク帝國三分して、始めて濁逸
國を成すに至れり。然れども、各地方には諸侯厳属して帝権振はず、請はゆる皇帝

選 果 の制度起り、強力なる諸侯、代はる代はる選ばれて皇帝となり、王朝の鍵化する

こと順る頻繁にして、共の極、途に大空位時代と稲する無皇帝の時代を現出するに至

類例


り、帝力の微弱にして系統の継績せざること、世界に共の類例なし。
近世に 至り 、塊太利の ハブスブルグ家が、濁逸皇帝の地位を占めしより、王朝数百
年継績せしが、皇帝はたゞ名稲のみに過ぎずして、各聯邦は事質上濁立し、全然統一
國の質なく、かくて濁逸國は 環
-
第十五章 覇道政治の西洋史観 二四七
後 篇 皇 道 政治 二四八
-
近年普國ホー へ シ、ツオルレン家の覇業成就し、各聯邦を統一して、新に濁逸國を
造りしも、極端なる軍國主義を遂行して、世界大戦に敗れ、遂に現時の共和政となり
たり。
露西亜は、古来、終始一貫して無智家味の愚民に封し、極端なる喋制政治を行ひ来
りし國なり。第九世紀に、リューリックが瑞典より来りて、スラブ族を征服し、北欧の
一角に微々たる露西亜國を興したるに始まり、十三世紀には、蒙古人侵入し来りて之
を征略し、人民はその抑歴に屈服せしこと数百年なりき。
共の後モスコー太公の力に由りて潮く國家の濁立を見るに至り、ロマノフ家に至り
て、次第に四方を侵略し、特に東の方シ べリャの廣漠たる地方を推有して、極めて多
数の鍵 族を征服し、共の版園を擁張すると共に、國家の権力は盆、増加して、極端な
る鷹制政治を行ひ、強大なる権力を以て海陸の軍備を擁張し、その侵略主義は、世界
の脅威たるに至りしが、我が日本と戦ひて 一敗し、更に世界大戦に勝映し、共の機曾
に乗じて共産窯の擁頭するあり。古来、極端なる歴制の下に哺略せる愚民の不平を利
用して、大革命を行ひ、王朝を亡ぼして、勢働者・農民専制の赴曾主義ッヴィェット聯
邦を樹立したり。ッヴィニットは、質に財産の私有を認めざるのみならず、宗教を否
認し、道徳を排庁し、不義乱倫至らざるなく、人類を騙りて畜生道に陥れたるの観あ
り。面して全國人民の共産主義に反する者を殺残すること数十百萬の多きに達し、探
偵と銃殺とを以て僅かに秩序を維持するの状態にして、大多数の國民は、一部鬼畜的
酷吏の絶封専制の下に、全く思想及び生活の自由を失ひ、牛馬の如く酷遇せられて、
奪々として僅かにその生を保ちつ、あるの質況にして、その暴虐無道・残忍狙戻、有
史以来、未だ曾て有らざる所にして、人情に富める我が日本人の到底想像し能はざる
所なり。
亜米利加合衆國は、元来、政治上・宗教上、英國政府に不平なりし英
る北米殖民地十三州が、本國に離叛して濁立したる共和國にして、國内
第十五章 覇道政治の西洋史観 二四九
後 篇 皇 道 政治 二五○
外、濁・備・伊等多数の異人種を含有し、四年の任期を有する大統領を選撃して政権
を委任し、各州及び上下雨院の議曾が廣大なる権限を有する純然たる民主國なり。
米國は西牛球に位し、土地廣大にして、政治上・経済上、欧洲より濁立して生存す
王 〜イ
こと

得るが故に、請はゆるモンロー主義なるものを逸奉し来りたれども、國民の
自奪心は順る高くして、諸事、世界の第一位を占めずんば己まざるの意気あり。建國
以来、絶えず領土を擁張して、黒西晋よりカリフォル ニャの土地を割取し、或は西班
牙よりフィリッピンを奪ひ、布吐を併せ、キュバ を取り、途に進んで東洋の天地に共の
勢力を延ばし、亜細亜大陸の事に闘渉するに至りたり。
亜米利加の國民は、不覇濁立の気性に富み、寧者 ・宗教家を初め正義を重んずるの
主に乏しからずと離も、一般には巧利の思想順る織裂にして、物質主義は旺盛を極め、
極端なる個人主義に徹底して、各人各界、みな利欲に没頭し、その説く所の正義・仁
愛は拾も一片の日頭輝に過ぎざるの威あり。時運の 一大韓換によりて、國民の気風を
刷新し、大いに道義を振興するに非ずんば、國家の前途、赤容易にあらざるべし。
之を要するに、欧米諸園の政治は、概ね権力争奪の歴史にして、覇道政治の継績
なり。王道思想の発生せざるも、赤勢の己むを得ざる所なりといふべし。
権力の争奪は、遠くローマに始まりて欧洲諸國に博統し、共の民族の特性及び環境
と相侯ちて、物質主義・功利思想を激甚ならしめ、近世に至りては、功利哲學及び法
律の勃興に由る権利思想の発達と同時に、産業の革命、殖民地の獲得等は、一層功利
の念を織烈ならしめ、國家は國民と相争ひ、個人は個人と争ひ、また國家と相争ひ、
外には未曾有の大蹴を惹起し、内には赴曾主義・共産主義の発生を見るに至り、一家
に在りては父子相争ひ、夫婦相闘ぎ、富者は貧者を虐げ、貧者は富者に反抗し、強者
は弱者を凌ぎ、多数は小数を歴し、盛んなるときは騎省を極め、衰ふるときは怨暁を
事とし、また、仁愛・正義の何ものたるやを顧みざるものの如く紛々援々、不平の盤
は到る虜に充満し、文化は盆く進歩して、人類は奪、不幸を嘆ずるの奇観を呈するに
、第十五章 湖道政治の西洋史観 二五一
こ類頭利れ

功鳴
没質
人に





天賦

しら





ずん
なら

なり
ざるた

徳性たる仁義の道を軽祀し、物欲
二五二
第十六章 王道政治 の福州國
即位>各
王道政治 2 前途
湖湖成帝 フ 加北部 制度 總會 2 上會
起 于五百九十二年、 昭和七年三月九日、 澳洲國 新に処せられた9 歲那
^出て三百年間文脈に君臨したる愛朝鮮民宣統帝機能は、 親政として統治の位に
即 、 次いで路和九年三月 1 日、 皇帝の位に師 たり。
機能就醫師位の宣言に目く、
人類は必ず道德を重んす。 然れとも、 種族の別あれば、 別人を抑 《 て ル を勝
く、 而して道德機し交。 人類は必ずに愛を重んす。 然打とも、 國際の仲あれば、
則ら人を張して jを利す、 而して伝 愛機し交。 今吉が図を立つ るに道德仁愛と以
て主とし、 種族の別、 國際の筆を除去をば、 王趙紫士、 命さに認を歩に見る
第十六卷 H道政治の湖面 二五
後 篇 皇 道 政治 --

二五四
べし。凡そ我が國人、望むらくは之を勉めよ。
また満洲國建國宣言に目く、
(前略)私に意ふに、政は道に基き、道は天に基く。新國家建設の旨は、一に天に
順ひ民を安んずることを主とす。施政必ず最 正の民意に 調ひ、私見を存すること
を容さず。凡そ新國家の領土内に居住するものは、みな種類の岐祀、奪卑の分別
なし。原有の漢族・満族・蒙族及日本・朝鮮の各族の外、即ちその他の國人と難
も、長久に居住を願ふものは、又平等の待遇を亭くることを得、その常さに得べ
き権利を保障し、夫れをして豪も侵損あらしめず、拉びに極力往日の暗黒なる政
治を削除し、法律の改良を行ひ、地方自治を励行し、廣く人材を牧めて賢俊を登
用し、質業を奨励し、金融を統一し、富源を開発し、生計を維持し、警兵を調続
し、罪顧を粛清すべし。更に進んで言へば教育の普及は、正さに濃敬を崇ふべし。
王道主義を質行して必ず境内一切の民族をして、シ々として奉発に巻るが如
くならしめ、東亜永久の光築を保ちて、世界政治の模型となさんとす(下略)。
と。これ明かに王道を以て建園の精神となし、道徳を以て政治の根本義となすべき旨
を宣言したるものなり。
今ゃ西人功利の思想は世界を風摩して、権利を重んじて道徳を軽んじ、争奪紛援、
習ひ性となり、復た仁愛・正義を説くものなきの時に常り、亜細亜大陸の一角に於て、
王道政治の新國家が出現せるは、拾も空谷に発音を聞くの威なくんばあらざるなり。
特に皇道日本の兄弟の國として、提携抱負すべき隣邦満洲が、皇道の精紳たる王道
を以て國を建てたるは、則ち皇道弘修の端緒にして、協和萬邦の第一歩と稲すべく、
大いに人意を強うするに足ると請ふべきなり。
今や支那本部は、清朝崩壊、宣統皇帝退位以来、國内乱れて麻の如く、群雄四方に
割擁して攻伐戦闘止むことなく、國民は苛飲誌求に堪へざると共に、飢健・水災交々
至り、加ふるに共産窯を誘致して、人を殺すこと幾十萬人、道徳を破壊し、人倫を案
第十六章 王道政治の満洲國 二五五
-
後 擔 息 说 政治 11至大
御し、 熊本石らは三民主義 と称して、 湖州國宣言に載するが如く、「內は生民を苦しめ
外は安邦を排斥して 、 なく愛利をそれ事らにし、 その主義に使ならぎる の 故 を以て、
孔子の数を排斥し、 聖樹を設ななしむるに至れり。 泰の始皇が書を禁さ 術者 を沈殿 せ -
しより以來 , 夫曾有の 暴學なり といメ、し。
此の時に常す、 北方の天地に顔立して、 王道を行私に政を負擔する新興國志 6 中
部支那の艦攻に苦しみ 業學を備するもの、 離か首を延べ 足を繋がてて、 王道幾士を送
超絶 さる2 のあらん。 直子目く、 . -
︽李 雲地 安徽和墨 西康
地不 窮地不 將 安。 位に愛麗王。 英之能源 地。 王者之不作、 本
小牧野 氏之德 將於廣東 北 省略 者,也 做為 惚
ハ ン ン ? スル }リッリ *
-
} *
- 高者 具 短缺。 孔子目、 德之流行、 速 鉄道都前傳《 命、 常 令之時尚泰之國行

サ ブ n トキナリ ? ア - < \} ハ ズ - -
行政 民之徒。之槍擊 倒轉 ,也。 故事生 市之人 动以伊N、 維此時為 然。
キナリムガ ? 形
然被 嚴、 民之歌 之、 非 大 之路 基地。 陈寿
李氏 物 時軍民大修。 李日、後 成 后裔。
と。 支那の思想は今% は古の如くなり。 3し民を愛し民を安んする ものあらば、 これ
に就く と と、 市に臨するが如くならんº 者 中文目く、
陈 寿也 不下
之 、陈 寿
~。 今や中華民國の頭足用者の機銃は、 貨に等古の能く離す所に非子。 而2 平衡の
起 つて反乱を務正し、 時局を 正 数ヶる者ある と となし。 背く も達州國にして、 王道 に
遊び に政を行はば、 民のク を赤松 之に就く と と、 於 2場王の古に於けるが加 さ2 のあ
らん。 湖洲國の 角に民を頼る者は、貨に中原の仲良 なり、軍國の指政なり。加者は食を
第十 六章 H道政治 の湖洲國 11至 七
後 篇 皇 道 政治 二五八
貸し易く、潟者は飲を貸し易し。満洲國皇帝にして仁政を行ひ、時勢に乗じて中原に
臨まば、中原の人民はみな算食壺奨して之を迎ふべきなり。現に今日既に満洲の接壌
地たる河北の地方には、満洲國の王道を美望する者少からざるものの如し。幸にして、
満洲國皇帝は賢明にして大志あり、四億の生民を塗炭に救ふを以て願と貸すと聞く。
共の出慮に常りて、一身の利害を眼中に置かず、偏に生民の体威を以て念となし、確
平不抜の信念を表示せられたるが如きは、眞に偉大なる帝王の資を具へたるを見るに
足る。惟ふに、天は濁り満洲國のみならず、中原晴蹴の大任を皇帝に降さんと欲する
に非ざる平。自今以後、建國の宣言に違ひ、努めて面して息むことなくんば、祀宗の
大業を弘依して、中原を徳化すること、赤決して難きに非ざるべし。これ濁り帝と支
那人との幸顧なるのみならず、赤質に東亜全鶴の幸顧なりとす。聞く、民國の主権者
蒋介石も、近者儒教の到底混滅すべからずして、王道政治を謳歌する者少からざるを
見て、孔子排庁・聖廟破設の議を改め、全國に令して更に聖廟を祭らしめ、去年甲成
八月二十七日 の祭日には、 特使 を曲阜の聖樹に派遣して、 武曲 を暴行 をしめたすとº
王道政治の中原に影響すること、 北の如くそれ大なり。 元子目く、 ſ德の流行すると
とは置郡して命を停よるより も速なり」 と、 特に支那に於て共の世がたしさを見るo
然~と離3、 王道宣に行い 場からんや。 支那古來の政治家にして、 王道の貨行と武
みなる もの顔る多し と離 、 成は古制に拘泥 して時官に適せず、 成は始に熱心 なる
%、 途に終を全うする能はさるものあり、 成は新道の利に逃れ 、攻は法律の説に韓ar
克く経始 實、 商銀 を排して、 被派的に Nを作 行したるものは稀なり。 唐の太宗の王
道を負行やんとするや、 重臣對德發 之 に反對して目く、 三代以後、 人黃(達拿な
* *に楽は法律に任じ、 機は新道を機 。 神社 を欲して直して艦はず、金に
理を従くして而して欲せざる ものならんや」 と。 幸にして資和魏徵が新平 として、 王
道政治を主張し、 太宗派之を容れ、 不世出の英資を以て、 総務方したるが故に、 能
《共の成績を 挙げて天下の変本 を見ることを得 たり。 これ に支那史上與教の艦事に
第十六章 H道政治 の湖洲 國 二 五九
現用譯設制今 學
法みず

施成
適翻並






)







する 総れ














N
º



ざる
とせ
主眼合 法制
を以て
する應 のれにる國り於み る
そ者


さが

な基限
他しぶ
,

す。

之前

の 風ちに








直痛










と 俗 中






行 既るに人す治に 、
政民


な難

然修
國。








に 衝し













政治








解さ
國 突 に



く 大橋


















艦 局 に





下 命頭

法律
















g


没 令 し






分 法板
%







制度









西洋
悪く
まで
、 律 ず



る 道ら

















なる
もの



ざる

e 德


せ 。

O

]
1




後續

翻譯

法律


如きことあらば、法令は奪、繁くして、政府の機闘は日に膨張し、行政は盆、繁雑を
極めて國費は日に倍加し、負携の増加に苦しむと共に、自治に慣れたる満洲人民は、
法規の煩鎖と干渉の厳密なるに堪へ難くして、途に新政を呪阻するに至るべし。かく
の如くんば、如何にして王道楽土の質現を見ること得んや。又如何にして新興國の人
心を牧概し、進んで中原を徳化することを得んや。
抑、王道政治の要は、一切の立法、 一切の行政を通じて仁義の精紳を徹底せしむる
に在り。面して之を徹底せしむるは常局共の人を得るに在り。孔子目く、「文武の政
は撃げて方冊に在り、共の人存すれば、共の政撃がり、共の人存せざれば共の政亡ぶ」
と。法制は死物なり、政治は活機なり、運用の妙は一に共の人に存すること、古今の歴
史の謎明する所なり。孔子の言は眞に千古の格言なりといふべし。聞く、満洲皇帝は
英適にして、唐の太宗を凌ぐものありと。面も一兵に峡らす、天命に順ひ、國民に迎
立せられて帝位に即きたり。共の建國の径路己に王道の精紳に合せり。何人か果して
第十六章 王道政治の満洲國 二六一






授 乏し に




º
べし
ざる
から 何さ興り獻人
文魏徵

なが



新たり


施や








滿洲
政むと士治
人~










こ要




望の

。 不學寺論 理
雲雖
理、



也 安業之帝存日徽

後种
既省
黃晚期
昌與

事、 佛本官奈學法
理李
奈官

士之後
熊昆


人心 治

退



1


皇祖








康熙帝

李行













.

非 白

前視神國期

建く



精共

敵の



~


博み




安司












、 學
期 女
第十七章 H道 y 東洋政治學
王道學ト称合政治學
綜合政治學ト 法律學 ・経済學
明治天皇都會記
和村 2後成
政治は人生の 一大事なりº 羯後の治机械装は、 これに由,9て破れ、 國民の興亡隆神
はそれに由~て定める、 政治學の無かるべからざるや輸なさなり。
現在我が図の拳術 を見る に、 形而下、 別ら 物質的方而の学科 としては理科・ 工科
あり。 而して、 法科の中には法律科 ・ 政治科 ・ 編號幹等あれとめ、 政治科
は、 公法 ・ 私法等の法律學以外に、 經濟 ・ 財政等の科目ある のみ にして、 統合
治學なる2の はこれ無し。
第十 七章 H道と東洋政治學 二六季
後備 桜 致 治 -

二 六四
西洋に在すては、 1 2 充、 新道政治を行い、 雅力爭奪を継続して法律學の愛達
を 求しかれと 、 総合的に政治共のものを研究して共の原理を読め、北の法則を樹て
典の利等科夫を考資する所の調はゆる 政治學なるもの は、 未だ國著なる鉄道を見るに
至らすº
東洋の王道は政治の理想にして王道の軍は削ら政治學なり。 王道に在6ては道德前
ら政治にして、 孔子の 師政は道德と政治 とを以て 一體となす ものなり。 今日 の語 は少
る道德學大 政治學とを集れなる ものなす。 從つて、 佛教の勢は道德及び 政治の原理法
則を研究すると共に、 古朱の歴史・原籍に由すて、 國家の艦表國民の降、 共の原因,
執業等を開かにして、 國家・岡 の降 に表さんとする。のた。 これら王學友
^、 それ別ら東洋の政治學なす。 かの法律學 ・ 財政學・編導學の如く は、 みな王道學
則 設治家の分派なるべきものなす。 政治學の下に作りて、 東の手足となりて、 東の
頭者を助け、 共の技術となり、 共の機械となりて、 政治の運用に使するに過ぎるベ
きものなり。政治撃は総合の本鶴撃なり、法律學・経済寧等は政治の運用撃な。詳
言すれば、人類天賦の徳性に基づく道徳の発展の研究は根本にして、政治・経済並に
法規・方策等の研究は枝葉の部に属すべきものなり。然るに、もし線合せる政治學
なるものなくんば、法律學・経済學等の枝葉の寧問は、政治の根本精紳と相背馳する
に至るの虜あり。旦各分科互に矛盾して統一を峡くに至ることあり。現今我が國にて
線合政治學の研究を怠れるは、道徳振興の見地よりするも、皇道顕揚の見地ょりする
も、眞に遺減の至りにして、昭代學界の 一恨事なりといふべきなり。
明治十五年十二月、幼學綱要願賜の語勅に宣はく、
リト難モ、之ヲ本朝ニ採用スル未ダ共ノ要ヲ得ズ。方今學科多端本末ヲ誤ル者鮮
カラズ。年少就學最モ常サニ忠孝ヲ本トシ、仁義ヲ先ニス べ シ。因テ 儒臣ニ 命
テ比書ヲ編纂シ、群下ニ 殖賜シ、明倫修學ノ要慈 ニ 在ル事ヲ知ラシム」
第十七章 王道と東洋政治寧 二六五
後備 息 送 族 治 11次 大
~。 それ別ら王道の根本なり。 以て道德等重の深厚なる聖 日と腹 に足るo
加治十九年、 加治天皇、 東京大學に臨車あり。 還得の後、 特龍元山水牛を召されて
-
宣はく、
收錄 大學 體 ス。 計劃設クル所ノ學科ラ都認 ス 形 、 理科・化學 科 植物
科 醫學 ・法科等 、 金~共2 進步ラ見 形可 ント艦 、 王本トス 形後身2 學科
家 》 曾 因 所集》。 和操り 鳥 科 修身フ事トン、 古典雅各科 79ト間クト艦
*、 柳州サル所 設ァルキ、 過日舰 n ト無シ。 郡大學 日本教育高等2學校
ップ、 高等 人帶 來成 所 )。然 42學科 シア政府要 證書
者 多 稱 《 *人材ラ求メント級タル を決 ンテ得 タラス。 假金、 理科 ・登科等 2 充
秦 ヶ英人物之成ッタットモ、 入リテ和トナルキ者 非ス。 當此役立 《功臣內
南 スク教之數 形 下雜誌、 永久 ラ保スカラス。 之子職 N )和材ア有成す %
ォラメ。 然 形 、 今大學ノ教科和操作坊2种有影 *無*ャモラス、 國學應國
晒ナル者アリト難モ、共ノ固晒ナルハ共人ノ過チナリ。共道ノ本鶴ニ於テ 固ョ
リ之ヲ皇張 セサル可カラス」
と(元田永学、聖喰記 。聖慮深遠宏大、深く王道寧に意を致されたるを見る、眞に恐擢に
堪へざる所なり。
「和漢ノ學科 修身ヲ専トス」 と宣へるは、則ち我が天祀碑勅の精紳にして、支那
の理想たる王道の寧が載せて和漢の文献に在るを指し給へるものに非ずゃ。
「今ノ寧科ニシテ政治治要ノ人材を求メント欲スルモ決シテ得 へカラス」 と断言せ
られたるは、眞に金玉の論言にして、寧界の規後なり。聖喩の如く、法律寧・経済寧
の知識に専らにして、古典の研究を怠り、道徳政治の根本原理を知らず、國史・國學
に暗くして、面も大政を擁梅し、皇道を顕揚せんと欲するは、眞に木に接りて魚を求
むるが如し。任に輔弱に在る者と、局に教育に鷹る者とは、この聖旨に封して果して
何の顔色かある。
第十七章 王道と東洋政治學 二六七
後 篇 皇 道 政治 二六八
「常世復古ノ功臣内閣ニ入テ政ヲ執ルト難トモ、永久ヲ保ス へカラス。之ヲ継クノ
相材ヲ育成セサル可ラス」と宣ひたるに、常時の常局者は何が故に古典學復興の撃に
出でざりしや。共の罪、決して小ならすといふべし。
明治二十三年、教育に闘する勅語を下し給ひて皇道國鶴を闘明し、臣民の鶴ふ所を
知らしめ給ひたるは、前章既に之を述べたり。明治天皇崩御せられて既に二十除年、
幸にして歴代 天皇の御稜威と國民の忠誠とに頼りて、國運は日々進展したりと難も、
一たび眼を政界に放ちて共の政治運用の質状を見るときは、官吏といはず、議員とい
はず、國家経論の器に乏しく、大局を達観して宏献を割するもの少く、また皇道を顕
影して碑州日本の特色を発揚せんとするもの稀なり。面して大學の卒業者は要路に
つるも、徒らに法律を論じ、権利を説き、技葉末節に没頭して、皇道徳治政治の何物
たるかを解せず、紛々援々、功利を推れ競ひ、築達を惟れ 糞ひ、甚だしきに至りては
構力利盆の争奪に没頭して、仁義・正愛の何物たるを解せざるものあり。面して帝國
*の 科は薬*改良せらる、ことなく、専ら西洋の模倣に努むるの除り、共の入%
シ* ても、共の講義においても外園語のみを重祀するが如きは言語同断なり。
シのシは、 々たる帝國大學の教授・博士にして欧洲の憲法に倣うて 「天皇機
『」のシを へ、議倉の濁立権を主張するものあり。甚だしきに至りては、公然共
シし、露園の命を奉じて萬世一系の皇位を覆し、募農専制の政府を樹立せんが
ヵあ、革命の質行に努力する者を生するに至れるは具に長大息に勝へざるなり。これ
一シの に波頭して、皇道日本の政治撃を開却したるが貸ならずんばあらず
『シは修身・売家・治園・平天下、不可分に一貫するものにして、間はゆる「自
*シ人*背以 修身貸本」といへるもの、明治天皇の聖心に「和漢ノ撃
* 」と宣はせ給へるもの則ち足なり。故に日本政治撃たる皇道の座
シのシあるのみならず、普通 校に在りても、赤共の大鶴を教授
第十七章 王道と東洋政治學
二六九
二七○
後 篇 皇 道 政治
せざるべからず。現今の普通學校は修身を閉却して智育に偏せり。道義の低闘、人格
の陶治は、皇道政治の根本にして、古典は則ち教育の眼目なり。かの英園民は、古
を以て剛健質質の風を養成し、大戦後最も力を古典の普及に致したり。共の剣橋大學
に於ける日本人の入 試験には、論語・五子等の古典を課す。我が帝国大學の入試
験に外國語を課すると比較して、西洋崇拝思想の旺盛なるに想到するときは潮社の
を潔ほすものあるを豊ゆるなり。
第十八章 大化の半新 明治 の維新
支那文化 ア総 入
西洋文化 ) 曾入
東洋 2 王道原型ト西洋 2 物利恩怨、 共 2 明縣治化 2 建房
大化の草新 と明治 の維新 とは、 我が建國以來の 二大變化にし て、 政治上・社會上 の面
目を 一 新しなす。 而して二者共に外國の文化を輸入し、 ク を模板したるの戦に於 て、
同一 級なり。 なく 前者は思想系統の類似せる艦部支那王道 政治の法制を輸入し、 後者
は川 地系統 の和張貼 る遠國歌州の民主的功利政治
千个 の法制を輸入したる の戦に於て、

成敗

の同じ からざるものあり。 た大化の時代は精神的文化に於て、 我と支那との


縣原産がたしかりしに比して、 明治の時代に至りては、 我が精神文化は日 に頼る高潮に
建しなりしか放に、 二者の間、 關聯 ・消化に難易 の相違あるを見るなり。
第十 八 禁 大化 の半新 と明治 の維新 二七 1
後 篇 皇 道 政治 二七二
今試みに大化の革新の跡を概観するに、聖徳太子以来、潮次支那の文化を輸入した
りと難も、氏族政治の制度なほ存し、朝廷の政治は極めて簡易質素にして、大化革新
の語を群臣に下し給ふに常り、庭上大樹の下に於てせられたり。百済の使 著翔岐を響
するに、朝廷は裸鶴の角力を以てし、権臣蘇我馬子は、之を私邸に響して、馬一匹、
繊二十挺を贈りたり。一般國民は質素純朴にして、共の生活は極めて低く、たゞ 鬼碑
を敬し破除を事として、無貸に共の日を送るの質状なり。比の時に於て、朝廷は各般
制度の革新を断行したるなり。
大化の革新は、先づ以て積年設属せる豪族の権力を剣ぎて、之を朝廷に集中し、唐
制を模倣して太政官の下に八省・百官を置き、地方に在りては國造・國司の官職世襲
を禁じて郡司のみを世襲となし、豪族の土地私領を禁じ、班田の制を設けて土地を國
民に均分し、又初めて日本といへる園競を立て、全國を六十除園に分ち、郡懸の制を
布き、郡・邑・里を割して園司・郡司・里長を置き、徴兵の制を改めて軍を練り、税
制を改革して知 ・ 東・ 調の法を定め、 公民 ・ 販機の制度を改良し、 講義を教 へ、 風俗
を正し、 政治上 ・社會上の面目を 一 新したす。 隨後新政は間新たく食行やられ、 六十
年後天武天皇の代に至り、 新金を算複して大寶金を終布し、 官制・兵制 ・聖訓を初、
多くの制度を規定したす。 永な複雜造常なる座佛を輸入して、 大致使を終布したす 。
此の加くにして政治 ・ 教育は勿論、 衣食・建築・社交 ・ 新樂、 北 の他 一般生活 の様式
は 残して悪く東風となり、人名・地名を逃惨手に代 へ、 路軌に送 を用公 るに至 几 6。
大化以後の新政の母舰なる支那は、 唐の太宗が総 武士道 の 仲行を飼 0てより、 天下
太平、 文物線從として降服なりし時代なり。 從3 て共の段が政に輸入さられたる王道
の思想 と、 忠孝に義の精神とは、 克(我が聞網 民情に離合 致し て、 政治上,此會上
正教の拠は多く成の開を成し、 金を辞し、 交響を絶したる のかず。然
れと%、 法令の命する所、 必ずしも共の質数を察が得、さものにあらす。 上地國有の
班山洞度の加さは、 1 日 服制して賞行したりと離3、 共の人情の自然に背及するが 狗
第十八卷 大化 の本新と明治 の維新 二七 三
-
後備 桜 治 二七 四
に、 黃永興行不能となり、聖武天皇の代に至りて遠に廃止 さらる^ に至れり。 文が の貨
花 の 法 委託 7 艦長 安»利7階 » テ球季攻载 キシム。 朱)王安石が光世)於19 の加さ3、 成は
付の際に繁栄 を生じ、 或は退却を意すて利息 の加重に苦しみ、 繁省自出して送に魔城
しなり。 特にかの大將 作の如心vは法將日離解にして、 明法戰士 を大道に派遣して諸説
せしめ なり と離3、 常時の風情に照らして適切將要ならざる は勿論、 貨行上亦因體
作なメ2 のありしは想像に難からず。 從 つて大寶の仲介 は平安南 の頃に 至りて漢く 地
脚し、 北條氏の時代に至りて別に 来日の像を見るに至りた。 而して、他に至
~は東の十字、彼 とははっきるもの中 の多 に巻きるた ば、東の
際に適用せられたる程度及び節園を察知する ことを得、さなり。 柳^ 法令 の性命は、
| 2國民の思想 ・ 教育俱に 合致するや不甘心)に 依りて 決定せらるく こと、 古今唯史の設
加する所なり。 新法を作らんと鉄する者は深く思を共の関常 ・ 民風に致さざるべから
}^
大化前後の新政は、 法制と共に漢學を輸入し、 遺唐使の派遣となり、 大學・國學の
設置となり、 律令の教宗となり、孔子の祭祀經典となり、 衣食 ・建築 ・ 文學・ 愛德 •
歌舞 ・ 音樂等、 背支那を模板し、 加よるに、漢文 を以て輸入やる術教の曾 ~術なるに
從 いて、支那些 神の思想は上下を風解し、 松永 明治時代の西洋楽評人 類似して、 特に
我が 日本間有の 精神を御魔しなる もの 少からず。 か の信道線が 帝位を親衛するに中
~、 學者 ・ 政治家等、 新平 として之 に反對する ことを博,9、 徳 が に宇佐入總 の神話に
依 6て道線を 下げたるが加さは、 支那達雅麗議の歴史が、 1 教思想に影響したる結果
なるべし。 唐順道其は、 時整 に艦みて 和環遊すの説を唱 《、 素して遺唐使を残しな
5。 是より後、 橋<國民の自覺を 促し、 幾ばく もなくして國民武 德の振起、 固有文學
の 物與と 見る に至れ す。 我が図民 武德の雄大にして、 而2共 の根拠の朝建なる こと,
概ね此の 如し。
明治の維新は、 頼る大化革新の跡に似たり。
第十 八章 大化 の車駕と明治の維新 11 至
-
後 篇、皇 道 政治 二七六
明治の維新は、先づ徳川氏及び三百諸侯の政権を奉還せしめて之を朝廷に集境し、
封建の制を廃して郡懸を置き、機多・非人の制を廃して四民平等を宣告し、官制を定
め、庶政を改革し、中央政府には太政官の下に各省を置き、地方には懸令・郡長を置
くこと、眞に大化の革新に類似せり。
次いで寧術の輸入と共に、大いに西洋の法制を輸入して諸般の改革をなし、明治十
四年には圓倉間設の認を下し、次いで法典の編纂に着手し、明治二十二年には先づ市
町村制を発布し、新町村を定めて自治制を布き、同年帝國憲法を務布して議曾制度を
創設し、園民をして大政に参賛せしむるに至れり。面して引績き、民法共の他の大法
政府が欧洲の法制を輸入すると同時に、 政治・経済・寧問・教育・藝術等、赴曾の
全般に亘り、朝野を撃けて欧風の模倣に熱中し、衣食・建築・歌舞・音楽に至るまで
番く西洋の様式を撃び、全國を撃げて西洋化するに至れること、 拾もかの大化以後に
於ける支那樣板に防御たるものおり。
自然科學は、とよ小數人の得意とする所にして、 彼の進步の程度は、 我が日本と
非常の際 のす。 從 って難新以後、 朝野學つて之が輸入と研究とに努力し、 途に全世
紀の 田方を以てして、 克く學問の進步と顔立を見るに至れ 60 ㎞離 に、 他 の事情
大型像 って、 物質主義・ 助利恩怨の流行を見るに至れるは、 赤教の紹介 さる所なりº
社傍の輸入に ては、 自然科學の細く、無能夠 ·傑作にそ 人 ,ること
能はさるのあす。 何となれば、 彼の法制の根據たる関家の歴史高に関民 の思想に於
て著しく成人 相異なるものあればなりº
柳、歐陽の法制は君王の機方等等に非っく民主的法制なり 彼の制度は個人主義 .
自由主義等の功利地想に基づく新道政治の魔物なり。 而して共の頃に問 12世
系の 天皇を載《我が日本の御器と同じからず。 其の修理的觀念は、 父親 李 ·
R成衣 、 英聯和和 多、加安和信ジテ 、上に忠を離す所の段が日本の道德と同じか
第十八章 太化の事物と明治の維新 J
後 篇 皇 道 政治 -
二七八
らず。従って彼の法制を輸入するに中りては、之を大化の新政に比して、一層の注意
を要するのみならず、これが運用に常りて、かの新法制の裏面に潜在して、鞭もすれ
ば表面に躍出せんとする西洋思想を阻噂し消化して、以て我が皇道培養の用に供する
は、更に 一層困難なるものあるなり。
飲定憲法は、明治天皇の憧重なる聖慮により、西洋の法制を折表して、克く我が國
鶴に適常せしめられたるものなり。然れども、これが運用に常りては、深甚なる注意
と努力とを以てし、且相常時日の訓練に待たさるべからず。後章に於て別に之を説く
べし。
國家基礎の法として、國民の日常生活を支配する自治制度は、赤西洋の模倣に係り、
共の選撃制度は未だ民情に合せざるの結果、戦もすれば、隣保園結、貧富相済ふの美
風を破壊すること少からず。特に新制度は、数部落を合併して新町村を創設したるが
ため、法律によりて創設せられたる自治鶴は、歴史的に発達せる自治自愛の観念を鉄
き、精碑的結合の力に乏しく、従って有機鶴として活動務展すること難く、却って古
来、自然に発達せる部落共の物が、物質的にも、精紳的にも、眞個自治鶴の性質を有
するに拘らず、法律はこれを保護せずして、共の機能の発揮を妨ぐるの質情なり。加
ふるに、選撃制度は、紛蹴・闘争を招来し、部落の生活を悪化したり。自治制☆赤大
に之を改革して、自然の質情に適合せしめ、以て我が園本来の美風を発揮せしめざる
べからず。
民法・商法・訴訟法等の大法典は、営に西洋崇拝の貸のみならず、條約改正の代償
として、急遽編纂務布せられたるものなり。
比の如き浩滋 にして繁鎖なる法典が、果して我が國の民情に適應するや否や、また
我が皇道政治の精紳に合致するや否や、雨つながら疑なき能はず。共の 一部分は、将
来或は彼の大賞律の如き衰亡の運命を有するに非ざる平。特に民法の如きに至りて
は、西洋の功利思想・個人主義を採用して我が國の家族制度を破壊し、良風美俗を損
第十八章 大化の革新と明治の維新 二七九
-
後 篇 皇 道 政治 二八○
傷する☆の少からず。穂積八束博士をして、「民法出でて忠孝亡ぶ」と概嘆せしめ
るも、故ありといふべし。我が國民は自覚せる日本精紳を以て、更に園情に適應した
る法典の再検討を圓らざるべからず。
國家の基礎法以外に於て、施設の必要上務布せる法令も、赤西洋を模倣して功利思
想に基づく権力至上主義を務揮したるもの少からず。明治維新以降六十年を通じて、
法令の下ること雨の如くに繁く、共の数、幾千百の多きに達せるは、即ち権力至上・
法律萬能の覇道思想に基づくものにして、皇道政治の精紳に副ふ所以に非ず。面もこ
れ質に西洋崇拝の結果に外ならず。之を稲して法治主義といひ、法律政治といふ、権
力を行使する官僚の最も得意とする所なり。故に又之を官僚政治と稲して可なり。
一般赴曾に至りては、西洋の思想並に生活様式の流行せること、一層甚だしきもの
あり。足によりて人智の進歩、赴倉の発展に寄興したる所の基大なるは、大化革新の
支那文化輸入と類似せるものあり。特に明治の國民は、徳川氏三百年太平の結果、既
ト7 ては、むしろ西洋を凌駕せしもの少
からざりしが故に、克く彼の文化を検討して巧に採長補短を質行するこることを得た
り。然りと難も、共の成ものは、彼の文化を無検討 無批判に採取し、政治は初論、経
済・教育・文學・藝術・衣食・建築・歌舞・音楽・儀濃・交遊の事にる至まで、悪く
良られ安般壊俗 、満て面し


し奮


同を

固る
模時に有た目然喫洋倣
西欧風
全思想


忠致
あり
もの
する















合 信 た


情 入











支本
文化
思想
政治
王道




基 那 ず



に 風
一破淳


不し

陥人心


か混



もの
たる





しに反し、西洋文化の

根抵を成す所の、功利思想に基づく権利思想・個人主義・自由思想・民主主義の如き
は、我が國の國鶴・民情と全く相容れざるものあり。面もこれらの思想は、人の欲情
に合致し、且事功を撃ぐるに利する所あるを以て、共の弊害一見して明瞭ならざるも
のあり。従ってこれが害を去り利を採り、克く之を阻噂し消化することは、容易の業
第十八章 大化の革新と明治の維新 二八一
後備 桜 致 治 1 人
に非ず。 現代國民なる ものは、 深く自ら成為 自ら各々 て、 我が固有の日本精神に還
^、 ク を以て政治 ・織 ・軍開・教育・文學 ・戦術より、 衣食 ・建築 ・修建 , 陈建 .
青葉に至るまで再び西洋文化の精神・総武を検討し、 英の衣るべきものは Nと夫 2
東の取るべさ*のはNを取り、 以て触媒なる日本文化を後有し、 更に進んで西洋文化
を離合して二十世紀の新文化を創造 さるべからず。 これ に現代日本人の神聖なる
武勝なんとす。しそれ西來の文物を消化すること船はずして、 成は これに他服やら
れ、 成はそれに帰後守らる)が加さ ~とならば、 何の面日あつて大化時代の祖先に見
たんやº
第十九章 是 道》 外來用 相
信教 ・ 使教 • 部監牧
数秒利恩怨ト 物質主義
自由思想ト個人主義
雅利恩想 ノ 教省
現代思想 2 度洋
大正 天室 )國民統制作 與 凱 スル 郡
第 I 是道 と外來想想
我が皇道は個太く第なく、 游 タとして全公 ・李純 ・李大 ・ 金剛、 常?太陽の宇宙を
野橋 ,るが如く、 我が関誌の根本思想も、 赤至公 ・李純 ・李大 ・李斯公るが故に、 あ
らゆる外來の思想は、 北 の事物と共にクを採り乗りて、 克く之 を直列し、 取食し、 而
愛して、 以て皇道就接の資に供しなす。
-
第十 九章 员进と外來很想 <
神る













こと奈者
佐る失々 の
喪や



=
すにし

望ん












。 慶須野るり衛位應

皇春

S


親義

す人


至者
那に

な、
艦 補して果學もり及救 を


と獎勵


普酸


な倒
とし


結漢。

流行

は 改られ





や施し




たり


天皇

國學
及び

て 革 来


學 事り




天皇





皇子

政治









9
, 態 す

道 王た






















。 道 り




治 融般に





一なる


普及





行為






。 合


れ 思める



殺我
正と










水、
始飲


曜日直し想 流し孝る義くれ布

至が

説する


仁す

す所


信を
に思






け験るも






最古

世祖
な外來
修大




もの

なり
福り







天皇







及び






以來神


じ 治
%
後備


二-


し、 攻でい機率を消化したる日本文學の物與 ,るあり。 艦教は湖水或が皇道に韓化し
て、 國民道德の振興に資するに至 6たす。
の思想 と相容れ離
)
ゲ 秘術 を離したれ と
%

聖德太子の加 德學・高德の信者あり、克(Nた武が図帳に調和して信仰の基礎と
個 の、 大いに撤離・仁愛の風を振興して、 皇室を初、 一般に普及するに至り、 《武
天皇は全國各后 に備後肢が 継を 具 へて魔神性愛 しめ、 根底大皇は助命と以て全國に
作及び定の間分寺を創建し続 に至れす。 傳教大師・私法大師の二高信は、 《皇の
例年に出でて大いに教義を宣揚し、 成は関家鄉議の道場を建てて皇室と宗教の中心と
なし、 或は本地靈魂の説を以て制衡を混合し、 以て文<國體・民情に合致敬 しひるに至
れす。 私の ヒャラャ山下の森林中より発生したる新界限制は、 大自然と愛好して思索
に吸る武が日本人の共鳴を得る こと自然の理なりといふ ベく、 共の祖李俊の説は、
第十 九章 员 进と外來很想 -
二八 五
後備 息 说 致 治 二 八大
克く低迷なる飛が関民性に投合したるのみならず、 因果德郡の説は親善兵器の数 を現
はし、 孫無数世 の数は、 相愛の情に高める飛が 日本人に封し、 1 階に変の精神を振起
して、 溫和德馬德貝の風を助長し、 皇道政治に神神 やる こと少 からず。
我が関民が偶数 ・ 神教を 配慮して共の短を去り世 の長を採り、 克く之 を消化し、 以
て飛が頭足 道德の振興と文化の教座とに寄與しなるは、 周より二款の武が関民性に適
合する ものあるに由る と離 %、 赤旗 に我が図式の根本思想が、 如何 に離大にして、 文
如何 に則建なるやセ 和 るに 足るべ さなり。
耶維数は、 國家に書 のり として、 豊臣秀吉以降三百年間被禁せられたるが、 明治維
新に際して共の布教を許され、 共の教旨2充滿家 國情に融和するに至れす。 然打 と2
共の勢力微ターとして振はず。
第 || 国領 と物質主義
㎞の国民は、古来戦闘攻伐和次ぎ、権力の衝突と利益の争奪とは絶ゆる暇なく、
*『の長 は互に成は征服し、或は征服せられて、生存競争の必要は、政治上にあり
『"、シ上にありても、功利の思想を旺盛ならしめ、且物質奪重の観念を織烈なら
J。近世に至り、科學の進歩、産業の発達、経済の革命、殖民地の獲得、資源
。シ、シの念を刺戦し、加ふるに進化論の影響として優勝劣敗の威
* (し、生存競争は 、激甚に赴き、功利の思想は園家・赴倉の各方面に横溢し、
*力の競争、利益の相奪は、到る虜に闘争と衝突とを演出するに至れり。
シの思想は人類天賦の欲情にして、人々みなこれ有り、獅り西洋に限るものに
非ず。東洋の賢哲も赤「君子は利を欲せざるに非ず。 たゞ義を先にして利を後にする
なり」といへるが如く、功利必ずしも不可ならず、 たゞ利を重んじて道義を軽んずる
。子に請はゆる「菊くも利を先にして義を後にするときは、奪はされば
*ず」とい*を ふるな。シの盛んにして 階の生ずるを恐る、なり。物質も
第十九章 皇道と外来思想
二八七
争しむ






修を




悲と








。 闘 、
羅場



り しんじ





重く















た み する
々 外るに到れ否面
可内し





何的
然は


想ぞ




こと 仁するる楽中心義 なり
良も



反の
心に
安とき


にし
ざ不安


こと
する
べ 享富




にし
安穏
心中



こと
する








と 有に

質 一質






なり



良心








*




鉄 面 」


義 果して



く生
な何








や りいしに ありゃ
抱あり


あ、




と くの

果して

、 も人致にしるの生 の
こに義生んすれと 得


恐失
関を





人。
意ば す



得の



関非



既が






れ そたす足心ずる情時れ ゃ

一り

もの
なる
充欲物質
足を
必に




良べし
*
満し あたすなるれむ質 貴ぶ


望物以





充。




ざば


かこと
明 より





べし

政二



後治

物の
ども









。なし



人質き


こに








財産






にし







ありれ 如


生 如殺が


染流こと
地野









修、
見・

羅場る獄め血くす 、






牛馬
こと












人 る 、





壊 人虐よ義ら徳倫 なり
道又
主あ何







見ん

暴治

歴 均想力質る制等 を以て
強財産
すを

せん

物もの

権は

思萬能

至上
。 の力し性類すみ
な等






人人生


如く
本ものの
反の
権に
、 こら果質れ

物し

崇拝
功利
結みな

あ偏重

ずん
なら


ざる
外来







思想 近等

もの
なる
思想
自由



欧洲













を 世



由 主に










思想

主義


なり




物質義



自人由

個第

思想
主義



後 御 说 致 治 二 九C
湖なるが、 個人主義及び機利恩恵と相後もて頼り政治的にのみならず、 社會的に、後
展するに至ったる のなす。 自由思想の始めて飛が関に入るや、 民主的思想と加载 体
て、 光っ政界に役入し、 自由民權の際は 1 時 天下に散々なるに至八 6 % いで 終止
合に流行して、 規律 ・御制を破壊さんとする に 至れりº
柳、人の行動は、 東の人の自由なること物論なりと離%、 內は良心の節制に従い、
外は社會 ・岡家の規律に 服從地%る べからぎるや輸なし。 然るに、 個人主義の輸送
- ㎢型の教建人 は湖水に自由の範圍を機大して共の性質を前他し、 試合の規律
に張です、 國家の統制を背んせず、 道義を無視して他人の進路を頼みず、 終盤 ・無邪
劇を以て自由主義なり と思維する者あるに至れり。 例えば、 成はかの社會指導の位地
に ある言論機關が、 言論の自由に籍日して、 不道德 ・ 不離婚の論議 を 掲載し、 攻は
神岡の自由 と称して、 数最16度教思想を敵味し、 成は人身の自由と親して信義を破
°、 東約を無視して自由行動を唱 《、 同盟是工を行わす。 人欲を志多くにし、 品化
を汚損して豪*吐づる所なし。目く、「これ自由なり」と。面して共の一 たび之に千
渉し、之を節制せんとするに及べば、却って之を指して非理・不法となし、豪も自ら
内に省みて雌っる所なし。これ質に悪自由なり、毒自由なり。自由の名は美なりと難
*、共の度を超え、共の道を誤るに至りては、赴倉に害毒を流すこと決して勘少に非
ざるなり。
個人主義*赤欧洲の産物なり。耶蘇教の欧洲に弘布せられて、碑力と各人の平等と
を説きてょり、希臓・羅馬以来残存せる祀宗崇拝の風は衰へて、家族制度は潮次に崩
壊し、利己思想の旺盛に赴くと共に、古来固有の個人主義は盆く発達して、道徳・宗
数・法律・経済を初め、赴倉各般の機構及び規模は、概ね個人を以て本位となすに至
れり。
我が園明治維新、西洋崇拝・奮習排尿の勢は、赤個人主義を輸入し、自己一人の利
盆を専らにして、他人を軽祀するの風を増長し、駆もすれば日本固有の家族制度を破
-
第十九章 皇道と外来思想 二九一
後 篇 皇 道 政治 二九二
壊せんとするに至れり。抑、我が園の家族制度は、祀先崇拝・氏族奪重の観念より発
達したるものにして、園鶴生活の単位、國民道徳の淵業として國家組織の重要なる基
礎をなすものなり。然るに、もし之を破壊して個人本位とする時は、家長の奪厳を失
ひ、一家の統一を峡き、孝悦の観念を薄くし、夫婦の和合を妨げ、家として祀先ょり
子孫に至るまで一貫したる思想・責任・名興 ・位地等は、全く地を掃うて空しきに至
るべく、面も慈悲・仁愛の情を薄くし、犠牲の精紳を消磨し、盆ふ利己主義を増長す
るの虜あり、深く戒めざるべからざるなり。
第 四 鶴利思想の弊害
権利思想は、赤西洋功利思想の所産なり。権利本来の字義は暫らく措いて問はす、
今日の権利の意義は、権力の思想と利益の思想との結合なりと解すべし。かのィ“ リ
ングが権利は法律によりて保護せらる、個人の利益なりといへるは、則ち能く現代の
利己主義的権利思想を言ひ現はせるものといふべし。故に現代の権利思想は、道徳的
理性の発露に非ずして、利益の発露なり。面して、法律の力によりて之を理化し美化
して、共の力を葬りて自己の利益を全うし、以て自己の欲情を満足せしめんとするも
のなり。権利の思想は全く西洋法治國の産物にして、東洋徳治主義の下には未だ曾て
唱へられざりし所なり。権利の思想は、もと法律に依擁するものにして道徳に依擁す
るものに非ず。故を以て道徳の限界を突破して、法律の許す限度まで 自己の利益を
行使せんとするなり。法律に反せざる以上は何事を貸すも可なりと思惟するに至るな
り。仁愛の精紳に反するも可なり、濃譲・廉恥に背くも可なり。たゞ法律に反せざれば
可なりとして、道徳的に人欲を抑制する所なきに至るなり。押ふ高物は、宋儒の言へ
るが如くみな相封なり。面して和を以て成る。和は質に天下の大道なり、宇宙の大法
なり。人の人と相封するも赤比の理に外ならず。濃譲廉恥・克己制欲に由りて始めて互
に相和することを得べきなり。然るに之を顧みずして人欲を怒ま、にし、互に自己一
第十九章 皇道と外来思想 二九三
後 篇 皇 道 政治 二 九四
身の権利を主張するの結果は、たゞ争闘と衝突とあるのみ。比の故に権利の思想は、
王道の精紳に副ふものに非ず。徳道の精紳は権利を主張せずして、義務を重んずるに
在り。従って東洋の法政は義務本位にして、西洋法政の権利を本位とするものと異な
れり。権利は人を攻めて己を利せんと欲す。義務は自ら守るべきを守り、鍋すべきを
鍋して、他人に害を及ぼさざるを以て本旨となす。これ一方が功利的にして、他方が
道徳的なる所以なり。故に常然の結果として、義務本位は人類の調和を致し、権利本
位は相互の衝突を来す、これ質に自然の理なり。
利の思想は、古代羅馬に淵源す。羅馬は、建園の初、貴族・平民互に権力と利益
を相争ひ、共の結果、法律を以て各自の権利を規定したり。爾来欧洲近代國家の建設


に至るまで、多くの年所を経たりと難も、権力利益の衝突は豪も止むときなく、利己
思想の強化と共に、権利の思想は盆ふ務達するに至りたるなり。
欧洲近世國家の統一せらる、に及び、君権碑授の説を唱ふるものあれば、一方には
人権天賦の説を唱ふるものなり。君民相争ひて革命流血の惨を見るに至れるは、これ
則ち相互の主張せる権利衝突の結果に外ならず。
共の後、功利思想の盆、発達すると同時に、法律學の日に隆盛に赴くに従ひ、権利
の思想は念ふ務達して、自由主義・個人主義と相結び、君臣・父子・兄弟・夫婦互に
相争ひ相闘ひ、強者は弱者を歴倒し、富貴なる者は貧賊なる者を凌虐し、共の反動と
して弱者・貧者は窯を組みて園結するに至り、脅迫・暴行を敢てして、目く、「これ
我が自由なり、これ我が権利なり」 と。甚だしきに至りては、生存の権利なるものを
唱道する者ありて、自己の生命を守るが貸には、物を盗むも、人を殺すも可なりとい
ふに至れり。比くの如くんば、倉獣と何の提ぶ所かある。鳴呼恐るべきは、極端なる
権利思想の発展なり。
権利の思想は國際闘係をも支配し、各國みな王道平和の精紳を没却し、自己の権利
を主張して止まず。互に利権を争ひて正義公道を顧みす、途にかの世界大戦を惹起し
第十九章 皇道と外来思想 ニ丸五
後 篇 皇 道 政治 九六
て人類空前の惨状を呈するに至りたり。もし物質主義を是正し、権利の思想を抑制す
るに非すんば、赴曾の混乱は途に止む時なかるべく、第二・第三の世界大戦は相次い
で起らんとす。豊に恐れざるべけんや。
伊國ファッショの信條に目く、「吾人は義務あって権利なし」と。一語質に時弊を喝
破し得て妙なりといふべし。宜なるかな、彼等が崩壊に頻せる伊園を革新し、一躍し
て欧洲一等國の列に入らしめたるや。
以上各種の西洋思想は、明治維新以来、欧米の文物・制度を輸入するに常り、膨満と
して我が園に流入し来り、法制の新設、赴曾の鍵革、特に政府の功利的教育方針にょ
りて、怒ち全國に流行するに至りたり。面して、自由主義・利己主義・個人主義・構
利思想等は互に相闘職して、盆ふ功利思想を助長し、物質主義を強化して、潮く奮来
の道徳・習慣を蔑如するに至り、忠孝・仁義を以て陳腐となし、義理・人情を目して保
守となし、濃譲廉恥を指して頑固と廟り、本分を守り、義務を霊す者を評して過味と
こ果








至上


偏重

なりれ の

質 基き












日本
たる










限 調 皇


り 共り

















せん





道 産 に



る 盟 は
知だしき









争議



甚て





至らず



り 殺な









酷薄



ざる




、 傷 は





件 傾罪






















望 き 混




増 奮











なく






働 微




惑 一くりまん俗切

良護り


固有
ず日本



尿

止を
あば

如ざる




國る民

天皇
す大正












遺ラ民示綱テ訓 ニ



ケリ
大掲

臣昭共


シシタマヒ






忠 クサセラレ
カ固







メ意






遡セサル
ラス
帝 精

源 フ民ニ

國喉

興隆
國家


外二







思想



-



加 放 し
後 篇 皇 道 政治 二九八
勧メ信義ノ訓ァ申ネテ荒怠ノ誠ァ垂レタマ へリ是レ皆道徳ァ奪重シテ國民精神ヲ
酒養振作スル所以ノ洪護ニ非サルナシ爾来趣向一定シテ効果大ニ著レ以テ國家ノ
興隆ヲ致セリ 咲即位以来尻夜競競トシテ常ニ紹述ヲ思ヒシニ偲 ニ災鍵ニ遭ヒテ 憂
棟交々至レリ
韓近學術益々開ケ人智日 ニ進ム然レトモ浮華放縦ノ 習潮ク萌シ軽桃説激ノ風
生ス今ニ及ヒテ時弊ヲ革メスム 或 ハ前緒ヲ失隊 セムコトヲ恐ル況ャ今次ノ災
甚タ大ニシテ文化ノ紹復國力ノ振興ハ皆國民ノ精紳ニ待ツヲャ是レ質ニ 上下協残
振作更張ノ時ナリ振作更張ノ道ハ他ナシ先帝ノ聖訓ニ格違シテ共ノ質数ヲ撃クル
ニ在ルノミ宜ク教育ノ淵源ヲ崇ヒテ智徳ノ並進ヲ努メ綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ臣働シ
浮華放縦ヲ庁ケテ質質剛健ニ 趣キ軽桃説激ヲ橋メテ酵厚中正 ニ騎シ人倫ヲ明 ニシ
ラ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ向ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ
博愛共存ノ譲ヲ篤クシ入リテ 恭険勤勉業ニ服シ産ヲ治メ出テハ 一己ノ利害ニ偏
セスシテ力ヲ公益世務ニ場シ以テ國家ノ興隆ト民族ノ繁薬赴曾ノ顧赴トヲ圓ルへ
シ際 ハ臣民ノ協翼ニ頼リテ弾々國本ヲ固クシ以ラ大業ヲ懐弘セムョトヲ業フ爾臣
民共レ之ヲ勉メョ
と。聖旨殿勤 、泡に威激恐擢に勝へざる所なり。
顧みれば、大化の革新前後、我が國に輸入せられたる文物・制度、並に各種の思想
は、我が祀先克く之を消化し撮取して日本精紳に酵化したり。今や西洋輸入の思想は
果して如何。
惟ふに、数年千来培養し来れる我が國民思想の根帯は、共の牢固なること盤石の如
きものあり。忠孝・仁義の観念は、義理・人情の思想と共に、天理に出でて、面して
國民性となり、決して混滅すること能はざるものあり。荷くも一旦齢然として自豊せ
ば、克く外来の思想を陶治し融合して、之を消化し霊すこと決して難きにあらざるべ
し。憂ふる所はたゞ國民の自覚の足らざるに在るのみ。
第十九章 皇道と外来思想 二九九
機固基ーる密く礎 、





にし
所以
たする

ベの

~
*



。 もはる學洋神本にの 化

,


時艦


日おり
6
科西精監
明の


º
東 道






する








1




の 化




々 呼る
たり











日本
なる
離子
丸く






に べ盛

化 文決に濕下る脈

たに

上後



風文化
時を

議地




、 御

精學神




科第


%
たり

2




以節々本す明史降

㏊.
証修22%
なの

根する


様。

本なん

*

極めて






たり





西




敵 な

洋 治
ICO

を寺



=
~
<
*




? 雲 精神殿西洋學者2日本 日本統制2特徵 文化和環遊すト西洋
以て



口 る

一、 天皇ニ封スル忠誠ヲ以テ、有ラュル道徳ノ根本トナシ、有ラュ

道徳中ノ最高道徳ナリトスル信念。
二、祀先ニ封スル崇敬ノ観念。
三、教
三、教育勅語ニ宣シタマ(ル五倫ノ道徳観念、即チ君ニ忠ナルノ外、父母ニ孝
“、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、明友相信ジ、恭位己ァ持シ、博愛衆ニ及ボス
ノ 『肺
毛可中o
TH

足なり。
忠・孝の二徳を以て、最高・最重の道徳となすは、日本人の特 徴にして、西洋に存
せざる所なるは言を侯たず。
第二十章 日本精碑と西洋科學
三○二
後 篇 皇 道 政治
夫婦相和するは、世界共通の道なりと難も、日本の夫婦闘係は、単に情愛を主とす
るものにあらす。夫婦別あり、互に誠を霊し、正しき道を以て相接し、親愛和時する
こと、西洋の企て及び難き☆のあり。 特に婦人の節操に至りては、共の高潔なること
西洋人の想像だも及ばざる所にして、かの自由主義者モシラスキューの如き*、東洋
婦人の節操を讃美したり。
更に日本精紳の務露たる日本人の特徴を撃ぐれば、
一、碑を奪び祀先を崇拝すること。
一、一家園鍵すること。
一、人情に厚くして残忍・酷薄を嫌ふこと。
一、清潔と正直とを好むこと。
一、同胞相愛の情に富むこと。
一、義を好み犠牲心に富むこと。
一、恩義を忘れざること。
一、濃譲廉恥を重んずること。
一、平静を愛し、沈着を奪び、過激を嫌ひ、焦燥を卑しむこと。
一、淡泊にして諦め強く執拗ならざること。
一、山川・草木の自然美を愛好し人生を楽観すること。
一、美術を愛好すること。
一、憎悪・猫疑の念に乏しきこと。
一、陰険性を帯びざること。
一、他民族をも愛敬すること。
一、階級嫌祀の念に乏しきこと。
一、同胞平等の観念深きこと。
一、貴賊。貧富を問はず、生活の質素にしてH平等なること。
第二十章 日本精紳と西洋科學 三○三
-
後 篇 皇 道 政治 三○四
一、豪省を以て人に誇るを恥づること。
要するに、日本人の思想は概ね中正穏健にして極端に走らす、甚だしきを貸すこと
を好まざるの風あり。喜べども面も狂歌蹴舞に至らず。怒れども面☆児暴残虐を敢て
せず。悲しめども面も働要悲傷せず。楽しんで面も荒亡浮薄に陥らず。愛情の情、利
欲の念に至りても、赤極端に走らざるの風あり。故に共の赴曾は安寧韓睦、各人みな
互に親和して生を楽しみ死を送り、甚だしき怨暁・不平を見ることなし。
比の如くなる所以のものは、主として天風の神動に基づく皇道政治の開物なりと
難も、赤質に左の諸原因に基づくものなりといふべし。
一、萬世一系の 天皇を載くこと。
一、孤島の中に在りて祀宗を中心とする一大家族的生活を継績したること。
一、人種・言語・風俗・習慣の同じきこと。
一、猛獣・毒蛇などの害毒を被らざりしこと。
一、気候・風土の温和ににして、四時の鍵化あること。
一、山河の秀麗なること。
一、他國に侵され、又は他民族に征服せられたることなきこと。
以上の諸原因に加ふるに、儒・備二教を阻噂して共の精髄を取り、以て國民精紳を陶
治すること幾百千年にして、今日あるを致すことを得たるなり。故に、形面下の撃に
至りては西洋に一等を輸したりと難も、形面上の寧、特に倫理の観念と、人生観・虜
世観に至りては、我の彼に優れること、質に共の幾等なるを知らざるなり。
今ゃ西洋功利至上の思想は、争奪紛授を激成し、弊害百出して、上下四方、到る虜
に破綻を生じ、科學は盆く進歩して、人生は念ふ不幸に陥るの概あり。東洋、特に日
本精紳を弘修して、普く世界に流行せしめ、以て功利至上の思想を調節するにあらす
んば、途に人を安んじ世を救ふこと能はざるべし。
米園 ホプキンス大學の継長グードノー博士目く、「西洋は物質に於て優り、東洋は
第二十章 日本精碑と西洋科學 三○五
精の含本神
日設


包は
も精神


する

なす 精神



を ク よす


l
º



兩岸
東西



。 く ぎる
短 優さ化方想る
理精神
東。




文主義
小の

を以て

?


聯合國


戰勝
















?

し 因




り 、

終大戰


英改造

けを

に教育

古典




意見
関するる國夜 す象










べし












すれる は



態 2神



4














、 4

子 共べ想那とつに め

6


持ら


こ赤
支る




思初
食の





しか 警
こと
ざる




にし







てり を
作際し


=

ベ ら

丸 メ化洋ジ
西佛祖




文%

6
採 神
ク子ん禮行烈理性
<
天23

忠中公





徳を
な非は

孔なれ




の 於 治


後続

O

平洋んす衡
なて
盛を
東に


徐 の
特なり。 聯合國が火しさに宣~て、 因避難なる戦争を継続し得なる所以は、 なく國民の
一方の信念、 高价なる理想に依る ものなり。 萬福通線もって、 共の物質主義の流行す
るに至らば、 音人は生存するに農なさに至るべし。 即 ら北の世界は有人の生在に 不過
當なるものとなり了はるべしとの信念が、 前職を勝ち抜なる原因なり、云々」 「故に載
後に於ける岡家の安寧頭 龍を 始進すると否とは、 に繁 9て共の標系所の理想の高下
に依る。 從 つて高价なる理想を把握して、 之を証會各階級に保存 能 しむる ことが愛
なりとす」 と。 語はゆる古典に現はるる高价なる理想は、 世界各國中、 日本神神に及
%2 のなしº
今や各國の職者は、 高价なる精神を研究してク を古典に求め、 文之 を東洋 に求めん
と敵する の時に常6、 我が 日本人は、 自家慶應に 所藏 せる最善 ・ 最美なる日本神廟
を、 如何にして世界に 終場せん)とする か。
從 二十章 小精神と西洋科學 |O 也
後 篇 皇 道 政治 三○八
第二十一章 日本の法律さ西洋の法律
道徳的教化的法律
功利的強制的法律
ローマ十二表法・チュスチニアン法典・チポレオン法典
聖徳太子ノ憲法・大賓律・貞永式目
徳川百ケ條・明治ノ法典
第 日本の法律と西洋の法律
道徳至上主義を理想とする日本の法律と、功利至上の権力政治を以て 一貫せる西洋
の法律とは、共の法律の形式及び内容に於て相異なれる所あるのみならず、共の発達
の径路に於ても赤相同じからざるものあり。面して、雨者を比較して之を達観すると
きは、西洋の法律は大鶴に於て功利の思想を以て 一貫し、日本の法律は道徳の観念を
以て 一貫するものあるを見るべし。
かの欧洲の母法國たるローマの十二表法は、貴族と平民と、治者と被治者との利権
知る




べし 國んじ心節何題権家 を







利び
重問が
如を

調て

苦共

せ 特ーマ




した


同にし
ロと







奪時に 見る制民律れ て
色 法治





利 こと
こする

法べし

國則

細密
強を以て



すの

せん
主 なじく



同修












相互




存 る





り 編る
帝 纂 法律
デュスチニアン





C
法典
チュスチニアン
せる


)
参照




とき 下 道れる




な的








なり
所以




発布
ると
徳 日本


数 強に
契約
全く




西


法律


にし



の 制 は



洋 人質
重んじ









主義






せり
一貫
を以て



想 権以て
私人
として










を盗

制裁





を 利





銭 起容
争奪
調






せん




なる
法律
たる





は 因




法利

ローマ














法律
一般に

を 律




日三




西第
法と

九律
○洋本



後 篇 皇 道 政治 三 一○
張し、法治主義を執りたるが故に早く既に法律寧の発達を来し、デュスチニアン帝の
時代にはシの に達した 。ー シ亡して、シしかる 、シ
期の初に於て、オックスフォード及びポロニアの大學に於ては、卒先して法律學の研
究を見るに至り、共の後、十八世紀末より十九世に亘りて法律學の興勃するあり。ナ
ポレオン大帝は、デュスチニアン法典に倣ひて、民法共の他の大法典を務布したり。
共の法典の鶴様並に精碑がローマ法に酷似せること論を侯たず。爾後、欧洲大陸諸國
の発布したる大法典は、概ねローマ法の系統に属するものなり。面して國民権利の争
は盆ふ激甚を加ふるに至れり。濁り英國は法典を務布せず、衡平法と正しき判例とを
以て裁判の規準となし、却つて質質の風俗を維持し得たるの観あり。我が日本の明治
の大法典は、大鶴に於て備國の法典を模倣したものなり。
元来、東洋の法律、特に日本の法律は道徳的なり、教化的なり。従って欧洲大陸に
於ける民法の如く、権利・義務を定めたる法規の発達を見ることなく、また道徳の擁
護と品性の向上の貸にする刑罰の法規は、比較的共の発達を見るに至りたり。かの権
利・義務の細密なる規定の如きは、敢て法律の規定を待つに及ばず、國民の常識と、
裁判官の道義的判断に委して、豪も支障を見ざりしなり。
我が国最古の法典たる聖徳太子の憲法十七條三 m乃至三丸mシを見るに、悪く
これ官吏及び一般國民に封する道徳的訓戒なり。教化的にして強制的に非ず、権力に
依る制裁を附せす。然れども、これに依りて理非曲直は極はめて明かに、違ふ者は政
治的道徳的並に赴曾的制裁を被り、且自ら恥ち旦格るなり。これ王道政治が権力主
の政治に異なれる所以なり。道徳と法律とが一鶴なる所以なり。
大資の律令C三二九貢以下参照)は、唐制を模倣したるものなれども、王道政治の東洋精
碑に至りては、彼我互に 一貫融通する所あり。令はもとより、秩序を保持する所以に
して、律は則ち道徳を擁護し、品性を向上せしめ、赴倉の秩序を維持すると共に、良
風美俗を奨励する所以にして、かのローマ法が、功利の思想を以て一貫し、権利・義
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三一 一
後 篇 皇 道 政治 -

三 一二
務を主とするものと、自ら共の精碑を異にせり。然れども、彼の如く繁鎖なる刑律
は、我が日本の國民性に適合せず、旦我が國民の淳良なるや、彼の如く細密なる法
律の規定に待たずして、自ら平和なる生活を営むことを得たるが故に、彼の浩浴な
る大法典は、務布以後未だ二世紀を関するに至らずして、早く既に魔滅するに至りた
り。
北條氏の貞永式目(三四二貢乃至三四六貢参照)は、道徳的精紳を以て一貫し、民事・刑事
訴訟裁判の規準を示したるものなり。徳川吉宗の御定書も赤裁判の規準を定めたるも
のにして、裁判に従事する者の外は、厳に他人の披見を禁じたる程なり。従って西洋
法律の如く契約的性質を有せざるが故に、一般園民が之を援用し、之に擁りて自己の
権利を主張せるの事質は、我が國の法律に於ては殆んど共の事例を見ざる所なり。明
治の民法に及び、始めて権利・義務の細密なる規定を見るに至り、権利の思想は、順
る流行したれども、一般國民は浩滑なる民法の法條に封して、全く風馬牛、相闘せざ
る?のの如く、 法律は軍に装到官が装到 の規軍となすに過ぎさる こと、 德宗 の徳川 の
御定書の如 威あり。
明治の民法は、 死んと全く 西洋を模板しなるものにして、 而入 大致の仲介が思想
類似の支那法典に彼 5てすら、 大化革新後六十年を維て殺死 を つれたるに比して、 思
想系統を異にせる西洋の法典を維新後三十年にして速成しなるなり。 此の如く、 細省
繁戦なる技術的規定の形式が、 果して飛が関民性に適合せるや 合や と知らず、 特に共
の規定せる内容は、 佐々にして武が関根の道德· 科德 ・思想 ・ 成樹と相容 れ體さもの
あり。 更に皇道德治國なる日本の思想・精神を以て、 再び 之 を討死せざるからず。 制
法 ・商法 ・民事訴訟法 ・ 制事訴訟法の加さ%、 密に繁術に失する のみならず、 佐々機
力至上主義を被捕して白蓮の精神に反し、 素直延ばなる設が図民の性情に適せざるも
のあす。 これ変更に討死を要するものありとす。
義に=本の法律と西洋の法律の機能を 記して執照の他に使 , し
第二 十 一 章 小 の法律と西洋 の法律 | | |
成列移識形
9






認第

位。
數形









作物
体形 公續形园


成第
9



手。








)


進行 小頭

l


9











)





義務修


注意 トノ



ョッ






スペキモノメ ケアリ 形



期 不ス

使













7

2

與履行
合 結


使 )






使









2 定

間 定人形
遊期




,






º
)


-
x


ト シタルキノ


,
-
-
- -




後備

|



スペキ
注目

張ロ第


設]
ーマ
法路

開餘物市
貨ア



業日
>

アルベキュト



トキ 債権者 共ノ債務者ヲ殺シ、又 之ヲ「チべリス」河以外ノ住居者ニ質却ス
ルョトヲ得。共ノ債務者ヲ殺ス場合ニ於テ 債権者ハ債務者ノ身鶴ヲ支解スルコ
トヲ得べシ。共ノ支解ニ大小多寡アルモ罪トナラズ
【詳] 支那及び我が國に於ては、債務の貸に良民より奴隷とせられ、責興せらることあるも、
生殺の権を認めす。ローマ人の物質主義・個人主義的色彩の極めて濃厚なるを見るべし。
家父 家見ヲ監禁シ又 ハ殿打シ又ハ繊鎖ヲ施シテ田園勢働ニ 一服セシメ又 ハ
質却シ若シク 之ヲ殺スコトヲ得、共ノ家見が國家ノ高官タ ル場合ト難モ比ノ
カ H場 B中
プ行フ
第三條 若シ父が三回共ノ男見ヲ責却スレバ、共ノ男見 自由人タルべシ
第四條 母ノ夫ノ死後十ケ月以内ニ生レタル見女ハ嫡出子ト見倣ス
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三 一五
後 篇 皇 道 政治 三 一六
第五表 「相績及ビ後見ニ付テ」 ト題シ、十一ケ條ョリ成ル
主トシテ遺産相績、婦女ヲ後見ニ付スルコトナドラ規定ス
第六表 「所有権及ビ占有権ニ付テ」 十一ケ條ョリ成ル
銅衡式契約手績ノ教力ガ有数ナルコト、之ヲ否認スレバ二倍ノ罰金ヲ科セラルべ
キョト、土地ガ二年ノ占有ニョリテ取得時効ニカ、ルコト、共ノ他ノ物 一年ノ
取得時数タルョト -
内縁ノ妻 一年ノ使用占有ニョリテ共ノ夫ノ権力ニ 服スルコト
外國人ノ 占有 如何ニ 久シキモ、ローマ市民ノ所有権ヲ得ルコトナキコト
建物又 シノ木材ノ占有ニ付テノ規定ナ『アリ
第モ表 「家屋及ビ土地ノ権利ニ付テ」 十一ヶ條ョリ成ル
相隣者問ノ空地ノ規定、境界ノ規定、道路ノ規定、流水ノ規定、隣地立入ノ規定
第八表 「不行貸ニ付テ」 二十七ヶ條ョリ成ル
n レ 公開法 ノ 期定す レドモ、 N フ個人2 構利後將 下詔 3 チ 砲トセ ?
C語] J ~ ~~2個人主義的法律用原題の特色を見るべしº
第 術 人ラ神殿ッタ 形 表及と 公然德軍ンタ 影 者 被7以 ) 設計 シテ 教? »
ム / ン
アース7 2



他人
クケ








使

使ザレう


第 二 條
アースノ 地











2自由






近 被一

第一條
之ースノ後 前
根本 制


ア他人



形容

2

フジメタ 十




第 四 條
沙 宮因
過失








第 五 條
引渡 ン


カ四
?













2

西ラズ
第 六 條
フ以 2 ス 形 n トフ得
第 七條 他人プ 上地內 自己2家資ラ族後ンタ 形時 公共2 頭街路德2充任文
第二十 一 章 夫 の法律と西洋 の法律 | 1
皇 道 政治 三 一八
呪胆 ヲ以テ他人ノ熟穀ヲ移シ又ハ之ニ 担害ヲ 加フルコトヲ得ズ
夜陰ニ乗ジラ他人ノ熟穀ヲ窃取シ又ハ之ニ損害ヲ興フル時ハ成年者ハ死
刑ニ虜シ、未成年者 駒量ヲ以テ杖打シ旦、損害額ノ二倍ノ罰金ニ虜ス
故意ニ人家又 人家附近ノ穀類塔ニ放火シタル者ハ火刑ニ虜ス過失ニ因
リ失火シタル者 共損害ヲ賠償セシメ無資力ナル時 相常ノ刑ヲ科ス
第十一條 不法ニ他人ノ樹木ヲ伐採シタル者 各本毎ニ二十五アースノ罰金 ニ虜ス
第十二條 間ノ盗ハ之ヲ殺スコトヲ得
第十三條 白書ノ盗ハ之ヲ殺スコトヲ得ス 但シ凶死器ヲ以テ抵抗スル時 比ノ限ニ
在ラズ
窃盗ノ現行犯 自由人ナルトキハ之ヲ杖ニテ打チタル後裁判ニテ奴隷ト
ナシ之ヲ被害者ニ附興ス若シ奴隷ナル時 杖打シテ「タルペーユス」最上
ョリ投下スべシ 然レドモ未成年者ナル時 ハ保安官ノ 駒量 ニョリ杖打シ
ラ損害賠償ヲ命スべシ
第十 五 條 皿ト腰帯トノミヲ以テスル強制捜査ニョリテ盗品ヲ務見シタル時 共
ノ所持人ヲ現行盗ト見倣ス
盗品所持罪トハ右ノ強制捜査ニョラズシテ共ノ所持品中ョリ盗品ヲ発
見シタルモノァイラ
盗品移轄罪トハ 盗品所持者が共ノ盗品ヲ自己ノ家屋内ニ於テ務見セラ
レズシテ私カニ之ヲ他人ノ家屋内ニ移置シタル者ヲイフ
右ノ二種ノ不法行貸者ハ盗品債格ノ三倍ノ罰金 ニ 虜セラル
第十 六 條 非現行ノ盗 ハ盗品ノ債格ノ二倍ノ罰金ニ 虜ス
第 十 七 條 盗品ノ占有ニ付テハ取得時効ノ適用ナシ
第 十 八 條 利息 ハ年一割ヲ超過スルコトヲ得ス 但年利 元金ノ十二分ノ 一以下
-
トス比ノ制限ヲ 超過スル者ハ四倍ノ罰金ニ虜ス
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三 一九
後續 ་ 自基 找 致 治 三O
第十 九 條 許数 2 受命者 將能物 2 便接 2 二倍2 個格 ク朝金陵 之形
第 二 十條 全市民 不法行為 2 樂城 ) 形 後見人ア神乐スルノ機利アッ 後見人之
被後見人2 敗物フ構想 シタ 形 時 二倍 2 前金 三 處 セラ 形
第二十 一 條 保護 者が被保護者 對シテ 不正 フ行 フ時 之 ア神靈 | 秀姑 スペシ (議
社トス 形 n ト)
第二十二條 證人が 証言フ相 ム 時 被東証者トシ 日 ッ語言無能力者トナル
第 二十三條 简發者 「タ 形 ? 1 1 る 様上り 投棄 キラルペシ
第 二十四條 製 9テ人ア 般 シタ 形 者 自己 フ機在トス 形 作代 《 》社平頭 ラ 使 / >
共 2 班業フ 治城 ス 形 n トフ得
第二十五條 駅 間 プ 提唱 シ 文 康樂フ使用ス 形容 公元型 三 處 ス
第 二十六條 1 * 声 的 必ず 度開除議後 フ後會之 海 る 者 死刑 場ス
第 二十七條 組合文 公園體 公共 ノ 會員間 於 2 如何 ナ 形 的規フ 設 クルモ 國法 反キ

ザル 駅 リ何等 2 物 アルトナシ
第 九 表 「公法 三 位 チ
第 一條 特定人文 特定2階級 駆る 形人 對シテ特權フ時興ス 形 法律ア 制定ス %
トフ得ズ
國民大義會 於 2 スルノ外市民2頭格(身分文 資格) 關 ス 形 期定7法將
ス形 - フ 特文
第三條 佛列有女神職官 シア共 2 事件 開 シ金錢フ 後受ンタ 形 者 死刑 族
第四條 發人事件》 拍部委員2 選定 府や、 及び 線デ ノ 制制的合作 對ンチ 』誌
ス形 -フ 特
第五條 微國之 加勒 シテーマ 政人 反抗 キシム 形容文帝民 7 條國 引渡 ス名
死刑 族ス
第六條 正式 ブ 海到 下宣告トフ經タル系 アラザレメ 死刑 族 と フレルトナシ
第二十 一 章 r大 の法律上 西洋の法律 | 1
後備 说 致 治 | 11
第 十 表 「宗教法 行う + 2 條 m 9成リ、 理察 ・非德等 三 位 チ期徒 セレモノ 也
第十 一 表 「最初 ノ 五表 ノ 造神
第一條 員族ト平民トメ 科姆 ス 形 n トフ語サズ
第十二家 最後の五次の聖
難事 行う 過加 也 形 2 ンテ 五ヶ修 アリ。 例 、 メ 知縣2 不法行為 公共 2 使用者
が 真在7其と テ根本書之 路德 シ 文 公共 2 敗線フ香行 シテ共 ノ者 ア 地形 形 トフ得 %
グ 州 キ、 所認 2 月的女形 で ノ 酸菜之 形象教物トナ スト フォト ンタ 形 が 如
キ、 前法 後法 ッテ 改族 セラル ・ トシタ 形が 加 や親定す 9
最後の第十 一 ・ 第十 二 の 二次は、 十表現定生 水後數ク 月の中に於て追加した る もの
にして、 合計十 二次 となれる もの とせらる。
第 三 } るチニアンの法典
彙纂









七 、 ・
六 、

遺 言
贈 、
四 、
三 裁ル






規 判 一



日律





西


の 本 、
洋 西行
]




















同 紀 用語
布 解説
ノ 契則
特定














規定



上 約




律 取ル得
ス有



規定 財有


占有











解放


訴訟


権 産


ル ス定






後見

諸 ル ス姻









諸種











・ ル


銭 スル



規定


後 擔 桜 治 三 二四
_
二、 法律提要 る 四卷
一 、 人格闘 ス 形 法
二、 三、 財產 開 ス 形 法
四、 所設 三 關 ス 形 法
[] ↑西 十三年+ 1 月1 + 1 日《新法之以 公布、 學說集鎮 ,同時 應付。
三、法令基金十二卷 術劇性フトナンチ橋 正德加 。
“ 新會法 ・ 法源 ・ 有制
二、 方主人、 私法
小、 刑 族
十、 乃至十二、 行政法
以上の三者は、 後にディオシウス、 ゴタノレーソス により 概として刊行 やら
れ、 その時 ローマ法大全と命名社 かれ たす。
第 四 聖德太子春法十七條
| 2日く、 和 を以て貴人と続し、作公 こと無きを常 と特也。 人皆會有りホ達する者クし。
是を以て成は君 父 に順はず年ら勝里に速公。 然れとも上和し下階 が 事 を論する に諸
へ ば則ら事理自ら通じ何事か成らざらん。
11に 白く、 德馬<三寶を歌 《。 三寶とは修法信也。 则ら四生の終盤、 高國の極宗なり。
他 の北側 の人か の法を伸ばさ ん。 人定義しぶの証し。 熊(松之
に従い。 共れ三寶 に師やすば何を以てか 社れるを直さんや。
三に 白く、 語を 受けては必ず嫌わ。 君は別ら N た天とし正は別ら Nた 地とす。 天は複
.
び 地は最社 て四時原行し高氣通する ことを得。 地、 天 を覆さんと彼すれば期ら愛を
致す 。 光を以て元 へは正宗は、 上行 へは下後金は後 を備に作る)。 故に認
を 派は ては必ず議 的、 離 されば自ら放れん。
ę …詞根の法律 三五
後 篇 皇 道 政治 三二六
四に目く、郡卿百寮濃を以て本と貸せ。共れ民を治むるの本は要するに濃に在り。上
濃せざれば下管はす下濃なければ以て必す罪有り。是を以て君臣濃有れば位次側れ
ず。百姓濃有れば國家自ら治まる。
五に目く、養を絶ち欲を棄て明かに訴訟を葬せよ。共れ百姓の訟は一日に千事なり。
一日すら尚爾り。況んや累歳をや。頃ろ訟を治むる者、利を得るを常と貸し賄を見
て識を聴く。便ち財有るの訟は水に石を投ずるが如く、乏しき者の訟は水を石に投
ずるに似たり。是を以て貧民は則ち由る所を知らず。臣の道も赤焉に於て闘く。
六に目く、悪を懲らし善を勧むるは古の良典なり。是を以て人の善を匿すこと無く、
悪を見ては必す巨せ。共れ諸詐の者は則ち國家を覆すの利器と貸り、人民を絶つの
鋒剣と貸る。赤俊姻の者は上に封しては則ち好んで下の過を説き、下に逢うては則
ち上の失を講誘す。共れ比の如き人は皆君に忠無く、民に仁無し。是れ大蹴の本也。
七に目く、人各任掌有り、宜しく造らざるべし。共れ賢哲官に任ずるときは頭音則も
起り、姦者官に有れば顧蹴則ち繁し。世に生れながら知ること少きも、克く念へば
聖と作る。事に大小と無く人を得れば必ず治まり、時に急緩と無く賢に遇へば自ら
・ 寛なり。比に因りて國家永久にして赴機危きこと初し。故に古の聖王は官の貸に以
て人を求め、 人の貸に官を求めず。
八に目く、群卿百寮早く朝し愛く退け。王事は監きこと魔く、終日霊くし難し。足を
以て遅く朝せば急に逮ばす。早く退かば必す事霊きす。
九に目く、信は是れ義の本也。事毎に信有れ。共れ善悪成敗は要するに信に在り。群
臣共に信あらば何事か成らざらん。群臣信無くんば萬事悪く敗る。
十に目く、念を絶ち臓を棄て人の違ふを怒らざれ。人皆心有り、心各執有り。彼是な
れば則ち我非なり、我是なれば則ち彼非なり。我必すし☆聖に非す、彼必ずしも愚
に非す。共に足れ凡夫のみ。是非の理、組が能く定むべき。相共に賢恐なること環
の端無きが如し。足を以て彼の人は脳ると難ども還って我が失を恐れよ。我濁り得
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 ・ 三二七
後 第 说 致 治 -
三 二人
と艦と 東に従って同じく愛 *
+ に日く、 開かに 巻を楽し、 食神學術 によ。 此系は羽に作らず、 師は事に作
らす。 事を執る の群體育しく貢前を明か にすべし 。
十 二に 目く、 國司 ・ 國造、 百姓に敵する こと初 れ。 國に 一群游く、 民に南王延しº 第
士の北民は王 を以て主と怒し、 任する所の官司は皆 是打 王正なり。 何 を放て 公と映
に百姓に試驗 せんやº
十三に目く、 諸自に任する者は同じく離棄を 知れ。 成は病み、 成は使し て事に開く こ
とれらん。 然れとも知る ことを 得るの日は和して各て論社 るが如くせよ 共の典小
開けるに非さるを以てして公務を防ぐること物 かれ。
十四に 目く、 群臣有祭は城新有る こと無かれ。 我能に人を纏めば人永我を頼む。 城
如 の忠は共 の極を 知らず。 所以に知、 己に勝る とさは別ら徒ばず、 オ、 己に優ると
4 *シ
さは別 の機転す。 是を以て五百歲の後方合資に過ムと*千歲以て 聖を得ら離し。
其打率隊員を 得さ れば 何を以てか國を治めん。
從されば
背心
v

十五に 目く、 私に 公に向公 ば 弘正の道なす。 元そ人私有社は必ず提有す。 伴有


—呢?、 同じ れば見 を以て公を防ぐ。 彼 は両側に塗
す。 故に物車に 公く、 上下和語せよ と。 共和派 是の情なる敵º
十六に 白く、 民を使ム に時を以てするは古の良其なり。 故に久 万 に は間有り、 以て民
を使。 可し。 李小隊に至る までは農薬の節なり、 民を使太可からず。 其代股 ,
んば加 をか食文化、 系 ですんば何をか 服せん。
十七に目く、 大事は福斯 ,可からす。 必ず象と異に立 しく高手。 しº 小平 には江縣
,し、 必ずし% 家 と順にす 可がらず。 唯於大事を論するに 選んでは 若し失有 りんか
と疑 。 故に素と異に和義すれば誰は削ら頭を飛ん。
第11+ 1 章 小 の 法律大西洋 の法律 三元
後 擔 息 说 致 治 三O
律 流域 鐵 目錄
(1 )五型 (二)八旗 (三)六義
名列建第
( 1 )大義者 (二 つ艦 戦者 (三)七位制 人等以上得諾者
, (四 樓 羅諾域 (五)總人有 官位 , (六)五位以上安有《布
(七 人樂有機護城 (八)是位及外位 九 無 自如《那
+ 事以 恢復 + <收發人反羅絲綢人交响
(十三 頭 後母公報考察無特(十四 條名 (十五)以有當 使不 識
(十六)除名比 德三年 (十七)和《流傳》記 (十八)流配人在《道會《放
(十九)和 死罪 事 人造, (1 +)從電 後無奈子 (北 經 發 和 流
(十 二 和 黑已發 (此一)老小魔族和《那 (此 四)和《那時未,老板
(北五、彼此保聖之城
後 闘
衛禁律第1
前 闘
(一 )車駕行衝隊 (二)宿衛上番不到 (三)宿衛兵代
(四)行宮営門 (五)宮城内外行夜 (六)宮門宮域門冒、名守衛
(七)越」兵庫垣 (八)私度、闘 (九こ不、應、度、闘
(十 闘津留難 (十一)私度有ニ他罪 (十二)領ニ人兵」度、闘安度
(十三)縁漫之城成 (十四)蜂候不、警
職制律第三
(一)官有ニ員数 (二)貢撃非ニ共人 (三)在、官應、直不、直
(四)官人無、故不、上 (五)之、官限満 (六)従、駕稽違
(七)大祀不ニ預申、期 (八)大祀散斎用、喪 (九)祭祀朝曾行事失錯
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三三一
後 篇 皇 道 政治 三三二
(十)合ニ和御薬 (十一)造ニ御膳」犯ニ食禁」 (十二)御幸舟船
十三)乗興服御物 (十四)主司借 乗興服御物」(十五)監常典膳有、犯
(十六 外膳犯食禁 (十七)漏ニ池大事 (十八 玄象器物
十九)稽 緩認書」 (二十)被 認書 施行違者 (甘一)受、認忘誤
(#二 認書誤願改定 (#三 上書奏事誤 甘四)事應、奏面不、奏
(甘五)事直代判署 (#六)受、認出使不レ返 (甘七)匿ニ父母若夫之喪」
(甘八)老疾無、侍委、親之、官 (甘九)指 庁乗興 (三十)輝使稽、程
(州一)購使無、故以、書寄、人 (州二)文書應、遺、購 (州三)藤使不、依 題署
(州四)増ニ乗輝馬 (州五)乗ニ輝馬」狂、道 (州六)乗 購馬 資 私物
(州七)長官使人有、犯 (州八)用ニ闘契」稽留 (州九)公事應、行面稽留
(四十)奉、使部送雇ニ寄人」 (四十一)内外諸司無ニ政述」稲ニ己善
(四十二)有、所 請求」 (四十三)受ニ人財」面貸 請求
(四十四)有事以 成行李 (四十五)監生受 此在 法 (四十六)有事先不許 狀
(四十七)受,所 醫院 成物』(四十八)因 使受験道 (四十九)負,所 醫院,就物。
(五十》後》所 醫院, (五十 一 )監體溫政 齒龍之類,
《五十11)奉,微所 醫院 成物』 (五十三)監院家口を借
(五十四)去 曾受 德自號艦與 (五十五)因有被《教色素
(五十六)稱 作金武不便,於事
赫魯德第七
(1 )認反大阪 (11) 解生非,同居 (三) 口味,被《反之言
(四)武俠 (五)議》被 認使君本主本國等 (六)球乙級,祖父母公報,
(七)家人如神職務 主 (八)業美蘇黎波夫制後母後母 (九)議》發 人
(十)執《四 (十 一 )規道藏,特人, (十 二)發,一家非 売新 三人。
《十三)加後 飛後母為 人所 殺(十四)以《物置,人耳鼻, (十五)造 者羅素,
第11+ 1 章 夫の法律と西洋の法律 三
兄孫







)



(


」 弟 碑 奴








)


( 過失 」
私財 (

)



(




貿

碑 盗





)





殺傷 恐物












殿





)


( 喝 (
強五
)

州盗

盗 内
山官


)


(

木殺




陵 印 (


)


( 甘 、

)


(
人物家 (





御二





)
三 尻




)

十 毒七
死人 ニ

地 以
)


(


々魅





政治











)


(

知相略
)



同(


賞 山力野
)



功(



物 罪名 (
六 (

( ニ






)

州 塚 (


)

三 刀 (



)

甘 盗
)

甘 妖言 (
紳爾 (




)

甘 郷




)







)



(四十八)知 質和誘 強籍盗(四十九)共盗併、賊論 (五十)共謀 強盗 不行
(五十一)盗経レ断後三犯 (五十二)公取籍取皆貸、盗 (五十三)部内容 止盗 者
第 六 律 琉 残 篇
五刑
答罪五 杖罪五 徒罪五 流罪三 死罪二
八 虐
一目謀反 (請謀、危ニ國家」)
二目謀大逆 (請謀、設 山陵及宮闘」)
三目謀叛 (請謀ニ背、國従、偽」)
四目悪逆 (請殿及謀、殺 祀父母父母 殺 伯叔父始兄姉外祀父母夫夫之父母 )
五目不道 (請殺ト一家非ニ死罪」三人』支解人造ニ奇霊毒」厩魅若殿ニ告及謀、殺 伯叔
*
第二十 一章 日本の法律と西洋の法律 -
三三五
後 篇 皇 道 政治 三三六
父始兄姉外祀父母夫夫之父母 殺 四等以上奪長及妻 )
六目大不敬 (請段 大赴 及盗 大祀碑御之物。乗興服御物 盗ニ及偽造碑爾内印
合 和御薬 誤不、如 本方 及封題誤。若造 御膳 誤犯ニ食禁 御幸舟船。誤不ニ
牢固 指 庁乗興 情理切害。及封 程語使 面無人臣之濃 )
七目不孝 (請告 言調 言祀父母父母 及祀父母父母在別、籍異、財居ニ父母喪 身自
嫁緊。若作、築。響、服従、吉聞 祀父母父母喪 置不 撃哀 詐稲 祀父母父母死
-
好父祀産 ) -
八目不義 (請殺 本主。本國守。見受業師 更卒殺 本部五位以上官長 及聞ニ夫喪
匿不 撃哀 若作、楽。響、服従、吉。及改嫁)
以下略す。
*
* 逸 セル律ヲ、 ドヨリ成族 シ、
第 七 律 逸 目 銭 (㎞)
巻 之 』
名例律下第二
以臓入罪 平職者 異ニ和誘人」 曾赦改正徴牧 犯、罪未、発自首
犯、罪共亡 盗詐取ニ人財物」 同司犯ニ公巫ニ 公事失錯 共犯、罪造意貸、首
共犯、罪本罪別 共犯、罪有 逃亡 二罪倶務 同居有罪 化外人相犯
應、重犯時不、知 應、出罪者 稲、孫者 稲ニ反巫」者 稲、衆者
稲加者 於、師
巻 之 二
衛禁律第二
蘭ニ入山陵兆域」 蘭 入宮門 蘭入者 登、高臨ニ禁中
應、出ニ宮内」門籍己除 進錦違遅向ニ宮内」射
巻 之 三
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三三七
後 篇 皇 道 政治 三三八
戸婚律第五
脱戸者 里長不、豊 脱漏 國郡不豊 脱漏 私入道
祀父母父母在面子孫別籍 養 異姓男 雑戸養 良人」 相冒合、戸
同居卑幼私用、財 過ニ年限 賃ニ租田 妄 認公私田」 在官侵ニ奪私園園
逃亡 邸
墓地










應受復除面不給 輸課税之物











婦女

貸、婚女家安冒 有、妻更要








姿



要ニ人妻ニ 妻無七出 犯ニ義絶


嫁要違、律
巻 之 四
厩庫律興律第七

畜産





牧馬牛 験ニ畜産」不、以、質 應、乗官馬牛 乗ニ駕官馬牛

畜産






故殺官私馬牛 物 殺ニ五等以上親馬牛
犬自殺傷他人畜産 産魔大 監臨主守私自借 放 官私畜産
監臨主私自貸 財物安置不、如、法 放散官物 應、輸課税詐匿不、輸
有、所 輸出給 留難 官物有 印封 壇開 應輸課物 出納官物
官物常ニ應入、私
壇興律第七
壇務、兵 乏 軍興 征人稽留 連接冠賊 主司役 防人衛士」
私ニ有禁兵器 -
-
巻 之 五
闘訟律第九
闘ニ殿人 以兵双研 射人 闘殿折 映人支鶴 闘殿殺人 保幸
威力使ニレ人殿撃 於ニ宮内 念事 拒 國郡以上使」 殿 傷家人
奴競有、罪主殺 家人奴魏過失殺、主 殿 五等親 殿 傷妻 妻殿、夫
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三三九
三四○
後 篇 皇 道 政治 -
殿 兄姉 言 祀父母父母 妻彦警、夫 殿 傷見受業師 戯 殺傷人こ
過失殺人 知 謀反大逆 不、告 評ニ告人 告小事
誕 告人流罪以下 告 祀父母父母 告二等奪長 告 五等四等卑幼
子孫違犯教令 投 歴名書 被 四禁 不得 告撃 シ
以 赦前事 相告言 告 人罪 貸、人作 鮮喋 教ニ令人
賊務被、害之家告ニ主司 監臨主司不ニ撃効こ
巻 之 六
詐 偽 律
偽造碑軍 詐 貸認書 奏事上書 詐ニ造官文書 詐暇ニ興人官こ
詐貸、官 詐欺官物」、詐 貸官私文書 妄 認良人 詐ニ貸瑞鷹
詐疾病 詐稲 祀父母父母死 質病死不ニ以質験 保任不レ如、所、在
巻 之 七
雑 律
座蔵、職致、罪 向 官私宅 射 賢貸、人合、薬不、如 本方 受、寄ニ財物 ㎞費
用負債違、契不、償 負債不、告 官司 博戯賭ニ財物 直ニ宿坊街
不、應、入、藤入 姦者 姦 父祀要 奴好 良人 和姦 造 器用之物
市司評 物債 質買不、和 買 奴競馬牛 盗 決堤防 失火焼ニ田野
於 官府 失火 故焼 官府 水火有、所 損敗 於 官私田園 食元果
棄 段官私器物 得 用遺物 不、送、官 違、令不、應、得、貸面貸、之
巻 之 八
捕亡律第十二
将吏受、使追捕 捕 罪人 被 人段撃 追捕罪人力不レ能、制
隣里被 強盗 丁夫雑匠在、役亡 非亡面浮ニ浪他所 主守不豊失、四
部内容ニ止他界逃亡 知、情蔵ニ置罪人
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三四一
後 篇 皇 道 政治 三四二
断 獄 律
囚應、禁面不、禁 囚應、請 給衣食賢薬 面不、給 應 議請減 囚在、禁妄引、人
應、訳、囚者拷、囚 拷、囚限満面不、首 鞭獄官 輸獄官須 依 所、告状 駒
勤獄官囚徒伴在ニ他所 語勅断、罪 断、罪失ニ於人 赦前断、罪
殺ニ四等奪属 獄結覚 應、輸備噴 婦人懐争 立春以後決 死刑
奏報應、決者 断、罪聴ニ牧順 継 死罪囚 疑罪
第 八 御成敗式目目録(貞永式目、北條時房・同泰時制定)
( 一 )一、可下修ニ理碑赴」専#祭祀上事
( 二 )一、可下修ニ造寺塔」勤行備事等よ事
( 三 )一、諸國守護人奉行事
( 四 )一、諸國守護人不、申ニ事由 没ニ牧罪科跡」事
(五 ) 、 諸國地頭令》称 帝年貢所當 事
( 六 ) 、 國司領家成敗。 不及 關東側 ロ入 事 _
( 七 ) 、 右大將家以後代々將軍。 並二位設備時。 所 完結, 所領等。 依 本主武器
*

被 改神事
( 八 ) 、 雅》擔綱下文 不 令 和行經 年安 所領事
( 九 ) 、 諸般人事
( 十 ) 、 殺害死傷器科事
(十 一 ) 、 依 大罪科 事業安所領被 沒收,香事
(十 二) 、 悪日後 事
(十三) 、 敵人容事
(十四) 、 代 開過觀 主人 會事
(十五) 、 紫 雲龍科事
第 二十 一 章 夫 の法律と西洋 の法律 三四 三
後 篇 皇 道 政治 三四四
(十 六)一、承久兵蹴時没牧地事
(十 七)一、同時合戦罪過父子各別事
(十 八)一、譲 興所領於女子 後。依、有 不和儀 共親悔返否事
(十 九)一、不、論ニ親疎」被ニ春養」輩。違ニ背本主子孫」事
(二 十)一、得ニ譲状後」。共子先ニ子父母」令ニ死去 跡事
(二十一)一、妻姿得ニ夫譲」被 離別 後。領ニ知彼所領」否事
(二十二)一、父母所領配分時。難、非ニ義絶 不、譲 興成人子息」事
(二十三)一、女人養子事
(二十四) 、シ
(二十五)一、闘東御家人以ニ月卿雲客」貸ニ智君」依、譲 所領 公事足減少事
(二十六)一、譲 所領於子息 給ニ安塔御下文」之後。悔 還共領 譲 興他子息」事
(二十七) 一、未虜分跡事
(二十八)一、構 虚言 致 議訴 事
(二十九)一、閣 本奉行人」付 別人 企 訴訟 事
(三十)一、途 問注 輩。不、相 待御成敗 執 進権門書状 事
(三十一)一、依、無 道理 不、蒙 御裁許 之輩。貸 奉行人偏順 之由訴申事
(三十二)一、隠ニ置盗賊悪窯 於所領内 事
(三十三)一、強稲二盗罪科事付放火人事
(三十四)一、密使他人妻 罪科事
(三十五)一、難、給ニ度々召文 不ニ参上 科事
(三十六)一、改 奮境」致ニ相論 事
(三十七)一、闘東御家人申ニ京都 望、補 傍官所領上司 事
(三十八)一、惣地頭押 防所領内名主職 事
(三十九)一、官爵所望輩申請闘東御一行事
三四五
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 ●
後 篇、皇 道 政治 三四六
( 四十 )一、鎌倉中僧徒恋静ニ官位」事
(四十一)一、奴碑雑人事
(四十二)一、百姓逃散時稲ニ逃段」令ニ損亡」事
(四十三)一、稲ニ常知行」抗ニ給他人所領 貧ニ取所出物事
(四十四)一、傍輩罪科未断以前。競 望彼所帯 事
(四十五)一、罪科之由披露時。不、被 紀決 改ニ替所職 事
(四十六)一、所領替時前司新司沙汰事
(四十七)一、以ニ不知行所領文書 寄ニ附他人事
- -
(四十八)一、質ニ買所領事
(四十九)一、雨方誇文理非顕然時。擬、途 封決 事
( 五十 )一、狼諸時不、知ニ子細 出向共庭 輩事
(五十一)一、帯 問状御教書」致ニ狙請」事
第 九 御定曾百ケ條目録 (徳川吉宗制定)
(一 )一 、目安裏書初判之事
(二)一、裁許槍園裏書加印之事
(三)一、御料一地頭地頭違出入並跡式出入取別之事
(四)一、無取上願再訴並筋違願之事
(五)一、評定所前箱へ度々訴状入候もの之事
(六)一、諸役人非分私曲有之旨訴並裁許仕置等之事
(七)一、公事玲味銘々宅にて仕候事
(八)一、重御役人評定所一座領知出入取計之事
(九)一、重御役人之家来御仕置に成候節共主人差担伺之事
(十)一、用水悪水並新田新堤川除等出入之事
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三四七
(二

(十
(二十二)一、御留場にて鳥殺生いたし候もの御仕置之事

(十

(十
(十

(十

(十
(二十一)一、隠し鐵砲有之村方容之事

(十
(十
(十

後 篇
八)一、奮悪御仕置之事
七)一、盗賊火附致訟議方之事
山越 之






)

いたし 裁置


)









事 許
の 敷 品









)
六 出る


)










並 入 人
訴訟 之





)




取 許物



)






事 可 槍
所書



)











園 見 分
所見


)






皇 道 政治

候もの並闘所を忍通候者御仕置之事

-
- -
-
三四八
(二十三)一、村方戸を無之事
(二十四)一、村方出入に付江戸宿雑用並村方割合之事
(二十五)一、人別帳に不加他之もの指置候御仕置之事
(二十六)一、賄略指出候もの御仕置之事
(二十七)一、御仕置に成候もの飲所之事
(二十八)一、地頭へ封強訴致上共徒窯逃散之百姓御仕置之事
(二十九)一、身代限申付方事
三 十)一、田畑永代質買並隠地いたし候もの御仕置之事
(三十一)一、質地小作取拠之事
(三十二)一、質地滞米金日限之事
(三十三)一、借金銀取柳之事
(三十四)一、同取拠定日之事
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三四九
後 篇 皇 道 政治 三五○
(三十五)一、同分散申付方之事
(三十六)一、家質並船床髪結床書入誇文取拠之事
(三十七) 一、二重質二重書入二重賞御仕置之事
(三十八)一、廻船荷物出質出買並船荷物致押領候もの御仕置之事
(三十九)一、倍金並白紙手形にて金銀金貸借候もの御仕置之事
四 十)一、偽之誇文を以金銀貸借いたし候もの御仕置之事
(四十一)一、譲屋敷取拠之事
(四十二)一、奉公人請人御仕置之事
(四十三)一、駆落奉公人御仕置之事
(四十四)一、駆落いたし候者之儀に付御仕置之事
(四十五)一、捨子之儀に付御仕置之事
(四十六)一、養娘遊女奉公に出し候もの、事
(四十七)一、隠質女御仕置之事
(四十八) 一、密通御仕置之事
(四十九)一、縁談極候娘と不義いたし候もの之事
(五 十)一、男女申合相果候もの之事
(五十一 )一、女犯之僧御仕置之事
(五十二)一、二二鳥派不受不施御仕置之事
(五十三)一、新規之碑事備事並奇怪異説御仕置之事
(五十四)一、鍵死之☆の内誇にて葬候寺院御仕置之事
(五十五)一、三笠附博変打取退無霊御仕置之事
(五十六)一、盗人御仕置之事
(五十七)一、盗物質に取又は買取候もの御仕置之事
(五十八)一、悪窯もの訴人之事
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三五 一
-
後備 易 说 致 治
(五十九) 、 例如並給物手賞賜人等之有を 不說出*の御在道之事
(六 十) 1 、 哈勒成許之事
(六十 1 ) 、 人约引御 在體之事
(六十 二) 、 球會談判 いたし彼 もの御在道之事
(六十一) 、 火和服 和洛文 い だし彼 もの御在道事
大十四) 、 李かか6筆されたふ いたし彼 の神社傍
(六十五) 一 、 中排 いたし彼2の御在道之事
«+ ) 、 紫綬N*
(六十七) 、 彼金銀形像2 の御位置之 事
(六十八) 、 彼神似神似未果將條2の御位置之事
(六十九) 、 火事に付て N後 之事
(七 +) 、 火付御位置之事
(七十 一 ) 、 人殺並派位 候3の御位置之事
(七十二) 、 相手理不器之在方 にて下手人に不成德在實之事
(七十一) 、 能被附 彼もの外之洞にて相乘船行被表之事
(七十四) 、 後成にて和果德2 の相手們 在體之事
(七十五) 、 婚禮之師行 を 打破2 の御在體之事
(七十六) 、 あばれ もの御在實之事
(七十七 ) 、 酒在人們在體之事
(七十八) 、 私家にて人殺之事
(七十九) 、 治五歲以下 之2 の御位置之事
(八 十) 、 科人骨文選派作所 を 懸殊2 のク 事
(八十 一 ) 、 人相書 を以御器可成 2 のN事
(八十 二) 、 科人斯洛球之事
第二十 一章 c本 の法律 と西洋 の 法律 三五 三
帯置


)



(

候 刀 いたし
いたし





之 姓 三


送(
宿




候 質物 遣
旅り人 出入



) 、

)



(



御 書子状 之

)



金(


捨 無宿 (
奪置の取 片









)


も(
仕候

事 、

)



(


付 事 職






)

八 死骸 八





)



(


詰 仕置 之






)


(

之 手置




)



(










事 遠置犯島 可
鎖 之
の 、

)



再(
仕者

事 拷問


)



(







政治



飛置脚
仕候



(九十五)一、新田地え無断家作いたし候☆の各之事
(九十六)一、御仕置に成候もの鉄所田畑押隠候もの各之事
(九十七)一、御仕置に成候もの之枠親類え預置候内出家願いたし候もの之事
(九十八)一、年貢諸役村入用帳面印形不取置村役人各之事
(九十九)一、軽き悪事有之もの出牢之上不及容之事
( 百 )一、名目重相聞候共事質におみては強て人之害にならざるは罪科軽重格別
之事
(百 一)一、玲味事之内外之悪事相聞候共奮悪御定之外は不及相紀事
(百 二)一、診議事有之時同類又 加判人之内より早速及自状候もの、事
(百 三)一、御仕置仕形之事
以 上
第二十一章 日本の法律と西洋の法律 三五五
三 五六
第 一 舞
彼 者
央 但主, īlī


榮譽 民


第 一章
第 四 章

係。如需 姆
離。她
第 五 章
第 六 章


f.
第 七 章


第 八 章

|
リ 愛 愛 章
リſ 立
音; 部 『 3

、 未
双 ポ院。


-


弓H:
川西 約 約 午前了




後 篇 皇 道 政治
三五八

部 解除
第三 章 債権闘係ノ消滅
第 一 部 行
第二 部
第三 部
第 四 部
第四章 輩 譲渡
債権
債権 債務
引受
章五 章



常事
多数
ノ 債務
第 六 章

個々
第七章 債権闘係
第三篇 物権 法
第 一章
一般





第 二 高 土地 關< 利
章 第


權 權。據 權 權 權

章 第

地 上
培地 .
章 第


章 第


章 第

状)





第 九 章 質
#5
第 四 篇 *族
% % st 因

族。如
.
第 二 章 藝
第 三 章 §
第二十 一 章 夫 の法律と西洋 の法律 三 五九

; 言 績
第十 二 I本民法要項
(明治 二 十 九 年 公布)
明治二 十三年法律第二十八號民法斯康德· 斯庫版得勝 ・
信機務保管局・ 諸城鐵 公 北 2 法律發布 2 日 m 9クラ 族化 ス
第 一 肇 練 則
第 <
第 二 章 状 人
第一 章 術
法 西 佛 法律 行為
第 五 章 洲 間
第 六 章 味 效
第 二 篇 Ș 權
第二十 一 章 小の法律と西洋 の法律 三大
第 第

章 : 窓

月所 占
;
有 有



榴 構 構 構 構 則 ;


プ~~
まT.

得 理 経j

第 11
當 務
和] 管

第一章

第 四 章


第 五 章

第 四 篇
*->
第 1 者 總 只
第 二 章 后 主及 と家族
Ä
第一章


第 四 章


第 五 章



第 六 章
第 七 章 观 族
||
第1+ 1 章 * の法律と西洋の法律
彼 *
第八 章 党委 > 業務
第五篇 想 領
第 % 者 相続
第 二 章 速 旋 相続
第 三章 和線 2 米契機器
第 四 章 些游 2 分離
第 五 章 和總人 2 階級
第 六 章 速 言
第七 章 速 机出
[建] 思法第四篇・ 五篇受限、 明治三十 一 年公布º
之を かの「ナポレオン 法典と野原本9れば、 如何にその相類似せる かを察员 。 ベしº
羽法 ・商法 ・民事訴訟法 ・制事訴訟法は これと略す
第二十二章 皇道さ立憲制度
飲定憲法ト欧洲憲法
帝國 學法運用ノ注意
明治天皇は、憲法を務布して、大権運用の方法を明示し給ひ、欧洲の法制を参的し
て三権分立の制を建て、國曾を開設して人民を立法に参興せしめ、司法の濁立を確定
して判官の身分を保障し、官制・職制を細密に規定して行政機闘の職務・権限を明確
にし、以て政治の中正を期せられたり。これ質に 明治天皇が皇道の精紳に基づきて
深く時勢・民情を洞察せられたる寝断にして、皇道弘修の叡慮に外ならず、決して西
洋の制度を直譚模倣せられたるものに非ざるなり。
抑ふ明治の革新は、拾☆大化の革新に於けるが如く、國を撃げて西洋の文物・制度
を輸入し、西洋の思想は潮の如く浸入し来り、膨涯として全國に満漫するに至れり。
第二十二章 皇道と立憲制度 三六五
後 篇 皇 道 政治・ 三六六
然れども、西洋の國鶴・思想・習慣・風俗は、東洋のそれと同じからず。特に我が國
情に比して著しき相違あり。現代國民たる者は立憲制度の運用に常り、深く明治天皇
の聖旨を奉鶴して、細密なる注意と絶大なる努力とを挑はざるべからざるなり。
我が園の賞法は、欧洲立憲君主國の憲法と、全く共の由来及び性質を異にす。欧洲
の憲法は革命の結果、國民の力に依りて君主の権力を制限せるものにして、共の憲法
は君民契約の牲質を有し、主権の一部は人民に在つて存するものなり。則ち君民権力
争奪の結果、その争を調節したる一種の示談契約なり。
我が國の憲法は、明治天皇の飲定領布し賜ふ所にして、天皇の大御心の自由なる
発動なり。共の由来及び性質は、聖語によりて明かなり。明治二十二年二月十一日憲
法務布の語に目く、
咲祀宗ノ遺烈ヲ承ケ高世一系ノ帝位ヲ賊ミ脱カ親愛スル所ノ臣民 ハ即チ股カ祀宗
ノ恵撫慈養シ給ヒシ所ノ臣民ナルラ念ヒ共康顧ヲ増進シ共競徳良能ヲ発展セシメ
シュトラ属と文典賽 條9與 德 國家 》進通ア共時 » + ア空ミカチ 明治
十四年十月十二日 2 語命フ原线 シ林 大象フ制定 シ 於方案由ス 形 所ノボン 酸 カ後
制及任民及亞民2 子孫タ 形 者 フジテ 本道德 行ス 影 所ノ 如ラシム
國家統治 ノ構 於之ス 艦家 承クテ之 ア子孫 傳 フル所之 9 於安侯之子孫権
來此 張法 2條高橋 と 之 ア 行 フトフ 德ラナルベン映 公爵カ 市民 2 樓利及康状及
法律2 節間內 三 款 》共享有 了 完全カラシ ムペ キュ トフ自言 ス
~。 德法起草者は、 深く意を頭職の明機に殺したり。 市國憲法將羅 は目く、「赤 テ投
ス形 天皇 》 等 書 之 N 子孫に使 フ 形 國家統治權2在 ス 形 所すり前 ンチ橋法 特大
構之 湖クテ之 ア德意 加 起 ス 形象法 使う新設 2 義フ表 ス 形 北非スシテ国有2 國體
德法 由 す 曾 ク 番間チルト ラボス ナリ」 ,と。 知るべし、 我が鉄定康状は別ら飛が
國間有 の皇道國體を開明 やられなる金大至 1の典章なる ことを。 我が途法の正式 の構
利なる の 、 李淵民の知 、 國王との契約に出る個幕の機則とかす。
-
第 二十 章 说 と立憲制度 三 人也
後 篇 皇 道 政治 ●
三六八
『憲法義解』は質に之を明白にせり。目く、「蓋シ祀宗ノ政 専ラ臣民ヲ愛重シテ名ク
ルニ大賞 ノ稲ヲ以テシタリ云々」。「史臣用ラル所ノ公民ノ字 即チおほみたからノ
名稲ヲ譚シタルナリ。共ノ臣民ニ 在リテモ赤自ラ稲 へテ御民ト 云フ。天平六年海犬養
宿禰麻呂應語歌ニ 「みたみわれ、いけるしるしあり、あめつちの、さかえるときに、
あへらくおもへば」 ト請 へ ル 是ナリ。蓋シ 上ニ在リテ愛重ノ意ヲ致シ、待ッ ニ邦
國ノ質ヲ以テシ、下ニ在リテ 大君ニ服従シ、自ラ祀テ以テ幸顧ノ臣民トス。是レ我
ガ典故奮俗ニ存スルモノニシテ、本章ニ掲グル所ノ臣民ノ権利義務赤比ノ義ニ淵源ス
ルニ外ナラズ 云々」 「維新ノ後魔々大令ヲ発シ、日本臣民タル者始メテ平等ニ共権利
ヲ有シ、共ノ義務ヲ霊スコト得セシメタリ。本章ノ載スル所 質ニ中興ノ美果ヲ培殖
シ、之ヲ永久ニ保明スル者ナリ」 と。憲法に由りて三権は分立し、各府の職務・権限は
法規に依りて明定せられ、共の制度の形式・鶴様は願る欧洲の立憲制度と酷似せりと
も、共の性質に至りては全く相異なれるものあり。我が日本の立法・司法・行政各府
は、悪く 天皇の施政機闘にして、各部の官吏並に職員・議員等は、共の就任の形式
如何を問はず悪く 天皇の股版なり、手足なり。立法・司法・行政各府は各濁立して
共の職権を有すれども、是みな 天皇の定め給へる法令、則ち 天皇の大御心に依
るものにして、大権の発動の結果なり。従って共の職権は 天皇の継境あらせらるる
統治の大権に騎着統一するものなり。西洋の如く、契約に依りて成立せる制度には非
ざるなり。故を以て立法府は立法府の立法府に非ず、天皇の立法府なり。司法府は司
法府の司法府に非ず、天皇の司法府なり。行政府も赤然り。然るに三権分立を規定
せる憲法共のものが民約思想の産物たる西洋の制度と共の形を同じうせるが貸に、各
府の官吏並に職員は、各府自己固有の権力に依りて行動するが如き威豊を有するの傾
向ありて 天皇の官吏・職員たることを覚知せざるもの少からす。これ質に憂ふべき
の現象なり。是を以て荷くも、大権奉行の局に常る者は、立法・司法・行政を通じて
各部相互の調和均衡を圓り、以て大政の統一を期すると同時に、各府所属の官吏並に
第二十二章 皇道と立憲制度 三 六九
後 御 说 致 治 | 0
職員 ・ 義員らは、 ︽皇の投放なる ことを本記して、 造家 に、 頭海に2 <自軍の大仰
心 を本體する ことを忘るべからず。 張法教宗 の聖初の 一節に宣はく、
於我方 正式 即 チ加奈 ノ中心灵之 形 市民 2 子孫ナルフ 回想シ共 2 於之 意 フ本體 シ
カ 事フ 將領 シ相與 和表物同シ 曾 3我 カ帝國 《 光榮 フ中外 宣揚 シ加奈2 造業7
永久 型 圖) ラシム 形 2 充 型 フ同 クシ 此 2 負擔フ 分 ッ ニ 僑 フルトフ城 ) +
と。 高峰 これ官 に我が調に於ける政治の根本精神なり、 第 1 巻なりº 「松 之 意フ來證
シ」 と宣示さられたる聖霊 とは何をや。 前も天龍の神殿と古朱列聖が図式を大御家と
して愛德し始 5なる皇道德治の精神明ら是なり。 明治天皇が 「義 者正三 ンテ常 交
子サリ」 と、 柳江紹 5なる全行1至善の精神明ら是なり。
然 と 、 立憲の制度は西洋の産物にして、 東の是原は知ら構和霍の思想を本,
せる新道 の精細なるが故に、 之を運用するに富 6ては、 深度なる性意を 排 3て、 其の
撃を去り共の利を探り、以て我が皇道精神に酵化せしめざるべからず。これ即ち現代
園民の責務なりとす。然るに、我が園民の西洋に心酔するの深きや、往々西洋の思想
に威化して我が國情を顧みず、 無批判に彼の貸す所を模倣せんとするもの少からず。
著名なる学者にして、憲法上の各機闘の権限を解響するに、欧洲の民主主義を以てせ
んとする*のあり、甚だしきに至りては「天皇は國家の機闘なり」と放言するものあ
るは全く世界湖自の奪厳なる我が園鶴の絶封性を知らざる 姿の暴論にして驚くべき
の至りなり。これ質に西洋心酔の結果なりとす。
第二十二章 皇道と立憲制度 三七 一
後續 息 說 致 治 三七 二
第二十三章 是道》 文法藏會
天皇 2 機關タル議會ト國民2機關 タル 酸會
議會制度 ノ 路リ島や教省
政黨ト ファッショ 政治
空道 政治は、 國民を愛德 ,るを以て展水の精神と命すが故に、 民情の場進は古來攻
治の要論 とする所なり。 我が関税金 の議會制度も、 赤國民をして政治を繋養老しめ、
以て民情の朝建を期せんとする空 の聖言に外ならす。 それ別ら中道德治の精神にし
て欧洲語國の君民歌的に由る主權在民の議會と全く其の性質を異にする ものな 60 ℃
れ我が欲定撤法發布の聖期 によりて明かなり。
歐洲の議會制度は、 英國小結 ぶり。 而して英國の議會制度は、 非民藝術 の結果
非 怖を激起し、 國民の力を以て、 若主の権力を制限したるもの にして~ - 8れば
*
統の闘家製的思想に基づく主權在民の契約前度なり。 大陸路國の議會永之とは校共
の 性質を同じらし、 議會は君主の行政に封立地 る民主的獨立無關にして、 議會 の議員
は即ち人民の代表なり。 然るに我が國の議會は、 全く之と相異なり、 夫皇の定めら
たる立法の手黨制度にし 、 熊たる 天 の際機關 。 而 来の仲は
* 大 の最 。 雌は農業の手紙に由小選舉 る と廊 、 決して
人民の横方に依 9て議員に就任する もの に非す。 選舉は平に 夫皇の定め させ られた
る航任者 將有與の手線に過ぎず。 故に就任の形式 に於て も、 兩院 の議長が親任せらる
るのみなら ず、 貴族院の多額統府議員は、 常選の後、 更に就任せらるるなり。 我が図
の議員は貨に 天皇の投放として就任せる 夫皇統治機關の 見 たる ものなり。 從 つ
て厳格なる意義に於て、 我が図の議員は関民の代表に非さるなり 。 然るに西洋紫龍 の
盛にして西洋學術の流行するや、 その 心都將海は議員を以て國民 の代理なるが如く に
思維する者おり。 永た議會を以て欧洲語國の議會 の如 、 権力を有するものの如く思
第 二 十 三章 说と立法將會 三七三
後 擔 说 致 治 三七 Pų
推する者 のり。 現に英博士 の如、 「議會は天皇に封して完全なる御立 の 地位 を有し、
天皇 の命令と離 3張從せざる所あり」 と説 さ、 ふた 「國務大臣は唯 大皇に 封して
のみ資在を有するものなる に約はらず、 國務大臣に特別なる責任は唯識會に封する責
任ある のみ」 と極論するに至れり。 これ別ら敵洲民主的議會制度の精神を以て、 我が
國 の恋法を解釋 せん とする もの にして、 我が飲定康状 の語新光 に忠法 での ものを精誠
せず、 久我が関銃を 子解せざる暴虐なる議論なりとす。 帝國憲法將羅 に 目く、 高
*** 29、まり少奇 事、張 量,
法 フ 定 ムルノ 推す シ、 而 シテ議會 》 ︽寶座法 》正修 於 2 府與 ス 形 所 ノ 節面 上
*)、 無限り機能 すけ」 と。 以て起義の周到なる性恋を見るべし
議會制度は多數 の政治にして、 選舉 に依りて勝敗を飾りものなるが故に、 郭2すれ
ば家思政治の議を 招き日 し。 試みに多數政治の昭り易き降客を撃がくれば、
| 桜の感情に興られて常動 を逃し あさ こと。
一、軽喚なる民衆に婿びて言論の中正を失ひ易きこと。
一、眼前の政争に没頭して國家百年の長計を関却し易きこと。
一、多数専横の弊を醸し易きこと
一、権力の争奪に熱中し易きこと
一、窯利窯益を圓り、國利民顧を度外し易きこと
一、法律萬能主義に傾き易きこと。
議曾制度の運用に常る者は、冷静沈着ならざるべからず。軽喉急激なるときは、百
弊立所に至る。これかのラテン民族の議曾政治が混働紛糾して遂にアングロサキソン
族のそれに及ばざる所以なり。
我が國議曾制度質施以来慈に四十除年、共の間、皇道を翼賛して國運の進展に貢献
したること極めて大なるは、固より賛言を要せざる所なり。然りと難も、議員選撃の
制は、我が國民の古来未だ曾て夢想せざりし所にして、我が國民は議曾政治に封して
第二十三章 皇道と立法議曾 三七五
権して質雄人ら力

な一種
賢外
英。




決に

なり
性政治

恒久
を 治 議員
必送ずしも



こと


専制





べしる こるる







は政



なり
所以





の れ の



人 勝ずし







べし
ある
もの


は営

こと






濁 人

力 こし今と
古る
乏、




東西 倣ずる







生行













なりう




り 横に









弊害
なる
種々





議 溢 主義

じ 遼るに
國ほ

要にし





然の

あり
功苛もの


政争
なる
する利烈民遠 む途






















は る






政 経以て化度だ日験

を全然


未今なり
制向
消新














ファッショ




もの
なる

政治
功利



にし


来れる
より洲


動 政た制君可し治
す専制
不必
賢も


専なら



げ明




大いに
を以て
政治
政三



後六

プラトン治愚る


ゆから
衆請


政治
政賢人

E

ファッショ






有するものに非ず。又決して皇道政治の精碑に合致するものに非ざるなり。元来欧洲
の政治は、権力争奪の歴史にして、一般園民の勢力強大なる時は、共の力を以て君主
及び政府を歴制し、君民及び政府の勢力強大なる時は、共の力を以て國民を歴制す。
従って議倉と政府との衝突は概ね権力の争奪に 着す。故に、ファッシ の勢力強撃な
れば即ちファッショの専制を行ひ、ナチスの勢力織烈なれば即ちナチスの専制を行ふ。
是みな権力政治進行中の 一道程に過ぎざるなり。彼の賢人政治すら共の永績は不可能
なり。況んや権力を以て國民を歴服せんとするに於てをや。共の永績し難きこと知る
べきのみ。然るに、是を採りて、以て我が 明治天皇が大御質愛撫の聖旨に由りて開か
せらたれる國民翼賛の道を社絶し、権力至上主義の政治を行はんと欲するが如きは、質
に思はざるの基だしきものにして、これ赤一種西洋崇拝の流行思想に外ならざるなり。
然りと難も、ファッショ 思想の擁頭は、則ち議曾制度に封する一部人士の不満を誇
明するものにして、憲政運用の局に常る者の責任たるや、赤軽からずといふべし。今
第二十三章 皇道と立法議曾 三七七
後 篇 道 政治 三七八
にして、大豊醒を貸し、日本固有の精紳に反るに非ずんば、議曾制度は途に國民の信
用を失墜するに至るべし。
今日、議曾制度の運用に封する不信用の原因は、主として政賞の健全ならざるに在
り。面して政窯の健全ならざるは、
第一に、窯の構成分子たる窯員共の者の健全ならざるに由る。政窯員は多士湾々た
りと難☆、一般の風潮に動かされて、功利主義に傾き、権力に憧惧し、利害の計算に
急にして、鞭☆すれば正義・公道を閉却するに至るものあり。これ時代通有の弊害な
りと難☆、赤質に政窯員共の者が自己の重責を軽んずるの致す所ならずんばあらず。
第二に、政窯の病弊は政権の争奪に没頭し、選撃の勝敗に熱中するに基因する所多
し。政権の争奪に没頭するが貸に、各窯互に議護し講誘し排擁し陥害す。選撃の勝敗
に熱中するが貸に、大言壮語、次ぐに晒劣卑屈の行貸を以てして選撃界を腐敗せし
め、選撃界の腐敗は更に政窯をして腐敗せしむるに至るなり。故に選撃界の廊清は、
政窯廊清の先行條件なりとす。
現今選撃界の腐敗は、共の由て来る所久しきものあり。普通選撃の質施に至りて、
殆んど共の極酷に達したり。面して、共の原因の主なるものは、選撃運動に在り。運
動するが故に熱中す。熱中するが故に勢の激する所、投票の買収、利益の提供等、初
くも勝利を制する所以の道に至りては、共の方法を採ぶの暇なく、専園造法なさざる
所なきに至るなり。故にこれらの醜行貸を絶滅し、選撃界の腐敗を廊清せんと欲ば、
園民の自覚に侯っべきこと固より論なしと難も、もし法律を以て之を粛清せんと欲せ
ば、候補者の選撃運動なるものを絶封に禁止するに如かざるなり。己に法律を以て選
撃の運動を容認しながら、運動費の金額を制限し、運動の方法に制限を附するも、
H運動を開始したる以上は、請はゆる虎に騎るの勢を呈し、中途にして之を制止する
こと能はず。従つて、選撃運動を許容して共の程度に制限を付するが如きは、眞に不
可能事に属す。故に最初より運動を許さざるの簡単明瞭なるに如かざるなり。元来、
第二十三章 皇道と立法議曾 三七九
後 篇 皇 道 政治 三八○
議員候補者たる者が、自ら進んで選撃運動をなし、投票の依頼をなすが如きは、我が
日本人の道徳的観念より観て、容認し難き卑劣行貸にして、士君子の 恥づべき所な
り。初期の選撃に於ては、一般に固有の士風なほ存して、競争運動を肯んぜざりし候
補者も赤少からざりしが、選撃の度数を重ぬるに従ひ、候補者の運動潮く盛にして、
遂に公然運動なるものを認めて、法令中に規定するに至れるは、質に政治の堕落なり
といふべし。故に議員候補者の運動なるものは我が日本人固有の道徳律に基づき、法
律を以て断平として之を禁止して可なり。面して候補者の抱負・識見・人格の表示に
必要なる文書・演説などの事務は、文武官吏の試験と同じく、之を國営となすを常然な
りとす。然らずんば腐敗行貸の絶滅は得て期すべからざるなり。然りと難も、選撃界
の腐敗は共の原因多々ありて、一朝一夕の事に非す。従って、その廊清は眞に容易の
事に非ず。候補者及び一般國民の自覚と、共の道義心の向上とに由りて始めて之を完
うすることを得べきなり。選撃の腐敗は、議曾政治の祀國英吉利に於て最先に之を経
職し、一時は、一人の選撃費質に百二十萬圓を算するに至りたり。面して之を橋正せ
んがため、法律的にも、赴倉的にも全力を霊したりしが、就中、資質投票連座法は、
相常の効果を奏したるものの如 。則ち腐敗行貸ありたる地方一帯の匿域に亘り、全
部選撃権を停止し、一般選撃人をして隣保相互に監督の責を負はしめたるものなり。
元来、投票買牧の如き、廣汎に亘れる隠微なる犯行に封しては、小数官吏の力を以て
取締ること能はざるが故に、厳刑酷罰も施すに所なく、抽劣なる者は捕へられ、巧妙
なる者は法網を免れて、犯行は底止する所なかるべし。故に、英園の如き自由思想の
盛なる園に於て、連座法の如き厳酷なる法規を設けたるも、赤一時の権宜として己む
を得ざる所なるべし。
現代の政賞なる*のは、英園に発生して欧洲に博播し、各國各様の発達を遂げ、利
撃交“至るの質状なりしが、大戦後、園内及び國際の情勢の鍵化に伴なひ、國家主義・
民族主義の勃興するあり。政霊界にも種々の異動を起し、伊國はファッショの一賞と
第二十三章 皇道と立法議曾 三八 一
後 備 桜 歌 治 |八 1
なり、 湖國は ナチス に統一 を つれ、 愛國は共產黨の事制政治を行い、 英國は反對の微
派和結んで内閣を組織し、 何れも果國 一致の形勢を成す。 蕭道德烈なる。のは、 米
関 の 二大政黨と、 佛國の小熊分立 ある のみなす。
支那に於 ては、 上代武に政黨の東非を見なす。 書籍 には、 「你なく登なく王道说
々」 とあ 60 % 討して同性 や」 といいて、 樂師與代を成的 なす。 降^て来源
御の職は、 時の事に過ぎ ずと離も、 赤政黨の係 なすといメベし。 唐の文宗の湖に於
ける生 ・李二盤の仲は、 多年に立すて南湖なる政策を演じ、 文宗をして 「河北の敵を
去る ことは 幼く、 朝廷の開幕を去る ことは難し」 と呼 自宅しめなす。
宋の に宗の朝に愛人の政黨あり。 該物後 は 明翰 を著し、 小人の微を指し て優
加 し、 牛の姿を して栄し、日( 小人掌 、李之、本人
別 措 s㏊ ㏊r 姊姊。 反叛。 主修身。
關節而李金。 李偉忠、後建筑、若手之加也、 喬木、他做 過小人
之橋別 進 君子之基加 則天下治交」と。 し至言なり。然れども、政賞はみな自派
を以て正しとなし君子と稲す。執れが眞に小人の明にして、執れが眞に君子の朋なり
ゃ、その鑑別は雌る難し。欧陽修が
行はんとするあり。新法派と非新法派と、互に排擁し陥害して権力を争奪し、政界を
混例せしめたり。競近、中華民國に至りて、國民常の起るあり。一園一賞を以て藤介
石の専制政治を扶翼しつつあり。
我が国の政賞は、明治の初に起り、議曾開設以来、潮次務達して政治を左右するの
質力を有するに至れり。面して、首領及び常員の人格・力量と相侯ちて、請はゆる政霊
内閣の質現を見るに至れり。然るに、共の鍛錬の未だ十分ならざると、共の政争の苛
烈なるとによりて一時共の信用を失ひ、一朝、時運の鍵遷に遭ひて、遮然として政窯無
用の撃を聞くに至りたるは、概嘆に勝へざる所なり。然れども、政常なるものは、議
倉制度に伴なふ必至の産物なり。多数政治に在りて政見の異同を見るは常然の事にし
第二十三章 皇道と立法議曾 三八三
ム本客題ペ に





こと
問する





旅は



根なり



問題 現織會民下何ん日狀舉く


今界
く赤
如如

天ば

選にし
議の
編を 治 み要
明和
使

人材



1


政治

なるた 古
を以て
する







將 用

法 繋茵


から





西












莱 ぐば




に ざれ




行政


はなし


如何

する










、 る


用 政よ務代旗る黨
6

なは


赤自身

なら
現のみ
責に

全體
い國民

なす


、 素かる








鉄道





しし




元材共



る 指に覚献導 の







貢は

発関






故し




する 故命


こと
する



















使 に 。


盤 政止人す然る明同見
証異て


當すは


なこと
阻何勢





政法る見治

常進

6

1


得降



立其





司と





後續


|
"

ゆえ


~




ふく
第二十四章 皇道ミ司法裁判
司法ノ奪厳
教化ト刑罰
王道ト刑政
明治天皇ノ刑律ニ闘スル語書
司法部は、生殺興奪の大権を奉行する所にして、最も重要なる 天皇の機闘なり。
我が帝國憲法が、司法部を以て濁立の府となし、裁判官を以て終身の官となし、大臣・
宰相と難☆裁判に干渉することを得ざらしめたるは、赤皇道の精紳に合致するものな
り。凡そ國家の存する所には必す裁判機闘あり。裁判は質に國民の亀鑑にして、國家
の生命なり。特に刑事の裁判に至りては、直ちに人の身鶴・生命に闘係するのみなら
す、世道人心に影響する所、極めて大なるを以て、支那の上古売愛舞以来、王道政治家
は初論、我が國政治家の最も重要祀したる所にして、刑法の制定と共の運用に至りて
第二十四章 皇道と司法裁判 三八五















を民





以て

き から







ん -
治せしぐめ


塞なる




なり
くもの






ば 足なり

王こ死
に見法
司質

政治
。 を以てる々愛民さ の
道れる を


沿

犯心
國有司




切親す



なする

至 重むよろんらく は

あ惟


さす

寧ざる

せより



好不





徳 しめよきくた 、




ま民




軽「

し惟




し つし





曰く


五刑















刑 て 和たるりも漢

最は

ひ聖賢


な意






孔子 論んらきく語
聴『






如』





かは




めなり




か 「んめ







へ飲書
















政三



後六

聖以て


す目


をの















民る人

ッツシウレ
す。 刑なる のは刑せざらんとするなり。 之を他して両して愛せ ず。 之と軽いて従は
す。 義を傷つけ以て体を吸る。 是に於て平郡を用公」 と 述の路總館が上北に 日(
「素に十大志す。 共の 一 命在す。 活節の支是なり。 俗語に目<、 地を張し て統と移す
%、 入らさん ことを議す。 木を刻して東とęすも、 對許さらん ことを期すとº 此 乃武
補の難なり。 興はくは法制を省 、 刑罰を従うせよ、 即ち大不與 ,ベし」 と。 布、 母
に延期不を置く。 剛剛稱して本なりと母子。 漢の指定の 政論に 目< ㎞ ほ和 を治
行 るの乗れなり。 德教は本 を興すの愛的なり」 とº
東 に目《 永徽宗、 ︽ 文日~ &&


帝にして搭載多く有り と、 信なる飛是の言や。 法少なるものは、 治 の 兵にし て治と
し過を樹行 る の源に非さるなり。 天下の細、 曾て密なりº 然るに後就像 を 起る と。
文 日く 「關る敵常にして 別法 を専らにし、 而して書く離家修教 を 破る者は、 N た 熊座
と 呼ぶ と。 進曲子 に目く、 龍族和は王者の業に非さるな6 筆を築く見る
第 二 十 四章 说と 同法裁判 三 八七
後 擔 息 说 致 治 三八 八
は遠 さを殺すの術に非るなり と。 若松柏油輪 に 目く、「法は簡を 負んで而して他く発
じ、 前は離さを貫んで而して必ず行はる」 ,と。 我が関 駅伝 格式 の応 に 目く、 「金
し開く、 律は微弱を以て 完と続し、 令は物議を以て本 と続す。 格は別ら時 を重んじ憧
を立て、 武は別ら関 を結び 道を始~&。 四物相得 つ、 是を以て前を 重る」 と。 我が頭大
資神の母法なる 魔術師兼 に 目く、 「德體は政教の本なり。 制前は政教の用なり
とº × 日く、 「刑を離うして成を明か にす と。 以て王道政治に於ける刑政の本目を
知るに足るべく、 女な以て制前至上主義の翼龍列前が人情を教くし德化を進むる所以
-
にあらざる ことを 知るに 足るべし。
元素、 我が皇道政治は、 李仁の政治なす。 我が風の人民は最も愛情に沈めるが後に
残忍術機の事を好きず。 故に座を輸入して始んと母神の全文を採りたれとも、 たく
科制に至りては、 1 級に N を離脱したす。 而して幕後實際の裁判に常小ても、 常に食
私の方針を以て 武し來れるは、 赤裸に皇道救治の精神に合致 でるものなり。
明治天皇、明治二年九月刑律を改撰し給へる語に宣はく、
我大八洲ノ國鶴ヲ創立スル遂古 ハ措テ論セス碑武天皇以降二千年寛怨ノ政以テ下
ヲ率キ忠厚ノ俗以テ上ヲ奉ス大質ニ及ンテ唐令ニ折裏スト難モ共律ヲ施スニ至ラ
ハ常ニ定律ョリ寛ニス共ノ間政ノ汚隆時ノ治蹴ナキニ非ルモ大率光被ノ徳外藩ニ
及フ保元以降乾綱紐ヲ解キ武士権ヲ専ラニシ法律ヲ以テ政ヲ貸シ刀鍛以テ下ヲ率
ユ寛怨忠厚ノ風途ニ地ヲ掃フ今ャ大政更始宜ク古ヲ稽へ今ヲ明ニシ寛怨ノ政ニ従
テ忠厚ノ俗ニ復シ 萬民所ヲ得テ國威始テ振フ へシ頃者刑部新律ヲ 撰定スル時例テ
慈旨ヲ鶴シ凡八虐故殺強盗放火等ノ外異常法ヲ犯スニ非サルョリ 大抵寛怨以ラ
流以下ノ罰ニ虜セシメントス抑モ刑 無刑ニ騎スルニ在リ宜シク商議シラ以テ上
聞セヨ
と。聖旨至仁、皇道の精紳を宜揚し給ひて除薄なし。
抑、刑罰は薬石にして徳教は梁肉なり。刑罰を以て直接に道義を興隆し、風気を振
第二十四章 皇道と司法裁判 - 三八九
後 篇 皇 道 政治 三九○
作せんと欲するは、薬石を以て梁肉に代へんと欲するものなり。かの刑罰至上主義を
執り、専ら厳刑酷罰を以て天下を治めんと欲するもの、之を酷政といふ。酷政は人心
を険悪にし、敦厚の俗を破壊し、無恥の風を助長す。古来酷政を施して天下の御を招
かざるものは稀なり。
支那は築約以来、厳刑酷罰主義の君主に乏しからす。面して共の大なる者は秦の始
皇帝となす。秦は商鞍の厳刑酷罰を行ひてより以後、始皇の代に至りて盆く 甚だし
く、儒教を禁じ、儒者を殺し、詩書を偶語する者は棄市せられ、古を以て今を護る者
は族滅せられたり。
『漢書刑法誌』に目く、「秦の始皇は、専ら刑罰に任じ、射づから文%を操る。恭
衣路を塞ぎ、固園市を成す」 と。以て恐怖政治の状を想見するに足る。 始皇請へら
く、「國富み兵強く、民みな令を聴く。天下太平、子孫萬世なり」と。安んぞ知らん、
道義衰へて忠孝亡び、國民の怨勝 はその極に達し、一旦祀の蕭脳に起るや、天下怒ち
離反し、僅かに二世二十六年にして全く滅亡したり。
秦の以後、商鞍・韓非の如く刑罰至上主義を唱道したる者は之なしと難も、歴朝の
権臣若しくは窯人にして、厳刑酷罰を用ひ、魔、大獄を起して、天下の大蹴を招きた
るもの順る多し。
欧洲に在りても、厳刑酷罰主義を質行したるもの少からす。かの備蘭西革命の主要
なる原因は、貴俗僧侶らが司法の権を悪用して、頻りに厳刑酷罰を用ひたるが貸にし
て、革命の第一着としてサン ・ラサル寺を園みて奪抗を怒ま\にし、次いでバスチー
ユ の牢獄を襲撃して囚人を解放したるは、如何に裁判に封する怨院 ・不平の深刻なり
しかを見るに足るべし。露國の革命も、赤刑罰の濫用に起因する所少 からざるは、世
上周知の事質なりとす。
我が日本は、上下韓睡して、古来仁愛の風に淳く、明治天皇の聖認に、「寛 怨ノ政
以テ下ヲ率キ忠厚ノ俗以テ上ヲ奉ス、大質ニ及 ンテ唐令 ニ折裏スト難 モ共律ヲ施スニ
第二十四章 皇道と司法裁判 三九一
後 篇 皇 道 政治 三光二
至ラ 常ニ定律ョリ寛ニス」 とあるは、眞に我が國民の人情に富める美風にして、諸
外國の到底企及する能はざる所なり。
我が國の憲法には、司法権は 天皇の名に於て之を行ふ旨を明記せられたり。すべ
ての政治は 天皇の機闘に依りて、天皇の股版が之を行ふものなるに拘らす、司法
権に至りて、特に 天皇の名に於て之を行ふと明記せられたるは、如何にその碑聖貴
重なるやを知るに足るべじ。裁判の局に常る者は、常に戦々競々として 天皇の大御
心に副ひ奉ることを努めざるべからざるなり。裁判は官僚の事務にあらすして、質に
最高の政務なり。大権の人民に封する直接の発動なり。





『漢書』に目く、「獄吏相騙りて、刻を以て明と貸す。議に目く、棺を鶴ぐ者は歳
吏 治 を
す殺





な非



今に



欲するやりるみす
欲憎ある
の人を陥害せんと欲するも、赤獅比の如し」と。犯人検撃の衝に常る者は、その職
に熱中するの除り、人を陥害せんとするに至るも、赤人情の免れ難き所なり。況ん
やシして功利の思想調漫し、構力至上主義の旺盛なるに は、シ
して仁愛の精神を忘却し、無情冷酷の行貸に陥り場きこと、勢のシ。『シ
は古来残忍酷虎の政治を質験せること少く、従って人権なる。のをシ
抗することを敢てせざりき。故を以て、上に居る者も赤常に仁慈のシ
もしそれ上に居る者にして
臨みたり。 これ則ち聖認に請はゆる寛怒忠厚の美風な*。
比の偲続の精神を願みす、職権を濫用して、節制を破り、シー、『。
に陥れる☆
抗しつつ人権擁闘の問題を以て上下相争ふが如きは、西洋権力政治の『
のにして、決して我が 皇道の精紳には非ざるな。
三九三
第二十四章 皇道と司法裁判
後 篇 皇 道 政治 三九四
第二十五章 皇道 ミ 行政府
教育・風教
軍事・外交
財政・産業・交通
行政機構ノ複雑化ト線合精碑ノ喪失
職権至上主義ト皇道精紳
行政府は、立法・司法二部を除く政治の全部を施行するの官府にして、皇道の由っ
て行はる、所なり。國家の盛衰、國民の隆替多くは之に繋る。
行政の形式鶴様は時勢の鍵遷によりて、或は繁雑に、或は簡易に、 或は中央に集権
し、或は地方に分権し、或は法規によりて職権を細定するあり、或は官吏の自由裁量
に一任するあり。共の外観は種々に鍵形すと難も、皇道政治に在りては、政治の全鶴
の通じて一貫せる大精紳の存するあり。比の大精碑は即ち天祀の碑勅に基づく徳治の
精神なす。 明治維新の認に 「天下使光 一人 毛 共處フ得ず 形 時 將於 2 業す レメ 」 と宣
し結 《 る空行至大の大精神なり。 かの立法 ・ 司法兩府は、 等しく 《 星の攻治機關な
~と離?、 湖立の形體を 具 へ て國民に直接交涉する こと少し。 然るに行政府の百億有
同は、 ︽皇の設成 として魔別なる範圍に宣 6、 人民に直接して大權を本行し、 百般
の裁判を決行する のなるを以て、 特に 天皇の大仰心を突破して、 仁寿 の
精神を以て人民に臨 文》 るべからず。 これ に皇道日本の官吏の信條なりとすº 出
行政の 仲文典の人にして、 單に西洋の軍艦 を習得して、 我が皇道 の精神を知悉せず、
文武が興味 の思想・精神を試験やすして、 功利の思想に因はれ、横方军上の観念を以て
國民 に臨み、 調はゆる有條路治を広場するが 如くとあらば、 《皇 の李仁至大 の
聖德は、 天下に徹底 せずして、 皇道は 途に興隆するとと船はぎるべし。 孔子目<、
「共の人在すれば共の政學がり、 其人在せざれば共の政 公 」 と。 人なる武、 人なる
武、 政治の要は仲 に常時共の人を得るに在り。 是に於て平、 官吏の登用 を挟む の必要
第 二十 五章 治上行政府 一方 互
後續 息 速 致 治 |九六
を生す。 官吏の登用を横行 は、 貨に王道作 現の第 一 步た 0
宮度登用の要件は軍備・技藝を以て第二 となし、人格と思想とを以て第 となすは初
論、 特に政治學に通するを以て必須の修作となさざるべからす。 王道和は師ら平の
政治學にして、 日本の破網に離化やる王道學は皇道學なり、 即ら日本の 政治學友 99
載せて離島 及び國史に静かなり。 官吏にしてク を解する ことなくんば、 如何にして
天皇の皇道政治に参赞する ことを得んや。 現在我が頭に於ける作文登用武藤の科目と
概るに、 法律學 ・編號學等を主として、 日本政治學たる皇道學を周知し、 Nと社外に
置い て撤除す。 特に驚くべさは、 我が図の歴史に通せず、 國體の福源とも認識せずし
ィ、 高等官 となるを得ること是なり。 此の如くにして、 いかでか書道を払戻する こと
を飛んや。 明治天皇の 軍隊に処せられたる所の、 政治治要の道に 通するものは、 愛
に得て家も可らざるに至らんとす。 常に艦艇に勝ムペけんやo
皇道政治は、 國民の道德を高め、 共の生活を書誌にすると目的とするとと、光學所
__
設の加し。 赤く関民にして、自身を修めて自ら立ち、安》亦自らばめて自ら立ち
興盛。亦自ら降のて自ら立つに至らば、 朝野を間はず、 士風貌與して、 道德隆目に
國家冰向上發展せざらんと彼する。 從ベからざるなりº Jれ則ら敵意・ 正心・修身。
森家 ・治國 ・本天下なす。 それ別ら中道政治の要論なり。 是に於て平、 國民教育の必
要を生す。 教育は貨に皇道行政中、 最も重要なる ものな 6
支那は政 ・ 放 ・ 周の古代より、 巴に 座席の軍校を設けて 頭足に 道德教育を施した
^。 孟子目く、 「善政は善教の民を得るに加わ ざるなり」 とº ル・金の王道を説(や、
に教育を以て重し となす。 我が頭大化の軍統に在 6ても、 赤學校の教育に 重 さと
置さなす。 而してそれらの軍校は、 みな熱血を明かにし、 道德と振興する所以左 99
然るに、 現代武が風に於ける大學の教育が極めて不完全なる ことは、 前景仰にク に逃
べた す。 皇道政治に在すては、 大學は勿論高・中・小學の教育に付さて も、 赤、 現在
御 者側重の難を極めて修身・資家 ・治國 ・本天下の趣旨を 許し、 道德の振興、 人格
第11士 无意 送 と行政府 |九 七
後 御 桜 治 一九 八
の開始を以て第 1巻となし、 道德政治の研究線 を 命さざるべからす。 特に日本同在
の精神文化を振興して、 國民の品位を高めると 同時に、 進んで西洋の文化を消化し
て、 二十世紀に於ける新文化を卒育創造する の素地を作らざるべからす。 これ に皇
道政治の要論なり とす。
皇道政治に在りて、 教育 と同じく最 2擊事 とする もの を 風教に開する行政 となす。
それ人心 を正し、 思想を導く所以なり。 雄心 に、 文章 ・ 製備 ・ 歌舞 ・ 音樂等 の関民眾
想に影響するや構 的 て義大なり。 書籍 ・新聞等の印刷物を初め、 講演 ・ 奥行等に深く
留意し て、 その品格を高め、 素質を良くし、 李善 ・ 奈美 ・ 公明 ・ 正大の精神を 務連結
しめざるべからす。
在背、 孔子は、 體•樂・ 制・ 政を以て王道 の四間 目となし、 資人の女僕を容に 送り、
李相李氏が N を愛しなるを見 て、 父母の関なる魚 を捨てて他國に志りなり。 雖人の
舞樂に重さを置く と と比 の如し。 著し共の人心 に影響する所、 全大なる ものあればな
50 ㎝, 访个交通の空使にして、文化傳播の近連なるや、思想・風習の流行すること
假節して命を使えるよりも連かなるものあす。し東京兆通なる文書を看過し、 沈
被發なる演義の流行を許すが如くんば、 何を以て人心を正すことを挑んや。 女阿を以
て関民武器の中正則建を期する ことを得んや。 横行 、さは風教に開する行政法。
特に注意を要するは、 社會首級の出來事に封し、 政府が破に正邪 ・普通を直列し、
教祭として正義を支持して物等 ・機器の道を誤りぎる こと見なす。 例せば、 不常なる
小作作義 ・ 同盟能工等