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道徳教育実践の視点 1
-― 「生活」と「親―子」を手掛かりに一―
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(人 間発達学部)
要 旨】
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道徳教育が内包する一つの「困難性」 には,か かわ りにおける立場 によって価値や道徳
性 に対す る理解が異 なって しまうことがある。そ こで,本 研究 では,か かわ りや立場が明
らかな価値 につい ての検討 を通 して,道 徳教育実践 における課題 につい て検討す ることと
した。そ こでは まず,道 徳教育が他者理解 に基 づ く自他関係 に重点 を置 い てい ることの 問
題 を指摘 し, 自己 の 内面 と自己 の存在 の意味 に 目を向ける ことの必要性 を明 らか に した。
さらに, 自己の存在 の意味 を検討す る手掛か りとして「生活」 と「親 一子Jの 関係 に着 目
し,特 に後者 については 日蓮 の思想 を援用 し考察す ることで, これ まで とは異 なる視点で
道徳教育 を考 える ことの必要性 を明 らかに した。
1 課題意識…これまでの研究から
これまで,道 徳教育が内包す る「困難性」 として,そ もそ も道徳教育その ものが困難な
状況を前提 として展開す ることや,様 々なかかわ りや立場によって,同 じ状況にあ って も
生 じるⅢ 晴が異な り,思 いの向きや,立 とうとする立場,要 求される共感の内容 (質 )が
一様 ではないことなどが明 らか となった。 キ 1さ
らに,思 いの前提 には,一 人ひとりの生
活経験やそれに基づ く心情や信条が影響 し,生 活や道徳性 の形成にかかわる様 々な要因に
も目を向ける必要があると考えた。
このような「困難性」が認め られる背景には,学 校教育 における道徳教育がかかわ りを
前提 とし, 自己の関心を他者へ と向けていることがあると考えた。他者の思いを理解 しよ
うとする者に とっては思いの向 きや立ち位置は非常に複雑 なものとな り,そ れゆえに,道
‡1
事例を基にした「心の教育」の構想にかかわる考察。転んだA子 をB男 が起 こ してあげた。それを見
ていた教師はB男 を優 しい子だと褒めた。 しか しB男 にそ もそ も「優 しさ」はあったのか。 またこの
ようにB男 の行為を取 り上げる時,A子 の不幸が前提 となる。指導場面では,B男 の内面 とは別に教
師の心が「優 しさ」を感 じていることが前提 となるのではないか。 これ らのことか ら,実 際には B男
が このような行動 をとった理由が不明なまま,「 優 しさ」 とい う道徳的な価値 によって評価 されてお
り,子 どもの道徳性 とその評価 は周囲の内面に規定される と考え られた。
安部 「保育者養成における『心の教育』の課題 1 -展 開の構想における『困難性』 ―J『 埼玉純
真短期大学研究論文集 第 4号 J 埼玉純真短期大学 平成 23年 3月 pp77‐ 86
安部 「保育者養成における 『′ いの教育』の課題 2-『 困難性』 の意味 ―」 『名古屋芸術大学研究
紀要 第 33巻 』 名古屋芸術大学 平成 24年 3月 ppl-15
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2 生活への着 目…「かかわり」の問題
学校教育における道徳教育の「内容Jは 四つの視点から構成されているが,そ れ らは主
に「かかわ り」 を重視 したものであるとい うことができる。かかわ りの対象は自己の外側
にあ り,か かわるとい う働 きと,そ のように働 く自己の存在 を認める限 り,そ の存在 (他
者)は 常に認められることとなる。かかわ りの対象 としての他者 とは,「 他 の人」「 自然や
*3,そ
崇高なもの」 「集団や社会」であ り れ らは学年毎に段階的であ り,そ して,広 が り
と一般性 をもつ もの として提示 されてい る。その意味で,「 内容項 目」はかかわ りにおけ
る自己の向かうべ き他者を知 り, 自己の道徳的なあ り方や行為 を知る模範的な指標である
ととらえることがで きる。広 いかかわ りの対象を社会や世の中と理解するとき,子 どもは
社会の要求 と しての自己の道徳的行為 を理解 し,そ れを身に付けなければならず, また ,
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道徳教育実践 の視点 1
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この「足 もと」へ の 関′
とヽこそが道徳本来の課題であるとしている。
「すべ ての人は生存 の根源 をもって い る。生 きる ことは惰性 で も無意 味 で もない。生 き
るとい うことその ものが この力 の源 によって支 えられてい るか らである。 しか し人間は通
常 , 自分の生存意 味 の根拠 を忘れてい る。そ して彼方の幻影 を目的 と受け取 り,そ の余 り
の隔絶 に絶望 し, 目的に向かって進 むことを非現実 と思 い断念 して しまうのである。 しか
し道徳 にお ける目的は逆である。人は道徳 における目的 を空間的表象 によってイメー ジ し
てい るが,道 徳 は心の内部の問題であ り, 目的へ の旅 は根拠 へ の旅 なのである。J
太田は この ように「足 もと」の意味 ・ニ ュ ア ンス を表 してお り,そ れに したが えば,道
徳 は内面的であ り,そ れは自己の根拠 へ と向け られるべ きもので ある。通常「足 もと」とは ,
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キ
12 教育課程は学校教育における子 どもを育成するための一つの構想であ り,そ こには教師による教育的
なかかわ りがあるが,そ の子 どもの成長における意味 と,そ れ以外 の教育の働 きにも目を向ける必要
がある。学校教育を自明のものとする私たちの教育的関心のあ り方について,一 度 とらえ直す必要が
あると考える。
キ13 文部科学省 『 学校学修指導要領解説道徳編』 東洋館出版社 平成 20年 8月 p47
/1ヽ
*14「 い
思 やりJ:文 部科学省 1/1ヽ 学校学習指導要領解説道徳編』 東洋館出版社 平成 20年 8月 pp4243 p56 参照。
奉15 文部科学省 『 学校学4参 指導要領解説道徳編』 東洋館出版社 平成 20年 8月 p52
/1ヽ
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3-2 日蓮の思想における「親―子」
3-2-1「 親―子」における慈悲
自己の存在の根拠 としての「親 ―子」のかかわ りには, 自己である「子Jと 「親」の存
在が具体的に認められる。 したがって家族愛はその具イ 本的な存在の間に成 り立つ ものであ
↓
17 文部科学省 『/1ヽ 学校学修指導要領解説道徳編』 東洋館出版社 平成 20年 8月 p61
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*18「
孝J:栗 田賢三・古在由重編考 『岩波哲学小辞典』 岩波書店 1979 11
ここでとりあげるのはあ くまでも自己の存在 を規定する「親 ―子」のかかわ りに関係する価 で
値 あり
,
為政者を諌めるなどし,伊豆や佐渡に配流された。赦免された後,鎌倉に戻るが,身 延へ入山。病によっ
て下山し,療 養のため常陸に向かうが,途 中武蔵池上にて寂 した (1282年 。61歳 )。 本稿で主に取 り上
げる「開 目抄」は佐渡流刑の折に, また池上兄弟への書状 (「 兄弟妙J)│ま ,身 延入山後に書かれた。
志
20 渡辺・関戸訳 「開目抄J『 日蓮聖人全集第二巻宗義 2』 春秋社 2011 8 p41
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*25の
章安大師 言葉 を引用 しなが ら,父 母 を助けたいと思 う子 どもの立場や,子 を思 う親
の立場 と同 じであると述べている。またそこには,法 華経 を重用 しない他宗派の態度を無
慈悲でむごいことであると批判する態度が見 られるとともに,そ れ らを非難 し,怨 まれる
のも本当の慈悲の行為に基づ くことであるとい う考えが述べ られている。
(「 …,法 然いたわしとおもはで,末 法 には法華経の問を堅 く閉て人を入れじとせき,狂 児
をたばらかして宝 をすつ るやうに法華経を弛 させける心こそ,無 1斬 に見へ候 へ。我父母
を人の殺すに父母につ げざるべ しや。悪子の酔狂 して父母 を殺すをせいせ ざるべ しや。
悪人寺塔に火を放んに,せ いせ ざるべ しや。一子の重病を灸せ ざるべ しや。 日本の禅 と
念仏者とをみてせいせ ざる者はかくのごとし。F慈 なくして詐 り親 しむはこれ彼が怨なり』
等云云。 日蓮は日本国の諸人にしたしき (親 )父 母なり。一切の天台宗の人は彼等が大
怨敵なり。『彼 がために悪を除くは即ちこれ彼が親なり』等云云。
」)*26
また日蓮は,母 の子に対する思いが釈尊の慈悲に等 しいことを,涅 槃経に描かれた貧女
の話を取 り上げなが ら次のように述べ ている。
(「 涅槃経に云 く「薯えば貧女のごとし。家に居 して救護の者あることなく,加 うるにまた
病苦飢渇に逼められて遊行乞巧す。他の客舎に止まり,寄 りて一子を生 ず。 この客舎の
主,駆 逐 して去 らしむ。 その産 していまだ久 しからず,こ の児を携抱 して他 国に至 らん
と欲 し,そ の中路 において悪風雨に遇つて寒苦並び至 り、多く蚊虻 。蜂藝 。毒虫の口 妾食
う と こ ろ と な る。 恒 河 に 運 由 し児 を抱 い て しか して 度 る。 そ の 水 漂 疾 な れ
どもしかも放ち捨てず。ここにおいて母子遂に共倶に没 しぬ。か くのごとき女人,慈 念
の功徳によりて,器 終あ後,梵 天に生ず。
」)
(「 念を一境にする,定 に似たり。専 ら子を思 う, また慈悲にもにたり。かるがゆへ に他事
なけれども天に生まるるか」
)*27
この文で,赤 ん坊 を放 さずについには河に沈んで しまった母は,法 華経 の信仰 を守 って
放 さないこと,身 命 を捨てても正 しい法 を守 り抜 くことなどに警えられている。 日蓮は ,
▼
25 章安大師 :灌 頂。 (561-632)。 中国天台宗第二祖。 日蓮は智銀の講述 者 として位置づ け しば しば灌
頂の「涅槃経疏Jを 引用 している。
手26 渡辺・関戸訳 「開 目抄J『 日蓮聖人全集第二巻宗義 2』 春秋社 2011 8 pp207‐ 208
*27
渡辺 ・関戸訳 「開 目抄」『日蓮聖人全集第二巻宗義 2』 春秋社 20■ 8 pp195‐ 197
よ28 渡辺 ・関戸訳 「開 目抄J『 日蓮聖人全集第二巻宗義 2』 春秋社 2011 8 p198
010
道徳教育実,莞 の視点 1
;29
渡辺 ・関戸訳 「開目抄」『日蓮聖人全集第二巻宗義 2』 春秋社 2011 8 p197
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キ
30で
「兄弟抄」 日蓮は,宗 仲,宗 長兄弟が父母か ら責め られてい ることについて,そ の
理由を,法 華経に基づいて過去世に遡って考えて理解することを強 く勧めてい る。それは
現在は法華経行者が苦難に遭う末法の時代であること。受難 は自身が過去に,方歳法の身であっ
たことに由来 し,そ の音を今耐えなければならないことなどである。 日蓮は,法 華経 とい
う未来にわたって父母の成仏を適える教えを,簡 単に捨 ててはならないと励 ましている。
(「 この経文に過去の訂F謗 によりてやうやう (様 々)の 果報をうくるなかに,或 いは貧家に
生れ,或 いは邪見の家に生れ,或 いは王難 に値 う等云云。この中に邪見 の家 と申すは ,
i30「
兄弟紗J:1275年 あるいは,1276年 。 日蓮 54歳 あるいは 55歳 の時に,身 延に於いて池上兄弟宛 に
書かれた。
+31
北川 ,原 訳 「兄弟妙J『 日蓮聖人全集第六巻信徒 1』 春秋社 2011 8 pp120-121
・32 同 p126
433 北川 。
原訳 「兵衛志殿御返事」『日蓮聖人全集第六巻信徒 1』 春秋社 2011 8 p146
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ホ
34 久遠実成 :法 華経の本門の説で,特 に如来寿量品で主説 される。釈尊はイ ン ドのブッダガヤの菩提樹
の下で初 めて成道 したと思ってい るのは執近の情であって,実 は,五 百億塵劫の久遠 の過去に成仏 し
それ以来常に娑婆世界に在 って人々を教化 してきたとい うこと。 (「 久遠実成」 宮崎英4歩 編者 『日蓮
辞典』 東京堂出版 昭和 57年 8月 p164 参照。
)釈 迦がず っと以前 に法華経を説かれたとい う世
界で,人 間は過去の引業に よって生 を受けてい ること。本稿で問題 とするかかわ りの永劫性 と拡大 ,
013
名古屋芸術大学研究紀要第 34巻 (2013)
…」)*38
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4 さいごに
「大人 ・親 一子 どもJに おける子 どもが成 長 して,大 人 となった と き,そ れは「大 人 ・
親 一大人 ,子 ども」 である。結局 ,「 大人 ・親 一子 ども」 の 関係 はイ
呆たれたまま,時 間が
す ぎ,そ のかかわ りとなる対象 を広げてい くことになる。子 どもは大人へ とそれ 自体変容
す るが ,あ らか じめあった関係その ものは保 たれる と考 える ことがで きる。その意味 で ,
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