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DATE DUE


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緒言
室町時代より江戸時代の初期にかけて、婦幼の讃物として述作せられし小説を概稲して御伽
草子といふ、比名稲はいつ頃に始まりしか定かならねど、徳川氏の初期に御伽物語、御伽碑
子、新おとぎ等の書名多く行はれしより察するに、比類の小説をおしなべて御伽草子といひ
習はしょこと、獅徳川氏の中葉以後見童の玩弄に供せし槍解本を、一般に赤本、草鍵紙など
稲へしと同様なりしなるべし。享保の頃にや、大阪の書興渋川基が文正草子以下酒呑童子に
至る二十三種を撰び、槍入横本の業書として刊行せしより廣く世に知られて、これに入りた
るもののみを御伽草子と思へる人もあれど、こは只手あたり次第に採り集めしばかりにて、
深き理由あるべくもあらす。
さてこの類の草子は共数も多く内容も雑験なれど、まづは 悪愛譚、武勇譚、継子いちめ、通
世物、縁起物、異類物等に匿別し得べし。趣向文章倶に幼稚にして、筋の通らす前後矛盾せ

ぐる




冗漫
主客軽重の権衡を失ふもの、挿話の
各 継に もの、引用の詩歌故事
-
緒 言 -

その常を得ざるものなど庇暇百出、加ふるに一定の型式に陥りて模倣につぐに模倣を以てし、
依様萌魔の弊を極む。美人はいづれも丹花の唇、青鷲の眉、葬率の髪ざしあざやかに、唐土
の楊貴妃、李夫人、我朝の衣通姫、小野の小町、染殿の后と引較べられ、悲軟の時はいつも
天に仰ぎ地に伏し、流逸焦れ泣きて是は夢かや現かやとかこち、徒らに陳奪の極文句をつら
ねて、語格調はす文脈通ぜす、旦作者の文盲なる、頼朝を左近の右大将といひ、公卿の私邸
に日の御座あるなど、創意もなく知識もなき衰世の文學たる晒態を遺感なく暴露しつくせり。
さればその文學的慣値は固より多くいふに足らねども、平安文學の末路を辿り、江戸文學の
務程を知らんとする者にとりては、之によりて王朝の継愛小説がいか程まで堕落せしか、江
戸の浮瑠璃小説はいづくより萌えいでしか、その源委を尋ぬる好史料たるべく、又今昔物語
以後の日碑博説を保存するものとして共債値少しとせす。
本集牧むる所すべて三十九種、そのうち文正草子より酒呑童子に至る二十三種は、明治二十
四年今泉畠山二氏の校刊せられしものあれど、誤脱も少からす、旦文章に修正を施したる箇
所多く、却て原書の面目を段損せし嫌なきにあらす、今は暇字を一定し漢字を宛てたる外は
一切原本に従へり。三人法師以下の十六種は萩野氏の新編御伽草子、平出氏の室町時代小説
集等に救録せられざるもののみを揮べり、これらは概ね博本稀少なるものなれば、常代
獣に志ある人々のために便盆少からざるべきを信す。
今三人法師以下新採の十六種について簡略なる解題を施さんに、
三人法師(刊本) 一名を三人機悔冊子といふ。高野山にて通世の法師三人相曾して、互に出
家の来歴を語ることを叙せり。そのうち二人の話は相闘聯し、他の一人の話は濁立せり。就
中篠崎六郎左衛門が通世出家の後、その郷里河内に至りて、二人の子に解造する一段は、余
の所蔵せる朽木機㎞と酷似す。通世物中の傑作にして、七人比丘尼四人比丘尼等の鶴
悔物語は皆比書を祀とするものの如し。こょに牧むるものは鱗形屋本を底本とし、寛永頃と
おほしき槍入刊本と荒五郎務心記と題せる古寛本とを以て校合し、尚績群書類従本、史糖集
覧本㎞ を参的せり、刊本は文章殆ど異同なきも、務心記は出入稲多し。
緒 言
-

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『 --- - -- 『ーリー
緒 言 四
大備供養物語(寛本) 東大寺の俊乗坊重源入唐して、極楽の愛陀羅、五祀の眞影を将来せし
を、源頼朝、法然上人をして東大寺に供養せしめんとす、上人数山を樺りて鮮退せしかば、
叡山、園城寺、奈良の僧をして三座の説法をなさしむる事となり、道俗男女来り集るもの無
数なりしが、共説法いづれも傾聴するに足るものなく、群衆皆嫌馬たり、頼朝の北方も赤失
望して、法然上人の説法を聴聞せんことを請ふ、頼朝弾ひて上人を請す、足に於て上人来り
て、唱名の功徳を述べ念備往生の事を説きたるに、聴衆皆感に堪へたりと。享藤四年の寛本
なり。
俵藤太物語(刊本) 田原藤太秀郷が龍碑の仇敵たる三上山の蝦船 を退治して、龍宮より取れ
ども霊きぬ米俵と祇園精舎の備供養の時に鏡し釣鐘等を返濃として贈られ、又龍碑の加護に
よりて将門を減す事を記せり。
秀衡入(寛本) 牛若奥州に下りて秀衡の館に入り、平氏追討の事を託するに終る。十二段草
子の後を受けたるものにして、牛若の威光と秀衡の豪富とを寛すを主とせり。




17 似 づれ






立勝り
たる




折めくつ
を へ


一、
は鉢
か姫りで節 謀り
ちづき 中








しく












をし




容妹々らた貌 の
技藝
い 延


つ騎

たと
聞て
そ母
、政これ
北を
敷、


し中
ちを



さと
れりきの所きめん京









がせ









極石れるり に
こと







がかり 伴






如か

づ養













な人
将、




より
くきる泉 殺す












明の
、漁之

見て




住と て石夫居る 方
せ岩屋
び路
つけ 封






謀、
とお


母佐藤


語ひ
を姫

海に

投り子ら中む と
し貞


を 呼り







中太宰
時に



ら、べれ族 嫁ぐ
家を











納言 有



前の
姫たに
西




つひ

ま、
住よ彼




屋めらすり り
妻君 て























北方
一人
のを



てむか妻の い





(

)







といふ

中有


と人
白の




納言
本いふ
いめ河君


たり

言五
緒 言 六
花みつ(寛本) 播磨の國守赤松則話の臣岡部某、前妻の出に花みつ、後妻の腹に月みつとい
ふ二人の男子をもてり、戦園の世の習ひ、かよる足手まとひありては奉公のさはりとなるべ
しと、二子をちごとして書寛山の別常に託す。継母花みつの事を父に議し、何彼につけて冷
遇せしかば、花みつは世をはかなみて、日頃親しき二人の僧に弟月みつを殺害しくれよと頼
みて、像め手答を定めおき、みづから月みつに代りて殺さるふ事を叙せり。見物語に継子い
だっめを結びつけたるが比書の特色なり。
美人くらべ(刊本) 丹後少将といふ人五條宰相の姉娘の美人なるを聞き之を要らんとす、宰
相の後妻おのが生みたる妹娘を進めんと欲し、侍に命じて前妻腹の姉娘を失はしめんとせし
に、侍は私に姫を助けて逃れしむ。少将姫の行くへを尋ねて遥に東國に至り、遂に之を伴ひ
て騎り、めでたく夫婦の契を結ぶ。 -
-
花鳥風月(刊本) 葉室中納言の邸に人々集りて扇合を催しけるに、或人の出しふ屋に風キ都
雅なる貴公子と容顔美麗なる上薦とを書きたるあり、或は業平ならんといひ、或は光源氏な
- -
「jj ーシー
らんといひて決せす、終に花鳥風月といふ姉妹の女巫を招き、枠にかけてトはしむ。 刊本と
寛本とは文鮮に異同少からす。
紫式部の巻(刊本) 紫式部が上東門院の仰せをうけ、石山寺に籠りて大斎院のために源氏物
語を作りしこと、安居院法印澄憲僧都が源氏供養として石山寺にて表白文を述ぶることを記
す。諸曲の源氏供養、宇治加賀操の浮瑠璃の源氏供養等と同種のものにして、源氏表白に依
擁したる作物なり。
伊香物語(寛本) 近江伊香郡の郡司基の妻美にして才藝あり、國守基比女を得まほしく思ひ、
郡司某を招き酒興のうへ、賭事に託して郡司勝たば我所領の牛を興ふべし、勝たざれば次の
妻を得さすべしと約して、堅く封じたる文管を出し、比内に和歌の上の句あり、比下の句を
っざけよ、和歌の上下付合ひたらば次が勝なりといふ。郡司家に騎りて妻に謀る、妻石山の
観音に参籠して夢想を請ふべしといふ、郡司之に従ひ満願の日碑託を得て、首尾よく下の句
をつけて、所領を得て富み楽えしとなり。文章よく調ひ同類の書中に一頭地を抜けり、著作
緒 言 七
*
緒 言 入
の時代は明かならねど、或は國學者などの手によりて修整せられしものにあらすや、獅考ふ
べし。
ふくろふ(刊本) 中むかし加賀の國かめわり坂の麓にふくろふ鳥あり、豊姫を継ひ山がらを
媒として、さま〜かき日説き、終に思ひを遂けけるに、かねて豊姫に心ありし上見ぬ鷲、
嫉妬のあまり豊姫を殺害せしかば、ふくろふ悲数の情に堪へす、法師となりて共菩提を吊ふ。
三浦貸春のあた物語(寛永十七年)は之を敷演せしものなれど、和漢儒備の引事うるさく、徳
川期の色彩いちじるし。
胡蝶物語(寛本) 都近く妻子もなく、只春秋の花にうき身をやつし、さま〜草木の種を集
、前栽に植る て之を楽む胡蝶と譚名せられし隠士あり、一朝母を失ひて曾者定離の理を感
じ、草木の色香にめでて道心を失はんことを憂ひ、これをも棄てて東山の漫に墨染の衣を纏
ひ行ひ澄ましょに、或夜数多の上薦の草庵を叩きて教化を請ふより、庵主は懇に備道の難有
き旨を説きたるに、いづれも感動して、まこと我等は賞て上人の寵愛をうけたる花の精なり
C
と語りて、各結縁のために一首の歌を詠むといふに終る。後水尾天皇の御作なりといふ
玉水物語(寛本) 高柳宰相殿の姫君の優にやさしきを、或日狐の垣間見て思慕の情抑へ難く
せ めてあたり近く侍りて切なる心を慰めんものと、女子に鍵じて姫の侍女となり玉水姫と呼
ばれしが、或時紅葉合のありしに、姫君のために珍しき紅葉の枝を求めいでて捧け奉り、一
時にほまれを揚ぐ。比事ありしより時の御門姫君を入内せしめ給ふ。玉水旦喜び旦悲み、一
篇の長歌に苦表を漏らして、もとのすみかに騎る。獅が姫を愛するあまり共身を汚すことを
敢てせざりし酷、比類の小説中において稲異色とすべし。紅葉合と題する異本あり、趣向は
同一なれども文鮮は全く別なり。
鶴のさうし(刊本) 宰相にて右兵衛督を衆ねし人あり、慈悲心深く他人の磯寒を見るに忍び
す、常に衣食を施しょかば家貧しくなりて片山里に籠りぬ。或日猟師の離鶴を捕へて殺さん
とするを見て、さま〜に言ひ岩め、家賞の黄金作の太刀に代へて鶴を放ちやりぬ。翌日や
ごとなき上薦道に迷ひて宰相の庵室に一夜の宿を乞ひ、終に妹背のかたらひを貸す。上薦が

# 言 -
にいと

てなの


詳武を

もの
名引系物語
平こ

魚合り


は。
ける
しど器統家戦 な
ひ菩提
と黒

を改ば

染しに




、消浅茅

露つ播


がしと
なり
めてか
えて 一文字
はし
敗に


て加あり


楠勝互
が戦を
相一薄

集も
ら 類 催
北勢敗ひめ 、


一挑



の焼て


はか薄


透怒大

が聞たる
梅 味きけり 花


い寄として
、仲を

言小とき

つしか
なり
り立萩 よし


、その


際確

姿

八む一

機近吉)
里刊草木

太平り
め重らき野本 と、

繁昌
。め結姫






づる
でたく
なりび は を そ
素性





始は





上宰

退く
悩り
軍宮

来ら相崎 等
類群
めて
まし

り の
時を

より
空中











を以て
垣この

て魔

いで
間見
に兵 遊



宮し




某楽召使


日多下

ひ作黄

人も携

しく
崎りく金

た内大臣

の宰






去り
虚と

飛び
高く
なられ


て助君


しま條

空りけ 、
べ君
誠再生



にま時節


をせり
到来
父ふ


のは





しびたき母




とて


かを




解りけ


草木に因みたる地日も顔る巧なり、思ふに徳川時代の作物なるべし。
歌舞枝草子(寛本) お國が北野の赴頭にて念備踊を興行せし際、見物の中より名古屋山三郎
の亡霊現れいでて、互に懐奮の情を述ぶることを綴れり。小町草紙と似寄りたる趣向なれど、
の和歌に代ふるにこれは小唄を以てしたれば、近代的の情味皇にして、本集中この1信を
見るは拾も累々たる頑石の間に、撫子の一もと咲き出でし感なくばあらす。山三郎お國死後
の作なるべく、元和寛永頃のものならんか。
大正四年四月春雨花を催す夕 校訂 者 藤 井 紫 影

言 一二
---
楚 天國・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二二
のせざる草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三
文正ざうし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一 猫の草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三四一
濱 出 草紙 * ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● - * ● ● ● ● ● ・ 三五一
はちかづき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三毛
小町 草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吾 和泉 式 部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二五吾
御曹子島わたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七一 一寸 法師・・・・・・ * ・・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・・・・・・ 三兵三
唐糸 草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 入丸 さい き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三六丸
木幡ぎつね: 一二 浦島 太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三毛
七草草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三一 横笛 草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三人吾
猿源氏草子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三 酒 呑 童子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三丸
三 人 法師 * ● - - - - - ● - - ● ● - * ● - - ● ● -
三三
物くさ太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二四七
* ● - * ● - * * ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
一交毛 上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三三
さぶれいし
下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三四一
*始 の草紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一七一
大備供養物語・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・三 毛
小 教 盛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二八吾
俵藤太物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・三毛三 、
二十四孝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一丸五

目 録 *
-』顧 ト」
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シ㎞
&
目 録 二
上・・・・・・ ● ● * * ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●● ● ● ● ● ●
三毛三 玉水 物語・・・・・・・・・ ・・、、、、、、、・・・・吾毛三 、
*
下・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * ● ● ● ● ● ● ●
三丸0 上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・吾毛三
秀 衡 、入・・・・・・・・・・・・・・・ ● ● ● ● ● ● ●
四0毛 下・・・・・・・・・ * ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・・・・・吾入三
いはやのさうし・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四一丸 鶴のさうし、 * * 吾丸三
上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四一発 上・・・・・ * ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・・ ・ ・・・ ・ ・・・
吾丸三
下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四三丸 中・・・・・・・・・・・・ ・ ・ ・・・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・・ 六0吾
花 みつ: 四吾毛 下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三0
美人くらべ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四七一 草木太平記・・・・・・ ● ● ● ● ● ● ・ ・ ・ ・ ● ・ ・ ● ●
交三孔
上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ** ● ● *
四毛一 巻上・・・・・・・・・・ ● ● ● ● ・・・・ ・ * ・・
六三丸
下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四入四 巻下・・・・・ * ** ・・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ 六四六
花鳥 風月:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 四丸丸 歌舞枝草子・・・・・・・・ * ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・・ 六
紫式部の巻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吾一七
伊香 物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吾三究
-
ふくろ ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吾四一
胡蝶物語: 吾吾吾
;

\ } しし メ〜4・
-- - - - -
それ昔より今にいたるまで、めでたき事を聞き博ふるに、践しきものの殊のほかになり
いでて、始よりのちまでも、物憂きことなくめでたきは、常陸の國に、競の交配と申
すものにてそ偲りける。そのゆるを尋ぬれば、園中十六郡のうちに、鹿島の大明神とて
霊赴まし〜けり。かの宮の碑主に、大宮司と中す人おはしけるが、長者にてぞましま
しける。四方に四萬の倉をたて、シのたから満ち〜て一っ快けたることもなく
よろづ心にまかせて、いろ〜あり。家のかすは一萬八千軒なり。シに至るまで数を
なんし
しらす、女房たち仲居のもの、八百六十人なり。男子五人ともに、みめかたち藝能萬人
ぶんだ
年頃のものー多
年仕へ しもの
にすぐれたり。又大宮司殿の雑色に、文太といふ者あり、年頃のものなり。下郎なれど

やかし
づうる

心お
よも


ひる主

大の

事も
る事直
正心

たがはじと、宮仕へしけれども
しう
心をみんとや思はれけん、主の大宮司殿、次年頃のものといへ ども、わが心にたがふな
文正 ざうし
り、いかならん虜へも行きて過ぐべし、また思
ひもなほしたらんには、騎りまみれとの給ひけ
れば、文太おもひけるは、たとへ千人萬人あり
といふとも、わが命あらんかぎりは、奉公申す
べきと存じ候ひつるに、かょる仰せくだるうへ
い づくにことも
おろか云々ー何一 は力なし、さりながらいづくにこともおろかに
虚にありとも君
を疎略に思ふこ 思ひ申すべからす、又やがてこそまみり申すべ
となし
しとて、いづちともなく行くほどに、つのをか
が磯、臨焼く浦につきにけり。ある臨屋に入り
て申すゃう、これは旅のものにて候ふ、御目を
うはの空なるも
のー風来の者 かけて給はれと申しければ、あるじ聞きて、う
はの空なるものなれども、見るよりそゞろにい
とほしく思ひて、その家におきける。『数ふる
ほどに、あるじ申しけるは、かくてつれ〜に
おはせんより、臨やく新なりとも、取りたまへと言ひければ、いと易き事なりとて新を
ぞ採りける。もとより大ちからなれば、五六人して持ちけるよりも多くしてぞきたりけ
る。
あるじなのめに悦びて、又なき者と思ひける。かくて年月をふるほどに文太申しけるは、
われも臨やきて賞らばやと思ひ、あるじに申すやう、この年月、奉公つかまつり候ふ御
恩に、麗一っ給はり候へかし、あまりにたよりなく候へば、あきなひしてみ候はんと
しければ、もとよりいとほしく思ひければ、臨釜二つとらせけるに、臨やきて賞りけ
ば、比文太が臨と申すは、こょろよくてくふ人病なく若くなり、また臨の多さつもりも
徳人ー富人
れば、やがて徳人になりたまぶ。年月ふるほどに、いまは長
なりにけるー原
本「なり にけり」
つのをかが磯の臨屋ども皆々従ひける。さるほどに名をか

れ の 間燃 申
とあり、今改 む
へて、文正つねをかとぞ しける。堀のうち七十五町にかいこめて、四方に八十三の倉


須達長者ー天第二
の富豪
をたて、家の棟かす九

闘っくり並べたり。昔の須遊長者もかくやと思ひける。されば

-
主な嫌 ひそ云々
ー主人の身分を
常陸の國のものども比頃 となれば、主な嫌ひそ、恩をきらへ、なにか苦しかるべき


論ぜず恩の厚薄 市交
を思へ となり
71
る。しかれば家の子郎賞に至るまで、三百除人のほか、雑
文正 ざうし 三
刈 、 しもべに至るまで、そのかす知らす。たからはいかなる十善の君と中すとも
これには過ぎじとぞ寛えける。
なんし によし
さりながら男子にても女子にても、子はなかりける。あるとき大宮司殿比よしきこしめ
し、さても不思議におほしめし、彼を召して尋ねんと思ひ給ひ、文太をぞ召されける。久
しくまみり候はねば、うれしく思ひて、いそぎまるりける。大庭にかしこまりてる申し
ける。大宮司殿御覧 して、その身こそ隠しきとも、めでたきものなれば、いかで庭には
置くべきとて、これへ〜とこそ召されける。 さるほどに文太は厳様まてそまるりける。
大宮司殿のたまひけるは、文太はまことや限りなき長者となり、十善の君にてましますと
も、われにはいかで勝り給ふべきと、かたじけなくも申すとかや、さやうに冥加なきこ
御事ー候事の誤
にて、質を持ち
と、何とてか申すぞとのたまへば、文太かしこまつて申すやう、わが身のいやしき有様
て候ふ事と績く
なるべし、一本
にて、これ程の質を持ちて御事おほえす、あやなく申して候なりと申しければ、いか程
には 「かやうに
質をもち候こと のたからなれば、かやうに思ふぞとのたまへば、金銀綾錦、七珍萬質かすしらす、四方
よと思ひ候まく
あや、なく申して にっくり並べたる倉を申すにかす知らすとぞ申しける。大宮司殿きこしめし、誠にめで
御座候へ」 とあ
り たきものの果報かな、さて末を継ぐべき子はあるかとの給へば、未だ候はすと申しける。
ったなきー果報
乏しき それこそったなきことなれ、人の身には子ほどの資よもあらじ、たゞその資を祀艦にま
是非なくー遮二
無二
みらせん、一人にても子を申すべしとの給へば、文太けにもと思ひ、家に騎りて是非な
既にー早くも
く女房を叱り、既に追ひいだす。女房これはいかなる事ぞと騒ぎければ、文正申しける
は、大宮司殿一人の子をもたぬ事を、本意なくおほしめすなり、いそぎ子を産みてたび
候へと申しければ、甘州の時だにうまぬ子が、四十になりて何として叶ふべき、その儀
ならば力なしと言ひければ、文正けにもと思ひ、大宮司殿も碑備にも申せとこそ仰せら
れっれと思ひて、さらば碑備へまみりて申しうくべしと申しける。女房けにもと思ひ、七
日精進して、鹿島の大明神へぞまみりける。いろ〜の質をまみらせ、三十三度のェ
をして、ねがはくは一人の子をたび給へとぞ所り申しける、七日と申すシに、かたじ
さり難きーM内み
がたき けなくも御賞殿の御戸を開き給ひ、誠にけだかき御盤にて、次申すところさり難きによ

、この七日のうち到らぬ虜なく求むれども、次が子になるべき者なし、さりながらこ
れをたぶとて、シを二ふさ給はりて、かき消すゃうに失せにけり。


文正よろこび、八箇國にすぐれたる男子を生ましめ給へとぞ申しける。九

C)
月の苦み十月のするには、産の紐をときたる。三十二相たらひたるいつくしき魔にてあ
文正 ざうし 五
御伽 草紙 六
りける。文正腹をたて、約束申せしかひもなく、女を生みたる事よとて叱りける。その
おとなしき女房
ー頭だちたる老
なかに、おとなしき女房たち申すやう、人の子に姫君こそ末繁昌してめでたき御事にて

かいしゃくー介
候へと申しければ、さらばうちへ入れ申せとて、龍愛申しける。シかいしやくまでも ひめこ ぜん
錯、附添
みめょきをすぐり付けにけり。又つぎの年も尚光るほどの姫御前をまうけける。文正な
にぞと申せば、いつものものと申しける。文正腹をたて、さきこそ約束たがへめ、さの
めい ミ *
みはいかで人の命を背き給ふぞ、その子を具して、いそぎ出で給へと、吐りけること限
おんまへ
は な


なし。その時御前にありし人々申しけるは、男子にてましまさば、大宮司殿にこそつ
すぐ

ほ な か

させ給はんに、御かたち勝れたる姫たちにて候へば、國々の大名、いづれか婚に
きんだち
*
らせ給はざるべき、又は大宮司殿の公達と申すとも、御むこにならせ給ふべし、これ
ど然るべきことなしと申しければ、その時文正けにもと思ひ、さらばとく〜入れ申
めのさこ


** * きf * * * さ *
とありければ、見るに姉御前よりもいつくしく有りければ、又乳母かいしやくまでも
要想ー夢中の碑
みめかたちよきを揃へてつけにけり。姫たちの御名をば夢想にまかせ、れんけを給はる
、㎞㎞*~ タさ
と見たれば、姉は蓮華妹を連御前と付け、いつきかしづき給ふほどに、年月かさなり、光
かきり こん
るほどの君に見え給ふ。よみ書よろづ利根にて歌草子ならぶかたなし。これを聞き八箇
園の大名たち、われも〜と心をつくし、シかぎりな
るあづまに生れけるぞや、都のほとりにも生れなば、世にあるか
も心がけ、さて世の常のことは思ひよらすと思はれける。文正は

仰せをかうぶり、面目と思ひて、姫に比よし申せば に
ち、は、


給ふ。父母も子ながら心にたがはじと、もてなし給ふ。比姫た

る 。






い\















㎞ 正比ょしをきょ 西の にシをたて、同弾院の三奪をする拳り、心のま に たちを
㎞」まるシ。かゃうに用心深くいたせば、道にて奪ひとる事もかなはす。大 司殿比
よしを聞召し、文正を召して、次まことや光るほどの姫をもちたると聞く、大名たちの
へいだすべからず、わが子にいだすべしとの給へば、文正うれしく思び、やがてわが
家にかへり、あなめでたや、大宮司殿の公選を、婚にとるなり、皆々御ともせよとのょ
しりける。やがて姫たちのかたへ行きて、めでたや、大宮司殿よめにすべきよし仰せ候
㎞ ふと中しける。姫たちは浅ましけなるけしきにて、涙の色みえければ、呆れはててそみた
㎞。一りける。姫たち仰せけるは、いかなる女御后にも、又は位たかき公達などこそ、もしも
文正 ざうし - 七

御伽 草紙
思ひつき候はんすれ、さなくば尼になりて後
く、大宮司殿に比有様を申せば、大宮司殿は腹をたて、次が子共の分として、みづから
を嫌はんこと不思議なれ、いそぎまるらせすば次を罪科に及ばすべしとの給へば、文正
又娘のかたへ行き、比よし申しければ、姫たち仰せけるは、かやうの道はたかきも践し
きにもよらぬ事にて候へ、たゞ足になりて、うき世を鷹ふか、さなくば淵河へも身をい
れんと敷きける。文正さめ〜と泣きて、又大宮司殿へまみり、比よしを申しければ、そ
れほどの儀ならば、力なしとぞ仰せける。さてその後、衛府の蔵人みちしけと中す人、常
陸の國司を給はりてくだり給ひけり。比人はなのめならす色好みにて、いかなるやまが
っ眼の女なりとも、みめかたち世にすぐれたる人をと心がけておはしける。園中の大名
見せけれどもー
女を見せたる也
たち、われも〜と見せけれども、心にあはすして、あかし幕し給ひけり。ある人中す
やう、鹿島の大宮司の雑色に文正と申すもの、光るほどの娘を持ちて候ふ、國中大名わ
れも〜と申されけれども、用ひ候はす、これは天人のあまくだり給ふかと、おほえ候
主の大宮司ー比
ほどの娘二人もちて候ふ、主の大宮司仰せられて召され候へかしと申しければ、よろこ
下に「に」の字を
添へ て見るべし び給ひ、大宮司を召し、まことやみうちの雑色に、文正とやらんもの、ならびなき娘を
よろこびー返濃 もちたる山うけ給はりて候ふ、御はからひにて給はり候へ、そのよろこびは國司をゆづ
り申すべしとの給へば、かしこまつて候へども、すべて人の中すことをも聞かす、親の
にも従はす候ふなり、さりながら中してみ候はんとて、御まへをたち給ふ。文正も御
とも申しけるを召して、かょるめでたき事なれば、次が娘を國司の御みだいに参らせよ
と仰せあり、さあらば國司をわれに給はらんとなり、次をば大官になすべきなり、面目比

りながら親の申すことを用ひぬものにて候へば、いかゞ申し候はんとて騎りける。
門の程より、あなめでたやシは持っべき切なり 園司の御可になるそゃみな〜用意
めてたき事なり
ー比下に脱文あ して御とも中せと申しっょ、娘に向ひて中すやう、さて〜めでたき事なり、いち〜
るべし
に中せばこれをも受けでさめ〜と泣きて居たりける。母も文正もこれをさへ嫌ひ給ふ
ことの浅ましさよ、比事叶はぬものならば、つねをか何となるべきと言ひて、いろ〜
中せども薬事もせす。あまりにB説きければ 鶴たちは大宮司殿の公達を嫌ひて候へば
大宮司殿も心のうちは、さこそ思召さん、たゞ身を投けんとぞ申しける。
比うへはとて、大宮司殿へまみり比よし申しければ、大宮司殿は、國司へはじめより終
文正 さ うし 九
御伽 草 紙 一○
まで語り給へば、比よし蹴落し、眠程はあひみん事を思ひて、ものうき離の住居もなぐ
さみぬ、今はそのかひなしとて、都へのほり給ひける。日敷かさなりて、都へつかせ給
天下ー正しくは ふ。まっ天下の御腕へ参りける。折ふし國々の 証ども備りしに、衛府の蔵人、わが心
殿下とあるべし
にかふるまふに申しけるは、いづれの國と中すとも、常陸の國ほど不思議なる者のある
二位ー原本 「三
位」 とあり、一
國は候ふまじと申しければ、てんかの御子に二位の中将殿、比由きこしめし、何事や
本によりて改む
らんと御尋ねありければ、鹿島の大宮司と中すものが雑色に、文正と中すもの、いか
七萬質ー七珍高
質の 誤なるべし
る前世のいはれにや、七萬賞たからに飽きみち楽み薬ゆるのみならす候ふ、かの大明碑
より御利生に給はりたる姫を二人もちて候ふが、優にやさしく光る程のみめかたち、心


ざま藝能にいたるまで、人間のわざとも豊えす候ふときふ、みちしけもとかく中して
ひしかども、更に脆くけしきもなく候ふ、毛の大宮司をはじめて、園々の大名共、われ
も〜と申しけれども聞きいれす、ふたりの親が中すことも聴かす候ふと、語り申しけ
れば、中将殿はつく〜と哺省し、やがて見ぬ隷とならせ給ひて、いつとなく悩み給ふ。
その頃しかるべき公卿殿上人の姫君たちを、われも〜と申されけれども、更にきょ
まん こころ
てんか
いれ給はす、うちふし給ひける。殿下もきたの政所、御所りさま〜なり。やう〜月

日もたちければ、秋のなかばなれば、隈なき月にあこがれ、中将殿たちいで給ひければ

なぐさみ申さんとて、管舷をぞはじめ給ひ、さまム〜の御あそび共あり、中将殿かくな
ん、
月見ればー比歌
一本に 「月見れ 月見ればやらんかたなく悲しきをこととふ人のなど無かるらん
どゃ るかたもな
く悲しきは人も かやうによませ給ひて、袖を顔にあて涙ぐませ給ひて、又うちふし給ふを、兵衛のすけ
とひこぬ秋の夜
すがら」 とあり みとゞめ申して、比ほど君の例ならぬ御うち、いかなる御事にやと思ひ候へば、人しれ
みとぶ めーみと
がめの術か す物思はせ給ひけるを、今までさとり中さぬ事よとて、兵衛のすけ、式部の大夫、とう
御うちー御こく
ちの術なるべし まのすけ、三人御まへにまみりて申しけるは、これ程におほしめし候ふ御ことを、仰せ
御事ー原本 「御
申」 とあり、今
改む
もいださせ給はす、いかなるシまでも奪ね中すべし、何か苦しく候ふべきなどと申し
ければ、包めど色にいでけることの恥しさよとおほしめし、われながらうはの容なるや
うに、樺り多く侍れども、今は何をか包むべき、過ぎにし春のころ、衛府の蔵人が物語
り候ひし大宮司がうちの雑色に、文正むすめに、かたちすぐれたるを持ちたる由をきょ

しより、一すちに思ひ侍るなり、人をくだして召
して召したけれども、世のそしりも揮りあれ
ば、たぶ思ひに身をくだき候ふとて、御涙にむせび給ひければ、人々中されけるは、昔
文正 ざうし 一
『ーーーー= --
㎞ 『_
御伽 草紙 一二
より㎞の道かくこそ候へ、たゞ常陸の國へ御とも申してくだり候はんと申しければ 中
将殿の御よろこびは限りなし。かくは申しながら、いかゞして下り申すべき、都にてだ
にもまぎれなく、いつくしくましますに、あづまの奥にては、いよ〜まがふかたも有
るべからすと、案じめぐらすに、た“商人のまねをして、いろ〜の質物をもちたらば
せんだんびつー
然るべしとて、さま〜の物をもちて、各々せんだんびつを背負ひ、既に下らんとぞし
商人




&こ ちくは、
の用ふる器なり
給ひける。中将殿、さすがはるム〜の道に赴き給はんに、今一度父母たちにも見えた
おぼしめ
まつらんと思召し、御前に参り給 へ ば、比 程は何とやらん悩みがちにておはしませし
をしんごく
が、立ちいで給ふうれしさよと、よろこびあひ給へば、中将殿は、滋園へ下らん事もし
ろしめさす、「あとにて敷き給はんことよと、なけき御涙ぐみ給へば、御ふたところなが
ら、袖を顔にあて給ふ。中将殿思ひきつていで給ひけり。御心のうちかきくれて、御装
&んなほし
束をぬぎおかせ給ひて、 御直衣の袖にかくなん
あづまち












こふ
のか
東路
置く
ぬぎそ

東路のー比歌 一



なり て
ふま



くれ



なく
わら
脱ぎ け
は おく


を み

のか
かやうにあそばして、いつ召しなれたる
れる神と思ふ
なよ君」 とあり 御ともの人々、同じくやつれくだり給ふ。中将殿は十八、式部の大夫二十五、いづれも
シにて、いっくしかりける御姿にて、御身をやっし下り給へども まがふべきかた
もなし。十月十日あまりのころ、都をたち出でさせ給ひて、常陸の國へぞくだり給ふ。道
すがら歌をよみ、心をすまし、物あはれにおほしめし、よろづ草木までも、御目をとゞ
めて、人々と伴ひくだり給ふ程に、ある山を御覧じて、
身をしれば鍵ぞくるしきものぞとてさこそは鹿のひとり鳴くらん
ありあけ
有明のくまなき空を御らんじて、うらやましとおほしめし、
うらやまし影もかはらすすむ月のわれには最雲れ秋のそらか
しきぶの大夫
くもらんーくも
めぐりあはん程こそくもらん月影はつひに雲井のひかりましなん
らめの術か やつはし
から衣云々ー伊
かくて物ごとに祀ひ申し、行くほどに三河の國八橋を過ぎ給ふに、から衣きつ よなれに
勢物語、「から衣 ノ、もで やまなか
きっく馴れにし
つましあればは し古も、今のやうに思召しつゞけて、蜘手に物をこそおもひ給ひけれ。ある山中にて、年
おきな ミ
る1〜きぬる旅
をしぞ思ふ」 のよはひ七八十ばかりなる翁の、見たてまつり て、おの〜いかなる人にてましますぞ
あきびこ
と申しければ、これは都より物うりにくだる商人にて候ふが、常陸の國へくだり候ふと
蜘手に物を云々
ー績古今、十一
「緑せよと なれ
る三河の八橋の の給へば、いや〜商人らとは見中さす候ふ、比頃天下の御子に二位の中将殿と見申し
文正 ざう し -

一三
御伽 草 紙 一四
㎞ょ一て候ふ、慰路に迷
比かな」
ひいでさせ給ひて候ふか、比くれにおほしめす人に必す逢はせ給ふべ
し、比翁よく見申して候ふぞと中しけるに、そらおそろしく思召しながら、思ふ人にひ
き合せべきといふが嫡しきにとて、御小袖一かさね取りいだして、彼の翁にたびける。
これは聞ゆる児麗しの貼にて候ふとて、かき消すゃうに失せにけり。
さてその後はたのもしく思召して、御足のいたさも豊えすいそぎ下り給ふ。 は二位
あそ
る御怨みもやとて、住み給ひしかたを御覧じ給へば、ぬぎおき給ひし直垂の袖に、
ばしたるを御覧じて、すこしたのもしく思召しける。さ
おんつ や
まづ鹿島の大明碑へまみり給ひて、御通夜中させたまひ、
よもすがら
給へと、終夜斬念中させ給ひて、あくれば下向し給
ギよ
けり。ある家にたちよりて尋ね給
へは、あるじ道しるべして教へ申しけるに、文正が艦七十町の築地をっき、かよる田舎
にもめでたき虜ありけりと思召し、立ちやすらひておはしけるに、ド の出でて中しけ



なり
うより




ば物
るは、いかなる人
い ぞと問 けれ に 下りて候 の給へば、さ
あい させー愛さ
せなるべし
やうの事をこそ足にあいさせ給ひ候へ、申し入れ候はんと言ひければ、嫡しくてやがて
ってきて入り給ふが、賞物にとりては、かぶり装東、紫の指 %、あふぎ、女房の撃
東、春秋の吉野泊瀬の花、いろ〜をつくし織りたる紅梅、うめ、さくら、柳の稀の春
風にみだれて物そ思ひける。契のはどは知らねども、 にのみきくの水、心っくしぶね
さ〜

こ れて出でにし山吹の、色をしるべにあこがれて、逢ふに命もながらへて、結びかけ
; 衣 ろ姦 た
に* る


契をもめしたくや候ふ。夏は涼しきシゃをしどり織りかけて 部かさねの服

の百首を ひっくしをのはながされ 「五条のこpしき人をみちのくの、しの




*)

は尋ぬれど、あはれを誰かさょがにの、蜘手に物や思ふらんをも、めしたくや。秋
に は

もみちの色ふかき、思ふ心のあみぞめかは、名のみして袖は 朽葉にあこが れて、継路


まよふ道芝の、露うちはらふ白菊の、うつろふ道もめしたくや候ふ。冬は雪間に根を
ませば、やがてか人を見るべき、富士のけぶりの空に消ゆる身のゆくへこそあはれなれ、

のたよりのことづてもがな、心のうちの苦しさも、せめてはかくと知らせばやと、色
具足ー道具
みのっぼー一本
おりたるもめしたくや候ふ。春にとりては自きあかきかけおび、九帳ひきものなどもめ
「るりのつぼ」と
あり したくや候ふ。さて具足のいろ〜は、手営観にかけごなり、又みのつほにあひそへて
文正 ざうし
-

-
一六
御伽 草 紙
うすやう
たくうがる
さこよせちる
すみ、筆、沈、瞬
豊のあかり云々 豊のあかりの節曾には、くし、畳紙、紅、むらさき、色ふかき薄様、
ー一本に 「豊の
すけの枕、か
あかりの節曾の
揃、過紙にとり
香、たき物なども候ふなり。枕のすぐれて覚ゆるは、殊にやさしき花枕、こ

にひまくら

驚親
難 枕、鏡にとり ては、しろが
ては云々」 とあ
るよろし
ら枕 継路に達ふうき枕 派の枕を並べっょ、人にはじめて

までも、数を
ねのうらなる、とりのむかひたる唐の鏡や、ひわ、小鳥、驚、ひよ鳥など
かやうにやさしき賞物ど
つくして婦つけたる鏡や召され候ふと、詞に花を咲かせつょ、
ども多けれ
も継の心をたよりとや、聞きしる人もあるやとて賞り給ふ。文正が内のもの

やまがつー原本
「やましろ」とあ
ども、やまがっなれば間き知らす。女房たちのそのなかに都人にてありけるが、情
とて、姫君のかいしやく
り、一本により く、譲みかき和歌の道にくらからす、みめかたちいつくしき人
て改む
ゞ人ならぬ風情なり、賞
に付けたりしが、比商人をうち見つょ、姿ありさまに至るまで、た
たち聞き及びあこが
物の言葉つゞき、いとやさしき人なり、不思議なり、もし若殿上人
れて、是まで下り給ふかと、あやしけにこそ思ひけれ。 いまだかやうのおもしろき質物こ
そ候はね。聞かせ給へと言ひければ、文正も出居の窓あけて聞きっれば、さもおもしろく
面白くは賞り給ふぞ、今
ぞ豊えける。あの殿ばらは、 いづくの人にてましませば、かく
一度質り給へと申せ。人々日を見あはせて、これこそ聞ゆる文正よとて、又さきの如く
資りたまふ。あまりおもしろきに、二三度までぞ賞らせける。いかにしてか比人々をこ
れにとゞめんと思ひ、あの殿ばらたち、宿はいづくにて候ふと問ひければ、宿は候はす
足へすぐにまみりて候ふと申し給へば、うれしと思ひ、やがてなかの出居に入れたてま
つり、御足の湯などいだしければ、とうまのすけ御足をすましければ、 兵衛のすけ、ね
ねりぬきー生経
を経とし練経を りぬきの御手ぬぐひにてのごひ申しけり。中将殿は御身も衰へ やせ給へども、なほ人に
緯として織りた
る絹 はすぐれ見え給ひけり。文正がうちの者ども中しけるは、せんだんびつもちたる男、大
事のはんざう麗に足を入れて、一人は洗ひ、今一人はいつくしき絹にてのごひ候ふ惜
はんじん じやう
しさよとて笑ひける。文正、京商人ははづかしきぞ、飯など尋常にしてまみらせよと言
たかっ き しゆ な、そく
ひければ、高邦に八種の具足し、皆々同じやうにして据る ける。おの〜は取りおろし
ければ、都人はをかしきものや、あのやせ男に物をくはせて、ひれふすやうにして、食
ひもならはぬやらん、そなへを皆とりおろして食ひけるをかしさよと笑ひける。文正出
横座ー上座
居に出でて、比人々に酒をすょめんとて、色々の者をこしらへいだし、艦座に直り、さ
あるじ闘白ー主
は最も貴きも
かづきを取りて中すゃう、あるじ闘目と中す事の候へば、まっ飲み候ふべしとて、三度
のとの冠
のみて後に、中将殿にまみらせければ、力なくてまみりけり。御ともの人々、目もくるふ
文正 ざうし 一七
下ー

御伽 草 紙 一八
*もして、 ほど しきものはなし、院よりほかは、たれか#よりさきに**
ふべきとて、おの〜涙をながす。中将殿もあさましく思召しけれども、力なくまみり
つねをかー文正 ける。さて文正、酒のる ひのまょ申しけるは、つねをか践しきものにて候へども、鹿島
の名
の大明神より給はりて、みめよき姫を二人もちて候ふが、主などのやうにもてなし候ふ
八箇園の大名たちわれも〜と申され候へども、更に肺かす、つねをか 毛の大宮司殿
よめにとおほせ候へども、従ひ中さす候ふ、又國司に下り給ひし京上薦も、とかく仰せ
候へども、只一筋に備道を願ひ申すなり、その女房たちにみめ能きがあまた候ふ、傾城
ほしくば、十人も二十人もまみらせ中すべし、しばらくこれに御返留候うて、御あそび
候へと申しけり。
中将殿をはじめて、をかしくぞ聞き給ふ。共後いつくしき物ども、箱のなかに入れて姫
君のかたへとてつかはされける。姫たち御覧じて、多くの物を見つれども、これ程めづ
君ゆるにー比歌
一本に 「君ゆる
に迷ひきにける
らしき物をいまだ見すとて見給へば、観の下に組葉がさねの薄様に
陸奥の忍ぶ心を いろの深さをいかで知らせん
君ゆる に継路にまよふ道芝の
あはれ とも 思
へ」 とあり 姫君これを見給ひて、顔打ちあかめて、つょましながら見給へば、筆のながれ、最っき
いまだ見馴れぬなり、比年月多くの姿を見つれども、これ程いっくしきは見さりける。物
を賞りっる詞つき、さればこそと思ひて、姉姫はかへし給ふを、かいしやくの女房たち、こ
れ程やさしきものを、御かへし候へば、色をも知らぬやうに畳え候ふ、たゞ御とめ候へと
申しければ、けにもとおほしけん、とゞめ給ふなり。又妹、比いろ〜を御覧じて義みけ
れば、文正申しけるは、つねをか娘を二人もちて候ふ、さきに給はり候ふものを、いもう
と義み申し候ふ、これにも給はり候へと申しければ、かねてより用意しておき給 へ ば、
劣らぬいつくしき物どもを贈り給ひける。文正中しけるは、殿ばらたち、つれん〜にま
しまさば、比西の御堂へまみりて、なぐさみ給へと申しけり。やがて御堂へ参り御覧す
るに、まことに奪くありがたき心ちして、かなたこなた見給へば、琵琶琴たて拉べおき
たるを御覧じて、めづらしく思召し、琵琶をひき寄せひかせ給ふ。兵衛のすけ琴をひき
とうまのすけ空を吹き、式部の大夫笛を吹き、おもしろく感涙をながしける。文正が内
のものこれを聞きて、よしなき人を御堂へ入れ給ひて、垣壁をやぶるらん、ひしめき候





ざだる 遅く

-
ふ と中しければ、文正中 すは、見て来れと申しける。十人ばかり行きて、遅くかへる
〜 〜プA、も



未 こ


どに、又二十人ほど行けどもかへらす。あれ行きこれゆき、行く程に皆々ゆきてかへ

-
文正 ざうし 一九
二○
らす。文正不思議に思ひて、いそぎ行きてみる
に三百人自洲になみ居たり。近くよりてきょ
ければ、管舷の 耳にあきれたる魔術なり。お
もしろさ奪さ、心もおよばす。これほど面自く
ありがたきことを、今まで聞かざりし事のうた
てさよ、ありがたく罪もきえ候ふ、御引出物中
かねてよりー前
さんとて、さま〜の物まみらせければ、比人
以て
人かねてより智引出物取り給ふとて笑ひ給ふ。
姫君はありし観の下の文、人しれす心にかふり
けれども、いひ博ふべきたよりもなし。共うへ
ひととせ下り給ひし國司よりも、したの人にて
有らんと思ひ園れ給ひけり。文正つかひを立て
て申しけるは、わが姫たち、今度は聞かすべく
候ふあひだ、今一度面白く引き給へと申しける。
中将殿みな〜
ー中将殿を初め
中将殿みな〜嫡しくおほしめし、ひきつくろひて御堂へうつらせ給ふ。姫君たちもひ
きっくろひ、女房たち、はしたものにいたるまで、心も及ばす出でたょせ、御堂へ入り
一同の意
かたみなか だっんじやかう
給ふ。片田舎とも豊えす、心にくき風情にて、沈職香のにほひ満ち〜て、由あるさま
なれば、いっよりも御心を澄まして、琵琶をひかせ給ふ。姫君はきょしり給ひて鍵 の
けだかさ、シっきたる手あっかひも、たとへんかたなし。御身をやっし給へども、魔
にけだかくいっくしく、いかなる風のたよりもがなと思召しける。をりふし嵐烈しく吹
きて魔をさっと吹きあけたるひまより、姫君と中将殿の御目を見あはせ給ひける。
彼の城君の御ありさま、姫の李夫人楊貴妃もこれには過ぎじとぞ見え給ふ。いよ〜た
しなみ、琴琶をひきあはせ吹きならし給へば、聴聞の人々、あまりのおもしろさに随
歪をばしらめて
ーしらめはしら 喜の涙を流しける。姫たちの心のうちたとへんかたなし。文正又歪をばしらめて、中将
べにて調ふる意
なるべし
殿にさしにけり。力なくまみりて、又っねをかに給へば、いつぞやも申して候ふ、御き
らひ候ふか、姫のかたにみめよき女房たち多く候ふ、いづれにても召され候へ、これよ
り北に候ふとて指をさして教へける。人々日を見あはせて、御心の悪おしはかり、嫡し
く候ふとて笑ひ給ふ。さてその夜をすごし給ふべしとも豊えねば、人しづまりて忍び入



二一


*

-
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御、伽 草紙 二二
り給へば、姫君もありつる姿忘れやらす思ひ給ひ、格子もおろさす、月くまなきを眺め
っょ居給ふをりふし、中将殿八重の垣を忍び入りたまへば、例ならす男の影見えけれ
ば、胸うちさわぎ、かたはらに入り給へば、中将殿もともに入らせ給ひ、御そばに添ひ
ふさせ給へば、かの人やらん、おそろしくもあさましく、さしも人々をきらひ、商人に
ちぎりを結びて、父母の間き給はんこと、悲しくはづかしくて、思ひよるまじきよしの
あふ人からのー 給へば、中将殿もことわりと思召し、衛府の蔵人語りしより、はじめ今までかきくどき
古今十三 「長し
とも思ひぞはて
め昔より逢ふ人 語り給ふに、 姫君もうち解け給ひ、いつしか浅からす契り給ふ。さるほどに秋の長き夜」
からの秋の夜な
れば」 なれども、あふ人からのしのふめ早くしらみければ、
こ ひ、〜てー比
歌 一本に 「こ ひ こひ〜てあひ見しよはの短きは陸語っきぬにひまくらかな
こ ひて逢ふ夜は
秋も短きに月は と、か様にの給へば、姫君打ちそばみつふ、
つれなく残るあ
りあけ」 とあり かすならぬ身には短きよはならしさてしも知らぬしのふめの空
かずならぬー比
歌も 「かず なら それより天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とぞ契り給ひけり。
ぬ身は秋の夜の
短きと思ひもあ 忍ぶとすれど露れてさょやきあへり。母上も聞き給ひて、あさましや、大名たちを嫌ひ
へ ず東雲の空」
とあり
て商人にちぎりし事の悲しさよ、商人につけて追ひいださんとぞ申しけるほどに、文正
がところにこそ、都より下りたる商人を愛しおきて管舷させるよし、大宮司殿きこしめ
し、御つかひありしかば、文正うけたまはり、かしこまつて候ふとて、商人に申しける
は、大宮司殿御 間あらんとの給ふあひだ かっよりもひきっくろひて、管競し給へと
申しければ、今日こそあらはれんと思召し、皇子にての御しやうぞく、いづれももた
給へば、御かぶり束帯の姿にて、かねつけ眉つくり給へば、心も詞も及ばす、いつくし
く見えたまふなり。文正がうちの者これを見て、商人はいづれやらん、たと離備の現れ
たまふかと驚きける。大宮司殿、公達五人っれ給ひて、興にて入らせ給ひ、御 の正面
を見給へば、中将殿と見給ひ、肝をけし興よりころび落ち、挑も天下の御子に、二位の
中将殿うせさせたまふとて、國々を尋ねまみらせ給ふとうけたまはり候ふ、これにまし
さ るほど
り、あさましや、人の目をみすまじきものは京の商人なり、かたじけなくも
わが君をなめけに中すと、ふるひ
に 泣きけり。大宮司殿は文正を召し、次知らすや、かた一

じけなくもてんか殿の御子に、二位の中将殿と中して、拉ぶかたなき御人なり、さても
文正 ざうし 二三
1} j ? -*} "- * ーーー』

な給


か、



姿
し て
なは

給姫し君
。 る り 女房
かける

は。 を
たち
い飾り
しく
、飾給
金て

に 上、

都見人まつく
き義
換 くざ として
銀りる わも
、と

ま。

り文けが
四の
た物
倉い用
は れみる正方車 國
御から

とつの 大萬

一御



とけり
参り

かに
しや殿
は大の
北を
はもに
宮司
の方
じめ
名いく る
申。

ける
殿


姫具

を、


ほん


都思御
とい立ち
たま


ふし君ら
召で れ



集まける
りこほど
。めでたき

ひは

給、





ひりみれきけ宮司

どの
か御


、を

わへ
宿う中


大けれ

國ふば
にわ

つし
らき名れ うち
が箇 戻けり
へどは

。天ぞ



も狂

にば税
ふび
けかり
大りの下るほど

商人
思、

つる
ての
御て
わ給


知と

夢赤し

、ひ子面 繋
たらせ
んか
らす になんと
加申し




文たま
うけ
はり
まひも

肝す心
失し

こ一
てっき正しるの 御伽
草紙


なるものの子なりとも、おろかには思ふべからすとて、も
り誠にいつくしさ警へんかたなし。いかなる故に文正と

せ給ふ。天下の北の政歴も、た“夢の心ちせさせ給ひて、嫡
の七重ぎぬに、
えいそのシ
さくらのくれなみ椅、にほ


やうがう
らんが子に生れ給ふらん、ひとへに天人の影向かと、御寵愛かぎりなし。こんどの御ょ一
びにとて、常陸の國を大宮司にたびにけり。さて中将殿みかどへまみり給へば、比
程は隷しきをりふしに、御よろこび警へんかたなし。やがて大将にぞなし給ふ。さて比
程の事ども御奪ねありけるに、いち〜語り給ふ。 おはせありけるは、妹さだめてよ
かるらんとの給へば、姉よりもまさりて候ふと申し給へば、やがて宣旨をくだされけり。
文正比山きよ、宣旨かたじけなくは候へども、姉は力なし、妹は比國におき候うて、あさ
ゆふ見参らせでは叶ふまじき由申しければ、そのよし奏しけるに、さらばとて父母とも
に都へ召しけり。帝御覧すれば、姉君よりもいつくしく思召し、御寵愛かぎりなし。よ
き子をもちぬれば、文正七十にて宰相にぞなされて、引きあけ給へば、五十ばかりにぞ
見えにける。姫君は女御になり給ふ。さるほどに例ならす悩み給へば、帝をはじめさわ
ぎ給へば、ひきかへ御よろこび限りなし。十月と中すに、御産平安し給ひて、 手をそ
おはちこの宰相 産み給ふ。御めのとには、闘自殿の姫君、中宮にまみり給ひぬ。又おほちこの宰相は、や
ー「こ」の字不用
なるべし
がて大納言になされけり。践しき職賞の文正なれども、かやうにめでたき果報ども、中
中中すにおよばれす、母も二位殿とぞ中しける。いかなる過去のおこなひにやらん、み
文正 ざうし 二五
-』『j。。。「「「 。
御伽 草 紙 二六
なみな繁昌して豪華にはこり、年さへわかく見え給ひ、下シおほくめし使ひ、女房
たち上下にいたるまで人に用ひられ、楽輝にほこり給ふ。
さるほどに大納言は高きところに塔をたて、大河に舟をうかめ、小河に橋をかけ、善根
かすをつくし給ふ。いづれも〜御いのち百歳にあまるまで保ち給ふぞめでたき。まづ
まづめだたき事のはじめには、比草子を御覧じあるべく候ふ。


はち かづき
一中昔の事にやありけん、河内の園変野の途に備中の守さねたかといふ人まし〜けり。
かすの資を持ち給ふ。他き満ちて乏しきこともましまさすェに心をよせけるが
花のもとにては散りなんことを悲み、歌をよみ詩をっくり、のどけき空をながめ暮らし
給ひける。北の御方は古今、萬葉、伊勢物語、かすの脚子を御覧じて、月の前にて夜を
あかし、入りなんことを悲み、あかし暮らし給ひっょ心に残ることもなし。シのむす

かなる事にや、姫君一人設けたまひて、父
くていつきかしづき給ふ事かぎりなし。あ
観音に参りては、かの姫君のする
ろ 果

ふる
ほど
に、姫君十三と申せし年、母上例ならす風の心地との給ひて、一日二日と申せ
はち かづき 二七
破格なるも原本
切改めず

かくこそ詠じ給
ひけるー係結の
のまくにして 一

かんざしー髪

。 まける上み を
ひこそ
給詠じ
母せ
かく


ら き
ほょ

の隠上
そ、

にかし

どるのせ ぐ










けん
られ
入君
か る
にれ 何





だ取手
い管
そど
なる

しりば と









ひ給
。 上 ともに
なける
がし もふ
も姫給
。なさよ



まし
がし
ろ君 一
あ、
こす
ん置有
ていし

様 さとか なに
とけなき か


お心

、やおき
らす
すく

き も線
い、
にな十
も八




かなる
っけし ざ
らあけ


撫かて
を の

づんざし
か むでけ ち

姫けれ

ば見に
か今
ほぎり
し君えど
こう 17

こ い





頼ぞ
観世音
ふさしも
草かく

- こ ぬる
かせ


なり
空しく
遂ながめ

てひ
うち

ふ。父大きに驚き泣き給ひて、いとけなき姫をば何とて棄ておき、いづくとも知らすか
くなり給ふと、泣き給へどかひぞなき。かくてさして有るべきならねば、なごりつきせ
す思へども、むなしき野遽に送りすて、花のすがたも煙となる、月のかたちは風となり、
散りはっるこそいたはしけれ。かくて父御前蹴君をちかづけまるらせて、いたとき給
ひたる鉢とらんとしけれども、吸ひつきて更にとられす。父大きに驚きて、いかゞはせ
ん、母上にこそは離れまみらせめ、かふるかたはのつきぬることの浅ましさよと、敷き
孝養ー備事供養
たまふこと限りなし。かくて月日をたてければ、あとのシとり行ひたまぶ。おもひは
梅が枝の 云々ー
文章つぶかず、
姫君の御まへにこそとrまりけれ。春は軒端の梅が校の、さくらは咲きて相まばらの青
一本には 「春は
軒端の梅の花棚 葉とぞ、名残をしくは思へども、又こん春を待ちてさく。月は山の端に入りぬれど、奪
は風にちりぬれ
ど又くる春に開 夜の間とへだっれど、又こんゆふべに出で給ふ。わかれし人の面かけ、夢路にだにも定
きけり月は山の
端に入りぬれど
又こんゆふ べに
かならす、いつの日のいっの暮にかわかれちを、いかなる人の踏みそめて、現にも逢ふ

出て給ふ」 とあ
いン
ことなかるらん。思ひまはせは小悪のゃるかたもなき風情かなと、よその見るめもあは
17
そてまくらー曲
を枕に数く意、
れなり。さるほどに父御前の一族、親しき人々よりあひて、いつまで男子のひとり住み
一本には比句な がたしと、このそでまくら、敷きくどき給ふともそのかひはよもあらじ、いかなる人を
は ちかづき 二九
く、「をのこの 一
人すまんとて数
もかたらひて、愛きに別れしなごりをも慰み給へとすょめられ、さきだっ人はとにかく
き明かし給ふと
も」 とあり
に、残るうき身の悲しさよと、思ひごともよしなしとて、ともかくも御はからひとありけ
移っればかはる れば、一門の人々よろこびて、さるべき人をとたづね、もとの如く迎ひとり、移ればか
世の中の云々ー
小町 「色見えて
うつろ ふ ものは
はる世の中の、心は花そかし。秋の組葉のちり過ぎて、その面影は姫君ばかりそ数かる
世の中の人の心
の花にそありけ
る。かくてかの継母、比姫君を見たてまっりて、かよる不思議のかたはもの、浮世には
いる」
ありけることよとて、悪み給ふことかぎりなし。さてまょはふ の御腹に、御子一人いで
なみの起居にー
金葉七 「あふ事 きたまへば、いよ〜比鉢かっきを見じ聞かじと、なみの悪居の事までも、そらごとの
はいつと清の濱
千鳥波の立居に みばかりの給ひて、常には父にざんそう申す。鉢かづきは除りやるかたなきまょに、母
ねをの みぞ 鳴
く」 の語を取れ
いン
の御墓へまみりて、泣く〜中させ給ふやう、さらでだに愛きにかすそふ世の中の、わ
ざんそうー識訴 かれを慕ふ涙川、沈みも果てすながらへて、あるにかひなきわが身ぞと、思ふにいとゞ
不思議なるかたはのつきぬる事のうらめしさよ、継母御前のにくみ給ふもことわりなり、
したしき母上に捨てられまみらせ、わが身何ともなりての後に、父御ぜんいかゞ御敷きの
あるべきと思ふばかりを、心ぐるしく思ひしに、今の御母に姫君いでき給へば、はや思
おろかー我身に
おろそかなり 召しおかんこともなし、まょは 御前の悪み給ふゆる、たのみし父おろかなり、今はか
らくしてー早く
の意
ひなきうき身のいのち、とくして迎ひとり給へ、同じはらすの線となり、心やすくある
しやう
べきと、流湧こがれて悲み給へども、生をへだつる悲しさは、さぞと答へる人もなし。

この
まふはょ比由きょ給ひて、鉢かづきが母の墓へまみりて、殿をもみづから親子をも呪ふ
そらこさこ
ことこそ恐しけれと、まことをば一 つもいひ給はす、虚言ばかりを父にたび〜言ひけ
れば男心のはかなきは、まことと思ひ、鉢かづき呼び出だし、不避のものの心やな、あ
らぬかたはのっきぬるを、よに難はしく思ひしに、答もなき母御前兄弟を呪ふことこそ
不思議なれ、かたはものを内におきては何かせん、いづかたへも追ひいだし給へとのた
まへば、継母これを聞きて、そばへうちむきて、さも嫡しけなる風情して笑ひける。さ
ていたはしや、鉢かづきを引寄せて、召したるものを剥ぎ取りて、浅ましけなるかたび
ら一 つ著せ参らせ、或野の中の四つ辻へ捨てられけるこそあはれなれ。さてこはいかな
る浮世そと、転に達ふこょちして、いづくへ行くべきゃうもなし、泣くよりほかの事は
なし。や、しばしありてかくなん
野の末の路ふみわけていづくともさして行きなん身とは思はす
とうちながめ、足にまかせて迷ひあるき給ひけるに、おほきなる川のはたへうちつき給
、 は ちかづき 三一
ー。- - -ーーーー 」』|調 -』
『 ーシ=シ*} } - 『-シ
- - - ----- ---
御伽 草紙
-
三二
ふ。こ に立ちとまりて、いろくをさして行くともなく遠ひありかんより、比河の水歴
のぞきー臨み
となり、母上のおはします虜へ参りなんと思召して、河のはたへのぞき給へば、さすが
劉き心のはかなさは、岸うっ浪もおそろしや、瀬々の自波はけしくて、そこはかとなき
水の面 すさまじければいかrあらんと思へども、これを心のたねとして、既におもひ
きり、河へ身を投けんとし給ふとき、かくこそ 一首つらねけり。
河岸の柳の糸のひとすちに思ひきる身 を 碑 もたすけ よ
かやうにうちながめ、御身を投けしづめけれども、鉢にひかれて御顔ばかりさし出でて

流れける程に、艦する船の通りけるが、こょに鉢の流れける、何ものぞと言ひてあけて
見れば、かしらは鉢にてしたは人なり。舟人是をみて、あらおもしろや、いかなる者や
らんとて、河の岸へ投けあぐる。やょしばらくありて、起きなほりつくム〜とあんじ、
河波の底にこの身のとまれかしなど再びは浮きあがりけん
"*
などとうち ながめ、あるにあられぬ風情して、たどりかねてぞ立ち給ふ。さてあるべき
ば、足にまかせて行くほどに、ある人里に出で給ふ。里人これを見て、これは
久しき鉢ー年ふ
りたる鉢
いかなるものゃらん、かしらは録 したは人なりいかなる山の奥よりか、久しき が撃
化して、鉢かづいて化けけるぞ、いかさま人間にては無しとて、指をさして恐しがりて
笑ひける。ある人申しけるやうは、たとへ化物にてもあれ、手足のはづれの美しさよと、
とりム〜に申しける。さる程にその虜の國司にてまします人の、御名をば山陰の三位中
えんぎゃうだう
ー縁行道、散歩 将とこそ申しける、折節えんぎゃうだうして四方の相をながめっょ、置に適量の践が
すること
較遣火さしも草、そこひにくゆるうすけぶり、うはの空にてたち摩き、面白かりけるゆ
ふぐれは、継する人に見せばやと、眺めいだして立ち給ふところに、かの鉢かづき歩み
よる。中将殿は御覧じて、あれ呼びよせよとの給へば、若ざぶらひども二三人走りいで
かの鉢かづきをつれ
かたの へん
てまみる。いづくの浦いかなるものぞとの給へば、鉢かづき申すや
う、われは交野の漫の者にて候ふ、母に ほどなく後れ、思ひのあまりににかふるかたはさ
へつきて候へば、隣むものも無きまょに、難波の浦によしなしと、足にまかせて迷ひあ
ふ びん
りき候ふと申しければ、さて〜不便とおほしめし、戴きたる鉢を取りのけて取らせよ
とて、皆々よりて取りけれども、しかと吸ひつきてなか〜取るべきやうもなし。これ
を人々御覧じて、いかなるくせ者ぞやとて笑ひける。
は ち かづき 三三
- -
-
*}-
調=し
御伽 草紙 三四
中将殿は御覧じて、鉢かづきはいづくへぞとの給へば、いづくともさして行くべき方も
結句ー共末
なし、母にはなれて結句かるかたはさへっき候へば、見る人ごとにおち恐れ、僧がる
人は候へども、あはれむ人はなしと申しければ、中将殿きこしめて、人のもとには不思
議なる物のあるもよきものにて候ふとのたまへば、仰せに従ひておかれける。さて身の
能は何ぞとの捨oければ、何と中すべきゃうもなし、母にかしづかれし時は シ
和琴、生、筆業 古今、萬葉、伊勢物語、法華経八巻、かすの御経ども譲みしよりほかの







能もなし。さては能もなくば、湯殿におけとありければ
にしたがふ世の中なれば、湯殿の火をこそたかれけれ。明けぬれば見る人笑ひなぶり、に
くがる人多けれども、なさけをかくる人はなし。あけくれ、御行水よ、鉢かづきとて、三
ふしなれぬー駄 る
更四更も過ぎざるに、五更の天も明けざるに、 責め起されて、いたはしや、ふしなれぬ
しと節とにかく
徳竹の、おのれと雪に埋れて、ふし倒れたる風情して、ものはかなけに起きなほる、思
ひを柴のゆふけぶり、立つ名をもくるしと打ちながめ、行水は沸きまみらせ候ふ 、はや
-
とり給へと催促する。くるれば御足の湯わかせや、鉢かづきと下知をする。うき身なが
らも起きあがり、みだれた柴を引きよせながら、かくこそつらね給ひける。
苦しきは折りたく柴のゆふけぶりうき身とともに立ちや消えまし
と、かやうに打ちながめ、いかなる因果のむくいにや、かよる浮世に住みそめて、いつ
まで命ながらへ、かほどに物を思ひねの、昔を思ひいでのさと、胸は駿河の富士のだけ、
袖は清見が闘なれや、いつまで命ながらへて、憂きには絶えぬ涙河、流れて末もたのま
れす、菊の裏葉におく露の、何となりゆく比身ぞと、ひとりくどきて、かくばかり、一
松風の空吹きはらふよにいでてさやけき月 をいつか ながめ ん
かやうに詠じ、足の湯をぞ沸かしける。
㎞」さる程に比中将殿は御子四人持ち給ぶ。三人は常々ありっき給ふ。四番めの御子、宰相
殿御曹子と申すは、みめかたち世にすぐれ、優にやさしき御姿、むかしを申せば源氏の
大将、在原の業平かとぞ申すばかりなり。春は花のもとに日をくらし、散りなんことを
悲み、夏はすゞしき泉の底、玉 に心をいれ、秋はェのちりしく庭のもみちを眺
め、月の前にて夜をあかし、冬は脳冊の うす水池のはたに羽をとちてシの もも
奥方
うー と一のさびし、かさぬるっまもあらばこそ、ひとりすさみて立ち給ふ。御兄たちも、とのう
へも御湯殿へ入らせ給へども、かの御曹子ばかり残らせ給ひ、さよ更けてはるかになり
は ちかづき 三五
- - 』- -シ 』 -』 - -
-シ =
御伽 草 紙 三六
て、ひとり湯殿へ入らせ給ふ。かの鉢かづき御湯うつしさふらふと申す盤やさしく聞え
ける。御行水とてさしいだす手足のうつくしさ、尋常けに見えければ、世に不思議にお
御湯殿してー拓
を流すこと
ほしめし、やあ鉢かづき、人もなきに何かは苦しかるべき、御湯殿してまみらせよとの
給へば、今更むかしを思ひいだして、人にこそ湯殿させつれ、人の湯殿をばいかゞする
しうめい
ゃらんと思へども、主命なれば力なし、御湯殿へこそまみりける。御曹子は御覧じて、河
や * 〜 * 〜 あぶ やう
内の國はせばしといへども、いかほどの人をも見てあれども、かほどにものよわく愛敬
世にすぐれ、うっくしき人はいまだ見す、ひととせ花の都へ上りし時、御鶴の院の花見
のありし時、シして門前に市をなしっれども、その時にもこの録かづきほどの人
はなし、いかに思ふとも比人を見捨てがたしと思はれける。いかに鉢かづき、思ひそめ
にし 組 の 色はうっろふことなりと 君とわが中かはらじと、シの松に契りをはるか
はなれえぬー原
本「はなれぬ」と にかけ、松の浦の亀に久しくむすばれける。今よりのちはかの鉢かづきは、軒端の梅に
あり、一本によ
りて改む 管の、またはなれえぬ風情して、かくかへりごとをものたまはす。
かくか へりごと
もー「かく」は「と かさねて御曹子は、これやこの龍田にはあらねども、くちなし色にたとへつ、物をい
かく」の 術なる
べし はねの松やらん、引きすてられし琴のねの、よそに引く手もあるやらん、もしふみかさ
に ば
中 ま か
だ じ た

い あ
か ら

ば、逢はで空しく消ゆるとも、君ゆる ならばなか〜に、うらみと更に
思思 や れ れ ら み る 川 *UL* な
ひ 例 (ま ば へ の や の ふ る


〜との給へば、野飼の駒の人馴れで、心
-
ちに、よしやあしやを知らざれば、何と申さんこともなし。よそに引く手もあ
と、
らんと、の給ふことの恥しさに、調べの締みな切れて、よそにひく手もさふらはす、な
* て た

さえやらてーは
かー〜しからず
たちみに悲しきは、空しく別れし母の事、さては比身のさえやらで、いつまで命なが
、あらぬ浮世にすみ染の、色にもならぬ怨めしさを、軟きはんべりけると申しけ
して
宰相の君は聞召し、けにもことわりなりと思召して、かさねて仰せあるやうは、さ
お つ
はとょ 布シの世の中に生れあひぬるはかなさよ、愛きはむくいと知らすして碑、
し を
*
怨み ょあ かし暮らしてすごすなり、御身もさきの世に野漫の若木の枝を折り
せさせつる報のほどの事ありて、親にも早くおくれ


|1
、 )て、 ここ
- しへ *7 人に敷きを はたち

*Lい
つょ、いまだいと なき心に、物をおもひねの涙とこせく風情なり、みづから二十のき
ーノ
とこせくー床壇
くの意なるべし
やうがいまで、定むる妻はいまだなし、ひとり片敷くうたふねの、枕さびしく住むこと
きゃうがいー境

も、さきの世に御身と契ふかくして、その業因のつきねばこそ、めぐり〜てとにかく
に、今こょにおはすらん、世にいつくしき人なれど、総なきかたへは目もゆかす、御身
は ちかづき 三七
シ- | | }ー -

- - - - -
- -
ー」』 _m」 ー
- - *
『シ
-
御伽 草紙 -
三八
に縁があればこそ、かくまで深く思はるれ、思ひそめにし昔より、今逢ふまでの言の葉
ちいろだ
うりもる
千尋ー傍訓原本
のまく
こそ、末たのもしく思はるれ、鯨のよる島、虎ふす野漫、千尋の底、五道輪廻のあなた
ね はん
五道輪廻ー地獄
餓鬼畜生人間天 なる六道四生のこなたなる、妹背の川のみなかみの、混繋の岸はかはるとも、君とわが
上の五道に流轄
すること 中かはらじと、深く契をこめ給ふ。さて鉢かづきは遭ぐ舟のみる風情して、君の仰せの
六道四生ー六道
は地獄餓鬼畜生 強きまょ、思はぬながら摩きそめ、その夜はこふにふし竹の、よふの契もあらがねの、末
修羅人間 天上、
四生は胎生卵生 いかならんわが思ひ、知られぬそのさきに、いづくへも足にまかせて出でばやと、かき
温生化生
舟のみ るー舟の くらし思はれける。あはれなれば、宰相殿はいかに鉢かづき、さほどなにを軟かせ給ふ
すわること
かきくらしー涙
にかきくらし
と、ひるもをり〜通び、これを見て慰みたまへとて、黄楊の枕と横笛をとり添へてそ
おかれける。
共時いとさ取しさは、やるかたもなし。わが人のやうにもあらばこそ、人の心は艦㎞
夜のまにかはる習ひのあるまでも、頼まんともおもひなん、あるに甲斐なきありさまに
て、見えぬることの恥しさよと、かきくらし泣き給ふ。御曹子は御覧じて、この鉢かづきの
やうはいたうり きさらぎ
風情を、ものによく〜警ふれば、楊梅 桃李の花の香に、雲間の月のさし出でて、二用な
かばの線柳の風に側るょょそほひも、龍のうちの難 の露重けに物よわく、はづかしけ
にてそばみたる顔のシのいっくしく、楊貴妃季夫人もいかでか足にまさるべきと、不
思議におほしめしける。同じくは比鉢をとりのけて、十五夜の月の如くに見るよしもが
なとぞ思はれける。さて若君は湯殿のかたはらの、柴っむ腕戸をたちいでて、わが御か
たへ騎りっょ、軒端の梅を御覧じても、いつしか鉢かづき如何にさびしく思ふらん、今
日の暮るょを待っほどは、住吉の根ざしそめにし姫小松、千代まつよりも尚久しくぞ思
はれける。鉢かっきは黄機の枕と、御笛をおくべき虜のあらされば、もち類ひてるたり
しの・めせきち
、 L ー、ふに i * ミ
ける。かくてやう〜東雲もあくると告ぐる闘路の鳥、まだ横雲も引かざるに、御行水
よ、鉢かづきと責められて、御湯はわきさふらふ、取らせ給へと答へつよ、いぶせき柴
を折りくべて、かくこそ詠じけれ
くるしきは折り楚く柴のゆふけぶり継しきかたへなど摩くらん
つぶりー頭
とうちながめけれ
こわいろ
ば、湯殿の奉行きょつけて、かの鉢かづきはつぶりこそ人には似す
ものいふ盤色わらひぐち、手足のはづれの美しさは、これに疾くから住ませ給ふ御女房業
も、究めてこれには劣りなり、ちかづきて彼の人と契らばやとは思へども、あたまを見れ
はち かづき 三九
--- - -
御伽 草 紙 四○
まう〜ー減 々 ばまう〜として、日よりしたは見ゆれども、鼻よりうへは見えもせす、肌輩衆にも笑は
なるべし
れ、なか〜恥しやと思ひもよらぬぞことわりなる。さるほどに春の日ながしと思へど
も、共日もやう〜くれなみの、たそがれ時や、ゆふがほの人の心は花ぞかし、彼の宰
相の君、いっよりも花やかに襲撃して、湯殿の 離 の柴の瞬戸にたょすみ給ふ。
鉢かづきこれを知らすして、暮はと契りしかねごとの、はやよひのまも打過ぎぬ、人を
とがむる里の犬、撃するほどになりにけり。来んまでとのかたみの枕と笛竹をとりそへ
もちてかくなん、
君こんと つけの枕や笛竹のなど ふし多きちぎり なるらん
とうちながめければ、御曹子とりあへす
いく千代とふしそひて見んくれたけの契は絶えじつけの枕に
さて宰相殿は、比翼連理と浅からす契らせ給ふ。包むとすれどくれなみの、浅れてや人の
知りぬらん、宰相殿こそ、鉢かづきがもとへ通はせ給ふ浅ましさよ、もとより高きも践し
ふとくじんー不
きも、男はあるならひ、立ちより給ふとも、あの鉢かづきが近づき参らせんと思ふ心の、
得心にて、ふ心
得の意 ふとくじんさよと、悪まぬ人はなかりけり。ある時よそより客人きたり、夜ふけがたま
でひま入り、遅く入らせ給ひければ、鉢かづきおほつかなく思ひて、かくばかり
人まちてうはの空のみながむれば露けき袖に月ぞやどれる
と、かやうに打ちながめければ、いよ〜やさしく思召し、ちぎり深くはなりけれども、捨
つべきやうはましまさす。昔が今に至るまで、わが身にかょらぬ事までも、人のいふなら
ひにて、宰相殿は世にも人なきやうに、かょる御ふるまひかな、をかしき御心かなと笑ひ
けるほどに、母上きこしめし みな〜㎞をや中すらんに、めのと見せよとの給へば、
度見て、まことにて候ふと申しける。父樹果れしばし物をものたまはす、やょあってい
かにシきけ、とかく宰相の君を課め、鉢かづきにちかづかぬやうに計らへとのたまへ
ば、めのと若君の観部にまるり、何となく御物がたり申しめて、いかに若君さま、ま
ことしくは候はねども、湯殿の湯わかし鉢かづきがもとへ通はせ給ふよし、母上きこし
めして、よもさやうには有るまじけれども、もしまことならば、父の耳に入らぬさきに
鉢かづきを出だすべしとの仰にて候ふと中しければ、若君のたまふやうは、思ひまうけた
る仰せかな、一樹のかけ一河の流を汲むことも、他生の縁とこそ聞け、いにしへもさる
しうち いろ
事あればこそ、主の勘常かうぶり、千尋の底にしづむとも、いもせの中はさもあらす
四一
御伽 草紙 四二
むふうふ
無間ー無間地獄
親の御不審かうぶりて、たちまち無間にしづむとも、おもふ夫婦の中ならば何か苦しか
とのうへー殿、
奥方
るべきぞ、とのうへの御耳に入り、たちまち御手にかょるとも、かの鉢かづきゆる なら
ば、すっる命は露ちり程もをしからす、かの人を棄てんこと思ひもよらす、この事用ひ
申さぬとて、鉢かづきもろともに追ひいだし給ひなば、いかなる野の末、山の奥に住む
とても、思ふ人に添ふならば、ゆめ〜悲しかるまじとて、わが御かたを御いでありて、
柴っむとほそに入り給ふ。日頃は人目をつょませ給ひしが、乳母まみりて申してよりの
ちは、シかづきがもとにそみ給ひける。さるほどに御兄たちも一門さしきに叶ふま
じとありけれども、厩ふけしきもましまさす、いよ〜人目をも揮らす、朝夕通はせ給
ひける。母上仰せけるゃうは、さもあれ鉢かづきは、いか様シの者にて若君を失はん
れんぜいー乳母
の名冷泉 と思ふやらん、いかゞせん、れんぜいと仰せける。れんぜい申されけるは、かの君はさな
おぼろげ事ー尋
常の事
らぬことさへ、色深く物はちをし給ひて、おほろけ事までもつふましけなるみたちにて
みたちー御性質
渡らせ候へども、比事に於ては恥ち給ふけしきも候はす、さあらば公達のよめくらべを
し給ひて御覧候へ、さやうに候はゞ、かの鉢かづき 恥しく思ひて、いづくへも出で行
くこと候はんと申されければ、けにもとおほしめし、いつ〜公達のよめくらべあるべ
しと、日々にふれさせける。さるほどに宰相殿鉢かづきがもとへ御入りありて、あれ聞
きたまへ、われ〜を追ひ失はんために、嫁くらべといふこと申しいだしてふれ候へば
いかゞせんと涙を流し給ひければ、鉢かづきもともに涙を流し申すやう、われゆる に君
をいたづらになし申すべきか、われ〜いづくへも行かんと申しければ、宰相殿仰せけ
るは、御身に離れては足時もるられ候ふまじ、いづかたへなりとも共に出でんとの給へ
ば、鉢かづき何と思ひわけたる方もなく、涙を流しみたりけり。さてとかく過ぎゆく程
に、よめ盆の日にもなりぬれば、宰相殿鉢かづきと二人 いづくへも立ちいでんと思召
しけるこそあはれなり。さるほどに夜も明方になりぬれば、召しも書はぬシしめはき
給ひて、さすが父母すみなれ給ふことなれば、御名残惜しくおほしめし、おつる涙にか
きくもり、今 魔父母を見奉りて、いづくとも知らす出でんことこそ悲しけれと思召せ

ども、遂に一度は離れまみらせんものをと思ひきり給ふ。鉢かづきこの山みたてまつり
われひとりいづ方へも出でまみらせん、契ふかく候はゞ又めぐりあひ候はんとの給へば、
うらめしき事を仰せられ候ふものかな、いづく逸も御とも申し候はんとて、かくなん、
君思ふ心のうちは湧きかへる岩間の水にたぐへても見よ
は ちかづき 四三
御伽 草 紙 四四
か に遊ばし立ちいでんとし給ふ時、鉢かづきかくばかり、
わが思ふ心のうちも湧きかへる岩間の水を見るにつけても
などとうちながめ、また鉢かづきかくなん、
よしさらば野漫の草ともなりもせで君を露ともともに消えなん
とあそばしければ、また宰相殿かくばかり、
路のべの萩の 末葉の露ほども契りて知るぞわれもたまらん
とあそばして、既に出でんとし給ふが、さすが御なごりをしく、悲しく思ひ給ひて、左
右なく出でゃらす、たと御涙せきあへす。かくて審まるべきにもあらざれば、夜もやう
やう明方になりぬれば、急ぎいでんとて涙とともに、二人ながら出でんとし給ふ時に、い
たゞき給ふ鉢かつばと前に落ちにけり。
宰相殿おどろき給ひて、姫君の御顔をつく〜と見給へば、十五夜の月の雲間を出づる
に異ならす、髪のかより、姿かたち何に警へんかたもなし。若君うれしく思召し、落ちた
九かせー市著 る鉢をあけて見給へば、二っかけこの共下に、奪の丸かせ 金の歪 銀 のこひさけ、砂
しろがね
けんぼのなしー
玄園梨 金にて作りたる三つなりの橋 銀 にてつくりたるけんほのなし、十二ひとへの御小袖 く
ち しま たからもの
千入の椅ー幾度
染めて色濃き椅 れなみの千入の椅、かすの賞物を入れられたり。
姫君これを見たまひて、わが母長谷の観音を信
じ給ひし御利生とおほしめして、嫡しきにも悲
しきにも、さきだつものは涙なり。さて宰相殿
これを見給ひて、これほどいみじき果報にてま
します事の嫡しさよ、今はいづくへも行くべき
世間さぶめきけ にあらすとて、嫁合の座敷へいでんとこしらへ
るー世間の物音
騒しくなる 給ふ。既にはや夜も明けければ、世闘さrめき
ける。人々いひけるは、これほどの御座敷へあ
の鉢かづきが出でんと思ひ、いづくへも行かぬ
ふ さくしん
不得心ー心得の ことの、不得心さよと笑ひける。さる程にとく
無きこと
とくとふれければ、嫡子の御よめ御前は尋常な
る御装束にて、御年の程二十二三ばかりとうち
見えて、頃は九月なかばの事なれば、肌には自
四五
御伽 草紙 四六
うへ
き御小袖、上にはいろ〜の御小袖めし、くれなみの椅ふみくょみ、御ぐしはたけに除
J
り、あたりもかゞやく計りなり。御引出 物には唐綾十正、小袖十かさね、廣蓋に

I
こて、
みらせ給ふ。次男の嫁ごは御年三平ばかりにて、
はだ
シにして気高く、人にすぐれて見え
すりはく
すゞしー生絹
給ふ。御ぐしはたけと等しく、御装束は肌にはすゞしの御拾、上には招箱の御小袖、紅梅
の縫物の御椅ふみくょみ、さて引出物には、小袖三十がさねまみらせ給ふ。三男のよめ
御前もっとも御年十八ばかりとうち見え、御ぐしたけには足らねども、月に嫉まれ花に
そねまれさせ給ふほどの御風情なり。御装束は肌には紅梅の御小袖、上には唐綾著たま
御前、いづれも劣らぬ御姿な
り。さて通にさがりたる虜に、破れたる営をしかせ、鉢かづき置かんとこしらへける。人
人申しあひけるは、三人の嫁御前は見奉りぬ、鉢かづきが浅ましき鶴にて出でんを見て
笑はんとて、軒端の島にはあらねども、犯づくろひして待ちるたり。さて三人のよめこ
せん等も、今や〜と待ち給ふ。又しうと御前仰せけるは、いづくへも行かすして、只
今恥をかくべき事の悲しさよ、何しによめ合などといはすとも、善きも悪しきも知らぬ
橋にて、おくべきものをと仰せける。さるほどに鉢かづき過しと、たび〜使たちけれ
いけ ば

宰相殿きこしめし、只今それへまみると仰せければ、人々見て笑はんとそじょめき
る。出でさせ給ふありさま、物によく〜警ふれば、ほのかに出でんとする月に雲の
かょる風情にて、御かほばせ気高くいつくしく、御姿は春のはじめの糸機の、露のひま
せんけん
ょりもほの見えて、朝日のうつろふ風情に異ならす、霞のまゆすみほのん〜と、㎞たる
りやうびん は えんでん

雨髪は秋の輝の羽にたぐへ、宛轄たる御 かほばせは、春は花にねたまれ、秋は月にそね
まれたまふ御風情なり。御年のよはひ こ
十五六ほどに見えさせ給ふ。御装束には、肌にはふよ
自き のきぬ、上には唐賞、紅梅、紫、いろ〜の御小袖
御 くれなるの千対の御術ふみ
著望のかんざし
ー 嫁髪 くさみ、シのかんさしゆりかけて歩ませ給ふ御姿 個に天人のシもかくやと思ひし
られけり。待ちうけて見たまふ人々、みな〜目を驚かし、興さめてそおはしける。宰
和殿の御心の中の嫡しさ限りなし。さるほどに御座敷一段さがりて、こしらへたる虚に
なほらんとし給ふ時に、しうと三位の中将殿、いかで天人の影向を下歴におくべきとて
請じさせたまふ。
いとはしきにー あまりのいとはしきに、母
いとはしさにの
前のひだりの膝元へ呼びまみらせ給ひける。さてしうと殿
こがね こがね
術か
への御引出物には、しろが の豪に黄金の歪する 、黄金にてつくりたる三つなりの橘
は ちかづき 四七
ひ| 八
御伽 草 紙 四
こがね十雨、唐綾、織物の御小袖三十かさね 魔難十反ェ五十正、厳監にっませまる
らせらる。しうとめ御前への御引出物には 染物百端 黄鉱のまるかせ、しろがねにて作
りたるけんほの梨の枝をり、こがねの豪に するて参らせらるよ。人々みてみめかたち、
目を驚かすー原 衣堂、御引出物にいたるまで、勝りはすれども人に劣らすと、目を驚かすばかりなり。
本「目を」の 二字
*し、一本によ
りて補ふ
三人の兄嫁御ぜんたちをも、初めはうつくしく思召しけれども、比姫君にあはすれば、
備の御前に悪魔が避がるたるに異ならす。 御たち仰せけるは、いざゃのぞきて見んと
て、のぞき見給へば、あたりもかゞやくほどの美人なり。皆々不思議に思しめして、何
と申すべき言の葉もなし。楊貴妃李夫人もこれにはいかゞ優るべき、とても人間に生れ
なばかやうの人とこそ 「夜なりとも契りおかまほしけれと、人々うらやみ給ひけり。三
たえい りー執心 位の中将殿おほしめしけるは、このほど宰相の君たえいり思ひつることこそことわりな

れと思しめしける。さて御歪まみりければ、しうとめ御前きこしめし、やがて姫君にさ
し#。シければ 人のシ
くん
によらぬなり、艦継をはじめ、和琴をしらべさすべし、和察はことにその 源 を知らせ
なもさこ
ざれば、左右なくひかれぬものなり、宰相殿はそのみなもとをもあきらめ給へば、のち
こんや
には教へ給ふとも、今夜のうちには教へ給ふことなるまじ、いざや始めんとて、兄嫁御
ごみ
ぜんは琵琶の役 次郎よめさは空を吹き給ふ。とのうへは最 ち、姫君は和琴御しらべ候
へと責められける。共時姫君おほせけるやうは、かやうの事はいまだ聞きはじめにて候
へば、すこしも存ぜす候ふと御鮮退あり。宰相殿御覧じて、我身を姫君と見よかし、ゆ
きてひかんものをと思しめしける。共時姫君御心のうちに思すやうは、われを曖しきも
のと思ひ、かやうにして笑はんためと思召し、われもむかし母にかしづかれし時には、朝
タ手なれし楽の道なれば、ひかうすものと思召し、さらば引きてみ申し候はんとて、そ
ばなる和琴ひきよせ、三べんしらべ給ひける。宰相殿御覧じて、嫡しきことかぎりなし。
御ぜんたち御覧じて、歌をよみ、手かくことも、後には宰相殿御教へあるべし、只今の
うちには教ふることもなるまじ、さらば歌をよませ笑はんと、談合なされ、これ御覧ぜよ
姫君、標が枝に藤の花、春と夏とは隣なり、秋はことさら菊の花、これにつき姫君一首あ
そばし候へと仰せければ、姫君きこしめし、あらむつかしの事を仰せ候ふものかな、わ
れ〜が能には比はど湯殿にさぶらびて、朝タてなれし水車、汲みあけしより外のこと
はなし、歌といふことはいかやうなる物やらん、すこしも存ぜす候ふ、まづ〜御ぜん
は ちかづき 四九
- --- - - - --
事あ



に 道理



は たちばな


い春


お秋




ぞう
もの
づれ

ふ といへ
同くじ し



て その時



流行
一時




姫君

す あ 文字
ことられ
といふ何そばし


|









あに







ませ





ける々



うかさま











ゆき



い殿


やう
ける
御つら




せ れ御所
初は


女ぜ
奉として






宰たち
す、

た殿


ませ相り房めん 。
けの よる















べし




さ 相


り 仰し

から



けれ








きこしめし




なれ
、 せ 思ふ


命 すとも
わら




取なり
不こて
思を
とに



あら
もの
も子ふ足れける 三 た なり
すども

まみ










子すべ





百相

る さころ







と七




ども






、 ん て


君 まり
ほど
さる




けれ

姫 た 。
きこしめし






、 で


君 ばかさま
人す
いなり



玉これ



な比





前かりすど藻々 やら
申の
と やどろか
あか
御に

すける
道の
か、




おが




そばし
さびく風筆う ともかくんりし





され
申あそば
あも



ぜて



けれ
ける
仰せ
たち 紙

御伽


-

姫君
ほど

べ 取 に
へ け
やあたらんと思ひ、かれこれとりまぎら




す菩懇

母のに
君上提

ふ。かくて過ぎ ゆく程に、公達あ


とぶらひ給
ふるささ
また

られし故郷の父御前を継し
設け給ひて、御よろこび限りなし。これにつけても捨てふるささこ けんきん
く、御公達を
しや
も見せまみらせたく思しめしける。さるほどに故郷のまょはょ御前は、榴貧
者なるゆる に召使はるょものも、かなたこなたへ逃けはしり、後には貧しく
ノイー } なり、ひと
りもちたる姫をもとふ人もなし。御ふたりの中もあしくなりければ、貧しきすまひ何か
せん、心にのこる事もなしとて、父御ぜんはいづくとも知らす、修行にたち出で給ふ。つ
く〜物を案するに、さりにし北の方、子なき事を悲みて長谷にまうで、さま〜斬り
観音の御利生により、姫を一人まうけしに、母むなしくなり給ひて後、あらぬかたはつ
きけるを不思議に思ひしに、親ならぬ親とて、おそろしや、いろ〜にざんそうを言ひ
けるを、まことと思ひ追ひいだしっる事の不便さよ、共身が人のやうにもあらばこそ、い

づくの浦に住み、いかなる憂きめをも見るらん、不便のものかなと思しめしたまふ。さる

ほど
に父御ぜん長谷の観音へ御まみりありて、鉢かづき の姫いまだ浮世にあるならば、
は ちかづき 五一

じ なる 来
べし


と 自歴家 に


の 祀せ



ん ー

せん
わが さけ

退
ー れ シ

H

#
_

す警





まみ
なの
し河を

國ば
ぜ姫達


と 一まるし内ん君人 公





もは


をぬ

こば


たさます
かまの
て交
にのそれし野 は
河内 姫さ、
き殿
宰ば
ひなり
給利御

と観へ
ひか
に、

こしめし
けれ へ ば
君て相生音と にし な親子



さど給
、や耐
へよじ
年て
すが
れもせり 御覧
姫呼び

ける
あけ
まけれ


様あと

ば呼修行
へ 君でりべの 若
そきこしめし

者て たの



へふ魔
給さ尋

にぬわこの



恐語ま

れながら
まとせるがり あせん


ひ泣く

ば問

思は

事い修行







これ
かなる
けれ

がひる 人








奉ひ

、を


立ら
より りちい そ
かだす
にひ



とたは


め よと


てさ修行

へあなる
者そ狭が
う御見
の、

こなた
をりれこきち堂れ ども
ばを
殿
、ひ念
給み



御観は

にぜ父
姫ほど
御さ給


ける
ら前音ん君る めき
ちを
ざふ
金、
か御




あり
。まの
へ長


ため
りばめ
ざり
銀門 谷 の
るみ音 よけれ
御く國

ばを
三伊大和
河より
みせ


いろこび

意だされ
かど
箇賀内ら 御



殿
宰相
そ斬り
。ひを
給肝



たま
た逢

せめ今
は魔
の後
ける
ぐり
き臓び 二



御伽


こ御けれ

きこしめし
は 父

いへ
あり






かづき

のれ前で



きん へ

おん シ
シシ
-
--



こも

こそ
人ば


樺れ目
せ給ふ。さてまた宰相どのは、伊賀の國に御所をつくらせ、子孫繁昌にすませ給ひけり。
これたゞ長谷の観音の御利生とぞ聞えける。今に至るまで観音を信じ申せば、あらたに
御利生ありと申し博へはんべりける。この物語をきく人は、常に観音の名競を十返づつ
御唱へあるべきものなり。南無大慈大悲観世音菩薩。
頼みてもなほかひありや観世音二世安楽のちかひ聞くにも
は ち が づき 五三
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五四


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間』シ。 シシ
ビイー= # シー *シ
小町 草 紙
そも〜清和のころ、隠撃に小町といふ色ごのみの遊女あり。春は花に心をつくし、秋
たね
種となれりー種
は月の前の雲を獣ひ、あしたに 一さいの購のけしきを眺めて、言葉の種となれり、ゆふ
せり




べには哀れをさそふ鐘の盤、つくム〜と世の中を思ふにも、たゞ夢まほろしの心地して、
っゆころも に ほん
草葉における露衣、尚あだなるは命なりと思ふにも、日本の歌の道ほど、もてあそぶべ
き物はなし、よろづの言の葉となりにけり。歌の徳あまたあり、世の中の憂きにもつらき
* 一にも詠じ、紳備のたまふけにもなり、又は力をも入れすして、天地を動かし、日にみえ
㎞一ぬ㎞をもあはれと思はせ、シ中をもやはらけ 無きものふの心をも慰むるは歌

なりとて、この小町は歌をよむこと脳れたり。
㎞ いにしへのシの湾とも申し、観音の化身とも中す。かりにこの世にうまれ給ひて有
あく、無あく、衆生の、まよひ深き女人、除りに心もなき者の、あはれをも知らす、備を
小町 草 紙 五五
御伽 草 紙 五六
も載せず、碑をも拝ますして、いたづらに月日をおくり給ふことを悲び、色このみの遊
女とうまれ、飛花落葉の世の中、ひとたびは楽え、ひとたびは衰ふ。競なる花の散り
はてて、苦のしたに朽ちはつる有様をみせ、よろづの心にまかせぬ言の葉を、空ゆく月
のくもりなき夜も、しぐれの空のたち迷ひて、さはりとなれるをも、これにて眺め、これ
につけても歌の姿、人丸の歌に、
ほの〜とあかしの浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞおもふ
と詠じ給ひし歌も衆生のためなり。明石の浦とは衆生の迷ひの心なり、島がくれゆくと
は三界流韓の心なり、舟をしぞおもふとは、大慈大悲のあはれみ給ふ心なり。されば碑
世には、あらがねの地にして、シより起りける。いまだ文字も定まらす、すなほ
にしてことの心もわきまへがたし、人の世となりて文字もさだまりぬ。こょに出雲の國
に八色の雲の立ちけるをよみ給へり。
八雲たつ出雲八重垣 つまごめに八重垣 つくるその八重垣を
これよりして文字のかす三十一字に定まりぬ。花にあそぶ驚、水にすめる峠までも知れ
り。ましていはんや、人としていかでか歌をよまざらん。三十一字はこともおろかや、如
御さうみゃうし
ー謀 説 あるべ 来の御さうみゃうし、されども一の御さうはあまりに申しいだすも恐れなりとて残し給
し、意義通ぜず
へり。されば歌をよくよめば、備をつくり、供養したてまつり申すと同じ。わるくよめば、
備をっくり掘さすると見えたり。又小町は男にあふこと まっ千人としるしたれどもあ
うて逢はぬとも見えたり。かたちのよきこと、李夫人、衣通姫にも異ならす。見るもの、
聞くもの、これを徳ぶこと筑波根のこのもの繁きこと数を知らすして、ありし事も今は
浅香山の浅ましき身となり、難波津にさくやこの花と、さかりにありしことも失せはて
て、あはれ催す秋の野に、鳴く虫の盤までも、わが身のうへと思ひっる、いつまで命の
露、草のいほりに宿りして、昔をしのぶ草の垣にしけく、露のおちぶれいでたる我身か
なと、観をならし筆をそめて、藻㎞草のすける道とて、八そちあまりにてかき集めたる水
率のあとはかなく成りゆく世の中に、長らへはつべき身ともなきに、などかは人の願は
さるらん、知らすしてっもれることは罪の業をしづのめが、明くるをも知らす、貝いた
づらに年月を、つくも髪のわれらが有様は、かほどに鷲の音にはや夏にうつりきて、次
第々々よわりはてたる身なりけり、さりながら心は花になりにけり。
色にっき香にふけることは、いにしへよりは勝りっょと思へども、かへらぬは老の波の
-
小町 草紙 五七
ちりん〜袖やしほるらん、継しの昔や、しのばしの心や。いにしへはかりに住みにし宿ま
でも、玉をみがき庭には環路をかけ、戸には水晶をつらね、似し待っ月の床のうへには
花のにしき、玉をつらね、戸をそばだてて、枕の塵を挑ひ、心にかょる人あま
狙書継語の身なれども、今は只朽木の柳いとゞしく、姿は女の歌、比小町が歌は衣通姫
のながれなり、あはれなるやうにて強からす。さればよみし歌にも
思ひつふ ぬればや人の見えつらん夢と知りせば さめざらましを
またうたに、
色みえでうつろ ふ ものは世の中の人の心の花にぞ有りける
と詠じ給ひしも、けにことわりと詠みしなり。今も思ひあはすれば、 業平の歌に、
月やあらぬ春や 昔の春なら ぬわがみ一つはもとの身にして
とえいじ給ひしもけにことわりと、日すさみして泣くより外の事ぞなき。身の有様を思
ひつゞけてかくなん、
わびぬれば身を浮草のねを絶えてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ
かやうに詠みおける言の葉までもあはれなり。今は只たのむかたとては、南無大悲観世
音むかへさせ給へとて念じつよ、ありがたや、は
行末は近く、なぎさの湖の舟うかぶ、たより
は六つの文字、唱ふる盤はひまもなし、いかで
か諸備も助け給はざるらんと思ひつふ、をり
し小野の細道かきわけて、草のとほそをうちな
らし、いにしへの色好みの小野の小町はこれに
渡らせ給ふかととはれければ、はづかしや、こ
はそも夢かうつ ょか幻か、いかなる人にてまし
ば、いやしき柴の戸に竹の柱のふしどころ
問はせ給ふは、こなたの事か、よそのため
か、何事ぞや、よく〜思へば同じ色好みの、な
さけも殊に在原の、おもかけは業平の、あらは
しわが姿、さしもこそ、花の姿の袖かさね、
- ㎞ るも をみなへ * *
にほひも深き梅衣、たち姿は女郎花の、露おも
五九


御伽 草 紙 ハ○
けなる心地して、おちぶるうちにも誰にか摩かんと、うしろめたくも思ひしに、いつの
まに鍵りはてたる花園の、かれ〜になる草の葉をとぶらひ給ふは不思議さよ。その襲
大の色にふけりしこと、かすを自玉の、手にとる のかすシありしかども、身のはて
しまではなさけのつまは無かりけり。
-

ありがたの在原や、これこそよき偲なれ、いで過ぎにしシのうちをかたり中さんと
㎞ 邸しながらいくへふたすきかけて、頼みはありそ海の底ひなく、機悔中さんと有りけれ
㎞ ば、涙にむせび給ひて、業平仰せけるは、さらぬだに女は罪ふかくして、 艦の雲あっ
一B く、眞如の月も晴れやらす、心の水も湖りつょ思ひと思ふことは、悪業類悩の継なり、
されば備も経に第一嫌ひたまふ、しかりとはいへども、男なくして女なし、備なくして
は衆生なし、シ苦のことわり、皆日の前ぞかしと語り給へば、小町は手をあはせて
蔵し、その後鶴悔をかたりけり。それ隷路にまよひし人は、第一にみかどの御歌、第二



に質 が悪意 さては花に結びし交もあり、あさがほのシのふみもあり、よそめを





もふ有、
しる も
岩 どの


あうを

水 文
たみりりき
も水

あ、
寛、





つを
文 葛の
あうを た

ふも
有の葉
りらみ ふみ
まりみり 包む
なばたの逢瀬の中のふみも有り、妹背の中のふみもあり、思ひあかしの文も有り、宇治
の柴舟のふみもあり、鍵をするがのふみもあり、富士のけぶりの文もあり、難波津の細
道たえし身をつくしのふみもあり、すみよしゃ、きくに人なきふみもあり、濱の最礎の
ふみもあり、よみつくしえぬふみも、歌にそへたるふみもあり、やどりの文もあり、お
ますだのいけみ
ー盆田の 池 を、
もひますだのいけみ殺しのふみもあり、堅田の雌他盤きすっるふみもあり、阿悪が浦
生けみ殺しとか
けたり
にひく網の、目にあまりたるふみもあり、漢にうづもれしたまがしはの文もあり、あは
闘包焼きー鮮の
包焼は近江の名
れみても 手稲の文もあり、 生の宿とかきたる文もあり、浅香の沼のかっみぐさ、か
物なり、それを
焼きすつるとか つ見しより思ひの種と書きたるふみもあり、珍しき初雁がねのおとづれのふみもあり、う
たりはッ
はの空にも聞くやいかにと書きたるふみもあり、さふがにのいとはかなき文もあり、逢
坂山のさねかづら、くる人もなきふみも、おほつかなくも呼子鳥のふみもあり、八つ
くもで - - 』 - 、 、かきっはたし 、 、
橋や、蜘手にちかひたるふみもあり、へだてもあらじ社若 色紫のふみもあり、鏡帯木のよ

- - -
ー) 、就)、 ミ
そながら見し文もあり、風のたよりの文もあり、細谷川の丸木橋のふみもあり、室の八
し みづくれなみ
島に
に立つけぶりの文もあり、野中の清水とかきたるふみもあり、雪のしたがさねの、紅
*め
染のふみもあり、われ知らぬふみもあり、山時鳥きかまほしさは一盤をと、継ひそめし
小町 草紙 六一
シ - --ー | -
シー
-
}--
"-**
-



など みづか




し皆

たり
こはり

いなまシ

の 雲
晴ことに

にるしれっりつけ
あぬ



に としえ の
べ見。 扇






む石三
が女


そ伊勢
なり
物語盤御き しらす
かのほか
すめ し






ども



中 ひ

っ上きかせ
めかなり


は以第


十撃


の さ機構


と同を
、。



うわ身

もこは

す獣
っし
のみ
んじれり
けば
まの
、ふ



こ給

備垂慈へ
わにし
過て
シ語こと
れそ悲ぎり思ひ

r








なり

とも





さる

と き





ん嫡







生迷
流浪
道教
ひ給

こが

有さ〜
たよしるべ
死とり
よく の

助へ


給在くどき

と業ば
小〜
いがあけ原平町よるら て
ひし
心 、
南世界
極楽
西方


さひ

給念苦
わが

患もにし

れ情無せじがのれ だ
水なる
世に
何語り


をる


ふ打
かす
忘し
こ思挑 事まれとひす れ
ひの泡
*みの ば
む業給
、忍ふ
を逢


別生
はは


る平びれす みづか
死た
はじめ
べき
かし
じめ へ




た様


有へ心
警なと


かお





あるんきりて

け 御伽

草二

なざら


かや

さの
世、

さこと
定あり
はむ

ただめし
の中
られめまぶつじやう

うじ






くけん
-


夢につたはりたることわり、明けくれ思ひすつる言の葉、誰かは老の坂を越えざらん、の
がるべき道もなし、花もさすが査めるうちに、嵐はけしくして、さそひぬる時もあり、入
たミ そふーたぶ
よふの行が
らすして雲にたrそふ月もあり、これ生死の魔にひとしくして、よろづ身のうへと思ひ
ける、ある歌に、
世の中を何にたとへんあさほらけ遭ぎゆく舟のあとの白波
とよまれけるも、ことわりなりと思ふにも、ひまもなくして、浮土を願はざりけり、い
かでか馴れにし人も助からざるべき、みづからも犯ェのことわりをふり棄てて、大
悲をたのみ申すべしとて、かき消すゃうに失せにけり。不思議やな、夢にたはぶれっる
心して、ゆき方しらす騎りたまひし面影を、かい見えさせ給はすて、うせ給ひつるは、是
さてしもあらざ は業平にてはましまさすや、観音菩薩と思ふなり。さてしもあらざる草のとほそ引きた
るーさてしもあ
らざればの術か てて、又里へとて出でにけり。こょやかしこの門に立ちて、そんをひろけ物をたて給へ
そんをひろげ物
をたて給へーそ と、撃をあけて立ちみたり。見る人ごとに、いにしへの小町がなれる姿を見よやと有り
てをひろげ物を
たべ 給へ の誤に

ければ、集りこぞりてさょやきける。
あさましや、あまりに都のほとりは、われを知らぬ人もなしとて、足にまかせて、足曳の
小町 草紙 六三
御伽 草紙 六四
やまち
山路をたどりゆく程に、遠きあづまに思ひきぬ。をちこち人に問ひ給へば、はや逢坂山
せみ ま
にっきにけり。これやこのシのすてられし跡かとよ。たづぬれど小町に答ふる人もな
せきや せきもり
し。たづきも知らぬ旅人を、とむる闘屋はあれども、小町をとぶむる闘守はなし。わが
身一つのひとりごと、よしや人をも怨むまじ、たゞわが身のありさまを、ゆふつけ鳥の
盤までも、泣く涙おちそひて、頼む力は竹の杖、ふすかとすれば草薙、枕となるは、この
宿のなさけの人もなきまょに、立ちよる陰は松のした、休み〜ゆく程に、鏡の山につ
いざ立ちよりて きにけり。いざ立ちよりて、老の形をも見るやとて、しばしは足を休めつふ、いまは曖
云々ー古今十七

「鏡山 いざ立ち しき身とはなりぬれど、一首かくなん、
よりて見てゆか
ん年へ ぬる身は
老いや、し ぬる
花の色もうつしとゞめよ鏡山春よりのちの影もみる やと
と」
かやうに詠じ、又小町、
人影もせぬものゆる に 呼子 鳥 何 を 鏡の山になく らん
とうちながめて、人伴はねども、又とふ人もなけれども、むかひの里につきにけ り。さ
だめし宿はなけれども、雨はふりきぬ美濃の園、みののおやまの一っ松、語らふ友はま
れにして、いそぎ〜ぞ下りける。
思ひきや美濃のお山の一 つ松契りしことはいつもかはらじ
とよみしは、これはいつはりなり。契ることはかはりきて、月よりほかの友はなし。は
ゆくする -
-
あしやー革間の
誤か
や行末はみのをはり、何となるみの潮干がた、あしやをさして鳴くたづの、ゆふべの盤
ころも
までも身のうへかと、潮汲むあまの衣ほすまもなき、わが袖かなとあらそひて、こょや
よびつぎの里ー
原本 「よ ひ月の
かしこを打過ぎぬ。もしもやわがよびつぎの里もやあると聞きみたり。松風の里のあた
里」 とあり、今
改む
りさびしやな、さよ千鳥盤こそ近くなるみがた、かたぶく月にしほや満つらんと、八つ橋
く て
の蜘手に物やおもふらん、一むら山や、みやち山、日もはや既にくれはどり、あやはか
なき身の、いつか身のゆくへをとほたふみ、さよの中山こえやすし、憂きにもかこつ命な
、 )、 \
りけり、露の枕にかたぶきて
したっ ゆ
たびねする木の下 の袖にだにしぐれぬるなりさよの中山
と詠じけるこそやさしけれ。いかなる罪のむくいにて、かふる憂き身の旅をするがなる、
宇津の山路をこえにけり。昔は夢かうつふの山路を、あとも見えぬ高の細道かきわけて、
草のこもとー草
のたもとの術な
草のこもともしをれけり。今はまた何をか身にも継へんと、なく〜おきつの濱千鳥 清
るべし
見が闘にっきにけり。富士の濡 に立つけぶりをながめ、遭きゆく舟をみほの浦 松原こ
小町 草紙 六五
御伽 草紙 六六
そ ち うたびさ
ゆるしほけぶり、われは八十路あまりの身なれども、いにしへのシのよみしことは
なほもおろかと思はれて、かくなん、
清見潟こょろに闘はなかりけり お ほろ月夜のかすむ 浪路 を
さいぎや、うじー
西行法師の誤な 又さいぎやうじの歌に、
るべし
風になびく富士のけぶりの空にきえて行くへも知らぬわが思ひかな
とよまれしも、今こそ思ひ知られたれ。さらぬだに物憂きことは東路の、堆生のが尾の
いぶせきに、都の空を見て、けふはうき身を浮島が原にまよび出でて、行きかふ人の道
しるべとて、たどり〜行くほどに、ゆくへも知らす、はてもなき、武蔵野のする にな
さすがにかけし る、草葉におく露の玉録の、道のほとりの 職を、折りてもち居たり。これもものうき
云々ー伊勢物語
「武蔵鐘さすが 露の命たすけんために、ひちかけがさ、さすがにかけし武蔵 と 古歌にも有るぞかし。
にかけて頼むに
一 は間はぬもつら などか人の態のなかるらんと、ゆふべ〜の個材、草の衣に草むしろの、深き心はあら
し間ふもうるさ
し」 すして、日かす積れば陸奥の、しのぶの里にはど近し、都をば置とともに出でしかど
都をば云々ー後
拾遺、能因「都を
ば震とともにた
けふしら川の闘にもつきにけり。けにや命ほどつれなきものはよもあらじ、遠きあづま
ちしかど秋風ぞ
吹く白川の闘」
の旅衣、きつょ怨むるかひもなし。都にて身のむかしをみちのくや、しのぶの山のしの
㎞にもうっ とざめばやと、宮城野の小萩が花のむらすすき、鷹くけぶりは離龍
の、八十島かけて千賀の浦波、浅香の沼のかっみ草、 艦の橋やシのわたりし
かけくまの松云
云ーたけくまの て、ゆきみの里のほど近し。はなかの機、かけくまの松の木立もみきときく、あこやの
言なり、後拾遺、
季通 「式 の松 松ゃあねはの松、人ならば都の旅にさそふべきと、よみし歌の枕を、せめて筆にうつし
は ふた木を毛人
いかミ と国』は ミ ても、見ばやと思ひし言の葉の、いまは目に見ることの嫡しけれども、いたづらに歌枕
みきと答へん」
人ならば 』の旅 よむとても、たれか小町が歌とて、もてあそぶ人もなし。
云々ー伊勢物語
「要 夏のェニ羽 の くるしののいたづきやするこものてうありし昔に君をととける
松の人ならばシ
のつとにいざと とありし歌の心かゃ。雪をいたざきて、額に苦海の浪をたょへ、身には蓄までおひすり
い はきましを」
くるしののー誌 をかけ、ねぶりのうちにも果てよかしと思へど、つれなく残る有明の、影も形も衰へて
歌 あるべし
音義通ぜず いづくともなくあこがれて、細帳に草の衣びちにかけ、笠と質と棄てもやられぬ身のは
雪をいたぶ きて
ー銃上 に「頭に てしがなと思へども、いっの時をか待っべきと、数き悲みけれども、さすがに情しきは
の一字駒 せしか
命なり。駅へども厩はざるをば老の坂、願へども叶はぬは和歌の浦のたづの盤かなと、年
をへて今日はみちのくの玉造の小野といふ草原に宿りして、あさなゆふなを幕しけり。
岩木にもあらざれば、つひにはかなく露と消えにけり。あたりを見れば、草ふかく繁りあ
小町 草 紙 六七
シ シ
御伽 草紙 六八
ひたる締薄、よる〜風の吹きにけり。をうの心あるやうに聞きにけり。尋ぬる人もな
㎞ーシ
㎞ きま に、とぶらふかたらひ更になし。不思議ゃな、在原の業年は、歌のシみちとか
や、けふの郡、織る細布の胸うちさわぎ、かの小町は朽ちはてしあとをとぶらはゞやと

㎞一思ひしが、しばし心にうか はせ給ふことありて、休らひ給へば、歌の上の文字、吹き
㎞ くれことに秋風味けばあさな〜
*るべし と、さやかに撃の吹きければ、業平、下の文字をつぎたまふ。
おのれとは言はじすょきの一むらと詠じ給へば、 いづくともなく、みめかたちいっくし
き女房出でて、 いかなる人にてましませば、この草むらに立ちよりて、歌の下をっけた
まふらん、これこそ、書 きこえし色好みの小町が老い衰へて、自骨となりて失せにしあと
㎞ にて候へ、もし都人にてましまさばかやうなる所ありと、業平にかたり給へとなり、そ
むれ をいかにと申すに、業平はなさけも深き慈悲の人にてましませば、さて小町はこの世に
はや無きかと聞かせ給は 、とぶらびにもありぬべしと、業平とは業をたひらむると書
あくごふ
きたれば、おのづからこの業平を呼びたてまつれば、悪業も皆消えにけりとなり。業平
これはたしかなる幽霊なるとて、シをかきわけて見たまへば、女はなし、たと自骨と
薄一むら生ひにけり。これを見たまひしより、いよ〜世の中のあはれ、人のうへと思
ふことをば、いかにも山坂を隔ててもとひ給ふべし。
ここ
比物語を聴く人、まして譲まん人は、すなはち観音の三十三鶴をつくり、供養したる
㎞|も等しきなり。小町は如意㎞の他撃なり、又業平は十一耐㎞の化身なり、あだ

もこれを思ふべからす、南無大慈観音菩薩と同向あるべし。
小 町 草 紙

- - -
- -# 『*=
- } -シ
- * シ-シ 。シ
-*** --**
シ- - - 』 - *-- - - -シ-
御伽 草 紙 七○
御曹子 島 わたり
* ー - - - - *
シ *** シ
ーーー **
-- -
--- - -* シ * シ - * "*
御曹子 島 わたり


さる程に御曹子、秀衡を召されて、都へ上るべきやうを問は せ へば、秀衡うけ給はり、日
本國は紳園にてましませば、もの ふの手稲ばかりにて は成りがた

カ し、是よりも北州に
けんじやう
ばか
一つの國あり、千島とも、蝦夷が島とも申す、その内に喜見城の都あり、共王の名を
ねひら大王と申しけり、かの内裏に一つの巻物あり、共名を大日の法と申してかたき事
なり、されば現世にては所蔵の法、後世にては備道の法なり、比兵法を行ひ給ふ物なら
まつ
ば、日本國は君の御まょになるべし、何とぞ御てうほふあつて御覧候へと申したて
ょあ
れば、義経比山聞しめし、とやせんかくやあらましと、しばし物をもの給はす。や
つて所診貝かの島へ渡らばやと思しめして、秀衡にいとま乞ひ、旅の装束し給ひて、音
づくへ行く舟ぞ、
わがてう「我朝| に聞きしわがてう四國土佐の港へつきたまふ。船頭を近付けて、是はい
数はいかほどあると間はせ給へば、船頭共うけ給はり、これは北園、又は高麗の船も御
御曹子島わたり 七



熊野




















と事
、水
む㎞

すび
た本し


とは
ぞ何
比、
た島

いさ


不の

あひ
いふ



義。
けり
かに
思議
島ちまり経る 居



つを
太、




あの



な人
しは

あに

馬け鼓りり し
よ腰
上たり が









は丈





よ。

へ「

にる



かり

っき
りきに
申と
、日



ほど

行と
暮ぬ
明を


ひかき
が ゆよすくれけるいみ が

島 も

たか島
、 、








ま、



ぶと
大、


ろけかしつ
島手 こ


どは
〜所
通に

ほど
行て
まに






大悲
大、
へこるく慈 て
たま
たび
んかせ 渡へ
千く













下は
のこ、
に祇


大権大
し島界と小現 りまつ
、 書を
菩の




かろ
菩大
、八正
きたて


と、
多聞天
大の
鞍はい薩幡悲馬 に
薩もに か飾り







御給

ひに



こひ






しら
座船
とり

がねせす

から
ほ船




きこしめし
義。
申と
ある
御て
くい


わたし
しだき
経す座 や






つや


たこ
ふ鶴
ふさ


中きからの 鶴
そす
、 申








は給
う共
船ば



い名



ふ候
申せ
入り
かほど
りけ頭と 七


御伽

-シ
}--
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だす

おへ
萬蒼


出ぎ




土給

さ申



離翻
しい
だし
里佐せし }
*
→-
ー シシ
-

な、
わは

かぜ
みり

は な

*}
給へば、島人うけ給はり、是は王せん島と申して、かくれもなき馬人島とはこの所なり。
御曹子はきこしめし、面々の腰につけたるは、いかなる物ぞと問ひ給へば、是は太鼓と
申す物なり。何のために付くるとの給へば、島人申すゃう、われ〜が書のあまり高く
して倒れてあれば起きあがる事なし、叫べど撃の出でざる時、是を打鳴らし候ふと申す。
義経しばらく物語して、返留も診なしとて、又御舟をおし出だす。風にまかせて行くほ
どに、八十除日と申すには、又ある島へぞ著き給ふ。清によせて見給へば、髪 の隔て
はしらす、三十人ばかり裸にて居たりしを御覧じて、いかに島人、この島をば、いかな
る島との給ひければ、さん候ふ比島はかしまと申して、かくれなき裸島と申すなり。御
曹子きこしめし、これは碑の誓かや、所のならひか、不思議なりと仰せければ、紳の誓
にてもましまさす、只昔より比所のならひにて候ふとて、かくなん、
風ふけばさむくはあれど継島魔の衣のやうを知らねば
義経きこしめし、やさしき事を申すものかな、さらば麻の衣をまるらすべしとて、南に
るちー越にて南 向はせ給ひ、はたひみんと申すを行ひ給ひて、三度まねかせ給へば、みちのせ八十
越國の事にゃ
はたひみんーみ 船 にみえたり。すなはち是を島へ興へ給へば、島人ども喜ぶ事かぎりなし。共後義経
んは印なるべし
御伽 草 紙 七四
ふなざっ
のたまふは、是より千島の都へはいかほどの舟路ぞやと問はせ給へば、島人うけたまは
きけんじやうねん
りて、喜見城の都へならば、順風よくして三年、風あしくば七年にもわたるなりと申し
ければ、御曹子きこしめし、かなたこなたの島わたりして、心勢をせんよりは、これよ
り騎らばやと思しめして、案じ煩はせ給ひけり。島人ども申しけるは、
せ 比島に御とゞま
]
りあれと ぞ申しける。さるほどに義経案じかねておはしけるが、待てしばし我心、比
まふ騎る物ならば、秀衡に何といふべきやうもなし、見限られては叶ふまじと思しめし
又御井を消きいだし、日数っもりて七十二日と申すに、又ある島にっき給ぶ。 により
て見給へば、年の程四十ばかりを射として、十七八なるものもあり、女あまた出で合ひ
まほりー守、護

て、御曹子をとりこめ、あら嫡しや、島のまほりこそ来れとて喜び、既に害せんとしける
に、御曹子仰せけるは、いかに島人たち、まづ物を聞き給へとありければ、それには収
りあひ申さすして、おのれら互にいふやうは、三百年がそのさきに、シより男三
人来りしを、おさへて斬りて島人のまほりにし給へば、それより島はめでたうして何事
も思ふまよなり、皆々よりてきり取りて、まほりにせよと言ふまょに、鉢をよこたへか
かりたり。義経今を限りとおほしめし、少しのいとまをたび給へ、竹を鳴らして聞かせ
んとて、たいとう丸を抜きいだし、王 五 上 争 中、六 下、九とて、八つの駆正に花の
露を吹きしめし、時の調子を取り、シにて吹き給へば、女共は是をき 、面自いそや
シ 島のまほりにしたけれども、竹を鳴らすおもしろきに、しばし許し申さんと、鮮
を投けすて笛をこそは聞きにけれ。さる程に御曹子は、たばかりたると思召し、そのあ
むくりー蒙古 ひ〜に物語をそし給ひける。われ日本薬原國より むくり選治のそのために、十高除
のつはものを揃へて渡るなり、これらをとり給ふべし、われ〜を斬りて、少しつつま
ほりにかけ給はんより、男一人っっ夫と定めてもち給へ、十萬除騎の人かすはわれらの
まょにて候へば、いそぎ騎りてわたさんと仰せければ、島の女どもよろこび、心うちと
け語りける。比島は隠れなき女この島とそ申しける。義経仰せけるやうは、女ばかりに
て、和合のかたらひなくして、種をばつくるぞとの給へば、さればこそとよ、是より南
なんしうー南州

最愛ー最愛の夫
の意
みらせんと、いとま乞ひしてたばかりすまし、御船をおし出だす。風にまかせて行くほ


がとろ 十除日と中すには、又あ こさ
御伽 草 紙 七六
へば、せいの高さは一尺二寸ばかり、扇のたけに等しきほどの者、三十人ばかり出で来
れり。御曹子は御覧じて、比島の名は何といふぞと間はせ給へは、島人まなこに館をた
て何といふぞや、シは、足こそは隠れもなきちひさご島とは比ところなり、又はさっ
島とも中すなり、ちひさご島と申すは、除りせいのちひさき故なり、またほさつ島とは、
よるも三度 ひるも三度 南方極楽世界より二十五の菩薩たち、管継を奏し%師なり、業
シじ、花ふり、紫雲たちて殊勝なり、しかるゆるに比島をほさっ島とは中すなり、人
の命も長くして、八百歳を保つなりと申す。義経きこしめし、挑は菩薩のましますかや、
一日なりとも留り、拝まばやと思召しければ、案のごとく二十五の菩薩影向ならせ給ひ
て、管統音楽し給ひて、心も詞も及ばれす。法華経に説かれたり、らうりくとくあんお
んらくと聞く時は、ありがたしありがたし、上品上生、極楽世界うたがひなしと思しつ
っ、随喜の涙を流したまぶ。誠にあり難しとは思へども、こょに心をとめてもせんなし
とて、また御船をおし出だし、風にまかせて行き給ふ。明けぬ暮れぬとせし程に、九十
なぎさ
五日と申すには、又不思議の島につき給ふ。さるほどに御船を藩によせて見給へば、年
の程四十ばかりを慰として、二三十人いで来り、御曹子を見たてまっり、横手をはたと
てんくわのぼう
ーアイノ語に得
打ち、あら嫡しやといふまょに、てんくわのほ
物をふりまはす うに、ぶすの矢を持ちて、中にとりこめければ、
事を「テンカコ
シナ」とい へ ば
いたはしや御曹子、既に御命あやふかりける有
それを説りてテ
シクワの棒とい
ふならん 様なり。浅ましや、かよる撃目にあふ
ぶすの矢ー附子 世の因果めぐりきて、かふる憂目にあふ事よ
の毒を塗りたる
矢 心細くて、すこし心をとりなほし、島人にの給
ふやうは、少しのいとまをたび給へ、竹を鳴ら
して聞かせんとありければ、少しくつろけ奉る。
其ひもま にたいとう丸を取りいだし、ねとりすま
-

まん
じゆらく
ん%
して、萬毒楽といふ楽を、しばし吹かせ給へば、
島人是をきくよりも、竹を鳴らすが面白きに、い
かほども鳴らせとて、皆々しづまり笛を聞きて
ぞみたりける。義経は御覧じて、物語をし給ひ
ける。比島の名をば、何といふぞと問ひ給へば、
七七
-
- シー - - ー
シ -
-
* シ
シ シ " 「『 ーj}ー
-

* *}
ー 「「『リシー===シ旧 =
御伽 草 紙 七入
蝦夷が島とて隠れもなき島なりと申しければ、御曹子きこしめし、これより千島の都へ
ふなざっ

は、いかほどの船路ぞと問はせ給へば、これより都へは、順風よくして七十除日、只よの常
の船路ならす、同じくは是にとざまり給ふべし、住めばいづくも都なり、竹を鳴らして
よ ん
きかせ給へ、命を助くるうへなれば、何に恐れ給ふぞや。義経聞召し、とゞまるべきに
さぶ、
もあらすとて、暇ごひをぞし給ひける。島人は色々止め申しけれども、十日ばかりは休
み給ひて、そののち船をおしいだし、あたりの鶴を見給ふに、渡るべきやう更になし。御
うし ま うじ ゆず
曹子折離をとり、潮をむすび手水として、 数さら〜とおしもみて、南無や焼天帝
響、四大天王、日輪月輪、継じては氏碑正八幡、ねがはくば、島へ難なくわたしてたび給へ
と、斬念ふかく申させ給ひ、癌かいかちを取りなほし、風にまかせて行くほどに、はるかに
遠き艦路なれども、所誓のしるし現れて、音にきょし千島の都にっき給ふ。大王のうち
を見てあれば、心もシ及ばれす。地よりは三里たかく、八十町のくろがねの築地、繊一
の網をはり、くろがねの門を立てたりけり。門のあたりを見てあれば、牛頭馬頭町備難
たく せい めうし
ゆゃしゃきー未
雑 たょせいめうしゅやしやきとて、鬼どもあまた居たりしが、御曹子をみつけ、横手
る じき かれら
詳、但しゃしゃ
きは夜又鬼なり
をはたとうち、あら嫡しや、餌食にせんとて中にとりこめけり。彼等がせいを見給へば、
}
霞の意云々ー暇一十丈ばかりに見えにけり。十二の角をふりたてて、 霞の意をつきければ 長徳の闘とそ
へり なりにけり。義経は御競して、日本にてあるならば、十高除崎が来るとも、物のかすと
も思はじに、かよる虜にてとやせんかくやあらましと、思ひまはせばシのやるかた更
になかりけり。せめての名残とおほし召し、少しの暇を乞ひ給ひ、たいとう丸を取り出
だし、干五上句中六下九とて、八つの歌日花の露にて打ちしめし、時の調子をとり合せ
t?"| シにあふちう、かんしゅ、さうふれん、まんしゅらくしゆみゃうりう やこんらくと
*ー# いふ楽を、今ぞかぎりと吹き給へば、 阿備難純は足を聞き 餌食にはしたけれども 竹を
㎞。「“一鳴らすが面自ければ、ゆるして吹かせ聞かんとて、霞の息を引きければ、もとの空にそ
㎞。「一時れにける。御曹子は時の命をたすかりて、こょをせんどと吹き給へば、あまり面自き
に、いざやHひて吹かんとて竹をもとめて穴をあけ、吹きて見れども鳴らされば、只くわ
㎞「"|んきよが吹くほど面自き事よもあらじとて、東西をしづめて聞きけるが、ある鬼がいふや
㎞ うは、是程おもしろき事を我等ばかり聞かんより、いざ大王へ申さんと申しければ、もっ
㎞一ともと申しっょ、やがて奏聞申しけり。大王きこしめし、いかなる事ぞや、見給はんとて
い。一八十二間の魔様まで呼びたまひければ、やがてまみり給ひて、大王の出でさせ給ふ姿を
御曹子島わたり 七九
御伽 草 紙 八○
見給ふに、五色をひゃうし出で立ちて、十六丈のせいにて、手足は八つ、角は三十あり
て、よばはる盤は百里が間も響きわたるなり。肝たましひも身にそはす 大王は大の眼に
館をたて、日本薬原國より渡りたるくわんきょとは次が事かとの給へば、まなこは朝日
のか?やく如くなり。次は竹とやらんを鳴らすと聞く、吹けきかんと云ひし有様、おそろ
油 軍ー笛の表を
一いふ
しき事は限りなけれども 思ひ設けたる事なれば、たいとう丸を取り出だし、鋼の池厳
はづし、ねとりすまし給ひて、楽はさま〜多けれども、それ天笠三にてはしょとり、へい
とり、とくてん、とやかてん、りんせい、さうふれん、しゆみやうわう、にちはんらく、
シの曲と申せし楽 愛をせんどと吹き給ふなり。大王うっら〜と聞きたま
ひてなのめならす喜び、さても奇特に鳴らすものかな、よき小くわんきよはこれまで渡り
たり、三百年以前に筆原國よりわたり、怒ち道にて命を失ふもののあるが、次はこれまで
難なう来る不思議さよ 望のありて来りけるか、隠さす申せとありしかば御曹子間召し
恐れがましき事なれども 比隠襲に大日の最温のましますよし承りおよび 是まで参りて
候ふなり、御なさけに御博へありて給はり候へかしとの給へば、大王聞召し、あらやさし
のくわんきよの心ざしや、難なく是まで来り、師弟の契約となのるぞや、七生の契なり、一
字千金のことわり、師匠の恩は七百歳と説かれたり、されば御身渡りて河の案内知りたる
らん、その河をば、かんふう河と申すなり、水の底よりシふき、自波たちて、素原國
の氷に百千まさりつめたかるらん、その河にて、朝三百州三度、ゆふに三百州度拒離を取
り、三年三月精進をして、八月十五日に一度習ふ大事なり、草原國の大天狗太郎坊もわが
弟子なり、四十二巻の巻物を相博せんと申せしが、やう〜に甘一巻、いのほうまで行ひ
て、それより末は習はぬなり、もしそれを習ひてやあるらん、それを習ひてあるならば、わ
れ〜が目の前にて、ことム〜く語るべし、共後大事を博ふべしとの給ひければ、御曹子
は聞召し、もとより鞍馬育ちの事なれば、昆沙門天王の化身、文珠の再誕にてまします
うへ、文字にくらき事ましまさす、鞍馬の奥にて習はせたまひし、四十二巻の巻物を、こ
しんべう
とん〜く行ひ給ふ。大王御覧じて、誠にに次は心ざし深きものなり、碑妙なりと仰せあ
まづ *
りて、さらば許し申さんとて、師弟の契約をなし給ふ。先りんしゆの法、かすみの法、こ
む やく
たかの法、きりの法、雲井に飛び去る鳥の法な どを、御博へあり。是より奥は無盆なり

一人






、せし
まか

とん
王 と て
、御座敷をたょせ給ひにけり。御曹子はたぶ





と大らました
あは




しやきといふものを使にして、くわんきょ


御曹子島わたり 八一
* - - -
- - ーーーーー 『 →ー}ーシ - 。
御伽 草 紙 入二
は、いづくにあるぞ、見てまみれとありしかば、るしやき立ち出で見て、もとの虜にあ
りけるを、よく〜見てぞ騎りける。
さかもり
大王にかくと中しければ、大王聞召し、さては不思議のものかな、さらば出でて酒盛し
て、竹を鳴らさせ聞かんとて、今度は姿をひきかへて出でばやとの給ひて、阿術雑を
千人ばかり引き具して出でさせ給ふ。大王の出でたちには、年の齢四十ばかりの男にい
でたち給ひ、鳥帽子装束を引きつくろひ、三でう重ねのたょみの中程に、むすとなほり
御曹子を左手の方へ呼び寄せなほらせ給へば、前見し姿はかはりけり。御歪はじめ給ふ。
くわんきよは竹を鳴らせとの給へば、たいとう丸を抜きいだして、くわいはいらくといふ
楽を吹かせ給へば、面白いそや、くわんきよ、シといふ楽は、歪をめぐらすと云ふ
楽なり、さらば歪めぐらせとて、順 避なりとさす程に、酒もなかばと見えしかば、大王
のうれん
扇とりなほし、錦の暖籠かきあけて、あさひ天女は聞くかとよ、草原國のくわんきよが、
竹を鳴らすがおもしろきに、出でて聞けやとの給へば、天女はきこしめして、出づまじ
まき染ー布を巻
きたるまく所々 き物とは思へども、父の仰せにてありければ、出でばやと思しめし、出でたち給ふ御装
くくりて染むる からまきをめ
をいふ 束、しけまき染の花のやうなるに唐巻染、菊がさね、むらがさね、 このはがさね、八重
がさね、唐綾織一かさね、十二ひとへを引き重ね、女房たち十二人ひきつれ、七重の展
風、八重の九帳、九重の殿の内より出でさせ給ふ御有様を、物によく〜たとふれば、十
シ継の梅の花かと
㎞『 五 の月の、山の をはのぐ ませのうちの八重菊
疑はれ、いでさせ給ひて、父大王の右手の脇になほらせ給ふ御姿を見たてまつれば、三
御曹子は御

るべし 十二相 八十すいか
覧じて、たと うのかたちを
ひ命はすっ せびたるシ
るとも、一夜なりとも馴れ にてこそおはしりれ
てこそ、この世の思出ともなるべし
と、心そらにあこがれて、楽はさま〜多けれども、男は女を 悪ふる楽、女は男を継
ふる楽、シといふ薬を吹かせ給へば、天女はこれを聞き答め、くわんきよがみづか
らを心にかけるやさしさよと思しめす。大王仰せけるやうは、あの魔はシ三月に母
に離れ、心慰むかたもなし、竹を鳴らして聞かせよと仰せあり。酒もすぐれば、大王御
座敷をたち給へば、天女も共にたち給ふ。御曹子も慕ひゆかせ給ひ、一日二日と思へど
も、日かす積りければ、天女も岩木ならねば購かせたまひ、浅からす契をこめ、心うち
とけ給ふ時、御曹子天女にの給ひけるは、われ葉原國より望ありてまみりたり、叶へ給
はゞゆめばかり語り中さんと仰せければ、天女はきこしめし、何事なりとも叶へ申さん、
八三
御曹子島わたり
御伽 草紙 八四
はやとく〜とありければ、比内裏に大日の兵法のまします由うけ給はる、一目みせ給
へとの給へば、それは足よりうしとらの方より七里奥に、壇を築き注連を張り、石の倉
こがね
にこめおき、奪の箱に納めっょ、たゞ世の常の事ならず、ことさら女のまみる事、なか
なかならざる虜なり、その事ばかりは思ひもよらぬ事と ぞ仰せける。義経きこしめし、
こょにたとへの候ふぞや、父の恩の高きこと須弾山よりもなほ高し、母の恩の深き事は
大海よりも尚ふかしとは申せども、親は一世のむすびなり、不思議なりとよ、夫婦は二
世の契ぞかし、『夜の枕をならべしも、百生の契にて侍るなり、御身と我とはこと更に
蒼波萬里をへだてたれども、誠に他生の契深きことなり、何とぞ案をめぐらして、かの
巻物を一目みせてたべとぞ仰せける。天女は比由きこしめし、おもふ中の事なれば、父
の勘常は蒙るとも、見せばやと思召し、ふしやうなる身ながらもシ持ち給ひ、七里山
の奥におしいらせ給ひ、七重の注連をひき挑ひ、石の土蔵を見たまへば、文学三ながれ
りゃうー龍か あり、足にりゃうといふ字をかきて、こそうの獣を打ち給へば、石の主蔵はひらけに
こそうの獣ーこ
そうは虎爪か り。金の箱の蓋を開き、ふしやうの手にとり、我屋にかへり給へば、御曹子斜ならすに思
しらかみ
しめし、三日三夜に書きうつし給ふ。奇特の兵法なれば、あとは白紙とぞなりにける。
天女見給ひ、いかにや、御身きょ給へ、比巻物の自紙になるうへは、定めてしるしある
べし、大事の出で来ぬそのさきに はや〜騎り給へとそ仰せける。義経きこしめし、天
事獣来御身の命のがれすば、われも共に御身の如くなるべし、さらすは葉脈園へいらせ
給へ、御とも申さんとありければ、天女是を聞き給ひ、草原國へまみる事、ゆめ〜成
らざる事にてあり、名残をしみの物語に、比兵法の威徳を語りきかすべし、御身を返し
申さんに、さだめて説手むかふべし、共時る んさんといふ法を行ひ うしろへ投けさせ給
ふべし、海のおもてに、しは山獣来あひへだたるべし、山を尋ねんそのひまに、逃けの
びさせ給ふべし、第三の巻物に、らむふう、ひらんふうといふ法を行ひ給ふものならば
日本の地に程なくつかせ給ふべく、みづからが事を思しめし給はゞ、大日の一の巻に、ぬ
けんさん ー建
議、天目の 一種 れての法と申すを行ひ給ひて、けんさんに水を入れ、あふむといふ文字を書きてみ給は
あふむー阿兵か
ば、その水に血うかび申すべし、共時父の手にかょり、最後ぞと思しめし、御経よみて
用ひたまへ、大事いできぬそのさきに、とく〜騎り給へとて、天女はうちに入り給ふ。
御曹子は忍びて内裏を出でさせ給ひ、かんふう川へ御舟を乗り出ださせたまへば、案に
もたがはす、内裏には火の雨ふり、いかづち鳴り、くらやみにこそなりにけれ。大王大
御曹子島わたり 八五
- -
御伽 草 紙 八六
いち
きに驚き、築地に腰をかけ給ひ、つく〜物を案じ、かのくわんきよが、兵法を望みて
これまで渡りしを、許さすしてありつるが、天女がありどころを教へ取らせけるぞと思
へば、怒ちしらかみの巻物、二三巻御まへに吹き降る。案にも違はざれば、おつかけよと
㎞ ありしかば、シ人はかり出であoて我さきにときっ てんくか
㎞。一んのほうにぶすの矢をはめて、浮査といふ馬などにうち乗りてそおっかけける。御曹子
あとをきつと見、案にも違はす、天地をひゞかしおつかけける。既に御舟まちかく見え
しかば、天女の教へ給ひし、る んさんの法を行ひ、うしろへ投けさせ給へば、平%たり
し海の師に、潮の山七つまでこそいできたれ。この山を尋ぬるそのひまに、早かぜの法
を行ひっょ、さきへ投け給へば、他に天風ふき来り、四百三十除日にわたりしを、七十
五日と申すには、日本土佐の港につき給ふ。
さる程に鬼ども、御曹子を見失ひ、せんかたなくて立ちかへり、比由かくと申せば、大王
大きに腹をたて、天女がくわんきよに心を合せたること疑なし、天女がしわざなれば、助
けおきて診なしとて 花のやうなる天女を、八つにさきてそ葉てたりける。この天女の本
地をくはしく等ぬるに、日本相模の園江の島の解期天の化身なり。義経をあはれみ 源氏
の御代になさんため、鬼の娘に生れさせ給ひ、兵法博へんそのため、かやうの方便ありと
か や。さるほどに義経、兵法の巻物取らせ
ほど 給ひて、土佐の港へつき給ふ。奥州に下りた
まひ秀衡にかくと仰せければ、秀衡はうけたまはり、さても御命のはてさせ給ふかと案
じ中すところに、兵法博へ騎らせ給ふ事、日本はやす〜切りとらせ給ひ、源氏百代の世
中し
㎞ とならんこと疑なしとて、喜ぶ事限りなし。足はどの君はあらじとて、いねう湖
けり。さる程に義経少しまどろみ給へば、天女枕がみに立ちそひての給ふやう、御身は
何ともなく渡らせ給ふ物かな、みづからは大王の手にかょり、空しくなり候へども、御
身ゆる の事なれば、命はつゆも惜しからす、二世のちぎりは朽ちせじと、涙をながし給
ふかと見えさせ給ひければ、御曹子かつばと起きさせ給ひ、いかにやと言はんとし給へ
ども、夢にてあり。あはれと思しめし、涙をながし給ひ、あまりの不思議さに、天女い
とまごひありし時の給ひける如く、けんさんに水を入れ、大日の法の一の巻にぬれての
法を行ひて、あふむの二字をかきて見給へば、約束にたがはす血一瀬うかびたり。さては
疑なしとて、敷き給ふ事かぎりなし。さて御僧を供養し、御経をよみ、さま〜用 は
せ給ひけり。昔より今にいたるまで、夫婦の中ほど切なる事はよもあらじ、かくて兵法
御曹子島わたり 入七
〜』『- -
御伽 草紙

ゆる 日本國を思ひのまふにし がへて、 源氏の御代とならせ給ひけり。
講水二年の秋の頃、鎌倉の兵衛佐類朝は、八ヶ園のさぶらひたちを、皆嫌倉へ召しのほ
せ、中門に出でさせ給ひて、さぶらひたちに向って仰せけるはいかにシ聞き給へ、そ
も〜平家、頼朝が威勢に恐れてこそ、都をばおちて候ふに、木曾の左馬の頭義仲、
郎蔵人行家らがシ日にゃならん、主上にや参らん 法皇にゃならんと、天下をほ
きつくわいー帝
怪 しいまょに振舞ふことこそ、きっくわいなれ、平家退治のさきに義仲を退治せん、佐橋の
シその山を中し、奥州の秀術も九郎 者義経をのほせんと中すなり、この十月の頃
なるべし、勢をのこさでっれたまへ、変魔せよとそ仰せける。さぶらひたちはうけ給は
り、かしこまると中して、皆園々へぞくだられける。をりふし共頃、鎌倉殿に鷹楽の龍
と中して、シの女があり。これは信濃の園の本殿のさぶらびに、手塚の太郎かな
かなざしー金刺
さしのシが娘なり。あまりにシの上手なり、琴もすぐれてあればとて十八の年鎌
唐 糸 草紙 八九
---
-* } - } } *

御伽 草紙 九○
-
シ -
倉へ召しのほせ、管級の さい 、 』 、き、
座敷を預けらるょが、唐糸は比山をうけ給はり、なさけなの事 - -
どもや、木曾殿の御減亡は、親一門の減亡なり、いかにもして比事を、木曾殿へきかせ
奉らんとて、ひとま所へ忍び入り、交こま〜と書き、下人の男にもたせて都へとてこ
奏者ー取次 そうしや
そ上せらる ふ。下人 鎌倉を出でて、十三日と申すには都につきて、父の手塚が奏者に
ふみ
て、かの文を木曾殿へ奉る。義仲ひらきて御覧じて、これはいかなる風のたよりと思し
めし讃み給ふに、鎌倉中にては木倉殿御退治の御評談、奥雨國と闘東勢が、一っにな
り、十月の中頃に都のほりと申すなり、比たびのよろこびには、父の手塚に越後信濃を
くだされよ、これにて唐糸がいかゃうにも頼朝の御命を、一瞬差あてがひ奉らん、木令一
殿の御重代に、ちゃくいと申す脇差をそへて給はれとこそ書いたりけり。義仲御覧じて
忠臣ー忠義の意 なのめならすに思しめし、御返事をあそばしける。そも〜唐糸が忠臣をば山ほどに思
)
しめす、比度のよろこびには越後信濃を取らするなり、唐糸それにて頼朝が命をとるな
らば、闘東八ヶ國を父の手塚にとらせ、あめがしたの副将軍となさうするなり、唐糸をば、
義仲が御豪になすべし、もし又露の命を失はゞ、父の恩に報ぜよかし、比事人にしらすな
と書きとゞめ、木曾に博はる重代のちやくいと申す脇差をさしそへ下されける。下人は
これを給はりて、鎌倉へこそ下りけれ。
唐糸御文見まみらせ、なのめならす喜びて、かの脇差を肌身をゆるさす差しもつて、頼
睡眠ー傍訓原本
のま 〜 朝の魔眼のたびごとに、狙ひけるこそ恐しけれ。さすがに頼朝は果報いみじき大将軍に
てまし〜ければ、とかく通れ給ふぞめでたけれ。をりふしその頃 大御所さま、御一
豪さまの、薬の風呂の候ふに、かの唐糸も御とも申してまみられける。共日の風呂の奉
行には、土屋の三郎もとすけなり。もとすけ、唐糸の前が小袖のしたより、かの脇差を
見つけっ、比きぬの主はたれ人ぞと尋ねける。ともの女房うけ給はり、唐糸さまの御
小袖なりと申す。もとすけ、大きに驚き、あの唐糸と申すは木曾殿の内に手塚の太郎が
娘なり、いかさまこれは我君さまの御命をねらひ奉る女なり、君に比事をしらせ奉らん
とて、御所をさしてぞまみりける。頼朝は御覧じて、何とてもとすけは風呂の奉行は申
さぬぞ。もとすけうけ給はり、土屋が風呂の奉行に、賓を見つけて候ふぞ、御覧ぜよと奉
る。頼朝御覧じて、さても不思議の事どもかな、これは本令に博はる重代にちゃくいと
中 す脇差なり、何とてもとすけは見つけたるぞとの給へば、御所方の女房唐糸の前が、小
み うち
(6
袖のしたより見つけ申して候ふ、そも唐糸と申すは、木曾殿の御内なる手塚の太郎かな -
唐 糸 草 紙 九一
助て


ん悪界

もこ如く
にそ給
ふさ浮たん
た 悪け人のせ土めけ人 、
助は
を き物

備いし

となの



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で法もの
し儀


べき
かにも
けり本ら
度 ぎ
い 一
なは


の日頼、



き。




ぐよし

申し る本朝の 一
こまる

こしめし 松うけ

へはける
給仰




召せ
唐下

共さにが岡り屋せ糸れそ 一
こを
て 所







武と
てなに

護とは
すおかる


こにかく
く 蔵りけめの


殿

八賞


とふじ
な興

御。
佐奉へ
兵頼けい

だし る覧衛朝 を
幡り 観の

見木

殿




唐。


前土奉る

共づ松し
あ が岡
察り倉糸屋け を
引唐たま

はり
土ける

うけ
仰奉れ

とづまで


殿 き糸屋せけ 、
松まる
、 が岡 しま

世しひ
き犯

になは
ぬ似重
代形女

こしめし
めす
づか
づり合見 申し


ける
ふと

ては見よ
給か時
申に

、木ば

仕こせ
給とりす曾れ らん
たみに さを

とは
申くい
脇差
ちが

代木て
重何御覧

次頼



したるすゃ倉と朝 ま
か。
にだい

御召て
御申たま
、と


う召せ
ける
仰唐糸
ぞしこすし前けせ 、 召き朝しりか使 近く
驚きこしめし

大き
頼と

ける
申なの
ぞ豊








れ ら
寄せ
御ひ

なり
ね君

奉命



いな光


これ娘


ざし
かさま
身る
らり

はつこ

*・・、)、*

}*


ために、出家は備舎 たつるなり、たとひ主に向つて弓を引き、親に向って 刀をぬき、牛
さんりんー未詳 馬の をきりたりともさんりんしたる悪人に子細はあらじと思ふなり さゃうに務を責
むべくば、私家にあづけて置かすして、みづからに預け置き、答をせむべきとて遠せと
は、もとすけが香麗か、頼朝の番属か、申すに及ばす、殊にみづから出家と申し、女と
舌を喰はんー舌 いひ、頼朝はもとめて恥をかょするか、舌を喰はんと御腹たつ。力及ばす、もとすけは一
を噛みて自害せ
んと也 御所さまへまみり、比由をぞ申しける。頼朝きこしめし、その儀ならば、松が岡殿の御
腹のなほるまで預けおき奉れとて、かさねて子細はましまさす。共後松が岡殿には、と一
にかくに唐糸は大事のものにて候へば、鎌倉中に置きてはあしかりなん、い
ちゃうにちー上
日又は直日の意
へ下れとて、ちやうにちの者を添へらるょを、忍びて信濃の國へぞ送られける。武蔵の
にて常番の者を
いふ
園六艦と申すところにて、梶原平三景時は、上野の園瀬田の庄にて、百日の日をふんで
いま鎌倉へ上るとて、唐糸と行きあふこそ 本意なけれ。景時見るよりも、それなるは唐*
か、我君の御命をねらひ奉るくせものなり、それ〜たぞと下知すれば、ちゃうにちの一

にしひがし
ものも、西弱 ペばっと散る。そのとき景時は唐糸をおしこめて、鎌倉へ上りけるこそ本
からづける

意なけれ。梶原はわが家にも騎らす、唐糸をすぐに御所へひかせて参り、上野土産奉。
唐 糸 草紙 九三
御伽 草紙 九四
-
みやけ
んとてまみらせける。頼朝は御覧じて、これは何たる土産にもましたるとて、大きに悦
*
む ほん
* さい い ィ、- *
び給ひて、いかさまこれは唐糸がひとりの謀叛にてはよもあらじ、鎌倉中にては、大名
にんじゆ さひじやう
か小名の人数あるべきぞ、松が崎にて七十五度の問状して問へとて、ものょふどもにぞ
おんこし
仰せける。松が岡殿には比由を聞しめし、梶原と死なんとて、鎌倉へ御興かたっ。頼朝
このよし聞しめし、まづ〜こなたへ引けやとて、御うらの石の年へぞ入れられける。唐
ふのわるさーふ
は分にて天運の 糸がふのわるさ、君の御果報申すに及ばす。共後唐糸は信濃の國に六十にあまる老母と
一意、「ぶがわるい」
一といふに同じ
十二になる姫をもたれけるが、唐糸十八歳の年、鎌倉へ 上りしが、ことしは十二にな
ると愛えたり。名をはシの姫と申しけり。唐糸のシのよし、信濃の園へ風の に聞
えければ、 そもこれは何事ぞとて、天に仰ぎ地に備して、流沸こがれて泣きにける。萬
毒涙をおさへて申しけるは、我身鳥ならば飛びも越し、母の行くへを聞かまほしうこそ
に こう
候へ。屈公きこしめし、みづからが数きも次には劣るまじ、今より後に逢ふ事もありも
ひさこまこころ きぬ
やせんと数かれける。萬書も一間所へ騎り、衣ひきかつぎて、流沸こがれ泣きけるが、さ
めのさこ
夜ふけ方に、乳母の更科をめされ、いかにや、更科うけたまはれ、わが母の唐糸は、鎌倉に
石の年にましますとうけ給はり候ふぞ、わが身いかやうにも鎌倉へ尋ねこし、御ゆくへを
尋ねきかまほしく候へ、更科をひとへに頼む、つれて鎌倉へ上りてくれよと申されける。
おとことも思は 更科うけ給はり、をとことも思はす、親をば何とか尋ね給ふべき、萬毒さまとぞ申しける。
ずーまこととも
思はずの誤か
萬毒きこしめし、これはいはれぬ申しごと、みづから鎌倉へ上り、唐糸を親なると尋ね
て参らばこそ人も不審をたて候ふべき、鎌倉殿か、それなくば秩父殿か、和田殿へ、五年
も三年も、奉公を申し、鎌倉にあるならば、いかでか母の御ゆくへを聞きいださぶるべ
をさあいーをさ
なき人といふ意
きぞ、更科いかにとの給ひける。更科うけ給はり、をさあいの心にさへ親の御恩を思し一
めす、たとひ践しき者なりとも、お毛の御恩をわすれ申さんや、野の末山の奥までも
みづから御とも中すべしとぞ申しける。まんじゆ聞しめし、なのめならすに思しめし
さらばシに思ひたち 旅の装束せんとて高講その夜の装束には、肌には継のあはせを
召し、親を尋ぬる階艦なれば、めでたき事をシの御が難しけむらさきの織物に、十二
みのぎぬー美濃
重をひきかさね、柳色の椅をきて、市女笠をめされける。めのとが共夜の装束には、そ

しけもんー悪し
めつけにみのぎぬの染小袖、七つひとへをひき重ね、麻の椅をきるまょに、しけもんの
き絹経をしけと
いふ、それにて
っ みには、よろづの物を忍ばせて、シがこれをいた“いて、 聖を出でられける。
織りたる絹をい
ふにや 萬講の姫も更科も、あとさき知らぬ旅なれば、山路のする に行きまよひ、呆れはててぞ
唐 糸 草 紙 九五
-
御伽 草紙 九六
立たれける。萬講仰せけるやうは、いかに更科うけたまはれ、鎌倉は東の方と承る、月
日は東の空より出でて、夕日は西に入り給ふ、月日を心にあててゆけ、更科とのたまひ
て、月をしるべに行くほどに、既に共夜も明けければ、手塚の里にては、萬毒の姫、失
せさせ給ふとて、シをなしければ、歴然比由きこしめし、いか様これは、鎌倉の


へ出でたるらん、いそいでそれをとめよとて、かちゃ徳 にて出でられける。信濃
の國雨の宮といふ所にて、やがておつつき給ひける。
度公高書に抱きつき いかに聞くかや、萬毒の姫、唐糸は、はや死にたるものと思ひし
に、次までみづからを捨て、鎧の日へ尋ね行き、鎌倉殿へきこしめさば、にくき唐糸が
子なりとて、必す死罪に行はれ奉らん、思ひとまれと泣き給へば、萬毒承り、みづから
鎌倉へまみりて、唐糸を親と申して、尋ねてまみらばこそ、人も不審に思はんすれ、鎌
倉殿か、和田殿か、秩父殿へ、二年も三年も御奉公を申すならば、いかでか母の御ゆく
へ、尋ねいださで候ふべきと思ひ立ちてさふらふぞや。尼公聞しめし、共儀ならば 鎌
ゆぎやうをしやう
倉の近くに、藤澤の道場と申して、遊行和尚の建て給ふ御寺あり、知る人のあれば、み
づからは藤澤の道場に隠れみて、御身たちは鎌倉へこすべきなりとぞ仰せける。萬毒き
おほぜい
こしめし、人目を忍ぶ旅なれば、多勢つれては一
叶ふまじ、共儀ならば、いかなる淵瀬へも身を
投けて、浮世のひまをあけんと泣き給へば、尼
公きこしめし、人の子の親を思ふこと、稀な一
る道と聞きつるに、さても次は親孝行のもの
かな、共儀ならば力なし、尋ねてもみよ、更
科をひとへに頼むなり、よきに供してくれよか
し、更科とそ仰せける。めのとは承り、御供申ー
していづるより、野の末山の奥、火の中水の底
までも、共に入り、共に沈み中すべし、御心安
くおほしめせ、尼公さまとぞ中しける。尼公は
きこしめし、共儀ならば鎌倉へ 下るまで、男
ひとりつけんとて、五郎丸をそつけ給ふ。さら一
ばと言ひて立ち別れ、そなたこなたへ行く袖の、
御伽 草紙 九八
はらふ涙のひまぞなき。萬毒の姫は、雨の宮を立ち出でて通る所はどこ〜ぞ。親子の
契は、ふかしの里こそめでたけれ。浅間の嶽に立つけぶり、身には除れる思ひにや、い
ま入山をうち過ぎて、上野の園に隠れなき、船盤の猫をもうちこえて、一の御宮をふ
し拝み、二のたまはらに出でしかば、親の名のみか、ちょぶ山、末まつ山をうち過ぎ
て、霞の闘をもわけこして、人間の郡、やせの里、いくらの里をか越しっらん。暴らぬ
星の谷ー相漢に
あり かけは星の谷の、とがみ河原をもうち過ぎて、鎌倉山にっき給ふ。鶴が闘に参り、南無
とがみー低上、
相模にあり や八幡大菩薩、よろづの御碑にこえさせ給ひ、親孝行の御碑とうけたまはりて候 へ ば、
わが母の唐糸の露の命のうちにめぐり逢はせてたび給へと、肝臓をくだいて 斬 られけ
る。
共夜はこもりみて、明けぬれば、 こま〜と書かれける。みづから何事なう鎌倉まで一
命をまたう云々 参りて候ふ、とにかくに、うばさまの、御命をよく〜惜ませたまふべし、命をまたう
ー議
持つ亀は落葉にあふとかや、ある歌に
命あらばいくよの秋の月や見ん消えてはいかに露の玉の緒
と聞く時は、たゞ命がせんにて候ふぞや、御命まし〜てこそ、唐糸にもみづからにも又
はあはせ給ふべけれと書きとめて、鎌倉山より手塚の里のうばさまへ、萬毒姫とかきて、
五郎丸をば鶴が岡へつき、これまでなり、さらばとて、それより手塚の里へ返さる。そ
ののち萬毒姫は、御所さまへまみり、御奉行をのぞまれける。御豪さまには聞召し、國
はいづくの者なるぞ、親をはたれと申すゃらん。萬誇うけ給はり、武蔵の園シの
尋ぬるものがー 者にて候ふ、親を名のり申すまじ、御奉公申すならば、尋ぬるものが親にて候はんとぞ
た のめるものが
の術か 申されける。御豪比由きこしめし、親を名のり申さねば、御気づかひに思しめす。まづ
つばね おんつばね
まづ侍従の局にて奉公申せとのたまひ、御局がたへ預け給ふ。萬毒は侍従の局にてよき
人の返事をわが
にして-ー他人の
に奉公っかまっり、人の返事をわがにして、人の立たん所へも、わがものと立ちゆけば
返事したる用も
自分にて 解じて
観応がたにも、萬講はきょうの者なりとて、御なさけをそかけ給ぶ。#日の過ぐるその
きようー 幕用か 間、萬毒は人の物いふたびごとに、わが母の唐糸と、名にても人の申すかと、聞けども
聞けども言はさりけり。ある夜の寝覚に萬講、シに語られけるは、いかにや、更科う
けたまはれ、今まで甘日あまり過ぐるうちに、唐糸と名にても人の中すかと、聞けじと
-
も〜中さぬは、浮世にもなきか、生きて浮世にあるならば、人をばよかれあしかれ沙


汰する習ひなり、名をだに中す人もなし、必すこれは死したる人なり、州二日たづね
唐 糸 草紙 九九
■-『j「「『"""*}






し りく 萬事
よ 是非
れ 留
とも とまれ

かす。夜も既に明けければ、萬毒姫は御主さまの御うらへ出でて、あたりを眺めて御覧
する所に、 いづく
ゆきい

へ只て

をふ

よ給
ぞと
なくどき

言か泣き
又。

たま
ろこび
がら
く今き 夢

われ
知と


ぬな艦
、喜へ
て御り
まの

近唐さま
を づけ
らりぶ所る糸 めし
唐とい
、れ

なば

て消ばかり
し、

にし


よへ

教ふ
給糸らく れ ば
え入る づ


う御様
はし
給御



唐女前
申は
と石
、 けり所房糸す 御法度
にこめ
牢らつき そ
なると
申萬

ける
き、
書御
はに
度こしめし








なしい 共



な後


ばよじ
はく事
教とと
泣給



とあ

もまれ
らりまきも御身
ばかり
なへ

給毒


さ。


とた大め
を 驚の

更りまつき は
いだき
に たん
ひな



みら



H
%

み信

より
あへ


さづか
中まらんす濃ざる
過に
もさうに
、涙










ら、

人死に

必あ
ぎやせれ罪 信濃


い、


のも








まさん
仰し
あり
い甘
が日
まだ
で倉

せ は



べで悲し
つさよ
ふぞ

沈み

かめ

ける


大た


に、

きはしれき 御伽



一 -

こより


しあなた



よ萬
す御きと
なり
毒 申ける
そ。法度
れらし
こし

とも
づく

なく
一まみ


み、

いう

や毒




うかに


へ人ら




ナ に

ぎもん


めのとも喜びの涙をぞ流しけり。
頃は三月甘日に鎌倉山の花見とて、をりふし御所には人もなし。萬毒は、こよひ母の御
ゆくへを尋ねて見んとて、御所のうちをは忍び出でて、シをみてあれば、正八幡の御
方便かや、をりふし番衆もなかりけり。門も細目にあい たるなり。萬毒は嫡しけれども、
人の管めぬー人
を答めぬの誤か
よその見る目もあるらん 人の答めぬ悪あるゃとばかり疑はれ めのとをば御門の脇に
あまー天 たょせて、わが身は内へたっね入り、かなたこなたを尋ねけり。あま吹きおろす松風の
岩が根さわぎあ 岩が根さわぎあたるをば、人やあるかと疑はれ、心を静めてあたりを見る。甘日みなか
たるー岩が根に
さわぎあたる意
の雲はれて、月すこし見え給ふ。松の一むらある中に、尋ね入りて見てあれば、石の牢
みなかー玄中、
十時頃 こそ見えにけれ。萬書うれしさに急ぎたちより、年の扉に手をかけて、内の艦を聞きけ
るに、唐糸はシを聞きつけて、そも〜門におとっるょは誰なるらん、シのものか
又は唐糸が討手にばし向く人か、御使にてましまさば、浮世のひまをあけたしと、かき
くどきてぞ泣きにけり。
萬毒は承り、いとゞ哀れはまさりけり。牢のすきより手を入れて、母の手をとり、これ
は母の手にてましますか、わが身は萬 にてさふらふそや、なっかしさよと泣きにける
唐 糸 草紙 一o
シ } * }-
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、ダ
御伽 草 紙 一 ○二
涙は淵となる。唐糸聞きて、萬毒は信濃にこそおきつるが、今年は十二になると豊えた
り、夢かうつふか幻か、夢ならばとく醒めよ、さめての後はうらめしやと、かき日説き
てそ泣かれける。萬書、おはせの如く信濃の國にさふらふか、御シのよし風のたより
に承り、御命に代らんと、これまで参りて候ふぞ。唐糸きこしめし、共時萬毒が手をと
り、嫡し泣きにぞ泣き給ふ。御涙をおさへ、うばさまの御命はいまだめでたうまします
か、なつかしさよと仰せける。萬毒うけ給はり、何事もましまさす、御心やすかれと申
しければ、唐糸聞きて、次ばかり参りたるか。萬講うけ給はり、更科をっれてまみりけ
る。唐糸きこしめし、いづくに忍ばせ置きけるぞや。萬毒申しけるやうは、よその見る
目のいぶせさに、御門の脇にたょせておき申し候ふとて、やがてつれてぞ参られける。
唐糸御覧じて、更科めづらしや、唐糸がありさまを、不便と思ふべし、萬書は親子の契
なれば、尋ねてのほるもことわりなり、次はめのとと云ひながら、他人にて候ふものが、
これまで上るは不思議なり、昔より世にある主をは尋ぬれども、世におちぶれたる主の
跡たっぬるものは 上代にも聞き及ばす、末代にもあらじと、互に流す涙の色、ふる雨
のことくなり。共後唐糸 涙をおさへて仰せけるは、御身も人も、生きて浮世の封面
して、浮世の家塾はれてあり、更科をひとへに頼み申すぞ、っれて信濃へ騎り申せと仰
おんいのち
思ひきりー決心

せける。萬毒うけ給はり、信濃の國を出でしより比かた、御命に代らんと思ひきり、ま
はったとー断 じ

みりて候ふ、はったと信濃へ騎るまじと泣きければ、唐糸きこしめし、その義ならば、た
び〜まみるなよ、人に知られて候はゞ、君よりも唐糸が子なりとて、我よりさきに死
罪流罪に行はれ奉らん、よく〜忍べと泣かれける。萬毒承り、國をも名のり候はね
ば、存する人も候ふまじと、涙を流し語る。夜すでに明けければいとま申して、さらばと
しろがへ てー資
りしろなして食
て御所のうちへ騎りっょ、小袖を眠へいだし、しろがへて、めのとが忍ぶ時もあり、み
物などを求めて
っからが忍ぶ時もあり、 用がその間、母を養ふあはれさよ。次の年の正月三日に、鎌



しくの間ー獅子
の間なるべし 倉殿の常に御所念をなさるょ、しょの間の御座敷に小松六本、畳のへりに根をさし、生
えいでたるこそ不思議なれ。頼朝大きに騒がせ給ひ、かやうなるシは、土にこそ根の
さすに、機のへりに根をさし、生ひいでたるこそ不審なれ、鎌倉中のわづらひか、又は
頼朝が身のうへか、博士を召せとの給ひて、共頃鎌倉中に隠れなき 安倍の中もちと中す
博士をめされて問はせ給ひける。いかにや、中もちうけ給はれ、常に斬念するしょの間
の座敷に、シの内に、小松が六本生ひいでたり、鎌倉中のわづらひか、頼朝が身の上
唐 糸 草 紙 一○三
御伽 草 紙 一○四
せける。博士承り、そも〜萩萩の、花の命をのぶること、
に 世* 桃
園の桃、三千年に一度花さき、質のなると申せども、見
ちんゃさい かい の年をふることも、ちくさの八千年をふることも
ー未詳
くことはなし、そも〜君が千代をか
しさ
千歳、鎌倉山に年をよせ、楽えさせ給ふべき、かほどめでたき御事に、相生の松が枝を
鶴が岡の玉垣の御内に達薬をうっしかへ、十二人の手弱女をうっして、シを歌はせた
まはゞ、紳徳を深く君もめでたうましまさんと、占ひたるこそめでたけれ。
頼朝なのめに思召し、六本の小松を鶴が岡の玉垣の内へうつし、十二人の手弱女を揃へ
らるふ。まづ 一番には手越の長者が娘千毒のまへ、二番には遠江の國ゆやが娘の侍従、
三番には黄瀬川の能㎞ 四番は相模の園山下の長者が娘魔御郎、五番は武蔵の園入間川
のほたんといひし白拍子、これをはじめて十一人なり。鎌倉中廣しと申せども、ひと一
人に事を峡き、色々尋ねらるよ。共後萬毒の姫のめのとは、萬毒を近づけて、御身はみ
めよく、今様は上手にてましませば、比度出でて今様を歌はせ給へ、萬毒さまとぞ申し
ける。萬毒きこしめし、このたびの今様は世の常の今様にかはりて、めでたき事をばみ
づから何と計らふべき、思ひもよらすと仰せける。更科大きに腹をたて、かやうなる時、
- おつぼね
今様をうたはせ給ひてこそ、御よろこびもましまさんとて、御局さまへ参り、萬毒こそ、
おつぼねこ ひ ろう
今様の上手にて候へと申し上ぐる。御局よりも、御豪さま、頼朝さまへ御披露あり。頼
お まへ
朝大きによろこび給ひ、萬毒一目みんとて御前にめされ、御覧じて大きによろこび、御豪
さまより十二ひとへの御装束をぞ下されける。もとより姿すぐれたり、肩をならぶる女
お まへ
はなし。頃は正月十五日、御前に山をたて、大宮のゆんでには頼朝の御座敷、八ヶ國の
大名小名の御座敷、かす八百八とぞ聞えける。さて又めてには、大御所さまと御豪さま
じやうらふし
やうらふ
の御座敷をはじ
貧中の貴慶上下がまみりて見物申しけるほどに、鶴が岡に駒を立 か
かぐら
二人のやをとめ、七十五人の宮人、紳楽を奏して奉り、手越の長者が娘、千毒の前ときこ
かいだう
えける、貴践群集の言の葉に、海道くだりをつゞけたり。逢坂山のよるの月、くもらぬ
影をやながむらん、勢多の唐橋野路の里、置にくもる鏡山、不破の闘度のェ。個寝の
むしのい せいー
虫の威勢か
夢はやがて鶴が井の獅、むしのいせいゃをはりの園、みかはなる三河にかけし八橋の
くもでに物や思ふらん、知るも知らぬも遠江の、濱名の橋のいるしほに、さふ ねど上る
御伽 草紙 一 ○六
しゆく
ひきまー遠江の
引馬
あま小舟、こがれて物や思ふらん、ま弓つき弓ひきまの宿、さよの中山せとを過ぎ、う
せとー駿河の瀬 つの山漫の葛のみち、手越をすぎて行くほどに、月を清見が闘の戸を、おし明けがたの
戸山
空みれば、富士の煙や摩くらん、夢にもみやこ人こそめでたや、御代にはいづの國、浦
島が玉手営、あけて悔しき箱根山、鎌倉山をきてみれば、鶴が岡とや中すらん、鶴は千
しほりはぎーし
をり萩
年名魔 松は千とせのシ、めでたしと歌うたり。二番は黄瀬川の他鶴 しほりはぎを
歌うたり。伊勢の濱荻なにはの魔、鎌倉や武蔵野の、草の名多しと申せども、しほりは
ぎにしくものは候はじと、歌うたり。三番はゆやが娘の侍従、太平楽をふむ。四番は入
-
-
み だい
すゞりわりー観

間河のほたん、すゞりわりを歌うたり。五番のくじは萬毒なり。御豪さまより御装束給
ちやく
くじー園
● -
、シ
はる。としは十三の春なれば、十二ひとへを著しつふ、花のまそでを返し、楽屋のうちよ
くわぼく
はぶきー羽を振 り出でけるを、物によく〜警ふれば、花木に鷲のはぶき出でたる風情も、是にはいか

や、つー谷
で勝るべき、はたとあけて歌うたり。鎌倉はやっ七郷とうけ給はる、春はまづさく梅が
たに
除ー たにと傍 やつ、扇の谷に住む人の心はいとゞ涼しかるらん、秋は露おくさふめがたに、いづみふ
副せるは 「やつ」
たに
の誤なるべし ここ
から撃ー項撃
るかや雪のした、萬年かはらぬ亀がへの谷、鶴のからごる 打ちかはし、由比の濱にたつ波 し、J7
ふくじゆかいむりやう はうじゆ
ふくてんー顧田

は、いくしま、江の島つゞいたり、 えのしまのふくでんは、顧毒海無量の資珠をい
だき参られたり、君が代はさrれ石のいはほとなりて苦のむすまで、 砂や郡狙の松萬
うつくらー未詳 歳葉に、御命をのぶ、シの九千歳、うっょらの八萬歳、シの一千歳、西王母
の園の桃三千年に一度花さき、質のなると申せども 相生の松にしくことさふらふまじ
そも〜君は、千代をかさねて六千歳さかえさせ給ふべき、かほどめでたき御ことに相
みなしろー 自白
にて全部白きを
生の松がえ、シのよろこびを、君に擁け申さんと、小松の枝をゆりかづき、みな
いふ
しろのシ、三 度四五度まひかりたりければ、和 御競して、ほうらいにたち
る ほし、白轄巻をさしながら、みなしろの大幕を、投けあけて、かよるめでたき御こと
に、相生の松が枝を給ふらんとて出で給ふ。もとより頼朝は今様は上手なり、たつ波み
ひやうしあし
たんこ ふしきー る波よする波、引きしほの拍子足を、たんこふしきと踏んで、扇流しを歌ひすまし、萬
未詳 こさ
毒が花のたもとへ、頼朝の狩衣の御袖、まひかさね〜、二三度四五度舞 はせたまへば、
こ なふじゆ
風も吹かぬに大宮のたまの戸もきり〜ばっと開き、八幡も御継愛ありときこえける。
-
さるほどに八百八つのみす艇のシもざょめいて、貴脱群集を返しける。そののち頼朝
はんてー誤脱あ
は座敷のうちへ入り給ふ。萬毒姫は楽屋のうちへと引いて入る。頼朝仰せけるやうは、
るべし意味通じ
難し
たれやの人か計らふべしめでたくもはんでをさめよとて、今様はましまさす、春の日の
唐 糸 草紙 一 ○七
御伽 草紙 一 ○八
さかもり
くるふ まで酒盛とこそ聞え
聞 れ
お 々



たら

さ。
次 せ日







鎌ば

てま倉

の日、頼朝は萬毒を御前に

こう

は 次



のし
さて

そ手て
かな
め、
上でた
うたれ、國 な


はい
づく

、親をばたれと申すらん、親をなのれ、御引出物給は
るべきとぞ仰せける。萬毒うけたまはり、名のり申すまじと思へども、比たび名のり申
さすは叶はじとや思ひけん、思ひきりてぞ名のりける。みづからが親は御所様の御うら
の石の年にっきこめ給ふ唐糸にて候ふなり、されば四っ子にて棄てられさふらふが、
館の春の頃、母がシのよしを、信濃の園にて承り、今はあるにもあられすして、母の
命に代らんとおもひ これまでまるりて候ふぞや、このたびの今様のシには、母が
命にみづからを取代へてたび給へとぞ申しける。頼朝きこしめし、大きに御おどろかせ
給ひ、しばらく物をものたまはす。稲あつて仰せけるは、唐糸は次が母にてありけるぞ
や、唐糸を助くる事は、鳥の頭が自くなりて、駒に角のはゆるとも助くまじとは思へど
も、比たびのよろこびには、いづれの物か借からん、唐糸が露の命、今までシにてあ
るならば、急ぎ召しいだし、萬毒に取らせよとぞ仰せける。土屋うけたまはると申し
て、石の牢を引きやぶらせ、二とせに除る牢舎せし唐糸をめしいだし、御所さまの庭に
召し具して、萬毒にこそ渡されける。萬毒なのめによろこびて、母にひしと抱きっき、嫡
し泣きに泣きければ、母もろともに涙をながす。頼朝をはじめ奉り、 大御所御薬いづれ
もましますさぶらひ達、人の資には子にましたる資なし、さても萬毒は女とも 思はす、
十二三のものが、これまでまみり、鎧の淵なる親を助けたる、不思議なりと、みな感涙
を流しけり。共後頼朝は萬毒に引出物をえさせんとて、信濃の國手塚の里一萬貫の所を
ふしのゆ ひわた
ー富士の結綿か
ば、萬書にとてぞ下されける。御豪さまより黄鉱千雨ふしのゆひ綿一千㎞、萬講が宿
御ひきー御引出 へぞ送られける。大御所さまの御ひきには砂金五百雨、美濃のじやうほん一千匹下され一

美濃の じゃうほ ける。これをはじめて鎌倉中の諸大名、われも〜と引出物萬講姫にたまはりける。頼
んー美濃絹の上

朝仰せけるやうは、萬毒をば鎌倉にとゞめたくは思へども、母が心の恐しきものなれば、
いそぎ信濃へかへれとて、 御いとまをそ給はりける。萬書なのに喜びて、唐糸をひき
つれて信濃へとてこそ騎りけれ。のほりには三十二日に上りしが、かへりには五日にこ
ばんじの床ー萬 そは下られける。手塚の里におちついて、うばの尼公を見中すに、ばんじの に泣きふ
事休する程の重
病の床に泣き伏 して、今をかぎりと泣き給ふ所へ、萬毒まみりて候ふ、いかにや中さん尼公さま、われ
すとの意なるべ

われは萬毒にて候ふぞ、これは唐糸にておはしますと中しければ、尼公は親子のものを
御伽 草紙 一 一○
御覧じて、うれし泣きにぞ泣き給ふ。一族一家のものまでも、よろこびの涙を流す。さ
れば萬毒、親孝行なるゆる により、鶴が岡の八幡大菩薩の御方便にて、今様をうたひ、所
領を給はり、二とせあまり牢舎せし母をたすけ、かすの資を給はりて、子孫ともに繁昌
するなり。萬毒姫の親孝行ゆる なりとうけ給はり候ふ。かふるめでたき物語かなと、感
ぜぬ人はなかりけり。
木 幡 おで
- - ー ー
イ < }= ィシー -
中頃の事にやありけん、山城の國木幡の里に年を経て久しき狐あり。稲荷の明碑の御使
なんし によし

者たるによ つ し
。殊には男子、女子、そのかす数多
もち給ふ。どれ〜も智隷、才覚、藝能いふばかりなく、世にならびなく聞えありて、と
り〜にさいはひ給ふ中にも、シにあたらせ給ふはきしゅごぜんとそ申しける。いっ
れよりも殊にすぐれて、容顔美麗にうつくしく、心ざま拉びなく侍りて、春は花のもと
にて日をくらし、秋は限なき月かけに心をすまし、謀数、管総に暗からす。聞きった
御めのと思ひ思
ひに云々ー思ひ
へし人々は、心をかけすといふことなし。御めのと思ひ〜に総をとり、我も〜とか
ふみこ
思ひに乳母のつ すの文をつかはし、心をつくすと申せども、行く水にかすかく如し、うち摩くけしきも
てを求めて てんじやうびき * てんか
ましまさす。姫君うき世に長らへば、いかならん殿上人か、闘白殿下などの北の方とも -
すまひ ゆめまぼろし
いはれなん、なみ〜ならん住居は思ひもよらす、それさなき物ならば、電光朝露夢幻
木幡 ぎ つれ 一一
御伽 草 紙 一 一二
の世の中に、心をとめて何かせん、いかなる深山の奥にも引き籠り、浮世を服び、偏に
後世を願ひ侍らばやと思ひ、あかしくらし給ふほどに、十六歳にぞなり給ふ。父母御覧
じて多き子どもの中にも、比きしゅごぜんは世にすぐれ見えたまふ いかなる御かたさ
まをも婿にとり、心安きさまをも見はやと思ひて、さま〜教訓したまふ。
さてまた愛に三條大納言殿とておはします。共御子に三位の中将殿とて、容顔美麗にし
て、まことに昔の光源氏、在原の中将殿と聞えしも、是には勝るべからす、高きも践しきも
心を惑はしける程に、父大納言殿に仰せあはせて、さるかたさまより御使ありしかども、一
中将殿御心にそむ色もましまさすいかならん臓の女の子なりと。そのかたち脳れたら
しいかくわんゅん
ん人ならばと思しめし、常は詩歌管舷にのみ心をすまし給ふ。頃は三月下旬の事なるに、
けふのこよ ひに 花園にたち出で給ひ、散りなん花を御覧じて、業平のけふの今管にと詠みけるも、かょ
ー伊勢物語 「花
にあかぬ数きは る折にやと眺め給 ふをりふし、かのきしゆごせん稲荷の山より見おろして、うつくしの
いつもせしかど
もけふの今質に
似る時はなし」
中将殿や、われ人間と生れなば、かふる人にこそ逢ひ馴るべきに、いかなるかいぎやうに

りて、かやうの身とは生れけるぞや、浅ましさよと思ひけるが、よし〜ひとまづ人
よれ
間のかたちと化け、一旦の契をも結びさふらではと思しめし、めのとの少納言を近づけ一
ーノ・・ / 〜-『
ていかに聞き給へ、われ思ふ子細あり、いざや都に上りさふらふべし、さりながら比姿
にて上りなば、人目もいかゞさふらはん、十二ひとへ椅きせてたべ。めのと比由をきょ、
今程都には鷹犬などと申して、家々ごとに多ければ、道の程も御大事にてさふらふぞや、
おんふたさこころ し わざ
とくわらはが 云
云ー早くも姿が
そのうへ御父みやうぶどの、御二所さまきこしめし、とくわらはが仕業とのたまはん事
所貸なりと
疑なし、思しめしとまり候へと申しける。姫君きこしめし、いかにとゞめ給ふとも、わ
さこま
れ思ふ子細ありて、思ひ立ちぬる事なれば、いかにとゞめ給ふとも止るべきにてあらす
とて、美しく化けなしてこそ出でにけり。さる程に中将殿は比姫君を御覧じて、夢かう
つふか、覚束なしと御覧じけるに、そのかたち言ふばかりなく、まことに玄宗皇帝の楊貴
妃、漢の武帝の世なりせば李夫人かと思ふべし、さて我朝には小野の良質が娘小野の小
町などといふとも、足程にありっらん、いかさまいづくの人にてもあれ、よき ぞとおほ
しめし、めのとと豊しき女房に、これはいづくよりいづかたへ通らせ給ふ人やらんと、御
尋ねさせたまふ。めのと嫁しくて申しけるやうは、これはさる人の姫君にてましますが
継時にいひ隔てられさせ給び、父の系撃を蒙りたまひ、これを菩提の種として、いかな
らん山寺にも引きこもり給はんとの御事にて候ふが、是をはじめの旅なれば、道ふみ迷
木幡 ぎ つれ 一 二三
御伽 草紙 一 一四
ひさこよ
ひて、是までまみりて候ふが、樺おほく候へども、一夜の御宿を仰せ付けられ候ひてた
さもあり〜と び給へと、さもあり〜と申しければ、中将嫡しくおほしめし、比年月色ごのみし侍り
ーさもありげに
しかば、かやうの人に逢はんとの事にてこそありつらん、よし〜誰にてもあれ、これ
御めのとにーに
文字不用なるべ
も前世の宿線とおほしめし、こなたへ入らせたまへとて、わがシ伴ひ、御めのとに

シの腕に仰せつけ、さま〜に御もてなしかしづき給ふ事いふばかりは無かりけり。
共後おの〜休みたまへば、いとゞ中将殿のあこがれさせ給へば、姫君の御枕に寄りそ
かゃうのまより
ーかや、うのたよ
ひて、かやうのまより、二世ならぬさきム〜の奇縁とこそ思ひ侍れ、何と御心深くのた一
りの術か
まふとも、この内をばいだし申すまじとて、さま〜御言葉をつくし給ふ。もとより姫は
たくみたる事なれば、嫡しさかぎりなし。さりながらいと恥しけなる風情して、うち魔く
けしきもなくて居給ひけり。夜もやう〜更けければ、㎞のふすまのしたにたはぶれ
け (
り。たがひに御心ざし浅からす、生きては借老の契とおほしめし よるの明けやすき奪
牛にて、程なく鳥も音づれ 寺々の鐘もはや明けぬと響きけり。中将殿は除りなごり惜
しさのあまりに、一首かくなん
むつごともまだ霊きせぬにいかばかり明けぬとっぐる鳥の音ぞうき
姫君かへし、
思びきゃこょひはじめの旅寝して鳥のなく音を数くべしとは
よもすがら
ここ
かやうにさま〜ながめさせ給ひ、よるも終夜ひるはひめもすにたはぶれて、明かし 暮
らし給ふ程に、月日に闘守あらざれば、水無月の頃かの姫君悩み給ふ。中将殿御覧じて
心苦しき有様かな、いかならん事ぞやとて、さま〜御所ども言ふばかりなし。比事を
のみ敷かせ給へば、たゞならす見えたまふ。中将殿もめのとも御よろこびにて、その年
さらぎ
も過ぎあらたま如用もたち、やよひと申すには、さもうつくしき若君をまうけ給ふ。中
将殿御覧じて、たぐひなき御事に思ひ給ふ。御めのと数々、その外おの〜参り、いつ
きかしづき給ふこと限りなし。かくて日にそへて、光さしたまふ心ちして、うつくしく生
ひたち給ふ。大納言殿の北の御方もよそ〜ながら聞召し、中将殿は何とてかやうの御
事、っょませ給 ぞや、共身はいかやうの人にてもあれ、中将殿の御覧せん人、そのう
おろかならぬー
おろかならんの
へ美しき若君も 来させ給へば、我々いかでおろかならぬ、姫君にも封面して、諸共に
かしづきまみらせんと思召し、中将殿へこまム〜と仰せられければ、なのめならすに
び給ひ、是よりかくと申し入れたく候へども、はゞかりに存じ候へばとて、姫君にかく
木幡 ぎ つれ 一 一五
-- -
- } ー
シ ㎞_㎞料
-
- - -

御伽 草、紙 一二六
との給へば、揮りながらかやうにの給ふうへはとて、とりム〜の御装束などこしらへて、
吉日御とり御シありけり。
いかならぬーい 大納言殿北の方御覧じて、かょる美しき女房も、世にはありけるよ、いかならぬ宮腹の
かならんの訛
姫君といふとも、かょる姿はあるまじ、中将殿の思ひ給ふもことわりとぞ思しける。か
くて思ふ事なくて、月日をおくり給ふ程に、若君三歳にならせ給ふほどに、御内の人々
も、比若君の御機嫌よきゃうにとたしなみ、いろ〜御もてなし、御あそび物など奉る。
なかづかさ いちもつ
あるとき中将殿の御めのと中務のもとよりとて、世にたぐひなき選物とてうつくしき犬
を進上いたしけり。少納言比由をきょて、身の毛もよだつばかりにて、急ぎ姫君の御前に
いでき
かくてさふらは
ずはーかくてさ まみりて申しけるは、不思議の御大事出来さふらふぞや、この犬かくてさふらはすは、大
、む候

て過事
ま姫なり

ばと

。す

かりそ君せぎれ
こきこしめし
限り是 ことに
ふら は ぶ の 誤
かく





ぶら



意か なれ、この内いづるより外の事あらじ、中将殿、若君の御なごりいか?すべきとて涙せ
きあへす。やょありて仰せけるは、たとひ千年萬年をふるとも、なごりは霊くる事あら
たね
じ、ひまを窺ひ立ちいで、是を菩提の種として、世を厩ひなんことは、いと易き事なれ
ども、中将殿さこそは敷かせ給はんすらん、若君のなごり、かへすム〜も悲しけれども、
-- --
---}
ー、 -
是非叶はぬ事なればとて、涙にむせび給ひけり。
さるほどに中将殿みかどより御召ありて、七日
のシとありしかば 姫君にのたまふゃう われ
笛の役とて、隠襲へまるり候ふ、留守の程よく
よく、若君なぐさめ給ふべしとて出でさせ給ふ。
姫君御覧じて、これぞ限りなる、よそ〜ながら
は見まみらせ候ふとも、詞をかはし中さんこと
は、今ばかりなり。挑そののち少納言をちかづ
けて、これこそよきひまよ、いざ出で候はんと
て、少納言御装束など取りひそめければ、姫君御
覧じて、涙のひまよりかくぞよみ給ふ。
わかれても又もあふせのあるならば涙の淵
に身をばしづめじ
かやうに詠じ給ひて、少納言もろともに都をい
一 一七
御伽 草 紙 一 一入
騎らぬまてはー で、稲荷の明碑さま、われふるさとへ騎らぬまでは、難なくまほらせ給へとて、涙と共
騎らんまてはの

まほらせー守ら
に出でたまふ、心のうちそあはれなる。深草を通るとて、都の を見送りて、たてすみ

たまへば、折ふし荻の葉に露しめ〜とうち置きて、いとものあはれに、
おもひいづる身は深草の荻の葉の露にしをるょわが快かな
かやうにうちながめ、やう〜行く程に、古塚にこそ著きにけれ。きしゆごぜんの騎ら
せ始ふと、はした孤のいひければ、父母きょもあへず、こはいかにとて顧けいで、比
三年が程みえたまはねば、いかならんシなどにも行き過ひ給ひて、艦艇の一節もあ
たり給ふらんか、または鷹犬などにもくはれさせ給ふらんと、さまム〜敷きくらせしに、
これは夢かや、うつょかや、嫡しき中にも涙にて、快にすがりつき、あらめづらしや、こ
ん〜、いづくにおはせしぞ、こん〜と、のみ言ひければ、めのと少納言はじめをは
りの事どもを、こまム〜と語りけり。父母きょて、さてはかやうに近きあたりに住みな
がらへておはせしに、今まで知らせざりし少納言こそ恨しけれとて、一門巻属さし集り
て、よろこびの酒盤はことわりとぞ聞えけり。
かやうにめでたき事限りなし。中にもきしゅごぜんは、た 若君、中将殿の御事のみ
しくて、さら〜浮世に御心もとまらず、橋をかへさせ、菩提の道に入らんと案じ、又
あんじつ
こはたの塚を立ちいでて、艦戦野のかたへ分け入りて、庵室を結び、みどりの髪を刺り
しやうじりんる
おとし、この世は個の宿、電光朝露ゆめまほろしの事なれば、今比時生死輪廻を免れ、未
来は必す一つはちすの豪に生れんと願はれけり。さても都には、中将殿内裏より御いと めのさこ
ま申して、わが御所に騎り給ふが、御前も少納言も見えたまはす、若君はシの膝によ
ふよ
りふして、母上のうせ給ひし御事、深く敷きたまひけり。中将殿はいかなる御事ぞやと、
御軟きなか〜たとへん方もなし。常に住み給ひし所御覧すれば、さま〜の御名残を
われこそー改こ

しき御事、かきつくし給ふ御事かぎりなし。われこそ線っくるとも、若君さへ生ひたちた
まはど、何の怨にか出でたまふぞと、御数きかぎりなし。春日の御 施。若君の御乳の人
に事の子細をたづね給へども、何とも知りまみらせ候はす、若君さまへ犬まみり候てよ
り、少納言殿ことのほか顔の色かはり、世に怨しけにのたまひしよりほかは、見まみらせ
す候ふ、何事も候はす候ふと申しけり。中将殿きこしめし、よし〜その身は何にても
あれ、せめて比若七歳までは、などか一 つにあらざらんと、御敷きは申すばかりなし。し
かるに共後こょかしこより、北の方むかへさせ給へと申しけれども、共色もましまさす。
木幡 ぎ つれ - 一 一九
申書き
へつた として ん
す など
間 人

なひ


、ふ




菩提
後だ
畜。

にる


け行


まし
ひりら生類りす へ






ともに
もろ
少水
、む谷
を折





い納言

君すび
りよなし


しひ
かぎり



な〜

見よ若君




さふ
ながら

すがら
てごし
さそり し継
のに

の庵ほど

はか

さ給
。聞繁昌

ふすさせ
まり
た繁くみ室るえひ昌 ど
とは
若に
、ほ年

給送にし

月や。
てけひ
かかのみ
別御
敷こり君どうりせれの
只 ○


草紙
御伽

なり
申ば

つた
書な事
、やにか
やかざ


らん



さしき
すきれうけ
なり 比
。 道


}
|


あんじ


七 草 草 紙
*} } "。
賞員シシー シシ ""。
七草 草 紙
ぐ こ
そも〜正月七日に野に出でて、七草をつみて、みかどへ供御に備ふるといふなる由来
を尋ぬるに、もろこし楚國のかたはらに、大しうといふ者あり。かれは親に孝あるもの
なり。既にはやシに及ぶ父母あり、腰などもかrみ、日などもかすみ、言ふことも聞
えす。さるほどに老いければ、大しうこの朽ちはてたる御姿を見まみらするたびに、数
き悲むこと限りなし。大しう思ふやうは、二人の親の御姿を、二たび若くなさまほしく
思ひて、あけくれシに詩りけるは、わが親の御委ふたび若くなしてたび給へと、
離三賀に訴、これ叶はぬものならば、わが姿に納じかへてたび給 、わが身は とな
りて朽ちはっるとも、二人の親をわかくなし給へと、あたり近きとうこう曲によち上り
て、三七日が間つまさきをつまだてて、肝臓を砕き斬りける。さても諸天諸備は、これを
、シ







、、、 -

七日満する幕方に、かたじけなくも、帝料天王は天降り給ひ、大しうに向
一二一
七 草 草紙
一二二
つての給ふやうは、次浅からす親をあはれみ、
てんたう
偏に天道に訴ふる事、上は楚天帝響土品上生
りんしんかい ほ
んーりんしんは
下はりんしんかいほんまでも、納受を垂れ給ふ
龍碑の訛なるべ によつて、われこれまで来るなり、いで〜次
し、かい ほんは
が親を若くなさんとて、薬を興へ給ふぞありが
たき。しかるに須弾の南にシといふ鳥あり
かの鳥の 生をする事八千年なり、この鳥春の
初ごとに、七色の草を集めて服するゆるに、長生
をするなり、シの命を、次が親の命に轄じ
がの盤にのせて、玉艦の枝に
て取らせん ㎞の事をあっめて、柳の木
て、正月六日の西の
時より始めて、この草をうつべし、西の時には
* M
なづな
*
芦といふ草をうつべし、成の時には警といふ草
こぎやう
をうち、玄の時には、五形といふ草、子の時に
たびらこといふ草、五の時には備の座といふ草、質の時にはすゞなといふ草、卵の
時にはすゞしろといふ草をうちて、辰の時には七種の草を合せて、東の方より岩井の水
をむすびあけて若水と名づけ、比水にてシの渡らぬさきに服するならば、一時に十
年づょの輸を経かへり、七時には七十年の年を怒ちに若くなりて、その後八千年までの
とうせんー前に 毒命を次親子三人へ授くるなりと、教へ給ふぞありがたき。大しう大きに喜び、とうせ
はとうこうせん ち、はく
とあり、案ずる んより立ちかへり、をりしも頃は新玉の元日より、この草をあつめて、父母にこそ興へ
にとうせんは東
山、とうこうせ
んは東泉山か
ける。すでに正月七日には二人の親の御姿を見奉れば、怒ち 下ばかりに経かへりけり。
大しうこれを見て、喜ぶこと限りなし。七草を正月七日に、みかどへ供ふる事は、この
時より始まれり。又若菜、若水などといふことも、このいはれなるべし。さるほどに比
事天下にかくれなし。船が報間ましまして、世にたぐひなき事なりとて、いそぎ大しう
を雲上べめされ、長安城のみかどの御位を、大しうにゆりづ給ふ。これすなはち親に孝
あるゆる なりと、聞く人殊勝にありがたく、皆感涙をもよほしけり。正月に筋もなき者
を位になし給ふを、あるためしといふ事あり。これもこの時より始まれり。今世まで
てんたう めぐみ むくい
も、親孝行の人は天道の恵にあづかるべし。必す人をあはれめば、共報早くしてわが身
七草 草紙 一二三


がたき

り る 草紙
御伽



なり

ため
猿 源 氏 草 子
シ旧シ
* シ ** *} *
*→
中頃の事にやありけん、伊勢の園崎悪が浦に鱗賞一人あり。もとは海老名の六郎
左衛門
とて、闘東ざぶらひにてぞありける。妻におくれて娘を一人もち
たりしを、日頃召使ひ
ける獅源氏といふものに取らせて、すなはち鍋賞の職をゆづり わが身は都へのほり
、も
とゆひ切り、えびなのなあみだぶっとて隠れなき瀬町 にそありける。大名高
家近づけ
給へり。さるほどに婿の猿源氏鍋質、都へ上りて、洛中を
騎かうえい ー騎
伊勢の國に阿遭が浦の猿源
買へといふ資盤 氏が、鱗がうえいといひて、シければ、人々これを聞きて、面自き鍋賞かなとて、人
人買ひとる間、猿源氏、程なく有徳の身となりにけり。猿源氏闘賞るとて、
五條の橋を
わたりしが、折ふし網代の葉に行きあひしが、川風はけしくて、 艦をばっと吹きあ
はたる北脳より、興の内の上魔を一日
御伽 草 紙 一二六
し、一首、
わればかり物思ふ人は又もあらじと思へば水のしたにも有りけり
と、ふるき歌など思ひ出だし、 又かくなん、
あらぬかぎりー
あらんかぎりの
命あらば又もやめぐり見もやせん結ぶの碑のあら ぬ かぎりは
とよみ、浅ましき有様、天命不定に見えにけり。なあみだぶ、比由きょ給ひて、かれが
宿へゆき、ありさま見給ひて、それ病といふものは、寒熱二つより起りて、五鶴を苦む
ふとくーいた
く、甚しく
るなり、次が気管は何とも見分けす、た“ふとく物を思ふと見えたり、いかにもして養
生すべしと、ねんころにの給へば、猿源氏おもふやう、比人と申すは、シ世にこえた
りし人なれば、比事を語りなば、いかなる量見もありやせんと思ひ、申すやう、かやう
の申し事、冊種にこそより候へ、はっかしき申し事にて侍れども、申さすして果てなば
シふかき身となるべければ、恐れながら申すなり、わたくし不慮に獄といふ病にをか
されてこそ候へ、いっそや鱗をになひ候て、五條の橋を通りしに、網代の興にゆき合ひ
しが、興のうちなる上薦を一目見しより、その面影忘れかね、かりそめながらかやうに
なり候ふと、恥をすてて語りければ、なあみ聞きて、から〜とうち笑ひ給ひ、鍋賞の
樹をしたりといふためしいまだ聞かす、かま へ
て〜風聞すべからすとの給ひける。猿源氏申
しけるは、これは御詞とも覚えぬものかな、魚
賞の鍵をしたるためしには、近江の國に堅田の
浦より、鮮といふ魚を都にて賞りしに、あると
き内裏へもちてまみりしに、折ふし今出川の局
㎞ と申す上藤を拝みまっり、肝も 魂 も消えはて
て、あまり思ひやまさりしに、御まへの女房た



ちを組みまるらせて、まことに曖の身として
恐れ多き申し事にて候へども、比魚を今出川の
ー 君さまへ奉り候ふまょ、焼かせ給ひて参らせら
れ候はゞ、いかばかりかたじけなく思ひ奉らん
けらふ
と申しければ、下薦の身としてやさしき心ざし
-
ふな・
かなとて、かの鉛を焼きて参らせければ、鍋の
猿 源氏 草子 一 二七
ーーー == ーりー ** *- * - -_
御伽 草 紙 一二入
腹の中よりこま〜と書きたる交いでにける、君御覧じて、いとあ
たじけなくも、雲居をすべらせ給ひ、かの魚質に契をこめ給ひしと
をある歌に、
いにしへはいともかしこき堅田鍋つょみ焼きたる中のたまづさ
とよみしも、魚ゆる の事ならすやと申しければ、なあみ聞き給ひて、さても次はたとへ
を申すものかな、さりながら、それは観シでよく見ての獄 た“一目みての獄はおほ
つかなしとの給へば、猿源氏申すやう、一目みての態したるためし、われに限らす、源氏の
大将は女三の宮を御寵愛ありしに、程なく思しめし葉てさせ給ひ、葵の上に御心をうっ
みや、のーみや、《
させ給ふ、源氏いかゞと思しめしけん、ある夕暮に、みやの車をやり入れさせ給ひて、輸
をあそばしける、御っめには相本の右衛門悩参り給ふ、女三の宮は、みす近うかけさせ、
あけの綱ーあけ
は赤色
執を御覧ありしに、共頃猫を御寵愛ありしに、あけの綱にてつながせ給ひしが、折ふし
かり かけ でんとせし程に、 の調にてみす上げければ、シ 女三
の宮を一目み給ひしより、心もそらになり給ひて、風の便に玉章を参らせ給へば、御
返事ありて、共後は互の御心あさからす、あまつさへ御子いでき給ふ、源氏比若君を御
覧じて
たが世にか種をまきしと人間はざい ざいはまの松はこたへん
とあそばし、共後は御おとづれも無かくしかば、女三の宮御様をかへさせ給ふ、右衛門
督は、共思ひのつもりにや、やがてはかなくなり給ふと、源氏物語に見えたり、 それ
のみならず、一とせ確波いり江に橋の供養ありし時、渡漫左衛門魔導は、時の奉行にて
ありしが、シしてかの供養を聴聞しける中に、シをしたる舟一般、供養のき
はまで潮ぎょせて、聴聞し侍るに、をりふし浦風はけしくて、シぶきあげける、その
ひまより艦の内の上薦を一目みしより獄となり、都へも上らす、それよりすぐに男山に
まみり、難波の浦にて見そめし人の行くへ知らせてたび候へと、所誓を中しければ、か
たじけなくも八幡粧上にたち給ひ、次が慰ふる女は鳥羽の尼御前といふものの娘に、天
女とて渡漫の左衛門が妻女なりしと教へ給ひて、夢は龍めぬ、それよりも鳥羽の尼御前
の家の門のほとりに、ひれ駄して居たりければ、尼御前御覧じて、これはいづくょり
いかなる人にて、何故わらはが門にうち駄し給ふぞと、たづね給へば、盛遠苦しけなる
よみがっ
息をつぎ、その御事にて候ふ、恥しき中しごとに候へども、このまょ消えなば冥途の障と
猿 源氏 草子 一二九
御伽 草紙 。 一三C
もなるべければ、申し上け候ふ、すぎにし頃、難波の橋の供養のありし時、御身の姫天
女御ぜんを一目み参らせしよりも、御おもかけ忘れがたくて、かやうに成りゆき候ふ、
このかこ
せめて比門のほとりに 行みなば、もし天女御前をも見奉ることもやと語りつよ、われ空し
くなり候はゞ、天女の君にかくと博へてたび候へと語りければ、尼御前このよしを聞き
給ひて、こはそも浅ましや、我子に人の思ひをかけしとすれば、貞女の法に背く、又は
てなば長き徳を騎すべし、いかざせんと思ひ類ひ給ひしが、いや〜ものの命をたっ事
は、ことに備の戒め給ふなり、死して二たびかへらぬシの路ぞかし、人を助くる
は菩薩の行なりとおほして、彼に尼御前風の心地のよし告けしらせ給へば、天女御ぜん
は取るものも取りあへず、難をはやめて来り給へば、尼御前はいそぎ盛遠を 賑へ忍
まみ られ給ふー
まみ らせ給ふの ばせ入れおきて、天女御前をおなじ所へ入れまみられ給ふ。盛遠ゆめの心ちして、はじ
てんによ
術なるべし
めよりの事どもをこま〜と語りければ、天女は比由きこしめし、こはそも何とゆふが
ほの露とも消えばやとおほしけるが、又引きかへし思ふやう、待てしばし我心、母の仰
母のぎー母の義
に て、命令の意 せに従へば貞女の法をそむく、母のぎを背けば不孝のいたり浅からす、とかく許らばや

とおほしめし、いかに盛遠殿きこしめせ、けにみづからに御心をよせ給はゞ、みづから
が表の左衛門を討ち給へ、さもあらば御身と二世までの契を
ならべなば、後の思ひものこるべし、さもなく左衛門をおきながら、御身になびく物な
らば、貞女の道もちがひ、夫をうちての後は、心やすく契るべしと、ことこまやかに語
りければ、その時盛遠よろこびて、さては左衛門を討ちなば、われに暗き給ふべきと
や、それこそ易きあひだの事なれ、さりながらいかにして討つべきぞと言ひければ、天
女の給ふは、酒を強ひて酵ひ駄したる所を、『肥所へ忍び入り、うたせ給へと約束
し、天女は宿へ騎りける、心細くおほえて、御身にいつまで添ひたてまつらんなどと語

りければ、左衛門は何となく胸うちさわぎ、尼御前の風の心ちはいかぶ御入り候ふや、

さ月あめ降りつぶきて、時鳥の鳴くをりふしは、たれもさやうに物さびしく心細きぞか
し、いざ 〜慮まんとて、かすの者を調へさせて、互に歪とりかはし、さ夜もなかば
になりぬれば、袖に袖をとりちがへ睦じけにぞ似しにける、左衛門は酒にる ひふし、前
j
衛門が小
後もしらす駄しみたり、その時天女静に起き、左衛門が小袖をとり、天女これを著給ひ

ら よび
ま左ねび
見 のを
姿
たが


盛て

約けり
は衛門束遠り

*
より

如く




入り
忍び


*

い*
J

あぶら



ければ、油火かすかにかき立てて、左衛門とおほしくて、前後もしらす駄して
猿 源氏 草子 一三
御伽 草紙 一三 二
あり、盛遠腰の死をひきぬき、番を打落したりと思ひっょ、しのびて宿にかへる、さる
つまさこ
ほどに天女の夫の左衛門は、目覚めてあたり見れば、天女はなし、不思議さよとて、
まごころ あけ
朱にそめてー朱
にそみてとあり 間所へゆきて見れば、天女は空しくなり、朱にそめてぞ駄しにける、左衛門あまりの悲
たし
しさに、競観に抱きつき、さてもこれは天女かや、いかなる者のしわざなりとも、うつ
うきめ
つにも知るならば、かく憂目にはあはせじ物を、夢かやうつふかと、流溺こがれ悲みけ
り、盛遠比由きくよりも、あら不思議や、左衛門をこそ討ちたりしか、天女といふこそ
不思議なれ、もし天罰もあたり、天女を殺したるも知らすとて、行きて見つれば、疑ひ
もなく天女にてありける、盛遠心におもふやう、天女にたばかられし事の日をしさよ、
腹を切らんと思ひしが、待てしばしわが心、表の左衛門が心のうち、おし量られてあは
れなり、死せん命を左衛門が手にかょり死なばやと思ひて、盛述は天女の静をもちて左
衛門が所へゆきて、いかに左衛門どの、心をしづめて聞き給へ、天女御前をは 薬 が手に一
天女御姿ー天女
の御姿の術か かけ殺し申し候ふ、その子細は過ぎにし頃、難波の橋の供養の時、天女御姿を一目みし
より鍵となり、ある時不思議のたよりに、われ〜が申すやう、夢ばかり枕をならべて
たび給へ、さもなき事ならば、御身故何か命を惜しかるべき、愛にて空しくならんとい
ひければ、天女のたまふは、御身に摩き候へば、貞女の法をそむく、又いなと申せば人
の怨を被るといひ、既にはや御身空しくならんとのたまへば、思ひわけたるかたもなし
診員おもふ事あり、貝今夫をもちながら、御身に暗くこともいかなり、さほどに思
ひよる事ならば、つまの左衛門を殺し給は 、共後は浅からす契りなんとありしを、ま
ことと思ひ、御身を討つと心得て、かやうにたばかられしことの日をしさよ、急ぎそれ
けうやうほのほ
孝養ー供養の意
がしが首をうたせ給ひて、天女の孝養にもし給ひて、御身の胸の炎をも消し給へといひ一
ちう
て 、首をさしのべ待ちければ、左衛門あまりの無念さに、既に討たんとしたりしが、中
にて心をひきかへし、いかに盛遠殿、御身を討ちたればとて、天女がかへるべきにあら
九泉ー冥土 す、共うへシにかょりし女なれば、わが菩提を用はすば、たれかは跡を用ふべき、助
ぬきがたなー抜


きたる刀 け参らすとて、そのぬきがたなにて元緒をきり、墨染の身をやっし、天女御前を用ひ


り、盛遠もやがてそこにて 語をきり、天女の菩提をとはんとて、同じ樹にそなりに
る、盛遠は十九、左衛門は世にて、もんしゃうと名をつき、盛遠は交盤といひて、かく
緑の ゆる ならず
ー下にゃの字脱
れなき智識となり給ふ、すなはち一目見し隷のゆる ならすと申しければ、なあみ比由聞
落か
き給ひ、次はさて、たれやの人か言ひしを聞きて、さやうなるたとへどもをば申しける
-
御伽 草紙 一三四
ぬし
ぞや、それは皆々主をたれと、そのあり所を知りての鍵なり、次が獄はたれとも知らす、
ミひす
共すみかも知らすして、五條の橋にてかりそめに行きちがふとて、熊のひまよりちらと
こ くう
見たりし人を、虚空をさす如くなる継をする物かなとのたまへば、猿源氏申すやう、人
けいぐわ
女 跡 か け に

にたづねて候へば、五條の東の洞院に整火と申す上薦にておはしますと教へ侍ると申し
や (ま

れば、なあみ聞き給ひて、 それこそ洛中にかくれなき遊君にて、日のくるれば、光り
rゃく女なれば、シと名づけたり、けいぐわとは、愛と書きたり、たやし公家門
な な
れ ど

の御娘ならば、いかなる量見もおよぶべかりしが、 これは流れをたっる川竹の遊

-
ば、大名高家よりほかへは出です、次は洛中をまはり、 隠れもなき鍋賞なれば何
としてか引きあはすべき、所誇大名のまねをせよかしとありければ、猿源氏かしこまつ
て、われ〜もさやうに、かね〜思ひ候ふと申しければ、いなあみの給ふは、ふるい、細
きん ないー畿内 川、畠山、一色、赤松、土岐、佐々木 これらをはじめきんない近園の大名は不脈知り
たる事なれば似せがたし、闘東ざぶらびには宇都宮の弾正どのは、いまだ上洛なし、し
かも近きうちに在京あるべきよし聞きてあれば、よき仕合なり、宇都宮のまねをして見
よかしとの給へば、猿源氏申しけるは、われらもさやうに存じ候ふ、その子細は宇都宮
のみ。に、親類をもちて候ふほどに、かの殿のふだんの宿艦を委しく知りて候ふと
さこのはら こしやう ごう
申せば、なあみ、さては事とょのへり、さりながら宇都宮は大名なれば、㎞
はうこ ものちうけん
朋、共外小者中間にいたるまで、次第々々の人なくしては成るべからすとの給へば、そ
はうはい
れは御心安くおほしめせ、鍋賞の傍輩二三百人もさふらふ、彼等をそれ〜に出でたふ
こ もの ひがしさなり
せ、さぶらひにも、小者にもなし申すべし、われらが東隣の六郎左衛門と申す人は、よ
おとなー家老
き人物なれば、これをおとなになし申すべしと申しければ、なあみ、もつともとぞ申し
ける。さるほどに猿源氏は、まづ五條へ行きて申すやう、宇都宮殿は上洛とて、近江の
國鏡守山に宿をとり給ふと、風聞させければ、宇都宮殿大名なれば、京中の遊君ども定
めておとづれあるべしとて、座敷を飾り心待ちしてみたり。さる程に又二三日すぎて、
公方ー将軍
猿源氏五條あたりにて申す様、宇都宮ははや京入し給ひて、既にけさ公が艦へ出仕なり
と風聞させて、なあみはまづ整火がもとへ行きければ、亭主出であひて、何とて比程は
久しく御尋ねなされ候はぬぞや、只今はいづくへの御通りに候ふか、さだめて御道たが
ひならんと、戯れっょ、はや若き女房十人ばかりいだし、歪をひかへ、主中すゃう、誠
やらん、宇都宮どの御上洛と風聞候ふが、いかゞと尋ねければ、その御事にて候ふ、わ
猿 源氏 草子 一三五
か なり宇見出



ばは候

で申こ宮殿


へ 都宮
しりれしそ 宇、
やへ


やがて
あか


所つ犬

引追

だ腰


墓 め
ひき
こし
よ都うみきめしり ほ出だし

見門





申す
えど候



共ういづれ

へ つくしく
とりれりも 、
あ候




これ
見出


へばと



で人


はり
かり
みせ 給
見に





候ごども

こ、
か申す

どれ
女み


う れらと房み な
頼立て い申す



やう
亭。

共ふ〜


て慰つ



は御
らん

か主れ
めつ
々 いの


結構
御候



しおに



ふし飾かにも

御 馳走
れきら物 座た







な申す



とも
入も

所ま外


み来

敷りどれなで そ
道小て



持ま



まなど



シ座こ

のし具姓た敷ら御




らせん




まる
入れ






こけ

申し
なた


りまをふは給
御候


上〜
う御


ひみ


な出宿ゆりけ洛いでがま 一
わに


ょて べて

上給


定人
づょ


ふひり

にまれ


逢も

たる
定洛しれめまみ 六




御伽

立も



せうの




候申宇都宮


ていや


殿ち寄ら
らみ
かに

主 、
ま自


にぎり
か時


木梨なる



槍ば#

男子


ん中
かり
せ地

らき
のこし

けれ
に取りっきければ、かのにせ宇都宮馬よりゆらりとおりて、仰せのごとく内々
は、それへおとづれ申さんと存じ候ひつれども、とかくまかり過ぎ、ことさら出仕など
の橋艦をも談合申さんと存じ候へば、念ぎまかり出づべきよし仰せいだされ、一雨日以
前に出仕申して候ふ、無沙汰のいたり、御ゆるしあれ、必す御宿所へまみりて中すべし

て、馬ひき寄せて乗らんとせし虜に、シ、瀬雲、春雨とて、その外の遊君十人ばか

り立ち出でて、いかにゃ〜、儒なくもまのあたりを通らせ給ふとて、打過ぎんとし給
ふぞやといひて、快にすがりつふ、座敷へ手をひかれ、心ならぬ風情にて、座敷へ入りに
けり。かくて字都宮思ふやう、あら聴しや、思はすや、われ洛中をめぐり、鍋賞りし有様
ひきかへたるさまかなと、思ふにつけても、なあみの心のうちこそ卵かしけれ。
さるほどに登主は、物のひまより宇都宮をっく〜と見て、さても宇都宮は瀧園ざぶら
き ようこつ がら はん
こうろぎの歪ー ひなれども、器用骨柄尋常なる人かなと感じけり。さてあるじは時槍の盤にこうろぎの
黒漆にてこうろ
、 * いこ 1 )も * 、 ミ かた
ぎ色の 歪 こ
歪をする て、いかにや宇都宮殿、一 つきこし召されて、たれにも御心ざしある方へさし
給へと申しければ、宇都宮たぶ〜と受けて、心に思ふやう、われに心をつくさせける
盤火とやらんは、いづれならんと見るに、いづれも燃軍火に劣らぬ遊君どもなれば、あら
猿 源氏 草子 一三七
御伽 草紙 一三八
いちちやう
整火まぎれや、かほどに多き整火なれば、 一定歪をさし損すべし、さし損するものなら
いう〜ー懲 々 ば、笑はれ候はん事の日をしかるべしと思ひ園れ、彼是見まはしける中に、いう〜と
したる遊君に歪をさしければ、整火にてぞありける。整火時の興をもよほし、めづらし
の御歪さふらふやとて、取りあけて次第にめぐらしければ、のこりの君ども是を見て、あ
なうらやましの営火かな、今より後のすて歪、さょれても誇なしとて、座敷をたちし遊
君もあり、居残りてもてはやすもあり。その時なあみ申すやう、いかに宇都宮殿、洛中
は日くれぬれば、州際物騒に候ふ間、まっ〜御騎りなされ、あすまた必す御いで候
へと申しければ、宇都宮まことにことの外のおほ酒にて、たちばを忘れて候ふ、いとま
申さん人々とて、宿へこそ騎りけれ。なあみはやがてきたり給ひて、さても宇都宮はよ
くもしあはせたるものかな、さりながら夕さり整火来るべし、座敷よろづあるべきやう
にこしらへて待つべし、又つかふ者ども酔ひたりしまぎれに、問はす語りをして、われ
本ー元手
も鍋を質りそこなうた、われもけふは本を失うたなどと言はせては、恥がましかるべし
又寝言などして、いやしき風情をしては浅ましかるべしなどと、ねんごろに言ひ教へて、
なあみは宿へ騎りけり。案のごとく整火たそがれ時に、宇都宮殿の宿とたづねて来りし
--
- ーー

㎞心に思ふゃう あら不思議や宇都宮は大名とこを聞きし

ちがひ、家の子、 は同苗などもなくして、たぶ一人座敷にいで、よろづ践しき有様
うへなしげー上
に輝る気色なき にて、内の者どもは撃高にして、うへなしけなる事のをかしさよと思ひ、しばしうちも
ねのびー寝伸 寝入らすして、案じ煩ひしをりふし、宇都宮酒に酔ひ、さ夜ふけねのびして、大あくび
をするまょに、寝言に阿遭が浦の猿源氏が、鍋かうえいと言ひければ、整火是を聞き、
さればこそ初めより何とゃらんをかしけに見えしが避はす、鍋質にちぎりしことの悲し
さよ、さてこれは何となり行くべきぞ、比事かくれあるまじければ、鍋賞に契をこめし
心のほ
北のほどきた
きたなさよ、なまぐさ やとて、召さるふ人もあるまじければ、髪おろし、是よ
字都宮かほー字 づ にまかせて行かばやと思ひつよ、さめム〜と泣く涙、宇都宮かほにかよ
りいづくへも足
シ し
りければ、時雨
、プイ
しぐれ
がすると心得、やれ〜雨がふるさうな、子ども苦をふけと言ひもあへ
、起きなほりてあたりを見れば、かゞやくほどの女房の、さめム〜と泣きみたり。 は
ちんすみ しやうだい

かしや、浅まし や、まさしく癖言をしつると豊えて申すやう、今の沈酔に正鶴もなく酔
伏し、何事を申したるも知らす候ふ、何とていね給はぬぞや。営火きょて、何事をの
や 、御身は鍋賞にてましますぞや、とにかくに怨しきはなあみなりと言ひけれ
猿 源氏 草子 一三九
シ“*"
御伽 草・紙 一四○
ば、われは宇都宮の弾正とこそ申し侍れ、鍋賞といふ名は知らす候ふ、今こそきょ侍れ
sこ
と申せば、整火思ふやう、一度にいはぶ 、あまり恥がましかるべしとて、一 つづょ問は




れけるに、まづ阿遭が浦の麻言はいかにとれば、宇都宮中せしは、共事にて候ふ、
こ ちやう
それがし上洛は、比度がいまだ初めにて候へば、かたじけなくも御所様御読にて、何にて
いぬ、かさかけ、 も宇都宮を慰めよ、いぬ、かさかけ、しょ、まるものの遊びはめづらしからす、常世人
しく、まるもの
ー犬、笠懸、草鹿、
九物の射藝
のもてあそぶは、謀歌避歌の道なり、ことに宇都宮は歌の道すきなるよし聞きたり、そ
れそれとありしかば、佐々木四郎、はんかい四郎左衛門うけ給はり、天下の宗匠へシ
申し、各㎞まるられけり、シは徳大寺殿の御舎弟、十三にならせ給ふ御ちこ、シ
みんこの しゆ せき こ ほつく
院殿の御弟子にて、手跡世にこえ給ふ、既に将軍御務句をいだされければ、それより次
第に、おの〜あそばし、一順もすぐるをりふしに、「いとまあらすも鶴本とる浦」とい
ふ句ありしに 「しはきとる呼悪が浦にひく網もたびかさなれば露れぞする」といふ歌の
心をつけばやと、くりかへし〜案するまよ、あこぎの浦といふ、寝言も中しつらんと
陳じければ、それのみならす、はしといふ寝言はいかにといひければ、 その事にて候
い j
「渡りかねたるかくれがのはし」といふ句ありしに、ある歌に
みちのくのさょゃきの橋中たえてふみ だに今はかよはざ
さくゃきー原本
「さくき」とあり
一本によりて補
熊野なるおとなし川に渡さばやさ ょやきのはし忍び〜
ふ とあり、比二首のうちを取りて付けばやと思ひしが、いや〜これは都の上手衆のつけ
ふるまひてーふ
るみてにて付け ふるまひて、めづらしからす、こょに和泉式部と申す女に、隠居といふ人通ひはんべり
ふるしたりとの だうめいほうし
意 て、浅からす契りしに、又道命法師といふもの通ひて契をこめしに、保昌比事をきょて、
-
-
ふみ
和泉式部にいは く、わがいふ如く変をかき給へといへば、和泉式部はいかなる文をかけ
1
とはのたまふぞゃと有りしかば、保昌も比程は見え候はす、御身は急ぎこし給 、シ
法師へまるる、和泉式部と書き給へとありければ、和泉式部は顔うちあかめて、これは
思ひもよらぬ事をのたまふものかなとありければ、力およばすして、交をかれける
が、いつのひまにかしたりけん、答を五つに折りて、文にそへてやりけり、シ師比
文を見て、不思議やな、只今きたれと書かれけ るが、はしを五つに折りて添へし事の不
思議さよ、ある歌に、
やるはしをまことばししてきばししてうたればししてくやみばしすれ
-
だっや
いちだっやう -
* 』、
といふことあり、一定比心なるべし、さては保昌みたまひて、かくなんと悟りて行かす
猿 源氏 草子 一四 一

御伽 草 紙 一四二
しゃうがいー生 しやうがいをのがれけるも、道命、和歌の道心得たりし故なり、比心もちをもって思ひ

こ、
しことをば、比心をめづらかに付けばやと思ひて、 案じ煩ひし程に、はしといふ麻言も
申すべしと言ひければ、整火それもさうあるらん、猿源氏といふ麻 言はいかにといへ ば、
中のきさきー末
宇都宮きょて、さやうの事も申すべし、さるほどに群のきさきに参りければ、神祇、料
きゃうー未詳
教、樹、無常、述懐、きやうに至るまで、心をくばりし折ふしに、
うらみわびたる猿澤の池
といふ句あり、これは昔あめのみかどの御時、 女といひし女に浅からす契り給ひし
程なく思しめし捨てさせ給ひしを、朱女うらみ奉り、夜牛にまぎれ立ち出でて猿澤の池
に身をなけ、空しくなりければ、みかど世に悲しく思しめし、いそぎ猿澤の池に御 あ
りて、すなはち保女が魔 をさがし、取りあけさせ給ひて、御覧あれば、さしもいっく
しかりしシのかんざし、姫㎞たる撃、かつらのまゆすみ、柔和の姿引きかへて、池の
㎞とりっき、かはりはてたる有様を御覧じて、かたじけなくも、みかど
わきも子が寝園れ髪を猿澤の池の 玉藻と見るぞかなしき
と御とぶらひの御歌なり、かの句は比歌の心をまねびける、そののち源氏春日大明碑へ
- * 』『
御参詣のをりふし、猿澤の池を御見物ありしに、 いにしへの采女が身を投けし事をおほ
ならす
しめし
遊ばし










しし
人ど


常座ー即席の歌



やわき



猿澤
もこ

が寝みだれ髪のかたみなるらん
とよみ侍りし共心を思ひよせ案じければ、猿源氏などと寝言申しつらん、あらむつかし
や、とく〜寝させ給へと申しけり。整火又申すやうは それのみならす、鍋かうえい
シー㎞。一との給ひし寝言はいかぶ陳じ給ふべきぞやと言ひつ よ、をかしさに営火から〜と笑
ひければ、共時は宇都宮宗面して、既に解質に極まらんとしけるが、心を沈めて申すゃ
㎞ う、さやうの寝言をも申しつらん、連歌やう〜なごりをりのうら返しめと思しきに、
㎞ 男山なにをいのりのいはし水
といふ句あり、人々の付けふるしは面白からす、只今中すごとく、和泉式部いわしと申
すうをを食ひ給ふ所へ、保昌来りければ、和泉式部はつかしく思ひて、あわたゞしく鍋を
かくし給へば、保員みて師とは思ひよらす、道命 法師よりの交をかくし給ふと心えて
何を深くかくさせ給ふぞや、心もとなしとて、あながちに問ひければ、
日の本にいはょれ給ふいはしみづまみらぬ人はあらじとぞ思ふ
猿 源氏 草子 一四三
御伽 草 紙 一四四
ながめー詠じ とながめ給へば、保昌聞き給ひて、色をなほして言ひけるは、 はだへを温め、ことに女
がんしよく くすりうを
の顔色をます薬熱なれば、用ひ給ひしを答めしことよとて、それよりしてなほ〜浅か
らす契りしとなり、しかれば比心はめづらしかるべしと思ひめぐらして、案じ煩ひしほ
さがめこさ
どに、いわしといふ寝言も申しつらん、あらむつかしの答言や、今は何と問ひ給ふとも
返事をも申すまじと言ひければ、営火共時おもふやう、まことの鍋質ならば、かやうに
さまム〜の歌の道をばよも知らじ、けにや宇都宮はじめて上洛し給ひつれば、殿中の御
思ひ内にあれば
云々ー誇
ことばにまじはり給ふこと一大事と、思ひ内にあれば、色ほかに現れ、かやうに寝言を
し給ふらんと、いとことわりに思ひなほして、互に下紐うち解けて、比翼連理のかたら
ひ浅からす見えにける。これと云ふもなあみにつかはれ、常に歌の道に心がけしゆる 、常
座の恥を隠すのみならず、及ばぬ獄の本意をとけし事 ひとへに物を知りたる厳徳なり
倉の内の財云々 されば孔子のいはく、倉のうちの財はくっる事あり、身のうちの財はくっることなし
ー質語教に 「倉
内財有朽、身内
才無朽、難積千
とありしこと、今こそ思ひ知られけれ。さても宇都宮そののちは鍋賞の名をあらはし
雨金、不如一日
學」
給へども、高きも践しきも継の道にへだてなければ、この世ならぬ契なればとて、阿遭
が浦へうちつれて下りつよ、富み楽えて子孫繁昌なりしも、たがひの志ふかきゆる 、ま
*。し敵なれば、かへす〜人毎に撃び給ふべきは歌の道なるべし。
猿 源氏 草紙 - 一四五
-

御 草 紙
ー』
物 くさ 太郎
悪ェの末、信濃の園十郡のその内に、っるまの郡あたらしの郷といふ所に、不思
議の男一人得りけり。共名を物くさ太郎ひちかすと申し候ふ。名を物くさ太郎と申す事
物くさー無精者| は、國にならびなき程の物くさしなり。たゞし名こそ物くさ太郎と申せども、家づくり
の有様、人にすぐれてめでたくぞ侍りける。四面四町に築地をっき、三方に門を立て東
西南北に池を掘り、島を築き松杉をうる 、島より陸地へ反橋をかけ、高欄にぎほうしを
磨き、まことに結構世にこえたり。十二間の瀬信。九間のわたり郎下、 ㎞、推
*

桐壺 記が癒にいたるまで、百㎞の花をうる しゅてん十二間にっく 、㎞に
ふかせ、働をもって天井をはり、桁うっばりたる木のくみ入には、シにう
ち、 路の艦をかけ、厩さぶらひ所にいたるまで、ゆょしく作り立てて居はやと、心に
は思へども、いろ〜事足られば、たて付を側本たて、鷹をかけてそ居たりける。雨の
物 く、さ 太郎 -
一四七
-
-
御伽 草 紙 一四入
ふるにも、日の照るにも、習はぬすまひしてみたり。かやうに作りわろしとは申せども、
ひちの書ー弦の
拒をいふ あし手のあかがり、のみ、風、ひちの蓄にいたるまで、足らはすといふ事なし。もとで
なければ商ひせす。物を作らねば食物なし。四五日のうちにも起きあがらす、ふせりる
たりけり。
もとーま へかど
の意
ある時なさけある人の、もとあいきやうのもちひを五つ、いかにひだるかるらんとて得
させければ、たまさかに待ち得たる事なれば、四っをは一度に喰ひ侍り。今一っを心に
思ひけるやうは、ありと思ひて喰はねば、のちの頼みあり、無しと思へばひだるくなけ

よ 郎 に° も
れども頼みなし、まほらえてあるも頼みなり、いつまでも人の物をえさせんまでは



たばやと思ひて、寝ながら胸の上にてあそばかして、鼻油をひきて、日にぬらし、
いたゞき、とりあそぶ程にとりすべらかし、大道までそころびける。その時物くさ太
見渡して思ふやう、取りに行きかへらんも物ぐさし、いつの頃にても、人の通らぬ事は
あらじと、竹の悼を捧けて、犬鳥のよるを追ひのけて、三日まで待つに人みえす。三日
小鷹守ー小鷹守
小鷹狩ー小鷹狩 と申すに、たぶの人にはあらす、その所の地頭あたらしの左衛門の尉のぶよりといふ人、
こ たかがり たか
にの術か
小鷹狩まじろの鷹をする させて、共勢五六十騎にてとほり給ふ。物くさ太郎これを見て、
ー〜j}ー }}
は の も 鎌

もちあけて、のう申し候はん、それにもちひの候ふ、取りてたび候へと申しけれど
耳にも聞き入れすうち通りけり。物くさ太郎是を見て、世間にあれほど物くさき人
いかにして 知所領をしるらん、あのもちひを馬よりおりて取りてったへん程の事
いと易き事、世の中に物くさきもの、われひとりと思へば多くありけるよと、あらうた
ての殿やとて、斜ならすつぶやき、腹をぞ立てにける。兵衛尉あらき人ならば腹をも立
て、いか様にもあたり給ふべきに、馬をひかへて是を聞き、きやつめが事か、聞ゆる物
くさ太郎といふものか。さん候ふ、ふたりとも候はゞこそ、是が事にて候ふ。さておの一
れはいかやうにして過ぐるぞ。さん候ふ、人の物をくれ候ふ時は、何をもたぶる、くれ
くれ候はんーく
れ候はぬの説 候はん時は、四五日も十日はかりも、たゞ空しく過ぎ候ふと中しければ、さては不側の
次第かな、命たすかる世魔をせよ、一樹の影に宿るとも、一河の流れを汲むことも、他

物 な
生の縁となり、所こそ多きにわが所領の内に生れあふこと、前世の宿縁な







"ん


()





もち候はんーも りて過ぎよとありければ、もち候 よ
ち候はぬの龍 ち
に地もほしからす候ふと
せんとありければ、今更習
物 くさ 太郎 一四九
意か
ィはシd

3㎞

ながふー長夫に
て長期の人夫の

主君の命令とい

あはぬは君の仰
せー無理なるは
ふ意にて議なり




立おばかし
は 、
こを
へ大ひ
のれ

ちろ道 もす

よ思ば
も ひとちらひん し太郎
せて
言上
けれ を
く比

いやう
、申あく
人 。
たさざする と

せゞ
い、
こは

えに
習た



んかとて て

寄百姓
あび
共り る

あふ
らを





あたらし
こ申す

人ての すると
あり
大の納言司濃 春
國國
二條



の 申




ひぞ



ほど
あく
ける
する の

か、
ど思


とくもせ と
かな
仰君


あ ふべから
すれ ふ



わ者
領さべし
らん

ま度
のなか
がす を










毎太郎
三に
く物
日さ 。





領内
わて
書札
、よせ
取を
がきり 観

せに

とやう
助かる
さらば
い者
、かせ
んでな

こ〜
まけり

られ
ことに
れぞ
ほを

もた
誰が
とより




もせで、地頭殿の通り給ふに、取りて給へといふ程の者なりと申しければ、ある人是を
間き、それ艦の者をすかせば、よき事もあり、いざ寄合ひてすかして見んとて、おとな
みくじー御園
しき人四五人よりあひて、かれが誰に行きて、いかに物くさ太郎殿、われらが大事のみ一
くじに常りて候ふを助けてたべ。何事にて候ふぞと申しければ、ながふといふものをあ
たりて候ふ。それはいくひろばかり長き物にて候ふぞ、おびたよしの事やと言ひければ、
いやさやうに長き物にてはなし、わがやうなる百姓の中より、都へ人をのほせてつかは
せ参らするをながふとは申すなり、御身を比三年が間養ひたる樹に、のほり給へといひ
ければ、それはさら〜殿ばらの志にあらす、地頭殿より仰せにてこそあれとて、上る
かつうー旦 べきゃうなし。またある人申しけるやうは、かつうは和殿のためなり、それをいかにと
心つくー心の勇
み立つをいふ
申すに、男は妻を共して心っく、女房は実にそひて心っくなり、かくていぶせき臓が供
屋に、具ひとりおはせんより、心っく仕魔をし給はぬか、それいはれあり、男はみたび
くわんー官 の職 に心っく、元服して魂 く、妻を具して魂 く、くわんをして魂っく、または海
道なんどを通るに、殊更心っくなり、世金の人こそ備をしらぬ、シ人はなさけありて
いかなる人をも嫌はす、色ふかき御人も、互に夫妻と頼み頼まるょならひなり、されば




御伽 草紙 一五二
都へ上り、心あらん人にも相具して、心をもつき給はぬかと、やう〜に教訓すれば、物
くさ太郎是を聞き、それこそ候ふなれ、その儀にて候はゞ、いそぎ上せてたび給へとて
出でたょんとする。百姓ども皆々大きに悦び、相足をあつめて京へのほせけり。
シを上りに宿々を通りけるに、更にものくさき事なし。七日と中すに京へっき、足
は信濃の國より参りたるながふにて候ふと申しければ、人々足を見て笑ひけり。あれ程
色黒くきたなけなる者も、世にはあけるぞとて笑ひける。大納言殿は聞召し、いかや
ば然るべしとて召しつかはれける。都にてのありさま、
信濃の國にはまさりけり。東山、西山、御所内裏、堂、宮、赴、面白くたつとさ、中すば
かりなし。 少しも物くさけなるけしきもなし。 是程にまめなる者あらじとて、三月のな
がふを七月まで召しっかはれ、ゃう〜十一月の頃にもなりぬれば、いとまを給はりて
國に下りなんと、比程の宿にかへり、我身を観じて思ふやう、都へ上りたらん時は、よ
き女房にあひっれて下れなんどと言ひしに、ひとり下らんこと除りにさびしからん、女
房一人たづねばやと思ひ、宿の亭主を近づけて、信濃へ下り候ふ、しかるべくば我等がや
うなるものの妻になり候はんする女、一人だっねてたび候へと申しければ 宿の男はこ
おのれが女房になるべきと ひて
㎞。シんことは場き事なれ**とい
のシかし いろ好みとは何事ぞ、いかなる物を申すぞと問ひければ、
主なき女を呼びて、料足を取らせて逢ふ事を、色ごのみといふなり。共義ならばたづね
てたび候へ、下り用意にっかひ銀十三文あり、足をとらせてたび候へと申しけ れば、
たくら だー愚人
宿の亭主は足をきょ、挑も〜是程のたくらだは無しと思ひて、又いふ様は、その義なら
ば、辻とりをせよといふ。辻とりとは何事ぞや。辻とりとは男もつれす、襲撃にも乗ら
ぬ女房のみめょき、わが目にかょるを取る事、天下の御ゆるしにてあるなりと教へけれ
ば、共義にて候はゞ取りてみんと申す。十一月十八日の事なるに、清水へ参りてねらへ
㎞ と教へければ、さらばとて出でたつ。共日の有様は信濃より年をへて著たりけるさゆみ
。一のかたびらの、何色とも交も見えぬに、シにして、物くさ麗のやぶれたるをはき
呉竹の杖をっき、十一月十八日の事なれば、風烈しく吹きて、いかにも寒きに、鼻をす
すりて清水の大門にゃけをとばの如く立ちすくみにして、大手を魔けて待っところに
参り下向の人々足を見て、あなおそろしや、何を待ちてかやうにはあるらんとて、皆々
物 くさ 太郎 一五三
* }
==
御伽 草 紙 一五四
よけ道をして通れども、近づくものは更になし。あるひは十七八、三平よりうちの女房
あした
五人十人、うちつれ〜通れども、一目より外みざりける。かやうに立ちたる事、朝よ
り共日の暮るょまで、シ幾千萬と云ふ事なし。あれもわろし、足もわろしとためらひ
たる所に、女房一人出で来り、年ならば十七八かと見え侍り 形は春の花シのかん
ざしたをやかに、青城のまゆすみは花やかにして、適山の標に異ならす、 新たるシ
は秋の輝の第に異ならす。三十二相八十稲好の他き満ちて、奪色の如来のことし。踏み
たる足のつまさきまでも、肩のシとょのへて、いろ〜の 重 に、紅の千人の椅ふ
うらなしー草履 みしだき、うらなしうちはきて、たけに除れるかんざしを、梅のにほひによせて、われ
に劣らね下女一人供に具してぞ参りたる。物くさ太郎是をみて、愛にこそわが北の方は
出できぬれ、あつばれ疾く近づけかし、抱きつかん、日をも吸はゞやと思ひて、手ぐす
おほで
、 - -
7ー -
) ー 、、、 )
ねをひき、大手をひろけて待ち居たり。女房是を御覧じて、ともの下女を近づけて、あ
れは何ぞと問ひ給へば、人にて候ふと申しければ、あな恐しや、あのあたりをばいかにし
て通るべきぞとて、よけ道をして通りける。物くさ太郎是を見て、あら浅ましや、あな
たへ行くぞや、手のびにしては叶ふまじと思ひて、大手をひろけて、つょと寄り、いつ
-
くし“ s
けなる笠の内へ、きたなけなる配 し 」、* * 〜
妻三 くれ ニてー
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言言M撃に けければ、東西くれはてて、更に御返事もの給はす。
cきき 人足を見て、あな恐しゃ、いたはしやとて、おの〜見ては通れども、よりっ
く者は更になし。男とりつめていふやうは、いかにや女房、遥にこそおほえて候へ、を
三 三 W言戻 k
- A は 、しづはら、 生の里、かうだう、かはさき、中山、シ 清水、六波羅、六角
堂 ェ寺 ㎞、シ 住吉、鞍馬寺五條の天碑、
シ、日吉、山王、祇園 北野、加茂 春日、所々にてまるりあびて候ひしは、いかに
い 、にと申しける。女房是をきふ、 者はいかさまにも田舎の者にてありけるを、宿の男
教へて、辻とりをせよと申してせきするよと思び、あれ監の者をはすかさはやと思ひ
それはさる事も候はん、今はこれにては人目もしけし、わらはがさぶらふ所へ、訪うて
てうしの言葉 入っせ給へとありければ、いづくにて候ふぞと問ひければ、てうしの言葉をかけ、それ
霊子」
ふう・てん
そん との意 お
をふくせんその内に、透けばやと思しのし、わらはが候ふ所をば、松の本といふ所にて
候ふっ 物くさ太郎是をきょ、松の本とは心得たり、明石の浦の事。かょるきたいの事は
なし、是一 つをこそ聞き知るとも、よの事は知らじと思ひて、た?し日くるょ里に候ふ
物 くさ 太 郡 一五五
ぞ。日くるょ里も心得たり、鞍馬の奥はどのほどぞ。これもわらはが敵聖よ、ともし火
の小路をたづねよゃ。池の小路はどのほどそ。足もわらはがふる里よ、はっかしの里に
候ふよ。しのぶの里とはどのほどぞ。これもわらはが故里よ、うはぎの里に候ふ。錦の
近江ー逢ふ身に
かけてい ふ
小路はどの程ぞ。足もわらはが敵聖よ なぐさむ園に候ふは。それはこひして近江の園

どの程ぞ。けしやうする曇なき里とのたまへば、鏡の宿はどの程ぞ。秋する國に候ふ
因幡ー稲葉にか
けてい ふ
ょ。因幡の園にはどのほどぞ。これもわらはが歓聖よ、はたちの園に候ふよ。若狭の園
はどのほどぞ。かやうにとかくいふ程に、比うへは吾身のがるべきやうなし、いやい
や比者に、歌をよみかけ、それを案ぜぬ折ふしに、逃け去らばやと思ひて、男のもちた
る唐竹の杖によそへて、かくなん、
ふしー節、駄し
から竹を杖につきたる物なればふし添ひがたき人を見るかな
物くさ太郎これを聞き、あなくちをしや、さてわれと寝じとござんなれと思ひ、御返ご
と、
ふし
よごとー 節毎、 よろづ世の竹のよごとに添ふふしのなどから たけに節なかるべき

んしんも
あなおそろしや、比男は吾とねんといふ、又姿には似す、かよる道を知りたることやさ
しさよと、思しめして、
はなせかし網の締目のしけければこの手をはなれ物語せん
物くさ太郎是を聞き、さて手を許せとござんなれ、いかゞせんと思ひて、又かくぞ、
何かこの網の締目はしけくともくちを吸はせよ手をばゆる さん
とよみかへし申しければ、女房時刻うつりて叶はじと思しめして、又かくなん
思ふなら問ひても来ませ我 宿はからたちばなの紫のかど
物くさ太郎比観論を案じ、少しゆるす所にふりはなし、笠をも御衣装などまでも打ち捨
てて、裏なしをも踏みぬぎ、かちはだしにて下女をもつれす、散りム〜になりて逃けられ
けり。物くさ太郎あな浅ましや、わが女房取りにがしつる事よと思ひて、唐竹の杖くき
みじかにおっとり、女房いづかたへ行くぞとて追ひまはりけり。
女房は是を最後と思しめして、案内は知り給ひたり、あなたの小路、こなたの辻、こょ
かしこを巡りちがへ逃け、春の風に花の散る如く逃けかくれ給へり。物くさ太郎是を見
て、わごぜはいっくへ行くぞとて、あなたのが路へっょと寄り、こなたの辻へ行きあひ
たり、すきをあらせす追ひつめけり。ある所にて追ひ失ひ、あとへ返りてさきを見れど
物 くさ 太郎 一五七
御伽 草紙 一五八
も人もなし。街来の人に問ひければ、知らすと答へて通りける。清水にて立ったりし所
へ騎りきて、こなたむきにこそ女房は立つたりつれ、あなたへ向きてこそ、かやうの事を
ば言ひつれ、いづかたへ行きつらんと、もだへこがれけれども設ぞなき。けに〜思ひ出
だしたる事あり、からたちばな紫のかどとありつるに、尋ねて見ばやと思ひて、紙一か
さねを竹にはさみ、あるさぶらひ所へ立ち入りて、是は田舎の者にて候ふが、門ふみ忘

*ょー 初| れて候ふが、さいじよからたちばな紫のかどにこそ仰せられしが、それしきの門はい
づくに候ふらんと尋ねければ、七條の末に豊前の の殿の御所こそからたちばな紫は
有りしそ、基が露むきて尋ねよと教へける。たづね行きて見れば賞にもそれなりけり。
はやわが女房にあひたる心地して、うれしき事申すばかりなし。彼のやかたには、犬追
物、笠懸まりあそび 成は管舷基将基鍵六をうち シ歌 思ひ〜のあそびなり。あ
なたこなたへ行きて見れども、わが女房はなかりけり。もしも出づることもありなんと、
|機のしたシれける。比苫ては信後の
て、 へん
中しける。更けのくまで営っかひし
入らせたまふが、廣様にたち出でて、なでしこといふ下女を召して、いま
だ月は出でさせ給はぬか、さもあれ、清水にての男は、いかにこれ程くらきに、それにゆ
き逢ひたらは、命もあらじなどと語り給へは、いま〜し、何のゆるにか足までは来り
-
おもかけ
候ふべき、なか〜仰せさふらへば、面影にたちて候ふと申しければ、物くさ太郎様の
下にて足をきょ、足にこそ我北の死はあれ、拠も縁はっきぬものぞと嫡しくて、様の下
より躍りいで、いかにや女房、わごぜ故に心をつくし、骨をば折るぞとて、様より上へ
あがりける。をみなへし足をきょ、肝心も失せはてて、ころびまろびて、喉 のうちへ
きもたましひ おはそら
大空なるー荘然 にけ入りて、しばしは呆れて肝 魂 も身にそはす、秋の夜に夢みる心ちして、大空なる
たる
けしきにておはしけるが、やょありて、あな恐しのものの心や、是まで尋ねて来る不思議
さよ、人こそ多きに、あれ程きたなけにいぶせき者に思ひかけられ、慈 ひられたるこそ
悲しけれとて、なでしこに語り敷き給ひける。かふる所に、番の者ども立ち出でいふやう
五障さんしゆー
五障は轄 輪 王、 は、人のけしきのあるやらん、犬が状ゆるといひて、人々 さわぎけり。
楚天王、帝響、魔
王、備となるこ
と能はざるをい 女房おほしめしけるは、あら浅ましや、あの者を打殺さんも恐しや、さなきだに女は五
ふ、さんしゆは
三従か、されば
障さんしゆに罪深きにとて、涙をながし給ひける。今衛ばかりは何か苦しき、かり宿し
幼にして父母に
従 ひ長じて夫に
てあけほのにすかしてやれとて、ふるき畳をしきて居よとてたびたり。下女来りて、明
従ひ老いて子に かうらいべり
従ふをいふ けなば人に見えす、とく〜騎れとて、ある妻戸のきはに、いとならはぬ高麗縁の畳を
物 くさ 太郎 一五九
御伽 草 紙 一六○
敷きみたりけり。かなたこなた身をもだへ、ありきくたびれ、あはれ何にてもとくくれ
よかし、何をくるべきやらん、栗をくれられなば焼きてくふべし、柿、梨、もちひなん
どをくれたらば、すきもなく食ふべし、酒をくれたらば十四五六七八杯も呑まう、何に
てもとくくれよかしと、心を色々になして待ち居たる所に、栗、柳、梨、 龍に入れて
しほー原本 「し
い」 とあり、後 しほと小刀取りそへて出だしける。物くさ太郎是を見て、あな浅ましや、女房のみめに
文によりて改む
たんしー積紙か は似す、あまたの本質を、箱の蓋、たんしにも入れてくれよかし、馬牛などに物をくる
る如くに、一っにとり具してくれたる事よ、まさなや、たゞし子細あるべし、このみあ
また一 っにし、くれたるは、われに一 つになりあはんと思ふ心かや、栗をたびたるは、く


りごとすなとの心にや、梨をたびたるは、われは男もなしとい
らん、いづれも歌によまばやと思ひて、
うみー熟み、海
津の國のなにはの浦のかきなればうみわたらねどしほはつきけり
泥の運云々ー況
中の運、薬菊 に
女房これを聞き、あなやさしの者の心や、源の避、シとは、衛艦の事にてもや侍
包める黄金とい
ふ議 らん、是とらせよとて、紙を十かさねばかり出だされたり。是は何事やらんと思ひける
が、シのあとなき返事をせよといふ心ござんなれと思ひて、かくなん
ちはやぶるかみをつかひにたびたるはわれをやしろと思ふかや君
大口ー校の 一種 比うへは力なし、共してまるり候へとて、小袖一かされ、大田、直垂、鳥精子、刀とょ
のへて、是を召して参られよとぞ中しける。ひちかす大きに喜び、めでたや〜とて、比
程著たりける重代のきる物を、竹の杖にまきつけて、小袖をは春衛ばかりこそ貸し給は
んすらん、あしたは著てかへらんするぞ、いぬ、る のこ喰ふな、ぬす人とるなとて、様
の下へ投け入れて、共後大日直垂きるやうを知らすして、首にあて、肩にかけ、是を煩
はしくしけるを、下女とりつくろひて、鳥帽子をきせんとす。髪を見るに鹿竣風など、い
つの世に手をいれて、解きあけたるけしきもなし。されども潮うこしらへて、鳥幅子をば
おしかぶせ、なでしこ手をひきて、こなたへ〜とっれて行きければ、物くさ太郎、我
園信濃にては、旧岩石をこそありき習ひたれ、かやうに油さしたる板の上をは歩みなら
はす、こなたかなたと近りまみりけり。されども障子の内へおし入れて、なでしこは騎
りけり。上薦の御前にまみるとて、踏みすべりてあふのきにまろびけり。さらば除の所
ここ
- て もなくして、上薦の質とも思召すてひきまるといふ琴の上に倒れかょりて、琴をば
微塵に損ひぬ。女房是を見て、あさまし、いかにせんと涙ぐみて、顔 に紅葉をひき散ら
物 くさ 太郎 一六三
してかくなん、
けふよりはわが慰みに何かせん
物くさ太郎、いまだ起きもあがらす、あさましと思ひて、女房のかたを打見て、
ことわりー道理
と琴破とにかけ ことわりなれば物もいはれす
てい ふ
と申しければ、あなやさしの男の心やと思しめして、よし〜是も前世の宿縁なり、箇様
に物思ひかけらるふも、今生ならぬ縁にてこそ、かくも有るらんと思しめして、比翼のか
たらひをなしたまふ。今管も既に明けければ、いそぎ騎らんとする時、女房仰せらるふ や
うは、力及ばす、かやうに見参に入りぬるうへは、われ人この世ならぬ縁なり、心ざし思召
めさば、是にとゞまり給へ、われらは宮づかひの身なれども、何か苦しかるべきとありけ
れば、承るとてとゞまりぬ。共後は比女房下女二人そへ、よるひるこれをこしらへて、七
日湯風呂に入れければ、七日と申すにはうつくしき玉の如くになりけり。共後は日々にし
たがつて玉の光あるに似たり。をとこ美男の名をとり、うた連歌人にすぐれたり。女房か
え もん
しこき人にて、男の濃法を教へける。しかるに直垂の衣紋がかり、椅のけまはし、烏帽子
すぐ かう
の著ぎは、髪 つきまでも、いかなる公卿殿上人にも勝れたり。かょる程に豊前の守の殿
比は由聞しめし、見参のために召さる。ひきつくろひてまるられたり。豊前の宅見を見
一 て男美男におはしける、苗字はたれと問ひ給へば、物くさ太郎と答へける。殊の外なる
御名かなとて、はじめてうたの左衛門になし奉る。かやうにとかくする程に、比事内裏
もつかう車ー帽
額の魔をかけた
へ聞召して、いそぎ参れとの宣旨なり。辞退申せど叶はす。もつかう車にのりて院参す
る車をいふか
る。大極殿にめし、次はまことに連歌の上手にて侍るなる、歌二首つかまつれと宣旨な
り。折ふし梅花に驚のとびちりて噛るをきょ、かくなん、
鷲の ぬれたる盤のきこゆるは梅の花笠もるや 春雨
みかど足を欲覧ありて、次が にも梅といふかと宣旨なりければ、うけたまはりもあへ
す、
信濃にはばいかといふも梅の花みやこの事はいかゞあるらん
みかど是をきこしめし、御感に入りて、次が先祀を申せと宣旨なり。先祀もなき者にて
候ふと中しけり。さらば信濃の國の目代へ尋ねよとて、その所の地頭へ宣旨をなし、御尋
ねありければ、こもに巻いたるシをとり寄せて、見参に入れ奉る。これを開き御覧す
れは、人王五十三代のみかど、仁明天皇の第二の皇子深草の天皇の御子、二位の中将と
物 くさ 太郎 一六三
御伽 草 紙 一六四
申す人、信濃へ流されて、年月を送り給ひしが、一人の御子もなし、これを悲み給ひて、
善光寺の如来にまみりて、一人の御子を申しうけ給ひて、御年三歳にて、二人の親にお
くれ給ひて、共後凡夫の塵にまじはり給ひて、かよる践しき身となり給へり。みかど数
覧まし〜て、皇子をはなれて程近き人にておはしけるよとて、信濃の中将になして、甲
斐信濃雨國を給はりて、比女房相具して信濃へ下り、あさひの郷につき給ふ。あたらしの
郷の地頭左衛門尉をば、忠ふかき人なればとて、甲斐信濃の雨園の継政産に定めたまふ。
又三年養ひたる百姓にも、みな〜所領をとらせて、我身はつるまの郷に御所を建てて、
春族をおき 貴賊ェにかしづかれ、園の政事おだやかにありしかば、備碑三賞の加護
ありて、百甘年の春秋をおくり、御子あまた出できて、七珍萬費に他き充ちて、長生の碑
おたがー御多賀 となり給ふ。殿はおたがの大明碑、女房はあさひの権現と現れたまふ。是は文徳天皇の
しゆくぜんー宿 御時なりし。かれはしゆくぜんむすぶの碑とあらはれ、男女をきらはす、鍵せん人はみ
善か
づからが前に参らば叶へんと、警深くおはしますなり。およそ凡夫はシを申せは腹を
三熱の苦みー一 たて、碑は本地をあらはせば、三熱の苦みをさまして、語に喜びたまふなり。人の心も
日に三度づつ受
くる熱の苦み かくの如く、物くさくとも身はすぐなるものなり。毎日一度比草子を譲みて、人に聞か
せん人は、財賞にあきみちて、さいはひ心にまかすべしとの御誓なり。めでたき事なか
なか中すもおろかなり。
物 くさ 太郎 一六五
㎞--


さ \ れ い
碑武天皇より十二代成務天皇と申し奉るは、限なくめでたき御世なり。比帝に 男みこ
姫宮三十八人の皇子おはしける。州八人めは姫宮にて渡らせ給ふ。数も知らぬほどの皇
子たちの御末なればとて、その御名をさざれ石の宮とそ申しける。観容貌世に勝れてめ
でたくおはしければ、数
( 多の御中にもこえて、御寵愛斜ならすいつきかしづき給ひける。
ほど
さる





殿



にでたきし所
政の

二 四


まみ
め給
御。


おほえ、

一天四海のうちに上こす人こそなかりけり。
さゞれ石の宮、世間の有貸轄鍵のことわりを、つく〜思召しよりて、それ備道を願ふ
に、浮士は十方にありと聞けども、中にもめでたき浮土は、東方浄瑠璃世界に若くはな
しと思しとりて、つねに怠らす、薬師の御名跳、南無薬師瑠璃光如来と唱へ給ふ。ある
夕暮の事なるに、月の出づる山の端打ちながめ給ひ、わが生れん浄土はそなたぞと思し
さぶ れいし 一六七

一貴
ノヘ
御伽 草紙 一
こがね
めし、濁りたょすみ給ふに、御前に虚空より黄金の天冠を額にあてたるくわんにん一人
まみり、さゞれ石の宮に瑠璃の壺を捧け申しければ、薬師如来の御つかはしめ、金昆羅
大将なりとぞ中しける。
比売に妙薬あり、これすなはち不老不死の薬なり。これをきこしめされば、御年もより
たまはす、わづらはしき御心ちもなく、いつも鍵らぬ御姿にて、御命の終もなく、いっ
までもめでたく楽え給はんとて、かき消すやうに失せにけり。さゞれ石の宮、比電をう
け取らせ給ひ、あらありがたや、年月願ひ*るしるしかなとて、三度詠し、シ
あまたー甚だの
意 ふに、あまた味ひ言ふばかりなし。青き金に自き文字あり、よみて御覧すれば、歌な
りo
君が代は千代に八千代にさゞれ石のい はほとなりて苦のむすまで
とあり。これすなはち薬師如来の御詠歌な るべし。それより御名を引きかへて、いはほ
の宮とぞ申しける。
共後年月を送り給ふに、職か物の悲しき事もなく、いっもシの御姿にて、変花にほ
こり給ふ。御命長く渡らせ給ふことは、すべて八百除歳なり。成務天皇、仲哀天皇、碑
*}- - ー
功皇后、應碑天皇、仁徳天皇、履仲天皇、反正
天皇、充泰天皇、安康天皇、雄略天皇、清寧天
皇、十一代の間、いつもかはらぬ御姿にて、楽
えさせ給ふなり。さゞれ石の宮、あるよもすが
ら療 を掲け、薬師量言を念じおはしけるに
かたじけなくも薬師如来 いとも態き御姿にて
はほの宮に勤ひのたまふは、次はいつまで比
世界にあらん、人間の楽はわづかの事なり、それ
浮瑠璃世界の地は、すなはち瑠璃なり、次を移さ
ん浮土は、七賓の蓮花の上に玉の資殿を立てて、
こ がね ゆか
黄金の扉をならべ、玉のすだれをかけ、床には
しやうこん

によくわん
る、数千人の女官、時々刻々に守護を加へ、百
をんじき
味の飲食をさ ふぐる事ひまもなし、比世界に
世界にて
一六九
ー ーー

-
御伽 草紙 一七○
八苦ー生苦、老 契深き人は、目の前に拉み居つふ、何事も心のまょの極楽なれば、さのみはいかで八苦の
苦、病苦、死苦、
愛別離苦、五盛
陰苦、求不得苦、
世界にあらんとて、いはほの宮を東方浄瑠璃世界に導き給ふ。共身をもかへすして成備
怨恨倉苦
し給ふこと、稀代不思議のためしとかゃ。上代も末代もかょるめでたきためしなし。今
は末世のこと、か程にこそはおはせすとも、碑や備を念する人は、やはか共しるしの無
かるべき。南無薬師瑠璃光如来〜、おんころ〜せんだりまとうきそはか〜。
始 の 草 紙
まどしきー貧し 天ェ避多園の傍にしゞらと申す人あり、世にすぐれてまどしき人にてお はしけり。
父には早く離れ、樹継 一人もち給ひけるが、その頃天笠ことのほか仙備ゆきて、人っか
れて死する事かぎりなし。しゞら母を養ひかねて、よろづの営みをして母をすごさんた
めに、天に仰ぎ地に備して管めども、更に基甲斐なかりけり。こょに思ひいだしたる事
うらわっ
うろくづー魚
ありとて、浦回に出でて釣をして、うろくづを取りて母をすごさんとて、浦へ出でて小
舟に乗り、沖中へ遭きいだし釣をたれ給へり。色々の魚をつりて、毎日母を養ひけり。
さればしぶらは是を嫡しき事に思ひけるが、ある時又浦へ出でて釣を垂れ給ひしが、共
くれがた
日もはや暮方になりけれども、魚一 つも釣りえざりき。しゞら心に思ふやう、比程いく
せつしやう むくい
らの殺生をして、母を養ひたる報にや、更に魚つられざりけるとて、しゞら心に思ふや
いかに母の我を待ちかねさせ給ふらん、今まで物をまみらすして、さぞ御心つかれ
始 の 草 紙 一七二
御伽 草紙 一七二
釣する心もそば
になりてー釣す
給はんとて、釣する心もそばになりて、母の事をのみ案じみたりしが、釣筆ーも心のあり
る心もよそにな
りて けるにや、すは魚こそかょりたるらめと思ひ、ひそかに釣りあけて見れば、うつくしき始
** -
* *

くき
*
一 つ釣りあけたり。しゞら心に思ひけるは、是はいかなる事やらん、何の役にたつ べき
とて、海へ投け入れたり。さてこょには魚なきとて、西の海へ舟こぎて行き、つりたれ
しかば、又以前の南の海にて釣りあけたり し始なり。しぶら心に思ふやう、あら〜一
不思議の事やとて、又とりはなして海へ投け入れたり。それより又、北の海へ遭ぎ行き
て、つりをたれし所に、又西の海にてつり上けし始あがりけり。その時しぶら思ふや一
き たいふ し ぎ
う、足は希代不思議のことなり、一度ならす二度ならす、三度までつりあけたり、た
かりそめながらも三世の契を得たる物かなとて、比たびは取りあけて舟のうちへ投け入
れて、又っりを垂れければ、彼の始機に大きになりけり。あら不思議の事やとて、しぶ
こんじき
ら取りて海へ入れんとする所に、この始のうちより金色のひかり三筋さしけり。是はい
かなる事ぞゃとて、日を驚かし、肝を消し、おそれをなして遠ざかりける。比始がひ二
っに開き、共中より容顔美麗なる女房の、年のよはひ十七八ばかりなるが出でたり。し
てうづ
じらこれを見て、潮をむすび、手水をっかひっょ申しけるは、足はどいつくしき女房の一
「「
じっはう1十方 かたち
にてR十の装飾 姿を見れば春の花、 形を見れば秋の月、じつは
語として用なた
るにや |う十の艦までも、魂をの べたる如くなる女房
の、海よりあがらせたまふ事の不思議さよ、若
しも龍 などと申す人にておはしまし候ふか、
比しつの男の舟に毛り給ふ事、冥加もなき事な
り、たぶ御すみかへ騎り給へと申す。共時女房
仰せけるは、われは来たるかたも知らす、又ゆく
する も知らすさふらへば、そなたの宿へつれて
御ゆき候へ、たがひの管みをして浮世をわたら
んとのたまへば、しゞら申すやう、あらおそろ一
しや、思ひもよらぬ事なり、われははや四十に
なり候へども、いまだ女房ももたす候ふ、共い
はれは六十に除りたる母を一人もち候へば、も
しわれ女房をもち候はゞ、心もそばに なりて、
一七三
=』
御伽 草紙 一七四
母を無沙汰にあっかひ中さん事もや候はんと思ひ、母の気をそむくと存じ候へば、妻を
もっ事思ひもよらぬ事やとて、けしからす聞えければ、比女房仰せけるは、なさけな
*
物のゅパへー物| き人かな、物のゆくへをよく聞き給へ、袖のふり合せも他生の縁と聞くぞかし、たとへ
のなりゆきえ
ば鳥類などだにも、線ある枝に羽をやすむるぞかし、ましてや足までそなたを頼み参ら
せて、比舟にもとづきし甲斐もなく、騎れと仰せ候ふことの浅ましさよとて、誠に思ひ入
りたる気色にて、涙にむせび給へば、しら足を見てつら〜思ふやう、さらばせめて
みぎは
園へおろさんとて、いそぎ井を遭ぎ、群にっきて舟よりいそぎおろしまるらせて申しけ
るは、われは是まで届け申すことにて候ふ、さらば御暇申さんとて、騎らんとしければ
比女房袖にすがり数かせ給ふやう、せめてそなたの宿まで御っれ候へ、「夜を明かさせて
たび給へ、明けなばいづかたへも足にまかせて行き候はんとのたまひけり。しぶら申さ
れけるは、われ〜が家と申すは、たゞ世の常の家にてもなく、誠にしづの男のねやの
有様、目もあてられざる所なれば、おき奉らん所更になく候ふ、常の座敷に置きまみらせ
ん事は、 加もなき事にて候へば、家をっくりまるらせて置き奉らん、御まち候へと申
しやこ め なう
せば 女房のたまひけるは、 いかなる金銀瑠璃碑礁環環をもって作りたる家なりとも、
よそへは更にまみりたくも無し、そなたのすみかへならば行き候はんとのたまへば、
こし御待ち候へ、先づわれ〜宿にゆきて、母に伺ひ申して御 むかひに参り候は んと
て、しゞらはすみかに騎りて、母に比由申しければ、母なのめならす喜び給ひて、いそ
ぎ座敷を清め、こなたへ迎へ申さんとのたまひければ、しゞら喜びて、いそぎ海のはた
へ御むかひにぞまみりける。比女房待ちかね給ひてわたりける。道のほとりにて行きあ
ひ奉りける。しら申しけるは、御はだしにては御足いたく候はん程に、比践しき鶴の
男がうしろに負はれ給へと申せば、よろこび給ひて負はれさせ給ひけり。さて我宿へ行
きっきおろしければ、やがて母出であひ見たてまっりて、あら 加もなや、足ぞ天人と
棚をかきー棚を 申す人なりとて、わがみる所にはいかゞとて機に棚をかき、われより高く置き奉りて、あ
懸けの意にて 一
段高き座を設く
る こと
がめさせ給ふ事かぎりなし。共時しらが母の申す % 加もなき申し事にて候へどもな
どしゞらが妻にならせ給ふ人にておはしまし候はすや、しぶらもはや四十になりまみら
せ候ふが いまだ妻ももたす、子の一人も候はぬこそ、明 わびまるらせ候ひっれ、我身
ははや六十にあまり、明日をも知らぬ身の、比事をのみ案じさふらふ、あはれ〜似あ
はしき妻もがなとて数きければ、女房仰せけるやうは、われはこれ来りし も知らす も
や の 草 紙 引
す知





無ー云橋



々 鐘
むっ
紡ー ま
く 人天
し 降り
し よ


ふりり も

行く
よと

洗米
ねー


と給

は巻響と
ふ 常住

南に
、は

き無 よ けれ

聞く
。面





むを








求め
尋ね
やがて
しば

えそし
ぎりら ふと 給
まう
い、
ほ給
ににし

ひて








まけり
喜さよ
。て

そか
せつどら房たび 嫡






す母








まみ

よの




あ事
て りり 心
めごし
のにでたき し。

まて
りも






姿


けれ

くあ
と物

学らり

れよ
ちのせらすば
なれ
もの
なる
さは
わ、 れまるみ 、
ひける
たに
女房







たり
により
だか
うち の


白に

三石
ほど
さ。
けり
まし
など

包を
く、
しね
いに
まで

米るりみたる
ま男 俗




まやま
拝みり




わふ
人のんざりそら け
不思議







はる
たり 申〜
人みば

なれ
ところ
しの



天ば
も、
けれ
さ申
返ひと

から
しなき笠れ事 御



とも

な親孝行

ばの
も、

けれ
もかく
しいとより
ぶ、

と れらひ わ浮世

共、

もし
てたに 六


草紙
御伽
れいれ
引、
よ響備

常住
南て

にやば
、見し








るき無るれ字 r

==

-

たへ
一の
ほ山

といふ
つに

さけ給
。 ませ

く膨


ど見は
ね しき
まむるりうもえ

みや
うむな


たあの
く じやう
らほ

-
* ぶう
うな
やじ
もん
っち



知られ

り 営を し人
ぬわ給


か置

ぶら
もし

ばみられせ
さ、



喜なめ
に 母


ひけれ
たと
のん


らばびのま

やう
いか




さ巻と
を 菩羅将
三 多
三菊
めき提



=


一具足ー器具 。シを。給ふ時は、南無妙と響き、つむがせ給ひけるほど に、二十五月
さ * * はた ぐそく
。っシだし結びてきて機のシぼしきと仰せければさらばとてこしらへ見 〜 } 〜 ら
んとするを、御覧じてのたまひけるは、よの常の艦の最慰にてはわろく候 ふ、 われ〜
た、そく
本ー手本 -
またはん
が機の具足は常のにかはり候ふとて、本をいだし給へば、御好みのやうにこしらへて参ら
けんじんづうりきし。
せければ、比女房よろこび給ひて、何として巻きたてみんと宣ひける所に、示現碑通力者
----i 』、
こ、わうしゆちは
うべんのせつー はやがて心えさせ給ひ、くわうしゆちはうべんのせつなれば、いかでかわろかるべきぞ
未詳 いちや
や。一度も見ぬ人二人来りて、「夜の宿を借りたまふ。比機をともに巻き給へり。足を
始めてしゞらの母不思議の事かなとて、いよ〜あがめさせ給ふこと限なし。しゞらは
はた
いきな
比機たちて、母のなぐさまれ候ふ事の嫡しさよ、いつよりも心やすく過ぎゆかれ、又営
しんらう
みのわざをし、比程は心勢とも豊 す、是ほど天笠三の飢鐘世にすぐれけれども、我々心や
すく候ふ事こそ嫡しけれとて、母の御足をわが額の上におきて、寝させまみらせり。

共時しぶらがそばに寝させ給ひたる女房、しゞらに尋ね給ふやうは、何とて泣き給ひ候
ひたひ
ふぞと仰せければ、若き時御ふとり候ふころは 御足を額にねさせ申すに、重くおはしま
し候ひしが、はや御年もより給へは、次第に身も細らせ給ひて、ことの外に軽く候ふ程に、
給 の 草 紙 一七七
御伽 草 紙 一七八
泣くより死の事はなく候ふと語り給へば、女房間き給ひてのたまふゃう、誠に義ましの
しゞらの心や、いかなる備の御恵みもなどか有らざらん、か程に親孝行の人は世にめづ
越鳥云々ー文選 る つてう はさ
「胡馬依北風、越 らしき事やとて、やがて物語をそし給ひける。たとへば越局南枝に撃をかくる薬も、親
おも す
鳥巣南校」 もろさこもし てう は、こ
四鳥の別れー孔 のはごくみを思ひ、巣をたてられて諸共にたつとき、四鳥の別れとて、母子のわかれを知
子家語 「恒山之 、まうしふ
鳥生四子焉、羽 らぬ妄執の雲にへだたれども、親孝行の鳥は、生まれたる木の枝に百日が間、日に一度づ
翼既成、将分于
四海、共母悲鳴 つ来りて羽をやすむるを、母の鳥、さては是こそ我子よとて喜びけるとて、やがてしぶ
面送之」
らを慰め給ひける。孝行の鳥の奇特は、何と捕らばやとて網をかけぬれども、とられま
じきなり、ことに鷹鷲などにも捕られまじきなり、まして人間と生をうけて、親にした
がはぬ人、この世にては顧をうけ、七難あやまちにあひて、その身おもふ事叶ひ難し、
親孝行の人には天より幅を興へ、七難則滅七顧則生とて、何事も思ふ事の日のうちに叶
しゆにんー衆人

ひ、しゆにんシありて、おのづから今生にては、上ぐう菩提の道にゆきて、安穏模撃
の気をうけ、充ェ薬の座をさして、東方薬師の浮士、西方阿弾陀の浄土にて、諸備の
じ けんじんづうりき ね び くわんおん
上の浮土にもとづき、おのづから示現碑通力の身となりて、念彼観音と唱へさせん事疑な
いきやうくん よるひる
まん〜ー満々 しと語り給ひける。獣のにほひは異香薫じて、まん〜と満ち〜て、釈書のさかひも
なし。いざ機を織らんとて、しぶらにのたまひけるは、比家はは
はたや
黒木ー皮のつき まじく候ふ、そばに機屋をつくりてたび給へとのたまへば、しぶ ら
たるまく の木
尾をつくりてまるらせけり。
共時女房仰せけるは、かまへて比機おり見んほど 脂方へ人を入れまじきと仰せければ
しゞら心得候ふとて、母に比由語りけり。夕ぐれに若き女一人いづくよりとも知らす来
りて、宿をかり給ふ。しらの女房やがて比麗をかしけり。しらの母仰せけるは
はたや
比機屋へ人を入れまじと仰せ候ふが、何とて宿を御かし候ふやと仰せければ 比人は苦し
からぬとて、二人して機を織り給ふ音こそめづらしけれ。妙法蓮華経観世音菩薩、普門
ほ けき
第二十五の菩薩、玉の御はたを織り給ふ。誠に渋華経の、一の巻より八の巻に至るま
で、二十八品こと〜く織り入れ給ふ御こる 、耳に聞えてありがたく、よるひるの境も一
しらすして、十二月の間に織り出だし給ひて、女房仰せけるは、今おりいだし候ふとて、
こばんー基盤か こばんの如くに厚さ六寸ばかり、廣さ二尺四方にたふみ給ひて、しゞらに仰せけるは、
あす魔ェ野闘の市にもちて行き、御賞り候へとのたまひければ、しら代はいか
程と申し候はん。金銭三千貫に御資り候へと仰せければ、あら不思議や、比程賞りかひ
冷 の 草 紙 一七九
御伽 草 、紙 一八○
候ふ布は、よの常やすく候ふが、是は除りにおびたょしく候ふとて、をかしけに申しけ
れば、女房仰せけるは、只よのつねの布にて候はす、われ〜が織る布は、定めて鹿野
一園の市にて見知る人もあるべし、代は限るべからす候ふ、はや〜市へ人も立っらん、行
持ちてゆきー持
ちてゆくの術か
き給へと仰せければ、しゞら持ちてゆき、鹿野園の市にて、是はい か なる物にて候ふと
ふ しん
て笑ひ、又は不審さうに見る人もあり。一日もちてまはれども、たれにても取りて見る
人だにもなし。 しゞら心に思ふやう、さればこそ知らぬ事をして、か


る 物を市へ出だ
わらひぐさ
一し、人の鍵撃になる事の無念さよとて持ちて騎らんとする所に 避に


年のよはひ六十
びんひけ - あしけ
に除りたる老人の、髪髪 いかにも自く、共身は人にすぐれ、筆毛の馬にのり、ともの人
一三十三人あるに、行きあひたり。比馬に乗り給ひたる老人仰せけるは、次はいづくの者ぞ
と問はせ給へば、われはしゞらと申すものにて候ふが、鹿野園へ布を賞りにまかりて候ふ
かひぬし
が、買主なくして持ちて騎り候ふと申す。次は聞き及びたる者なり、共布みんとのたま
ひ候ふほどに、馬の上へさしあけたり。三十三人の人々、比布をひろけければ、長さ三
十三霊なり。近頃めづらしき布かな。われ質はん、代はいかほどと仰せければ、金銭三
--
**----

| 千貫に賞り候はんと申しければ、あらやすの布やとて、さらばわれ〜が所へとて、しぶ
ー 、lー ょ *
くわうるんー廣
園か
らも誘ひ給うて、それより南の死へさして行く。くわうるんまん〜として、雲に控え一
て関あり。見れば弱職の礎に水品の鍵を柱とし、瑠璃のたるき、離弱職にてうはぶき
し なか〜目を驚かすばかりなり。Bのうちへ入りて見れば、シじて花降り、音
楽のこる 天に満ち〜て、心も若くよはひも久しくある心ちして、騎らんことを忘れた一
り。比馬にのり給ふ老人、様のきは逸のりつけておりさせ給ひ、うちへ入りて金銭三千
貫三人してもちて出でたり。あらかょる力の強き人もあるやと、しゞら恐しく思ひけり。
扱今の布賞をこなたへ呼べとて、座敷に呼びあけ給ふ。しrら足ふるひて心も側れ
大床ー縁
身のおき所もなく思ひるる。除りによび給ふほどに、蹴をあがりシにあがる。心一
ほうしゆー保毒

はさながら薄水をふむが如くにて『 りけり。さて老人のたまふは、共七徳ほうしゆの一
酒飲ませよとのたまへば、もとよりしら上戸にて、一杯飲みて見れば、中々甘露の味一
言語ー言語道断
の意
ひみち〜て、書語えこらへぬ酒なり。いかほど飲むべけれども、老人おほせけるは、七|
頼より多く飲むべからすとの仰せなれば、七杯飲ませけり。 一
さて金銭三千貫をば、是より送り候はんとて、おそろしけなる人三人呼び出だされけ
しやうもん び しやもん ら もん
り。名をば盤聞じんとくどしや、昆沙門じんとくどしや、姿羅門じんとくどしやと申す。一
始 の 草紙 -
一 八一
御伽 草 紙 一八二
きたりければー
送りければの術
比三人に仰せつけさせたまひて、三千貫の金銭を、たゞ 一度にしゞらが宿へきたりけれ

ば、共時しゞら御いとま申さんと言ひければ、老人仰せけるは、今飲みたる七徳ほうし
ゆの酒は、観音の浮土にある酒なり一杯のめば一千年のよはひを保つなり、ましてや次
は、七杯のむ間、七千年の輸あるべし、比後は物を食はすともほしくもあるまじき、物を
著すともさむくあるまじきなり。是ぞ親孝行のしるしよとて、御立ちまし〜て雲の上
にのりて行き給へば、五色の光さして、南の天にあがり給ふと思へば、しら我宿へ騎
るなり。女房にとく語らんとしければ、共時の有様をいはぬさきに、少しもたがはす女房
語りたまへば、しら心に思ふやう、おそろしの事や、足は離通をさとる他撃ぞやと思ふ
所に 比女御せけるは さらばわれ〜は御いとま申し候はんとのたま ば、母き て
うたてしき御ことかな、比程は思ひのほかなる人を迎へまるらせて、しらともに嫡し
く思ひまみらせ、何にたとへんかたも候はぬに、かやうに仰せ候ふ事、あら情なやとて、
天に仰ぎ地に備して、なけき給ふ事はかぎりなし。女房仰せけるは、かやうに永々しく




居候はんづる事ならば、い かせぎ出だし候うて、後のかたみにも見せまみ
らせ、又過ぎにしかたの事をも、御忘れ候ふやうにと思ひ候へども、われ〜が業には
比布おり出だし候て、金銭三千貫に賞りまみらせ候ておき候ふ事も、ことなる如く思し
めすまじく候ふ、是に
なんはうふ だ らくせ かい
て一世を御過ぎ候はんなり、是ひとへにしぶら親孝行なるしるし
なり、南力普陀落世界 の観音の浮土より、御つかひとしてまみり候ふ、今は何をかつよ
ミうなんこうによしん
むべき われはシといふ、観音に仕へ奉るものなり、布賞りにおはせし所は厳
うふ だらくせ かい
シの観音の浮主なり、これよりのちは七千年のよはひなり、これは七徳ほう
ふっき はんじやう
しゅの酒七杯のみ給ふゆるなり、比のちはいよ〜シにて、備碑三質の加護ある
べし。かの酒まみり候ふとき、三人出でてしやく取り候ひしこそ、我々と肩をならべた
る人にて候ふ、名をは 聞じんとくどしや、一人はシじんとくどしや、二人は撃難
門じんとくどしゃと申すなり、これもひとへに親孝行の徳により、かくの如くあはれみ
給ふ事まぎれなし、さらばと言ひてしャらが宿をたち出でて、門にていとまごひさせ給
ぶ事、四鳥の別れのことくなり。名残をしゃとて、雨の空にあがらせ給ふかと見れば
自 にのり給うてあがらせ給ふなり。感に音楽ひrきて、シ分に撃じ、花ふり」
もろ〜の菩薩たち迎ひにまみらせ給ふ。さてもしらは緊れたょすみけるが、何と
思ふともかさねて逢ふべき事ならねば、思ひきりつょ親子わが宿へ騎りける。それより
始 の 草紙 一 八三
御伽 草紙 一八四
して富貴繁昌して、親を心やすく養ひ給ふ。さてしゞらはおのづから成備得道の縁をう
け、備の位となり、七千年と申すに天にあがり給ふ。共時紫雲たなびきて、いきゃう四ガ
にみち〜て花ふり 不老不死の風ふきて、音楽の蜂ひまもなく、#五の菩薩三十三の
てんきうこ くう
子、甘八ぶしや三千備みないろめき、十六の天童、四天五大奪、みな〜虚空にみち〜
給ふ。是ひとへに親孝行のしるしなり。後々とても比草子見給うて親孝行に候はど、か
現常ー現世と常
来(未来) くの如くに富み楽えて、理盤二世のねがひたちどころに叶ふべし。まづ現世にては七難
する はんじやう
即減しさはりもなくしゅにん愛敬ありてシなるべし。後の世にては必す備果を得
べき事疑なし。偏に親孝行にして、比草子を人にも御讃み聞かせあるべし〜。
*}

小 敦 盛
さても教盛の北の御方は、都語の傍に深く忍び給ひけるが、教盛の討たれさせ給ひぬ
ると聞しめし、夢かうつょか、こはいかなる事ぞと伏し沈み泣き給ふ。世の常の事なら
ねば、叫べど撃も出でざりけり。身に除り悲しく思しめし、衣引きかづき似したまふ。
いたはしや教盛、源氏撃魔を企てて、みづからはいかならん シに見馴れ給ひて教盛
が事をば忘れこそ候はんすらんとたはぶれ給ひけり。又御身は只ならぬ身なり、男子に
てあるならば、これを記念にとらせよとて、奪っくりの太刀、 子にてあるならば、十
一面観音を取らせよとて、取出だし留め給ふ。かやうに色々あり。又何につけてもあは
れさを、これに警へんかたもなし。さて月日を送りたまふ程に、御産の紐をぞ解き給ふ。
見ればいつくしき若君にてましますなり。さる程にいかなる所にも預けおき、記念に見
ばやと思しめせども、平家の末をば堅く探し出だし、十歳以後は首を切り、二歳三歳を
小 敦 盛 一八五
、 けり
ならん 。
若仰せ


涙なける








もふ

給みら
ががし
づか
君ち 中
さけれ
近法師

ば比




ど命



や今すし
失及て
にし


づくば ご
れも更
ふ たふ
のわも

様父孤子
は無ける
に有上

をとあけ
人給
させ
ふまれ母きりと 給

ひ 敦に
ふち少し

、違

不さよ


ひて

常たま

涙流比
ふさ思議

ち盛ごにして 熊入道
時小


申も


人さし
多せ



一どに
合させ
のたの谷
討谷しても戦れ 育








まし













なて

成 人れり 茂
る 大御
の利なり
喜て
と給





乳あを
いか

添し明神
つき
生び母りづ 議







巻ける
捨に






あすこきてるかれて
べから
い賀
様 立より
、御覧
いしき

すれ
若君
まなり

ます
法上
。御じ
人思



つく
ちし然覧 つれ

賀碑


の御あり
へが
ける
さ者
松幼こる
に泣を
し参り
聞がり
めし

明きく の







さ松
〜捨





たま


法然
弟除

十引がり
をくて

子き を


憂見
、こや
ん悲て
もし拾
思し


巻たん
えづか
き目ん 水
しき
めし

とき ば

入八


、さ

殺の


。悲思

うひに若ギ
みら
比よ
しく
ける
づか
れす君 御伽
草紙



つち
あもり




ともに
父母
かぞ

ける
泣給

と上



御られ


へまづ
もりき前み
借 、

ちく
く、

なうやちご
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じん


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ち、は、
からはいかならん、父母とても無かりけるとて
伏し沈み泣き給ふ。上人ともに涙をながし、む
ざんや故は父母といふ人もなし、みなし子にて
有りしを、この愚僧が今まで育ておきぬるぞ、
かゃうに言ふ言の葉を次が父獣とも思ふべしと
ぞのたまひける。若君聞召し、あら父母継しや
と伏し沈み、湯水をさへ呑み給はす、煩はせ給
ふ事、七日にぞ成り給ふ。上人仰せ有りけるは
もし面々 の時に 怪しきことを見出だしたる人
も有るかと、御奪ねありける。さる程に御うち
の熊谷入道中すやう、六歳の年説法の御時年の
齢 千ばかりの上魔の、容加美麗に御わたり候
ふが、十二重に出で立ちたる御方の、比小人
を召して愛し侍りけるが、人目繁ければさらぬ
一八七
御伽 草紙 一八八
やうにもてなして騎らせ給ひけるを、見まみらせてこそ候へと申しければ、上人聞しめ
し、さらば明日より説法をのぶべしとあり。必すその眼に比ちごの母とおほしき人有る
べしと思しめして、御説法をそのべ給ふ。共時上人やがて涙を流し、観 の袖をぬらし
給ふ。ゃょありてのたまふゃう、昨の聴聞の人々聞しめせ、一とせ賀茂の大明碑へま
るり候ふとき、さがり松にて銃撃者を拾ひ、乳能を添へ育てて候ふが、七歳にまかり成
り候ふが、比程何とゃらん父曲をこひて、けふ七日が間物をも喰はす 湯水をさへ呑み給
はすはシにてシこの間の に 分をしろし されシ
幼き者に行方を知らせて給はりたる事ならば、何かは苦しかるべき、明日になり六波羅へ
聞え、平家の末なればとて殺し給ふとても苦しからす、行方を知らせて心安く殺してた
び給へと仰せもあへず、観察の袖をぬらし給ふ。見る人間く人 共に涙を流し給ふなり。
その時左の方より、十二ひとへに出でたちたる女房の参りたまふが、比人の御姿を見れ
大液の英 登云々
ー長恨歌 「大液 ば青貸のまゆすみ、丹花の唇にはやかに、あやめの姿にて、大激の美容のくれなる、木
はだへ
英撃未央柳、英
登如面柳如眉」
の柳の縁、まゆすみ句ひきて、はくじゅつの姫。蘭略のにはひ、容顔美麗にして、心
は くじゆつー白
飛か も心ならす、いつくしき女房の参り給ひて、比小人を見まみらせ給ひて、そのまよ膝の

上にのせ愛し給ふが、幼き人ははや目も塞がり消え入り給ふやうに見えければ、容顔美
魔の女房も、 潮こがれ給ひけり。上人も椅子より韓び落ち、流海こがれたまひけり。一
共時女房仰せける樹は、みづからをはいかなる者とか思しめす、御恥しながら、大将の一
大将の入道しん
ぜい 云々ー何人 入道しんせいの貸には孫の腕の妹ならのないでんとはみづからが事なり、教盛は十三
とも定め難し
みづから十の年より、個のふみを取りかはし、妹背の中と成りしに、はかなくも元暦元
年一の谷の合戦に討たれさせ給ひし時、みづから只ならすありしを、男子にて有るなら
ば、これを記念に取らせよとて、その刀をおかせたまふ、また女子にてあらばとて、十
一面観音を 組 のほろに包み給ひて留めたまふ、かやうに色々あり、さてゃう〜産の一
紐を解きしかば、見れば教盛に少しも避び給はぬ男子なれば、いづくにも隠し置き、記
念に見はやと思へども、平家の末をは堅く探しとり出だし、おとなしきをは首を切り、一
劉きをは水に入れ、二たび物を思はする、数きの中のよろこびなり。さる程に若君 母一
の名残のこる を聞しめし、備碑三賞の加護とおほしくて、よみがへりし給ふかと、憂き
にも涙、嫡しきにも涙、さきだつものは涙なり。
さる程に共後、若君人目を御包みあり、賀茂の大明碑へ御まみりありて、斬誓申しある一
小 敦 盛 一八九
御伽 草紙 一九C
ゃうこそあはれなれ。願はくば父の教盛に今『魔逢はせてたび給へと、肝臓をそ砕き給
かせ校ー擁木杖 ふ。満する暁、年の齢八十ばかりの老僧、かせ杖にすがり、彼のちごの枕がみに立ち、
仰せ有りけるは、あはれや次、いまだ見ぬ父をかほどに思ひけるか、これより末津の國
昆陽の生田と尋ねよとの御夢想ありけり。
さるほどに小人は起きあがり、斜ならす喜び、あくればやがて下向申し、足にまかせて行



、都を出でて十除日と申すには、津の國一の谷にぞつき給ふ。折ふし雨はふる、




:

かみなり 電 繁ければ、心ほそさは限なし。磯うっ浪のこる かれを聞きこれを見るに


いとrっらきは限なし。それより行くするを見給へば、小き堂あり、シかすかなり い
かなる天魔魔縁の者の火か、または人もあらばと嫡しくて行きて見給へば、薄化粧に眉一
縁行道ー縁側を
詞経念備などし
っくりたる気色にて、いかにも花やかに
か 出で立ちたる人の機行避しておはしますなり。
つく歩むこと 若君ほと〜と叩き、物申さんとありければ、たぞやこの人も住まぬ所に、物申さんと
いふはいかなる者ぞとありければ、小人泣く〜のたまふやう、これは都の者にて候ふ
が、父の行方を尋ねて、比十除日と申すに足にまかせて来り候ふが、雨はふる暗さはく
らし、行くべき方もなし、今管一夜の御宿を御かし候へとのたまふ。さて父はいかなる




小 今


上べし


み都


あり


よ参御せ


父あづかりる前 に


たべから






ける
仰せ
ほ後






すよ王


わまふ
君どが
り へ
かぞ
ゆあり









、魔は
仰閣


利まるせ王 我
しめし

れ を

が が


て 若ふ

、たすに






。 ざ君まべ生盛根し 、
善あら
敦ば

後を



次 掛が









十熊り谷 の


手 合て
に思 の谷戦しど い次
一こそ
ひ見
次、






なれ
あはれ
ほける



ぬ む仰せ
やう
ける
有り

は抱ひ
かと
敦付






ざんや
まだ盛せき へ
さか
濡引き




脱る


たる
執〜

し人


よせ
泣せぎれたりく

小 起て

ああ、





泣き
ふし
倒れ
しと


や教
ながて
たす


めし
きりま 迷


蒙霊あば
任を




参大の

け碑




賀らたせり夢れ明茂
申し
思ひ しら
獄みたに






させ
申教

一人



大づか



座の谷
くれ戦
す夫 、
り 御経
の平ける



修理
盛仰者






父時



子夫
家せ



は By
やの

、と喜び





付き
たなま我

かと
ます
てに


らす
うま
りし

大の

碑砕次




斬り


をべ思か


肝に


から

しき
茂ひ

こん
ぜん


後生

に 年

日 口


が -

間く
けん 内

まなし
、ばかり






他こ

せん

御伽 草 紙 一九二
一たび見えさせ給へと申されければ、教盛御涙を流しのたまふやう、あら
むざんやな、生
れてよりして比道は、さなきだに名残惜しきならひぞとて、髪播き撫でて涙を
流しの給
ふやう、若君はさてこれより都へはのほるまじきとて、流逸こがれ給ひけり
。教盛思し
めしけるは、心弱くて叶ふまじ、ことに時うつりいかゞせんと思しめしけり。
若君はい
まだ習はぬ旅のシに、教盛の膝を枕としてすこしまどろみ給ふ。さる程に教盛名残の
借しさは限なしとは思へども、よき魔ど思しめして、心っよくなして腰より矢 を取り
出だし、若君の左の袖に一首の歌を遊ばして、さて行きては騎り、騎りては行き、名残
をぞ惜み給ふ。さてあるべきにあらざれば、かき消すやうに失せにけり。やょあり
て若
君起きあがり給ひ、父にいだき付かんとし給へば、ありっる堂なり。夜も
やう〜明け
ければ、やもめ鳥も告け渡る。こはいかなるぞ、不思議や、父の膝を枕として駄したり
と思ひしが、五寸ばかりの膝の骨の、苦蒸したるを見つけて、さてはわが父の骨に
て有
るよと思しめして、天に仰ぎ地に伏して流淀こがれ、いかなる事ぞとて悲み給
ふ。たぶ
われをも連れて、死出の山、三途の川の御供申すべしとて、盤も惜ます泣き給ふ。
さて
有るべきにあらざれば、貸ん方もなく力及ばす、父の膝の骨を首に掛けて、泣く〜涙を
しるべに行き給ふ。さて左の袖より一首の歌を遊ばしける。
神よりー話にの 何なけくこやの生田の草枕露と消えにしわれな思ひそ
術か
比歌を顔にあて、伏し沈み数き給ふ。暫くありて蘇生し給ひけり。かくて有るべきに
らざればとて、御歌と膝の骨とを首に掛け、泣く〜都へぞ上りける。さて御歌を母御前
にまみらせられ給へば、敦盛の日頃遊ばしたる御手なり。わかれの時の御面影、今見るや
うに思はれて、二たび物を思はする、敷きの中の喜びなり。とにかくにいかにも成らば
やと思しめすが、待てしばし我心、みづから空しくなるならば、若君何とかなるべきぞ
また憂き人の後世をも、たれか用 ふべきと思召し、思ひ返してとゞまり給ふ。さるほどに
北の御方はよく〜物を案じたまふに、いたづらに月日を送らんよりも、いかなる所に
も堂を立て、教盛の御あとを用らは“やと思しめし、都あたりに柴の魔を結び、わが
は二たび憂き世にかへること難し、まことや比世にて、敦盛に逢ひ奉らん事は及びなし
と、
流湖こがれ輪へば 共に若君も天に仰ぎ地に伏して悲み給ふなり。北の御方思しめ
はちす
しけるは、㎞の御教に、後世を願ひて極楽に参れば、同じ選に生るょと説かせ給ふ

御伽 草 紙 一九四
をば記念に見たくは思へども、見れば中々ものうきに、法然上人へ返さばやと思しめし、
うきことにまた憂きことを思ひつゞけて、泣く〜こそ別れたまひけり。かくて今はは
や我身一つに成り給ひ、いつまで物を思ふべき、いかなる淵瀬へも身を投けばやと思へ
ども、柴の魔を結び、教盛の菩提を用ひ、御 盤ををさめ、水を手向け花を折り、行ひすま
して、終に往生を遂け給ふ。いよ〜是を見る人々、よく〜後生肝要なるべきなり。
四 孝
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二 十 四 孝
大 受舞
隊シ象 紛 転 事高 闘シ資従 孝感動 大心 こ そう かたくな かだま

大舞は至つて孝行なる人なり。父の名は替曳といへり、一段 頑 にして、母は罠しき人
せり。
り。弟はおほいに倣りて、いたづら人なり。然れども大弾はひたすら孝行をいた

ある時歴山といふ所に耕作しけるに、かれが孝行を感じて、大象が来つて田をたがへ
御あるじ
又鳥飛び来つて田の草をくさぎり、耕作の助けをなしたるなり。扱共時天下の

をば売王と名づけ奉る。姫君まします。姉をば餓黄と申し、妹は女英と申し侍り。発
すなはち弾の孝行なることをきこしめし及ばれ、御娘を后にそなへ、終に天下をゆづり
給へり。これひとへに孝行の深き心よりおこれり。
漢文 帝
さこして たり に
仁孝臨 天下 シ百王漢廷事 警母 湯薬必親管
1
一九五
二 十 四 孝
御伽 草紙
一九六
こう
漢の文帝は漢の高祀の御幸なり。いとけなき御名をは樹とそ申し侍りき。母薄太后に孝
行なり。ょろづの食事を参らせらるょ時は、ま
は づみづからきこしめし試み給へり 、弱難
も数多まし〜けれども距 はど仁義を行ひ孝行なるはなかりけり。比故に陳平 周勤
などいひけるシェになし参らせたり。それより漢の文帝と申し信りき。然るに撃
行の道は、上一人より下萬民まであるべき事なりと知るといへども、 身に行ひ心に思ひ
入る事はなり難きを、かたじけなくも四百除州の天子の御身として、かくの如き御こと

わさは、 かりし御こょろさしとぞ。さる程に世もゆたかに民も安く住みけるとなり。
シ 父母 形容在日新 シ諸子姫 眠軍事 基難 -
、、こ
丁蘭は河内の野王といふ所の人なり。十五のとし母におくれ、永くわかれを悲み、母の藤
シにっく sる如くせり。丁シある夜の事なるに火をもって
木像のおもてを無したれば、猫の如くにはれいで、脳血ながれて、二日を過しぬれば
かしら
わびこさ
奇特ー魔妙不思 妻の頭の髪が刀にて切りたる様になりて落ちたる程に、驚いて記言をする間、丁蘭も奇
議の意
報に思p 木像を大道へうつしおき、妻に三年わびことをさせたれは、 夜の内に雨風
いちや
の音して、木像はみづから内へ騎りたるなり。それよりしてかりそめの事をも、木像の
けしきを何ひたるとなり。かやうに不思議なる事のあるほどに、孝行をなしたるはたぐ
ひすくなき事なるべし。
子血 宗 字恭武或子恭
満て

組 期風* 竹数等 須東春部 天意報 平安


Y

いたはりー苦痛
する意 五宗はいとけなくして父に後れ、ひとりの母を養へり。母年老いて常に病みいたはり
食の味ひもたびごとに鍵りければ、よしなき物を望めり。 冬の事たるに循 をほしく思
へり。すなはち シに行き求むれども、雪ふかき折なればなどかたやすく得べき

(

ひとへに天道の御あはれみを頼み奉るとて、所をかけて大きに悲み、竹によりそひける
所に、根に大地ひらけて、竹の子あまた生び出で侍りける。大に喜び、乃ちとりて騎り
あっものにっくり、母に興へ侍りければ、母是を食してそのまょ病もいえて齢をのべけ
り。是ひとへに孝行の深き心を感じて、天道より興へ給へり。
関子塞
関氏シ郎 何シシ 三子シ
二 十 四 孝 一九七
御伽 草紙 一九八
びんし けん
ふたり
関子審いとけなくして母を失へり。父また妻をもとめて、二人の子をもてり。彼の妻
ま*こ
我子を深く愛して継率を悪み、寒き冬も魔の穂を取りて、著る物に入れて著せ侍るあひ
だ、身も冷えて堪へかねたるを見て、父、後の妻を去らんとしければ、関子審がいふやうに
は、彼の妻を去りたらば、三たりの子寒かるべし、今われ一人寒きをこらへたらば、弟
の二人はあたょかなるべしとて、父を課めたるゆるに、これを感じて継戦も継には隔て
いつく
なく慈しみ、もとの母とおなじくなれり。只人のよしあしはみづからの心にありと、古
| 人の言ひ侍りけるも、ことわりとこそ思ひ侍る。
曾参ある時山中へ新を取りに行き侍り、母留主にみたりけるに、したしき友来れり。こ
そうしん

まどしー貧し し
れをもてなしたく思へども、曾参はうちにあらす、もとより家まどしければ叶はす。曾
参が騎れかしとて、みづから指をかめり。曾参山に葬新を拾ひみたるが、機に胸さわぎしけ
つぶさ
ありすがたーあ る程に、急ぎ
りのま〜の様子 、急ぎ家に騎りたれば、母ありすがたを基に語り侍り、かくの如く指を噛みたる
しんし
、一段孝行にして、親子のなさけ深きしるしなり。継じて倉参
の事は、人にかはりて心と心のうへの事をいへり。奥深きことわりあるべし。
王 群
継母人眠布
有 王詳天下無 至 全河水上 一片獣永換
王詳はいとけなくして母を失へり。父また妻をもとむ 共名を朱氏といひ侍り。離世の艦
なれば、父子の中をあしく言ひなして、悪まし侍れども怨とせすして、継母にもよく孝
行をいたしけり。かゃうの人なる程に、本の母冬の極めて寒き折ふし、シをほしく思
ひける故に、 監府といふ所の河へもとめに行き侍り。 されども冬の事なれば、氷とちて
いを見えす。すなはち衣をぬぎて継になり、水の上にふし、いを無きことを悲み居たれ
-
ば、かの氷すこしとけて、いを二つをどり出でたり。乃ち取りて騎り、母にあたへ侍り。
かたち
是ひとへに孝行のゆる に、その所には毎年人の駄したる形、氷のうへにあるとなり。
老来子

* *。 リ「 ド で。 ー」 、し にも に
戯舞學 橋癖 春風動 総衣 親開、日笑 喜色満 庭闘
シ子は二人の親に仕へたる人なり。されば老来子七十にして、身にいつくしき衣を著
をきな
て、城きものの形になり、舞ひ戯れ、又親のために給仕をするとて、わざとけつまづきて
二 十 四 孝 一九九
- ------
御伽 草 紙 「 ○○
糖びいとけなき者の泣くやうに泣きけり。この心は七十になりければ、年よりて庭「麗
しからざるほどに、さこそこの形を親の見給はぶ、わが身の年よりたるを悲しく思ひ給
はんことを恐れ、また親の年よりたると思はれざるやうにとの貸に、かやうのシをな
したるとなり。
舎備#泉北 一朝鍵鶴魚子能知事 母。婦悪者 松始
薬議は母に孝行なる人なり。母っねに江の水を飲みたく思ひ、又なまいをの艦をほしく
思へり。すなはち差詩妻をして、六七里の道を隔てたる江の水を汲ましめ、又いをの館を
したふめてー調 よくしたふめて興へ、夫婦共に常によく仕へり。或時美詩が家の傍に、怒ちに江の如く
理して
して水湧きいで、朝ごとに水中に翻あり、すなはち之をとりて母にあたへ侍り。かやう
の不思議なる事のありけるは、ひとへに美詩夫婦の孝行を感じて、天道より興へたまふ
-
なるべし。
唐 夫人
して に にし て ボ
* は ん かくのここくするこさを
の 往すt - *
* "・
孝敬根家婦 乳、始最麗抗 比恩無 以報 願得二子孫 如
しうさこめ
唐夫人は 姓 長孫夫人年たけ、よろづ食事歯に叶はざれば、つねに乳をふくめ、あるひは
朝ごとに髪をけづり、共外よく仕へて、数年養ひ侍り。ある時長孫夫人わづらひつきて、
このたびは死せんと思ひ、一門一家を集めていへる事は、わが唐夫人の数年の恩を報ぜ
すして、今死せん事残り多し、わが子孫唐夫人の孝義をまねてあるならば、必す末も繁
昌すべしといひ侍り。かゃうに 競 に孝行なるは古今稀なるとて、人みな之をほめたり一
と。さればやがて報いて、末繁昌する事きはまりもなくありたるとなり。
楊 香
像日ー原本 「蹴
甲」とあり、一本
によりて改む
深山逢自額 努力戦服風 父子供無 脱 事備出中
シはひとりの父をもてり。ある時父と共に山中へ行きしに、怒らあらき成にあり
んことを恐れて、虎を追ひ去らしめんとし侍りけれども叶はさる程
を頼み、こひねがはくは我命を虎にあたへ、父を助けて給へと、心
れば、さすがに天も哀とおもひ給ひけるにゃ、今まで獅きかたちに
尾をすべてー尾
をすぼめて しに、虎根に尾をすべて逃け退きければ、父子ともに虎日の難をまぬ
がれ、っょがなく家に騎り侍るとなり。これひとへに孝行の心ざし深きゆる に、かやう
二十四孝 二○一
『シ -シ - -。
二○二
の奇特をあらはせるなるべし。
董 永
方香ー一本方品
とあり
シ方査 天姫順上避
織 観賞価生 孝感霊菊名
シはいとけなき時に母に離れ、家まどしくし
て常に人に雇はれ農作をし、賃をとりて日を送
りたり。父さて足も起たされば小撃を作り、父
を乗せて、田のあぜにおいて養ひたり。ある時
父におくれ、葬濃をとょのへたく思ひ侍れども、
もとよりまどしければ叶はす。されば料足十貫
に身をうり、葬蔵を営み侍り。僅かのェの許
へ行きけるが、道にて一人の美女にあへり。か
の董永が妻になるべしとて、ともに行きて、一
月にかとりの絹三百定織りて、毛のかたへ返し
。、 と r
たれば、主もこれを感じて、黄永が身をゆるしたり。共後婦人董永にいふ様は、我は天
おりびめく
お ひめー負債 だっぐの
上の織女なるが、次が孝を感じて、我を降しておひめを償はせせりとて、 天へぞあがり
けり。
黄 香
にはめて を にす には で を 、
冬用温 念焼、夏天属 桃源、見童知子職 千古一黄香
シは安陵といふ所の人なり。九歳の時母におくれ、父に能く仕へて力を せり。され
すゞしめー涼し
くし ば夏の極めて暑き折には、枕や座を扇いですゞしめて、また冬の至って寒き時には、シ
のっめたきことを悲んで、わが身をもつて暖めて興へたり。かやうに孝行なるとて、太
守劇謡といひし人、荘をたてて彼が挙行をはめたる程に、それよりして人皆翼各こを考
行第一 の人なりと知りたるとなり。
王 哀
法度に行はれー
シ シ きよ
つミ
刊罰を蒙り
京は営陰といふ所の人なり。父の王義、 不慮の事によりて、帝王より法度に行はれ死
こ あひだ はう はかごころ
一期の間その方へは向うて巫せざりしなり。父の墓所にみて、ひざま
二○三
御伽 草 紙 二○四
らいはい
柏の木ー支那に
ては墓所に柏を づき㎞して、柏の木に取り付きて泣き悲む程に、涙かょりて木も枯れたるとなり。母
植うる習俗なり
は 平生かみなりを恐れたる人なりければ、母むなしくなれる後にも、雷電のしける折に一
は、急ぎ母の墓所へゆき、王哀これにありとて、幕をめぐり 死したる母に力を添へた

。かやうに死して後まで孝行をなしけるを以て、生ける時の孝行まで推しはかられて、

りご たき事どもなり。
郭 巨
光彩ー原本「光
貧乏思 供給 理 見願シ存 黄金天所、陽光彩照 来門
頼」 とあり、一
本によりて改む 郭巨は河内といふ所の人なり。家貧しうして母を養へり。妻 の子を生みて三歳になれ
り。郭巨が老母、彼の孫をいつくしみ、わが食事を分け興へけり。或時、郭巨妻に語る様
鍛しければ母の食事さへ心に不足と思ひしに 共内を分けて孫に賜はれは乏しかるべ
足個に我子の有りし故なり、所幹次と夫婦たらは子 魔有るべし、母は二度有るべから
夫婦云ひければ す、とかく比子を埋みて母を能く養ひたく思ふなりと夫婦云ひければ、妻もさすがに悲し
ー夫婦談合した
るに
く思へども、夫の命に違はす、彼の三歳の足を引きつれて、理みに行き侍る。則ち郭巨
わうこん
涙を押へて、すこし掘りたれば、賞金の釜を掘り出だせり。共釜に不思議の文字すわれ
と尋なりきね ら
深。





ゆるる

あ み天経

よて
身出たれ
書血

斬づか
尋かへ

だし
り道きねけ を
妻に




藤 子ねき ども
とける



所行いふ





と 侍。




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こと るも 朱
あれり







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なり
もに
るす 天














云賜





より得道





毛失




若中衣盤

収 シ











皇面

気 天


子 毒


ざし
御伽 草紙 三o六
みをかなへたく思ひ、すなはち鹿の皮を著て、数多むらがりたる鹿の中へまぎれ入り侍
れば、猟人これを見て、質の鹿そと心得て、号にて射んとしけり。共時刻子足は質の鹿
にはあらす、剣子といふ者なるが、親の望みを叶へたく思ひ、偽りて鹿の形となれりと
撃をあけて言ひければ、猫人驚いて共故を問へば、ありすがたを語る。されば孝行の志
深き故に、矢をのがれて返りたり。そも〜人として鹿の乳を求むればとていかでか得
さすべき。されども思ひ入りたる孝行の思ひやられてあはれなり。
葵 順
黒構奉 親闘 職 側涙瀧 赤眉知 考順 牛米シ
察順は次南といふ所の人なり。王葬といへる人の時分の末に天下大に蹴れ、又飢髄して一
食事に乏しければ、母のために桑の質を拾ひけるが、熟したると熟せざるとを分けたり。一
*{

このとき世の離により、人を殺し剥ぎ取りなどする者ども来って、秦船に間ふ様は
ふたいろ

とて二色に拾ひ分けたるぞと言ひけれは、蒸順ひとりの母をもてるが、比熟したるは母母

ふ たう
にあたへ、いまだ 熱せざるは我がためなりと語りければ、心づよき不道の者なれども、
かれが孝を感じて 米二斗と牛の足一っ興へて去りけり。その米と牛の脳とを母にあ
たへ、又みづからも常に食すれども、一期の間霊きすして有りたるとなり。これ孝行の一 -
しるしなり。
魔 獣 書要
乳シ日 格庭進族深 願艦 身代 死。北望感及心
南斉ー原本「南
亭」と あり、一 シは雨質の時の人なり。区隊といふ所のシになりて、すなはち屋陸懸へ至りける
本によりて改む
が、いまだ十日にもならざるに、怒ちに脳さわぎしけるほどに、父の病み給ふかと思ひ
官を捨てて騎りければ、案の如く大に病めり。齢基、賢師によしあしを問ひければ、賢
師病者の糞を賞めてみるに、甘く苦からばよかるべしと語りければ、幹基やすき事なり
とて、賞めて見ければ、味よからざりける程に、死せんことを悲み、北斗の星に斬をか

を上 t 、 *ー。ー 、シー1
夏夜無二離帳 較多不二敢揮 恋二源業高血 衛 免、使、入二親間
は八
呉猛は八歳にして 孝ある人なり。家まどしくしてよろづ心に足らざりけり。されば夏に
ころも
いちやいら う
なりけれども唯帳もなし。呉猛みづから思へり、わが衣をぬぎて親に著せ、わが身はあ
二 十 四 孝二○七
なる道より 古今
た稀








取米

い。



孝て
せ〜


と ひけれ




















の る なり




弟 殺じめ束りけし に
へ助べし

はよ





約。

より




と 跡るりふ人

盗聞き

よい行き




す様



たる
か肥え
よ 云う 給
と 参がてし族束んら
や物
らせ
約も参
一比









殺た

まで いこし





参る
ざ食事
すせ
程まだりら 張
つる








の 疲老いれりし ば


殺一人





へたる




わて





鶴 兄たれき質りに間弟



世張
時なり

へ鶴






本、
行。



を いとけなき
のとなり
孝者

不やう

なは



なり
。思議り行か すが身



わ裸

















にし
がら
り いつも


る にが身ちひけらし
たら



わて


助ば



思を

はん



夜 紙

御伽

C

兄弟













古今
張氏
食りく束め事


約進騎

至如て












けり

林の






代っ
レ て

へ 食 た
り。
田眞 田廣田慶
群芳継不如ー原一
本「群芳纏不知」 海底紫理期 群芳継不如 春風花満樹 兄弟復同居
さやうだい

、終置 那刺
とあり、一本に
よりて改む 比三人は兄弟なり。親におくれてのち、親の財賞を三つに分けて取れるが、庭前に紫
樹とて機葉楽え花も咲き側れたる木一本あり。これをも三つにわけて取るべしとて



0
すがら
夜三人診議しけるが、夜の既に明けければ、木を切らんとて、木のもとへ至りければ
三二い
日まで楽えたる木が彼に枯れたり。田眞之を見て、草木心ありて切りわかたんといへる
わ きま
を聞いて枯れたり、まことに人として、これを排へざるべしやとて、分たすしておきた
れば、又ふたょびもとの如く楽えたるとなり。
山 谷
にして ふ に
fー 『 “ー ん』 。
貴顕聞二天下一平生孝事、親 汲、泉沼 海器 碑辛委豊無、人
山谷は宋の代の詩人なり、今にいたりて詩人の祀師といはるょ人なり。あまたつかひ人
うつはもの
もあり 又妻も有りといへども、みづから母の大小他の器物をとり扱ひて、溺れたる時は
一を以て高を知
るー菊子非相篇 手づからこれを洗ひて母にあたへ、朝夕よく仕へて怠る事なし。さらば一を以て萬を知
御伽 草紙 二 一○
「以一知高、以微 ート
知明」 るなれば、共外の孝行推し量られたるとて、比人の孝義天下にあらはれたるとなり。こ

の山谷のことは除の人にかはりて、名の高き人なり。

陸 績 字公紀
孝備皆天性 人間六歳見 補地備 線橋 遺 母報 含輸
陸績六歳の時、袁術といふ人の所へ行き侍り。袁術陸績がために菓子に橘を出だせり。
陸績これを三つ取りて、袖に入れて騎るとて、袁術に濃をいたすとて、快より落せり。袁
術これを見て、陸績どのは幼き人に似合はぬことと言ひ侍りければ、あまりに見事なる
ほどに、家にかへり母にあたへんためなりと申し侍り。袁術これを聞きて、幼き心にて
かやうの心づけ古今希なりとほめたるとなり。さてこそ天下の人、かれが孝行なること
を知りたりとなり。
=}ーー
楚 天 國
淳和天皇の御代に五條の右大臣たかふちとておはしけるが、容顔美麗に才豊 いみじきの
みならす、四方に四萬の蔵をたて、乏しき事ましまさす、年月を送り給へども、一人の さき
けうし
孝子を持ち給はであけくれ敷き給ふ。或時つく〜と案じ思しめしけるは、われ前の世
にいかなる罪を作りてか、一人の子をももたす、七十八十のよはひを保つとも 、つひに
かみほこけ
たれ
止まるべきにあらす、亡からん跡を誰かとふべき、昔より今に至るまで紳備に申すこと
水に
叶へばこそ、萬の人も申すらめとて、夫婦諸共に清水に参り、五鶴を地に投 け、三千三
けふし
百州三度の濃拝を参らせて、願はくば一人の孝子を興へ給へと、種々の願を立て給ひけ
る。
このシ - ミ 』 - ゃのシ ㎞い * こがね さ - ~ 〜
比願成就せば、八花形の御帳豪を、黄金自銀にて三十三枚づつ、月ごとにかけて参らす
べし、又毎日萬燈を三年ともして、百人の僧にて法花三昧の不断経を、三年讃ませて参ら
楚 天 國 二一
シ--
御伽 草紙 - 二 一二
すべし、シの観音経三千三百三番書かせて参らすべしと、斬られける程に、七日と申
か うこ
す暁、いと気高き御盤にて、こなたへと召されけるが、賓殿なる所に香の衣 に同じ裂装
しやうめうー浮 かけて、いとかうばしき高僧おはします。彼のしゃうめううしろの方丈の冊に、三高六
名居士即ち維摩
千の応を亜べ けるも思ひ知られて、いとたつとくて、いづくに立ち寄るべきとも豊えす。
高僧重ねてそれへ〜と召されければ、御前に長まり給へば、いかに次が中す所のけ
うしなるべしとて、歴ける玉を取り出だし、すなはち大臣の左の袖に移させ給ふと御覧
じて、夢さめぬ。共後下向ありて、程なく北の御方懐妊あり、若君一人生み給ひ、やが
て玉若殿とて喜び給ふ。日に増して成人し給ふにつけて、光るやうにぞおはしける。父
具足ー同伴する
こと
の大臣、一時も御身を離さずかしづき給ふ。二歳と中す時、内裏へ参内ありけるにも共
童殿上ー撮闘大 足し給ぶ。天皇間しめして、いまだ例も無きことかな、七歳のェど中す事はあれど
臣等の子弟の幼
少にて昇殿を許 も、二歳の殿上は珍しき事なり、たかふちが子の事なればとて、四位の待従になし給ひ
さるく者をいふ
て、公卿の座へぞ召されける。昇殿の始めにしるしなくてはいかざとて、丹後但馬雨園
を給はりける。大臣斜ならす御喜びありて、いよ〜いつきかしづき給ひける程に、や
う〜七歳にもなり給へば、殊にすぐれて笛をぞ吹き給ひける。
さる程に北の御方は無常の風にさそはれて、あしたの露と消え給ふ。大臣殿は比若君に
のみ慰みて、明し暮し給ひけるに、十三と申す春の頃、大臣殿も空しくなり給ふ。待従
おんけうやう
の御敷き申すばかりもなかりけり。父の御孝養には笛を吹き、楚天帝響までもおもしろ
-〜
うへ
とうかうたいー
未詳
く、とうかうたいの上に手向け給ひける。七日と申す午の時ばかりに、紫の雲一村あま
こがね こし
-
いい - - *
くだりけるを見れば、天女と童子十六人、玉のかぶり、黄金の興をかたぶけて、ゆふし
くわんにん
き官人一人天くだり、待従に向ひ御涙を流して、次七日の間吹き給ふ笛、則ち楚天國へ
通じ、孝行の心ざし二っともなきを、上品上生、下界の龍㎞までも納受したまふなり。我
一人の姫をもてり、来る十八日に床を清め 職をしづめて待ち給へ、姫を御身に参らせん
われこそ焼天王にて侍れとて、紫の雲たち上りぬ。待従は夢とも現ともわきまへす、原
よりおり給ひて、経を譲謡し給ひて、父母の御菩提の貸と回向したまふ。さるほどに
約束の日にもなりしかば、まことしからぬ事なれども、床を清め香を彼き、聴をしづめ
て笛を吹き給ふ。十八日の月潮う澄み昇り、千里萬里にあきらかなり。いと芳しき風吹
きて、花ふりシするうちよりも、十六人の童子玉のかぶりを載きて、黄鉱の興をさ やうらく こがね
ひっかうー未詳
しよせ、十四五ばかりの姫君、額には天冠をあて、身には玉の環路を垂れ、黄金のひつ
楚 天 國 二 一三
- - --
-シ-シ
御伽 草紙 二 一四
かうを突き、くれなみの椅ふみくふみ、すべてあだなる言の葉までは、ありぬべしとも
しこね
寛えす。待従こなたへとのたまへば、経の前に錦の梶の上に居給へり。互に見えつ見え
一られつ、鷲幾比翼のかたらひも、浅からすとぞ聞えける。かよるめでたき折ふしに、み
|かど比由きこしめし、我十善の位を受け、一天四海をたなごころにまかすといへども
楚天王の婿にはならぬと御数きあり。或時待従は中将になり給ふ。中将念ぎまるれとて
ふ きい
召されけるが、天皇よりの宣旨には、次が夫妻七日内裏へまみらせよ、それが叶はすば
かりようびん
伽陵頻と孔雀の鳥を召しよせて、七日内裏にて舞はせて見せよ、まるが心をなぐさめん
やかた
それにも叶はすば、日本國には叶ふまじきとの宣旨なり。うけたまはると中し、急ぎ館へ
騎られける。姫君を近づけ、比山かくと語らせ給へば、それこそみづからが父の内裏に
いか程も候ふぞ、呼びよせて舞はせ候はんとて、藍配に出でて、迦蹴の御盤にて、従
天園の鳥をそ召されける。利那が冊に参りける。姫君斜に思召し、中将殿に奉れば、みか
どへっれて参内あり。みかど敵覧まし〜て、ことの賢へにこそ 迦魔職の盤とは申しっ
たへたれ、おもしろく轄りて、二つの鳥が入り蹴れて舞ふ程に、物によく〜警ふれ
ば、かの極楽の七賞浮土の御池かと、煩悩のねぶりをさまし、おの〜感涙を流して御覧
じける。
かくて七日も過ぎければ、かき消すやうに失せにける。潮う甘日も過ぎざるに、中将殿を
召されて、鬼が娘の十郎姫を呼び寄せて、七日内裏へ参らせよ、それが叶はぬ物ならば次
が夫妻を召さるべしとの宣旨なり。うけ給はつて騎られける。面目無きことにて候へど
も、かょる次第と申されける。姫君うち笑ひ、それこそ易き事なれ、わらはが父の召し仕
-
みな、おtて
ふはしたの物にて候へば、みづから召し候はんに、参らぬ事はあらじとて、南面へ立ち出
で、十郎姫とて召されける。利那が程に参りたり。葉原國の御門あまりに御心敏うにて、
姫が姿が見たきよし宣旨なり、急ぎ内裏へ参り、七日あそび参らせよ、 七日も過ぎ
H又
まして、公家大臣集まりて、十郎姫を見給へば、いづくにて著かへたるとは見えねども
七日の間七度衣堂を著かへ、色々の御遊ども心言葉も及ばれす、一つも渡したることな

かりけり。七日も過ぎければ、かき消すやうに失せにけり。天皇御心に思しめしけるは

たとへにこそ聞きつるに、十郎姫を始めて
- 見る、彼をはしたのものに仕 ふ なる楚天王
の姫君は、さこそとこそ思しめし、いよ〜獄しく思はるれ、叶はぬ事を言ひかけて
楚 天 國 二 一五
- - -
* 『ー 口ーシー=
御伽 草紙 二 一六
震旦鬼界へも中将を流罪して、姫君をとらんとこそ思召しける。さて中将を召して
鬼が娘の十郎姫を見たれば、獅々獄しく覚ゆるなり、思ふが中をさくるなる天の鳴る碑
をよびくだして、七日内裏へ参らせて、鳴らせて見せよ、まるが継の心を慰さまんとの
宣旨なり。中将殿長まって候ふとて、わが御所へ時り給ひ、叫びがたき事なれば、左右
㎞」なくシにものたまはす。シ立ち りて、又何事かシ、みづらに仰せられ候へ
㎞ とのたまへば、ありのまょに仰せける。それこそいと易く候はん、天の鳴る碑と葉原國
㎞っ*ーシ には申せども、楚天國のうなしの下づかひにて候ふなり、やすき程の事とて様に立ち出で
て、扇ほと〜と打ち鳴らし なんだ龍王、はっなんだ龍王、しかつら龍王、しゆきっ
㎞。一龍王、とくしゃか龍王、あなはたっ龍王、まなし龍王、うはつら龍王、八龍王達とそ召
㎞一されける。いづくよりとは見えねども 傘 ほどのシの線に飛び来り、職者の御前
シ に舞ひさがる。いかに龍王たち聞き給へ、葉原國のみかど、あまりに御心さうにて、職離
シ 参らせて 『鳴らせよとの官なり き り七シにかけょ
㎞ と、質にうらめしけにそのたまひける。八龍王、各御暇申し、すなはち雨風となりて
㎞。 内裏の御殿に飛び移りけり。中将殿も参り給ひぬ。姫君かぶり取りいだし、これを召さ
三のこー言長の
事お
ヵ。中*どの、さして鶏鳴らば、耳のこもぬけ、㎞まなこを取るべしとて奉り治ひ
ける。さる程に初めはかみなり一っ二つ鳴りまはる。それだに魔を消しつるに、四つ五一
っともなりしかば、傘ほどの光りもの一つ二つこそ飛びちがひ、のちは一二千こそ光り
けり。
かう こり、 こづま をんなわらべ くぎやう てんじやうびこ わう
雷 稲妻のみならす、國士の岸を突ちける事にが〜しく、女童部、若き公卿、殿上人
*こ かず
は翼
水を吐き倒れ伏し、牛死牛生の人数をしらす。天皇ばかりこそ院宣汗の如く七日をば待
しんこ しんき
ん っべしと、御心に思しめせども、耳のこもぬけ、御心もまどひて、すべてしんさなやま
A
しく、第命も危くシをかづきて以し給ひける。中将殿の耳には更に聞えすして大事も
なし。きのみ 学をなゃまし奉るべきならねば、龍王たち鎮まり給へと、中将どののた
ま ば、すなはち まりけり。さる程に黒雲消え、縁の雲になりけり。中将殿もわが
御所へ騎り給ひて、共後中納言に成り給ふ。かくて五十日ばかりありて、内裏へ中納言を
召して、シ 鬼が娘の十郎魔電にいたるまで H事とも愛えす、ありがた
きまるが宣旨にしたがふ事碑妙なり、然りといへ ども危天王の船の 御判を取りてたべと
そ宣旨なる。かしこまって候ふとて御所へ騎り、姫君にそ申させ給ひける。姫君聞き給
楚 天 國 二 一七
御伽 草紙 二一八
ひて涙を流して、誠に是はたやすからぬ事なり、みづから牽原國に契あるによって、し
ばし人間にて候ふ間、又楚天へ上らん事たやすからす、又中納言殿はる〜の道なれば
楚天國へおはしまさん程の別れいか?有るべきとて、伏し沈み泣き給ふ。中納言聞召し
御身内裏へ参り給はすば、㎞に流されて、一たびは失せぬべし、たざ内裏へまる
らせ給へと、泣く〜のたまへば、姫君、 それ日本薬原をばぬす人園と申して 人の心
なさけ
が人間にあらす、楚天國のならひにて、人に契を結び、又と契叶はす、情なくもかょる
仰せを承るこそおろかなれ、虎ふす野漫、火の中、水の底までも、おくれ奉るまじきな
り、さりながらみづからが中さんやうにおはしませ、今日より七日精進に身を清め、七
いぬみ かた
度の折撃をかき給へ、共後愛宕山の態にあがりて御覧せよ、 の方へ細道あり、七里は
かり行きて、大木一本あるべし、その木の本に馬三正あるべし、中にも複せたる馬を率
きておはしませと仰せければ、中納言教への如く行きて見給へば 賞にも六っの道あり
いぬ
みか け
乾の道を七里程歩みゆきて大木あり、葉毛の馬、月毛の馬、鹿毛の馬三正あり、葉毛馬の
やまくさ
疫せたるを率きて騎り、姫君に比由仰せければ、練なくてはいかざすべきとのたま へ
-
- -
こがね
ば、中納言、いかなる草の入り候ふぞと宣へば、黄金三千雨入るべしと申させ給へば
こがね
やすき程の事とて、北の倉なる色よき金三千雨
とり出だし、天豆三石三斗にさせて、比馬に飼
はせ給ひける。喰ひはてて水のみて、三度身ぶ
しまー紫磨か
るひして立ちければ、しまの如くになりにけり。
比馬明Fの卵の刻に薬師に引立ててめさるべ
し、しばし有りて比馬身ぶるひして足歴せば
雨眼を強く塞ぎ給へ、あなかしこ、道にて御目
をばし開き給ふな、比馬取りっきて身震びせん

時御目を開きて御覧ぜよと、こま 〜と仰せけ
れば、教への如く雨眼をつよく塞ぎて、鞭をし
とょあてられけるとき、馬は虚空 へあがりけ
ろく ち
やょありて陸地とおほしき所にて、身ぶるひを
○ら


三度したりける時、雨眼を開きて御覧すれば
二 一九
- 『 シ
御伽 草 紙 二二○
滋々たる砂の地にぞ著き給ふ。比馬三度いばえて人ならば暇を乞ふと思しくて、虚空に
行きぬ。さて何となく細道をしるべに辿り〜とあゆみ給ふ 程に、人に逢ひて比國を
ばいづくと申すぞと問ひ給へば、楚天國とぞ博 へける。さて楚天國の内裏はいづくに
て候ふぞと問ひ給へ ば、是なる道を南へ 行きて御覧ぜよ、即ち内裏なるべしと答へけ
る。嫡しく思しめして、行き給ふ程に、野にてもなく、山にてもなく、満々平々として、一
いさこ こがね しろがね
又里もなく、限りほとりもなし。次第々々に砂の色を見れば、皆黄金の如くなり。白銀の
もん こがね こがね いさこ
きりの柱ーるり 門をたて、黄金の門をたて、見れば金の砂一町ばかり敷きみてり。その内にきりの柱、環 *
の柱の術か しやうこん
環の石七ェのすべて極楽世界を音に聞きしに避はす。歩み入りて御覧すれば、玉
のきざはし、玉の床、玉のうてな、玉のすだれあり。やう〜ありて三十ばかりなる天
女シを聖れて来り、南へ指をさし給ひける程に、扱は参れと御をしへありと思召して
し しいで
南へめぐり御覧すれば、日本の内裏紫賞殿とおほしくて、きりの柱三本立てたる御殿
あり、玉の魔数を知らすありけるが、共向ひなる座敷の中に中納言居給ひけり。又#四一
こがね を しき
こがね へいし
五ばかりなる天女、金の折敷に瑠璃の歪をする て来り、又三十ばかりの天女、金の瓶子白
銀の銃子を持ちて出で、うちおきて何とも物をもいはで騎りけり。
中納言心に思はれけるは、楚天のならひにかょるくひ物、酒更に呑めども酔はざるなり、
欲しき程は呑むと聞く物を、呑まばやと思ひのむなり。折敷に入れたる物を管めて御覧
かうは
ごきー御器
するに、
よね
芳しく甘き物なり。扱又後に二十四五ばかりの天女瑠璃のごきに、長さ一尺有

る業の自く美しき個を備へて来りたり、御前におきぬ。中納言まるらんとする所に、 そは 一
なる間を御覧すれば、候骨のやうなる物あり、人にもあらす、また鬼にもあらす。盆の鎖
にて八方へつながれて居たり。彼の飯を見て、あら美まし、あれ一日給はり候へかし、わ
が食物に餓%て、既に存命園まりぬ、しばしが程の命を助かり候はんと数きけり。中納
言もとより大慈悲ふかき人なれば、すなはち日本にて警ある者を牢に入れたるがごとし
さこそ食にかっえて、悲しかるらんと情みて、次吉をさし出だせとの給へば、斜ならす
喜びて、鎖をゆすり舌を出だしたるを御覧すれば、長さ一尺ばかりなり。あな恐しや、こ
-
の者のありさま、せいにも似すして舌の大きさよ、いかさま只者ならじと、身の毛もよだ
ちて、シをすくひ投け給へば、立所にて怒ら八方の鎖を皆々引き切り くろがねの格子
を踏み破り、残りの個をも掴んで打ち喰ひ、さしも玉の如くなる内裏を踏みやぶり、
かぜおはあめ こ くう
風大雨をふらせて、虚空をさして飛び出でにけり。ありつる天女あわてて来り、あな浅
楚 天 國
二二 一
「 」ー
御伽 草紙 二二二
ましや、さても果報少き御事と、恨しけに云ひすてて騎りけり。
中納言むね打ちさわぎ居たまへる所に、楚天王玉のかぶりを召され、威光たゞしくて出
で給ふ。玉の御座にぞおはします。次これまで来ること、姫と1魔に有るうへは、返す一
こんしやら せつこく
笑止ー気の毒な
る事
返すも嫡しけれ、愛に一つの笑止あり、唯今の橋群こそ雑園のはくもん王といふ者な
り、姫が七歳の年よりも奪ひ取りて、一の后にそなへんと窺ふよしを聞きて、四天王を
やつざき
かたらひ、天地を逃ぐるを追ひつめ戒め置く、比國のならひにて、千日をすごして八裂
にして捨っるなり、さても只今供へっる飯は、た“世のつねの微にてはなし、足より南
よね ひこつぶ ぶくちから
七資浮土の池のほとりに作りたる米なり、是を一粒服すれば千人の力つき、千年の齢を
きやくじん
たもつなり、大事の客人とおもひて、参らせてあるに、うたてさよ、姫ははくもん王が
このこめ しんりき
奪ひとり、羅利園へ行きつらん、眠薬を服したるによって離がを得て、鎖をも踏み切り
たるなりとて、かたじけなくも大王御涙を流し給ふなり。中納言肝たましひも身に添は
す、とりあへす涙をおさへ、姫君の御事を聞く。それはさる御事にて候へども、御自筆
)
に名をとゞめ、共のちともかくも龍りなるべしと中させ給ひけ
れば、金札に御判を遊ばし、中納言にたびたり。共後たれかある、草原國へ送り奉れと
のたまへば、中納言しらぬ國とはおもへども、姫君の父の御許とおもへば名残惜しさは
限なし。遥々日本へ騎りても、姫君のおはしまさばこそ頼みもあれと、涙に脳 び給ひけ
り。楚天王もいとあはれに思召して、さりとも姫もその 信なかるべきと、慰め仰せら
れける。シあまた門前まで送り奉り、はじめの駒今まではありとも覚えざりけるが、
まるりて難いける。獅ゆくするは頼もしくてうち乗りたまふ。やょありて陸地に駒は
飛びっきぬ。御日をひらき御覧すれば、花の都五條の館にっき給ふ。すぐに内裏へ参内
あり、楚天王の自筆の判をまるらせければ、不思議さよとて、シの倉に納められけ
り。さて中納言わが御所へ騎り御覧すれば、たゞ共まょにて、もしや中納言ふり来り給
ふとて、女房たち走りまはる。はくもん王が入りたる騎もさながらなり。女房たち、御乳
秋はいかなる色
母、中納言を見つけて、弾悲しくして伏し沈みてぞ泣き給ふ。姫君のおはしましたる御
なれ ばー新古
今、西行 「豊束 座に、いまだ御材も、ふるきシさながらあり。夢かうっょか、夢ならばさめてのけと
な秋はいかなる
故のあればすゞ
ろに物の悲しか
はる らん」
伏ししっ㎞pe り。項は八月なかばの頃なれば、いっしか産の落葉もそょのきて 松
さむ
ふく風も関寒く聞えつよ、さらぬだに秋はいかなる色なればと申しつたへたる悲しさに、
所せくまてー所
せきまての説 わが身ひとりのたぐひぞと、涙の露も所せくまで浮くばかりなり。夜な〜もまどろみ
楚 天 國 二二三
御伽 草紙 二二四
け れば、夢にだにも見たまはす。さる程に篠の小範の一ふしも、あくるかと思
しくて、ょもめ鳥のうかれ魔、森をはなるょけしきにて、ほのぐと見えければ、御も
㎞。 シびて清水へシる。 さもいとけなき時よりも 月ごとに七日のあゆ
みを運び奉りっる御利生に、今一度今生にて姫に逢はせてたび給へ、とてもの封面叶は
すば、命をめして後生の縁となしてたべと、涙と共に斬られけり。 暁がたの事なる に、
八十ばかりの老僧の中納言の枕に立ち給ひて、次姫君の行くへ聞きたく思はぶ、是より修
行をして、筑紫の博多へ行き、便船こうて千日と申すには、必す聞え候ふべしとあり。夢
ともうっょとも愛えす、則ち観音の御衛そと思ひ、すぐに鎮紫へ行く艦艇ふねに便船し
て、蒼海萬里の波路を経て、いづくをはかりともなく思ひ給ふ御心の中こそ哀れなれ。比
土を離れて十三日と申すに、大かぜ吹きて波荒く、光りもの飛びわたり、二十四製の舟
の帆あひの綱も吹き切りて、散り〜になりけれども、中納言の召されたる船をば吹き
も切らすして、羅利園へぞ吹きっけたり。ある淡に上り、心ほそく笛をそ吹き給ふ。折
ふし比世の人とも覚えす、蹴は空へ生ひのほり、色黒くせい高き者あまた集りて、吹き
ける物はおもしろやと、感に堪へてぞ聞きにける。いか機これは葉原國の人にて有るら

さ ゃ き * ドにK、 ㎞
んなんどといふ。比土はいづくと問ひ給へば、是こそ羅利國、比國の御主ははくもん王
とぞ申しける。
ひさこさせ
一年楚天王の姫君をとらんとて、楚天へおはせしが、四天王の弱め捕り給ひておかれし
に、大王のうちの米を喰ひ、碑力を得て牢をやぶり、姫を奪ひとり、一の后にあがめか


しづき給ふなり、比頃は姫君の御母シの貸とて、ペちに内裏をたて、千日経を試み給
ふなり、葉原園の者どもをば艇と宣へば、比園へは入れぬなり、相構へて葉原國の者と
ばし仰せ有るな、修行者と申しける。誠にまめやかに語りける。いかに修行者、わが身
はもとは日本の丹後の園のものなるが、西属におとされて今比園にあるなり、日本はい
づくの人にてましますぞ、御なつかしやと申しけり。さん候ふ、われ〜は筑紫の者に
すみか
て候ふが、通世修行の者にてあり、いづくを住所と定めねば、宿なきまふ の宿として
いくたび夢やさますらん、されば今生は夢まほろしの如くなり、さる程にわれらも御身
のごとく、慰に吹きおとされ、今この園に来りたり、さてはくもん王の内裏はいづく
にて候ふぞ、拝み奉りたくとのたまへば、やすき程の事、みづからが娘をば、しやこ
ん女と申して、姫君の御方にさぶらふなり、共外はさら女、じんつう女、あくとう女、
楚 天 國 二二五
シ=}ー* ーt ー1 ー - -
シ = j シ *『 』『 "。"
御伽 草紙 二二六
、しゆんしや女とて、数多の女房を后につけ申され候ふ、 共うへ修行者をばはくもん王も
御寵愛候ふぞ、参らせ給へとぞ申しける。さる程にはくもん王より御使あり、今管不思
議の鳴る物あり、吹きつる者を急ぎ内裏へまみらせよとの仰せなり、すなはち内裏へ参り
けり。はくもん王御覧じて、今管吹きつる物を吹けとのたまへば、則ち吹き給ふ。おも
しろしとの仰せなり。后の宮のあさ夕は筆原國を鍵ひ給ふ御慰にとて、しんけん殿へぞ
召されける。さる程にこふをせんとぞ吹き給ふ。姫君は聞召し、中納言の笛の音と聞き
知り給へば、挑もいかやうにして、比所まではおはしましけんと、思召してまろび出
ち たびもく
たび
で、とりもつかんと千度百度思しめしけれども、あしかるべき事なれば、心ながく聞き給
ふ。じんつう女が申しけるは、比修行者が参りてより、后の例ならすとぞ腹だちける。
中にもしやこん女が申しけるは、さる事もおはしますらん、牽原國には笛を吹き、いや
しづくわけん んわうかりよう
しき戦までも艦艇の道をたしなむなり、又焼天王の池の江にあそぶシや、迦魔職、北
くわ*けん こきやう
雀、騙嶋といふ鳥は、皆管舷の撃をまなぶなり、今この笛を聞き給ひて、さこそ故郷の
父大王も獄しくおほしめし候ふらん、御けしきの髪りたるも 避理ぞかしと申せば、けに
夜とともにー一
夜中 もとぞ中しける。壺のうちの白洲にて、夜とともに笛を吹きてぞおはしける。さるほど
けいしん國ーけ にならびの國のけいしん國のみかどは、りうき王とぞ申しける。はくもん王へ勅使を奉
い ひん(闘署)の
誤か、黙らば印 る。うけたまはるとて一千人の勢にて三千里かける車に乗り、后には修行者に笛をふか
度の西北境の地
なり
せ御なぐさみ候へとて、五十日と申さんには、必す騎り参らせんとて、女房たち、后の
御伽申すべし、もしさもなき物ならば、八つざきにすべしとのたまひて、吹く風のごと
ら r つ こく
くにて、羅利國をうち出でて、けいしん國へぞ御つきある。さる程に姫君の仰せには、眞
けうやう
砂のうへの修行者はさこそ冷えぬらめ、又みづからが母の孝養のために七日笛を吹きて
供養せんと思ふなり、皆々女房たちも心を一つにして聴聞し給へと仰せければ、うけた
まはるとぞ申しける。七日の間酒をすょめ給ひける。女房たちも酔ひふしぬ。さるほど
にわれこそ中納言よと名のりたくは思しけれども、いかにして見え奉るべきやうも無か
りしところに、折ふし風一とほり吹き 艦を吹き上けける。姫君と
け 目と目と見あはせ給ひ
けり。姫君さ夜更けぬれば、間の障子をあけ、いかにみづからを
か ば連れて落ちさせ給へ
とのたまへば、我もさこそと思へども 心にまかせぬ事なれば、落ちすまし
せ 候はん事
なか〜叶はぬもの故、とりか へ されて憂き目を見せ中さんこと、あしかるべし、わ
が身はともかくも成りぬべし、たゞかくていつまでも笛を吹きて、聞かせまみらせんと



國 二二七
-- - --* -
}』『シー==シ
御伽 草 紙 二二八
申し給へば、只つれて落ちさせ候へ、三千里かける車には、はくもん王が乗りて行きぬ、
二千里かける車あり、これに召させよとて、シに立ちいで御袖をそ引き給ふ。中納言
は夢うっとも覚えす車に乗り給ふ。飛行音在の車とは申せども、はくもん王の車な
れば、ぬしの心をや博りけん、更に飛ぶ事なかりけり。二千里を飛びすみてこそ、徒歩
はだしにもなるべけれ、いまだ二千里をさへ過ぎざれば、かょる所にはさら女とて色黒
め れどもー眠れ くして夜又の如くなる女あり、人はぬれどもまどろます、笛のねも聞えす、姫君も御心
ども
もとなく思ひて、かつばと起きて走りまはりて見るに、后も修行者も見えざりけり。い
もし月もしろけ
ればー比句の下 かにせん、じんつう女、あくとく女、二三人起きあがりて、もし月もしろければ、南二
に脱文あるべし
千里かける車もし。
猪はくちをしき事なり、はくもん王のいかばかり怒り給はんすらん、われ〜憂きめを
見んする悲しさよと叫びける。中にも夜又女が申すゃうは、自然の事もあらばとて、命
園の太鼓を一里に一つづっ置かせたりけるを 打たせばやと申して打ちっrけけるほど

、けいしん國への道のほど五百里の所なり。四五百打ちつゞけければ、けいしん國へぞ
ら せつこく
聞えける。はくもん王きこしめし、羅利國には何事のいできたるらん、合圓の太鼓鳴る
とて、三千里かける車に乗りて飛ばせければ、利那が程に飛びつきぬ。夜又女走りいで
て、ありのまょに申しける。やすからぬものかな、愛にありっる修行者は葉原國の中納
言にてありけるぞや、さりながら二千里かける車なり、追ひつかんこと易きほどの事と
て、われを思はん者どもは供せよと怒りける。人の腹立っをばはくもん王のやうなると
行 らか

㎞ 中すに、まことにからかみ天にすくみあがり、眠に 利のことくなり、歯がみをして躍
かり あがり立ちける。さる程にほどなく姫君の車に飛びつきぬ。中納言御覧じて、さばか
り申しつる物を、わが身の事はともかくも、命はさらに惜しからす、御身に憂きめを見
せ申さんこそ悲しけれとのたまへば、姫君は今はいふとも叶ふまじ、二世とかけたる契
なり、浪の底へ入りて一つ道にと思ふなりと仰せける。かょりける所に、内裏にて舞は
かりよう 、)ん
せたりし迦陵頻と孔雀の鳥二つ飛び来り、迦陵隆頻が も
と蹴のけたり。孔雀の鳥がつふと寄り、姫君の御車をさきへはたと蹴やり、後には御車
をさきへ〜と蹴やりけり。
比鳥また一 つになり、はく
-
二三○
御伽 草 紙
き じん もん
り。さても二人の人々は鍵の日をのがれ、鬼離の門を去って 夢の道行くこょちして五
しんせきー親戚 條の御所へぞおはしける。いつしか御所は荒れはてて門はあれど扉なし、庭にはしんせ

き道たえて、軒にはあさがほ、しのぶまじりの忘草、たれまつ風の音も心細さぞまさるら
きうたいー奮若
ん。岩間をくrる忘れ水 絶え〜徳ひて流れ行く。嵐は艦をまきあけて悪きうたい
かけ見えていとゞあはれぞまさりける。やょありて奥の方よりも人一人出でて、あやし
みすちかー前に
出 てざれど中納 けに答めける。中納言やょみすちかにてあるぞ、物いはんとのたまへば、御盤におどろ
言の名なるべし
き御まへに参りけり。御涙にむせびて、とかく仰せ出だ さるょこともなし。蔵人申し
けるは、そも〜君の御出家ありしより後、今日まで六十六ケ國を尋ねまみらせぬ所な
く候ひつるが、いづくにおはしましけんとぞ申しける。いそぎ内裏へまみらんと仰せけ
れば、御車なんど奉り、御参内あり。もとの御身をかへすして、荒天王の故に難㎞まで
御覧じけること、ありがたき事とおほしめすなり。本領なれば丹後但馬の雨國を下さる
るとの宣旨なり。中納言かよる物憂き都にあとをとゞめじとて、いそぎ丹後へ下り給ひ
くせとー久世戸
て、御年八十と申すに、姫君は厳補の観音とあらはれ給ぶ。中納言はくせのとのシと
なり給ひて、衆生を湾度したまふなり。かたじけなしとも中々申すばかりはなかりけり。
おうちうは なりあひじ こ ぜん
羅利國にて御宿かしまみらせし、『翁艦は成相寺のかきとりの御前これなり。常代までも
はやらせ給ふ。成相の観音、くせのとの文珠の御本地、すなはち比御事なり。
のせ ざる草紙
さるほどに丹波の國のせの山に年をへし猿あり、名をばましをのごんのかみと申しける。
ちる さいかく
その子にこけまるどのとて、世に超えて智隷才豊、藝能すぐれけるか
しろがらすといふ事なし。さる間こけまるどのやう〜二十ばかりに成らせ給ふ。父母一
か さへ





なたも

御 聞は

ど、

耳す一

子細
るせもれ
わ思ふ
き入れ
より


しy
り、なみ〜 な らん者をいかでか妻に迎へん、いかなる公卿殿上人の娘ならでは、久し一

た、
世の

ける
。 思給

ぬん

身しら
望 ちひ
の程
の中

か ら ぬ 浮 世 に何かせんと思しめし
何 0

ん-
か じ




はな、
れ人
猿太夫

先 丸るり


->*
もろか
おや
こと
から


や あ べし
へ 、わ





鹿かなしき
き秋

わけ
鳴く
み踏み


奥山 ちく
しきし

和歌

とよみ給ひし歌は、これを小倉の色紙の 定定
のせ ざる草紙 二三三
i ー もも
* も「』『 シ -
- -} } -
二三四
いなおほせこり
の説にも、われを稲負鳥、ましらの盤などとてよ
みおく和歌を人しらすや、おそらくば系闘にお
きては誰 にか劣るべき、なまじひなるやから
に身をそめ、何かせんと思しめし、春は岩のは一
ざまにて花を見、秋は木々の棺にては月をなが
め、萬の木のみを愛し、いとやさしき色好みてお一
はしける。さる間立願の子細ありて、日吉の御一
碑にまみらせ給ふが、をりしも都は柳標をこき
まぜたる春にてありければ、こょかしこ東山の
あたりを眺めありかせたまふ。こょに北白河の
さもありげにー ヘ ん
*
く さき

尋常に さもありけに造りたる草木の御所 あり。

日入
はいかなる人のすみかやらんと、立ちより霞
のたえまより眺め給へば、うつくしき姫君、琴
かた
ひきてみ給へり。いかなる方やらんと、心そら
もなく ほらせ給ふ。かやうに心をうっし
になりっょ、まだたきもなくま に心 給ふも瀬理かな、鬼の
じんじやう

いきのかみ殿の、ひとり姫にてぞおはしける。そのかたち尋常に、耳のあた りぬれ〜
と色自く、世には拉びなき翻 にてそありける。こけまるどのはっくぐと見給ひて

世の中の人にはかやうの姿あらじ、いかにしてつてもがなと、それより踏む足もしどろに
きみやうち やうらい
て、夢に道を辿るやうにして、日吉の御赴にまみりて、鎧日打鳴らし、騎命頂濃山王二
十一赴、白河漫にて見し君のおもかけ忘れやらで、今は露の命も消え失せなんと思ふ比 く きこ
身をたすけ、かの姫に逢はせてたび給へと、肝臓を砕き涙ながら日説き給ひて、御まへ
ふるきさ - f」
* * - さ - - - さ〜
をたょせ給ふが、目もまひ心きえん〜となれば、故里へ騎らん事もなりがたく、木の葉
こけち
かきよせ枕として、苦路のむしろに倒れふし、ほれん〜として明かさせ給ふ。しかる所
に狐のみなかどのまみりあはせ給ひ、かのこけまる殿をつくム〜と見て、御目元、手足
じんじやう おんかた
の尋常さよ、いかなる御方なればかくてこょに渡らせたまふぞ、定めて比みやしろへま
うで給ふが、旅やつれにくたびれさせ給ふかと、打ちとけて問ひしかば、台丸殿、いやこ

れは行くへもなき下薦の子にてさふらふと答へさせ給ふに、みなかどの、いや〜それは
そらこさこ
空言と思ひまみらする、いかさま比御碑へまうでさせ給ふ人のなかに、たれぞの姫など
のせ ざる 草紙 二三五

御伽 草紙 二三六
を御覧じて、しづ心なき獄に沈ませ給ふと見参らせ候ふ、心のうちを残さす語り給へと

物や思ふ 云々ー たのもしけにしみ〜と申しければ、苦丸殿、涙をはら〜と流し、物や思ふと人の問


上句 「忍ぶれど
色に出にけり吾
緑は」
ふまでと、いふことさふらふとて、御恥しけに顔を赤らめさせ給ひ、うちふし給へば、そ
色をも香をも云 の時みなかどの、色をも香をも知る人ぞしる、みづからもわかく候らひし時は、さやうの一
云ー信明集 「君
なら て誰にか見
せん梅の花」
事も候ひしなり、おもひも継も、若きときのならひなり、つょます申させ給へ、命ととも
に頼まれ申さんと言ひければ、たのもしの人の詞やな、かくて消えなば罪ふかし、今は
何をか隠し参らせん、過ぎにしころ白河の花木のまを辿りしに、思ひもよらぬ君を見て、
今は命の玉の緒の、絶えなん後にたれ人か、つゆもあはれと思ふまじき、もしも比事叶は
すば、猿澤の池へも身をなけて、死なん命はをしからじと、たゞさめ〜とばかりなり。
みなかどの聞き給ひて、さてはいきの守どののひとり姫にてさふらふべし、心を砕き思し
めすもことわりや、比君と申すは、いきのかみ御ふたり四十ちにならせ給ふまで、子の
無きことを悲みて、八月十五夜の月に向ひて斬らせたまへば、北の方の右の快へ月の宿
らせ給ふと、御示現あらたに蒙らせ給ひ、出できさせおはします姫にてましませば
旺こ 、う
こさわり
- ・ - ** かた
つくしきことは 理 なり、御名をばたまよの姫と申しさふら
ふ ふ、いか な る方さまよりも
交たまづさの通ふ事、ふる雨よりしけ〜しくさふらへども、 御居、もしは公卿殿上
人ならでは、御婚にとらじとて、秘蔵し給ふ姫にてさふらふが、御ことはたてならぬ観
と見参らせ候ふまょ、叶へてまるらすべし、御心やすく思しめせ、幸わらはが娘を、そ
㎞ の姫君へ御宮仕に参らせ、けしやうのまひと召されさふらふ、みづからもさい〜かの
。一姫の御方へ参り候ふ、観察あそばせ、届けてまるらせんといへは、苦丸殿いとうれしく
て、
君ゆる にかき集めたる木の葉どもの散りなんのちをたれか問はまし
かやうにあそばし渡し給へば、みなかどの快に入れ、やがて彼 へまみらせんとて、自
河の御所へまみりければ、姫君つくム〜と見させ給ひ、何とて比程は、うちたえ給ひし
と、雪をあざむく御顔をもたけさせ給ひ、いとなっかしけに仰せさふらへば、みなかど
の、御まへに人の無きをりを得て、しか〜のシとてそばに置く。姫は耳をそばめ
恥しけにうつぶき給へども、みなかどの、人たらしの上手にて、昔よりっれなき人は
* 浅ましくなりはて候ふ。いたづらになりし小野の小町が事まで言ひきかせければ、さす
㎞」が心づよきも罪ふかし、岩木にあらぬ身なればとて、かくぞかし、
のせ ざる 草紙 二三七
御伽 草紙 二三八 ー
ー』
をちこちの 云々
ー比歌 「をちこ をちこちのたづきも知らぬ山猿のおほつかなくもわれを問ふかや
ちのたづきも知
らぬ山中に畳束 筆もしどろに書きながし、さしおき給ふを、取る手もうれしくて、やがてこん〜と言ひ
なくも呼子鳥か
な」 の古歌を取 ちらし、狐のみなかは騎りけり。いそぎ苦丸どのに持ちてゆき見せければ、うれしくて
れり
こん〜〜ー狐の ふと起きあがり、三度いたとき見て、うつくしの御手やと、胸にあて顔にあて、それよ
鳴撃を来んにか
** りなはいやましに思ひっょ、たび〜の御交をやり給へば、ふたかはの行末はやがて避
瀬となり給ふ。けにや 小範の 範も、なれての後はしのび〜に通ひっょ、今は浅から
ぬ中とならせ給ふ。父いきのかみ、北の方きょ給ひ、けにも丹波ののせのましをのごん
の守の苦丸殿は、聞き及びし色好み、いかなる公卿殿上人の中にも無き姿なり、今は御
シとて、いろ〜深山の菓子とり集めてもてはやさせ給ふ。比事丹波のごんのかみ聞
召し、比頃いづかたへも渡らせ給ふぞと思ひしに、さてはかやうの事にてありしを、知
らざる事よとて、御むかひに馬乗物、シ共を おびたょしくっかはし給ふ。こけまる
どの、たまよの姫君を弾 共し井波へ越え給ふ。父母吉日をえらび、御シありて見給ふ
ここ 世にはかふるうつくしき姫君もあるかや、こけ丸の心をつくしつるもことわりやと
て、とりはやさせ給ふ。その後御子あまたいできさせ給ひ、末繁昌に楽えさせ給ふ。昔も
おんさいはひ
今もかょる御幸 あらじと、めでたき事かすかぎりなし。
二三九
の せ ざる 草紙

草 紙
『 シーjitー』ー』
-*} シーシ 。ー=
猫 の 草 紙
天下太平國土安穏、かょるめでたき御代にあふこと、人間は申すに及ばす、鳥類畜類に
こ せい けう
至るまで、ありがたき御政道なり。まことに発競の御代にも勝れたることなり。まづ慶
ちやう


-

なや
ミ -
-
の綱を解きて放ち給ふべき御沙汰あり。ひとしく御奉行よ
たかふだ
り、一條の辻に高札を御立てあり。そのおもてに日く、一、洛中猫の綱をとき、放ちが
ちやうじ
ひにすべき事。一、同じく猫うりかひ停止の事。比旨相背くにお て

ご せいだう
せらるべきものなり、よつて件の如し。右かくのごとく御政道ある上は、面々秘蔵せし
猫どもに札をつけて、はなち申せば、猫斜ならすに喜びて、こふ かしこに飛びまはること、
由遊
ぬ唱を 。山

ゆ さん けたうっはり
遊山といひ、風を捕るにたよりあり。程なく量おち恐れて逃けかくれ、桁梁をもはしら
き せ小さ
猫 の 草紙 -
二四一
なりしに、よにたつとき御務心者あり。悪を捨
てて善にすょみ、あしたには天長地久、夕には
こしやうぜんしよ ほうかいびやうきうりやく
現世安穏、後生善所のいたり、法界平等利益と
けうくわんのふ
たっー教観の一 願ひしけうくわんの ふたつ 明かなり。道俗男
つにて教相観心
の二門をいふ 女、殊勝感涙をながす、誠に大日如来ともいつ
べし。かふる殊勝の道理をば、鳥類までも知り
はんべるか、ある夜不思議の夢をみる。風の和
尚とおほしきが、進み出でて申すやう、御僧様
へむかひ詞をかはすこと、揮りに存じ候へども
れん〜ー連々
御教離のほど、れん〜様のしたにて、日夜朝
幕御㎞を聴聞仕り候ふに、機梅に罪を滅すと
仰せられ候ふについて、まかり出でて候ふなり、
さんけ
さんぎーざんぎ
(断塊)か
さんぎ鶴梅をも仕り候はゞ、一句の御道理をも、
御授けあつ て下 され候へかしと申しければ、
僧答へていはく、次らがふぜいとして、かふるやさしきことを申すものかなと、なのめ
ならす思ひ、草木國士悪皆成備となれば、非情草木も成備すと見えたり、況や生ある物
として、一念弾陀備則減無量罪、艦㎞の難陀 E撃の準主なり、愛を去ること違らすと
説き給へば、たとひ鳥類畜類たりといふとも、 一念の道理によつて成備せすといふ事やあ
るとのたまへば、さらば慣梅の物語を申し候はんとて風鳴きのなんだを悲ひ申すゃう
は、今度洛中の猫の綱をはなされ申すゆる 、我々 一門悪く影をかくし、或は逃け、或は亡
び、今すこし残り申すものどもも、けふあすの命と思ひ、心細くいしする のかけ、様の下に
かさむといへども ポの油断も候はす、又穴の但属を仕りて見るといへども、一日二日
の事にもあらす、中にばかりも慰こもりてみられ申さす、たま〜愛き世間へまかり出
でんとすれども、しや取っておさへ、あたまより噛みひしがれ、しょむらを引きさかれ
かふるいぶせき事に逢ひまつる事、前世の因果悲しうこそ候へと申せば、僧答へていは
く、次らがしはたれて言ふ所いたはしく思ふなり、殊に一句をも授けたれば、シー
に思ふなり、まづ〜くせごとに人に憎まるふ 事を、語って聞かすべし、わらは如きの
からかさ
しまもとー未詳 ひとり法師、たま〜 傘 をはりたてて置けば、やがてしまもとをくひ破り、又旦那をも
猫 の 草 紙 二四三
-
ー= ー。 シー
御伽 草紙 二四四
てなさんとて、いり豆座諏 をたしなみ置けば、『夜のうちにみなになし、シとも
『*。 いはす 属物のシ、かき餅 六條などをたまらせす いかなるシの雌
梨なりとも、命を絶ちたき事初論なり、いはんや大俗の身にては道理至極せり。共時量
㎞」答へていはく、我らも御たとへの如く存じて わかき風どもに意見をなすといへども
" *耳にさか。シ日ににがしと中せば、中々聞きも入れず、なほくシつかまっ
らんと申す、そのなかにも、まづ第一、人に憎まるょこと初れ、お東どの、お北どのの、
㎞」あらひほ おはしたの離悪 かたびら
ゃうっき* ㎞ また彷 張
㎞ のはし、シのすみ、っ み、シへとりこもりて家を作り、価書にもならず、手
㎞ 柄にもならざる物をくふこと初れ、壺のはたなどまはるなと、あかはだか、つけ紐の時
㎞り一よりも申し聞かせ候へども、かぶきたるなりばかりを好み、人の枕もと、こも天井ふる
「。一屋根などをすみかとして、悪逆はかりを仕り候ふ事、是非なき鶴と、語り申すうちに夢
さめて、既にその夜は明けにけり。又つぎの夜の夢に、魔 毛の猫来り、けに〜しく語
り申すゃう、御僧様たっときにより、風根性とて、人の僧むやっにて候ふ、かよる奴順
まみりて、いろ〜の事を申すよし、やがて告け知らするかたあり、継じてかの風と申
外道の上盛ー悪
魔の骨張
すは、外道のシなるべし、御僧の御慈悲を垂れ給ひても、やがて物をひかん事必定な
り、又我らの系園をあら〜語り申すべし、聞召し候へ、箇様に申し候へば、量とた
けくらべのやうに候へども、いはれをしろし召されすば、いやしめ給はんま、シ
におしっくばひ、大の眠に角をたて申すゃう、われは足天管雨主におそれをなす成の子
その子細ーその
理由
孫なり、日本は小國なり、國に相應してこれを渡さるょ、その子細によって、日本に虎
柏木のも とー源
氏物語の柏木右 これなし、延喜の癖の御代より、御龍愛あって、シのもと、 のうちにおき給ふ、
衛門督の事をい
ふ 又後白河の法皇の御時より、綱を付けて腰もとに置き給ふ、綱のつきたるゆる に、一寸

れ か
さきを風俳御するといへども、 心ば
)も りにて取りつくことならす、湖水のたべたき時も


暇を鳴らし撃を出だしてたべたけれども、あたまをはりいためらるれば足非なし、詞
まんご やまさこ びさこ * ミ
たい りゃくー大 を通すといへども、天笠の楚語なれば、大和人の聞き知ることなし、たいりやく繋ぎ殺
略にて概しての しづ ふせや ** **
にふがくー未詳
さるふばかりなり、にふがくの御慈悲廣大にて、践が伏屋に月の宿り給ふがごとく、猫
風情までに御心をつけさせ給ひ、綱をとき、苦をゆるさるふこと、ありがたき御事なり、
比君の御代、五百八十年の御齢をたもち給へと、朝日にむかつて除念なう、のんどを鳴
しんべう
なんせん さんみ らし拝み申すなり。僧答へていはく、猫のいはれやう、近頃碑妙なり、なんせんさんみ
猫 の 草紙 二四五
御伽 草 紙 二四六
やうー南泉三明
よみ
やうの心を思へば、きるょともいかでかへん、さりながらこょに託びたき事あり、出家の
あっかひー仲裁
役にて、かやうの事を見てはおかぬ法なり、あっかひに入りたきとのことわりなり、殺
しやうる てん
さんりんー三輪 生ばかりをするものは、因果車輪の如く、死しては生じ、生じては死し、流轄にさんり

んしては、共因果のがれ難し、一蹴のこくうをしらんによって、生死もろ〜の諸悪を
はなれ、三界六趣輸鍵生減して、すなはち解脱を得ると見えたり、殺生をやめられ候へ
くごにかつうを
ーくごは供御よ
シの奪物には、くごにかつ うををませェ 、またをり〜はたつくり離㎞などを
る じき こ ちやう
り韓じて食物の
義、かつうをは
朝夕の餌食には、いかゞと問ひ給へば、御読の如くにては候へども、まづ〜案じても
たつくりーごま 御覧ぜられ候へ、人間は業をもってこそ、五臓六脳をとょのへ、足手選者に利由をもの

たまへ、山海の珍物は、個をすょめんがためなりとうけ給り候へば、われ〜もその如
く、天道より奪物にあたへ下され候ふ故に、風をたべ候へば、無病にして飛びありくこ
と、鳥にも劣るまじと存じ候ふなり、またゆる〜と書寝つかまつるも、嵐をたべんと
堪忍の ことー風
を食ふをや、むる 存するためなり、しかるを今より堪忍のこと、同心申しがたし、御分別候へと申せば、さ
こと
しも廣大無量の御僧なれども、返答しかね、感涙肝を消すばかりなり。
夢さめて、暁がたにまどろめば、例の量きたつて申すやう、とかく比鶴にては、京中の堪
しとて、上京下京の最どもよりあひ、ふれをまはし、にしちん組は舟岡山のす
こ りやうしやうこくじじゆらくぐみ
組は御霊の厳、立賞組は相國寺の藝、緊楽組は北野の森、下京組は六角堂のう
ちへ、よりあひ〜談合す。共中に分別顔する量、すょみ出でて申すやう、所誇比鶴な
このたび
命の中たがひー
生命をすっ るこ らば、命と中たがひの外はあるべからす、 いかゞしてか比度の命のびなんと、いろ〜
評定 したりけり。はや都の御ふれ、五十日になるといへども、魚の骨を一っ歯にあて
す、油あけ、やき鳥のかさをだにもかざす、猫どのに参りあはれば、自然に千死にまか
りなるなり。
きつと案じいだしたる事あり、比程聞き及びしは、近江の國御検地ありしかば、めんあ
ひについて、百姓稲を刈らぬよし、横に聞きとゞくるなり。まづ〜冬中はまかりこし
稲の下にシをかざませ、年をこえ暖にならば、きたの郡、木のもとの地蔵をたのみ さめ み すり
い か ぶま
ゆんでめての山々、伊香郡山 おくだに山、おそろしけれど鷹吹山に開が原、龍が非、
は くさんじ山、かみかまうのこなりのはた、ふせ山、布
しがらき 、
i} f *** ***A>}*、
引山 観音寺 八幡山、鏡山、朝日山 こうの郡わしの尾の山村々里々 三上山 信楽
やま をんじやうじ えんりやくじ


山、石山、栗津、まつもと、打出の演、長柄山、園城寺、延暦寺、坂本、堅田、比良、こま
猫 の 草 紙 二四七
_ 『 シ『}。『 。 - ---
御伽 草 紙 二四入
『、
-
- *
いまづ *
かいづ - さ * い - Jf い
っ、自類の明碑きんへん、うちおろし、今津、海津、しなづ、志賀の浦、便船あらば
ちくぶ しま ろ


竹生島、ちゃうめんじ、おきの島などへもおし渡り、駆
雨どを

心 川
っながんと存じ候ふ、何より心の残り候ふは、やがて正月に、かrみ、はなび ら、煎
どこ
猫犬
もひふし
も選



あは


ょた
とながら
さ まし
のれ
ふいふ
そこ 遊、




たて




ど退なれ
大こそ

られ
無念 敵て
ばの
さくみ 春なおく
あの
くり 、
か俳 シに

ひ ょめい
なじぐさみ
ぶり
こし
られ
き餅
にとり
たシ

を、退方中
みっ
報見。
あば
たる き


そ公れしりいく々の家

にを







など
門跡
すみ。
久けるらね
つたり
しく
ざら 風
あら うしろ
とる猫のうしろに犬のみてねらふものこそねらはれにけり
ん比世の中の思ひでに今一たびは猫なくもがな
じょといへば聞耳たつる猫どののまなこのうちの光おそろし
僧心に思ふやう、かょることわざ人に語るならば、狂気とや風間せん、深くつよしむべし
>*--* **、
&* に *
と思へども、まれなる夢のたはぶれは、近き友に語り博へ、笑草かなといへば、仰せの
まくらもさここ せいたう
一ごとく、量うすくなり物をもひかす、枕本をもありかす、かやうの御政避は昔が今にい

17 るまで、ありがたき御事なり、君もゆたかに民さかえ、久しくめでたき事ばかりにて、
心ゆるがせなるのみなり。
猫 の 草 紙 二四九

|
|
濱 出 草 紙
-* あし

、 〜
たいょー大分か| そも鎌倉と申すは、むかしは一足ふめば三丈ゆるぐたいふの沼にて候ひしを
aは りしー沿 - *BB%、
け、
っる はし
、 コー こ、
和田 s
㎞。 山、継奉行を給はりし、石切、鶴の噛をもって、高き所を切りたひらけ、たい ふの溜を
召 こら
はっかいー須『一うめ給ふ。上はっかい、中はっかい、下はっかいとて三つにわる。上はっかいは山、中

%

カ V1
-
-


㎞ はっかいは在家、下はっかいは海なりけり。上はっかいの一段高きところに
7
ミ い。 よう、、) ェ、 、ド
は、源氏の一 て D、
氏 、正八大 魔をあがのび*る。中はっかいの 家を、シゃっ七郷にそれられ
ける。あらおもしろのやつ〜や。春はまづさく梅が谷、つゞきの里に匂ふらん。夏は
涼しき兄が容、秋はっゆくささょめがやっ、冬はけにも雪の下、亀がえやっこそ久しけ
れ○
-
㎞が奇 * -
、 〜



引い
はるかの沖を見渡せば、船に帆かくる稲村が崎とかや、いひ 島、 江の島、 つぶ いたり。
し、J7
達来宮と中すとも、いかでこれには個るべき。かるがゆる に名づけて、あゆみを運ぶと
演出 草 紙 二五 一
-
口 - - -**} ー
-
御伽 草紙 二五二
つぶ、み おさこ
ちはやー巫女の
きる小忌衣の類
もがらは、諸願必す満足せり。ていとうの鼓の音、さつ〜の鈴のこる ム〜に、ちはや
の袖をふりかざす、紳慮すゞしめの、御碑楽の音はびまもなし。


左近の右大将ー かふるめでたきをりふし、頼朝上洛まし〜て、大備供養をのべさせ給ひ、御身は左
の右大将に経あがらせ給ひ、兵衛づかさ十人、左衛門づかさ十人、甘人のくわんどを中
非ず し給ひて、そのころちうの人々に、常て行はせ給ふ。中にも左衛門づかさをば、梶原の
バわんどー官途

平三景時に下されけるを、嫡子の源太にゆづる。源太つかさをたまはり、いそぎ國にく
てうしゃうー末

だり、比事披露申さであるべきかと、大名小名、てうしやう申し、いつきかしづき奉る。
鮮っとう まづ初番のざつしやうには、達衆の山をからくみ、中に甘露の酒をいれ、不死の薬と名
りふじんー密 樹 づけ、しろがねの筆に、こがねの釣瓶をむすび、はねっるべにてこれを汲む。酒にあま
の 一種に李夫人
と稲するものあ
いン
たの威徳あり。うとき人さへ近づき、親しき明はなほしたしむ。をちこちのたづきも知
う 認しみ云
b らぬ旅人に、馴るょも酒の威徳なり。落葉の山のうへには、りふじんが橘、けんほの梨
さうふのしみかょくるゆとう、なんせいのくりとかや。皆いろ〜になりつれて、その
喉びはしゆみをなす。まことに不死の薬ぞと、酔をすょめてまるらする。二日の日の雑
飾には、者のかすを集め、ちんのほた、じやかうのへそ、鎧、腹巻、太刀、刀、名馬の
かすをそろへ、思ひ〜に引かれけり。三日の
日の難鮮には、江の島まうでに事よせて、御は
まいでとそ聞えける。かたじけなくも御寮の北
の御方いでさせ給ふ。そのうへ人々の北の方も
皆御供とこそ聞えけれ。船のうへに舞豪を高
したんくわりは く飾りたて、したんくわりほくやり渡し、高
くー紫植、花梨

みづひきー水引 ぎほし磨きたて、舞豪のうへに綾をしき、みづ
の幕
ひきに働をさけぬれば、浦吹く風に獣して
極楽浄土は海のおもてに浮き出でぬるかと疑は
けんくわんー紋
管か る。おん賀の舞あるべしとて、けんくわんの役
をぞさふれける。秩父の六郎どのは笛の役とぞ
聞えける、なかぬまの五郎はとびやうしの役な
り、梶原の源太景季は太鼓の役とぞ聞えける。
こ れんちうこさこ
御籠中には、琵琶三面、琴二ちやう、きんの琴
二五三
==--
御伽 草 紙 二五四
の役をば、北の御方ひきたまふ。一面の琵琶をば、北條殿の御内様、上線の介の御内様
和楽をしらべ給ひけり。けんくわんいづれも名にし資うたる 毛なり。シのうへの舞
しくわうそだち一ちごに、秩父殿の二男ふちいしどのと申して、十三にならせ給ふ、しくわうそだちのめ
* いとうなり。左の一たううけとりの 高坂殿の調者どの 機じてもこは十八人 九人ろっ
"一に分もて、シの をまひ給 、いづれも は上手なり
㎞ 龍王に をどり還薬のさしあし、 頭の舞のはちかへし りんたいはにはさすかひな
㎞ーニシにはひらく手 ことりしょに葬がへし、いづれも曲をもらさす。シ三日を舞う
㎞。。、 たりける。月っも吹くも奪っるも、藤の宿 これなり。天人は天降り、獣は浮きあが
㎞一り、船きやうたうにめぐるらん。けもんかくちのともがら、浮かれてこょに立ち給ふ。
㎞|御まへの人々御所領給はり、腕知入りとこそ間えけれ。

の意なるべし
和 泉 式 部
中ごろ花の都にて、一條の院の御時、和泉式部と申して、やさしき遊女あり。内裏に橘
の偲 とて男あり。保昌は十九、和泉式部は十三と申すより、不思議の契をこめ、なさ
け深くもて、十四と申す春の頃、若一人まうけ給ひ、あひの枕の喉 に、はづかしと や
思ひけん、五條の橋に捨てにけり。シあやめの小袖のつまに、 一首の歌を書き、船 /d、
きシそへて捨てけるを、眠人びろひ養育して、比叡の山へのほせけり。
さる程に奥問心ざし深く、ならびなく、みな心をかけぬ法師もなく、共名継曲に かくれ
天下 く





しく 、なさけの色もわりなきさまなり。継山のもてあそびのみならす、備道の道をたのも
* 「、 B、 Lr 3い
〜-・

十プ
はつかう
まり、道命阿閣梨とて、世にかくれなくして、

道明十八のとし、内
裏の八講をっとめ給ひし時、風ふきてつほねの獅を三度吹きあけて、年の程二十ばか
りなる女房の、眉はこほれてよしありて、論議聴聞して、おもひ入りたる風情にておは
-
和泉 式 部 二五五
- 『日
"口』} -
かく が











なん ばれは
あし



そを













、かり

る 熊こ内出人る手し裏人
け入り

一を













で ほこがれ


あ又
かて



一し

はを
あ見







やとき目けりなり
か業世れけ





忘給





前身

宿ぬ

。 一こがれ




しける







あぬ




宿



がり
目 御伽

ら 紙




とよひか けり

や八







宿










の 七









から


わが
流すと 鳴き




り とそつむか ぞ

む六

すや



もひ
こ鹿


まゆ
けれ
あかし つしき






か〜





悲ふ
けろ つらんくぶと らん
と 枕


す よ四

ふや



しに

か うき
など
まで つつかきこちたと も
とかるさてか 見る

み三

ぐや


しも


人 ふ二

うや



てへ

しに
いひ


べき つっき
ひ一

草や


ほまろ

か快

なぬ
とりしら枕と

うめい






--』『
九っとや、こょであはすば極楽の弾陀の浮土であふ世あるべし
十とかや、とやをはなれし荒鷹をいつかわが手にひきする て 見ん
十 一 や、一度まことのあるならば人の言の葉 うれしからまし
十二とや、に くしと人の 思 ふらん吐 は ぬ ことに 心 つくせば
十三や、さのみなさけをふり棄てそなさけは人のためにあらねば
十四とや、しなん命もをしからす君 ゆる ながすわが身 なり せば
十五とや、後世のさはりとなりやせん身のはかなくも逢はではてなば
十六や、陸地の程をすぐるにも君に心をっれてこそ行け
十 七 や、七度まうでのたび〜も君にあふ よと斬り こそすれ
十 八 や、はづかしながら言ふことを心つよく もあはぬ君 かな
十九とや、くるし夜ごとに待ちかねて袖いたづらに朽ちやはてまし
二十とや、にくしと人の思ふらんわれならぬ身を人のこふれば
㎞。」といひければ 下*を聞きて 樹子よくほるべきにはあらねども、あまりに歌の
心の面白さに、樹子一 つそへよといへば、一 つ添へてかくなん、
和泉 式 部 二五七
-
=口 ー}
とりなき


忘案


常歌
わすし
こ人


なさけ




たき
いふめにれ は
はさけ


少将
言す

なすっ

まで



なり
ある


づら
なれ
の葉
ひ 小町

ち 怨より

られ


ざれ
に解け









因果

四 念 により


に けき













姿








て るぬ



町 なこ


といふ







けれ
あり
ごと






心 り



ら より







。 み よ氏勢らひ人り あ



商れ


やう
ける
い仰せ
知の



ことば
伊つる

源じ
が 思し
こそ
あす



けり


宿














ぐ ひ



く 見れ























ぬ せ 見よ


日 えこし



ひ下

き。






只め
さ商、




ける
き人今れるす とる







ひけれ







。 い
り 詠さしき








けれ
やてん




かと





んし

ぐ 八




御伽
ふは
















ふりる

れ 一とば



多な二


ここめん


つくし
語り
さけく度

ねん

ざかり
わか

つ の
にうめい やさ *
じっけて、下女一人っれて内裏をいで、避命が宿へ行きて、戸をほと〜と叩きてかく
なん、
出でてほせこよひばかりの月影に ふり 〜 ぬらす継の被を
たうめい おもて そさこ
とよみ給ひければ、道命うちにて是をきょ、夢のこょちして表の戸をあけて、さらば外一
へも出ですして、かこち顔なる風情してかくばかり、
出ですとも心の あらば影さして闇 をばてら せ 有明 の 月
とよみて、うちほれたる風情、もとより彼の女房なさけ深きにより、うちにさし入りて、
シのふすま㎞に比 の契をこめ、 もゃう〜シぐ。し
たうめい まもりがたな

け給
仰に

やう
ける

は 心
ふかけ
にしき

も、道命がもちける守 刀 を、などやらん 大
-

まもり
がたなこ
房の身こそあれ、男の守 刀 をかけたるためしはいかにと仰せければ、道命、これは由あ
㎞ るカにて候ふ、いかにと中すに われは足五條の橋の捨子にて候ふを 率の父のをだ
て、人となされ候ふなり、又われに比刀をそへて捨てられし刀なれば、これを母と思ひ、
身をもはなたす持ちたると申しければ、女房なほ怪しく思ひ、さては御身はいくつにな
り給ふぞと間ひ給へば、避益、子にて捨てられ候ふよしうけ給はり候ふ、今ははや大に一
二五九
和泉 式 部
二六○
なり候ふと語りければ、シは何にて候ふと間
ひ給へば、あやめの小袖のつまに、一首の歌を
書きたり。いかにと仰せければ、やがて道命、か
くとあり、
もょとせに又もふとせは重ぬとも七つ〜
の名をばたえじな
とよみ候ふ歌なりといへば、和泉式部は捨てし
時、輸をばとめ給ひて、是をばわがみのかたみ
と思ひし故に、身をはなたす持ちたりし程に、
かる浮世にすむゆる なり。是を菩提のたねとし
* だ㎞・11: 、
て、都をいまだ夜深に出でて、をのへの鐘のう
らづたひ、ひゞきは何としかまがた、霞をしの

しやうくうしやうにん
ぎ雲をわけ、播磨の國書寛へ上り、性空 上人の御弟子となり、六十一の年得心し給ひける
とき、書寛の鎮守の柱に、御歌を書きつけ給ひ、かくばかり、
暗きよりー比歌
正しくは 「暗き
暗きより暗きやみちにうまれきてさやかに照らせ山のはの月
より暗き道にぞ とよみて、書きつけ給ひけるによりて、歌の柱といふことは、 播磨の國書寛よりこそは
入りぬべき遥に
照らせ山の端の
月」 なり
始まりたると中すなり。

B =_止山口
御伽 草紙
一寸 法師
中頃の事なるに、津の國難波の里に、おうちとうばと侍り。うば四十に及ぶまで、子の
なきことを悲み、住吉にまみり、なき子を斬り申すに、大明碑あはれとおほしめして、
四十一と申すに、たゞならすなりぬれば、おうち喜びかぎりなし。やがて十月と申すに、
、いつくしき撃をまうけけり。
さりながら生れおちてより後、せい一寸ありぬれば、やがて共名を一寸ほうしと名づけ
せい も人ならす
られたり。年月をふるほどに、はや十三になるまで棄てぬれども、せいも人ならす。


ー身長ものびず
くづくと思ひけるは、たゞ者にてはあらされ、たと偲物魔術にてこそ候へ、われらいか
なる罪の報にて、かやうの者をは住吉より給はりたるぞや、浅ましさよと 見るめも不便
なり。夫婦思ひけるやうは、あの一寸法師めをいづ左へもやらばやと思ひけると申せば
やがて一寸法師、比山うけ給はり、親にもかやうに思はるょも、くちをしき次第かな、
一寸 法師 二六三
二六四
かたな
いづ方へも行かばやと思ひ、刀なくてはいかぶ
と思ひ、針を一 つうばに乞ひ給へば、取りいだ一
-
むぎわら つかさや
したびにける。すなはち変程にて柄轄をこしら一 -
し ぜん
へ、都へ上らばやと思ひしが、自然舟なくては
こ き
いかゞあるべきとて、又うばに御器と答とたべ
なこ り
と中しうけ、名残をしくとむれども、たち出で


住吉

にけり。 より御器を舟として うち乗 ○


すみなれし難波の Iをたちいでて都 へいそ
が心か
かくて鳥羽の津にもっきしかば、そこもとに乗
り捨てて都に上り、こょやかしこと見るほどに、
四條五條の有様、心も詞にも及ばれす。さて三條
の宰相殿と申す人のもとに立寄りて、物申さん
といひければ、宰相殿はきこしめし、 面白き盤と聞き、様のはなへたち出でて御覧すれど
も人もなし。一寸法師かくて人
ふ し ぎ
にも踏み殺されんとて、ありつる足駄の下にて、物中さん
一と申せば、宰相殿不思議のことかな、人は見えすして、おもしろき盤にてよばはる、出
あしだ
でて見ばやと思しめし、 そこなる足駄はかんと召されければ、足駄の下より、人な踏ま
いつきゃうー一
興か せ給ひそと申す。不思議に思ひてみれば、いつきやうなる
うな ものにて有りけり。宰相殿御

一覧じて、けにも面自き者なりとて、御笑ひなされけり
かくて年月をおくる程に、一寸法師十六になり、せいは元のまょなり。さる程に宰相殿に
十三にならせ給ふ姫君おはします。御かたちすぐれ候へば、一寸法師姫君を見たてまっ
みっvsー未詳 りしより思ひとなり、いかにも
して案をめぐらし、わが女房にせばやと思ひ、ある時み
うちまきー散米
っもののうちまき取り茶袋に入れ、 若のふしておはしけるに ェをめぐらし、姫君の
御日にぬり、さて茶袋ばかりもちて泣きみたり。宰相殿御覧じて、御尋ねありければ、姫
わらはー一寸法 君の、わらはが比程とり集めておき候ふうちまきを、取らせ給ひ御まみり候ふと申せば、
師みづからをい

宰相殿大きに怒らせ給ひければ、案のごとく姫君の御日につきてあり、まことに傷なら
す、かょる者を都におきて何かせん、いかにも失ふべしとて、一寸法師に仰せつけらるる。
一寸 法師 二六五
-
御伽 草紙 二六六

れ へ

は と
寸法師申しけるは、わらはが物を取らせ給ひて候ふ程に、とにかくにもはからひ候


ありけるとて、心のうちに嫡しく思ふ事かぎりなし。姫君はたゞ夢の心地して、呆
ててぞおはしける。一寸法師とく〜とすょめ申せば、闇へ遠く行くふぜいにて、都を
出でて足にまかせて歩み給ふ、御心のうちおしはかられてこそ候へ。あらいたはしや、
給ひかしー給へ
かしの訛 一寸法師は姫君をさきに立ててぞ出でにけり。宰相殿はあはれ比事をとゞめ給ひかしと
ま・はく
思しけれども、継母のことなれば、さしてとゞめ給はす、女房たちもつき添ひ給はす。
姫君あさましき事に思しめして、かくていづかたへも行くべきならねど、難波の浦へ行
もでようが る島ー
一風かはりたる かばやとて、鳥羽の津より舟にのり給ふ。折ふし風あらくして、きようがる獣へそっけ

にける。舟よりあがり見れば、人住むとも見えざりけり。かやうに風わろく吹きて、か
の島へぞ吹きあけける。とやせんかくやせんと思ひ煩ひけれども、かひもなく舟よりあ
がり、一寸法師はこょかしこと見めぐれば、いづくともなく鬼二人来りて、一人は担出
のが概を持ち、いま一人が申すゃうは、呑みてあの女房とり候はんと申す。くちより香
み候へば、目のうちより出でにけり。鬼中すゃうは、足は誰かな、日をふさけば日よ
り出づる。一寸法師は鬼に呑まれては、目よりいでて飛びありきければ、鬼もおちをの
のきて、足はたざ者ならす、たと地獄に徹こそいできたれ、たゞ逃けよと言ふまょに
しもつ ー 擁木
/|\

出のシ 枝しもっ、何に至るまで打捨てて、極楽浮士のいぬるの いかにも暗き所へ、一


魏 % %

(しもく)又はし
も との行か


霊《

*
らんばうしー濫 に逃けにけり。さて一寸法師は是を見て、まづ担出のが艦をらんばうし、われ
姉にて横領する
Y

意か いを大きになれとぞ、どうと打ち候へば、程なくせいおばきになり、さて比程
っかれにのぞみたることなれば、まづ〜個を打ちいだし いかにもうまさうなる個

に い
いづくともなく出でにけり。不思議なる仕合となりにけり。 共後 『銀 うちいだし、姫


君ともに都へのほり、五條あたりに宿をとり、十日ばかりありけるが、比事かくれなけ
れば、内裏にきこしめされて、急ぎ一寸法師をぞ召されけり。すなはち参内つかまつり、
大王御覧じて、まことにいつくしきわらはにて侍る、いかさまこれは曖しからす。先祀
おうちーこくに を尋ね給ふ。おうちは堀河の中納言と申す人の子なり、人の議言により、流され人とな
ては老父といふ
程の意 りたまふ、世金にてまうけし子なり、うばは伏見の少将と中す人の子なり、幼き時より
うばー老母 父母に後れ給ひ、かやうに心もいやしからざれば、殿上へ召され、堀河の少将になし給
ふこそめでたけれ。父母をも呼びまみらせ、もてなしかしづき給ふ事、世の常にてはな
かりけり。
一寸 法師 二六七
二六八
さる程に少将殿中納言になり給ふ。心かたちは初めよりよろづ人にすぐれ給へば、御一
門のおほえいみじく思しける。宰相殿きこしめし喜び給ひける。その後若君三人いでき
けり。めでたく楽え給ひけり。
住吉の御誓に末繁昌に楽えたまふ。よのめでたきためし、これに過ぎたる事はあらじと
ぞ申し侍りける。


-
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*} 『_㎞に

さいきー原本一 さ
「さかき」 とあれ
ど誤なること明
なれば改む
沙汰ー訴訟 豊前の園うだの俯と申す人、一族に所領をとられ、京都へ上り沙汰するといへ ども
みちゆかずーは
かどらず
更にみちゆかすして、年月をおくれども甲斐なし。かくては叶はじと思ひ、清水にまみ
りて、一七日こもりて、御夢想にまかせ、とにもかくにもならんと思ひたち、竹松と申
す襲を一人具してまるり、所念を深く申せども、さしたる御夢想もなかりけり。あたり
をきっと見てあれば、年のほど二十ばかりの女房の、みめかたち世にすぐれて、シの
かんさしはシに慰をかけたるに異ならす。かっらのまゆすみ書うして、シ
ほうたんー牡丹

の唇うつくしくして、ほうたんのかさねをに異ならす。三十二相のかたちは、月をねた
み花をそねむばかりなる女房の、みな水品の 数をっまぐり、シ見えけるに、
いちや
偲心におもふやう、おなじ人間にすむならば、かやうの人と一夜の枕を拉ぶるょしもが
なと、あまり心の基へかねて、詞をかけんと思ひ立ちより、御こもり候ふかと申せども
さいき 二六九
ー ㎞
-- * *
*** * 、
===シ
御伽 草 紙 二七○
聞かぬ顔にて候ひし程に、もしばしあたりに在るゃらんと、しっ心もなかりけり。扱
夜もやう〜明けければ、けうがる下女に包を持たせ、舞豪をさして出でられける程に
あまりの名残をしさに、立寄り快をひかへて、一首かくなん
別るればわれこそうけれあか月の鳥はなにしに音をば 鳴くらん
きて見てぞ宿のつらさも知られける君ゆるぬるよ神とお も へ ば
かやうによみければ、女房も打案じ、歌の返事せぬものは、舌なきものに生まるふとき
けば、ふりかへりてなん
われも只 おなじ心に旅衣きてこそ 宿のつらさをも知れ
シによみ捨てて騎りければ、あまりの名残をしさに、竹松をよびて、今の女房のあと
に行きて、宿を見て騎れよと言ひければ、比シえがくれに行きければ 四條高倉にて
さもいうなる所へ入りけるほどに、つざきて入りみれば、魔様にうちあがり、妻戸へ入一
らせ給ひけるが、うしろを見給へばわらはの来りしを、つくん〜と見給ひて、うち笑み
て立たせ給ひける程に、比 きしよりければ、この女房の給ひけるやうは、次が主には
もすのくさぐきと言へとばかりにて、内へ入らせたまひけり。
いそぎ騎り、ありのまょに申しければ、佐伯聞き給ひて、 うち案じっょ暫くありて、さ
ほんか -
*
ては嫡しきものかな、歌の本歌にさる事あり
もずくさ ぐき
物かけにありと見えなばおきなせそこよひすぐすな鳴 の草薬
こさじんじやう
比歌の心なりと思ひて、事尋常に出で立ちて、彼の宿所へぞいそがれける。もとより彼
の女房も、今管といひし事なれば、今やいつやと待ちみたり。さる程に佐伯、このうちへ
つか〜と入るほどに、とかくの事もなく、借老同穴のかたらひ浅からす。比女房は世
さんらうかんー
未詳
にある人にて、禁中さまへもだい〜さんらうかんを参らせ給ひける程に、佐伯の本領
も程なくみちゆきて、豊前へ下らんとぞの給ひて、こしらへられけり。比女房、すこしの
冊 もたち離れん事を悲みっょ、下りかねてぞありしが、あるとき比女房に申されけるは
只今もつれまみらせて下りたくは侍れども、竹松一人候へば、とかくの事にも及び候は
す、やがて御迎ひに上せ候ふべし、それまで離れがたく思ひまみらせ候へとの給ひ、た
がひに御心も一つにて候はゞ、道すがらの事もおしはからせ給ひて、御忘れもせすおほ
しめし給はゞ、御むかひをまみらせんまで、是をかたみに御覧じて御待ち候へと、髪 の

髪をすこし切りて、女房に参らせけり。女房も離れがたく思はれけれどもとばかりの給
-
さいき 二七 一
返事を取りかへ
本望候ふまじー
る初れ
ることを期待す





まで



ども



ら ま事
れ参届に
ほの

、 けど脚 は
行うけとり


事 奉て



。かを
比ふるきみ と

思ひ り 比
なやすき

あ御

ほど
う、
れしく 僧


ひけれ
たら
さっ
とか
こき
てんと っ





ける
あとき

僧下り あける

鎌倉 さを

。いり

ぞま水


てのり
るれみ 清

して



除待づか
、と比

とちかね
され 吹そ
もの





もせ
けれども
待くち いつ
や 女す


はほけれども

。ひや
迎 房せも なに
としか


ばおて
をかし

日くりく な
りせ数 かしき







日し


夜々
ぎり
々 かぎり

喜につき

塔安


けれ
筑び紫 。

かく けひ


つに


さかもり
*


ちぶ

かひず



け ら
ァう
1 も

け に
ふみ さ ミ * 心
じと申し給へば、比文只とゞきて候はゞ、よろこび入りまみらせ候ふべしとて、さめ〜
おんふみ
と泣き給へば、僧もあはれに思ひ給ひて、いかなる御事の御文にて候ふやらん、いたは
たち
しやと思ひて、いそぎゆく程に、程なく豊前の國佐伯の館にたづね入り、比文都より御
たかの
]
鷹野ー鷹狩 ことづて候ふとありければ、折ふし佐伯は鷹野に出で、二三日もかへられす。たしか
とざけて、僧はすなはち騎られけり。 -
びんぎ
内の女房比文をとりて見てあれば、便宜よろこび申しまみらせ候ふ、さても〜御下り さころ
をぎはら
のその後は、よもの荻原電枯れて、たよりの風の音もなし、下葉の露も秋すぎて、おき所
なき葛の葉を、うらみんとすれども枯れ〜の、かつらばかりの身にそひて、しがらむ今
の我心、せめて思ひも慰むと、傾く月を見おくれども、ながむる人のあらざれば、空しき
夜半のあか月は、したしき寝屋にたちかへり、あくるも遅き継衣、君が姿を夢にても、
せめて見ばやと思へども、ねられぬ夜はの癖として、夢さへうすくなりにけり、かたし
く神のひとりねは、雲居の雁のひとつらも、つがはぬシのこょもして、電さむしろ
の鶴が管は、あふと見る夜の夢もなし、思ふ心のおもかけは、身にそふばかりますか?
み、見てと申す人もあらばこそ、さながら夢の心地して、空飛ぶ鳥の一 つがひ、うはの
さいき 二 七三
** 『 シ - 、
御伽 草 紙 二七四
を ぶ 料は
空なる事までも、契りと聞けばうらやまし、行きがた知らぬあま小舟、濁り物をやこが
るらん、野寺の鐘の入和も、心っきぬるうき身かなと書きて、あまのみるめもはっかし一
や、いそぎ煙となし給へとて、おくに歌あり、
うさー高愛さ、宇 見るたびに心つくしのかみなればうさにぞかへすもとの赴
とかょれたり。佐伯くだりの時、かたみとて一ふさ切りて置きつる髪の髪を、巻きそへ
てあり。うちの女房是を見て、あらうつくしや、おもしろや、 かよる優なる女房を呼ばで
はいかrあるべきぞ、かほど離人なる男に、かくと物いはrいかであるべき、たばかり
ごとを言ひて見んと思ひて、佐伯鷹野より騎りけるに、女房いふやうは、みづからが妹
をつさ
たのめられてー
たのもしくせら
都に人にたのめられて比程候ひしが、夫の心のうたてさは、とあるちやうに思ひつき
れて
ちゃうー傾城屋
いとまを出だして候ふ程に、萬事たのみて下り候はんと 交をことづて下し候へば、むか
%を
の主人を長とい
ふ事あり、そこ
ひを上せてたび候へと言ひければ、やすき程の事なりとて、いそぎ迎ひを上すべきといひ


にある女をいふ
にや て、やがて言ひっけて、人を『せんとありしかば、その時 比女房はそらやみをして、文
ひきこふで
そら やみー個病



を書きえす候ふ、殿に 一筆あそばして御やり候へと言ひければ、ともかくもとて書かれ
けり。久しく御おとづれも中し候はで、心より外に候ふ虜に、御交給はりうち置きがた
く、御嫡しくながめ入り候ふ、すなはち御むかひまみらせ候ふまふ、急ぎ御下り候べく
候、くはしくはとても御みづからにてと書かせたり。さるほどに程なくむかひは京へ上
りっきけり。その間にうっくしく御所をたて待たれけり。京には嫡しく思ひて、やがて
下られける冊 程なく豊前の園にっき給へり。御下りとておの〜ひしめき、やがて離
へ入れ奉りて、女房いであひて、あらいっくしの女房や、李夫人 機書紀、衣㎞
小野の小町と聞きったへしも、是にはいかで勝るべき、われさへ見れば除りのうつくし
さに、たちども更に豊えす、かほど美しき人をさへ言ひ出だす事もなし、ましてわらは
なが〜
ふ さくじん

が事とては、年月長々の在京に一度も思ひ出だすまじ、かほど無得 めなる男を頼みしわ
れこそ浅ましけれとて、髪刺り落し出家せんと、たゞ一すちに思ひ定めし女房の、 心の
をつこ
うちこそやさしけれ。かくて夫にいふやうば、是逸京のまれ人を呼びくだして候




ざうこ

さんしん



、いは



ひし


ぞ新造
つり

ける
は見そぎ
うち参
けれ ふみ

共あとに女房は髪を切り文にそへおき、やがて家をぞ出でにける。京の女房比由を聞き、
やさしやな、高きも践しきも妬むならひの候ふに、かやうにやさしき人をいかでか一人
け さん
おくべきぞ、佐伯に二たび見参して、過ぎにし隷をはれつるも、偏に彼の本妻のなさ
なさけ
いき
二七五
封口「シ
御伽 草 紙 二七六
の深きゆるなれば、共に出家せんとて、やがて髪切り捨てて、同じシにとち龍り、行

ひすましてみたりけり。
佐伯は二人の女房に捨てられて、あるに甲斐なき身のほどとて、髪 きりて西へ投け 高
野山へぞ登りける。是も清水の観音の御方便にて、三人ともに救ひとらせ給ひて、いっ
素懐ー本意 れも行ひ澄まして、往生の素懐をとけ、弾陀、観音、誓至とあらはれ、三奪是なりとい
へり。誠にありがたくたつとかりける恵みなり。

-* こ
*ーー *} } *

Rじ
浦島 太郎
昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、共子に浦島太郎と中して、年のよはひ二十四五
。一の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父樹を養ひけるが、ある日のっれ〜
に釣をせんとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣 をし、貝を ひろひ
みるめを刈りなどしける所に、る じまが磯といふ所にて、亀を一 つ釣り上けける。浦島
太郎比組にいふやう、次生あるものの中にも、鶴は千年他は萬年とて、いのち久しきも
のなり、怒ちこ ょにて命をたょん事、いたはしければ助くるなり、常には比恩を思ひい
だすべしとて、比亀をもとの海にかへしける。
っぐの日ー攻日| かくて浦島太郎、共日は暮れて騎りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせんと思ひ
見ければ、はるかの海上に小船一般浮べり。怪みやすらひ見れば、うつくしき女房具ひ
とり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。浦島太郎が申しけるは、御
浦島 太郎 二七七
『 * シー
御伽 草紙 二七八
身いかなる人にてましませば、かょる恐しき海上に、只一人乗りて御入り候ふやらんと
申しければ、女房いひけるは、さればさる へ便船中して候へば、をりふし浪風流くし


はし舟ー小舟
て、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありてみづからをば、比はし舟に載
せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かんと、行きかた知らぬをりふし、 只今人に
比世ならぬ縁ー
前世よりの宿縁 逢ひまるらせ候ふ、比世ならぬ御縁にてこそ候へ、されば魔 盤。も人をえんとこそし候
へとて、さめ〜と泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱
をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄て
られまるらせば、わらはは偲へ何となり候ふべき、すて給ひ候は、海上にての物思
ひも同じ事にてこそ候はめと、かきくどきさめ〜と泣きければ、浦島太郎もあはれと
思ひ、おなじ船に乗り沖の方へ遭ぎ出だす。かの女房のをしへに従ひて、はるか十日あ
ふるきさこ
まりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらんと思へ
しろがね ついち こがね いらか もん すま ひ
ば 自銀の築地をっきて、黄金の夢をならべ、門をたて、いかなる天上の住居も これ
にはいかで勝るべき、比女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女
房の申しけるは、 一樹の影に宿り、一河の流を汲
むことも、皆これ他生の縁ぞかし、ましてやは
るかの波路を、避 とおくらせ給ふ事、偏に他
生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと
夫婦の契をもなし給ひて、おなじ所にあかし暮
らし候はんやと、こま〜と語りける。
浦島太郎申しけるは、ともかくも仰せに従ふべ
しとぞ申しける。さて借老同穴のかたらひも
浅からす、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連
理の枝とならんと、互に驚賞のちぎり浅からす
して、明かし暮らさせ給ふ。さて女房申しける
は、これは龍宮城と申す所なり、比所に四方に
四季の草木をあらはせり、入らせ給へ、見せ申
さんとて、引具して出でにけり。まづ東の戸を


二七九
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御伽 草 紙 二入○
あけて見ければ、春のけしきと覚えて、梅や機の咲き乱れ、柳の糸もシに、なびく置の
うぐひす こ ずる みなみおもて
うちよりも、黄鳥の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景
色とうちみえて、春をへだっる堰穂には、卵の花やまづ咲きぬらん、池のはちすは露か

けて、活源しき 避 に、 魔あまた遊びけり。木々の精も茂りっ:、空に鳴きぬる輝の
*7
盤、夕立過ぐる雲間より、盤たて通るほとふぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋と
もみだっ
うちみえて、四方の精組葉して、ませのうちなる自菊や、霧たちこもる野べのする、まさ
きが露をわけ〜て、盤ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をなが
こ ずる
むれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初電想や、山々や
しづ
只白妙の雪にむもるふ谷の戸に、心ほそくも炭電の煙にしるき践がわざ、冬としらする
景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、楽華に誇り、あかしくらし、年月をふるほ
どに、三年になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、我に三十日のいとまをたび候へ
ふるささち、は、
- * 《 - さ - *
かし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心
もとなく候へば、あひ奉りて心安くまみり候はんと申しければ、女房仰せけるは、三と
る んわう ふすま かたさき
せが程は、鷲参高の念のしたに比翼の契をなし、片時みえさせ給はぬさへ、とやあらんか
くやあらんと、心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまみらせ候はんや、
ゆめ まほろし
二世の縁と申せば、たとひ比世にてこそ夢幻 の契にてさふらふとも、必す来世にては
一 つはちすの縁と生まれさせおはしませとて、さめム〜と泣き給ひけり。又女房申しけ
るは、今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の亀にて候ふが、る
らふべ じまが
磯にて御身に命を助けられまみらせて候ふ、共御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり
まみらせて候ふ、又是はみづからがかたみに御覧じ候へとて、ひだりの脇よりいつくし
はこ
き管を一 つ取りいだし、相構へてこの宮を明けさせ給ふなとて渡しけり。
る しやちやうり
曾者定離のならひとて、逢ふものは必す別るふとは知りながら、とゞめ難くてかくなん、
たち別れつくー
衣を裁つと立ち
日かすへてかさねし夜牛の旅衣たち別れつょいっかきて見ん
別 るとにかく
きて見んー著と 浦島返歌、
来とにかく
別れゆくうはの空なるから衣ちぎり深くば又もきて みん
なこ り
さて浦島太郎は互に名残をしみつよ、かくてあるべき事ならねば、かたみの宮を取りも
ふるさこ ゆくする
ちて、故郷へこそかへりけれ。忘れもやらぬこしかた行末の事ども思ひつゞけて、はる
かの波路をかへ るとて、浦島太郎かくなん、
浦島 太郎
*** 二八 一
御伽 草 紙 二八二
かりそめに契りし人のおもかけを忘れもやらぬ身をいか ゞ せん
さて浦島は欧郷へ騎りみてあれば、人騎絶えはてて、虎ふす野遂となりにけり。浦島こ
れを見て、こはいかなる事やらんと思ひける。かたはらを見れば、柴の庵のありけるにた
ち、物いはんと言ひければ、内より八十ばかりのシいであひ、誰にてわたり候ふぞと中せ
浦島のゆくへー
ゆくへ はゆかり ば、浦島中しけるは、比所に浦島のゆくへは候はぬかと言ひければ、翁中すやう、いか
の意
なる人にて候へば、浦島の行方をは御尋ね候ふやらん、不思議にこそ候へ、その浦島と
やらんは、はや七百年以前の事と申し博へ候ふと申しければ、太郎大きに驚き、こはい
かなる事ぞとて、そのいはれをありのまふに語りければ、翁も不思議のおもひ をなし、
涙を流し申しけるは、あれに見えて候ふふるき塚、ふるき石塔こそ、その人の廟所と申
し博へてさふらへとて、指をさして教へける。
大郎は泣く〜、草ふかく露しけき野遽をわけ、ふるき塚にまみり涙をながし、かくな
ん、
かりそめに出でにし跡を来てみれば虎ふす野漫となるぞかなしき
ひさこもさここ かけ
さて浦島太郎は一本の松の木陰にたちより、呆れはててぞみたりける。太郎思ふやう、亀
ーそ
が興へしかたみの箱、あひかまへて明 けさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせん、あ
けて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。比箱をあけて見れば、中より紫の雲三筋の
ほりけり。是をみれば二十四五のよはひも怒ち鍵りはてに
挑浦島は鶴になりて、虚空に飛びのほりける折、比浦島が年を亀がはからひとして、箱
の中にたふみ入れにけり、さてこそ七百年の船を保ちけれ。明けて見るなとありしを
明けにけるこそ由なけれ。
君に あふ 夜は浦島が 玉手箱 あけて 悔しきわが 涙 かな
と歌にもよまれてこそ候へ。生あるもの、いづれも を知らぬといふことなし。いはん
や人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。情ふかき夫婦は二世の
あひをなすー愛一
をなすか 契と中すが、盤にあり難き事どもかな。浦島は鶴になり、藩業の山にあひをなす。亀は
三せきのいわみ
ー未詳
甲に三せきのいわみをそなへ、 代を経しとなり。採こそめでたきためしにも鶴離をこ
そ申し候へ。只人には情あれ、
し候へ には情あ 情のある人は行末めでたき由中し博へたり。共のち浦島
は丹後の國に浦島の明碑と顕はれ、衆生済度し給へり。亀も同じ所に碑とあらはれ
の めででたかりけるためしなり。
浦島 太郎 二八三
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横 笛 草
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横笛 草 紙
かるも よこぶえ
-
中ごろの事にや、建濃門院の御時、刈漢、横館とて、二人の女房侍りけり。刈 藻は平定
のとき、越前の前司もりつぐと最愛して下り給へり。今一人の横笛が行くへを尋ぬるに、
まことにあはれなる事どもなり。そのかたち、容顔美麗にしていつくしく、霞に匂ふ春
の花、風にみだるょ青柳のいとたをやかに、秋の月に異ならす。彼の頃都に聞え給ひし
浮海入道どのにうへこす人ぞなかりける。津の國兵庫に都を立て、後の世までのかた
と思召し、築島をぞつかれたる、殊に末代まで絶えすとかや。共御子小松殿の御うちに、
三條の質藤ェとて花やかなる男子あり。小松殿の御っかひに女院の御所へ参り
からがきー唐垣
っょ、からがきの内へ入り、面郎にやすらひ、物申さんと窺ひたる所に、横笛機重ねの薄
面廊ー座敷 へ行
㎞ 衣に紅の椅のそばをとり、身を押しのけて出でたる形、をんけんとして楊貴妃李夫人も
是にはいかで優るべきとぞ豊えける。さて瀧日文とり出だし、とく御返事御申しさふら
横笛 草紙 - 二八五
にける。
-
へとて、やがてシをそかけに
秋の田のかりそめぶしのみなりとも君が枕を見るよしもがな
横笛顔うちあかめてぞ受取り参らせける、御返事をばよの人してぞ出だしける。瀧口御
所よりかへりて、心そらにあこがれて、寝もせす、起きもせす、いづれをか夢とも思ひ
分けたるかたもなし。いかにと問へども言はすして、只寄り駄して見えければ、ある時
シ枕にそひ給ひ 御心のやうを懇に御物語候へ、つや〜さやうに只ならぬ御類ひと見
まみらせてさふらふ、御心を残さす御物語さふらへと申しければ、瀧口打ちとけのたま
ふは、いっそや 院の御所へ御使に参り候ひし時、横笛とやらんを一目みしょり、かた
時も忘るふひまもなく、つょむ思ひはうづみ火の、けぶりは胸にせきあへす、いとゞ思ひ
はます鏡、かき曇りたるばかりなりと、懇に語りければ、その御事にてさふらはゞ、やす
き御事にて候ふぞ、御文あそばし候へ、女院の御所へ常々みづからこそ参り候へ、御機
嫌よき時に申さんとて、世にたのもしく申し侍りければ、瀧日あまりの嫡しさに、急ぎ
起きあひ、組の短冊機たみつけたるを引き重ね、最すりながし筆をそめ、心のうちを書
きつけ、ひき結びてぞ出だしける。めのと文給はりて、女院の御所へぞ参りける。瀧日
が心のうち警へんかたぞ無かりける。めのと横笛にあひて、しばしは何となき物語など
立石ー庭の置石
して、シの 石の陰にて、おもしろき文をひろひ侍りしが、御身はいまだ若くましま
せども、源氏、狭衣、古今、萬葉、伊勢物語などあそばし給へば、書の葉の品をば知らせ
給ふべし、あそばしわけて御聞せさふらへと言ひければ、横笛わがみの上とは知らすし
て、文こま〜と見給へば、筆のたてやうなど、由ある御文と見え侍りける。歌を見給
へば、身はうき雲のことくなり、梅の立校の管は、岸うっ波のふせいして、野中の清水
谷のうもれ木と書きとゞめ、
人はいさ思ひもよらじ我隷のしたにこがれて燃 ゆる心 も
君ゆる に流す涙の露ほどもわれを 思は ゞ 嫡しからまし
横笛申しけるは、葛の下葉とは、われ愛にありながら、千々に心のかよぶ事なり、身は
うき雲のゃうぞとは、天のよそなる君故に、心は空にあこがる
は、盤 ふりたてて鳴くばかりの事なり、岸うつ波のふぜいとは
清水 すむ事なり、埋火とは、こがれ ふ
清水とは、人に問はれすひとり


給ひける。めのと比由聞き給ひて申しけるは、今は何をか隠し参らせん、横笛殿へ比
横笛 草 紙 -
二八七
----
- -** -*** -**シ
-------
-『t- - ー 白「い
ー - -
文参りて候ふぞや、御返事とりて得させよと申す人の候ふなり、されば人間の習ひは、一
樹のかけ一河のながれを汲む事も、他生の縁と申すなり、ひと村雨のあまやどり、いづ
れもこの世ならぬ線とこそ聞き博へ候へ、いっそや小松殿の御使に参り給ひし龍日殿
の、君を一目見参らせ候ふより、御面影の忘られがたくて、遂に恋の通ふばかりにて候
へば、人をば人こそ助けさふらへ、されば小野の小町は、人の思ひのするとほり、後に
は浅ましき身となりたる由うけ給はる、殊更わりなきは比鍵の道とこそ申し侍れ、中川
の逢瀬はしらせ給はすとも、一筆はやすき御事なれば、御返事あそばし給へかしと、こ
まごまと申し侍りければ、横笛思ひよらすとて、みやまぎのふみたがへたるにやとて、
埋火の下にこがると聞くからに消えなん後ぞさびしからまし
とあそばし、引き結びて、よに恥しけに出だしたる有様、誠にうつくしさ何にたとへん
方もなし。殿の隷ひけるもことわりとこそ思ひけれ。
御返事取りて騎りけり。さて瀧日今や〜と胸打ちさわぎ待ち給ふ心の中ぞ哀なる。さ
る程にシひそかに立ちより、かの文取り出だして奉る。瀧日足を見て、うれしさは何
を ざさ
に警へんかたもなし。その後たび〜文どもありて、あふせの中となり給ふ。小笹のな
世に

なし
な、


に身
いづら
を日
こそ
惜、
やおくり



へしけれ
す事
がて
れた通


せ、
に親



かも
背深

べし

やば
心一五


けシ
ねん
ぶれ
んる念ん ㎞


い人


な、

に互
たとも
なら
成る

見も
目や

すに
るべかなる
、 より
しるかき

横笛 の

たべし
罪足

菩心
をと いる提ひ更笛ちっ ふ
思殊その後
っ 討

横打むか
に ひ
、 人
なて
に思こと
、成べけれ
はい楽
又ぶ思
とも
もいぐさみ
ぬ かに
そひるのかむ
こ抽
け、










うそ
夢か

かなる
程あ
だ、
世に

それちりし に

小ひて

、 行へ
な花



よ、
もあふき
人間
知です
のかれ
舟くるりやら 萬歳



のて
残り

なを
浮物
たふれ
に岸




な草
根入水
みし世とし江 案
すに


ばの
世要




思を
るす事


東が
朝千

西一
歳 ひる方 給
かり
る王母 は







べし


使


あ瀧
けれ










物すり間くび
た教訓
け、
し用
ひひ
通へ



重申
てさける
やう


の聞か
され
れども
びすねれみ 月

かける
さに

程の

も比
より

聞て
を測
召ふ
日た、
やさなりるちきしまうなし
次 忍〜

てに



け連理
。比の
契 びる翼めとも か
こかり
をそめ


ど、
へシ の


む契ば
そ、
あは
時へ



忍通
てふ




ちいひ

の りれるびと





八 -



る け



いっ

ゞ、




うなし


世そは
に煙

か〜


て、ときめけえ 水
絶の の





弱夜鹿
に のば
き後





うに

ふ木

こる
る寒けたは








ける














けり


し ま

そち す、


こに
申院

閉と
往聞の
たる奥







つは


て年
もり
まもり
す生え 、







龍ける
黒も


つ数

うみ
のひ〜
、と
すに


もり
らみ
とり
口ご け
笛 て 出



一目
其 で
置、

て枕
風情
たる
忘れ
と笛
ばを

出で立ち
なと
きりく 何


けれ











幹事
う鳥
やう けるぬ
いらん

、かれ
もめ
しゃ鳴に
は深








た身
、ち夜


か撃
千き

ぎる
ねて
きれ がの





すと
ど包よけ





まで
至ひ
にこ


より
もすがらるよ 始め
られむひ つる
ひの
思うが





べ悲
むいなら

知も
ほ事
露、


そめ
かに
ち笛
きるど 立
思、
がわし
横は
やい。
いを
して
名風情
、に
なより

じ睦

かばかり
ひれ笛たさ残る 紙

御伽







ゆく











待ちかね
空明日

過ぎ
ふも
しく
ろけ


言が
なり


そいひ
、か何は
し 言の葉
とよ
ひし
となく
葉れどい


立ける
騎又ち

| ]
|
後 蹄 。

何とたて算の水の絶え〜におとづれきては袖ぬらすらん
と日すさみて、よるひるの勤ひまなくこそ聞えける。さても横笛がかふる事をば夢にも
知らす、空しきシのひとり寝も、思ひそめし初めより、野の末、山の奥、千尋の底に
至るまで、かはらじとこそ契りしに、我ならす、いかなる人にあひ馴れて、いつしかす
さみ給ふらん、うらめしやとて思ひしづみし所に、愛に人の申すやう、ちかき頃物の哀
をとゞめしは、三條猟藤左衛門の子息瀧日殿こそ、親の不興をかうぶりて通世しけるが、
行方しらすと言ひければ、比由横笛聞きつけて、あな浅ましや、足は夢かやうっ かと
委しくこれを尋ぬるに、艦戦の奥とやらんにおはしますと言ひければ、浅ましや、みづ
からがそれをば夢にも知らすして、恨み中すぞ悲しけれ、かくとだにも知りたらば、野の
する、山の奥なりとも、おなじ道に入るならば、選の線となりて、さこそは娘しからま
しと、天にあこがれ地にふし給ひしその魔術、将 へんかたも無かりけり、除り
り 篠 ) O) お も ひ
に 基へかねて、むさんや横笛、御所を忍び出で給ひ、あこがれ行く程に、 のかた

なれば、内野に迷ひ出でて、南を通にながむれば、内裏のあととおほしくて
いしずる
は 荒れはてて、礎 ばかりぞ残りける。又鳥羽院の西へ行き、春夏過ぎて秋の山、むらだ
横笛 草紙 二九 一
- =|ー=
御伽 草紙 二九二
㎞ っェくシる。北を通にながむれば、春を忘れs梅の花 あるじき
㎞ シりっ
染殿の后御山荘はうる院をさし過ぎて、つり殿三さうまんの嵐の、おのづからぎんの盤
㎞ をしらべ、谷の水音すさまじく、とくせの瀧のながれも、後をくだす大井川、みぜきの
㎞。 水を詠めっょ、かき集めたる漢 章、ゃるかたなきの除りに、かくそ詠じける。
せきあへ ぬ涙の川の早き瀬にあふより外のしがらみぞなき
知行〜
北程

しるつ すしは






に た
。といふ
どら出
思山らくろれひ


ける

たどろ〜とー
たどり との


。迷



ひける



な消え
けぶり

術か


行きかふ人は絶えはてて、人
を答むる里の犬、撃澄む程に成りしかば、やう〜迷ひ行く程に、法輪寺の橋うち渡り、
共夜は魔空蔵に参り通彼を中して、夜もすがら中すゃうこそ哀なり。ねがはくは観艦
納受まし〜て、夫婦の道をかなしみて、野にふし山に住むまでも、襲をかさね、契を
なすとかや承り候へば、衆生を助けましまさば、飽かで別れし瀧口を、一目みせてたび
給へと涙をながし、夜もすがら少しまどろむ所に、八十ばかりの老僧、霊薬の衣に番の
ふ はう
裂装をかけさせ給ひしが、横笛が伏したる枕にたちより、北の方往生院にさふら へ ど、
今生の勤面は思ひもよらぬ事と、獣ろにのたま =
ひ、かき消すやうに失せたまふ。夢打ちさめて一
横笛は、涙をながし申すやう、もとよりも叶は
ぬ事は是非もなし、さりながら叶はぬ事を叶 へ
させ給ふこそ、碑や備の誓なりと、泣くより外の
事はなし。今ははや頼みもつきし事なれど、夜

ふ蔵



拝みの




虚けれ
ばし空け
|


9と

道行く






り た ど くほど



ばの
づく
ひ死

とけれ
や い



行く




へ 、
ばへ

急ぎ
けり
尋やうね 。 院
さから
に きく 。
聞往生
かり こ、
こに
け教
へ 草
ふ露
と れそ々 、
かし
花まやか 見た

住て
あら
あした
寺る 乾
のより
りみえか
ごとく、住みあ
たより
らしたる寺あり。あたりをめぐりやすらひ、便
二九三
御伽 草紙 二九四
もがなと思ひし所に、瀧口の盤と豊しくて、かくこそ詠じ給ひける。
ひとりねて今管もあけぬ今こんとたのまばこそは待ちもうらみん
と詠じて鉱打ち鳴らし やょありて法華経の襲説を溺撃に譲み給へば、瀧日と聞くか
らに、やがて消え入るばかりに思ひしかど、しばし心をとりなほし、よろ〜と歩みよ
り、柴の扉をほと〜と叩きければ、内よりFの僧をいだし、いづくよりと問ひければ、横
笛と申す者にて候ふ、瀧口殿に物申さんと申す。横笛と聞くよりも、胸打ちさわぎ、障
子のひまより見給へば、裾は露、袖は涙にしをれつよ、誠に尋ねわびたると打見えて、柴
の戸に立ちそひて、しづ〜としたる有様なり。いにしへの有様になほ勝りてぞ豊えけ
る。見れば目もくれ、心も消え入るばかりなり。いづれを夢とも思ひわかす、又思ふや
うは、比上ははしり出で、鍵る姿を一日みせはやとは思へども、心に心を引きとさめ、逢
はぬ恨みは中々に、二たび物を思はせん、むざんや、横笛が三年ばかりの情を忍びて
尋ねきたる心ざし、何にたとへん方もなく、快を顔におしあてて、泣くより外の事ぞな
き。下の僧申すやう、比寺へは女人のまみらぬ所なり、そのうへ 瀧口とやらんは、聞き
あみき
もならはぬ人ぞかし、はや〜騎り給へとて、柴の編戸をおし立てて、共後音もせざり
けり。横笛是を見給ひて、情なの有様や、昔にかはらで今も契らんといはゞこそ、鍵り
し姿貝一目みせさせ給へと、時間にぬれぬ松だにも、又色かはる事もあり、火の中水の
底までも鍵らじとこそ思ひしに、早くも鍵る心かな、ありし情をかけよと言はゞこそ、
みづからも共に様をかへ、おなじ庵室にすまひして、御身は花を摘むならば、みづから
は水をむすび、一撃 の縁とならばやと思ひ、足まで尋ねてまるり、夫妻は二世の契と
聞きしかど、今生の勤面だに叶ふまじきか、あさましや、親の不興をかうぶりて、かやう
にならせ給へば、みづからを深く恨みさせ給ふもことわりなり、思へば 又みづからは、
御身ゆる に深き思ひにしづみ、たがひに思ひ深かるべしと、涙をながし申すやう、さて
碑鳴も思ふ中云
云ー古今 「天の もいにしへは雲をうごかす碑鳴も、思ふ中をばよもさけじと、契りつる言の葉は、今の
原ふみとや、ろか
し鳴る碑も思ふ ごとくに忘れす、陸 の袖のうつり香は、今もかはらす旬へども、いつのまにかは髪り
中をばさくるも
のかは」 はて、うたての瀧日やとて、盤もをします泣きければ、瀧口是を見て、あまり敷くもい
たはし、せめては撃なりとも聞かせばやと、思ひてかくなん、
あづさ弓そるをうらみと思ふなよまことの道に入るぞうれしき
とありければ、瀧口が盤と聞くよりも、あまりの嫡しさに、横笛とりあへす、
横笛 草紙 二九五

けょ





空よ
なり





川山
ひ人
とま
木しく
るりれ
向る 。
け投
にけ



















べき
し惜
かる
るそすな
期 と
さ迎

給同、
楽に



別あ如西方
で 陀

南は







せじれか来無に

横、
西む。
かなき

い盤
とも
泣の
は最、
をい横笛

千ざんや
ぶ づれ
笛なく後ま鳥友









ぬ岩魔
に は

たるぎみう所
馴らし
踏、
にの



の上
かけ 、

とが
千て
湖すぎ
行き
は三








岩間
な川

なる
いふ
かり
鳥る大きり

思す




しも
と継
別砲
ぬか
こば
、あ命
つに井ひれそく、
かけれ
れなき と
苦も
思を
なに


ほ人
かは





かな
わが身
細き
よ締
しふきどひりが



い、

心て

心地
ひへ
あゞ
いば





けて
ぞは
そぐくとたるに

ほて


なを
と何
みな瀧
ら 日








へ立ち
恨か
さけなく
づか
どれり、又

ほど
行〜


泣ねば


べょ
る在


てこ







今くらきくみ 。
たて
み泣こ関


ながめ
打と
〜がれ
りきちく 草紙
御伽



ねば
あ道
にべと


引き
べき
うを


そ枠
弓らむ
らきる

ば 所

は前

庵ば

終の







かに
。けかり
室くり

な け



こもびさこ
とほるとて、友人にかたるやう、近頃あはれなる事をこそ只今みて候へ、大井川へ十七
八の女房の身を投け給へるを、あれよ〜と言ひつれど、川よりこなたを通る事なれば、
あはれさ申すばかりなしと、こま〜と語りければ、友人是をきふ、あはれなる事かな
と、泊をながし通りける。瀧日是をきょつけて、胸うちさわぎ、もし横笛なるらんと、取
る物も取りあへす、本奪首にかけ、しもの僧一人めしぐして、身の憂きかすは大井川、
のみちはかき暮れて、いそぐとすれど程遠く、泣く〜はしり行くほどに、法輪寺の橋
になりしかは、業の相にシかょり、嵐にひらめけば、われを招くかと、おのづからい
とrあはれぞ脳りっょ、ゃう〜大井川につき、かなたこなたと尋ぬるに、川の末に流
れとまりてありつるが、昔のかたちは失せはてて、空しき死骸をとりいだし、泣くより
ほかの事はなし。さても今朝往生院にて、楽の編戸をへだてっょ、比人は外、われは内
にて、闘えこがれしありさまを、今の姿にくらぶれば、物のかすにてかすならす。あだ
なるも、つれなきも命、うきに限らぬならひかや。いかなる過去の因果にて、かょる思
ひをするやらん。瀧日あまりの悲しさに、膝のうへ にかきのせて、無概のものの有様や、
かくあるべしと知りたらば、などかは見もし、見えざらん、さこそは草の陰にて恨めし
横笛 草 紙 二九七
- -
御伽 草 紙 二九八
なが
とおほすらん、 よし恨みとも思ふなよ、わづかの夢の世に、たれか永らへ はつべきぞ
ことさら中にも若きが先立っあはれさよ、又かやうにならせ給ふも、比世ならぬ因果ぞ
とおほしめし、今こそうらみの淵に沈むとも、わが命のあらんかぎりは、後世をばとぶ
らひ申すべし、さらぬだに女人は五障三しょにえらばれて、罪ふかし、かたぶく日は
空にかへる事なし、人はさらに死して再びかへらす、さぞ苦みの思ひゃられていたはし
軒をてらざ るー や、さてもいにしへの姿はつきはてて、軒をてらざる夕顔の花の色こそ悲しけれ。
軒を照らさぶる
の意 かくてあるべきにあらざれば、程近き鳥部野の途にて、ゆふべの煙となしはてて、術を
ばひろひ、もとの庵室にかへり、いよ〜道心おこしつふ、なほ〜とぶらひ給ひけり。
さるほどに都に比事かくれなし、小松殿も 随も、あはれと思しめし、やさしき者のふ
るまひや、人の契をなすならば、かやうにこそあるべけれとて、女院を初めまみらせ、聞
く人々も袖をしほらぬものは無し。小松殿の御大臣、御所へ仰せられけるゃうは、瀧日
を召しいだし、いかなる寺をも御造り候て、御とらせ候へとありければ、瀧口きょて、
都近く住めばこそ、かやうの事をば聞き給へ、仰せなきその先にとて、横笛がためにと
て、高野山に上りつふ、案じすましてみたりけり。


酒 呑 童子
かん
むかし我朝の事なるに、天地開けしこのかたは碑國といひながら、又は備法盛にて、人

るかさ

皇の始めより延喜の帝に至るまで、王法ともに備 キs な
給ふこと、嘉弾の御代とても、是にはいかで勝るべき。然れども世の中に不思議の事の出
できたり、丹波の國大江山には慰離の住みて、日暮るれは近園他園の者までも、敷をし
らす執りて行く。都のうちにてとる人は、みめよき女房の十七八を弾として、足をも数
宮づきーかしづ 多とりて行く。いづれもあはれは劣らねども、こょにあはれをとぶ めしは、院に宮づき
きの意
奉る池田の中納言くにたかとて、御おほえめでたくし、質は内に満ち〜て、シの家
にてましますが、ひとり姫を持ち給ふ。三十二相の形をうけ、美人の姫君 を見聞く人
ふたり
心をかけぬ者はなし。二人の親の御寵愛斜ならす。かほどにやさしき姫君を、或日の暮
方のことなるに、行きかた知らす失せ給ふ。父くにたかを初めとし、北の御方の御敷き、
酒 呑 童子 二九九
- -}。
めのこ
お乳や乳母や女房たち、その外ありあふ者までも、上を下へとかへしけり。中納言は除り
のことの悲さに、左近を召され、いかに左近、うけ給はれ、比程都に隠れ
まさときとて、名誉の博士のありと聞く、つれて参れと仰せけるに、うけ給はると申し
て、っれて御所へそまるりける。いたはしゃ、父くにたかも御シ
ばこそ、博士に勤面めされつふ、いかにまさときうけ給はれ、それ人のならひにて、五
人十人ある子さへ、いっれおろかは無きならひ みろからは只ひとりの職を、昨タのくれ
れほどに、行きがた知らす見失ふ、ことし十三寅の年、生れてよりもこのかたは、様よ
まよひー迷はか こ、
し碑 下へおるょさへ、お乳やめのとのつき添ひて、荒き風をもいとひしに、まよび変化の
ならば、みづからをも諸共に、などや連れては行かざりしと、被を顔におしあてて、下
一ひ給へ、博士とて、料足高正博士が前に積ませっょ、姫が行方を知るならば、数の資を
えさすべし、よく〜トひ給ふべし。もとより博士は名人にて、一つの巻物とりいだし
おんゆくへ
件の艦を見渡し横手をちやうどうち、姫君の御行方は、丹波の國大江山の鬼碑が業にて
候ふなり、御命には子細なし、獅基が方便にて、延命と斬らん、何の疑ひ有るべきぞ、
このうらかた ぐわん
比ト形をよく見るに、観世音に御所誓あり、誕生なりしその願いまだ成就せぬ御鈴めと
見えてあり、観音へ御まみりあり、よきに御所誓ましまさは、姫君左右なく都にかへら
せ給はんと、見透すゃうに占ひて、博士はわが家にかへりけり。
中納言も御豪所も聞召し、これは夢かや現かやと敷かせ給ふ御有様、何に 警へんかたも
なし。中納言殿はおつる涙の隙よりも、急ぎ内裏へ奏聞ありければ、帝叡覧まし〜て
シ集りて、色々謎議まち〜なり。その中に闘日殿進み出でて、勝 戦の天皇の
代の時、是に似たりし事有りしに、弘法大師の封じこめ、國土をさって子細なし、さり
ながら今こょに継 を召されっょ、鬼神うてよとの給は 、シ 個
畳をはじめとじ、比人々には鬼神も怖ちをのょきて、恐れをなすとうけ給はる。比者共
みかこらいくわうらいくわう
に仰せつけられ候へかし。帝けにもと思召し、頼光を召されける。頼光勅をうけ給はり、
〜し
よりみつ
急ぎ参内仕りけ いかに頼光うけ給はれ、丹波の國大江山には
鬼碑が住みて仇をなす、わが國なれば卒土のうち、いづくに鬼碑の住むべきぞ、況やま
ちかきあたりにて、人を橋ますいはれなし 平けょとの宣旨なり。シ命うけ給はり
天職大事の宣旨かな、聖神は愛偲の物なれば、討手向ふと知るならば、鷹や木の葉と身
を鍵じ、我等凡夫の眠にて見つけん事は難かるべし、さりながら勅をはいかで背くべ
酒 呑 童子 三○一
御伽 草 紙 三○二
* )さいや * *
ミ) い メ、 きす、
ここ
き、急ぎわが家に騎りつふ、人々を召しよせて、われらが力に叶ふまじ、備碑に
* * \、)、 ミ ー 、。
は八艦に赴参ありければ、縄
け、碑の力をたのむべし。犬も然るべしとて、頼光と保昌は八
きんきこき さだみつ する たけ


百 o
金時は住吉へ、定光と季武は熊野へ参籠仕り、さま〜の御立願 とより備法法
て、碑も納受まし〜て、いづれもあらたに御利生あり、喜びこれにしかじとて、皆々

わが家に騎りつふ、一 つ所に集りて、色々診議まち〜なり。
㎞御せけるゃうは、この度は人数多にて叶ふまじ、以上六人が山伏に様をかへ、山路に
通ふ風情にて、丹波の國鬼が城 奪ね行き、桐だにも知るならば いかにも武略をめぐら
して、討っべきことは易かるべし 面々%を推へて具足偲を入れ給へ、人々いかにとあり
んてん績ー未
ければ、うけ給はると申して、面々災を推へける。まづ㎞の変には、らんでん鎖と申
して継魔の御鏡 同じ色の五枚胃に、獅子王とこそ申しける、ちすると申しょ郷三尺
寸候びしを、災の中にそ入れ給ふ。保昌は紫をどしの腹巻に、同じ毛の帯を添へ、岩切
と申して二尺ありけるシ 二重に盆を延べつけて、三東あまり競ち切りて、災の中
へぞ入れ給ふ。綱は萌黄の腹巻に同じけの胃をそへ、鬼切と云ふ太刀を築の中にぞ入れ|
つるぎ
給ふ。定光と季武、金時も、思ひ〜の腹巻におなじけの胃をそへ、いづれも劣らぬ剣
つけだけー附木
あまがみー雨を
を及の中にそ入れにける。さょへと名づけて酒を持ち、火打っけだけ、あまがみを及の
防ぐ油紙
うへに取りつけて、思ひ〜のうち刀、兜叩㎞法蝶の貝、金剛杖をつきっれて、日本
園の離備に深く所響を申しっょ、都を出でて丹波の園へと急がせ給ふ。比人々の有様、い
破旬ー魔の王の
名、殺者と譚す
かなる天魔破餓も恐れをなすべきと覚えたり。いそがせ給へば、程もなく丹波の國に聞
えたる大江山にそっき給ふ。紫刈り人に行き逢うて、頼 御せけるゃうは、いかに山人
せんじやうだけ ねんころ
比國の千丈嶺はいづくぞや、鬼の岩屋を 懇 に教へてたべとぞ仰せける。山人この由承
すみか
り、比峰をあなたへ越えさせ給ひつふ、又谷峰のあなたこそ、鬼の柄と申して、人間更
に行くことなしと語りけり。 頼 聞召し さらば比峰越えやとて、谷よ峰よと分け上り、
とある岩穴見給へば、柴の脳の基中に 三人ありけるを、シ山御覧して、いかなる
畳束なしー原本 人にてましますぞ、豊束なしと仰せける。翁答へてせ仰ける、我々はまよひ鍵化の物に
無職の字をあて
たり
てなし、一人は津の國のかけの郡の者にてあり、一人は紀の園のおとなし里の者にてあ
り、今一人は京近き山城の者にてあり、比山のあなたなるシ手といふ鬼に、 手を
とられ無念さに、その敵をも討たんため、この頃こょに来りたり、客僧たちをよく見る

、7
に、常の人にてましまさす、勅読を蒙りて、酒願童子を亡ほせとの御使と見えてあり、
酒 呑 童子 三○三


-
- -
---
-
シ #ー | # * シ
御伽 草紙 三○四
つまこ せんだち
先達ー樹導
比三人の翁こそ妻子をとられて候へば、是非先達を申すべし、第後をもおろし心とけ、疲
らいくわう やまみち
れをやすめ給ふべし、客僧達とぞ中されける。頼光比山聞召し、仰せの如く我々は山路
に踏み迷ひくたびれて候へば、さらば疲れを休めんと、築どもをおろし置き、さょへの
酒をとり出だし、三人の人々に御調きこしめせとて参らせける。貧仰せけるやうは、い
かにもして忍び入らせ給ふべし、かの鬼常に酒をのむ、その名をよそへて酒呑童子と

付けたり、酒をもり酔ひて駄したる時は、前後もしらす候ふなり、比三人の翁こそこょに
じんべんきどく 不思議の酒をもっ、その名をじんべんきどくしゅといひ、碑の方便鬼の毒酒と試む文字
しゆー碑鍵奇特
を碑便鬼毒とも ぞかし、この酒鬼が春むならば、飛行自在の力も失せ、切るともっくとも知るまじき
ちりたるなり
御身たちが比酒を飲めば、かへつて薬となる、さてこそじんべんきどく酒とは、後の世
までも中すべし、なほ〜奇特を見すべしとて、シをとり出だし、御身は足を著て
鬼碑が首を切り給へ、何の子細もあるまじきと、件の酒を相添へて、糖 にぞ下されけ
る。六人の人々は比山を御覧じて、さては三祀の御碑のこれまで現じましますかと
感涙肝に銘じつょ、かたじけなしとも中々に言葉にもいひがたし。その時翁は岩屋を立
せんだち んだっやうだけ
細谷川に出で給ひ、翁仰せけるやうは、比河上を上らせ給ひて御覧ぜよ、十七八なる上薦
のおはすべし、くはしく逢ひて問ひ給へ、鬼碑の討つべきその時は、なほ〜われらも
* みっくべし、住吉、八 、熊野の これまで現じ来ると 、かき消すゃうに失せ給ふ
六人の人々は比由を見給ひて、三赴の碑の騎らせ給ふ御あとを伏し耳み給ひつふ、教へ
にまかせて河上をのほらせ給ひて見給へば、をしへの如く十七八の上薦の、血のつきた
よりみつ
るものを洗ふとて、涙と共にましますが、頼光比由御覧じて、いかなるものぞと問はせ
給へば、姫君比由聞召し、さん候ふ、みづからは都の者にて候ふが、ある夜鬼碑につか
まれて、是までまみりて候ふが、 悪しきふたりの父母や、お乳やめのとに逢ひも せで、
思召せやとて、只さめム〜と泣き給ふ。おつる涙のひま

で来らせ給ふぞや、いかに
め〜と泣き給ふ。頼光比山間召し、御身は都にて誰の御子と間はせ給へば、さん候ふ
みづからは花園の中納言のひとり姫にて有りけるが、われらばかりに限らす、十除人お
はします、比程池田の中納言くにたかの姫君も、捕られてこれにましますが、愛してお

ね 聞ば

比姫けれ
、有せ






懇召君りら を




たり
参り
ま貸
尋ね


さでん都

共 悪達
へ御平
をや鬼

けた
はく身 御
やう
すく けふ
せ頼

む涙

給共わり
、て
とせび
るに ざめ て
憂物


事ま悲しけれ

こそ
ことに 、 給
き してや ら




今の


君中堀|
姫 河れ
納言朝 あも
なり
見、











はれる むら





名は

者み



づけ
ょ酒づ








より






き ち







門 ろがねき が
く築築地
の くぜ
、御せ
よほを


給河比
のろ覧ら上 こ人々

け、

欺給

鬼泣と

へとくき
もん

さ語ば
中なか







んりら

その




こ〜

洗、

わとれ

びら




さめ

14』jt
鬼が集りて番をしてこそ居るべけれ、いかにもして門より内へ忍び入りて御覧せよ、瑠
四節ー備教にて
結夏、解夏、冬至、
の宮殿玉をたれ、養を拉べて建て置きたり、四節の四季をまなびっょ、鷹の御所と名
元旦をいふ
づけて、くろがねにて館をたて、よるになればその内にて、われらを集めて愛せさせ、足
らうー廊か 手をさすらせ、起き似し申すが、らうの日には春族どもにほしくま 字 熊童子、虎熊童
子、かね童子、四天王と名づけて番をさせておきける、彼ら四人の力の程は、いか程とも
警へん方なしと聞く、酒呑童子がその姿、色うす赤くせい高く、髪はかぶろにおし蹴し
書の冊は人なれども 奪にもなれは恐しき、そのたけ一丈除にして、警へていはん方もな
し、かの鬼常に酒を呑む、る ひて伏したる時なれば、わが身の失するも知らぬなり、い
かにもして忍び入り、酒呑童子に酒をもり、る ひて駄したる所を見て、思ひのまふにう
ち給へ、鬼碑は天命つきはてて、つひには討たれ中すべし、いかにも才覚おはしませ、
客僧たちとぞ仰せける。さて六人の人々は、姫君の教へにまかせて、河上をのほら せ
給へば、程もなく 蹴 の門につく。番の鬼どもこれを見て、こは何者そめづらしや、比は
愚人夏の貴鶴芸 々 ど人を喰はすして、人を隷ひける折ふしに、愚人夏の貴㎞、飛んで火に入るとは、今こそ
ー議
思ひ知られたり、いざや引き裂きくはんとて、われも〜と勇みける。その中に鬼ひと
酒 呑 童子 三○七
三○八
御伽 草紙
り中しけるは、あわてて事を仕損すな、かくめづらしき者をば、わたくしにては叶ふま
かみ -*
じ、上へことわり、御意次第に引きさき食はんとぞ申しける。けに犬もとて、それより
奥をさしてまみりつ ふ、比由かくといひければ、童子比由聞くよりも、こは不思議なる
しやう
次第かな、何さま封面申すべし、こなたへ請じ中せとありければ、六人の人々を様の上
らいでん
にぞ請じける。共後醒き風吹き来り、雷電いなづま頻にして、前後を忘するその中に、色 てつちやう
おほがうし
こ、
うす赤くせい高く、髪はかぶろにおし蹴し、大格子のおり物に、紅の椅を著て、鐵 枝
を枝につき、あたりを聴んで立ったるは、身の毛もよだっばかりなり。童子申しけるや

ノ石 峨々と奪えつょ、谷深くして道もなし、天をかけ
せきがんー石鶴 う、わが住む山は常ならす、せきがん

っ操きけだもの
る翅、地を走る 獣 まで、道が無ければ来る事なし、況や面々人として、天をかけりて
るかや、語れ、聞かんと申しける。
瀬 は聞召し、われらが行の習ひにて、役の行者と申せし人、路無き山をふみわけて
ごき、ぜんき、あ
っきー後鬼、前
ごき、ぜんき、あっきとて鬼神のありしに行きあうて、呪 気を授け餌食を興へ、今に
鬼、悪鬼か
超えせsシ をあた『 なり、比シの羽 の なり
しが、大峯山に年ごもり、やう〜春にもなりければ、都 一見そのために、ゆふべ夜を
こめ立ち出づるが、せんのだうより踏み迷ひ、道あるやうに心えて、これまで来りて候
ふなり。童子の御目にかょる事、ひとへに役の行者の御引合せ、何より以て嫡しう候ふ、
一樹の陰一河の流を汲む事も、皆これ他生の縁と聞く、御宿を少しかし給へ、御 をも よもすがらさか
たせて候へば、恐れながら童子へも御しゆ 一 つ申さん、我等も是にて御酒給はり、終夜酒
盛せんとそ申されける。童子は比由聞くよりも、さては苦しうなき人かと、様より上へ
もたせのー持参
したる
呼びあけて、獅も心を知らんため、童子申されけるやうは、もたせの御しゆのありと聞
く、われらも又客僧達にも御しゆ一 つ申さん、それ〜と有りければ、うけ給はると申
}イ
して、酒と名づけて血を擁り、銃子に入れて歪そ
O へ、童子が前にぞ置きにける
に 。童子歪
とりあけて、難 にこそさしにけれ。シとりあけて、これもさらりと されけり。
酒呑童子が是を見て、その歪を次へといふ。うけ給はるとて綱にさす。綱も歪一 つうけ、
さらりとこそは しにける。 子中しけるゃうは、者は無きかとありければ、うけ給は
ると中して、今切りたるとおほしくて、 駐と脱とを板にする 童子が前に置きに ける。
童子比由見るよりも、それこしらへて参らせよ。うけ給はるとて立っ所を、頼 は御覧
それがしさしそへ しくむら
じて、某こしらへ給はらんと、腰の差添するりとぬき、献 四五寸おし切りて、舌打ちし
酒 呑 童子 三○九
御伽 草 紙 三一○
てこそまみりけれ。綱は比由見るよりも、御心ざしのありがたさを、某も給はらんと、
これも四五寸おし切りて、うまさうにこそ食はれける。童子比由みるよりも、客僧達は
よりみつ
いかなる山に住み馴れて、かくめづらしき酒者をまみる事こそ不思議なれ。頼光は聞召
-
ぎやう
し、御不審は御ことわりなり、われらが行のならひにて、慈悲とて給はる物あれば、た
くうー空と食ふ とひ心にうけすとも、いやといふ事更になし、殊にかやうの酒者をくうに浮みしいはれ
とにかく
あり、討っも討たるょも夢の中、即碑即備是なるゆる、くうに二つの味ひなし、われら
鬼碑に横道なし
ー議
もともに浮ぶなり、あらかたじけなと蔵すれば、鬼神に横道なきとかや、童子も却りて
㎞に ェするこそ競しけれ。童子申されけるやうは、心に染まぬ酒者を参らせける
こそ悲しけれ、除の客僧へは無奪とて、心とけてそ見えにける。共時㎞座敷を立ち
催の酒をとり出だし、これは又都よりの持参の酒にて候へば、恐れながら童子へも御 し
、プイ
よりみつ
しゆ 一 つまみらせん、御こょろみの貸にとて、頼光一 つさらりとほし、酒呑童子にさよ
じんべん
れける。童子歪うけとり、これもさらりと乾されたり。けにも碑便ありがたや、不思議|
なのめ
の酒の事なれば、 その味甘露の如くにて 心も詞もおよばれす。斜ならすに喜びて、わ
が最愛の女あり、よび出だして呑ませんとて、くにたかの姫君と、花園の姫君を呼び出
ー 「*:ー *ーーー 「
だし、座敷におく。額 比由御覧じて、これは又都よりの上魔たちに参らせんと、お的
にこそは立たれける。童子あまりの娘しさに、 ひばれ申しけるやうは、それがしシ
をかたりて聞かせ申すべし、本國は越後の者、山寺そだちの足なりしが、法師に難ある
により、数多の法師を刺殺し、その夜に比叡の山につき、我が住む山ぞと思ひしに、博
㎞ 教といふ法師、備たちをかたらひて、わがたっ郡とて追ひ出だす、力及ばず山をいで
㎞」又比 に住みしとき、弘法大師といふえせもの で、こ をも ひいだせばりおよば
㎞ ぬ虜に、今はさやうの法師もなし、高野の山に入定す、今又こょに立ち騎り、何の子細
㎞。一も候はす、都よりもわがほしき上薦達を召しよせて、思ひのまょに召しっかひ、座敷の
* ー= =一艦を御覧せよ、瑠璃の宮殿玉をたれ、夢をならべ立ておきて、萬木千草まの前に、春か
と思へば夏もあり、秋かと思へは冬もあり、かよる座敷のその内に、繊の御所とて、く
ろがねにて館をたて、よるにもなればその内にて女房たちを集めおき、足手をさすらせ
起き駄し申すが、いかなる諸天王の身なりとも、これにはいかで勝るべき、されども心
大人ー大 主一にかrるは、都の中に隠れなき頼 と申して、大悪人のつはものなり、力は日本になら
の意 らいくわうき だ るっ きんき しゅう
びなし、又頼光が郎賞に、定光、季武、金時、綱、保昌、 いづれも文武二道のつはもの
酒、 呑 童子 三一 一
- --
-*
**}
-
御、伽 草紙 三一二
なり、これら六人の者どもこそ心にかふり候ふなり、それをいかにと申すに、過ぎつる
なるに、基が召しっかふシ字といふ鬼を 都へ使にのほせしとき、七條の堀河
にて彼の綱に渡りあふ、茨木、やがて心得て、女の姿に様をかへ、綱があたりに立ちよ
り、髪 むづと競り、つかんで来んとせしところを、綱比よし見るよりも、三尺五寸する
りと抜き、茨木がかた腕を水もたまらす打ち おとす、やう〜武略をめぐらして、かひな
き やっ
を取りかへし、今は子細も候はす、彼奴ばらがむつかしさに、われは都に行くことなし。
まなこ
よりみつ
不思議の人々や、御身が眼
共後酒呑童子は頼光の御姿を目をも放さす打ち詠め、さてもひな
・う いくわうか
をよく見るに、頼光にておはします、さてその次は茨木が肘を切りし綱にてあり、のこ
る四人の人々は、シ、シ、公時や、偲 どこそ覚えたり、われらが見る目は避ふま
いぶしうーいぶ
せくの意か
じ、いぶしう候ふ、お立ちあれ、これにありあふ鬼どもよ、心ゆるして怪設するな、わ
陳じ損ずるー競
解しぞこ なふ
れらもまかり立っそとて、色をかへてそひしめきける。離 比山御覧じて、こょを陳じ
損するならば、事の大事と思しめし、元より文武二道の人なれば、少しも騒がぬけしき
にて、から〜と打ちわらひ、さても嫡しの仰せかな、日本一のつはものに山伏共が似
らいくわう する たけ
たるとや、その頼光も、季武も、名を聞くだにも初めにて、まして目に見る事はなし、
** ー ー 1
-
ぶ たう もったい
只今仰せを能く聞けば、悪逆無道の人ときく、あら初鶴なや、あさましや、さやうの人
には似るもいや、われらが宿のならひとして、物の命を助けんため、山路を家とする事
も、餓るたる虎娘に身をあたへ、有 術華術を救はんため、経迎牟尼如来の 話 はしうふう
と名をつけて、諸國を修行に出で給ふ、或時山路を通らせ給へば、深き谷の底よりも何
者なるとは知らねども、諸行無常と唱へければ、谷に りて御覧するに、九足八面の鬼
碑とて、かしらは八つに足九つ、さも恐しき鬼にぞある、しうふう彼に近づきて、只今
シー一唱へしはんけのもん、われに授けよかしとある、鬼碑答へて云ふやうは、授けんことは
牛傷の文
易けれど、個にのぞみて力なし、人の身をだに服するならば、唱へんとこそ中しけれ
しうふう比山間召し、それこそやすき事なるべし、残りの父を唱ふるならば、次がシ
に基成らんと仰せければ、鬼神料によろこび、残りし文をそ唱へける。シ
-

滅Eシと唱へければ、しうふう足をさづかりて、あらありがたやとしっ 、鬼
が日に入らせシはすなはェ じうふうはシ
㎞ 備なり、又ある時はこれ㎞ の、風のシをかけし 。 これ生 を助けんたか

㎞ 是にありあふ山伏も同じ行にて 候へば、文を一つさづけつょ、早く命をめさるべし、露
-


呑 童子 三 一三
--。
- "-- ー -ー1、
- -

御伽 草紙 三一四 *
ちり程も惜しからじと、さも有りさうにの給へば、童子はこれにたばかられ、おもての
㎞代に おのが やつはら
㎞ 色をなほしっょ、仰せを聞けばありがたや、彼の奴原が足まではよも来らじとは思へど
ほんち くりこさこ
シ も、常に心にかよるゆる、 ひても 地忘れすとて、御持参の酒にるひ、只継 とおほ
一しめせ、赤きは酒の巻そかし、鬼とな思しめされそよ、われもそなたの御姿打ち見には
。一おそろしけれど、馴れてつはいは山伏と、歌ひでて心うちとけ、さしうけさしうけ呑
む程に、これぞシの酒なれば、五臓六脳にしみわたり、心も姿もうち側れ、いか
にありあふ鬼どもよ、かくめづらしき御しゆ 一 つ御前にて下されて、客僧達を慰めよ、一
さし舞へとそ仰せける。うけ給はると起っところを、頼 比由御覧じて、まづ御しゆ一
っ申さんとて、並び居たりし鬼どもに他の酒を盛りたまへば、五蔵六艦にしみわたり、前
後もさらに雛す。されどもその時に、いしくま童子はすんと立って舞うたりける。都
よりいかなる人の迷ひ来て、酒者のかざしとはなる、おもしろやと、おし返し二三べんこ
そは髪でける。比心を能く聞けば、足にありける山伏どもを、酒や者になすべしとの歌
らいくわう
の心と覧えたり。やがて頼光お配にこそは立たれける。童子がうけたる歪を、綱は比由
見るよりも、すんと立つてぞ舞うたりける。年をへし鬼の岩屋に春の来て、風やさそひ
て花を散らさん、おもしろやと、これも又おし返し二三べんこそ舞うたりける。比歌の
心もち、これにありあふ鬼どもを、嵐に花の散る如くになすべしとの歌の心を、鬼は少
しも聞き知らす、あらおもしろやと感じつふ、次第々々にる ひほれて、童子申されける

-

代官ー名代
やうは、いかにありあふ鬼どもよ、客僧たちをよきに慰め中すべ
しはらみ やうにち
し、それがしが代官に
は二人の姫を残し置く、それに始くおやすみあれ、明日封面中すべしとて、童子は奥に



ぞ入りにける。残る鬼ども童子の騎らせ給ふを見て、比虜や彼魔に似したるは、さなが
ら死人の如くなり。頼光比由御覧じて、二人の姫君を近づけて、御身たちは都にては誰
の姫にてましますぞ。さん候ふ、みづからは池田の中納言くにたかのひとり姫にてあり
けるが、近き程にとられ来て、慰しき 人の父母や、お乳やめのとに逢ひもせで、かく
浅ましき姿をば、あはれと思召せやとて、 只さめ〜と泣き給ふ。今一人の姫君はと問
はせ給へば、さん候ふ、みづからは吉田の宰相のおと姫にてさふらひしが、中々命の消
えゃらで、恨しさよとかきくどき、二人の姫君諸共に、盤もをします消え入るやうに泣
き給ぶ。シ比山間しめし、道理なり、さりながら鬼を今夜平けて御身たちを都へ御と
ふし ご
も申しっょ、態しきふたりの父母に見参させ申すべし、鬼の駄所をわれ〜に導き給へ
酒 呑 童子 三一五
御伽 草紙 三 一六
とありければ、姫君たちは聞召し、是は夢かやうつふかやと、共儀にてあるならば、鬼
- - 、むいくかQ
ミ *
の駄所をわれ〜がよきに案内中すべし、御用意あれとありければ、頼光斜に思召し、共
もののぐ よりみつ
儀にて候はゞ、面々物具し給へとて、まづ傍にぞ忍ばれける。頼光の出でたちには、ら
んでん猟と申して、継おどしの鏡を召し、三駐の碑の給ひしシに、同じけの獅子王の
観シしかさねて召されっよ、ちすると申せしっるぎを持ち、南無や八幡大菩薩と、心
のうちに所念して進み出で給ふ。残る五人の人々も、思ひ〜の鎧を著、いづれも劣ら
ぬつるぎを持ち、女房たちを先にたて、心静に忍び行く。廣き座敷をさしすぎて、石橋
をうち渡り、内の艦を見給へば、皆々酒にみひふして、たそと答むる鬼もなし。乗り越
やかたさびら くろがね
え〜見給へば、廣き座敷のその中に、くろがねにて館をたて、同じ扉に 繊 の太きくわ
んぬきさし立てて、 天の力に中々内へ入るべきゃうはなし。剛の獣より打見れば、四
方にシ高くたて、鏡枚避難立て拉べ、童子が姿を見てあれば、管の形とかはりはて
さかさま びんひけ
そのたけ二丈あまりにして髪は赤く、餌 に髪の冊より角生ひて、シも眉毛も繁り合
ひ、足手は熊の如くにて、四方へ足手をうち投けてふしたる姿を見る時は、身の毛もよだ
つばかりなり。ありがたや、三碑あらはれ給ひっふ、六人の者どもに能く〜これまで
がら心やすく思ふべし、鬼の足手をわれ〜が鎖にてっなぎっ 、四
っけて、働く気色はあるまじきぞ、頼 は首を切れ、残る五人の者どもは
あとやさきに立ちまはり、すん〜に切りすてよ、子細はあらじとのたまひて、門の扉
をおし開き、かき消すゃうに失せ給ふ。さては三組の碑達の、これまで現れ給ふかと、感
らいくわう かしら

涙肝に銘じつふ、たのもしく思ひ
* イ U月 } ふ、教へにまかせて、頼光は頭の方に立ちまはり、
や三赴の御碑、力を合せてたび給へと、三度濃して
切り給へば、鬼神眼を見開きて、なさけなしとよ、客僧達、いつはりなしと聞きつるに
わうだ、)
鬼碑に横道なき物をと、起きあがらんとせしかども、足手は鎖につながれて、起くべき
やう
おこるーおほご
るの誤脱か
様のあらざれば、おこる をあけて叫ぶ盤、雷電いかづち天地も響くばかりなり。
つはものこも
刀はつるぎー刀
は利刀なりとの もとよりも兵共 刀はつるぎ、太刀ばやにすん〜に切り給へば、首は天にぞ舞ひ上る。
らいくわう ひこか
意か
頼船を目にかけて、只 艦にとねらひしが、星胃に恐れをなし、共身に子細はなかりけ
り。足手胴まで切り、大庭さして出で給ふ。数多の鬼の中に茨木童子と名のりて、主を
やっはら おもて
討つ奴原に手拉の程を見せんとて、面もふらすかふりける。綱は比由見るよりも、手な
おうつー追ひつ みの程は知りつらん、目に物見せてくれんとて、おうつ、まくりつ、暫しが程戦ひけれ
酒 呑 童子 三一七
三一八
ども、更に勝負は見えざりけり。おし拉べてむ
すと組み、うへを下へともて返す。綱が力は三
百人、茨木力や強かりけん、綱を取つておし伏
らいくわう
する。頼光比由御覧じて、走り掛つて茨木が細
首ちうにうち落せば、いしくま童子、かね童子、
共外門を固めたる十人あまりの鬼どもが、比由
を見るよりも、今は童子もましまさす、いづく
を狙所となすべきぞ、鬼の岩屋も崩れよと、を
めき叫んでかょりける。六人の人々は、比由を
見給ひて、やさしのやつばらや、手なみの程を
見せんとて、吉ひ給ひし兵法をとり出ださせ給
ひて、あなたこなたへ追ひつめて、数多の鬼ど
も悪く平けて、始く意をそつがれける。頼 仰
はや〜
せけるやうは、いかに女房たち、早々出でさせ
給ふべし、今は子細も候ふまじと仰せければ、比盤を聞くよりも、捕られてまします女
房たち、関屋のうもより糖び落ち、離 を目にかけて、これは参かや現かや、われをも一
助けてたび給へと、われもわれもと手を合せて数き悲む有様を、物によく〜賢ふれば
罪深き罪人がシの手に渡り、無間地獄に落されしを、地蔵菩薩の獣機にて、をんかあ
かみせんさいそはかと救ひ取らせ給ひしも、かくやと思ひ知られたり。
共時六人の人々は、姫君を先にたて、奥の艦を見給へば、宮殿様閣玉をたれ、四節の四
季をまなびっょ、夢を拉べて立てたるは、心も言もおよばれす。また傍を見給へば、死一
骨自骨生しき人、獣は人を館にして日もあてられぬ共中に、十七八の上藤の片腕おとし
股そがれ、いまだ命は消えやらで、泣き悲みてましますを、シ御覧じて、あの姫君は
都にて誰の姫君にてましますぞ。姫君たちは聞召し、さん候ふ、あれこそは堀河の姫君
にて候ふとて、急ぎそばに走り寄りて、いかに姫君、いたはしや、みづか
姫 らどもは客
僧たちの、鬼悪く平けて都へつれて騎らせ給ふが、御身一人残し置き騎るべきかや、悲
しやな、かく恐しき地獄にも、御身に心の引かされて、跡に心の残るぞと、髪播き撫で
れて

何事

)
て にても御心に思しめさるふ 事あらば、われ〜に語らせ給へ、都へ上りて候は
ーアう


呑 童子 三 一九
} * シー -『
御伽 草 紙 三二○
ば、父母によきに届けて参らすべし、姫君いかにとありければ、比由を聞しめし、義しの
人々や、かく浅ましき露の身の、早くもさきに消えもせで、かやうの姿を人々に見せま
みらする恥しさよ、都に上らせ給ひつょ、父母の比事をしろしめされてあるならば、わ
が身の事を中々に数き給はん悲しさよ、記念は思ひの種なれど、姫がかたみとの給ひて
わが黒髪を切りてたべ、又比小袖はみづからが、最後の時まで著たる小袖との給ひて、
その黒髪をおし包み、母上さまに参らせて、後世をばとうてたび給へと、よく〜届け
てたび給へ、いかにあれなる客僧達、騎らせ給はぬそのさきに、みづからにはとゞめを
さして給はれとて、消え入るやうに泣き給ふ。頼光比由聞召し、けに避理なり、ことわ
りなり、さりながら都に上りて候はr、父関に比事をよきに案内申しっょ、駆記にも成
るならば、迎ひの人を下すべし、暇申してさらばとて、物憂き㎞を立ち出でて、谷嶺過 よりみつ
ぎて急がせ給へば、程もなく大江山の麓なるしもむらの在所につく。頼光仰せけるは
てんま ふ
いかに所の者どもよ、急ぎ博馬を鍋れさせて、女房たちを都へ送るべし、いかに〜と一
ありければ、うけ給はると申すとき、共頃丹波の國司をば大宮の大臣殿とぞ申しけるが、
-
-
ゅ\ trァ 、:
比由を聞召し、さてもめでたき次第とて、急ぎ雑飼かまへまるらせけり。そのひまに馬」
かは

ける
もまで


な至に

、萬人
下よりのる

- 久 安全
國より
長そける
もか限り
。褒ばかり
な御
なし
申〜

感ま覧

て土れり美すし 帝

あり
参ら
は頼




急と


宿所
し感
こ姫
逢たわが
二 けれ
内ぎそび 別れ


しも
、中給
聞泣


消現

やう








え入る
めし
納言
度きと にとり

姫〜

寄り
走すじ
と御母
て由



給 君りる覧き上 じ
泣さま

ふ母、 御、
も姫へ

はば





見類


っひ出
さひ
でに
つけ
しが
覧君せ と
次でも

、ひ

い人
くま




中し

夫婦
ら中
池取



その
納言
第づ田れ た渡り

。 りかふ せ
ひめき
てざん
、と 見の
を上頼より
御聞は

も事

け給



。送を
へ人乗物
て 物り光く々




すし



きた










治、
御代
くな
まる





くわ
らい

ゆみこ

おん

くわ
らい




大坂 心斎橋 順慶 町




書 渋川 主月
-
人 法 師
し し }。
三 人 法 師上
王城ー一本帝城
と あり
そもノ〜高野山と申すは、王城をさって遠く、奮里を離れて無ェ、八葉の峰職々とし
三曾のあかつき
ー瀬動音薩出世
て高し、八の谷しん〜として静なる所なれば、弘法大師シじ給ひて、世奪の出世、三
の時をいふ
のあかっきを待ちシなれば、或はシ入定の腕もあり、あるひはQ三昧の所
もあり、思ひ〜に浮世を獣ひ給ふ虜に、シの他三人所々にすまひし給ひしが、
によりあびて物語をする程に、一人の僧中されけるは、われらみな牛出家也 何ゆる


に通世しけるぞ、いさ座碑のめん〜蹴術物がたり申し候はん、債権に罪を蹴すると中
す事の候へば、何かは苦しかるべきと申しける。共中に年頃四十二三語りなる僧の、難
をひろ なるー未
行苦行に身は複せて衰へたれども、かねふか〜とじんじやうなる僧、ころものこょや

くわらー掛羅、 かしこれたるに、をひろなるくわらかけて、まことに思び入りたる艦なるが、さらば
碑僧の用ふる架
沙教の名 愚僧まづ語り申し候はん。
三 人 法師 上 -
三二三
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草 紙 -
三二四
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三 人 法師 上 三二五
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御伽 草紙 三二六
京中の事にて候へば、定めてきこしめしても候ひつらん、奪氏将軍の御時、それがしは糖
谷の四郎左衛門と申して、近書にめしっかはれ候ひしが 十三のとしより御所へまるり
霊備霊赴の御とも、月見花見の御ともに、はづれ申す事 なく候 ふほどに、二條殿へ御
成候ひし程に、をりふし例難ども倉合仕り、身がもとへ使を三度たて、おそしと中し

候ふほどに、それに心をひき候ひてよりも、御ともの過ぎ候へかしと存じ候て、御座敷
てい
の鶴をのぞき見し所 に、御瀧三獣日とおほえ候ふ時、御引出物と見えて、鷹 に御小

袖をおきて、女房たちのもちて御出候ひしが、御年はいまだ二十にはならせ給ひ候はじ
と見えさせ給ひしが、ねりぬきのはだ小袖に、組花総葉の一かさねに、くれなるの椅
をふみ、たけなる髪をゆりかけて、何と申すばかりなくうつくしく御わたり候ひしが、 そめこ にようこかう
ものに将へば楊貴妃 漢の李夫人、我朝のそとほり姫、小野の小町 薬殿のきさき 観更
衣と申すとも、いかでかこれには勝るべき あはれ人間に生まれば、かやうなる人に詞を
まじへ、枕を拉べばや、せめて今一たび出でさせ給へかし、一目なりとも見参らせんと思
ひ染めしより、心うく胸のけぶりとなり、心あこがれ忘れんとすれどもわすられす、更
にうつ ょともなき態となり ぬ。
さる程に将軍も遠御なりぬ、わが身も宿所にかへり候ふ。さてそののち上薦のおもかけ
忘れがたく候て、食事をたやし打ち駄して 四五日獣供をも申さす候ふほどに 御所様よ
り、何とて比程はかすやはまるらぬぞと御奪ね候ふに、避備のよし申して候へば、やが
て薬師を召されて 療治をもせよと仰せられ候ふ程に、くすしわが宿へ参りぬ。起き直
り鳥橋子龍乗うちかぶり候て、封面っかまっり候へば、脈をしばらく取りて、もとの
座敷へなほり、申すゃうは、あら不思議や、べちに本病とはおほえ候はす、人を怨みさ
* そしよう
せ給ふゃらん、または大事の御訴訟を御もち候ふかと申しけり。共時さらぬ艦にもてな
いたはりー所勢 し、われら幼少に候ひし時、かやうのいたはりをして候ひしが、養生つかまつり候て、
病気
十四五日にてなほり候ひし程に、共日かすを待ち候ふべし、何の大事をもち候ふべきと
申して候へば、くすし御肌へまみり申しけるは、さすがわづらひとは存じ候はす、身に
昔ならば穏云々
ー穏情を卑みし
大事をもちたる人にて候ふか、けにや昔ならば鍵とも申すべきいたはりにて候ふと申し
時世を見るべし
上けければ、将軍仰せけるやうは、今なればとて継といふ事のあるまじきにてもなし、か

れ、問 体
すやが心のうちを間はせばやと仰せ出されける。佐々木三郎左衛門こそ、深き知 にて
候へと中し上けけ ば、佐々木を召されて仰せ付けられけるは、かすやが方へゆき、看病
三 人法師 上 三二七
二| |

御伽 草 紙 三二八
をもせさせ、心の内をも尋ね候へと御説なれば、佐々木まみり、まづ身をうらみ候ひしや

うは、傍輩多きその中に、御途とそれがしは深き契約申し候て、兄弟の如くに候ひつる
に、などや是ほどの御いたはりをばうけたまはり候はぬと、色々に怨み候ひし間、それ
がしが返事には、さしていたはりなく候ふ程に、一人もちて候ふ老樹にさへ知らせす候
ふ、御うらみは御ことわりにて候ふ、その上大事候はゞ、これより中すべく候ふ、事々
しく候ふに御かへり候へ、身こそ候ふらめ、御所中の事は不思議なる事も候てはと、か
さねて申し候ひしかども、看病すべきよし申し候て、四五日打添ひて、わが心の内を問
ひ候ひしに、しばらくは包みしかども、あまり心ふかしと思ひ候て、ありのまふに語り
候へば、佐々木比よしを
ば 聞き候て、さては御分は慰をしけるものを、あら易き事やとて さ
らぬやうにて座敷をたち、やがて御所へ参り、比よしを中上けけり。さては易き事よと仰

おん ぶ
せありて、かたじけなくも御所様観交をあそばして、佐々木を御っかひにて、二條殿へ参
らせられける、御返事には、をのへと申す女房にてわたり候ふ程に、地下へくだすまじ
きにて候ふ、その人をこなたへ給はり候ふべき
は よしあそばされ候ひし交の御返事を
給はりー一本下
され とあり 我らが宿へ給はり候ふ、御所様の御恩報じ申すべきやうもなし。これにつきてもあちき
ひさこよ
な 殿に逢ひたてまっり候ふとも、たゞ 一夜の夢のちぎりなるべ
し、是こそ通世する所と存じ候ひしが、又打返し思ひ候ふ事は、糖谷こそ二條 殿の女
御ちうさくー御 %たちを継ひ申し 将軍の御ち
中約か しやうがい ひさこよ
と言はれん事、生涯の恥と存じて、せめて 一夜なりとも逢ひ申し、そののちはともかくも
と存じ候て、ある夜おもひ立ち、さしてけつこうするとはおほえす候ひしかども、けてう
けっこうー結構
にて用意するこ いでた あんないしや

けてうー厳重に

に出立ちて、若賞三人めし具して、案内者をもって、夜ふけがたに二條殿の御所へ参りて
からる
ていかめしくの
意 ば、きょうがる座敷を展 風唐槍にてかざり、同じ程の女房達四五人、花やか にいでた
ちやかう
給ひて有りし所へ入りぬ。さておの〜酒三獣すぎ候て後は イー〜 茶香のあそびさま
れがをのへ殿にて御わたり候ふやら
っれも〜うっくしく御入り候ふ程に、迷惑仕り候ふ所に、きこしめしたる御歪を
十す な カ

篠ふ時こそ、是が尾上殿よと心得て、御さかづき給はり候ふ。さて夜も明けが
候 J7 に なりし
、、 ミ
かば、八盤のとりも告けわたり。寺々の鐘もきぬ〜のわかれをもよほし、行 へ久しく

女房又ー女房ま
だの術か 契 りおき、女房又夜ふかきにかへり給ふ。ねみだれ髪のひまよりも、花やかなるかほば
三 人 法師 上 三二九
* - ー*} "「"
御伽 草紙 -
三三○
せ、縁のまゆすみ、シの層、まことにむつまじき御姿にて機へ立ちいでさせたまひ
一首かくこそあそばし候ひしぞや。
ならはすよたまに逢ひぬる人ゆる にけさは置きつる袖の白露
かへし
こひえては逢ふ夜の袖の白露を君がかたみに包み て ぞ 置く
さて共のちは御所へも参り候ふ、又身が宿へも忍びてとき〜御入り候ひし事なれば、定
御ひろうー御披 めて御ひろうにもあるらんとて、将軍より近江の國に千石千貫の所をまみらせられ候ひ

しなり。次にわれらは北野の天碑を信じ申し候て、毎月#四日にシ仕り候ひしが、比女
房ゆるに雛中し候ふ程に、をりふし頃は十二月#四日の夜にて候ふ程に、歳末と申し
比程の雛をも艦構申さんがために参りて、夜のふくるまで念証申し候ひし虜に、ある
かたはらに、あらいたはしや、何れの人にて御わたりあるやらんと申すを、あやしと聞き、
ば、都近くなるところに、年十七八ほどの女房をころし、シを剥ぎ
たると申す程に、あまりに怪しく思ひ、取るものも取り敢へす走り行きて見候へば、
はせ給はす
、かの女房にて候ふあひだ、夢うつょともおほえす、あまつさへ
髪をだにも切りて候ふ程に、ともかくも申すばかりなく緊れはて候ひし也。いかなる罪
の報にゃ、か*る愛きめを見る事の悲しさよ、逢ふを秘しと思ひしも、今はかへりてう
らみなり、さきだち行きし人ゆるに、なにしに心を霊しつらん、我ゆる に君もいまだ世
にも足らすして、女房の身として、邪見のつるぎのさきにかふり
おにかみ
給ふ事よと思ひし、そ ないし
の時わが身が心のうちをば思しめしやらせ給へ、いかなる鬼碑、乃至五百騎三百騎が中
へわって入り、心ばかりのはたらき、棄つるいのち露ちり程も惜しからす候ひつれども、
もさこば、り
知らねば力およばす、やがて共夜に髪 をきりて僧になり、この御山にはや甘年ばかり、そ

の女房の菩提をとぶらひ候ふなりと語りければ、二人
に の僧、霊染の袖をぬらしけり。
又一人の僧、年五十ばかりになりけるが、たけは六尺ばかりにて、くびの骨ぬけ出で
て、おとがひそり、糖あれ、暦あっく日%大きに、色くろく、きはめて がらなる
が、ゃぶれたるぬの衣に、おなじくくわらふところにおし入れて、大きなる 環をっま
ぐりて申すゃう、眠 をはそれが し語り中さんといふ。さらばとく〜語り給へといひ
ける。不思議やな、その上薦をばそれがしが殺しまみらせしといふ。はんかい聞きてき
はんかいーかす ープイ
谷を牛谷と誤書 てい
しそれをはん が
いと讃みたるに つとみなほり、色かはりて思ひきりたる鶴なり。その時入道僧申すやう、しばらく御し
三 人 法師 上 三三一
-
-
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御伽 草紙

づまり候へ、事の子細くはしく語り申さんといへば、はんかい思ひなほし、はやとくと
くとありければ、あら入道中すやう、京の人とうけ給り候へば、定めてきこしめしても候
らん、それがしが名をば三條の荒五郎と申すものにて候ふ、九つの年より盗みをしそ
て、十三の年人を切りそめ、その上薦までは三百八十除人也、夜打弾 を身の能と思
しゆくしゃうー 候ふ也。然るにしゆくしやう因果のつもりけるか、共年の十月の頃より、ぬすみをすれ
#ト
山だちー山賊 なはす、山だちをするも取りえす、足そと思ふ事も、にはかに避ふ事のみにて、
苦勢せしほどに、シのけぶりも立たす、妻子のありさまもすさまじく候ふあひだ、心
比よりよそを家とし候て、こふやかしこの古き御堂のひさし、あるひ
は都のやしろの拝殿などにて、夜をあかし日をくらし、まはり行くほどに、あるとき
家のありさまをも見ばやと思ひ、さし入り見れば、女にて候ふ もの、それがしが 狭 を
ひかへ、さめ〜と泣きて申すやう、あらうらめしや、などなさけなく候ふぞや、夫婦の
ちぎりシなる事、めっらしからぬ事なれば、あながち数くべきにもあらねども、今は
近くなり候へ ば
ー原本 「近く候 はや縁っき心かはり候へば、なにと慕ひ悲み申すともかなふまじ、はや〜いとまをたび
へ ば」とあり、一
本によりて補ふ 給へ、女の身ひとつは過ぎわびまじく候ふ、正月も近くなり候へば、をさなき者どもも、
しよりやう
のうさくー漫作 悲持すべき密みし候はん、もとより腕館も持ちたまはす、あきなひもせず、のうさくも
なし、只一闘に人の物を取り給ひしも今はかなはす、子どもの行末も知らす、あまっさへ
家をもうち棄てて、よそを家とし給ひしも、たゞみづから故なりと豊えたり、たとひ家を
こそすさまじく思ひ給ふとも、などや子どもの湖命をもはからせ給はぬぞ、比三日は
てうほうー重質
(チョウハウ) か われらもあさゆふてうほう霊きて、けぶりをも立てす、あのをさあい者どもが、泣き悲
をさあいーをさ
ない の説 む事、見るもいかほど悲しく候ふぞと、かきくどき申し候ふ程に、わが身申すやうは、前
世の因果やつもりたるらん、さりともと思ふ事も皆ちがひ候ふ程に、比あひだはほかへ
行きてありしかども、子どもの事ゆかしくありし程に、騎り来てあるなり、やすき事な
り待ち給へ、けふあすの程に何事も候はんと申して、それがしが心に思ふやう、こよひ
におきてはと存じ候て、日の暮る、をおそしと待つ程に、寺々の鐘もひゞき、たそがれ
くるまだちーい
かなる太刀をい 時にもなりしかば、例のくるまだちを持ちて、あるふる築地の隙にたち、性きくる人を

ふにや
ちりとりー屋根 ーやおそしと待ちるたり。その時の心の内、いかなるシ張良なりとも、たゞ一太刀の勝
のなき興
すがるやかーす 負と存じ候て、手を握り待ちみたり。さる程にちりとり一ちやう、すがるやかにいでた
ざふだん
は接頭解にて軽

、何れも若きもの雑談して通る。これは心なきよと心得てやりすごしぬ。又一町ばかり
ゃ かにの意
三 人 法師 上 -

* }
シ * シ。
-
御伽 草 紙 三三四
上の方より敷香驚じて有りしかば、すはやさりぬべき人のくるよと思ひ、されどもいま
われしく
あだ
くん もは

うが


見ける
あて
異ば







r

が身香れり
たり


じてさrめきわたりたり。下 二人っれて、 人をはさきに立て、一人をは騎に、う
はざしの包もたせて、身が候ひしをば、見ぬやうに て通り給ひしを、やりすぐし申して
おっかけたり。まへに立ちたる女房は、あら心うやと申して、行くかた知らす、あとな
る女房は御包うち棄てて助け給へとて走りにけにけり。されどもこの上薦は少しも騒ぎ
給はす 盤をも出ださすおはしょを、太刀をはひきそばめてっつと寄り、なさけなくも劉
ぎたてまつり、はだ小袖をも給はらんと申し候へば、いかでかはだ小袖は、女のはちにて
候へば、許したまへとおほせ候て、御まほりを持ちて、是をはだ小袖のかはりと仰せ候
て投けいださせ給ひしが 繋香くんじて馳ぶばかりに候ひし也、さらに人間のたぐひに
ふたう
てはなし、天人にて御わたり候ひし也。かやうには候へども不道のものの悲しさは、これ
はかりにてはかなふまじ、御はだ小袖をもたまはらんと申せしかば、はだぎを脱ぎては、
いのち
命いきても甲斐なし、たぶ命を失ひ給へとのたまふ。それこそ本より好む所なればと申
ひさこかたは
し、たぶ一刀にさし殺したてまつりて、はだ小袖に血をつけじと、あわてて肌著を剥ぎ
たてまつり、袋をふところにおし入れて申すやう、いかに女どものよろこび候はんと、ひ
とり言を申し、家にいそぎ騎り、戸をたょき候へば、女にて候ふもの申すやう、あまりに
早きは何事もせぬかと申しける。はやく戸をあけよと申して、袋をうちへ投け入れ候へ
ば、いつのまに取りつらんとて、袋の口あくるをおそしと、 つゞりを引き切り、取りい
おんしやうそく こうくわりよくえふみなくれなみ
いきやう
だし見るに、異香くんじたり。十二一重の御装束なり、紅花縁葉のきぬ、皆 紅 の椅取
りいだせば、にほひ満ちたり。小路をゆく人もあやしめ、となりあたりの家までも、お
めのこうー妻子 どろく程のにほひ也。めのこらよろこぶ事限なし。女房かたじけなくも御はだぎをば打
等の意

ちきて、このやうなる小袖きたる事、いまだ生れてよりこのかたはじめなり、かほど
シき給ふ女房の、年も若くこそ御わたりあるらん、いくつばかりの人ぞと申す程に な
さけをも知りて問ふぞと心得て、夜目に見つれども、今二十二三まではよもなり給はじ、
十八九の人なりと申しければ、中々と申し、是非をいはす、そとへ出づるほどに、たゞい
かやうの用にもいで候ふかと思ひ候へば、やょ久しくありて来り申すやう、あらいかに
あらいかにとー
「と」は「も」 の誤

名にて候ふも
のかなー寛仁大
と御身は、大名にて候ふものかな、とても罪っくるならば、少しも徳のあるゃうには
けんざい
度なりとの意
せ給はで、現在わらは行きて、髪を切りて取りたり、是程の髪こそなけれ、かづらにひね
三三五
三 人 法師 上
**』ー} }
御伽 草紙 三三六
さを
り候ふべし、小袖には換へべからすとて、茶腕に湯をうめてふりすふぎ、第 に掛けほし
をどりはね競しがり喜ぶ事かぎりなし。さても女の質まうけたり、あら嫡しゃと中し候
ふ さくじん けら
ひし、比女のありさまをつく〜と見て、あらあさましや、不得心や、前世に備法の結
線あればこそ、人とも生れてあるらん、たま〜大射をうけたる時、備法をも修行し
なさけをだにも
知らぬ身となり て、善人までこそ無くとも、せめて世の中のなさけをだにも知らぬ身となり、大悪人とな
ーなさけをだに
知らん身となる
りて、よるひる思ふ事は、たゞ人をころし、盗みをせんたにくみならでは思ふ事なく、因
べきになどある
べき所なり 果のがれす、つひには無間地獄の業園と思ひ知られたり、かやうのェをつくり、露の命
をつなぎ、ゆめの夢を知らぬ事よと、わが身ながらも日をしや、又めの
を こらが心の内不
避さよ、中 かょる女に枕をならべ、契を結びし事こそ、かへすム〜
も悔しけれ、あら浅ましの女の心やと思ひとり、なにしに比上薦をも殺し参らせつら
さ、、
にはかりにて、肝心も消え入る心地して候ひしが
、プん いや〜かく
心の善知識として髪をきりて、比上薦の御騎をもとぶらひ、又
けんる
我身の菩提をも願ひ候はんと思ひ立ち、やがてその夜のうち 一條北小路へゆき、玄隷
ふいん
法印に逢ひたてまつり、御弟子になり、名をばけんちくと付けられ申し、やがてこの山に
「得他 一"FH
のほり候ひし也。さこそ無念におほしめし候はん、いかやうにも愚僧を殺したまへ、身
寸 々ー一本 「ぶ
ん、7〜」とあり をボタに斬り給ふとも、さらにいたみ申すべからす、尺 間をころし給ふとも、上魔の
命をしみ申すべ
きにあらずー一 御ためには中々シなるべし。かく申し候へば命をしみ申すにはあらす、三資も御示現
本 「命をしむに
似たれども」 と 候へ、申しいづるうへは、ともかくも御御はからひたるべしと語りて、衣の袖をぬらしけり。
っ -
あり
精谷入道中しけるは、たとひ世の常の発心なりとも、たがひにこの姿になり候て、なに
の心が候ふべき、まして比人ゆる の御務心なれば、ことさらになつかしく思ひ中す也、ま
ことにさも候は 、この人は菩薩のシなり、かょる女人とあらはれて、無縁のわれら
を助けんがために、大慈大悲の御方便と思ひ候へば、なほ〜いにしへこそ忘れがたく
候へ、かょる事候はでは、いかでわれら出家して浮世をいとひ、かのシのらくを受け
ん事は憂ひの中のよろこび池、けふより後は道心なるべき事こそ、かへすム〜も嫡しく
候へといひて、墨染の袖をぬらしける。
さて今一人の僧の、発心の世来うけ給はり候はんと申せば、足も老僧なり、衣の破れた
七條ー架沙装の名
だうぎゃうー道
るに、七條をかけて、看経ありしが、だうぎやうに複せて色くろみ、そのさま衰へてあ
行にて備道修行
をいふ れども、さすがよき人にてそあるらん、誠に通者と見えて、いねぶりてまし〜しを
三 人 法師 上 三三七
-- - - -
-- --
- -。 シ- -
くすの木正儀母音をなし、親にて候ふものを、正成が存じ候ふごとく、たがひに思ひあひ

た か思議りきれ病



ら看行あ
い不せ

へに







て たれる



か候
ども






すし


知心


ひける

僧たき
か時


よ 一の後




そ存是

になり

うち大事しじ ら
ひ正行








は 切れ






せき












も り㎞



だ さ成れる 他

らす



正ある




もの
たる







の 事 の
一大事



もの

















門 ら

門 申分めすの ものの

も左衛門




たくもの



随木


に 河郎












もん
のか





子 内 候



す 同こしめし
ねば





申し


惜の

きど



へしく
心中




が す

まで


申し















さ 々の

り 道ほど












さ候





事断候



れ 語りけうんめ

せは





められ
や、




う〜
はを

ふ 八



御伽

にけ参利
足人づて

降ば

う殿


べき
申す

はり
たま


ふ程に、所存のほかに存じ候ふ間、くすの木にあひ候て申せしことは、まことしからす
候へども、足利殿へ御降参あるべき由うけ給はり候ふ、まことさやうに思召し候ふやと
ギよ
申して候へば、あまりに君の御うらめしき事ども御座候ふ程に、さやうに思ひ立ちて候
ふと申せし程に、身が申すやうは、君を御うらみ候はゞ、我が身をすてて、通世したま
ひてこそ、まことの御うらみにては候へ、足利殿へいでさせ給ひ候ては、君に弓を引き
給はん事、御うらみにては候はす、君の御運霊きさせ給ひ候ふを、見限り中し候て、わ
が身を立てんがために、足利殿へ降参と人申すべし、降参の事はゆめ〜有るまじく候
ふ。などや是程の大事を思しめし立ち候はゞ、まつわが身かひん〜しく候はすとも、うけ
たまはり候はすと申せしなり。くすの木が中すやう、御分さだめて比事をわろがらせ給
わろがりー非難
する はんと存じ候て、中さす候ふと中す程に、わが身わろがり中し候はんするを思召して候
しよにん みやがた
ふ御心をもって、諸人のあざけりを思ひやらせ給へ、一代ならす宮方にて討死つかまつ
り、名を後代にあけ給ふが、御分の代として米継のふるまひ日惜しき事にて候ふなり。
師ー君とあるべ
一きなれど諸本皆
何の御うらみが御入り候ふべき、今の拝領も師の御恩にてこそ御わたり候へ、君きみた
比の如し
らすといへども、臣をもって臣たりといふ古人のことばあり、只思しめしとまり給へと
三 人 法師 上 三三九
御伽 草紙 三四○
中して候へば、上洛して東寺にて管鮮に勤面しけるとうけたまはり候ひし程に、君の御
こう
運命も霊きさせ給ひぬ、身一人くすの木をはなれて、功をなす事ありがたし、またっれ
ほんい
て降参は、本意をそむき候ふあひだ、是こそ善知識よとぞんじ候て、通世つかまっり候
ふぞや。
*
*
*
**
三 人 法師 下
さる程に河内の園篠崎をまかりいで候ひし時、三つになり候ふ 子一人男子一人、ふた
りの幼きもの、妻にて候ふもの共を打ち捨ていでし時は、さすがに多年の夫妻のよしみ
と申し、なごりをしき事千萬に候ひしかども、是ぞ十分の通世と思ひきり、やがて闘東
曾下ー僧の門下 へ修行にいで、松島の倉下に三年候て、その後北國を修行の心ざし候ひし間、とてもか
りーイ 〜 し*
はんしゆつけ けちえん
やうなる牛出家のものは、諸國をめぐり、いかなる知識にも結縁をもなけき、名所奮跡
をも見て、心をもなぐさめ、又とてもありはつべき浮世の中ならねば、ありきたふれて
と存じ候て、シ園をめぐり、西園をさしてのほり候ふ程に、不思議に河内の園を通り
候ふ間、古㎞のありさまをも見はやと思ひ候て、身がいほりのほとりへ立ち%りて
見候へば、 地はあれども、おはひも無し、門はあれども歴もなし、庭には ふかく生
ひしけり、家どもは皆こほれ失せて、わっかにあやしの眼がいほり二っ三っ残りたり
夫さへ雨風たまるべくもなし。見るに日もあてられす、涙を流しまかり通り候ひしが
三四 一
三人法師下
----
} } } } - -
御伽 草紙 三四二
ほさこり
その近き道の鍵に浅ましき財が、一人田をうちて見えたり。比尉はいかにもいにしへの
事をば知りたるらんと存じ候て、立ちよりて問はゞやとおもひ、やあ、ぜうどのよ、比
所をばなにと申す所ぞと問ひて候へば、ぜうが著たりし日笠をぬぎ候て、しのざきと申
す所にて候ふと答へ申すなり。さていかなる人の御領ぞと尋ね候へば、篠崎殿の御領に
て候ふと申す程に、さてはわれらが事をば知れるかと存じ候て、それがし田のくろに腰
をやすめ、比ぜうも歌を枝にっき候て、心しづかに事の子細をかたりけり。足は篠崎の
かもんの介殿と中して、何事も人に すぐれ



おはせし候ふ程に、くすの木 殿も一大事
の御事に思しめして、深く御たのみ 候て、 同じ御一族ながらも、賞衛御申し候ひしが、
ご し そく
共御子息に六郎左衛門殿とて、くすの木殿京方へ御降参候ふを御うらみ候て、御通世に
*%ゆきがた -
他界ー死去 - -
て御座候ふが、御行方も知らす、常時は北國方に御座候ふとも聞え候ふ、又御他界とも一 い
こ さ う
御左右ーたより うけたまはり候ふ、誠に御左右のある事は候はすと申し候て、涙を流し候ふ間、それがカ
み うち
しも涙をおさへて申すやう、さて御身は御内の人か、又は御領の人かと申せば、比尉は
御領のとしころの御百姓にて候ふ、六郎左衛門殿御通世
左衛 の後は、常所あれて、みやづか
ート。 - -
ひさかず み だいおんきんだち
ひ中すもの一人もなく候ふ程に、我ら *よ 人数ならぬ身にて候
な へども、御豪御君達の御有
様を見まるらせ候て、あまりに御いた はしく存じ候て、わたくしを打ちすてて、比五六
年があひだ宮仕ひ申し候ふ、六郎左衛門殿御通世の時、三歳になり給ひし姫君、いとけ
御方便候てー手
なき若君をふりすてて、御適世候ひし程に、関衛のとかく御方便候て、御はごくみ候ひ


段をめぐらして
しが、比上薦さまも他かぬ別れの思ひにや、病者とならせ給ひ候て、こぞの春のころよ
りいたはらせ給ひ候ひしが、比程は食事をたやし給ひ候て、はや御他界候て、今中三
きんだち
日 になりたまひ候ふが、比公達の御なけき見申し候ふに、中々に目もくれ心も消ゆるば
だ び
かりに豊え候ふ也、あれに見えて候ふ松 の本に茶昆し申し候て候ふ、このをさなき人は
だ び さこころ
二人ながら、毎日泣く〜茶世所べ御参り候ふ、けふも御供申すべき由申して候へども
よし今作はともをせずともと仰せ候ふ程に、人なみ〜にこの田を打ち候ふなり、足も
財がためにはあらす、君達の行末を思ひゃり候て、御いたはしく候ふ程に、比田を打ち一
候ふ、比尉をばおうちと申し、おうちならでは御頼みありがたく候ふ程に、けふも君達
のおそく御騎り候ふ程に、あなたのみまほり申し候へば、田を打つも身にそます候ふと申
し候て、さめぐと泣きにけり。共時除りに不便におほえ、かょるいやしき者だにもか

邪 {
いやしきー一本
浅ましきとあり
やうの情は知りたりけるに、わが身はあまりに邪見にて棄てける事よと存じ候て、是こ
三 人 法師 下 三四三

御伽 草 紙 三四六
そその六郎左衛門入道よと、言はゞやと思ひしかども、いや〜さては比間の修行いた


九さ
* * * *
ぜう
づらごと也と存じ候て申すやう、まことに有難くこそ候へ、いかなる人か、尉殿のやう
なる心ざしの人か候ふべき、あらいたはしや、世の中にかよるあはれなる事も候ひける
よと、そのをさなき人の御なけき思ひやるも、ともかくも申しがたく存じ候ふ、比僧もさ| ち、は 、
ほどの事までは候はねども、さやうの思ひをして候ふ也、何よりもをさなき者の父樹に一
おくれたる程の、世に悲しき物はなかりけりと申して、衣の袖を顔にあてて泣き候へば
拠は御偲もいにしへさゃうの思ひをして御座候ふやと申し候て撃も惜ます泣きるたり
やょ久しくありて、それがし申すやう、尉殿よ、これよりのちも、見はなし給ふなよ、い
子孫ー一本 「子
息や孫達」 とあ
かに〜父母の草のかけにて嫡しく思ひ給ふらん、又尉殿の手 にむくい候て、未もめ
いン
末ー一本「行未」
でたくあるべし、返す〜も共をさなき人たち、いとをしみ給は 、備碑三賞も尉殿を
とあり
まもり給ふべし、いとま申して尉殿、日もくれ候へばとて、たち行きけるに、はるム〜
と送りねんごろに物語り申し、何につけても比尉は、泣くよりほかの事は なし。われらも
ゆき過ぎー一本
涙をおさへて、尉殿ははやとまり給へと申せば、とまりぬ。少し行きて見れば、けにある
「か へり過ぎ」 と
あり 木の に 人を茶出して見え候ふ程に、中々と存じ候てゆき過ぎ候ひしが、又心をかへし
*} ==
て思ふゃうシして家を出で候ふ時初めは薬子をふりすてて出でゆきしに、今は死し一
てすでに三日にあたり候ふ、茶昆所を見ながら通らん事、無道心也、知らすは力なし、た一
またま法師の身とはなりて、立ちより院難度の一べんも満てすして、通らん事は邪見也
かっうー旦 かっうは利益もかけ、かっうは、シの草の陰にて継みもあらん、かへりて見はやと存

じ候て、たちより見るに、木かけに
り候ふ程に、骨をひろひ候ふ所に、
チ矢
の時目もくれ心も消えて、さらに夢うつふとも思はす候ひし也。しばらく心をとりなほ
- )サイ
けらふ
し 比をさなき者をつく〜と見候へ ば、姉は九つ弟は六つ也。さすがに下薦の子ども

おやこ -
ドA、 〜
にも似す、かたちいたいけに見えたり。親子恩愛の道なれば、いだきつき、父よと名乗
しんらう
らばやと思ふ心は、ちたびもふたび候ひしかども、いや〜心弱く候ては、比程の辛勢

無になり、備道に入りがたしと存じ候て、こらへて候ひし事、思召しやらせ給ひ候へ。さ
三 人 法師 下 三四七
シ* *} } } }
| i
御伽 草紙 三四八
てこれらが玉の手箱の蓋をは、姉がもち、かけごをは%がももて、たれ 竹

一 に 候 て
り あ
と木とのはしをもちて、椎をひろひけるが、 いふ言の葉もなく、袖をか
とから

ふ術
ち世父給






中 とりっか は
何となし
ぬおて

みきもの
候 薦


いあ時
やう
たが






申候 りし
ちす
泣と
ひ れき

もの






と知いし
おの候も



ふ人

行くまだ
らす

過うち








むなは



もひし
す供


ず り
くな

せび

人候 をも言はさり一
しとき、 僧院難度をよみ候はんも撃も出です、苦㎞へ二たび来りけん事の怖しさよ
と、我が身をうらめしく思ひし也。いや〜かくては叶ふまじ、院羅尼をみてんと思ひ
て、みて候ひしをり節、時雨さっとして、木の葉の露も、涙のごとく見え候ひしを、姉
が見て申すやうは、母にて候ひし人は、京の人にてわたり候ひしが、わらはに教へ させ
給ひしは、歌の道にはいかなる恐しき㎞も、又うとき人も、聞きては心もやはらぎ
備も継愛し給ふ也、女の身として歌の道に心をつけすば、浅ましき事と仰せ候て、わらもん じ
は七歳の年よりも、かたのごとく文字をつらね候ふ、たゞ今思ひいだされて候ふとて、
一首かくなん、
草木までわれをあはれと思ひてや涙に似たる露を見すらん
比歌をきょて、強き心も失せはてて、せんかたなくして、露電想ならばすでに消えぬべき
心ちして、いや〜今は包むとも叶ふまじ、われこそ次が父の六郎左衛門入道よと、い
ねんらい
は?やと思ひしかども、心よわくてかなふまじ、年来思ひ立ちて、通世したる身の
けふ子といふ番艦をになふべきか、かく思ふ事は甲斐なき心かなと、我と心を恥ちしめ
言語道断にー言
にい へ ぬ程 おも
しろく
て機に、それがし申すゃう、比歌こそェにあそばして候へ、まことに紳も備もい
かであはれと思しめしたまはざるべき、父母も草のかけにて、いかに嫡しく思ひたまは
ん、我らは物のあはれも、なさけの道も知らす、かふる践しき身にて候へども、今の御
歌をきょては、涙もせきあへす、いかで心あらん人きょ給ひて、御心の内をあはれみ給は
で候ふべき、貝今 をまかり通り、かよる御いたはしき事を見まるらせ候ふも、思へば
しゆく〜ふ
前世の宿執にてこそ候ふらん、見はなしが 多らせ候へ ども、中々いとま中すと
て立ち出で候へば、姉が中 やう、仰せのごとく一樹の陰にやどり、一河の流れを汲む
も、皆他生の縁とこそうけ給はり候へ、またい つの世にか
なんなこ り
世にか、めぐりあひ参らせ候ふべき
返す〜も御名残をしくこそ 候へ、ことさら御経あそばしてたまはり候ふ事、中し霊
三 人 法師 下 三四九
御伽 草 紙 三五○
しがたく候ふと言ひしもはてす、快を顔におしあてて、盤もをします泣きみたり。弟は
いまだ聞きわけたる事もなく、姉に取りつき、もだえこがれて泣く計り也。その時さら
に心も消え、目もあてられす、何にたとへんかたも無くて、たゞはらを切るもかく ぞ
と思ひきり、立ち出で候ふ程に、かれらも見おくり候ふ。それがしも見かへり〜行き
候へば、是ら母の管をはこの監に入れもちて、我宿の方へは行かすして、よそへまかり
候ふ程に、又立ちかへりて、そなたへはいづくへわたり給ふぞと申せば、婚はほうにん
じと申す御寺に、都よりたつとき上人御くだり候て、七日の御説法にて候ふが、今日は
や五日になり候ふ、人々参り候ふ程に、われらもまみり御聴聞中し、比御骨をもをさめ
ばやと思ひ候て、挑御寺へ参り候ふと申し候ひし程に、それがし申すやう、あらいたは
しゃ、いとけなき心にも、かやうに思ひょらせ給へば、いかにシの草のかけにて感し
く思はせ給ふらん、さてもほうにん寺と申すは、これよりいか程候ふらんと尋ねて候へ
ば、いまだ知らす候へども、人の行くにまかせてまかり候ふと申す。などや人を召し具
し給はで、御わたり候ふぞ、あまりに御いたはしく候ふものかな、明正おうちとゃらん
をも召しつれて、御参り候へかしと申せば、姉申すやう、比程参るべきよし、おうちに
申し候へば、いとけなき人の有るまじき事と、比り候ふ程に、思ひながら参らす候ふと
申す。さらば御とも申し候て、上人をもをがみ申し、継線をも申し候はんとて、つきて
行き候へば、なか〜物も申されす。道すがら比姉申し候ふは、われらが父いまだ生きて
ましまさば、御僧の年頃にこそ渡らせ給ふべきに、浅ましや、いかなる罪のむくいにや、
せいちゃうしゃ 父には生きてはなれ、母には死して別れをなす事の悲しさよ、せいちゃうしゃの事なら
ー生長者か
て、候 し ば

父御のおもかけは身にそひて、うき心の友ともなるべきに、なさけなの父御やと申
ち、こ
盤も惜ます泣きし時、弟が中すやう、父御は備になりてましますと、朝夕母御の仰せ
ひつるものを、さのみ泣き給ひそと、こざかしけに申せし程に、それがし前後を失ひ
、行く道も見えす候ひし也。さても比御寺と申すは、聖徳太子の御建立也。元弘建武
相績してー一本
「滅亡して」とあ の動側に、所領こと〜く相績して、はいでんだうすたりしを くすの木が代になりて
るよろし めうはふしやうにん
一はいてんだうー 所領を元のごとく返し つけ、修理をなし、京都より妙法上人を請じくだし申して、供
一拝殿堂か
養をのぶるよし申すあひだ、見ばやと思ひてゆく程に、ほうにんじも近くなりければ、
こし くら
ちりとりー前出
けに貴践上下袖をつらね、道俗男女市をなす、興ちりとり鞍おき馬、いく千萬とも敷し
くん じゆ したかや
らす、すでに三ヶ園の人々群集す。木の のもとまでも、皆人ならすといふことな
三 人 法師 下 三五 一
} ーーーーーーーシ『" "「 『
三五二
たうばーたふば 、たうばの内へ入るべきやうもなし。何とあるらんと見候
にて霊廟の意に
用なたるにゃ
上人に近づき中すべき事候ふとて、おしわけ〜入るほど
諸備ー類従 本
「諸天」 とあり
給ふとおほえて、人ごとに道をあけてぞとほしける。法曾
いたり 二人の者どもひざまづき居たりけり。さていかやうにある
らんと見れば、二三人ばかりへだてて、姉が手箱のふたを、上人の御離にさし置きて
三度識して手をあはせ、ひざまづきるたり。上人足をつく〜と御競じて、をさなき人
はいかなる人ぞと御尋ねあれば、是はくすの木が一門に、篠崎六郎左衛門が子供にて候
ふが、わらは三歳の時、父にて候ふものは、くすの木と中をたがひ、通世して今に行き
がたも知らす候ふ、比程は母ひとりに、添ひたてまつり、浮世をあかし暮して候ふが、
有㎞のならひの悲しさは、母にて候ふ者にさへ別れて、けふはや三日になり候ふ
観椎をだにも取るべきものなく候て、シのもの共とりて、箱に入れては候へども、置
くべき所をしらす候て、上人をたのみ参らせんがために、これ逸もちて参り候ふ、ねが
はくはいかなる所にも納め、母を早く浮上へ入らせ給へと呼師して給はり候は 、ひと
へに観利益にて有るべしと申せば、上人誠にあはれに思しめし、とかくの御ことばもな
く、御涙にむせび給ひ、しばらく物をも仰せられす、上人御落涙はかぎりなし、職業の
人々も、遠きも近きも袖をぬらさぬ人ぞなき。さて姉が快より、一つの熱物を取り出し
とりあげ させ給 上人に奉る、上人是を取りあけさせ給ひて、たか〜とあそばし候ひしを、うけたまは
ひてー比下に 一
本「ひとへ に 譲
謡願文などよむ
り候へば、それ人間のさかひを聞けば、闘浮のシは盆不定なりと中せども、その中に
ゃうに」 の 一句
あり
も厳人する逸 親にそふ人の子多く候へども、いかなるシの報によって、われら三歳の
時、父には生きての別れ、母には死しての別れとなりぬらん、今ははや頼む方なくなり
キ6 てて、迷ひの心はやるかたもなし、思ひのけぶりは胸をこがし、かなしびの涙かわく
まもなし、わが身のやうなる人しあらば、うれへの道を語りなぐさむかたも有るべき
に、まどろむ事もなき程に、夢にだにも見たてまつらす、只身に添ふものは、有るか無
きかの脳炎はかり也、三日をすごしけん思ひは、たと千年萬年を幕すもかくやと思ひ知
はや かたそなき、露の奪いく秋をか偲っべきと
られたり、ましてや行末のかなしき事はやる たれ

豪て は
奥に一首の歌を
かきたりー一本
もおほえす、かやうにみなし子となりはてて、誰かあ う

れとも問ふべき、たゞ願はくは


C)


「奥に かう こそ
かきたり し」と
われら二人をあはれみ給ひ、母もろ共に一 にむかへ給へ と 、こざかしく年


あり
跳日付まで書きて、奥に一首の歌をかきた
三 人 法師 下 三五三
シ 『シ
ごの照髪をいふかた
おんころも ちやう
是を上人あそばしもはてす、御衣の袖を顔にあてさせ給ひて泣き給ふ、道場のうちの聴
衆、貴践上下道俗男女、袖をしほらぬ人はなし。是を聞き見る人、ある
ひはもとゆひを
切り

によしやう
、かたなに添へて上人の御かたへまみらせ、御弟子になるもあり、或は女性はかさの
した * * 』、
-
* 〜 十 い
下より髪を切りて上人に参らせ、発心する人もあり、そのほか通世する人かすを知らす。 ちやう
の 内思ひやらせ給へ、しばらく御説法をも聴聞申したく候ひしかども、
せ〜は か
-
、シ * * - い 〜:ートリ)、・・、2ー 。 *
や棄てしきづなに、繋がれん事ぞと驚き、目をふさぎ思ひ切り、たゞ合戦場にて千
斬り入り候て、一命を捨つるもかくやと思ひ、篠崎を出でしよりも、獅大| し あん
事に候 はる〜まかり出
る で候て、ある木のもとに休み、思案つかまつる事
は、座シも道なるべからす、所幹高野山は弘法大師の入定のところ、諸備くんじゅ
の霊地也、いかなる所と申すとも、比御山にまさるべからすと存じ候て、奥の院のか
はらに、柴のいほりを結びて、一大事を修行せはやと思ひし心をさきとして、比山に上
りてよりこのかた、更に他念なし。われをも人をも知らす まして厳郷の事をも知らす
ー』 『
只寝ても豊めても、念備三昧にて、月日をおくり候ふ、めん〜にまじはり申す事も、
けふはじめにて候へ、過ぎにし春のころ、河内よりこの山へ参りて候ふ人の、ある人に
あひて物がたりし候ひつるは、かれらが事を、くすの木が聞きてふびんがり、その時六
っになり候ひし 字を取りたてて、篠崎を取らせらるよ也。又姉は比丘になりて候ふ
ものごしにー人
づてにの意
よし、ものごしにうけ給り候へば、心安くこそ候へと語りければ、二人の僧、ありがた
き御務心にて候ふ、ことさら殊勝におほえ候ふとて、おの〜袖をしほりけり。さて御
けんはい -
) 、 、、 U う 、
身をば何と申すぞと問へは、玄梅と申す也、はんかい入道をば玄松と申し、荒五郎入道
せん く 、) 、1 、〜
をは 玄竹と申す也。三人の僧一度に手をうちて、あら不思議や、上の字のかはらぬ殊
勝さよ、Fの字は松竹 の字なり、さては我等シはかりの契にては無かりけり、たと
ひ同じ知識の下にて、心を給はり候ふとも、かる事はよもあらじ、誠にありがたきしゅ
くしふどもかな、比あひだ比山にありながら、かくとも中さで過ぎつる事こそ悔しけれ、
のち
今より後ー一本 今より後は同心ある べき事に侍らん、かへす〜も皆世の中のありさま、前世の業関き
イ 〜
「向後」とあり
わがなす事はよ
しと思ひ人のわ
たり迷ひとなる地、こょを知るを碑といひ、知らざるを 夫と中す 位も楽みも、智誌
-
ざをばあし\と
思ふー原本「わ
も愚痴もみな過去の行ひ地、わが貸す事はよしと思ひ、人のわざをばあしょと思ふ、あ
三 人 法師 下 三五五
御伽 草紙

のうる こ
く ふふ
が思ふ事はよし
人のはあしく候 らあだ事や、よく〜工夫あ りて見候へ、世の中のことわりは、能智隷も、又千雨の黄
ねん Cし%
てわが身さへい
やしく候ふなど 金も、共身のながらへ候ふ程陸也、 一たび無常の風におもむかん時は、たぶ 一念の発心こ
と人毎に申しあ
へり」とあり、一 そ、まことの道に入るなれと 御心得候へと申し合せけり。はんかいもかの女房に逢ひ
本によりて改む
たてまつらすは、いかで務心有るべき、色こそかはれ、 何れも思ひよらざる道心也。あ
、心のほそきよりおこ
、かの一大事は、心ほそく候はでは、いかで御入り候ふべき、かょることわりも、
ら しめ、 備道ならしめたまはん方便なるとぞ侍りき。
大 備 供養 物語
ーj ー *
大備供養物語
-
--
に す iーシ
善導



|

春乗房重源東大寺やうやく勧めつくりて入唐す。騎朝のとき極築の漫陀 難、五祀の眞影
東を

奉り


わ大寺
たし

を指す ほふねんしやうにん
の軒の下にて、
きのさのみ
聖人御導師として、供養あるべきよし風間
あり。しかる間建久六年乙己十一月甘八日と定めおかれし事なれば、東國大将殿を初め
まるらせて、 従の大名千葉 北條、畠山 宇都宮を初めとして、大名高家三百八十四人
外敷をしらす。又鎌倉殿の北の御方を初めまるらせて、常山の 宇都宮の内 は
鎌倉殿の北の御方には 姫 御前にてまし〜ければ、中すにおよばす、大名小名の女房
達、法然聖人の御説法聴聞せんとて、六百人ときこえし。京上薦達には帝王を初めまみ
一』シ らせて、闘自殿卿上雲客態日みす達を始めまるらせて、南都へ㎞をやりってくるぞ
おびたゞしき。共外大和、山城、和泉、河内、近江、越前よりまみりつどふ聴聞者は
くらと云ふ敷をしらす。かよる所に法然聖人鎌倉殿へ案内を申されけるは、承り候へば
大備 供養 物語 三五七

*ーシ -『』『シ - -
ー ー -ー=-=
-
--
シ===
御伽 草紙 三五八
供養の御導師に源空をめされ候ふべき由候ふ、犬も導師にめされん事面目と存じ候へど
も、浮土門を り立てて、愚疑問鏡の衆生を備道なさんと営み候へば、山の大衆不思議
の法然房、外道の法をとり立てて、衆生を地獄へおとさんとせらるょ不思議さよとて
㎞く、シ いぼる、、 * * fき、 *
撰揮の形木をうちわりし刻に、黒谷を退出せられ、常時は大原にすみ候ふ、まして導師
くわうざ
っかまっると聞えては、廣座とも揮る事は候はん、狼糖仕り候はん哉、かよる大事の御
しやうけ
供養に障得をなさん事口惜しかるべき事に
に候ふ、除の御導師をめされ候へ、源空におき
うし
候うては叶ひ候ふまじきよしを申されければ、鎌倉殿頼朝のはからひたるべからすとて、
たうてい せんぎ
常帝へ奏問せらる。帝王を初めまみらせて公卿殿上人、さていかゞあるべきと診義した
まふ。大宮の左大将忠光の公の申されけるは、自河の院の仰せにも何事も起が心にそむ
ける事はなけれども、賀茂河の水と撃 のさいと山法師の心、これ三つは丸の心に叶は
得業ー昔奈良の
寺にありし過学位
ぬ物ぞと仰せられし事なれば、今もかくこそ候はんすらんめ、さ候はシ座王をめさ
にて維摩曾最勝
曾法華曾を勤め
たる者をいふ
れ候へとれければ、しかるべしとて、天台座主を召さるべしとを聞く。奈良法師比
三豪ー み だい 事を承り請候はす、共義ならば我寺の得業こそ御導師はせらるべけれ、ゆる いかんとな
(御豪)の宛字な
るべし るに、聖武皇帝の御ちぎり浅からざりし三豪女御に過ぎおくれたてまつり、御敷き深か
ほこ、ぎす よこさ づて
りしに、死出の山より郭公に女御の御歌を諦みて、梁婆へ言停られし事ありしぞかし、

歌に云く、
わくらはに問ふ人あらばほとょぎす死出の山をばひとりこそ行け
と個名に書きて、郭公の足にゆひつけてつかはされければ、卵月八日に内裏の上を鳴き
めぐるを、公卿殿上人闘の密ありけるが、排音めづらしく聞ゆる物かなと、雲井を御覧
すれば、文をくひきつて落したりければ、大臣達不思議と思召し、是をとりて帝王に奏
し申しければ、是を開き御覧するに、女御の御手跡にて比歌をよみ給へば、御涙にむせ
に、
ばせ給ひ、あらむさんや御宿 の時は百官萬乗の位にそなはり、シとかしづかれ
ましましけれども、死出の山をは只ひとり行き給ひけん事ょとて、第十六丈のシ
備を手づからみづから鎌たてまっり、行基菩薩を御使として、中天笠より薬羅門奪者を
しやう
とけさせ
講じ渡し奉りて、供養をとけさせ給ひたりし事ぞかし、我寺の本願を思うて得業こそ導
しゆけんほういん

師をばせらるべけれと申しければ、寺の僧綱是をきょて、さらば我寺の謡源法印こそ
顕密ー天台華厳 顕密の家にてましませば、御導師はせらるべきとぞ申されける。帝王を初めまみらせて、
浮土等の数を顕 ざっ たい
数といひ、眞言
を密教と名づく いづれを導師に定むべきとぞ仰せける。かょる所に梶原、鎌倉殿の御前に参りて、地鶴
-
大備 供養 物語 三五九
*}』
*}
-

草紙


o







て御座候ふ、隠しき者さへ監督の家に生れっれば、堂を作り塔をくみ
て、二座三座の説法をばせさする事にて候ふ、いはんや大日本一番の大備の御供養に
一座の御説法はすけなき御事にこそ候はんすれ、只三人ながら召され候へと中しければ、
然るべしとて、三座の説法に定まりぬ。又一二番をぞあらそはれける。さてたれか一番
の御導師をせらるべきと中されければ、山の大衆我山の上をはたが期すべき、魔王一番
とそ申しける。又奈良法師の中しけるは、シをたてんするにたれか山に劣るべき、東
㎞ 大寺は聖武皇帝の御願所、興 寺は淡海公の氏寺なり、シ、 郡の玉をばたがお
すべき、得業一番とぞ申しける。又寺の僧綱申しけるは、共義ならば我寺の法印こそ九
篠殿の御子息に講楽院の寛明僧正の御第子也、割密衆撃神行持律の御事也、法印御導師
シーシ とこそ中しける。相論によっていづれを一番に定むべしともおほしめさす。又税原申し
けるは、さらばくじを取らせ候へ、くじの はかた恨み候はじとて、三人の御代官をめ
して、足立の藤九郎くじを持ちてとらす。けに山王権現の御はからひにてや候ひけん
山は一番に取りあたる、南部は二番に取り常る、寺は三番に定まりける。さてシの儀
式には山の大衆一千人、奈良法師一千人、寺の僧綱一千人、そうじて三千人は大行道に
伽陀ー譚して煩
といふ得に同じ
たち、難る鍋枝の役には山より圓入居に定まりぬ。伽院の役には南都より撃の法印但馬
の阿閣梨、戒壇院の大夫房、圓明院の式部の阿閣梨を初めとして、十二人とぞきこえし。
いきずみー息を
凝らし澄ます意
鍵の役には寺より豊乗坊 道永坊 この清僧たち我劣らじといきすみけるは、天人も%

四王ー持國、廣 耐し、堅牢地碑、楚天四王龍碑八部も御納受ましますらんとぞおほえける。去程に上藤
目、増長、多聞の
四天王をいふ 達難撃に乗りっれて御聴聞せらる。座主の御説法始まるに、近き違きのもの一文一句に
八部ー天、龍、夜
又、乾闘婆、修 ても御聴聞とおほしき事もなかりけり。是を始めとして三座の御説法は過ぎ侍れども、
羅、迦標羅、緊那 こ
た 耳に入る御聴聞更になかりけり。鎌倉殿の北の御方、大将殿へ御使をもって仰せあ
いふ
のワ
るは、東國より備の御説法聴聞のためにはるム〜上りて候へども、何事の聴聞事も候
はねば、法然聖人の御説法聴聞中して下向し候はでと中させ給ひければ、頼朝もさこそ
存じ候へとて、御使者まみらせける。聖人も今こそ参り候ふと御返事ある。さるほどに
山の大衆足をきょて不思議の法然房の振舞かな、孤撃達の御説法ありっる後に、何修の
法をのぶべき、必す浮土門をほめて除宗をそしらんとそ思ふらん、もしさもあらば術子
より引きおとし、恥をあたへん物をとて、あらき大衆一二百人、姿をかへて聴聞衆にま
ろくしやう てい ころも
六青ー縁青の宛
字か じはる。聖人是をしろしめされたれども、六青の小袖のさる鶴なるに薄墨ぞめの衣めし
大 備 供養 物語 三六 一
御伽 草 紙 三六二
かうや い
て、高野日笠を顔にあて、いと事もなけなる艦にて入堂し給ふ。御供には小坂の善悪坊
長楽寺の隆寛㎞城築紫の聖光坊を初めとして御弟子十二人にてそ偲りける。聖人の
僧子ちかくつらなり給ふ若殿三人、あないやしけの御居や、葉撃にてこそまみらるべき
に、かちゃはだしで見苦しさよ、足は本よりの貧僧かなんどとさょやき笑ふ。聖人東西を
しづかに御覧じて、幾千萬ともなき聴聞衆を、皆死人ぞかしとおほしめし、御涙をながさ
せ給ひければ、北面の下薦どものいひけるはあれ見給へや、説法すべき賀分が無くてこ
そ泣き給ふにやと、笑ひあひけり。聖人かね打ち鳴らし、東西をごらんじ、人の身の欲心
はおそろしきものにて候ふ、領學達の御説法のあとで、源空がまみり候へば、何條の法を
説きのぶべきいかさま施物にこそ心をかけて参りたるらめと慰名し候ふらん、それもっ
ともにて候ふ、又聴聞衆の御耳才シ魔の人あまた御わたり候へば、はづかしき御事
にて候へども、一座の説法はつかまつるべく候ふ、定めて山の大衆はいかさまにも浄土
楽ー除宗の祈 門をほめて、除衆をきらはゞ恥にあたへんとぞ思しめし候ふらん、八萬四千の法はみな

恥にあたへんー 衆生の機根にしたがひて説き置きたまへる法なれば、いづれをそしり、いづれを正しとす
恥をあた へんの こんりふ
誤か べきやらんおほえす候ふ、中にも我身の艦は妙法蓮華経の五字をも態 正し給へる事なり、一
えふれんけ * --
胸には八葉の蓮華あり、備みなこれにまし〜給へり、かるが故に悪業もとより常にな
まうさうてんだうしんざう
し、妄想轄倒よりおこる、心蔵みなきよければ、衆生もとより備なり、かるが故に法花経を
じやう
そしらん者は、只我身の鶴をやぶるに似たり。そも〜法花経と申すは中天笠三のあるじ浮
ばんだいわう しった たいし
飯大王の御子悪達太子、十九歳にて大道心をおこさせ給ひ、御ちぎり深かりし耶修多羅夫
人をそむき いとをしみの御子難艦難をふりすて糖特曲にいたらせ、阿私価 人にっかへ
じやうだうたいちよ
行六年苦行六年し給ひて、三十成道御ぐし刺除し給ひて、響奪とあらはれ給ふ、一字
一酷なりとも、この御経をあだに申すべき事なし されば書寛供養して筒に奉納し侍らん
ふくめん くさ いき
に、口に覆面をして臭き息をあてじと奉納したてまつるべし。かよる御経をば末代悪世
の衆生等いかでかよく保ちたてまっらざらん。又ェの教と申すは、たとへば人となる
事は父の嫌母の難をもってなり、いかなれば父母の焼をもって人と成るべきぞや、北斗

耳 は
七足延命経には九曜七曜の星のあっまりて作りこしらへる事なれば、シ 階ほこけ で いり いき - *
- -
眠 目、口、 鼻、六根六境備ならすと云ふ事なし、出入の息は金剛界、胎蔵界、動き
いたぶ、き
はたらくこと印契ならすと云ふ事なし、就中北斗七星は 頂 を座とせり、最後臨終の時ま
-
、シ * 〜
しれうー未詳 でもしれうを定め、常に共人を守護し給ふ。九曜七曜は、酒飯ともなれり、その人をは
大備供養物語 三六 三
御伽 草紙 三六四
ひかりもの
らんとする時、北斗さきだち座をはなれ出で給ふ、玉のいづるを人光物の出づると申す
- 〜 、 沈 ぎゃう ニ -
〜 いき 〜 ● 、 ー
事にて候ふ、かょるめでたき法
しやうじんけつさい
も七年の衆行五年三年して、いかに悟るといへども、百
日の精進潔斎にてこそ、博法灌頂はつかまつり候へ、かくの如く候ふ間、下界の衆生この
にんたち じゆけせきじやう
かたも
法をいかでかたもち候ふべき。 又座碑修行と申すは、達磨いにしへの智大選、樹下石上
三業ー身、日 意 にこもり、岩の上を座と定め、膝をくみ手をむすびて、三業をしづめ身をはたらかさす、
七年五年三年通して得法仕り候へども 末世の衆生は風の相を鳴らすがことく、海の波
の荒れたることく厳㎞の心なれば、いかでかたすゃくかょる座碑をは仕るべき、比
ことわりを存知し給ひて、響奪世に出でさせ給ひ、すでに八萬四千の教 法を説き給ふ、
中にも大無量毒経に云ふ、末法萬年除経番減弾陀一教利物遍増と説きたまへり。比経を
㎞ シしてのたまはく シたまり
㎞。 かる御事にて僅 ば、源翁主門を取り立て ば、外 の法をとり 、衆生を
地獄へおとさんと仕るとあって、山中を追ひいだされて候へば、いかでか聖教の所判の
まことき虚を青くべき、三世の諸備は十萬備土を建立して、衆生をみちびかんと ひ
ましませども、除備は顕密衆學浮行持律のものをこそ迎へんとは誓ひましませ、西方
、lーーー - ー、-ーー A- ー*ー
口 =* **:* 〜 、 〜
،|愛の高潮陽は土地の条件來 確にし
けっか * *
て徐まし かな かせね3 4
& わん みやうがう
阿彌陀佛が来た | … - -
神靈 公 禅+<s ㏊
選 松。 ~金矿 s㏊
*
1 度 のまくだらせ結びて、比野を無で
さ入十里の群れを天人のあまの羽衣をきて、三年に
ではのは0~) なでつくすな 動 す地 文人中世の前に家 といふ物の愛德 0
も小さな 仲に満た んな 天人三年に1 度下0 30~ を 執
中す也、如此方八十里の岩をなでつくし、八十里の結の光子を取り つくすことを、 元新思
德人 は小平にて彼氏 症はど<しく集しまします 物能いかはど とか思有し結ぶ、念佛を|
ば立っ子孫 子をさなさぬまで、 無前藩院 と すはやすぐ にて後 5 歳の家
秦朝の開業生を機になさんとして 梁しましけるあり難さよ とで、南無前藩院 と市,こ
を入中他動の郡の書記載する こを機 にも 食中後の功能のふか**學
で さんに 際 会 本はものはんこ~ =に文 ·古朱 のは 、 北宋s
。 松 陰莖
認す 1 ,も急流 1 会 に及ぶ べからす,て見え て破 º %出兩翼 といふ 與 は大力の
の功德は十分の
大佛 供 资 物語 一 六方
-
御伽 草 紙 三六六
者節を射出したらんが如く、東西南北をめぐり、おこたらす百千年吹きゆきたらん遠さの
間に、金銀七資の堂塔をひとしく造りたらんと、一念の功徳と封すれば、里園風の吹きゆ
きたらん跡の堂塔は、十分一も一念の功徳によりつくべからすと見えて候ふ。さて十
念の功徳は天笠三に恒河と云ふ河あり、無熱池の池より流れたる河也、廣さ四十里、深さ
四十里あり、シより漢 まで百萬三千六百里流れたる河なり、比河のいさこの数の金銀
七資の堂塔を造立したらん功徳とくらぶれば、かの恒河の渋の数の堂塔は千分の一も十
念の功徳には及ぶべからすとこそ見えて候へ、又一大三千世界の草木をあつめて灰にや
きて、是は共山の木の灰、かれは草の板と備はしろしめせども、一念十念の功徳とは説
きつくしがたしと備は説きたまふ、中にも比法は女人のためにおこし給ひたる願にて候
ふ、三業をしづめて耳をそばだて御聞召し候へ、女人は三世の諸備に棄てられて、備と成
るべきことなし、吾朝は小國たりといへども、女人のまみらぬ所おほく候ふ、吉野の奥
には不動院、比叡山には坂本をかぎる、高野山には不動坂、天王寺には資塔、善光寺には
堂の内へはまるれども、御格子の内へはまるらす候ふ、あさましと云ふばかりなし。さ
ねはんぎやう によにんち こくし えうだんぶつしゆし け めんじ、ぼ さっ ないしんにょや しや このもん
れば混繋経には女人地獄使永断備種子外面似菩薩内心如夜又とのたまへり、比文の心は
-** -
女人は地獄の使永く備子の種をたっ、外面は菩薩に似たりと云へども、内心は夜又のこ こ
J7
しよう かいなんし しよぼんなうがふしふい にん によにんみ
とし、同じき経の二十 一巻にのたまはく、諸有三千界男子諸類機合集以一人女人貸
こつしやう このもん
業障とのたまへり、比文の心はあらゆる三千世界の男子のもろ〜の煩悩を合せ集めて
もって、女人一人の業障とすとのたまへり、同じき経の二十三巻に、
まへ 女人大魔王能
児“>説㎞ 、この。 ) 、 - -
切人現世作纏縛後生貸怨敵とのたまふ、比文の心は女人は大魔なり、よく一切の人をく
のち をんてき もん まき





現世

ら 縛となり、後には怨敵となるとのたまへり、心地観経の文一 の巻四丁
せ しょ*っけんた らくお たいち ほふかいしょにょにんゃうむ じゃう*っぐわん
めにとき給ふ、三世諸備眼堕落於大地法界諸女人永無成 備 願とのべ給へり、比文の心
おんまなこ ぐわん




、どす



とは



大三世
なながく
成 界も
し人地

ま、

女堕


㎞おやう

ゆく
あし
いっけん
何女は
無獄



一、





於の閉間況人見ま経\
た巻




一に
く*

たび
ひさこ




い長ば
い、





う心
見と


一へり
女人 度ま
くれ
たかに
いっしやふ
- ふ さこくき
さこわ ばんてん

度をかしぬれば、定めて無間獄におつと云へり、法華経の五の巻にも「一者不得作麓天
にしやたいしやく きんしやま わうし しやてんりんしやうわう しやぶっしん
二者帝響、三者魔王、四者轄輪聖王、五者備身とのたまへり、比文の心は女人一には楚
*
ふよ
天王となる事をえす、二には帝響とならす、三には魔王とならす、四には轄輪聖王とな
らす、五には備身とならすとのたまへり。されば女人は三世の諸備に捨てられたり、女
大備 供養 物語 三六七
三六八
御伽 草 紙
人の頂に開あり、肩に火毒のほむらあり、腹に剣ほくのっるぎの山あり、かくのごとく
の不浄悪業のとがを心中につょ めるによって、女人をば深く忌まれけるものと説きた

)

\




*


-

キよ
へり、されば女鶴の御門は比混 撃経を御覧じて不常の備の仰せかな、さながら女人
あくみやう
の悪名をたて給ふ事の日惜しさよとて、混撃経四十巻をみな焼きはらはせ給ひたりしを
御子の徳一大師領學にてわたらせ給ひしかば、空に覚えて書き留め、日本園にひろめ給ひ
こつしやう
し御事也、 女人の業障の深き事かくのごとし、浅ましきことかぎり無しといへども、阿
弾陀如来廣大無漫の御慈悲にて、 四十八願の中に第三十五の願にのたまはく、設我得
㎞ こ み によ
じっ強 ㎞、
かいこう
B、試 ㎞ シ㎞ シに ㎞ 〜 -
十方無量不可思議諸備世界共有女人聞我名跳観喜信楽務菩提心厩悪女身毒終之後復貸女
A =}---*
ざうふ しゆしやうがく
像不取正鍵と説きたまへり、比願の心は、たとへわれ備をえたらんに、十方無量の不可思
議諸備の世界に、それ女人ありて我名競をきょて喜びたのしみ、菩提心をおこして女身
をいとひにくまんに、盆終りて後、又女像とならば正覚をとらじと誓ひ給へり、まさに

知るべし、又女人成備の願成就の交に云く、すなはち弾陀の本願赤によるがゆるに
ほこける
やうし
女人艦の名競を稲して、まさしく命終の時、女身を轄じて男子となる事をえて、弾院の御
ば さつしん
だいる
手をさづけ警魔歌をたすけ、法華の上にまします備にしたがひて、往生して備の大倉に
無生忍ー無生無 入りて、無シを 語す、又一切の女人もし弾陀の名 願 によらすは、千勃萬勃恒沙勃
滅の眞理を認知
すること をふるとも、つひに女身を轄する事を得べからす、まして知るべし、いま道俗ありて女
人浮土に生まる 事をえすといは 、よく感撃すべし、信すべからす、女性たちょくょ
く比法を聞きたもち念備中させ給ふべし、油断して地獄へおちさせ給ひ候ふな、それ女
てんによじやうぶつのきやうかたうこ
人の悪名をたて申すにはあらす、又天女成備 経 には女人の方人をせられて候ふ、天な
くして間ふらず、地なくして草木生びす、天と地とのめぐみによりて、草木は 生 し
にたがはす、女人は三千世界の備の蔵とこそ説き給ひて候へ、女人なから
んにはいかでか備のたねをはっぐべく候ふ、されば にはシとて、女
人一人を しっれば、諸例を誘するとも説けり、たのもしきかなゃ。又㎞に三
難をわけられたり、上輩の念備はェ説に、シ
日一心不側に申す念備は大乗の念備ときこえて候ふ、中輩の念備は
す念備にて候ふ、下輩の念備は阿弾陀備の仰せに、そも〜人となる
めて人とはなれる物なり、身のきたなきこと大海 を
ふろんふじや、
ろん ㎞、 しんらん
脱し *
たんねんる に そくさくわうじゃう
》、、j
ミ 〜**j く
でかきよくなるべき、阿 弾陀備の誓には不論不浮、不論心蹴、但念弾陀則得往生との
大備 供養 物語 三六九
T

御伽 草 紙 三七○
わ る ふじやう ぎやうちうさぐわじ しよしよえん
べ給ふ。されば汗穏不浄をもきらはす、行住座駄時所諸縁とて、ねてもさめても他事なく
念備をだに申せば、三輩中輩 をこえて、浮土の往生をとけんこと何のうたがひ候ふべき、
あ び たいじやう
又念備講誘の者は阿鼻大城におちて、長く苦悩をうく、かへす〜も諸法を誘することな
いりようびん
かれと、迦険郷の御盤にて、午の時より説法始まりて西の時まで御説法ある。近きも違き
一ゆすー倫子 も御盤の及ばすと云ふ事なし。聴聞の人々も袖をぬらさぬはなかりけり。鐘うち鳴らしゆ
すまりおりさせ給へば、公卿殿上人襲撃よりおり 又武士等はシの軸を合せて 各
㎞したてまっる虜に、悪僧進み出でて聖人に申すゃう、誘法の罪人は 阿シ城に幽ち
て長時に苦悩を受くると説き給へるは、いづれの経の交ぞやと間ふ。聖人とりあへす
備限 経 の文なりと答へ給へば、比僧ェじてシたすけ給へと、聖人を献したてまっ
うそゃくー未詳
れば、糖暴うそやきてぞ見えたまひける。さて共後あぶらくらに入れ奉り、もてなした
てまっる。御布施には大将殿より御馬六百定、北の御方よりは長持三百機、その外大名
いくらといふ数 をしらす。され
せら㎞
修理料に参ら枝二十校まるら
ども奈良へみな十㎞十
れうおんさくぶん
シ十定二 し ゆり
せられて、聖人の観徳分には一っもめされ給はす。さてし
もあるべき御事ならねば、いそぎ大将殿闘東へ下向まし〜き。秘すべし〜。
享録四年二月二日書寛軍
大備供養 物語 三七一
三七二

*『- シす|}
俵 藤太 物語上
たはらさこうだひできこ たいしよくわんかまたり だいじん
朱雀院の御時に、俵藤太秀郷と申して名高き勇士侍り。比人は昔 大織冠 鎌足の大臣の
翻龍 安部の左大臣シより五代の 、従五位の上棋雄朝臣の燃 地。村雄朝臣田原
の獣に住しけり。然るに秀郷十四歳に成りしかば、シをさせて共名を田原藤太とそょ
ばれけり。群難の比より朝家に召され、シじ侍る事年久し。或時秀郷父の説に行きけ
れば、村雄朝臣いっよりも心よけにて秀郷に勤面し、御譜を樹 に%めて申されけるは
人の親の身として、我子をいみじく中すことは、瞬がましくゃ侍らん、さりながシ
鶴配ー熊度 群は世の人の子に顧れて、宿鶴 艦獣ゆょしく見え給ふものかな、如術橋に御 は、先
祀の鍵を継ぎ給ふべき人とこそ見れ、それにっき我家に鎌足の大臣より和賞しシ
㎞あり、シの身として、従へ持っべきに侍らじ、日本シに譲り侍るべし、シ
かうみやう きは こがねづくり
持って、高名を極め給へとて、三尺除りに見えたる金「作 の太刀を取出して、秀郷の前
三七三
俵 藤太物語 上
御伽 草紙 -

三七四
さしお
さ A * * * *。 * きf 、
に差置かれければ、秀郷比由承り、除りの事の嫡しさに、三度載き謹んで退出す。され
このつるぎ のち ** ミノ の
ば比剣を相博して後は、いよ〜心も勇み、何事も思ふ個なり。括物取っても、弓を引
*、 ㎞。A ふい う しBり い、 * おしゃい
くにも、肩を拉ぶべき輩もなし。君の御貸忠孝を励ます事甚しければ、下野の國に恩賞
総 さ 誠 は を

陽はって、龍下るべきにぞ定まりけるこそ難有けれ。然るに共比近江の國勢多の橋に

だい㎞) に き」㎞きな㎞
* を びい、 い ? *
大 蛇の横はり駄せりて、上下の貴践行悩む事あり。秀郷怪しく思ひて行きて見れば
のた
たけ おぼ まなこ かぐや
諏にシ二十丈もや有るらんと しき大蛇の橋の上に横はり訳せり。二つの眼の態ける
* ミ い* )げ F *
。ま

* } *-、
○この所の文太 は 天に日の拉び給ふが如し。十二の角の鋭利なる事は、冬枯の森の精に異ならすo
平記巻十五三井 おちが くれなみ ふりだ ほのは
寺合戦の修によ の 牙上下に生ひ違ひたる中より、紅 の舌を振出しけるは、婚を吐くかと怪まる。も
れり
、きたほ 3 い㎞ をのこ

-
い 、 り ミ By
世の常の人見るならば、肝魂も失ひ、共儒倒れぬべけれども、元来秀郷は大剛の男子
たいじや せなか あなた 。
なれば、少しも揮らす、彼の大蛇の背をむす〜と踏んで彼方へ通りけり。
け しき うしろ
され ど も大蛇は、敢て驚く気色も無し。秀郷も後を顧みす、遥かに行き隔りぬ。それよ
せいざ やき で み
り東海道に赴き、日も西山に入りぬれば、厳宿の出居に宿られける。既に共夜も更け行かりね -
あるじ
ょに、夢も結ばぬ個寝の枕傾けんとし給ふ所に、宿の主の申すやう、誰人にやらん、
もん ほこり たぐず
に勤面申さん と申して、怪しけなる女房一人、門の漫に行みておはしますと申す。秀
い づく けんさん
郷聞きて、あら思ひ寄らすや、そも何虜の人にてましませば、我に見参

し きい これ
こそ心得ね、さりながら思召す仔細のましませばこそ、是まで御出あれ、尋ね給ふべ
き事あらば、砦 へ入らせ給へと有りければ、主 彼の 性 に斯くと申す時に、女性言
ふゃうは、いや〜足は苦しからす都の方 の者なるが、比慮にて卿か申し入るべき事有
り、 れながらこれまで御出あれかしと申す。去程に秀郷態するに及ばねば、居た
る所を突 て、門外に出て見てあれば、『 平除りの女性員一人竹み居たり。その形線を
見るに、シ腕にして避も輝く程なり。髪のかより脳しうさながら比世の人とは思
更尋ね給ふこそ豊東無く候へどもと申されければ、彼の女房藤太が側に差寄り、が盤に
申すゃう、誠にシ見知り給はぬこそ避理なれ、われはこれ世の常の人にあらす、シ
しも勢多の胆魔にて、見え中せし大蛇の、撃化したる女なりとそ申しける。藤太比由
聞きて、さればこそと思ひ、さて如何なる事の存細にか、撃化して来り給ふと申され
ければ、女房中すゃう、日比は定めて離省し及び給ふべし、競は近江の 湖に住むなり
むかしひさかたつちかた あきつ す
シの天の道開け、あらがねの主蹴まりて、この秋津洲の園定まりし時より、かの湖
俵 藤太 物語 上 三七五
界界
蔵 金金
胎ー剛 ある 以外
べから

に 他
御身 て

云 限


御身り 堪へ
ざる




か、
虜なもの
も近シ

遂シーニ
づく
るしに
就中龍宮と和
ながら我頼む碑の悪のましませばこそ、日本六十除州に挑んでて我を日常てょ来るらめ、一

多みしシ
べに
な人難し
し若

叫事
け平
やた





どとい

離すく
をき間びんもす事
-

さべし

なる
恥末名
の 折




損を
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又、
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り辱代じ事る由


比。
藤太 也


無除
儀誠て


べし
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御安我國
のきに葉危 人










勢思ひ

はやと
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頼み



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まさ
人 はは


貸書

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敵も術

なし
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涙かりさ全のしくに




























獣 みれ々河 しず
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かるせしでめ 草紙御伽


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かに

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とくし地れ を



頼ぬ
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世事
、か難も
さて
聞ダ
侍り

の常
みな儀てき
こんたい




*
ほんち 、め 杯㎞る 、すェ
--
さうかい あらは
を斉海の龍碑に現し給へりと承り及ぶ時は、異議に及ぶまじと思ひ定めければ、 時刻を
なのめかきけ
めぐら かたき

廻さす、今夜の中に龍りて、かの敵を亡し侍るべしと申しければ、女房斜に悦びて播消
ちうだい は
すゃうに失せにけり。去程に藤太は約束の時を避へじと、重根の太刀を使き、一生身を

郡の調にて製し
離たす持ちたりし重艦の号の五人張ありけるに獣かけて 弱み、十五撃三供ある三年
たる弦
竹の 大のシぎたるを三節手 んで、勢多をさして急ぎけり 湖水の混に打臨み
て、三上の山を眺むれば、㎞すること頼りなり。さればこそ催の個物薬るにこそと守
り居ける所に、暫く有って雨風 ㎞しくする程に、比良の艦織の左よりも、燃購三千あ
まり嫉き上けて、三上の動く如くに動揺して来る事あり。山を動かし谷を響かす は
百千萬の 電 もかくやらん、恐しなんどははかりなし。されども藤太は少しも騒がす 龍
かたき さしくは
宮の敵といふは是ならんと思ひ定めて、件の弓矢を差加へ、化物の近づくを待つ程に、矢
頃にもなりしかば、他くまで引き 貫臓のェと思しき所を射たりしに、その手㎞"の
はず
板などを射るやうに聞えて、答を返して立たざりければ、安からす思ひて、又二の矢を
つが や つぼ
忘る、ばかりー
長き間 取って番ひ、折れし矢霊を心掛け、忘るょばかり引絞りて射たりけるが、比矢も又踊り返
って、身には少しも立たざりけり。只三筋持つたる矢を二筋は射損じたり、頼む虜は只
俵 藤太物語 上 三七七
御伽 草 紙 三七入
いか ぶ、 めぐら このたびき
一筋 足を射損じては如研せんと、とり〜に思ひ難しっょ、眠魔の鎌には、嘘を吐き
掛け打番ひ、南無八幡大菩薩と心中に斬念して、又同じ矢売と心掛け、よつびいてひ
矢壺と1矢壺を やうど放ちければ、毛艦してはたと電ると覚えしより、二三千見えっる松明 度にばっ
の術か
と消え、百千萬の 電 の音も鳴り止みけり。扱は化物は滅したる事疑ひなしと思ひ、下
部 に松明酷させ、化物をよく〜見れば、紛ふべくもなき百足なり。三千の松明と
見えしは足にてやあるらん、頭はシの如くにて共形大なる事警へん方もなし。件の矢
は『龍の只中を通って喉の下まで抜け通りけり。急所なれば 理 と言ひながら、斯程の
大きなる化物一筋通る矢に痛み減びけるシの程こそゆょしけれ。去程に初め二筋の矢
は蹴 を射る如くにて立たす 獅の矢の通りし事は噂を鎌に塗りたる故也。睡は継じて百
足の毒なればなり。日比勢を振ひし物なれば、尚も仇をなすこともやとて、件の百足をば
しゆくしよ
すた〜に切り捨て、湖水にこそは流されたれ。藤太は猫魔に騎り給ひけり。明の夜又

比度ー比度はの タべの女性来りけり。比度すぐに出居まで入りて、藤太殿に見参せんと言ふ。藤太やがて
き ゆうりきかたきい
誤か いであ はう *
うらやかーうら 出曾ひ封面しければ、女房うらやかなる盤にて、扱々貴方の勇力にて日比の敵 を平け
しんべう
らかと同意なる
べし 安全の代となし給ふこそ返す〜も碑妙なり、脱び身にあまりてはんべれば、恩を報す
るにものなし、せめては 私 に持っ所の物にても、先づ〜避らせんと思ひて来りたりと
㎞ て、藤太が前に据る競べたる物を見れば、シ二つ、シうたる俵、赤銅の鍋一つぞ候
㎞ へける。田原藤太は比由 見るよりも、誠に鶴市き御志かな 然れば今度の御事はみや
うの方 によってシ 御身のシは中すに及ばず、我等の家のシ
か是に若かんや、共上斯様に御賓物給はり候ふ事、税びの中の悦びにて侍ると、色代して
申されければ、扱女房も心よけにて、さらば先づ奉幣は騎り侍るべし、返す〜も今度
の悦び、吾身一人に比へ難し、千萬人のためによろしければ、重ねて共徳を報じ申さん
とて、女房は概地ともなく騎りけり。秀郷 の女房に得たりし巻朝を取獣し衣装に仕立
た よね 、こ
つる虜に、裁てども〜霊きす。又米の俵を開きつよ、米を取出すに、これも遂に霊き しよくもつ

すせ。さてこそ藤太をば俵藤太とは申しけり。挑又鍋の内には思ふ まょの食物沸き出で
つきあか
けるこそ不思議なれ。藤太は尚も奇特を見る事もこそと思ひて待つ虜に、案の如く月明
つふ、共有様を見
やう だら によ たう せいし
てあれば、美麗なる事前の姿には様かはれり。博へ承る、天笠三の耶輸陀羅女、唐の西施
き けんじやう あまくだ
り ふ じん * 、 ミ
李夫人と申すとも、これにはいかでか及び給ふべければ、只喜見城の天女の天降り給ふ
俵藤太 物語 上 三七九
IT

かと、初めて驚くばかりなり。扱も龍女のまたふ *
をたやすく亡し給へる事、吾等が 「慰共に検び侍るといへども、 多の物の悪くこ
れまで現れ来りて、御思を報じ申さん事いと場き様にて隠あり、されは れ多き事なり
といへども、君をェに基し参らせばやとの願ひにて、これまで姿は御迎ひの貸に参
さて まうし
-* A ** } * * 、ノ、
りたり、沖もの芳志を蒙りし上は、御心を置かせ給ふまじ、疾く〜御出あれかしと申

しければ、藤太比由承り、是程に大切に侍るなれば、よも我身の貸は悪しからじと思ひ
て、彼の龍女と打連れ龍宮へと急ぎけり。
まん〜 は さり
ちょかー直下な| 去程に龍女は俵藤太を伴ひ、漫々として涯もなき湖水の中に入りにけり。ちよかと見れ
るべし ほミりか いてい
ども底もなく涯も見えぬ海底の、畑の波を凌けば、雲の波静かならす、雲の波を分け行
すみりもざい - 月にミ ら、ほ㎞ * * **
けば水輪際も極まりぬ。水輪際を打過ぎて金輪際に及べば、風輪際に近くなり、風輪際
おぼ

を 過ぎしかば、浮世の中と思しき國に出でにけり。これなん我住む所と言ふにつけて
、ミす、
- ェだ)、 )べ ) -
、ドミ㎞)
五じゃうー五城| 見れば五じやう時ち、七賞の宮殿、黄金の棲門騎き渡れり。龍王の省属、異類の異形の
か ㎞くっ、、、ゃ 〜 *ーで *} ** 時 )ェ、シ) こと、 い○
鱗 は、役々に従って楼門楼閣に俳御す。我日域の帝城 禁門警固の衛士に異ならす。藤 いろ
もん もろ 〜 り、じん かうべ らい
太を伴ひし龍女の門に入らせ給へば、諸々の龍碑は頭を傾け濃をなす。門より内には種
御伽 草 紙 三八二
稲の概茶花咲き開けて、一々の花の中よりも七質の悪質満ちたる、極楽世界もかくやら
ん。扱機門を打過ぎて、歩む足も奮 しき玉の 艦撃ち登れば紫ェと思しくて、数千冊
に造り磨ける密顧あり。庭には瑠璃の破。ェの砂、際もなく撤き満てり。黄鉱の柱
玉の鱗、七質の概毛 玉の 愛"温 かなり。御殿の奇麗さは、シは日に見る事は中す
に及ばす、令て耳にも聞き及ばす。龍女藤太の袖を控へ、碑殿のェに玉の曲悪を構へ
て、悪へと言うて据る置かる。暫くあって音薬を奏する事あり。共後八大龍王の第一 姿
かっら りうわう
伽羅龍王、八萬四千の巻属を引連れ、玉座に直り給ふ。龍女も同じく玉座に直り給ふ。
こま
さうくわ%ー佐 玉座に定まつて互ひの一濃こと濃やかなり。時にさうくわんの龍女百味の珍膳を捧け出
官か お まへ -
おんじき
る。龍王の御前に据る 、共次には藤太、共次には龍女に据る たり。共飲食世の常ならす、
かうは たぐひ こがね はん かうが、い しろがね てうし
流潔ー海の気を
いふ、楚鮮に警 服するに心よく、香 しき事難なし。暫し有りて又容の盤に、演瀬の橋を据る 、銀の獅子
六気飲泣海号と
あり
に、天のこんすい盛りて出たり。これも先づ龍王の飲み初め給ふ事三度、共後藤太の前
こんずい ー奨を
コンゾといふ是
に持ちて参る。藤太も同じく三度受けたり 。共味ひ天の甘露なれば申すにや及ばす、ふ
このみき
なるべし
らんうつょらが八萬歳を経たりしも、比酒の徳にこそ有りつらめと、いと難有くぞ思はれ
し ゆえん やうかは さかづき めぐら
ける。酒宴の儀式日本には様鍵りて 歪 も廻さす、思ひざしもなければ、只心のゆく程
さし受け〜飲みけるなり。山艦の監を通来の如くに積み上けて撃艦し偲 きける上
に、艦 の引出物をせられけるこそゆょしけれ 藤太心に思ひけるは扱も斬盤の集みは

ぼんくわうたい か ほるこ
の愛華と申すとも、足にや及ぶべき、斯鶴雄有き蹴主にも善は侍るかと問ひ給
へば、共時龍王の御誌には、中々の事中すにや及ぶ、天上の五衰、人間の八苦、龍宮の三
く、けん こ へんしんべん
熱とて、何れも苦のなき國は無し、就中比國に年比重き苦患の侍りしを、御湾比度碑鍵
を振ひ、たやすく滅亡し給ひける事、備碑の御助けに等しく、難有く豊え侍るなり、一
死萬生の税びとは、然しながら是をぞ申べき、この御恩は報じても報じ霊し難ければ、
未来%に限るまじ、御身の子孫の貸に、必ず思を謝すべしと宣びて、シの鍵 同じ
く太刀『正取り添 藤汰に興へ給ふ。比鏡を召 ㎞を持っ㎞、将軍に
任じ給ふべし。又シの釣電一っ取り出させ、比築軍と中すは昔 ㎞中天空に
出世し給ふ時、狙選長者と申す人、シを造りて備に供養し奉りし時、無常院の鐘
のをは寛したる鐘なれば、諸行無常と響くなり、比鏡の辞を聞く時は、㎞怒ち
に 減し、菩提の崖に国 なり、かる不思議のシば、比園にシ久しく保っ
と言へども、比度の擁物に足も同じく奉る、日本國の額に貸し給へと宣ひければ、藤太
俵 藤太物語 上 -
三八三
御伽 草 紙 三八四
比由承り、鍵㎞は誠に家の資なり、釣鐘の事はわれ武士の身なれば、さのみ望み申す
には有らねども、由来を詳しく承れば、末代吾朝の資何か是に勝らん、是獅以って難有
し、さりながら斯程の重き釣鐘を、いかでか賜はり騎るべしや、是ぞ難儀なりと申さ
れければ、共時龍王微突みて、いみじくも申されたる物かな、弓矢を取って強き者を減
す事態こそ、 には及ばすとも、斯様の物を撮拠が事は、吾谷属の自由なり、心にか
け給ふ事初れとて、乃ち異類異形の 鱗 盤に仰せて、水中に引かされけり。既に時刻も
こはり
移りければ、藤太心に思はれけるは、昔丹後の國興謝の郡水の江の浦島が子とゃらんもけらくい
をさめ 、たまさか ここよ
シに遇ひて、偶然にこの盤龍の國に到りしに、かょる快楽に取りっょ往にしへ行く末
をさめ いざこま
み させ ふるささこ
を忘れて年を経る事三年なり、或時故郷の継しさに、少女に暇を乞ひ、水の江に騎りて
いぶか
ふるささこ
見てあれば、住みし故郷も鍵り果て、見知れる人も無き程に、斯く有るべしゃはと説し
く、能く〜問へば、それ昔三百除年の事なりといふ人あるに驚きて、遂に空しくなる ち*
ためしてうか ほうこう
と聞く、かよる例も有るぞかし、我は殊更朝家奉公の身なり、殊更故郷に
・ はや〜

年老いたる父
は、
獣のましませば、時の間も見まほしくて、早々御暇を申されければ、龍碑は獅も名残惜
きよう
しけにて、様々の興を霊して慰め給ふ。
去程に龍女は依藤大秀郷を様々に撃艦し偲め給ひける程に、瀬々時刻も移りければ
** 一太は大王に暇を乞ひ龍宮を出られける。海中をあょむ事㎞の程と愛ゆれば、勢多の橋
にぞ著かれける。それより父の記に行き、村雄朝臣に封面して、比程の有様始めより詳
しく語 輸へば 父㎞議の悪ひをなし、雑ならすに位び給ふ。それに就き龍王の引
出物にシのシ鶴、 鶴の釣鐘を賜はりたり 剣鏡は武士の重賞なれば、末
㎞」代子孫に相博すべし、鐘は覚せんの物なれば俗の身に従へ診もなし 三賀へ供養すべし
されば南都へや奉らん、比叡山へや奉らんと申されければ、父の朝臣比山を聞きて、質
にも誠に一々のシなり、中にも彼の霊を継シ に寄進し奉り、常来の艦船を所
らんこそ難有けれ、諸備菩薩の御シ例れも一鶴方便と言ひながら、殊更三井寺のシ
へ奉り給へ、それを如術にといふに、一つは常園なり、又彼の寺のェと申
すは弓矢碑にておはしませば、子孫の武藝を斬るべし。さて又彼の寺のシは艦載薩離
* 一にておはします、比度の班徳によりて、五十六億七千萬歳三倉の嘘シの出世の御時
北 ー 山 シの継線ともなるべし、共上南都も 継も突鏡既に成就せり、彼の三井寺と中す
に今にシの響もなし、連かに思ひ立ち給へと有りしかば、藤太委細に承り、さらば三
俵藤太物語 上 三八五
-
御伽 草紙 三八六
をんじやうじ ち ちやうりだいそうじやう
つねじ
千常ー秀郷の子
長吏ー三井寺の
井寺へ参らすべしとて、園城寺へ遣さる。千常三井寺へ参り、時の長史大僧正 に調し
主長たる僧をい て、件の趣申しける。

僧正大いに悦び給ひて寺中のシ艦を倉合しェ議まち〜なり。僧正仰せけるゃうは
常寺は伽藍 創の後大植那繁昌して、備法最中の道場なれば、晩鐘の響は心に任せて
龍宮より取りて騎りし質なれば、シの重賞 未代の名暴なり の沙汰に及ば
りや うじよう
す、報謝を受け給 ふべしとありしかば、満座の大衆一同に皆犬と領 承 し、吉日を選
んで、彼の釣鐘を寄進し給へ、即ち供養をなすべしとて、千常をば返されける。藤太比
山承り、唐崎の濱へ行き見れば、夜の間に龍宮より上け給ふと思しくて、件の釣鐘おは
します。足より三井寺へ引きっけんには、獣多の人夫を持ち給はすば、シく引きっく
まじと案じける虜に、明日供養と相定めし今資 海よりシりて彼の釣鐘の叫を
衛へ、大講堂の競庭までいと場く引きつけて、擬消すゃうに失せにけり。僧正大衆達
も、奇異の思ひをなし給へり。去程に園城寺には龍宮より釣鏡 りっく、シ供養し給
ふ山シに聞えしかば、シのシ きせんらうにやくくんじゆく きゃう
詣す。都よりは殊に程近ければ、貴践老若群集してけり。時の闘白、大臣、公卿、女院
シ女御 更衣に至るまで、三倉の暁シ出世の結線の貸と思しければ、道場に車を戦
らし 備前に護をっきて、五障の雲を舞らし給ふ。既に時刻にもなりしかば、乃ち供養の
くびす
ざす

しゆ ぐわんー園 儀式厳重也。常寺導師は常寺の長吏大僧正しゆぐわんは天台座主とぞ聞えし。共外諸
の哺徳額撃数千シ座に連 給ふ。導師高座に比り、観艦の鐘打鳴らし、秀郷の朝臣こ
城寺歴代長吏中
に比名見えず
の善根に艦へて、シにては無比の楽みを極め、来世にては上品蓮豪に生れ、乃至七世
苦輪ー衆生の生 の父母速かに三界の 輸を出でて、天上の根撃を極め、シ順
死輪廻すべき苦
界なる故にいふ 慰と、呼師の聴聞船有く、皆感涙をそ流しける。
ずみき
ぎをんし
んしやうじや * }
院にに
聴聞の道俗おしなべて随喜の涙を流しけり。難有や、比鐘と申すは祇園精舎の無常院
㎞べし こ しどよ、

響くなり、諸行無常、是生減法、生減滅己、寂減貸楽の四句 の音を寛されたれば、是
㎞)* 、シ)ト・・・= ミい 、rg)P長
= \う ン、ミ
を聞く人おしなべて無明長夜の夢を醒し、発心菩提の岸に到る。誠に末代不思議の奇特
らんしや
うさ -
--f
とぶらへ ばー問
なり。抑も常寺草創の濫館をとぶらへば、昔人皇三十九代天智天皇の御時、比湖に近き 大
へ ばの意 こさのり きぶ、
-
みかこみ
津に都を移し給ふ。愛に帝御夢の告けましますにより、皇子大友の太子に 語 して、楽
あんち
れいちこんりふ せらる、共名
浪や志賀の花園に霊地を占め、一 の伽藍を建立し、丈六の弾勤薩睡を安置
なみ はなその
よ たのおほぎみみかさ
を誇顧寺と跳す。共後皇子大友事に遇うて崩れ給ひしかば、その御子興多『王 帝へ奏し
三八七
俵藤太物語 上
-- -
* -シ- 』』
-シ -
御伽 草紙 -

三八八
申しっょ、彼の寺を移して、父の家跡に造りっょ、園城寺と改め給ふ。比寺の に清
潔なる群非の水あり、比水を持って、天智 天武、持統三代の帝の御池 に用ゆる故に
御シとは中すなり。斯くてシを経る事潮く二百年に重んたり。時にシ師と申し
て群徳額撃の名僧まします、比人は弘法大師のェ の住人宅厳の嫡男也。僧
馬の比よりも正相世人に勝れ、雨の御眠に各雌三っぞおはします。御年十四にて都に入
㎞ り給ふ。十五歳にて叡山に登り、シの門弟として髪を刺り 三ェ価の
㎞ シの中に、 シの北 シし
ふ所に、シ㎞って、海上の御シもに『らん㎞に立
㎞て、十ヵをェ㎞のシ
㎞ 離に立ち給ふ。又新羅天明碑申前 船の艦に化現して、自ら舵を取り給ふ。足にはって御
船 なく瞬艦の津につきにけり。御在唐六年の共間、園清寺の シ、開元寺のシ
こうぜんじ ち あうぎけんしきは
龍寺大徳、興善寺の智説い㎞
りうじ だいさく
㎞輪、かよる明徳高僧に顕密の奥義を撃び、音を極め給ひっ いうれいい らい
天安二年に至って御騎朝ましましけり。斯くて御 瀧盛にして、一朝の綱領四海の僧頼
るかこ
として資産の護持を貸し給ふ程に、 より認して園城寺を賜はりけり。大師園城寺に入一
- } } - -
-

け 尚率
だい くわし
けうだ
らせ給ふ時、一人の老僧立ち出でて名 告りて目く、我はこ
うし
、プ4 待 千不


と言ふ者なり、比寺
四至のけんけい
に住して大師を待つ事二百除歳と言ひ終つて、四至のけんけいを授け て魔容をさして飛


ー未詳 けう
び去りぬ。大師は奇異の思ひをなし、比寺に住持して量言秘密の教 法を行ひ給ふ。大講一
堂は八間四面、三重一撃の資増 七間四面の阿弾陀堂四庭 一宇の資殿には山王権現 誠
離す。唐本の一切経七千除巻をば、魔院にこめ給ふ。共外今熊野御赴護ェの御拝
殿、普賢堂、龍 際、シ、大法院、四面の廻郎、十二間の五輪院、継て堂舎の一
数は六百三十除 備の数は二千鶴、満潮撃の霊地なれば、大師比寺の悪の水を汲ん
で、三襲の闘御として、シ三谷の噂を待ち給ふ故に、三井寺とは中すとかや。斯
程めでたき道場、如何なる事の存細によって園藤に及ぶぞといへば、彼の大師㎞ま一
回㎞ー火災
しまして後、御門徒の大衆、戒壇興隆の事を中し行ひしによって、山門の大衆魔獣をな一
し、シけ合うて 成は討たれ加んでシに血を
あへし修羅の巻と貸す事は、法滅の基と浅ましかりし事どもなり。
俵 藤太 物語 上 三八九
御伽 草 紙 三九○
俵 藤太 物語下
扱も俵藤太秀郷は、下野の國に居住して、國中を治めしかば、共勢近園に振ひけ。か
かりける所に下総の園想の郡にシといふ人あり、比人は桓武天皇のェの親王
國香ー原本比所 には、四代の 鎮守府の将軍慰が子なり。承平五年二月伯交常陸のシを討っ
のみ コッカ とあ


潮く八州を呑み、相馬の郡議艦を限りて王城を構へ、我身自らはシし、揮

り、今改 む
○将門記には将
頼を下野守、経
を召使ふ。シの三シをは下野守同次郎大薬原の慰をはシ同五郎シ
明を上野守、藤
原 ダ 茂 を常陸
をは伊シのェをは常陸介 藤原のシをば上濃守 藤原のシをは安房守
介、興 王を上
継介、文屋好立
文屋のよしかねをは相模守に赴任せしむ。斯くて大軍を して 部へ打ちて上り、日本
を安房守、将文
を相模守、将武
園の群となるべしとて共 艦 有りけるを藤大秀郷熱 と聞きて、質にも誠に大園の
を伊豆守、将貸
を下纏守に叙す
とあり
士なるうへ、慰を唯け継へり、比人に同ェ日本園を牛分づっ管領せばゃとシ
相馬の郡に下りけり。彼麗にも著きしかば、館 人を差遣はし、下野の園の住人シ
御れうー御寮か 秀郷御れうの御目にかふり申したき事侍りて、是まで参りて候ふと申しければ、禁門警固
の侍基比由を将門に申し上けけり。折節将門は髪を蹴し流りて居給ひしが、如何思しけ
はくえ ちうもん もさこより
おほわらは
ん、取敢す大童にて、面も白衣のまょにて中門に出合ひ、秀郷に勤面し給ふ。元来藤太は一 てな
めかしこみ さも
目賢き人なれば、比有様を見留めて、はかム〜しからすと思ふ所に、将門秀郷を響さむ、 これう
わうまん か

に、柳艦を撃握る て足を着む。将門の食ひ給ふ御料務の上に落ち散りけるを自ら挑ひ

のご * 、、 -
拭はれたり。藤太心中に思ふ様、是は偏へに卑しき民の振舞なり、さて除り軽怒至極な
あるじ

れば、日本の主とならんこと、思ひも寄らぬ事なるべしと、初勤面に心がはりし、申し語
う さこ
らふべき言葉も出さす、疎み果ててぞ騎りける。それよりも秀郷は夜を日についで都に
ほんぎやく
上り、案内申して奏聞申しけるやうは、相馬の小次郎将門が叛逆を企て、東八 ク
し、剰へ軍勢を催し、王城へ討つて上るべしと結構仕り侍るなり、速かに追討使を下さ
てうか おんだいじ
くわんたい
るべし、若し事㎞に及ば、ゆょしき朝家の御大事と龍成り候ふべし、それに就き候 はかりこさ めぐ
ふ せう - シ - *
ては、秀郷が身不省に候へども、一方の大将をも宣下せられ候はゞ、鬼 も角も 謀 を廻
ちうはつるかさく ぎやうてんじやう びこ
らし、謀伐仕るべきよし申しければ、帝大きに驚かせ給ひて、公卿殿上人を召され、比事は
せんぎ
いかぶ
如何あるべしとの命 議まち〜なり。共上将門叛逆の事東國より重ねて奏聞申しければ、
俵藤太物語 下 三九一
-』 -』『』
--- ---- - -- --- ---- - -
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『 「jj j ー ー :ー} }L
-
御伽 草 紙 三九二
ゆうよ うってきしくだ
比上は獅像すべからす、秀郷は東國の案内を存じたる者なれば、先づ彼を討手に差下さ
れ、共後大勢の討手を遣さるべきかと有りしかば、 比議 犬も然るべしとて、乃ち藤
太を禁庭に召され、シの事、然しながら次が謀を頼み思召す也、急ぎ龍下り
て だて めぐ ぎやくしん こう
て、能く〜手段を廻らし、逆臣を謀伐し、君豊かに民安からしめよ、軍功は功による
べし、如何様諸軍勢を重ねて後より下さるべし、次は夜を日につぎて急ぎ下るべしと
せんじ めんぼく いさみ
宣へば、藤太宣旨を承り、弓矢の面目何事か是に若かんと、勇をなして退出す。さらば
めぐ
時刻を廻らさす急ぎ下るべしとて、都をばまだ夜をこめて、自川や栗田日をも打過ぎて、
正闘時にシれば、夜はほの〜と明けにけり。四の宮河原を除所に見て、闘の正路に


かう
さしかく お へ かうべ み ろくだいぼ きつ


差掛り、三井寺に参りっょ、講堂の御前に頭を傾け、南無や弾勤大菩薩、比度もし秀郷
㎞の に討たるとも、和みを掛けし1念のかによりて、シに
術か
返し なと
はくは藤太が謀に御力を添
念し、それより新羅大明碑の御前に参り、騎命頂濃大明碑、願
へられ、難なく敵を打平け、君も豊かに民変え 園土安全長久の御世と貸し給へ、船らば
我々が一門永く常赴の氏子となって、赴頭に頭を傾け奉るべしと、シの誠を挑んで さちやう
て暫く所り給へば、誠に紳慮も御納受まし〜、御風なうして、御前の毛艦も監めき、左
右に向へる獅子獅 も動く気色に見えければ、藤太難有く奪く覚えて信心再拝す。それ
よりも藤太は駒に鞭を打って、東國指して下りける。去程に隠裏には公㎞ましまし
て、今度将門が観艇について、碑備の擁護を頼ますば、連かに誤離すべからすとて、諸
寺諸山の領徳に仰せて、調供の法行はせられ給ふべしとて、先づシの阿闘
シは比叡山に増を構へ、大蔵徳の法を行はる。奪剛寺のシは横冊に壇を
こん さー ごま
(護摩)の術か
構へて隠三世の法を行はる。根本中堂には領徳こんさを鍵き、美作の雌達は離宮寺に増
を構へて、四天王の法を行はる。足皆朝家有験領徳なれば 行温術れも厳競じて、朝敵減
うつて し そく
亡疑ひあらじと、頼もしくぞ覚えける。斯くて東國の討手には源平雨家の氏族の中に
せつとー節刀か 武二道の器量を選んで、大将軍の宣旨を下され、せつとを賜はるべしとて、先づ宇治の
にぶ、ぶ くにかちやくなきだもり
ぶようー武勇か 民部卿藤原の悪交を召さる。又鎮守府の将軍園香が嫡男上平太賞 、父がぶようをっい ぐわいこ
で、殊更多勢の者なれば、副将軍にぞ召されつる。それ将軍に せつとを賜はり、外土へ
でん
しゆじやう
もの、殿ー課術 赴くには、定まれる儀式の侍れば、主上南殿に出御なる。闘自 殿はおのょ殿に出させ給
あるべし
かい ちん ちうぎせちる
中儀ー儀式に大 ふ。大臣は九條殿、共外大納言中納言八座七挑諸司八省、階に陣を張り、中儀の節曾を
中小の別あるよ
りいふ 行はれ、せつとを出さる。時に大将軍副将軍威儀を正しくして参内し、濃儀をなして是
俵藤太 物語 下 三九三
伽 草 紙 三九四
*
ゆ は きの ゆら いかめ
*
はり、弓場殿の南の小門より揺めいて出らるよ、厳しかりし有様なり。
す ざくみん てんきやう
朱雀院の御宇、天慶三年正月十八日己午の刻の事なるに、今日諸大将朝敵追伐の貸
あたり
下聞き及ぶに従って補を連ね離をついで、我も〜とシす。都をこの平安城へ移
このかたけきらう - お し
されてより以来、未だ四海の激浪もなければ、武士は弓矢を知らざるが如し、今初めて
もののぐ あたり
干支を動かす珍しさに、馬、物具、太刀、刀 漫も輝くばかりに出立ちければ、何れもゆ
けんぶつ ろ じ きさらぎ

ゆしき見物なり。路次に少しも障りなければ、多くの難所を馳せ越えて、やう〜二月
たぶ、ぶん As
の初めには駿河の國清見ヶ闘に著きにけり。比虜にして大将悪交は暫く休らひ、富士の

しっくりー者っ 絶景、三保の入海、田子の浦の眺望を見物し給ふ折節、清原のしけふちといへるしつく
くりの誤か
り大将軍にて侍りしが、比浦の有様を感じて、温州の火の影はすさまじうして波を焼
感涙をなしてー
なしはながして
く、闘路の鈴の撃奮間を過ぐと作られければ、大将も士卒も感涙をなして、税びの袖を
の誤か 濡らし給ふ。然に副将軍平の貞盛は、家の子郎従を近づけ、次等は何とか思ふ、かく
せんー誇か て大軍と同じく路次に日数を経るならば、大事のせんには過ふべからす、殊更比将門は かたき
朝敵たる上に、我身の貸には親の能なれば、自艦に抽んでて、勝負を決せすしては叶は
ぬ償なり、彼の藤大は 誤 質 き者なるが、先陣に向うたり、若し彼一人の高名となし
なば、我等号矢のシなるべし、然る時は悔ゆとも あらじ、いざや距園を隠せ過ぎ
て、夜を日にっきて藤太が勢に加はらんと宣へは、兵共 質にも比儀光なりと申して
駒を早め打ちにける程に、足柄箱根のさかしき胆路を、職月夜にたど〜と駒に任せて
急ぎけり。
去程に平の貞盛は、官兵二千除騎を従へ、足柄箱根を夜の中に打越え、天撃元年二月十
三日と申すには、武蔵野に著きにけり。こふ にして秀郷の勢と合せて三千除騎、利根川を
下纏ー傍訓原本
のまく 打渡して、明くれば二月十四日下継の園磯橋に陣を取る。将門比山聞くよりも、シ
入らせては叶ふまじとて、舎弟下野守将頼、同じく大草原の四郎将平に、上練常陸の勢
四千除騎を相添へ、同じ日の午の刻に辛島の郡北山といふ所に出して陣を取らる。貞盛


敵の陣に隠せ%せ、大菩提けて中す様、H今こ に進み出たる兵を、如何なる者とか思
右十


土も木 もー「草 聞
も木も我大君の ふらん、近くは目にも見よ、遠からん者は音にも聞け、人王五十代の船の後胤鎮守府の
國なればいづく を
か鬼のすみかな 将軍平の園査が一 上平太貞盛なり、 戦の側逆を討めん
いづ
gに、一天の君の宣旨を蒙り
るべき」の古 歌
に擁 る 只今愛に向うたり、土も木も我大君の國なれば、何魔か党徒の祖魔ならん、速かに弓を

んー
-
俵 藤太物語 下 三九五
御伽 草 紙
-
三九六
伏せ、肥を脱いで、君の御方に参るべしと暗はりけり。将類間て町々と打美ひ、正しき
兄弟を捨てて君に参らば、忠臣とや申すべき、撃代の昔は王位も重くましますらん、常
*i"|備購門の威勢に、十善の君と申すとも、いかでかたいょうし給 べき かっうは軍離の
㎞に 員一矢受けて見給へといふまょに、五人張に十五東、郷のゃうに磨いたるを取
って、からりと打番ひかなぐり艦ちに放ちけり。鶴瓶に遊や塞かれけん、思ふ失密には
シ|中らす、貞盛が乗ったる馬の三途に中ってっと貫けにけり。馬は馬風を反す如くに倒れ
㎞ ければ員座は獣魔に乗ったりけり。シ一の矢を射掛じ 姿からすシ人 の
㎞ シシ 同三郎
㎞ 察五の維盛継説なんどとて、一人常千の兵三百隣人打って掛る。敵の方ょりも
シすなとて 常陸守っる*シ
と攻め戦ふ程に、山河草木動揺して、ゆょしかりし有様なり。平親王将門は比山を聞召
し、左程の妖獣を我領内に引き入れて、駒の離をかけさするこそシなれ、斯機の奴
㎞ を一々に 切って捨てんと 、シれっ* シの に打撃って 』を掲
て出で給ふ、その有様殊に世の常ならす、身長は七尺に除りて、五鶴は悪く蹴なり、左
鴨 っあり。将門に相も愛らぬ人艦同じく六人あり。されば何れを将門と見分
は無かりけり。将門打って出で給へば、将武、将貸以下の軍兵一千隣人、 後
魯陽云々ー准南 ひ 寄手のシもなく打って入るシ 鶴が日を返し 頭 が三獣を
ひつじ さみ
子に 「智陽公韓
と難を構へ戦酷 にも越えたれば、耐を する敵もなし。されば業の時より明の刻に及ぶ逸、討
なかは
にして方に暮れ
んとす支を援き
て日 を 招き返
る 官軍八十除人、船を撃る者数百人 共外シも失せて、今は載ふに無かりしか もこよりおこ
す」とあり 、貞盛は後陣を待ちて戦は
後 んと思ひ、共夜武蔵の國へ引退きぬ。将門は元来騎れる人
れば、官軍をあざむき、何程の事か有るべしとて、そのま 逃くるをも追はす、シ
を な

あざむきー侮る
意なり
っくりて賊の中へぞ入り給ふ。
去程に藤大秀郷は、将門の有様を見て、これは人間の振舞には有らず、シ園を合せて

町ふまじ、元より将門は謀短うして智隷浅き人と聞け
事は叶
ば、如何にも方便を廻らし、たばかり討たんには如かじと思ひ、貞盛に能く〜言ひ合せ
自らは只一人相馬の艦へ行かれけり。将門は藤太に封面して樹 に撃艦る。藤本 ひ
て中すゃう、君の御有様を見るに、誠に四天王の御勢にも見え給ぶ、基上正しくシの
継記の御子孫にてましませば、十善の位を競み給ふに博りなし、一天四海を治め給はん
三九七
俵藤太物語 下
|

-
御伽 草 紙 三九八
事程近く候ふべし、物の数には候 はねども、比藤太が身をも1方の御 凡又こ 召使はれ候は イ1 }
ほんい
ば、弓矢の本意にて候ふべしと、誠しかやに申しければ、将門心浅く脱びて中さるふ
ぶきうー武勇の
誤か
殊に各々の力を頼んで一天を治め侍り、先祀のぶきうを離かさんと思ふなり、御湾とて
たんかいこう たがれ
淡海公ー属原不
比等
も先祀を問へば、正しく淡海公の流ぞかし、國土太平の後は、 君臣和合の 政 を貸すべ
す こん きようこさこわり
- き - - -* 、------
しとて、数獣の興に 及びけり。理 なるかな、将門は我身悪く金鶴なり、敵にあうて恐
さこ かう
るょ所無ければ、今藤太が来るをも博り給はぬは、更角申すに及ばす、運命の末と浅まし
かりし有様なり。藤太は能 の南なる艦艇を預りっょ、鍵ばかり出仕しけり。成時藤太
うちざぶら よはいうさ たい
内 信 へ出たりしに、年の艦は二十ばかりと豊えし上魔の、Qに撃しきが、西の難の艦
-、 〜--
中より見出し給ふ事あり。藤太比有様を一目見参らせ、夢現やるかたなく、そゞろに豊
えければ、宿所に騎りて前後も知らす似したりけり。足や誠に夏の虫の頬に身を奮す思
こひち
-
かほませ
ひなれば、山なかりける㎞なりと思ひ返せど、さすがに猫そよと見染めしシの忘れ
/ 、 * い * 』、
ド占 ナ うしば、ナ)うこ
** セ%ては くと知らせなぼ、シとみらcと、思び沈み
もミ こ*
とミ ミBうやこおりて お
このナ う8
て居たりけり 零にまた時雨と申して館 ら通び物する女属あり、秀 は
-
ふやうは
-
した にぶ、こさわら ㎞
シを見参らするに、徒事とも覚えす、思召す事あらば 勢に仰せられ* ー
_*}
〜 い、 シ →が 、F ん り 、、、外れは、ミーと 、 、、。シ、 「 (→#* り B *、*、* り り、
」 ミ シミ
へかし、力に叶ふ事ならば、叶へ奉るべし、御心を置かせ給ふなよと 懇 に申すなり。藤
太比由聞て娘しくも問ひ寄る物かな、人の心はいさしら雪の除所にして、わりなき事を
語り出し、とても叶はぬ物故に、身を亡き物と成し果てなば、衡偲の、職 なるべしと思
㎞ ひ難らしける、かまへて 時我心誰か百年の翻を越えし人やある、露とならば鷹 の魔
㎞| 秋の鹿の笛に寄るも、妻隷ふ故ぞかし、我も比人ゆる と思はゞ、捨つる命も惜からじと思
。一ひ定めっょ、起き来りて私語きけるは、恥しや、思ひ内にあれば色姫に現はるとは
斯様の や申すらん、自らが思ひの種をば如何なる事とか申すらん、シ御前へ参りし
御局の籠中より見出されたる上魔の、御立姿を一日見しより獄の病となり、死生定めぬ我
身の風情 離か哀れと間ふべきやと 滞然と泣きければ、時雨比山間きて 隠 ならぬ思ひ
『 の色哀れに思び、さればこそ自らが賢くも見知り参らせたる物かな、共の御事は我が
のシにておはしますシの御方にてましますなり、色には人の葉む事もあり
思召す言の葉あらば、『霊はし給はれかし、参らせて見んと言へば 藤太いと娘しくて、
取る手も難るばかりなる紫の 樹に、中々言葉は無くて
* ㎞ひ死なばやすかりぬべき露の身のあふをかぎりにながらへぞする
俵藤太 物語 下す 三九九
四○○
御伽 草紙
と書きて、引結びて渡しけり。時雨この玉章を取りて、小宰相の御方へ持ちて参り、足
是の物を拾ひて候ふ、譲みて給はれと申しければ、小宰相何心もなく開きて見給ひっょ、
是は忍ぶ継の心を詠める歌なりと仰せられければ、時雨さし寄りて、何をか包み中す
-

べき、君 の方より御前へ擁け奉り、一筆の御返事をも何ひて得させよと頼むに離み難
くて、獅れながら推け奉るなり、何かは苦しう候ふべき、笹の小笹の露の冊のシはあ
れかしと俗ぶれば、女房顔打赤めて、中々物も宣はす。時雨重ねて申すゃう、シの

㎞ 分く方㎞てシのシるべし 天空のじゅっにがシp
㎞ 思ひの獅に身を無しける例思し知らすゃと、潮うに言ひむる程に、苫本に
㎞ あらねば、人の思ひの積りなば、未如何ならんと悲しくて、かの玉章の端に、一筆書き
シ。一て引結びて出されたり。時雨嫡しく思ひて、やがて藤太の許に来りて渡しけり。藤太取
る手もたど〜しく、開きて見れば
人はいさかはるも知らでいかばかり心のする をとけて契らん
と遊ばしけるを見て、喜ぶ事は限なし。それより忍び〜に参りっょ、わりなき中とぞ
なりにけり。比事深く包み隠しければ、御所中に知る人更になし。去程に平親王将門常
1 i ー ・
ミ = **〜』 口、 『_口
よそほひ - -
に比女房の扮装御覧じて、御心に染みて思しければ、時々は比御局へ通はせ給ふが、折
節親王比局におはしける時、秀郷参り合うたり。怪しく思うて物の隙間より寛ひ見れば

同じ 艦の上薦シにて七人ひとしく座し給ふ。こは不思議の事かなと思うて、共夜は騎むつき
りけり。明の夜また御局へ参りて、様々に陸じき事も言ひかはして後藤太、挑も過ぎし
夜この御局に人音のしけるを、誰人やらんと差寄りて、物の脳より見てあれば、さしも
気㎞き上薦のおはしまして候ふは、誰人やらんと問はれければ、小宰相、それこそ将門の
君にておはしませ、見紛ひ給ふにやと宣へば、藤太重ねて申すゃう、殿ならば只御1人
たいはいまみ
こそおはすべけれ、同じ鶴配の上薦七人見えおはしつるこそ不思議なれと申す時に、小
おんかたち
宰相、扱は未だ難し召さすや、殿は世の常に越え、御形は一人なれども、御影の六鶴ま
します故に、人目には七人に見え給ふなり。藤太奇異の思ひをなし、さて御本鶴には
み しり 、 、;* ー ) n、 、ト し・ ・ )、 -
見知の候ふやと問はれて、女房、夢現人に語らぬ事なれども、御身なれば申す也、うは
そら
の空に思召し、他人に漏し給ふなよ、かの将門は御形七人にて、御振舞かはる事なしと
こもしび - -
日に向ひー原本
「日に向ふ」 とあ いへども、本鶴には日に向ひ、獅 に向ふ時、御影うつり給ふ、六鶴には影なし、挑又御
そは こめかみ にくしん
こがね
り、今改む
身鶴悪く金なりといへども、御耳の側に、蜂谷といふ所こそ、内身なりと語らせ給へ
俵藤太物語 下 四○一
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『シシ -
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御伽 草 - イ
四O三
-
-
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口 urドーD -
こニ
ニ - ス ㎞ シダ て *
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シシ
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---
あっはれ
ば、藤太よく〜聞て、天晴大事をも聞きつる物 かな、是こそ誠に我生國の大明碑御託 し よく
かたき
宣にてあるべしと、いと有難くて、そなたの方に向つて、所念の気色 をしたりけり。挑
そののち ひさこや
は比後将門を、只一矢に射伏せん事は、案の内と思ひとり、共後は夜な〜彼の御局へ
ひそか わきはさ
参るには籍に弓と矢を 挟み、忍び窺ひけり。案の如く又将門彼の御局へ入らせ給うて、 け
ひま
打解けて御物語などし給へり。藤太物の隙より能く〜見れば、質にも六人には燈火に
うつ - - * ミ) 、
映る影もなし、本鶴には影のありと言ふについて、目を澄まし見れば、時々彼の騎谷 とい
もこょり せい
ふ所動きけり。藤太天晴幸かなと弓と矢を打番ひ、ひようと射たりけり。元来秀郷は精
ひゃ、、 、だれ、 ㎞ 、 ニこ - は ノ、 tj 〜- ミ 、、
兵の巧手、養由が百歩の藝にも越えたる上、矢頃は間近し、何かは以つて射損すべき、小
の つけ
あなた
耳の根と思ふ所を彼方へづんと射通しければ、さしもに猛き将門も仰 に倒れて空しく

ばシ




残六
なれ、
如に
てけ共に
と失せ
光 るく

-
り9
だ負将己




聞す

官 に




けれ

入る
など
帝へ


攻 程







え軍け門都めえき れ


ざし。
こゆ
ふ道王は

遠ば
、誠
けれ
い勢
ふ に

そ城 去、
ば開、






ぬれ
将亡び打
貞秀郷 召


門盛きるに
び抽

取首


うぶく
驚かせ給ひつふ、諸寺諸山に勅使立て、調伏の法頻に行ふべきよし、宣下せらるよ。中に
俵 藤太 物語:下 四○三
御伽 草紙 四○四

㎞ ㎞は さいい - そgきさ - *
も八坂の浮蔵貴所は今度将門が攻め上るといふ事は、全くもつて虚言なるべし、若しさ
もなくば、法職 従事なるべし、但し彼の首の上り候ふにやと勅答申されけるが、果し
て四月甘五日、貞盛秀郷の雨人、将門の首を持ちて上洛せられけり。是によつて君も御
物思ひを安められ、臣も悦び勇みつよ、一天四海の人民安塔の思ひをなしたりけり。則ち
魔非避使を遣はされ、将門以下の首受取らせて、 路を渡し、左の獄門の木に懸けさせ
けるに、将門一人の首は、未だ眠も枯れず、色も髪せず、時々は 離をなして怒るシ
也、恐しといふばかりなり。足を成従者の者が見て
将門はこめかみよりも射られけりたはら藤太がはかりごとにて
と詠みければ、比首呼%と笑ひて、共後色も発じ、眼 備がりけるとかや。
去程に隠裏には、公卿 駆シし給ひて、今度児徒退治につき、恩賞を行はる。個
抽んてらるくに
はー抽 ん てら
業には奪意僧正、僧都浮蔵貴所なり。是皆武士の質に抽んでらるょには、平の貞盛無位
る、武士にはの
誤なるべし より正五位上に任じて将軍に任すべき由の宣旨を下され、藤原の秀郷は従四位下に任じ
て武蔵下野雨國を賜はり、貞盛秀郷の雨人を召されて宣旨を賜はる。儀式誠にゆょしさ、
子々孫々弓矢の面目とぞ見えし。
引具して、下野に下りつふ、本領に安塔し給ふ 。
扱も俵藤太秀郷は宣旨を頂戴し、一門を まんみん
共繁昌は月日に増りて、門外に駒の 所もなく、堂上に酒宴の職もなし。園中の爵忠
たてき
ある者をば、望まざるに過分の恩賞を常 て行はる。罪ある者をば、速かに是を懲らさし
さいけん
なつ
め、賞罰正しければ、人の懐き従ふ事際限もなかりけり。ゆふき 共上子孫もゆふしくて、後将軍
を やま うつの みや - めシ* -
* *
とて、男子数
に任す。次に小山の二郎、宇都宮の三郎、足利の四郎、結城の五郎なんど
いかめ えいぐわ
十人に及べり、厳しかりし楽華なり。
抑も俵藤太秀郷の将門を打亡ほし、東國に威勢を施し給ふ事、偏へに龍碑の擁護し給ふ
なるべし。それを如何にと申すに、龍碑は女人に襲化し給ふなれば、彼の小宰相の御局
又時雨と申す女房 いさしら雲の除所にして、秀郷大切にシみ、大事を語り聞かせて

高名を極めさせし事、能く〜思へば、彼の女の心に龍碑入り代り給ふか、覚束なし
共上三井寺の御本ェの御恵み深き故、子孫の繁昌相績す。日本六十除州に弓矢 いかめ ためし
を取りて、藤原と名告る家、恐らくば秀郷の後胤たらぬは無かるべし、厳じかりし備也。
四○五
俵藤太物語 下
四○六

* シ } } - -。- -*}
秀 衡 入
さても御曹子は駿河の國吹上の濱を立出でて、あづまをさしてぞ下られける。通らせ給
にげ松云々ー盛
衰記に八松原と
ふはどこ〜ぞ、にけ松、おい松、さがり松、いその松原打過ぎて、武蔵の國へぞつか
い へ る所なるべ
し れける。御曹子は一首の歌をあそばしける。
武蔵野は行けども秋のはてもなしいかなる風の末に吹くらん
花は咲かねど標
川身には著ねど
とあそばし、下らせ給ひける間、あしがら山を左手に見て日光山を石手に見て、花は咲
も衣川ー比句十
二段草子にもあ
かねど機川、身には著ねども表冊をも打過ぎて、都を出でて昨日今日とは思へども、七十

五日と申すには、通かの奥に聞えたる奥州平泉シの郡にそっかせ給ふ。かょりける所
に『 平ばかりの男態一もと据るさせて通りける。御曹子は御覧じてなのめならずに喜
び給ひ、左手の快を控へっょ、のういかに、みづからは都の者にて候ふが、通かの奥に
わっばー童 間えたる秀衛が籠を教へてたべやとの給へば、比者聞いて腹をたて、推参なる
る わっばが


秀 衡 入 ○七
|
|。 |。
御伽 草 紙 四O八
言ひことかな ぐも秀衛殿と中すは世奪においてさすが上こす人もなければ、雨園に
か争ふべきぞ、土御門の御㎞とてあだに中さぬに、旅のわっばが分として秀衛がな
んどと言ひける事こそ推参なれ、こょは一 つ答めばやと思ひしが、待てしばし我心、今
は平家の世にて源氏の御代とては一つもなし、自然都におはします源氏の大将三代飛獣
の御主牛若君なんど下らせ給ふ事もあるらん、足を答むるものならば、我等が翻はある
まじき、只教へ申さんとて、 いとこまム〜とぞ申しける。
秀衛殿を御墓ねある、秀㎞はあの撃の中に見えたる、魔のうち屋形の数は六萬九千三
百八十四あり、御所様をは八町四方に建てさせ、四方に門をそするられける、東の門は
御成の門、西の門は上薦達の御いである門、北の門はいやしき者が出入る門、南の門は
朝夕大名高家の御出仕の門、 にたったる門はあれこそ都におはします源氏の大将三代
承恩主君牛若君なんどの下らせ給ふ事もあり、その殿入れ奉らんとて、常に人の出入る

事な 門なれ、前も名をはあけすの門とも中す地
四|
十四間に掛けさ せ
かのあけすの日の日に、玉の魔質
たり、いとま申してさらばとて通りける
で、-、- 、:ミ)
御曹子はなのめならすに思
・・
*いざい ト \
召し、雲るに届くばかりにて急がせ給ひける程に、佐藤の館にそっき給ふ。彼のあけす
の門を見て、あれが入日には玉の反橋五十四間にかけさせて瑠璃のシ磨きたて、そ
の橋のしたにはシの舟を繋がせける。天より権 が天降り、シ経八㎞にかけシ
の樽をさょせっょ、西方へきりょ〜と遭がせたるは渋性最難の極楽世界と申すとも
これにはいかで勝るべき。シを見てあれば、番の者三千除騎ぞするられける。御曹子
き や つ まなこ きり いん

御覧じて、是をすぐに通るものならば、彼奴めらが眼に霧の印を結びてかけ候はでは
通る事なるまじきと思召し、彼の者どもに務の印をかけ、我身には小鷹をめされ中有へ
っいち
飛んで舞ひあがり、高き築土ひらり〜と飛んで越え、屋形をさいてぞ入られける。さて
共攻を見てあれば、釣鐘が七十五 調子がねが七十五あり、シ細工が百除人骨細工が
百除人。共次を見てあれば、秀衛殿の若賞共と打見えて三百人集りて、 日くったり
鄭いだり、基シに心を入れたる所もあり。又 備 を見てあれば、相撲を習ふ所も
あり。その次を見てあれば、年寄共とおほしきが集りて、弓矢の評定とり〜なり。そ
の攻を見てあれば、十四五なるェが四五十人集りて歌や 子に心を入るょ所もあり。
かみしも
その次を見てあれば、上下を著たる者共が四五百人集りたるを、あれは何者ぞと人に問
へば、あれこそ秋田、坂田の者共が秀衡様への訴訟の者よとぞ語りける。共次を見てあ
秀 衡 入 -

四○九
御伽 草 紙 四一 ○
もののぐ - *
* はも区へ 〜 さい
㎞ ればてるい鶴が奉行にて八百八十 っの
い BAL" ス自図 *
はるとある人な
カ はんは きめがみ うとよりも物具共を取出だし名っがひす
る所もあり。共次を見てあれば、番場、醒井、かつた、柴田、にたつてかさいではの御屋
植る
うと
から

ー べし

かったー刈田
形を初めとして、以上大名達の共数は七千除騎のつもりなり。御曹子は御覧じて、あっば
だいくわはう あづま
にた云々ー未詳 れ大果報なる牛若かな、かふる東のはてまでもよき郎等をもらたるよな、常時都にとき
めき給ふ平家の清盛もかほどゆふしき事はなし。さても共次を見給へば、四十二坪の座
敷あり、 にも秀衛殿のいつもの座敷と打見えて、紫艦で康を張らせっょ、機にとりて
うんけんべり かうらいベり くわ せん もうせん も めんせん
とつ ひー未詳 何々ぞ、継継に瀬麗線、鶴の総 線の線 縁に虎の皮に約の皮ェ 木継眠と
むら雲や、つてー つひの御座を初めとして、段々にむら雲やって、さっ〜とまはり敷きにぞ敷かれける。
未詳
うしろには皇霊のよりかょり、ぶんどう添へて置かれたり。御曹子は御覧じて、あれこ
そ牛若直るべき座敷よと思召し、シのシが心をひき見んそのために、シをはき
そのなか
ながら編笠を召し、大勢の共中を揮らすすぐにつょと通らせ給ひて、とつひの御座にむ
はつぎさ さき
きんじよー近所 すと直らせ給ひ、通かの薬魔をはったと聴まれければ、きんじょ外橋の人々がこれを見
て、あれは天から降りたるか、又は地よりも湧きたるか、たとひ天よりも降らうとも
しらす
たとひ地より湧かうとも、急ぎ良洲に引きおろせ打郷せよ、打て掘めよとひしめきけれ
ども、ちっとも動願し給はす、知らざる由にておはします。
かょりける所にこょにあさのうとてシ十九になりけるが、折節共日の奉行なり。何を
騒ぐぞ、鎮まり給へシたち、こょに思ひ常りたる事のあり、今は都は平家にて源氏の
御代とては一 つもなし、 自然都におはします牛若君なんど下らせ給ふ事もあるらん、慌
てて事を仕損すな、 まづこれをば秀衡様へ伺ひ申してのち、湯とも水ともなさん事はい
と易しとて、奥へつつと入り、秀衡様はと問へば、御風呂へとぞ答へける。あさのうは

やがて御風呂へまみり、いかに申しあけ候ふ、只今不思議なる事の候ふ、年の程十四五ば
1v
十二ほかけたる
ー未詳 かりの少人十二ほかけたる編笠に、物見の窓を明けさせて深々と召したりけるが、ほょ

し 鐵"

ほ、眉ーぼうぼ
う眉毛
眉に薄化粧、歯さきとつて 奨黒なり、およそ比人を見申すに百萬騎が大将と申すとも
こ しき なくさこころ ひたたれ
歯さきとってー -*
とつてはそつて 是にはいかで勝るべき、召した る衣装は十八五色の緑をもって七所に縫物縫うたる直聖
を、
をりめ こがねづく おんはかせき 、わ ちん
か *
たびあまかはー を折目気高く召したりける、黄金作りの御偏力をたびあまかはにて包ませ、草料をはき
旅雨皮にて油紙 おほぜい
をいふ ながら大勢の大名小名の中を揮らす通らせ給ひて、 とつひの御座に直らせ給ひ候ふを、
皆この由を見、御座より引きおろせ、打てはれなんどとひしめきけれども、ちつとも動
こんにち
順し給はすおはします、今日の御座敷の御番はそれがしにて候ふ程に、何ひ申さんため
秀 衡 入 四一 一
御伽 草 紙 四 一二
に、これまで参りて候ふとぞ申しける。
さる程に秀衛殿はったと横手を打ち、これは夢かや現がや、それこそまがひなきわがた
めには三代承恩の主君にてましますぞや、いかにやあさのう、物を語って聞かせん、よ
それがし

く〜それにて承れ、某一とせ奥州五十四郡のみ年貢を供へんために都へ上りて候ふ也、
年跳を申せば平治元年正月一日の事なるに、義朝めでたき若君一人まうけさせ給ふ、義
朝よりの御誌には、奥秀衛は果報めでたき者なれば、比若を次に取らするぞ、よくば主
とも仰ぐべし、あしくば子とも思へとて、鎌田兵衛を御使として七度の御使を下されけ
くだ ひさこまこころ
る、基随分鮮退申せしかども、重ねて御説の下るゆる 一間所へ立寄りて、指を折り数ふ
ひのこ
れば、共年は の五の年の五の日の五の刻、則ち#の方へ向はせ給ひて、御産ならせ給
胃千はねー庭訓 ひし君なれば、御名を牛若君とつけんとて、さてこそ牛若君とは申すなり、かくて若君
往来にも甲各一
別とあり
眞羽ー鷲の羽を
への御祀言に名馬を揃へて千匹、鞍を 出、鶴千領、胃千はね、残刀千機、太刀千振
ちやう ま は うっ ぼ しらう や
いふ
千ほへー千ほん
刀千腰、槍千筋、弓千張、眞羽の矢すぐ つて一萬筋、靭千ほへ、自綾百反、 巻絹千匹 いは ひ
しろがね
の術か
こふくの綿ーこ 沙金千雨、料足千貫、自銀千枚、こふくの綿八千は、かやうの祀をまみらする。義朝こ
ふくは御顧にて
祀ひてい ふにや の由御覧じて、御喜びは限なし、いで〜秀衡に知行を取らせんとて黒 すり流し筆に染
シん、ミ り』シ。 ー、、日*ャ→4a***し、トニー、7 ー*g、、『s りト んし、 *f』*し*、*/
め、越後七郡、佐渡三郡、出羽は十二郡、奥州五十四郡、合せて七十六郡の所下さるふ、
源の義朝判とあそばして、某に下されける。御判を戴き急ぎ比所に下りつき、へいまふ
しさはえびすがしやうに至るまで、百萬騎をたなびき所知入りして、今において土御門
の御所様と仰がれ申すも、ひとへに比君の御ゆうぞかし、はや〜参りて拝み申せ、あ
さのうとぞ仰せける。さる程にあさのうは時の面目施して急ぎ座敷へかへりつふ、三代
承恩の君と聞くよりも、頭を地につけ三度までこそ拝みけれ。
さくや ごる
高く物をば申さす呼き盤にて、相構へてあやまちばしすなとぞふれにける。共後秀衡殿

すそ

大藤刀に は御封面のそのために風呂よりあがらせ給ひ、清けなる者を七八人つれ、大薙刀にすそ
ある

にゃ通
ぜず なかの出居へゆらり〜と出でけるが、御曹子を一目見るよりも、残刀かしこへからりと
しだかうべ かしこ
捨て、様より下へ飛んでおり、頭を地につけ長まる。人々は比由を見るよりも飛びおり
あるひ
飛びおり、或は様より下へまろび落ち、頭を下 へとひしめきける。御曹子は御覧じて、い
かにあれなるは秀衡碑門か、これへ〜と仰せけれども、暫く恐れて参らす。重ねてい
まざっかこ
かにと仰せければ、御座冊近くに長まり、涙を流し頭を地につけ、三度拝み、こは浅ま
こしくるま
しき次第かな、御代が御代にてましまさば、 興車に召され御供には大名小名つきまみら
秀 衡 入 四一三
。- - - =
--
御伽 草紙 *
四一四
せ候はんものを、御代に渡らせ給はぬとて、遥々の比道を只一人下らせ給ふ事こそ何よ
-
- もよほしらかはに しょ せき
㎞ りもって日情しけれ、秀衛勢にも存じ中さは 三千除騎を備して自河二所の間までも御
利の首尾に
㎞一迎びに参らんものを、夢にも御下向を存じ申さず、何よりもってくちをしけれ、御許さ
なるべし
せ給へとて、涙を流して申しければ、御曹子聞召し、 いや苦しうもなきぞとよ、われ通
さ B ミ * こ ふ だろ・か 、し、
遥これまで下る事別の子細にても候はす、我ら二歳にて父に後れ母の 懐 に抱かれ、大和
りうもん 、さ シ まじは のち 、かさ
シ」の園宇陀の郡龍門の牧へ通け上り 土民百姓等に残しより後は敵の中へ母諸共に生地
られ、七歳まで甲斐なき母に育てられ、 七歳の年鞍馬へ上り、とうくわうを師と頼み、生
㎞の引が 光房
年十五まで撃問致して候ふが、都に平家の誇るを見れば、手にとる筆も身にします、寧問
心にします、除りにくちをしさのまょに、鞍馬の寺を忍びいで、遥々これまで尋ね下り
て候ふぞや、萬事は御身を頼み申す也、せめて十萬除騎を催し、都へ攻め上り離る平家
を平けて、源氏の代となしてたべ秀衡殿とぞ仰せける。承りて秀衡は、をょ有難の御読か
な、御代が御代にてましまさば、御目にかょりたきと申すとも、いかでか御目にかょる
べき、御代にてましまさねばこそ、我に従はせ給ひて頼まんなんどとの御事は『 人有難
う存する也、御心安く思召せ、秀衡かくて候へば十萬除騎はさておきぬ、百萬騎をなり
とも催して、顧る平家を平け、源氏の御代となしてまみらすべし、若君様とぞ申しける。
それはともあれかくもあれ、まづ風呂を結構に飾つて、旅の御やつれを直し申せや人々
と仰せける。御曹子は聞召し、なのめならすに思召し、御風呂へ入らせ給ふ。昨日まで
も今日までも、只一人すご〜と下らせ給ふとはいへども、風呂の御供は三千除騎とぞ聞
ゆんで
えける。秀衡の纏領錦戸、次男泰衡、三男泉の三郎を初めとして、五人の子どもは弓手
め て あが さんかい ちんぶ つくおし
馬手より御拒にまみりける。かくて風呂より上らせ給へば、山海の珍物、國士の菓子を調
しゆ で み
なか
へもてなし奉る。酒もなかばと見えし時、よき女房たち十二人すぐりて中の出居へ出し、
ぎやく
-
じゆん
順の歪めぐらし、逆の歪飛ばせ、七日七夜の御遊び、申すもなか〜おろかなり。
奥方の者共これを聞き、鞍馬におはします源氏の御大将牛若君の下らせ給ふと聞いてあ
り、いざや行きて拝まん、犬も然るべしとて、日々に出仕は もなし。御曹子は御覧じ
て、軍奉行のてるいを召して、かほど多き人中に何とて吉次は参らぬぞ、それ〜吉攻
宿ーしゆくの傍 が艦ペ使を立てよと仰せける。承ると中して 吉次が宿へ使を立てられける。 吉次大き
訓原本に従ふ恐
らくば非 に驚き、胸打騒ぎ母の御献に参りつよ、いかに申さん母上さま、基は秀衛殿の御代官と
して、年に一度っょ都へ上り候ふがシの街来の道の所轄と存じ、鞍馬へ参りかねの
秀 衡 入 四一五
*
御伽 草紙 四 *ノ
さんくうー未詳 さんくうを参らせて候ふが ばかりな少人一人いで、御身はい
十四五ばかりな
ー十四五ばかり
なるの誤脱か
っくの者ぞと問うてある程に、共時基中しけるは、これは佐藤秀衛殿の御代官金賞吉次
ければ、都三條室町締屋が小路のこめやが撃にて候ふが、父母
とはわが事地と申しけれかた
の劇常を得て、いつくの へも行かん の候はぬが、あはれ連れて下りてたび給へ、共
議ならば道の冊の御奉公をは随分市さんと申されける程に、艦やの人とも知らすして
名をばきゃうとうだと付け、太刀をかつがせ、馬追となして、これまで連れて下りて候
ふが、今聞けば源氏の御大将牛若様と聞いてあり、牛若様の御手にかふり討たれん事は
治定なり、空しくなるならば死出の山にて待ち申さん、名残をしの母上様や、いとま申
つざ
してさらばとて、御所をさいてぞ参りける。通かの業座に長まり、上座をきっと見てあ
れば、案の如く鏡の宿にてきやうとうだとなしたる君にてあり。はつと思ひて物をもえ
言はで、赤面してこそ居たりけれ。御曹子は御覧じて、いかにあれなるは吉次信高か。
ざふ だー難駄に さん候ふ。いかに吉攻、貝人には構あれ、情は人のためならす、まはれば我身に報ふぞ
- しゆく
て荷馬の意
そくけさすはるー かし、それをいかんと中すに、近江の國鏡の宿にて四十二匹の
そくげさするの
術か
。一とて、常座の恥を興ゆるこれ一つ、又駿河の園吹上演にて不慮のやまう機みしを左右な
く見棄てて下る事、何よりもって恨みなり、吉次いかにと仰せける。秀衡比由承り、さ
れば参か襲が、昨日までも今日までも 員一人下らせ給ふかとこそ思ひしにあの時しき
吉次が をして、あらぬシにて下らせ給ふかよ、共義ならば人手にかけて何かせん

}
討って君へ参らせんとて、燕刀の趙はづし吉次にとってかよれは、露の命は危けにぞ見
取物
るれっり

〜f





ける

殿













めれ旦み へ





思 ひれせっ を、

下る

まで





鞍馬

いと


ひかに
なし

むす て

渡こ

我り を







れらりれときけ
秀 な

た、





知ざるか橋

うて
船 に
ならりしすくえ の

御は



け。 秀



なば
事 ひ







う残曹子

だせ



御は

納ける



力 恨まで
こ一の曹子
、それ 〜吉次 と仰せけ
こ、
㎞。「 。一る。承ると中し、月のたいに日の歪なかさにいだせば、御曹子御歪取上けさせ給ひて、 )} }
**「シか一吉次に下さるふ。吉次除りの有難さに、御 戦はって三度までこそ汲んだりけれ 御曹
子は すり流し筆にそめ、瀬橋をとって一重ね、一のへいの 隣 に八百町の所をは吉攻 こ


下さるょと、御判をあそばし賜はりける。吉次御判を戴き、命を助かるのみならす
秀 衡 入 四 一七
『 " iー
御伽 草紙
けつく
結句所領を賜はつて、 一 門共 に弾基して所知入りするそめでたき。
の さ う し
いは やのさうし 上
ありする
そも〜清和天皇の御時、三條堀河に中納言有末の卿と申す人おはしけるが、家富み楽
え、何事につけても乏しき事ましまさねば、よろづ御心に叶はぬといふ事なし。しかる
る かこ
に大田の御門の宮白河の姫君と申すを見給ひしより、御心あくがれさまム〜御心をつく
させ給へども、磨かせ給ふけしきもおはしまさで、明かし暮らし給ふ所に、御志の色深
くありしかば、シのならひのわりなさは、浦吹く風と終に順かせ給ひけり。たびかさ
なれば人知りて、誠に雲の上人ももてなしかしづき奉る。契くちせぬ習ひにて、宮懐姫

し給ひぬ。月日かさなれば程なく御産平安せさせ給ふ。あたりも輝くばかりなる姫君に

中納言世に嫡しく思召し、いつきかしづき給ふこと限なし。御年のゆくに随ひて、いよ
えうもん ほふもん
いよねびまさり、又琶、琴などをも、十六歳よりうちにて共源を究め、要数、滋賀心
いはやのさうし上 四 一九
御伽 草 紙 四二○
くわん
化”に

かけて、常は御本奪の御前に参り、無常を観じ、あはれみをなし給ふ。さればシの
理と皆人申し合ひにけり。 さるあひだ比姫君、十の御年三月十五日の暁より、母宮風の
心地とて悩み給ふが、次第におもりて十八日の暁終にはかなく成り給ふ。御年二十八、
惜しかるべき御よはひなり。中納言同じ道にと悲み給へども、姫君の御ゆくへ豊束なく
てカ及ばす。生死無常のならひ、鳥漫野のほとりに送り、御跡のいとなみ様々とり行
ひ給ふ。御かたみには姫君を明 まほり給ふ。繋がぬ月日なれば、程なく一周忌、第三
年も過ぎにけり。さてあるべき事ならすとて、御一門の人々すょめ給ひて、はじめて北
の方を迎へさせ給ふが、姫君に一つ姉なる御娘をもち給へり。我姫君、人の姫君もへだ
て なくおろかなるまじとて、迎へ給ひけり。扱北の方めやすくもてなし給へば、中納言
西の封ー正殿に
封して西にある
世にうれしくぞ思しける。北の方入らせ給ふ日より、西の獣をしつらひ、玉の如く磨き
たて、 鷹の姫君をするおき給ひけり。それより封の屋の姫君とは申しけれ。シ宮
の御事のみ思召して、御本奪の御前にばかりおはします。さて冊近くおはします右大臣
と申す人のひとり子四位の少将と申す人、かの勤の屋の御事を聞き給ひて、めのとを語
らひ中納言殿に申し給へば、いかゞあるべきと思召して申しけるは、何か苦しう候ふべ
き右大臣の一人子にて御座候へば、おろか候ふまじ、御同心あれかしと申せば、さらば
封の屋十三の御年、父中納言
とて領承申させ給ひけり。さればいかなる不思議の事にや、おやこ
そつ
筑紫の師に成り給ふが、太宰府の旅に赴き給ふが、北の方親子、 たいのやの姫君をも具
し給ふべきょし間えければ、四位の少将めのとして中納言殿への給ふは、㎞までは波
の上おほっかなく侍れば、封の屋をば都に蓄め給へかし、とても御約束の事にて候へば
だ さいふ
と申されければ、中納言仰せられけるは、太宰府へ下るべきにはあらねども、封の屋母
上におくれて後、いっとなく露おもけなる有様をいつかは晴るべき、しのびかねたる袖の
上、ほしあへぬさまのかなしみを、いつ慰むべしともおほえねば、引具して浦々島々を
おやこ
も見せんため、北の御方親子をも、勤の屋のとぎに具するなれば、封の屋とゞめん事は、
ゆめノ〜叶ふまじきよしをのたまふ。少将力およばす。挑都を立ちて淀へ つき給へ ば
少将も淀まで下りて、さま〜とゞめ申されけれども叶はすして、既にともづな 解きて
そつこの
御舟どもいだしければ、少将見送り給ひて、泣く〜都へ騎られけり。さて師殿下り給
か%ば )か べは - - - - j、 - ミニ
へば、 江口碑崎の遊君ども参りをり、帥殿御らんじて我を思はゞ、 封の屋の舟をもてな
よう
いまやうり
せとありければ、遊君ども勤の屋の御舟に参り、今様おもしろく歌ひすましければ、「綾
いはやのさうし上 四二 一
御伽 草紙 四二二
ら 、しんしう かぶり
- - さ
つくし い %
い さい 、
iノ
羅備織を数を知らすたびにけり。西の宮なんぐうの沖をすぎて筑紫へ通り給ふが、帥殿
は播磨の國司にておはしければ、播磨の守明石にて御まうけをかまへもてなし奉る。七
日の返留と披露す。 聞ゆる明 ば、 る 袖にぞやどりける。光る源氏の大将
ながむれば、くだけて月ぞやどりけると、な
の須磨より明石の浦づたひ、よせくる波をな
さこま みぎは
がめしたくなは立つ煙、春霞にぞ似たりける。松吹く風波の音厩ふ嵐の苦やかた、江に
ゆきひら も しょ あま
漢験たれつくー
「わ くらはに問 たつえいや撃、あまの釣舟おもしろく、かの行平の中納言藻麗たれつょと詠じしも、延 の
ふ人あらば須磨
の浦のもしほた たく藻のダ けぶり、さながら薄墨の槍にぞ似たりけり。常國書寛の山、ひろさはより清
れつく わぶと答
へん」 けなる遊君ども参りたり。封の屋の舟をもてなせとありければ、彼の御舟にぞあっまり
くわんさっー未 ける。くわんさつの袖をひるがへし、ばんみん曲をもよほし、希代のあそびなり。共時

北の方めのとの佐藤左衛門を召しての給ふやう、我心に思ふ事あり、叶へんと思はゞ知
らせんとありければ、鳴家かしこまりて申す様、千㎞のかたきの中、又いかなる薬
そぶ くー背く
石を砕きわりて入る路なりとも、仰せをいかでそぶくべきと申しければ、北の方うちる
み給ひて、比事ゆめ〜人に知らすな、心のうらみといふは、我も人も只ひとりづょも
ちたる姫ぞかし、我姫をば親子とも思はぬ有様にて、たゞ封の屋をのみもてなし給ふこ
、 、ミ
ー。『 トー、も* *りミ*りり
そ本意なけれ、末
れ の世こそ思ひゃらるれ、何ともして封の屋をぬすみ出し、海へしろめ
よとありければ、やすき御事なりと申す。北の方比事かなひてあらば、みづから母上よ
みうらーたから
の行なるべし り賜はりたるみうらを次が心にまかせよとの給へば、鶴家それまでも候ふまじ、さらば
グさり盗みいだし参らせ候ふべし、御心得渡らせ給へと申せばなのめならす税び給ふ。
扱播磨の守除りの御もてなしに、けっかうに観湖殿こしらへて、勤の屋を入れ奉る。継
樹よき事と思ひ、われも御湯殿へ参らんとて、いろ〜の者に酒そへてもたせ参り給ひ
て、めのと、かいしやく、共外の女房達に至るまで、よく〜酒をしひ給ひしかば、皆々申

いしゃく遊ばす、かよる継獣世にあらじと思ひけるこそはかなけれ。
らす酔ひければ、継樹の給ふは、人々は酒にる ひ給ふ、みづから御か
て入れ給ふ。さてあがらんとし給へば、今ちとと引きとめて、消え入るほどあつき湯をあ
びせ給へば、泣く〜やう〜あがらせ給ふ。七日にもなりぬれば、あかつき御舟いだ
すべしとて、各々舟にめしぬ。去程に夜更けぬれば、佐藤左衛門は小舟にのり、勤の屋
せがいー舟の左
右の端
の御舟に遭ぎっき乗りうっり、おのれが舟をせがいにつなぎて、やかたの内を見れば
いはやのさうし上 四
御伽 草 紙 四二四
三月十八日の夜の事なるに、獣 の御命日とて来避の阿弾陀の補償1幅かけ奉り、シ
にほひ おんまへ くれなみ
の香薫じて、姫君は御本奪の御前に、うら山吹の十三萌黄のうちき、濃き 紅『の椅めして、
こんでい ほ きやう みなずみしやう じ
御手には奪泥のシの 数とりそへもたせ給へりとおほしきが、御湯にくた おんきやうじゆず
れさせ給ひて、机によりかょりねぶりましますが、御経数珠机におちてぞありけり。
やわらーやをう
に同じ 佐藤左衛門やわらさしより、 御経珠数まづとりて袖にさし入れ、ともしび打消しかきい
だき奉る。めのとかとおほしめし、御手をさしのべていだかれ給ふ、つや〜御目もあか
させ給はす。佐藤左衛門おのれが舟に乗りうっり、はるかの沖へ遭ぎ出っる。扱このま
りんじう
ま海に入れ奉るべきか、いや〜おこし奉り臨終をすゞめ申さんと思ひ、おこし奉りけ
れば、姫君おどろかせ給ひて、あたりを見給へば、召したる御舟にはあらで、いやしき
-* * い す* 、 * 封氏Fば
男一人みたり。是は夢かやとおほしめし、、いかなる事ぞとの給へば、これは継母御前の
*
おんさが
・ -
さい ** 〜
御かたに、佐藤左衛門と申すものにて候ふが、いかなる御答やらん海へしづめよと仰せ
こ りんじう ねんぶつ さが
候ふ、御臨終の念備申させ給へと申せば、姫君きこしめし、 我なにの答ありともおほえ
りんじう い
す、さりながら次こょろありて臨終を知らする事のうれしさよ、とてもの情にしばしの
いとまを得させよ、母上におくれ奉りて後、毎日御経よみ奉るに、まょ母御前けしからす
湯をあびせ給ひしかば、そのくたびれによりて、けふは御経よみはてす、譲みはてなば沈
めよとおほせければ 佐藤左衛門ふところより御経数珠とり出だし奉る。姫君うれしく
おほしめし、扱御経三 あそばして、一 の御経は比世にまします父、シ
腕のため、たとひ共身は奈落に沈み給ふとも、比御経の功力にてわれ〜一っはちすの
撃に迎へとり給へ、故なきことに継獣御前に、貝今海へしづめられ候ふ、比世にましま
さば、かよる憂きめは見候はじものをと、鍵しく思ふばかりなり、今一巻の御経は、十悪
五逆の罪妹をも ェにやどし給へ、たとひ比身は千葉の底に沈むとも、御手のう
へあなうらをむすばせ給ひて諸共にT備海主の継となし給へとて伏しをかみ、さての給
ひけるは、何事も思ひおく事はなけれども 今一魔父御師とめのとを見たきはかりなり
見んといふとも見せじ、よしそれとても弾陀の来迎にあづからば、いとをしき人々にそ
ひ奉るべしと、つい立ちあがり務のそば高くとり、シきっくろひ、きぬの袖引きむ
すびて肩にかけ、舟ばたに立ちより念備百べんばかり申して、今や〜と待ち給ふ。思
召したる鶴見るに涙もとゞまらす、貞家つく〜と見奉りて、よそながら聞きしは物の
数ならず、雪のはだへ限もなし。あまりの御いたはしさに海へも入れ奉らす、わが身を
いはやのさうし上 -
四二五
御伽 草紙 四二 六
翻じ、思ひけるは、何しにをのことは生れけん、をのこの身ならすば、かょる必き日は
腹々にー原本
「はくらに」とあ
よも見じと浅ましくこそ覚えけれ。われも鷹々に子を六人持ちたるが、一人見えぬだに
り、今改む
心もとなく思ひっるに、まして比父員一人もち給へる姫君、御姿心ばへ優にやさしくま
しませば、さ こそ は敷かせ給ふべきと思ひつゞけて申しけるは、いかに姫君きこしめ
せ、北のかたさまの仰せはそむきがだく候ふ、これまで具し申して候へども、あまりに
御いたはしくて、海へも入れ奉らす候ふ、ともかくもみづから御はからひ候へと申せば
さやうに申され候ふ事嫡しくはさふらへども、自害は罪深き事なれば、とにもかくにも
次が手にからではと思ふなり、夜もあけ人もしらば、継戦御師の御名もたちなんぞ
早とく〜との給へば、まことに上魔の御心ほどいかめしき物はなし、下薦ならば、叶
はぬまでも助けよとこそ云ふべけれ、かやうの仰せられ事こそまことに有難き御わざな
一きこ ふるー原本
一 のまく
時雨るー傍訓原
れ。きこふる明石のくまなき月も、群にくれて定かならず、松に時間る風の音、清の波
本のまく にあらそひて、琴のしらべに異ならす。とかく遭がれゆくほどに、淡路の総島が磯へぞ
ゆられ行く。佐藤左衛門海の耐を見わたせば、大なる岩はあり、うれしく思ひて、比岩
穴のうへにいだきあけ奉り、是にてともかくもみづからにて御はからひ候へ、御なごり
をしくは候へども、心っよくもてなし、群とともに遭ぎてそ騎りける。姫君は岩はの上
に捨てられて、天にあふぎ地にふし、流瀬こがれ給ひけり。はるかの波をへだてて、御
盤ばかり聞えて、佐藤左衛門も泣くノ〜舟さしもどりけり。さるほどに明石には、上薦
-
海へ入り給ひぬとて騒ぎければ、
ば ㎞おどろき、急ぎ姫君の御舟に乗りうっりゃかたの
内を見給へば、た“今までおはしける
は とおほえて、ふすまも慰もあたょかなり。念ぎ女
房達を起し、姫君はいかに、まづともしびをかき立てよと有りたれば、めのと、女房達

かなた こなた
皆々あわてまどひ、やう〜紙
鷹一っもち来って、彼が距方とたづねけれども見え給は
ねは、一度にわっと泣きあけければ、その盤何にたとへんかたもなし。播磨の守網を百
ちゃうおろし、そのあたりを引かせけれども死観もなし。闘艇の給ひけるは、少将謎ま
で来てとrめしを聞かすしてつれて下りたれば、もし遂み取りてやるらんとて、念き
都へ人を上せらる。少将かくときょて、瀧瀬こがれ給ひて、縁の髪をきり、御年二十五
と申すに通眠修行に出で給ふ。随撃 信 雑色、牛鍋に至る逸、皆修行にぞ出でにけり。
明石には、 めのと初め皆々もとざり切り 思ひ〜の寺々に上りけり。帥殿も御さまか
へ したれども、宇佐の宮の御勅使にたち給ひて、心にまかせ給はねば力なく、
はやのさうし上 四二七
御伽 草 紙 -
四二八
墨染の製装を眠にかけさせ給ひて、御念備ありけり。挑有るべきにあらねば、泣く〜
筑紫へ下り給ふ。姫君は岩の上に五日まで潮にうたれておはしける。足時も生きておは
しますまじき事なれども、備の御はからひとぞ豊えけり。たゞ夢の心地にておほしける
は、いかなる罪のむくいにて、かふる憂き目を見る事ぞ、なか〜佐藤左衛門に海へ沈め
られなば、今の思ひはあるまじきにと、いっまでものを思ふべき、距魔みちくる潮に引
かれて海へ入りなんとおほすに、来世にまします母宮の御盤虚空にありて、海へ入りな
んとな思召しそ、今しばし待ちたまへ、よるひる我たち添ひてるなりとの給へば、挑
は母宮にてましますかや、何とて命をとり給はで、いかさせて物を思はせ給ふぞ、とく
とく迎へとり給へと、所響してこそおはしけれ。さる程に明石の霊の満ち千るを窺ひ
て、あさりしに出でけるが、岩の上を見ければ、槍にかける如くなる上薦見え給ふ。延軍
思ふやう、こはいかに只人にはあらじ、天人の影師か 龍 の遊び給ふが、かる人を
ばいまだ見すと思うて、舟さしとゞめつく〜とまほりけり。姫君は又かふる者をば見
習はせ給はねば、人にてはあらじ、我を失はんとてぞ来りたるらんと、恐しくてよくよ
く見給へば、人なり。姫君さめ〜と泣き給へば、あま舟を遭ぎよせ申すやう、いかな
\


御伽 草紙 四三○
る人にてましますぞ、かふる岩の上に口パ 一人おはしまし候ふぞと中せば、是は都の者
るが、通船より捨てられたりとの給へば、さも候ふ か や御痛はしくこそ候へ、さらば つ
等が住所へ入り給へと中しければ、嫡しくこそ候へ け れとの給へば、舟にいだき乗せ奉
り、我在脈へ遭き戻り、別よりかきおひ奉り、おの れが岩屋は住みあらしたるとて、う
への岩屋をしつらひ置きまみらせけり。
さる程に帥殿太宰府につかせ給ひて、北の方の風のこふちとて、邪気ありて物くるはし
しやう
よりましー物怪
をよせ移す人 ば、さるべき行者を請じて斬らせ給へば、よりまし
しませ
きち やう ぎようじや
から凡帳のうちよりとび出で、行者の前へおはしければ、行者数珠おしもみ、邪
気"



語にぞ来るらん、何ものぞ、名のれ〜と責めければば、


衣引きかづき、さめ〜と泣き給ふ。や ふ しばらくありてか
-
、執ば)う ミ』 - ミ 、 *
われはこれ都の者なり、鎮西の行者にみゆべからす、されどもあまりの苦しさにたゞ今参
み かさここたい
りたり、大田の御門の二の宮なり、勤のやの母にて候ふ、恩愛の道こそ悲しけれ、勤の
めいこ
屋十歳にで無常の風にさそはれて、はかなくなりて候ふ、姫をすておき冥途の旅に赴く
まうねん ぼ だいけうやうわうじやう


のかなしさよと、思ひし妄念に菩提の道に入らすして、孝養すれども往生せす、又つ
さこが
くる罪なければ地獄にもおちす、六道にたゞよひぬ、朝夕守るかひもなく、何の答によ
り勤の屋をば明石の海へは沈め給ふぞ、あら本意なやうらめしやとの給ひて、さめん〜
とぞ泣き給ひける。
かゃうに名のり給へども、北の御方勤の屋の御事をば深くなけく色をみせて、御シさ
まざましたまへば、さる事と したるものもなし。然れども雅銀かくあらはれて、後よ
く成り給ひけり。挑も明石の歪は姫君の御ぞ、うら山吹の十三うはがさね、御椅など紫
俗の等にかけおきて朝な夕なかしづき奉る。をっとの はっりをしに出づれば女のあ
めかぶー海藻
まおとぎを申し、又男おとぎをして女書海善めかぶ取りに行くもあり、たがひに の如
くそひ奉りけり。明けぬくれぬと過ぎゆき給ふ。挑帥殿は三とせ にも成りぬれば、姫君
をのへ たかさこ
の第三年をも明石の浦にてとて、急ぎのほらせたまひけり。尾上高砂の沖を通らせ給へ
大きなる旗ぞ
ば、海中にしやう 見えける。あれは何ばたぞと問ひ給へば、四位の少将近き里の
しやうこんだうちやう ほ
- ㎞ 〜 * き
上人たちを請じて、荘厳道場 をこしらへて、八軸の法華経をかふれけるみせばたとぞ

競 帥発
こ ほうらく
申しける。封の屋このへんにて沈ませ給ふらんとて、海の中へ御法築し給はりける。
この
-
はづ - 、、ミ、
殿さてはとて恥かしながら、御勤面ありければ、少将みるより涙はら〜とながし
-
いはやの さうし上 四三 一
御伽 草 紙 四三二
しき人のかたみと思ひ、つく〜とながめておはします。帥殿の給ひけるは、筑紫へく
だりし時、さまム〜姫をおとめありしに、つれて下りし事かょる難に遭はんためかや、今
さら後悔千萬なり、よしそれとても前世の事、還らざる身とは思へども、はかなき親


たびも、たび
まよひにて候ふ、姫うせにし時とにもち
かくにもならばやと、千度百度思ひしかども、我
さへ空しく成るならば、 葉のかけにて姫がおもひ、重きが上のさよ衣、かさねてうき
目を三瀬冊に、しづみはてんも悲しければ、せめて残りあとの営みし侍らんと、かひなき
比身はとてまりぬとの給へば、少将は只泣くより外の事ましまさす。帥殿もシさま
ざましたまへども、少将はいまだ逢ひみぬ御かたゆるに、かくとぶらはせ給ふ、 あはれ
なりし御事ども、よその快もしほりかねたる有様なり。扱いとまごひして立ち別れ給ふ。
筑紫へ御くだりの時はのほりの時と契りしに、けふ離れての共後は、又いつの世にめ
ぐりあふべき、獄しき人のかたみのいとま、互にぬるょ快かな。おっる涙も構のしづく
りんる しやうじ ふるささ
も、わきまへかねたる風情なり。今をかぎりと思へば、輪廻生死の道の古里を、比た
-
そつきの
うき別れ給ひけ -
りーうき別れし 長くへだてぬる心地して、うき別れ給ひけり。少将は書寛山へのほり給ふ、帥殿は都へ
この かsこ
給ひけりの誤か
上り給ひ、御門に出家のいとまを頻に乞ひ給へども叶はす。宇佐の宮の勅使ゆる なくと
ーーーー-j
けられしかば、御よろこびに大納言にぞなされける。
てんか
殿下ー原本天下 辞退申し給へども、論言なれば喜びの中にもさき立つものは涙なり。さるほどに殿下の
と あり、
御子に二位の中納言と申す人、八月十五夜の限なきに、僧 あまた召しぐして、賀茂の
河原に立ち出でて、駒くらべして遊び給ふが、中将馬より落ちさせ給ひて、左のかひな
をっき損じ給ふ。伊像の國は御領なれば、 群のために下り給ふ。いくほどなくしてよ
うたのかしまー
歌島か くならせ給ひて都へはや〜のほり給ふが、備後のうたのかじまより、挿磨の望にっき
あちー鴨の 一種
給ふ。月の出しほの夕なぎに、あちのむら鳥渡るなり、書寛の嵐はけしくて、暮れゆく
まょに風あらく、しどろもどろに波たちて、五般の船どもみだれけり。心ほそさは限な
し、継も艦も叶はすして、風にまかせてゆられ行く。されどもとある島へ吹き付くる。
共時船のともづなをとり消 おりさせ給ひて、浦の者どもに比浦は何といふぞと尋ね給
へば、島の者これは明石の浦と申す。挑は聞ゆる名腕なり、月の光もおもしろし、たてい
まの風に命たすかる 偲 に、足こそ画 の思出に、いざや浦まはりして遊ばんとて、御め
のと子の六位のシのシのシ 左京の大夫これはる、御いとこのシの

少将殿、中山中納言殿、比人達を引きぐして、江
殿 のかた をめぐり給ふ。磯べの松のむらだ
く はやのさうし上 四三三
御伽 草紙 四三四
ちて、心詞もおよばれす、物ごとにおもしろし。比程の思ひ出など、めん〜に日すさ
み給ひけり。さるほどにあまの岩屋にありつき給ひて、 いざや田舎の下薦の但馬みん、
人多くてはよしなし、二三人づょ見んとて、左近の丞、六位の臣をつれて、中将殿あま
の岩屋を忍びやかにのぞき給へば、日には那瀬かきっみて、きりめも見えぬくひせを砕
きくべて、袖ももすそもなかりけり。あまの衣を腰のほどにぬきかけて、男あませなを
あぶり、女はあとにみて釣の締をょりたりけり。三人の人々足をごらんじて、いざや騎
らん、田舎の下薦の住家は、犬の眠戸にさも似たり、こもを軒にかこひたれば、薬屋の
うちのむくつけさ、土をふしどの離生の小屋のいぶせさよ、さりながら上の岩屋みんと
て、ひそかに上り給へば、六位の臣ははや騎りぬ。左近の丞とたゞ二人のぞき給へば、思
ひもよらぬさもいうなりし姫君、御年十五六と見えつるが、髪のかふりより初めて、姿
火をあかしてー
火をあ かくして
有様みめいつくしき、あひかrゃく気徳にて、ひとり火をあかしておはしけり。こはい
の意か
かにと思召して、まちかくよりて見給へども、姫君は知らせ給はで、御盤いとやさしき
漢層ひとりー漢 を打ちあけて、
層火とりての誤
なるべし
おもひきや身をあま人になしはてて漢層ひとりあかすべしとは
とうちあがめ給ひて、御涙はら〜とながさせ給ひて、見まはし給ふ御目のうち、あく
まで気高くらうたき事かぎりなし。岩屋の内をよく見給へば、北と西は岩屋なり、南の
方に等をっり、うら山吹の十三にうはがさね 組 の椅そへてかけられたり 岩の上には
来迎の阿弾院の三シにかょれけり。御前には魔の線にて四季の花を結びて立てられ
たり。 記のシの 数もたれ給へり。あるかなきかの薄 にて、シ法シ
㎞ 論かれたり。かき残せるみもなし。シをかしきに、色々かれたる風情、シの
㎞のかれしシもかく ともし
近の丞申しけるは、よく御覧じっるかと申せば、よく〜見つるなり、比人を見るより胸
うちさわぎ、あはれ一っ薬ども生ればゃと 心ちもうか〜しうなるそゃ、いざや内へ入
㎞ らんとの給へば、御覧じてうち捨てんとおほしめさば入らせ給へ、もし船終の人におほし
めさば、まっ只今は騎らせ給ひて、明けてともかくも御はからひ候へと申せば、けにもと
て騎り給ふ。その夜の明くるを待つも久しく思召して、左近の丞に仰せられけるは、さる

ても浦そこのあま人に、かほどいつくしき人あるべしとも愛えす、たとひいかなる魔
えん
縁のものにて、我ためあしくなりなんとも、つれて上らでは叶ふまじとぞ仰せける。
いはやのさうし上 -
四三五
御伽 草紙 四三六
さてほのム〜と明けければ、かの所のあま人を召して、かづきせよとの給へば、きのふ
の大風に波しづまらす候へば叶ふまじとぞ申しける。仰せを背くは不思議のものとて
みぎは
江の松にいましめ付けて、挑左近の丞と只二人、彼の岩屋へ御入りありて、さし入り見給
はだへ
へば、ゆふべ御覧せじは物の数ならす、けさは獅みまさりて雪の膚の隈なさは、いふべ
き機もなかりけり。岩屋の中にあまたある歌の中に

月はさし波はよせ来てた ふく戸をあるじ顔にもあくるしの ょ め
たらちをー父の ら いかに知らせん浦にきてちひろの底をのがれたる身ぞ
意に用ふ








C)







かくて姫君昨日今日とは思へども、はや四年までこそおはしけれ。挑中将殿さしよりて、
おきさせ給へとの給へば、姫君うちおどろき給ひて見給へば、織物のシに、かねぐろな
るにうす他糖、シつくりてあてやかなる人なれば、都の御事きっと思召しいださせ給ひ
て、夢かやと貧引きかづき駄し給ふ。筆なる御小袖うちかづきまみらせて、左近の丞かき
おんはかせ
いだき資ひ奉る 黄鉱づくりの観備力みづからもたせ給ひて騎らせ給ふ。挑風もしろまれ
ば御船ども出ださるょ。又いましめ置かれたるあまども許さる。あまは我身のいましめ
られたる事をば数かで、さこそ姫君待ちかね給ふらんとて走り騎り、さても不思議の事に
て、今まで参り候はす、さこそたよりなくおはしますらんと申してみれは居給はす。いつ
のならびに片時も出でさせ給ふべき、悲しきかなゃとて走りまはりもだえこがれけり。
あまりの事に海のかたへ向ひていふやう たとひ龍営へ御騎り候ふとも、海の上にて今 一
度をがまれさせ給へ、天人の 師ならば、雲の上にて見えさせ給へ、比四年の間月足



ーカ 、
くにあがめ奉りし事、御なさけの程をば、いつの世にかは忘れ候ふべきと、流瀬こが し
ーイ
けれどもかひぞなし。さる程に姫君をはやかたの中にて、継㎞のふすま引ききせ奉
りて、とかくなぐさめ給へども、泣かせ給ふばかり也。中将心ぐるしく思召し、御顔だ
にも見せ給はす、かほどに疎まれまみらせて、浮世にありてもせんなし、海にもしづみ
も くづ
て底の藻層とならんとの給へば、姫君涙のひまよりも、かくみづからを召しつれられ候
て、鍵のあまをも召しくしたまぬぞ、あとに残りていかばかり数かん事の物うさよとの
住み侍るべきと
の給へ ばー比下
給へば、中将殿いや〜あまの子にてはましまさぬものを、何とてつょませ給ふぞと有
に脱文あるべし
意味連績せず
りければ、姫君あまの子ならすば、何しにかょる所には住み侍るべきとの給へば、月日
いはやのさうし上 四三七
御伽 草紙 四三八

わらす、とかくしつらひ行くほどに、淀へぞつかせ給ひける。人々我も〜と
入 ベ に に 位 御 に

迎に参る。田舎女房は車にはならはじとて、御馬にのせ給ふ。御供には左京大夫、六
れ け て て の

こがー山城の久 眠、左近の丞、離にそ参りける。御馬には少しもたまり給はねば、こがと云ふ所
作道ー鳥羽のっ 御車にのせ奉りて、僧避をらせい門へとはやめける。姫君稲荷をふしをがみ、御前
くりみち
らせい 門ー羅生
日j 車の物見をあけて念離し給ふ。人々あやしくぞ覚えける。挑殿下の御所へ入れ奉る
奉 れ

ども、それには大臣殿の姫君、比三年むかへ置きましませば、飛騨の部が家に



べきとりければ、シの密といふ 信の家㎞をはゆっり




り。茨田中将殿殿下の御所へ参り給ひて、御母北の政麗に見 ありければ
人々申しけるは、中将殿はそゞろに嫡しけにわたらせ給ふは、いかなる事にかといへば、
御かひな云々ー
さきに落馬のた
ある女房達の申しけるは、はやく御かひな直らせ給へば、さこそあらめと申しあひけり。
めに怪我せし肘
なり 扱中将殿の北の御方へまるり、中将殿こそ只今これへ渡らせ給ひ候へとて、皆々シ
をあけ、まうけしてひしめきける。中将殿北の御方へは目も見やり給はで いをき飛騨の
前司のやかたへ入らせ給ふ、みな人不思議にぞ思ひける。
いはやのさうし 下 \ごw
だいりかこ けん ざん の。 に、かつ、
さるほどにつぐ日闘要へ参り給ひて、御門に御 参し給ひて後は、花見の御幸、月見の
シにも出で給はで、天にすまば比翼の鳥、地にあらば連理の校とならんと、シ世々

皆 々の ー なみ はなれじとこそ契られけれ。たがひの心ざしなのめならすぞ深かりける。皆々の上運部
なみの誤なるべ

の人ならば、あまの娘ぐしたりとて笑ひのょしるべけれども 一の人の公選なれば、と
-
-
かくの沙汰もなかりけり。
挑北の御方へは、伊像へ下りて臨風 に吹かれ色くろみ見ぐるしく候へば、みょえん事もは

づかしくて参り候はす、いかばかり御つれ〜にぞ候ふらん、ふる里へまし〜て御なぐ

*
さみもや候ふべしと、文つかはし給へば、北の方思ひまうけたる事なりとて、時をうつ
みろくーしろく
さす出で給ふ。殿下とrめ給へども、終に出でさせ給ふ。共後殿下殿中将殿を不興とあ
まんこころ
の術にて白眼を
以て見る意か
りければ、北の政駆の仰せには、みろく御めみせてこそおかせらるべけれ、御不興はゆ
いは やのさうし下 四三九
四四○
御伽 草 紙
め〜叶ふまじき御事と、色々申し給へば、御不興は許されけり。さて北の政所四人の
公達をめして、比事をなけかせ給ふ。四人の公達と申すは中将殿あね君三人、妹君一人
なり。一には時の 御㎞二には中宮の御息女三には長岡の闘自殿の北の政所、四

し に け 仰
は内大臣殿の北のかた。比公達に向ひ数きおほしめすやうを語り給へば、きんだち
せけるやうは、やすき程の御事なり、中将殿はきはめて物はちする人なり、思ふ中をさ

な 闇窓
れば共思ひにあくがれ、眼獄に入れば親も子も共に身をいたづらになし、長夜の鷹
まよふ事あり、たゞこのあまの子を思ふよしにて、われらが中へ呼びいだし、かたくな
き事を見あらはし、撃々に笑ひのょしらば、などか恥ちて棄てざるべき、いづくのあまの
子なるらん、はるム〜つれてのほり棄てさるべき事よとの給へば、けにも とて、さらばめ
だいかく
づらしき作り物なさんとて、落達来の山を物の上手につくらせらる。扱大豊のすけと申す
わんざん人ー使
㎞者
女房世にすぐれたる物わらひのわんざん人なり、これをつかひにて中将殿へ参り申すべ
きやうは、四人の公達の御使にまみりて候ふ、さこそ御っれ〜にぞ候ふらんとおしはか
られて候ふ、こなたへ入らせ給ひて御遊び候へとありければ、大覚参りてそのとほりをそ
中しける。中将殿姫君にそれ〜御返事中させ給へとの給へば、姫君仰せけるは、撃
のものは東西をもわきまへす候ふ、八重だつ雲の外はみす、都のまじはり思ひもよらす
候ふ、かくて一日も候へば、中将殿御ため恥がましく候ふ程に、思ひもよらすとの給へ
ば、大覚かへりて比由を申せば、言葉のつゞきはおもしろし、されども撃はなまりてを
かしかるらん、たて呼びよせて挑はんとて、かさねての御使には自き製薬に唐継の後そ
へて、御乳の人にもたせ、又大覚をつかはさる。四人の公達の仰せには、御つれム〜お
し量り参らせて、かやうにたび〜申すに、などや御出でましまさぬぞ、中将殿御ゆる
かまひてーかま しなきやらん、かまひてとく〜渡らせ給へ、又北の政所の仰せには、これにも若き女房
へ ての 説
のあまた候へば、何かは苦しかるべき、かまひなく御入りまし〜て遊ばせ給ひ候へと
の仰せにて候ふと申しければ、中将殿まことに度々仰せ下さるふ事恐れ入りて候ふ、み
づからいかで制すべき、はや御返事中させ給へと有りしかば、姫君の給ふは、殿上のうて
きんかくー金閣 なの祖び、きんかくの御わざ、かりそめにも耳にふるょ事なければ、はざかり参らせ候
へども、千明の石をうこかしてと申させ給へとありしかば、大覚騎りて比由を申す。四
人の公達千引の石とはいかなる事やらんとの給へば ェの給ひけるは千引の石をうこ
かしてとは、千人して引くとも動くまじき石なれども、仰せの重さにゆらぎ出づるといふ
いはやのさうし下 四四一
御伽 草紙 四四二
㎞。 事なり、おはこじと思ふ㎞ いさゃまう せんとてこ“シ ㎞
はをみなへしの十五に、萌黄にほひのうちぎ、くれなみの軍にくれなみの三重の椅めし一
一たり。中宮の御ェ は組葉がさねの十五に、はじのにほひのうちぎ の一重に
㎞「。 これも三重の椅めしぬ。闘自の北の政所は、いもりの御ぞ十五に、瀬 組 の三重の椅めさ
れけり。内大臣殿の北の御方は、菊の御の十五に、紫の一重に、足もの三重の椅め
したり。一人の公達に三人づつの女房を附け、色々こしらへ花をむすびて出でたちけり。
四人の公達をならべ置き母上御覧じて、シのあまの川原に立ち出でて調の橋をわ
。 たし しゃ 員を遊び捨ぶも シにはよもまさらじ、ましてゃいはん、世奪のも
かたくなしくをかしかるらん、はやこよかし、見て笑はんと
の、しかも海士の子、さこそ
の給ふ所に

御車近くなりぬると申せば、中門へ寄せきせよ、母屋の艦のまへをしゆてん
らうにやく
殿 はるかにねらすべしとさだめられたり。老若をきらはす、上薦、女房われも〜
と 、あまの子見んとてひしめきけるよそほひ、中将の御ため卵がましくぞ豊えける。さる
いたじき
ほどに中将殿は比人はいかゞあらんと、おほつかなく思召して、御さまをやっし、板敷の
下に入りてあそびのやうを聞き給ふ。姫君の御供には左近の丞なり。御車よせて遥かに
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のきてかしこまる。車よせのつま戸の前には高焼薬に火かきたてて、女房三人手ごとに
無園ふとくしてももたれば、シ三供の夏の日、草もゆるがす照る日よりも 明かにく
シ」まなし。女房さしょりて 艦をかきあけ、はや〜おりたち給へと申せども、返事もし
" #はす いかにも撃をおさへてかきあけ給はねは、おの〜きゃき=しけるは、 厳
壇闘玉のうてな夢にも見じ、さうなくおりかねたるも 罪 なりとそ申しける。ゃしば
らくありて、今は人々思ひ忘れたりと思ふ折ふしおりさせ給ひて、たれかいしやくも中
されば、みっから のっま引合せ務のきぎは引きつくろひ 御ぐしかき撫で小袖の上に
ゆりながし、届かざし給はす、おしたょみてそもたせ給ふ。母屋のみすの前を上殿はる
かにあゆみ給ふ御すがたは、五月間に水まさる 間の謎の川柳の、あやめェの上をこ
すよりなほたをやかなり。者楽のかんさしは貧のすそにあまりて、八尺獣に様の上をそ
㎞ー*」引かれける。柳の締を春風のふき側れたるよりなは細くたをかなり。あはれ御姿を槍に
かきて あまねく人に見せばゃな いかなるシにうっしくそれほえける。
座の上に直り、うちそばみてそおはします。さて見まはし給へば、難のしとね盤の小
㎞。一帳 さこんのゆか、玉のすだれ、一の人の御所なれば、心にて思ひしに、我父の西の獣を
いは やの さうし下 四四三
御伽 草紙 四四四
こしらへ給ひしにまさりたりとも豊えす、昔をこふる涙つょむにたへ ぬ蹴れ髪、かぞふ
てい
る袖にあまれるを、さらぬ鶴にもてなし給ふ御けしき、たとへんかたなくらうたけなり。
きんだち
けだか
北の政所御覧じて、自き装束はなか〜気高く侍るものなり、わが四人の公達をあまの
げすしさー下品
なること
子に見合せぬれば、けすしさ限なし、されば世にはかふる人もあり
めかれせずー目
を離さず
て上りしも 理 なりと 笑ひ僧むべき事は忘れて、めかれせずまほり給ふ。摂達薬の作り

物を取出しみせ給へば、一目御らんじて又とも見給はす、日頃見馴れたる我らだにも面
白く飽く事なきに、何と思召して又とも見給はぬぞ、物をの給へかし、撃をきかんと思
とうりんー例利
召し、シの給ひけるは、かゃうの物めづらしからす候へども、見せ奉らんためにと
天の術なるべし 中させ給へば、姫君よく御覧じての給ひけるは、とうりんと申すは雲の上の都、落達来山と
は海の底の都なり、仙人来りて薬をとらんとせしほどに、五つの峯六つにくづれて、残り
三っになる 彼の薬に一つの家あり 不老門と名付け 長生殿これなり不老のさかひに
ちゃうあんせい
ー長安城か 一っの たっちゃあうんせいの市といふ、比市に一っの事あり薬をも 重なり、シ
のうちに壺あり、比壺くづれてわれぬれば、あらぬ月日出づるなり、倶舎の二十五巻め
に、こらうが壺といはれしは比壺の事なり、されば比達薬にはこらうが壺はなきやらんと
のち た
仰せけれども、知る人なかりければ、御返事申す人もなし。後に多武の峰のれうれん僧 つぼ
がくしやう *
都とて、寧匠ましますを召して問ひ給ふに、さる事候ふと申されけ けるに ぞ、こらう 壺
おんこわいろ
きん かりようびんが えうもん こる
をば皆しり給ふ。姫君物の給ふ御盤色、琴のしらべ 迦陵頻迦の要文玲する撃よりもな
ほ面白き御こわねなり。共時麗景殿琴をとり出だし、ちと遊ばし給へと有りければ、姫
君のたまふは、磯にしぐるふ松の風、沖の鴨の友よぶ撃よりほかは、聞きならはぬ身に
こさこい たじき
て候へば、かやうの琴とやらんは思ひもよらぬ事との給へば、中将殿板敷の下にてきこ
しめし、かほどの事とかねて知りなば、などか琵琶、琴教へざるべき、よし〜琵琶琴引
ほんれんだい
けすとも、九品運豪の雲の上までもはなれまじき物をとおほしめして、挑聞き給へば、麗
りようかくー龍
角、琴の頭の方
景殿、是非遊ばせとありしかば、姫君、爪もなく候ふ物をとの給へば、御手をりようかくの ここち
の角
もとに添へられければ、背きがたき仰せやとて、御膝の上にかきのせ給ひて、琴柱たてな
ほし、二七の緒かき合せ引き給へば、心ことばも及ばれす。つひにかほどの琴の上手は
きかすと皆々思召しける。おもしろき事申すばかりなし。挑又琵琶を参らせて、これ避
ばせと有りければ、思ひもよらす候ふと、頻に鮮退ありしかども、御琴のやうに遊ばし給
をおはせ
へとて、御琵琶をさしよせ給へば、あらそむきがたやとて、御琵琶をとりなほし緒合をし
いはやのさうし下 四四五


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ばし るの説
て鳴らし給ふ慰の艦戸をこと〜しく、シちる音よりも、なほ気 くぞ間えける。
ひの御座ー禁裏
以外になし、例
扱ひの舞歴の上にみなほり、盤樹に置をとり、りゃうせん隊 の三曲二返までこを引か
の文盲なり
りゃうぜんー流 れけれ。雲の上までも澄みのほり、天人も天降り菩薩もこょに影向あるかや、碑もめでた

はうけうー方磐 くるみ給ふらんと、聞きしらぬ者までも、そrろに袖をそしほりける。中将殿の心のう
ち何にたとへんかたそなき。扱 際 にもなりければ、観避の車参りぬ、いとま申してと
の給へば、今しばらくと引きとゞめて、共時麗景殿は琴の役、御息所は琵琶の役、その
ほかはうけう、シとり〜にて、姫君は和薬を参らせ給ひて、薬をそ始めたまひける。
まことに極楽浄土にて、#五の菩薩たちのあそばす撃も、かくやと思ひ知られたり。衆おんな こり
もほのん〜と明けければ、いとまごひましまして、御車にぞめし給ふ。人々御名残をしさ
に、御車よせまで出で給ひ、是まで参りて候ふとの給ふ。さだめておそれ入りて候ふとの
給はんと思ひしに、さはの給はで、車の すだれをあけて、何事も善悪二っのならひ、む
くいある事にて、まみるまじきと申しけるを、頻に召しっるむくいに、是までの御出で
はとて、既におりさせ給はんとし給ふ御けしき、言葉の品にいたるまで、優にやさしくお
はします。北の政所の仰せには、不思議なりとよ、中頃堀河大納言の宮ばらの姫君こそ
四四七
いは やのさうし下
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- }ー『ー* ー
御伽 草 紙 四四入
て かきがくしやう
手獣撃匠にて歌避歌の道何につけても暗からす、琵琶 奏、和琴などをば、十歳より内に
みなもさぼんぶ
キよ
てその 源 をきはめらるよ、さらに凡夫とは豊えすとて、人々心をかけられし、我も中
将のためにこはんとせしかども、四位の少将にこされて力及ばでありしに、共頃大納言
さうおう りう ぐう
太宰府へ下りしに、 明石の浦に
浦にて日本に相應せすとて、龍宮へとられて、扱こそ四位の

少将は書寛の山にありとは聞け、共姫君も今夜のあまの娘にはよも まさらじ、にくしと
思ふ我等だに、あしき所は見出さす、見れども〜あく事なし、何といふとも中将この
人をばよも捨てじ、すてぬものゆる に憎みてかひもなし、右大臣の娘も中将のみねば嫁
ならす、あまの子なりとも、我子の見るこを嫁なれ、比人にっきたる人なし、艦はしゃ
さこそたよりのなかるらん 人をっかはすべしとてシの駆 衛門のっほね、小
女房三人 はしたもの三人 うへわらは三人十二の者どもを、車三軸にのせてっかはし給
ひけり。
おくり に、ゆふべはシに入り参らせ、うれしくこそ候へ、誠にさま〜の御いとなみ
生涯ー原本 「生 に心も消えかへり、狙撃のおもひでとこそ存じ候へ、はじめての見参なれども、百年も

な に
界」 とあり な こ り
じみたる心地して、御かへりさの名残をしさ いかばかりとか思召す、今よりのちは
日々にも御入りまし〜て、みづから慰めてたび候へ、中将にぐし給へば、子供にかは



な候
ふぐへ
どしく

者 、





めつか
年のひど
くもる来し

さこしころ



ちさせ給はで御っかひ候へとて、おくられけるこそ有難けれ。姫君御文 ごらんじて、今
はすこしのたよりもありと御喜びまし〜て、世にすぐれたる観毛跡にて、御返事をそ遊
ばしける。北のシ四人の公霊ともに御らんじて、扱もいっくしき御手かな、慰筆の
たてど文字のならびに至るまで 人間のわざとは見えざりけるとぞの給ひける。その時
中将殿仰せけるは、今は何とてかほどまでつょませ給ふべからす、ありのまょに語り給
へ、みづからにさのみに物な思はせ給ひそとの給へば、姫君さめム〜と打ち泣き給ひて、
親なればあまのそrろに慰しくて、快のかわくひまもなし、御心にからねば悪 な
り、我らがためには親なれば、忘るょ事も候はすと、なほもっょませ給ひけり。去程に

-

しゆつけ もくだい ● 〜
明石のあまは、出家の 志 ふかくて、所の目代ゆるさねば力なくして、女のあまばかり髪
こ けうやう そう - * 〜 * 〜
そり、御孝養さま〜いたす。纏じて生あるものをば取らすして、わかめ、かちめ、あ
さこ
まのり、こぶのりなどのたぐひを採りて世をぞ渡りける。をり〜は山に入り野にまよ
あけくれ
ひ、花を手折り水を掘びて、シ君の御菩提深くとむらひけり。ある時中将殿賀殻入
いはやのさうし下 四四九
御伽 草紙 -
四五 ○
まん しんめ

へ碑馬を参らせらる。何事の所ぞときくに、姫君たゞならす渡らせ給ふが、はや
にならせ給ふ 共斬の ためとぞ聞えける。その後殿下の仰せには、中将殿あまの子に具
なんし によし
しぬれば、わが子にあらす、生れたらん子、男子にても女子にてもそれを我子にすべ
し、生れたらん時母が膝におかすして、いだき取りこれへ渡すべしと有りけり。ほどな
く月日かさなりて、御産たひらかにせさせ給ふ。あたりもか?やく程の、しかも若君に
に でうにしのさこうみん
てそまし〜ける。大納言の助絹の袖につょみ取りまみらする。二傑西洞院の中納言殿
つぼね
を御めのとに召されてけり。御車には大納言の局いだきまみらせて乗せ給ふ。御太刀は
きには、よき諸太夫百除人ざふ めきつれてまみりけり、けだかくぞ豊えける。殿下大き
に御よろこびまし〜て、観艦湖殿下の御所にてせさせ給ふ。去程に御乳の人には、ま
ま母のむすめぞ参られける。あまりにあしきとのの所へ母やり給へば、子ながらもあし
きふるまひさがなしとて、大納言殿系撃し給へども、殿下の御子の御乳に参り給ふめで
たしとて、御系撃ゆるされて参りけり。かくて月日かさなりて、又姫君出来て足は中将
殿に置き奉りて、姫君しろしめしたる事ども教へんとて止め置き給ふ。っながぬ月日の
程なさは、わか君七歳、姫君五歳の八月十日に、御椅著の御用意なり。御椅著の親には、
ひさこり、
ちさうみんの刑部卿参り給ふ。天下の御子の 著なれば、大臣公卿殿上人、 人ものこ
らす参り給ふ。姫君思召しけるは、かょるめでたきわが身のしぎ、父師の大納言殿に何
ともして知らせ奉りたく思召し、二人の公選にの給ひけるは、刑部卿御務の腰ゆひ給ひ
て後、御座になほらせ給はで、公卿の内八番目にまします堀河の大納言殿を、三度づつ
をがませ給へと教へ給ふ。扱刑部卿の宮御椅めさせ給へば、公卿の中へはるかにおりさ
せ給ひて、帥殿を三度づつ拝し給へば、帥殿おどろき、こはいかなる事ぞと かぶりの市
つけてこそましましけれ。皆人不思議に思召しけり。殿下も不思議に思召し、
何の故に大納言を拝み給ふぞといひ給へば、公達、母上のをがめと仰せ候ふとの給へは
左近の丞をめして、このいはれを艦中へ奪ね給へは艦の内には涙にくれて、しばしは物
もの給はす、やょありてみづからかやうのめでたきしぎになる事も、まことに父の御恩
なり、みづからは五人の親をもちたり、誠の父は即殿也、母は大田の御門の二の宮なり
やしなひ親は明石のあま人夫婦なり、今一人は佐藤左衛門なり、十三の年帥殿筑紫へ御下
りの時、明石の浦にて継母御前に海へ沈めらるべきを、佐藤左衛門がなさけより、 岩の
上に助けおきたりしを、海士見つけてわがやにかへり、四年が間月星の如くあがめ養ひ
1" いはやのさうし下 四五 一
御伽 草紙 四五二

を 中 癖殿
御覧じて、つれて都へ上り給ふと仰せ出だされ候へば、御門をはじめ奉り
殿下、北の政所、中将殿、大臣、公卿、殿上人、子をもちたるも、もたざるも、一同に
撃をあけ
や、夢ならばさめて後はいかでならん、誠はうっょなる間、うれしき今の涙とて、『人
ぬるよ快かな。大臣殿も比人ゆる にこそ、少将も世をうき事に思ひて、通世修行に出でけ
るとて、ふしまろびてそ悲び給ふ。さて帥殿をみすの内へ講じて、姫君見 まし〜色
色の引出物、中将殿よりたび給ふ。挑姫君、大納言殿にの給ひけるは、都に上りし事、と
くにも申したく候ひっれども、継母御前の系撃の巻おそろしくてかくとも申し侍らす
後の親を親とすべしといふ 法文の候 へば、今まで申さで過ぎしかども、みづからあの
若君姫君いつも見れどもめがれせす、いとほしく思ひ奉るにつけても、さてこそ我父も
開幕みづからを玉のごとくし給ひしに 行くへなくなりて後 いかばかりものを思ひ給ふ
べきと思へば、けふ喜びのついでに、かくは知らせ奉るなりとの給へば、帥殿も東西を
もわきまへ給はで、さめム〜と泣きみ給ふが、やょありて仰せ候ふは、御ことわりはさる
事にて候へども、老いたる我にかく今まで物を思はせ給ふ、あまりに御心ふかき故なり、
うらめしさよとその給ひける。さて又姫君明石の浦にて岩の上に五日潮にうたれし事、一
来世にまします母宮の御盤きこえし事、海士っれてかへり、つれぐ盤めし事、色々か
たり給へば、日も暮方にぞなりにける。
帥殿は御いとま申し給はりて、シこそ参上仕るべく候へとて、我屋にかへり給ひけ
り。北の方の給ひけるは、みな人々はとくかへり給ふに、などおそくかへり給ふぞとの給












たるさぐれ
すょ

あり
喜び
参給

によりりれ

*
たう、
べやの
と 給

を美まお
ふ姫若君れ




らん ま君すぞ
しき
さらやまし
らん

ば、ゃょありて帥殿、北の方は何の警ありて、封の屋をは明石の浦にて海へはしづめ
給ふぞ、今まで知らざる事の返すム〜も日をしさよとて、やがてふる里へ送り給ふ。挑
帥殿攻日中将殿へ参り給ひて、姫君に見参まし〜て、昨日は夢の心地にて、さらに 後
をもわきまへす候ふ、今日の見参こそ誠にうれしく存じ候へとて、姫君ちとこなたへた
たせ給へ、そなたへゆかせ給ひ候へとて、御姿をかみから下へ、下からかみへ見くだし
見あけて、十一年が間の思ひ、今こょにて晴れぬとて、又涙をぞ流し給ふ。それより毎
日通ひ給へば、あまりに人目もつょましや、中将殿の御心の内もいかゞと思しめして、あ
いはやのさうし下 四五三
御伽 草紙 四五四
る時は見参し、 又ある時はよそながら御盤ばかりを聞きなどして、騎りたまふ事もあり。
大納言殿の心の内のうれしさ、たとへんかたぞなかりける。北の御方はふるさとへ行か
** ー基一すして、配に稲荷へこもり、魔舞天明職 ねがはくは封の屋にさむひゃうをっけてたび
シ 給へと、所られけるこそおそろしけれ。戦は非祀をうけ給はすして、封の屋はうけ給は
㎞ で、シして、都を狂ひありき給ぶ。京わらんべ足を見て、むくいの程のおそろし
さよとて、笑ひ担 撃す。四十二と申すには、終に狂ひ死にぞたて給ふ。封の屋きこしめ
し、あら癖はしの次第やとて、御菩提ねんごろに 。シの人をはいよ〜稲
はり給ひけり。殿下明石の海主人をめしのほせ給ふ 無 *
㎞の雌になされて参る。明石の浦を子々孫々まで給はりけり。女をはシまで召され
組 の椅そ へて、これはみづからに添 ふと思
て、姫君見参なされ、 紫のうす衣十 一かさね、 えい
かんか ほんてう たからもの
へとて下さるふ。共外漢家本朝の賞物、数をつくしてたびにけり。楽花にほこりけると
かゃ。悠衛門を して シたびければ、㎞はかたじけなけれ。
すう

* ミ 。 るとて
のよろこびに参花には誇るべき、世に使めばか。 *
りしを、ぼめぬ人こそ、 シの御時の人々 比ょしを。
ぶん〜しよりやう
われも〜と参り、分々所領を給はりて楽えけり。さるほどに月日かさなりて、若君十
たいしやう
九にて大政をうけ給へり。姫君は女御に参り給ふ。勤の屋は北の政所と申してめでたく
いでいり
楽え給ふを、遠きは聞きてうらやみ、近きはたのしむ。出入のもすそをつらね、ひかり
ふっき はんふく
をかざし、富貴萬顧たとへんかたもましまさす。かょるたぐひすくなき姫君は、上古も今
さ - 我㎞ 〜一
も末の世も、有難しとぞおほえける。人だめによきものは現世安穏、後生善所と、備も
わうじやう そくわい
い、
説きておき給へり。御ちぎり浅からすして、後にはもろともに往生の素峡 をとけ給
世のちぎりこそめでたけれ。
いはやのさうし下 四五五
四五六
ーシ
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Fi* ****** シ ・ * -㎞* 』-*- - - - -
シ- ** ーも ー | 『 ・・・ j『ーj
花 み
おやこ
奪氏将軍の御時、既に 一天下親子になり給ひ
さして落ちさせ給ふ所 を、菊池大勢にて追かけ奉る。奪氏の御勢僅に
たくらはま ニ
いかめしく㎞演の合戦に打勝ち給ふ。共故は赤松の妙善律
ざりし。されども御運 いか
すぐ
といふ人、手を砕き合 戦し、高名大きに勝れたり。されば赤松は播磨十六郡を賜はりて、
にふこく しんざ
い こくはつ申す
に及ばずー威光
及 ばす、一族 共敷を知らす。こょに岡部といふ新参の者一
は申すに及ばず ニ 日
の誤なるべし 京覚柄人に勝れて文武二道の つはものなり。しうしんのきもよく心 十小
くさき
しうしんのきも 日初よ し
ょ7
よくー主臣の義
H 〜
って、草木を暗かし給ひけるが、一人の子をもたす
ほっけ じ
もよくか
て、或時心に思ひけるは、申子をせばやと思ひ 立ち、やがて女房は法華寺に参り、岡部
せい ひさこふさ

しける 。七日 に満する夢に答める花を一房賜はるに -
、夢はさめにけり。さては子を賜はらん事は疑ひなけれども、
* 四五七
さかり
なくならんよと、思ひながらも下向する。岡部が見る夢にも盤なる花 機鳴はると
ありければ、青き葉の風に散ると見る程に、われに子を賜はる事は疑ひなけれども、葉の
散ると見る事の心もとなけれと、思ひながら下向する。程なく女房懐妊して産の龍をそ
解きにける。獣平なりければ雑ならす撃で、名をば花みつ殿とそっけたりける。
る所に、赤松殿岡部を召して仰せけるは、われ三年三月のシを仰せ下され
るべけれども、御霊基が苗字を名のりて御番勤めよとありければ、毛の苗字
を許さるふ所面目これに過ぐべからすと、急ぎ都へ上り御番をうけとり、日数を送りゆ
く程に、傍輩の左より、暫く在京の程召使はれ候へとて、優なる女房を一人っかはしけ
り。心ざま人に勝れければ、岡部在京の程愛して比翼連理の思㎞なしければ、程なく子
つきみつ
を一人まうけたり。比は九月十三夜の事なれば、月によそへて月光とぞ名づけける。
大番も過ぎければ、月光同じく母上を相具して下り、始めて家を作り、あたらし殿とぞ
申しける。花みつが母にも劣らすもてなしけり。やう〜月日を送りゆく程に、花みっ十
歳になりける時、岡部思ふやう、赤松殿は久しくわが殿の御一族なれば、大殿久しくわが
殿の奉公仕りけり、二人の者共を相共して共時ゆひがひなくふるまひたらん時は、毛の
のぼ
恥、我家の恥ぞかし、思へば山寺へも上せばやと思へども、よろづの事共案じける時、書
寛山へまみらばやと思ひ、花みつをば葉に乗せて別常の御房へぞまるりける 別常守護代
たからもの
御上りとて座敷を飾り、賞物を調へ待ちける程に、花みつの興をば様近くかょせければ、
別常も同宿も怪しく思ふ所に、年の騎十歳ばかりと見えたる足の色自く美しきが、色小
こ精好ー「ここは
色濃く染めたる
袖にこ精好の大田たわ〜と著なし 薄化粧したるが興の内より出で給ひければ、別常喜
をいふか びて、やがて坊中の見達を請じ、座敷の鶴美々しく見えけり。歪三献に及びければ、少人
を初めとして打側れ、既に酒撃になりければ、別常既に酷可して、酒を飲み得す。岡部
心に思ふやう、花みつを見に請へかし、請はればこのまょなりとも置くべきものをと思
ひければ、別常に酒を強ひて、今一つ聞召せ、御所望の事御座候はゞ、何事にても承り候
、奉公中すべきといひければ、別常酒たふ〜とうけて、法師は別して何も所望にも
はす、只今これに御座候ふ少人は、定めていづかたへも御約束候はんすれども、暫くの
再遍ー再度 別常に御預け候へ、シ申したく候ふと仰せければ、園部 街は難退しけるが、悪
に及びければ、子細なしと領承しけり。別常除りの嫡しさに三歪飲みて、花みつ殿に思
しうちやく
ひざして、共歪を祀著して、われ又飲みて岡部にさしけり。色々の藝能をつくして、既
花 み つ 四五九
**}
シ -
シ 。シ 』
御伽 草 紙 四六○
なんち わかた
たうこ
に酒盛も過ぎければ、岡部花みつを呼びて、次はこのまょこれに在るべしとて、若賞小
顧を相添へて置きけり。さる程に岡部下向して思ひけるは、今は月みっもいかに義しく
思ふらんとて、吉日をえらみて同じ站 へぞ上せける。さる程にこの見達は成人するに随一
って、容顔人に勝れ、美盤のまなじり鮮がに、シの眉うるはしく、丹花の辱うつくし
く、シの髪ざし、誠に以て濃がなり。見る人は中すに及ばす、間き博へし人も心を懸
けすといふ事なし。されば橋 も色深く、心ざまも正しくしてたぐひなし。書算は三百坊
と申せども、一千除人の老群おしなべて比見に心を寄せざるはなし。さる程に花みっ殿
本豪ー本妻
の母上は本豪にてまします上は、四季に従って衣装色々をっくして、折節のシに乏
しき事はなし。月光殿の母上はいまだ何事も心にまかせざる事なれば、引きかへたる気
鶴なりければ、人の心のうたてさは皆花みつ殿にぞ廃きける。花みつ殿十四と申せし春
の比、母上生死無常のならひなれば、既に危く見え給へば、花みつを近づけて、われと
にもかくにもなるならば、定めてあたらし殿比家に移り給ひて、月光を世に立てらるべ
し、さやうになるとも相構へて威勢争ふべからす、貝次は思ひ切って法師になって か
けうし
ゆ ひ含めーいひ
含めの訛
後の世をとぶらは 、誠の孝子と思ふべしとゆひ含め、遂に空しくなりにけり。
案の如く月光殿の母上は本の家に移りて、よろづ思ふやうなり。かょりける所に京都又
偲れ天下創世となりしかは、園王の軍最 共京へ上りければ、赤松殿も上洛あり、岡部も
つぎなる小袖ー
御供申して上りけり。多くの日数積りしかば、継子継世の事なれば、花みつの左 へは月
上等ならぬ小袖 に一度も何事かありとだにも問はす、たま〜小袖風情の物を仕立てて上する時も、つ
ぎなる小袖をのほせけり。月光殿の方へはよき小袖を数をつくして上せけり。これは坊
こしー御師か尚
考ふべし 主の御方へ、これはこしの御方へとて、雑飼かまへ送りけり。人の心のつたなさは皆月光
殿と賞衛す。されば花みつ殿は何事につきてもよろづ物あちきなくして、一日二日と過
ぎ給ふ。岡部都より下りけるに、女房語りけるは、花みつ殿は坊主の御方より暫くの 離
ま、こ ま〜は く そらここ
不興あるべしと語りければ、岡部思ふやう、継子継母の事なれば、空議にてもあるらん
と思へども、まづ〜女の心を破らじと思へば、寺へ人を遣して、月光がかたへ文を上
せていふゃうは、急ぎ比使と下るべし、花みつには思ふ子細あり、眠妨より中さん時に
下るべしとありければ、花みつ殿我らこそ兄なれば、まづ文をも賜はりて下るべきに、月
光が死 へ御文ありて下さるょに、なんぞ怨しや、仰せごとのうたてさよと言ひければ、月
議奏ー識訴の轄
光申すゃうは、定めて母の議奏にてや候ふらんとて、打ち涙ぐみいへば、花みつ殿にもさ
花 みつ 四六一
ーーーー・iー:
御伽 草 紙 四六二
は候はじ、もしさもあらばよきやうに申させ給へ、やがて基も下りたく候ふ、下らせ給へ
ば心安くて候ふとて、うち涙ぐみて、さすが人目も恥しければ、露に争ふ袖の上、打添ふ
母の面影の、今更いとr熱しくて、わが住む部屋に騎りっょ、さめぐと泣きければ、除
所の袖までもあはれにて皆感涙を流しけり。月光も兄の心もとなさに、泣く〜里へぞ
下りける。岡部は月光が成人したるを見るにつけても、花みつかくこそあるらん、獅も
美人しくぞあるらん、彼の母の草の陰にても、不興といふ事をさこそうたてく思すらん
上りたればー上
りたらばの意
所診寺へ上りたれば、定めて事の瀬は知るべし、別常にシの事にて言ひ許して見せんす
るものをと思ひて、やがて月光を打連れて上りけり。別常いであひ舞鶴とりはやし 自
除の見達も座敷に直られけれども、花みつ殿はさしいづる事なし。別常花みっに仰せけ
るは、機嫌を窺ひ御身の事を申し許しまみらせんと言ひ慰めてありけり。岡部所設只今
疾くしてー早く 急ぎて上るも只我子のゆかしきにこそあれ、疾くして別常の比事ゆひいだして許せとあ
れかし、思ふ事なくて酒をのみて騎らんと思へども、別常も心中に比事をのみ思ひけれ
ども、岡部殿の機嫌打解けぬ艦を見、心をとりかねてゆひ出ださrりけり。
一二とー一こと
の誤なるべし 岡部思ひけるは、無備や比子は別常の気にも誠にちがひけるぞ、比者の事を一二とゆひ
鶴板ー板扉 いだされざる事よと思へば、酒も心にそますして、座敷を立ちければ、花みつは父の継
し* *}
しさに艦艇のすきより次第に見送りて見れば、岡部も涙ぐみて、無備や比子われらを慰
しと思へばこそ、彼所の薩よりもや観きて見るらんとこょかしこのすきより見る程に
㎞のすきより日と日と見合せけり。岡部さればこそ比子よと思へども、何といふべき
橋もなければ、さながらにて騎れば、見通かに見送りて稲久しく立ちて遂に泣く〜
部屋へ騎りて、つくム〜案じて思ひ給ふやうは、われは父の不興のみならす、坊主の御
心にもちがひ、憎まれまみらせてありけるものを、たとひ我親は人のゆひなしにより不
興との給ふとも、坊主だにとりもちて御説言あらんに、などか許されざるべけれども、萌
主の御気にちがひ中すによりてこそ、是程にうたてしくあるらめと思ひ入りければ、わ
れは今は母親はなし、父態はあれども不興の答を蒙りて、師匠にも僧まれぬる上は、う
き世にありても何かせん、とにもかくにもなるより%はと思ひ、召使ふまっわう丸を呼
大ふしくうー二 びて、大ふしょう二人のこしの方へ比夜この月の面自さに赴に参り申し、面々諸共に月
人の名と聞ゆ
を眺めて、御心をも慰めばやと思ひ立ちてとの給へば、二人同じく、易き事といふまふに
二人が一人は前に、一人はうしろ
一 に立ち、まつわう丸を引具して、如意輪堂にまみりけり。
四六三
花 み つ
茅店云々ー温庭
箱の難撃 芽 店
折節人もなかりしに、比は八月十五夜中の事なれば、シまさに明かにして、根橋おの
月、人跡板橋 組
の句に擁る
に、松風園々と吹いて谷川の盤りん〜と響きけるは、言語道断の次第なり。
言語道断ー言語
にいひ得ぬ程よ
皆諸共に心を登まして、いと信心にェし、その後はこし方行く末の物語どもまで言ひ
き景色なるとの

いだして、涙を流し、個令月影も見の快に浮ぶ程に見えければ、二人の法師怪しく思ひ
て、見の心を慰めんとて、何事にても候へ、われ〜かくて候ふ上は御心安く思召せ、心
御里の様の事は
ー御質家の例の
を残さす承り候へ、御里の瀬の事は 今一旦の人の申しなしにてぞ候ふらん、やがて思し
一件の事は 龍さるべし、共外は何事をか御心にかけさせ給ふべき、いかやうの御事なりとも、我等に
深く御心を残させ給ふなと申せば、見も暫く打案じて、今は何をか包むべき、母にて候
い かぶとし給 ひ
しがー色々とい
たはりしが
ひし人世にありし時は、坊主も人々もわれ〜をいかrとし給ひしが、今比頃は人々の
面々様ーあなた 心も鍵り候ふ、面々様ばかりこそ、われらを不便と思召し候へ、それのみ御嫡しく候ふ

備にて候ふとて、かきくどきの給へば、二人諸共に袖をぬらしけり。
○以下下巻 補久しくありて、所盤面々に申したき事候ふ、聞名し入れ候は“中すべし、一大事の事
背くべきとーと
にて候ふといへば、何事をか仰せを背くべきと一命をすっる事にても候へ、 魔とや思
不 る*
ひ候ふべきと、誠に思ひ入ったる艦に申せば、さては解しく候ふ、誠の御志とはかやう
おさく
たとへばー質を の御事を申し候へと、ねんごろに喜びて、たとへば弟の月光討つて賜はり候へと、これこ
申せばの意
討つて賜はり候 そ一大事の御ようとは申し候へといへば、二人返事に及び難く、赤面してあり。見され
へ とーとの字不
要なるべし
これはよも とー
ばこそこれはよもと思ひつるものを、心易くゆひいだしたるくちをしさよ、比事漏れて
これは決して口
外せじと 聞ゆるならば、坊主にも里にもさこそあらめ、今はなかの坊へも騎るまじといへば、と
かくする程に、夜も更けゆき候ふに、皆々御騎り候へ、 御名残をしくは候へども、とて
も長らへて添ひはて申すべき身とも思ひ候はねば、われはこれよりいづくの浪曲の末
山の奥までも、身をすごし候ふべき、さすが棄て難き命にて候へ、長らへて候はゞ互に見
え申すべし、もし露の身のならびにて、消えぬと聞召し候はr、後の世を頼み入り候ふ
一定ーきっと
といへば、比見は一定自害をすべき、さなしとて比人を失ふべきにあらす、火に入るも、
水に入るも、前世の因果なり、二人の見をばいづれとも思はねども、そも比見を無艦に
思ひ切りてー決
心して
失はんより、彼の月光をこそとにもかくにもなし参らせんとて同心し思ひ切りて、さら
領承しー領承す
の術
ば子細なしと領承し、花みつ殿涙を流し、さこそ面々不得心に思召し候はん、御心中ど
よしそれも云々 も恥ち入り候ふ。よしそれも今はいらぬ事なり、さてもいつといへば、見は我所へ十六
ー二人の語

日に定めて来り候 はん時、われ盤もせすしてみ候ふべし、騎り候はん所を討たせ給ひ候
花 みつ 四六五
御伽 草紙 四六六
いつしよ
夜こめてー夜中

へといへば、子細なしと領承す。さらばとて皆々夜こめて騎りけり。二人の法師は一所
にみて、さてもうき世のならひとて、かょる憂き目を見ん事よ、さりながら力なし、後 イー
の世をこそとぶらひ申すべけれとぞ言ひける。見はわがやに騎りけり。露消えん花の朝
ミ - * -
かたぶ
- --
顔いつまでと、はかなき命ありあけの、月も傾く名残にて、月日を待つこそ悲しけれ。
くれかた
- * 『:ー、ド -*
さる程に十六日の暮方に入相の鐘もつくん〜鳴り、月影も山の端に忍びて出でもやらざ
な、そく き うちがたな
るに、二人の法師は用意して、わざと具足は著す、打力ばかりにて、花みつ殿の局の前に
立つ。花みつ殿は月光殿の姿に身をなして、暫く叩き給ひければ、内より撃もせざりけ

れば、 除所へ御いでかと、鍵 をいひ騎り給ふ所を、大ふは除りの悲しさに走りより
足をむんすと抱きつく。しょうは思ひ切らではとて肺のかょりを元 きしてすて奉る。
二人の者泣く〜騎りて、さても〜われは鷹なき事をしたるものかな、法師の身にて
見を殺害する事は備なき攻第なり、但し後の世をとぶらひ申すべしとて、泣き悲む所に
こ よひ
こはいかにしつる事ぞや、花みつ殿を今容人の殺したるぞとて、上下騒ぎければ、二人
の法師これを聞き、見まがひてぞあるらんと思ひながら、行きて見れば花みつ殿なり。さ
二つともなしー
他の方法なし ては比見にたばかられてこそとて、二つともなし、自害するより外はなしと思ひ切りて、
二人の法師は今は何をか隠し申すべき、花みつ殿をば我等二人が殺し申すなり、いつぞ
ゃの頃本堂にて我等を頼み給ふやうは、鍵の月光を害してくれよ、共子細は除りに母の

うたてしく我に常り給ひ候ふ事の憎ければ、子を殺して思ひ知らせんとありければ、か

比 候 中
く仕り候ふといへば、別常何事かわが心中に鍵り候ふべき、さこそ〜思はせ給ふらん、


比老僧をさへ打棄て給ひ、自害をし給ひ候はぶ、悲みの中の悲みを、何となれとか思ひ


これ又たく なか 給ひしやらん、今はたゞいかにも共々に比人をとぶらひ申すべけれとの給へば、これ又
なりーこれ又た
だなくばかりな たょなかなり。
りの誤脱か
だうり


い 候 殿


いい や *
かふりける所に月光 比事は面々 道理なり、花みつ殿とわれと比ぶれば、月光をこ


*
失はんめー失は そ失はんめと思召し ふ 心 中御ことわり なり、我におきては更に怨みとも思ひ候はす、今
めの音便
は只われらも共々にいかやうにもとぶらひ申すべしと、泣く〜の給へば、これ又理を
きゃうをしー孝
養しの誤なるべ
わけての給ふものかなとて、自害をばやみぬ。只一筋にきやうをしたてまっりて、その
けうやう

後務心修行をも仕り候ふべけれと思ひ直し、二人の法師別常ともに死骸をとり、孝養せん
しんぶ
としける。泣く〜別常申されけるは、比見十歳といひしとき親父に請ひ申し、十六歳
の今に至るまで露おろかなく育て奉るに、かやうに憂き目を見せ給ふ事の悲しさよと数
花 み つ 四六七
御伽 草 紙 四六入
き給へば、一山の老若は申すに及ばす、践しき者までも皆感涙を流しけり。さる程に
ども数多あり、一 の文は坊主の御方へとあり、見れば幼少の時より今まで人となされま
みらせ候へば、 御手をも引きまみらせ候ふと思ひ、又後の世をもとぶらひ申さんと
思ひて候ひしかどかやうにことの外なる有様 誠に生々世々の御うらみとこそ思ひ候へ
とて、二首の歌あり。
花はちり跡はさびしくなりぬればしもうらめしき心こそすれ
さこそなほ月をぞ人のもてあそぶ花は あだ なる 物と思へば
又一つの文は大ふしょう殿へとて、さても御手にかょりかやうになり候ふ事、後の世を
ば頼み入り候ふとて、二首の歌あり。
久方のあま照る月に名をとめて散る花みつとたれか言はまし
二つあらば一 つの命のこしおき君がなさけを思ひ知らばや
又一つの文は月光殿へとあり、又もなきシにかやうになりゆき候へば、さこそ思はせ
給ふらんと、それのみ心にかふり候ふとて、一首の歌あり。
花の雲風に散り なば月ひとり残ら ん 世こそ義しけれ
」又一つの文御父の方へとあり、言葉はなくて歌ばかり
をしまれぬ身は山陰のさくら花散るともたれか 哀とは見ん
かやうに書きおかせ給ひける程に、比由を里へ告ぐる程に、岡部さればこそ不思議の事
いできけると思ひて、急ぎ寺へ上りければ、是非の次第なか〜言葉に及ばざりければ、
けうやう
孝養警み、空しき野漫の夕煙となし、月光、大ふ、しょう殿、まつわう丸ともに行きが
た知らすなりにけり。別常も又うき世にありても何かせんとて、 ある山深く閉ちこもり、
行ひ澄ましておはしけり。さる程に岡部も花みつには死して別れ、月光には生きて別れ、
彼足せん方もなければ、髪 を切りて獅も子どもの行末の悲しさに、別常の住み給ひける
山の奥を奪ねゆきて、花を摘み香を襲き新を探り水を汲み、D の菩提をとぶらひける
は、現世衛生の然るべき善知識とそおほえける。
たかの さん
月光、大ふ、しょう、まつわう丸四人の人々は、高野山へ上り奥の院近く閉ちこもり、難
ば、比人々の務心修行しけるも、誠に頼もしく有難くこそ思ひはんべりけれ。
花 みつ 四六九
御伽 草紙 四七○
末の露もとの雲や世の中の後れ先だつ ならひ なりけり
ち させ
よもの海濱のまさごを数へっょ君が千年のありかすにせん
J 1 "rj』j
美人 くら
美人くらべよ
いににしへ みやこ

- - - -
きりやうこつがら
* -
の事かとよ、都に隠れなき丹後の少将殿とて、時めける人あり。器量骨柄人に勝れ
しいかくわんけん はたち

脱 ミ 、
詩歌管舷何につけても暗からす、御年二十に除り給へども、御豪所ましまさす、都 廣し
かた をんこ 、は たう
遠國波濃ー遠國 に入りにし
と申せども、御心に入りにし方なくして、遠國波溝まで御尋ね候へども、未だ何れ とも
ゃ波清の末なる

島々といふ意
定まり難し。愛に五條の宰相殿の御ェ二人おはします、蹴御は御年十六になり給ひし
たぐひ
ア おくま、は、こ


が、共頃世に類なき美人にてまします、母上に後れさせ給ひて、継母御にかふりて
こ て おは
もう さこのちはら
します。又共 線 十四にならせ給ひしは、後腰の御子なり、足も美人にてましませども
姉御には劣り給ふと聞えし。姉御をは野もせの姫、妹を紫蘭の姫とそ申しける。丹後の
少将殿は、シの姫君の事間及び給ひ、只一目見たきと思召し、姉野もせ姫のシ
の腕の方へ、総を奪ねて、鶴御せ遣はさる。又妹紫蘭
しよう
へ、 の乳母紫鶴の腕 の方へも、傑
誇仰せ遣はさ れ、 一目御覧あ りたきとの御事なり。靭負の局は少将殿よりの内誇申し来
美人 くらべ 上 四七 一
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、かほ& 日
付 踏しく






しだき

姿



等歩み









、 みかほはせ の



元 もしぐ



くれおん

も黄


下り


















社 せ 、
り 観の方








させ






北給

殿
御音給




相 ありち召将後 て

丹清水

聞少けり




殿

姿


立し


参、
て 宰かり

北なり

殿



ば娘












遣り相 て
の方

い 少く
丹後



殿








遅し










弾 将 。



ち 心り





















猪 得 申

し 娘

ける
られ

事 相 けれ
宰らせ


殿



といふ


知なり






べせ


れ 通がて

殿
少将
より



申し







やの





ば り方


し ぎ

べし
参らす



ら見












つが
せん


母 申めくれるひりし量す の
水 ば
そ 達器と




時世に
思人



なの
殿


、 申将


















聞かせ





少 しは


後 継母










あら



べき









内 何


り 七



御伽
いれに人りもと
ふ姿


ならうた
美愚









遂。

馴は



たる お
くもえぎ



がぎら
うち
- う

その



づま
きよみ

おろか
けい
しょ
この
むこ

ちやう
こし
おん 、

いか
ぶん


まう
もの


ない
あん

やよひ


なきと思召し、少将殿は足をこそと思はれけれ。又共次に妹の紫蘭の姫、御興より下り
給ふを見給へば、花山吹の上に、瀬組艦の程、紅の後踏みしだき、足もシ美しさ難
少ェ なり。然れども姉には劣りたると 少将殿心に思召されけり。借少将殿はそれよ
り観下師あれば、姫君達もやがて御下向ありけり。二人の乳母眠気に思ふやうは、シ
の美人くらべには、何れが勝り、何れが劣りたるならんと、少将殿よりの便 を聞かまほ
づ御母上に比事中させ給
しくぞ思ひける。去程に少将殿は、野もせ姫を迎へんとて、先

しき孝へ
ば聞し
母は の




宰殿
五の
、 叶
子あば仰上られ
ま由
ふ 細れせ
召條相じき

-


姫 の




不なり

た申せ

べぞ
や 将って

少 姫

りは






少殿


自窓 殿



に 虜に、少将
浮世 へんと思ふ人なしとて、深く思ひに伏し沈み給ひけり。かふりける か

の乳母に正末の施中すゃう、御心地は何とましますぞ、野もせ蹴の御事においては
ら叶へて参らせん、急いで御文を遣はされとぞ申しける。
シ をあけさせ拾。競しくも中すものかな、さらに姿を参らせ
くれな うすやう ひきかさ
んとて、紅 の薄様に引重ねてかくなん。
清水のそこにて君をゆめばかり見しおもかけの色はわすれじ
美人 くらべ 上 四七五

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た やれめそのしう
ま一

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こき




はかな

け申し




相 殿



蘭 り


使


申べき


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少上


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ける将けしす きたくしかれすしゃ





申うに



さ候


いべし


わけれ
で 仰すれとりせけ


つ紫蘭
もな




勝させ


ふ姫

さて
申申
使



けれ よは
時腰




な下


入り
ば死に
同顔





人かりり々 姫
こそ
じく 召び寄せせのれ なり

呼眠





さと





使
あられ

もける

は 乳第ばもらに母


共り
かも
ど安


及す
次力


使










。 開申け人水きし









清けれ





美見

負て

くらべ
た 申く






















て すせ



し 丹ら




使


殿




参り







蹴 後合
何より

の 将


せ 参り竹母した 殿
しへ





申製

乳き




紫けれ
あと




ひ 書相











けれ








の き




條 六




御伽
なのめかす
う花


ほぬ







らん
つろら
ひな
あ シ-㎞
*




』 シーシー

ういふ縁ち



と馴れ







宿に

とも




無けれ


6



か ば 比



紫 に を
一野もせ姫だにー
野もせ姫にだに
らす、野もせ蹴だに相馴れば、如何なる山の奥、野毛の住む野の末なりとも、諸共に
野干ー狐
むべけれ、はや〜行きて思ふ人の返事を取りて来るべしと宣へば、使重ねて来り、野
もせ姫の乳母敬負の局に、彼の玉章を参らせければ、靭負の局は、野もせ姫に比由斯く
と申して、玉章を参らせければ、野もせ姫、乳母に仰せけるは、債足は何とかあらん
と宣へば、乳母申すやう、比程の美人くらべに、勝たせ給ふ事のめでたさよ、御兄弟と
は中しながら、継時の御事なれば、常々僧ませ給へば、 如きの者まで、腹の立つ事の
みにておはせしに、少将殿への縁の道、思ひの儒なる御事なり、はやく御返事あれとぞ
申しける。やがて姫君返し、
わが袖はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらね乾くまもなし
シながら御返事中しまみらせ候ふと書きて、送らせ給ひけり。使返事を取りて、少将
殿へ参らせければ、少将殿雑ならす思召し、開きて御覧すれば、古き歌あり、共心はわ
が継は知る人もなし、又思ふ人にも言ひも出さす、打語るべき友もなし、沖の石なる程に、
人こそ知られ、心の眼は監くまもなく、比 にも思ふなりとの心なり。少将殿比歌を御
うっ く
覧じて、先づ〜美しき筆のすさびかな、又斯様に相思ひなる事かなとて、奪遠からす思
美人 くらべ 上 四 七七
*} } }』 ー』ー
-
シ -
御伽 草紙
四七入

母警 候
召し、折々忍び〜に通ひ給ひて、少将殿よき折からに母上に申し候ひて、内へ入れ奉る
まくは、ご ぜん
べきとの誓ひを立てさせ給ひ、深く契をこめ給ふ。かよりし虜に継母御前比事聞き給ひ、
紫蘭の姫を差置き、野もせ姫に契をこめ給ふ事の腹立ちさよと、胸を焦し給ひ、乳母の紫
竹の局を召して宣ふは、シ野もせ姫を失はんと思ふなり、武実を召せとそ仰せける。
承り候ふとて、武夫二人具して参りければ、御豪宣ふ様、如何に武夫ども、言ふべき子
いまめかしき事 細有り、叶へて得さすべきかと仰せければ、武夫承り、是はいまめかしき事を仰せ候
ー事新しく改ま
りたる事
㎞の か な、個令火の中水の底までも、観記をいかで背き中すべきと申し上けければ
に思召し、那の事にてはなし、野もせ姫を、深く人知れす失ひてくれよと仰せけ
ば、武夫申すやう、除所の御方にても候はrこそ、三代 和博の君を失ひ奉るべきや
ま、はくこ ぜん
と申しければ、継母御前大きに怒り給ひ、さればこそ、初めより言ひし時、何事にても
叶へ申すべきよし申せし程に、頼もしく思ひて、斯程の大事を言ひ出しつるに、時に常
って慮書を申しけると、荒々と宣へば、彼等心苦しくて、鬼も角も御意次第にて候ふ
ま*は“なす* しやきんか
と申す。その時継樹難に位び、彼等に酒を着め、シを取らせて賑し給ふ。倍武夫中す
うしな はなその
やう、何として『ひ申すべきぞと申しければ、今管紫竹の局に基せさせ、 闘に出で
月 を眺めよと申すべし 共時監けなき樹にて、しどろに走り出で、中有に取って行けとそ
の 仰

せける。月もはや羊の歩みに暮れゆく、有明も東の山の端に出で殊更さやけし。紫竹
花園庭ー花園の 局は野もせ姫を勧め中し、いざや月を眺めんとて、
庭の誤脱なるべ

他の武夫走り出で、 なる御撃を龍樹なる手にて擁み

こ ばれ 時 け
の靭負の局是は〜と言へども、 はや行死知らす成りに り。借武夫は

近江の國勢多へ参り、既に橋の上より落し奉らんとせし時、野もせ姫仰せられけるは、
ま・は くこ



*
しやうあらばー 如何に 武夫共、しやうあらば物を聞け、継母御に頼ま を失 ん事、常座の
らを失は
情あらばか
邪なるにい は さ
れてー邪なる人
依柄なり、雅 なるにいはされて答なき自らが命を取らば、などか天㎞るべき、又助
に言ひ伏せられ

くること次等が貸に自らは毛なれば、義を重んするに似たるべし、然らば天道の 利に
叶ふべきぞ、自ら命惜しくて斯く言ふには有らす、次等が除り不徳心なる者共なれば
人間の五常を言ひ聞かするなり、比上は次等が心にまかせよとて、快を顔に押し常て
滞%とぞ泣き給ふ。猛き武夫も距避理を承り、涙を流して中すゃう、質に〜誤り中し 、は、こ



、比上は御命助け参らせん、何左 へ
御伽 草 紙 四八 ○

もほの〜と明けぬれば、とある家に立寄り、卒主を頼み、上に召したる小袖を脱ぎ
給ひ、魔のシに召し更へ、継シにて顔隠し 召しも習はぬ鶴はき、杖っき給ひ
行方偲魔ともわかすして、よろ〜と歩み給ふは、日も常てられぬ有様なり。斯くて都
には、野もせ姫の見えさせ給はぬ事は、天魔の薬かとて、父宰相殿の御数きは言ふも恐な
りけり。継樹も慮 して数き顔ぞし給ひける。痛はしや野もせ姫は、勢多より東を指し
て下り給ひしが、習はせ給はぬ事なれば、歩みかね給ひ、十町ばかり行きて、とある所に
まつかりがね
暫く休らひ給ひけり。頃は葉月十日の事なれば、初 雁 の鳴きて行きけるを 御覧じて、
斯くなん、
かりがねはしばしとまりて旅の空こしちのか た を物がたりせよ
わが住みし都へゆかばかりがねよこのありさまを物がたりせよ
斯様に担暁めておはしける虜に、信濃の國より、熊野へ参りて下向申す尼君、三十人ばか
り連れて通りけるが、比野もせ蹴を見参らせ、如何なる人にてましませば、最 『人かょ
る路戦におはしますゃらんと申せば、姫君泣く〜宣ふゃう、我は都の者にて候ふが、毛
いづく
剛常を蒙りて候ふ、何虜とも知らす迷ひ出で露の命と消えん程を待ち候ふと宣へば、
の勘
- -*
* ドト い -
) * ㎞
㎞近く立寄りて見給へは
れ㎞)
、御年十五六ばかり
-㎞た詩」、たべお
にて、誠にいっくしき御顔容色等の
-
ミ A
、、い
葬率の髪ざしまで、三十二相の御容貌、類少き姫にてぞ候ひける。尼君思ふやう、いかさ
ま只人にてはよもあらじと、愛しさ限なし。借も如何なる人ぞ、試みばやと思ひて、
あはれなる言の葉みればもろともにたもとの露を挑ひこそせね
と有りければ、姫君もかくなん
露の身のきえても失せでかよる世にうき言の葉をきくにつけても
くちずきいづか
斯様に日際み給へば、尼君申しけるは、債側 へ心ざして行かせ給ふぞ
いづく
君、何虜へなりとも具しておはしませ な
より綾の椅を取出して著せ参らせ、わが身は馬に乗り、我乗りたる興に乗せ参らせて下
りけり。階姫君は、鏡の山を通り給ふ時
ふ かく
うづみしーうつ
さじの術なるべ
近江なるかゞみの山はくもらね ど隷 しき人のかけはうづみし

近くなる うみとほければ 都 なる人の姿はいかでうつらむ
とうもすさみて、美濃の関所に宿り給へり。風身に染み給ひければかくなん
旅の空 ふく浦風の身 にしみてい と ゞ 都の人ぞこひしき
美人くらべ 上 四八 一
-
ー -ー ー -*** *ーシ
御伽 草紙 四八二
又不磯の闘に著き給ひて
㎞ 秋の野に論のこる〜さへづれば心とまらぬ 不破の闘かな
斯様に打眺め給ふ程に、信濃の根屋に著き給ひて御覧すれば、五冊三冊のしゅてんあり
㎞ 七間そへと 注中日をェ 講じて家のシべたり
きわうなる人ー一百人ばかり出入しけり。南面には池を掘り、窯衆、鴨、浮うだり。池の江には、柳、梅
。一標、行末久しき姫小松、草花は、シ 樹糖、シ、 厳花、共外花
の数を調べ、四季の色を揃へたり。裏に入りて見給へば、鶴 の 腕したる臓心に、奪の
鏡子、携 を拉べたり。艦には古谷、シ 毛転 瀬氏 伊勢物語 の 継を取り
拉べ、又基、鍵六の盤に至るまで、 見撃は他くまで多けれど 御心にも楽ます 只都の事の
み思召すなり。信都には父宰相殿シ経るにつけて、シの事数き堪へかね給ひて
** 花園に立出でおはしまし、色々の花は見つらん、語れかし、わが思び子の行方聞かまは
しさとて、かくなん、
のみ』味質と
比身とにかく
あだなりと思ひし花の咲きたちていかにこのみのなりてゆくらん
-
しよぶつ じゆみやうあんをん
斯様に詠じ給ひて、南無十方三世の諸備、願はくば野もせ姫が毒命安穏に守り給へと、天
に仰ぎ地に伏し所誓し給へば、継ェ前は住びたる気管にて、撃を掘り目に塗り、催供
に伏して、日顔麗らしてそ偲り給ひける。稲毛も哀れと思召し、御 ありては弱びあり
三に数くは悪 なりとて
おとにきく言の葉だにもあはれなりまして身のうへ さこそあるらめ
と遊ばし、足逸の御 も姫ゆるぞかしとて、
をしきぞよきのふけふまで撫子の花は 夜 風に ちらしこそ すれ
帝王仰せけるやうは、斯程までさこそ思ふらん、唯後世をよく〜用へとて、遠御なり
給ふ。宰相殿は宣旨添しとて、御用ひの儀式にて、 奪ぎ僧を供養し 橋 の御用ひ目を驚
かすばかりなり。野もせ姫の龍父御三條殿を初めとして、一門の公卿漢 御用ひの座に連
り給ひ 概としたる御有様にて継みの歌など避はし給へる中に、彼の継母御前の日に
*を掘りてシらし# る目元は、何とゃらん髪りたシ 人㎞きょと言
はぬばかりに見ぬ人は無かりけり。御用ひも過ぎぬれば、父御は所診自害をやせん、又
ほつしん
発心をやせんと、思召すこそ哀なりける次第なれ。
美人 くらべ 上 四八三
御伽 草 紙 四八四
美人 くらべ 下
あこが
去程に丹後の少将殿は、野もせ姫の事を聞召して艦れ悲み給ふ事限なし。せめての事に
姫君の常におはせし所に入らせ給ひて、琴弾き鳴らしかくなん、

ひきならす琴の音きけばもろともにたもとの露をはらひこそせね
又鏡のあるを御覧じて、











にして迷 ふ 心のやみを晴らさん
斯様に出際み給ひて、誠にェけにおはしければ、継樹思召す様は、男女 の契、何れ
劣るべきならねば、自らが姫を参らせばやと思ひ、人して申されけるは、野もせ姫に離
れ給ひて、さこそ思召し候はん、また紫蘭の姫を召し置かれ候へと申されければ、中々
聞きも敢へす、恐しの女やとて、御返事もなし。少将殿思召すは、妻の野もせ姫、まだ
浮世にあるやらん、又露とも消えて亡せ給ふらん、所誓をせばやと思召し、住吉に参り
ふ きい ゆくへ いつたび
夫妻ー妻といふ
㎞。 七日籠り給ひ、南無住吉大明神、願はくば夫 の野もせ姫の行方知らせて給べと、 魔
r

一 =㎞』ー』
の頭地に投けて所り給へば、七日に満する 瞬 だの御夢想に、紳勅有りけるゃう
君がこふ人はこれより國遠くあづまの方をたづねて も見よ
と御夢想ありければ、少将殿夢打ち醒めて、
いく園々ー最多 あづまにはいく國々のあるものを継をするがかいかにしなのか
の國
斯様に御返しをしつると思召しつるうちに、御夢醒めて、挑は比姫未だ世にあるやと嫡
しく思召して、急所響し給ひて、都へ騎り、御所を密に員一人忍び出で清水の にて
山伏に出立たせ給ひ、悪の龍悪を召し、御撃を蹴し、兜服観き給ひ、シへ赴き給ぶ。
先づ近江に著き給ひて、
路 が
逢坂の闘にも心とめられすあはれ鍵慰 路のいそがしの身 や
斯様に打詠じ急がせ給ふ。去程に姫君は、信濃の伏屋にて月日を送り、都の御事鍵しさ
なき言葉ーなが 限なく、父宰相殿、天の少将殿の事のみ、思ひ出だして、なき言葉に打怨みさせ給ふ。

こが らし
き言葉の誤なる かき くも しぐれ
べし 空 播 最雲 り 時雨 し て け
峯 の 木枯しけしくて
もみ ち
棺 洪 しく なり は て て 錦 と見えし 紅葉 ば も
思ひの中に散り失せて 訪ふ 人も無き悲し さに
美人 くらべ 下 四八五
伽 草 紙 まる
ゆに
澄ぬ

捨てて 流れ

思ひ 績 け て 清水 の

られ




にみ 海
逢坂 越えて 近江 なる

怨ね
で 大津


愛日を濁り見るぞ愛き





濃 不破


甲斐もなくして東路 の

信なる



流れ
落 つる 涙 と 諸 共に
濁り伏屋に 旅 麻 し て
思ひ やるこそ 悲しけれ
たらちをー父の 哀 と 言 ひ したらちをの
意に用ふ



く 遭の

笹く
行らん
如何に 心 を つくし 船

深こそ




糸 続 り 難き 事故 に

もれ
らす

き 無き
面影
来りし人ー来し 常に契り て来りし人の

池水
無に



人の術なるべし
心ひとつ に 焦れ 居 て

づき

てい


思ひ うきら
うきねー憂き音


江 に 遊ぶ 驚 の


と浮線とにかく

白の糸



杉の板間の明け来れば
なぎさ
こくるー来ると繰 くる 人 更に 清 なる 水の中なる 濁り あ ひ
るとにかく
澄むことなき身の物憂さよ
と打味め開幕過ぎ給ふ。比世にまだあるを知らせ給はす、父宰相殿、姫君のシをな
され、百日に常る時、六萬本の率境薬を立て、五部のシ 経 を供養し、様々の御用ひ たより おきな
有りしなり。猪少将殿は大津の濱にて、舟の便を尋ね給ふ虜に、翁の舟さして来りたる
乗りて行く舟とおもひのあはれこそ水の上にはこがれ行く らん
翁、今の御詠歌面白く豊え候ふとて、感じけり。借日暮れぬれば、舟より上り給ふ時、翁
こんやじよう
申すやう、今夜は尉が家に御とまり へ候と申しければ、少将殿嫡しく思召して、御とまり
こがね しろがね しやくさこり
あり。七間造りの家に請じ奪の歪 銀 の銃子取出し 酷眠には十七八ばかりの女房 他
け だか
-

てオ
くまで気高く出立ちて少将殿に酒すょめけり。夜も明けければ翁申すやう、御尋ね
ば翁 の御
あづま いづく
方は東にとこそ承りて候へ、何虜を指しておはしますぞと申す。何虜を指すとも無けれ
ども、只出家の習ひにて候へば、諸國を志し候ふと言 へば、又翁、如個様只ならぬ御
たびびさこ
心にて、遠き旅人と見えさせ給ふと申せば、少将殿いと恥しく思召し給ふ。翁重ねて
美人 くらべ 下 - 四八七
-
-- --- - - --

-* 。--*
「撃 -
--
-
『ー*iー - 『』- -
-
-
四八八
御伽 草 紙
申すゃう、御身は正しく鍵路に達ひ給ふと覚えたり。尉も若く候ひし時、獄をして、十
㎞ 年の間身を徒らになして候ひし程に、懇せんする人をは、如何なるシまでも、行
のまく
きて訪ははやと思ふなり。是より東は津軽の遮、蝦夷が島、南は南海、補陀落眠 西は
**ーシ 魔 けいたん園までも、北は趣路 %の演まで、比園々を御墓ね候ふとも御供中
さんと申せば、少将殿翁を蹴し、嫡しさ限なし。或松原を御覧じて
わが思ふ人やきたりしこの程に せんの松原 さきに尋ねて
とありければ、翁もかくなん、
年をへて路のほとりのおいたれば人もこするのたれを松原
シ一倍共後ェにとまり給ひ、明くればせきとにて少将殿
i』* たづねゆく人には達はでこのほどに心とrめょ美濃のせきもり
(せきあと)か
又翁もかくなん、 -
- -
鍵路にはとゞむる人もなきものを逢は んと思ふ 心のみして
信尾張の國に著き給へば、雪降りて溶がりしに、少将殿かくなん
をはりなる熱田の宮も雪ふれば水もこほりて つめたかりける
夏こそはあつたともいへ冬くれば水も凍りてさむくなりけり
しゆく ていうを
借それより遠江の國橋本に著き給ひ、猫の艦を御覧すれば、東に入江の魚の寄るを待ち
-
* あづま *
南は南海通かにて、海人の小㎞べり、西は通かのシ通ふ人あり、北は琴弾き鳴らす
しゆく〜 いうくん そりはし
松立てる中には、船 の避 のあれば、軒を拉べて面白やパ前の入江には、原橋を架け
しに、少将殿
おきの波つゞみ打ちよるはしもとに琴ひきそふる峯のまつかぜ
波のおと峯の松風身にしみて心のとまるはしもとのやど
去程に習はぬ旅にあくがれて、思ひ績けさせ給ふ。住吉の夢を頼みて尋ぬれど、逢坂山に


君もや来るを白
総 の ー「を」は
逢ひ見ねば、いとr心の炭籠の、焦るょ夜半の洪しきに、君もゃ来るを自線の、 も
いかこ


「と」の術なるべ

、園れくる夜の近江なる、伊香の海のいかなれば、罪のむくいに我ばかり、
る思

やさ *
る 、浅ましかりし宿りして、心は空にあくがれ 、袖は涙に濡れながら、胸は燃
いつ なにに なるみ

そらの尾張ーみ えつふ焦るれば、何時とも知らぬ継をして、過ぐる我身もそらの尾張、何と鳴海の浦々を
の尾張の誤か なぎき
尋ね行けども甲斐ぞなき。継と見る目のかたければ、慰む事も清なる、岸の岩根をなきて
美人 くらべ 下 四八 九
=』=『*} *-- =
御伽 草紙 四九○
-
よるひるみぎは かた
遠江ー原本「と
をとをみ ち」と
のみ、波のシ海にて、都の死を通々と、思ひ遣るより遠江、濱名の浦に引く網の、迷
なる
はざりせば斯くばかり、愛き言の葉も露の身も、何にかょりて君がっる、思ひ職層の今
なみま
は只、甲斐も波間の事なれや、こょに忘れて信濃なる、只更科と思へども、逢はねば鹿
の#をそ鳴くと、斯様に際み給へば、省もかくなん
鍵路にはいかでか袖のぬれざらんかばかり 物は思はざらまし
見そめても通ひそめすばかくばかり敷かじ ものをさよの中山
駿河の國宇津の山にて、少将殿かくなん、
あをやぎの締うちとけて寝られねば思ひ園れてねをのみぞなく
-
とありければ、翁もかくなん、
みわたせばよもの棺もみどりにてあはれぞまさる 宇津の 山みち
清見が闘にて少将殿、
空晴れてさやけき月をながむれば 心の闘 もは れてこそ ゆけ

倍共夜の夢に、姫君「 裏の自き麗衣に、組
すこ

こ、
の椅ふみしだき、花園に立出で給ひて、心
凄けにて、
都にてこひしき春はきた れどもわれに見馴れし 花人ぞなき
斯様に宣ふと思しくて、少将殿の返しに、
鍵しさに逢ふうれしさもえぞ知らぬおつる涙にこる のむせびて ●
また姫君、
あし引の山がくれして訪ふ人もなきぞ 悲しきひとり ふせやに
斯様に宣ふと思しくて、おどろき給ひて少将殿、
あふと見る夢うれしくてさめぬれば逢はぬうっょのうらめしきかな
と有りければ、姫君の御夢にもこの如く見え給へり。又少将殿富士の 猫を見給ひて
年をへんー年を 年をへん逢ひみぬ隷をするがなる富士のたかねをなきとほるかな
へ ての誤なるべ

信斯様に尋ね来り給ふとは、姫君知らせ給はす 都の事を思ひて、花の一* 鳥の音まで
も、都に鍵らざりければ、かくなん、
鳥のねも花も霞もかはらねば 春ぞみやこ のかたちなりける
去程に蹴君徴瞳み給ふ夜の夢に、獣御航比世の姿にて、さのみな焦れ給ひそよ、今三日 ゆふべ
が内に悦び給ふ事あり、自ら九夏三伏の夏の夜は溺しき風となり、玄冬素雪のダには
美人 くらべ 下 四九一
* シ
j - 。シ 『』 }シー 1}
御伽 草紙 四九二
風吹く左の垣となり、暗き道にはシとなり、影身に添ひて悲むなり、除り次が事を深
しふしんこ せ さぶら きめ 〜
く悲み候へば、執心の罪深かるべし、後世をば用 ひ候へとて、清然と泣き給ひて、かく
なん、
すてしこーなて すてしこの花をば常に来てぞ見るあさ ちが原の草のかけ より
しこの誤なるべ

階姫君夢のうちに、
いさ くめー比語
の本義はかりそ
なでしこの花をば常にいさょめてなどはょさきに散りてゆくらん
めといふ 意 な
り、こ〜には課
階夢醒めて打驚き、涙を流し悲み給ひて、
めての意に誤用
せり なき人の姿をゆめに見えつればさむるうつょ の うらめしき かな
なき人の姿をー
「を」は 「の」 とあ 諸少将殿、麗なる瀬小船に召され、騙の死を御覧じて
るべき所なり
こひのみち暗きをなけく我なれ や てる さは水 に 心 すま さん
と言へば、翁も、
継の路いかゞはさのみ暮らすらんあひ見てのちはいとゞ てる さ は
斯様に打詠じ急がせ給ふに、信濃の伏屋に著き給ひて、翁宣ふやう 比程君が隷ひ悲み、一
はる〜
遥々尋ね給ふ人は、比伏屋にましまし候ふぞ、比翁をば如何なる者と思ふぞ、我はこれ
にっほん ほんぶ
日本の弓矢の守護碑、住吉の明碑なり、我昔凡夫なりし時、継をして身を焦したる故に、 -
なには
*,い あこ ミ - さ
碑と現れ、津の國難波の浦に跡を垂れ、鍵する人をば斯く隣みを運ぶ故に、是まで具し
むねかさ
て来りたり、次濁りに限るべからす、次が尋ぬる人は、あの棟角高き内に ましますぞ
と宣へば、基が見道る冊に、播消す様に失せ給ふ。共時不思議さよ難有き事かなとて
住吉の碑ともさらに知らすして目なれけるこそはかなかりけれ
しめちてーしら 借大明神の教のまょに、棟角高き内へ入りて御覧じければ、姫君は夢にもしめらで、都
ての誤か又はし
ろしめさての誤 の事を思召して、
なるべし
夏びきの締ほどだにもとふ人のなき かなしみをいか ゞ 忘れん
と担崎み給へば、少将殿は姫君の御盤と聞き給ひて、胸打騒ぎ、競しき事限なし。少し
立寄り笛を取出し、吹き鳴らしてかくなん、
なつびきのいとあはれなる継をしてわれこそ来ては訪はんとはする
と詠じ給へば、姫君是はそも夢現とも豊えぬものかなと、胸打騒ぎかくなん、
こちくー比方来 あやしさよわが聞きなしか都にてこちくと見え し 笛のね かとよ
と胡竹とにかく
と詠じ給へば少将殿、
美人 くらべ 下 四九三
㎞ー



有せ




けれ

殿な将




給りら

悦も

こさて




人に




夢心涙






てひ


とびし
々地 有君




けれり を 取が





参㎞




せひに
姫給
。らみ君 まで
出し
ける あば


たり
参り
尋ね
させ



べき

、入や




給参るれてら 給
シ 立せ

哀れ


ふ入は


へし君





候足



たせらくも 給
姫ら
染し





見誠に




せな恥



宣け
み君参り 公卿
いせ




見え
渡の

殿上人ら今 尼
只思ひ

怪ふ



奉る
かなる
しく や見





君よ山伏


御な気高く

誠年


優し
がてりにる 挑
姫ます







はま尼




ぞか君



思難
さ君しひなせ


比 紙

御伽



こて

山伏



むせいけり



なれ
来ぬろる

神 かれ
き て〜

見都

ちく
泣き





吹尋えこくきりね
けて
みつもり





のし
かて

ごちすどんろ
き冬
ばい
つから衣たちそめて冬に か 、りてきたる なりけり
ころも

j}
-。-*

}
=*}

*
-
て、少将殿かくなん、
あはざらんー原 あはざらん時こそあらめ逢ひ見ては何の思ひに 神 ぬらす らん
本「あは ざらぬ」|
有君
けれ


、 り

とあり

ことわりやいかでか袖のぬれざらん逢はぬひごろを思ひつゞけて
さて伏屋に四五日おはしければ、信濃の園の主は足を聞き少将殿へ参り、難き偲ぎ奉り
はしため か おびたご
房達、下碑に至るまで、御興三十挺昇き績けて 膨 しくおはします。少将殿宣ふ様は、尼
ひさこ
君、かょる田舎におはして何かせさせ給はん、都へ御供申さんとて、姫君の御興等しく
用意し、尼君を乗せまみらせて、都へ連れ上り給ふ。少将殿斯 様の次第を奏聞申され一
ふ びん
ければ、哀れなる事かな、さほど心深く信濃の伏屋まで尋ね行きける不便さよ、比程の
思ひを慰め給へとて、丹波の國にて三郡、元の本領に添 へ て、下し給ひぬ。少将殿御
悦びは限なし。又姫君の父宰相殿の御検び言ふもおろかなり。かの不得心なる継母御
前を、失はれんと有りしかば、野もせ姫宣ふは、仇をば恩にて報する習ひありとて、
おんわびこさ おんゆるし
さま〜 帝王へも、父宰相 殿へも、御記言あり。比上は姫次第なりとて、御宿ありけ
美人 くらべ 下 四九五
"- 』 } } -- - --
-
『U_ --
**
口ー

『ー 『ーj} i 、㎞* * -
御伽 草 紙 四九八
れば、野もせ姫より継ポ御前へ悲持し 避近き虜に置かせ給ふぞ難有き。倍少将殿は御位
びの貸に、姫君を相具し、住吉へ参り給ひて、百日御籠りあり、御賞殿作り参らせて
御下向ありけり。それより脱びかさなり、若君を二人、姫君一人出で来させ給ひ、行末繁
昌し給ひけり。彼の継獣御前は、第 一 もましまさす、自害して失せ給ふ。足は情なく
常り給ふによって、その天罰逃れすして、我と空しくなり給ひ、名を聞くだにも悲しさ
よと、人に疎まれ、亡き後まで悪しき名を残し給ふ。又彼の尼君の事船聞召されて、則

情9 なさ
ち本國信濃の内、所領を賜はりけり。是を見、彼を聞く時は、只人には儒 あれ。比物語
じ ひ なさけ
を見ん人は、能く〜心得分け、只慈悲情を掛け給ふべきなり〜。
萬治武年九月吉日 石津八良右衛門 開板
花 鳥 風
-
-
ーj ー! -
ーーーーーーーー 、: -
-
鳥 風月
-
みやこにしやまは むろ ご しよ なまかんたちめ
はらの院の御時、都 西山葉室の中納言の御所にて、雲の上人、生上達部あまた集り
梅は散り機はおそき折節に、雨さへいたく降りつざき、春の日くらしがたき術然の
りに、屈 色 をし給ふ。激家シの物語、古今萬葉の歌の心、さま〜筆をつくし
色々の届どもの中に、山科の少将の出されたる届の槍に 稀代不思議の給をそ書きた
ようがんこび
かたはら
る。容顔姻をつくし、共形いふばかりなくいつくしき公家上薦一人、又 傍 に女の
ひしたる所を、筆
まろ をつくして書きたりける。人々是を見給ひて各不審をなし給ふ。
いかさま業平にてこそあれといふ人もあり、あるひはいや〜是は光源
さうろん
相論ー争論に同
じ てこそあれと、座敷二つ
一つにお
におしわかつて相論し給ふ中にも、葉室中納言仰せには、所
の槍の不審をはれ候はんするやうの候ふ、それをいかにと申すに、こふに稀代の物
のこ
はぐろ をんなみこおさこぶ、ひ
)
とは出羽の羽黒の者にて候ふなり、女巫兄弟候ふなるが、姉は花鳥
-
-j -、--**}}- --
- - } } *
*ーシーー ー ーーーーー - - -

御伽 草紙 五○○
妹をば風月と申し候ふが、空飛ぶ鳥をも所りおとして、 過去未来の事をも明かなる鏡の
は 如く、何事
泰親のト占、掌
も曇なく申せば、さすの巫とも申すべき程の物の上手にて候ふ、とりわき人
あづさ 、比㎞ 、L、 で 、 、
㎞きょ」
り比名あり
を枠にかけて日よする事、碑鍵不思議けんてうの巫にて候ふ、比程このあたりに候ふよ うらなは
けんてうー厳重| し申し候ふ、是を召寄せてまづ比相論のやうをば、つや〜申し候はで 占「せ候て、日
よせさせて不審をはれ候はゞやと申しければ、山科の少将申されけるは、是は近比一興あ
㎞ るべきにて候ふ、源氏、業平相論の勝負をつけて、後の御くわいになさるべし、さらば
習なり シしわかって、シるシの事を今のシ と
=㎞り。 さる程に花鳥風月兄 狐のェるりたり は 裏のシの匂s㎞
苫て 花の層のぎゃかにシのまのすみはのぐとシ
のぶのたまさかに 調き㎞ たる花よりも議 ろらかなり。妹のシはシの
二つ に紅の椅きて、壁の購すきとはり、玉の撃さしゆりかけて、獣の匂ひかうばし
㎞ く、陸戦野の原のシ 露おもけなる魔艦にて、ゆるぎ出でたる有様は、名にし負ふ
㎞一風月もけふと思ふばかりなり。人々是を見給ひて、あな不思議や、あづまの奥の片田舎
にもと思はるく
ばかり なり」と
あるよろし にもかょる女房ありけるよと、今更目を驚かすばかりなり。
- --


五○一
、i}シ -
御伽 草 紙 五○二
さる名誉の御事 さる程に人々仰せありけるは、さる名誉の御事とうけ給ひ候ふ間、尋ね申したき事候う
ー然るべき有名

なる人 て、これまで申して候ふなりとの給ひけり。名撃 までは候はねど
うけ給ひ候ふー
別本「うけ たま
はり 候ふ」とあ
候ふ、若上薦の蹴り草になりまるらせんするにて候ふ、何事にても候へと申しければ、さ
るよろし
これまて申して
て業平の方の人々申されけるは、所診只今心のうちに尋ね申し候ふ人は、比世にある人
ーこれまて御出
を請 い申しての か無き人か、その名をば何と申し候ふ、また男か 房かくはしく占ひ給へとありけれ

ば、姉の花鳥は承り候ふとて、短冊一っ眠眠し、つく〜とまほりて申すゃう、あら面
いや、名はいにしへのならの葉の木末の露のたまさかに、跡とふ人もなきものを
ね給ふぞや、われはこれ天長二年三月二十一日に誕生して、淳和、仁明、文徳、
清和、陽成、五代の朝に仕へ奉り、 魔四年五月二十八日に年五十六にて空しくなりし
者のあとなりと、御トの耐にみえて候ふ、これは疑ひもなきいにしへの業平の御事を御

へ*
尋ね候ふ御心あてにて候ひけるやと申しけり。 っこさ




人々足を聞き給ひて、あと目を見合せて、あまりに不思議にて、いゃ〜これはシ
にて候ふ、何しに今業平の御事をば尋ね申すべき、よく〜占ひ給へとの給へば、花鳥
比由打聞きて、いや〜千度占ひ候ふとも、ちがひ候ふまじ、獅も不審に思召さば、わ
あづき ま ゆみ
らは様にかけて答へ申さん、風月とひてになりて問ひ給へとて、枠の植弓打鳴らし、一
首の歌にかくばかり
思ふこと言はでたゞにや止みなましわれに等しき人しなけれ ギよ
かんれいをうー そも〜我はこれかんれいをうのまめ男の名を得て、一生涯の間に契を結びし人の敷三
未詳
千三百三十三人なり。その時風月、わらは尋ねてになりて人々に聞かせまみらせん、さ
ても五條の后太政大臣冬嗣公の御娘、仁明天皇の后、御年三十八、業平二十二にて始め
て逢ひ奉る、さて襲艇の后は誰人ぞ。太政大臣良房の御娘、文徳天皇の后 が尾の御門の
鬼一日にー原本
「に」の字なし別 御母是なり。さて二條の后と申して、あづまの奥まで盗みとり、殊に御身を苦め給ひし
本によりて補ふ
は、いかなる人の御事ぞ。あらなつかしの人の名や、嫡しくも尋ね給ふものかな、それこ
武蔵野 云々 ー
ながら きさきだち
「武蔵野 は今日
はな焼きそ若草 そ中納言長良の御息女、清和天皇の后、御年十五、業平三十二にて后立よりは遥かにさ
の妻もたれり きより忍び〜に近づき奉り、或時は避『田おそろしき目を見 又成時は武蔵野はけふ
我もこもれり」
隅田川 云々ー はな焼きそと、ものふふを怨み、隅田川にては都鳥にことを問ひ、宇津の山にては人に
「名にしお はぶ
いざこと間はん
都鳥我思ふ人は
毒際をし、そこばくの思ひをつくし申せし人の御事なり。さて伊勢盤宮の御事は。あな
あり や、な しゃ


と」 事もかたじけなや、文徳天皇第五の御息女にて渡らせ給ひしを、長寛十年業平狩の使
花鳥 風月 五○三
--- }
御伽 草 紙 五○四
時始めて逢ひ奉る、かへるあしたのおもほえす
君や来し我や行きけんおもほえす夢かうっょか撃てかさめてか
とありければ返事に
かきくらす心の闇にまどひにき夢かうっょか 世人さだめよ
と仰せられしもかたじけなや。さて飾り の女と間えしは誰やらん。それこそ兄行平の
み やすきころ
ひろしー別本に 御娘、さだかすの親王の御母にてまします。さてへんの御息所と聞えしは。ひろしの御娘、
「ひろよし」と あ
り、
仁明天皇の御息所。なま心ある女と聞えしは、誰人の事やらん。それこそ共比天下にな
きつねはめなて らびなき色好みの出羽の郡司小野の良転が娘小野の小町が事にて候ふ。きっねはめなで
ー「夜 も あけば
きつにはめなん
くだかけのまだ
とわびし女は。みちのくの坂の上のつらおが娘。又染河の女と間えしは誰ぞ。筑前の國
きに鳴きてせな
をやりつる」
あきかもとしなかはらのちかむねが娘。九平九髪の女はいかに。治部の少輔藤原の定夏
筑前の國云々ー
誤認 あるべし、
がきうさいなり。さてシの女はいかに。在原のむねやすが母しけが事なり。よしゃ
別本には 「筑前
の守中原のちか
草葉といひし女は。きよこが事なり。世人は誰ぞ。それこそ伊勢が事にて候へ。この外
むねが 娘」 とあ
数々多けれど事しけけ れ にして、家
り、
きうさいー奮妻
の日鷹一っならず、いづれの家の歌をか用ひ給ふべきと、ねんごろに問答しければ、人
人なほも隠して業平ともの給はねば、いや〜さのみな御隠し候ひそ、巫の骨折にはや
や明かさせ給へ、まさしく御心のうちに御尋ね候ふ人は、業平の事にて候へばこそ、か

うに申し候へ、人たがへにて候ふまじ、さ候へばこそ御ドの耐"様の離にもあらはれ

したふりー舌を
振み恐るくなり
出で給ひて候ふらめと申しければ、人々これを聞き給ひて、目と目を合せてしたふりを
-
してぞみたりける。
さて源氏の槍といひし人進みいでて申されけるは、御トの合ひ合はぬ事は扱おきぬ、書
語避断きょごとにてこそ候へ、それがし又尋ね申したき事候ふ、これ構へて〜ねんご
ろに占ひ候へ、人たがへ無くいかやうなる人の来り給ふらん、よく〜不審をはれ候ふ
きゃうしー敬し
やうに聴聞申し候はんとの給へば、誠に御大事を御問ひ候はゞ、我鏡をきやうしあがめ奉
比御まへー別本
比下に「にて」の りて持ちて候ふ、比御まへシ、人間 資類備碑三賀 何事にても候へ、現れすと
二字あり
いふことなし、御尋ね候ふ人を只今比鏡のうへに斬りうつして、奇特を見せ申すべきにて
ぎゃうりきー行
力 候ふ、多年ぎやうりきを入れ奉る碑鏡の御前にて、鏡の奇特を申さんするにて候ふ、そも
じちみき あまてる - - *
ほんしゆー本主 そも鏡は日域朝廷のほんしゆ天照おほん碑を内侍所に移し給ふよりこのかた、紳鏡 の威
やみちよくせ
のき
光ほがらかにして、濁世の闇を照らし給ふものをや、遠く上古を案するに、黄帝は軒に碑
花鳥 風月 五○五
『* } シ *、* * **
く -
-
-『" =
御伽 草紙 五○六
しやうゅ たうう た
鏡をかけて遂に障凝を従へ、唐の太宗は人をもつて鏡とせし故に、天下七徳のほまれを謳
*ふ腿 いのル 特予 い

ひき、阿房宮にたてし鏡すいとさんの深きを知れるなり、誰か鏡をしやう せざるべき、
け こん そうきやうろく
に二け圓融のたとへあり、華厳に十境一とうにあらはす、やうめい輝師は宗鏡録
へ るをや曇るといふらん
不思議やな、彼の紫の上の須磨の別れを悲みて、鏡をみても慰みでましとよみ給ひし

いにしへの言の葉心にうかび出でて、あはれ光源氏の御事を御問ひ候ふ、御待ちあれ、
獅々せいをいたして斬りあらはし申さんするにて候ふなり。

それ明鏡に照らさすしてとせいすいに見るとは、濁れると清めるとによてなり。こふに
たなごころ き ようくわうきよう〜 けいしゆ
) し
われ〜きみやうの 掌 を合せて、恐悼とをのふき、恐々と恐れ、稽首と敬ひ、再拝と
伏し耳み申して、申さく、願はくは早く一面の鏡のかけに、貝今奪ね給ふ 」盤の形をあ
らはし、たちどころに議 の不審を明め給へ、しかれば則ち尋ぬる所の昔語は、これ辱く
も碑武皇帝の御末ちせいふさうの賢君の御名はわざと申すまじ、彼の物語にもいづれの
き うい
御時にかありけんと作り給ひし事なれば、左右なくいかでかあらはさん、獅も不審に思
召さば我身を光源氏の有様に斬りなして、かの鏡の影に寛して人々 に見せ申さんとて、
雲隠れせしよはの月、光を又やあらはさんと、おし返し〜二三遍歌ひければ、まのあ
たりに鏡の影に届にかける給の如くなる上薦の語衣、記を著して見えける事ぞ不思議な
る。人々稀代不思議の思ひをなして見る所に、花鳥、鏡にうつりける源氏に代りて申しけ
るは、桐壺の天皇第二の御子六條の院と中すは我事なり、たやすくも名のらじとは思へ
ども雲がくれせしのちは、愛別離苦の罪に沈みて、いまだ浮ぶたよりなし、さればあり
しゃうようー未 し世の事共物語り中さん、鶴悔の功徳によりて少しの罪を免れんがために、只今のしや

うように鏡の影にあらはれたる、これ又他生の縁あるによて也、人々構へて跡とぶらひ
涙をそ へ て云々
ー源氏 桐壺 「い
てたびたまへ、罪障慣術中さん、われ三歳と申せし秋のころ、御母衣におくれ奉り、涙
とぶしく虫の音
しげき浅茅生に
をそへていとさしく論の音しけき愛生の露けき中に生ひいでしを、御恵みいとも長き
露おきそふる雲
の上人」
勅により、源氏の難を賜はりて、十二にて元服す、 蹴の相大光君と中す名をつけし
相人ー人相見
より、瀬氏といひし地 ㎞の に中書、証 の賞の にシに大シ
の巻に年二十二にて父の御門におくれ奉り、かの花の宴の春の夜にゆくへも知らで入る
月の臓けならぬ契ゆる 、二十五になりし時、津の國須磨の浦に移され、あまりに敷きを
花鳥 風月 五○七
V
** み さこせま
さへ語り慰む人もなし
身に積みて、又の年の春播磨の明石に浦博ひ、問はす語りの夢をあらがき ちか
さるにても三年は須磨のうらさびしく、何と臨屋の内も間近き荒垣の、竹の編戸のあけ
ひな
すがむしろ
くれを憂きふし何と菅競、習はぬ郡のすまひして、人離れなる里なれば、都のたよりも
絶えはてて、涙に曇る月の顔、ちひさき舟を眺め ても、臨焼く畑に身をいため、柴といふ
うへの ね - -
もの折り敷きて、思ひを須磨の山おろし、上野に通ふ鹿の音は、うしろの山に程近く
うしま
波こょもとに降る雨は、潮の落つる盤なれや、旅衣うら悲しくも見渡せば、淡路島山ほ
のみえて、誰が住む里ぞ棋の戸の、塵まさりぬるすまひまで、思ひ残さぬ事もなし。潜
さまや おさこく はよ ひちかさ
の笛屋に するは友よびかはす浦千島、鶴の鳴り水艦のシのしめぐと 思ひを
そへていっとなく、聞き馴るょ高潮の、せめて思ひや慰むと、移し植るける若木の機、吹
み なかやまがつ ひなびきこしの
けども花は田舎にて、すむ我さへにいつしかと、山践めきて郡人の偲ぶ都のかたみには、
みはらひ ミ
おくりもの * i に 〜 *
撫て物ー良 を撫 己の日の蔵や撫で物の贈物にて笛の音も、引く玉琴もなつかしや、さる程に天下に奇特
てて機を威ふ人 つけ
かず ほか

員の外ー定員外 の告ありて、程なく都に召し返し、もとの位にあらたまり、員の外の大納言にあがり、打
をさめ
績き 様の巻に内大臣、少女の巻に太政大臣、藤の裏葉に太上天皇、かくの如きの楽み
きは
を極めしに、紫の上の別れゆる 、光をかへす稲妻の程なき夢の世の中に、色をたしなみ
花鳥 風月 五○九
御伽 草紙 五一○
香をかざり、高きも撃しきもおしなべて、 あるも主なきも隠れ顕れ、思ひし女の思ひ

思ふ人には若
ー誇
や積りけん、思ふ人には苦むとて我身ながらもおろかなりと、迦陵頼伽の盤にて泣きくど
き語りければ、皆面白くも不思議にも思ひ給ひけり。
さる程に妹の風月は気色少しうつよなき風情にて、あれ〜見給へ、鏡の影にわらはも
現れ出で候ふぞ、恥しき㎞の数ならで、思ひや色に出でにけんと、おし返し〜二
三遍歌ひければ、扇にかける槍の如くなる女日おほひして、源氏の御影に立ちより給ふ
と見えしかば、彼の女申しけるは、君はいづくへとておはするぞ、比世にてこそ疎まれ
まるらせ候ふとも、冥途にては愛念の執心の撃となりて 影の如くに離るまじきものを
とて、獅も御影に立ちよりけり。さる程に花鳥は、源氏の御姿になりて物をいふ、風月は
末摘花の幽霊になりて問答す。
そのとき源氏の大将の給ひけるは、そも〜いかなる人にてましますぞ、見たりともな
き人の姿かな、耐はゆければこそ日施ひし給ふらん、これ程人の御覧するに見苦しき御
ふるまひや、とく立ち去らせ給ふべしとの給ひければ、我をば誰と知らぬとや、知らすば
みやうぶ
御心知りの大輔の命婦に問ひ給へ。さては常陸の宮の御娘の。なか〜に。われ六條の
よもぎふ
院に候ひて数多の敷には入り候ひしかども、名さへ践しき達生のかれ〜なりし契の末
うらめしければ人知れすき心のありしかども、貝数ならぬ身に恥ちて、知らす顔にて
さて過ぎぬ、たとひ生を隔っとも愛念の継 れされば、獅必き人にっきそひて、あな離る
みやすこころ
まじの御身やとて、獅も御身に添ひ給へば、大将の給ひけるは、彼の伊勢の御息所をこ
ものるい むじー そ物語の表にも、ものるいむじおはせしうたてしき事にも申せしか、末摘花の御事は物
物偲「モノエム
ジ)の説、別本に 嫉みし給ふとも、彼の物語にも見えぬものを、されば何事の御怨みにより、これまで来
は 「ねたみ心の」
とあり
り給ふぞや、はや〜御騎り候へと仰せければ、物語にこそかふれねども、今の世まで
御よせるー御除 も末摘花の名を得たるも、見そめ給ひし時の御よせる に恥しくも
情(オンヨセイ)
か なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖に鍋れけん
と御よみ給ひし御歌ゆる なり、見たりともなき姿とは、あら怨めしの言の葉や、いでい
ですきたる事なれども、物嫉みして狂はんとて、葵の上と聞えしは、揺政太政大臣の御
娘、ときめき給ふ御事を浅ましとのみ見し程に、夕霧の君を生みおき、程なくかくれ給
ひし嫡しさよ、紫の上と申せしは、ゆかりの草を尋ねっょ、いとけなきより迎へとり
はごくみ給ひし事なれば、御志もたぐひなく時めき給ふ御事と美深しとのみ思ひしに、若
花鳥 風月 五一
i-**** } * * --- =
御伽 草 紙 五一 二
はならるさこ
楽の巻に失せ給ひ、世の敷き騒けどもわれはそれ程思はす、花散里と聞えしは、麗景殿

の 妹、いと敷ならでましませば、いとをしと思へども、よかれとまでは思はす、明石の上 *} 『* }
は か 17
さづ


物や
現は
よに






息所ろれ
御もの怪



*

なる *
ル 恐しや、何と
思ふと比人を憎までいかrあるべき、女三の宮、父御門殊にかなしくし給ひて、彼の愛

き人にゆっりしに、シの思ふことけぶりくらべに顕れて、御心にも入らされば、人
には言はす心にはをかしと聞きてさて過ぎぬ、観艦樹の藤澄、鷹月夜の御事を思へば
言ひちらさんも備なし、さすが人の御ためも痛はしければ、世がたりに人もこそ聞け
申すまじ、中にも物の僧かりしはタ顔の娘なりしをシとかしづき、 鷹の比とかや
シすこしともさせて、引きさす琴を枕にて、御うたよ寝のつきなさよ、 空襲の尼君数に

もあらぬ人までもさるぞと聞けば、人知れす嫉妬の心鍵となりて胸をやき、愛念のほむ
ら身を癒す、又うち返し按するに、物の嫉きは誰ゆるぞ、よし何事もうちすてて怨みは
末も通らじゃ、せめて鏡の影にても慰しき人を見るやとて、鏡によりて影規れば、あ
りも光る御影の句ひみちたる御そばに、又共影を拉ぶれは、爆け赤める 群にふるき皮
- - -
普賢菩薩の乗物 シうへに著てシの乗物と書き留められし筆の跡、身に知られっょ恥しければ こ
ー象をいふ、末
摘花の鼻の長き
に警ふ
の日比の愛念の継をも引切り、嫉妬の思ひをひるがへし、過ぎにし方のはづかしさ、我
と心に機悔して、後悔の涙せきあへすと、袖をしほりて申しければ、大将の給ひけるは
やさしく思召しとられけるものかな、そも〜御身を今尋ね申す人もなし、何しに是ま
で来り給ふぞや。いまだ知り給ひ候はすや、只今不審をなす届の槍は、いっそや雪のあ
したの御騎りに、松の雪を挑はせて、
ふりにける頭の雪を見る人も劣らすぬらすあさの袖かな
と詠み給ひし時わらはも諸共に艦の激までさそはれ出でたりし所を 書きたる槍にて候
へば、比物語をたよりにして現れ出でて、日比のうらめしさを中すなり、是までなれや、
いとま中して騎るなり、只今の物語さいしやう機悔してなき跡をもとぶらひてたび給へ
とてなりと、涙を流し中しければ、鏡にうつりし影もなく、風月は又もとの心になりて、
夢のさめたる如くなり。
けんじ み かけ M シ
さる程に人々奇特の思ひをなして、源氏御影はいまだ鏡にあり、花鳥も幽霊の去る風情
こ えん
もなかりければ、葉室の中納言進み出でて申されけるは、あり難き御縁かな、この扇の
花鳥 風月 五 一三
御伽 草紙 五 一四
槍を不審によりて昔語に承りし事どもを、まのあたりに御%に拝み奉ること他生の宿縁

〜イ
















何代の事をあかせるぞや。答へて日く、まづ前代の事はさておきぬ、桐壺の御門より始
さこう ぐう
めて、朱雀院、冷泉、今上、春宮五代のうちを沙汰せり。后たちの御次第に不審あり、
あくだいし
まっ朱雀院の御母はいかなる人にておはしけるやらん。二條闘自、悪天国の御娘。冷泉
院の御母は。先帝四の宮瀬雲の女院とも、又藤壺の婦く日の宮とも申す也。さて宇治の

十帖の事は。我光かくれしのち匂兵部宮の御事、薫大将の事。作り添へたるをよそへて申
すべき人々は。まづ桐壺の秋を思ひのはじめにて、名をのみ残す幕木の心も知らで旅寝
せし、こょは涙のシへ、思ひ懲りても扱あらで、獅人がらそなっかしき、 足の袖を
又ぬらす、タ顔のシの露と聞きしより、人の命は老いたるも、若紫も頼まれす、心を
㎞波のシの監居にかけて忘れぬは、
さなきはごくみも見る甲斐ありしさまなれや、
花の 宴ー原本 紅葉の賀の御あそび、心にかよる藤壺の、あたりゆかしき花の宴、賀茂のみあれの薬草
「花の縁」とあり、 ひさえだ
今改む 車をかざる雪ひも、額の夢とやなりぬらん、彼の野の宮の旅衣、『機折りし掃葉の名を
名をなっかしみ一なっかしみ吹く風の、 シを過ぎぬらん 獅こりすまの物思ひ、竹あめる垣の夜もす
がら、月にあかしの浦停ひ、獅みをつくし思ひゆく や右の槍合に争ひ騒 松風や
きょていづくに薄雲の、煙のはてもあはれなり、世を継の花の露 務むっかしき少女子が
『*ー を一形見にのこす玉撃、我が身にとむる梅が枝の、藤の裏葉も時すぎ、若菜も老いとなりぬ
。一べし、われ先立たばなき跡をとへかし いきのはかなくも夢に備へし横笛を 吹きょわり
たる山風に、タ務はるょ小野の里、そも〜教主料奪は御法の道を尋ねっょ、弱 の夜撃
の空 *にシの霊がくシに加藤のあっくし 闇晴れて心の月をあらはさ
㎞一ん、嫡しきかなや、只今の狙書織語の戯れに花鳥風月を継として、無上菩提に到らしめ
㎞ 生死即混撃 和橋即菩提とも今こそ思ひ知られたれ 暇中して人々とて花鳥座敷を立っ
㎞ と見えしかば、gのシはてて、 も元のシり。足を見聞く人シ
地して、うつょとも更に思はれす。面白さといひ、一方ならぬ不思議なれば、奇特讃軟
㎞。
なのめならす、小袖十かさね、沙金十雨賜はりて、巫は騎りけり。
慶安三年子血春吉日
花鳥 風月 五 一五
-
五一六
***
- -
紫 式 部m の 巻

|
。。-1} }
紫式部 の 巻
上東門院ー一條
天皇の皇后彰子
一條の院の御時上東門院の官女に紫式部といふ賢女あり。その姿 にして楊柳の風に哺
き、若率のかんざし、騙の犯の選きとほりたるが如し、側れてかょる のはっれより顔
の匂ひ瀬雲に月のすきたるが如し。唇は美容の如し、胸は玉に似たり。姿は闘生の中の
花のダ瞬 映きこほれたる梅機の如し。心ばへ幽玄奪常にして世の常の人にすぐれたり。
こせうしゃうー 管継の道暗からす、和歌達者にして衆につらなり、既に歌仙にのれり。こょにこせうし
上東門院の女房
小少将 やうシをかしかりける程に、水艦の鳴き侍りければ、紫式部が許へよみてつかはし
ける。
あまの戸のー新 かよ ひばっこ
-
た き*
勅撰に は 「いか あまの戸の月の通路さふねどもいかなる方に叩く水難ぞ
なる浦に」 と あ
けシ
とあれば、やがて紫式部、
植の戸のー同集
に「植の 戸も」と
あり
横の戸のさょでやすらふ月影に何をあかすと叩く水難ぞ
紫式部 の 巻 五 一七
- - }
御伽 草紙 五 一八
となんよみてやりける 比人石山の観音を信じて、折々参詣せられけり。あるとき賀
の鷲の より上東門院へめづらかなる物語や侍る、見給ひたきよし御所望ありけり。
彼の猟の宮と申すは村上天皇十の宮選子シにておはします。賀茂の競院は御門御代
のはじめ殊に代らせ給ふ事なれども、この斎院は圓融院の御時天藤二年に斎の宮に備は
り給ひて、既に御門三代に及びしかども、響はあひかはり給はす、足によってシ随と
は中すなり。上東門院 紫式部を観離に召して、うつほ 竹取などのふるめかしき物語は
定めて目馴れ給ふべければ、新しく作りて奉れと仰せければ、式部仰せに従ひ奉りて、ま
大悲ー観音をい づ石山寺にまうでっょ、夜もすがら大悲の御名を唱へて、比事をそ所りける。をりしも

八月十五夜の事 なるに、月の影湖水にうつりて、心の澄み渡るまょに、物語の風情心
に浮みければ、まづ須磨明石の雨 を書きそめしが、そのおもむきを忘れぬさきにと
て、備前にありける大般若の料紙を本奪に申しうけて、ひるがへして書きとめけり。こ
の故に罪障織悔のために、大般若一部六百巻を自筆にかきて備前に納め奉る、今に常寺の
さうせら るー蔵
賞蔵に納めおき侍るとぞ。次第に書き加へて五十四帖の草子となし、光源氏の物語と名
せらる又は奏せ
らるか 付け、則ち大斎院へまみらせ給ふ。斎院なのめならす脱びさうせらる。およそ物語の最上
**ir) )・ ・ ) ・・ 、ー、:、 、):
- - - ーーーート
貴践男女のもてあそび、天下の至費とぞなりにける。さて比物語は天台の六十巻といふ
獣を撃んで、五十四帖に慰を分ち、筆法は史記といふ書をかたどれり。シを考へ書
㎞ きっrけたる故に、紫式部が異名を日本紀の御 とそ申しける。継じて %にせぞくゆ
㎞ ふるんの同多しといへども、 これ敷島大和言葉なり。歌は同すくなうし 心深く、多
くの義理を含めり、則ちこれ眞言の院羅尼をうつしたり、大日の三十一品を表して三
十一字の詠とす。滅罪生善の徳あり、このゆる に碑明備陀歌には感應をなし給へり。又
。一紫式部は越前の守ためあきらの娘、一條の院の御めのと子なり。敷島の道にすぐれたる
のみにもあらす、備 道にもおもむきて天台宗の許可をかうぶるといへり。さてこそ比
物語にもまづ好色の事どもを書きあらはすといへども、人を仁義の道に引入れ、又は菩
提心を勧めて、終には中道質和の妙理を悟らしめて、出世の善根を成就すべしとの方他
なり。
有無の二偏云々 まき はょきぎ う む
㎞ きる程にェじめに 本、 の に の浮店と立てたること、有 の二価を隠れて
一㎞」中道質和の理をあらはしたる物なり。そのゆる 又諸法は無きかと思へばしかも有り
㎞ 又有るかと思へば無きものなり。有るにもあらす、無きにもあらす、有無の二法を離れて
紫式部 の 巻 五 一九
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--- - - - -
- - -。-- - *
御伽 草紙 五二○
質相の道に入るべき故に、幕木といふ巻の名を始めにおけり、共誇歌に云く、
園原やふせやに生ふる審木のありとは見えて逢はぬ 君かな -
信濃の國園原といふ所あり、その所に幕木といふ物あり、遠くより見れば、管帯を立てた
るやうに見ゆるを、近くへよりて見れば、それに似たる木もなし。かるが故に有りと見
れども無きものに、警へ侍るなり。 又夢の浮橋といふこと、是もありてなきものの豊
しやうじは はんゆ によさくむ
なり。経に云、生死混繋獅如昨夢と。又荘子といふ書に云、荘周が夢中に胡蝶となって
くさ

こせ




にたはぶれ遊ぶと見たる由を書けり。比心を歌に
もくさこせ

1
で居の歌
、大江巨 百年は花に宿りてすぐしにきあはれ胡蝶の夢にぞありける
比物語にかきあらはす所の人々、有貸轄鍵のことわりを知らしめ、菩提の道に勧め入れ
をはり
んがために終に夢の浮橋ととゞめたり。これ則ち観音の式部が心に入り替りて作らせ給
ふと思へば、有難かりし御事なり。又人皇八十代の御門高倉の院の御時に、安居院の法
印澄憲といふ人ありけり。これは少納言悪ェが末子、文才世にすぐれ、群百人
に越えたり。承安四年の春の比、天下大きに異して人民悲み数きしかば、則ち禁中にお
ひい ほふしゆ
いて最勝講を行はれ、雨乞の秘法修せられけり。第二日の導師はこの澄憲僧都にて侍り
* ** -
しが、説法いみじくせられし故に、龍碑属魔を垂れ雨影しう降りて、天地をうるほしょ一
かば、萬民飢鐘のうれびをとざめて、安楽の思ひに住しけり。さてこそ共世の誇に、澄
憲の説法には龍碑感應を垂れ、甘露の雨を降らしけるとも申すなり。そのあした俊恵法
師よみてつかはしける。
雲のうへに響くを聞けば君が名の雨とふりける音にぞありける
澄憲かへし、
あまてらす光の下にうれしくもありと我名のふりにけるかな
とうさんー登山 又一とせ自山妙理権現の碑興御とうさんありし時、山門の大衆シして 産にシをい
たすといへども、敢て御許容なかりけり。是によって衆徒いきどほりをなして、八王子
()平家物語の碑
興長及び産主玩
各人 十㎞三赴の碑興を信り奉り 禁庭に振り奉るべしと最議するょし則をしかば、
の修を見よ も説も大きに騒ぎ給ひて、教使をもってなだめ給ひしかども、衆徒敢て宣旨をも用ひ奉
へん しんかう
らすして、既に西坂本をくだりて、さがり松た?すの透まで碑幸をなし奉りぬ。さる間
武士に仰せて足を防がせらる。大衆紳人事ともせすして、軍勢の中へ御薬をかき入れ奉
る程に、武士と大衆と互に矢先をそろへ挑み戦ふ程に、あるひは郷を被り、あるひは失
紫式部 の 巻 五二 一
ー「"
-
御伽 草紙 五二二
庭に打たれ 浅ましき事共なり。武士は多勢を入れかへ〜攻め戦へば、大衆遂に叶はす
して、碑興をふりすて奉り、泣く〜本山へぞ騎りける。夜に入て三赴の紳興をは祇園
祀ペ入れ奉り給ひけり。御門大きに遡闘まし〜て、則ち共時の天台座主明雲大僧正
を濫 のシ下されけり。大僧正はこんど御難ふり奉りし事 衆徒のしわざなり 魔 な
だめ給ふといへども、用ひすしてかょる大事に及べり、されば座主の御身には公りなし
おつたて くわんし
力なく
といへども、救命なれば力なくして、追立の官使に具せられて、本坊を泣く〜立出で
て配所へ赴き給ふぞあはれなる。年比日比御身近う参りつかうまつりし人々あまた有り
しかども、恐れをなして 御供申 す者もなかりしに、比澄憲僧都ばかりこそ御名残を惜み
こくぶんじ
こうせんー廣宣 奉り、國分寺といふ所まで送り奉り給ひけり。座主澄憲を御前に召されて、次われに名
けつみやく
二乗はむ じゃう
ー未詳 一
残を慕うて是まで来る志こそやさしけれ、その報恩に天台秘密の法文一心三観の血脈を
そうしんのやく
ー増進 の 盆 に
て、成備の因道
付属すと宣ひて、授け給ふこそ有難けれ。比法は足諸備己心の駆生なれば、如来四十
を増進する利益 除年秘密して是を説き給はす、たま〜一乗こうせんの時、二乗はむじやうの悟を開き、
の意か
きやうたうー行
道なるべし
菩薩はそうしんのやくに預り給ふ。されば天台大師は大蘇山の法花三昧の道場にし
りやうぜん いちる た は、
多貿の塔中ー多
賓塔の内にて て、きやうたう修行せしときに、霊山の1倉現じつよ、多響の塔中、響奪よりこの法を
りんかいけん りうこうじ たうすみ
博へ給ひ、又我朝の博教大師もろこしに渡りて、台州臨海懸の龍興寺道選和尚を師とし
て仕へ給ひ、比法を博受して騎朝し、我山を建立し、一心三観の宗旨始め給ひけり。た
やすからぬ秘法なりとぞ示し給ひける。この澄憲石山の観音を信じて、常に参詣せられ、
或時夜もすがら斬念せられけるに、観音夢中に告けての給はく、そのかみ紫式部といひし
シ常寺に参籠し、光源氏物語といふ草紙つくれり、共詞ゆふるんにして心菩提を勧め
義理殊に深しといへども、いまだ供養をのべざる故に、善所に到ることなし、次才智世
にすぐれたり、速に供養をのべて彼の備 果を成すべしとぞ示し給ふ。澄憲驚き夢さめ
て寺中の僧衆に比由を告け給へば、各奇異の思ひをなし、さらばとく〜説法を始め供
養を遂け給へとありしかば、澄憲喜悦して、備前に高座を構へ、既に源氏の供養を始め
給ふ。比事四方に聞えしかば、京都より公卿殿上人官女以下の女房たちに至るまでさし
集ひ給へば、道すがら属事にせきあうて、人のゆききもたやすからす。共外大津 松本
志賀、唐崎、シ、草津の土民等、湖上に舟を浮べ、瞬路に駒を早めて参り集ひける程
に 理のシを得たりと見えにけり。遼の説法はシの 者に ならざれば
信心微妙のことわり花を咲かせてのべ給ふ。その表白の詞に日く
紫式部 の 巻 五二三
リ。
リ 。


リ美ーー
-

リ。
- 。 砂
御伽 草 紙 五二六
そも〜桐豪のゆふべの煙、速に遊性の空に至り、幕末の殺の言の葉は終に盤樹の難を
うつせみ
開かん。空襲の空しき世を脈ひて、タ顔の露の命を観じ、若紫の雲のむかへを得て、未摘
うてならくえふ
花の撃に座せしめん。紅葉の賀の秋のゆふべには ェを望みて有貸を悲み、花の宴春のあ
あふひー薬、逢 したには飛花落葉を観じて、無常を悟らん。たま〜備教にあふひなり、榊葉のさして
ふ日
じや、う せつー
利浮(浮土)
じやうせつを願ふべし。花散里に心をとゞむといへども、愛別離苦のことわりを免るよ
四智圓妙ー大圓 ためしなし、只須らくは生死流浪の須磨の浦を出で、四智圓 妙の明石の浦にみを
鏡智、平等性智、
妙観察智、成所
作智の四智圓備
つくし、闘屋のゆきあふみちを避れて 磐の浮きみぎりに赴き、薬年のふるき草むら
して微妙なるを
いふ
を分けて、菩提の誠の道を尋ねん。何ぞ弾陀の奪容を撃して槍合にして、松属に業際の
瀬 を挑はざらん。生老病死の身、朝顔の日影を待たん程なり、老少不定の境、乙女子
がシをかけても獅頼みがたし。谷たちいづる管の初音も何かめづらしからん、牝艦
㎞の鶴りにはしかじ。網にたはぶるょ胡蝶貝暫くの楽みなり。天人撃衆の遊びを思ひ
やれ、澤の豪のくゆる思ひ盤髪なりといへども、怒ちに智恵のシにひきかへて、野分
の風に前sるこ㎞シにともなoて、シの
はうしやうこん シ
に心をかけて、七賞荘厳の横柱のもとに到らん。梅が枝の匂ひに心をとゞむる事なくし
て、浮士の藤の裏葉をもてあそぶべし。彼の仙洞千年の総得には若菜を摘みて世奪の供
いっし
養せしかば、成備得道の因となりき。夏衣たちみにいかにしてか一枝の柏木をひろひて、
つみ木ー罪と積
みとにかく
妙法の新となして、無職期のっみ木を亡し、シ相の風光を輝かして、聖衆音楽の
艦館をきかん。うらめしきがなや、備法の世に生れながら家を出で名をすっる湖には
鈴論の盤ふりすて難く、道に入り飾りをおろすところに、シのむせび晴れ難し。悲し
きかなや、人間に生れながら御法の道を知らすして苦海に沈み、幻の世を脈はすして眠
路を まん 。しかシを改めてシ
のにほひを 離しては香の煙のよそはひとなし 龍の水をむすびては橋の身をす



ぎ、紅梅の色をかへしては愛著の心を失ふべし。待つ管のふくるを敷きけん宇治の
う は そくしひ
に至るまで、優撃塞が行ふ道をしるべにて、椎が本にとどまること初れ。北郎の野漫の
泡雪と消えんゆふべには解脱の継館を結び、悪の山の 隣の煙とのほらん鍵には、掘
艦のかけにシとならん。司位を慰のうちに通れて、楽み変えを 期に将 べし。足
善逝ー備十跳の もシの身なり、有るか無きかの手習にも往生極楽の文を書くべし。かれも夢の浮橋の
らいがういんぜふ ぜんぜ
一つ、好去と譚
世なり、朝な夕なに来迎引接を願ひわたるべし。南無西方極楽弾陀善逝、願はくば狂言締
-
紫式部 の 巻 五二七
---- - * -
御伽 草 紙 五二入
六趣ー地獄、餓 語の誤をひるがへして、紫式部が六趣苦患を救ひ給へ。南無常来導師弾勤慈奪、必す轄
鬼、畜生、修羅、人
間、天上
法輪の縁として、是をもてあそばん人を安養浄利に迎へ給ふこと豊疑ひあらんや。され
ば光源氏の名田五十四帖に分てりといへども、シの名は三十七 なり、これ大日の三
十七奪を表せり。その慰々に好色ゆふるんのたはぶれ言を書き列ねたりといへども、又
無上菩提の嫉なる 理 を含めり。しかれば諸備の御内説にも叶ひて備果を成せしめんと
いへども 末代の衆生に手 のェばしめ、シをもって、解脱の因となし
つ まこー妻子か めんための方便にて、つまこの大曾を行はしめ、 諸人の参詣をすょむる也。誠に有難き
慈眼 祀ー原本
「慈眼現」とあり、 御利生にて、慈眼祀衆生の御誓願たのもしき御事也。
今改む 明
暦四年仲夏上旬
藤井 五 兵衛
伊 香 物語
-
* ** シー』**} }

伊香 物語
心 郡。
伊。
か&こう ミ


ば な な て い

]
-
] じ


いづれの御門のおほん時にや、近江の園 香郡の なる
なさけ

露す。
けり。共妻かたち世に拉びなきのみな らお *
やさしく情あり 花 *
四季折々のながめに大和歌を日すさみ、継術をもてあそび、手なんどをかしく書きて

れ は

* け

績み継ふ業までおろかならす、そのわたりの人思ひかけざるは
の道を守り、五つの徳を修めて、いさょかざれたる由もなけれ 皆 天ふん
かは る事ーかは わたりけり。共國の守かはる事に博へ聞きて、いかにもして、比女を得まほしく思ひて
れる事にて普通
なら る意か いはでの森のいはでやはと、最間の艦橋ふみ通はぬ事もなければ、善きにもあしきにも
くちゃみぬ るー
朽ち終ぬる意か
重ねそめにしっまならで、又こと人にまみえず、手にだに編れぬ悪のくちゃみぬる事
となりぬ。このたびの園守もみぬめの浦の思ひ深く、波の 届に心をめぐらし、書にい はかりこさ
でては叶ふべきやうにも有らざりければ、いかにもして比女を取りてんと、一つの 謀 を
伊香 物語 五二九
落ち い




し どなども ねー

に 知ら

この き

の かじ
いみ


いみ

な呼び



物とても
ぬる
いで
聞今

うシ






るにかく








こ知り







信すども




たら
多㎞



、かれ
そべ

とシ


、あ












知りよせる

悪しき


ね べ
らも に勝ち

は計




たら








しおいて




む きれらべ 以下
所我たら
のべ計必
勝ふ



せに




すい領國ちしらんみ


争 と給



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いれ






の背いふ


ばづれ


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なさは


御否



か龍




守なとわり門ばらり て



ら まとし


、あ比




ある
御豊
う時


とかせるけ門なも
かせ

え 仰






承で


届け



やわ國


につけ



ん何き

守 が事 たる
りい か


め身


泣き
酔ひ


惑面、




に語け
ぎり

國く目り か
でど 心つ


今飲よけれ




、いて

ばもろこび


めかめし
てなし
ゆくみ てひ





ふなは

出も


ししを


すよくも
いる



い合るらとり 参
常入れ


ける
申〜




て急や


けれ
参り せ 寄せ
仰にしかぎ
何事
と 夫

郡司
ける
あは






と御。




すたくみ



まりま
し館 ○


草紙
御伽

ばく
めい
チなし

して内しけれ の
封むらた舟ぐ鳥地じ

認め
書き
梨らん
の、
千松


小騒だ


き方



*


つる



押上
出印
入ともし
いさ

比足


開く


べから


和歌の本 〜上の も さこ
歌の本なん書きてあるぞ、比末を同じ心に詠み合はせよ、次が家にもて騎り開かすして、
Trs
これに添へ七日といふにもて参るべし、和歌の上下付合ひたらば、速に比國をわけてし
らしむべし、都方の事は我にまかすべし、もし歌の心ことに橋あしくは、次が妻をまる
らすべしと言へば、美ぶとむね打騒ぎ、心の内にいかでわれ、碑にもあらぬ身の草深き
雛の土に生ひたちて、単葉とり組打っ歌ならでは言ひいでん言の葉もなし、たとひあら
はに見聞くとも何程の事かいふべき、まして堅く封じて見せも聞かせもするにこそ、よ
㎞ しなき酔ひの上に心よく日かためて、年月馴れたる 『片時もえさらぬ中の魔垣を、人
。一のために押し隔っべきかはと思ひて、我ら膨しき心にて和歌の文字の数をだに知らず 何
しに君に勝つ事あらんと、とかく言ひてすまひけれども、さればとよ、とくより言ひ定
シ めしものを、上をかろしむるにゃなど、むっかしけに言ひて、園も舌に及ばず、むくっ
『 けき顔の撃さへあれば 見あぐるも恐しくて、我にもあらぬ心地して泣く〜家路に騎り
ぬ。
-
伊香 物語 五三 一
御伽 草紙 -

五三二
女房はかくとも知らで、常にもあらす國守に召されて、程過ぐるまで遅きことよと心も
となくて、更けゆく夜牛も春なれば、さなきだに置める月に浮雲のかよる限さへ怨しく
か堪
く へた

えた

|
とき

に て慰むかたのなきまょに、枕に近き募を播き鳴らし調ぶるからに、電の継のたへがたき
-
すさみも由なしと置きて、 -
春の夜のならひに霞む月影もいとゞ涙に曇りはてぬる 、
あなうたてやと うちきて似しぬ。むかひの寺の鐘の音も夜牛過ぐる頃、男は騎りて寝
片手には面にさ
し常てー「は」 文
屋の死にたょすみて、書いです児手には時給の文営をもち、片手には面にさし常て
字不用なるべし さめ〜と泣く。女房は呆れはてて、こは何事ぞゃと胸うち騒ぎしが、もて鍵めたるけ
暗澤女ー碑代紀
にある碑の名 はひにて、やょ言ふ事あらば申しもし給はで、貝泣きに泣き給ふは、離 女の碑にゃお
そはれ給ふらん、怪しきに疾く語り給へといへば、男は知らぬ事とて何をかの給ふ、比年
月そこをは足購去らす馴れむっれて、必きも喜びもうらなく語り慰み、あはれと思ふふ
しム〜も月にそひてまさり草、まさる思ひのうらがれて、見もし見られん事も、今五六
日と思ふが悲しければ、泣かるょなりといふ言葉のあやも績かす、貝妻の顔を守りっょ、
きよう
又雨雲と泣く。女房は思ひよらぬ事なれば興さめて、何のためにしかあらん、事のやう聞
きてのち、とありかかりとわきても答へめ、疾く語り給へといへば、泣く〜國の守の
もてなしより始めて、しかム〜の由語れば 、女房とばかりためらひて申す、さはよく聞き
いのち
給へ、かよる難題にあたり、國の守に命をめし取らるべきしぎに成るとも、それ獅前世の
ぬが なん すこ
しゆくこふま
宿業なり、今更悔むべきにあらす、さりとて発るべき難をそのまょに過して、おろかなる
そきのをのみこさこ や くも
名を取るべきや、つら〜思ふに我國の歌は素蓋鳴奪の八雲をはじめ、三十一文字の数一
六 くさー和歌の
六義をいふ
はかぞへて知るとも、六くさの深き道に尋ね入る事は更なり、まして見ぬ本歌に叶ふべ
昔物語ー伊勢物 き末をっがんこと、敷島の道に名高き雲の上人にもあるべき避理かは、昔物語に又逢坂
語をさす
の闘と書きしに、かち人の渡れど溺れぬと、艦 の底に継松の炭して書きっけしは、見た
りし歌の上下にこそあれ、とにかくに園の守へ我を召捕らん謀に陥り給ひしこそせん
死なくうたてけれ、かる事を慰なる人の心をもてめぐらすとも甲斐あるべき事かは、一
わたれ るーる文
字不用か シこそ一切衆生をシ たれる心に議を発してシ
観世音は数世の誓ひ深くして、もろ〜の苦を抜き楽を興へ給ふ、然れ
り、中にも大悲
ば遠く外に求むべからす、比園の内にまします石山寺の観世音こそ殊に霊験いちじるし
しるし
誠にもて頼み給へ、もし宿因深く験なき時は、愛き事しけき比國に住まぬばかり、われ
五三三
伊 香 物語
御伽 草 紙 五三四
われ諸共にいづちの山の奥、谷の隈にも影を隠し、身こそわびしき住まひならめ、朽ち
ぬ契は心の中に鍵らじものを、課むべき美の課められ給ふは、除りにいふ甲斐なき達ひ
ざまかなと、いと耐なけに恥しめられて、夫はやう〜に人心出で来て、質く涙を押さ
へける。さらばそこの語らひに従ひてんとて、今日より家の内濃まはりて、下人はした
に至るまで継進うちし、石山の方に向ひ観世音を念じて、シとなく都 づきぬ。さて三
ゆす るー 貫水つ
けて髪を流るこ
日といふ日に、男夜の程よりゆするして、明けたっともに立ちいでて、世は安からぬ野
となり
洲能にすむとて人の渡りかね、曇るか影の鏡山、長き思ひの勢間の橋 かけし願ひを見
ぬ歌のあふ事かたき石山寺、大悲の誓ひあやまたす、職をあらはし給へ、救世のほさち
施無長ー観音は
一切群類の民梅 施無長の徳を施し給はr、歌の本末を示し、恐しき園守のにくさけなる面ばせを解き
心を脱せしむる
功徳を有するよ わ
りいふ
れに牛國をしらしめ、後の世は備の國に生れ、ほさちに逢ひ見奉るまで、朽ちぬ契の
したててーひた 妻諸共に、比世後の世助けさせ給へと、涙を袖にしたてて念願し、共夜は内陣に通後し
しての術か
ける。
いもひー潔質 比頃の物思ひ、習はぬいもひの心づくしに、道の疲れさへ添ひて、前後の分ちもなく打駄
ゆふつけ鳥ー難 して、更けゆく鐘の響 暁の鈴の音にも目をさまさす寝入りたりしが、ゆふっけ鳥の鳴
つけ おそ
、こ * *
くまでも備の告はなくて、あまさへ國の守に襲はれ妻を奪ひとられ、我身もいたくさいな
まれて追ひ挑はれつふ、せん方なさにをう〜とわが泣く撃の我耳に入りて夢は豊めぬ。一
け しき
こは何のしるしぞや、身は汗雲になり、われかの気色に呆れ果てたり。かなたにはから|
しきみあ か
ねもびれたるー
ねとぼけたる
からと鳴る花皿の音して、構 闘伽奉る法師ばらの、をのこのねおびれたる顔を見て、笑ふ
が恥しさに、やをら這ひいでて、怨しきに物言ひもやらす、 堂をくだりて家に騎るに、
参る人も多く、出づる人もある中に、怪む人はさし寄りて、何を敷く人ぞと問ふに、何をか
軟かんと答へつよ、標門にさしかよる程、いと気高き上薦の面は白く光るやうにて、まみ
し をんいろ きぬ あこめ
のあたり打ちけぶりたるが、紫苑色の衣に紫の綾ひき重ね、濃き柏 白ききぬかづきて
いかここほり
はげしかれとー せたるに、はけしかれとは言はまほしけれど、何を敷かん、伊香郡より参りたるに
千載、俊頼、「うか
りける人を初瀬
の山おろし烈し
。獅思ふ事あらんに申さしめ給へと、頻に問ふにこそ、ふと心づきて、備智不思議
かれとは所らぬ
もの を」
の方便は順逆の量りがたく、三十三應の身はいづれにか託し給はざらん、よしそれなら

こせ おひかぜ す
三十三鷹の身ー
観音の化身三十
の樹に
若に行きかふ袖の追風、そよと身にしむも宿世のえにしなり、ましてあはれ
三鶴あるをいふ キ6 )
御伽 草紙 五三六
にもれて、せん方なさに騎るなりと語りければ、彼の上薦する〜と立寄りて、それ
ばかりの事はいと易かりけるものを、疾く語らざりける人かな、共和歌の末は
みるめもなきに人の継しき
と言ひやるべしとの給はすを聞くに、嫡しきこと限なし。さるにても君はいづこにおは
する御方、御名は何と申すぞ、承りてこそ重ねてよろこびも申さめといへば、武蔵野の
ゆかりの草も個初の名なれば、いかでそれと打出でん、折節は御堂の東のっまに住むぞ
かうは
能くこそ問ひけると打笑み給ふ顔の光、衣のにほひ移るばかりに芳しくて、堂のかたへ一
歩み給ひしが、立ち隔たる朝霧に隠れて見失ひぬ。男はまさしく救世菩薩の我を助け給
いらかず
ふと、御堂の夢 のかくるふまでに顧みて、拝み〜日にはかの歌を謡しつ ょ 騎りけり。
家 には女房心もとなさに湖の方を眺めやりて、南無観世音と唱へて、門に出でみて待ち
しるし
居 けるが、夫の顔を見るより、いかに験やといへば、備を頼みてしるしなくて有らんや
と、かしこけにいらへて内に入りつふ、しかム〜の事共を語れば、女房除りの嫡しさに一 たけ
せ くりかへ

泣き
さと




撃打
- )
と つふ涙も更に堰きあへす、繰返し玲するに、言葉のつぶき長あり
うすやう
て頼もしけなれば、縁の薄様に筆のあや清けに書きて、上を包み封つけて推し載き〜
浦島が子の玉手箱、明けてかひなき根はあらじと、うちまかせたる備の誓ひを力にて、夫
たぐち
に渡せば 、七日といふ夕つかた、國の守の館に参り、仰せのおもければ何の径路は知らね
ども、歌の下っけけると案 さすれば、守はおそし来れ、そのわたり名ある侍、家の子
どもある限り召し集め、興あるあらがひに郡司が妻をとられん不便さよ、よも歌の本末
つぶくべきやと、喜びて待ち居たり。
参りたりとーと
文字不用なるべ
程なく参ればよくぞ避へす参りたりと、いかに人々も聞き給へ、比歌心詞っrきたらん

かためー契約
においては、彼に園を分ちてしらしむべし、っrかぬ時は彼が妻を我に贈らるべきかた
めなり、必す比事違ふべからす、共説人にもなり候へかしと、 おしなでて居たり。男
にはなも観世音ほさ〜と念じ、文宮をさしいだせば、封を切りつふ改
むるに、違ふことあらんやは。扱シよりの歌を高く玲するに、近江なるいかこの海の
いかなればとて、下の封を開きて讃みあけたれば、
みるめもなきに人の継しき
と玲するに、おのれも人々もはつと言ひて、暫く感することやます。守も除りの不思議
さに男を近くよせて、いかなればかく思ひ寄りしにやと、頻に問ひ責むれば、せん方な
伊香 物語 五三七
-

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重て


*

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シあ瞬く

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ねでえ し々けみさき




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もかく
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つら
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のけ、




や施無





豊大世音
あば

はれ
ん験
司し悲 、






に妻





観世音
こけ長き
賢。

ひと
のとより

楽なりきれり 民なく




-かなし




おき
ぐ家

こと
悦ぶ
。初け




の草まく
ひ下
め り













あら
おて




限とのれ


べし
勧にし
とめ
りひ計牛



給よ引雨






に な百

馬 らりど金 の
砂出物



太刀 匹



し恐
いと



観ひ

めな


か*






約『
るし
世音
ろもら しなり




、恥言の葉




人た士



をで






く辱る 草紙
御伽


五-
-

子、



勤恒を




として
こ一





日石山寺
ため
孫す
て例れ

近江




すれ


-***
ふるぶ
つほ

な加

そ胡


れにれ


いそ

ばか
なれ

こさわり
く思ふにやと上にいひしにつけて、見る人ならばこそ、見もせぬ人の何しに 悪しき道理あ
警め給 ふー原本 て
にぞあらん。それをこょは臨ならぬ海なれば、延 の刈るみるふさわかめ
「かくめ 給ふ」と
あり、今改む ゃうのたぐひも無きにといふ詞によそへて、みるめも無きにと績けたり。比歌の一ふし
にシの如くなる園守の心を げ、備力の深きを驚き、菩提の道に入ること誠に歴切不
思議にあらすゃ。郡司も備力を頼みて妹青の中絶えす、家ゆたかにして備道を修し、二
備像ー備縁の誤 世安楽を得る。あだなる迷ひのすちを深き備像に引きかけ、終に一大事の因縁と成就する

眞浮の道ー眞如
浮土の道
事を思へば、いづれの門よりして眞浮の道に入らざるべき、利生の方便量りがたし、仰 イー
いでたふとぶべし。
御伽 草 紙 五四○
- -
ふ く ろ ふ
昔の事なるに、加賀の國かめわり坂の麓に、ふくろふといふ鳥あり、年を申せば八十
三。ある日の雨中のつれん〜に、ふくろふ心に思ふやう、我比年になるまで楽華をきは
めす、所設楽華をせんと、鳥の九郎左衛門、鷲の雑兵衛を近づけて、いかに皆々聞き給
へ、あねはの松山とりの院にて、肝競の管継のありし時、㎞の琴ひき給ふ御姿、しっ

な草





ょのいす
思まし
るひや
らす、包むに包まれ 彼
i

郎左衛門、鷲の新兵衛、詞をそろD
喉へども、彼の豊姫の御事は、七つ八つの年よりも今日に至 ノ
がとも 事 もなき由、うけたま はり候ふ、
-

fーご、 さく 、 〜 * 』、 - ミ さ』 、㎞
我等如きの者が御文づかひを申すとも、いかで御返事あるべきぞ、只同じくは山雀のこ
さく殿を御頼み候へ、それをいかにと中すに、をさなき時よりも同じ所にて御育ち候へ
ふ くろ ふ 五四一
- - -』 - -==- "
- -
-

|

げA
-
かた いちわう
ば、殊にかしこき方なれば、定めて一往の御返事あるべきと申しければ、ふくろふけに
もと思ひ、山雀の宿へゆき、いかに山雀殿聞き給へ、粗怒なる申し方にて候へども、あ


、ひ時
一給





姿

ふ舷


月目き
あり

ねは の 松山鳥の院にて、

あさけり

監由

なき 結
㎞とな Q 身のやるかたもなく候ふ、及ばすながら世の 剛 を顧みす、彼の御方へ

-
雪 ふみつた
玉数 を送りまみらせたく候ふ、わりなき中し事ながら、文僅へてたび給へと、打数き申
-
きまくちもけ 、

候ぬ




させば

ける
申し






御やう
どより 方雀
山もけ

し 羅
ふし艦

ょの





はどなき
う、
へ胎

はり
たま
除 か

終編 御ミニ

御 窓 ひ 申 す し と 申 し ければ、ふくろふ喜び、 交さま〜と書きにけり。 ヘ
よそ
さ芳 染なに
何この
やら


ん よ見

かの


除て
はたにとり
がら
とりめらか

たね




㎞ -
露内 O) れ髪、思ひの種となりにけり。入江に近き延張小舟、こがれて物や思ふらん、何

-

-
*

*
-

おさなしがは
に君をみ熊野の、音無川の淵瀬にも沈みはつべきとは思へども、君に名残やをし鳥の、
のち
ギよら
思へば命ながらへて、碑や備の恵みにも、頼む暇寝の盤を聞きまみらせん 。そのためにか
をぐる
き集めたる漢職草、うっょにも見る旅寝のが聖の、めぐり逢はんと思ふ君、思ひしこと
は ぐさい」こ かぎり
- * は こ 、 さ 1 き - *
の葉草こそ、警へん方もなかりけり。されば浮世のその中に限あらざる事はなし、物によ
ふ くろ ふ 五四三
} } "" ""。
五四四
御伽 草 紙
くよく将ふれば、み山の木の葉、空の星、岸うっ波と最砂をば敷へば限ありぬべし。そ
の外壁上、天管「 我朝、鬼界 ほ けきやう
㎞、三千大千世界の帝類も、けだものに至
くわん 、ぼん も じ かず
るまで、敷へば限ありぬべし。法華経は一部八巻二十八品、文字の数は六萬九千三百八



Tr
十四字につもれり、大般若経は六百巻、文字の数は五十九億四十八萬字につ ノ

明が九千歳、龍智郡樹が一千歳、浦島太郎が七百歳も、限ある山うけたまはり候へど
も、君を思ひしことは限なし。物によく〜 ふれば、春の花 秋の月ぞと、鍵か 盤
いもうさこ きちしやうてんによ まつら ひめ
づる
鶴か、小野の小町か、昆沙門の 妹 に吉詳天女か、松浦姫、紫式部か、小式部か、和泉式
部か、小督の局、天㎞の乙姫、玄宗皇帝の三千人のその中に、第一の妃樹貴妃、源氏
六十帖のシ、この外遊女かす〜多しと中せども、君に及ぶ人はなし。されは古き
歌にもよまれたり、
なさけには隠しき袖はなき物をからさで宿れよひの月影
とよみおかれけんも、かやうの思ひよりも始まれり。上は玉模金殿下は曖が供屋まで
野にふし山を家とする魔鶴野毛のたぐひまで、艦はありとこそ間け。一切のシその
中に、この道知らぬものはなし。かやうに中すことの葉を、貝おはかたに すなよ、御

ふちやう こんじやう をんねん
返事なきものならば、浮世は否定のならひ、互に消えはてまるらせて、全 生にての怨念
らいせ しやう 〜せ*
又来世にての怨み、生々世々に至るまで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人、この
み ちんはこ
六道をありかんとき、微塵程も離れすして、くるり〜と追ひめぐり、憂きもつらきも

後の世にて中すべし。もし比事上見ぬ残さまへ漏れきこえ、死罪に及ばん共時は、死出 * う よ あひだ
jダ Hいしい
の山、三途の河をこす時に、手に手を取り組んで利那が間に打渡り、閣魔の聴にまみり
かしやく
つょ、阿竹羅利に苛責せられんことども、うらみと更に思ふまじ。さて〜比事中し博へ
、 SSっか * ミ 、j き - *き
んそのために、生減減己の鐘をきょ、八盤の鳥を打過ぎて、是生減法の鐘、朝々とうち響
しの、め
き、はや東雲に立ちあかしつょ、終にいつとも見えもせす、君ゆる 誠の答もなき碑や備を
怨みつよ、君ゆる 身をもやっれそひ、人目をつょむ事なれば、あはれと間はん左もなし。
たけ さんしゆん
しなのなる 云々 かふる思ひをしなのなる浅間の嶽に立つけぶり、胸よりや立ちぬらん。花に三春の約あ
ー伊勢物語 「信 なさけ しのたけ した し
濃なる浅間のた り、いかで情をかけざらん、されば浮世のならひには風に摩く篠竹も胡蝶に親むならひ
けに立つ畑をち う きくさ ひさこよこ くう かつらをさこ
こち人の見やは あり、水にうもるふ浮草も整に一夜の宿をかす、虚空を照らす月だにも桂 男 に宿をか
営めぬ」 あまやさ ながれ
す、ひととほり一村雨の雨宿りも他生の縁とうけたまはる、一河の流を汲むことも他生
の縁と聞きぬれば、及ばぬ獄をする人は碑もあはれと思すらん。数ならぬ我袖の、乾くま
ふ くろ ふ 五四五
書シーシー*
*- シ -
御伽 草紙 五四六
もなき浮草の、苦の被も朽ちぬべし、まつことわりもかれ〜になりゆく袖も自雲の、立
ち迷ひゆく有様にて、筆をとゞめ申すなり。かやうつ書き認めて山雀のこさく殿に渡し
けり。
その後ふくろふ備㎞に耐転中しける中にもみやもの薬師へ願書を認めてこめける。
彼の魔姫の 云々
ー文章 調 はず、
南無薬師瑠璃光如来、彼の豊姫のわが玉章の豊姫へ誠にとつき、よろしき御返事を給は
「彼のうそ 姫 へ
わが玉章の誠に り、それがしに美みを含ませ給ふものならば 薬師の御資殿を金銀を継が、シのシ
とぶ き」 の 誤な
るべし 場端のゆき㎞の柱、錦の肩幅、水品の切石、金銀の礎を敷き、池には玉の橋をか
け、極楽浄土をまなぶべしと、頭を地につけ所警申さる雌 山雀こそ彼の宿へゆき、色
色の物語を始めっょ、その後申しいだしけり。誠にこれまで参ること、那の子細で更に
たとへばー比使
用法一種特別な
なし、たとへばかめわり坂の麓にふくろふ、そもじさまを慰にして、あけくれ 袖をぬらさ
り申して見れば
の意と聞ゆ せ給ふ、つょむに包まれすして、それがしを御頼み候ふ程に、参りて候ふとて、かの御
文をとりいだし、まみらせければ、恐姫これを受け取らす、山雀のかたへ投け返す。山
雀とりあへす一首の歌をよまれたり。
ふくろふの我を頼みし玉章を空しくいかで返しはつべき
とよみければ、豊姫返歌に及ばす、山雀にいふやうは、誠によく〜聞き給へ、年比上
みぬ御方よりさま〜の御ことの限あらねども、御返事も申さす候へども、そもじの御
っかひにましませば、事かりそめのシもいかではかなく浅すべしとて、御返事をそあ
そばしける。
あからさまなる御言の葉、誠に水率のあと打置き難く、ながめまみらせ候ふ。さては数
文の中おそろし
くー碑備を起請 ならぬ身に心をかけさせ給ふかや。返事に及ばす候へども、文の中おそろしく思ひまみ
にたてたるより
恐しといふ なり らせ候て、 個初の申し事にて候へども、我身は曖しきものにて候へば、そもじはシ
みづほのあはの
ー瑞穂の栗を水 町の碑のゆかりにてましませば 誠しからす思ひまみらせ候ふ、みづほのあはの個初に
の泡にいひかけ
たり 末も通らぬ物ゆる に、仇名立ちては何かせん、なか〜人には始めより問はれぬ怒みのあ
こん ゃーこの世
の誤か
らばこそ。さりながらそもじとこんや の機線うすくして 契りしこともよもあらじ、 来ん
山雀に渡しけり
ー原本「山雀の
渡し けり」と あ 世すぎて又来ん世、天に花咲き地に質なり、西方の弾陀の浮士にて契りなんと書きとさ
いン
おりたしなみー め、山雀に渡しけり。山雀雑ならすに思ひっょ、急ぎ騎りてふくろふ殿にぞ奉りける。ふ
-
きよく
「おり」の二字 誤
あるべし くろふ戴き開いて見るに、おりたしなみたる言の葉なり。山雀もさも曲なけなるふせに
ふせー風情なる
べし て騎りける。
ふ くろ ふ 五四七
御伽 草 紙 五四八
さる程にふくろふ除りに事の物憂さに、木の葉かきよせ枕とし、少しまどろむところに
夢をそ見たりける。われは山の薬師なり、さても営競の よりよき返事にて候ふを、そ
さと
らん
さと

れを知らすしてさとらんことの不便さよ、こんよ過ぎて又こんよとは、明日の夜の事な


こと
なき
あか あかく

り、天に花さきとは、月星いでさせ給ふことなり、地に質なるとは、ほのかにあかくな
なる なる


べし ー
こと

きことなり、西方の弾陀の浮土とは、これより西の阿弾陀堂の事なり、それにてあすの夜
なり 逢





の月いで候はぬに逢はんと、起させ給ふと夢に見て、かつばと起きていふやう、さこそし
所と
べき
ある
こしるしそ なり 文字 「



るしなりと思ひ、根に支度して阿弾陀堂へぞ行きにける。さる間かの所に夜もすがら待
霊な さ

ちにける。夜 の時分に少しまどろむ所に、盤十二重を引き飾り、めのとのシびき


おこしり の こそ
さて
なれ りー

つれて、阿弾陀堂へぞ行きにける。ふくろふまどろむ姿を見てけおこし、そこにて一首
こし ー




の ゆけ

の歌をよまれたり。豊姫の御歌、
思ふとは誰がいつはりのうそそかし思はねばこそまどろみぞする
とよみければ、ふくろふ返歌に、
りは
な ひ
歌よ 待ち夜中は怨みあかつきは夢にや見んとまどろみ
中は ぞする
ぶよ
、豊姫比歌をきこしめして、打解け顔にて御物語いたしまみらせんと、比
翼連理の契をぞこめければ、ふくろふ除りの嫡しさに、中にも
ゃうは、愛のしわざや漢聴草、 屋のけぶりにあらねども、はや
こがるくー遭、
焦の雨意 書さま〜なり。そののちふくろふも、扱々比程の君に心をつくし舟 こがるょことの悲
あ ふみ ー 逢 ふ
身、近江
しかりしに、終にあふみの鏡山むかふ心のうれしさよ、又そもじは にきょし龍の水
かやうに落ちあひまみらせんとは、夢にも更に知らざりし、燃%と御物語中したく候へ
騎りまみらせん
ー騎りまみらせ
ども、人目を忍びまるり候ふ、はや〜騎りまみらせんと、十二ひとへの礎をひきかへ
んの誤
はや騎らんとせん時、ふくろふ除りの悲しさに、泣く〜歌をよみ侍りける。
せん時ーせし時
くるー来る、繰
児継のくるほどならばとまれかし深きなさけはよるにこそあれ

とよみければ、又豊姫の御返歌に、
よるー夜、鍵る
かりそめにふしみの野べの草枕露ほどとても人に知らす な
とよみすてて、急ぎ宿へぞ騎りける。もろ〜の鳥ども比由を聞及び、恐姫の方へ腰
なりとも一首おくりまみらせんと、思ひ〜に歌をよみ侍りける。
やまがらす
君ゆる に身を墨染にそめ なして深山鳥となる ぞ 悲しき
我継をたがしら鷲の願ひには君と岩屋に ふたり住まば や
御伽 草 紙 五五○
あはぬ緑ー逢は
ぬと引合はぬ と
四十から今この年になりぬまであはぬ隷にそ身をやっしぬる
雨意
うそ姫を思ふ心は深草の野漫にいつまで ね をや 鳴きなん
数ならぬ三ム 々ー 数ならぬ雀の多き盤 よりもわが 一盤に磨け うそ 姫
鶴の歌なり、雀
の千盤より、鶴
の 一撃の議に依
見しよりもその面影にあこがれて躍りまみれど逢は ぬ 君 かな
いる
見しよりも云々
比君のなさけを深くかうぶりて末たのもしく駄 す山 もがな
なさけ
ー雀 の歌 なり、
躍るといふに歌 うそ姫の情をほろとかけられて世になき鳥と人にいはれん
主知られたり
比君の云々ーか 思ひきやっれなき君を慰にして夜半にかたみをとってこうとは
うぶりてに編幅
をかくしたる也 その後壁に耳、岩の物言ふ世のならひ、比事上見ぬ鷲さまへ浅れ聞え、ふくろふの方へ一
うって しか
ほろ とかけられ
てーはろは難の はい鷹のころくを説手に向けられけり。然るにふくろふは早く本の陰におちにけり。料
おきふし
鳴撃 なり
とつてこうー鶴 簡なくしてうそ姫を害し給ふ。比由ふくろふうけたまはり、起駄なけき沈みける。目もあ
えんるみ
の鳴撃を隠した ふ ぜいかたな
るなり てられぬ風情なり。せめて腹を切らんとて、刀に手をかけ給ふ所を、ふくろふの縁類みょ
枠ー枠巫に日寄
せさするなり
づくのきすけ意見申しけるは、腹を切り候はんよりうそ姫の亡き跡を御とぶらひ候へと一
のち あづさ
*ノ
碑 むろ しー碑備 申しければ、ふくろふけにもとて思ひとゞまり、その後弾陀を頼みて枠にかけにける。
の名を呼びて共 ぼんてんたいしやくみやうくわん
来降を乞ふをい

まづ碑おろしをそ始めける。ピはシ、四大天王、閣魔法王、五道の冥 官。王城の
I 『
御伽 草 紙 五五二
ちんちゆう - て はいだい ----
鎮守八幡大菩薩、春日、住吉、北野天満大自在天碑、伊勢天照大碑、山には山の碑、木
こ だよ しん すみじん
-
g ぐう i
シ一には木襲の碑、地にはたうろう紳、河には水碑、熊野は三つの御山、シ
陸碑にて道祀碑
師、新宮は
た。 せんけんだいば さっ
㎞ 阿弾陀 那智はひれう権現、瀧本は千手観音、熱田の大明神、富士の浅間大菩薩、信濃
㎞r-F 〜 き
㎞| には諏訪上下の大明神、善光寺の阿弾陀如来、南無三世の諸備を請じおどろかし候ふぞ
㎞」や
として祀る
-
**

-
-
こんじやう
さて〜今生の花の縁、かやうに散りはてまみらせ候ふべきとは、夢にも更に知らざりし
あづき みづた む
に、思ひもよらぬ枠の盤の水手向けかたじけなや、誠に〜借老同穴のかたらひも、縁
ここ
さんてんの中の
たかるぼしー未 つきぬれば甲斐もなく、比翼連理の言の葉も、かれ〜になるさふめ言、誠にさんてん
うち うみやま


たほし

の、
に 〜
もか共
きじ
し語り
海て
霊 名
時惜し
山せ

残かるつ
詳、但しさんて
んは摩利支 天、

させ
はこ

大黒天、競財天
の三天なるべし きこと、後世の障になり候ふぞや、さても〜不思議なる事にて、かやうに候ふや、さ
よるろくき
きうせん
りながら思ひ切り、これ〜も思ひ候へども、九泉にかふりまみらせ候ふ間、夜六度、
ひるろくきこさこき
書六度、十二時の苦み、御推量し給へ、語るははてもなし、閣魔の前を忍びて、これま
たましひ
さ ミ 、 * さ * ミ ミ
で参りて候ふぞや、いざや 魂 弾陀の浄土へいそぐべし。その後ふくろふ獅々敷きまさ -
もさゆひ かうや
りけり。はや浮世によしもなく、元結切りて西へ投け、高野の峯にあがりつふ、奥の院
にて髪を刺り、それより三熊野にま みり、三つの御山を伏し拝み、その後諸國をめぐり

た{ ば だい
つふ、かやうに成り果てぬるも、誰 ゆる ぞ、露と消えにし愚魔の菩提をとはんためなれ
ば、恨みと更に思はぬなり。
ふ くろ ふ 五五三
五五四
- -
-。

*
|
|
胡蝶 物語
中比の事にやありけん、都近きあたりにこてふと云へる人あり。いかなる故にや、比人
は妻をもかたらふ事なかりければ、愛すべき子もなく、只春秋の花にうき身をやつし
色さま〜の草木の花の種を集めて、撃にうる おき、足を築みければ、京わらんべ
も比人を胡蝶と名づけけるなり。胡蝶一人の母をもちけるが、世にこえて孝行をなし、い
っきかしづきしに、五十ちあまりの秋の比、個初の風の心地とていたはり
十日がうちに空しくなりぬ。比人よその敷きにだに深くいたはる人なれば、まして恩愛
深き一人の母に別れし事なれば、天に仰ぎ地に伏し、是を敷き悲みけれども共甲斐なし。
誠にシの胃ひなれば、誰かこの道をのがれぬべきと思ひとり、せめての事に花園
にいでて心を登ましけるに、あしたに盛なりし花のゆふべにうつろひ、シを含みて突


る花も明くる日影に散り薬れぬ。誠に盛者必衰
ぬ の提まのあたりなり。世の中の人の楽
胡蝶 物語 五五五
ーシ *}

御伽 草 紙 五五六
さい ひ
- *
%%l1-
顔鋼の四洲ー須一 え衰へも又かくの如し。須弾の四洲の中にも、比世界は老少不定の境なれば、一代教主の
瀬山の四方にあ
る南噂部洲、東
を勝貨

西


しった たいし




ま や にん
いふ
后摩耶夫人の胎内をかり給ひて、個に人間に生れ悪陀太子と申し奉りしが、十 Jノ


御修の
よ心志大を



けれ
あば

、 い御


しかにも
り行王き
敷思召
これ

まつしん
にし



たに

は、
慰め
給 太は


四を



はせつ之、
叡ある
にめり季子覧



しせつ を
元冬旦至
行事 解
夏、

- う










きるせ ま
づ空れ

吹く
こ風

春の
改ぬるが
さて

、かき
ふ山
否 ちそ
まり
をの
四 大


くる
よ井手

節といふ


ぶむて のを

、藤波
れの





さと


たる


咲蹴れ、かり






がき






く色れり の



山や
は夢鳥








頼らん

かなき
隔つ


ども
さ時
景なり
き。 散うつろ


移な

3
き長


盤け

の け しき
- ひなん、誠に是も菩
提の種ぞと思召し過ぎさせ給ふに、南表を見給へば、シに繁りあひ 卵の花さける
木の冊より、騎らんには如かじと鳴きすてて行く時鳥 あとなっかしき 橋 のかをりも深
き紫の、雲をひたすか㎞に、色も異なる根 。風さへ薫る鍵の緑の、濁りにしまぬ御心
はす。西を遥に見給へば、秋の景色のいろ〜に、千草の花の咲
きつゞく、裾野の原の締薄、結びもとめす散る露に、菱れて貴職の盤さやぐ、鳴きすがるに
は は
もいとぶなほ、秋の哀は知られけり。入り日の残る山の端に、錦をさらすもみち葉も、色
濃きよりや散りぬらん。院、かけてが明麗の妻懇ふ撃を聞くにつけても、艦橋の間に達
ふらんと打詠め給へば、やう〜秋も幕れ、冬のけしきに鍵り来て、木の葉をさそふ北時
すみが ま やまがつ
ぐれ をのへ
雨、尾上も峯も白妙の、雪ふりうづむ炭電の、煙たえたる山践の住みかも思ひ知られつ
つ、いとぶ京 はまさりけり。是を見彼を見るにつけても、皆菩提の種ならすといふこと
なしとて、いよ〜務心修行の御志深く成り給ひて、十九の御年の八月十五日の夜、内裏
* よしや のくだいしんひさこり だんきくせん
こんてい駒ー馬 を忍びいで給ひて、こんでい駒に召され、舎匿大臣一人召しつれ、植特山のさかしき路
の名、金泥、乾渉
などの字をあつ を凌ぎ給ひて、阿羅々仙人を師と頼み、やがて菩提樹のもとにて御飾りをおろし給ひて、
舎匿大臣ー大臣 ころも く こんしやみ
とある いぶか
し、童子、舎人な
花の快をひきかへ獣の森に御身をやっし、御名をはシとそ申しける。晩は谷に
どいふが常なり
りて闘伽の水を汲み、書はひめもす峯に上りて花を摘み、つま木を探り、夜はよもすが
さここ しやうがく
ら座輝の床に御まなこをさらし、衆生済度のために難行苦行し給ひて、終に正豊ならせ
給ふ。昔は浄飯大王の御子悪陀太子と申せし、今は三界濁奪の響迦如来と現れ給ひ、一
三世了達ー過去
現在未来の三世
を分明に達観す
切の衆生有術草木國士までに成備の縁を結び給ひて、御年八十にして二月中の五日に おきて
づ ほくめんさい
ること
頭北面西に駄し給ふとかや。されば三世了達の御備だにも、無常の抗はのがれさせ給
胡蝶 物語 五五七
『 ー
御伽 草紙 五五八
㎞ はす 況や人間においてをゃ。東方別が 千歳 うっっ* 名のみ残れるばかり
㎞ なり。かる教をうけながら 色にそみ香にめでて 二度輸組の業にかへ らんこ 議 し

けれと思ひ定めて、前栽に植る おきし花にも心をとめす、日比あっめおきし資財雑具を
も打棄て、麻の表の霊薬を身にまとひ、東山のかたほとりに草の魔を結び、タべには量
如質相の月をすまして、春の花のうつろひ、秋の木の葉の散りつくすにつけても、いよ
いよはかなき世の有様を観じて、
生けるもの草木のみかは何かさて比世に 残る物 や あらなん
㎞ かゃうに日すさび、シのかたを眺めゃり、南無大基大悲のシたが 拾ふな
ェ」とシ けるに、雨にあたりて煙はのかに見えければ、けに足は 部野にてそあるら
㎞|ん、主は誰ともしら雲の消えてさきだっ夕畑、いっ身の上になるべきぞや、末の露本の
願をいふ
*と詠じける彼の遍昭が言葉も思ひいだされて、いとあはれなりければ、
見ればけに心細くも鳥部野に 絶え ぬ畑のあけくれの空
誠に蹴には組顔ありて眠路に誇るといへども、タべには自骨となりて、郊原に朽ちぬと
つらねおきしも、今 のあはれをそ催しける。さる程にタ陽西に傾き、避の寺々の
-
「?-
れば、又もや聞かん入合の鐘と詠ぜし歌を思ひいだして
にけふの日もはやくれはどりあやしき 程の入相の鐘
かやうに折にふれ事に随ひ、心を澄まし明かし暮らし給へば、都のうちは云ふに及ばす、
近園他園の者までも博へ間きっょまうで来り、この聖を拝し奉り、未世の衆生を助け給は
んとて、弾軌備の生れ来り給ふと云ひならはしけるが、おのづから弾勧上人とそ人の申
しける。あまりに人の多く集りければいとはしく思ひ給ひて、
盤 をき ょ 色を見るにも世の中に 心とまら ぬ黒 染の袖
ひとり世をのがれてすめる庵なれば軒もる月もいとはしきかな
かくて獅も浮世遠からん死をもとめんとて、北山の奥へわけ入り、人気稀なる峯に柴の
鷹を結び、行びすましておはしけるに、或夜夜 ばかりに紫の継戸をはと〜と叩く音
す。野余の風のさそふにやと思ひ、ともし火をかょけ心を潜まし聞きるたるに、重ねて
物中さんといふ す。書だに人のおとっれざるに、いかなる者の来るべき、只天魔破術
のわが道心を妨けんとて来るらん、よし何者にてもあれ、澄ましつる心の月は最雲らじも

のをと思召し、誰なるらんとの給へば、これはこのあたりの者にて候ふが、元より罪業
胡蝶 物語 五五 九
トーーーーシシ 『_ ー
-
御伽 草 紙 五六○
深き女の身にて候へば、今上人の御教をうけ、獅の世を助かりまるらせんと思ひ、これ
まで参りて候ふといふ。聖間召し、仰せはさもあるべけれども、かやうに世を捨てはて
たる魔の内へ、シの御身なるに、しかも夜更けていかで入れ申すべきぞ、急ぎ騎らせ
給へと仰せければ、比女房きょて、上人の仰せにて候へども、罪深き女の身にて候へば
五逆十悪ー前に
いづ
こそ法の庭には近づき候へ、五逆十悪のもの、女人、非情草木までも助け給はんとの備
の御誓願にて候はすや、そのうへ我身かやうに老いたる尼の事にて候へば、何か苦しかる
べきとて、 かづける衣を引きのけたるを 柴の編戸のひまよりもさやけき月に見給へば、
六十に除りたるらんと思しき尼の、瀬書の衣に継 かみにうちかづき、露にしをれて名
みたり。聖見給ひて、さては苦しからぬ者ぞと思ひ、柴の編戸を開き給へば、比尼やが
て内に入りぬ。
聖仰せけるは、このあたりの人と仰せ候ふが、こふは人里遠き所なるに、夜ふけてしか
も女の一人渡らせ給ふこと、かた〜不審にこそ候へと仰せければ、誠は五條あたりの一
ここ
者にて候ふ、都にては常に参り仕へしことの候ひし、昔を語り申さば思召しあはする事
の侍るべし、それはまづさしおき、かよる遠ひ深き身のゆくへ、一個一句の御示しをも
はま
-- ミ
受けまみらせんために、これまで参りて候ふと申すところへ、又年の程は二八ばかりな
きぬ かき
る女房の、柳色の裁きて、薄紫の小袖上にかづき、する〜とさし入り、彼の尼君の脇に一
しよう
直り、みづからも御跡を慕ひまみり候ふ、五障三従の雲厚うして眞如の月を澄ますこと
なし、今遇ひ難き縁にひかれて、是まで参りたるこそ嫡しう候へ、 いかさまにも上人の一
御教にまかせ、末の闘路をはらしまみらせんとて露に委れ涙にむせびてそ㎞しける。
かよる所に又十四五ばかりなる女の、シの衣きて黄なる小袖うらかづき、足たゆく一
内へ入り、いと耐はゆけにて尼君のそばに打ちそばみてぞ居たる有様、いはん方なくら一
ふたけて見えける。聖御覧じて、いかなる人々なれば召しつれらるょ人もなくて、かく浅
ましき魔の内へは渡らせ給ふぞとの給へば、かの女房しばしは御返事をも申さでやょあ
りて、みづからは父獣もなき㎞にて候ふが いとけなき時より物思ふ事絶えやらで道一
芝の露とも消えぬべく思ひっるに 繋がぬ月日たち行くまょに、いとさ思ひはます鏡面
あけくれ
影にたっ父母のことなっかしき明薬は、煩悩の堀あっく積り、挑ふ心の風絶えて、獅
しふ くもきりおん
ち ぐう
執の雲霧を、いかにもして晴らしやせんと来り侍るなり、上人の御値遇にひかれ、輪廻の

こふむ み ほふらくう てなかた
業を免れ、父母われら諸共に無貸法楽の豪に到らんと思ふ心をしるべにて、方々の御跡
胡蝶 物語 五六一
御伽 草紙 ト
五六二
# や、 * * 4
ミ認
を慕ひ参り候ふと、涙に明び申しければ、聖も尼君も墨染の袖をぞ滞されける。又その
はたち きた
あとよりっゞき、二十ばかりなる女房の二十四五人いざなひ来るを見れば、いづれも花
を飾りたる有様なり。
あるひは 組 に自き務をき、自殺に紫の後ふみしだき、十二 重の気に花づくし締ひて
又唐綾、唐錦、色をつくして飾り立て、次第々々に拉みみたり。中にも少し年たけ
と見えたる女房、上人に向ひ申すやう、これまで誘ひ参り候ふ人々は、御覧ぜられ候ふ如
く、いづれも若く候へども、罪業深き女の身ながら、月花に心をそめて明かし暮らすのみ
にて、身のシの事をも知らす候へば、都のうちにていかなる知識をも和みまるらせ、御
示をも受けまみらせんと思ひながら、心ならざる身の悲しさは、いつとなく打過ぎぬ、今
この上人の御事世にすぐれさせ給ひて、たふとく有難き御慈悲とうけたまはり及び候へ一
ば、皆々これまで誘ひ参りて候ふ、かよるシの迷ひを夢ばかりはるけてたび候へとて、 かたム〜
いとあはれけにぞ見えける。聖聞召し、こは不思議なる御事かな、方々の御有様を見奉一
おつぼね
十二人の御局ー るに、只人ならぬ御よそほひなり、雲の上人にて御渡り候ふかや、十二人の御局の中
天子に十二人の にようこきさきく けこの うち このる *
*
后ありといふよ
りいふ にても、女御后にてもおはすらん、さらすば公家の中にても近衛殿か、九條殿か、二條
- * - - - - - -』』--、- --、
一條、鷹司、伏見殿の姫宮か、菊亭、葉室、西園寺、その外家高き人の姫君なるらん、し
からば玉の艦。鶴の艦の内にて、常は琵琶を離じ、琴を調べ、歌を詠じておはすらん
又個初の蹴調などにも観覧悪犯を飾り、奪人雑色あたりを挑ひ、長 職、信。観供申し
シ ゃ八艦のシうでなどにこそ出できせ#*べけれ、かるいぶせ
き髪の魔の内へ、しかも夜ふけ物漢き折ふし、御供申す人もなくかちはだしにて来り給一
ふは、只人間にてはよもあらじ、愛宕の山の太郎坊、比叡の山の二郎坊、鞍馬の奥僧正
が谷にすまひをなす小天狗の通かをめぐらし、比聖が心を達はせて魔道へ引入れんとて
来りたるか、さらすば比山にすむ虎狼野毛のものどもが餓を助からんために、比僧をた
な ば

り釜を奪ひとり、しょむらを服せんとて、女に撃化て来るらん、よしそれとても力
し、たとひ魔縁の者なりとも 又虎狼野千にてもあれ、距界へ生をうけたらん者の 備
多生勅ー多くの
生死をへたる遠 法に近づくは多生勃の縁ぞかし、一偶一句の功徳にて、無量無遂の罪を減し、備果菩提」
き昔
方々の有様をー に到らしめんこと疑ひあるべからす、死ダの有様を 備の戒め給ふところを あら〜示
比下に脱文ある
べし
し=きん、シ に見えたるは 三千大千世界のもろくの撃の 権を合せて
女人一人の業障とすと説き給へり、あるひは又女人は地獄の使なり、長く備の種を絶つ、
胡蝶 語 -
五六三
●- --
。シ --
-
御伽 草紙 五六四
おもて やしや
面は菩薩に似て、内心は 夜又の如しとも説かれたり、しかるによつてもろ〜の備にも
嫌はれ、十方の浮土へ生るょことも叶はすと、一切の経々に嫌ひ疎まれたること共数を一

をくさんへんち
知らす、そも〜我朝は栗散漫地の小國とはいひながら、飲明天皇の御代にはじめて備|
おつほふるふ あくま け だう
法比國に渡り、聖徳太子これを弘め給ひしよりこのかた、備法流布の國となり、悪魔外道
おのづから退き、民の煩ひなく國おだやかなり、津の國天王寺を備法最初の御寺として、
賢王ー薬師の 一

比叡山延暦寺は博教大師の雌、桓武天皇の御態立 薬師賢王の備像あり、又南都の東大
こうぶくじ だいが らん かさぎこ ぐわんしよ
寺興顧寺は三國一の大伽藍、聖武天皇の御建立、笠置の寺は天智天皇の御願所、高野の案
しらやま たてやま だけ たつさ
は弘法大師の御開闘なり、共外自叫、 山、富士の雛、戸隠山、響通の雛、奪ぎ山々峯
峯をさかへー峯
を境として 峯寺々、霊備霊赴数を知らすおはしますが、率をさかへ谷を限り、女人を深く嫌ひ戒め給
きんしよう
ふぞかし 誠に内には五障の罪深く死には三徳のさはりありと聞く、又磨の自楽天が詞
にも、人生れて女人の身となること初れ、百年の苦楽他人によれりとあり、誠にかやう
にシに嫌はれ、かく浅ましき罪業の人々の、いかで備に成り給ふべきを、科過如
無量ざいー無量

来の御慈悲の有難さは、一念随喜の功徳して無量ざいの罪を滅し、即身成備と説き給ふ
めいもん うじやうひしやう
又法華の名文に、草木國土番皆成備とも説かれたれば、有情非情に至るまで、皆備性をう
けながら悪業類橋の間に迷ひ、地獄には堕っるなり、シ
東西、何シともあり、遠ひの故に三界の流藤あり、悟る故に十方も空し、本来の
面目を明に見れば、東西も南北もあるべからすと思召し、心の玉を磨き給ふべし、たと
へば悪業類悩のおこることは大洪水の如し、いかにとしてこれを堰きとめんや、只共水
を切り流し〜せば、終には水っきぬべし、その水に濡れぬれば即ち地獄なり、居を以
て地獄遠からす極楽まのあたりなり、さればをのこなりとも物毎に鍵 じ、あるひは叶
はぬ事を願ひ、又は獄幕愛執にひかれ、一念を切ることなきものは、六道四生に輪廻すべ
し、女人なりとも妄念を切りすてて、ひとへに備に頼み給はゞ、何を疑ひあるべきぞと、
さま〜に教へ給へば、比女房たちは皆随喜の涙に袖をうるほし、上人を拝し奉り、あら
けうも、
有難の教化やな、怒ち輪廻妄執の雲晴れて、眞如質相の月おのづから澄める心地して、
有難くこそ豊え候へ、御いとま給はり候へとて、皆々座を立ちければ、聖怪しく思召し
さもあれ はいかなる人々にておはしますそ御名のりあれと仰せければ、比女房達者
もとの座に直り、上人の仰せこそ御ことわりにて候へ、身の一大事を授かりまるらせて
いっまで我名を包むべき、いで〜我名をあらはさん、我等は皆花の綿にて候ふ、上人
胡蝶 物語 五六五
→*}
*
がたき

ゆあ











こ法

聞け
そり


誌 だしに

取り

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こん

ゅ 一たみにりんっち面
のシ
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なまで


づ腰

さとも



よっ






短冊
故に
深き
ひ妄執




参り
まで










けれ
有難
やかれ
れ しか


ざ 御けくれ
あ都


あり





申せ






まみ
られ
捨て座

っ 紙

御伽


べん







もの











へ き

な ひべる
結思










ひし

と き

ん くむ

聞き












花 る


っりうく
な1

や三






け法





くる

枯 女郎花 萩 夕顔
はかなくもタべを待たぬ朝顔の花の快にかるょ自露

のりの盤きくより早く雲霧のはるょ 心の月ぞさやけき
山吹
うれしさに露を挑ひてこよひしも御法の庭にいでの山吹
緑薄
白露のたまゆら結ぶ 緑 薄みのりの雨に潤ひ に けり
藤椅
ぬぎすてし薄紫の藤 椅のりの ゆかり を尋ねて ぞきる
忍草
のりの盤聞く嫡しさのあまりに や 忍ぶ に堪へ ぬ 我 涙かな
刈豊
消えやすき露のうき身をかる管の花に馴れつ ょ 願 ふ 後の世
胡蝶 物語 五六七
御伽 草 紙
はでしこと思ふ備の恵みあれば及びなき身も頼もしきかな
多 オー
あひ難き法にあふひの花かづらかよる 涙は 袖にあまりて
こよひ聞く法に心のすみれ草花もや笑みの眉ひらくらん
-
藤の花 -
紫の花にうっろふ藤波のよする泥 や西の彼の 岸
紫蘭
一すちの道をしらんと尋ねきて法の教 にあふ ぞ嫡しき
はちす

る むー笑む、 心なき身もたのもしく思ふかな法の蓮の る むに引 かれて
紫苑
し を んー紫苑、 迷ひつる心の闇のおのづから晴るふ は法のしをん なりけり
師恩
深見草
深見草ふかく頼みをかけまくもかしこき法の教うけっょ
㎞の色にそみても何かせん末っむ花のたむけならすば
紫陽花
あちさみの四ひらに咲ける花の枝折りて備に手向に や せん
務草の露の身ながら法の庭にたち鍵 りて頼むのちの世
高の葉のつたなき身さへ頼みあれや法の教の道たがはすば
胡蝶 物語 五六九
御伽 草 紙 五七o

シの葉のうらみもなどか残るべき心の秋の風し立たすば
忘草
たをりっょ三世の備に手向して花に愛きをもいざ忘草
尾花
よろこびの涙なる らし片岡 の 招く 尾花が神 の露けさ

秋風にそよぎいでつる荻の撃もおのづからなる法のことわり
かやうに心々のさまを一首づっ罪に書きつけ、上人の観離にさし置き、御いとま申し
て立ちいづるかと思へば、柴の戸ほそをさそひくる嵐と共に、播き消すやうに失せにけ
り。上人思召しけるやうは、かく心なき草木まで、和國の風俗を知りけるぞやと、いと有
難く思召し、かやうに日すさみ給ふ。
座具ー僧の用ふ
る敷物
草も木も皆備ぞと聞く時はたれかは漏れん法の響に
くわしー観じの
誤なるべし かやうによみて裾野の原に立出で給ひ、座長をのべ香をたき、一切非情草木成備とくわ
し、暫く雨眼をふたぎみ給へば、頃しも秋の草花の咲き蹴れたる中に、時ならぬ藤、山吹
すみれはちす
重、蓮、共外さま〜の花の、今をさかりと匂ひ深く露を含みて月に色めき渡りけり。聖
めんの跳ーめん は御覧じて、さてはめんの鶴をあらはしけるぞと思ひ給ひて、煩悩即菩提、生死即混撃
めんの射か女人
の射の誤なるべ

といふ交を重ねて示し給ふ。たとへば煩悩と菩提、又生死と混撃は水と氷との如し、又
響と盤に似たり しかれども煩悩は生死の 源 なり、かるが故に思ひのまょに煩悩を起さ
ば、生死っくることなし されば貝一心不側の所にこそ混撃の競離は讃歓すれ、過去の因
によりて有情非情のかはりありとも、このシにひかれて備果を得んこと疑ひなしと同
同して、もとの庵室に騎り給へば、シの空もほのかに明け すぐるとかや。心なき草六


37 ぐひだにも、誠の道に入りぬれば備に成ること疑ひなし。比草子を見給はん人は、慈
巨い
恐業はんのー悪 ヨ懇正
業ぼん なうの誤 、住ェ
㎞にして、食欲邪見黒幕愛執 もろ〜の悪業はんの大敵のきはひかよる時

女2 こう 記さ
、プコ む化 )ンリ m
は、忍辱慈悲を栃につき、名跳の利剣をもつて是を鎮め給ふべし。



五七 一

ー - - -

シーシ
|

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シシ
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*


し心




一面






さ御供

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女房
弱へ






やば



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咲き





いさしく
ひ花すえり園っ







と 見て
に斯Qu

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年かシ
㎞ ェ
立も
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さなる
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えくっ ㎞
け。

給偲





奉十



ふめ誠に


二光る
傍ら
ばか
でたく

物語
玉水
上三

五 戯遊び

花な。



給へもの


眠申折

住み
多く

ける
比れくりす節 *
なざり

ず、




し思召


ばかり




出。



立てん

らほくし 心
か詩
をよなき

詠て
何に

御遊






しけれ
父は

なべ
けみじと母 のも
方 御なれ

で如な給
ば敷申し


ひ斬共


備ひけれ

数子何くきり 中



有宰




けん
高と
漫し











ふり


相ま


物上



なな

させ
見え










けり







出らす
りめ

やなぎ
たか







けれ




ーしるし
五七四
れ 熟家 れ 除* 園

園に狐一つ侍りしが、姫君を見奉り、あな美しの御姿や、せめて時々もかょる御有様を
所にても見奉らばやと思ひて本際に立ち隠れてシなく思ひ奉りけるこそ浅ましけ
。姫君騎らせ給ひぬれば、狐も斯くてあるべき事ならすと思ひて、我塚へぞ騎りける。
然と歴離して身の有様を観するに、我献の世に如何なる罪の報にて、かよる 歌と生
けん、薬じき人を見染め奉りて、及ばぬ穏路に身を俗し、徒らに消え失せなんこそ恐
しけれと打案じ、溝然と打泣きて伏し思ひける程に、よき人に化けて比姫君に逢ひ奉らば
やと思ひけるが、又打返し思ふやう、我姫君に逢ひ奉らば、必す御身徒らに成り給ひぬ
べし、父母の御数と言ひ、世に難なき御有様なるを、徒らに貸し奉らんこと御痛はしく
鬼や角やと思ひ働れて、明かし幕らしける程に、餌 をも服せねば、身も疲れてぞ伏し
よろぼ つぶ て
暮らしける。もしや見奉ると、彼の花園に獣ひ出れば、人に見られ、獣は飛薬を資ひ
じんど うー 碑 或はじんどうを射掛けられ、いとゞ心を焦しけるこそ哀なれ。中々に露婚とも消えやら
頭、燃頭などの
字をあつ、難の ぬ命、物憂く思ひけるが、如何にして御側近く参りて、朝夕見奉り心をも慰めばやと思
一種
ひ廻らして、慰家の語にシかり数 多ありて、女子を持たで、多き子供の中にひとり
たより かたちあざや
女ならましかばと、朝夕数くを便にて、年十四五の容 鮮 かなる女に化けて、彼の家に
ー、
行き、我は西の京の途に在りし者なり、無縁の身となり 頼む方なき偉に、足に任せて足
逸迷ひ出でぬれど、行くべき方も覚えねば頼み奉らんといふ。主の女房打見て、痛はし
や華常 ならぬ御姿にて、如何にして足まで迷ひ出でけん、同じくは我を親と思ひ給へ、
男は数多候へども、女子を持たねば㎞ ほしきにといふ。さゃうの事こそ嬢しけれ、何
魔を指して行くべき方も侍らすといへば、雑ならす喜びて、愛 み置き奉る。如何にし
てさも有らん人に見せ奉らばやと営みける。されど比娘っゃ〜打解くる気管も無く
見給ふ君ー継ひ
幕ふ人
折々は打泣きなどし給ふ故、もし見給ふ君など候はゞ、我に隠さす語り給へと慰めけれ
ば、努%さやうの事は侍らす シのめざましく覚えて、斯くむすほれたる橋なれば、人

こ 側
見ゆる事などは、思ひも寄らす、唯美しからん姫君などの観艦に侍りて、御宮仕中し


ま た
たく侍るなりと言へば、よき所へ有り付き奉らばやとこそ常に申せども、さも 思召さ
わらは
ば、鬼も角も御心には違ひ候ふまじ、高柳殿の姫君こそ優ににや さ しくおはしませば、辛女
御ひてうー未詳 が妹 この御所に御ひてうにて候へば、聞きてこそ申さめ、何事も心易く思されん事は語

比由と語ればー り給へ、避へ奉らじと言へば、いと競しと思ひたり。
かく〜の次第
なりと語れば 斯く語らふ所に、彼の者来りければ、比由と語れば、共模をこそ申さめとて、立ち師り
玉水 物語 上 五七五
-ー「*ーー
御伽 草紙 五七六
& * * に さ〜 き p S
-
なにか
2に、、、『L くiし * や A -
かりければ、姫君も脱ばせ給ひて 名をば玉水の前と付け給ふ。 何彼につけても優にや
ふ ぜい おんてうづ
、 に「L さ* * 『3 リー ●
、K、
さしき風情して、姫君の御遊び、御側に朝夕馴れ仕うまつり、御手水参らせ、供御参ら
おんきぬ

せ、月さえと同じく御衣の下に駄し、立ち去る事なく候ひける。御庭に犬など参りけれ
たが だち


ば、比人顔の色違ひ、身の毛一 つ立になるやうにて、物も食ひ得す、けしからぬ風情なれ
ものおち







かせ







けなし
から
ば、御心苦しく思されて、御所 中
選ぼ 盤直 か
御寧覚えの程の御義換しさよなど、 隣 には艦む人もあるべし。斯くて過ぎ行く程に、五月
牛の頃、殊更月も限なき夜、魔君艦の 近くるざらせ給ひて、打眺め給ひけるに、時鳥
おとづれて過ぎければ、
ほさ 、ぎす
公雲井のよそに音をぞ鳴く
と仰せければ、玉水取敢へす
ふかき思ひのたぐひなるらん
やがてわがの心の内と日々申しければ、何事にか有らん心の中こそ悩しけれ、隷とやら
んか、又人に恨むる心などか、怪しくこそとて、
さみだれの程は雲みの郭公たがおもひねの色をしる らん
玉水やがて、
心から雲みを出でて郭公いつを限りと音 を や 鳴く らん
月さえ、
豊束な山の端いづる月よりも獅鳴きわたる 鳥の 一盤
など言ひかはし、夜も更けぬれば、内へ入らせ給ひぬ。されども玉水は月残り多く侍る
とて残り居て、来し 行く末打案じ、摂も我はいっを限りに何となるべき身の果ぞと
に涙湖れ出でて、袖も線るばかりに成りにければ
思ひきや稲荷の山をよそに見て雲みはるかの月を見るとは
久 心 心
かい
心から雲み云々
ー紅葉 合 に は ら雲みを出でて望月 の快 に 影 を さす よしもかく
「おの づ から雲

婦 態
みをいづる望月 から継の涙をせきとめて身のうき沈むことぞ よしなき
の秋に影をさす

ば い

ぞ物うき」 とあ

しく騎らねば、月さえ心もと無くて立ち騎るに、かく瞬むを聞きて怪しく豊ゆれ
哀をそー紅葉合
に「哀とぞ」 とあ よそにても哀をぞ聞く誰ゆる に隷の涙に身をしづ むらん
るよろし
玉水 物語 上 五七七

と訪ペば、姫君聞き給ひ
おほかたの哀は誰もしらすやと身には習はぬ隷路なりとも










はや夜も更けぬらん、入らせ給へと宣へば
駄し奉れども、思ふ心のもと言ひ現はさねばにや微睡ます。
斯くて月も立ち行く程に八月ばかりに成りぬ。 艦 の告け渡る盤も身に染む心地し
やしなひは、 お づ いこほ
れ、誠の親よりも愛しく常りけり。
て、哀を訪ふと愛えたり。シの方よりは絶えす ふみ

れ、給
あざやか
目易くー見ぐる 常の衣堂の外にも 鮮 に目易く仕立ておこせけり。文にも、などや時々は出ても慰め
しからず
みや、うとくーけ
うとくの術か
はぬ、我はかく殺の盤にも、生まぬ親なれば、みやうとくのみもてなし給ふと恨みけ
我も愛束ながら
云々ー文章調は
ば、我も鍵弱ながら過ぐる朝の心には思はさらなん、誠の親ならねばと、承るこそ隠しけ
ず、我も豊東な
く思ひながら過
れなど言ひて、返事をしければ、足を見て、けに〜さそ有らん、悪「ぞかしとて打泣
ぐる朝タの心に
かけてなどか思 きぬ。去程に三館と申す碑無月に 姫君の親しき人々獣多寄り集り給ひて、シあるべ
はざらんの意
しと、定めさせ給ふ。明日にもなりぬれば、色美しく葉数多有らん紅葉を尋ね侍るに、比
鳥羽殿の艦 画 の塚に、シなどある虜へ
行 さこ
玉水シけて打動 れ# 元の姿になり
ないづく
たりければ 見付けて雑ならす検び、如何にや何虜より来れるぞ、失せぬると覚えて後
% を 三 はしっれ。比程㎞の湾に候ふなり、語かに語り中すべし、事は明
#一大事の用ありて、紅葉奪ね来りたり、各如何にもして尋ねてシベと言ひければ
シ 所や有る、 き事かない。 織しくもあるかな、さらば高柳のシ面の獣の様に差置
犬は侍らす、心安くおは
㎞ き給へといへば、場き事なり さりながら大ゃ有るシ
㎞ せなど言ひ置きて騎りぬ。シ月さえは、例ならす神方へ』で給ひしぞとい

打笑ひ、怪しき者に継ひ契りて出で逢ひつるなど戯れければ、質にさゃ有りっ6ん
いと久しかりしなどいへば、姫君、さもあらば、 如何に僧からん、移れば鍵る習ひな
れば、我は必ず思び捨てられんと戯れ給へは、添なく撃しいみじと思ひて、あ
㎞ ゃ、世にあるまじき人と言ふとも 御側を立ち隠れて他人に孫ふべき心地はし時㎞も
***」のをと申せば、細れ難き事と打笑み給へるを見奉れば、身に染む心地していと 気
ョし し。さて彼の弱競は、山へ入りて紅葉尋ねけり。中にもさしっぎの弟、五寸ばかりなる様
。一に 色は五色にて薬備に法華経の数字を揺りたり。餌 に魔き付けたる如くなるを、
#の の時に、玉水出でて見れば、枝ざしの斯かるもの有りけるゃ、まだ見“て、
で他び給ふ事限なし。外よりも数多巻らせ給へども、足に並ぶゃ有るべき。シ
玉水 物語 上 五七九
響シ
御伽 草紙 五八○
葉に歌をつけらるべしと有りしかば、同じくば歌を玉水よみて付け給へと宣ふ。たゞ遊
ばしたらんこそと言 へど、強 ひて宣へば、さらば書き出でて見せ奉らばや、少しもよ
ろしけならんを取り直し給はなんとて、筆とり上けすさみ居たる。殿も渡り給ひて、紅
葉を御覧じ愛でて騎り給へば、また母上ぞ渡り給へる。
挑玉水は歌を書き出でて、姫君に奉る。何れも面白しとて、五つの枝に五首歌を付けら
る。青かりし枝に、
ためし
もみち葉の今はみどりに成りにけり幾千代までも霊きぬ例に
黄なる葉に、
黄なるまで紅葉の色は移るなり我人かくは 心 かはらじ
赤き葉に、
くれなみに幾しほまでか染めつらん色の深きはたぐひあらじを
白き葉に、
野漫の色みな自妙に成りぬとも比紅葉ばの色はかはらじ
紫の葉に、
-
よ ずる
もこ
幾しほに 染め か へ してか 紫の四方の樹を染めわたすらん
へば
となん書き付けられける。残りは姫君書かせ給ふ。挑共 日
こくの
並ぶもなかりけ を書して譲みいで、えならぬ枝色を調べ給へども、姫君のに並ぶもなかりけり。五合度
りー並ぶもの な
かりけりの術か せ給へども、度毎に蹴君ぞ瞬せ給ひける。比事隠れなく、内にも聞召され、彼の紅葉御召
御きそくー御気
しあり。借み給ふべきかはとて、やがて参らせ給ひければ、船 ㎞ましまして、やがて共

かく田ー紅葉合 姫君参らせ給ふべきよし、時の闘白に仰せ下されければ、定めて参らせ給はん事は脱びな
には「の だ」 とあ
り、 るべけれど、宰相徴なる但馬にて候へば、出し立てん事難くやと申させ給へば、やがて心
ほかい所ー紅葉
合に「けは ひ 所」
とある よろし、
得させ給ひて、三ヶ所を賜びにけり。かねて願ひし事なるに他び給ふ事限なし。やがて
化粧料の意なり その御営みめでたかりけり。玉水の前の御きそく難なし。津の園かく田といふ所をは
様々恨み仰せら
れければー紅葉 玉水のほかい所に勝びにけり。我身は無縁の身なれば、た“裏をかけさせ給はんこそ婦
合には比下 に、
やむを得ず受け
取りて父母の方
しう侍らめ、斯様の御事は思ひ掛け億らすと度々中し返し奉れども、シみ仰せられ
へ預けたる由の
文あり、さなく
ければ、さらば父母位ぶ事雑ならす。或時彼の母物怪めきて、悩み渡る、多くの所をし
ては聞え難し
もほち子どもー
けれども、月日重なる偉に重くのみ見ゆれば、おほち子ども数きけるに、御所に候ひ給
おはちは老夫の
意 ふ娘に、今一度逢ひ奉らまほしう、常に 悪しきを見て止みなんと言 ひければ、比山か
玉水 物語 上
- -シ ***
御伽 草紙 五八二
くと博へ申しけるに、いと哀と思ひて、暫しの暇を申して参りければ、脱ぶ事限なし。
さき いっ
如何なる前の世の契にか、唯朝夕御事のみ心苦しく、御宮仕も何時までかと痛はしく思
ひ奉る、御身故に心易く過し侍れば、難有く嫡しくも豊え奉る
身置き奉らん 云 受けぬれば、千に一 つも助かり難し、身置き奉らんこそ悲しけれとて、衰へた
云ー御身をあと かきな そは
に置きて先立つ して播撫で泣きければ、比人
が悲しと也
け は物も聞えす、泣くより外の事ぞなし。側に付き添ひ給へ
まこ * かしこ
ば、残りの子供は少し暇ある心地して、比虜彼虜に打休む程なり。
"
玉水 物語 下


比母少しもェある時は心細けなる事ども言ひ、又越ると思ふ折々は榴めきて、 現
にもあらぬ風情なり。越りて又少し押鎮めて言ふやう、我は斯かる有様なれば、遂に は
消え失せなん、痛はしや御身も戦世に無くなりなば、又誰をか母とも頼み給はん 我母
の議りにて鏡一っ持ちたり、正比命の限りと思ひしものなれば 足を形見に御覧せよとて
参らせけり。今ははや騎り給へと勧むれど、見捨て難くて一日二日と過ぐる程に、既に三
日 になりにけり。姫君の御方より文あり、母の悩み心苦しかるらん、少しもよき様なら
こなた つれふ〜 かきくら
三市
ば 早く騎り給ふべし、比方の徒然思遣り給へ、播暗す心地なんすと書かせ給ひて、
年を経るはふその風にさそはれば残る棺はいかになりなん
と遊ばしたるを、比母すこしの間心よく見奉りて、添くも仰せられたるかな、御宮仕な
らすは、いかで世にある者とも知られ奉らん、とにもかくにも難有し、身よる こま〜
子供よりも、おろか無く思ひ奉るぞと脱びけり。月さえも細々と書きて、
-
玉水 物語 下 五八三
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-
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御伽 草 紙 - 五八四
初花の 云々ー比 初花のつほめる色のくるしきにいかに木の葉の色をみきくに
歌紅葉合 に「初
花のつぼめる色
のゆかしさにい
と、かふる事を見聞くにつけても、思ひの色は晴れやらす。御返りは、添き御哀み申し
かに楕の世を惜
むらん」と あり 霊し難う、筆にも及び難う侍るなり、心に掛らぬ折なく参らまほしう侍れども、見捨て
難くてなん、少しもよろしけならば、参りてよろづ自らこそ申し侍らめとて
ちりぬべき老木の花の風吹けば残る精 も あら じとぞ 思ふ
月さえにも同じく書きて、
陰たのむくち木の機朽ち果てばつほめる花の色も残らじ
など書きて参らせけり。
かふる虜に母の腕極赴りければ、1魔に集りて歓くに、又少し怠りたる橋にて寝たれば
皆担線み、夜更け人請まりて、比娘ばかり起きて居たるに、毛 艦もなく発けたるシ
一っ立ちよりて見ゆ。よく〜見れは我父方の伯父なり。足を ひ選けければ、シは
微睡みけり。互に、こは不思議なる事かな、如何にといふ。我狐われ卿かの便りによ
りて、この病者を親と頼む事あり、燃るべくは立ち退きて比苦みを止め給へと言へば
さこが
ゆめ叶〜ふまじき、共故は彼の病者の父、我頼みたる子を、さしたる答も無きに殺した
れば、などか思ひ知らせざらん、我も比娘を悩まし、命を取りて、思ひをさせんと思ふ
こ り けじやうほん き
一しゆしゃうむし と語る。 玉水、 彗なれどしゆしやうむしやくしやう化城品と名付けたり、 然りながら、
ゃくしゃうー未 ぎ・・ 『 〜f、 のほ
* * *
シ、)、Jr
詳 六
に引かれて、六道に迷 ふ罪によりて、元の三途に騎る事、身より出せる紹なり、我等畜類
三途ー地獄、畜 こふいんさかん
生、鶴鬼
なり、未だ業因盛なり、然りと云へども、善根をもせば、などこんど人鶴を受けざるべき

などかこんどー
「こんど」は「来ん
又人鶴は備の鶴なり、心進はすば、などかこんど備にならざるべき、幾程あらぬ世の中に、
度」 の意
一旦の念に引かれて、怒ちに比病者を失ひ給はゞ、彼の罪と言ひ、又多くの人の敷きを

備の手にも掛り給ふか、燃らす
一受け給ひなん、何事も報いのものなれば、さあらば、猫師の手
は三途に騎り給はん事のはかなさよ、唯然るべくは、立ち退きて助け給へと言へば、古
目を見出してー
目を丸くして
狐目を見 能して申すゃう、人界に生るも備の数によりてなり 然れば備も魔%環じて
怒ちに人の命をも断ち給ふ、我に起す罪ならず、彼等が招く罪なれば、努々身にシな
ひめもす ざ ぜんく ふう
し、終日に座碑工夫をして我心を見るに、心に種なし、理を知りて心とす、理を計って
Aワ く きく
そこと案するに、起らざる念を理とす、念を挑ひて功徳とす、比仇を知らすして、思は
-、 ぎみかさ % な * 、・しいゃ - 、K
かふ ゃ上人ー太
平記には日蔵上
ん事は力なし、延喜の帝と申すは、末代まで忍ばれさせ給ひし帝なれども、過去の猫業に
そむ
、は、以): *
㎞ : 、=*ー )
人の事とせり
よりて、無間の底に沈み給ふ、帝の皇子かふや上人とて世を背き給ひし人、御夢想の告に
玉水 物語 下 五八五
ーjーji =j。ー
御伽 草紙 五八六
む けん すみがしら かなはさみ
随ひて、無間の底より、炭頭の如くなるを金鉄にてはさみ出し給ふとこそ申せ、斯かる
ごふまぬが はりましよしやう はぐみ
ざ聞 業

めでたき御門だに前世の業をば免れ給はす、又播磨の書寛に住みける 騎 、雀の子を尋
ぬるとて、法華経の盤を聞きし故、聖武天皇の后とならせ給ひしなり、今悪念を挑ひ、菩
提心を起し、十悪五逆の罪人まで導き給ふ弾院の名撃を頼み奉らば、修生は疑ひ有ら
一業所感ー前世
になせる一作業
じ、然るに改も 獣 なり、我も畜類なれば、Tシの身として、何れを教化すべしと
が現世にて共結
果を感起するを
いふ。共時若狐ェ「はいと能く知り給ひて、備の力にはけ給ふ謀一旦の事なり、法然上
いふ 人の仰せられし事を、耳に器めて覚えきかんといふは、善悪を嫌はざる虜なり、罪に理
備の力にはけ給
ふー誤字あるべ
し、意味通ぜず
非は入るべからす、シの王子シ手と申せしも、王宮を出で給ひし故にこそ、今
耳に留めて覚え
きかんといふは
の精迦備とも成り給へ、又善撃を分け給ふはかうこそ有るべけれ、子の敵を取り給へば
云々ー紅葉合に
「耳 に とぶまり 悪なり、助け給へば善なり、愛に於いて善悪けつしやうは、是を殺さんと思ひ給んは念な
て候ひしは悪を
知らざるところ
をざぜんすと申 らすや、愛に於いては挑はぬ念なり、彼是を思ひ捨て給へば悟なり、即身成備こそ有ら
残也弾は理排を
まほしけれ、十悪五逆を霊して、阿弾陀備の教化を頼み給はん事は然るべからす、比上
きるねぶり うちうなづ
にそれを思ひ取り給はすば力 なしと申せば、共時古狐、猿眠して打領き、斯かる不思議
に逢ふ事前世の幸なり、誠に殺したればとて、継しき我子騎るべきにあらす、今は一筋
もこ た
あさこ -
に亡き後を用ひ給へ、我は入道して山深く閉ち籠り念備中すべしとて、病者の許を立ち

退きけり。母は娘の人と物語するとぞ思ひける。採病者は心軽くなりて、物など言ひ

、物
有か見たりー誤
脱あるべし意味 見入れなどしける由聞き、同じ畜類と言ひながら、有か見たりとて語りければ、質にさ
-

17
い ころ あさこ けうやう
通せず
る事ありとて、彼の射殺しっる狐の後用ひ、様々の孝養したり。挑玉水は心易く見置き
て御所へぞ騎りける。 わらは
既に電相月になりぬれば、御内参りの御儀式目も驚くばかりなり。女房達童三十人、中に
いさま
も比玉水をば中将の君になし給ひて、一の女房に定めらる。されども是を勇しくも豊え まぎら
うちしを
す、常は打菱れたるを、如何にと怪み給へば、何となく風の心地など言ひ紛はし、いかさ
まにも物思すらん、かばかり隔てなく思ふを、などか心にこめて言ひ出で給はざるらん
しろし の
語りても慰み給へかしと宣へば、打泣きて、遂には知召さるべき事なれども、今は語
な あさこ
り奉らじ、亡からん後にも哀とは思召し出させよなど申せば、心苦しう思す。御
イー } など 内参
つく〜
りも近づく儒に、玉水熟々と思ふやう、我畜類と言ひながら、近づき参りて契り奉らん
事は痛はしさに、只斯くながら見奉り添ひ奉るに、心を慰めつる事のはかなさよ、姫君の
御耳へは聞かせ参らせばやと思へども、今まで知らせ奉らで思ひの外に恐しとや思され
玉 水 物語 下 五八七
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-*・} ェシ ーシシシ - - -
御伽 草紙 五入八
ん、とても御内参りあらば 共時こそ紛れ失せめ、わが化けたりし姿を、今まで見つけら
れざりっるこそ不思議なれと思ひ廻らして、風の心地とて、戦在む腕に閉ち籠り、初
めより思ひ染め奉りし我有様、今までの事を書き集め、小き箱に入れて、姫君にもて参
り、何とゃらん比頃は世の中 銀なく仇なる物と 思ひ知られて物憂く侍れば、もし夜の
間にも消え失せ侍る事もやと覚えて、比箱を奉る、我

きめ 〜
ぜよと申して、潜然と泣きければ、姫君は怪しく、 如
見届け給はまじ
きゃー見届け給
ふまじきゃの説 ど、もし如何なる事か有らんと心細くて、是を奉り置くなり、儀式の折は人目繁くて、比
箱をもえ参らせぬ事かあらんなどと、思ひ奉りてなど言ひ紛らかしつょ、構へて〜
比箱を難なく思召し、又親しく思召さるょ月さえなどにも見せさせ給ふな、艦ある箱に
て候へば、左右なく人に見せさせ給ふまじ、中の撃をば御年積り世を思召し放ちたら
ん時、明けさせ給へと中せば、打泣き給ひて、何時までも候はんとこそ思ふに、斯く末
の世の事まで宣へば、心元なく、いと憂き心こそすれと宣ひながら、比箱を受け取り給ひ
いそがは
一て、互に涙に岬び給ふ。月さえも参り人々、 『しけなれば、紛らかしっょ立ち去りぬ。姫
君さらぬ様にて、比箱を引き隠し給ひけり。
邦御内参りの紛れに車に乗るよしにて、偲ともなく失せにけり。殿には内へ御供なり
と思す、内には心地悪しと常に言ひしかば、里に眠りぬらんと人々も思ふ。姫君も数か
しく、如何もなりっるぞと、心元なう思召し、二三日過ぎて、何方へも無しと聞えければ
親の方シねさせ給へども、行方も知らす。五日十日の程は、さりとも聞き出で
対 や

ん、除所よりゃ騎り来んと待ち給へども、見えねば、概慮に失せぬるぞ、人の隠したる
かと思し給ひければ、御検びに御心の内の御数ぞ増させける。議職の女房達摂証ち歓き
合ひけり。何事につけても比人あらましかばと思しける。宰相殿は中納言にぞ成り給ひ
ける。玉水の事常に名高く、いみじき事も有れば、如何に成りぬる事ぞと軟き給ふ。姫
君は比箱の中ゆかしく思さるれども、御門のおはします事絶えす、暇なくて明かし幕
官の聴ー太政官
の正聴 らし給ふに、或時官の職へ御幸あり、よき暇と思召し、忍びて開けて御覧すれば、始

より終りの事を書き付けたり。こは如何になる事ぞと、御胸打騒ぎ、恐しくも哀にも思し
む さん
けり。我故かやうに化けたりしを、遂に色にも出さで過ぎし事の、畜類ながら無悪さよ
寛えの志を見せつょせし事の哀さよ、難有き心かなと、思召し績けて打ち涙ぐみつよ御覧
玉 水 物語 下 五八九
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ひ 心愛
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を も も の ん み て ふ 舟 る よ く か


いっ

あるよろし
何時の世までも 愛らじと 思ひ明石の
浦 に 出 て 潮干 の 貝 も 拾 ふ か な
琶 の楚 く漢の 夕 け ぶ り 棚引く 方 も
なつかし や 島 博 ひし て みる め 刈る
麓 の子どもに 有 ら ね ども 乾く間もなき
袖 の 上 に 訪ひ来る 風も ほし かねて
暗く銀色を 除 所に見て 思ひ知られぬ
身の程 も 遂に 甲斐 なき 心地 し て
た ゞ 一筆 を すさみ 置く 玉 章 ばかり
身に添 へ て 長き 思ひ の しるし ぞ と
常に 弱、ふ 心 あら ば 後の世までの
掛 橋 となり ても君を 守 り てん
か ふる憂身を 人 知れ す とぶらはしとは

㎞ をのの やま またたついなや 花に 出 でて
水 物語 下 五九一
か おく


なり りー お
かき へ


ん な


打 に意 の




打 終局 る



と 思召 世
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思召
よう なし歌
鉄比


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書かりて

すさむ

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薬-北き
、 むける
、水
留め
かき

-






思例

出きぐひ
なまた

をひた
深やさしき




をふながら

心畜しける
か思に

。かたせ
浅参きる類召ら

お博
なり




く 細給
書、

なさぜ
へ御開に

てめ


離如く

思召
んよき々どせ覧けれう 置き
申させ

っあを



給懸程


はらなり


添奉増す


君なせん
箱しけ子るれ 添





か、




す厩



書奥



付首

やれきう ん
か - 守濁り


世に
なき
ら を
岩根 二


草紙
御伽
-

ころ

思哀

なん
知ら
言の


をぬ





の葉
ひ な

知快

君を





いづる


より
谷川
の水

の 、う
-
ー、lー *ー
鶴 の さ うし 上
なさけふか ふつき うひやうる のかみ
かけ給ふー競ぬ
るをいふ
情 深うして、富貴の家と楽ゆる事、中比宰相にて右兵衛督をかけ給ふ人ありけり。父は
むねまさとて、世に覚えいみじかりしが、比宰相は殊更慈悲心深く、飢るたるも
や つい つ
興へ、襲れたる人に衣装を取らせ、我身の上を忘れ給へば、何時しか家貧しく
なりェの畑も絶え、シの衣をも脱ぎ更へんたよりもなし。自然人の鍵際も薄一
しきも遠ざかりければ、かくて世に生存へ、時めく人に嘘はれんも心愛し
なる正樹にも籠り、身の隠家を求めんとて、只一人そことも知らす、迷び出で給ふ。
㎞の有 けるを
さびさきた これ の船と組みて夜を明し給。
里人来り、是は人の住む家ならぬに、如何なる人なれば、馳きたる容姿にて、
なまめ すがた
ゆくへ 浅く
この内にはおはしますと答めければ、我は行方もなき世捨人 なれば、次等心ありて学み


んべ
か し、我身に叶ふ事をば、如何なる奉公をもし侍らんと宣へば、里人聞くより
五九三
御伽 草紙 五九四
も、御身の姿にて田の草を取り、畑打つ事もなるまじ、只何虜へも行かせ給へと申しけ
れば、力及ばぬ攻第とて、鷹の内を出で給ふが、やう〜力艦み足も立たざりければ
一足踏みては略に倒れ、二足には艦の蓄に打ち継び、行きゃらぬ風情を、里人哀れと思
ひければ、如何に離者せ、我々一日の営みだにも容易からねば、御身を養ひ奉らん事も叶
ひ難し、さりながら除り御艦はしく候へば 足にシ給ひて書は稲葉の鳥を追ひ、夜は
が男鹿を挑ひて給はらば、眠艦に撃め中さんと言ひければ、如何にも争みて結び給へ
なさけふかいほり しつら こぶ、
嫡しき人々の志かなと、涙を流し給へば、里人も情 深く、柴の庵を設ひて留め奉る。
おの も
己が食を分けて共日の飢をば助けてけり。日もやう〜暮れければ、里人は皆騎りて、腕
すさま あきかぜ
荒涼じき山陰に、貝一人獣し給へば、秋風烈しく身にも染みて、露の毛粧安からす 事問
変すものとては魔狼野毛の叫ぶ幹、耳に従ひ目に編れて、昔の夢も結ばねば、何に集む
ちゃうさうー未
詳 世の中ぞや。博へ聞く魔王のちゃうさうといへし者 世の交りを銀み果て、毛ェを捨
い へし者ーいひ
し者の説
て、山中に籠り居て、幅の道を得るとかや。我は瀬世の兄夫にて翻ェの力もなし、只
一念の班かにて、シの営みには備の名撃に若くはなしとて、高らかに念備して夜
わ せ だ おくて ほ なみ
を明し給へば、鳥類畜類も共盤にや静まりけん、早稲田の稲も食ひ荒さす、晩稲の穂並
よもすがらし、がへし
も共儒色づく秋となりにけり。里人是を見て、あら不思議や、我々終夜渡返 を立てて
しか なるこ たのも
田面の如くー田
面の比の如くの
鹿を追ひ、鳴子を引きて鳥を挑へども、荒れ果てにたる田面の如く、初めてかやうに楽ふ はこく
ぼ さつ け しん Bゃ
行か ミ 、 -
梁ふるー梁ゆる
-
る事、御身の恵みと覚えたり、是菩薩の化身なりとて悦ぶ事限りなし。潮うに争みけれ
の調
ども、栗の概碑の弱にて野へ置ける物もなし。書は来りて慰め奉り 郷を打ち稲を刈り
御日にかけ=数を送り給ふなり。
或日の事なるに、柴の魔を立ち出でて、世面の 道を踏み分けて、落穂を拾ひ、袖に入
れ、電のェ打ち挑ひ、うつらぶ菊を摘みためて、昔の事を思ひ出で、今の浮世を継み


は誰が玉章や掛けつらん、忍ぶ甲斐なき敵聖も、今更思ひ出でけれども、『魔脈ひし浮
世なれば、立ち騎るべき心地もせず、柴の糖の展々も、住めば都の心地して、日も暮れ
いほり いづく ひでづ*
方になりぬれば、ありし庵に立ち騎らんとし給ふ虜に、何虜とも知らす、雛鶴一 つ飛び
さはべ を だ かたふち お みう さり つく

来り、澤漫の小田の片淵に降り居つふ、漁してこそ居たりけれ。宰相熟々と見給ひて、あ
ひ ちやうほう つはさこ くう かけ ためし
らゆょしの鳥の姿かな、費長房といふ仙人は、鶴の翼に宿をとり、慮空を翔る例あり、
、 や てう
s i、- } *・ ニー 〜 } 、 、 **
衛の競公と言ふ者は、鶴を愛して一生を暮すとかや、我はせめて野鳥の鶴を愛しつょ、今
鶴 の さ うし 上 五九五
---- -シ
御伽 草紙 五九六
シまんと、伴の艦に積みて、競かさじと見給ぶなり。かょりける魔に、
手一人シびに忍び%り 天の細を弾薬へて、彼のシりにして、シて、
変の にぞ敷きにけり。 無斬 やな離鶴は、 今まで魔容を端り 水を渡り、思ふ事の有りけ
爵命せんくわー にも無きに、彼の罪に生捕られ今を最後の一撃はシせんくわと聞えたり。 和 を
せんくわは遷化
か 聞き給ひ 日今の鳴く盤は千年の鶴ェると悲めり、足を聞きながら日の前にて、殺さ
ん事我殺群となるべきと思しければ、する〜と走り寄り、如何に御身は、何とて共鶴
をは取りて、書し給ふぞや、我に得させ候へ、親のシに放っべしと呼はり給へば
撃手聞きて曜外と打ち笑ひ、和艇は何者なれば、個 捕りたる比鶴を、得させょ とを に
を不思議なれ、我は比里の 隣に住む興師なるが、シの 職 を置 、山野の
を掘りて、一生を過ぐるなり、比四五日は如何したりけん、神の闘 機千鳥の、一っ*
きいし


り得すして、妻子が飢に臨みしなり、今日偶捕りたる比鶴は、天の興へと思ひしに、く
れよと言ふこそ心得ね、活けて置くにこそ人の怨みも有るべけれと言ふまょに、鶴の
引、ノイ〜

おの ニ * ミ
細首引き延べ、己が小脇に引き敷きて、力を出して締めたりけり。宰相念悲しく 思召
たこひ しやくそん
し、獅師に取り付き、暫く待ち給へ、暇令殺し給ふとも我が言ふ事を聞き給へ、料奪一代
の御法にも、人間と生れんもの、五戒を保ちて、備果を得る、殺生 雅艦 語
飲㎞足也、上代の事は扱置き、五百戒も保ち給へども 末世瀬継の我々は、一戒をも保
ち難し、それを如何にと言ふに、先づ倫盗飛は盗人の事 手を出しては取らざれども、欲
しきと思ふシは、眠々奮々に絶え難し、比熱の霊きざれば、倫盗戒も破るなり、邪
経戒は夫婦 最愛の事なれば、俗艦にては保ち難し、妄語戒は慮 を言ひ、人の変情を避
くる事 きがなき人にシ保っに達 るべし、シを撃っ*
ふつ き あいしやうう れる ひ くわ より
下萬民に至る逸 検びの虜には酒を以って常賞をなし、哀個 愛への座敷にも酔に化して
忘るれば、是も在家は叶ひ難し、共内殺生戒を第一として、殊に是を戒め給ふ、御身如
むくい
何なる果報にて、世の管みも多かるべし、生きたるものの命を取り、明日をも知らぬ露
せんねん よはひ
の身を、助からんと思ふ心の罪深さよ、共上鶴は千年の齢を保ち、人間には勝りたり、
個令我身は鶴に代りて死するとも、助けて給べと宣へば、猟師態腹を立て、我は践しき さこ てうみ
わきまさこ
者なれば、五戒も十戒も挑へす、只債もいらぬ魚を漁り、人も答めぬ鳥を捕り、調味し
むくいる じき
て食ふ時は 罪も報も覚えぬなり、御身の命に代り給ふとも、我が餌食ともならばこそ
由なき人に見付けられ、時を移して妻や子供の待つべきに、こ ょ 放し給 へと怒りけれ
鶴 の さ うし上 五九七

*。
リー
|

:。
ば、宰相聞き給ひ、質に難理と思へども、昔も去る備あり、精算の 、魔罪王子と言ひ
し時、御個の車へ山鳩一つ飛び入りぬ、後より自張の鷹追ひ来り、共旭出し給へとせめ
ければ、力及ばせ給はす、鳩の代りに御身の 園 を切りて鷹に興へ給へば、流石魔心あ
りて、御志の難有さに鳩を助けて騎りしなり、共薬瓶にて、一代のシ備と生
れ給ひ、鷹も優しき心にて、厳備したると説かれたり、御身殺生し給ふ事、五逆の罪に
は勝れども、今一念の慈悲心にて無船の罪を減し、極楽世界に生れ給ふべし、鶴の代に
は我重代の弱なれども、足を参らせんとて、艦にさしたる奪作りの刀をこそ興へ給ふ。
いちご たくはへ
にっこ
扱元より懲心深き者なれば、鍵衛と打笑ひ、比刀を代なしては、1期のェあるべきと
思ひければ、今日より猟師を正むべきなり 鶴を御身に参らするとて、急ぎ我家に騎りけ
大きよせんちよ り。宰相嫡しく思召し、鶴を抱き取り、次心あらば物を聞け、大きよせんちよにいづれは
ー大霊千町か
猟師の愛へ有るとは比事ぞや、シの脳魔は聖人の時世に出で、践しき者の見る事なし
次は日本の鳥の王として、比澄湾に降り居っょ、捕られけるこそ浅ましけれ、今より後人
せんちやう あさり を だいながき
なき島に下り、千厩が野透にシして 人近づかば飛び去り、小田のかたへの稲垣は、天の
せめうー未詳 網と思ふべしと、能く〜せめうを含めつふ、鶴を放ち給ふなり。彼の刀と申すは家に博
鶴 の さ うし 上 五九九
『シ。 シ シー"
御伽 草 紙 、六○○
ちようはう こつじき ひ にん のち はだ
きき
あさこ
して、猟師に興へ給ひし御志、例少き善根なり。 宰相暫く鶴の後を見送り給へば、鶴も心
ありけるにや、後を見返り〜て雲路通かに上りければ、嫡しく思召し、柴の順に騎り給
ふ。明くる日の夕暮に、さもやんことなき 魔の 下が 1人連れて来り、眠艦の内に案内
中さんとこそ呼ばはりける。誰なるらんとていで給へば、年の程『 十ばかりなる女房の
濃き 組 の正っ重は、綾の種に顔隠して立ち給ふ。宰相御覧じてあら浅ましや、如何な
る競化のものなるそゃ。かよる山中に斯樹の人の来るらん事、思ひも寄らぬ事なれば
身の毛も強立って覚えけれども、厳したる気徳もなく、如何なる人ぞと間ひ給へば、女
房立ち寄り、我は郡の者にて候ふが、故なき人の難をうけ、概魔ともなく出でけるが
楚く火の光にっきて、この虜に迷ひ来りたり、ゴ夜の宿を貸し給へと申しければ、宰
相離名し、よし偲の人にてもおはせよかし、比虜は人里違き虜にて、我ならで住む者
もなし、夜更けぬれば魔 獣 の漢じく、嵐烈しき山彦は、電 の如くなれば いかでか明
かさせ#*べき、シの方の侍らば、塗りて参らせんと言ひけ㎞
いづく ひみか
女房聞きて、いやとよ、何虜を終の住所とも定めす 頼むべき方も有らざれば、ひらに 「夜
隠れは、翼の宿となるぞかし、ましてや御身は世捨人の身の、問ひ寄るこそは他生の縁、
がくつはさ
魔の内に叶


ぎよいうす
殿 が


シる

たは
もろこし
くわ
てい


、弾㎞
にの
眠花
姿





瀬るりに
ける
れるて



に色




%





シんざしの
かた
のを






つけ 謎



まく
あまた
よご




隠給
さうき

ど、
へ未御
#

1






隠魔
に艦
しれもだると


ける


怪しく
思ひ
ながら







な、







世 相りるか
しらす 、
自も

あ者
なば

よ態
作に


置、

定給

なば





ららるれりきめらん言
ひは
御の
、シ




い通常
とも
覚え






ます
ける
かさま
身るしと




まよし
曜な。
もシ




す、


語給

ふんしり房の
女さび 間

























秋艦
はしく端風い比方
入せ
へ給




開入給
を ふ



薬の

なば
女二
、人


らきれ屋れ房宰相
流岩木
も身


ねば




苦庵



しに


申つれ
はさ石
、しき
ららば
さし
鶴 の さ うし上

明かさせて経び給へ、野漫の千草の葉毎にも、露の宿りは有るものを、森の茂みの木
の御遊の時、数多の女御后を見しかども、かょるめでたき貌はなし、唐土皇帝の楊貴
-

叶 はすは、軒端の下の鶴 に、何か無情くましますと、怨み顔に見えければ
*
ー『シ属
「シシー

六○一

- うき

シ - 』『* シ 『』*}
-
御伽 草紙 六○二
蛇は、『魔美めば百の難 君が心を達はして、世の政道を備すとなり。我も浮世を脈へ
ども、心は空に憧れて豊えす寄り添ひ給ひっょ、苦の鍵を鍵としェ田の稲を枕にて
盤髪の打句ひ
O 梅のが校に降る雪の、消えかょりたる艦の色いをねもならはぬ 組を
解けて寝ざりし管の間の、梅しかりける陸震は、まだ何事も語らはぬに、瀬正寺の鐘の
ぎま
やもめがらす
盤、 漢じく間えければ、艦 島 の浮かれ撃も、今管しもさかしらと聞きなし給ふ。誠
に暗作までは、秋の夜の長き想みの床の上、今日は引きかへて、千夜を一夜と願ひ給へ
ども、軒端の山に横雲の、引くシの光も旭日の影にそばひ、夜はほの〜と明けけれ
ども、謝れ通ふ者もあらねば、扇の艦 掲けっょ、尚熱々と見給ふに、言はん方なくらうた
けて、艦やかなる棘は、立ち離れん由もなし。
女房も心打解けて、下女に持せたる袋の内より、黄千雨取出し、足にて瀬計らひ給へ
と言ひければ、宰相悦び給ひ、今まで みし里人を近づけ、比由かくと宣へば、里人め
でたき事なりとて、黄金を受取り、 庭 数多呼び寄せて、御殿を結構に作り、シを調
へ、召使ふシへ、獣は道具を擁べ、彼に長者 となり給ふ。比事里々に隠れな
-
きぶらひ きけさかな
かりければ、虜の 侍 は申すに及はす、土民百姓に至るまで、酒者を調へて、参るものも
あり、時の景物なればとて、悪質を数を霊して、我劣らじと参りっょ、今日より御内の
者となり侍らんと、歌びける事限りなし。共品々の引出物、絹小袖を賜はる者もあり
金銀を賜はりて、脱ぶ事は限りなし。去程に共年も暮れ、新玉の春にもなりければ、共
園のシ左衛門督といふ人、シの者百除人召し具して朝鷹狩に出でにけり。
裾野の原の勢手の者、 行に立ってそ狩り廻る。率とも谷とも分かすして、 間の草を
薬とし、尾上の松を目に掛けて、四方の谷より狩り上る。岩を飛ばせ、古本を挑ひけれ
ば、雄、山鳥は言ふに及ばす、野千眠猫の魔までも、隠れん方もなかりけり。大鷹小
の飛び避び、中有にて組んで落っる虜を、押へて取るものもあり、悪。発を目に掛けて
弓矢を取って追ふもあり、太刀 刀を抜き持って獅りてかょる 猫 を配橋に打っもあり
巴の時の初めより年の刻のPりまで、抵留めたるシ 数ふるに選 のらす 面自かりし
慰物なり。
各立騎らんとせし時に、春雨しめやかに降り注ぎければ、思ひ〜に本際に宿を借り
岩の洞に立ち隠れて、雨を凌ぎて居たりけり。宮崎殿は、馬に乗り谷に降り給ふが、と
のば
ある山陰に畑の立ち上りければ、人里やあると、只一人駒を早めて行き給ふ。堀の船橋
鶴 の さ うし上 六○三


六○四
てい し ちう へい むねかず
* ドト、 シ)蛇好ん j 、 、
け、屋形の棟敷数多あり。あら不思議や、我
打渡り、内の鶴を見給ふに、四重に堀をかけ こ しはがき

領内にかよるゆふしき者の有りけるぞや、如何なる 者の住むやらんと、小柴垣の陰に休
た、ず たのかた みなみおもて ひろえん
らひて、暫く倍み給ひける。宰相も北方も見る人ありとも知らす、 『面の魔機に立出で
て、庭の花を見給ふに、相色添ふ初機、かつ散り初むる跳めっょ、北方取敢へす
かぞいろの育てあけにし甲斐もなくいたくも雨の花をうつおと
と田際み給へば、宰相殿も思ひ績けて、北方を熱々と見給ひて、如何ばかりの事か思ひ
出で給ひけん、
かぞいろー父母 初標いろにそめぬる春雨は花 の紐とく つまにぞありける
うちる
と、打詠じ給へば、北方打笑みて、
春雨は同じけしきにすさめどもあだにも 散りし花の色かな
つ 、ム〜 さ - - *
と戯れ給ふを、左衛門督熟々と見て、あらぬ思ひのつき添ひて、立ち忍ばん 由もなく
のを
さし現れて祀き給へば、
鶴 の さ うし 中
北方御覧じて、あれは誰なるらん、あら聴しとて、宰相諸共に内に入り給ふ。宮崎殿
は今 魔見る由もがなと件み給ふを、人々参りて、やう〜雨も晴れ候へば、騎らせ給
へといさめけれども、只㎞として、物も更に宣はす、御心地怪しきとて、駒の日を
取り、御殿を地き、御内の人々㎞に立ちて、 家に時り給ひけり。今はシのシ
限し沈み せん方もなく思ひければ 御内の侍に世 の七良とて、シじき者の有りりる
を呼び出し、言ひいだすにつけて偲なけれども、狩場の山の主の女を、一目見しょり
正面影の身に辞ひて、かる駆となりけるはいかとして驚る畑の胸のシえなん
獣 を、よきに計らひて得させよと有りければ、七良承り、足は理なき事を思ひょり
給ふものかなと、思ひながら、 さも言はゞ、 いとさ㎞にやなり給ひなん l
暫し慰めば



やと思ひ、それこそいと易き事なるべし、シの習ひ、幕ふに肺かぬ者はなし、我々 競 この

俗世に隠常の腕と申すものは、元は都に 低じて、 優しき人なるが、比三ヶ年は
鶴の さ うし中 六○五
- -----
---
* --* -『
---* -シ- *} 。。。
御伽 草紙 六○六
かたはら はんべ
魔の に、さる者と語らひて侍るが、常に彼の家に参る由を承る、比人を呼びて、事
の心を尋ね給へと申しければ、宮崎俊び給ひ、それこそ然るべき神の御引合せと覚え
はんべ
たれ、急ぎ呼び寄せ侍れと聞えければ、やがて使立てられけり。局参りて、何事の御
用なれば、自らをば召し給ふぞや。宮崎殿枕元近く呼び寄せ、扱も比山の彼 元に、いみ
いるじ
じく作りし家磨には、如何なる者の住みけるそや、共の名をは何と云ふぞと間ひけれ
ば、局承り、自らも芸年の冬より折々参り候ふが、基の御名は誰と知りたるものも候は
す、北方も、若年の秋迎へ給ふと承る、誠に家変えて、今長者とそ申しける、貝天より
ふりびさ ならは いく
の降人のやうにこそ言ひ習し侍ると語りければ、宮崎聞き給ひ、挑も共北方は年は何
歳になり給ふぞや、さこそ術の深からん、愛東なしと間ひ給へば、局承り、されば御
年は二十ばかりにてもや候ふべき、シの美しき事中々践しき日にて言ひ難し、我 語
都にありし時数多のシを並べ置き、花の賢にせられしが、御名は定かに言ふに及
共匂ひなつかし
けれどもー比下 ばす、先づ初春の梅は雪の内より咲き出でて、共匂ひなつかしけれども、枝たをやかな
に 「枝のさまこ
ちたく 柳は」な れども匂ひもなし、花もなし、されば何れによそへても、思ひ所はあるものを、比人と
どいふ文句脱落
せしなるべし 申すは梅が香を機の花に旬はせて、柳の枝に咲かせても、春の過ぎん事をのみ、見る人


を姿

鍵が


幽王



再國
勾践
のび
わ う
こうせん くつがへ せい




べし を り

-
世を蹴れしー世
借までや有るべき 魔王の 越
如影とる何

されし西







ふも
面と
言 撃し




い観

勝べし


*
りはけ葉魔

る る


あいきやう


べし

るよ

やカ 愛ノー

の、花






あ般

べき
有る





がとも
かせしとへひ語くぶなる
島 はれ

べき


で言


ありたし
如に


な扱


心人 て
し轄

同枕

申シ は

こ叶思
と比
を 咲て
く何しじそもを ば
、に
いゞ
申けれ物を
思、
堪難き
だ 物忍べき

聞より





シ引なり









もと
べき



さ御身

い 出物
かふ
らば


寄な事
ら由を あん

行いか

語出し を


さ先
ど、

へ づ
遊んきらば 、

らも て
り末ばせ 小を

あし
総 競



取せあ人
ェにし


り袖らくるか
い?
ながら
し思ひ

たより はんべ むらさき


紫 の薄様に梅花の
便も有らば、御目に掛け侍らんと申しければ、宮崎観を取り出し、「ひさこふで た し こま〜
- -
- - す さい こ
匂を禁き染めたるに、思ふ心の底までも、細々と書き流し
わがや
せめて一筆の御返事もがな一
と、涙を添へて渡し給へば、局文受け取りて、急ぎ弱家に騎り、色も嫉なる花を折り、宰相
殿へ参りける。北方出で給ひ、あら珍しや、如何なる風の誘ひっょ、思ひ寄らすの花の色
なつかさけさかな もてな
懐 しき局かな とて、奥の間に召し入れて 、先づ酒希を調へて響態し給ふ。局申しける
かなた こなた おんおさづれ
は、比程は彼方比方と打紛れ、御訪問も絶え果てて、仇なる者とや思すらん、只今参る
鶴 の さ うし中 六○七
■』 『ー』
iーー
===--
_シー
- -シ
御伽 草紙 六○八
べち はんべ よもぎふ
事別の子細にて侍らす、自ら住み荒したる達生も、春は隔てぬ花の宿、夕つ方入らせ給
おぼろづきよ よもすがら
- -
ひて、臓月夜の終夜、慰め奉らんと申さん貸に参つて候ふと申しければ、北方、誠に切
はんべ かり
なる志にて債れども、個にも立ち出でたる事もなし、又殿の心も取り難ければ、叶ふま
じきと仰せけり。局たくみし志避ひて、斯くと言ひ出すべき言葉もなく、暫し浮世の物
が、懐 より撃を取り落したる艦にて、これ〜御覧候へや、只今参る途にて
けるが、
比文拾ひ候ふが いかさま故ある人の霊やらん、やうがましく認めたり、御嶽みに御覧
候へと中しければ、北方受け取り給ひ、開きて見給ふに、 誠に御言葉を霊しつょ、奥に
一首の歌あり、
はるム〜ととめよる宿の標花したしからぬも隔つべきやは
遥かに人家を見 と有りければ、面自き歌の心かな、古き言葉に、遥かに人家を見て、花あれば入る、貴
て 云々ー 朗詠
「遥見人家有花 践と親疎を論ぜすといふ詩の心を引き直して詠みたる、いかさま足は又初々しき人に思
はんべ
入、不論貴践興
親疎」 ひ蹴れたる人の文なるらん、見るにつけても痛はしく侍るなりとて、局に返し給へば、局
個軍よしと思ひて、よし〜誰人の文なりとも、御手に編れさせ給ふ事、他生の機縁深か たは ぶれ
るべし、擬交の返しと思召し、只一筆遊ばして、自らに賜はれかしと申しければ、脳
こさこまぎら
言を言ふ人かなと打笑ひて、鬼角紛 かし給へば、重ねて言ひ出すべき由もなく、日も
暮れければ、またこそ参るべけれとて立ち騎る。宮崎殿に斯くと中しければ、挑 は我文
っれな
を御手に取り見給ふかや、歌の心を感じ給ふ上、などか御心の無情かるらん、又明日も
参りて御返しを取りて給べと聞ゆれば、局も如何にもしてと思ひければ、それより日毎
に参りて、包む気色もなく、初めよりの事ども がし、あはれ浮世の習ひに、人の心を べ にすけぶね うこかに
慰め給は“、頼む方なき我身までも、寄る遽も波の助船 こがれて消えん泡深の、怨みの程 うきひこ あるじ なさけ
も霊くべきか、共上思ひ染めし憂人は、比國の主なれば、一つは情と言ひながら、虜にて一
は虜に従ふ習ひなれば、もし一筆の御返し もましまさすは、誰か共怨みを忘るべきと申
け ふ れんちう
しけれども、人の聞かんも揮あり、今日より局参るべからすと、熊中深く入り給ふ。力
なく立ち騎りける。宮崎殿に申しけるは、如何なる雲の上人も、情の道は知るものを、比
みなかうこ


田舎
さすが
み め かたち

人は眉目容貌こそ生れつきたらめ、心は 17 、物をも知らぬ人なれば、言葉の色



こぶ


自使

にえ、
べ豊
とも只か



思し
留きらきす召目
面な



知らす
聞、
みしん く を

たより



ば少心


便



まは

使
けれも でしみ
慰ける
候ふと言ひ捨てて、走り騎り


すが









なせ方


寄る
頼べきな




く思 れ 呼び出し、もしやと
鶴の さ うし中 六○九
-
御伽 草紙 六一 ○
=
む ねん うへ
頼みし吾隷の、空しくなるこそ無念なれ、我領内 にありながら、上も恐れぬ女は、押寄
っれな
ふよ
せて奪ひ取り、無情き心に思ひ知らせん、
け しきかは
はや打つ立てと怒り給へば、七良山なき事と
思へども、気色鍵りて見えければ、犬も然るべき御計らひなり、基一人なりとも忍び行き、
奪ひ取らんはいと易き事なれども、彼もさすが故ある者と聞えければ、欺くに及ばす、軍
勢を して、1方の山より攻め下り、東の死を開けておくならば、定めてシも落 つはもの
ちて行くなるべし、行かん虜を道に
おんやかたいは け ふ
兵 を伏せて、男をば切って捨て、女をば抱き取り、 すぐ
この御館へ斎ひ入れ奉らん事、今日の日を過すべからす、御心易く思召せとて、頼もし
へんし つはもの
八 に

-

見奉らんに、軍勢を催せとて、きらの 兵 三
十 に

きらの兵ー締羅
の意にて精選の
しければ、宮崎脱び給ひ、片時も早く
さふひやう ぐんびやう け ふく ら
武士をいふ 騎、雑兵合せて百五十騎の軍兵を揃へ、今日の暮方に押寄せんとて、馬に鞍を置き、


り さこくひしめ
庭 制するものもあり、太刀、刀を磨ぎ、弓の弦を食温し、日の暮るよをこそ待ちたりけれ。

愛 歌 も れ
ん ど は 地

/ふ

なかりければ、里へ急ぎ宰相殿に参り、只今押寄せ申すと告けければ、宰相 しか〜
-

し 給 知
島 夢

o せ

給はす、比方に云々と語り給へば、元より我故と思召し、初めよりの事


はんべ

先 力
心 計
刀なき次第なり、誠に御志難有く侍れども、我故に御身の命を失ひ給は


一 づ彼の方へ行き給ひ、人の心を慰めて、夢の浮世を幕らし給へ、御心
二世の契なりし
と聞きければー
鍵らすは、二世の契なりしと聞きければ、
まみさこたび
慰なる人の言葉かな 賢臣二君に事へす
*


いく
「二 世 の契なり
と聞きければさ 女雨夫に見えすと申す事の候へば、『魔のたのしみ御身を捨て何魔へか行くべきそや、も
のみ力おとし給
一 ふな」など の 文 し軍勢の寄せ来らば、御身を先に立てて、切って出で、思ふ僅に軍して、叶はぬ時は引
句脱落せしなる
べし き籠り、刺避へて死出の山三途の川を、手に手を取りて行くならば、何の個 撃か候ふ
一度の たのしみ
ー一度たのみし べき、共上千萬除騎寄せ来るとも、自らが『謀 にて追ひ挑ひて見せ申すべし、太刀も力も
ひさまごころ かたき
の術か
いるまじとて、一間所に引き籠る。さもゆふしき姿にて、寄する敵を待ち給ふ。去程
せいざんさ
きっ は のきも、たら 、シな ぬ
に日も西山に傾けば、時分よしとて、宮崎を先として、百五十騎兵 等、太刀、雑刀の韓
やまみち
し、さしも魔しき胆 を 谷も谷とも鷹とも言はすして、三方の撃に馳せ巨り、館を
目掛けて弓取り直して、 り容に差詰め弾語め散々に射たりけり。シに田漫の七良進
寄せ来りたる人
み出で、シの軍兵に向って言ひけるは、左 はいかr心得給ふらん、弓矢を器め給へ
ー「たる」の 二字
不用なるべし
足は 職 の怨書せんため、眠魔ペ寄せ来りたる人を厳さん共貸の謀なり、よし敵を射殺
かみよーかみ
がみ(碑々) の誤
さば㎞は扱置き、かみよの御不審を蒙るべし、今日の軍の大将は比七良が承りたり

とて、只一人門外まで馳せ来り、大音掲けて言ひけるは、只今こょに寄する事那の子細一
このやまなか よ うち がうたう わざ きこしめ
に候はす、比山中に隠れ給ひて、夜討、強盗を業として、いみじき有様を聞召されて、
鶴 の さ うし中 六一
ー 『「シ
御伽 草紙 六 一二
せんじ たい さが
討つて参らせよと、添くも宣旨を帯して参りたり、誠は身の答の有るならば、尋常に腹
を切り給へ、さも無くは主に出でて、基曲を申し開き給へと呼ばはりければ、籠り
よせて うんか おく
居たる若賞ども驚き騒ぎ、寄手は雲霞の如く近づきけるに、何とて臆し給ふぞや、はや
うちいひしめ
打出で給へと歩特きけれども、宰相殿、北方に諫められ、少しも驚き給はす。暫くありて 北
い つ
てき
方、はや敵の寄せ来りたるやらん、物騒しく聞えけるぞや、いでさらば防がんとて、何時よ
りも尋常に出立ち、壁 組 の盾を持ち、魔様に立ち出でて魔容を招き給へば、宮崎足を
御迎へに参れ七
良 とー「御迎へ
見て人々静まり給へ、わが思ふ艇の立ち出でて眠方を招くは降参すると覚えたり、御迎
参れと七 良 は」
の誤なるべし
へに参れ、七良と、鍵じて悦びけり。あら不思議や、彼に眠眠烈しく吹き、黒雲 群
離弾きて、館の上に立ち ひけるが、雲の内に業ェ形の物こそ見えたりけれ。貫日よ
きシの慰、電を鍛ひっょ、弓矢を持って進むもあり、夜 、難純の腕にて、発を持
って振るもあり、鷲 熊鷹のシに、鄭を植るたる如くにて、敵の前に飛び行きて、号
弦をはせ切 るー
弦をば切るの行
の弦をはせ切る
てふさんはう
ところもあり。
よろひかおさ すきま ねら まなこ ふささが もの・ふ
か 蝶、靖齢は甲冑 の隙間を狙ひ、眼に塞りて、さしもに猛き武夫も、働くべきやうもなし。
寄手の人々緊れ 果てて、心も消え
*
そ ま ょ継 人る者もあり、退く事も叶はす、まして進む
たちすく
-
せい ねんぶつ
に 諸共に立疎み、我助け給へと、天に所誓し急備中し、さも哀れなる有様
及に

ねば

な り8
されども田漫の七良は文武二道の者なれば、大将の前に馳せ騎る。さればこそ初めより
由なき事と思へども、仰せを電き難きにより、足まで御供申すなり、天よりシと聞き
しが、悩ならす覚えたり、如荷橋備離の化撃なるべし、備の怒るを鎮むるには、心㎞に
若くはなし、心の内に所念して、シを譲離し給ひて、悪魔を鎮め給へと、高らかに譲
へんけ
みければ、次第々々に雲晴れて、鍵化のものも失せにけり。人々税びて危き命助かり、
シにとぞ騎りけり。館に騎り誰々討たれたると思ひ給へば、殊に御経の班徳にや、手
資うたる者一人もなし。宮崎悦び給ひ、我 那 の働きして、かよる奇病を見る事よ、個
へに備の方便なれ、足を 擁の種として、今日より浮世を脈ひっょ、備道を願はんと
て、日比野へ置きたる駆賞を、貧なる者に興へ、慈悲第一の人となりシの管みは
難有かりし 発心なり。悪に弾き人は必す善にも強き事、今に始めぬ事どもなり。去る間
た ぶ、びこ

相殿は不思議の難を逃れ給ひ、北方に宣ふやう、初めより御身は尋常人とは豊えぬに
け しん をが
間の業ならす、いかさま備の化身と拝み奉るなり、比上は包ます名を名
鶴 の さ うし中
六一三
- --*
影 -
御、伽 草紙 六 一六
らせ給へと有りければ、いゃとよ、自らが能撃にあらす、御身心シにして、シ
深き人なれば 備神の力を添へ給ふ事の難有さよ、いざさらば自らがシのもとを見せ
奉らんとて、夜に紛れ、貝二人忍び出で、胆路艦々と分け入りて、蹴しき谷に り給へ
ば、数千丈高き魔より自きシへたる如く

--
すっこ
かた
なる龍の自波張りて落ち、慰の松は枝
べ㎞ポ むか -
ほら うち
* -
*
乗れて、心凄き苦の細道踏み分けて、片山際の洞の中へ入ると思 へば、宮殿模閣は夢 を -
ま だいだいり
し 強ん ら fて *』 - ㎞ *
拉べ、七賞荘厳の眞木柱、金銀の瓦を敷き拉べ、成陽宮の大内裏と申すとも、是にはよ
一も勝らじと思ひっょ、踏む足もしどろにて、めでたう通かに入り給へば、内よりも素得
営 ど しき者、我先にと微語き、北方に取附きて、珍しくも入らせ給ふものかなと
一て、シに立って余銀中し、奥の間に講じければ、又ェ 思しき人々走り出
で、宰相殿に色低して、足も同じ座敷に直し、燃々しき艦なり。基 に艇観と思しき人
宰相殿の前に寄り、 聴がましき我姫を、群め給ふ御志、何時の世にかは忘るべき、装
く入らせ給へと申すべきを、一日々々と打過ぎ参らせ、 御姿を見まほしく思ひしに
艦ダ足まで渡らせ給ひ、御シに入り奉り、自らが心の内 如荷ばかり嬢しく蹴ると、観
こがね てうし
推量あるべき、それ〜と宣へば、女房達 承り、黄金の銃子に歪取り添 へて出でけ
おしはかり にようはうたち
れば、山瀬の珍物に、國士の葉争を調へて、三々九度の主器は撃ぐるに暇こそなかりけ
り。かよる不思議の虜に入らせ給ふ御慰みに、管続をして聞かせ奉らんとて、琵琶 奏
としをけー仮陰 和薬、驚、シ 思ひ〜に音を取りて、薬の数をそ霊しける。昔としをけといふ者 魔
の誤か
毛にて習ひ博へし募の爪 ㎞といふ世捨人逢坂山に引き籠り、琵琶を弾せし擁 用
、ね
駆シのいにしへ の容なる懇をして、さんろと呼ばれし時、思ひを晴らす雨の悪に、音
こくらくせ かい ばさつしやうしゆ くわんぎ
いプ七 丁、
を取り給ふ笛の音も、足にはいかで勝るべき、只足極楽世界にて 魔聖衆のシ
ありがた
0 E
音楽の曲難有かりし事どもなり。
あけがた こがね しろがね

け 積
かくて夜も明方になりければ、今管の御引出物参らせんとて、黄金千雨、銀 の盆に積
りようらきんしう まきもの おんまへ
み、綾羅㎞の巻物を、山の如くに積み上けて、御前に差置き、夜明けば人目つょまし
がかくれが

、アイ ば、御名残惜しく候へども、はや〜騎らせ給ふべし、シを初めてお目に掛くる
事恥しく候へども、距後は常に入らせ給へと 戦巻して出で給へば、それ〜送り奉れ
かけ
シ“
承ると申して、虚空を翔る車に、二人の人々乗り給へば、引出物の数々を鳥の翼 に乗
あるひ りきし へんし やかた
せ、或は力士に負はせて雲に乗せてぞ送りける。片時の程にて、ありし館に送り著 き、
皆々立ち騎りけり。念共家繁昌して、近國他國のものどもの、附き従ふ事限りなし。或
鶴 の さ うし 中 六 一七
-
『ー『
- *・『ー『ー-ーシ
御伽 草 紙 六一八
ち、はミ もさこ かりそめ
時北方宣ふは、申すにつけて恐れなれども、今は父母の許へ騎るべきと思ふなり、暇初
ドー、ピ - 持ツ -
しやう〜せ く * * いイ* *
して泣き給へば、宰相聞召し、あら思ひ寄らすの御言葉かな、後の世かけてと思ひしに、
仇なる人の心ぞや、シましき折に間ひ寄り給ふ志、今更何に見落され、捨て給はんと
の言葉ぞや、よし〜それも力なし、御身の父母の有様は、我等如きの慰天の身を、見
届け給はんとも思はれす、されども御身は個に浮世に現れて、語らひ初めし陸書は、隔
てぬ中と思ひしに、せめて三年も添はすして、残り響を必き程は、絶えて存ぶべきなら
すと、泣き日説き給へば、北方間召し、その御心の艦はしさに、今まで斯くとも申し得
* 最は謎の 間にあらす
鍵へて、誠の妻となる シっェ
べきぞや、御形見 ならねば、シ
の 筆を賜はり、それ 立も別れ、シ、
を細務とし奪ね給へ
自らも尋ね奉り、思ふ事なく暮すべし、父母の許にて聞召されし酒は、不老不死の薬に
て候ふ、面影も愛らす、命の終る事も無し、難 金欄の巻物は、如何程載ちて取り給ふと
こがね はんべ
も、霊くる事も有るまじ、黄金は使ふに従ひて、跡見ゆる事ならじ、いつまで語り侍る
とも、名残は途増さるべき、暇申してさらばとて、廣様に出で給ふを、御袖に取り

っきて、 し の給ひければ、我をは誰と思召す、澤達にて猟師に掘られし離駆なり
おんさく
あら聡しや我身
かなー「あら ゆ
『まる命を助け給ふ、シを報せんため、人間となりて来りたり、あら職しや我身か
し の我身 かな」
の誤にや なと、もとの姿を見えんとて、慮空に飛びてぞ騎りける。宰相はいとぶ
ふたさせ なさけ なつか あさこ
衰れに思ひつ
っ、比二年の情の程、思ひいづれば懐しく、後を見送り、只花然と立ち給ふ。
鶴 の さ うし 中 六 一九
様たいないやう し

に 父ひ






御覧


なら
なる



あら







に 母

も により手でか けり






かざる
のもっ



ま左

御ょ







自然 名づけりけ と
つと





さっ
















。 よれびもくり 給

なは


輝基
とば
悦玉



べき
か申す







て まなくれけ方し 給






御誓


程〜




儲艦

さ姫君

ふ にき













御子
ども







ひ 昌


れ 豊大臣










内給













に か 、



父 近らし

語身内

暮里















秋 うち

もこ
づけら 慰み
ためてきば見れび

姿別麻


ねつ

な々


せ遣



思ひ

に 宰べちり相
立あ借

並臓



















うし



下 紙

御伽




ミね

j



*
* ざめ

* -

あるくにたみ内
胎付き




産に
しか
時落

荒る
な、



おさな
つき
こし

シシ




おん


、薬を興へて採み合せ、色々養生し給へども、共甲斐なくて憂き事と思ひながら
人の見る事ならす、只シの難なきをば、かたへの公卿殿上人間き博へ〜、思
ひを掛けぬ人も無し。ゃう〜十三になり給へば、父樹宣ふやう、姿かょりょりシ
ければ、シに供へんと思へども手の叶はぬ事の恥がましければ、御日に掛くるに一 いかぶ くわんはくこの
て みな〜の人に見せんも心憂し、如何せんと敷き給ふ折節、 闘白殿一
みな〜の人ー 難し
なみ〜の術か
そのいこなみ
方と謎館せ、比年の八月には必す参らせんと、御返しありて、共用意をぞ
し給ひける。
姫君は比事間召し、父獣に宣ふ、我は身にもシ候へば、概魔へも参るまじ、日御暇を一
腸はれ、片山陰に引き籠り、備道を願ひてシ主に生れんと思ふなり、女御、后も比世|
ばかりの楽みなれば、美しく思はれす、ましてそれより の人に加職れ偲らんとは、更一
-
ち、は く
-
ミ・ - *
に思ひも寄らすとて、敷き悲み給ふなり。父母もいとほしき姫君なれば、さのみ愛で諫
、目の前の憂き別れも有らんかと思召し、更も角も御身の計らひなるべし、さりな
たま〜 かたこき
がら御身偶々儲けし事なれば、 片時離れて有るべきかや、 我々世にある程は慰めて給び
鶴 の さ うし下 六二
- - シ-『
御伽 草 紙 六二二
給へ、シ行の一っなり 信亡き後は向々頼み申すなりとて二位の中将殿への営みも発
置きて、共年も暮れ、十四の春にぞなり給ふ。雨の購間の朝日形、長閑なりける花の色
うっろふ悪の窓の前に、艦艇をかけて、艦める花に心を痛ましめ、散りぬる機に怨
を添へ、思ひ〜に花の叛服つけ給ふ。内大臣
かく散るを見てはくやしきさくら花またくる春は待たじとぞ思ふ
北の方、
* 雨のうちにほころびそむる花の色朝日に散るぞしづ 心なき
玉鶴姫、
あひいでし若木の機さかりぞと見せまくほしき花のいろかな
ちくは *
と詠み給ひければ、父母も怪しの歌の心かな、如何なる思ひの有りて、かやうに歌をば
詠みけんと思ひながら、 心を問はん由もなし。
さぶ たわ
各の歌を、姫君の筆取りにて、短冊に書き留め、庭に下り立ちて、標の枝を引き艦め
て、結び付けんとし給ひし、基魔の枝弾くして、姫君の取り付き給ふ左の御手を引き上
おんはだへ
けてこそ見えたりけれ。人々驚き、いかに御手の痛み候ふやとて、庭へ走り下り、御服


シ%
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六二三
-
}シ-シ-シ
御伽 草紙 六二四
かひな ち〜は、もり めのミ

、乳不思議
め博
父でた母

なり
を見奉るに、附き添ひたる腕の延びさせ給ふぞ き

なの
おん
なけて

位 板りる






の取ながら
基事






も さ雑
。らす
なり付く

煉獄

ぐす 、
しわさき
ひした









一只章


下つ行きらりけべり



あの

開不思議 -


いつ

偽らぬ言葉の末を頼みにて
とばかりあり。急々不思議に思ひ給ひっょ、姫君に尋ね給へども、前の世の事をばいか
で無召さるべき、自らも知らす候ふとて、顔打赤めておはしける。内大臣殿宣ふは
比姫は天より興へ給ふ子なれば、 如何 ェある人の悪来なるべし、かふる不思議の事ど
もを にて計らひ申さんより、ありの偉に 聞し奉り、腕 に任せて、更も角も 付
き樹らんとて、彼の短冊を持ちて急ぎ参内申し、初めよりの事ども詳しく申し上け給
みかき えいらん
ば、帝不思議に思召し、短冊を取らせ給ひ、打返し〜叡覧ありけるに、未だ新しき筆
だいじん くぎやう きいがくいう
の跡なれば、もし見知りたる者やあるとて、大臣、公卿の御中へ出し給ふ。共比才學優
ちやう そののち つく〜
長なりし、共後大将といふ人熟々と見給ひて、あら不思議や、比筆は、むねまさの左大
らゆゃ う のかる しゅg ミ』 () * ミニ、)、 、
将の一子、宰相右兵衛督が手跡に似たる虜の候ふぞや、比人は慈悲の心を主として、七
ちんまんはう ゆきがた はんべ
珍 賞を非人に施し、いつしか共身衰へて、行方知らすなり侍るなり、年競を数ふるに
こし
今年十五年に龍り成る、内大臣の姫は十四になるなれば、生れぬ先の事なるべし、彼の
人世に無き事はよも有らじ、急ぎ尋ね給へと、奏聞申されければ、帝念々不思議に思召
くわんにん
しゆっこ
し、さらば官人をもつて尋ね よとて、日本六十除州に宣旨を下し、共國々の守護に仰
せて、谷、峰、曖が魔まで残る虜なくぞ擁しける。近園の官人は共日に騎りて無き由を
申し、瀬園の園司は五日十日を隔て、さやうの人は無しといふ。倍は比世に亡き身とな
るかやと、せんカなく思召すところへ、或代 の申しけるは、足より北胆者狭の境の山陰
には、天よりの階 とて、比十五年が雌『富み楽えて偲るが、比人こそ怪しけれと奏
しければ、信はそれなるらんとて、急ぎ勅使を下されけり。共時の勅使は花園の左中部
とて、 宰相の貸には従児第なり。 彼の虜に下りシもなく入り給へば 宰相はいにしへ
二十一にて世を厩ひ給ひし姿、少しもかはらざりければ、左中挑なじかは見損じ給ふべ
き、如何に御身はこの所におはするかや、比程さる子細ありて、 秋津島が基品を残る虜
なく尋ね給ふなり、はや〜参内あるべしとて、取るものも取り敢へす、馬に召され
-
ほか
ければ、宰相殿は夢にも知らぬ事なれば、以ての外に驚き給へども、勅使許し中 さす
みやこ しやうそく
急ぎ都に上りけり。今までは世を脈ひし人なれば、五位の装束召されしが、いにしへの
鶴 の さ うし 下 六二五
Hシ シ
御伽 草紙 六二六
前え

三位の宰相の装束にて、君の御離に出で給ふ。盤 御備へ近く召されて共後御物語ども
暫く有りて、借も比の手を見知りたるかとて、彼の短冊を出し給ふ。宰相是を見給ひて
はっと思ひければ、時ならず顔に組葉を散らし、共事となく涙浮びて、何とも御返しを
ば『さす、蹴を地につけてそおはしける。人々色を見て、信は疑ふところなし、 厳に
て包み給はんも恐れなり、思合する事あらば、ありの備に語り給へと、眠気中し給へば
宰和申されけるは、信比文は如何なる人の持ち来り、御龍には繋が候ふや、それにっき
思合する事をも、御物語申し上け候はんと宣へば、先づ御身の言葉を聞きて、眠方にて
神すべし、孤なく語り得 れと仰せければ、ありの偉に申さんと思へども、鶴の髪じて
薬をこめたる事、誠しからぬ事なれば少し低の中さばやと思ひ、今は何をか包むべき
シしくなり果てて、身の撃がき偉に、比十五年以前より、片山里に忍び居て、明
シみ、 の世を願ひしに、麗とも知らぬシの来りっ 、自らが妻となり 競


を数多興へけるが、明くる年の春の頃、我は誠の人ならねば、シ鍵へて夫婦となり

肌焼
*もり
の守
シんとて、シし、基人の慰は撃に持ちて集 とて
より、短冊一っ取出し、御前にこそ置きにけり。人々あら不思議やとて見給ふに、
とあり。初めの短冊と引合せけるに、紙も同じ紙にて、歌の言葉を讃み績くるに、

と試み合せければ、君を始め奉り、御離にあり合ふ大臣、公卿も、あっとばかり感じっ
つ、暫く物も宣はす。
やょありて勅説ありけるは、御身心素直にして、慈悲心深くある故に、備紳の御恵と豊
えたり。内大臣それ〜明し侍れと仰せければ、初めよりの事ども、詳しく語り給ひ
ける。かょる不思議
しうけん
の事どもは、昔も今も末代も有るべき事とも豊えす、急ぎ吉日を選
ちりは
び祀言有るべきとて、昔の屋形をしつらひ、金銀の鎧めて、玉鶴姫を迎へ給ふ。姫君は
思召しければー
思召しけれどの
世の人に見かえん事を、龍ましく思召しければ、比率相とは 世の契の事なれば、など
術なるべし かは隔て有るべきぞや、神時よりも御心も浮きやかに、検び給ふよそはひなり。宰相殿
は見給ひて、昔契りし面影の、少しも鍵らざりければ、僕じとも恐なり。かよる日出
き事あらじと、 くも、君よりの職 。大臣、公卿の艦 。山の如くに
山 そ積み上けて
うまくるま こころせ


門前には馬車の、所狭きまで見えたりけり。やがて官位を賜はり、左大臣まさあきらと
鶴 の さ うし下 -
六二七
御伽 草紙 六二入
きたのかた
ぞ申しける。斯くて共年の秋に、北方だrならすなり給ふが、月日にわづらひなく、明く
る五月に、玉の如くなる若君の出で来給ひ、それより打績き姫君若君の数五人までこそ出
ようがん むこ
で来けれ。何れもシ勝れければ、或は后に立ち給ふ御方もあり、或は間自殿の継になら
せ給ふもあり、めでたしとも中々に、賢へん方もなかりけり。去程に大臣殿は隠里にて
すくおんよはひも〜させ
- 、すがシち
差めける不老不思議の薬の酒の威徳にて、御齢 百年に除り給へども、姿形 は老いもせ
み さこしかさ かほはせうるは
す。元より北の御方は天に真けたる事なれば、御年重なるに従ひて、花の顔容麗しく、
御恵みの深き事、水に影さす月の如し。されば聖人一人世に出づれば、萬民心素直にな
せいひっ をんこくは たう かまさ みら
〜 * 駐
りて、いと静謎なれば、遠國波溝も穏かにして頼みあり。民の籠も賑しく、運ぶ貢の道
これ いりそめ
直に、闘の開さぬ御代となりにけり。是を以って思ふに、只個初にも夫婦の縁を結ぶ要
のち
前世の契浅からす、後の世かけて頼もしく、碑の定めし中なれば、互に隔たる心もなく、
かは なさけ たから

交す情の末遂けて、望まざるに位を進み、貯へざるに財賞をうけ、出で入る人は袖を連
ふつき
ね、ます〜富貴繁昌の家とぞなり給ふなり。
寛文二㎞ 五月吉日 三條通菱屋町 収録 屋 仁兵衛
草 木 太 平 記
" 。シ
草本太平記巻上
-
さうもく
なかは いくさ
草木元年ちゃうしゆん牛の頃かとよ、不思議の軍ぞ起りける。故をいかにと尋ぬるに、大
ひさこもさこ
和の國み吉野の里に、色異なる八重機の一本
えだたをや
ありけり。いにしへ若木の花よりも尚色深
く枝姻かなり。誠に共姿槍にかくとも筆に及び語るに詞もなかるべし。又共里近きとこ
す、
がき ひま
きま
ろに年ふるき一むら薄のありけるが、比花の姿を籠の隙に見そめしより、共色深き継とな
り、或日の雨中のつれ〜草に、つくん〜と案じけるは、それ人間は中すに及ばす、鳥
類帝類に至るまで比道に心をかけすといふ事なし、たとへば草木なりともいか?は隔 あ
るべき、比事をたてに正みぬるものならば、あだし野の露と消えなん継までも長き隔と
もなるべし、いかなる風の他にも露のシを送らはやと思ひくらして、観に向ひ花染の
うすやう たかま
こがれたる龍樹に、言の葉をつくしてぞ間えける。邦も酔の山の峰の花、よそながら


・きほ
*き
み吉野の、こひそめ薄穂にいでて、側れ心をつく〜し、杉楽の立つもつらからじと、書き
草木太平記巻上 六二九
- -**} *
六三○
御伽 草紙
途られたる薬の色、みるに思ひの深見草花散る里に術本の、身をっくしても明石潟、と
わたる舟の梶の葉に、かくともつきぬ言の葉を、たれかは花に夕霧の、立つ名を流す川
竹や、涙ひまなきかけろふの、日形まっまの露の身に、深き思ひを継が本、未摘む花の
宴となり、胸の薄雲はる風の、吹きも定めぬつま故に、敷く胡蝶のねも高き、ふちの裏
葉におく露を、挑ひかねたる選生の、宿にかたぶく枕だに、夢の浮橋中絶えて、ふみ迷

ひゆく玉章の、結ぶ契となれかしと、斬る杯の色ふかき
たまかづら
、若紫の隷衣、怨みがちなる君 ゆか





、吹くに蹴るふ玉墓、長き思ひをすょきさへ、獄の床



エ"




せきやうー夕陽

しけき野の草の根ごとにわれぞなく一むら薄うるそめしより ちから
小萩すゞきに力づけ
たより
すふき比文を風の便に送りければ、花は比由をみづ薬の結ぶ二葉のむかしより、梅のか
をる大将に匂も深く相馴れて候へば、四方の置に散らんこと思ひもよらすとばかりにて、
け しき
- せき
気色も強き花垣の言ひよるべき言の葉もなし。すょき比由きくよりも、いかなる堅き石 -
ちく -
おt -
* た ***
竹なりとも、情 にしをれぬ事やあるべきと、往きては還る小車の、しちに心をつくせ
ども、尚っれなきシの胎くけしきもあらざれば、薄も今はェ草かすかくまじとこひ
枕に伏沈み、夜もすがら案じけるは、我身数ならぬ一むら薄の風情して、かやうの色こ
となる花に蹴れそめけるこそ山なけれ、色にうっり香に染むは皆 これ浮世のたはぶれ
暮れゆく秋を思へば、枕にすだく虫の音までも思ひの敷となるべし、とかく浮世をいと

部の細き命を何にかけてかはのべの 、いっれか秋にあはで撃っべ ㎞pし言の ま

一㎞ でも今身の上にしら露の請えかへるよりも他なれば、我らがゆかり 刻 の、道心坊を組
-
㎞ み、ひとへに草木運華の薬にも到らばやと思ひ草、かき集めたる春の夜も程なく明けて
。一朝露の、袖を守ふ折衛に、宮城野の小萩 薄がいほりへ音っれたり。薄かたはらへ招いて
たより
--

いひけるは、愛に文をつくれども返事をもせす、便のなさけをも懸けざりしっれなきも
のありけると、打菱れ語りければ、小萩比山打聞いて、たとへばいかなる花、又はぬし
㎞」ある木なりとも、花の色は移りにけりないたづらにと言ひし事の候へば、みっから言の
㎞一葉をつくして、言ひ魔けんにいと場かるべし、いかなる花にか働れそめけん、怪しと間
一" ひければ、共時すょきは限なく打笑みて胸の数遣火はにいでてそ語りける。もとより小
㎞一我かやうの事にさかしき者なれば、少しも子細あるまじと言ひしかば、筆を執りそめて
草木太平記巻上 六三 一
御伽 草 紙 六三二
山吹色の薄様にかくぞ、
思ひやる花の玉章かすつきて何と薄が言の葉もなし
小萩っかひに行きし事
理; は は

萩 これを薄紫の快に入れて、花のもとにぞ忍びける。折節花の匂ひくる標 の風にさ
そ れて、籠の外に散りかょる共姿、みるに心もさみだれの、ふるき薄が思ひそめけるも
ここ
道 かなと思ひ、まづ小萩とりあへす、
もろともにあはれと思へ山標花より外にとふ人もなし
したば ー舌 歯、 かくたはぶれて詞に花を咲かせつよ、さて〜かやうの事申しいだすもいと萩の、したば
下葉
に除り候へども、除りに色ふかき花の御けしき、死曲のよそに見奉りしも、基へ忍び難
き事にて候へば、せめてはっての御返事をなりとも賜はり候へかし、さのみ魔重ならばこ
うらはー裏 葉、
浦廻
そ藤のうらはに引く網の、まっ言の葉に浅れ聞え、愛名の立つ事も候はめ、笹の小篠の
『衛も、露かる事ありとても、皆くちなしの何とてか言の葉にかけ候ふべき、けにけ
にっれなきシにて候はr、すょきも露と消えなん後には必す㎞の形をあらはし
きご ん くわ をぐるま
死出の山吹山茶花を、くるり〜と小車の、うさもつらさも後の世に、思ひ知らせ申す

#
御伽 草紙 六三四
べしと、或時は目を怒り、或時は枝を垂れていひ怨み、さて彼の玉章を取りいだしければ、
けん、つく〜と案じけるは、さても錦木の手慰に茂るこ

楼ぎ
ひすょき 殊に思ひは深草の、露のせう〜っもりなば、若木も終に耐年の 魔ともやっ一

少せ


れはて、槍の電と消ゆならば、長き罪ともなりぬべし、今は貝花のかごとに露の構をも
かけばやと、思ふ気色に打現れ、終に返事をぞせられける。
いろ〜に花のたつみはつらけれど今はしのぶの草結びせん
萩は比返事賜はり、急ぎすふきがもとにぞ騎りける。すょきは園れ心を空にして、よれ
っもっれっ森の戸を、明けぬ暮れぬと待ちわびて、つゆまどろみける基軍は、薄が氏神
深草の明碑は、是をあはれと思召し、枕上に立ちよりて、何敷く終にあふべき花すょき
と、あらたに聞えて失せ給ふ。すよきは夢さめ打驚き、是ぞ所も深草の頼もしき碑の御告
なりと伏し拝みける折節に、つての小萩は打騎り、すょきに返事をぞさし出す。すょき開一
いて宮城野のなさけも深き小萩かなと、さま〜にぞ感じける。かくて共日もくれなみ」
の花まつ程になりしかば、すょきは草の 表打挑ひ 来の葉のおとっれ、獄草の招くをも
もさこ
君かなどと待ちみたり。共後花もたそがれ時の嵐と共にすょきが許にぞ散りかょる。標
も今は花の 細打解けて、苦の鍵に露をしき、連理の枝に花さく春はありぬとも、心の
花の散る時は初れと、かねて別れを悲み給へば、すょきも優シの花まちえたる心地し








てな心
と千


夜と



山のょ

思ひも
なく
りすふか

千夜を一夜にー
一夜 伊勢



ずら 夜 物語


明つよ
ぬれ


ばに


すがりけ
やう

館にな


告しき




明にる
悲と


っけしぐ

だの



きせ
㎞ め

く時のあらん」
りあ




睦言をー睦言も



ある 互 か

聞い の

かりそめに伏見の野漫の草まくらすょき忘るなわれも忘れじ
古今 折り

えて べし
云々 脱

梅いくさを思ひたつ事




句 績



さそ ー

かやうにたはぶれて、互に聞いてこは日惜しき次第かな、折りえても心ゆるすな山標と
あり
こそ

#

B
かと


ぞ るのらけんり
さける


な義

むい は、を





そばす





べし
れ」

かすみ
梅の推しー推に
あ浅
聞の


包打
よろぞ 花

も、
て推


まる
酸いをかく
い しけるかと、嵐のつて に 散
かい お

ひ何にし






心地
かや


、て


れる


る 問
と しい
白玉か何ぞー伊 へ
勢物語「自 玉か
何ぞと人の問み
し時露と答 へ て
も、かくやと思ひ知られつふ、草むらの中に隠しおきければ、花かぎりなく打記びて、 〜 、プA、し、
うもれぎ
消なまし もの
を」 武蔵野はけふはな焼きそ若草と、言ひしたぐひにも成りぬるものかな、我身かく理木の
草木太平記巻上 六三五
- -
-
- -
-**}- -シ -
- - ーシ
ー、i
御伽 草紙 六三六
花さく春を知らぬ身となり、末の露本の書と消えぬとも 薬際にても忘るまじきは、さま
は電にしほめる 雌花、風に従ふ線萩のゆふべの気色もかくやらんと 見るに養れぬ花は
なし。共後すょきがたくみけるやうは、我等が本國武蔵野に下り、草のゆかりを催し、
旗をあけんと思ひ、よろづの草共をかり集めけるに、まづ新玉の年たちかへれば初薬や
五形、たびらこ、備の座、鈴楽、すゞしろ、これぞ七草、 この若草を初めとし
月もうつろ ふー
績千載「秋萩の て、あるひは月もうつろふともとあらの小萩、波も色ある井手の山吹、あるひは遍昭僧
花野の露に影と
めて月もうつろ 正のわが落ちにきと人に語るなと、たはぶれし鍵戦野の秋のをみなへし、光る源氏の大将
ふ色や、か ふら
ん」 の、白く咲けるはと名を問ひしたそがれ時の夕顔の花、見るに思ひの深見草をさきとし
波も色あるー後
鳥羽 院「玉川の て、いづれも作り花の如くにぞ出たちける。まづ小萩のいでたちには、秋の野に草づく
岸の山吹影みえ き - はずだ かっゆしけさう あふひづく
て色なる波に峠
なくなり」
しの鍵を著、藤紫の椅に刈豊を等 高に負ひなし、露悪魔の弓のまん中握り、発作りの太
わが落ちにきー
古今「名 に めて
刀をはき、花月毛にもぐら置いてぞ乗られたり。その次には木曾の山吹巴の難刀持つ偉
くきずりなが あやめ
て折れるばかり
ぞ女郎花われ落
に、うら山吹の下重ね、紫苑唐草の鎧を草増長にさ つくと著、高蒲の鉢巻結んでさけ、
しやうそく
ちにきと人に語
はるな」
黄月毛の馬にのられたり。さて女郎花の装束には、忍ぶ文字招たかにとつて付け、るんど
もぐらー残を鞍
にかけていふ うの弓を横たへ、黒駒に童の手綱をかけられたり。挑深見草のいでたちには、牡丹花の
りんだうしやうぶ
シの月にえもぎのシりの大刀をはきとう㎞き をかけい
でたり。その外のつはものには、美管、菊薬、菊、葵、しもつけ、紫陽花、けしの花
紫苑、龍鷹、藤務、 結棟、岩藤 花かけちらす駒っなぎ、くる小車の忘れ草、し
のび音による鶴草、立ちこそつゞけ足曳の、大和撫子、唐撫子、がんびおどしの鎧に石
竹の征衛、法師武者には鬱をさきとして、水仙 きいせん、鳳仙花、このぎほうしど
* 一も、いづれもしそう色の鶴に、けまんの旗をさしっれて、静にくるシ合の、さそひっ
れたるシ からあやめ、紫蘭のよろひに あるひは

色々染めっく
したくき
したる鎧 ろ従著たり。いづれも共姿たとへて言ふべき花もなし。さて共外の下草には河原
だいわう いたこり て からくさ たうたで け たで ほ
* すいた
そ ゃ * をょ ti は『いィ 、 イA、
にはひくるーに一 の大黄、虎杖の棺をつき、しのねの征節をにほひくる、唐草には唐薬、毛薬、犬薬の状
くる



べき

)

いるの
づる
はえ





*
* -


こ草、あとには杉菜、木賊まで、締羅を磨いてぞいでたちけ
こ ぐさ
る。線じてあるとあらゆる小草共に至るまで、さうかうを振立てて寄る程に、紫野、内
野、宮城野にすきまもなく入り園れて、尾花が末に吹く風は草の旗を磨かし、野湾に
草木太平記巻上 - 六三七
シ -
* ー シ
"* シェシ
H**
御伽 草 紙 六三八
こさこさこ
かょりける虜に須磨明石の藻聴草ども寄合ひてつぶやきけるは、比程の風の便に言問
なかは しほせ
ミ、 ミ s
ば、都には木草の争ひ牛と聞く、われ〜潮瀬に年をふるとても、流れは同じ草なれば
くがち いくさあ ま ゅ
近きあたりに聞きながら、さてあるべきにあらす、陸地の軍は知らねども、延軍の刈藻 こ *




うち
いくさ



身を奮さんよりは、波の討死せばやとて、寄せくる草を敷ふるに、軍の花を散らすは機
の り る か

ふよ
ちからがは しほ あをの り
臨手ー鞍の前輪 海音、 松も郡新の春駒にシ せょの撃をはやかけて、シきたる鎧には、いっ
づつ




もののぐ ぬれぎぬ
付くる紐 も鍵らぬ大あらめ、ひじき物具著るまょに、波の濡衣はるふのり、皆しほ くびを取り
あまのりー尼に どりに、いづれも槍をつくも髪、そるあまのりに至るまで、磯菜をあけんとゆふ 波に、
かけてい ふ
時をつくるはシ、比海苦どもをほんだはらとして、南は淡路給島が崎聴門の沖
西は撮魔路須磨の艦 基聞きったへ〜、号の濱に三保のせきづる掛けそへて、射るや
八島の浦風にシ布の海艦吹きさらさせ、灘どきをどっと作って、 間々々に控へた
り8
よしの山勢ぞろへ - -
さる程に比事かくれなかりしかば、梅の薫る大将、こはいかにと騒いで、さても隣みを垂
れ助けおきければ、敵となるこそやすからね、それ草のかす多くとも、木の勢に勝つこと
思ひもよらす、さらばくわさんのみんを花のちやうに構へよとて、一門を集むるに、まづ
こ ぼく なつやま
、日 に* 、シ - は - 一r -
樹ー傍訓原本に
従ふ
梅、棚、松、槻、柳、桃花をさきとして、名所々々の古木ども、夏山の茂みの如くうちよつ
くわざん
て、馬を華山に控へたり。さても梅は匂ひ深くて枝たをやかならす、標は色ことなれど
梅 香"

もその香もなし、柳は風をとゞむる縁の締、露の玉ぬく枝ことなれども、匂ひもなく花も
なし。梅が香を標が色にうつして、柳の枝に咲かせたるらんも、このたとへなるべし。
まづ梅の薫大将 その日のいでたちには、楊梅桃李の腹巻に、梅のこだちを結んでさけ、

{
こだちー小太刀
す やり きんだち
と木立とにかく

せ は

紅梅月毛の馬に乗り、素槍おつとり出でられたり。公達には白梅のにほひ、ひようぶの
しらき


うのはのやーう
のはなゃの誤か
花をどしの鎧に、うのはのや自木の弓に自栗毛の馬ひきよ

た は

のきやうはくばいの頃より深き匂ひかなと、褒めぬ者こそなかり は
、 N。『 A j。 uー 、 ㎞
青柳のいと珍しき鎧を著、柳の細太刀個くまょに、葛椅の裾をとつく、川
くつ 、 ミ%、ほ - >
あり〜ー蹴駒 る馬に省をかけ、あり〜と出でられたり。誠に共姿未央の柳もかくやと思ひ知られた
-
ょ7
ち しゆ
の掛撃によそ へ *O
いふ り。さて東山に地主の標、ならびに鍵林寺の花、いづれも花やかにこそ見えにけれ。地 }
からた ち はなうつぼ
うつ
主の標は花橘の鎧を著、唐太刀を偏くまょに、花敬をさもやさしく負ひなし、樺月毛に おほ ぐち
さくら打置き乗られたり。鍵林寺の花は小標をどしの鎧に、花色の大口のそばを高らか
草木太平記巻上 六三九
- ーシーシ
---- - - - -
御伽 草 紙 ハ四○
試* におっとって かいとうの月にシ はなか
㎞ ㎞せんとまれた さ 地山のシ 使はシけと 騒いで
㎞ 肥沙門どうの賞を 、黒木の樹にはなし日#の大刀をはき、黒又字の母衣きぬ間いてさ
馬に鞍おけ」 つとかけ、黒柳の弓にかやおつとり、こかけの馬に乗られたり。比外都あたりの名木に
は、大原や小㎞の花、ならびに隣戦、仁和寺、御室の花、小原、瞬、宇治、藤闘、伏
見本艦の山機に至るまで、咲き後れじと寄る程に、共数千本の花も過ぎたり。さて園々
の獣魔 には越後 、信濃機、伊勢の園に離山の機、昔を忍ぶ志賀の花、花の咲事と日
すさみに山を越え、花の都につきにけり。 年はふれども若木の機 濃華の梅さきがけて
しろに冬ごもらんとくる、程遠き蹴の標に至るまで、一門の大事比時なりと、吉野に
て勢揃へをする程に、百萬騎の勢どもちくばの花を揃へて、けふ九重に句ひ来にけり。
鶴じてこの山 かしこの里の家機、軒端の梅に至るまで、手 に素積をもちばなの引
きもちぎらす績いたり。さて松の大将には加賀の園にシの松 やがて軍にあふみや
志賀唐崎の一つ松、名も高濃の松、墨の江の松、五葉にたっは子の日の松継じて松ふぐ
りをさけたる程の若松小松を引きつれて、まづ東山にて小松が峯に陣をとる。いっれ。一
*ーrー - - ーーー *ー
一㎞。 緑の色をかざやかし、音羽の山の松までも力をるぬは無かりけれ。艦にはいろ〜の興
かども、騎馬の鼻をそろへたり。まっあきばの中将、葉室の中将、紅葉句ひの鎧に朽葉
㎞ の直垂 もみ鳥精子に藤樹の細太刀、いづれも相本の衛門をひきつくろひ出でられたり
* カ
-
きんぐりけ あるひ あやすぎ びやくだんみが
しいー四位と椎| 共外むくけしいの位は園栗毛の馬に乗ったり。或は綾杉、自植磨きの鎧に、弓取り八千
代をこめし玉格、薄色の装束に、抜けば白玉散るやうなるをさしかざし出でたつ。賀茂
山よりはだんのっょじと名乗って さっき色の馬にのり、さみだれ焼刀の太刀を個き
今を盛とさきっrいたり。さて冊の葉武者には丹波の園に朝倉の宰相 霊の腹巻に
唐織の直垂 唐太刀にさんしゃうの目貫うちいでて唐較をおいたる駒ひきよせ ェ
のもみたびにはりがねやって、あぐち高にはいたるは、あっばれ山板の気色やと、日に
㎞ かけぬはなかりけり。伴ふ勢にはてょうち栗、いかものの具を著るまょに、栗毛の馬に
いくさか に さぬ
ゆらりと乗り、けふの軍をかち栗にせんと言ひつれたるは、かきをの棟核よせ具足をき
なかにぎ
るまょに、こねりぎぬの大日に、きざはしの弓の中握り、はりそめるは渋紙のへたけに
うるし せいしっいろ こくしつ
軍をしぬるなと、漆の木に至るまで、負けじといでたつ鎧には、毒薬色の腹巻に黒漆の太
きびっきけ
力をはき、ぬりでの弓をとりかため、鋳月毛の馬に乗り、つゞいて木曾の山よりは、皆ひ
草木太平記巻上 六四 一
六四二
さはらぎ
著長ー原本「き
せが」とあり、今 に継日のはいだてを著ごみにし、いための籠手をさすまょに、構本の号
改む
はい だてー膝甲 〜ときほうの矢を鶴高にとってつけ、 よき鞍の駒ひきよせ、このみかろけにゆ
りと乗り、どるの原にそ控へたり。老設者には西王母 ひたうの腹巻に桃色の鎧き、い
ろにふしかけとったる失も、花しけ魔の弓のェり 橋の馬にこがなしの鞍置かせ
づんばい ー 椿
挑、比桃毛 なし
こょちにおもむく郎等には、樹樹、恋、敵にあたるはっんばい、毛ぎれしたる鏡を著た
一故に毛ぎれ云々
とい へり、又磯
り。同じく橋のあっそんシ隊度の腹巻に帯学の皮のひっしき だい〜博はるシ
をづんばい とい
ふより敵にあた 作りの太刀をはき、みかんよき馬に乗ったるは、誠に一き千本のきはひゃと、聴さ
る ぬ者
るともいふなり くだもの

このみ〜ー木 なかりけり。共外果物どもはこのみ〜の鎧を、われも〜きなりにする。えのみて
の質と好み
くるみー来る身 な
と胡桃
あせぼー汗のた
一め肌に生ずる小
癒をあせぼとい 下草の陰までも、花ならすといふ事なし。誠に九てうをも花の都といひし事、始めて驚
ふ、それを馬酔
木にかく くばかりなり。
宇治茶合戦


やる ん
かくせし程に都近き宇治の里にも、比事かくれなかりしかば、茶園どもはされば“
-」

茶師
ひしめいて、上構の記に森の如く集りて、まづ著到をつくるに、聞き博へ〜何千きとい
ふ数を知らす、総選齢次までつめよって、腰かくる所もなかりけり。さて比事いかrあ
㎞ るべきと とりぐに評定しけるは、敵 せ*らば宇治橋を引き切って、一々にっんき
にせんと云ふもあり、又かしこへなかだちして言ひけるは、我等が縁者のすまひする根
の尾に打寄って、ひく敵を茶目の如くとりまはし、立てかけて討たんといふもあり、共
外すい茶のこい茶の、厳は薄茶のと、すき〜にいひければ、中にもふるきこ茶どもは
持ったる柄約にてなかっきの玉を丁どうち、いかにもたぎって言ひけるは さやうに甘
茶の煎じ茶のと、敵の気を汲みはからんこと、皆新茶の若気にて青き分別とこそ存じさ
むらへ、それをいかにと申すに、 われらがうちは昔より木にもあらす 草にもあらねば、
いづかたへっかんとも申し難し、只この所に控へてわびに力をそへんと、天大しゃかに
シ|いひければ、いづれも那襲あるまじとて、一度に茶をそいでにける。さて共mの茶将軍
㎞一極上之助うちよしのいでたちには、茶緑の腹巻に茶市の大日、茶の質なりのシを猪首
べし
に著、そぐってシ丁どしめ、一そりそったるさしやくどうづくりの太刀をはき、茶の
糖毛なる駒引寄せ、海松シの手綱を結んでさけ、茶のみからけにゆらりと乗り、ちゃせ
草木太平記巻上 六四三
} }
*-** *シ}
シシ **
御伽
草紙

六 -



し こ
ぜん


ざうは

らん
白晒
まを

そなて等せ さき、如風
宇く
が摩
にい
かり
ば二


前後

左右

へつ旗治く雲

びやう
みん
こう
づき
ゆん












みつに

すまに
平て

*

-


こやり
いづ



**



いき
れ朝日山と、輝くばかりにいでたったりしは、あつばれ大将の「勢 やと、ちやどきを揚け
てぞ褒めにける。
茶壺加勢
さる程にさて國々の茶壺共に至るまで、大将に従はんと、愛宕山につめよる程のまつほ共
語彙の荷ひ茶屋のと打乗り〜引きもちぎらすくだって、大勢からはこぐちを切挑ひ
たてをすて、ひき色に見えたる敵あらば、なっきりに切り散らさんと、管足かろく家を
めつけ かぶさこ
いづるは、藤四郎茶腕色の鎧、梁術のはいだてに 丸査のほりいだしうったる電を著 備
前のうちものさすまょに、信楽の弓に弦つけて、葉茶屋電をかる〜と負ひなし ふゆか
せいじ
あふりー障泥 んよきしりぶくらのぶんりんと跳ねたる馬に、青磁のあふりをかけさせ、その鞍巻にゆ
らりと乗り、われも〜と騙けいでたるは、なつめも驚くばかりなり。相従ふつはもの
には、島焼の目利き物、薩摩焼のやらうども、今焼の土につかゆる太刀をはき、敵よせ
こ キ3
来らば肩つきにつきはつて、だいかいにはめんと言ふまょに、水こほしの瀬戸にいっれ
武d LUM-- → ー
**
あられがまくわんつき
も控へたり。共外あると霧金に至るまで星兜を猪首に著、鎖の鎧を長々と鉄付とつてひ
つるかけ て &こり
ったて、弦掛おいたる浮顔梨をてまへも口におし握り、やいばよきかま槍を手取にした
るシ敵に尻失をいかけられ 渡らすものならば末代の靴にもなるべしと、沸えふ
ためいて九輪釜、そのせいほうろく千騎にて、まつかなわに陣をとり、こふを茶せんと一
度にたてたる時の盤、上は自在天国までも聞え、下は雛 の底までも響き渡っておびた
だし。共外の勢共は、橘の小島が崎に夜もすがら営火に胃の星を輝かし、宇治川ながれに
花を散らすもあり、或は茶舟にとりのって燃慮にかける茶の旗を、横の島にあぐるもあ

花燃
扇のしまーしま
は芝の 課か り。これぞかなめの合戦と、扇のしまに頼政のそのいにしへもかくやとばかり、聞くに
むじや うー無
香もかうばしく見るに共色むじゃうゃと 宇治山すりと褒めたるも聖かなと、そのま

%iミ
上、無常
をもちひぬはなかりけり。
草木太平記巻上 六四五
H
御伽 草 紙 六四六
草木 太平 記巻下
* - * み 〜*『
京わらびー京わ さる程に京わらびども寄合ひて言ひけるは、都家々の標咲きも残らぬ、また山里に契り
らべ へうたん
ょ額ータ風に おく花もいくさをすると聞く、いざさらば行きて見んといふ顔の、駆算に酒など入れて
カく はなっ
もっまょに、犯衣の袖をっらねて行く程に、程もなく北山の麓につきぬ。こょかしこの けんぶつ しはみ
㎞。 山々を見せば、 sの花をっられた。議に興ある見物かなとていっれも芝居の
うへにつくム〜しと拉みみて、 かたはらより聞えしは、
いにしへの奈良の都の八重標 け ふ 九重に匂ひぬるかな
又あるかたよりは、
さこもくきずり
春の野にいくたびやりをつくム〜し共草摺に花を散らすか
きうか
かうじの花ー劉 などと折にふれたる草歌など日すさみ、看杯とり〜に遊ぶほどに、やう〜かうじの
-
花にて酒の意に つぶ、み
用ふ 花もあがりしかば、たんほふとて鼓などうちはやし、時の小唄などいと面白く歌うつ舞
-
-
たんほ〜ー蒲公 あをかへでも お時もみず
英にかく
うっ戯れて、その後酒の職に鍵き残したる書魔の燃えいづるをも、時ならぬ瀬組葉の心

-




、と
あり ら やら
や本

ぬあ
「 原


あけ か
誤く

さ みみく
ーさち たり
にかけの


干草間 射
うやかん
さ ー

*

シー
*
}
}
シ 下


太平
草木



々と々もる に


ぐ見
ばあ




よ噛

朝やら

あけ
まべ










れり霧だあし

づらやかんさうなどとて、夜討に馴れたるものあり、足元より這ひかふり取巻くことも

ど旗
は色として
の、
初と桐
を の


花練

ち色


赤白旗
も々めう輪菱旗 見を
山じ






か雲


色て
にへ




どあと
花 あ渡せ
はらゆる さ



青葉
大、












張に





、け助るて よ
つおり

さ 敵


た控
。際


うて
波、

打出
ちらし
か野
駒は号
にを
い、
もて
りるの
づれ
ちけとし
はを
大ば

けれ
明や
〜め





と枕
程を


かくせ
じめ将けうくる。
まか怪






立白川
波に
賀はるとつ茂る 雲
ゆ見
火漫









さて 原












ゆく

ふ袖
。匂





空想
たる
づけ
らん
きれけき楚


きを

くさ
の、
漫野
かた

とを

さ見

こも






もの
つらば
みんれ 然
ひも
をお




いづる
も厳




ひけれ
とい
た等

べあり

ばえけし か

たる
聞に
敵、

ふ方





取〜


さが

おえ陣れるまめくず は
定と
、相
軍 さかた
いく
あて

下花
しの



しょ

山生

にの
い月

や弓て

それ駄かる張め 〜
すの端 暮
や共




か。
しけ騎

家皆
ぞ、

手を
つ花






くせ
う折り
る路

-

さわらび
かぶり

ない



たい

ぶし
したよ





- -
『" jーす !! 。-}シ
!
御伽 草 紙 六四 入

の棺にひるがへって、山を五色に染めなせり。嫡には鴨川を要害に愛き入れ、艦艇部
炭水を引いたれば、鳥ならでは通ふべきゃうもなかりけり
難波津の魔先陣 ぼ たんがらくき きくがらくさ きくャる
さる程に草の陣を見渡せば、霧の幕、霞の幕、牡丹唐草、菊唐草、菊水、藤色、山吹色
すきま
枯極の紋をはじめとして、色々の幕どもを透間もなく打つたるは、錦をさらすに異なら
かたし ゆろ い てふ いつしよ
す。さて花の方の旗頭には株欄、同じく銀査、ならびに蘇鐵、一所に打寄り控へたり。ま
づ様綱は花を招く園層の旗、銀査は風を含める扇の旗、さて蘇鐵は敵をきりさきの旗
いづれも毛深き馬に乗り、鴨川を見渡せば、花の色は水にうつろひ、草は色々に生ひ渡
って、梅花の林に入る如し。その後七草をはやすが如く、闘をどっとつくって、敵は桑
よもぎ こもぐさずり
の号を引き、草は瀬の矢を放つ。いづれもシをゆり合せ、東西の岸に臨んで、 し
かねたる所に、草の陣よりも水を得たるつはもの共先陣に進んだり。まづ難波津の魔、共
日の装東には水色の鎧をきるまょに、魔の征衛を競にとってつけ、月のひしっるくひ すけ を がさ
しめし、よしみつの太刀をはき、魔毛の馬にゆらりと乗り、菅の小笠をかたぶけて、濱荻
をさしかざし、元より水は我物と、白波を立ててぞ泳がせける。つゞく勢には三河の國



くのかみー人の
に八つ橋の根群。名をくのかみに残さんと、さわやかにこそいでたちけれ。花
かみ

の誤か
、名早の
ふてとは邦
。れせ選






入けん
曲たり 期
といふ
乗っ を装たっ





すき


し苗面れん 抜きは
鶴 r

な軍


避いぬるりと束難でけすみ

いく具
渡で

が、
て盤

の漫

ひシ
沼く

のは 灘













るもき さきっ



づ龍


乗せし

き刀
くり

れんげん麗毛ー

悪に



ま園


へシ


みき


るっ

連銭魔毛を運華
たる
に もちりたり



水 際

たってそ見えにける。
際た まかせ







秋の田を人 心をつくるけふかな キ* A
みかたの先陣として、大勢一度にさっと入り、 街を組むが如く、草もうら管元

答とりちがへ、向ふの岸にぞつきにける。大将これを見て、味方の陣をまつさきわけて
だいおんじやう
標いー機いろの一駆けいで、大音盤にて名乗られける。花多しといへども、我等が標いにこすはなし、草
誤か したぐさ いちけ
㎞」は木に従ふをもって、花の下草とは博へたり、ある経にも1華開けぬれば天下皆春とは
いづ
ー」

説かれたりと、槍も響くばかりにぞ名乗られける。さて又難波津の魔も駒を引据る いひ
むかし はんそく
けるは、我等が先祀をいへば、章原の昔よりその巻属多うして、いくらといふ敷を知らす、
草木太平記巻下 六四九
* * }
御伽 草紙 六五○

國土開けしよりまづ始まりぬる故に、草木國土とは説かれたり、木は多くとも草にこす
そ や
ことあるべからすと、言ふより早く魔の征矢をぞ射かけたり。花も小太刀をするりと抜
しのぎ つは
き、錦を削り鎧を張り、きさきよりも火花を散らし、木草も枯れよと戦ひける。その後
風に未の葉の激る如く、世 へさっと引き連き、いづれも 艦をとってそ控へたり。
老松大将の事 おほあらめ こけがなもの
さて二陣の大将には老松と名乗つて、大荒目の鎧に苦金物しけく打ち、松笠なりの胃を
松かげー松陰と
松鹿毛
著、松かけの馬にゆらりと乗りならべ、おほまつのはやりをみどりにし、 金戦と待つ所
に、藤原の離脱と名乗って、花やかにそ見えにけれ。若紫のシの鎧に紫の藤務、同じ
くふちしまの太刀を個き、根曲りの鞍に八っ藤の紋すって、離えたる馬にゆらりと乗り
相従ふ勢共には根にかよるシ いっも髪らぬ盤髪の装束 さてはうらみのシ『き
て又魔をするがなる宇山ペの賞か㎞わけて上りし には 山のさぬかっ*す
しこ ほ・あて
ひかづらるさいかちの鏡に、あけびの頼常、あるひは繊仙花の鎧、あるひはっゞらをり
ふ だう云々ー菊
菊と武道、基 と
の装束、比外ぶだうだいいちごの花かづらども、敷へていふに限なし。比勢を従へて藤波
ぜん* いう
第一 の松にかよるが如く、前後左右より這ひかより、枝にから巻き葉にまっはる。松はもと
より大かなれば、枝を張りはがねを鳴らし、散々にひっきって藤縄に綱うてそ捨てにけ
る、そのシにてはめいほくたいし、我朝にては鬼を従へる 格 もかくやと思ひ知
られたり。垣根を出でくる勢は朝顔、書顔、夕顔、大将と同じく討死せんと、まづ朝顔は
権 の鶴、書顔は照りに照ったるひをどしの鏡、さて夕顔は千厩の腹巻、この三悪をさ
百なり千なりー きとして、百なり千なりといふ数を知らす、命をば駆算よりも艦く、同じ枕に試死して
共に馴の一種
夕顔の露とそ消えにける。シいづれも足を見て、露をしたてぬはなかりけり。
握々菊射殺されし事
その後草の陣よりも菊唐草の鎧を著、裾面黄の鷹軍に菊金物打ったる胃の緒をしめ、菊
銭の太刀に黄金目貫打ったるを、 手の脇に結んで下け、大音あけて名乗られけるは昔
菊みづーきくす より菊みづの流れを汲んで毛㎞の雌を保っシどは我事なり、よからん艦ど討死して菊
みの誤譲なるべ

みづの流れに名を流さんと、敵の陣にわって入り
いにしへもかるためしを菊川の清き流れに名をや流さん
又敵の陣よりも龍田山の離 木と名乗って、葉の鋼の鎧を著、シのそばをとり、赤
そめま かぶら
まんなか
木の弓の眞中握り、染羽の鐘打ちつがひ、花をみて共名はいまだ白菊の大将に矢一筋ま
草木太平記巻下 六五 一
『 Jー ー



R
-



つは
呼葉





ててば
かい との


にかく と
太太白
ー白星 の
ちばり 渡ば
も た射
ーら

*



散山
、た用


いを



まで
至紅の

そ、
外み

高尾
った
つの
らる葉のち 小


西


通雲を



稲は
のく
て倉葉天居荷るり と、
つれ


紅葉
のむら
どころ はて

た討
大に
一勢

紅。
のけか
りょ


抜、

っひ思
ばころじけれ
せ将度葉るきす
かて





ど菊
は園

けり
かな








おて
生是
をらもりきけな よき
か紅
、菊 ばれ
あ、
おも
味。

けに
消と



落葉



散ば
しなべて
をつらし
方るえりっ 鼻、
ら射
てまの
眉狙




放ど
。ちゃう
あと
か詞
、き
涼し
くも
ん中
くまで
血れ間っな間


こ働

を紅。
のけに


踏足




らか
とは



大将
乗り
れ葉るんりゆ

青、
名馬


太の
を一菊





名シ



より
文字
乗っ
らき刀 陣
味所
のに
けか


たへ
。後訓
控大、
知を
数 方るりに将もぞ
といふ
いくら
どより
菊らす に

花と
の、
壇せ
あ輸






















共そば
のしきんく将 。
たり
まに

さき



紅る
染に
時、
らみ
とれせん
つ葉む雨 二


草紙
御伽
なん
絶中


たを
ば射

つき
宿に
みも
田えらるち川

ゆんう
ぎく
かん
ぎく
なつ
し-へ

ぐれ


そシ
外、
さ菊



もふ相


たり
た立
のてつれ




蹴れ
入り





百の
を勢
味翁
と花

日紅
いつう方つこひやくせんおううじけ は
おち
}
-
-
- 『ト *=
もみちー血にか 廣けて組むもあり、或はもみちを流すもあり。物によく〜誓ふれば、吉野初瀬の花紅
葉、嵐に散るが如くなり。ある合戦の歌に、
千々の秋一夜の春にむかはめや紅葉も花もともにこそ散れ
し はう
敵味方東西にさつと引き、四方を遥に見渡せば、麓には花ちる里のけんけども、いざや
味方を申さんと、旗の手を打掲け、曖が継悪いろ〜に、作りおいたる唐服の、シ
き鎧を著、胃の星瓜かゞやいたる、黄金まくはの太刀を偏き、鴨瓜の青羽にてはいだる矢
を、いとしほらしく取つてつけ、黄瓜の弓に弦かけて、くはしめし日よき馬に打乗つた
かし 」は"|り。胃のしのびに足を見れば、姫川の如く薄化粧に研いたり。あっばれ瓜一かしらの
㎞ 大将やと褒めぬ者こそなかりけれ。
いふ
西王明も、を射られし事
㎞ さてシの大事には%の大ショ器かるぐと、そばに くは小*
わらべー島にか| ども、著たる椅をぬぎおき、変の靭にたいとうの弓をはる過ぎて、年よりたる秋の荘別子
くに 至るまで若やぎ討死せばやと、撃を紫に染め、十八さいたるさょけの失の額近なる
シ」をっまよって あひかはにごまからまきの太刀をはき 草の税時給かいたる競置いて、自
草木太平記巻下 六五三
㎞口 」|『シ
=**ュキ* ーコ
"" - - | -
駒に打乗ったり。その外われとおほしき大剛の兵素ども、鏡失を磨きたて、うねめ〜
㎞ 」に橋おひたるに たのもんにはゆき ょのがはいたるシ
㎞のシ一っのロなどがいたるを 本格に吹き散らさせ gに見ゆるはシ
。か一子の如くに控へたり。共後瓜の陣よりも、まくは形うつたるあこだの胃を猪首に著、緑川
㎞ の皮の腹巻に、はゞよき太刀をするりと抜き、敵の陣にわって入り、瓜切りに切ってま
シ|はる。足を見て北山の等が子どもに至るまで、扉々に討死して、そのみは主に理むとも
㎞ 名を撃に残しけるシしけれ。シの上下おしなべて を する所
㎞ に、草の勢も打って、こ を引くなとゆふだもの、シぐるが如くシをそろへて
㎞かけたり。いたはしゃ西王母、そのも を射られて、千年の命をゆふべの にそと
かく めける。脇に控へたる九年母もほふづきに突かれてむくろちをさつと流し、同じ枕に伏
しにける。野漫の千草に至るまで、紅葉にそよぐ雨の如く、 組 とそなりにける。績
く味方はありの質の懇切にせんといふまょに、冬枯の森の相の如くきさきを揃へおっか
くる。草も失種っくれば、 花の穂の如く抜きっれてそ敷りける。花の唯く時もあり、草
の蹴るよ折もあり、互に勝負は見えざりけり。かょりける所にシ合 ェなどいはれし
草木太平記巻下 六五五
- - ---


御伽 草 紙 六五六
つはもの
きりのきー斬り いい % に -
退きと桐の木
きゞつさうの兵者ども、をどしたてたる鎧を著、花を生捕にせんとおっかけて、きりの 〜

青 さ
すまふ ぐ きりもぐさ
とりきー虜と取 きにするもあり、或はとりきにするもあり、 組んでおつるは角力草、
角力 散々に切茨の火花を

)
木 じやう
、 i-
おそ
散らいて戦ひけるが、花は終に打負けて、つめの城にぞとりこもり、引きおくれたる遅
ざくら
けひばーかひば
(飼葉)の術か
標ども草、のけひばに駆け散らされ、将基倒しをする如く、大手をさしてぞ引きにける。
たいこくの花いくさも、かくやと思ひ気の毒なり。
鞍馬おちの事
さる程に草は縁の色をかゞやかし、花の袖をくさりつれ、敵の城を園むこと、七重八重
まがきつはもの
ふたご ころ
に範をゆふが如くなり。かょりける所に花の兵者にさっきとてありけるが、 心の色を
しろ けは し はう
咲き分けて、味方の城に花火をかけ花とぞなりにける。をりふし風は険しく火花の四方
に散ることは、秋の整の如くなり。城へつほみし花共は、けぶりに迷へる火標の、色のは
おいき
がれて散るほどに、花の勢もつき弓の引くに力のあらざれば、老木のこども焼標は朽木う
ほまら あるひ むち き ぶね
、 ニ
を めさき
つほ木の洞に身を隠す。或は落花をせんと鞍馬に鞭うつ花もあり貴船に模さす浮木もあ -
こ ち たより さうくわ
り。共外の花どもは東風ふく風の便をえ、西をさして散る程に、草花どもはさょがにの棺
おはみ山ーおほ きぬがきやま
み川の術が を博ふもかくやと 逃ぐる敵をおほる山 嵐山の風をも闘の盤かと驚き、衣笠山の置をも
「_「。L 。い。シり****り*かとシミ、かシり
族の手かと肝を消し、坂を下るは花車、いよ〜草はかっら川、っきせぬ花はおはる川
㎞の護さかりなれ。物によく〜**れば、シの花 の地に は
㎞ れて四方の霞に散りゆきし共有様に異ならす。共後草は勝闘をつくって、けふの軍の花
㎞。一はこれまでと、元の陣に立ち返り、腕基の露をそ乾しにける。
橋本高名の事
ゼづひきー未詳| かょりける所に楠木正成といふもの、ぜづひきの目も驚く合戦して、味方のはなをあけん
といでたっ。共日の装束には魔難の鎧に議形打ったる兜の緒をしめ、鋼よきかいしのぎ

の名産なり
し のけやきシなるにきくらけいてゆらりと乗り 離野ものシを
風車に舞はいて、若き葉武者を百きばかり従へ、思ひもよらぬ敵の後より関をどつとつ
くりかけ、草の陣へ割って入る。元㎞といふものに四方へさっとかけ散らし、シを
刈るが如く散々に難いだりけり。その有様いにしへの草薙の剣ともいひつべし。古木ど
もは足に力を得、再び花さく心地して、われも〜と立ち返り、こょをせんどと戦ひける。
草の勢はもとよりも油断せし事なれば、八重奮しけるが如く 腕に打寄り控へたり。こ
こを引くものならば築 どもなりぬべし、皆篠原の露となれと呼ばはって、草のはらを
草木太平記巻下 六 ノヘ 五七
御伽 草紙 六五八
雪の下ー鴨足草 シりちぐさを流す有様、いづれもみそ森のもろき露となるもあり、雪の下と消ゆるも
あり、ちり〜草も多かりけり。物によく〜警ふれば、枯野に残る冬草の嵐に吹くが
如くなり。すょき比由見るよりも、この合戦起りしこと我等よりいで来り、速に討死せ
んといでたっ。共日の装東にはかりやす色の飛毛に継の大日きるまょに、はよきの太刀
* 』 -- 、シ -
、さい
をひつさけて、さかけの駒に鞭をあて、達生の露打挑ふが如く、末摘花の細首を挑ひ切り
*
すだれ す*き なか
にぞ切つたりける。その勢は集つて枝を交へ葉を並べて、麓の如く編みつれて、薄を中
にとりこむる。無潮や薄は花籠の花の如く穂にいづべきやうもなし。今はこれまでとや
思ひけん、跡とひ給へ刈菅の道心ばらといひさまに、はら一文字に播き切って、楽が
原の露とぞ消えにける。うへ木した草これを見て、花の袖、草の快をしほりける。さて
も薄は手魔 魔打勝って、一戦に負けし事 員楠木が業なりと感ぜぬものはなかりけり。
標道心の事
さる程に彼の八重機はわれ故不思議の いできぬれば天の部に再びめぐり逢はん末の
臨籠ー臨置標と 契もいさ知らすと、深き思ひは臨電の煙とあらはれ、袖の上の涙はあしたの露と争ひっ
いふ一種あるよ
りいふ つ、ある山に深くつほめる花の形も色外に衰へて、浮世の静まるまでを待たれける。花の
- -
や よ たまづき
心ぞあはれなり。薄も別れし頃は弾生の枠号かへらんことも難ければ、かりの玉章をも
つけて、思ひおく花の、たよりをも聞き博へんと、枕に聞えしその言の葉も打過ぎて、今

は静に糖の葉の皆根にかへると告けしかば、夫の 忍 て都へ
夫 行くへの聞かまはしさに、忍び

う つミ
、上

うつく
ま 現か、夢ならば さむる現のあ
られしが、薄もかくなり給ひぬと聞えしかば、そも夢か



花の 気ひきかづき、伏し沈みたる有様は、しほめる花の如くなり。やょあ
㎞|りて日説かれ

#」は s」の
けるは
れけるは、挑も薄き契は一重機のつらき思ひは、八重九重にかさなる身こそ
そのつま
悲しけれ、せめては共夫の果て給ひし野原の草の露とも消え、又は機川の深きにも身を
""。一沈め、波の花とも散らばやと思ひしが、待てしばし我心、われさへかくなりなば、一むら
薄の亡き跡をも誰かは残りてとぶらふべし、又は多くの草木共の秋の電と消えはて給ひ
しも、ひとへにみづから故と思へば、後の世の報いもおそろし、是を菩提樹の種として、
あんじつつま - *
● シ
庵室の花とも呼ばれ、夫の後生善所をもとぶらひ、無常の風にさそはれば、彼岸機の岸
知らざる事ー知
にも到り、又はこの主に騎らば、再び草木の契を結ばんと、思ひし涙のひまよりも
㎞。 この世にて菩提の種をうる っれば君がひくべき質とぞなりぬる
㎞「。」 さても浮世の物語に、物の道を知らざる事、木の端のやうにいひけれども、人間にたが
-
草木太平記巻下 六五九
**
御伽 草紙 - 六六○
い かめ
ふこと一っもなし。それを如何にとなれば、種を時きそめ
ば、種を しより芽をひらき、同じく花
ひこふし


に句ひをとゞめ、日なしといへども葉もはえ、盤なしといへども一節もあり、耳なしと
いへども物をきくらけの耳がましきをば初めとして、手には手柏あり、おのれ〜に
また
きが よく えん
おほちのふぐり
ー齢㎞の卵
股もあれば、おほちのふぐりも下れり、欲なしとい へども物をみどりにする縁も備 ふよ
みどりー縁、見 ろひおいこ ひっ
取 り、夫婦の道を思ふこと高砂住の江に相生の松を初めとして、その外 路の道には丹花
の唇、美資のまなじり、柳の眉のいとわりなき姿を見ては、おもひばの色をあらはし、錦
木の継衣を重ねて連理の枝とならん事を誓ひ、又かやうに中をわかれては、川柳の敷き
をなし、あるひは薬める花も水を注ぎ露をうけては怒ちに開き、喜びの色をあらはすと
いへども、終には老木となってむもれ木の主に遠らんことをかねて思ひ、跡をっぐべき
継木をもとめて、残るこのみをゆづりはの次第に跡をさかやかす。この道いづれも人間
人天ー人間天上 の愛那離苦、シ苦にたがふ事なし。次には地獄、餓鬼 畜生、修羅、人天、比六道
備の教へに遊ふべからす。厳は玉模金殿、玉の豪の内にして、まづ魔獣の花の開けそめ
ちうぜんてい ぎ
よくー十善帝王
の誤か
し ちうぜんていぎょくのをはにシ、花のこす のききのとかしづかれ、色々
の衣更も過ぎぬれば、うら紫に咲けるふちまづ言の葉に契りおく弾生も末になりしかば、
- ミ のたARも過さなれば、
うら*に*け。 * きり*に丸りも〜***、*りしかば、/
卵の花のむら〜咲ける垣根をも、雲間の月の影かとぞ眺めあかされ、色々の花どもの
色をまじへし有様、これ天上の楽み目の前なり。さて春は青く夏は茂り秋は染め冬は根
にかへる、シのことわり、元より人間にかはる事なし。地獄といっば、あるひは
山林におへいでて眼がっま本となって、 銀のために切りさいなまれ、牛頭㎞の車
。一に載せられて、民の寵に身を癒し、獣は後のために掘めっながれて、没々たるシに浮
シ|け沈められ、前書のせめを受くること、これいづれも阿盤地獄の苦獣にあらすや。又シ
『" はうの木、シのなんどいはれて、合戦の にいづること これ則ち修羅道なり
シシ
す、雨露の恵みをも受け難き風情は、さながら餓鬼道なり。又同じ草木の中にも飛横
シ、或は猿すべりなどと言はれし、只今皆畜生道にかはる事なし。比六道の外に神
道あり、備道あり。まづ開けそめしより 根の碑を始めとして、すべら木のかしこき御
㎞ 代に至りては、色々のシと現れ、扱備道といっば、三如来の観 を始めとして、成は
シシ まれて、シく事、これ又シによると見えたり。 本
國土番皆成備と聞く時は、谷の枯木も備なりと、目前に悟を開き、挑彼の八重機は、終
草木太平記巻下 六六 一
御伽 草 紙 六六二
ころも
にみどりの影
を刺りおとし 花の衣を墨染の標とこそはなりにけり。
古藤 七郎 兵
歌 舞 枝 草 子
。 『* シ
ーー 『ー
*}『""
歌舞 枝 草子
都の春の花ざかり〜、かぶき踊にいでうよ、そも〜これは出雲の國大赴に
-
みこ
赴人にて候ふ、それがしが娘に國と申す巫の候ふを、かぶき踊と申す事を習はし、天下
太平の御世なれば、都にまかりのほり候て踊らせばやと存じ候ふ。
f ふ
古里やいづもの國をあとに見て、末は霞みて春の日の、長門の國府を過ぎぬれば、かょ
しゆく いつくしま
* 一る御世にもあふの術、道せばからぬ魔島や、間ひよる官は厳島、舟のとまりにならたの
濱、釣するわざはうし等の、月にあかしの浦構び、なほ行末は世の中の、なに こ
㎞ー 、一よしあしの、若葉に風のふく島の、淡の波の治まれる、御世には今ぞあふ坂や、念ぐ心
祀島

のほどもなく、都に早くつきにけり。



これははや都について候ふ程に、心静に洛陽の花を眺めばや
に と思ひ候ふ、をりしも春の






な負う

事にたる
名 重つ


か花遊花

ょ のれし見びね
しこ
沖 ょ、色々
歌舞 枝 草子 六六三
御伽 草 紙 六六四
のシを染めて、木の下ごとに眠居して、歌ふもいとさ面自し。そも〜都はとりの花
めいしよ ち しゅこんけん
りやうじゅせん
の名所、地主権理の花の色、鷲のお山に咲く花は、艦船 山の春かと疑はれ、大原や小職
-
み ゆき
の山の花盛、今も御幸や仰ぐらん。さて又返り眺むれば、大内山の花盛、近衛どのの緑
* 一機、シの花にしくはなしと打眺め、天満っ碑にそまるりける〜。
き せんくんじゆ
いかに申し候ふ、今日は三月二十五日、貴践群集の赴参の折柄なれば、かぶき踊を始め
ばやと思ひ候ふ、まづ〜念備踊を始め中さう。光明遍照十方世界、念備衆生撮取不捨
南無阿弾陀備、なむあみだ、南無阿弾陀備、なむあみだ、はかなしや鍋に懸けては何か
せん、心にかけよ弾陀の名跳、なむ阿弾陀備、なむあみだ。
念備の盤にひかれつょ〜、罪障の里をいでうよ。のう〜お國に物申さん、われをば
見知り給はすや、そのいにしへのゆかしさに、これまで参りて候ふぞや。
思ひよらすや、貴践の中にわきて誰とか知るべき、いかなる人にてましますぞや、御名
を名乗りおはしませ。いかなる者と問ひ給ふ、われも昔の御身の友、馴れしかぶきを今
とても、忘るょ事のあらざれば、これも狂言締語をもつて讃備轄法輪のまことの道に入
るなれば、かやうに現れいでしなり。さては比世になき人の、うっょにまみえ給ふかや
さしてそれともいは根の、松の言の葉かす〜に、袖を職ねてきた野なる、右近の事と
夕顔の、花の名残の玉髪、かけても思ひ出でざるや。言葉の末にて心得たり、さては昔
のかぶき人、名古屋どのにてましますか。いや名古屋とは恥しや、なこやかならぬ世
ふしぎー面にか一 の交り、人の心はむら竹の、ふしぎの喧嘩をしいだして、互に今は比世にも、なごやが
。一池の水の泡と、果てにし事の無念さよ、よし何事も打棄てて、ありし書の一節を、歌ひ
㎞ ていさやかぶ 、 さゃかぶかん
あ只うき世は生木に絶ちゃとのう、思ひまはせばきの やのう
。 あ只お國は神の木に猫ちやとのう、思ひまはせばきの薬。
㎞の川瀬の水量、たれを待っゃらくる〜と
もかくー女房 茶屋のおかふに末代そはゞ、伊勢へ七度熊野へ十三度、愛宕さまへは月まみり。
茶屋のおかょに七つの慰幕よのう、一っ二つは瀬語にも召されよのう、残り五っ皆シ
ちゃ。
風も吹かぬにはや戸をさいたのう、さょばさすとて、疾くにもおしゃらいで、あ員っれ
なの君さまやのう、そなた思へば門に立つ、さむき風も身にしまぬ。
歌舞 枝 草子 - 六六五
シー
-
草 紙 六六六
いかに

お國に申し候ふ、これははや古臭き唄にて候ふ程に、めづらしきかぶきを、ちと
どき
もといふ

中さう 今 の程は浮瑠 具
唄を歌ひ申し候ふ、さらば歌ひ聞 せ申さんと、つ
みの拍子打揃へ、調子をこそうかゞひける。
わが慰は月に議雲花に風とよ、細避の駒 かけて思ふぞ苦しき。

山を越え里を隔てて、人をも身をも徳ばれ申さん、なか〜に歌に範とは思ひ候へど、そ
れ吹く笛は奮の慰み、小唄は夜中の日すさみとよ、あかっきがたに思ひ焦れて吹く尺八
は、君にいっもそふてふ、別れて後は又あふしき、春雨のしだれ柳のうちしをれたるを
見るにつけても比春ばかり。
世の中の人と契らば、薄く契りて末まで遂けよ、もみち葉を見よ、薄いが散るか、濃きぞ
まっ散る、散りての後は、訪はす訪はれす、互に心の隔たれぬれば、思ふに別れ思はぬ
か に
添ふ、なさけは天事のものかの。


ぶきの師も時すぎて〜、見物の貴践も騎りければ、名古屋は名残の情しきまょに、待
て しばし〜、歌へや舞へや、拍子に合せて打つつゞみの、とぶろ〜と鳴る碑も、思
ひさこ
ふ中はよもさけじと言ひしも、いたづらに別れになれば、お國は名残を惜みつよ、又
衛こそ師りける。
お騎りあるか名古三さまは、送り申さうよ木離まで、本艦曲群に行き暮れて、ふたり伏
見の草枕、八千夜そふとも名古三さまに、名残をしきは限なし。
よく〜物を案するに、このお國と申すは、添くも大赴の暇に現れ出で給ひ、かぶき踊
を始めつよ、衆生の悪を威はんため、かふるかぶきの 一節をあらはし給ふばかりなり、あ
ら難有の次第かな〜。
歌舞 枝 草子 六六七
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六六八
大正 四 年 四 月 二 十 日 印 刷 有明
行 御 伽
大正 四 年 四 月 甘三 日 発
東京 市 神田 属 錦町 一丁目 十 九 番地

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三浦
印刷 者
・・・・・・・・登
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空許平
東京 市 本 所 匿 番 場 町 四 番地
㎞ 印刷所 国 腹 印刷 嫌 倉 駐 分 王場
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発行所 有 明堂 書店
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