You are on page 1of 104

日语敬语概述

敬语调理法七条
1.相手も自分も、お互いの人格が尊重できる自然な表現をめざし
ます。
2.できるかぎり簡潔な表現をめざします。
3.相手に対して明確に伝わる表現をめざします。
4.誤解を生む表現は、よりよい表現になるよう工夫します。
5.文法的な正誤ではなく、気持ちが正しく伝わるかどうかを優先
します。
6.言葉も人も変わるものだから、価値観の変化には柔軟に対応し
ます。
7.ことばはもちろん、敬意を表わすという気遣いの心を磨きます。

私はこのサイトで敬語の使用を広めようとしたり
敬語の誤用を正そうとしているのではありません。

あくまでも個人の知識欲に基づいて敬語を整理し
自分を磨くためにまじめに製作しているサイトです。
学究的な難解な解釈は、他のサイトにおまかせします(^^;)。

「語楽」では、日常の会話レベルに主眼をおいて
できるだけ多くのみなさんと意見交流したいと思っています。

●敬意表現を使う、ということは「相手の人格や立場を尊重す
る=自分を知る」ということです。敬意表現をうまく使いこなせる
人は、話の内容とともに、人間関係をしっかりわかっている人、な
のです。
もっと単純に言ってしまうならば、「私はあなたにとってこう
いう立場の人なんですよ。
」という宣言をしているということです。
就職活動、仕事、日本の言語の研究、教育指導、いろいろな場面で
「敬意表現のよりよい使い方」が求められています。「その場の人
間関係を理解し、お互いの立場を尊重して、自分の思っていること
を相手に正しく伝えること」が求められています。敬意を払った表
現をしているということが「自分の思いを伝えているようで、実は
相手の気持ちを代弁しているのだ」ということに気付けば、もう敬
語の半分はマスターしたも同然です。

お互いを感情のある人間としてしっかり認めると、ごく自然に
「敬意」がわいてきます。敬意はもちろんですが誠意や好意を伝え
ようとしたときにも、
「話し手」
「聞き手」の両者において表現の基
準がズレていたら、「いやみ」や「不快」に感じたりや「バカにさ
れた」
「なまいきだ」という誤解が生まれてしまうこともあります。
●なぜ「敬語はむずかしい」のでしょうか。
感謝。敬意。その気持ちを伝える言葉が敬語です。その気持ちは
だれでも自然にわいてくることですから、気持ちがわいてきたとき
に敬語を使えばいい、使い方としてはそれだけのことです。

人間関係はとても複雑です。特に日本では、昔から「礼儀・作法
はその人の人格をあらわす」ものとして重視されてきました。です
から、敬語はもともと厳密な使い方をされてきたので、日本語の中
でも特にむずかしい部分だといわれます。しかし逆に考えると、細
やかな気持ちを表現できるので、日本語のよいところだ、ともいえ
ます。むずかしいと思わせる原因は大きく2つあります。

1.「それぞれの立場に対する気遣いを態度ではなく言葉で表現
しようとしている」
2.
「正しいか間違っているかにこだわる」

からです。なんとなく使って許されるならいいのですが、敬語に関
してはかなり厳しく言われることがある。1.はそんなことまでし
て相手に配慮しようとする日本人の細やかな心遣いの見事さ(いい
ときも悪いときもありますが)の典型でしょう。2.は接客をはじ
め対人関係に影響するものなので、みんながとても気をつかってい
るのです。

敬語を使うということは、単に言葉の問題だけではなく、生活上
の礼儀や作法も一緒に考えなければならないので、とても堅苦しく
感じてしまいがちです。苦手意識のある人は、尊敬語・謙譲語・・・
など、学問的な定義づけの言葉だけで拒否反応がでますよね。文法
的に説明するにはとても便利な用語ですが、もっと感覚的に「相手
語」
「自分語」などと定義したほうがわかりやすいかも知れません。
(じゃり説として普及させてみようかな?)

●昔ながらの正確な表現にこだわるならば、ほとんどの人が敬
語をうまく使いこなせていません。敬語には自信がない、と思って
いる人がかなり多いようです。それは、敬語を学ぶ機会がないまま、
日常で「なんとなく」使っているからです。

敬語の間違いについては、あちらこちらで議論されていますし、
たくさんの本が出版されているにもかかわらず、現実にはなんとな
く使っていたり、身近な人から見聞きして覚えた表現を感覚的に使
っている人がほとんどです。ひとつひとつを取り上げて、いくら「正
しい」「間違っている」と議論したところで、なかなか使い方が変
わるものではないし、面倒、難しいという雰囲気だけが広まってい
くように思います。

自信がないしわからないけれど、使わなければならないときがあ
る。間違うと「それはおかしい」と指摘を受けて嫌な思いをする。
「じゃ、正しい表現は?」というと、指摘した人も自信がないし注
意された人も納得がいかない。ますますうっとおしい気分になって
いきますよね。
「敬語なんてないほうがいい」となってしまう。

●敬意が伝わればそれで十分、かた苦しくこだわるのはめんどうだ、
と考える人が増えてきました。
ただ、
「敬語は全く無くてもいい!」という人は少ないようです。
たとえ「敬語不要論派」の人でも、敬意表現を使わずに会話するこ
とはありえないでしょう。「です」「ます」「お客さん」や関西弁の
「おおきに」なども敬語にあたるのですから。他人に対する丁寧な
表現は社会生活上必要です。初対面の人にいきなり「おまえは、
・・」
と話しかけられると、誰でも気分が悪いものです。昔は「御前」と
いうのは高貴な人あてに使う敬語でしたが、今の「おまえ」という
語には、見下しの意味あいが含まれるようになったからです。

使い方が正しいとか間違っているということが重要なのではな
く、あくまでも使う社会の共通認識=感覚の問題なのです。

●日本の社会の構造が、上下関係中心から、横並び主体に変化して
きました。今までの敬語の使い方では、よりよい会話はできなくな
りました。
古くから使われてきた「伝統的な敬語」は、身分をもとにした上
下関係が前提でした。昔ながらの使い方だけにこだわることによっ
て「尊敬語を使うことによって差別的な社会を温存させているので
はないか」と心配する人もいます。これからの敬意表現は「上下関
係に重点をおいて」使われるものから、「お互いの人格を尊重する
気持ちで」使われるように変わらねばなりません。特に社会人とし
ての対話は、お互いに対等でありながら、共に敬意を含むべきでし
ょう。

過去のように上下が意識された頃と、現在では状況が違うのです。
敬語は「お互いの立場を表明する」ものであって、「上下関係を表
すものだという認識は捨ててしまった方がよい」でしょう。

●どのような敬意表現を使うべきなのかなど、言葉に関心を持
つことは、物事を見る目を養ったり気遣いを考えることになるので、
結局は自らの人生を豊かにすることにつながると思います。
「きちんと敬語を使いこなしたい」「いや、敬語は必要と思わ
ない」などは、「どうしてそう思うのか?」という議論になると、
最後には「人としての生き方、あり方」の問題にいきつきます。

「黄色」という言葉しか知らない人と、
「レモン色」
「やまぶき色」
「クリーム色」「パステルイエロー」、さらに「おうど色」「もえぎ
色」「オレンジ色」「みかん色」
・・・を知っている人では、表現力
も物の見え方も違います。食事の時「レタス」
「キャベツ」
「はくさ
い」の違いがわかる人とわからない人では、味も食事の楽しみ方も
違いますよね。結局、物事は「言葉」を所有することによって認識
できる部分が大きいのです。

敬意表現を使うことは、
「相手に対する気遣い」もありますが、
「自分の側の豊かさ」が大きく違ってくる
ということを、しっかり認識すべきです。敬語を中心とした敬意表
現が果たす役割をしっかりと理解したうえで、いろいろなことを前
向きに議論すればいい、と思います。

ま、そんなこんなで、みなさんと一緒に表現についていろいろ悩
んでみましょうか、というサイトであります。
「敬語の基礎知識」

尊敬語

相手の人が、何かをしているときや話している様子に使いま
す。

今西さんがお花をくださる。

今西さんが「おもしろい」とおっしゃる。

謙譲語
相手に対して、誰かが何かをするときや、話しかけるときに使
います。

彼が、今西さんにお花をさしあげる。

私は、今西さんに「おもしろいですね」と申しあ
げる。

「行く」の尊敬語は「いらっしゃる」

「行く」の謙譲語は「うかがう」「まいる」です。
「行かれる」
「行きなさる」は、
「行く」という言葉をそのまま使っているので、尊敬語で
はなく尊敬表現

「行かせていただく」も、
謙譲語ではなく謙譲表現だといえます。

接頭語「お」と「ご」のつけかたのポイント3つ!

■ポイント1■

「お」
「ご」は、相手のことにも自分のことにも使います!

よく、「自分の行為なのに”お”や”ご”をつけるのはおか
しいのでは?」と混乱してしまいがちですが、自分が所有して
いる「物」に、”お”や”ご”をつけるのはおかしいですが、
相手に何かをするにあたって、丁寧で謙虚な気持ちをこめて”
お手伝いをする”や”ご挨拶をする”と表現するのはおかし
くありません。その区別は、次の項で説明しています。

自分につかう例 ●荷物をお持ちします。
●ご案内いたします。
●お慶び申し上げます。
●ご準備できます。

■ポイント2■

「お」は和語(訓読み)、相手の所有物、女性が深く関わる
語につける。

有田さんがお話をされる。(和語)
平井さんのお宅。(相手の所有)
お米。お箸。お鍋。お金。
(女性語)

■ポイント3■

「ご」は漢語(音読み)につける。

池永さん、ご確認ください。

「~なさる」は尊敬表現、
「~する」は謙譲表現

この使い分けができれば、もう基本はできたも同然です!

田中さん(自身)が お 話 なさる。 ・・尊敬表



(誰かが)田中さんに お 話(し)する。 ・・謙譲
表現

尊敬は 「お(ご)+名詞+なさる」
謙譲は 「お(ご)+動詞」 とおおま
かに考えてよいでしょう。
結局、尊敬も謙譲も、どちらも田中さんに敬意を表している
ということがわかれば、敬語の本質を獲得したようなもので
す。

敬語は文の最後につければ十分!

ひとつの行為の最後につければ、敬意は十分表現できます。

「おじいさんは、ご自分でお考えになった作品にご納得
なさらず、
ご自分をお責めになり、涙をお流しになっていらっしゃ
いました。

これは、文法的に誤りはないのですが、やはり、クドい表
現です。

「おじいさんは、自分で考えた作品に納得せず、
自身を責め、涙を流していらっしゃった。」
シンプルな表現が上品感を出す

「ご心配になる」より、「心配なさる」の方が、より上品な
敬意が感じられます。上の「おじいさん」の例でもわかるよう
に、敬意の多用は、しつこく感じられて逆効果です。日本語の
本質として、多弁よりも慎ましい表現がより丁寧に感じられる
し、的確に敬意を伝えられます。

現在形より過去形の方が丁寧

物をいただいたときは「ありがとうございます」より「あり
がとうございました」、退出するときは「失礼します」より「失
礼しました」の方が丁寧に感じることが多いようです。語尾が
柔らかくなることと、過去形にすることで距離が遠くなる=相
手から一歩下がる=謙虚さを強く感じるようになるから、で
す。しかし、その分表現がぼやけるのも確かです。明確に気持
ちをあらわしたいなら、現在形の方がいいと思います。

敬語を使わない敬意表現とは?

「発言の中で、わからないところがあったのですが」
相手の説明不足を責めないで、
自分の理解する力が不足であるという謙虚な態度を表現
している敬意表現
(国語審委)。

「悪いけど、急な仕事がはいったので待ち合わせの時間
ずらしてくれない?」

「悪いけど」と前置きをしたり、変更の理由をはっきりと
説明するなど、
相手の心理的負担を減らす思いやりがある敬意表現
(国語審委)。

「上の の例文からは敬意を感じられない」という人も、た
くさんいます。
話し方が丁寧か乱暴か、によっても印象は違うでしょう。

ただ、相手に対して何らかの気遣いをしているのは、あき
らかです。
わかりやすく言えば、とても好意的である、と言えるでし
ょう。
敬意表現というよりも「好意表現」といった方がよいかと
も思います。
確かに、上下関係を基本にしてしまうと、敬意を感じない
人も多いでしょうが、
社会的立場が対等な者の会話、と思えば、十分に配慮を感
じる表現です。
いろいろ議論がありそうなので、詳しくは、別項で考える
ことにしましょう。

とにかく、相手の人格、立場を尊重する気遣いが含まれて
いる表現
のことを広く「敬意表現」と呼びます。

方言による違い

関西地方を中心に「おる」は単なる丁寧なことばとして使われ
てきました。

「あの方がおられる場所・・」は、丁寧な言葉+尊敬語
なので、
正しい尊敬表現。

標準語で「おる」は謙譲語です。

「あの方がおられる場所・・」は 謙譲語+尊敬語とな
り、
ひとつの行為に謙譲と尊敬を一度に含めるという矛
盾になるので
間違いの表現。

標準語を基準にして正誤を考えるのか。
方言をとらえて、許容範囲を広くとるのか。

このような問題の論議には、専門的な語句の生成論が必要
ですが
基本的には、みなさんの地方の「方言」優先でいいと思い
ます。
身の周りで多用されている表現は、意味が明確なら「可」
とすべきでしょう。
敬意表現に関する知識を 簡潔にまとめてみました。
●敬意表現 一覧表
こちら側の言動(謙譲・
基本動詞 相手の言動(尊敬)
謙遜)
存ずる
思う おぼしめす 存じる
存じ上げる
申す
おっしゃる
言う 申し上げる
仰(おお)せられる
言上(ごんじょう)する
いらっしゃる
いる おいでになる おる(おります)
見える
いらっしゃる うかがう
おいでになる 参る
行く
お出かけになる 参上する
ご足労(そくろう) あがる
おいでになる
いらっしゃる
来る まいる
お越しになる
見える
お見えになる
ご足労(そくろう)
さしあげる
くださる あげる
与える
たまわる 進呈(しんてい)する
お届けする
なさる いたす
する
あそばす つかまつる
食べる・ 召しあがる いただく
飲む あがる 頂戴(ちょうだい)する

見る ご覧になる 拝見(はいけん)する

着る 召す

寝る おやすみになる やすませていただく

お目にかかる
会う
お目もじする

借りる 拝借(はいしゃく)する

持ってく
ご持参(ごじさん)

うかがう
聞く お耳に入(はい)る
承(うけたまわ)る
拝聴(はいちょう)する

見せ ご覧にいれる
る お目にかける
知ら
お耳に入(い)れる
せる

読む 拝読(はいどく)する

お受けになる 頂戴(ちょうだい)する
もら お納(おさ)めする いただく
う ご笑納(しょうの 賜(たまわ)る
う) 授かる
存じる
知る ご存じ
存じあげる
わか 承知(しょうち)する
ご承知(しょうち)
る かしこまりました
亡くなる
お亡くなりになる
ご逝去(せいきょ)
死ぬ される
お隠(かく)れにな
りました
召される
世話 ご面倒(めんどう)
する をかける
あずかる
受け
拝受(はいじゅ)する

仰(あお)ぐ
ご送付する
送る
お送りする
借り
拝借(はいしゃく)する

失礼する
断る ご辞退(じたい)申し上
げる
以下の敬語をマスターするだけでも、かなり違うと思いますよ。

謙譲の表現がよくわかりません。

謙譲の表現は、まず自分の言動にだけ使ってみましょう!

●基本は2つ! 自分の動作の「~する」と「~申しあ
げる」です。
●「する」
「します」
「いたします」
「申しあげます」とい
う順に敬意が強まります。

上の原則に「お」や「ご」をつけてみましょう。
例をあげて、謙譲表現にしてみましょう。

「持つ」 「お持ちする」
「お持ちします」
「お持ち
いたします」「お持ち申しあげます」

「案内する」 「ご案内する」「ご案内します」「ご案内
いたします」「ご案内申しあげます」
★例題★ 次のそれぞれの表現は、自分側(謙譲)と相手
側(尊敬)のどちらですか?

「利用する」
「利用なさる」
「利用いたします」
「利用申し上げます」
「利用します」
「利用になる」

A.自、相、自、自、自、相

※謙譲の意味で使う「利用させていただく」という表現には
難しい議論があります。
※尊敬語は、相手が「~になる」
「~なさる」と表現すればよ
いのです。

尊敬表現がクドくなってしまいます。

敬意の強い順に並べてみたので、次の順番で言葉を選んでみ
ましょう。

1.
「食べる」という意味の尊敬語にスパッ!と置き換え
る・・
召し上がる

2.
「食べる」の「食べ」の、うしろに「なさる」をつけ
る・・
「食べなさる」

3.「食べる」の「食べ」に、「お」と「~になる」をつ
ける・・
「お食べになる」

4.
「食べる」の「食べ」に、
「られる」をつける・・
「食べられる」

5.
「食べる」の「食べ」に、
「はる」をつける・・
「食べはる」

やはり、1.が最も印象がよく、敬意も自然で正確に伝わ
ります。
ただし、それぞれ次のような問題点もあります。

1は、尊敬語がない言葉が多い。謙譲語を間違って使っ
て、失礼になることがある。
2は、明快だが、3と組み合わさり「お・・なさる」とい
うクドい誤用になることが多い。
3は、いろいろな言葉に使えるオールマイティ。丁寧さ
もほどほどだが、続くとクドい。
4は、
「れる」と「られる」の使い分けがあってわかりに
くく、敬意も低め。
5は、主に関西地方で使われますが、違和感のある人も
多い、軽い敬語です。

尊敬語をクドくしている原因のほとんどは、2.3.4.を混
ぜることが原因です!
2.3.を混ぜると 「お食べなさる」
3.4.を混ぜると 「お食べになら
れる」

これらは二重敬語だとも解釈できますが
厳密には間違いだし、言語に敏感な人は無理を感じるのです。
やはり、敬語はシンプルに的確に、が原則ですよね。
あっさり表現することを心がけましょう。

尊敬語を最低限使えたらいいのですが。
それならば、
「いる」
「言う」
「食べる」を確実に表現しまし
ょう。

「いる」の尊敬は 「いらっしゃる」「おいでになる」
「見える」です。
「**さんはおりますか?」は
謙譲語です。敬意の対象には使いません。

「言う」の尊敬は 「おっしゃる」
(「おおせになる」
)で
す。

「**さんが申しましたとおり」は
謙譲語です。敬意の対象には使いません。

「食べる」の尊敬は 「めしあがる」「あがる」です。

「どれをいただきますか?」は
謙譲語です。敬意の対象には使いません。

●「おられる」について
結論からいうと、
●「私ならここにおります」と、自分に使うのは正しい用法。

●「横井先生はおりますか」と、敬意を表すべき相手に使うのは
誤用。

●「今、水瀬社長はおられますか」は、誤用とも正しい用法とも
いえる。

ということになります。
「おる/おります」というのは、
「いる/います」を丁寧に表現した
もので、厳密には尊敬の意味は含まれていません。
●「鳥、岩の上に集まりをり・・」(鳥が岩の上に集まってじっと
しており・・土左日記)

「をり」は、もともと、物事が継続している状態をあらわすこと
ばで、上の例のように「おる」は動詞の後ろについて、その動作の
継続を慎み深くあらわす性質をもっていました。その後、ある状態
にじっと固定されている=縛られている、我慢する立場、という意
味あいから自分を卑下する語=謙譲語としても使われるようにな
りました。「”おる”は謙譲語だ」と定義すると、相手側の動作に
使うのは正しくないといえます。
敬語は人間を対象にしか使われません。あくまでも、対人関係を表
す表現だからです。ですから、「鳥がおる」「雨が降っております」
は、単なる丁寧語の「おる」です。
同じ用法の「私はここにおります」も、丁寧語の「おる」が本来
の意味のはずですが、この言葉に丁寧さを超えた敬意を感じるよう
になり謙譲語の「おる」としても使われるようになりました。この
丁寧語の「おる」から謙譲語の「おる」へと変化したことによって
言葉の使い方がまだ混乱しています。

丁寧語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と使
うなら、丁寧語+尊敬語の形は語法上矛盾しないし、正しい表現だ
といえるでしょう。一方で、謙譲語の「おる」に尊敬の「れる」を
つけて、「おられる」と考えるなら、謙譲語+尊敬語で矛盾した敬
語の重なり、という点で、誤用だといえます。

関西地方を中心に尊敬の意味で「おられる」が使われているので、
もう「おられる」は尊敬表現として定着しているといえると思いま
す。

●過去形と現在形
部屋に入るときに「失礼します」、部屋を出るときに「失礼しまし
た」と使う。この場合は「現在」と「過去」という時制での使い分
けですが、敬意を表すときの過去形と現在形の使い分けは単に時制
の問題でなく、あくまでも「距離感」の問題だととらえるべきです。

「現在形」は、 「相手との心理的距離が近い」「簡潔」「明確」
「強く主張」
「過去形」は、 「相手と心理的距離がある」「より謙虚・丁寧
に」「弱くやわらかく」

という印象で使い分けることになります。退室時には「失礼します」
も「失礼しました」も使えます。さらに「失礼いたします」「失礼
いたしました」の方がより丁寧です。つまり、「現在形」「過去形」
両方が使える場面では、その場に合わせてどちらを使ってもいいと
いうことです。あとは、その場にあわせて、どちらの雰囲気があう
のかを考えるべきでしょう。

よく問題になっている「ご注文は、以上でよろしかったでしょう
か」という表現も、過去形にすることで相手との距離が遠くなる=
遠慮=丁寧という構図から生まれた表現でしょう。ただ、一般的に
は時制の感覚でとらえるものなので、違和感を強く感じる人も多い
ようです。「過去形の敬語」は若い人が接客でよく使うというデー
タがありますが、みなさんの周りではどうでしょうか。さらに過去
形を重ねた

「これで、よろしかったでしたか」

という表現は、ほとんどの人に違和感があるようです。しかし、言
葉は「正誤よりも感覚的に使われる」ものです。丁寧さを高めるた
めに、いずれ使われるようになるかもしれませんね。

●学校の敬語
生徒は先生に対して、敬語を使わないようになってきました。
先生と生徒の関係は親しさ重視に変わり、「友達のような先生」を
望む雰囲気が広がってきています。ただ最近では、親しい存在であ
ってもいざというときには愛情を持って厳しく叱ってくれる先生
のほうが信頼できる、というアンケート結果もあります。

現在の学校教育においては、敬語の学習はいわゆる「国語」の
担当となっています。資料集(便覧等)などには簡単な図入りで敬
語の解説があります。現実には系統立てて学習されることは少なく、
コラム程度の扱いの中で取り上げられることがほとんどです。唯一、
といってもいいほど、系統立てて敬語を勉強するのが中学、高校の
古文学習でしょう。「~たまふ」「奉る」「候ふ」などです。文脈を
とるためには誰に敬語を使っているのかという問題は避けて通れ
ません。もちろん、大学入試には欠かせない知識です。しかし、そ
れらの敬語が今の言葉につながることがほとんどないために古文
の世界だけの学習になってしまっているのが現状です。

もともと学校は、人間としてはじめて体験する開かれた社会で
した。家族と離れてはじめて他人の目上と接して、どういう言葉づ
かいをすればいいのかを身をもって学校で知っていったのです。戦
前は「教師と生徒」「先輩と後輩」という厳然とした上下関係があ
りましたが、戦後は親しさのウエイトが大きくなり、
「教師と生徒」
の上下関係はなくなりました。子どもは敬語を使わずに友達感覚で
対等に話し、(タメぐち、といいます)若い先生は、けじめをつけ
すぎて生徒に嫌われることをいやがるようになりました。保護者が
子どもと一緒になって教師の悪口を言い、教師は、親や子の姿を見
て嘆く。そんな時代の中で、子どもたちは、教師だけではなく、結
局は親を含めた大人を尊敬することができなくなってきているの
かもしれません。

「先輩と後輩」は主に学校の部活動の中で作り上げられてきま
した。もしかすると、今の子どもたちの学校生活の中で上下関係に
拘束されるのは部活動・サークル活動だけかも知れません。少子化
や部活動の衰退の中で、こうした人間関係を体験しない子の方が圧
倒的に多くなりました。

確かに今までのような上下関係から生まれる敬意表現は不自然、
不快なものとなっていくでしょう。特定の人だけに強い敬意を強制
するのはおかしなことです。お互い人間として対等な中での敬意表
現に変わっていくべきです。しかし、自己中心的な、気づかいのな
い会話ではいけないと思います。なぜいけないのかというと、表現
の内容や人格が誤解されてしまうことがあるからです。もちろん、
商売がからんでくるとなおさらです。

今は、言葉の問題以前に解決しなければならないモラルが混乱し
ているので、言葉も混乱してしまうのです。

●家庭での敬語
現在の日本の家庭は、教育的な機能が弱くなりました。「家庭」
という表現自体があてはまらないことも多いと思います。「家族」
という言葉の定義も、もう一度考え直さなければいけません。さら
にいえば「親」とは何か、こんなことさえ、はっきりしなくなって
きました。問題点の指摘はできるが、自らが実践できない親。権利
は徹底的に主張できるが、義務はできるなら避けたい親。子どもた
ちの前でいい手本になろう、という教育的自覚の不足した親。新し
いことや知識は親よりも子どもの方がうわて。知識、体験、柔軟性、
体格、すべてで子どもに負けたようになり、子どもを教え諭すこと
ができない親。マナーやモラルを身につけられないまま大人になっ
た親たちには、敬意をもつことや言葉だけでなく、生き生きとした
人生すら子どもの世代に伝えられないとしたら困ったものです
が・・・
昔は時の流れがゆっくりで、お年寄りの知識はそのまま時代
の生きる知恵でした。
今の時代の流れの速さの中では、年をとるほど時代遅れになる。
大人が高校生のブームに合わせて受けをねらったり、若い世代にこ
びる大人が増えました。いろいろ若者の問題が取り上げられ騒がれ
ていますが、それらは若い者の責任ではなく、そういうふうにしか
育てられないおとなたちのせいだ・・・ということは、おとななら
誰もがわかっていることです。

子どもはやはりおとなを見ています。「挨拶をしなさい」と愚
痴を言う前に、自らが挨拶しましょう。
「言葉づかいがなってない」
と嘆く前に、自らが実生活の中で手本をみせましょう。家庭という
のは、学校なんか足もとにもおよばない、大切な大切な教育現場で
す。懇談や面談で「父が好きです」「母を尊敬しています」という
子どもたちの親には、はっきりとした傾向があります。
1.仕事か趣味か、何か好きで夢中になることを持っている。
2.他人をほめることができる人である。

子どもにとって、確かに輝いていて魅力があるのです。自然に
敬意が生まれてくる、そんな環境がうまれたなら「敬語の正しい使
い方が・・」ということもなく、自然に敬意表現ができるようにな
るかもしれません。

「~いただく」と「~くださる」の違い
「少々お待ちいただけますか」と「少々お待ちくださいますか」
という表現はどちらも使えるようですが、この表現には違いがある
のでしょうか、それともどちらをつかっても問題ないのでしょうか。

よく似た敬語の表現で迷った場合の解決法は2つあります。
1.敬意を含まない「基本語」に戻して表現してみる。
「いただく」と「くださる」の基本語は、それぞれ「もらう」
と「くれる」です。どちらも「相手から物を受け取る」行為ですが、
基本語に戻してみると違いがはっきりします。自分側の行為であれ
ば「もらう」=「いただく」=謙譲語。行為の主体が相手側にあれ
ば「くれる」=「くださる」=尊敬語です。
●こちらから依頼した 「持ってもらう」=「持っていただ
く」「お持ちいただく」
●相手が自分からしてくれた 「持ってくれる」=「持って
くださる」
「お持ちくださる」
主体による使いわけがはっきりすると思います。

2.文末の表現を「基本形」
「疑問形」
「命令形」などに変化させ
て比較してみる。
「この問題についてお考えいただく」と「この問題についてお
考えくださる」を比べてみましょう。
「お考えいただく」は「依頼」、
「お考えくださる」は「感謝」の気持ちが感じられますが、命令と
して「お考えいただきたい」
「お考えください」と使った場合には、
こちら側からの依頼が含まれる「お考えいただきたい」の方がきつ
く感じられると思います。やはり「いただく」にはこちらの思いが
強く含まれていることがわかります。

例文の「少々お待ちいただけますか」と「少々お待ちください
ますか」は、
「~か?」という疑問形=依頼の表現です。
「こちらか
らお願いして待ってもらう」のですから「お待ちいただく」という
表現の方がふさわしいということになります。相手から「待たせて
もらいます。」と意思表示された場合には「お待ちくださる」と表
現するのがよいでしょう。「くださる」は相手の気持ちを受けるの
で「えっ、お待ちくださるのですか!?」「私みたいな者を好きだ
といってくださるのですね・・」という感情的な表現ができるとい
うことです。逆に「~くださる」がなじまない場合があります。た
とえば、こちらから無理にお願いして何かをしてもらう場合です。
「手伝っていただけることになりました」とは言えますが、「手伝
ってくださることになりました」とは言えません。後者の表現では、
相手が自主的に手伝おうとしているように感じてしまうので、ニュ
アンスが違います。
整理すると以下のようになり、
「いただく」
「くださる」にはそれ
ぞれ3つの基本的な意味があることがわかります。
「~いただく」と「~くださる」の違い
A.待っていただく(依頼) B.お待ちいただく(依頼)
C.お菓子をいただく(もらうの謙譲表現)
A.待ってくださる(尊敬・感謝) B.お待ちくださる(尊
敬・感謝) C.お菓子をくださる(くれるの尊敬表現)

どちらにしても相手に対する働きかけの表現なので、「すみま
せんが、そこの本を取っていただけませんか」と「すみませんが、
そこの本を取ってくださいませんか」などのように感謝や尊敬の気
持ちをこめて依頼する一般的な行為には、厳密な使いわけは必要な
いといえます。
「こちらが無理にお願いする場合」
「相手がぜひした
いと意思表示してくださった場合」に限り使いわけるのが自然でし
ょう。書面で表現する場合ならともかく、その場でぱっと表現しな
ければならない会話の中では、現在ではこの2つの表現はほぼ同じ
意味あいを持っていると言えるでしょう。

●敬語は不要だと思う 「敬語不要論」
日本語に敬語は不要だ、と主張する人がいます。このサイトを開設
した当初も、そういう趣旨のメールをたくさんいただきました。し
かし、最近、そのようなメールがまったく来なくなりました。れっ
きとした敬語である「です」「ます」までも不要だということにな
れば、おかしいでしょうし、
「敬語がいけない理由があるとしたら、
それは敬語自体の問題ではなく、その使い方に問題があるからだ」
ということをわかっていただけたからでしょうか。
正確に言うなら、敬語の中の「尊敬語は不要だ」という意見がほ
とんどのようです。敬語は不要だと主張する人によって、意見には
おおきなバラツキがあります
不要だと考える理由の主なものを挙げてみます。

1.難しいし、日常で堅苦しく考えたくない。
2.礼儀や形式にこだわりすぎるのはよくない。
3.言葉よりも態度のほうが大切。態度で十分示せる。
4.使っている人が少なくていい加減なものだから。
5.よくわからないから、使うのがうっとうしい。
6.上下関係を生む敬語は、人格対等の考えに合わない。

部分的に不要だと考える人たちもいます。

7.尊敬語・謙譲語は必要ない。
・・言語学的に煩雑、差別に代表される社会の上下構造を
再生産している、など
8.尊敬語は必要ない。
・・謙譲語だけで十分、相手の言動に気をつかって持ち上
げるのはクドいし不自然、など
9.謙譲語は必要ない。
・・敬意を表する相手の行為にだけ敬語を使えば十分だ、
など

もう一度整理してみましょう。「相手のことを気づかう」という
ことはどういうことでしょうか。「同情する」
「助ける」「相手の気
持ちになる」という考えの中には、自分の立場の方がなんとなく上、
または有利になっている、という状況が含まれています。「させて
いただく」「わたしなんかには・・」という考えには、自分の立場
をなんとなく卑下している気持ちが含まれています。そうではなく
て、大切なのは「お互いが対等」であるということです。対等、平
等になるということは、「みんな同じだ!」ではなく、「みんな、ひ
とりひとり違うんだ!」という認識を強くもつことです。個性を認
め合うことは、簡単そうで実は、勇気のいる大変なことです。

お互いが「押しあって対等」な関係を作るのか。
お互いが「慎みあって対等」な関係を作るのか。
お互いが「押したり引いたりしながら対等」な関係を作るのか。

いずれにしてもそれなりの「バランス感覚と努力」が必要だと思
います。お互いの心が通じ合うのは、態度と言葉のたった2つの手
段。言葉だけでもなく、態度だけでもなく、その両方を精一杯使い
切ろうという日本的発想なら、敬語はとても有用な働きをしてくれ
るはずです。もちろん言葉に頼らずとも、心を十分伝えることもで
きます。「二人の愛に、言葉はいらない・・」これもある意味で真
実です。

敬語不要論は1~6のような感覚的なもの、7~9の語学的なも
のだけではなく、

自分のまごころはどうしたら伝わるのか、
自分のまごころはどうしたら相手がきちんと受け止めてくれ
るのか、
という、難しそうで、実はとても単純な「心づかい」で判断しなけ
ればいけないと思います。

●謙譲語・謙遜語(けんじょうご・けんそんご)
相手に敬意を表して、こちら側の行為をひかえめに表現する言
葉遣いです。

自分や身内の言動、呼称などに謙譲語・謙遜語を使います。こ
ちら側の言動を「ひかえめ」に言うことによって相手に敬意を示し
ているので、敬意の対象は相手、言動の主体は自分側です。

私は、謙譲語の中でも特に「自分自身の言動に使う謙譲表現」
を「謙遜語」とよぶことにしています。謙譲語はひかえめな表現で
すが、相手を不愉快な気持ちにさせることもあります。あまりに強
い謙遜の言葉や、意味のわからない使い方は、逆に相手を不愉快に
させますし、場合によっては「いやみ」や「卑屈な態度」だと誤解
されます。「もっとも日本的な敬意表現」であるだけに、その心の
内面は読みとりにくいときもあります。

●尊敬する相手に何かをしかける「こちら側の動作」で使う。
●同じ表現であっても、いい意味なのか嫌みなのか、その時
の態度に左右されることが多い。

というのが謙譲語の特徴です。

どんな表現があるのかは、敬意表現 対照一覧表をご覧くだ
さい。
●ございます
基本語は「ござる」という尊敬語です。それに「ます」を加
えた「ござります」が生まれ、とても敬意の高い尊敬語として相手
の動作に使われていました。

殿がござりました (来るの尊敬語)
座敷へござりませ (行くの尊敬語)

「ございます」は「ござります」が変化して生まれた語です。
江戸時代の終わり頃から使われ始めているようです。よくよく調べ
てみると、「ござる」→「ござります」→「ございます」というよ
うに、だんだん変化したという単純な流れではないようです。「ご
ざる」は尊敬、「ござります」はとても強い丁寧な尊敬で、「ござい
ます」はくだけた表現というように、使い分けられているのが用例
からうかがえます。整理すると、それぞれの表現は似ていますが、
別の言葉としてきちんと使い分けられていたことがわかります。

●ござる 「御座ある」が変化したもの。
「ある」「いる」
「行く」「来る」の尊敬語。ほかにも、空腹になる、夢中になる、
恋をする、腐る、変化する、だめになる・・など多数の意味に用い
られていたり、「身どもは京の者でござるか」などのように丁寧語
としても用いられた。
●ござります 「ござる」+「ます」で、とても高
敬意を表す。「それは誠でござりますか」などの表現は、「ござる」
を使う人よりも身分や地位の高い人にしか使わなかった。
●ござり申す 「ござる」+「申す」で、特に敬意を高
めるのではなく、丁寧さを前面に出した表現。自分側に使うことも
多かった。
●ございます 「ござります」から生まれたが、敬意は
ずっと低く、ちょっとした丁寧語としてだけ使われていた。さらに
省略して単に「ござい。」と使うことも多かった。

さらに時代が進んで「です」が使われるようになると、「ご
ざいます」は古風に感じられるようになり、口語ではあまりつかわ
れない表現になりました。しかし、「です」が広く普及するにした
がって「です」はだんだんあたりまえになって敬意が感じられなく
なってきた。そこで、「”です”をさらに丁寧にした表現」という
ことで「~でございます」が新しい丁寧表現の代表として再び広ま
りました。「特別丁寧体」や「御丁寧体」として特別扱いする学者
も多くいます。このように、ちょっと込み入った経緯がある言葉で
すので、尊敬か、謙譲か、丁寧か、正しいのか間違っているのかわ
かりにくいのです。単純にまとめてしまうと次のようになります。

「ござる」「ござります」「ござり申す」「ございます」はそ
れぞれ発生の時期が違うが、別々の役割のある言葉として使われて
いた。昭和になって男性的、古めかしい表現だとしてだんだん使わ
れなくなったが、「です」の敬意がなくなるにつれ、さらに丁寧な
表現として「~でございます」が普及しはじめた。
一方で、やはり古風に感じられる表現であるということと、
相手の動作に使うにははっきりとした尊敬の意を表した方がいい
という流れの中で、丁寧と尊敬が混在している「ございます」より、
明確な尊敬語である「~でいらっしゃる」という表現が少しずつ普
し、置きかえられつつある。
困ったときには「ございます」の部分を、基本形に置き直して
みるとわかりやすいと思います。

1.なんでもございません。 (なんでもありません)
2.私は中澤でございます。 (中澤です)
3.あちらのテーブルにございます。 (テーブルにあり
ます)
4.村上様はあちらのテーブルでございます。 (テーブ
ルです)
5.2階でございます。 (2階です)
6.書いてございます。 (書いてあります)
7.その商品はございます。 (商品はあります)

どんな言葉に続いているかという別の視点から表現をみると

A.~でもございません。 (ありません)
B.~にございます。 (あります)
C.~はございます。 (あります)
D.~でございます。 (です)

となり、A.B.C.は尊敬語としての用法で、Dの「~でご
ざいます」だけは、前に続く語には関係なく丁寧語としての表現な
のだとわかります。

●さ入れ言葉
助動詞の「せる」「させる」は
そのまま使うと「~してもらう」という命令的な表現(使役)
になりますが
「いただく」と一緒に使うことによって、こちら側の謙虚な姿
勢を表現できます。

何かを「させていただく」という表現です。

五段活用の動詞(「読む」
「置く」「歩く」等)には「せる」を、
それ以外の動詞(「受ける」「着る」「建てる」等)には「させ
る」をつけるのが原則です。

本来「せる」をつけなければならない動詞に「させる」をつけ
るという
誤った表現が「さ入れ言葉」です。

●「読まさせていただく」
●「置かさせていただく」
●「歩かさせていただく」

これらは、原則から言うと、
「さ」は不要で、
「読ませていただ
く」と表現するべきです。

ら抜き言葉は「ら抜き表現です!」と指摘してくれるワープロ
もありますが、
この「さ入れ表現」は全く変換してくれません。
これらの表現は不自然に感じるのが一般的感覚です。

「話す」や「写す」などのサ行に活用する動詞は「せる」がつ
きますが
「話させて」「写させて」となり、
形の上では「させる」がついているような感じになります。
これらの言葉に引きずられたりして「さ入れ表現」になってい
くようです。

このさ入れ言葉を使う人こそ、典型的に敬語が弱い人だ
と言えるかもしれません。

また、
「書かせて」と「書かして」の違いがあります。
本来の言葉は「せる」だから、
「書かせる」が正しいのです。
しかし「書かして」も広く使われているので
間違いだと断言できなくなりました。

●読ませてもらう、読ましてもらう
●受けさせてもらう、受けさしてもらう
●考えさせてもらう、考えさしてもらう
●常体と敬体
敬語を含まない文体を「常体」といい、敬語を含む文体を「敬体」
といいます。

●「考えた」 ・・常体

●「考えました」・・敬体

「ます」という敬語(丁寧語)を含んでいる方が敬体です。
丁寧語や美化語も敬語なので、使われていれば「敬体」です。
学生のみなさんなら、テスト問題の発問でその違いをよく見かける
と思います。

●「次の問いに答えよ」が常体。
●「次の問いに答えなさい」が敬体。

常体の方はなんとなく押しつけがましさを感じますが、
実はそれが日本語の標準形なのです。

「昨日は晴れました」という敬体から、さらに踏み込んだ

●「昨日は晴れでございました」

という表現のことを、「特別敬体」ということもあります。

●主語の省略
日本語は「察しの言語だ」と言われることがあります。
世界に誇る日本文学「源氏物語」には、主語がほとんどありま
せん。
では、どうして主語がなくても対象となる相手がわかるのでし
ょう?

今日は友だち夫婦2人を自分の家に招待して、
みんなで食卓を囲んでいるとしましょう。
夫婦2組、そしてこども1人の5人だとします。

A「どうぞ、めしあがってください。ちょっと味が濃いかも
ね。」
B「ねえ、もう食べていいの?」
C「残さずに食べろよ。

この例文には立場を特定する主語はありませんが、
だれなのか、だいたい想像できるはずです。

Aは招待した側の奥さん。
Bは子ども。
Cは子どもの父親。
Cは「いただきなさい」ではなく「食べろ」と言っているので
Aさんの夫。
・・つまり3人とも招待した側の家族だとわかります。

つまり、日本語は敬語の使い方で誰の発言かわかるのです。
もし敬語がなければ、誰の発言かわかりません。
敬語が不要といいきれないのは、自然に敬意表現を使うのが
日本語の会話の宿命だからです。

逆に、敬語をうまく使えないということは
相手に正確に伝わらない、会話がしにくい、ということが起こ
ると思います。
敬語に苦手意識を持っている人も、実は敬意表現をしっかり使
いこなしているのです。

●絶対敬語
たとえ身内に対してでも、話題の人が目上であれば
いつでもどこでも誰に対してでも敬語を使う用法を絶対敬語とい
います。

自分の親で例を挙げると、目上の人への伝言で

●「父は、しばらくすると帰る、と申しております。」が、現在
の一般的用法。
●「お父さんは、しばらくすると帰る、とおっしゃっています。

というのが絶対敬語。
自分の親に尊敬語を使っています。

日本では古来、絶対敬語が使われていました。
妻や子は主人の行為については常に尊敬語を使っていました。

●「わが夫、家斉が仰せになりました」 などです。

また、「平安時代の敬語で天皇、上皇、皇后、皇太子などにだけ使
われた敬語のこと」
を「絶対敬語」ということもあります。

●尊敬の接頭語について
「おー」
「みー」「おみー」「ごー」など、言葉の前につける
言葉を接頭語、または接頭辞といいます。相手に関する語につく
と尊敬語になります。たとえば「おからだ」 「みほとけ」
「おみ足」
「ご出発」などです。「お」「み」「おみ」は和語につき、「ご」は
漢語につくのが原則です。ただし、 「お弁当」などの食に関する言
葉や、
「お勉強」などの教育・育児に関する言葉には漢語でも「お」
がつくことがあります。女性の生活に身近な言葉は、和語、漢語
は関係なく「お」が使われてきたようです。反対に、挨拶の言葉
で、「ごゆっくり・・」など「ご」が和語につく例もあります。
「お
み」は母音で始まる語につきます。「おみ足」がそうです。「おあ
し・・」となると、母音が重なり、発音しにくいからです。あくま
でも原則であって「おみくじ」などの例もあるにはあります。

接頭語が適当がどうか判断する基準は「あなたの~」と意
味にあてはまるかどうかです。接頭語をつけるときは「相手が所
有しているもの」ということを意識すればよいのです。たとえば、
自分の車のことは常に「車が・・」と言い、相手の車の場合はあ
なたさまの車という意味ですから「お車」とすればよいのです。
接頭語のつけかたは簡単ですね!

外来語には「尊敬の接頭語」はつけないのが原則です。「お
茶」「おはし」は良くても「おコップ」「おジュース」はだめだと
いうことです。たとえば「おビールでよろしいですか。」は、人間
ではないもの=ビールに敬意をつけているので本来おかしいので
す。ただし、酒、ビールは接待の場ではとてもメジャーな飲み物
ですから、一方は「お酒」と接頭語をつけているのに、一方は「ビ
ール」ではバランスが悪いと考えるのが自然ですから、接客で強
い敬意を表したいときには例外的につけていてもおかしいとは言
えないでしょう。相手へこれから差し上げるが今はまだ私が持っ
ているビール・・・相手のものか、自分のものかもはっきりしな
いものですから、いわゆる業界用語だと考え特別扱いしましょう。
だれが聞いても「おワイン」などは不自然ですものね。

もうひとつ。
「貴」と「御」の使い方です。はっきり言って、
現状ではほとんどの名称に「貴」
「御」をつけて問題ないようです。
病院の呼び名は「貴(御)院」「貴(御)医院」「貴(御)クリニ
ック」などですが、とにかく名称の後ろをとって使えばなんでも
よい状態ですね。
「貴」がつくものは「御」をつけても問題ない場
合がほとんどですね。原則として文書は「貴」で統一していいで
しょう。身近になるほど「御」になる傾向がありますが、それも
前後の文面や会話の内容によって合う合わないがありますので使
う側のセンスの問題になります。

たとえば信用金庫の場合は「貴庫」「御庫」となりますね。
「貴台」
「御台」とも言えますが、これは男性が相手の呼び名とし
て使うのが一般的です。しかし・・・ここまで丁寧でなくても問
題ないでしょう。この部分の表現がもとで面接に落ちたり商談が
破談になるわけはありません。
「御社」でよいし、文書なら「貴社」
「貴支店」など一般的な呼び名で十分です!

■主な尊敬の接頭語
※多くの場合、「御」に置き換えることができます。
そう思うと「御」ってすごい語なんですね。

お お知らせ お仕事 おかあさま おこさま お嬢さま


お宅 お手紙

ご ご配慮 ご両親 ご先祖 ご両親 ご隠居 ご一同


ご厚志 ご意見
貴 (個人)貴殿 貴下 貴女 貴君 貴兄 貴公 貴紳 貴台
(組織)貴国 貴町 貴市 貴村 貴庁 貴省 貴邸 貴家
貴堂 貴社 貴店 貴行 貴校 貴学 貴学園 貴会
貴院 貴医院 貴業
(意見)貴書 貴信 貴意 貴慮

玉 玉稿 玉案下 玉音 玉顔 玉体 玉杯 玉露 玉楼

尊 尊名 尊家 尊台 尊顔 尊父 尊影 尊下 尊翰 尊宅

令 令嬢 令夫人 令室 令姉 令兄 令息 令閨

高 高名 高配 高閲 高屋 高官 高説 高著

芳 芳名 芳志 芳信 芳墨 芳恩 芳紀 芳書

賢 賢兄 賢察 賢台 賢覧 賢慮

光 光臨 光来 光彩

●接尾辞
「ーさん」「ー殿」「ー夫人」「ー嬢」など
言葉の後ろにつける言葉を接尾辞といいます。
強い敬いの意味で使われると尊敬語になります。

もっとも一般的に使われるものが「様」
「さん」です。
「様」は主に書き言葉ですが、接客・応対などの丁寧な会話でも使
われます。
「さん」は主に話し言葉で、手紙などの宛名には使いません。

文書などのあて名や呼名で「殿」を使うことがあります。
公式な場で優先して使われていたのですが
もともと「様」のほうが敬意が高かったことや
「やさしい公文書運動」などの意識改革で
あて名には「様」を使うようになってきました。
個人名や団体名には「様」
、役職名には「殿」を使うのが現在の主
流です。

「くん」は少し変わった使われ方をします。
もともとは「男性が呼びかけに使う言葉」でした。
例えば、男性の上司が若いOLに使うのは、本来の使い方なのです。
女性が「くん」を使うのは
●大人の女性が、学生くらいまでの男の子を呼ぶとき。
●学校で女性の先生が男子生徒を呼ぶとき。
●女性が同級生や後輩の男の子を呼ぶとき。
にほぼ限定されています。
国会などの呼名では男女を問わず使われています。

「ちゃん」は親しさの度合いで使われます。
地方によっては大人子ども、性別を問わず使われます。
公式な場では子ども以外には使わないのが普通です。
「お宅のワンちゃん」などとペットに使ったりもします。

敬称として使われる主な接尾辞をあげておきます。
相手に対して
「ぎみ」「夫人」
「嬢」
「兄」
「翁」
「師」
「画伯」
「教授」「博士」
「先生」

自分に
「ども」「め」(話し言葉) ・・わたくしども、わたくしめ、
「儀」「こと」(書き言葉) ・・私儀、私こと

●「~せていただく」について
「~せていただく」の原義は「~てもらう」です。
「もらう」
は、もともと「先生に懇切丁寧に教えてもらいました。」というよ
うに感謝の意味を込めて使われていました。ところが最近では、相
手に対する強制や脅しに近いニュアンスで「ブラックリストに登録
させてもらいます。」などと使われることも多くなったので、もっ
と丁寧な表現がないだろうか・・・という流れで、「~せていただ
く」が使われるようになりました。

自分の店を休みにする、ときのことを考えてみましょう。

表に張り紙をするなら「本日休業」となります。明快ですが、
昔ならともかく、現在の口語では熟語でバシッと書くのは少々きつ
い印象を与えてしまいます。そこで丁寧に表現するために「本日は
休業します」と文章表現にしてみます。とても柔らかい表現に変わ
りますが、まだ多少の押しつけ感は残ります。

店を経営している側からいうと、この張り紙を見るのは、通
りすがりの通行人ではなく自分の店を目的にして来てくれた大切
なお客さまのはずです。わざわざ店頭まで来ていただいたのに、た
とえいつもの決まった定休日であったとしてもこちらの都合によ
り休業して申し訳ない・・・、という気持ちがあります。そこで「本
日は休業させていただきます」という新しい表現が生み出されまし
た。

この表現は、商いの街である大阪を中心に関西で使われはじ
め、関東地方に広がったのは1950年代後半からのようです。
『こ
ちらの都合により休みますので、何とかあなたのお許しを得たい』
という許しを請うようなへりくだった表現は、「なんだ~せっかく
来たのに休みなのか!!肝心なときに休みだなんて・・・」と不満
を感じた人にとっては、それなりの効果があったと思われます。

この「~せていただく」という表現はだんだんと広まり、「説
明させていただきます」「アメリカで 4 年間過ごさせていただい
て・・」「10時から営業させていただきます」のように、とうと
う相手には何も迷惑をかけない場面でも使われるようになりまし
た。それらは「場」というものに対する遠慮から生まれてきたもの
でもあり、最初は抵抗感を持つ人が多かったようですが、今では丁
寧な表現としてかなり認められるようになってきました。

電話の応対などで、

岡本は、休んでおりますが。

という表現を、申し訳ないという気持ちを込めて
岡本は、休みをもらっておりますが。
岡本は、休みをいただいておりますが。

とすることがあります。電話の場合はとにかく「相手への気遣
い」なのですから、岡本さんが上司であろうが部下であろうが関係
なく上の表現が使えるわけです。こちらとしては別に相手に許しを
得なければならないないわけではないし、相手によっては「休みを
いただくと言っても別に私が許可したわけではないのに・・・」と
感じる人もいるでしょう。この場合は相手の希望に添えないわけで、
それを仕方ないと押し返すことなく、許可を求めるような表現にす
ると丁寧に感じてもらえるのです。つまり、「こちらが相手に対し
て負い目を感じているようなニュアンスをわざと作りだして」敬意
を表現しているということです。

1997年の文化庁調査では、「ドアを閉めさせていただき
ます」が気になる、という人が約20%いる例が目立つくらいで、
「明日は休業させていただきます」をはじめ、「させていただきま
す」の各例が気になる人はほとんどいないので、もうすっかり浸透
していると言えます。ただ、新しい表現であるがゆえに「~せてい
ただく」に違和感があるのは確かです。どの動詞に使えるのか、ど
んな場面に使えるのかはまだ確定していません。使いすぎても足り
なくても、相手との人間関係や年齢・地域によっても変わります。
固定化していないだけに、基準は提示しにくいし、ましてや正誤の
判断などは現状ではできるものではありません。ただ」、応用範囲
が増えてとても便利な表現になりつつあることは間違いありませ
ん。
●相対敬語
同じ人に対して、相手との関係によって敬語の使い方を変え
る用法を相対敬語といいます。たとえば、課長が自分より立場が上
だとします。課長の言ったことや行動を表現するときには常に「尊
敬語」を使うことが原則ですが、来客の前では課長の言動に「謙譲
語」を使うという用法です。

日常では
○「課長がおっしゃっています」 尊敬語
×「課長が申しています」 謙譲語

来客に対しては
×「課長がおっしゃっています」 尊敬語
○「課長が申しています」 謙譲語

という使い分けです。

昭和時代のはじめの頃までは絶対敬語が主流でした。公的な場
では、自分の両親に対しては他人にも尊敬語で表現していたのです。
「父が仰せになっていたので・・」という形です。夫婦の間でも妻
は夫に尊敬語を使って「主人がそうおっしゃるものですから・・」
と表現していました。あくまでも公的な場でということで、誰もが
必ずそう表現していたということではないと思いますが。

昭和時代の中期以降は、すっかり相対敬語が定着しました。
敬語利用の主体が日常生活からビジネスに移り変わったからでし
ょう。学生の間は敬語をそれほど意識することなく過ごし、就職活
動や社会人として自立する頃になってから敬語の必要性を感じる
ようになる人がほとんどのようです。

「相対敬語」とよく勘違いされる「二方向への敬語」という
ものがあります。違いを簡単に整理しておきます。

●相対敬語とは
同じ人に対して尊敬語を使ったり謙譲語を使ったりす
る使い分けのこと。
●二方向への敬語
立場上で差がある二人に対して、両者ともに敬語を使わ
なければならない場面で、「謙譲語」と「尊敬語」をうまく組み合
わせて二人に差をつけて敬語で表現すること。

●尊敬語(そんけいご)
相手の言動を表現する言葉遣いです。

相手に対する呼びかけや、相手の言動には尊敬語を使います。
尊敬語についてはいろいろ議論されることが多いので、私なり
の整理をしてみます。

尊敬語を今まで通り大切にしていきたいと思っている人の考
え方。

●日本の国の伝統・文化を大切に守っていきたい。
●私たちを成長させてくれているお年寄り・先人・先輩
たちに対しては
きちんと敬意を表するのが人としての自然な心の働
きである。
●複雑な人間関係の中で、お互いが気持ちよく生活して
いくために、
マナーとして必要である。
●日本語の細やかで情感豊かな表現は、素晴らしいと感
じる。
●態度だけではなく、自他共に敬意を表するために
明確に言葉でも敬いの気持ちを表現すべきだ。
●丁寧語・謙譲語だけではストレートな敬意表現ができ

逆に日本人の悪い面が引き立つことになる。
●言葉は正確に伝わってはじめて役割を果たすものだ
から
積極的な表現をするべきだ。

尊敬語にこだわりすぎることは時代遅れだと感じる人の考え
方。

●国際化が叫ばれている現在、外来語や若者語を含めて
日本語は
もっと柔軟であるべきだ。
●他国の言語体系では、「敬称なし」の方がより親しみ
を込めた
礼儀ある姿勢にあたる場合もあるから、尊敬語にこだ
わる必要はない。
●個性や実力で評価されていくべき現代社会にはなじ
まない。
●気持ちを伝えるにあたり、ストレートな表現の多い英
語の方が
優れた言語だと思う。
●慎ましい謙虚さが日本人の消極性につながっている。
不要な気
づかいや差別的社会構造の一端を尊敬語が担ってい
る。
●自分に主体を置く謙譲語の方が、より日本的な情感を
表現でき
るのであって、尊敬語は不自然なときがあり、今の時
代にあわない。
●言葉は自由に使うもので、あれこれ表現を束縛すべき
ではない。
●尊敬の念は、態度だけで十分通じる。

どちらの流れが自然なのか、という観点では、
それぞれの人の生活環境や教養で判断が変わってくると思い
ます。つきつめて言えば、日本語=日本のお国言葉をどうとらえる
のかということです。
伝統は、生きる指針として大切にしていきたいものです。
しかし、それに縛られるだけでは言語の発展はありません。
現在の「文語」のように生活感とかけ離れた言葉になってし
まうでしょう。
ただし「文語」は、「恋愛」「遊び」「学問」の中心が言葉であ
った時代に作られ、和歌や物語集などの作成にあたり、皆が一言一
言に心を砕き発音、表現のすみずみにまでこだわった完成度の高い
言語であることも事実です。

社会の情報化が進み、諸外国の文化が日常にどんどん吸収さ
れていく中で、まだまだ閉鎖的な島国の「ことば」をこの先どうし
ていくのか、という問題を尊敬語は抱えているのです。

短い命を哀しみ、自然をおそれ、神に祈りを捧げ、
すべての情感を言葉にこめていた、
「万葉時代のやまと歌」という原点に立ち戻って考えてみれば、
おのずから「日本のお国言葉」に対する答えはでてくるような
気がするのです。

●敬意表現の使いこなし
敬意表現をするということは、「対人関係を生み出す言語行為」
です。
上司や先輩、お客様、恩師、先生・・、あらゆる人が対象とな
ります。
家庭でも学校でも、言葉遣いにうるさく言ってきたのは
社会生活の中での自分の存在を、しっかり認識するためでもあ
ります。
また、たとえ年下や家族や身近な友人であっても、
「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように敬意を表する場面
はいくらでもあります。

敬語を使いこなすということは、過去のような「上下関係を生
み出す」感覚ではなく
「お互いを敬愛する言語行為」だととらえていくべきでしょう。
特別な人間関係の中でのマナーとしてではなく、
日常生活で自然に使えることがもっとも大切です。
使い慣れていない語を無理に使って不自然な表現になっては
逆効果です。
「さりげなく使いこなすことこそ、敬意表現の神髄」です。

人間関係や立場によって、またそのときの気分や体調によって

相手の言葉の受け止め方は変わります。
さらに、発音の仕方や顔の表情によっても伝わり方は変わりま
す。
「相手の心に響く言葉」を使える人は本当の意味での話し上手
なのでしょう。
くどくなくて、それでいてさらりと丁寧な敬意が含まれてい
る・・・。
そんな会話ができたり手紙が書けたなら、とても素晴らしいこ
とだと思います。

「自然な使いこなし」を目指して敬意表現を身につけようとす
ることは
単に言葉を磨くだけでなく、
複雑な人間関係の中で生きていく自分を生かす、ことにつなが
ると思います。
●丁寧語(ていねいご)
文字通り言葉や文章を丁寧に表現する言葉遣いです。

丁寧語も、もちろん敬語のひとつです。
ただ、「こちら側」
「相手側」というような意識で使われるので
はなく、
あくまでも話し手(書き手)が客観的立場に立って
柔らかく敬意を表するための言葉です。

●「このバスの次の停車は、大仏殿前でございます」

という表現は、主体であるバスや大仏殿に敬意をしめしている
わけではありません。
乗客に対して丁寧に言っているだけです。
丁寧語の基本は「です」「ます」、そして「ございます」です。
謙譲語・謙遜語の「まいる」なども丁寧語としても使われます。

●「空が明るくなってまいりました。」

などです。
敬語は人間関係で用いられる敬意表現であって、
「対人以外には使わない」
という原則で考えると、事物、自然、動物などに使われる敬意
表現は
単なる丁寧語であると考えることもできます。

●「近鉄では”あおぞら号”と申す団体列車が走っています
が・・・」

の場合の「申す」も丁寧語として理解できます。
●二重敬語
話す

お話しになる
お話しになられる
「話す」に「お~なる」と「~れる」という尊敬表現を重ねて
います。

昔から「尊敬語+尊敬語」というように、重ねて使う強い尊敬
表現があります。
これを「二重敬語」や「最高敬語」といいます。

かつては帝を中心とした皇族にしか使わないものでした。
クドく感じるので、二重敬語はできるかぎり避けるのが一般的
ですが
短い表現で違和感がなければ、使ってもいいと思います。

●「村井先生は、作品についてお考えになっていらっしゃいま
す」

という表現は、二重敬語のようですが、
「考えて」を「お考えになって」とし、「いる」を「いらっし
ゃる」としています。
それぞれ別の動詞を敬語にしているので二重敬語にはあたり
ません。

§二方向への敬語
「二方向への敬語」というのは何ですか?
単純に言ってしまえば「1回の表現でまとめて2人を尊敬する」
ということです。
2人別々に尊敬語を使うのではなく、「A←B←私」というように、
直列にならべて表現する方法なのです。

1.「社長」に部長が書類を渡す
まず単純に2人の場合で考えて、「社長に部長が書類を渡す」
を「社長に部長が書類をお届けする」と表現します。この段階では、
社長に対して謙譲語を使うことで、社長と部長の立場(上下)を決
めています。 ■ 参る、いたす、差し上げる、お話しする、お待
ちする、お尋ねする、ご連絡する・・・

2.「部長」に対して、私が尊敬語を使う。
私から部長に対して、部長が「届けなさる」という尊敬語を
使います。部長に対する敬語です。 ■ ~なさる、れる、られる、
お~になる・・・

3.「社長に書類を渡した部長」に対して、私が尊敬語を使う。
1と2を合わせて敬語を使います。これで、社長と部長を同
時に尊敬している表現になります。
日常で、二方向の敬語を使う場面はあまりないでしょう。使うため
には4人が必要だからです。
1.何かをされる「立場が一番上の人」
2.1の人に何かをする「話している本人よりも立場が上の人」
3.話している本人
4.その話を聞く立場の人
学校では
★1年生の私から見た「2年生の先輩」が「3年生の先輩」にし
たこと
★私から見た「先輩」が「先生」にしたこと
★生徒からみて「先生」が「校長先生」にしたこと
という場面にあてはまります。ポイントは言葉の順番が常に「謙譲
語+尊敬語」になるということです。これは、古典ではよく出てく
る表現です。

■参る → 参りなさる 参られる お参りになる・・・


■いたす → (いたしなさる) いたされる (おいたしに
なる) ・・・
■差し上げる → 差し上げなさる (差し上げられる) (お
差し上げになる) ・・・
■お話しする → お話なさる お話しされる (おお話にな
る)・・・
( )の表現は実際に使われることはまずありませんが、形だ
けから言えば可能のある表現ですね。

●美化語(びかご)
意識して自分の言葉遣いを上品にしようとする言葉の味つけ
をいいます。

丁寧語に含める考え方もあります。
「味つけ」という表現にしたのは、
テレビなどで、いわゆる調理の先生と呼ばれる人が多用するか
らです。

●「お紅茶のお皿にお砂糖をそえて・・」
●「お食事のあとのお抹茶で・・」

などが代表的な例です。「お料理語」と呼ばれることもありま
す。
一般的には女性が美化語を多く使い、「女性語」という表現も
できます。
最近では、わざと多用して「お笑い的表現」とすることもあり
ます。

「お菓子」
「お風呂」「おつとめ」のように定着した美化語も存
在しています。
「おかき」などは「お」をとってしまえば理解できません。
敬意は考えずに、とにかく言葉遣いの丁寧さだけを意識した表
現です。

美化語は使いすぎると品位が落ちます。
気をつけたいものです。

●マナー・モラル・礼儀
「礼儀」
「マナー」「モラル」という3つの言葉の意味の違いが
わかりますか?
細かなニュアンスにこだわらずに私なりにおおまかに整理す
ると

マナー ある事柄に対する行儀や作法。「みんなで決めたこと」
モラル 社会や個人が持つ道徳・倫理観。
「善悪の判断の基準」
礼儀 敬いや慎みの気持ちを表す行動や作法のこと。「気持ち
を伝える言動」

つまり、敬意表現が使われるのはマナーやモラルではなく
「礼儀」にのっとったものだ
ということがわかっていただけると思います。
礼儀=心づかい、だといえます。
礼儀を態度であらわすと「贈り物」や「切腹」(これは極端す
ぎますが・・)となり、言葉であらわすと「敬意表現」となるので
す。

マナーは他人を意識しているとは限りません。
ご飯をハシで食べるのは人が見ているからではありません。

モラルは自分自身の意識が大きな部分をしめます。
他人がいてもいなくても正しいことは正しいと判断できます。

ところが、礼儀は対人関係です。
礼儀=敬意表現は、相手に対する心づかいです。
「私はあなたを尊敬しているんだからこの気持ちを受け取っ
て!」
「こちらには慎みの気持ちがあったのにわかってもらえな
い・・」
などど押しつけるものではありません。

言葉は意図する気持ちが正確に伝わって初めて成り立つもの
です。
いくら自分が英語をペラペラ話しても
英語を知らぬ人にとっては「音」であり「言葉」にはなりませ
ん。
同じように「意味や気持ち」が正確に伝わらないのなら
会話をしている意味などなくなってしまいます。

「こちらには敬意があるのだから、言葉はどうでもいい・・」
では
通用しない場面があるでしょうし、
また、へたで無理を感じる敬意表現なら、逆効果です。
使うなら、やはりある程度の知識がなければなりません。
もちろん、聞くほうにもその知識がなければならない、という
ことです。

礼儀を捨てて挨拶までもやめる人、なんてほとんどいないと思
います。
敬意表現は、双方がよく理解して使うのならば、
とても便利な表現なのです。

●ら抜き言葉
「れる」「られる」には、可能、受身、自発、尊敬の4つの意
味があります。
これは平安時代から変わっていません。

五段活用やサ変の動詞には「れる」を使い、
それ以外の動詞、たとえば「見る」「食べる」「来る」「着る」
等には、
「られる」をつけて表現します。

●1.ご飯3杯くらいは余裕で食べられる。(可能/~するこ
とができる)
●2.いつも私ばかり見られる。(受身/~されている)
●3.この先のことが案じられる。(自発/自然に~になる)
●4.社長は3時に帰って来られる。(尊敬/~なさる)

これらのうち、1.の「可能」の意味の時に、
上の例のように「られる」を使わなければならないのに、
「ら」を抜いて「食べれる」と表現することを「ら抜き言葉」
と言います。

●見れる、来れる、着れる、起きれる、考えれる 食べれる、
覚えれる、信じれる・・・

これらの言葉は、本来「られる」と表現しなければなりません。
つまり「ら抜き言葉」は、可能の意味の時に限っておこる現象
なのです。

可能の時には「れる」を使う、ということによって可能の意味
に限定しているのですから、
考えようによっては言語の進化だとも考えられます。
全体の流れからいうと「ら抜き言葉」は定着していく方向にあ

将来の標準形になっていくほどの勢いです。
もちろん言語学の観点から言っても
この「ら抜き」の変化は、ごく自然であり、理にかなっている
ので
現在は誤用としても、近い将来は標準形になるのは当然の流れ
です。

低年齢層ほど「ら抜き」が定着しているようです。
方言にもかなり影響されており、地域差がとても大きいといえ
ます。

対象になる言葉の違いによっても大きな差があります。
上例の「見れる」「来れる」はかなりの人が使いますが、
「信じれる」は使う人が少ない、といったことです。

●れ入れ言葉
本来「れる」を使わない言葉にも「れ」を使う
いわゆる「れ入れ言葉」がでてきています。
形から言うと、
「ら抜き言葉」の逆になります。

たとえば、「書く」「読む」の可能表現は「れる」「られる」を
使わずに
可能動詞として「書ける」「読める」と表現しますが、
●書けれる、読めれる

と表現してしまうことです。聞いていても違和感がある人が多
いと思います。
敬意表現になれていない人は、自分で不自然だと思いながらも、
ついつい口から出てしまうことがあるようです。

ほとんどの人が「確かに丁寧だが不自然」と自覚するようです。
方言としてかたづけてしまうこともできますが、これはあきら
かな誤用としてもいいでしょう。
基本的なもの、使用頻度が高いと考え

られるものを優先的に並べてみまし

た。

西川さんはおられますか?

○ 慣用として認めてよい表現だと思います。
「おられる」は尊敬の気持ちをこめた表現として、広く使われてい
る表現です。「おる」はもともと「居る」で、じっと座っていると
いう意味です。こちらが卑下するという意味をもつので謙譲語とし
て用いて、相手の動作には使わないのが原則でした。その謙譲語「お
る」に「られる」という尊敬語をつけた「おられる」は、

1.「おる」の部分が謙譲語なので相手の動作に使えない
2.「おら・れる」は、謙譲語と尊敬語を重ねて使ってい

という2点で誤用だとする専門書が多く存在しています。ところが、
関西地方では昔から「西川さんがいる」を「西川さんがおる」と丁
寧な表現として使っているので、目上の人に「おられる」という表
現を使っても違和感がなく、公的に使える尊敬表現として広く使わ
れてきました。謙譲語ではない「おる」に「られる」という尊敬語
をつけると考えるのならば、文法上の問題はなくなります。
「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」「おいでになる」なので、標
準的な尊敬表現は「西川さんはいらっしゃいますか?」「西川さん
はおいでですか?」となります。「いらっしゃる」
「おいでになる」
がちょっと丁寧すぎる、と感じるときには「西川さんはおられます
か?」と使ってもよいと思います。 「打ち消しのほうが丁寧にな
る原則」を使って「西川さんはおられませんか?」とすると、さら
に丁寧になります。

(私の)息子の雅彦はおりますか?

◎ 正しい。自分の身内に謙譲語「おる」をつかっています。
自分の身内のことをたずねている例です。相手よりも自分に近い存
在である「息子」に対して謙譲語「おる」を使っているので、正し
い表現です。「息子」
「愚息」「せがれ」「長男」「子ども」は、自分
側の身内を呼ぶ言葉です。相手の子どもは「お子様」とよぶのが一
般的です。

うちには犬が3匹おります。

◎ 正しい。自分に謙譲語「おる」をつかっています。
この文の基本形は「うちには→おります」です。 「うち」というの
は本来は「家・宅」のことですが、家に住んでいる家族や自分のこ
とを広く指すこともあるので、この場合は自分に謙譲語「おる」を
使っていることになります。「うちには犬が3匹います。」と表現し
てもよいと思いますが、
「おります」の方がやわらかい表現なので、
相手は丁寧さをより強く感じると思います。 「うち」のことを謙遜
する表現として「拙宅」「小宅」「当家」等の表現があります。
中川さんのお宅に、犬はおりますか?

△ 主語が「犬」になっています。犬に敬語=謙譲語を使うかどう
か?
日本語の場合、「主語に”は”をつける」ことが基本です。この文
例では、
「犬は・・」つまり犬が主語となっています。つまり、
「犬」
に謙譲語を使って下げることで、「中川さん」に敬意を表している
形になりますね。形の上では間違いとは言えませんが、ひとつ問題
になることがあります。それは「敬語は古くから人間や神格化され
たものだけに使い、事物や動物には使わない」という原則があるこ
とです。犬に敬語を使っていることが問題になってしまいます。

今までは、動物や赤ちゃんに敬語を使うのは間違いであると言われ
てきました。確かに、犬の行動に「~なさる」などの尊敬語を使う
のは行き過ぎでしょうが、「ペットを家族同様にとても大切に思っ
ている気持ち」からでてくる丁寧語や謙譲語であれば、よいのでは
ないかという気もします。実際に、上の文例を「失礼だ」と感じる
人はほとんどいないと思います。「うちのワンちゃんってと~って
も利口でございますのよ!」・・のように何かしらの嫌みが感じら
れる表現はよくないと思いますが、それは言葉の使い方というより
も、話している人の人格の問題だと思います。

中川さんのお宅に、犬はいらっしゃいますか?

▲ 主語が「犬」になっています。犬に尊敬語は使えません。
話している人はきっと「中川さん」に尊敬語を使っているつもり
です。これは、No004 と同様に「助詞”は”を使うことで犬が主語
になってしまう」ので、犬に尊敬語を使う形になっているのがおか
しいのです。正確には「中川さんは、犬を飼っていらっしゃいます
か?」です。これで、主語が中川さんになります。相手との間柄が
堅苦しい関係でなければ「お宅には犬が何匹いるのですか?」とい
うあっさりした表現でも失礼にはあたらないでしょう。

余談になりますが、ペットに愛情を注いでいる方にとっては「犬」
という表現はきついと感じることも
るようです。「ワンちゃんの方が丁寧ですよ」とペットショップの
方より助言をいただきました。

<来客に> 米田課長はまだいらっしゃってないんで
すが。

× 客の前で身内に尊敬語「課長」「いらっしゃる」を使っていま
す。
姓の下に課長などをつけると敬称になりますので、社外の人に「米
田課長」というのは身内に対する敬語になり、失礼にあたるとされ
ています。「いらっしゃる」も同様で、身内に対する敬語となりま
す。相手に対しても「~ですが」という丁寧表現だけで敬語が使え
ていないことになります。 さらに、この投げかけだと、
「待つか?
出直すか?どうしたらいいのか判断できない」という状況になり、
相手は困ってしまいます。


(課長の)米田は遅れております。大変申し訳ありません。○○
頃来ると聞いておりますので、もうしばらくお待ちいただけますで
しょうか。」という丁寧な対応が求められます。丁寧な対応ができ
たら、物事がプラスに転じることもあります。後から「きちんとし
た印象のいい社員さんですね」とお客さまにほめられると、課長も
「遅れて良かったよ!」なんてことに・・・なるかも知れません(笑)。

お住まいは京都でいらっしゃいますか。

× 住まい=人ではない物に尊敬語「いらっしゃる」を使っていま
す。
日本語は、「~は」が主語=話の主題になりますので、この場合
は「お住まい」に「いらっしゃる」という「尊敬語」を使っている
という構造になり、不適切な表現だといえるでしょう。原則として
は「お住まいは京都ですか。」という表現で失礼にはあたらないと
いうことです。丁寧に表現したいなら「お住まいは京都でございま
すか。」となるでしょう。「住まい」についている「お」は、
「あな
たの~」という意味ですので敬語の使い方として問題ありません。
この場合「住まい」を主語に立てているので本来なら尊敬表現が
使えません。でも、相手に対して敬意を表現したい場合は上の文の
ように表現しなければならなくなり、なんとなく不自然になってし
まいます。

改善のポイントは2つあります。ようするに相手に対して直接敬
意を表現できればよいのですから、

■1.主語を人間にする
■2.「住む」という人間の動作を述語にして表現する
ということです。具体的には「(あなたは)京都にお住まいですか。」
ならばきちんと敬意を表現できます。文末を「~でしょうか。」 「~
でございますか、。」としてもよいでしょう。

お客さまがいらしてます。

× 「いらして」は一般的に「いらっしゃって」の意味では使わな
い。
古い用例を繙くと、

「いろいろお世話になりました。どうぞいらしてください。」
(出
発してください)
「さあ、いらしたことだし、旅立ちましょう。」
(太陽がのぼった
ことだし)
「ささ、ここにいらしてください」(お部屋に入ってください)

などがあり、意味は上の3つにほぼ限られています。どれも敬意が
表現されている場面ですが、尊敬語というよりもどちらかといえば
丁寧語のようなニュアンスがあります。問題の「いらしてます」と
いう表現は私も何度か聞いたことのある表現で、確かに丁寧なニュ
アンスが感じられます。ただ伝統的には「来る」「いる」というこ
とばに対する「尊敬語」としては使われてこなかったようですね。
もちろん、今までは使われてこなかったということであって、将
来的にこの用法が否定されるわけではありませんが、現時点では
「おかしな表現だな」と感じる人が多いのではないでしょうか。違
和感なく使う場面としては
●(相手に直接)
「どうぞこちらにいらしてください」と宿泊す
る部屋を案内する。
●(夜通し遊んでいて明け方になって)「もう、おてんとさまが
いらした」と語る。
●(相手が出発するときに)
「どうぞお気をつけていらしてくだ
さいね」と見送る。
●(自分の家=部屋に来ていただけるように)「またいらしてく
ださいね」と声をかける。

などが考えられます。2つめの太陽の例は別として、そこにいない
第3者ではなく、「直接目の前の相手に呼びかけることば」として
扱えば違和感がないでしょう。

課長、今日はごくろうさまでした。

△ 不快に感じる人がいます。「ご苦労」は、ねぎらいの意味が強
い言葉です。
「ごくろうさま」は、「よくやったね」とほめる気持ちやねぎら
う気持ちをこめて使います。ほめる、ねぎらうは基本的に目上から
の動作ですので、年下からの言動の場合、不快に感じる人も多いよ
うです。

私は、高速道路の料金所で通行料金支払いの時に「ごくろうさ
ま!!」と声をかけたことがあります。自分ではいい挨拶をしたつ
もりだったのに、横に乗っていた叔母から「あんた、えらそうやな
~」と言われて驚いたことがあります。人によっては「上から下へ」
というニュアンスを強く感じる言葉のようです。みなさまからの意
見をまとめてみると、「”ごくろうさま”は確かに目上の人からか
ける言葉だが、最近はだんだんその意識が薄れてきている」という
ことのようです。いくら薄れてきているとはいえ、年下から「ごく
ろうさん!」とは絶対に使えませんよね。一般的には「ごくろうさ
までした。
」と丁寧語をつけて使います。

ただ、年下のものから言われると違和感がある人がいる以上、ベ
ストの表現だとはいえないのかも知れません。それに変わる言葉と
しては「お疲れさま」があげられるわけですが、これもしっくりこ
ない。では、さらに別の表現となると・・・「いい言葉がみつから
ない!?」のが現状のようです。

私@じゃりの提案は、「癒しのお決まり挨拶」ではなく、「積極的
な言葉」で気持ちを表現する方法です。「お帰りなさい」
「今日はい
かがでしたか?」「では、○○の件どうぞよろしくお願いいたしま
す」などのように、場にあわせた「まとめのひとこと」でうまく相
手への気遣いができればとてもよいと思います。こうなると、単な
る形式的な挨拶を超えた「会話」に近いものとなりますので、個性
的な挨拶ができるようになります。
しかし一方で、その人の言葉のセンスも真心も問われるようにな
り表現が難しくなりますし、日々繰り返される日常の挨拶には不向
きです。敬語を指導する立場になったらやはりひとつの模範を示さ
なければなりませんから「臨機応変に話しましょう」では無責任に
なってしまいますので・・。

先輩もがんばってくださいね。

▲ 場面によっては不快に感じる人が多いようです。
「がんばって!」という言葉を使う状況を考えてみると、声をかけ
られる人はなんらかの「苦しい立場」に追い込まれていることが多
い。それをぜひ乗り越えて!という気持ちが大いに含まれている言
葉です。運動会の親子競技で「おとうさん、おかあさん!がんばっ
て~!」と叫んだり、病院で「おじいちゃん、がんばって元気にな
ってね。」などと使うのは、応援の意味です。これを不快に感じる
人はいないと思います。

問題になるのは、「私も全力でがんばりますので、部長もがんばっ
てください。」
「私はいい夏休みになりました。先生もがんばってい
い夏にしてください。」という類の表現です。これらは応援ではな
く対等な立場からの励ましになります。どこかに「無責任さ」や「あ
われむ」ニュアンスが含まれているのかも知れません。年下から言
われると「別にあなたに励まされなくてもちゃんとやってるよ!」
という反発心がでることもあります。もちろん使っている本人は対
等な立場を意識しているわけでもないし、他人行儀で励まそうとし
ているわけではありません。

「部長もがんばってください。(・・期待しています)。」という「期
待している」というニュアンスが感じられてしまうのがこの言葉の
不快の原因ではないでしょうか。小さな子どもから「おじちゃん、
がんばれ~!」と言われた時に、心からうれしい時となんとも情け
なくなる時がありますものね(苦笑)。

もちろん、
「がんばってください」は人によって感じ方も違います
し、使っている人は全く悪意がないのですが、「なんか軽視されて
いるようで気分が悪いなあ」と感じる人がいる以上、気遣う相手に
は使わないのがよいかもしれません。この表現の問題点は「年下な
のに対等な立場で励ましているように感じる」ということだと思い
ますので、
「部長も」「先生も」という「も」を使っているのがいけ
ないということにもなると思います。

「がんばってください」のかわりの表現はありませんかという質問
がよくありますが、「がんばれ」は他の言葉に置き換えても「がん
ばれ」の意味ですからかえようがありません。「どうしても”がん
ばってください”という表現でないとだめ!」という場面はほとん
どないと思います。目上の人にわざわざ「がんばって」と呼びかけ
なくても「私もがんばります。これからもどうぞよろしくお願いい
たします。」と言えば気持ちは伝わりますし、相手のことで終わる
よりも自分のことで括るほうがよりよい表現と言えるのではない
でしょうか。

(お客さまに)うちの上司は、厳しい方(かた)なんで
すよ。

▲ 自分の側の人に、尊敬語を使っています
人間に使う「~という方(かた)」は尊敬表現ですので、自分側の
人間には使わないのが原則です。しかし、身内であれ立場が上の人
には敬語を使いたくなるのは当然で、現実にはかなり使われている
表現ではないかと思います。

他人に話すときは、身内を高めるような表現はしない、というのが
今の日本語の「相対敬語」です。<絶対敬語 参照> と断言したい
ところですが、親しみを感じる相手と話す場合には、身内に尊敬語
を使うことはむしろ自然な気もします。
「うちの上司は厳しい人な
んですよ」と言っておけば、全く問題はないのですが。

<社外の人が>中川部長さんはいらっしゃいますか?

○ 他社の場合、部長という敬称に「さん」や「さま」をつけても
過剰だとは言えません。
昭和27年に国語審議会がまとめた『これからの敬語』では

<二 敬称 (五)>職場用語として、たとえば、先生・局長・課
長・社長・専務などに「さん」をつけて呼ぶには及ばない(男女を
通じて)

とあります。つまり、先生・局長・・などはそれ自体が「敬称だ」
と認識しているということです。これに従うとすると、他社の人に
対しても「中川部長は・・」で十分だということになりますが、現
在の実用では、他社の人に対しては「社長様」「課長さん」として
いる例が多く、またそれはクドさを感じるものではないので、確か
に二重敬語かも知れないが、慣習として何ら問題はないと考えるべ
きでしょう。
「お客さま」も”お”と”さま”が重なっていますが、
誰も過
だとは思わないでしょう。

対外的に社内の人間をいう場合には、役職に「さん」や「さま」を
つけることはなく、
「中川部長」や「部長の中川は」と表現するの
が一般的です。
これをもって、私のご挨拶とさせていただきます。

○ 正しい表現です。聞き手に敬意を表しています。
結婚式や式典来賓挨拶のお決まり文句です。自分の挨拶に対して
「ご挨拶」と敬語を使っていいのだろうか?と考えてしまいます。
しかし、この場合の挨拶はふつうの動詞とはちょっと違います。ち
ょっと考えてみましょう。

たとえば、「手紙」は差出人のものでしょうか?受取人のものでし
ょうか?書きあげたのは差出人ですが所有しているのは受取人。で
は、二人のもの?厳密にはいろいろな議論がありますが、最終的に
手元にある受取人のもの、と考えるのが一般的でしょうか。

「挨拶」という言葉もこの例と同じように考えることができるので
す。つまり、公的な場の発言はみなさんに捧げられたもので、「挨
拶はすでに受取人(聞く人)のもの」という解釈が成り立つわけで
す。そういった点で挨拶の場合は、自分が話しているのですがもう
相手に捧げられるものとして気遣いをして、「ご挨拶」としても間
違いではありません。もちろん「ご」を使わない「私の挨拶とさせ
ていただきます。」も、おかしくはないでしょう。
つまり、挨拶については、「ご」はあってもなくても正しい表現だ
といえます。

これは昔からそういう解釈をしているのです。例えば、かぐや姫で
有名な「竹取物語」では、帝にお渡しする手紙は「御文」、帝から
下の者への手紙は単に「文」と表現しています。逆に考えてしまい
がちなので、ご注意を。
近々、夫のご両親が来られるのですが。

△ 夫や義理の両親は身内扱いがよいでしょう。
義理の親だから少々丁寧に、と考える気遣いからうまれた「ご」で
すが、他人に対しては身内扱いになるべき存在でしょう。すっきり
と「夫の両親が来るのですが」と表現すればいいと思います。

明日はお休みしたいのですが。

× 自分だけに関わる行為には敬意表現は使いません。
「お」は相手の言動や所有物につけて敬意を表す接頭辞です。「松
田さんはお休みに何をしていらっしゃるのですか。」などのように
相手の行為に「お」をつけるのが基本です。また、「お電話いたし
ます。
」の「電話」などのように、自分の行為が結果的に相手にま
で及ぶ場合にも「お」や「ご」をつけて、謙譲表現として敬意を表
すことがあります。この例の「休む」は、完全に自分の行為ですか
ら、こういう使い方をしないのが一般的です。「明日は休ませてい
ただきたいのですが。」が正しい表現です。

(私の)お車でお迎えにあがります。

× 自分の所有物には接頭辞「お」をつけない。
接頭辞「お」「ご」は、『敬語の基礎知識』のページでも触れている
とおり、基本的には相手の所有物につけますが、その場合も基本的
に双方の言動に深く関わる事象に限られます。(あなたの)「お名前」

(あなたの)「お宅」、
(あなたの)「お手紙」などです。 この例の
場合、車の所有は自分、もしくは第三者ですので「お」をつけずに
「車で迎えにあがります。」と表現するのが正しくすっきりします。
もし車が相手のものなら、
「お車」と表現してよいと思います。

こちら側の動作が、相手に直接的に及ぶ場合には、たとえ自分の行
為であっても「お」をつけて敬意を表してもよいでしょう。例えば
「ご挨拶」や、「お手紙をさしあげる」「お電話いた
ます」などがそうです。

お本をお預かりしてよろしいですか。

× 基本的に漢語に「お」は使わない。
大原則として人間以外には敬語を使いません。また、接頭辞「お」
は基本的に和語につくものです。「おからだ」「お考え」などです。
例えば「お出発」「お好意」などように漢語には使いません。ただ、
『敬語の基礎知識』のページにもあるように、「お弁当」「お勉強」
など家事・教育・育児・サービスに関する場合には例外的に使うこ
ともありますが、ほとんどの場合「母親がよく使う言葉」=「女性
語」の要素が強いようです。「本」はどこにでもある一般的なもの
ですし特にこちらが気をつかわなければならないような高価なも
のでもありません。今までの習慣としても使われることが少なかっ
たでしょうし不自然さを感じます。「お預かり~」の部分で敬意を
十分表現できているという点からも「お本」の「お」は不要でしょ
う。ただ、おとなが子どもとのやりとりで使う「幼児語」としての
「お本」「ご本」などの表現は多少の不自然さがあっても許容され
るべきで「正誤」の対象にはならないと考えます。

一般的な敬語の使い方としては、相手にとって大切なものであっ
ても安価なものには「お」や「ご」などの接頭語はつけないようで
す。もちろんつけてはならないというわけではなく、明らかに高価
で貴重な本であったり特別に思い入れや思い出のある本などに、愛
着などを込めて接頭語をつけたいときには、
「本」は漢語なので「お
本」ではなく「ご本」という表現が良いでしょう。

うちのタマは、とてもお行儀がよくていい子です。

△ 過剰表現だが間違いとは言えない。ペットに敬語を使ってはい
けない?
学問的には、このようにペットに対して敬意表現を使うのは「過剰
表現だ」ということになっています。「本来、対人関係で使われる
べき敬語が物やペットに使われるのはおかしい」という原則が理由
です。わざとおもしろ半分で使う場合もありますが、自分のペット
の自慢話を、度が過ぎた丁寧さで語っているのを聞くと、確かに不
愉快になることもあります。ましてや犬猫嫌いの人は、ペットの話
題自体に興味がなく、苦痛を感じるかもしれません。

しかし、ペットを家族同様に飼っている人が、親しみの気持ちを含
めて敬意表現を使ったとしたら、それを否定することはできないと
思います。用法はあくまでも原則論です。時、場合、背景、関係に
よって変わってくるのが言葉の難しさであり、センスの問題です。
柔らかい表現を心がけると自然に出てくる表現なのかもしれませ
ん。結局、相手に不快感を与えるかどうかは、敬語の用法が正しい
かどうかよりも、話し手の人格や態度に大きく左右されるのです。

足もとのゴミをお取りしてよろしいでしょうか?

△ 形は間違いではないが、敬意を表している対象がわかりにくい
「お取りする」の「お~する」は、自分があることをさせていただ
く、という意味で使われる正しい表現です。「お預かりする」
「お届
けする」「お持ちする」なども明らかに自分の行為ですが不自然で
はありません。ですから、自分の行為に「お」を使っているのでお
かしい、という論は成り立ちません。形の上では全く問題ありませ
ん。

この例文で問題になる点は3つあります。

1) 行為の対象が「ゴミ」であるということです。「お届けする」
と使うときには、その対象は「相手の物」であり大切に扱わなけれ
ばならないものです。ところが、ほこりやちりなどのゴミは、その
出所は誰であろうが、一般的に相手の所有物でもなければ大切に扱
うべきものでないでしょう。 「お取りする」行為は自分であっても
対象が「ゴミ」なので、敬語を使うには違和感が生まれるでしょう。

2) 「お~する」
「よろしい」「でしょう」と敬意が3つ重なって
いますので、ちょっとくどく感じるかもしれません。基本形は「足
もとのゴミをとっていいか?」ですので、どれか2つにしぼるとか
なりすっきりします。

2) ゴミをとるのが目的ですが、背景には「相手によけてもらう」
「手をとめてもらう」などの無理をお願いしていることがあるわけ
です。はっきりと「掃除するのでちょっとよけてくださいね。」と
でも言えたらよいのですが、遠慮がちに許可を求める態度を示さな
ければならない点で、この表現はすっきりしないのです。いちいち
「今から約1分間、このほうきとチリトリで、足もとにあるゴミ
を・・」と説明しなければ納得しないという人はいないでしょうか
ら、遠回しに「ちょっと失礼してよろしいですか」だけでも十分で
しょう。

ここのところ、おわかりになりますでしょうか?

× 誤りです。可能動詞では敬意がうまく伝わりません。
「お~になる」という尊敬表現のパターンを使えているので、形の
上では問題がないように思うかもしれませんが、なんとなく見下さ
れているような印象にもとれませんか?これは文の形の問題では
なく、使っている可能動詞に問題があるのです。「わかる」などの
可能の意味をあらわす動詞は、相手を評価するニュアンスが含まれ
ているので、敬意を必要とする相手には使わないのが望ましいでし
ょう。とたえば「できる」も可能動詞ですが「おできになりますで
しょうか?」という表現はなんか不自然に感じませんか?相手の意
見を求めるような問いかけの形で、「いかがでしょうか?」と表現
するのがよいと思います。

さきほどもおっしゃられたように

△ 正しいが、少し過剰気味です。
「言う」の尊敬語「おっしゃる」に加えて、尊敬の「~れる」をつ
けている二重敬語表現です。二重敬語はそれ自体は間違いではあり
ません。ただ、昔は特別な人だけに二重敬語を使っていたという経
緯もありますし、会話は簡潔明快に、という基準から言っても二重
敬語は避けるのがよいでしょう。この場合は「おっしゃったように」
とするのがよいと思いますし「言われたように」でも敬意は十分伝
わると思います。
Top
プレゼンテーションや会議の場などでは、自分の言葉遣いがとても
気になります。単に自分を名のる挨拶だけでも気をつかうのに、何
か発言する場合などは、その内容をうまくまとめることに精一杯で、
言葉遣いまで気がまわらない。ただ、丁寧に失礼がないようにうま
くしゃべらなければ、と気を使うあまりに、つい不自然な敬語を使
ってしまうこともよくある話です。特に、目上の人の発言の後に突
然指名されて意見を求められたりしたら、焦ってしどろもどろに・・。

会議中に、ある人が緊張からかうまく舌が回らず、 「今、おっしゃ
らいましたように・・」という発言になってしまったことがあります。
それが、私には「今、おっ皿洗いましたように・・」と聞こえてしま
ったのです。いわゆる「壺にハマる」というやつで、我慢しようと
すればするほど笑いが止まらなくなってしまったことがあります。
体が揺れて大変でした。ほんとに失礼なことをしてしまいました。

「自分の使える敬語を使って、自然な敬意を伝える努力をする」こ
とが望ましいと思います。背伸びしたり、なんとなくの聴きまねで
敬語を使ってしまうと不自然に感じられます。「です」「ます」
「ご
ざいます」などの丁寧語をつければほとんどの場合失礼にはあたら
ないので、緊張する場では無理をしてまで使わないことが大切です
ね。

今、山下課長が申された提案内容に賛成です。

× 誤りです。
「申す」は謙譲語なので相手の言動には使いません。
「申す」は謙譲語です。謙譲語に「れる」をつけて尊敬しているつ
もりの表現が多いようですが、「れる」という尊敬の意味を後ろに
つけても、尊敬表現として扱わないのが原則です。ひとつの行為に
謙譲語と尊敬語を同居させること自体、矛盾があります。「ただい
まの、山下課長のご提案に賛成です。」という表現がすっきりして
います。もっと丁寧に言いたいのなら「山下課長が言われた・・」
「山下課長がおっしゃった・・」となります。

こういう誤りをきちんとなくそうと思えば、何が尊敬語で、何が謙
譲語かしっかりと区別しなければいけません。覚えるコツは「おっ
しゃる&申す」
「ごらんになる&拝見する」というように、同じ意
味の語句をセットで覚えて、意識して使ってみることです。

おかしなところがあればお申し出ください。

○ 正しい。敬語の消滅です。
「申す」は謙譲語なので、相手の動作に使うことはおかしいのです
が、申すの複合語(2つ以上の語がひとつになったもの)の中には、
熟語として敬意が消滅したものがあります。たとえば、「申し込む」
「申し出る」などです。名詞になった「申し込み」「申し出」など
も敬意が含まれていません。これらは使用頻度も高く、敬語性が完
全に失われている慣用語なので、相手の動作に使ったとしても問題
ありません。

課長が社長に申されたように

○ 正しい。二人に敬意を表す場合の例です。
課長に謙譲語「申す」を使うのはおかしいことですが、その動作を
受けている社長に敬意を示すために、課長の言動に「申す」という
謙譲語を使っているので、間違いではありません。謙譲語だけだと
「社長に申したように」となりますが、それでは社長だけに敬意を
表して課長には敬意なしになるので尊敬の「れ」をつけて、二人に
対して一度に敬意を示しています。このように、動作をする人、さ
れる人、両人ともに敬意を表す場合には、動作をする人に謙譲語を
使うことがあります。

★整理★

話をしたのは課長なので、直接社長に敬意を示せない

仕方ないので、課長に謙譲語を使うことで、まず社長を尊
敬する

課長にも尊敬語を使ってふたりともに敬意を表する

言っ・た → 申し(謙)
・た → 申さ(謙)
・れ(尊)

有本さまでございますか?

× 誤りです。「ございます」は丁寧語なので敬意は含まれていま
せん。
相手に敬意を表するならば、言葉の上では「尊敬語」か「謙譲語」
を使うのが本筋。「有本さまでいらっしゃいますか?」というのが
正しい使い方です。「ございます」の基本語は「ある」です。昔は
「誰かある」などのように人間の存在に対しても使いましたが、今
は人に対しては使いません。「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」
です。 「ございます」というのは丁寧語で、本来の使い方からい
えば尊敬の念は全く入っていません。例えば車内放送の「次の停車
駅は日本橋でございます」には、日本橋という駅に対する敬意は含
まれていません。
「ございます」を使わずに「有本さまでしょうか?」
と丁寧に言えば十分でしょう。

相手の名を尋ねるときに、もっとも丁寧な表現として使われてきた
のが「失礼ですが?」。遠回しな表現の最たるものです。確かに「気
遣いにうるさい人」を満足させる表現ですが、日常ではやはり避け
るべきでしょう。最近では「失礼ですが?」と電話の応対で使うと、
「え?」「なんですか?」と聞き返されることがあるようです。

森本部長は何時頃まいられる予定ですか?

× 「まいる」は謙譲語なので相手の言動には使いません。
「まいる」は謙譲語ですから上司には使えません。それに尊敬のこ
とば(厳密には助動詞)「れる」をつけているので、さらに謙譲語
と尊敬語が混ざっていておかしい、といえます。「何時頃いらっし
ゃいますか?」
「何時頃お戻りになりますか?」が正しい表現です。

こちらでご用意します。

◎ 正しい。自分の行為に使う基本形です。
自分側の行為に「ご」をつけるのは間違いではないか、と思われる
方もいると思いますが、「ご~する」は、

「~する」というこちら側の言動 + 相手への気遣い「ご」
を含めた表現=謙譲です。さらに丁寧語の「ます」をつけた敬語の
基本中の基本なのです。
当日は上履きをご用意してください。

× 誤り。相手の行為に謙譲の基本形「ご~する」を使っています。
敬語の原則のところで述べたとおり、「お(ご)~する」は「する」
のですから、こちら側の言動に使う表現です。相手には「~なさる」
という尊敬表現が原則です。 正しくは「ご用意ください。」「用意
なさってください。」
「ご用意なさってください」です。特別に気を
つかわないならば、単純に「用意してください。」で十分だと思い
ますし、「~をお願いします。」でもよいと思います。

表現上は正しくても語調がきつければ強制しているように感じら
れるので注意しましょう。

栗原さんは何をいただきますか?

× 誤り。相手の行為に「食べる」の謙譲語「いただく」を使って
います。
「食べる」の謙譲語が「いただく」です。正しく表現するなら「何
を召し上がりますか?」となります。

どうぞ冷めないうちにいただいてください。

× 誤り。相手の行為に「食べる」の謙譲語「いただく」を使って
います。
「いただく」は「もらう」
「食べる」「飲む」という意味の謙譲語で
す。この例は食べるのは相手ですから謙譲語を使うのは誤りです。
「どうぞ冷めないうちに召しあがってください。」と表現すべきで
す。近い関係の人なら「冷めないうちに、どうぞ。」で十分です。

資料はあちらでいただいてください。

× 誤り。相手の行為に「受け取る」の謙譲語「いただく」を使っ
ています。
「いただく」は謙譲語ですから、「いただく人」である接客相手の
動作には使えません。相手に謙譲語使うということは、動作の対象
である資料配布係を尊敬する形になってしまうので、正しい表現だ
とは言えません。 正しくは、
「係のものからお受け取りください。」
「あちらの係でお受け取りになってください。」です。
「あちらの係
で受け取ってください」は丁寧語だけですし、忙しい受付業務など
では、ついついキツい口調になってしまうので避けたほうがよいと
思います。ホテルのフロント、結婚式の受付などでは「あちらの
○○でお受け取りくださいませ。」という丁寧な表現を使っていま
す。

ご説明させていただきます。

△ 正しい。広く使われるようになり定着した表現です。
自分の都合ですることなのに相手に許可を求めて媚びるような表
現をする「~せていただく」は、多くの人が不自然に感じる表現で
したが、最近目立って使われるようになってきたこともあり、逆に
不自然だと感じる人が少なくなったようなので、定着した表現だと
言えると思いま
例文の「ご」はなくても十分敬意が感じられる表現です。「説明す
る」のは私ですが、相手に直接作用が及ぶ言葉※なので丁寧さを出
すために「ご」をつけてもよいと思います。二重敬語の用法として
認めてよいでしょう。

※「説明」
「連絡」「手紙」
「電話」「報告」
「挨拶」などは、その状
態(物)を相手と共有する言葉です。

<電話で>岡本は、休みをいただいておりますが。

△ 新しく生まれて、広く使われるようになり定着した表現です。
この場合のいただくは、何となく違和感がある、という人が多いか
も知れません。もともとは使わない、明らかに違和感のある表現だ
ったようです。詳しいことは<奥義の巻>で解説しています。

電話の場合はとにかく「相手への気遣い」が第一になりますので、
こちら側としては、休んでいるのが上司であろうが部下であろうが
関係なくこの表現が使えるわけです。

別に相手に許しを得なければならないないようではないし、相手に
よっては「休みをいただくと言っても別に私が許可したわけではな
いのに・・・」と感じる人もいるでしょう。この場合は「せっかく
お電話をいただいたのに希望に添えなくて申し訳ない」と点を重視
して、それをこちらの都合だからと押し返すことなく、許可を求め
るような表現にしているのです。相手に許可を求めるのは不自然な
場面ですが、そうすることによって丁寧に感じてもらえる、つまり、
「こちらが相手に対して負い目を感じているようなニュアンスを
わざと作りだして」敬意を表現しているということです。

この場合、どうしても「いただく」を使う必要はないと思います。
また「岡本さん」は身内なので、相手が岡本さんの身内でもない限
り呼び捨てでよいと思います。「岡本は、本日休んでおります」
「岡
本は、本日休みです」で十分です。また、語尾につけた「~が」は
印象を悪くする語尾ですので電話ではやめた方がよいと思います。

教えていただけますか?

○ 正しい。広く使われるようになり定着した表現です。
もともとは「教えてもらえますか」という表現で十分な敬意が表現
できていたのですが、敬語がたくさん使われる中で敬意がだんだん
弱くなってきて【敬語低減】、もっと丁寧な表現として謙譲語のい
ただくを持ち込んで「~ていただく」が使われるようになりました。
「いただく」は物が相手から自分に移動してくる場合に使うのが原
則ですので、依頼や命令に関する表現には使いやすかったのです。
「教えていただけませんか」「教えていただけないでしょうか」
「教
えていただくことはできませんか」のように、否定や疑問を組み合
わせるとより丁寧な表現になります。

「いただく」という謙譲語が、尊敬語の意味あいにまで広がり、丁
寧語の「ます」
(これも敬語です)と一緒になって使われることで、
相手を尊敬する丁寧な謙譲表現となり、広く用いられるようになり
ました。名詞に直接接続して使われる「ご利用いただけます」とい
う表現もあります。
角谷さん、飲み物は何にいたしましょうか?

○ 正しい。自分も含む行為に謙譲語「いたす」を使っています。
上の -081- の例 は、
「相手が食べる」という行為に対する敬意
表現でしたが、この例は自分も一緒に、という行為の場合です。 「い
たす」は「する」の謙譲語で、 「何にしましょうか」というのは自
分も含めての「一緒に~する」という発言ですから、謙譲表現を使
うのがよいのです。

日本人?は、お皿に残った最後のひとつを遠慮して他人に勧めます。
しばらく、ポツンとひとつ唐揚げが残っている、というのはよく見
かける光景です。みんな、ちらちら気にしながらも手を出さない。
まだ食べはじめでお腹が空いているときにはとても不自然な時間
です。いつ言い出そうか、と会話もうわのそらになったり・・・。
気のきく人が「これ、どうぞ」と切りだして「じゃ、いただきます
よ」となれば一件落着。譲りあった末に決着がつかず「じゃんけん
しよか?」となることもあります。冷静に考えると、唐揚げひとつ
にそんなに気を使わなくてもいいような気もしますが・・・、謙虚
なわりにはじゃんけんに勝った者が食べてたりしますね(笑)。

辻本ですが、久保さんをお願いいたします。

△ 押しのある印象を受けます。
「辻本ですが」は、やや親しみを感じさせる表現です。知り合いな
らともかく、全く知らない人はちょっとなれなれしさを感じてしま
うかもしれません。親しげに語ることは大切ですが、相手が失礼を
感じてしまうようではいけません。 目の前で用件を聞いていくれ
ている相手に対する気遣いもなく、「お願いします」では、押しの
ある印象を受けることもあるでしょう。ただし、口調にもよります
ので、丁寧な態度であれば問題はないと思います。「こんにちは。
大和鉄道の辻本と申します。根本さん、いらっしゃいますか?」な
ど、わかりやすく気遣いのある表現がよいと思います。

どういたしましたか?

× 「いたす」は相手の言動には使いません。
「いたす」は、「食事をいたします」のように自分だけの動作に丁
寧語として用いる場合と、「ご迷惑をおかけいたしました」のよう
に、自分の行為が相手に至るときに謙譲語として使う場合がありま
す。例文の「いたす」は「相手の状態」をたずねているので、正し
い使い方ではありません。正しくは、
「どう(か)なさいましたか?」
です。

コーヒー、紅茶、どちらにいたしますか?

× 誤り。相手の言動に謙譲語「いたす」を使っています。
「いたす」は「する」の謙譲語です。飲み物を選ぶのは相手ですか
ら、尊敬表現を使わなければなりません。「する」の尊敬語は「な
さる」です。「どちらにされますか?」「どちらになさいますか?」
が正しい表現です。

<話を聞いて>さようですか。

△ 少し古風な表現になりつつあります。
「さよう(左様、または然様)
」という語は「そのとおり」という
確認、同意の語です。
「さようです」「さようでございます」という
ように使われます。また、「そうですか!」という驚きの気持ちに
敬意を込めて「さようでございますか!」と表現することもありま
す。今では、どちらかといえば年輩の方が、丁寧に接客しなければ
ならないときなどに使う古風な言葉となっています。

相手の発言に対して、強く同意する意味で「さようでございますね」
と返答するのは問題ないですが、単につなぎ言葉、相づちとしての
「さようでございますね~」には違和感を持つ人が多いようです。
とても丁寧な表現ですが、その分、疎遠で形式的な返事として受け
取られ、相手に冷たさを感じてさせてしまうこともあるので、日常
で使う場合には気をつけなければなりません。

高村(光男)さんをお願いします。

△ きつく聞こえるかもしれません。
表現として間違いはないのですが、語調や声の質や相手の受け止め
方によっては、きつく高圧的に感じることがあるかもしれません。
「どういうご用件でしょうか?」と聞き返されることも多くなりま
す。 正しくは、きちんと名のった後「高村(光男)さんはいらっ
しゃいますか?」と尋ねるべきです。明らかにいるとわかっている
場合や応対している相手が「本人かな?」と思える場合でも、「い
らっしゃる」を使ってもかまわないと思います。

<店内放送>業務連絡をいたします。増井さん、至急3
番までお越しください。

△ 基本的には誤用。身内側の人に尊敬表現「お~ください」を使
っています。
「業務連絡をいたします」は、来客に呼びかけているなら謙譲語「い
たす」でよいのですが、呼びかけの対象が身内の増井さんだと考え
ると敬語を使う必要はなく、言葉遣いが来客にとって不快でなけれ
ばそれでよい、ということになります。業務放送では、社員に対し
て敬語は使わないのが原則です。使わなくてもいいのですが、敬意
のない放送によって店の雰囲気が壊れてしまいそうならば、例文の
ような敬語を使った表現をしてもかまわないと思います。本来は店
内放送ではなく内線で探したいところですが、しかたない放送だと
すると、必要最小限にとどめるのが望ましいでしょう。「業務連絡
です。田中さん、至急3番まで。」と、一度で聞き取れるように、
柔らかくはっきり流せばよいと思います。最近、ある店舗のトイレ
で「ここは社員も使わせていただきます。ご挨拶はいたしません。
ご了承ください。」という張り紙を見かけました。周りの人に尋ね
てみるとどうも「大型店舗」のいくつかにあるようです。この意味
があまりよくわからないのですが、「社員が客用のトイレを使って
いたぞ」とか「トイレで客に挨拶もしないなんて」という苦情があ
るということなのでしょうか?・・・どなたか詳しい方、教えてく
ださい。

私のお母さんは外出しています。

△ 「お母さん」は敬語です。
この表現に問題を感じない人もいるでしょう。自然に使う人もたく
さんいます。自分の身内のことを他人に話すときは「父」
「母」
「姉」
「兄」と使うのが原則です。しかし、このような原則で使うように
なったのは最近の話。昔は自分の身内にも年上なら敬語を使ってい
ました。将来、この使い方は自然な表現として受け入れられるよう
になるかも知れません。いくら原則だといっても、小さな子どもに
話しかけるときに「私の父がね、」では、不自然ですよね。これは、
年齢によって扱いが変わる表現です。呼びかけるときには「おとう
さん、おかあさん」と使っても問題ありません。

いま、お時間よろしいですか?

◎ 正しい。”形容詞+です”は歴史的には新しい表現です。
この表現が、正誤の話題になる理由がわからない方も多いと思いま
す。この「形容詞」に「です」がつくという丁寧表現は、第2次世
界大戦後になってようやく国語審議会に認められたという新しい
表現なのです。別に、国語審議会が絶対的な権威というわけではあ
りませんが、広く認められるようになったという基準になるもので
す。それまでは、公的な場では形容詞の丁寧語は「よろしゅうござ
います」というように、「ウ音便」+「ございます」しか用いられて
いませんでした。「お時間よろしいでしょうか」とするとさらに丁
寧になります。

「メールをいただければうれしいです」や「その答えが正しいです」
という丁寧表現には不自然さを感じたり、幼稚な表現に思えたり、
違和感がある人もたくさんいるようです。「の」をはさんで「うれ
しいのです」と言うのもおかしいし、単に「うれしい」ではちょっ
と軽い感じがします。
「うれしい限りです」 「正しいと思います」と
いうように「形容詞」と「です・ます」の間に何かをはさむと、大
人びた表現になります。

わが社に来たのははじめてでしょうか?

× 誤り。敬意がうまく表現できていない。
「わが」という表現は少々偉そうなイメージを与えます。会社の場
合は「小社」「弊社」
「この会社」「私どもの会社」が正確な表現で
す。
「小社」は”商社”と同音ですし、「弊社」は謙譲語でありなが
らちょっとかっこよく聞こえすぎるきらいがあるので会話には向
いていません。相手方の動作「来る」に敬意がありません。「でし
ょう」はちょっとくだけた表現です。

きちんと敬語を使うと「私どもの会社にお越しになったのは始めて
でいらっしゃいますか?」という表現になりますが、これでは「シ
ンプルな表現」とはお世辞にも言えません。「こちらには、はじめ
てのお越しですか」という表現も考えられます。それ以前に、「は
じめて来た」ということを尋ねる必要があるかどうか考えたほうが
よいかも知れません。

ちょっと、赤ちゃんにお乳をあげてきます

○ 従来の敬語であれば過剰表現だが、広く使われるようになり定
着した表現です。
「あげる」は「やる」の尊敬語です。新聞の読者投書欄で敬語の
問題がでてくると、よく取り上げられる例です。「お乳」は自分の
乳に対して尊敬している?し、「あげる」は敬語ですから、赤ちゃ
んを自分より高めている?から用法としては誤りだという指摘で
す。しかし、今では「これ、おまえにあげるよ」と使うように敬意
は完全に薄れていますし、もうほとんどの人が普通に使っている表
現です。むしろ基本語の「やる」がきつい言葉に感じられるほどで
す。
「お乳」は美化語の類であり、お乳を尊敬しているわけではない
でしょうし、「あげる」を尊敬語と認めたとしても、赤ちゃんに対
するかわいらしさと大切に思う心から自然にでたやわらかい丁寧
な表現だと考えれば、否定することはできないと思います。正しく
使えば「娘に乳を与えてきます」「息子に乳をやってきます。」とな
りますが堅苦しく感じます。

@じゃり流解釈。
「かけがえのない大切な存在には、習慣として
敬意表現を使うことがある」という原則でどうでしょうか。それ以
前に「ちょっと失礼します・・」と言えば、「お乳をやるのだな」
とわかってもらえるのが日本の社会ですが。

花に水をあげましょう。

○ 従来の敬語であれば過剰表現だが、広く使われるようになり定
着した表現です。
植物に対して「あげる」という敬語が使えるかどうか、という問題
です。「水やり」とはいいますが「水あげ」とは言いません。花を
育てることはとても手がかかります。 「水をやりましょう。」が基本
表現ですが、話の中では言葉づかいが雑に感じられるかもしれませ
ん。上の 140 と同じ解釈でよいでしょう。不自然だと感じる人はあ
まりいないでしょうし、仮に「誤りだ」と指摘しても、みなさんの
表現が変わるとは思えません。

お客様が、まもなくこちらに見えられます。 150「み
える」
× のぞましくない。 「見える」という尊敬語に、さらに「られ
る」をつけた二重敬語。
「見える」は尊敬語としても使われます。「いらっしゃる」や「お
いでになる」よりも敬意が低いので、尊敬の「られる」を添えて使
いたくなります。基本的には二重敬語はクドくなるので望ましくな
いと考えたほうがよいと思います。 「まもなくこちらにいらっし
ゃいます。」
「まもなくこちらにおいでになります。」
「まもなくこち
らにお越しになります。」と表現したほうがよいでしょう。

「お見えになる」という表現も「お~なる」と「見える」の二重敬
語となりますが、これは慣用として定着しているので、誤用とはい
えないでしょう。

こちらにご参集ください。 155「参集」

○ 正しい。 「参」の敬意が熟語になって消滅しています。
「参」という漢字を使った熟語を人の動作に関して使うときには、
謙譲の意味を持つことが基本です。たとえば「参上」
「参詣」「参勤」
「参内」「参着」「参道」
「参列」などです。この場合の「参集」も
かつては謙譲語として自分の行為や、高貴な人に対する言葉として
使われていましたが、今では敬意が消滅してしまいました。他にも
「参加」「参会」
「参政」など、敬語性が完全に消滅した使用法も多
く、その言葉に敬意の接頭語「ご」をつけたとしても問題ないでし
ょう。

<来客中に>部長、恐れ入りますが・・。 160「恐れ
入る」
△ のぞましくない。 部長に謙譲語を使っている。
来客中に、何か用件を切り出すこと自体がとても失礼にあたります
ので、よほどでない限り来客が帰ってからにすべきですが、重大な
急用なら仕方がありません。「恐れ入ります」という表現が正しい
使い方ではありません。謙譲語ですから「部長を高めている=来客
を低めている」という構図になってしまうとも考えられるからです。
いきなり部長に話しかけるのではなく、まず来客に「お話し中まこ
とに申し訳ございません。ちょっとよろしいでしょうか。」と了解
をとるほうが望ましいと思います。次に部長に「部長、
・・ですが。」
と用件を切り出しましょう。もし部長に別の場所へ席を立ってもら
わなければならないときには、部長退出後に、来客にもう一度「ま
ことに申し訳ございません、少々お待ちください。」と言う心遣い
が必要になります。

<電話で>「 どうも。中村です。 」 165「どう


も」

△ 不適切。 立場をはっきり伝えた方がよい。
ほとんどの場合、名のれば声と口調で「誰であるか」はわかっても
らえるのですが、よくある姓の場合、どの中村さんかわからないこ
とがあります。
「奈良の・・」「大正建設の・・」などのように用件
に関わる立場をはっきり伝える習慣を身につけた方が良いと思い
ます。

「どうも」という言葉も、あくまでも省略された表現ですから、対
面の時と同じようにきちんと挨拶をつけた方がいいでしょう。「こ
んにちは。田村商店の中村です。」と、ゆっくり言うのが良いでし
ょう。
私は「中村ですが」という電話を受けて、同級生の中村くんだと思
って「おお」「うん」
「えっ?」「へええ」と話していたら、途中で
中村先輩だったことに気づき、「す、すみませ~ん!」となったこ
とがあります。今では笑い話ですが、その時は冷や汗タラタラ、必
要以上の不自然な敬語ペラペラ・・ということになってしまったこ
とがありますし、こちらから電話したときに電話に出たのが声が当
人とそっくりな弟で、そのまましゃべり続けてしまった・・という
情けない体験があります。親しい仲にも礼儀あり、ということの大
切さを実感しました。

<電話の取りつぎで>青山くん、高山製菓から電話だよ。

△ 注意。 待たされている側にとっていい気はしません。
他社を呼び捨てにした上、取り次ぎにあたっての基本的な尊重の
気持ちが感じられない発言です。受話器から耳口をはずしたとたん
に口調やトーンを変えて渡す人がいますが、受話器の口を押さえて
いても声は漏れますので、漏れ聞こえたら待っている相手はいろい
ろなことを想像しますし、不愉快になることがあるかも知れません。
「高山製菓さんからお電話です」とすれば問題ありません。不快な
待ち受けの曲を聞かされたり受話器の口を押さえたガサガサ音よ
りも、そのまま声が聞こえてきちんとしたさわやかなやりとりが聞
こえる方がずっと気持ちがいいものです。

<電話の取りつぎで>田島さん、奥様からです。

△ 不適切。 家族からの電話には気遣いが必要です。
取り次ぐときには「誰からか」を告げることが原則です。相手に
よって対応を変えなければならないからです。しかし、家族からの
電話というのは重大で他人には知られたくない用件の場合が多い
はずです。
「田島さん、お電話です。」と取り次ぎ、相手を尋ねられ
たら周囲に知られないような配慮をするかできるだけ自然に「お宅
からです。」と伝えましょう。

You might also like